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フランクル臨床哲学の現代的可能性--その歴史的意味と教育への示唆

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Academic year: 2021

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(1)フ ラ ンク ル 臨床 哲 学 の現 代 的可 能性. 一 そ の 歴 史 的 意 味 と教 育 へ の 示 唆 一. フ ラ ンクル臨 床 哲 学 の現 代 的可 能 性 一 その歴史 的意味 と教育へ の示 唆. 岡. 本. 哲. 雄*. は じめ に. 今 年 は、 第 二 次 世 界 大 戦 後60年 、 阪 神 淡 路 大 震 災 か ら も10年 とな る。 我 々 に と って この 節 目 の年 は、 第 二 次 大 戦 中 の ユ ダヤ人 強 制 収 容 所 の体 験 記 録 『夜 と霧 』 の著 者 と して知 られ る精 神 科 医V.E.フ. ラ ン クル(1905∼1997)の. 生 誕100年 の年 に当 た る。 〈ア ウ シ ュ ヴ ィ ッ ツ〉 を は じ. め とす る幾 っ もの ユ ダ ヤ人 強 制 収 容 所 を く ぐ りぬ け た彼 が遺 して くれ た もの、 そ れ は い った い 何 で あ っただ ろ うか 。 戦 争 や 災 害 の直 接 体 験 が 追 体 験 され、 記 憶 を薄 れ させ な い とい う課 題 も 大 切 か も しれ な い。 しか し、 そ の遺 産 を本 当 に受 け継 ぐ とい う こ と は、 今 日的状 況 にお い て も、 現 実 に 日常 を生 き る そ の在 り方 そ の もの に そ れが 溶 け込 ん で い る とい う こ と、 少 な く と も、 そ れ を 受 け取 り直 す こ とが可 能 で あ る とい う こ とで は な か ろ うか 。 フ ラ ン クル は、 た だ 、 〈限 界 状 況 〉 と い う特 殊 な状 況 にお け る人 間 の現 実 を赤 裸 々 に語 った の で は な い。 そ の こ とを通 して 人 間 存 在 が 本 来 根 差 す べ き根 源 的 な在 り方 を解 明 し、 そ れ を体 現 す る こ とへ の道 を拓 い た の で あ る。 そ して 幸 い に も、 彼 は そ の思 想 を 「臨 床 の知 」 と して結 晶 化 させ て い る。 そ の生 涯 を 閉 じる20世 紀 末 に至 る まで 、 彼 は、 市 井 の人 々 それ ぞれ の生 ・老 ・病 ・死 の現 実 と取 り組 む こ と で 深 め た 「心 術 」 を 遺 産 と して の こ して くれ て い る ので あ る。 今 日、 我 々 は、 互 い に生 き る現 実 にお いて 、 「ロ ゴテ ラ ピー(Logotherapie)」. 乃 至 「実 存 分 析(Existenzanalyse)」1と. 名付 け. られ た この 「臨 床 の 知 」 が 示 唆 した もの を ど の よ うに受 け取 り直 して い く こ とが で き るで あ ろ うか 。. 1フ. ラ ンクル の遺産 と今 日の状況. フ ラ ン ク ル が 創 始 した ロ ゴ テ ラ ピ ー ・実 存 分 析 は 、 い わ ゆ る ウ ィ ー ン第 三 学 派 と呼 ば れ る 心. *教 職教育部 一1一.

(2) 近畿大学教育論叢. 第17巻 第1号(2005・8). 理 療 法 の一 種 と して知 られ て きた。 そ れ は、 従 来 の フ ロ イ トの精 神 分 析(第 一 学 派)と ラー の個 人 心 理 学(第 二 学 派)の 一 面性 と歴 史 性 を 批 判 しっ っ 、 意 味 喪 失(ニ 代 に 求 め られ る 「生 の 意 味(Sinn)」(以. アー ド. ヒ リズ ム)の 時. 下 、 〈意 味 〉 と記 す)を 志 向 す る新 た な人 間 学 的 心 理. 療 法 と して 自 らを 規定 して い る。 も っ と も、 セ ラ ピー の場 面 で は、 従 来 の もの を全 面 的 に否 定 し、 そ れ らに完 全 に取 って 代 わ ろ う とす るわ けで は な く、 あ くまで 補 完 的 役 割 を演 じよ う と し、 自 らの絶 対 化 を 強 く戒 め る。 けれ ど も、 人 間 学 的 にみ れ ば、 ロ ゴ テ ラ ピー は、 単 な る役 割 上 の 補 完 に留 ま る もの で はな い。 そ れ は、 人 間 的 実 存 の 〈意 味 〉 を解 明 す る 「実 存 分 析 」 に基 づ い た 「思 慮(Besinnung)」. や 「心 術(Gesinnung)」. を 含 ん で お り、 こ の こ とが 、 フ ッサ ー ル の. い う 「自然 主 義 的 態 度 」 に終 始 した 還 元 主 義 的 な医 療 や 心 理 療 法 に 「正 気 」 を取 り戻 さ せ よ う とす る人 間学 運 動 の重 要 な 一 翼 を 担 う こ とを 可 能 に した ので あ る。 フ ラ ン クル は 自 らが 生 きた20世 紀 の 諸 思 想 、 と りわ け、 マ ック ス ・シェ ー ラー の哲 学 的人 間 学 や価 値 倫 理 学 、 マル テ ィ ン ・ハ イ デ ッガ ーの 現 存 在 分 析 、 マ ル テ ィ ン ・ブ ー バ ー の対 話 哲 学 等 の 影 響 を 強 く受 けて お り、 彼 の 〈意 味 〉 の 思 想(そ. れ は同 時 に、 人 間 生 成 の 思 想 で あ るが). の表 現 様 式 、 な い し概 念 装 置 は、 そ う い っ た思 想 的 遺 産 を色 濃 く反 映 した もの と な って い る。 も っ と もそ うい った 影 響 を受 けな が ら、 彼 の言 説 は、 〈ア ウ シ ュ ヴ ィ ッ ツ〉 を 潜 り抜 け、 人 間 の生 ・老 ・病 ・死 の 現 実 に深 く沈 潜 して き た医 師 フ ラ ンク ル 自身 が 、 自 らの実 存 を通 して語 り 直 した もの で あ る こ と は言 う まで も な い。 そ して 、 現 代 の ニ ヒ リズ ム と格 闘 しっ っ、 人 間 的実 存 の核 心 が生 の 〈意 味 〉 にあ る こ とを 解 明 す る彼 の思 想 が 、 「臨床 の知 」 と して 結 実 したの が 、 ロ ゴテ ラ ピー の 活 動 で あ る。 そ こで は、 あ くまで 、 援 助 者 は 〈媒 体 〉 と して の役 割 に終 始 す る が、 そ の人 自身 が 、 そ の っ どそ の 状 況 にお け る一 回 的 で 、 独 自 の 〈意 味 〉 を発 見 で きる よ うに 訓 練 で き るよ う援 助 す る こ とを 通 して 、 最 終 的 に は、 そ の人 自身 が 常 に 〈意 味 〉 を志 向 で きる よ うな人 生 との 向 き合 い方 を ハ ビ トス(習 性 態)と す る よ うに導 くこ と を 目標 と して い る。 し た が って、 そ れ は心 理 療 法 の 一 っ の 様 式 を 意 味 す るだ けで は な く、 人 間 を援 助 す る他 の あ らゆ る領 域 に開 か れ て 、 そ の 本 質 は実 の と こ ろ 〈意 味 〉 に働 きか け る 「心 術 」 そ の もの で あ る と も い え る。 っ ま り、 そ れ は、 人 間 の 生 き方 そ の も の に関 わ る実 践 哲 学 で あ り、 生 ・老 ・病 ・死 の 現 実 に深 く根 差 しっ っ 、 出 自 で あ る心 理 療 法 以 外 の 領 域 に も ひ らか れ て 発 展 して い く構 え を も って い る。 実 際 、 西 欧 で は、 昏 迷 を き たす 今 日 の医 療 ・看 護 ・教 育 ・タ ー ミナ ル ケ ア等 の 臨 床 に お い て、 そ の 重要 性 が 改 あ て 認 識 され て お り、 心 理 療 法 家 の資 格 を もた な くと も、 ロ ゴテ ラ ピー の訓 練 を受 けた 医 師 や 教 師 や 看 護 士 や 牧 師 、 そ の他 に も人 聞 を援 助 す る職 業 人 が、 そ れ ぞ れ の領 域 で 活躍 して い るの で あ る2。. 一2一.

