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<運動のつまずき(予兆)>の気づきに関する実践的仮説の生成

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(1)

博 士 論 文

2020

兵庫教育大学大学院

連合学校教育学研究科

教科教育実践学専攻 生活・健康系教育

(岡山大学)

藤 澤 薫 里

<運動のつまずき(予兆)>の気づきに関する

実践的仮説の生成

(2)

目 次

序 論

Ⅰ.研究の動機 ・・・・・・ 1

Ⅱ.問題の分析 ・・・・・・ 4

Ⅲ.先行研究の概観 ・・・・・・ 6

Ⅳ.実践仮説の定立 ・・・・・・12

Ⅴ.研究の目的 ・・・・・・19

Ⅵ.研究の方法 ・・・・・・19

Ⅶ.研究の限定 ・・・・・・20

Ⅷ.本研究における文章表記 ・・・・・・20

<注> ・・・・・・21

<文献> ・・・・・・23

本 論

1 章 <運動のつまずき(予兆)>の気づきに関する介入・実験的研究

-小学校若手教師(5 年目)の事例を通して-

1 節 本章の目的 ・・・・・・29

2 節 研究の方法 ・・・・・・31

3 節 研究の結果 ・・・・・・34

4 節 考 察 ・・・・・・44

5 節 要 約 ・・・・・・46

<注> ・・・・・・47

<文献> ・・・・・・49

(3)

2 章 <運動のつまずき(予兆)>の気づきに関する授業研究(その 1)

-新人教師と一人前教師の比較を中心として-

1 節 本章の目的 ・・・・・・52

2 節 研究の方法 ・・・・・・55

3 節 研究の結果 ・・・・・・61

4 節 考 察 ・・・・・・69

5 節 要 約 ・・・・・・74

<注> ・・・・・・75

<文献> ・・・・・・78

3 章 <運動のつまずき(予兆)>の気づきに関する授業研究(その 2)

-<運動のつまずき(予兆)>の気づきに対する対処が

児童の運動学習に及ぼす影響について-

1 節 本章の目的 ・・・・・・81

2 節 研究の方法 ・・・・・・86

3 節 研究の結果 ・・・・・・92

4 節 考 察 ・・・・・・102

5 節 要 約 ・・・・・・107

<注> ・・・・・・108

<文献> ・・・・・・110

結 論

Ⅰ.総 括 ・・・・・・112

Ⅱ.結 論 ・・・・・・116

Ⅲ.今後の課題 ・・・・・・123

<注> ・・・・・・124

<文献> ・・・・・・125

引用・参考文献一覧 ・・・・・・126

謝 辞 ・・・・・・135

(4)

1

(5)

2

Ⅰ.研究の動機

警察官の人たちは町内の防犯のために,同じ時間に同じ巡回路を通るという.それ は,普段と同じ雰囲気(空気)を感じるためである.目を凝らすのではなく,ただ自然 に巡回するのである.そして,いつもと違う雰囲気(空気)を感じたならば,何らかの 事件が起きている可能性が高い. また,病院に勤務している看護師は,“ヒヤッ!”と感じたことを直ちに上司に報告す る「ひやりハット」制度というものがあるらしい.確かに,「予期せぬ出来事(患者の 様態の急変や病院内の安全・管理上での不具合など)」が起こってからでは,手遅れと なる. こうした勤務の様子は,教員の世界でも同様にある. <シーン1> A 教諭の教室は校舎 3 階の端にある.その反対に昇降階段があり,A教諭は,毎日, ほぼ授業毎に職員室と教室を行き来している.ある朝,職員朝会が終わりいつものよ うに教室に向かって3 階についた時,いつもと違う雰囲気を感じた.「あれ?何かあっ たな.」と思ったA 教諭は,教室まで静かに歩き,扉をそっと開け,「みんな,どうし た!」という言葉を発した.案の定,一人の女子がうつむいたまま,大粒の涙を落と していた. もしも,A 教諭が廊下の雰囲気(空気)に気づかず,元気に廊下を歩いて教室に向 かい,「おはよう!」と扉を開けたなら,子どもたちは何もなかったような雰囲気(空 気)をつくるに違いない.この両者の違いは,“いじめ”の様態に気づく教師とそうでな い教師との違いを示しているように思える. <シーン2> ある跳び箱の授業の一コマである.単元終盤になって,ある女の子がまだ一度も跳 び箱を跳べずにいた.そんな中,研究授業が行われた.授業の途中,私の傍らにいた 先輩教師がつぶやいた. 「あの子,次,跳べるぞ.」

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3 その瞬間,女児の助走に見入った.女児は,助走のスピードを段々と上げていき, そのまま踏み切った.先輩教師の予想のとおり,女児は 5 段の跳び箱をうまく跳び越 えた.私は心の中で拍手した. しばらくして,再び,その女児が跳躍する番になった.先ほどとは少々様子が違っ ていた.今度はいとも簡単に跳び越した.その時,担任教師が即座に声をかけた. 「○○さん,やったあ.跳べた.すごい!」 この教師の言葉がけに,女児は少しうなずくだけだった. 研究授業終了後,放課後の職員室. 言葉がけに対して素っ気ない対応を返された担任教師は,その女児の反応が気にな っていた.そこで,先輩教師に尋ねることにした.すると先輩教師は,担任教師が褒 めた試技は女児が初めて跳び越した試技ではなく,2 回目に跳べた試技であったこと を伝えた.それを聞いた担任教師は, 「それで,あの子はあんな反応をしたのか.」 その後,先輩教師は自分もそのような経験があったことを伝え,女児の助走スピー ドの変化に気づいていたか,女児のグループでの話し合いの様子やその日の授業に臨 む様子の変化に気づいていたかなど,逆に尋ねられた.これを聞き,担任教師はハッ としたのであった. このようにして,われわれは,普段と違う(空気)を“肌”で感じている.教師はこう した「皮膚感覚能力」が特段に要請される.これは「出来事」の“予兆”を素早く察知し, 防止策を取る能力と考えられるからである. 「出来事(event)」という語を辞書でみてみると,「もち上がった事件・事柄(広辞 苑)」もしくは「世間で起こる,いろいろな事件(新明解国語辞典)」ときわめて抽象的 な説明となっており,掴みどころのない用語である.しかし,これがニュース番組: 今日の出来事と表現されると,なんとなく意味が理解できてくる.つまり,今日とい う“一日”の中で起きた“悪い事柄(事件)”や“良い事柄”を取り上げ,報道する番組と解 することが容易となるからである. ところで,「出来事」には二面性がある注 1).一つは「トークン同一性としての出来 事」と称されるもので,これは教師と子どもの計算を裏切って生起し,しかも教師と 子どもとの教育的関係の編み直しが迫られる事件・事柄である.この代表的な「出来

