二重の基準論の根拠について
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(2) 描浜国際経演法学第16巻第ユ号(2007年9月)・. て定着してきていると言えよう。. しかし他方,このような理論は哲学が希薄であり,単なる技術論だとする批 判や軽蔑的な那楡もまた事欠かないfi )。「手続論の持つ限界」はよく指摘され. たT)。そのような工夫より寧ろ問題なのは,行政や保守政治に迎合的な最高裁 判所の姿勢であるとQ・う論稿は数多いs}。「体制的な対立」を内包した訴訟こ. そが憲法価値の実現を果たそうとしたのであって,「日本の最高裁が示した極 度の消極主義的勢や体質が,」「体系だった憲法訴訟論への方法的自覚を定着さ. せてきた」との指摘9}や,憲法裁判は「社会運動とつかず離れずの関係で進ん. できた」が,運動の退潮のために憲法裁判の「技術論だけが浮いてしまった」 という指摘1°)もある。1990年代には,憲法訴訟論は「そろそろ幕」という感 傷もあった]1)e最近でも,「なお,筆者自身は審査基準論の『お手軽さ』に対 して懐疑の念を持っている」12)という否定的なコメントもある。. 確かに,「審査基準をどう当てはめるかということだけに議論がいってしま」 った13)とすれば,それは問題であろう。しかし,これらの批判が・「技術論それ. 自体についての批判」に専念したことは,「ないものねだりか,少なくとも性 急すぎる」14}ことだったのではなかろうか。多くの研究は,専らそのような技. 術的関心からなされていたのではあるまい。それらは,「他面では,人権に関 する一定の価値選択を含む議論でもあ」った1副筈である。まさに,それらの論 稿による「最高裁の違憲審査の消極性に対する批判は,」「どのような事件ない. し争点について,そのような理由づけで,そうなのかを,個別・具体的に分析 されるべき」であった;6}し,最高裁の判決の中には憲法訴訟論の成果’も見受け. られよう1%その中で,二重の基準論,司法審査基準論は,あるべき理論枠組 として議論されてきたIS)し,また,すべきではなかったか。本稿は,二重の基. 準論の意義を見直すことが目的とし;その後にその技術論を超えた意味を示す ことを試み,憲法訴訟論の発展・継承の基礎を示そうとするものである。. 2.
(3) 二重の基準論の根拠について. 1 二重の基準論の根拠に関する諸学説 二重の基準論の根拠はどこにあるのか。これについては,大別して,多数決 によっても侵し得ない「個人の尊重」一を根源とするという、実体論的な根拠と,. 真の多数者の選択が国の決定となる民主的過程の保全が主目的であると概ね要 約できる、プロセス法学的根拠が示されてきた1㌔ 前者は,基本的には,重要な人権と相対的にそうでない人権を区別している と言えよう。「二重の基準論においてもっとも大事なことは,司法審査上特別 に厚く(厳格に)保障されるべきだとされる自由・権利の実体的な価値論であ る」2°)とか,「憲法が価値の体系であるということは,争う余地のないほど明. らか」21)だとされる。当該人権の重要性を決める根拠は論者により多様である L が,主として個人主義的意義,「思想の自由市場論」,国民主権原理・民主主義 との関わりを根拠とし・・),「個人の自律(自己決定〕にとって枢要の人権で,か. つ立憲民主制の維持保全にとって不可欠」”23)かどうかなどであると表現されて. いる。その根拠の中でも,当初は,「精神的自由が代表民主政の政治過程に不 可欠な権利であること」など,民主主義との関係性が主たる理由であ’る2’:}とさ. れていたが,次第1ら「ひとは,精神活動によbて自己の人格を発展させ」る のであり,その「侵害は,自己の尊厳を傷つけ自己完結性をゆるがすものであ」 2S)ることや,表現の自由が「自己実現を図るための必須の手段」であること2S),. など,個入主義的側面が強調されつつある。精神的自由の人権としての重要性,. 核心性がより強調される傾向にあるのである。このため,以上のような通説的 立場からは,「最高裁判所」が「精神的自Eヨ」のような「高い価値を前提に」. する領域で「体系化」もしくはFルール化にまだ踏み切っていない」ことが批 判されている27}。. これには,憲法上の人権に価値の序列があるべきではないという批判2s)があ. ろう。精神的自由を経済的自由に優位すると考えるのは知識人特有の偏見であ り,精神的自由の経済的自由への依存についての現実的認識を欠くものだとい う批判があった2・・}。また,人間の尊厳に適ずる個人の自律をその根拠としつつ,. 3.
