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教養改革について ―文系

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Academic year: 2021

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高等教育ジャーナル(北大),第 1 号(1996) J. Higher Education (Hokkaido Univ.), No.1 (1996)

-6-教養改革について―文系

経済学部教授 

吉 野 悦 雄

 大綱化された新しい大学設置基準のもとでの教 養教育の理念とは,一言でまとめれば『幅広く深 い教養と総合的な判断力の涵養』ということにな ります。北海道大学における教養改革は,この理 念のもとに設計されました。しかし,新しい教養 教育の具体的内容と実施方法に関しては,とりわ け文系の科目のそれに関しては,北海道大学では 十分な理解と合意が得られないまま教養改革がス タートしたと言わなければなりません。 ゆがんだままの中等教育  さらに,根本的な問題としては,教官側に,と りわけ今まで高学年次教育を担当してきた学部教 官の側に,北海道大学に入学してくる学生の資質 に関する理解が十分でなかったということが挙げ られます。中等教育のカリキュラムがゆとりと多 様化をめざして大きく変更されたことは,教官の 間では意外に知られていません。中等教育を全体 としてみれば,この変更は適切なものであると評 価できます。しかし,北海道大学のような難度の 高い大学への進学を志望している,全体の二割弱 を占める高校生にとっては,進学塾や予備校なら びに自宅での受験勉強を含めた広義の中等教育 は,大きく歪んだままとなることは,従来と変わ らないでしょう。  「適切な」受験指導のもとで発音学習を放棄し て入学してきた北大生が,英語の授業でmotherを モッサーと発音した,などという笑えない話には こと欠きません。入試センター試験や第二次試験 で歴史を選択しなかった学生が,日清戦争と日露 戦争の順序を知らないとか,産業革命とロシア革 命の順序を知らないなど,信じられない場面に接 することも稀ではありません。受験生は,全員が 高校で日本史と世界史を学習しているはずです。 しかし,入試科目の対象外になると,受験生は学 習意欲を全く失ってしまうとしか考えられませ ん。「幅広い視野と総合的な判断力」という新し い大学設置基準が求める資質を習得しようという 意欲は,このような学生たちにとって受験戦争の 中でかなりの程度まで破壊されているように思わ れます。 変化した学生のメンタリティー  北海道大学で,今まで文系科目の教養教育を学 生が(理系学生・文系学生を問わず),まがりな りにも一応学習してきたのは,その成績によって 進学できる学部・学科が影響を受けてきたからだ と思われます。つまり,学部選択という受験競争 が教養課程に存在していたわけで,教養科目の学 習が大学受験勉強の延長線上としてとらえられて きたように思われます。これからの教養教育を考 える際に,学生のメンタリティーが,知的好奇心 に燃えていた昭和 30 年代・40 年代のそれとは全 く変わってしまったということをまず念頭におか なければなりません。  新入生は,新しい知識の獲得にはうんざりして いるのです。理科系の学生に,体系だった経済学 や法律学の 4 単位講義を履修させることは,彼ら にとってほとんど拷問に近いことです。嫌がる馬 に水を飲ませることはできないという格言を想起 してください。体系だった知識伝授型の講義は, 3 年生以降になって,学生が主体的に学習したい という意欲が出てきてから開講されるべきもので しょう。公務員試験をめざす土木工学科の学生が

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高等教育ジャーナル(北大),第 1 号(1996) J. Higher Education (Hokkaido Univ.), No.1 (1996)