(3) フラ ンクル臨床哲学 の現代的可能性. 一 その歴史 的意味 と教育 への示 唆一. と こ ろ で 、 近 代 とい う時 代 は、 人 間 の 人 間 に 対 す る 援 助 の活 動 を、 そ の 目的 に 応 じて 〈教 育 〉 〈医 療 〉 〈心 理 療 法〉 〈宗 教 〉 等 に 分 節 し、 専 門 分 化 させ 、 そ れ ぞ れ の 目的 を よ り効 率 よ く 実 現 す るた あの シ ス テ ムを 形 成 して い っ た。 それ は、 近 代 以 前 の時 代 に寺 院 や教 会 が宗 教 施 設 で あ りな が ら、 子 ど も に読 み 書 き を教 え た り、 医 療 活 動 の 拠 点 とな っ た り、悩 み の相 談 所 と な って い た の と は対 照 的 で あ る。 今 日、 役 割 上 の合 目的 性 追 求 の結 果 、 専 門 分 化 は個 々 の領 域 の 内部 に まで 及 ん で 、 ます ます 著 しい もの と な って い る。 しか しなが ら、 周 知 の如 く、 そ れ ら は か え って相 互 に意 思 疎 通 の 困 難 な もの に、 ま た統 合 不 可 能 な もの と な っ て しま った。 各 専 門 領 域 は、 目的合 理 性 の 中 で視 野 が 狭 窄 し、 自閉 し、 行 き詰 ま り を見 せ 始 めて 久 しい の で あ る。 た とえ ば、 生 物 学 的身 体 の 治療 の み を 目的 と した医 療 にお け る テ ク ノ ロ ジー の飛 躍 的 発 展 と反 比 例 して顕 著 とな って い る患 者 の 「魂 へ の配 慮 」 の 軽 視 や 尊 厳 死 等 の 倫 理 的 問 題 。 知 識 と技 術 の効 率 の よ い獲 得 を 目的 と して社 会 に学 校 シ ス テ ムが 高 度 に行 き渡 っ た今 日 にお いて 、 学 校 教 育 に倦 怠 感 を感 じ、 そ の よ うな シス テ ム に沿 って 教 育 を受 け た り、 教 育 を 行 っ た りす る こ と の 意 味 が 揺 らい で い る状 況 。 実 質 上 、 冠 婚 葬 祭 の 儀 礼 を 担 う こ と に役 割 を 限 定 し、 「魂 の 救 い」 と い う本 来 の役 割 を担 え ず に い る伝 統 的宗 教 。 そ して そ の 「魂 の 救 い」 を よ り科 学 的 見 地 か ら 担 う こ とが で き る こ とを 売 り文 句 に、 悩 め る現 代 人 の 関心 を 大 い に 引 き、 〈癒 し〉 ブー ムを 巻 き起 こ して い る心 理 療 法 。 しか し、 そ の 内実 は多 くの場 合 そ の素 朴 な科 学 信 仰 や 哲 学 的 洞 察 の 欠 如 の ゆえ に極 め て皮 相 で あ り、 か え って真 の 〈癒 し〉 が何 で あ るの か とい う こ と にっ いて の 混 乱 を 招 い て い る。 一 この よ うな 問 題 や状 況 の 中 で、 個 々 の実 践 者 は 「何 が 本 当 の 援 助 な の か 」 にっ い て の 確 信 を もて な くな っ て い る。 換 言 す れ ば、 「人 間 の幸 福 の た あ 」 の 近 代 的 な努 力 は、 皮 肉 な こ と に、 「人 問 に と っ て幸 福 と はそ もそ も如 何 な る こ と な の か」 と い う根 本 問題 を 忘 失 させ る に至 って い る と いえ よ う。 と い うの も、 シ ェー ラー や ハ イ デ ッガ ー が す で に指 摘 して いた よ うに、 それ ぞ れ の分 野 で 断 片 的 な人 間 理 解 が 無 数 に提 示 さ れ る に及 ん で、 表 面 的 に は人 間 にっ いて 多 くの 知 識 や 情 報 が 生 まれ た よ うに みえ るが 、 一 人 ひ と りが 真 摯 に人 間 存 在 と して 生 き る こ と に向 き合 う な らば、 か え って 「人 間 と は そ もそ も如 何 な る存 在 な の か」 とい う 問 い が ます ます 深 ま り、 昏 迷 して い る こ とを 思 い知 らされ るか らで あ る。 なぜ な ら、 そ こで は、 人 問 が 「よ り多 く、 よ り快 適 に生 き る」 ため の 手 段 と して 有 効 で あ るか に見 え る断 片 的 、 一 面 的 な 人 間 にっ い て の 知 識 は無 尽 蔵 に 生 産 され るが 、 そ れ が 実 際 「何 の た めか 」、 「何 の意 味 が あ るの か」「そ もそ も人 間 は何 の た め に 生 き るの か 」 と い う根 源 的 な問 い に対 す る思 慮 深 さ の形 成 は、 か え って妨 げ られ て い るか らで あ る。 フ ラ ンクル が 批 判 す る還 元 主 義 的 な人 間 理 解 は、 人 間 とは 「∼ に す ぎな い」 と、 人 間 存在 の一 側 面 を 全 体 の こ とで あ るか の 如 く短 絡 的 に結 論 付 け. 一3一.

(4) 近畿大学教育論叢. 第17巻 第1号(2005・8). る が、 そ うい った人 間像 が た とえ無 数 に存 在 して も、 そ れ ら は他 との対 話 の通 路 を持 た な いが ゆ え に、 「開 か れ た 問 い」 を 内包 しっ っ 、 絶 え ず 「生 成 」 す る と い う人 間 存 在 の 全 体 的 な在 り 様 像 を歪 め て理 解 す る結 果 とな る。 そ の こ とに よ って、 問 わ れ るべ き人 間 存 在 の意 味 へ の 問 い を か え って隠 蔽 して しま って い るの で あ る。 この世 に 自分 の意 志 で生 ま れ て く る人 間 はい な い。 人 間 が 存 在 して い る とい う こ と は、 実 は 深 い謎 で あ る。 しか し、 人 間 は 自 らの生 を 「被 る」 とい う仕方 で受 け容 れ 、 この 深 い謎 を 抱 え た ま ま、 成 長 し、 子 を育 み、 老 い て死 ぬ。 どの よ うな場 合 で あ れ 、 人 が 人 と成 る と い う営 為 の 底 に は この深 い謎 が 隠 れ て い るの で あ る。 だ か ら、 人 は、 自己 が生 き る こ との 〈意 味 〉 を 問 わ ざ るを得 な い、 また 問 う こ とが可 能 な存 在 で あ る。 しか し、 合 理主 義 や 実証 主 義 に支 配 され た 近 代 の人 間科 学 は、 人 間存 在 の深 き謎 を 問 い と して受 け留 め 、 問 い な が ら人 間 存 在 の 全 体 に迫 る と い う態 度 を 忘 却 して しま った の で あ る。 そ れ に対 して 、 フ ラ ンク ル の 臨 床 哲 学 は、 「人 間 存 在 の意 味」 を解 明 す る 「思 慮 」 と、 そ こか ら一 人 ひ と りが そ の 独 自の生 き る 〈意 味 〉 を 発 見 で き るよ うに導 く 「心 術 」 を備 え た20世 紀 の貴 重 な遺 産 の一 っ だ と いえ る。. 2心. 理療法の歴史的意味 とフランクル臨床哲学. 医 学 と医 術 言 うま で もな く、 ロ ゴテ ラ ピー と実 存 分 析 の 出 自 は、 医 療 で あ り、心 理 療 法 で あ る。 オ ラ ン ダの ユ トレ ヒ ト現 象学 派 に属 す る精 神 科 医 ヴ ァ ン ・デ ン ・ベ ル ク も示 唆 した よ う に、 心 理 療 法 は、 〈近 代 〉 の産 業 化 と起 源 を同 じ く して い る3。 近 代 以 降 、 伝 統 的共 同性 の 崩 壊 に伴 い、 社 会 は外 に 開 か れ、 変 化 して い く ダイ ナ ミズ ムを有 す る よ う にな る。 専 ら、 共 同 体 に溶 け込 む 形 で 、 心 身 と もに伝 統 的 な もの によ って規 定 され て い た 自己 は、 近 代 化 の 進 展 に よ る社 会 の 複 雑 化 、 価 値 の分 裂 、 多元 化 、 不確 定 化 と共 に 「複 数 の実 存」 へ と引 き裂 か れ る。 アイ デ ンテ ィ テ ィ ー の確 立 とい う こ とが課 題 と して意 識 にの ぼ り始 め るの も この 頃 か らで あ ろ う。 一 も っ と も、 こ の不 確 定 化 とい う事 態 は科 学 主 義 の一 元 化 に よ って しば しば 覆 い隠 され るの で 、 問 題 は、 しば しば 無 自覚 の ま ま進 行 して い る の で あ るが 一 。 この こ と と期 を 一 に して 、 そ こか ら発 症 す る 「神 経 症 」 の発 見 とそ れ を癒 す た め に メ ス メ ル に始 ま る心 理 療 法 の伝 統 が 始 ま った の で あ る。 も っ と も、 神 経 症 を扱 うだ けで な く、 ガ ダ マ ー も い うよ う に4心 cheHeilkunst)と. 理 療 法 は 医 術(diearztli-. して常 に医 学 の境 界 線 上 に立 ち、 「実 践(Praxis)」. な い しは勝 義 の 「臨 床 」. との 解 消 で き な い 連 関 を生 き る糧 と して きた の で あ る。 しか し、 実 践 は、 単 な る科 学 の応 用. 一4一.

(5) フランクル臨床哲学の現代的可能性 (Anwendung)で. 一 その歴史的意味 と教育へ の示唆一. はな い 。 そ うで はな くて 、 常 に何 らか の影 響 が 、 実 践 か ら研 究 へ と帰 され、. そ して そ の研 究 成 果 は絶 え ず、 実 践 の 中 で有 効性 を はか られ 、 試 され ね ば な らな い。 実 践 は、 知 の応 用 以 上 の もの で あ る。 実 践 は医 師 の職 業 の 全 体 的 な 生 活 圏 を 意 味 して い る ので あ っ て、 (医 師 が)働. い て い る世 界 全 体 に お け る単 な る一 っ の 領 域 を意 味 して い る の で は な い。 実 践 に. は実 践 固 有 の世 界 が あ る の で あ る。 した が って、 な る ほ ど心 有 る医 師 は、 自分 の 職 業 は研 究 者 あ る い は科 学 者 で あ る と理 解 して い るだ けで はな い し、 ま して 「健 康 にす る」 ため に科 学 的 認 識 を 応 用 へ と もた らす 単 な る技 術 者 と して理 解 して はな らな い こ とを知 って い るの で あ る。 医 師 とい う職 業 に は、 「近 さ の モ メ ン ト」 が 存 在 して い る。 そ れ は医 術(Heilkunst)と. い う名. 前 を 発 生 させ た所 以 の もので あ る。 近 代 医 学 の驚 くべ き テ ク ノ ロ ジー の発 展 は、 と りわ け患 者 た ち を い っ も繰 り返 しそ そ の か し、 医 師 の 行 為 の 治 療 効 果 に関 す る側 面 だ け に焦 点 を 当 て て きた。 そ して、 彼 の科 学 的 な能 力 を根 拠 に医 師 を 評 価 す る よ うに させ た ので あ る。 ま た、 医 療 技 術 が 進 歩 す れ ば す る ほ ど、 皮 肉 な こ と に、 そ れ だ け命 名 され る病 気 の数 も増 加 し、 薬 物 や 医療 へ の 依 存心 を 生 み 出 した。1.イ リッ チ も指 摘 した よ う に、 健 康 に な る と い う ことへ の意 図 過 剰 が 、 か え って 「健 康 」 とい う名 の病 を生 み 出 す と い う倒 錯 現 象 を 生 み 出 したの で あ る。 ま た、 延 命 治 療 や臓 器 移 植 の問 題 に典 型 的 に 見 られ るよ う に、 これ まで は経 験 しな くて もよか った苦 しみ や 困 難 に患 者 の方 を追 い込 む こ とに もな った。 そ して 、 患 者 た ちが 抱 え る様 々 の苦 境 は、 近 代 の医 療 技 術 と い う魔 法 の手 段 を あ らゆ る人 び と に対 して 確 保 す るよ う に急 き立 て る と い う悪 循 環 を起 こ して しま って い る。 そ の 際、 技 術 の 応 用 とい う こ とが 、 最 も高 度 の 心 配 りと責 任 を 要 す る行 為 、 最 も広 域 の人 間 的 、 社 会 的諸 次 元 を 包括 す る行 為 で あ る こ とを 忘 却 させ て い るの で あ る。 以 上 の よ うな状 況 を生 み 出 した 現代 の 医 療 技 術 の 飛 躍 的 進 展 は、 ま さ に、 医 術 の忘 却 の歴 史 と抱 き合 わ せ に な って い る。 そ して、 そ の プ ロセ ス にお い て 、 心 理 療 法 家 に も科 学 者 と して の 性 格 が 強 く刻 印 さ れ て きた こ と も事 実 で あ ろ う。 す な わ ち 、 一 面 にお い て 心 理 療 法 は科 学 で あ り、 そ の実 践 は一 た とえ ば、 フ ロイ トの精 神 分 析 の 原理 が 近 代 科学 か ら零 れ 落 ち る人 聞 存 在 の 非 合 理 な側 面 を、 物 理 学 的 な力 学 に基 づ い て解 明 した よ うに一 、結 局 の と ころ 自然 科 学 的 な 知 の現 実 へ の適 用 に従 事 して きた面 が あ る とい え る。 けれ ど も、 ま た別 の面 か ら見 れ ば 、 心 理 療 法 家 は心 理 一精 神 の謎(神 秘)と 格 闘 して きた の で あ る。 とい うの も、 人 間 は単 な る 自然 的 存 在 で は な く、 自 己 自身 で あ り、 そ れ ゆ え に謎 に満 ち計 り知 れ な い存 在 で あ る。 す な わ ち 、 人 格 と して 、 共 同 存 在 と して、 家 庭 や職 場 に お い て、 数 え切 れ な い、 ま た計 り知 れ な い様 々 の影 響 や 作 用 を被 りなが ら、 諸 々 の重 荷 と問 題 を抱 え て い る存 在 な の で あ る。 そ の 中 で は、 い っ も繰. 一5一.

