内モンゴル牧畜経営の実態と環境問題
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(2) 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 2 号(2007年 8 月). 28 (208). 開していくが,農家経済については牧畜民行動 の側面から捉えることも試みる.牧畜民の行動. 1.調査の概要. については下記の仮説を設定し,実態調査にお. ⑴ 調査地の選択. いてこれらの仮説を検証する,あるいはなぜ仮. 内モンゴル地域における気候の分界線といわ. 説が成立していないかを解明する.. れているのが,東西に横たわる陰山山脈と南北. 仮説Ⅰ . に広がる大興安嶺であり,それぞれの南側と北. 放牧地が分配され,家族経営が定着し,さら. 側,東側と西側では気温,降雨量においてかな. に核家族化が進むにつれて,放牧地がますます. りの格差がみられる.陰山山脈の南部は,東部. 零細化されている. それによって草地が退化し,. が非牧畜地域でウランチャブ市南部の農耕地域. 放牧地不足問題が深刻化している.このような. とフフホト市,包頭市などの工業都市が分布し. 状況下で,牧畜経営を維持しようとする牧畜農. ており,西部が牧畜地域で区画上はオルドス市. 家は,放牧地を共同で利用することによって家. とアラシャン盟 5)になるが,そのほとんどが. 畜の移動範囲を広くし,放牧地への負荷を軽減. 沙漠か砂地となっている.内モンゴル牧畜の中. しようとするであろう.. 心は陰山山脈の北側であり,それが大興安嶺を. 仮説Ⅱ . 境に東部と西部に分かれているため,内モンゴ. 内モンゴル地域において,2003 年から「禁. ル人の認識では「バローン・モンゴル」(西部. 牧」 , 「休牧」 , 「区画輪牧」 (以下輪牧)からなる. モンゴル)と「ジューン・モンゴル」(東部モ. 4). いわゆる「新三牧」 政策を実施している.基本. ンゴル)と区分される.この場合は,北部のホ. 的には,a)禁牧を実施している地域ではほぼ. ロンボイル市は地理的に東部に入るが,放牧方. 生活補償を与えられているが, 「舎飼い」を行. 式,生活習慣,言語などにおいて西部地域と酷. えるほどの金額ではないうえ, 「舎飼い」の成. 似していることから西部と見なされる6).. 功事例が極めて少ないため,牧畜民は牧畜をや. しかし,内モンゴルには上述のオルドス市,. めて転業するか,非禁牧地域で放牧地を借りて. アラシャン盟以外にシラムレン河とローハ河に. 牧畜を営むか,他人に家畜を委託するという選. 挟まったホルチン地域などの砂地地域があり,. 択をするであろう.b)休牧を行っている地域. 本稿 で は 条件不利地域 7)と 位置 づ け た い.中. では生活補償が与えられていない.牧畜民は飼. 華人民共和国という枠組みのなかでは内モンゴ. 料不足のため家畜を減らし,余った労働力と労. ル等の牧畜地域全体が条件不利地域とも言える. 働時間をもって臨時的賃金労働や出稼ぎ労働に. が,これらの地域は内モンゴルの他地域と比べ. 従事するであろう.. て経営構造が単一で,利用可能な資源が乏しい ため,商品経済の下では競争力に欠ける.また,. 本稿の構成は以下の通りである.第 1 章は,. 砂漠化が深刻であり,砂漠化予防政策だけでな. 調査地域の概況と調査における問題点を述べ. く環境改善政策も求められている.従って,こ. る.第 2 章では牧畜民の記憶に基づき,中華人. れらの地域を条件不利地域と位置づけることに. 民共和国成立直前,人民公社制期,生産請負制. よって,長期的直接支払い政策を実施する法律. が実施された直後の時点における各地域の経営. 的根拠を与えることに意味がある.. 形態を復元し,経営形態の変化が環境に如何な. 一方で,内モンゴル牧畜はその歴史過程から. る影響を与えたかを分析する.第 3 章では政府. みて,牧畜の発展というよりも牧畜から農耕へ. が採った環境対策とその効果,牧畜経営に与え. の変化という傾向が強い.牧畜と農耕の割合に. た影響等を検討する.以上の検討から導出され. 基づいて,今日の内モンゴルを牧畜単一(農耕. る結論を「おわりに」においてまとめる.. がわずかな地域も含む),牧主農従,農主牧従,.
(3) 内モンゴル牧畜経営の実態と環境問題(巴图) 内モンゴル牧畜経営の実態と環境問題(巴图). (209). 内モンゴル牧畜経営の実態と環境問題(巴图) 内モンゴル牧畜経営の実態と環境問題(巴图). 29. 3. 3 3. 市,盟政府所在地 バインファ・ガチャ バインファ・ガチャー ジョホトコ・ガチャ ジョーホトコ・ガチャー 市,盟政府所在地 市,盟政府所在地. ゲルリトヤ・ガチャ ゲルリトヤ・ガチャー バインファ・ガチャ バインファ・ガチャ ジョホトコ・ガチャ ジョホトコ・ガチャ シラノール・ガチャ シラノール・ガチャー ゲルリトヤ・ガチャ ゲルリトヤ・ガチャ シラノール・ガチャ シラノール・ガチャ. (出所)筆者作成.. (出所)筆者作成. (出所)筆者作成. (出所)筆者作成.. 1 1 調査地の位置 図図 1 1 調査地の位置. 図 1 1 調査地の位置 1 1 調査地域の旗レベルの状況 表表 1 1 調査地域の旗レベルの状況. 㧙⺞ᩏၞߩᣛࡌ࡞ߩ⁁ᴫ ⺞ᩏၞߩᣛࡌ࡞ߩ⁁ᴫ න㧦ਁੱਁޔࡓਁޔ㗡ޔচޔO 㧙 න㧦ਁੱਁޔࡓਁޔ㗡ޔচޔO 表 1 1 調査地域の旗レベルの状況 単位:万人,万ム,万頭,㎜,m 単位:万人,万ム,万頭,㎜,m. 