(4) 横浜国際経済法学第16巻第1号(20G7年9月). 他方で民主的過程の維持保全にとって不可欠性という功利主義的理由で人権の 価値秩序を語ることは整合的ではなかった3°)。しかも,「思想の自由市場論」 は,経済的自由競争を範としている’ものである・av。民主主義的価値の優劣を何. 故,非民主的機掴である司法権が最終決定できるのかについても,これだけで は不明であった。. 確かに,自律的な決定を司法的に厚く保護すべきかどうかは,人権の価値の 高低とは別問題である32)。,人権の価値を強調すれば,あらゆる人権は一定以上. の価値があるのであろうから,その制約に対しては,あらゆる国家機関は慎重 であらねばならず,裁判所もそうであるので,つまりは,民主的な決定は,人 権擁護を旗印とする司法機関によってかなり覆されるべき筈であるa3)eだが,. これを是とする主張は希少である。では何故,主として精神的自由にだけその ような結果を認めるのか。それはまず;情報の受領と1いう受け手の利益が表現 の自由にはあ;」 ・・),なおかつそれが政府の規制が適わないものであるというこ. ともあろう。そして,「精神的な自由は,民主的な政治過程が良好に機能する ための前提条件」であって,政治過程がその不当な制約を是正する「自己浄化 作用が働かない」のに対し,「経済的な自由」は,「民主的な政治過程が機能し. ているかぎりは,不当な制約がなされても政治過程を通じて取り除くことがで きる」ので,後者については「裁判所がわざわざ乗り出すまでもない」とから だども言える35)。単なる人権の重要度だけではなく,憲法上の機関の役割の違. いが検討される必要を感じる。反面,経済的自由の規制は,民主的政治過程が 健全である限り,そこでの決定を第一義として受け入れてよいことが,だから こそ受け入れられるように思われるのである。 これに対して,プロセス法学の立場は,Unites State v. Caro]ene Products Co迦の脚注4を原点にすJ4) :7)o日本国憲法も国民主権を基本原理としておrb ,. アメリカと同様,その下で,非民主的機閲である裁判所に相応しい役割が模索 されなければならないというas)。そこでは,憲法の具体的権利規定に文面上反. する場合,立法が政治プロセス自体を制限している場合,そして分離され孤立 4.
(5) ’ 二重の基準論の根拠について. した少数者に向けられた差別の場合には,合憲性の推定や緩やかな審査が妥当 しないことが述べられており,アメリカの憲法判例の司法審査基準はほぼこの 線上で説明可能であることは注目できるというs°)。これに従えば,日本でも,. 民主的過程の歪みを正すのが裁判所の役割であり,裁判所が違憲判断に踏み込 むときはこのような場合にほぽ限られるものと考えられる。前述めように,通 説的見解も,民主的政治過程論も「二重の基準」論の根拠であることを認めて いる・1°)。この主張は,通説のこういった部分を強調し,日本でも・入権の価値. 序列を論じるべきではなく,民主主義における司法の役割をよく考えるべきだ という主張として理解できるように思われるのであるti しかし,そもそも日本国憲法がプbセス的文書であるかどうかは疑問である41】。. この主張は,政治的・道徳的価値の選択を民主的過程に委ねてしまっているこ と,厚い司法的保護の及ぶ範囲が思想や(政治的)表現の自由に限定される結 果になると思われること,性的自由などの自己決定に委ねられる領域が広汎な 立法裁量に委ねられる結果となることなどに批判があった4帥。議会に民主主義 の番人が務まらないからという理由で,その役目を裁判所にあてがうべきだと いうのは,論理の飛躍であった刷。加えて,一般に閉鎖的なコーポラティズム が選択され易く・14},かつ日本の現実の議会では多数派による強行採決や不透明. な妥協が横行しているのに45),非プロセス的な権利の場合には十分な司法審査 を行わなくてよいとする結論には,疑問がないではなかった41)。・また,多元的. 社会関係を所与の前提とすると,どの自由を保障することが優位かは言えなく なるのだから,二重の基準論は採iり得ないのではなかろうか4㌔そして,そも. そも憲法1i条・97条が基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」とし ている日本国憲法の構成は,多元主義的パラダイムとは齪鯖があろう4㍉社会 権規定や多くの刑事手続上の権利条項も有する日本国憲法において,かなりの 人権をプロセス的権利と読むのには無理があった49}。そしてそもそも政治プロ. セスへの参加権を規定するユ5条が人権規定の最初の方にあるとの主張に対し ては,その前に「個人の尊重」を掲げる13条があるという反撃が加えられたsc)。. 5.