(6) 近 畿 大学 教 育 論 叢. 第17巻. 第1号(2005・8). り返 し、 予 見 で き な い こ と が 生 じて く る 。 高 度 に 発 展 し た 研 究 は 、 自 然 現 象 の 諸 法 則 を ど ん ど ん 探 究 し、 そ れ だ け 一 層 多 く の こ と を 解 明 す る が 、 そ れ と は 全 く異 な っ た 不 可 解 さ が そ こ に は あ るの で あ る。. 解釈 学 的な見 方. 一. さて 、 ガ ー ダ マ ー は、 こ の人 間 の心 理 一精 神 的 な生 の や り繰 りの不 可 解 さ、 す な わ ち そ の予 測 不 能 さの 理 解 の た あ に は、 解 釈 学 と い う理 解 の術 が 関 らざ る を え な い こと を示 唆 す るの で あ る。 彼 は、 我 々 と世 界 と の最 も基 本 的 なか か わ りを 「理 解 」 と して捉 え、 我 々 は い つ もす で に、 存 在 して い る も の を 「∼ と して 」 解 釈 しなが ら生 き て い る存 在 と して み る。 この解 釈 過 程 は、 言 語 に よ って 構 成 され た歴 史 的 な包 括 的 意 味 連 関 の地 平 を背 景 に して生 じ得 る もの で あ る。 っ ま り、 理 解 しよ う とす る者 が 背 負 って い る歴 史 的 な意 味 地 平 と理 解 さ れ る もの の背 後 に隠 れ て い る歴 史 的 な 意 味 地 平 とが、 「理 解 」 と い う事 態 の中 で、 互 い に 動 き 出 し浸 透 し合 っ て、 自 己 変容 を 遂 げ合 う(=「. 地 平 融 合 」)。す なわ ち 「理 解 」 と は、 我 々 の主 体 の 自律 的 ・意 識 的 な如. 何 な る営 為 に も回 収 で き な い、 完 結 され る こ と の な い開 か れ た運 動 と して捉 え られ る の で あ る。 実 際 、心 理 療 法 家 が 他 者 や 自 己 の生 の謎 と取 り組 み っ っ 、 そ れ を捉 え よ うと した努 力 の 中 に は、 自覚 され て い たか ど うか は別 に して 、 そ の よ う な プ ロ セ スが 少 なか らず あ った こ とは認 め て も よ いで あ ろ う。 普 遍 的 な規 則 の単 な る適 用 で は不 充 分 な と こ ろ で は、 至 る所 で、 解 釈 学 は遂 行 され う る もの で あ る はず だ か らで あ る。 そ して それ は、 人 間 同 士 の間 柄 に お け る生 活 経 験 の領 域 全 体 に有 効 な もの で あ る。 なぜ な ら、 本 来 、 自分 自身 にっ い て も、 他 者 につ い て も、 不 可 解 な 存 在 一 そ れ が 人 間 だ か らで あ る。 実 際 、 近 代 科 学 勃 興 の時 代 に お い て、 哲 学 が 規 範 要 求 と科 学 の遂 行 が 可 能 な こ と の限 界 に気 づ き、 解 釈 学 を高 く見 積 も り始 あ た歴 史 的 経 緯 が あ る とい う こ と は、 決 して 驚 くに当 らな い こ とで あ る。 ガ ー ダ マ ー は次 の よ うに述 べ て い る。. か っ て 、 人 び と は、 この 古 代 ギ リシ ヤ以 来 の文 献 解 釈 の学 術 用 語 を人 間 理 解 の た め に用 いた。 折 しも、 ち ょう ど17、18世. 紀 の新 しい科 学 の 限 界 が認qさ. れ始 め て い た 頃 で あ り、. ゲ ー テや ロ マ ン主 義 の 時 代 に、 そ れ ぞ れ の人 間 が 自 己 自身 で あ り他 者 で もあ る で あ る と い う深 い謎 を 認 識 したそ の と きで も あ っ た。5. 眼 に見 え る事 柄 を 正 確 に観 察 し、 そ れ を もれ な く記 述 す る こ と に よ って 患 者 の治 療 に対 す る 正 しい 見識 を 形 成 で き る と い う確 信 は、 ま さ に この 頃 か ら始 ま っ たが 、 同 時 に、 完 全 な記 述 を 一6一.

(7) フランクル臨床哲学 の現 代的可能性. 一その歴史的意味 と教育への示唆一. 徹 底 す る こ とに よ って そ の っ ど暴 露 さ れ る 「記 述 に 余 る もの 」 の 存 在 に も気 付 か れ 始 め た の で あ る。 この こ とに関 して、 ミッ シ ェル ・フ コー は、 『臨 床 医 学 の誕 生 』 の 中 で、 「臨 床 医 学 的 経 験 は、 優 れ た感 受 性 と同一 化 す る」 こ とを分 析 し次 の よ うに述 べ て い る。. 医 師 の一.の. ま な ざ しは、 しば しば も っ と も広 範 な博 識 に ま さ り、 も っ と も徹 底 的 な 教. 育 に ま さ る。 これ は五 感 を しば しば秩 序 立 て て、 正 し く用 い た こ との結 果 で な くて 、 何 で あ ろ うか 。 この五 感 の修 練 か ら、 か の応 用 の才 能 、 陳述 の す ば や さ、 判 断 の早 さが 生 じる。 それ は と き に あ ま りに も迅 速 な の で、 す べ て の行 為 が い ち ど きに行 わ れ て い るよ うに み え 、 タク ト. そ の総 体 は勘 とい う名 で 呼 ば れ て い る。 … 医 学 に お い て、 す べ て の ものが 、 あ る い は ほ とん どす べ て の ものが 、 眼 の一 瞥 か 、 ま た は適 切 な本 能 に依 存 して い る の で、 もろ もろ の 確 実 性 は医 学 の原 理 に あ る と い う よ り も、 む しろ芸 術 家 の感 覚 そ の もの に あ る。6. 人 聞 を 対 象 化 す る こ と に よ って 生 まれ た医 学 的 な ま な ざ しの技 術 的 な枠 組 み が徹 底 さ れ よ う とす れ ば す る ほ ど、 逆 にそ れ はそ の対 象 化 の ま な ざ しか ら零 れ 落 ち る もの一 た と え ば、 そ の状 況 に応 じて 臨機 応 変 に必 要 と な る慎 重 さ、 勘 、 手 際 の よ さ な ど一 の重 要 性 が 強 調 さ れ る よ うに な るの で あ る。 これ を フ コ ー は、 「具 体 的 な感 性 の ま な ざ し」 と も呼 び、 こ の ま な ざ しに よ る 分 析 はい わ ば 美学 で あ り、 実 際 、 この も と に な され るす べ て の こ と は、 一 瞥 の うち に一 瞬 の う ち に行 わ れ る 「タ ク ト」 の 働 きだ と い うの で あ る。. 19世 紀 の 知 識 人 フ ロ イ トの 歴 史 性 さ て、 神 経 症 に対 す る癒 しの術 と して始 ま った心 理 療 法 の 歴 史 を 見 て も、 近 代 医 学 の成 立 の 中 で生 じた 「理 性 」 と 「感 性 」 とい う相 互 に 矛 盾 した まな ざ しが 、 矛 盾 した ま ま 「臨 床 」 に お い て相 補 的 に働 い て い る事 態 を見 る こ とが で きよ う。 フ ロイ トは、 個 々 の 神 経 症 の 症 例 を見 る 中 で、 そ もそ もそ の経 験 か ら 「無 意 識 」 の概 念 を捻 出 した の で あ る。 この 「無 意 識 」 の発 見 は、 人 問 の 内部 に お い て人 間 自身 が意 識 的 に コ ン トロー ル で きな い よ うな 非理 性 的 ・非 合 理 的 な生 命 の欲 動 を認 め た こ とに よ って、 近 代 的 自我 の統 一 性 へ の信 頼 を大 き く揺 さぶ る もの で あ っ た。 フ ロ イ トの この よ うな 「無 意 識 」 の発 見 に は、 「対 象 化 の ま な ざ し」 を超 え た彼 自身 の 「感 性 」 の 働 きが認 め られ る。 と ころ が 他 方 、 彼 は生 の 不 可 解 な諸 問 題 を 、 「無 意 識 」 と い う理 性 を 超 え た、 隠 れ た働 き に よ って 内 側 か ら翻 弄 され て い る もの と して理 解 し、 そ の解 決 を、 この 不可 解 な 「無 意 識 」 か ら脱 出 し意Aへ. と もた らす こ と、 す な わ ち理 性 の信 頼 を取 り戻 す こ と に見 て. 一7一.