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4 事」として,“学級崩壊”,“いじめ”,“体罰”など特定の学校や教師の下で生じる事件・ 事柄が挙げられる.もう一つは「タイプ同一性としての出来事」と称されるもので, これは日本国中どの学級にでも起こり得る事柄である.この代表的な「出来事」とし ては,“学習のつまずき”,“ケガや事故”,“不登校や引きこもり”などが挙げられる. いずれの場合も,「出来事」への対処が遅かったり,間違えたりすれば,教育実践の 中核的要因である「教師と子どもの教育的関係(教える-学ぶ)」(梅野,1998)は崩 れてしまうことは明白であろう.それ故,<出来事(予兆)>に気づく教師の能力を 高めていく方途を考究していくためには,「教師と子どもの教育的関係」を基軸に据え る必要がある.これには,学力保障を含めて子どもの人格形成の基底層に「教師と子 どもの教育的関係」が在り,その働きによって子どもの生育が決定されると考えてい るところによる.さらに,「教師」は単なる「教える」存在(身体)にあらず,子ども との関係の築き方によって様々な様相の教師へと変貌する可変的な存在(身体)でも あると考えると,「教師と子どもの教育的関係」は「共学的関係」として機能させる必 要も出てくる.こうした教師と子どもの教育的関係を阻害したり,破壊したりするの が授業中に生起する「出来事」なのである.これを防止するためには,「出来事」に至 る“予兆”に気づき,的確に対処することに尽きる.これより,「出来事」の予兆への気 づきを<出来事(予兆)>の気づきと表現し,<出来事>という事象と区別すること とした. これらのことから,授業中に生起する<出来事(予兆)>への気づきは,教師の「皮 膚感覚能力」に規定される.つまり,<出来事(予兆)>に気づける教師もいれば,そ うでない教師もいる.これは,「同じ経験を積んでも,成長する人とそうでない人がい る」(長田,2014)とする経験学習の一つといえる.これより,本研究では,教師の卓 越性に通ずる「応用可能な知識(generic knowledge)」(アレキサンダー・ジョージ, アンドリュー・ベネット,2013)を提供しようとするところに動機がある.

Ⅱ.問題の分析

教育実践者とりわけ授業実践者は,「技術的実践」と「反省的実践」の同時性を担保 する必要がある. これまで,誰しもが優れた教師注 2)になりたいという願いから,優れた教師が有する

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5 実践的知識を明らかにしようとするTeaching Expertise 研究がアメリカを中心に展開 されてきた.とりわけ,優れた教師の「技術的実践」に関しては,行動科学の発達に伴 って「プロセス-プロダクト」研究法を用いた「授業の科学」が飛躍的に進歩し,学習 成果を高める指導プログラムや指導技術がある程度にまで解明されてきている.これ により,「いつでも,どこでも,だれにでも」通用する授業の展開が容易となり,公教 育として国民に共通した学力が保障できる可能性が高まってきた. その一方で,マサチューセッツ工科大学のSchön(1983)は,「同じ専門家と呼ばれ る人の中にも,実践が優れている人とそうでない人がいる」という現実から,様々な 分野の優れた専門家たちを対象に,その背景を事例的に検討した.その結果,「技術的 実践」の優れた専門家は,「省察(reflection)」も優れていることを見出した.すなわ ち,「技術的実践」が優れていた専門家は,問題となる状況を外から眺め考察するもの ではなく,常に「活動の中の省察(reflection in action)」と「活動にもとづく省察 (reflection on action)」の「二重のループ(double loop)」から,顧客と対等な関係 を築いて問題の解決を図っていくことを明らかにした.彼は,こうした優れた専門家 たちを「反省的実践家(reflective practitioner)」と称した. このSchön の見解を引き写すように,わが国では稲垣・佐藤(1996)が 1970 年代 までの量的研究としての「授業の科学」のあり方を批判した.すなわち,彼らは,従来 までの「技術的実践」に視点を当てた授業研究では,<いま-ここ>で生起する<出 来事(class events)>を中心とした実践の展開は困難であり,結果的に『授業研究栄 えて,授業滅ぶ』と批判した.その上で,彼らは,今日の「技術的実践」に偏った教師 の実践意識から「反省的実践」を主軸とする授業の探求へと意識を変革していくこと の重要性を指摘した.しかしながら,稲垣・佐藤の指摘は,「技術的実践」と「反省的 実践」を分離して捉えてしまう研究者や実践者を生む危険性を孕んでいる.このこと は,Schön の「反省的実践家」というネーミングについても同様の批判が成立する. これらのことから,われわれ教師は「技術的実践」と「反省的実践」の同時性を担保 する能力を高めていかなければならないことが理解される. ところで,「技術的実践」と「反省的実践」の同時性を担保する能力の一つとして, 授業中に生起する<出来事(予兆)>の気づきが挙げられる.すなわち,授業者(教 師)の予測と制御を越えて侵入してくる<出来事>を起こさないためには,それに至 る「予兆」を素早く察知し対処する必要がある.こうした気づきの能力は,どのよう

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6 にして高まっていくのであろうか. この問題を追求していく手がかりとして,「知覚は志向性をもつ」とするフッサール の「志向性の理論」(中村:2008,梶尾:2014)を指摘することができる.これを平易 に表現すれば,若い教師の授業研究の場で「聞けども聞けず」,「見えども見えず」と いった指摘をよく耳にするが,これにはその若い教師の知覚・感覚に授業展開を容易 にさせる志向性が利かなかったことを意味している.こうしたフッサールの言説を授 業中の教師に当てはめれば,授業の<出来事(予兆)>を察知する前提に,授業に関 する「何かを志向する意識(intentionality)」の存在が考えられる.それは,幾多の育 てたい子ども像(形式対象)かも知れないし,多種多様な優れた授業のイメージかも 知れない. いずれにしても,授業の<出来事(予兆)>に気づく授業能力を高めていくにはど うすればよいのかについて具体的に論議を深める必要がある.

