Adam Bede と「現実的寓意」
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(2) るわけであるoなおABという作品は,一種の成功文学として仕事の福音がいわゆるラ イトモチーフの一つとなっている点からいえば, 4単に第一章だけでなく, ABの作品全 体と『労働』とのアナロジーを認めることも可能であろう。 しかしながら, ABとのアナロジーを問題にする場合,注目すべき点がもう一つあるO それは,ブラウンの『労働』が単なるリアリスティックな風俗画ではなく,アレゴリカル な風俗画だということである。つまり,個々の描写は極めてリアリスティックであるけれ ども,実はれっきとした寓意となっているのであり,同時代のフランスのリアリスト,クー ルベの言葉を借用すれば, 「現実的寓意」 {allegorie reelle, real allegory)となってい るのである。この言葉自体は,クールベの造語で,大作『画家のアトリエ』 (1855)に付 した副題「芸術家としての私の人生の七年間を規定する現実的寓意」において使用された ものである。その絵の中の一人一人の人物は「驚くべき真実味」をもって描かれている が,同時に,彼らはその具体的形姿において「自由,および,奴隷状態の象徴」となって いる0 5このように現実的なるものと観念的なるものの一体となった結合ゆえに,クール ベはその給を「現実的寓意」と名付けたのであった。同様に,ブラウンの『労働』も表現 の点では現実的人物や事物を用いてリアリズムを貫きながらも,額縁の四方に記された銘 文の存在が示唆しているように,そのリアリスティックな細部には意味が込められ,全体 として労働の尊厳と仕事の福音を説く,一種の「現実的寓意」となっているのであるOブ ラウンの詳細な自作解説によれば,画面の向かって左側と奥は「労働しない人々」を表 し,中央の道路工夫たちは額に汗して働く「外的で目に見えるタイプの労働」を象徴し, その右端で手すりにもたれている二人の人物(カーライルとモーリス)は「頭脳労働者」 を代表している. 6 クールベもブラウンも,現実の人物や事物をリアリスティックに措き込み,かつ,それ らに象徴的な意味を込めようとしたために,個々の細部に付与されている意味は時にかな り個人主義的なものとなり,画家の自作解説がなければ,誤解や唆昧さを免れない面を もっているoともあれ,クールベの場合は副題の存在が,ブラウンの場合には額縁の銘文 の存在が,それらの絵の鑑賞者に対して,一見リアリスティックな作品に込められた寓意 を読み説くように指示する記号,つまり読みのコードとして機能し,たとえその寓意は多 分に「個人主義的象徴法」 7と呼べるものを含んでいるとしても,少なくともそれらの絵 が一種の「現実的寓意」として了解されることを可能にしていたと言えよう。 II ABと「現実的寓意」 ところで, ABという小説は第17章の,語り手-GEによる有名なリアリズム宣言にも かかわらず,寓意的要素に富む,かなりの程度に一種の「現実的寓意」と解しうる作品で あるO本稿では,紙幅の関係上,その細かな分析は別稿に譲るとして,その要点だけを指 摘しておきたい。 8 先ず,注目すべきは「二つの寝室」と題された第15章である。この章は,従来リアリス ティックなモードを前景化した読解の立場から,その教訓性・道徳性の強さゆえに批判さ れてきた箇所であったが, D.L.Higdonも指摘しているように,この章の描写はQuarles のEmblems (1635) , Bk. Ill, Emblem 14ないしそのような寓意的な伝統に大いに依拠.