㧙 ⺞ᩏၞߩᣛࡌ࡞ߩ⁁ᴫ න㧦ਁੱਁޔࡓਁޔ㗡ޔচޔO ੱญ 䊝䊮䉯䊦ᣖ ✚㕙Ⓧ ⨲ഀว ⠹ഀว ᄢኅ⇓ ዊኅ⇓ 㒠㔎㊂ ᐔဋᮡ㜞. 䊝䊮䉯䊦ᣖ ✚㕙Ⓧ ⨲ഀว ⠹ഀว ᄢኅ⇓ ዊኅ⇓ 単位:万人,万ム,万頭,㎜,m 㒠㔎㊂ ᐔဋᮡ㜞 㪈㪎㪏㪉 㪈㪐㪅㪍 㪏㪍㪅㪍 㪋㪎 㪋㪎 㪎㪅㪊㪎㪅㪊 㪈㪎㪏㪉 㪌㪐㩼㪌㪐㩼 㪈㪉㩼㪈㪉㩼 㪈㪐㪅㪍 㪏㪍㪅㪍 㪊㪎㪇㪊㪎㪇 㪍㪊㪋㪍㪊㪋 䊝䊮䉯䊦ᣖ ✚㕙Ⓧ 㪈㪋㪎㪍 ⨲ഀว ⠹ഀว ᄢኅ⇓ ዊኅ⇓ 㒠㔎㊂ 㪏㪇㪇ᐔဋᮡ㜞 㪈㪎㪅㪏 㪐㪈㪅㪊 㪈㪎㪅㪏 㪏㪅㪋㪏㪅㪋 㪈㪋㪎㪍 㪎㪍㩼㪎㪍㩼 㪋㩼 㪋㩼 㪐㪅㪎㪐㪅㪎 㪐㪈㪅㪊 㪊㪌㪏㪊㪌㪏 㪏㪇㪇 㪌㪐㩼 㪈㪐㪅㪍㪈㪇㪇㪅㪈 㪊㪎㪇 㪍㪊㪋 㪉㪇㪅㪌 㪎㪅㪊 㪈㪅㪎㪈㪅㪎 㪈㪎㪏㪉 㪊㪍㪇㪉 㪏㪎㩼 㪋㩼 㪈㪇㪇㪅㪈 㪏㪍㪅㪍㪊㪉㪉㪊㪉㪉 㪈㪋㪇㪇 㪉㪇㪅㪌 㪊㪍㪇㪉 㪏㪎㩼 㪋㩼㪈㪉㩼 㪈㪅㪐㪈㪅㪐 㪈㪋㪇㪇 㪎㪍㩼 㪋㩼 㪈㪏㪅㪋㪈㪏㪅㪋㪐㪅㪎 㪌㪇㪅㪊㪌㪇㪅㪊 㪐㪈㪅㪊㪊㪍㪉㪊㪍㪉 㪊㪌㪏 㪋㪊㪅㪉 㪏㪅㪋 㪈㪍 㪈㪍 㪈㪋㪎㪍 㪈㪉㪈㪏 㪋㪐㩼 㪋㪊㪅㪉 㪈㪉㪈㪏 㪋㪐㩼 㪈㪋㩼㪈㪋㩼 㪌㪇㪈㪌㪇㪈 㪏㪇㪇. ੱญ. 䉥䊮䊉䊷䊄ᣛ 䉥䊮䊉䊷䊄ᣛ ੱญ 䊋䉟䊥䊮ฝᣛ 䊋䉟䊥䊮ฝᣛ 䉥䊮䊉䊷䊄ᣛ ྾ሶ₺ᣛ 㪋㪎 ྾ሶ₺ᣛ 䊋䉟䊥䊮ฝᣛ 䊅䉟䊙䊮ᣛ㪈㪎㪅㪏 䊅䉟䊙䊮ᣛ. ྾ሶ₺ᣛ㧔ᵈ㧕 㪉㪇㪅㪌 㪈㪅㪎 㪊㪍㪇㪉 (注)1 ム= 6.667 アール. 㧔ᵈ㧕 ࡓ㧩 ࠕ࡞ޕ (注)1 ム= 6.667 アール. ࡓ㧩 ࠕ࡞ޕ (出所) 『内蒙古統計年鑑 2006 年』による. (出所) 『内蒙古統計年鑑 2006 年』による. 䊅䉟䊙䊮ᣛ 㪋㪊㪅㪉 㪈㪍 㪈㪉㪈㪏. 㪏㪎㩼 㪋㪐㩼. 㪋㩼 㪈㪋㩼. 㪈㪅㪐 㪈㪏㪅㪋. 㪈㪇㪇㪅㪈 㪌㪇㪅㪊. 㪊㪉㪉 㪊㪍㪉. 㪈㪋㪇㪇 㪌㪇㪈 . (注)1 ム= 6.667 アール. 㧔ᵈ㧕 ࡓ㧩 ࠕ࡞ޕ. (出所)『内蒙古統計年鑑 2006 年』による.. 以下に西Ⅰ) ,条件不利地域として通遼市に属 農耕単一の四つの地域に分類することができ 以下に西Ⅰ) ,条件不利地域として通遼市に属 農耕単一の四つの地域に分類することができ 農耕単一の四つの地域に分類することができ 地域の赤峰市に属する①バインファ · ガチャー する④シラノール る.そして,それぞれの地域は牧畜から農耕へ する④シラノール · ガチャ(牧主農従,以下条 る.そして,それぞれの地域は牧畜から農耕へ · ガチャ(牧主農従,以下条 る.そして,それぞれの地域は牧畜から農耕へ (農主牧従,以下東Ⅰ)と ② ジョーホ トコ·ガ Ⅰ)等である.その位置は図 1 を参照され の変化過程の一つの段階にあると見ることもで Ⅰ)等である.その位置は図 1 11 を参照され の変化過程の一つの段階にあると見ることもで の変化過程の一つの段階にあると見ることもで ,西部地域 ウ たい.調査地が属する旗の状況は表 1 のよ きる.本研究では農耕地域を対象としていない チャー(牧主農従,以下東Ⅱ) 以下に西Ⅰ) ,条件不利地域として通遼市に属 農耕単一の四つの地域に分類することができ たい.調査地が属する旗の状況は表 1 11 の のよ きる.本研究では農耕地域を対象としていない きる.本研究では農耕地域を対象としていない. ランチャブ市に属する③ゲルリトヤ · ガチャー うである. うである. する④シラノール · ガチャ(牧主農従,以下条 ため,前三者のなかからそれぞれ一つの地域を 選び,条件不利地域の一つの村とあわせて四つ (牧畜単一,以下に西Ⅰ),条件不利地域として 選び,条件不利地域の一つの村とあわせて四つ Ⅰ)等である.その位置は図 1 1 を参照され の変化過程の一つの段階にあると見ることもで 選び,条件不利地域の一つの村とあわせて四つ · ガチャー(牧主 の村において調査を行う.その具体は,東部地 通遼市に属する④シラノール ⑵ 調査地の概要 の村において調査を行う.その具体は,東部地 ⑵ 調査地の概要 ため,前三者についてはそれぞれ一つの地域を ため,前三者についてはそれぞれ一つの地域を る.そして,それぞれの地域は牧畜から農耕へ. きる.本研究では農耕地域を対象としていない の村において調査を行った.その具体は,東部 域の赤峰市に属する①バインファ · ガチャ(農 域の赤峰市に属する①バインファ · ガチャ(農 ため,前三者についてはそれぞれ一つの地域を 主牧従,以下東Ⅰ)と②ジョウホトコ · ガチャ 主牧従,以下東Ⅰ)と②ジョウホトコ · ガチャ. (牧主農従,以下東Ⅱ) ,西部地域のウランチャ (牧主農従,以下東Ⅱ) ,西部地域のウランチャ 選び,条件不利地域の一つの村とあわせて四つ. たい.調査地が属する旗の状況は表 農従,以下条Ⅰ)等である.その位置は図 1 ─1 1 バインファ・ガチャはオンノード旗の中部, バインファ・ガチャはオンノード旗の中部,. のよ. うである. バイリン右旗との境界線になっているシラモレ バイリン右旗との境界線になっているシラモレ ン河の南岸に位置する.当ガチャは,2005 ン河の南岸に位置する.当ガチャは,2005 年年. ブ市に属する③ゲルリトヤ · ガチャ(牧畜単一, に同じくハイラス鎮に属するスム・ガチャと合 に同じくハイラス鎮に属するスム・ガチャと合 ブ市に属する③ゲルリトヤ · ガチャ(牧畜単一, の村において調査を行う.その具体は,東部地 ⑵ 調査地の概要. 域の赤峰市に属する①バインファ · ガチャ(農. バインファ・ガチャはオンノード旗の中部,.