Ⅲ. 先行研究の批判的概観

3-1. アメリカにおける<出来事>の気づき研究の動向

1980 年代あたりから,Rosenshine & Furst (1973) は教師の教授行為(プロセ ス)と児童・生徒の学習成果(プロダクト)の関係を定式化するには,教師と児童・生 徒の行動を記述・分析する道具の開発に力点を置く必要があるとし,それまでの「プ ランニング-プロダクト」研究法による授業研究から「プロセス-プロダクト」研究 法注 3)による授業研究へとパラダイムを転換させた.これにより,「授業はどうあるべ きか」とする当為一元論的な授業論の追求ではなく,「事実はどうなっているのか」と する「授業の科学(teaching science)」に努力が払われるようになった.とりわけ, 児童・生徒の学習成果を高めた教師とそうでない教師とでは,教師が意思決定する対 象それ自体が大きく異なっているのではないかとする仮説が打ち出されてきた.すな わち,「知識と信念」の関係は区別できるものではなく,「信念」によって教師の「認知 -思考-判断」が異なるため,そこで獲得される実践的知識も異なってくるとする考 え方である(Horwitz:1985,Nespor:1987).こうした考え方から,「教師の信念」の違

いによる教科指導に及ぼす影響(Stipek, D.J. et al.: 2001, Bryan, L.A. & Atwater, M.M.:2002) や,各種の授業要因への影響(Ennis, C.D.:1994,Elissa M.et al.:2005,

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7

Anne T. et.al.:2012 ),さらには教 師の反 省的 思考に及ぼ す影響( Clark:1988 , Mcnamara:1990)などが検討されるようになった.なかでも,Pajares(1992)は, 「省察の中身が異なった背景には,その教師の有する信念がある.」とする仮説の下, 「卓越した実践者の有する信念は,自身をふり返り,理解するときの規準として機能 する」,「新しい現象を解釈するフィルターになる」,「教師個人の行動に強い影響を与 える」とした.この指摘は,教師の<出来事(予兆)>の気づきと深く関係する指摘と して興味深い. また体育分野に目を転ずれば,教師の反省的思考の研究に従事していたTsngaridou (2006,2008)も教師の信念の研究へと進展している.いずれも,教師の信念が自身 の反省的思考に影響を及ぼし,その結果として教師行動を規定していることを述べて いる. こうした「教師の信念」に関する研究は,わが国では近年になって朝倉・清水(2010, 2014)により吟味されてきている. その後,アメリカでは「教師の信念」の違いが授業の意思決定に多大な影響を及ぼ す<出来事(class events)>の気づきに研究視点が向けられるようになってきた.す なわち,‘Teachers’ Awareness of class events’の研究である.ここでいう<出来事>と は,授業者の指導計画と異なるもしくは外れる子どもの活動を指している.

Peterson & Comeaux(1987)は,学習成果の高い教師(10 名)と初任教師(10 名) を対象に,授業中の<出来事>の記憶とそれに対する陳述,さらにはそれらの問題分 析の内容を比較検討した.その結果,学習成果の高い教師は,授業中の<出来事>の 記憶が鮮明であったのに対して,初任教師はその記憶が曖昧であったことを報告した. さらに,学習成果の高い教師は授業中の<出来事>の気づきに対する意思決定にマニ ュアルを必要としていなかったのに対して,初任教師は学習規律およびクラス運営に 関するマニュアルを必要としていた. Carter ら(1988)は,初任教師(6 名),学習成果の高い教師(8 名),教職願望者 (6 名)を対象に,授業のスライド写真を視聴させ,インタビューによる聞き取り調査 を行った.その結果,授業のマネジメントに関する気づきには相違は認められなかっ た.しかし,授業方法に関する気づきには顕著な相違がみられ,学習成果の高い教師 が有意に多く気づく結果であった.このことは,学習成果の高い教師の方がそうでな い教師よりも教材内容や授業方法に関する知識,さらには生徒に関する知識が豊かで

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8 あることを示している.換言すれば,学習成果の高い教師は,教える内容について幅 広いまとまりのある知識を有していることを示唆するものと考えられる. また Lee ら(1993)は,運動指導経験の豊富な教師(5 名)とそうでない教師(6 名)を対象に,VTR に収録した運動指導での教師のフィードバック行動を比較した. その結果,運動指導経験の豊富な教師は子どもの運動行動を観察する認知構造が複雑 であり,様々な学習場面に応じて適切に状況を判断していたのに対して,そうでない 教師は「できる-できない」の観点から肯定的フィードバックをかけるにとどまり, 動きを直す矯正的フィードバックをほとんどかけることができなかった.これより, 「教材内容の知識」は,教師の気づきと対処に大きく影響を及ぼしていることを示す とともに,子どものつまずきについて可能な解決方略を提供することを示唆している. このように,アメリカにおいては授業中の<出来事>の気づきが教師の意思決定メ カニズムを解析する方途であることを早期から認識していたのである.しかしながら, 授業中の<出来事>の気づきの現象学的説明に研究が集中し,どうすれば<出来事> を素早く察知することができるかについての実践的な検討は未だ見当たらない. ただ,その中でKagan(1992)が論及している見込みのある若手教師注 4)の成長過 程に関する事例分析の結果は,<出来事>を素早く察知する能力を高める上で示唆に 富む見解を示している.すなわち,見込みのある若手教師は, ①指導計画を自力で立案することができること, ②生徒の特性を把握し,生徒の学びのプロセス(文脈)に即した思考が展開で きること, ③教師像を明確に想定し,それを実現させる知識を活用すること, ④これまでの指導経験の実績を包括的に評価できること,にある.

また,Bereiter & Scardamalia (1993)の「優れた教師は突然に優れてくるのでは なく,若い頃から優れているものである.」とする言説より,若い教師の卓越性を授業 中の<出来事>の気づきの観点から追求するやり方も考えられる.