(3) したものであり,日常の現実世界の忠実な描写という意味でのリアリズムとは別の描写の 伝統を踏襲したものであることを認識する必要がある。 9しかし第15章の場合,アレゴリ カルな内容を含んではいても,個々の描写は細部に至るまで極めてリアリスティックに措 きだされている点を無視することはできないHigdonが指摘しているようにリアリステ ィックなモードを前景化した読みが不適切だとしても,アレゴリカルなモードを前景化・ 中心化した読みも同様に不適切だと言わねばならないOどちらか一方のモードに拠るので はなく,両方のモ-ドを前景化した読解がなされなければならないと言えよう。絵画との アナロジーで言えば,ブラウンやクールベの絵と同様,一種の「現実的寓意」として読解 されねばならないわけであるD しかも, ABにおける「現実的寓意」は第15章だけにとどまらない.先ず,第15章と並ぶ 典型的な「現実的寓意」の例として,第42章を指摘することができる。その章において, 嬰児殺しのかどで逮捕されたヘティの「公判の朝」 (第42章の章題) , 「深い言いようのない 苦悩」 (471)という「火の洗礼」 (472)をへたアダムにバートル・マッシーがパンと葡萄酒 を勧める行為は一種のサクラメントを意味する「現実的寓意」となっている。また, ABの 物語世界を大きく傭撤するならば,その背景を構成する二大世界-ストウニシャ-ニス ノウフィールド(Stonyshire-Snowfield)世界とロウムシャ--へイスロウプ(Loam:血ireHayslope)世界-は,その寓意的な名前とそこに込められた倫理的な特質ゆえに,そ のリアリスティックな描写の背後に,美術とのアナロジーで言えば,パノフスキーが ベイサ-ゞユ・モラリゼ 「倫理化された風景」 10と呼んでいる寓意的な伝統が窺える。 「別れ道の-ラクレス」や「ス キピオの夢」のような画題を扱った作品では,対比的な二つの風景が背景をなし,不毛の. 荒涼とした風景の方は美徳の道の険しさを,豊かな美しい風景の方は悪徳の道のうわべの 享楽的安逸さないしは快楽の快い喜びを,それぞれ象徴するものとなっている。それと同 様に,ストウニシャ-ニスノウフィールド世界は荒涼とした厳しさをたたえた,いわば石 (stone)と雪(snow)の町であるが,それ故に人間の苦悩に対しては鋭敏で, 「残酷で避け がたい運命」 (424)として同情する,心優しき一面を内包している.一方,ロウムシャ-ヘイスロウプ世界は豊穣で美しい,壌土(loam)と干し草(hay)の村であるが, 「パンに 事欠くこともない」 (134-35)その肥沃な豊かさの背後に, 「欠乏やぼろ服に対してほと んど同情することもない」 (424) ,無情な一面を内包している。そしてこのような倫理 的特質を持った二つの世界をそれぞれ代表するのが,第15葦でQuarlesのEmblemsの伝 統を踏まえて,それぞれ対比的に「肉なき魂」と「魂(精神)なき肉体」として表されて いた,利他的なダイナーと利己的な-ティなのである. 最後に,作品の題名が示唆している,この作品に込められた「神話形成的意匠」 (mythopoetic design)に注目するならば, ARはいわばGE流の楽園の喪失と回復(再 創造)を物語る「現実的寓意」と解されうるCというのも,この作品は,すでに触れたよ うに,職人アダムの世俗的成功を物語る一種の成功文学である, 12と同時に, U.CKnoepflエヴリマン macherが指摘しているように,人類の始祖の名を付与され,それゆえ,万人と見なしうる タイトル°キヤラクタ-. 主題役のアダムが,ヘティ- 「第-のエヴァ」と結ばれていた「第-のアダム」か ら,アーサー-ヘティ事件における-ティ- 「第一のエヴァ」の堕落を契機にして,他者 への憐れみに目覚めた「第二のアダム-キリスト」へと変身し,最終的にはキリストの花.
(4) 嫁である「第二のエヴァ(聖母マリア) 」 -ダイナーと結ばれてゆく一種の神話的物語と してとらえることができるからである。 13 このようにARの物語世界全体が,その基本的構造としては,リアリスティックなモー ドを基調にして,それにアレゴリカルなモードが巧みに寄り添い,融合した,かなりの程 度に一種の「現実的寓意」と解せるものとなっているのである。第15章のあからさまな教 訓性,主題役や背景をなす二大世界の寓意的名前の存在-これらは,クールベやブラウン の作品の副題や銘文と同様,読者に対して,この作品に込められた寓意を読み解くように 指示する読みのコードとして機能し,第17章のリアリズム宣言を脱中心化してリアリス ティックでアレゴリカルなモードを前景化していくと言えよう。 l∫l 「現実的寓意」の伝統とヴィクトリア朝の文芸思潮 ヨHXl- if*jj.