(6) 横浜国際経済法学第16巻第1号(2007年9月). プロセス法学を日本国憲法の解釈に全面的に持ち込むことには無理が多かった のである。. このほか,司法裁判所の能力的阻界が,二重の基準論の理由として挙げられ ることも多い。原則は厳格審査であるが:政策的・専門技術的判断を要する問 題については,専門家による補完制度や当事者の資料収集などでは,裁判所が 判断能力を有することになるものとは言えないので,例外的に緩やかな審査を 行うべきだとする見解51}はその典型である・9の主張の帰結も・精神的自由規 制の多くは厳格審査,経済的自由規制では,多くは政策判断を伴うものなので,. 結果として多くは緩やかな審査基準が妥当することになろう。しかし,政策 的・専門技術的判断を要する問題といえども法の問題であって,結局は日本国 憲法が司法権にいかなる権限を付与したかの問題である。「裁判所の能力」が 憲法以前に決定されているわけではないのである。また,この主張によっては,. 原発の是非や商標の類似性,絵画の真贋などを含む決定を何故,裁判官がなせ るのかを説明できない。逆に,そのような問題について,国会が優れた判断を する保証もないのであるS2}。即ち,裁判所の能力論のみをもって二重の基準論 を正当化することもまた,困難であると恵われるのである。. 2 二重の基準論の根拠の再検討 以上を検討すると,人権の重要性,プロセス的理解,裁判所の能力などは, やはり何れも単独では二重の基準論を説明をできないように思われる。何れに も,有力な反論が待ち構えていた。司法審査基準が二段階になる必然性は,単 独ではどれにも)sかろう謝。だが,にも拘わらず,二重の基準論が信じられて いることを再認識すべきである。また,奇妙なことに,ζれらの結論に殆ど差 がないのである。多くの学説は,理由は多少異なるものの,これらを重層的に 用いて,「二重の基準の理論」を「日本の学説の圧倒的多数は日本における違 憲審査の枠組みとして妥当すると主張してきた」SOのであった。「学界の多数 説は実体・機能併用論であ」って,「学説の主要な対立は,実体論,機能論の 6.
(7) 二重の基準論の根拠について. いずれに重きをおいて『二重の基準』論を理解するか」55)になっている。特に. 通説的見解は,従来から,そして今も,そのような傾向にある。そう考えるこ とは,「無頓着」との批判調はあろうが,結論に大差はない以上,まずは大枠 としては是認できると考え,議論を,これをどのよ・うに正当化することが説得 的か,という方向に進めることが望ましいように思われる。. つまり、二重の基準論を考えるに当たってはピ実体的価値論が重要であろう が,他方では,「憲法上,’どの機関が,どのようrに,この価値を保障すべきか. が問題になる」57)とも言わざるを得ない。高い価値を有する権利・自由がある. として,政治部門の判断を優先すべきか,司法権の判断を優先すべきかには, また別の考慮が必要である。裁判所と政治部門の憲法解釈「のあり方は一一Skさ せるべき」56)だとしても,それが分かれたときどうするのかは大きな憲法解釈. 問題である。憲法訴訟論の言葉を用いれば,当該権利・自由の侵害を政治部門 が行い易いという判断があって初めて,厳格度の高い司法審査基準が要求され るものであり,逆ならば逆である筈である。中には,「政府提出立法」が「内、 閣法制局の厳しい事前審査(違憲審査を含む)を経ている」ことを,最高裁の意 見判断が少ない一つの理由とする見解・9)もあるが,行政の一部門の主として手. 段審査に対して司法が謙譲を示すべきかどうかは,やはり別問題であると思わ れる。憲法の必ずしも予定していない内閤法制局の在り方によって,憲法訴訟 の在り方が大きく変化するという帰結も,あまり説得的ではないdその意味で,. 総合的に,「表現の自由と経済的自由との間における人権制約原理の違い(積 極的規制の拒否論)を実体諭として指摘したll ,民主的政治過程論を実態論的に 主張したりすることは,依然として可能である」f・・)ように思えるのである。. 結局,精神的自由規制に厳格審査が妥当するのは,自由民主主義社会を支え る人権であり,歴史的に見ても権力による恣意的な侵害がされ易くfi1),民主主. 義社会であっても多数派がそれを行うことは特に許されず,行ったときの被害 は甚大であるので,精神的自己決定を行つた少数者がその権利を行使できるこ とを,政治的判断等を排し,権利保護を任務とする司法権が擁護せねばならな 7.