3-2. わが国における<出来事(予兆)>への気づき研究の動向

わが国では,秋山・梅野(2001)によってデイヴィドソンの「出来事論」を考察視 座に授業中の<出来事>の教育学的意義について論考したのが最初であろう.すなわ ち,デイヴィドソン(1990)のいう「トークン同一性としての出来事」と「タイプ同

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9 一性としての出来事」を教育実践学的に考察した. まず「トークン同一性としての出来事」は,ある特定の学級,ないしはある特定の 教師とその子どもたちとの間でしか生起しない<出来事>であるとし,その代表例と して学級崩壊を挙げている.それ故,この<出来事>は,教師と子どもの教育的関係 を一から編み直すところに教育学的意義があることを論考した. また「タイプ同一性としての出来事」は,2 つの<出来事>の「原因-結果」が同一 であった場合,その<出来事>は再びいろいろな場面で生起する<出来事>であると し,その代表例として運動のつまずきを挙げている.これより,この手の<出来事> については,発生を予測し,それを起こさないように制御するところに教育学的意義 があることを論考した. こうした哲学解釈学的研究を受けて,厚東ら(2004)は,<出来事(予兆)>の気 づきについての調査票(表1)を作成し,態度得点の高い教師とそうでない教師を対象 に<出来事>の予兆の気づきの個数とそれらに対する「推論-対処」の記述内容を比 較・検討した注 5).その結果,態度得点の高い教師の方がそうでない教師に比して,< 出来事(予兆)>の気づきの個数が有意(p<5%)に多いことが認められた(図 1). 併せて,<出来事(予兆)>に対する「推論-対処」の内容を検討した結果,<出来事 (予兆)>が発生した理由づけをスポーツ科学(主としてスポーツバイオメカニクス, 運動生理学,スポーツ心理学)の知見から客観的・合理的に推論したり,指導プログ ラムおよび授業の流れに即して文脈的に推論したりする傾向が強く,それらに対する 対処の仕方は,授業のねらいを達成する「目的志向的対処」を採るところに特徴のあ ることも報告している(表2). これより,学習成果の高い教師は,自分にとって都合の悪い<出来事(予兆)>に 多く気づく傾向の強いことを明らかにした.しかも,指導計画から外れる<出来事(予 兆)>に素早く気づくことで,自身が設定した授業のねらいに即するように子どもた ちの学習過程を調整していること(目的志向的に対処していること)を示唆したので ある. しかしながら,この厚東らの研究は授業の<出来事(予兆)>の気づきに関する実 査にとどまっており,実践的研究を展開するには至っていない. その後高村ら(2006)は,態度得点が恒常的に高い 2 名の教師(いずれも教職経験

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10

<出来事>記入用紙

年 組 時間目 1.どんな<出来事>に気がつきましたか. 3.その<出来事>に対して、教師が行った手立てはどのようなものですか. また、手立てを行っていない場合、行うべきだったと考える手立てはどの ようなものですか. 2.なぜそのような<出来事>が起こったと思いますか.

<出来事(予兆)>の気づき(認知)

<出来事(予兆)>の推論(思考)

<出来事(予兆)>への対処(判断)

表 1 授業中の<出来事(予兆)>の気づきに関する調査票(厚東ら,2004)

5.5

3.7

上 位 群 下 位 群 一 授 業 当 た り の 気 づ き 個 数 (個) 図 1 学習成果(態度得点)の高い教師群(上位群)とそうでない教師群(下位群)に おける<出来事(予兆)>の気づき個数の比較(厚東ら,2004) (df:2, χ2 :8.94, P<5%)

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11 年数16 年)が記述した体育授業に関するふり返り(ジャーナル)を見込みのある教師 1 名(教職経験年数 11 年)に熟読させ,授業中の<出来事(予兆)>の気づきの数が どのように変化するのか,その結果としての学習成果はどのように高まるのかについ て検討した. この高村らの介入・実験的研究の結果は,先述の Carter ら(1988)の知見と同様 に,被験教師が優れた教師のジャーナル(実践的知識)を理論的知識として理解した ことで<出来事(予兆)>の気づきが高まったものと考えられる.これより,授業実 践に関する理論的知識の領解(知ること)と認識(わかること)は,<出来事(予兆) >に気づく視点を提供する可能性の高いことを示唆している. ①印象的推論 授業中に生起する<出来事(予兆)>の発生メカニズムを授業者のその場の印象や感覚から 理由づけようとするもの. ②心情的推論-理解志向的対処 授業中に生起する<出来事(予兆)>の発生メカニズムを学習者の心理・心情から理由づけようと するもので,その<出来事(予兆)>によって学習者個人の特徴を理解しようとするもの. ③合理的推論-理解志向的対処 授業中に生起する<出来事(予兆)>の発生メカニズムをスポーツ科学(スポーツバイオメカニク ス,運動生理学,スポーツ心理学など)から客観的・合理的に理由づけようとするもので,その< 出来事(予兆)>によって学習者個人の特徴を理解しようとするもの. ⑤心情的推論-目的志向的対処 授業中に生起する<出来事(予兆)>の発生メカニズムを学習者の心理・心情から理由づけようと するもので,授業のねらいに即するように学習者の活動を方向づけるようとするもの. ④文脈的推論-理解志向的対処 授業中に生起する<出来事(予兆)>の発生メカニズムを指導プログラムおよび授業の過程(流れ) に即して理由づけようとするもので,その<出来事(予兆)>によって学習者個人の特徴を理解し ようとするもの. ⑥合理的推論-目的志向的対処 授業中に生起する<出来事(予兆)>の発生メカニズムをスポーツ科学(スポーツバイオメカニク ス,運動生理学,スポーツ心理学など)から客観的・合理的に理由づけようとするもので,授業の ねらいに即するように学習者の活動を方向づけるようとするもの. ⑦文脈的推論-目的志向的対処 授業中に生起する<出来事(予兆)>の発生メカニズムを指導プログラムおよび授業の過程(流れ) に即して理由づけようとするもので,授業のねらいに即するように学習者の活動を方向づけるよう とするもの. 表 2 <出来事(予兆)>に対する「推論-対処」カテゴリー(厚東ら,2004)

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12 こうした経験科学的手法による研究を踏まえて,長田ら(2010)は,<出来事(予 兆)>に気づく優れた教師の形成メカニズムをラッツァラートの「出来事のポリテ ィクス」を考察視座に論及した.その結果,優れた教師は,<出来事(予兆)>の気づ きの感性(皮膚感覚能力)に長けていること,<出来事(予兆)>の気づきを内在的な 作用様式(積極的に都合の悪い出来事に向き合う姿勢)として受け止めていること, <出来事(予兆)>を政治的に利用すること(授業計画の中に<出来事(予兆)>を意 図的に仕込む),の3 点に要約している. これらわが国の先行研究より,優れた教師は,①「タイプ同一性としての出来事」 に着目し,<出来事(予兆)>の発生を予測・制御しようとしていること,②<出来事 (予兆)>を内在的な作用様式として受け止めていること,③<出来事(予兆)>を 政治的に利用しようとしていることが明らかとなった. またアメリカとわが国で共通した知見として,学習成果の高い優れた教師は,自分 にとって都合の悪い授業の<出来事(予兆)>に素早く気づくこと,教科内容に関す る理論的知識を豊富に持ち,それが授業の<出来事(予兆)>の気づきに多大な影響 を及ぼしている可能性の高いことが指摘できる.つまり,教科内容に関する理論的知 識の領解(知ること)と認識(わかること)は,自身の知覚・感覚情報の中からどのよ うな情報を意識の俎上に挙げるのかとする気づきの視点を提供している可能性である.