*j^a. そもそも「現実的寓意」の伝統は, 「画かれた道徳」としてその風刺的な風俗画が人気 を博した18世紀英国のホガ-スから更にはそのホガ-スも影響をうけたとされる17世紀オ 一HanaりJEf>. ランダ風俗画にまで遡ることができる。細叙法と称されるリアリスティックな細部の描 写と読み取られるべきそこに込められた豊かな暗示性・象徴性をもつホガ-スの連作は ヴィクトリア朝英国の風俗画家たちに大きな影響を与えたと言われているものであり, 14 少なくとも英国人画家のブラウンには明らかにその影響が認められる0 15だが, 17世紀オ ランダ風俗画の場合, 「現実的寓意」という点では,ブラウンは言うまでもなく, 17世紀 オランダ絵画をとりわけ愛好していたクールベやGEに対しても,何ら直接的な影響を与 えたとは考えられない。なぜなら, 17世紀オランダ風俗画のもつ寓意性は18世紀になると 次第に忘れ去られ, 19世紀には一般に理解されていなかったからであるABの第17章で も表明されているように,当時は専ら「現実の鏡」の典型と考えられていたのであり,こ のような19世紀的なオランダ風俗画観が修正されるようになるのは,ようやく20世紀も後 半に入ってからである0 16それゆえ,今日の我々の日から見て初めて,クールベやブラウ ン, GEの認識を超えた深いレベルで,彼らの作品が「現実的寓意」としての17世紀オラ ンダ風俗画の伝統に連なっていることが知られるのである。 ARにおける「現実的寓意」の源を考える場合,むしろより注目すべきは,リアリズム とアt/ゴリーに対する当時(ヴィクトリア朝中期)の英国の文芸思潮の方であろう。前世 紀のフランスでは,英国とは異なり, 17世紀のオランダ・フランドル絵画が絶大な人気を 集めていた。だが,フランス革命やナポレオン戦争などの度重なる擾乱により,フランス の主だったコレクションが発売にかけられて四散し,その多くが英国にもたらされたoそ の結果, 19世紀前半には英国でいくつもの優れたオランダ・フランドル絵画のコレクショ ン(ピール卿,ヤーマス伯やブルジョア卿のコレクション等)が形成されるとともにその 展覧会も開催され, 17世紀オランダ・フランドル絵画の人気が不動のものとなり,とりわ け17世紀オランダ風俗画への強い関心が生じていたと言われている0 17すでに触れたよう に,現にGEもそうした17世紀オランダ絵画,特にその風俗画の愛好家の一人だったわけ である。とはいえ,当時, 「現実の鏡」の典型としての17世紀オランダ絵画が広く一般的 認知を得ていたと考えるのは間違っていよう.当時の美術界の一般的状況としてはアカデ ミズムが主流を占めてリアリズムと衝突し, 「ただ目に映じたものをデッサンしたり絵に.
(5) 表すことは卑俗だ」 18とされていたからであるoそれゆえ,ラスキン-彼自身は決して オランダ絵画を高く評価してはいなかったけれども-は, 『近代画家論』の第三巻 (1856)においてレノルズ卿の「頭の働きの最も遅い人が常にきっと一番良く成功する」 機械的模倣に秀でたものとするオランダ絵画批判に抗してオランダ派のリアリズムを擁護 する必要があったのであり, 「日に見えるものしか描かない」という徹底した信念の持ち 主であったクールベもまたフランスにおいて有名なリアリズム宣言( 「私の生きている時 代の風俗,理念,動向を私の評価にしたがって翻訳すること,すなわちひと言で言えば, 生きた芸術をつくること」 [1855] )を行う必要があったのである。 19美術界と同様,リ アリズムは文学界においても,未だ広く一般的認知を得るにはいたっていなかったOそれ ゆえ,そうした状況に異を唱えるべく, TrollopeはThe Last Chronicle of Barset (1867)の第84章やThe Eustace Diamonds(1873)の第35章などでレンブラントの絵や アーサー王のような人物をそれぞれ肯定的,否定的例として提示し,英雄的なものを期待 する当時の読者に,自己のよって立つリアリズムの立場を公にする必要があったのであ り, GEの場合は処女作"TheSadFortunesoftheRev. AmosBurton (1857)の第5 章で「フィクションにおいて理想的な人物の方を好む」ファージンゲイル夫人を, ABの 第17章で「高尚な心をもった人々が軽蔑するオランダ絵画」を,それぞれ否定的,肯定的 例として提示し,公にリアリズム宣言を行う必要があったのである。 20 一方,当時主流を占めていたのは,通常リアリズムの対立的概念としてとらえられるこ との多い,アイディアリズムと呼ばれる理想的・観念的なものを重んじる立場である。こ の用語は,狭義に理想的なものを重んじる場合には理想主義,広義に観念的なものを重ん じる場合には観念主義,と訳すことが可能である。