(8) 近畿大学教育論叢. 第17巻 第1号(2005・8). い た の で あ る。 ま た彼 は、 「無 意 識 」 と い う近 代 科 学 の手 か ら、 あ る い は そ の 根 底 に あ る デ カ ル ト的 自我(コ. ギ ト)を 中心 に お く論 理 か ら、 零 れ落 ち る リア ル な働 きを 発見 しな が ら、 しか. し、 それ を心 的 装 置 の規 制 の メ カ ニ ズ ム と して因 果 論 的 に 「説 明」 し、 機 械 論 的 な比 喩 や述 語 を頻 繁 に用 いて い る。 精 神 分 析 の み な らず 、 個 人 心 理 学 に せ よ、 分 析 心 理 学 に せ よ、 一 定 の仮 説 を持 っ が 故 に、 半 ば そ うい っ た メ カ ニ ズ ム に現 実 を 当 て は め て理 解 す る とい う側 面 が少 な か らず 存 在 す る。 と りわ け、 フ ロ イ トは、 そ の意 味 で紛 れ もな く近 代 合 理 主 義 の 申 し子 で あ った。 も っ と も、 ポ ー ル ・リク ー ル 了な ど も指 摘 す るよ うに、 そ こ に は 「解 釈」 「歪 曲 」 とい った意 味 論 的 ・解 釈 学 的 な言 語 も混 合 して い る と い う点 を見 逃 す こ と は で き な い の で あ る。 この よ うな 「説 明」 と 「解 釈 」 の混 在 と い う方 法 論 的 な 曖 昧 さや 揺 れ は、19世 紀 知 識 人 フ ロ イ トの歴 史 性 を 示 す もの と して 着 目 され な けれ ば な らな い8。 鷲 田 清 一 は、 デ カ ル ト以 来 の近 代 哲 学 の 思 考 法 が、 「私 が 意 識 して い る限 り、 そ の よ う に意 識 して い る 自分 は存 在 して い る」 と い う風 に、 主 体 の存 在 を そ の意 識 へ と還 元 し、 翻 って 自分 自身 に意 識 を 向 け る と い う反 省 行 為 の 中 で こ そ 「私 」 は確 証 され る と考 え る と こ ろ に そ の特 徴 を 有 して い る の に対 して 、 フ ロ イ トの 精 神 分 析 は、 そ の こ とを 否 定 し、 「近 代 的 自我 と い う主 体 が す で に 自分 以 外 の もの に よ っ て媒 介 され て い る とい う こ と、 あ る い は隠 され た過 程 の イ フ ェ ク ト、 そ れ も歪 み 変換 され た イ フ ェ ク ト」 で あ る こ とを 主 張 した も ので あ る こ と を示 唆 し、 そ れ を次 の よ う に敷 術 す る。. 《コ ギ ト》 の哲 学 は、 わ た しの意 識(cogito)、. あ る い は そ うい う意 識 た ち の 共 同 的 な活. 動 、 っ ま り は 《主 観 性 》 とい う も の を哲 学 の 作 業 場 と して 伐 り開 い た 。 《主 観 性 》 は、 意 味 と真 理 が生 成 す る根 源 的 な場 所 と して 開 か れ た の で あ る。 が 、 精 神 分 析 に よ って 意 識 と 存 在 の 間 に襖 が打 ち 込 まれ 、 意 識 の場 所 が 存 在 に定 位 され る場 所 で は な い と な る と、 《主 観 性 》 は もは や、 意 味 と真 理 の場 所 で も起 源 で も基 盤 で も媒 体 で もな い こ と にな る。 こ う して、 近 代 哲 学 が そ の確 実 性 の根 拠 と して きた もの が 「傷 っ け」 られ る。「コギ トは 自己 を 措 定 はす るが 、 自 己 を所 有 しな い。 そ れ は、 現 実 の不 十 全 性 、 錯 覚 、 虚 偽 を 自認 す る こ と に お い て しか 、 そ の本 源 的 な真 理 を理 解 しな い。」(リ クー ル 『フ ロイ トを読 む』 第 三 篇 第 二 章). 解 釈 学 ・現 象 学 と 医 療 と こ ろで 、 フ ロイ トの精 神 分 析 と は違 った流 れ に お い て発 展 しっ っ あ った解 釈 学 的 な見 方 は、. 一g一.

(9) フラ ンクル臨床哲学の現代的可能性. 一 その歴史的意味 と教育 への示唆一. 人 間 の 経験 が 、 い っ もす で に歴 史 的 世 界 の 内 部 で 起 こ る 出来 事 で あ り、 自 己が 自 己 を越 え た も の に常 に媒 介 され て い る と捉 え る こ とを 根 本 的 に推 し進 め る もので あ った。 したが って、 そ の 点 で 、 歴 史 に 影 響 され な い アプ リオ リな 構 造 を もっ とみ な され た、 上 述 の よ うな 《主 観 性 》 神 話 を 徹 底 して 乗 り越 え よ う とす る役 割 を 果 た して き たの で あ っ た。 も っと も、 他 方 に お い て、 解 釈 学 は、 フ ッサ ー ル が 自然 主 義 の 誤 謬 と共 に指 摘 した歴 史 主 義 の過 ち を乗 り越 え る こ とを他 方 の課 題 と して 抱 え な が ら進 展 して い くこ と にな る。 す なわ ち、 歴 史 主 義 の誤 謬 とは、 す べ て の 出来 事 の 歴 史性 を重 視 す る考 え 方 が 、 あ る意 味 で す べ て を 相 対 化 し、 普 遍 的 な ものが 無 媒 介 に存 在 す る こ とを 認 め ず 、必 然 的 に相 対 主 義 の ニ ヒ リズ ムを 招 くこ と に繋 が って い く傾 向 を意 味 して い る(因 み に 、思 想 史 的 に 見 て 解 釈 学 や 現 象 学 の 問 題 意 識 を 受 け継 いで い る フ ラ ンク ル の 臨床 哲 学 で は、 自然 主 義 の誤 謬 も歴 史 主 義 の 誤 謬 も共 に学 問 的 ニ ヒ リズ ム と して 位 置 づ け ら れ て い る)。 この こ と を如 何 に乗 り越 え るか とい う こ とが 解 釈 学 の 課 題 で あ る と もい え る ので あ る。 つ ま り、 総 じて い え ば 、解 釈 学 的 な 見 方 にお いて は、 ロ ゴ ス(真 理)が 問 題 に され な い とい うの で は な く、 そ れ 自体 は、 決 して 無媒 介 に現 成 す るの で はな く、 いっ もす で に それ ぞ れ の言 語 体 系 や文 化 形 態 に よ って歴 史 的 に媒 介 され て は じめ て 現 成 す る と い う こ とが 示 され た。 そ れ は決 して 相 対 主 義 を志 向 す る もの で は な か っ た の で あ る。 と り わ け、 ハ イ デ ッガ ー は、 フ ッサ ー ル の現 象 学 の 「事 象 そ の もの へ帰 れ」 とい うテ ー ゼ を 「お の れ を 示 す もの を 、 それ が そ れ 自身 の方 か ら現 れ て くる とお りに、 そ れ 自身 の 方 か ら見 え るよ う にす る こ と」 と捉 え 直 し、 そ の た め の方 法 的通 路 を、 歴 史 的世 界 の 中 で お の れ の 存 在 の 意 味 を 予 め 漠 然 と理 解 しっ っ 生 き て い る 「現 一存 在 」(世界 の 中 に投 げ入 れ られ て あ る もの と して の 人 間)在. り方 の 分 析 に、 まず. は求 め た 。 彼 は、 こ の よ うな 現 存 在 の現 象 学 を 「現 象 学 的解 釈 学 」 な い し 「現 象 学 的 存 在 論 」 と規 定 し直 す の で あ る。 そ して、 ハ イ デ ッガ ー は、 フ ッサ ー ル が 、 依然 と して 《主 観 性 》 を 拠 点 と して認 識 論 的基 礎 付 け を課 題 と した 「意 識 の現 象 学 」 を展 開 した点 で 、 コギ トの 哲 学 を 乗 り越 え て い な い と批 判 し、 そ れ に対 して 「存 在 の現 象 学 」 を指 向 す る。 と同 時 に 、 シ ュ ラ イ エ ル マ ッ ヒ ャー、 デ ィル タイ以 来 の解 釈 学 に も 「存 在 の意 味」 の解 釈 学 とい う新 た な 転 回 を もた ら した ので あ る。 医 療 や心 理 療 法 の世 界 で現 象 学 的 ・解 釈 学 的 な 問題 意 識 が起 こ るま で に は、20世 紀 中 葉 まで 待 たね ば な らなか ったが 、 そ の際 と りわ け、 フ ッサ ー ル の現 象 学 とハ イ デ ッガ ー の現 存 在 分 析 が 、 人 間 学 派 と呼 ばれ る主 と して ドイ ッ語 圏 の精 神 医学 者 た ち(ヴ. ィ ク トア ・フ ォ ン ・ヴ ァイ. ッ ゼ ッカ ー、 ル ー ドビ ッ ヒ ・ビ ンス ワ ンガ ー、 メ ダル ト ・ボ ス、 ヴ ォル フガ ン グ ・ブ ラ ンゲ ン ブ ル ク ら)に よ っ て、 専 ら精 神 病 を理 解 す る た め の方 法 と して展 開 さ れ て い った。 そ して そ れ. 一9一.