(4) 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 2 号(2007年 8 月) 横浜国際社会科学研究 第. 30 4 (210). 表 1 2 調査農家の世帯員の年齢および就業状況(2006 年) 単位:才,ム,頭 父. 東 Ⅰ. 東 Ⅱ. 西 Ⅰ. 条 Ⅰ. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10. 母. 世帯主. H 54 H 52 FH33 ♂ H 64 H 58 HF37 ♂ HF63 TH64 TF35 ♂ FV68 O 39 ♂ FV59 F 56 FH30 ♂ OH56 ♂ HF38 ♂ HW47 ♂ F 42 ♂ H 44 ♂ HF57 H 55 HF33 ♂ HV78 H 72 HF37 ♂ HF28 ♂ HV58 ♂ HF45 ♂ VH59 ♂ H 50 VH28 ♂ HF50 ♂ HF55 ♂ FH63 ♂ H 60 VH41 ♂ HV57 H 55 OH26 ♂ VH54 ♂ HF66 HF60 I 40 ♂ H 38 ♂ HF56 ♂ HF40 ♂ HF50 ♂ OH50 ♂ H 77 H 38 ♂ HF56 ♂ HV70 H 65 IF42 ♂ TF56 ♂ H 68 HF38 ♂ FH41 ♂ VH48 ♂ HF43 ♂ HF53 ♂ HV38 ♂ P 77 ♂. 配偶者 FH37 ♀ HF42 ♀ VH32 ♀ F 36 ♀ FH27 ♀ HF56 ♀ H 39 ♀ F 46 ♀ FH40 ♀ FH38 ♀ HF32 ♀ HF38 ♀ HF30 ♀ HF55 ♀ P 41 ♀ HF55 ♀ HF28 ♀ HF47 ♀ HF52 ♀ HF60 ♀ HF41 ♀ H 30 ♀ T 36 ♀ H 37 ♀ H 54 ♀ HF39 ♀ HF49 ♀ HF50 ♀ H 35 ♀ FH50 ♀ I 41 ♀ HF50 ♀ HF37 ♀ FH44 ♀ HF45 ♀ HF37 ♀ HF47 ♀ HF39 ♀ F 68 ♀. 子弟 S 11 ♀ S 11 ♂ S 10 ♀. S 5 ♀. S 3 ♀ S 10 ♀ S 12 ♂ W 19 ♀ S 17 ♂ S 14 ♂ S 17 ♀ S 9 ♀ S 16 ♂ S 15 ♀ S 3♀ S 26 ♂ S 23 ♀ HF41 ♂ HF22 ♀ W 26 ♂ S 22 ♀ S 4♂ HF22 ♂ O 29 ♂ HF27 ♀ P 36 ♂ S 17 ♂ S 14 ♂ S 4♂ HF26 ♂ W 20 ♂ S 14 ♂ S 17 ♂ HF25 ♂ W 19 ♂ S 18 ♀ S 20 ♂ S 17 ♂ S 25 ♀ W 24 ♂ S 14 ♀ W 27 ♀ HF22 ♀ S 22 ♂ S 15 ♂ W 20 ♀ IF23 ♂ H 16 ♂ H 20 ♀ S 14 ♂. S 11 ♂ W 16 ♀ HF22 ♂ S 10 ♀ S 16 ♂ S 11 ♀ . HF19 ♂ S 18 ♀. S 18 ♂. S 7♂. . 作付 家畜 8) 面積 114 80 35 117 8 179 90 65 69 15 133 28 93 43 14 43 90 30 15 55 330 225 479 260 349 31 735 66 130 66 92 80 211 66 79 25 64 3 23 955 700 780 26 354 18 425 130 20 300 15 153 80 456 30 335 425 60 133 35 200 55 225 40 69 20 30 36 125 34 57 30 70 39 82 7 20. (注)H 牧畜民,F 農耕民,0 公務員,T 教師,W 出稼ぎ労働者,V 村幹部,I 自営業者,P 重病人. (出所)2006 年の実態調査による.. 併され,ハイラス・ガチャとなった.現在のハ. 在地の大板鎮から東北 15 キロ離れたところに. イラス・ガチャは規模が大きいうえ,鎮政府所 1 を参照されたい.調査地が属する旗の状況は. 位置する.当村はバヤンタラー・ソムに属し, ⑵ 調査地の概要. 表 1 ─ 1 の通りである. 在地の住民も含まれるため,ここでは元のバイ. ソダル・組,オボー・組,ナイラムダラー・組 バ イ ン ファ・ガ チャーは オ ン ノード 旗 の 中. ンファ・ガチャを調査対象とする.. 部,バイリン右旗との境界線になっているシ という三つの集落から形成される.. ジョーホトコ・ガチャはバイリン右旗政府所. ラムレン河の南岸に位置する.当ガチャーは, ゲルリトヤ・ガチャは四子王旗政府所在地の.
(5) 内モンゴル牧畜経営の実態と環境問題(巴图). (211). 31. 2005 年に同じくハイラス鎮に属するスム・ガ. 源のズレを十分認識することが重要である.両. チャーと合併され,ハイラス・ガチャーとなっ. 者の間に認識のズレがあれば,得られる回答は. た.現在のハイラス・ガチャーは規模が大きい. 当然無効である.これを防ぐために,農家の意. うえ,鎮政府所在地の住民も含まれるため,こ. 識調査において,一つの問題に対しあえていく. こでは元のバインファ・ガチャーを調査対象と. つかの質問を設けた.例を挙げれば,「地方政. する.. 府(ソム,鎮)の役割をどう評価するか」とい. ジョーホトコ・ガチャーはバイリン右旗政府. う質問に対し,9 割以上が 「 満足している 」 と. 所在地の大板鎮から東北 15 キロ離れたところ. 答えている.理由として,農業税免除と各種の. に位置する. 当村はバヤンタラー・ソムに属し,. 補償制度をあげている(中央政府と地方政府の. ソダル組,オボー組,ナイラムダラー組という. 区別がつかないようである).「牧畜経営におい. 三つの集落から形成される.. てどのような困難があるか」という質問に対. ゲルリトヤ・ガチャーは四子王旗政府所在地. し,流通,金融問題を指摘しており,とりわけ. のウランファ鎮から 50 キロ離れた丘陵地域で. 金融問題については農家間の不平等扱いを訴え. あり,チャガンボリゴー・ソムに属する.当村. ている.「これらの問題を政府の責任と思うか」. は自治区政府の所在地であるフフホト市から近. という質問に対し,「政府にそこまで期待しな. いうえ放牧地が広いため,ガチャーの一部が観. い」と答えている.調査者からみれば政府側の. 光地として利用されている.. 責任とも捉えられる問題を,農民は自然条件の. シラノール・ガチャーはホルチン砂地の一部. 問題,あるいは個人の能力問題として受け止め. であ り,ナ イ マ ン旗に属する.旗政府所在地. ている.. のダーチンタラー鎮から北へ 8 キロ離れたとこ. また, 「どうすれば牧畜経営の収益を増やせる. ろに位置している.2005 年まではバグブルク・. か」という質問に対し, 「家畜の品種改良」 , 「牧. ソムに属していたが,ソム,ガチャー合併政策. 草地への投資拡大」と答えたのが最も多かった.. によりダーチンタラー鎮に区分された.. 続く「なぜそうしないか」という質問に対し,8. 各地域調査農家の世帯状況は表 1 ─ 2 の通り. 割が「資金がない」と答えている.聞き取りの. であり,本稿における基本的データである.. 最後に「予想外に 2 万元の収入が得られたら何 のために使うか,4 万元の場合は何のために使. ⑶ 調査方法と問題点. うか」と質問したのに対し, 「家畜の改良」 , 「牧. 内モンゴルの牧畜については,今日の放牧方. 草地の改善」と答えた農家は 1 割も達していな. 式を後進的と見なす立場から「舎飼い」経営を. い.これは,牧畜農家は再生産に投入する資金. 唱える見解もあれば,移行経済における転換. はもちろん,生活を維持するための現金収入も. 過程として市場経済理論から分析する視角もあ. 不足していることを意味しており,同時に牧畜. る.また,牧畜経営は生業経済と市場経済の二. の問題は単に資金不足の問題ではないことを意. 重経済であるとし,市場経済になじまない点を. 味する.品種改良においても牧草地の改良にお. 9). 強調する見解もある .牧畜社会は複雑である. いても,技術がなければ情報源もない.このよ. がゆえに,それに関する認識,理論も不十分で. うな思いもつかぬ事情が大いにあるため,アン. あり,その研究においては実証的研究が欠かせ. ケート調査ではなく面接調査に重点をおく.. ない.内モンゴル地域において実態調査を行う. 次に,内モンゴルの牧畜地域では農家間の所. に当たり,調査方法として以下の 2 点に注意を. 得格差が拡大しており,その主な原因は世帯員. 払う必要がある.. の職業によるものである.公務員,教師などの. まず,調査者と調査対象者の間の認識,情報. 公職に就いている世帯員のいる農家,村の幹.