リアリズムの立場を擁護する TrollopeやGEがその作品中で公に問題としていた,小説における英雄的・理想的人物を 好む,当時の読者大衆の通俗的・慣習的趣味とは,まさにこの理想主義の所産に他ならな い。しかもTrollopeやGEがその問題を繰り返し公にしなければならなかったというこ とが,当時の文芸趣味における理想主義的な傾向の根強さをよく物語っていよう。そし て,観念主義の所産と目されるのがアレゴリーであるO当時アレゴリーは,伝統的な寓意 文学や寓意画,寓意像といった形で,広く親しまれていた。例えば,バニヤンの The Pilgrim's Progress (1678)は,福音主義と安息日厳守主義の普及と相まって,ヴィ クトリア朝初期には家庭の必読書となっていたGE自身も幼い頃愛読し,成人してか らもABが出版された年の11月に再度読み返して感銘を新たにさえしている. 22また, すでに触れたQuarksのEmblemsはGEが一度ならずそれへの好みを示している本であ るが,ヴィクトリア朝においてその好みは決して例外的なものではなかった。というの ち,この本は1635年に出版されて以来300年間に,少なくとも42版を数えたと言われる超 ロングセラーであり,英国のエンブレムの本の中ではずば抜けて人気の高かった本だから である18-19世紀においては特に非国教徒たちの間に人気を博し,版を重ねていっ た。 23厳格な福音主義者の家庭で育ったラスキンがその少年時代,日曜日に読むのを許さ れていた本というのがこのQuarlesのEmblemsであり,上述のThe Pilgrim's Progress であったことは有名である。 24 とりわけ美術の分野では,寓意の使用が16世紀の黄金時代をへて19世紀後半にヨ-ロツ.
(6) パで再び特に活発になる. 25専ら英国に関して,しかもABが執筆・出版されたヴィクト リア朝中期を中心にその例を見ていくならば,まず彫刻・装飾美術類ではその代表例とし て1862年の第二回ロンドン万国博覧会で絶賛されたモンティの『悲しい眠りと幸せな目覚 め』 (1861 ;死者の復活あるいはリソルジメントの寓意)や女王がアルバート・ヴィクタ王子に贈った洗礼用杯(1864;コーポウルドの図案,ウイリアム・シードの彫刻に基づく もので台座に信仰,希望,慈愛を示す彫像が彫られている)を挙げることができる。 26絵 画では19世紀中葉に結成され,リアリズムの主唱者ラスキンが精力的に擁護したラファエ ル前派(ブラウンは正式メンバーではなかったが,この一派と親しい交友関係にあった) 及びその第二世代の後期ラファエル前派に,ホルマン・ハントの『ェジプトの夕映え』 (1854-63;豊穣の寓意)やバーン-ジョーンズの連作『四季』 (1869) ,ロセッティの 代表的なファム・フアタルの肖像『レイディ・リリス』 (1864-68,1872-73に加筆;男を滅 ぼす女の力の寓意)をはじめとして寓意的な絵画を認めることができる。 27当然のことな がら,当時主流をなしていたアカデミー派の絵画では寓意的な主題がしばしば好んで描か れていた。再建されたウェストミンスター宮殿の内壁を飾ったマクリースの『騎士道の精 神』 (1846-47,油絵版は1845年頃;擬人化された精神の周りに教会,信徒,諸芸を表す者 が集まっている)やウイリアム・ダイスの『信仰』 (1851)のフレスコ画をはじめとし て, 28ワッツの『時と忘却』 (1848)や『希望』 (c.1870,1886) ,レイトン卿の『燃え 立つ6月』 (1895)等をその代表例として挙げることができる。また水彩画の部門でも女 流画家マーガレット・ギリス(1803-87)による『信頼』のような一連の寓意的作品が大変 な人気を博し,しばしば版画にされて広く一般に出回っていたのであった。 29写真術が発 明されたのは正式には1839年とされているが,すでに40年代からアレゴリカルな作品がい くつも試みられていた0 30特に, ABが出版される二年前に発表されたO.G.レイランダー の合成印画による大作『人生の二つの道』は,当時大評判となって高い評価を得,ロイア ル・コレクションにもなった作品であるOヴィクトリア女王がアルバート殿下のために購 入し,殿下はそれを自分の書斎に飾っていたと言われている。 31ヴィクトリア朝の王室は 当時の英国民の趣味の先導者であり代表者であるという一面をもっていたことを鑑みれ ば,このことは当時の寓意的なものに対する時好の強さを如実に物語るものと解せよう。 