(8) 横浜国際経済法学第16巻第ユ号(2007年9月}. いからである。だからこそ,権利保護は選挙を待っての議会多数派の形成では なく,速やかに司法的に保障することが求められるとも言えるG2}。そして経済. 的自由規制についてはその逆であろう。多くめ人は経済的自由の方に関心があ り,その意思が固まればこちらが政局を揺るがし,結果として権利回復が政治 過程によって容易になされるのである劇。財の配分が問題であるとき,少数の. 権利主張で物事が動かなくなる1とは望ましいことでもない。これは民主的政. 治過程に委ねるのが相応しV澗題である6㌔これもあって,司法的介入は謙抑 的であるべきだと思われるのである。二重の基準論はこのような形で正当化で きるし,それが多くの法学教育の洗礼を受けた人の感覚にも合致しよう。. しかし,このような二重の基準論とは異なる基準を提唱する見解もあった。 香城敏麿判事は,「内容の弊害に着目した規制の問題」と「行動のもたらす弊 害に着目した規制が憲法上許されるかどうかといった問題とでは,等しく二重 x の基準の議論に立ち精神的自由について厳格な基準が必要だとする立場に立つ 場合でも恐らく具体的な基準に自ずから違いがあることは承認されるだろう」 から,「積極的規制と消極的規制の区別を最初に考慮してみることが考え方を 整理する上で非常に有益」だとして、L 1いわゆる香城理論を提唱していたli5) 。判. 例の立場は,表現内容規制と経済二的自由の消極’目的規制で審査基準が厳しく, 表現内容中立規制と経済的自由の積極目的規制とで緩いと分析できるCiCi}。この ため,この主張は判例に忠実であり,「国会や内閣の政治的判断’(統治行為),. 国権の最高機関とされている国会(立法部)の立法裁量(特に専門技術的裁量) について注意深くかつ用心深い態度」°「)を「まことによく代弁する巧妙な構成 である」[B)と皮肉られるほどであった。. そして,それに対しては,通常表現内容規制と考えられる戸別訪問規制が中 立的あるいは付随的規制になるのではないかGO},公務員制度や税関制度さえ付 随的と評価されるのではないか7°,,付随的規制と決められると簡単に合憲化さ’. れるのではないか71),規制が賢明か否かにすり替えられているのではないか靴 そもそも人権の性質の違いが第一であるべきではないか7;;,精神的自由につい 8.
(9) 二重の悲準論の根拠について て積極的規制などは考えられてこなかったのではないか7・:)などの批判が続出し. た。ということは,「直接的規制に厳格な基準,付随的規制に緩い基準という 表現の仕方がややミスリーディング」75}だったということなのであろう。そレ. て,そもそもこの考えに従えば,問題なのは権利ではない。規制が積極的か消 極的かなのである。それは,政府の規制意図・目的は問題とするか,効果,つ まり規制を受ける側の損失や衝撃を考慮しない枠組である。言い換えると,人 権の重要性や性質,デリケートさを黙殺したものである。延いては,憲法上に 明文の人権規定があるか否かですら関係ないものとなろう。裁判所が違憲と言 うべきか否かの基準は憲法にあると言うべきであり,司法審査基準はまずは人 権毎に憲法上決まっているのではなかろうが6j eしかも,この枠組によれば,. 経済的自由規制についての文面違憲や,精神的自由規制に対する統治行為論で すら是認される危険1生もある。そのようなことは1多くの想定するところでは f$Yi。特に後者は重大な問題である。香城理論は,およそ立法や政府行為が適 切か,優秀かなどを測る基準ζしては理解できるが,人権規制の合憲性判断の 枠組として妥当なものだとは言い難いものだったのではなかろうか。そうであ るならば,このような考えで説明できる「最高裁の現在のような違憲審査権の 運用を簡単に是認するわけにはいかない”)」ことにもなろう7S)。. 結論としての二重の基準論の有力な代案は示されていない。これに対する批 判も,殆ど反論されたと言えよう。その基本的な考え方は妥当なものとして受 容されたと言ってよいと思われる。. おわりに 以上のように,二重の基準論は,単一の理由からではなく複合的に説明され,. 日本国憲法の解釈として説得的に維持できるものである。そしてやはり,司法 審査基準の厳緩を決めるものは,それがいかなる憲法上の権利の問題かであろ. 9.