(6) 横浜国際社会科学研究 第 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 2 号(2007年 8 月). 6 (212) 32. 表 2 1 調査農家の経済状況の変化 単位:頭,ム 番 号 東 Ⅰ 2 東 Ⅰ 3 東 Ⅱ 2 東 Ⅱ 4 西 Ⅰ 2 西 Ⅰ 4 条 Ⅰ 2 条 Ⅰ 10. 年次 1946 1966 1986 2006 1946 1966 1986 2006 1946 1966 1986 2006 1946 1966 1986 2006 1946 1966 1986 2006 1946 1966 1986 2006 1946 1966 1986 2006 1946 1966 1986 2006. 世代 構成 3 世代 2 世代 3 世代 3 世代 2 世代 2 世代 3 世代 3 世代 3 世代 3 世代 2 世代 3 世代 ─ 2 世代 3 世代 2 世代 ─ 2 世代 2 世代 3 世代 ─ 2 世代 2 世代 3 世代 2 世代 2 世代 2 世代 2 世代 2 世代 3 世代 2 世代 2 世代. 耕 地 * 35 * 10 14 * 0 30 225 ─ 0 20 111 ─ 700 ─. 18 30 35 12 7. 羊 12 8 30 19 4 36 10 40 120 88 ─ 7 40 235 ─ 10 200 500 ─ 5 80 300 150 . 山 羊 28 10 20 80 280 ─ 8 60 75 ─ 8 80 280 ─ 70 110 10 25 . 牛. 馬. 3 4 10 19 9 24 30 4 18 70 9 ─ 4 20 27 ─ 1 ─ 7 3 8 40 10 4. 1 18 2 ─ 1 10 5 ─ 1 ─ 8 3 3 . 駱 駝 15 5 ─ 8 25 ─ ─ . 驢 馬 1 1 1 ─ ─ 1 ─ 1 . 豚. 鶏. 生計,放牧方式,組織. 1 1 1 1 ─ ─ ─ 3 2. 5 6 25 ─ 10 ─ ─ 30 11. 牧農,定住,なし 牧農,オトル,生産隊 牧農,定住,なし 牧農,定住,なし 牧農,定住,なし 牧農,オトル,生産隊 公牧農,定住,なし 公牧農,定住,なし 牧農,オトル,ホトアイル 牧,定住,生産隊 牧農,定住,なし 牧農,定住,なし 賃,定住,なし 牧,オトル,生産隊 牧農,オトル,ホトアイル 牧農,定住,なし 牧 夏春秋冬 ホトアイル 牧,夏冬,生産隊 牧,夏冬,なし 公牧農,夏冬,なし ───── 牧,夏冬,生産隊 牧,夏冬,なし 公牧農,定住,なし 賃牧,オトル,ホトアイル 牧農,オトル,生産隊 牧農,定住,なし 自営牧農,定住,なし 賃,定住,なし 牧農,オトル,生産隊 牧農,定住,なし 牧農,定住,なし. (注)牧(牧畜),農(農耕),公(公職),賃(賃金労働),夏冬(夏冬営地の移動),自(自営業),*(不明). (出所)2006 年の実態調査による.. 方式などについて質問した.. 2.地域別にみた経営形態と環境の変化 部,元幹部のいる世帯は生活が豊かである.こ 内モンゴル牧畜の生産方式として広く知られ れと対照的に,重病人のいる世帯は極めて貧し. 1986 年は生産請負制を実施した直後で個別 2.地域別にみた経営形態と環境の変化 経営 が 始 まった 初期段階 を,1966 年 は 文化大 内モンゴル牧畜の生産方式として広く知られ. 変化しつつあるということである.生産方式の の村,その地域の状況を把握する危険性を暗示 現状については全調査対象農家から聞き取りを する.従って,今回の調査では各地域からそれ. 前の時期をそれぞれ代表できる.牧民たちがそ 化しつつあるということである.生産方式の現 の年の事情をはっきり覚えている保証はない. 状については全調査対象農家から聞き取りを. ているのは, 「水草を追って遊動する」という い生活を送っている.このことは,とりわけ 遊牧方式 と,そ れが今日において定住放牧へ 農家経済の面において,少数の事例をもってそ. 行ったが,過去の生産方式,またそれが如何に ぞれ 10 戸の農家を任意的に選んで調査を行い, 変化してきたかについては 60 歳以上の牧畜民 得られた情報,データの分析においてはただ平 から話を聞くことにした.具体的には 1986 年, 均的数字を取るのではなく,個別農家の事例分 1966 年,1946 年 の 世帯状況,生計状況,放牧 析も行う.. 革命 が 始 まった 直後 で 人民公社制期 を,1946 ているのは, 「水草を追って遊動する」という 年は中華人民共和国成立前で計画経済体制の直 遊牧方式と,それが今日において定住放牧へ変. 調査の内容はその年の出来事というより,それ 行ったが,過去の生産方式,またそれが如何に ぞれの時期の状況と見なすことがより適切であ 変化してきたかについては 60 歳以上の牧畜民. ろう.そのなかで世帯状況,生産方式について から話を聞くことにした.具体的には 1986 年, の話が互いに基本的に一致していることから, 1966 年,1946 年 の 世帯状況,生計状況,放牧.
(7) 内モンゴル牧畜経営の実態と環境問題(巴图). (213). 33. 方式などについて質問した.. 動する必要はなかった.ゆえに生活面は定住し,. 1986 年は生産請負制を実施した直後で個別. 生産は必要に応じて移動放牧を維持するという. 経営 が 始 まった 初期段階 を,1966 年 は 文化大. 方式をとってきたのであり,そこには経済的合. 革命 が 始 まった 直後 で 人民公社制期 を,1946. 理性が見出される.. 年は中華人民共和国成立前で計画経済体制の直. し か し 東Ⅰ─ 2,東Ⅰ─ 3 の 農家 は「オ ト ル」. 前の時期をそれぞれ代表できる.牧民たちがそ. 式放牧を行っていなかった.2 戸ともが家畜が. の年の事情をはっきり覚えている保証はない.. 少なく,移動放牧を行う必要はなかった.また. 調査の内容はその年の出来事というより,それ. それだけの家畜では生活の維持が困難で,農耕. ぞれの時期の状況と見なすことがより適切であ. や賃金労働に従事しなければならなかった.事. ろう.そのなかで世帯状況,生産方式について. 例では,東Ⅰ─ 2 の世帯主は現在の東ウジュム. の話が互いに基本的に一致していることから,. チンまで塩運びに行って賃金収入を得ていた.. 信憑性が高いと見なされる.調査農家のなかか. 東Ⅰ─ 3 は モ ン ゴ ル 語 で は namuγ tariy-a11),. ら,情報量の多い,記憶がはっきりしていると. 漢語 で は 漫撒子 と 称 さ れ る 耕作 を 行って い. 判断した事例を各地区から二つずつ選んだ.詳 細は表 2 ─ 1 に詳しい.. た.放牧地 か ら 離 れ た と こ ろ で,蕎麦 か 黍 (mongγol-am)の 種 を 播 き,犂 を 入 れ,収穫 までほとんど手を入れないという粗放的農法. ⑴ 東部地域━ 「定住的日帰り放牧」型. である.各農家は,放牧地から少し離れたと. 東Ⅰ━農主牧従地域. ころに,そして 1 ヶ所に集中して耕作してい. 東Ⅰでは放牧地が 1 ヶ所で,各農家が鉄条網. た.面積は農家当たり 2 ~ 10 ムという小規模. で囲いを作り個別に利用しており, 「定住的日. である.そこには,放牧地を分割しない,ま. 帰り放牧」が行われている.当村は農主牧従地. た家畜やスズメなどの被害を最小限に止めよ. 域であり,農耕を専業としている農家はある. うとする生活の知恵が見られる.. が,牧畜を専業としている農家はもはや存在し. 人民公社制期は,村の西部に位置する沙漠の. ない.. 周辺に住宅を構え,春から夏にかけて水の多. 当村では,中華人民共和国成立前にすでに定. い草原に放牧し,新鮮な草を食わせて肉太り12). 住していた.従来のような遊牧は行われてい. させる.8 月に入ってから沙漠のオアシス地域. なかったが,家畜の多い牧畜農家は大体 6 月か. において「オトル」式放牧を行い,栄養の高い. ら 10 月にかけて「オトル」10)を利用していた.. 草を食わせて脂肪太りさせる.冬は家畜を連れ. 「オトル」式放牧はいわば遊牧と定住の中間的. て住宅地へ戻ってくるが,11 月から 12 月にか. 放牧方式である.草が生えている季節により良. けて草刈が終わった採草地において放牧し,1. い水草を求め,寒い冬を乗り越えられるだけの. 月から 4 月の間に再び暖かい沙漠のなかで放牧. 力を家畜につけさせ, 冬は草が食われていない,. する,という経営形態であった.小家畜を,一. しかも暖かい場所に家畜を集中させて生活する. 部の農家は沙漠において,一部の農家は村の東. という点ではむしろ遊牧に近い.ただ従来の遊. 北に位置する山地において放牧していた.年. 牧との違いは,通常は年に一回だけ移動し,し. に 1 回しか移動しないが,放牧地を季節ごとに. かもほとんどが同じ先に移動するという点であ. 合理的に利用していたことがわかる.採草地が. る.それを可能にしたのは東部地域の立地条件. 3 ヶ所あって,家畜に濃厚飼料を与えなくても. である.そのなかで,牧草の性質の良さはより. 越冬できていた.この時期に,「自分の米を自. 重要な要素であり,標高の高い,降水量の少な. 分で作る」というスローガンの下で,農牧結合. い西部地域またはモンゴル国のように頻繁に移. 経営が進められ,東Ⅰでは少なくとも 800 ムの.