しかも興味深いことに,画面中央のソクラテス髭をはやした老賢者が,両側の若者に,そ れぞれが進もうとしている美徳と悪徳の道を示しているこの寓意的作品は,明らかに,先 にABにおける「倫理化された風景」を説明した際にふれた「別れ道のヘラクレス」の モティーフを踏襲したものであり,ルネサンス及びバロックの時代にとりわけ愛好された この伝統的なモティーフが変形をこうむりながら19世紀中葉にも生き続けていたというこ とが知られるのである。レイランダーはH.P.ロビンソンとともに英国の二大合成写真家 として知られている人物であるが,この作品にも見られるように,合成印画派の作風は, 主として主題が道徳的・寓意的であるのを特徴とし,当時かなり流行した一派だったので ある. 32最後に,工芸・大衆美術においてもやはり寓意的な作品が愛好されていた.一般 に,ヴィクトリア朝中産階級の部屋のマントルピースの中央を飾ったのは擬人像を配した マントル・クロック(mantelclocks)であったし,農家の部屋を飾っていたのも擬人像を 配したシェルフ・クロック(shelf clocks)や神学的徳である信仰,希望,慈愛を寓意的に.
(7) 表した陶器の壁飾りなどだったのである。 33 このように,ヴィクトリア朝中期において,理想化・観念化を排して日常の現実をあり のままに描くことを目指すリアリズムは,ラスキンやGEのその擁護論に見られるよう に,前衛的で急進的な立場を表し,アイディアリズムに属するアレゴリーは伝統的で保守 的な立場を表すものとして,対立しながら共存していたのである。リアリズムとアレゴ リーが表裏一体となった「現実的寓意」とは,当時の文芸思潮におけるこの多分に相反的 な二つの流れ,リアリズム派とアイディアリズム派を折衷したものと見なすことができよ う。とすれば,ブラウンやGEの「現実的寓意」の直接的源は,彼ら自身がその中に身を おいていた当時の文芸思潮そのものの中に兄いだすことができるわけである。 カウンタ-カJレチヤ-. しかも,当時,リアリズム派が前衛的で対抗文化的であり,アイディアリズム派が伝 統的で支配文化的であるとすれば,この折衷派34とも称すべき「現実的寓意」は,特に風 vM/lftlE 俗画の分野において,当世的で下位文化的と言える一派を形成していたと見なせるようで ある。というのも, 「現実的寓意」はヴィクトリア朝において隆盛をみた,広くナラテイ ヴ・ペインティングと称される,物語性に富む,現代生活の-こまを描いた一種の風俗画 の中にしばしば見受けられる特性だと指摘できるからである。先に簡単に触れておいたよ うに,ホガ-スの大いなる影響下にあったのがこれらの画家なのであった.実はブラウン の『労働』もそうしたナラテイヴ・ペインティングの一例と見なせる作品である。この他 にもハントの『良心の目覚め』 (1853-54)やロセッティの『発見』 (1853年着手,未 完) ,ホガ-スの『当世風の結婚』のヴィクトリア朝版とも言えるエッグの連作『過去と 現在』 (1858)などをその代表例として挙げることができる。それらの一見スナップショッ ト風な現代生活の情景で暗示されている物語には,細部に宿る意味によって読み解かれる べき,どちらかと言えば体制順応的な道徳的・教訓的メッセージが込められ,それらの絵 は全体として,一種の「現実的寓意」と見なされるアレゴリカルな風俗画となっているの である。 35物語性をもった風俗画という通俗的な形で,ヴィクトリア朝の相反的な二つの 文芸思潮を折衷的に満足させて提示したところに,ナラテイヴ・ペインティング隆盛の理 由の一斑が求められよう。その意味では,ナラテイヴ・ペインティングの隆盛の中に,ま さに当時の文芸思潮の縮図が兄いだされるのである。 以上見てきたように,当時の二つの相反的な文芸思潮を折衷した「現実的寓意」という 点で, ABには広く同時代の下位文化的なナラテイヴ・ペインティングとのアナロジーを 認めることができるように思われるOただし, 「保守的改革家」 (conservative-reformer) と呼ばれ,また「社会改良主義者」 (meliorist)と自認していたGEの場合, 36漸進的 な社会改革を目指し,その小説中に時代のエトス批判を内在させているゆえに, 37いわゆ る体制順応的な内面化(internalization)の要素がより希薄である。その点に, ABとナ ラテイヴ・ペインティングとの重要な相違を認めることができるであろう。いずれにせ よ,結論として,ヴィクトリア朝絵画における「現実的寓意」という共時的な観点から言 えば, ABは単にブラウンの『労働』だけでなく,ひろく当時隆盛をほこったナラテイ ヴ・ペインティングとのアナロジーを指摘することが出来るわけであるOそして,それら ヴィクトリア朝の「現実的寓意」は,当時の多分に相反的な二つの文芸思潮-リアリズ ムとアイディアリズム-の折衷の所産として,その意味ではまさに時代の文芸思潮を縮.