(10) 近畿大学教 育論叢. 第17巻 第1号(2005・8). は 少 な か らず 、 医 療 行 為 そ の もの の 捉 え 直 しを迫 る こと に もな った。 フ ラ ン クル も この人 間学 派 の一 翼 を 担 って い るの だ が 、 ただ し、 彼 は神 経 症 を専 門 とす る精 神 科 医 で あ った こ と もあ っ て 、病 の 理 解 の た め で はな く、 む しろ患 者 本 人 が 病 に対 して ど の よ うに 向 き合 い、 そ れ を克 服 して い くか を 理 解 し、 そ こへ 医 療 者 が ど の よ うに援 助 して い くか を考 え る こ とを主 題 に した点 で 、 彼 ら と は異 な る、 際 立 った 特 徴 を もって い る。 そ の た あ に、 フ ラ ン クル は、 人 間 が生 き る、 病 む 、 死 ぬ とい う こ と にっ いて の 人 間 学 的 解 明 が 不 可 欠 な もの と考 え た の で あ った。 した が っ て 、必 然 的 に、 彼 の心 理 療 法 は神 経 症 の 治 療 の み な らず 、 よ り広 く 「医 師 に よ る魂 へ の 配 慮 」 の 在 り方 そ の もの を 、 あ る い は さ らに広 く、 人 間 が 人 聞 ら し く生 き、 病 み、 死 ぬ こ とを援 助 す る 「心 術」 を 意 味 す る よ う にな る。 精 神 医 学 者 の宮 本 忠 雄 らが 指 摘 して い る よ うに、 ビ ンス ワ ンガ ー の 現 存 在 分 析 が 、 専 ら精 神 病 の 客 観 的 理 解(病 者 に お け る現 存 在 の変 容 と欠 落 の様 式 の 記 述 と理 解)に 向 け られ 、 方 法 的 に中 立 的 か っ 静 的 で あ る の に対 して、 フ ラ ン クル の実 存 分 析 と ロ ゴテ ラ ピー は、 精 神 病 者 で はな く神 経 症 の患 者 、 お よ び実 存 的 苦 悩 や空 虚 に苛 ま され て い る人 々 が 、 自 ら固 有 の 仕 方 で 生 成 を 遂 げれ る よ うに励 ます こと を 目標 と し、 そ の意 味 で方 法 と して は関与 的 で 動 的 で あ る。 また 、 ビ ンス ワ ンガ ー の現 存 在 分 析 が 、 世 界 内存 在 の統 一 性 を め ざ す の に対 して 、 フ ラ ンクル の 実 存 分 析 と ロ ゴ テ ラ ピー は、 世 界 内 存 在 の統 一 の多 様 性 と生 成 を 指 向 して い る と分 析 して い る。 さ らに付 け加 え れ ば、 管 見 で は、 そ の際 、 特 に 「世 界 」 内 で の 日常 に お け る人 間 の 生 が 、 いっ もす で に 「世 界 」 を越 え た地 平 に開 か れ て あ る こ とを生 成 の 動 性 の根 拠 にお い て お り、 そ の 点 で も よ り 「臨 床 的 」 で あ る と いえ よ う。. ロ ゴ テ ラ ピー と実 存 分 析 と もす れ ば 還 元 主 義 的 ニ ヒ リズ ム に陥 りが ち な心 理 療 法 の世 界 に あ って、 フ ラ ン クル の関 心 は 「ロ ゴ ス を心 理 療 法 に取 り入 れ る こ と」 で あ った。 そ れ は 「意 味 と価 値 を 顧 慮 す る こ と」、 言 い 換 え れ ば 「存 在 当 為(あ. る べ き こ と)」 を顧 慮 す る こ と と同 じ意 味 で あ り、 そ れ は 「心 理. 療 法 が 実 存 を 自省 す る こと」 に よ って 可 能 に な る と さ れ る。 そ して 、 この 「実 存 を 自省 す る」 と は 「自由 と責 任 を 自省 す る こ と」 で あ り、 換 言 す れ ば 「存 在 可 能 性(あ. り うる こ と)」 を 自. 省 す る こ と と同 じ意 味 で あ る と い う。 彼 は そ の 上 で 、 「ロ ゴ テ ラ ピー」 と 「実 存 分 析 」 を 次 の よ うに定 義 す る。. ロ ゴテ ラ ピー と実 存 分 析 はい ず れ も 『精 神 的 な もの に方 向 付 け られ た』 心 理 療 法 です が 、 そ の 限 り この 両者 は、 片 や 『精 神 的 な もの か ら』 の 療 法 と して の ロ ゴ テ ラ ピー、 片 や 『精. 一10一.

(11) フラ ンクル臨床哲学 の現代 的可能性. 一 その歴史 的意味 と教育 への示唆一. 神 的 な もの に向 か って 』 の分 析 と して の実 存 分 析 に分 け られ ま す。 ロ ゴテ ラ ピー が精 神 的 な もの か ら出 発 す るの に対 して 、 実 存 分 析 は精 神 的 な ものへ と向 か い ま す。 そ の 際、 ロ ゴ テ ラ ピー は精 神 的 な もの 一 意 味 と価 値 の客 観 的 な世 界 一 を前 提 に す る だ けで はな く、 そ れ を 自分 の 中 へ 組 み 入 れ 、 心 の医 療 と い う出 来 事 の 中へ 組 み入 れ ます 。 これ に対 して、 実 存 分 析 は、 そ の っ ど為 す べ く求 め られ て い る ことで あ る ロ ゴス を提 示 す るだ け で は な く、 さ らに 進 ん で 、 常 に為 しう る もの で あ る実 存 に呼 びか け る こと を重 視 す る の です 。9. ロ ゴテ ラ ピー が 「精 神 的 な もの か ら」 の 療 法 と いわ れ る と き、 それ は援 助 者 の側 が 「精 神 的 な もの 」 の 高 み か ら施 しを 与 え る とい う こ と な い。 「精 神 的 な もの 」 を 与 え る こ とを 指 向 す る の で は な い の で あ る。 ま して 、 た とえ ば 、 ロ ゴ スを ロ ジ ック と取 り違 え る こ とか らよ く誤 解 さ れ る よ うに、 医 師 が 患者 に 「論 理 で 迫 る」 療 法 、 つ ま り患 者 が 自分 で 「思 い込 ん で い る」 に過 ぎ な い こ とを説 得 して思 い と どま らせ よ う とす る療 法 な の で は な い。 そ うで は な く、 ロ ゴテ ラ ピー は、 援 助 さ れ る人 聞 の生 が ロ ゴス の 次 元 へ と開 か れ る よ う に援 助 す る こ と を意 味 して い る。 フ ラ ンク ル が ロ ゴス の 内実 と して 直接 示 唆 す るの は、 具 体 的 な 生 の 〈意 味 〉 の こ とで あ るが 、 しか し、 そ れ は そ も そ も言 葉 の成 り立 ち に お い て 「摂 理 」「理 法 」 を 含 意 して い る よ う に、 世 界 内 で の有 意 義 な道 具 連 関 の帰 趨 に尽 きな い宇 宙 的 な 深 み を 湛 え て い る。 いわ ゆ る 「深 層 心 理 学 」 は、 病 理 の解 明 の た め に人 聞 の下 部 構 造 ば か りに着 目 した 。 ロ ゴ テ ラ ピー は、 決 して この 「深 層 」 を 疎 か に す る も の で は な い が 、 そ こで 「手 を とめ る こ と」 を しな い の で あ る。 ロ ゴ ス の次 元 に 敏 感 で 、 それ を感 受 で き る セ ンス を 磨 くよ うに促 す の で あ る。 この 場 合 、 「精 神 的 な もの」(ロゴ ス)が 、 そ の人 間 を 「癒 す」 の で あ り、 「生 成 」 させ る ので あ るか ら、 「精 神 的 な も のか らの療 法 」 と表 現 さ れ て い る。 こ こで 、 フ ラ ン クル の 「精 神(Geist,noos)」. の 内実 に 少. し触 れ て お くな らば、 彼 は、 そ れ を、 彼 が 存 在 論 的 に世 界 の 「も とに在 る こ と」 と表 現 す る事 態 に根 差 した働 き と して 捉 え て い る。 す な わ ち、 主 体 が、 主 体 と客 体 が分 裂 す る以 前 の現 実 に 没 入 し、 無 と な る こ と に よ って 生 じて い る無 意p的. な ア ク チ ュ ア リテ ィー、 そ の 限 り、 対 象化. され た世 界 経 験 を 越 え た ス ピ リチ ュ ア ル な現 実 が 、 「世 界 」 にお け る意 味 や価 値 の 経 験 と して 働 き出 て くる こ と を 「精 神 的 」 と表 現 して い る ので あ る。 一 方 、 実 存 分 析 は、 この ロ ゴ テ ラ ピー と相 即 的 で あ り、 い わ ば、 そ の前 提 と な って い る人 聞 存 在 の 意 味 解 明 の ため の 「研 究 方 向 」 で あ る。 それ は、 決 して 「実 存 」 を対 象 化 し、 因 果 関係 の 「分 析 」 を 行 う こ と で は な い。 ギ リ シ ャ語 の 原 義 か らす れ ば、 「分 析(Analyse)」 「根 源 へ遡 って(ana-)解. き ほ ぐす(1y6)」. と は、. こ とで あ るか ら、 「実 存 分 析 」 と は、 「実 存 の本 質. 一11一.