(8) 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 2 号(2007年 8 月) 横浜国際社会科学研究 第. 34 8 (214). 表 2 2 (東Ⅰ)耕地及び家畜規模の変化 単位:戸,人,ム,頭 年次 1990 1995 2000 2005. 戸数 92 95 103 117. 人口 360 364 370 362. 耕地. 畑 600 696 1233 4300. 水田 ──── 6 650 1700. 小家畜. 山羊 1123 553 159 170. 羊. 853 1099 740 2900. 牛. 大家畜 729 673 532 630. 馬. 129 65 58 50. (出所)東Ⅰの村民委員会が提供したデータによる.. 草原が開墾されたという.そのうち れるようになった.ソム(現在は鎮)センター 600 ムは村. に よ る と,従来 は(1980 年代初期 ま で)草 の た.1996 年に放牧地が分配され,最初は近隣. の耕地として開発されたが,200 ムは移住して から近いところ,交通の便利な草原に家屋を建. 同士が 5,6 世帯で共同利用をしていたが,4, 生長が最も良い 7,8 月に朝の 5 時から放牧し. きた農耕民の住宅地として利用された.かくし て始めた.また,人口の自然増加と人民公社制. 511年で各農家が個別に囲んだ.放牧地が各世帯 時頃に暑くなると,家畜は木影や水のある. て当村の西北部に位置する質の良い放牧地に耕 期に農耕技術者として移民してきた農家の定着. に均等に割り当てられ,利用代償の支払いも免 ところを探して休憩を取り,3 時以降に涼しく. 種農業を専業とする集落が出来上がり,地元の によって, 「オトル」式放牧はもはや不可能と. れ,利用期間を なると再び草を食べ始めるというパターンだっ 30 年としたため,ここでは放. 人たちに「農業村」13)と呼ばれるようになる. なった.個別経営になったとはいえ,沙漠,放. 牧地の分配として扱う.農家が配分された放牧 たのが,現在はほとんど休憩を取らなくなった. しかしこの時期の耕作は放牧地と一線を引き, 牧地 は 依然 と し て共同利用であったため,ソ. 地を囲い込み,牧畜経営の農家単位での個別利 と説明している.もちろん,これは家畜の問題. またはっきりした分業があったため,牧畜と農 ム・センターに住む公務員,商人たちは当村の. 用が最終的に実現した.放牧地の所有権の明確 ではなく,草地の退化を物語っている.. 14). 耕の平行型結合経営 であるといえる. 沙漠で柴刈りをし,牧畜民から家畜を買いそれ. 化によって環境状態がよくなると主張していた そして放牧地の分配が放牧地の転用を可能に. 年代に 1980 年代以降 は,家畜,耕地 の 分配 が を農家に委託するようになった.1990 相次. した.表 2 2 にみる東Ⅰの事例では,畑と水田 研究者もいたが,3,4 年も経たないうちに期. いで行われ,個別農家による放牧,耕作が行わ 入って,国が環境問題を重視し始め,やがて村. 待はずれだったことが明らかになった.牧畜 面積が大幅に増加したのは 1995 年以降であり,. れるようになった.ソム(現在は鎮)センター の半分の面積を占める沙漠と山地での放牧が禁. 民の話によると,従来は(1980 年代初期まで) 放牧地の分配(1996 年)がそのきっかけになっ. から近いところ,交通の便利な草原に家屋を建 止された. 草原,沙漠,採草地,山地という 4 ヵ. 草の生長が最も良い 7,8 月に朝の 5 時から放 たことは一目瞭然である.2000 年以降は,耕. 所の放牧地が 2 ヶ所に減り,放牧地不足を補う て始めた.また,人口の自然増加と人民公社制. 牧し 311倍近く増加しており,家畜も再び増加し 時頃に暑くなると,家畜は木影や水の 地が. 期に農耕技術者として移民してきた農家の定着 ために,3 ヶ所あった採草地の 2 ヶ所を放牧地. あるところを探して休憩を取り,3 時以降に涼 始めている.耕地化が進んだ背景に,2001 年. によって, に転用した. 「オトル」式放牧はもはや不可能と. しくなると再び草を食べ始めるというパターン に製油用の向日葵が値上がりしたことと 2003. なった.個別経営になったとはいえ,沙漠,放 東Ⅰでは 1988 年に放牧地の請負が始まった.. だったのが,現在はほとんど休憩を取らなく 年に「休牧」政策が実施されたことが考えられ. 牧地 は 依然の と請負は農家の意志で行われ,場 し て共同利用であったため,ソ 当時放牧地. なったと説明している.もちろん,これは家畜 る.家畜が増えているのは,飼料不足や牧畜生. ム・センターに住む公務員,商人たちは当村の 所と面積は先着優先となっていた.請け負った. の問題ではなく,草地の退化を物語っている. 産物の価格低迷によって,家畜構成が利益の高. 沙漠で柴刈りをし,牧畜民から家畜を買いそれ 農家は放牧地の使用料の支払いを義務付けられ. そして放牧地の分配が放牧地の転用を可能に い小家畜に傾斜したからである.また,公務員,. を農家に委託するようになった.1990 た.1996 年に放牧地が分配され,最初は近隣 年代に. 教師のいる世帯は,賃上げによって現金収入が した.表 2─2 にみる東Ⅰの事例では,畑と水田. 入って,国が環境問題を重視し始め,やがて村 同士が 5,6 世帯で共同利用していたが,4,5. 面積が大幅に増加したのは 増え,生活のために家畜を売らざるを得ないと 1995 年以降であり,. の半分の面積を占める沙漠と山地での放牧が禁 年で各農家が個別に囲んだ.放牧地が各世帯に. 放牧地の分配(1996 いう状況ではなくなり,満足できる取引でなけ 年)がそのきっかけになっ. 止された.草原,沙漠, 採草地,山地という 4 ヵ 均等に割り当てられ, 利用代償の支払いも免れ,. たことは一目瞭然である.2000 年以降は,耕 れば家畜を出荷しなくなっている. これ以外に,. 所の放牧地が ヶ所に減り,放牧地不足を補う 利用期間を 302年としたため,ここでは放牧地. 雌の家畜が売れなくなっていることも一つの大 地が 3 倍近く増加しており,家畜も再び増加し. ために,3 ヶ所あった採草地の 2 ヶ所を放牧地 の分配として扱う.農家が配分された放牧地を. 始めている.耕地化が進んだ背景に,2001 きな原因であろう. 年. に転用した. 囲い込み,牧畜経営の農家単位での個別利用が. に製油用の向日葵が値上がりしたことと 東Ⅱ─牧主農従地域 2003. 最終的に実現した.放牧地の所有権の明確化に 東Ⅰでは 1988 年に放牧地の請負が始まった.. 年に「休牧」政策が実施されたことが考えられ 東Ⅱでも「定住的日帰り放牧」が行われてい. 当時放牧地の請負は農家の意志で行われ,場所 よって環境状態がよくなると主張していた研究. る.家畜が増えているのは,飼料不足や牧畜生 る.昼は分配された放牧地に放牧し,夜は住宅. と面積は先着優先となっていた.請け負った農 者もいたが,3,4 年も経たないうちに期待は. 産物の価格低迷によって,家畜構成が利益の高 地の畜舎に入れるという点で共通している.当. 家は放牧地の使用料の支払いを義務付けられ ずれだったことが明らかになった.牧畜民の話. い小家畜に傾斜したからである. また, 戸の農家が 公務員, 村では放牧地が 2 ヶ所で,5 ∼ 10.