(10) 横浜国際経済法学第16巻第1号(2007年9月). う。しかも,香城理論をほぼ学界一致で排撃した今,権利横断的な線引きがな されることは疑問である。また,規制する立法や政府行為を裁判所が疑うか疑. わないかであれば,ベースとなる基準は文字通りに2つと考えるのが素直と思 える。つまり,人権の種類によって,司法審査基準は2種類に分けられるのが 素直な理解である筈であ1る。1そうであれば,憲法学界でありがちな,過剰に哲 学的な論争は最早止める「きであろう。. しかし,よく知られているように,多くの学説は「二重」の基準論と言いつ. つ,実際の司法審査基準を3つ以上にしているのである。果たしでそこに憲法 上の根拠や必要性,妥当性,そして正当性はあるのか。これを解明することが 筆者の次の課題である。 . 1)大須賀明ほか編「三省堂舐法事典』383頁(三省堂,2001)[浜田純一]。. 2)加えで.粘帥的自由には外在的・政策的・杜会国家的制約が及ぱないが,経済的自由につい. てはそうではない,という点も併せて理解されていよう。中谷実謂「ハイブリッド竃法」 110頁{勘草書房,1995)[君塚正臣]。 3〕田中英夫紹集代表「英米法事典」275頁(京京大学出版会,199エ)。. 4〕更には,川岸令和「二重の基準」法学セミナー605号14頁(2005)参照。 5)伊藤正己1ま力膚岳「憲法ノ」、]1P』」↓』274頁{有斐‖匪, 1975)0. 6)例えば,小秣直樹「憲法保障と載判所」法学セミナー増刊「現代の裁判」31頁(日本評論社,. ユ984).長谷川正安「憲法判例研究」法律時報57巻6号23頁(1985),大久保史郎「憲法裁. 判と憲法訴訟論上」法律時報70巻1号42頁(1998)など。 7)例えば,浦部法穂ほか「座談会・癌法と悲法訴訟論」法学セミナー52ユ号2呂頁,29頁(1998) [捕部発言]など。. 8)例えば,浦部法穂『違憲審査の基準』3年38頁(勤草沓房,1985),奥平康弘「最高裁判所の. i現在と行方上・下j法律時報7⑪巻1号6頁,2号74頁(1998)など。 9)大久保前掲註6}論文43頁。 10)癖部ほか前掲註7)文献32買[江橋崇発言ユ。. ID河上49頁[野中俊彦発言].続いて,「私は,もうとっくに幕を下ろしてしまっています」 などの藏部発言,「場外乱闘を始めている」という江橋発言がある。. 12)訟本和彦「公法系科目論文式試験の問題を解説一公法系科目〔第1問〕の解説と解答例」法 セミ増刊『新司法試験の掲題と解説2006』23頁,26頁(日本評論社,2006}。 13)捕観;ほか前揺詫7)文献34頁[浦部発言]。. 王4)藤井佐主「憲法訴活誰批判’雑感」杉原索雄=樋口陽一細『胎争憲法学」292貰,2呂3頁. 語.