(8) 図的に表すものと言えるばかりでなく,適時的には18世紀のホガ-スからさらにはヴィク トリア朝人の認識を超えた深いレベルで17世紀オランダ風俗画の伝統とも結ばれているも のなのである。 IVコーポウルドの二枚の絵 最後に,以上見てきた点を踏まえながら, ABを愛読したヴィクトリア女王がE.H.コー ポウルドに描かせた二枚の水彩画(1861)を簡単に見ておきたい。 それらの絵の一枚( 『へイスロウプ・グリーンで説教するダイナー・モリス』 )は, AB の第2章の場面,囲いをしていない共有地グリーン広場で説教しているダイナーを描いた ものであるo手を広げて説教をしている,中央のダイナーの周りを取り囲むように,前景 には説教に聴き入る村人や子供達,メソジスト教徒達の姿が描かれ,その背景にはヘイス ロウプ村の緑豊かな田園風景が描かれている。他の一枚( 『ミセス・ポイザ-の酪農室で のヘティとキャプテン・ドニソーン』 )は,第7章の場面,バター作りをしているへティ の姿を描いたものである.様々なバター作りの道具に囲まれた, 「白くふっくらとした」 (196)腕をもつ美しいへティを中心に,その少し後方で彼女のバター作りを眺めている アーサー,そして更に後方,彼の後の戸口を通してトティを抱いたミセス・ポイザ-の姿 が描かれている。 その水彩画としての芸術的価値の問題はひとまず置くとして,ここで注目したいのは, これらの給が,物語すなわちABのテクストをかなり忠実に絵画化したものであり,そ の情景がヴィクトリア朝の生活ではなく一昔前のジョージア朝の庶民の日常生活であると いう点を除けば,文字通りナラテイヴ・ペインティングと見なせるということである。し かも,これらの絵の鑑賞者は,単に戸外と室内,人々の集まった公共の場と-農家の私的 な作業場,等々といった,選ばれたテクストが自ずと課す,表象のレベルでの造形的対比 に気づくばかりではないo ABの物語を知っている者ないしは少なくともその物語をかな り先の方まで読み進んだ者ならば,これらの場面の中心的人物である二人の女性-ダイ ナーとへティ-によって表される,外の社会に開かれた利他主義と自閉的な利己主義の 道徳的対比が,公けの戸外と私的な室内という対比的な空間設定の示唆する象徴性とも相 まって,明確に認識されることであろう。そしてその教訓性は,画中の二人の有閑階級の 男性-ダイナーの後方に認められる馬上の紳士と乗馬用鞭を手にして立っているアー サー-の対比によって,一層強められる。馬上の初老の紳士は,物語の後半で分かるよ うに,ストウニトンで治安判事をしているタウンリー大佐であり,彼は獄中の-ティをダ イナーが訪れるのを許可してくれる仁慈に富む寛大な人物として,心の葛藤に負けてティを誘惑し転落させてしまうアーサーとは対比的な,ノプレス・オプリジェの鑑という 側面を持っているからである。つまり,これら一対の絵は,小説に登場する現実的人物の 組み合わせによる一種の寓意画として鑑賞されうるわけである。そして一層興味深いこと には, ABの物語を個人的に知っていなければ,その寓意の詳細はそれ程明白ではないと いう点で,まさにブラウンの『労働』に近いタイプのアレゴリカルな風俗画となっている のであるo ABを愛読していた女王がこれらの絵を「現実的寓意」として鑑賞していたこ とは間違いない。いや,むしろ,物語を知っている者にとって明らかに利他主義と利己主.