Ⅳ. 実践仮説の定立

4-1.<運動のつまずき(予兆)>の気づきを高める授業研究

前項の先行研究を踏まえて,本項では<出来事(予兆)>の気づきに関する今日的 課題を検討したい.このとき,多岐にわたる授業の<出来事(予兆)>の気づきを一 つひとつ丹念に検討していく必要がある注 6).なかでも,体育授業の学習成果の中核で ある運動技能の向上に資する<運動のつまずき(予兆)>への気づきに関する検討は 重要である.本項では,幾つかある授業の<出来事(予兆)>の気づきの大半が技能 的なつまずきであったこと(厚東ら,2004:高村ら,2006)から,<運動のつまずき(予 兆)>の気づきに関する検討から着手するのが現実的な観点と考え,この気づきに限 定して論考することにする. まず,前述したCarter ら(1988)の「学習成果の高い教師は,教える内容について

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13 幅広いまとまりのある知識を有している」とする示唆からは,<運動のつまずき(予 兆)>に気づくためには,教材である運動・スポーツについての理論的知識の領解と 認識が必須要件として考えられる.また,Lee ら(1993)の「子どものつまずきにつ いて,可能な解決方略が検討できる」とする示唆より,様々な運動教材における子ど ものつまずきの類型を熟知しておく必要も考えられる.さらに,Kagan(1992)の「① 指導計画が自力で立案することができる」とする指摘より,指導プログラムに関する 理論的知識(段階的系統的な教材編成法,課題解決的な教材編成法など)の理解も合 わさってこよう. これら3 つの理論的知識は,わが国では総じて「教材研究」と称される知識群であ る.これより,洋の東西を問わず,「教師は教材研究を小まめに行い,教育内容を徹底 して理解すること」とする先達の言葉の真の意味が理解できるように思える.つまり, 教材に関わる理論的知識は,教師の授業中の知覚・感覚情報の中からどれを意識の俎 上に挙げるのかとする気づきの視点を提供しているものと考えられるからである.換 言すれば,優れた教師は,自身が意図する授業展開が可能になっているかどうかの判 断を<出来事(予兆)>の気づきに求めているのである.それ故,若手教師に見受け られる「聞けども聞けず」,「見えども見えず」といった現象の背景には,理論的知識 の領解・認識の不十分さ,平易に言えば教材研究不足が看取できるのである.

4-2.教師の知識研究の立場から

社会科・合科教育における卓越した実践者で知られる長岡文雄(1978)は,「真に教 えるということは子どもを探ることの中に成立する」という前提に立ち,「授業は子ど もを探る場である」という認識を示した.すなわち,授業の成立は,「‘この子’の把握に よって生まれるものであり,‘この子’がどう生きているか,各種の能力をどの程度,ど のような形で身に付けているかなどを探る中で必要な授業がわかってくるし,自分の 行った授業が‘この子’にとってどんな意味を持ったかが明らかになってくる」と述べて いる. 上記長岡の実践哲学は,<運動のつまずき(予兆)>に気づく教師の信念に通底す る理念と考えられる. こうした教師の子ども理解に関する研究は,「教師の知識研究」に求めることができ る.表3 には,Shulman(1986)と吉崎(1987)が分類した教師の知識カテゴリーを示 している.ともに,教師のもつべき知識は7 つに分類されているが,その内実は大き

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14 く異なっている. このように,Shulman の考える教師の知識は,どちらかと言えば,教育方法学や教 科教育学などの教育諸科学を母体に各々の知識領域を独立・分類したうえで,教授の ための教材内容を重視している.すなわち,「教材内容についての知識」と「教授方法 についての知識」の複合領域をもっとも重視した.これに対して,吉崎の場合は,< 教師・教材・学習者>という授業の三要素を中心に,それらが複合する領域を重視し ている点にある.これは,学習者である児童・生徒の側に立って教材内容を見つめる 姿勢である.ここで,長岡の実践哲学と考え合わせると,吉崎に見る分類の方が<運 動のつまずき(予兆)>に気づく教師の信念に即応するものと考えられる. ところで,<運動のつまずき(予兆)>の気づきには,運動教材が有する諸特性(技 能的,社会的,情意的)の理解が不可避である.これを「教師の知識」研究に求めれ ば,3 本柱である「教科内容(教材内容)についての知識」,「生徒(学習者と学習者特 性)についての知識」,「教授方法についての知識」が重要になってくる.これらの知 識を体育授業の場に援用すれば,「教科内容(教材内容)についての知識」には「運動 の構造的知識」が,「生徒(学習者と学習者特性)についての知識」には「運動のつま ずきの類型に関する知識」が,それぞれ相当する.また「教授方法についての知識」に は,どのような課題(めあて)をどんな順序で学習させていけばよいのかとする「効 果的な指導プログラムに関する知識」が相当する.これら 3 つの知識は,教師にとっ ては知っておくべき知識であり,記憶化される知識である.これより,上記 3 つの知 識を総称して「運動教材に関する理論的知識」と呼ぶことにした. Shulman(1986) 吉 崎(1987) ①内容についての知識 ②一般的な教授方法についての知識 ③カリキュラムについての知識 ④内容と教授方法についての知識 ⑤学習者と学習者特性についての知識 ⑥教育的文脈についての知識 ⑦教育的目標・価値についての知識 ①教材内容についての知識 ②教育方法についての知識 ③生徒についての知識 ④教材内容と教授方法についての知識 ⑤教材内容と生徒についての知識 ⑥教授方法と生徒についての知識 ⑦教材内容,教授方法,生徒についての知識 表 3 授業における教師の知識カテゴリー

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15 続く<運動のつまずき(予兆)>の手立てに関しては,その教師の経験知が鍵概念 となるものと考えられる.なぜなら,<運動のつまずき(予兆)>の手立てに際して は,「生徒(学習者と学習者特性)についての知識」,「教科内容(教材内容)について の知識」,「教授方法についての知識」の 3 つのそれぞれの知識の交叉によって形成さ れる知識の現実的適用力が要請されるからである.これらは,教師の実践的知識の様 態とその発揮と置き換えることは可能であろう.