-7-「実利的」動機から体系だった経済学の講義を履 修することや,数学科の学生が「純学問的」動機 から論理学の講義を履修することや,医学部の学 生が頭のリフレッシュのためという動機から日本 文学を履修することはおおいに望ましいことで す。しかしこれらの動機が心の中にわきおこるの は,専門課程をかなり習得してからのことである ことに注意してください。学生側に学習に対する 内発的インセンティブがない場合には,いかなる 教育も成功しないと考えます。  たしかに理科系学部における自然科学教育(例 えば数学)にあっては,学生も将来の専門課程学 習に必要であろうとの予想から学習インセンティ ブを与えられます。このような専門課程学習の基 礎となる科目群を北海道大学では『基礎科目』と 呼んで,『教養科目』とは区別しています。文科 系学部では事情はさらに深刻です。将来,法律学 や経済学を学ぶために,教養科目としての哲学や 歴史学の講義は必要不可欠なものではありませ ん。つまり基礎科目とはなりえないのです。たし かに将来,歴史学を専攻したいと考えている学生 は,教養科目としての歴史学の講義を熱心に学習 するでしょうが,それは,教養科目として学習し ているのではなく,専門科目の一部分として学習 しているのです。文系学部では,基礎科目は存在 しえないという理解が教官の間では一般的です。 新しい感動を  学生は,教養科目に代表されるような別分野の 新知識の獲得にはうんざりしていますが,しか し,新しい感動には飢えています。受験勉強でつ ちかった「解法のテクニック」的なものではな い,新鮮な思考方法には強い関心を示します。こ のような学生の内発的な欲求と,「幅広い視野と 総合的な判断力の涵養」をどう結び付けたらよい でしょうか。私見では,人文・社会科学分野では 論文指導講義*1や一般教育演習*2などの徹底した 小人数教育と,そして自然科学分野では実験と が,初年次学生に対しては唯一の解決策であるよ うに思われます。理系・文系を問わず,学生が小 人数教育の中で,双方向的で密度の高い教官との 接触を通じて,多様なものの考え方に接し,異な る価値観の存在に気付くとすれば,大学設置基準 の要求はかなりの程度まで実現されたと考えま す。  実際,一般教育演習に対する学生の満足度は, 他の講義と比較して相当に高いと言われていま す。論文指導講義については,学生が小論文を提 出しなければならないだけに,それを単位数を稼 ぐためと理解している学生にとっては,重い負担 感から不満が生じていますが,講義の趣旨を理解 している学生は達成感を得ているようです。論文 指導講義は,現在は1クラス30人の学生を対象と していますが,これをさらに小人数化する必要が あるように思われます。  論文指導講義における日本語の指導は,第二義 的なものであると考えます。繰り返して述べます が,その本来のねらいは,教官と学生との間の双 方向的で密度の高い講義の中で「幅広い視野と総 合的な判断力の涵養」をめざすことにあると思い ます。ものごとを判断するとき,正面からだけで なく斜めからも光をあてる必要があるというこ と,裏側(他人の立場)からも眺めてみる必要が あるということを,現在の新入生に知識伝授型の 大人数講義の中で理解させることは至難の業で す。既に述べたように,知識伝授型の教養科目に 対しては,学生は学習インセンティブを失ってい るからです。  一方,文科系学生に対しては,自然科学実験を 通して,自然科学の考え方を習得させることが必 要です。実際に自分の掌でハンマーを握り,河川 敷から百万年前の化石を掘り起こすとき,文学部 の学生が自然科学的な「時間」の概念に想いを馳 せれば,大成功です。 必要単位数の精選を

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-8- このような教養科目を充実させるためにも,教 養科目に対する必要単位数を精選する必要がある と思われます。北海道大学の一部の学部では,ま だ教養科目に対して過重な単位数を課していると 考えます。小人数教育に重点を置いた教養科目を 中心に単位数を削減する必要があると考えます。 一方,学生が教養科目(別分野での体系的知識の 幅広い獲得)に学習インセンティブを感じ始める 高学年次に教養科目の履修の可能性が開かれてい る学部はほんの少数です。3・4 年次になってか らも体系だった人文・社会科学の教養科目が履修 できるように,各学部でカリキュラムを再検討す る必要があると考えます。  以上述べたように,従来,教養科目と呼ばれて きた科目群には,一般教育演習など初年次に展開 されるべき性格を持ち,直接的な「利益」をもた らさない純化された教養教育と呼ぶべきものと, 体系的な経済学講義のように高学年次に展開され るべき性格のものとがあるというのが,私の考え です。  たしかに,一般教育演習のような授業は高等学 校ですましておくべき部分かもしれません。しか し,現実の新入生が,このような資質を欠いたま ま入学する以上,大学が,これを補ってやらなけ ればならないでしょう。上に述べたような教養教 育を経ずに,受験勉強から,直ちに知識獲得型の 専門課程学習に進んでしまった場合,最近の忌ま わしい事件の関係者のことを想起するまでもな く,恐ろしい結果が待ち受けているように思われ ます。北大の教官が一人でも多く教養教育に関す る議論に参加されることを望みます。 ───────── (用語の説明) *1 論文指導講義: 正式には,人文・社会科学系の 講義のうち論文指導の指定があるものを言う。す なわち,形式的には講義であるが,履修学生数が 最大 30 人に制限される。学生は,少なくとも 1 回 はレポートを提出し,教官の添削を受け,その結 果を踏まえて成績の評価がなされる。筆記試験は 行われない。何回くらいレポートを提出させる か,あるいは授業の中でディスカッションを導入 するかなどは,担当教官の判断に任されている。 *2 一般教育演習: 初年次学生を対象とするゼミ ナールである。履修学生数は 15 人以下を基準と する。具体的内容については,担当教官に任され ているが,1 冊の本を輪読する形態や,一定の共 通テーマのもとに学生が毎回自由に報告する形態 が多いようである。