(12) 近畿大学教育論叢. 第17巻 第1号(2005・8). の 中 に 含 有 さ れ て い た もの を 明 る み に取 り出 す と い う意 味 」1° な の で あ る。 そ して 、 そ れ は先 の 引用 で述 べ られ て い る よ う に、 「そ の っ ど為 す べ く求 め られ て い る こ とで あ る ロ ゴ ス を提 示 す る」 た めで あ る。 こ こで 注 目す べ き は、 実 存 分 析 が 「さ らに進 ん で、 常 に為 し うる もの で あ る実 存 に呼 び か け る こ と を重 視 す る」 と も述 べ られ て い る こ と で あ ろ う。 こ れ は、 ロ ゴ テ ラ ピー の実 践 と重 複 す る 内容 で あ る。 た しか に、 ロゴ セ ラ ピー と実 存 分 析 の 区別 は、 一 応 、 臨床 的 実 践 と それ を根 拠 づ け る理 論 の区 別 と い っ て よ い で あ ろ う(本 稿 で も、 一 応 そ の 区別 を念 頭 に お い て両 者 を 使 い分 け て 使 用 して い る)。 しか し、 フ ラ ン クル の 臨 床 哲 学 にお い て は、 両 者 が 区 別 され なが ら一 っ で あ る と こ ろ に特 徴 を も って い る。 す な わ ち、 理 論 と実 践 は常 に往 還 運 動 を伴 い相 互 に生 成 して き た もの と考 え られ ね ば な らな い。 否 、 理 論 自体 、 己 の実 存 を通 して 思 惟 され 表 現 され た もので あ る限 り、 それ は、 生 き る こと の実 践 な の で あ り、 実 践 は、 単 な る ドグ マの 適 用 や 応 用 で な い限 り、 それ は常 に 「思 慮 」 を試 さ れ る、 い わ ば 「悪 戦 苦 闘 の ドキ ュ メ ン ト(=理. 論)」 に他 な らな い。 現 在 、 欧 州 の ロ ゴ テ ラ ポ イ トた ちの 間 で は、 常 に両 者 を併. 記 す る の が慣 わ しと な って お り、 特 に両 者 の 区 別 は厳 密 に規 定 され な い こ と が 多 い 。(ま た、 ビ ンス ワ ンが 一 の現 存 在 分 析 と の混 同 を避 け る た め に、 実 存 分 析 を単 独 で用 い る こ とが避 け ら れ て き た形 跡 が あ る。)し た が って 、 実 存 分 析 と ロ ゴ テ ラ ピー は、 常 に人 間 存 在 の意 味 の解 明 とそ の 実 現 の た め の働 きか け方 を解 明 す る 「研 究 方 向 」 を発 展 させ る動 性 を含 む の で あ って、 固 定 化 さ れ た 学 派 的 教 説 で はな い。 っ ま り、 そ れ は 外 部 に開 か れ て、 「他 の研 究 方 向 と協 働 す る用 意 が あ る」 し、 それ を 通 して 「それ 自身 が 新 た に発 展 す る こ と もい と わ な い」11ので あ る。. ロ ゴ テ ラ ピー と他 の 心 理 療 法 との 関 係 と こ ろで 、 フ ラ ンクル は、 心 理 療 法 が 陥 りが ち な 「心 理 学 主 義 」 の弊 害 に対 して 強 く警 告 を 鳴 ら して い る。 っ ま り、 実 存 分 析 の基 礎 にあ る 「次 元 存 在 論 」 の見 方 に お いて は、 エ ス を人 間 の 行動 原 理 の 核 心 に見 る精 神 分 析 で あれ 、 劣 等 感 の力 に よ る克 服 を人 間 の行 動 原 理 の核 心 に見 る個 人心 理 学 で あれ 、 人 聞 存 在 の 心 理 的 次 元 の あ る一 面 を切 り離 し絶 対 化 す る限 りそれ は 「心 理 学 主 義 」 と呼 ば れ 、 社 会 に よ る拘 束 を 絶 対 視 す る 「社 会 学 主 義 」 や 遺 伝 や 条 件 反 射 運 動 な ど を 人 間 行動 を 司 る唯 一 の 法 則 と見 る 「生 物 学 主 義 」 と並 ん で 、 人 間 存 在 の意 味 を無 化 す る 「学 問上 の ニ ヒ リズ ム」 で あ る と され るの で あ る。 フ ラ ンクル は こ の こ とを 強 調 して や ま な い。 こ れ ら の い わ ゆ る 「還 元 主 義 」 は、 「対 象 化 の ま な ざ し」 の 極 限 形 態 で あ り、 そ の無 批 判 の 絶 対 化 で あ る。 けれ ど もそ の一 方 で 、 確 か に、 精 神 分 析 や 個 人 心 理 学 が それ ぞ れ 全 面 的 真 理 で は な い に して も、 そ れ は部 分 的 に は真理 を 含 ん で い るの で あ り、 臨 床 の 場 面 に よ って は、 それ らの. 一12一.

(13) フ ラ ンク ル臨 床 哲 学 の現 代 的 可 能 性. 一 そ の歴 史 的 意 味 と教 育 へ の示 唆 一. 原 理 を う ま く適 用 で き る ケ ー ス が 存 在 す る こ と も事 実 で あ る 。 フ ラ ン ク ル は 、 ロ ゴ テ ラ ピ ー は 、 他 の 心 理 療 法 に と っ て 代 わ る もの で は な く、 あ く ま で 補 完 的 に 働 く も の で あ る こ と を も強 調 す る の で あ る 。 も ち ろ ん 、 そ もそ も 「実 存 分 析 も一 面 的 」 で あ る こ と は 免 れ え な い 。 そ れ ゆ え に 、 彼 は 実 践 に あ た っ て は 、 「折 衷 的(eklektisch)」. に な ら ざ る を 得 な い と 考 え 、 次 の よ う に 言 う。. 心 理 療 法 の 実 践 は、 折 衷 的 な 仕 方 で 行 う以 外 に は考 え られ な いで し ょ う。 心 理 療 法 は、 あ る意 味 で 、 二 っ の未 知 数 か らな る方 程 式 で あ って 、 こ れ を 「Ψ=X+Y」. と表 す こ と. が で き るで しょ う。 とい うの は、 す べ て の 心 理 療 法 は、 二 っ の 「道 」 の 、 計 算 不 可 能 で 可 変 的 な要 素 、 予 め計 算 す る こ との で きな い 要 素 を 考 慮 に入 れ ね ば な らな いか らで す 。 一 方 は患 者 の個 人性 で あ り、 他 方 は医 師 の 人 格 性 で す 。 心 理 療 法 の あ らゆ る治 療 方 法 は、 患 者 の個 人 性 に応 じて変 更 され ね ば な らな い だ けで はな く、 意 思 の 人 格 性 に応 じて も変 更 され ね ば な りま せ ん。 さ らに こ こで 忘 れ て な らな い の は、 心 理 療 法 は … 患 者 の そ の っ どの 状 況 に も合 わ せ て変 え られ ね ば な らな い とい う こ とで す。 で す か ら、 私 た ち は決 して 類 型 化 して は な りま せ ん 。個 人 化 と臨機 応 変 に は、 しす ぎ とい う こ と はな い の で す 。 こ う した こ と はす べ て、 あ る種 の折 衷 主 義(Eklektizismus)な 折 衷 主 義 か ら混 合 主 義(Synkrektisrnus)に. く して は不 可 能 で し ょう。 もっ と も、. 陥 らな い よ うに用 心 しな けれ ば な り ませ ん。. た と え ば 、 『精 神 分 析 は よ い。 個 人 心 理 学 もよ い。 だ か ら、 精 神 分 析 が個 人 心 理 学 と一 緒 に なれ ば ど れ だ け い い こと か』 と い う風 に で す。12. 「混 合 主 義 」 に陥 らな い 「折 衷 主 義 」 を成 功 させ る か ど うか は、 明 らか に 援 助 者 自身 の 「心 術 」 に委 ね られ て い る。 つ ま り、 精 神 分 析 や個 人 心 理 学 等 の理 論 が そ れ 自身 絶 対 化 され な い で 、 そ こ に なお 含 まれ る と こ ろ の部 分 的 真 理 性 を、 援 助 者 自身 が い っ ど の よ うに用 い るか とい う こ とで あ る。 ガ ー ダ マ ーが 述 べ て い た よ う に、 心 理 療 法 が 、 援 助 さ れ る者 が お か れ た状 況 の現 実 を捉 え るた め に基 本 的 に解 釈 学 的 で あ らざ る を得 な い こ と、 ま た フ コ ー の い う 「感 性 の ま な ざ し」 を もた ざ るを 得 な い こ とが 、 この フ ラ ンク ル の方 程 式 か ら も理 解 で き る。 意 味 喪 失 感 とい う現 代 の 時代 精 神 の 病 を 正 面 か ら見 据 え 、 そ の状 況 に一 回 的 で 、 そ の人 に独 自 の 〈意 味 〉 に働 きか け る点 で、 また 、 人 問 存 在 の 精 神 的 中 核 を 見 据 え た上 で 、 そ こ を中 心 に一 面 的 な人 間 像 の 限 界 を明 確 に把 握 しっ っ 、 そ れ ら と の 限 定 的 な 提 携 を結 び う る 力 を もち う る点 で、 ロ ゴ テ ラ ピー は そ の 「心 術 」 の形 成 に寄 与 で き るの で あ る。 そ れ は ど う して で あ ろ うか。 〈意 味(ロ. ゴ. ス)〉 と は、 そ の状 況 に一 回 的 な、 そ の人 独 自 の可 能 性 で あ り、 そ の実 現 を促 す とい う こ と は、. 一13一.

(14) 近畿大学教育論叢. 第17巻 第1号(2005・8). 未 来 へ 向 か っ て の 「生 成 」 を促 す こと で あ る。 そ の 限 りそ れ は 全 人 的 な 働 きを可 動 させ る こ と に他 な らな い。 と い うの も、 人 間 の 「存 在 」 そ の もの は、 本 来 、 固定 化 され え な い 「生 成 」 だ か らで あ る。 人 間 存 在 は、 未 来 へ の通 路 を 閉 ざ さ れ、 過 去 へ と固着 化 され た とた ん 、 そ の 全 体 性 を失 う。 特 定 の過 去 の トラウ マ や劣 等 感 等 に病 の原 因 を還 元 し、 そ こか らの 解 放 だ けを 治 療 の方 針 とす る こと は、 患 者 を過 去 の 中 に、 そ の 限 り、 歪 で 固定 化 され た 、 死 せ る人 間 像 の 中 に 閉 じ込 め る こ と に な るの で あ る。 ロ ゴテ ラ ピー は、 〈 意 味 〉 に働 き か け る こ とで 、 常 に未 来 に 向 けて 生 成 す る全 人 的 な人 格 の働 き を常 に喚 起 さ せ る ゆ え に、 固着 化 した世 界 に 、 す な わ ち 過 去 に閉 ざ され た人 間 を、 世 界 へ と解 放 し未 来 へ と向 か わ せ る。 そ の 際、 そ の 閉 ざ され 方 を 知 る 手 掛 か りの一 っ と して、 精 神 分 析 や 個 人 心 理 学 の見 解 を参 照 す る が、 身 体 性 と心 理 性 の次 元 (平 面 の 次 元)に. お け る、 いわ ゆ る抑 圧 一 解 放 の メ カ ニ ズ ム に拘 泥 せ ず、 む しろ そ の囚 わ れ か. ら真 に解 放 す る た め に、 そ れ と は別 の精 神 的次 元(垂. 直 の次 元)を 志 向 させ る こ とで 生 成 へ と. 向 か わ せ る の で あ る。 精 神 分 析 や 個 人 心 理 学 や分 析 心 理 学 で は、 表 面 に現 れ て い る患 者 の行 動 様 式 が 、 そ の裏 に隠 れ た心 理 力 動 を探 る た め に分 析 さ れ、 患 者 が表 明 す る動 機 は、 無 意 識 の動 機 を解 釈 す るた め に 用 い られ るが 、 こ うい った解 釈 はす べ て、 暗 黙 の前 提 とな って い る人 聞像 に基 づ い て な され て い る ので あ る。 そ して、 しば しば指 摘 さ れ る よ うに、 フ ロイ ト派 の患 者 は エ デ ィプ ス ・コ ンプ レ ック ス の夢 を、 ア ー ドラー派 の患 者 は権 力 葛 藤 の夢 を、 ユ ン グ派 の患 者 は元 型 の夢 を み る こ とが あ る よ うに、 援 助 者 が 暗 黙 の前 提 と して い る無 意 識 的 な人 間像 は、 好 む と好 ま ざ る と に拘 らず 、 患 者 に 「転 移 」 す る。 ま た、 そ の意 味 で は、 「自由 連 想 が実 際 の と ころ 自由 で あ った た め しは な い」 の で あ って、 そ こで は、 そ もそ も 「無 意 識 とい う もの が、 何 で も好 きな解 釈 を 書 き込 む こ と の で き る 白紙 委 任 状 の よ うな も の と して 扱 わ れ て い る」13ので あ る。 この よ うな こ とへ の反 省 か ら、 患 者 に で き る だ け影 響 を及 ぼ す こ とを避 け る 「非 指 示 的」 方 法 と技 術 を 創 出 した 点 で 、 カ ー ル ・ロ ジ ャ ー ス の 功 績 を フ ラ ン ク ル は 認 め て い る。 しか し、 こ の よ う に ロ ジ ャー スが 「精 神 分 析 を脱 イ デ オ ロ ギ ー化 」 した と ころ で、 フ ラ ン クル に は 「ま だ あ る種 の 不 満 足 が 残 って い る」。 そ れ はい った い どの よ うな 点 で あ ろ うか 。 た とえ ば、 精 神 分 析 で は、 神 経 症 は、 あ る特 定 の心 理 力 動 的 な 出来 事 か ら生 じ る もの と され るが 、 そ の治 療 を、 あ る別 の心 理 力 動 的 な 出来 事 を 「転 移 」 とい う形 で 引 き起 こそ う とす る。 ま た、 行 動 療 法 で は、 神 経 症 は、 あ る特 定 の条 件 づ け の プ ロセ ス が も と ら した結 果 で あ る と考 え るが 、 そ の治 療 を、 こ の条 件 づ け の理 論 に基 づ い て、 誤 って学 習 した もの を 自分 で 忘 れ る こ とが で き るよ う に学 習 し直 させ よ うと す る。 この いず れ に お い て も、 「神 経 症 が 生 じる平 面 的. 一14一.