(11) 「二重の基準論の根拠について」. (日本評謝土,1994)・ Ir 15)藤井俊夫「経済規制と違憲審査』’17頁(成文堂,1996)。. 16)和田英夫「最高裁判所」公法研究35号1頁,14頁{1973)。 17)小林武「癒法分野における実務と学説」法律時報79巻1号33頁,36頁(2007)。, 18)憲法訴訟論一般ではあるが,芦部信喜『人権と窟法訴訟』135136頁(有斐閣,1994}参照。 19)主に,高橋和之、『現代立憲主義の制度排想}』188頁{有斐田,2006)による。但・し,プロセ. ス法学の立場に立つ説も,憲法14条1項後段列挙事由に基づく差別については,「代表者が これらの少数者の利益を適切に代表することを拒否してしまうため,裁判所による厳格な審 査が正当化される」と述べている。松井茂記『日本国憲法」〔第2版〕367頁(有斐摺,2002)。. この立場が手放しの民主主義礼賛論でないことには注意を要するべきである。 20)奥平康弘rなぜ「表現の自由」か』64頁注18(東京大学出版会,1988}。 21)戸松秀典「癒法価値の具体的実現」法学教室253号31頁1,33頁{2001)。.. 22)例えば,棟居快行「人権論の新構成』241頁以下(信山社,1992)参照。 23)佐藤幸治『憲法」〔第3版〕371頁{青林書院,1995)。. 24)芦部信喜「癒法学Ij 218頁(宥斐闇,1994)。君塚正臣編『ベーシックテキス’ト憲法』60 頁一(法律文化社;2007)[早瀬勝明]はこの傾向を帯びている。 25)奥平康駆、「憲法皿』161頁(有斐閣,1993)。. 26)初宿正典「憲法2」〔第2版〕248頁(成文堂,2001)。. 27)戸松前掲註21)論文42頁。但し,同r憲法訴訟」19∪191頁(有斐翻,2000)は,「最高裁 判所は,表現の自由が人権の中でもとりわけ鵠い価値のものであるとの理解をしている1と 述べているが,同書410頁は,表現の自由に厳格…辞査をする「コンセンサスが形成されてい ない」とも指摘している。. 28)例えば,中山勲「遮憲審査における厳緩について」阪大法学39巻3=4号279頁,289頁 (1990)。. 29)碧海純一編「現代日本法の特質」65−67頁(放送大学教育振興会,1991)[井上達美]。森村 進『財産権の理論』150頁以下(弘文堂,1995),小針司「窟法講義{全)」〔改訂新版〕’29+. 295頁(信山社,1998),堀内健志『憲法」〔改訂新版〕107−108頁(信山杜,2000)など同 tO −L. 日o −. 30)市川正人「最近の『二重の基準論1論争をめぐって」立命大政策科学3巻3号3頁,12瓦 (1996)。. 31)椋居前掲註22}書242頁など参照6 、 ’一一 一 L 32)長谷部恭男「比較不能な価値の迷路」io1頁(或京大学出版会t 2000)。1. 33)君塚正臣「書評」閲大法学論集50巻1号214頁,224頁(2000)。 34)長谷部前掲註32)書104頁。 ’ ヤ ’・ 』 』 L 35)長谷部恭男=杉田敦『これが避法だ!J151頁(朝日新聞社芦2006)・[提谷部]b L. 36>304US.144(1938). . ’ ・ ’. 37)松井茂記「二垂の基準論i306頁以下(有斐闇,1994}。アメリカの櫃高裁判所や学説におけ’ るその展開については,同書9頁以下参照。 11:.
(12) 横浜国際経済法学第16巻第1号(2007年9月) 38)同上308頁’e. 39)同上310頁以下参照。. 40),芦部信喜ぎ憲怯訴訟の現代的展開』78頁以下(有斐闇,1981),長谷部前掲註32)書108頁 など参y,e.。 1. 4ユ)土井其・一「司法黎査の民主主義的正当性と「憲法』の概念」佐藤幸治還暦『現代立識主義と. 司法権jU3頁,136頁(青楮1ド院,1998)は,憲法制定の混乱期に実体的価値を規定する ことはある,と述べる。. 42)長谷部恭男「芦部信喜教授の斑法訴訟論」法律時報59巻9号33頁,34−35頁{1987)。 43)糠居快行「憲法学再論』402−403頁(信山社t2001}e 44)毛利透「表現の自由の公共性」自由人権協会編’「癒法の現在1265頁,267−268頁(信山社, 2005)凸 45) 中山i]訂言97言主28)’群量文2呂1−282頁参照ti − 1. 46)市川前掲註30)論文9頁。 47)楳居前掲註43)替410頁同旨か。 . ’. 48)市川前掲註30)論文9頁e 49)君塚前掲註33)文献224頁及び22&230頁。 