4-3.認知研究の立場から

つまずき指導の積み重ね経験による実践的知識の役割の検討は,教師と子どもの相 互作用の過程で生じる教師の意思決定のメカニズムの解明に繋がる研究である.これ を具現化した例として,藤澤ら(2017)は,「つまずき指導の予期図式」を想定した. これは,Neisser(1976)の「知覚循環説」を下敷きに坂井・大門(1994)の「知覚循 環モデル」より想定したものである. Neisser は,知覚者の側に立って情報の直接抽出の概念を検討すべきものとして「知 覚循環説」を提唱した.すなわち,スキーマを静的な情報受容の枠組みとして考えず, 自らの主体により外界を探索し,知覚したアフォーダンス情報によってスキーマの改 変・生成を行い,新たな探索方略を生み出し,再び外界を探索するというきわめて動 的で生成的なシステム体としたのである.この考え方を基盤に,坂井・大門(1994) は,球技スポーツの状況判断は「ゲーム状況から得られる情報」,「予期図式」,「探索 による選択的注意」の 3 つから成り立つとした(図 2).ここで,「ゲーム状況から得 られる情報」とは,自身が置かれている状況(物的人的環境:オフェンスの数と位置, ディフェンスの数と位置,コート上での位置など,心理的環境:追っている状況か, 追われている状況かなど)の認知であり,「予期図式」とは,過去の成功体験もしくは 不成功体験したプレイ行動の記憶であり,「探索による選択的注意」とは,「ゲーム状 況から得られる情報」から過去に体験した近似・酷似するプレイ行動を「予期図式」 の中から選択する行為である.こうした循環過程をプレイヤーは瞬時に行っているの であるが,Neisser の考えを踏まえると,この循環過程は動的であり,常に変化するこ とになる.つまり,プレイヤーはプレイの結果(成否)により「ゲーム状況から得られ る情報」の再評価と「予期図式」の修正を行い,様々に変化していくゲーム状況にお ける認知の正確性を高めていくのである. これを体育授業の場に置き換えると,<運動のつまずき(予兆)>の気づきに対す

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16 る手立ては,児童・生徒の学習活動(主として運動場面)から彼らの<運動のつまず き(予兆)>を認知し,これを解消するために過去に経験した「つまずき指導」の記憶 である「予期図式」と照合し,その予期図式に方向付けられた手立て(成功体験と近 似した場合はその時に施した手立てを打ち,逆に不成功体験と近似した場合はその時 の手立てとは異なる手立てを打つこと)を決定し,つまずいている児童・生徒の指導 にあたるのである(図3).

うまくできる

ようになった

(成功体験)

うまく

できなかった

(不成功体験)

図 3 FB モデルによる運動のつまずき指導の知覚循環過程 ゲーム状況 から得られる 情報 探索による 選択的注意 予期図式 図式の修正 情報の抽出 方向づけ 図 2 球技スポーツの状況判断における知覚循環モデル(坂井・大門,1994)

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17 これより,優れた教師の要件として,過去につまずいている児童・生徒の指導をど れだけ成功裏に積んできたか,つまり「豊かなつまずき指導の予期図式」の生成が挙 げられる.単に,つまずいている児童・生徒の指導経験が多いということだけでは, 優れた教師にはなり得ないものと考えられる.それ故,教師の「つまずき指導の予期 図式」の存在とその役割を実証的に明らかにする必要がある. 他方,「豊かなつまずき指導の予期図式」の生成と関係する教師の要件として,教師 自身の青少年期における成長過程で身につけた「実技能力」が挙げられる.ここでい う「実技能力」とは,デモンストレーション能力も含めてはいるが,単に実技の優れ た出来栄えを問題視しているものではない. 梅野ら(1995)は,「名選手が名コーチになるためには何が必要か」という問いに対 する回答として,不得意な技術であっても,自ら進んで工夫しながら練習を積み重ね ることの大事さを指摘している.すなわち,練習を主体的に積み重ねることで,将 来,児童・生徒に運動を指導する際に必要な経験や感性(気づき)が豊かに形成され るとした.つまり,運動技術の習得過程において問題解決の能力(なぜできないのだ ろうか,どうすればできるようになるのか)を自己内で結合させていくことが教師の 実技能力とした.換言すれば,青少年期における「できなかったときの私」,「もう少 しでできるようになりそうなときの私」,「できるようになったときの私」など,運動 技術の習得過程における様々な身体感覚を教師は身体化しておかなければならないこ とになる.これにより,いろいろな児童・生徒の動きを診断し,<運動のつまずき(予 兆)>に対処することができるのである.こうした教師の実技能力は,原理的には「身 体でわかる,身体にわかる,身体がわかる」といった教師の身体的わかりのこととい える(梅野,2003). このように考えると,教師の経験知は,暗黙知としての身体知にとどまってはなら ない.つまり,「つまずき指導の予期図式」の生成には成功体験の裏打ちが重要であり, 「実技能力」では児童・生徒の運動学習における様々な身体感覚を身体化させておか なければならない.加えて,これらの能力の発揮以外に,教師の児童・生徒に対する 適切な言語的相互作用が不可避となる(上原・梅野,2007).このことは,<運動のつ まずき(予兆)>の手立てには,教師の言語化能力も不可欠な要件と考えられる.

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18

4-4.<運動のつまずき(予兆)>の気づきに関する研究仮説の定立

<運動のつまずき(予兆)>に気づける教師の能力は,図 4 に示した.まず,<運 動のつまずき(予兆)>の気づきとその手立てにおける十分条件として「実技能力」 と「つまずき指導の予期図式」の能力といった実践的知識を想定した.ここでいう「実 技能力」とは,デモンストーション能力も含めてはいるが,単に実技の優れた出来栄 えのことではない.青年期におけるできなかった時の私」,「もう少しでできるように なりそうな時の私」,「できるようになった時の私」など,運動技術の習得過程におけ る学習者の様々な身体感覚にもとづいて指導・助言できる能力のことである(梅野ら, 1995).また,「つまずき指導の予期図式」とは,先に述べた Neisser(1976)の「知 覚循環説」を下敷きに坂井・大門(1994)の「知覚循環モデル」より想定したもので ある. 続いて,<運動のつまずき(予兆)>の気づきとその手立てにおける必要条件とし て,教科内容に関する理論的知識が相当する.つまり,教科内容に関する理論的知識 の領解(知ること)と認識(わかること)は,自身の知覚・感覚情報の中からどのよう な情報を意識の俎上に挙げるのかとする気づきの視点を提供している可能性があると 考えられるからである.具体的には教材である「運動の構造的知識」,「運動のつまず きの類型に関する知識」,「効果的な指導プログラムに関する知識」といった理論的知 識群である.