(15) フ ラ ンク ル臨 床 哲 学 の現 代 的 可 能 性. 一 そ の歴 史 的意 味 と教 育 へ の 示 唆一. な 次 元 に 固 執 し て い る 」 と フ ラ ン ク ル は い う。 こ の よ う な 心 理 的 次 元(平. 面 の 次 元)に. お ける. 自 家 撞 着 は 、 場 合 に よ っ て は 、 悪 循 環 に 陥 り、 神 経 症 を よ り悪 化 さ せ て しま う で あ ろ う 。 そ の 点 、 ロ ジ ャ ー ス の 「非 指 示 的 」 方 法 は 、 ク ラ イ エ ン トの 声 に 真 摯 に 耳 を 傾 け、 特 定 の 先 入 観 を 排 除 して 対 処 す る 点 に お い て 、 そ こ か ら 一 歩 抜 け 出 し て 入 る 。 し か し、 フ ラ ン ク ル は 、 そ う い っ た 自 家 撞 着 か ら の 脱 却 は 、 精 神 的 次 元 へ と開 か れ る こ と に よ っ て は じ め て 可 能 に な る と 考 え る ので あ る。. ロ ゴ テ ラ ピー の技 法. 一. 「押 し付 け 」 で も な く 「形 而 上 学 的 軽 薄 」 で も な く 一. さて そ の際 、 主 と して患 者 に対 話 を通 じて働 きか け、 心 理 的次 元 に悪 循 環 を もた ら して い る と こ ろ の そ の人 が おか れ た状 況 の文 脈 の固 着 化 に揺 さ ぶ りを か け、 雁 字 搦 め に な って い る 自己 か ら距 離 を と っ た り、 外 部 の何 か に意 識 を 向 か わ せ る とい う精 神 の 力 を覚 醒 させ、 自己 を 「世 界 」 へ と解 放 し、 生 成 を 発 動 さ せ よ う とす る の が 、 「逆 説 志 向(ParadoxeIntention)」 「脱 反 省(De-refrexion)」. と. と い う ロ ゴ テ ラ ピー の 技 法 で あ る。 「逆 説 志 向」 は、 必 然 性 や 固 定. 観 念 に雁 字 搦 め に な っ た 自 己 か ら距 離 を と る 「自 己距 離 化(Selbstdistanzierung)」. 能力 の強. 化 の ため に用 い られ る。 心 理 臨 床 で は、 不 安 恐 怖 症 や強 迫 観 念 症 な ど の心 因性 神 経 症 の場 合 に 用 い られ る。 敢 え て 自 らが 恐 れ て い る こ と を願 望 させ る とい うユ ー モ ラス な思 考 訓 練 に よ って 、 「予 期 不 安 」 か ら生 じる心 理 的 な悪 循 環 に 歯 止 め を か け よ う とす る もの で あ る。 た とえ ば、 エ レベ ー タ ー に乗 る と発 汗 し、 気 分 が 悪 くな る と思 い 込 み、 悩 ん で い る人 に対 して 「今 度 エ レ ベ ー タ ー に乗 っ た ら、 大 汗 を か いて 気 分 を悪 く し、 で き れ ば卒 倒 し救 急 車 で病 院 に担 ぎ込 ま れ 、 周 囲 の人 々 を び っ く りさせ た い。」 と心 か ら願 望 させ る よ うな 思 考 訓 練 を促 す こ と に よ って、 固着 化 した 文 脈 に と らわ れ て い る 自 己か ら距 離 を お くこ と を学 ばせ る の で あ る。 一 方 「脱 反 省 」 は、 「世 界 」 に 「閉 ざ され て 在 る」 こ とか ら必 然 的 とな る 自 己 中心 的 な執 着 心 と 自己 自身 へ の 過 剰 な 反 省 を 、 視 点 を ず らす(脱 か の 課 題 に意Aを. 中心 化 す る)こ と に よ って、 ま た他 の何 ら. 集 中 さ せ る こ と に よ って、 〈意 味 〉 発 見 を 可 能 にす る場 で あ る 「世 界 」 へ と. 「自 己超 越(Selbsttranzendenz)」. す る道 を ひ ら く術 で あ る。 心 理 臨 床 で は、 性 的 障 害 や 睡 眠. 障害 な ど に適 用 され る。 た とえ ば 、 今 夜 眠 れ な い こ とで 翌 日 の仕 事 に差 し支 え る とい う固定 観 念 に 支配 され て 、 ます ます 眠 れ な くな る不 眠 症 の場 合 、 囚 われ て い る因 果 関 係 の呪 縛 か ら自 己 を解 き放 っ た め に、 た とえ ば 、 「この時 聞 を利 用 して 本 が読 め る」 「今 日 も明 日 も寝 られ な くて も、 あ さ って に は寝 られ るだ ろ う」 な ど と考 え る こ とで 、 体 の緊 張 を解 き、 自 己 が そ こに於 い て あ る状 況 の 文脈 を変 更 し、 自己超 越 へ の 通 路 を 拓 こ う とす る もの で あ る。 一15一.

(16) 近畿大学教育論叢. 第17巻 第1号(2005・8). これ らは、 還 元主 義 的 な 仮説 に基 づ い て た て られ た方 法 で は な い。 したが って、 病 状 との対 応 関係 で 固定 化 され る治 療 法 とい うわ けで はな い 。 臨 床 の 場 面 にお いて は、 そ の患 者 の お か れ た歪 な状 況 を そ の っ ど よ く理 解 し、 状 況 の 文 脈 に どの よ うな 揺 さぶ りを か け、 変 更 を促 せ ば、 患 者 自身 の 自 己超 越 へ の 通 路 を切 り拓 け るの か を感 受 し、 行 為 に移 さね ば な らな い が、 「逆 説 志 向」 と 「脱 反 省 」 は、 そ の た め の援 助 者 の代 表 的 な 働 き方 を 定 式 化 した もの と解 釈 で きよ う。 神 経 症 の性 格 に よ って、 っ ま り、 世 界 内 で 自 己 が生 き る文 脈 の 実 体 化 の され 方 、 固 着 化 の様 態 に よ っ て、 そ れ を解 きほ ぐす仕 方 も異 な る わ け で あ る。 実 際 の 臨 床 の 場 面 で は、 こ の二 っ の方 法 が そ の状 況 に応 じて、 臨 機 応 変 に用 い られ る わ け で あ る。 フ ラ ン クル は、 患 者 に真 理 を 「押 し付 け る こ と(Oktroi)」. を避 け な けれ ば な らな い と しな. が ら、 「この 患 者 が 自己 の 実 存 の意 味 を 見 出 し、 そ れ に よ って 自 己 自身 に達 す る ま で は、 私 は 彼 を 落 ち着 か せ て は な らな い。…. 『君 が 君 自身 に な らな け れ ば、 私 は君 を 離 さな い 』 と い う こ. と こ そ、 あ らゆ る心 理 療 法 の指 導 原 理 に して 標 語 で あ る」14と述 べ て い る。 ロ ゴ テ ラ ピー は、 患 者 を 病 気 か ら連 れ 出 す こ とで は な く、 最 終 的 に は、 彼 を 「彼 自身 の真 理 」 に 導 く こ とを 問 題 とす るの で あ る。. 医 師 に は、 自分 の真 理 を患 者 に 押 し付 け る権 利 はあ り ませ ん 。 …. と い うの は、 患 者 が. 導 か れ るべ き真理 が 本 当 に真 理 で も あ る な ら、 そ の真 理 そ の ものが 自 らを患 者 に押 し付 け るか らで す。 この真 理 の た め に こそ 、 私 た ち は患 者 を、 そ の形 而 上 学 的 軽 薄 さ か ら目覚 め させ、 一 っ の危 険 へ と追 い立 て ね ば な らな いの で す 。 そ の危 険 と は、 そ れ に よ って、 少 な く と も一 時 的 に は緊張 状 態 が高 ま る とい う危 険 で す 。 この 苦 しみ は耐 え られ ね ば な らず、 ま た意 識 的 に肯 定 され な け れ ば な らな い もので す 。 … 私 た ち は も はや、 人 間 を 労 働 可 能 に した り、 さ らに は享 受 可 能 に す る こ とだ けが心 理 療 法 の 課 題 で あ る と は考 え て い ませ ん。 人 間 を苦 悩 可 能 に す る こ と もま た、 少 な く と もそ れ と同 じ くら い大 切 な ので あ る。」15. も っと も、 当人 が 自 ら発 見 す る の で な け れ ば 「彼 自身 の真 理 」 とな りえ な い こ と に鑑 み れ ば、 当 然 なが ら、 援 助 者 自身 は、 援 助 さ れ る一 人 ひ と りの もの の考 え方 や生 き方 に対 して 無 理 や り 変 更 を 迫 る こ と はで き な い。 む しろ援 助 者 自身 は援 助 され る人 に 自分 の真 理 を 「押 し付 け る こ と(Oktroi)」. を 避 け、 一 人 ひ と りの もの の 考 え 方 や 生 き方 に対 して 寛 容 で な け れ ば な らな い。 ロゴ ス. しか し、 い った ん 援 助 さ れ る側 が 「彼 自身 の 真 理 」、 す な わ ち 〈意 味 〉 を発 見 した な らば 、 彼 が そ れ を 自 らが 引 き受 け る責 務 の あ る真 理 と して 承 認 す るま で は、 そ の真 理 は 「実 現 せ よ1」. 一16一.