(9) 内モンゴル牧畜経営の実態と環境問題(巴图). (215). 35. 教師のいる世帯は,賃上げによって現金収入が. ゴル地域では東部,西部を問わず一般的に存在. 増え,生活のために家畜を売らざるを得ないと. しており,二つの異質な文化の相互排斥,在来. いう状況ではなくなり,満足できる取引でなけ. 民集団と外来民集団の自然資源,ひいては社会. れば家畜を出荷しなくなっている. これ以外に,. 秩序をめぐる衝突がいまだに続いていると捉え. 雌の家畜が売れなくなっていることも一つの大. たほうがよかろう.内モンゴルの大半の地域は. きな原因であろう.. 農牧交錯地帯と位置づけられているが,農牧混. 東Ⅱ─牧主農従地域. 合経済に相応しい農牧の融合文化,社会秩序が. 東Ⅱでも「定住的日帰り放牧」が行われてい. 依然として形成されていないといえよう16).. る.昼は分配された放牧地に放牧し,夜は住宅. また,そもそも放牧地がないのに家畜を飼育. 地の畜舎に入れるという点で共通している.当. するのはなぜかという疑問が残る.生産請負制. 村では放牧地が 2 ヶ所で,5 ~ 10 戸の農家が. が実施され,これらの農民も家畜を分配された.. グループを組んで共同で利用している.. 放牧地が分配されるまでは放牧地の耕地化がさ. 東Ⅱ で は,放牧地 が 2 ヶ所 あって も 輪牧 を. ほど進んでいなかったうえ,放牧地の境界線が. 行っていない.東Ⅱ─ 4 は,放牧地を 5 戸の農. 明確でなかったため,彼らに家畜を増やす条件. 家で共同利用をしており,放牧も協業で行って. があった.彼らは穀物,野菜中心の食生活であ. きたが,1 ヶ所の放牧地はそれと接している農. り,家畜を自家消費することが少なく,販売し. 耕地域の家畜が自由に侵入するため,草の生長. て現金収入を得ることが唯一の目的である.家. が悪く輪牧に利用できないという理由を挙げて. 族経営になってから,彼らは野菜作りや大工な. いる.柵作りの柱と鉄条網を盗まれ,現在は囲. どの副業に従事するようになり,家計維持のた. いがほとんど機能していない状態にある.盗ん. めに家畜を販売する必要がなくなった.かくし. だのは隣接の農耕地域の住民で,放牧地がない. て,彼らは在来の牧畜民より家畜が多くなった.. ため家畜を入れるのが目的である.盗むところ. 放牧地が分配されると,彼らはすぐさま放牧地. を捕まえたこともあるが,逆に脅されてどうす. を開墾し始め,放牧は他村の放牧地に「頼る」. ることもできなかったという.. ことになった.放牧地の分配によって放牧地利. まず,法律の面では,耕地,その他私物の侵. 用をめぐる衝突が表面化したのである.. 害は刑事事件として扱われるが,放牧地の侵害. 東Ⅱ─ 2 が属するグループは 8 戸の農家から. は民事事件として扱われ,訴訟を起しても調停. 構成され,放牧地が 2 ヶ所で輪牧していない.. されるのが一般的である.放牧地を他人の家畜. 状況は東Ⅱ─ 1 とほぼ同様だが,このグループ. に侵入されることによって被る経済的損失は測. にガチャー長がおり,牧畜民を動員して 2005. りにくく,囲いが十分に機能していなければ家. 年に農耕地域と接している放牧地をすべて耕地. 畜の所有者に責任を追究できないという事情も. として他人(漢人)に貸し出した.放牧地の耕. ある.柵作りの柱と鉄条網の盗難は刑事事件と. 地化は上級機関の許可が必要で,その条件とし. して成立しうるが,牧畜地域では盗難の現場を. て農耕に適していると判断され,同時に灌漑条. 捕まえることが困難である.. 件が整っていなければならない.先の放牧地は. そして,犯人を捕まえても彼ら15)の仕返し. これらの条件が整っていなかったが,関係部門. を恐れて摘発できないという事情がある.彼ら. は目をつぶってくれたという.特別な事例では. の仕返しというのは,牧畜民の家畜に怪我をさ. あるが,放牧地をめぐる衝突,それに反映され. せる,家畜の餌に毒を入れる,越冬用の乾草に. る放牧地不足問題は確実に存在している.. 火をつける,等の悪質な行為である.一見すれ. 東部地域では定住的放牧が早くから行われて. ば単なる民事紛争のように思われるが,内モン. いたことが確認された.調査対象の牧畜民たち.
(10) 36 (216). 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 2 号(2007年 8 月). は,遊牧を行っていたという話を聞いたことさ. に住み,家畜を昼は放牧させ,夜は暖かい畜舎. えなかったと答えている.このことは,少なく. に入れて餌を与えるという点で東部地域とさほ. とも 20 世紀に入る前にすでに定住していたこ. ど差がない.しかし,西Ⅰの調査から見ると,. とを意味する.しかし,牧畜民と話を交わして. すべての調査対象農家が冬営地と夏営地を持っ. いるうちに,生活と生産の定住の違い,また遊. ており,夏営地でもモンゴル式テントではな. 牧概念の定義を明確にする必要性を感じた.表. く,固定の家屋を持っているのが特徴的である.. 2 ─ 1 の調査事例では,1940 年代に東Ⅰの 2 戸. 2 ヶ所しか移動しなくなると,二つの放牧地に. の農家ともが定住生活をしていたが,東Ⅱ─ 2. 固定の家屋を建てておけば少人数でも引越しで. はほかの 3,4 戸の農家と「アイル」17)を組み,. きる.そして最も重要なのは,人口増加によっ. 「オトル」式放牧を行っていた.東Ⅱ─ 4 の農家. て従来のように遊牧できる放牧地がなくなり,. は家畜が少なかったため, 「オトル」に行かず. 固定の家屋を建てることはある意味において自. 塩運びをして賃金収入を得ていた.雇われて. 分の移動先を確保することでもあった.また牧. namuγ tariy-a も耕作していたという.. 畜社会の安定と生活水準の向上に伴い,当然な. 人民公社制期でも「オトル」式放牧が維持さ. がら子供の教育を重んじるようになった.学校. れていた.集団化によって家畜が集められ,分. は冬営地に建てられるのが一般的で,夏営地で. 業が行われたため,放牧を担当する家族のみが. 家畜の世話をする人を除いて,全員が冬営地で. 「オトル」に出かけるようになった.. 生活するというパターンをとっている.小長谷. 生産請負制の実施によって,農家単位での個. 有紀氏の研究によれば,1990 年代以降の西部. 別経営が行われた.耕地が分配され,牧畜民も. 地域のシリンゴル盟では,子供教育のために都. 自ら耕作を行うことに直面した.東部地域は採. 市部に住み込み,子供を学校に通わせる現象が. 草地があり, 農作物の実も茎も飼料になるため,. 増えているという18).その場合は,家畜の飼養. 「オトル」に行かなくても越冬は可能である.. を他人(東部地域の人が多い)に委託すること. また,人民公社制期に大勢の農耕民を受け入れ. が多い.遊牧から定住へ変化し,さらに農村部. たため, 「オトル」として利用できる放牧地が. から都市部への移住が現れている.. 縮小し,定住化を余儀なくされた.家族経営に. 西Ⅰでは,ほとんどの農家が 5 ~ 10 キロぐ. なってから「オトル」式放牧を行っていたのは. らい離れた 2 ヶ所の放牧地を輪牧している.子. 東Ⅱ─ 4 だけであったが,それも 2,3 年しか続. 弟の独立などによって放牧地を 1 ヶ所しか持っ. かなかった.完全に定住的放牧段階に入ったの. ていない農家は,その一ヶ所の放牧地を夏営地,. である.. 冬営地の二つに分割して利用している.また放. 放牧地分配の実施時期と方法は,地域によっ. 牧を禁止されている農家は近隣の村で放牧地を. て(多くの場合は旗単位で)異なる.東Ⅱでは,. 借りて放牧している.その借りた放牧地のこと. 1988 年に一回分配され,1997 年に契約の更新. も夏営地と呼んでいることから,当該地域では. が 行 わ れ た.放牧地分配後 に,5 ~ 10 世帯 が. 夏,冬営地移動式放牧方式が深く根付いている. 一組になり,放牧地を共同で利用してきた.. ことがわかる. 調査対象農家のうち,過去の状況について確. ⑵ 西部地域━ 「夏・冬営地移動式日帰り放牧」 型. 認できたのは西Ⅰ─ 2 と西Ⅰ─ 4 である.二つの 世帯ともが人民公社制期は夏,冬営地間で移動. 西Ⅰ━牧畜単一地域. していたが,それまでは春,夏,秋,冬営地の. 東部地域と対照的に,西部地域は「夏・冬営. 間で移動しており,伝統的遊牧方式が維持され. 地移動式日帰り放牧」型である.冬は固定住宅. ていた.二つの世帯は牧畜単一経営だったが,.