討 論

教養改革の結果について A: 縦割の改革で教養教育がよくなった面もある。 教育負担の平等化のためのローテーションで,専 門意識のつよい教官も参加するようになった。多 少の前進ではないか? 総長: 一番の問題は,責任体制が無くなったこと だ。教育責任を果たす「しかけ」がまだできてい ない。学部がすべて責任を負うことになっている が,実際には初年度の学生をどう扱うかさえわ かっていない状態だ。教官の個人的な努力の問題 ではない。 B: 専門基礎におけるequivalentな講義をオープン にして聞かせようとしても,毎日びっしり講義が あって実際にはできない。サマータームの開講し かないのではないか? 総長: 教養科目のくさび型の履修は今のままでは できない。月曜なら月曜を完全に明けて,教養授 業のためにとっておくような措置が必要だ。 C: 医学系の教育には特殊なところがある。定食 メニューがはっきり決まっていて,それを果たさ なければ社会的に受け入れられないという面があ る。教養科目において医学部の学生の履修態度が 悪いといわれるのは,医学教育との関係で納得し てないところがあるからだろう。教官の側からは

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-9-られると思うが,そういう理解でよいか? 吉野: その通りである。 E : 総長の提案は,教養教育のそういう概念を ひっくりかえして,基礎分野のバランスを変えて 重点化し,かつ,プロフェッショナルスクールも 参加できるようにするということだろう。 総長: それは,そうせざるを得なくなったという ことだ。理学部と文学部はリベラルアーツ教育の 根幹だと思うし,私もそうなることを希望してい た。しかし現実には両学部ともプロフェッショナ ルスクールであると主張して,大理学部,大文学 部になる道を閉ざした。そうである以上,従来の リベラルアーツとは違う別の形の教養教育を目指 すしかない。 A: 総長の主張の趣旨はわかる。一橋大学でも教 養教育の根本的な改革を考えて,教養課程を学生 自身で設計するという方針を採用しているよう だ。ところで,さきほどB先生は,吉野先生との 違いはほんの少しだとおっしゃったが,吉野先生 はそれでよろしいか? 吉野: 教養での講義をこの 15 年間行ってきて,学 生のメンタリティーはすっかり変わってしまった と思う。講義形式をとる以上,練達の士が全力で やっても「純化された教養科目」の教育はもはや できないだろう。総長のおっしゃるようにまと まった単位数をとらせても結果は同じだ。むしろ 単位数をへらして内容を凝縮した方がよい。論文 指導や,一般教育演習の形式の方が有効だと思 う。文部省の基準の 3 分野はやはり残した方がよ いと思う。 F: 新しい教養科目を見ると,本当に新しいもの と単にタイトルを変えているだけのものとがあ る。しかし,共通していえることは,ヨコへの広 がりを重視して,タテへの積み上げができていな いことだ。 吉野: 教養科目ではタテ方向の積み上げはありえ ない。いろいろな側面を経験させるためにヨコよ こに広げて行くことになる。 大事だと熱心に言っているが,学生自身がどのく らい大事に思うかが問題だ。基礎的な科目の授業 内容について,学生のこのような疑問に答えられ る内容にできないものだろうか? 副専攻制(高学年次における体系だった教養科目 教育の実施制度を指す)について B: アメリカの主専攻制,副専攻制は,入学の際 に大学全体として学生を受け入れるから可能なの だ。入学したあとで,メジャーとマイナーを決め て,場合によっては自分の適性を考えて入学後に メジャーとマイナーを入れ替えたりする。北大の ように縦割で入学させるところでは不可能ではな いか? D: 主副専攻という場合,まず言葉の定義が必要 だろう。副専攻は全学教育を対象としているのに 対し,いわゆる主専攻は学部教育を対象にしてい る。(従って,この2つを取りかえることは本来あ りえない) 総長: 自分の意見と吉野先生の提案の違いはほん の少しだと思う。全学教育の教養科目を離散的に 履修せず,あるまとまったグループでとらせるこ とを考えている。副専攻制とは言っていない。こ の言葉は誤解を招きやすいので使わないことにし たい。要するに,さまざまな分野を喰い散らすの ではなく,体系的なものとして履修することがで きる骨太な教養教育システムを作るべきだ。この 場合,学生にとってみればオプションの数が少な くなるのはやむをえない。 教養教育の概念 E: 吉野先生の提案では「純化された教養教育」を 「直接には役に立たないもの」と性格づけている。 しかし,これは否定的定義であってその積極的な 面がわからない。おそらく従来からの「人文科 学,社会科学,自然科学の基礎的な分野を網羅し たバランスのよい教育」という考えを踏襲してお

参照

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