(9) 義の遺徳的対比を内容的に持つものと見なせる一対の場面を描かせたという点で,女王は 「現実的寓意」というARの基本的構造を確かに見抜いていたと評すべきであろう。 このように,時代の趣味の先導者・代表者でもあった女王が描かせたコーポウルドの二 枚の絵は,当時の読者の中に,たとえ「現実的寓意」という言葉は知らなくとも, ABを そのようなものとして鑑賞していた人々がいたことを雄弁に物語る-証左となっているの -r*>るL, 注 1 Hugh Witemeyer, George Eliot and the Visual Arts (New Haven and London: Yale UP, 1979) 106-107; J. Ressell Perkin, A Reception-History of George Eliot's Fiction (Ann Arbor and London: UMI Research Press, 1990) 33. 2 George Eliot, Adam Bede (Harmondsworth: Penguin, 1980) 50.以下, AB からの引用はこの版により, ( )内の数字はその頁数を示す。 3 George Eliot, letter to John Blackwood, 30 January 1877, The George Eliot Letters, ed. Gordon S. Haight, vol. 6 (New Haven and London: Yale UP, 1954) 335.. 4, 12, 37拙論, 「成功文学としてのAdam Bede」 , 『兵庫教育大学研究紀要』 第15巻第2分冊(兵庫教育大学, 1995):60-68を参照。 5ベネディクト・ニコルソン, 『クールベ画家のアトリエ』,阿部良雄訳(みす ず書房, 1978) 67. 6 『労働』に込められた意味に関しては, Ford M. Ford, Ford Madox B,れフuJn (London, 1896; rpt. NewYork: AMS, 1972) :189-95 ;高橋裕子・高橋達史, 『ヴィクト リア朝万華錬』 (新潮社, 1993)第3章を参照。 7阿部良雄, 『群衆の中の芸術家』 (中央公論社, 1975) 115. 8詳しくは,拙論「Adam. Bedeの第15章:特仁D. L. Higdonの分析に関連し て」 , 『言語表現研究』第12号(言語表現学会, 1996) 19-28及び「Adam Bedeの第15 章と17世紀オランダ絵画」と題して執筆予定の別稿を参照。 9 David Leon Higdon, The Iconographic Backgrounds of Adam Bede, Chapter 15, Nineteenth-Century Fiction 27 (1972) : 155-70. 10 Erwin Panofsky, Studies in Iconology (New York: Harper, 1972) 64. ll Cf. Northrop Frye, Anatomy of Criticism (Princeton, New Jersey: Princeton UP, 1957) 140. 13 U. C. Knoepflmacher, George Eliot's Early Novels (Berkley: U of California P) 90-91, 109-12.. 14桜庭信之, 『絵画と文学・ホガ-ス論考』 (研究札1964) 50-51, 107-10; Witemeyer 120. 15ブラウンはホガ-スを「英国絵画の父」と呼んで称えているし,彼の『労働』は ホガ-スの街景絵画に大いに拠っていると指摘されているoまた,ブラウンやロセッティ が中心になって組織した展覧団体は,この画家に敬意を表して,ホガ-ス・クラブ(1858 -61)と呼ばれていた(See Teresa Newman and Ray Watkinson, Ford Madox.