(11) 内モンゴル牧畜経営の実態と環境問題(巴图). (217). 37. 当村では人民公社制期以前から耕作をしていた. 当村 の 過去 の 経営状況 を,条Ⅰ─ 2 と 条Ⅰ─. と説明している.農耕の導入は中華人民共和国. 10 において確認することができた.中華人民. 成立以前であるが,世帯単位で耕作するように なったのは人民公社制崩壊後,正確には放牧地. 共和国成立以前は,農家が「アイル」を形成し, 「オトル」式放牧を行っていた.貧しい農家は. の分配後である. . 農耕を主な生計手段としていた.役畜を持って. 西Ⅰで放牧地が分配されたのは 1988 年が初. いる農家,犂などの道具を持っている農家が協. めてであり,1995 年に契約期間を 30 年に延長. 業19)で namuγ tariy-a を行っていた.富農に雇. した.放牧地の分配を徹底する政府側の決意の. われていた農民もいた.. 現われでもあった.しかし,各農家が個人で放. 人民公社制期にも「オトル」式放牧が維持さ. 牧地を囲い込んだのは 1988 年以前であること. れていた.農耕も行われていたが,この時期は. が興味深い.当該地域では 1982 年に家畜の分. 粟,黍,蕎麦などの食糧生産が中心で,家畜の. 配が実施され,2 年後の 1984 年に放牧地の請. 飼料としてのトウモロコシはまだ普及していな. 負が試みられた.当時は分配ではなく請負であ. かった.. り,放牧地 は そ の 請負 の 期間中 に 個別農家 に. 1986 年の時点ではすでに定住的日帰り放牧. よって利用されるが,その代償として一定金額. をしており,農家単位でトウモロコシを主とす. の支払いを義務付けられる.当時請け負ったの. る耕作を行うようになっていた.近隣同士が家. は村の幹部たちであり,家畜の少ない農家は柵. 畜を集合させ,交替で放牧作業に当たっていた. を作る経済力がなければ,新しい政策に戸惑い. ことも確認された.東Ⅰ,東Ⅱのようにいく. を感じていたことも事実であろう.10 戸の調. つかの世帯間で家畜の世話人を雇うこともあっ. 査農家のうち 3 戸が放牧地を請け負っており,. た.当時小規模であったため,家畜を集めて放. 柵作りにかかった費用の半分を政府から補助し. 牧するほうが効率がよい.また住居が集中して. ている.しかも後に請負の代金を支払った農家. いるため,夜間における家畜の個別管理と朝晩. はいない.1988 年に放牧地が正式に分配され. の搾乳なども可能であった.. る際に,それまで請け負っていた世帯がその放. 放牧地の分配が始まったのは 1996 年であり,. 牧地の優先配分権を与えられた.もちろん余っ. 正式に分配されたのは 1999 年である.残りの. た分は返され,足りない分は補充されたが,当. 共留地は 2002 年に分配された.各農家が個別. 時優等放牧地を請け負っていれば(実際は請負. で柵を作り始めたのは 2001 年以降であり,い. に出されたのがすべて優等地) ,柵作りの費用. まだに囲いを作っていない農家(条Ⅰ─ 5)も. も補助されたうえ,優等地も手に入れたことに. ある.その原因はやはり費用の問題であった.. なる.. しかし,東Ⅰと東Ⅱのように費用節約の目的で 近隣同士で放牧地を共同で利用する現象が少な. ⑶ 条件不利地域. い.唯一見られたのは条Ⅰ─ 2 と条Ⅰ─ 6 の農家. 条件不利地域とは東部,西部を問わず,立地. で,兄弟である.. 条件が悪い(沙漠,砂地)地域を指しているた め,経営形態,経済構造等において共通する特. ⑷ 経営形態の変化と環境悪化. 徴として取り上げることはできない.. 各地域において環境悪化の原因についてみる. 条Ⅰでも「定住的日帰り放牧」が行われてい. と,東Ⅰ(農主牧従)で は 1970 年代 に 農耕人. る.放牧地が 1 ヶ所で,すべての世帯が耕作を. 口が増加し「オトル」式放牧ができなくなった. 行っている.これは東部地域に位置しているか. こ と,1980 年代 に 当村 の 沙漠,山地地帯 で の. らである.. 放牧が禁止され,放牧地が縮少しただけでなく.
(12) 38 (218). 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 2 号(2007年 8 月). 表 3 1 環境問題に対する牧畜民の認識 質問. 回答および回答者人数. ①砂漠化の現象はあるか. ない:10 人. ②草地の退化が見られるか ▷ 10 年前と比べて退化しているか. ある:5 人,変化なし:2 人,よくなっている:3 人 ▷退化している:10 人. ③草地の退化の原因は何だと思うか. 雨が少ない:5 人,放牧地が減少:3 人,わからない:2 人. ④耕作が草地退化と関係あると思うか ▷(あるの場合)原因は何だと思うか. あまり関係ない:6 人,ある:4 人 ▷ 放牧地の減少:3 人,肥沃な土壌の減少:1 人. ⑤放牧地の分配はよかったと思うか. よかった:7 人 悪くはない:3 人. (出所)2006 年の実態調査による.. 輪牧ができなくなったこと,放牧地の分配を. 畜の習性に適している,放牧における協業の物. きっかけに耕地化が進んだこと,などがあげら. 的基盤を成すなどの積極的面と,所有権と農家. れる.東Ⅱ(牧主農従)では「オトル」式放牧. 間の利益が明確でないという消極的面がある.. ができなくなったことと,隣接の農耕地域の家. もちろん放牧地の個別利用には,所有権が明. 畜の侵入によって 1 ヶ所の放牧地が利用できな. 確であるという積極的面と牧草地への負荷が大. くなった原因が大きい.西Ⅰ(牧畜単一)では. きいという消極的面がある.牧畜民がどういう. 季節的移動放牧ができなくなったことと,東Ⅱ. 放牧地の利用形態を選択するかは,その地域に. と同じく農耕地域からの家畜の侵入問題が深刻. おいて二つの性格のどちらが重視されるかに. である.条Ⅰ(牧主農従)では早くから定住化. よる.西Ⅰでは,農家が 2 ヶ所の放牧地をもっ. したこと, 「オトル」式放牧ができなくなった. ており,総面積 6000 ムという広さであるため,. こと,放牧地の耕地化などが環境悪化の原因と. 従来のような移動放牧はできないが,農家単位. して指摘できる.. での個別経営は成り立つ.農家あたりの家畜規. 要するに,移動放牧から定住放牧への変化,. 模が大きく,従来の遊牧でさえ 1000 頭の家畜. 放牧地の分配,放牧地の耕地化,共同関係の崩. を群れの上限とすることからして,協業を行う. 壊などが環境悪化の原因といえる.しかし,定. 必要性もさほど強くなかったと思われる.これ. 住化と放牧地分配は制度・政策の転換によるも. が,農家が連携して放牧地を共同利用にすると. のではあるが,耕地化が進んだことと共同関係. いう仮説Ⅰで想定した結果にならなかった原因. が崩れたことは牧畜民の自主行為である.そこ. であろう.東Ⅰと条Ⅰでは農耕の割合が高く,. で,制度・政策の転換に対して牧畜民がどう対. 放牧地の転用を図り,多くの農家が放牧地の共. 応したかは,砂漠化過程を明らかにするうえで. 同利用に反対である.これに対して,東Ⅱでは. 重要となる.. 牧畜が中心であるが,農家あたり放牧地の平. 放牧地分配後,東Ⅰと東Ⅱにおいて最初は 5. 均面積は 900 ムで個別利用にしては規模が小さ. ~ 10 戸の農家が連携し,放牧地を共同で利用. い.また,当村では家畜が分配されて以来,近. していたが,東Ⅰでは 5 年も経たないうちに牧. 隣同士が交替で放牧し共同で家畜の世話人を雇. 畜農家が放牧地を個別に囲い込んだ.西Ⅰと条. うなどの協業が維持されており,仮説Ⅰの成立. Ⅰではほとんど農家単位での個別利用になって. 条件が整っていたのである.. いる.すなわち,放牧地の共同利用という点で 仮説Ⅰが成立するのは東Ⅱのみである.放牧地 の共同利用には,牧草地への負荷が少ない,家. 3.環境対策と牧畜経営 1990 年代に入ってから,砂漠化は勢いを増.