(17) フ ラ ン クル 臨 床 哲 学 の 現 代 的 可 能 性 「救 済 せ よ!」. 一 その 歴 史 的 意 味 と教 育 へ の示 唆 一. と 呼 び か け て く る の で あ り 、 彼 に 対 し て 「非 寛 容 」 で. 「情 け 容 赦 な い 」 も の と ロゴ ス. して 立 ち 現 れ る の で あ る 。 した が っ て 、 援 助 者 も ま た 、 彼 が 彼 自 身 の 〈意 味 〉 を 実 現 で き る た め に 、 「手 を 緩 め な い 」 べ き な の で あ っ て 、 終 始 「非 指 示 的 」 で あ る わ け に は ゆ か な い 、 と フ ラ ン ク ル は い う 。 と い う の も 、 そ こ で 、 何 も し な い で い る の は 、 か え って 心 理 学 主 義 の ニ ヒ リ ズ ム の 中 に 彼 を 引 き 戻 す こ と に な り か ね な い か らで あ る 。 そ れ は 、 人 間 が 人 間 と し て 存 在 す る た め の 不 可 欠 の 要 素 で あ る 「形 而 上 学 的 欲 求 」 を 抑 圧 し、 「形 而 上 学 的 軽 薄 さ(derMethapyisischeLeichtsinn)」(シ. ェ ー ラ ー)へ. と援 助 され る側 を導 く こと に な る の で あ る。. さ て 、 こ の 場 合 、 「形 而 上 学 的 欲 求 」 と は 、 援 助 さ れ る 側 が 「意 味 や 価 値 の 世 界 」 に 開 か れ 、 ロ ゴス. リ.  . り. の. の. の. の. り. の. り. り. 「彼 自身 の 真 理 」=〈 意 味 〉 を 、 悪 戦 苦 闘 し苦 しみ な が ら求 め る こ とを 指 して い るが 、 そ れ が 彼 自身 の 、 状 況 に固 有 の も の で あ る こ とが 強 調 され る。 したが って、 そ れ は決 して 「一 っ の」 真 理 で は な い。 彼 の遠 近 法(パ ー ス ペ クテ ィ ヴ)か. ら見 られ た 真 理 で あ る。 しか し、 フ ラ ンク. ル は そ れ を 「真 理 『そ の もの 』」 で あ る と い う。 とい うの も、 彼 に真 理 が 開 か れ るの は、 彼 の パ ー ス ペ ク テ ィ ヴを通 して な の で あ り、 他 の パ ー スペ ク テ ィ ヴを 押 し付 け る こ と は真 理 を歪 め る だ けな の だ か ら。 そ れ ゆ え 、 彼 は次 の よ う に い う。 「真 理 が 人 間 に許 す 唯 一 の絶 対 性 は、 こ この人 聞 に真 理 が掲 示 さ れ る 〔そ の そ れ ぞ れ の 〕 遠 近 法(パ ー スペ ク テ ィ ヴ)の 絶 対 的 な唯 一 性 の 中 に あ る。 ま た そ れ ゆ え、 遠 近 法 主 義 が相 対 主 義 に 帰 着 す る と考 え る必 要 は決 して な い の ロ ゴス. で あ る」 と。 この 〈意 味 〉 の 「超 主 観 性 」 の主 張 が 、相 対 主義 の 虚 無 が 表 層 を 覆 う ニ ヒ リズ ム の時 代 に お い て、 人 間生 成 を生 の課 題 と して語 る こ とを 可 能 に させ て い る。 ニ ーチ ェの 「神 の 死 」 の宣 告 に予 言 さ れ て い た 〈大 い な る物 語 〉 の崩 壊 の 真 只 中 で 、 どの よ う に人 聞 が 人 間 と し て生 き る拠 り所 を求 め る の か、 そ れ と もそ れ を 断念 して放 浪 しっ づ け る こ と に積 極 的 意 味 を 見 出す べ き な の か。 この こ とへ の フ ラ ン クル の応 答 は どの よ うな もの で あ るの か 。 次 節 で は ま さ し く、 〈大 い な る物 語 〉 崩 壊 の 真 只 中 にお け る 〈教 育 〉 臨 界 点 で 、 フ ラ ン クル の 臨 床 哲 学 が ど の よ うな示 唆 を与 え う るか を 示唆 す る こ とで、 そ の現 代 的可 能 性 の も う一 面 を確 認 して お きた い。. 3〈. 教 育 〉 の 臨 界 で フ ラ ン ク ル に逢 う. 〈教 育 〉 の 臨 界 現 代 の 〈教 育 〉 の問 題 と して取 りあ げ られ る現 象 は、 た とえ ば、 子 育 て を巡 る諸 問題 、 児童 虐 待 の 問 題 、 不 登 校 、 学 級 崩 壊 、 教 師 のバ ー ンア ウ ト、 離 職 、 自殺 の 問題 、 ま た、 い わ ゆ る普 通 の 子 が 突 発 的 に起 こす 傷 害 ・殺 人 の問 題 な ど枚 挙 に い と ま が な い。 そ の根 本 に は、 近 代 の 産. 一17一.

(18) 近畿大学教育論叢. 第17巻 第1号(2005・8). 物 で あ る 〈教 育 〉 の在 り方 そ の もの が 空洞 化 し、 そ れ が い よ い よ臨 界 点 に達 して い る と い う事 態 が あ る よ うに思 わ れ る。 そ して、 そ の こ とに よ って 、 子 を 育 て る こ との 意 味 、 学 ぶ こ と の意 味 、 教 え る こ との意 味、 ひ い て は 、生 き る こ との 意 味 の 問 題 が 先 鋭 化 され て い る状 況 が あ る の で あ る。 〈教 育 〉 の 空 洞 化 と人 間 の生 き方 の空 洞 化 は相 互 に絡 み合 って い る。 もと も と、 人 類 は テ ク ノ ロ ジー の 発 展 と共 に 、 伝 統 の 方 向 づ けを 放 棄 して い っ たわ け だが 、 そ の深 刻 な事 態 は、 進 歩 主 義 ・物 質 主 義 とい った 近 代 の 〈理 性 の 神 格 化 〉 の 覆 い に よ って 隠 さ れ、 忘 却 さ れ て きた か も しれ な い。 しか し、20世 紀 末 以 降 の 脱 産 業 社 会 化 、 高 度 知 識 社 会 化 な ど と呼 ば れ る未 曾 有 の歴 史 的大 転 換 を 余儀 な く され る中 にあ って 、 近 代 社 会 の進 歩 と それ へ の 適 応 を 目 的 に営 ま れ て きた大 衆 教 育 の パ ラ ダイ ムが 大 き く揺 ら いで い る。 近 代 と い う シス テ ム そ の もの の制 度 疲 労 と合 理 主 義 の 矛 盾 が顕 著 とな り、 改 め て 「自由 の 眩 量 」 と して の不 安(方 向性 の喪 失 の不 安)が 一 気 に 噴 出 して きた の で あ る。 家 族 の 共 同 性 の 喪 失 、 学 校 シ ス テ ム の制 度 疲 労 、 コ ミュニ テ ィー の流 動 化 とい う家 庭 一 学 校 一 地 域 の 三 位 一 体 で の 機 能 不 全 に よ る近 代 教 育 の 空 洞 化 は、 い よ い よ 臨 界 点 に達 して い る と い って よ い だ ろ う。rい っ も関 節 が はず れ て い るか 関 節 が は ず れ そ うに な って い る世 界 の た め に 教 育 して い る。 これ が 人 間 の 根 本 状 況 で あ る。」16とい うH.ア. ー レ ン トの言 葉 一 これ は、 いっ の 時 代 に も 「欠 陥動 物 」 で あ る人 間 の 教 育. に 内包 さ れ て い る実 存 的境 位 か も しれ な い。 しか し、 今 や ま さ に、 近 代 と い う時 代 に深 く刻 印 さ れ た 〈教 育 〉 の在 り方 そ の もの が 臨 界 に達 した こ と によ って 、 そ れ は際 立 って 普 遍 化 した の だ と い え よ う。 21世 紀 に相 応 しい 社 会 の在 り方 が模 索 され る中、 今 日真 に求 め られ て い る こ と は、 ま す ま す 高 ま る 「生 涯 教 育 」 時代 へ の期 待 に 内実 を与 え るた め に、 過 去 の 文 化 的 蓄 積 の 意 味 深 さ を創 造 的 に未 来 へ と活 か す と と もに、 過 去 の叡 智 を媒 介 に して 、 一 人 ひ と りの 子 ど も、 青 年 、 大 人 、 老 人 が 、 掛 け替 え の な い代 理 不 可 能 な独 自の人 格 と して 相 互 に交 流 しな が ら、 お 互 い に 自 らの 「何(was)」. で はな く 「誰(wer)」(固. 有 名)を 顕 わ に しっ っ創 造 的 な生 成 を 遂 げ合 う こ と の. で き る た め の支 援 の在 り方 を模 索 す る こ とで あ る と考 え る。 そ の 際 、 様 々 な 面 で 創 造 的 な生 成 を妨 げ る元 凶 と な って い る の は、 未 だ に、 近 代 の 「科 学 の 知」 を 絶 対 化 す る 「専 門 家 主 義 」 が 教 育 、 医 療 、 看 護 な ど、 人 を助 成 す る営 み に根 深 く侵 食 して い る こ とで あ る。 言 う まで も な く、 こ の 目的 合 理 的 な思 惟 の み へ の偏 重 が、 場 合 に よ って は還 元主 義 的 な 思 考 の 短 絡 を 招 き、 人 間 が 創 造 的 な 「世 界 」 形 成 と 「自 己」 形 成 に参 与 す る こ とを妨 げ て い るの で あ る。 以 下 にあ げ る の は、 子 ど もの教 育 に携 わ る専 門 家 に、 この こ とが どの よ うに 浸透 して い るの か を 示 す 一 例 で あ る。. 一18一.

参照

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