50)毛利前掲註44)論文267頁e君塚1司上22牛225頁も参照。 51)中山前掲註28}論文283−284頁回. 52)松井前掲註37)書279頁。 53)藤井樹也r「施利」の発想転換』116頁(成文堂,1998}。. 54)市川正人「日本における述憲審査制の軌跡と特徴」立命館法学294号104頁,110頁{2004)。 55)内野正幸「「二亜の基準」論の位置づけをめぐって」法律時報61巻5号104頁,107頁(ユ989)。 なお,同誰文は,「理論的には,権趣分配論的要素を払拭させた純然たる実体論的r二重の 基準」謡が妥当である」としている。. 56)松井前掲註3力書275頁。 57)奥平前掲註20)書64頁注18。 58)内野前掲註55)論文107頁。 59)’園部逸夫「違憲審査の法理」法曹時報47巻11号ユ頁,29頁補注B(1995)。 60}内野前掲註55)請文107頁。 .. 61)長谷部前掲註32)書103頁同旨か。 62)山部晶子「「表現の自由』再考」明治学院大院法学ジャーナ1ル14号219頁,293頁(1999)。 同論文は前便なビラ配布などの活動を例に挙げている。 63)阪本昌成「二重の基準vs三重の基準」書斎の窓511号24頁,25頁(2001)凸. 64)長谷部=杉田前掲註35)書155頁[長谷部ユは,基幹産業の国有化政策も憲法違反ではない という。これには,多くの学説は私有財産制度は制度的保障だとするが,いかなる状況が癒 法違反であるのか,誰がそれを訴えられるのかなどについて,およそ誰も述べていないこと にも気付かされる。. fi5〕芦部信甚ほか「研究会・悲法判断の基準と方法」ジュリ7,ト789号14頁,22頁{1983}[香 12.
(13) 「二重の基準論の根拠について」. 城敏麿発言](Jy、下,芦部ほか前掲註65)1文献,と引用)。芦部信喜ほか「研究会・憲法判 例の30年」ジュリスト638号452頁,474頁(1977}[香城発言]’{以下,芦部ほか前掲註65). H文献,と引用)は,「直接的規制と付随的規制」と表現している。同文献473頁[杉原泰 雄発言]の,「経済的自由権であっても,薬事法の場合はまさにその消極的な場合が発動さ れたということになるから,二重の基準を崩してないのではないか」との指摘にも注意した いe 66)芦部前掲註18)11 437頁図など参照。 67)園部前掲MI 59)論文28頁。. 6S)奥平康弘「憲法訴訟の軌跡と理論」法セミ増刊「憲法訴訟』1頁,2頁(日本評論社, 1983)。 , 69)芦部ほか前掲註65)1文献28頁[戸松秀典・山川洋一郎両発言]。 70)芦部信喜ほか「研究会・癒法裁判の客観性と創造性」ジュリス]・ 835号6頁,9頁(1985)’ [芦部発言]。. 71)芦部ほか前掲註65)H文献476頁[芦部発言]。. 72)芦部ほか前掲註65)1文献30頁[時國康夫発言]e 、 73)同上33頁[川添利幸発言]。 74)芦部ほか前掲註70)文献12−13頁[佐藤幸治発言]。 75)同上工7頁[佐藤発言]。. 76)椋居前掲註22)vt 233頁。. 77)只野雅人r憲法の基本原理を考える』104頁(日本評論社,2006)。 78)「職業選択の自由及び財産権に対し,精神的自由と同格の厳格な違憲審査基準を認め」、主 体が法人(例えば巨大マスコミ}や公人(例えば政治家).か,私人,特に社会的弱者か,を. 加味して司法審査基準の厳緩を決めるべしとする圭張もある。藤井正希「二重の基準論の批. 判的検討及び再構成」早大院社学研論集7号152頁,166頁(2006)。しかしこれも,当該基 準設定の根拠が少なく,恣意的迎用の恐れが大きV㌔このほか,有田伸弘「違憲審査におけ. る『二重の基準論』再考」近畿大学法学48巻ユ号133頁,156頁(2000)は,この理論は 「連邦制国家故の理論だ」とするが,こうなると二重の基準論のE本への継受は困難と言わ ざる得ない。. [付記] 本稿はもともと,佐藤幸治先生古稀『国民主権と法の支配』(成文堂,未刊)のために. 執節された論説「二重の基準論の憲義と展開一『二皿」はr三重」ではない」の一・部であ った。しかし,規定の枚数を超過したため,前半部をここに独立させることとなった。本稿 は,上記刊行物掲載の拙稿の前段として御読み下されば幸いである。. 13.
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