気づき

●運動の構造的知識 ●運動のつまずきの類型に 関する知識 ●効果的な指導プログラム に関する知識

手立て

●つまずき指導の予期図式 (言語化能力)

実 践 的 知 識

(言語化能力) ●教師の実技能力(身体的わかり) 図 4 <運動のつまずき(予兆)>の気づきと手立ての仮説

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19 これら2 種類から構成される必要・十分条件により,<運動のつまずき(予兆)> に気づける教師の能力が醸成されるものとした.

Ⅴ.研究の目的

本研究の目的は,<運動のつまずき(予兆)>の気づきに関する研究仮説,すなわ ち運動教材に関する理論的知識(運動の構造的知識,運動のつまずきの類型に関する 知識,効果的な指導プログラムに関する知識)を必要条件とし,「児童の運動感覚に 根ざした実技能力」と「つまずき指導の予期図式」の能力といった実践的知識を十分 条件とする仮説の実践への適用性を検証するところにある.

Ⅵ.研究の方法

本研究の目的は,先述した研究仮説を科学的に検証するとともに,<運動のつまず き(予兆)>の気づきに関する理論的枠組みを提供するところにある. 上記の目的を達成するために,以下に示す3 つの研究課題を設定した. まず【研究課題1】では,<運動のつまずき(予兆)>の気づきとその手立てにお ける必要条件と考えられる「運動教材に関する理論的知識」の働きを明らかにする. 具体的には,見込みのある若手教師に「運動教材に関する理論的知識」を介入(勉強 させ)し,<運動のつまずき(予兆)>の気づきに及ぼす影響を検討する. 続く

研究課題2】では,<運動のつまずき(予兆)>の気づきとその手立てにお ける十分条件の主たる要件である「つまずき指導の予期図式」の存在と役割を実証す る.具体的には,教職経験年数4 年~6 年の教師 3 名を「新人教師群」とし,教職経 験年数10 年~12 年の教師 3 名を「一人前教師群」とする,計 6 名を対象に,<運動 のつまずき(予兆)>の気づきと実地指導との関係から「つまずき指導の予期図式」 の存在と役割を実証する. さらに【研究課題3】では,<運動のつまずき(予兆)>の気づきに関する検討は教 師の意思決定メカニズムの的確性の究明に深く関係する立場から,<運動のつまずき (予兆)>の気づきと手立てが学習者である子どもの運動学習に及ぼす影響を検討す る.具体的には,学習成果である「態度得点」の高い教師群(3 名)とそうでない教師 群(3 名)の<運動のつまずき(予兆)>の気づきとこれにもとづく手立ての発揮が学

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20 習者である子どもの運動学習に対していかなる自覚性をもって影響を及ぼしているも のなのかについて比較・検討する. 上記3 つの研究課題のいずれにおいても,表 5 に示す「<運動のつまずき(予兆) >の気づき調査票」を使用した.これは,厚東ら(2004)の「出来事調査票」を改変 したもので,3 つの質問項目から構成している. 第1 項目は授業中に生起した<運動のつまずき(予兆)>の気づきを,第 2 項目は それが生じた推論を,第 3 項目は<運動のつまずき(予兆)>に対する手立てを,そ れぞれ記述するようになっている.これより,<運動のつまずき(予兆)>の気づき 調査票の枚数が,教師が気づいた<運動のつまずき(予兆)>の個数とういうことに なる.

Ⅶ.研究の限定

本研究における被験教師は,【研究課題 1】および【研究課題 2】では小学校高学年 (5・6 年)担任教師であり,【研究課題 3】では小学校中学年(3・4 年)である.こ れより,本研究で得られた知見は,小学校教師に適応可能性が高いものと考えられる. しかしながら,「保健体育科」を専門とする中学校および高等学校の保健体育教師に対 しても同様の適用性が担保し得るかどうかは判然とし難いところに本研究の限定性が 認められる. 他方,「Ⅳ.実践仮説の定立」における「4-1.<運動のつまずき(予兆)>の気づき を高める授業研究」で述べたように,本研究では多岐にわたる授業の<出来事(予兆) >の気づきのうち,体育授業の学習成果の中核である運動技能の向上に資する<運動 のつまずき(予兆)>への気づきに限定して検討している.それ故,「社会的なつまず き」や「情意的なつまずき」については今後の研究課題としたい.

Ⅷ.本研究における文章表記

本研究では,以下に示す約束に従って文章表記することにした. ・「○○○」・・・・引用文及び発話文である場合,もしくはその語句が特定の概念を もっている場合に使用する.

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21 ・‘○○○’ ・・・・その語句や文を強調する場合,もしくは固有名詞や略語である場合 に使用する. ・<○○○>・・・運動のつまずき(予兆)を表記する場合のみ使用し,一つの固有 名詞として表現する. ・(○○○)・・・・語句の意味を言い換えて表現する場合に使用する. ・『○○○』・・・・著作名及び引用文に「 」が含まれる場合に使用する. ・【○○○】・・・・研究課題番号の表記に使用する.