(13) 内モンゴル牧畜経営の実態と環境問題(巴图). (219). 39. し,北京などの大都市までがその被害を受ける. によって草丈が一時伸びても,放牧したとたん. ようになった.国際社会の圧力もあり,政府は. にすぐ食い尽くすのであれば,草地がよくなっ. 環境問題に真剣に取り組み始めた.そこで登場. たとはいえない.そのため,短期間において草. したのは退耕還林,生態移民,禁牧政策などの. 地退化を判断することは困難である.これに対. 環境対策である.. してすべての回答者が,10 年前と比べて草地 が退化していると答えている.. ⑴ 牧畜民の環境問題への認識. 草地退化の原因については,半分の回答者が. 四つの調査地域のなかで,東Ⅰは牧畜単一か. 降雨量の減少が原因と考えており,3 人が放牧. ら牧主農従へ,さらに農主牧従へ変容し,今日. 地の減少,すなわち過放牧が原因と理解してい. では農耕単一構造になりつつある.農民の環境. る.耕作の環境への影響については,「関係な. 認識を理解するうえで,牧畜から農耕への変化. い」と答えた者が半分(6 人)を越え,「放牧. が他地域より一歩進んでいる当村はより適切な. 地の減少が草地の退化を促している」と答えた. 対象である.. のが 1/3(3 人),「肥沃な土壌が風に吹き飛ば. 牧畜民は彼らの行動が環境悪化にどのぐらい. され,土地の地力が落ちる」と答えたのが 1 人. 影響しているかを十分把握しているとは限らな. である.このような答からもわかるように,牧. いが, 彼らの認識は彼らの行動に影響しており,. 畜民は放牧地の耕地化が過放牧の原因と理解し. 彼らの経済行為が環境悪化と直接かかわってい. ているが,草地の退化にそれほど影響がないと. る.従って,彼らの環境問題への認識を理解す. 考えている.. ることは,牧畜地域における環境問題を研究す. 放牧地の分配によって従来のような移動放牧. るうえで重要な手がかりとなる.表 3─1 を参照. ができなくなり,放牧地の退化が進んでいるこ. されたい.. とは多くの研究者によって指摘されている.. 第一問に対しては,すべての回答者が「砂漠. 放牧地分配 に 反対 し な い の は,「改革開放」. 化現象がない」と答えており,当調査地域では. 後に牧畜民の間に貧富の格差が生じ,家畜の少. 近年において沙漠面積が広がっていないことを. ない,あるいは家畜を持たない農家も現れ,放. 意味する.当村は 1.2 万ムの沙漠があり,1990. 牧地の利用をめぐって農家間に不平等が生じた. 年代初期から沙漠での放牧,柴刈りを禁止し,. からと思われる.また,人間の所有権に対する. 同時に砂丘の流動を防ぐために植林をしてきた. 欲望も考えられる.放牧地の共同利用の場合は,. ことにより, 一時深刻化した砂漠化が治まった.. 自分が所有者の一人であるとしても自分に決定. しかし,草地が「退化している」と答えたのが. 権がなく,自分のものとして認識されない.こ. 半分を占めており, 「変化なし」が 2 人, 「よく. れに対して,放牧地が分配され,それが利用権. なっている」が 3 人である.期間を設定せずに. の請負に過ぎないにしても自分のものとして他. 質問をすると,習慣的に前年比で答えるのが一. 者の利用を排除しうるため,私有財産として強. 般的で, 回答にズレが出ている原因である. 「よ. い認識を持たされる.言い換えれば,放牧地の. くなっている」と答えたのがすべて家畜の少な. 分配によって従来の放牧方式ができなくなって. い,耕作を中心としている農家であり,自分の. も,分配方法が納得できればそれを拒否しない.. 放牧地の状況を意識して回答していることが窺. そして牧畜民たちが,従来の移動放牧と放牧. える.当村では,1 月から 6 月まで「休牧」を. 地の共同利用は家畜の繁殖,成長に適しており,. しており, 「休牧」によって草丈が伸びること. 自然環境と両立できるシステムだと認識してい. は言うまでもないが,牧草の減少,毒草の侵入,. るなら,なぜそれを守ろうとしないかという疑. 土壌の固化なども草地の退化であり, 「休牧」. 問が生じる.確かに,牧畜民たちは放牧地に穴.
(14) 40 (220). 横浜国際社会科学研究 第 12 巻第 2 号(2007年 8 月). を掘ったり,開墾したり,豚を放牧させたりし. あって成り立っているため,放牧をやめさせる. て放牧地を荒らすことに対し, 誰もが反発する.. という政策に一定の限界があったことも容易に. また,草刈り,柴刈りなどにおいても翌年の再. 想像できよう.そこで登場したのが期間を設け. 生に影響しないように気を配る.このように,. ての「新三牧」政策であり,それを後述する.. 牧草などの資源を大切にして自然と共存しよう. ここでは,フフホト市,包頭市,烏海市を除. とする生業システム,生活習慣,ひいては文化. く 6 市,3 盟からそれぞれ一つの村を選び,そ. までが形成されている.しかし,これは遊牧民. の村の牧畜民から聞き取りを行った.表 3─2 に. 族の経験則による合理的思考ではあるが,牧畜. 並べた各地域の間に,退耕還林,退牧還草政策. 民の組織のなかで形成され,牧畜社会の秩序に. の実施状況及びそれらの補償制度にかなりの違. よって守られてきたものである.放牧地の分配. いが見られる.もっとも下位行政単位のソムレ. によってその物的基盤が崩れ,牧畜民の組織,. ベルにおいても,牧区,半農半牧区の違いによっ. 牧畜社会従来の秩序の崩壊によってその社会的. て採られる政策,補償制度が異なるが,同一の. 基盤が崩れたのである.もっと深刻なのは,若. 政策においては国,自治区政府がその基本モデ. 年層においてそれらの生活知恵,思考までが失. ルを作るため,各地域の政策,補償制度を比較. われていることである.しかし,個人としての. することによって,地方における牧畜の問題,. 牧畜民の立場に立ってみると,彼らが採った行. また国の環境政策を的確に評価することができ. 動は彼らにとって生活のためであり,彼らの言. よう.. 葉では「仕方のない方法」である.. 中国環境問題に関する研究論文では,「農区 において退耕還林,牧区において退牧還草(林). ⑵ 「退耕還林」政策. 政策を実施している」という記述がしばしば見. 退耕還林政策 は,1999 年 に 陝西,甘粛,四. られるが,これは誤解を招く恐れがある.そも. 川の三省において試験的に実施したのち,全国. そも国が進めたのは退耕還林政策であり,その. に急速に広がっていった.そして 2002 年の 12. 趣旨は農耕によって環境が悪化している地区,. 月に国務院令(第 367 号)として「退耕還林条. すなわち農耕が適さないのに農耕を行っている. 例」 (以下条例)が公布され,2003 年の 1 月か. 地区において農耕をやめさせるということであ. ら本格的にスタートした.その後押しとなった. る.これに従うと,内モンゴル等の農耕が適さ. のは 2001 年 3 月に発表された第 10 次五ヵ年計. ない地域において退耕還林を行うのは当然であ. 画における「西部大開発」という大型プロジェ. る.しかし,内モンゴルには政府側の地域分類. クトである. 食糧の過剰在庫問題と価格の低迷,. で牧区,半農半牧区,農区があり,通常はこの. すなわち国の食糧部門の赤字問題を解決するた. 分類方法を旗(県)単位で用いる場合が多いた. めに退耕還林を実施し,補償として在庫の食. め,それによって農耕しか行っていない村も牧. 20). 糧を支給するという思惑があったという指摘. 区に分類される.事例でみると,東Ⅰ,東Ⅱ,. もあるが,退耕還林プロジェクトの背景に環境. 条Ⅰは農耕の割合からして半農半牧区に分類し. 悪化問題があったことは事実である.そしてこ. たが,政府側の統計では牧区に分類されている.. のプロジェクトが全国規模で推進されていくう. 上述の言い方では,牧区において退牧還草を実. ちに,退牧還草も提起され,牧畜地域において. 施するならば,これらの地域(農民)にとって. 実施されることになった.退牧還草とは,永久. は当然ながら農耕を助成することになる.. に(期間を設けず)放牧をやめて,牧草地を野. 政策の実施期間について,農家はそれぞれの. 生の状態に戻す,もしくは植林をするというこ. 政策がいつまで実施されるかを知らされていな. とである.しかし,内モンゴル牧畜は放牧地が. い.当該政策の法律的根拠となる「条例」でも.
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