<注>

1) デイヴィドソン(Davidson,D.1990)は,「出来事」を2つに大別している.一つ は「トークン同一性としての出来事」であり,もう一つは「タイプ同一性として の出来事」である.ここでいう「トークン同一性としての出来事」とは,「2 つの 出来事の原因が同一であった場合,これら2 つの出来事は同一とみなされ,かつ その時に限られた出来事」である.これに対して,「タイプ同一性としての出来 事」とは,「ある一つの出来事の原因-結果が次の出来事を生起させるとともに, こうした状態が同一であれば,再び同じ出来事が生起する関係を有した出来事」 と定義されている.このことは,幾多の「タイプ同一性としての出来事」には, 「原因-結果」の因果関係に共約的性格があることを意味する. 前者の具体例の一つとして,「学級崩壊」が挙げられる.これより,授業中に生 起する「トークン同一性としての出来事」は,「教師の実践的な見識の形成と教 室における経験の意味と関係の編み直しが迫られる出来事」(辻野,1997)であ り,特定の場と特定の人間関係において発現する性格を有する.それ故,授業 の分析的研究の対象になりにくい.後者の具体例の一つとして,「運動のつまず き」が挙げられる.これより,「タイプ同一性としての出来事」の性格から,こ れを起こさない手立てを科学的に追求することが可能となる. 2) 本研究における「優れた教師」とは,過去の卓越した実践者のことではなく,ど この学校にも少なくとも 2 人はいると思われる教師として捉えている.この点 をアメリカについてみてみると,「熟練教師」については様々な見解が見受けら れる.例えば,①受け持ちの子どものテスト平均得点が地区トップ15%以内の 教師,②校長と指導主事の推薦を得ることができる教師,③研究者からみて実

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22 践が優れている教師など,様々である.いずれの場合であっても,学習成果が 高くなければ認められない教師像であることは容易に判断できる. 3)「プロセス-プロダクト」研究法は,「プランニング-プロダクト」研究法と対 をなす「プランニング-プロセス-プロダクト」研究の内部事項である.これら は,アメリカで生起した「教師の有効性に関する研究(teacher effectiveness

research)」(Graham, G.& Heimerer, E.: 1981)の中で展開されてきた研究法 である.当初(1970 年代頃),「プランニング-プロダクト」研究法が主流をな していたが,授業展開の実質的な「プロセス」がブラックボックスとなっていた ことで,研究者や実践者のバイアスの入り込む余地があり,実践の追従性に欠 けることが明らかとなった.こうした批判を受けて,1980 年代以降から授業の プロセスを測定する道具の開発が進み,「プロセス-プロダクト」研究法が発展 した. 4)「見込みのある教師(prospective teacher)」とは,Siedentop, D.(1991)の見 解を下敷きにCalderhead, J.(1992)および Tsangaridou, N. & O’Sullivan, M. (1994)が用いた用語で,以下の 5 つの条件を具備している教師とした.すな わち,ア)児童に関わり,彼らの学習を促進させようとする教師,イ)教える教 科内容について熟知しようとすること,及びそれらをいかに児童に教えるか熟 知しようとする教師,ウ)児童の学びのマネジメントやモニタリングをしよう とする教師,エ)自らの実践について系統的に思案し,経験から学ぼうとする教 師(省察・反省),オ)学びの共同体のメンバーであろうとする教師,である. 5) 当初,著者らは授業中に生起する<出来事>を「教師の予測と制御を裏切って, そこに新しい状況と関係を現出させる事象」(辻野,1997)と規定していたこと により,<出来事(予兆)>という表現を用いてはいなかった.しかし,その 後,こうした定義ではデイヴィドソンが示した 2 種類の<出来事>,とりわけ 「トークン同一性としての出来事」と混同する危険性が看取された.そこで, これまでの分析結果を調べ直すと,いずれの研究においても「タイプ同一性と しての出来事」に至る「予兆」の気づきを被験教師は記述していたことから, 「トークン同一性としての出来事」ならびに「タイプ同一性としての出来事」 のそれぞれに至る「予兆」の気づきを「<出来事(予兆)>」と表現することに した(梅野ら,2010).このように表現を変えたとしても,分析の視点や内容が

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23 変わることはなく,結果についても従来までと同様である.よって,厚東ら(2004) および高村ら(2006)の研究においても,これに倣い<出来事(予兆)>を使 用することにした. 6)厚東(2007)の調査によれば,授業中の出来事<予兆>の気づきの種類として, 「技術的つまずき,精神的つまずき,社会的つまずき,学習規律・マネジメント, その他」の5 つあることを認めている.そして,学習成果(態度得点)の高低に 関係なく,「技術的つまずき」が60%以上を占めている.また,学習成果の低い 教師群の気づきの特徴として,「社会的つまずき」が認められている.

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(32)

29

第 1 節 研究の目的

1-1. 研究の動機

体育授業における<運動のつまずき>は,「タイプ同一性としての出来事」注 1)の典 型である(秋山・梅野,2001).こうした「タイプ同一性としての出来事」である<運 動のつまずき>を起こさないようにするには,どうすればよいのであろうか. 本研究では,運動につまずいた児童・生徒を運動教材が有する諸特性(技能的,社 会的,情意的)に触れることができなかった児童・生徒と規定する.これより,<運動 のつまずき>を起こさないためには,それに至る予兆(以下,<運動のつまずき(予 兆)>と称する)に早期に気づき,これを解消する手立てを打つことが肝要であるも のと考えられる.

1-2. 問題の所在

上記の先行研究のいずれの成果においても,<運動のつまずき(予兆)>の気づき と手立てに関する研究仮説(図1-1)の中で,まずは<運動のつまずき(予兆)>の気 づきに関わる理論的知識の有効性について検証することが肝要であろう.そのために は,客観的情報として制御しやすい「運動教材に関する理論的知識」を介入すること によって,教師の<運動のつまずき(予兆)>の気づきがどのように変化し,それら に対する手立てをどのように打ったかについて検討する必要がある.

第 1 章

<運動のつまずき(予兆)>の気づきに関する

介入・実験的研究

-小学校若手教師(5 年目)の事例を通して-

(33)

30

1-3. 研究目的

本研究は,教職経験年数5 年の教師 1 名に「運動の構造的知識」と「運動のつまず きの類型に関する知識」,および「効果的な指導プログラムに関する知識注 2)」といった 「運動教材に関する理論的知識」を介入し,<運動のつまずき(予兆)>の気づきと 手立てに関する研究仮説(図1-1)を検証することを目的とした.

気づき

●運動の構造的知識 ●運動のつまずきの類型に 関する知識 ●効果的な指導プログラム に関する知識

手立て

●つまずき指導の予期図式 (言語化能力)

実 践 的 知 識

(言語化能力) ●教師の実技能力(身体的わかり) 図 1-1 <運動のつまずき(予兆)>の気づきと手立ての仮説

図 1-2-b  介  入  後
表 2-5 「新人群」と「一人前群」における態度得点の比較
表 3-4  教師の指導に対する児童の認知調査票
図 3-6  実地指導された手立ての受容率

参照

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