(10) 10. Brown [London: Chatto&Windus, 1991) 43, 75, 113.)一方, GEの場合,その書簡集 をみても, G. H. Lewesが書いたものの中に一度だけホガ-スへの言及が見られるだけで あり,ホガ-スのGEへの影響に関しては,目下のところ,筆者には詳かではない。 (See G. H. Lewes, letter to John Blackwood, 5 May 1858, The George Eliot Letters 8 :205.) 16高橋達史, 「失われた『意味』を求めて-17世紀オランダ絵画の解釈の歴史をめ ぐって「」 , 『世界美術大全集』第17巻(小学館, 1995) 402; HannaBenesz, MutePoetry: Concealed Meaning in 17thCenturyDutchPainting, 『華窟なるバロック絵画:ワルシャ ワ国立美術館展』 ,千足伸行監修(展覧会カタログ,熊本県立美術館ほか, 1992) 37, 42nn3-6を参照. 17谷田博幸, 「ヴィクトリア朝の絵画と社会」 , 『世界美術大全集第21巻レア リスム』 (小学館, 1993) 223-24. 18 Kenneth Clark, Landscape into Art (New York: Harper, 1976) 164. 19 John Ruskin, The Complete Works of John Ruskin, ed. E. T. Cook and Alexander Wedderburn, vol. 5 (London, 1903;Tokyo: Hon-no-Tomosha, 1990) 11843;高階秀蘭, 『近代絵画史(上) 』 ,中公新書(中央公論社, 1975) 63-72. 20 TrollopeとGEのリアリズム論に関しては,拙論「George Eliotのリアリズム 論とAdam Bede」 , 『兵庫教育大学研究紀要』第15巻(兵庫教育大学, 1997年3月発行 予定)を参照。 21 Richard D. Altick, The English Common Reader (1957; rpt. Chicago and London: U of Chicago P, 1983) 36, 116, 220, 255, 265; Amy Cruse, The Victorians and Their Reading (Boston: Houghton, n.d.) 17, 286-94, 421. 22 Gordon S. Haight, George Eliot (1968; rpt. Oxford: Oxford UP, 1978) 7; George Eliot, journal, 25 November 1859, The George Eliot Letters 9:346. 23 Gordon S. Haight, "The Sources of Quarles's Emblems," The Library 16 (1936) : 188-89.なお19世紀に出版されたQuarlesのEmblemsは, Allibone's Dictionary of English Literature and British and American Authors (London, 1891; Tokyo: Honno-Tomosha, 1990)によれば, 1812年版, 1816年版, 1818年版(二種蕪) , 1823年版, 1824年版, 1825年版, 1839年版, 1845年版, 1854年版, 1857年版, 1858年版, 1860年版, 1865年版(二種類) , 1868年版の計16版を数えるようである。それに1880年にはH. Bennet とW. Harry Rogersによる新しいイラストのついた版が出版されている(The Con砂Iete Works in Prose and Verse of Francis Quaγies, ed. Alexander B. Grosart, vol.2 [1880;. New York: AMS.1967]ので,少なくとも19世紀には17版が出版されていることにな るoまた, GEのQuarlesのEmblemsへの好みを示すものとして, ABの第15章のほか に, 1864年7月GEがMrs. Richard Congreveに宛てた手紙の中でのQuarlesの Emblems, II, 1あるいはHieroglyphics, 7への言及およびMiddle-march (1871-72)の第 21章でのEmblems, I, 12に由来するイメージの使用(Gordon S. Haight, ed, Middle-march, GeorgeEliot, Rivereside edつBoston: Houghton, 1956] 156nl)を指摘することができる。 24 John Ruskin, The Complete Works of John Ruskin 35: 13,72,128,490. 25若桑みどり, 「太陽を持つ女-寓意と象徴の女性像」 , 『全集美術のなかの.
(11) ll. 裸婦第7巻寓意と象徴の女性像I』 (集英社, 1980) 13;ジャン・マ-シュ, 『ラファ エル前派画集「女」 』 ,河村錠一郎訳(リブロポート, 1990) 123. 26 『全集美術のなかの裸婦第7巻寓意と象徴の女性像I』 9;RobertRosenblum and H. W. Janson, Art of the Nineteenth Century (London: Thames and Hudson, 1984) 316-17;マーク・ジルアート, 『騎士道とジェントルマン』 ,高宮利行・ 不破有里訳[三省堂, 1986] 126. 27ラファエル前派の寓意的絵画については,マ-シュの前掲書第8章「寓意と偶 像」 ;高橋裕子, 『世紀末の赤毛連盟』 (岩波書店, 1996) 109-10を参照。 28ジルアート121-23;谷田博幸, 『ロセッティ』 [平凡社, 1993] 129-31. 29 『イギリス絵画の350年』 ,故池上忠治総合監修(展覧会図録,大丸ミュージア ム東京ほか, 1995) 193. 30早くも1843年(一説には1845年)にアメリカ人のJohn Edwin Mayallが「主の 祈り」を例解する写真を作成し,数年後その作品がロンドンで展示されて賞賛を博してい る。また,世界最初の写真展となった1851年の第一回万国博覧会にはアレゴリカルな写真 プライズカウンシル. も展示されていたが, 「褒賞メダル」 (一説には「評議員メダル」 )を獲得したMartin M. Lawrence (彼はアレゴリカルな写真の専門家であった)の作品の一つは,年齢の異 なる三人の婦人をモデルにして「過去・現在・未来」を表した寓意的なものであった。 (Beaumont Newhall, The History of Photography [London: Seeker & Warburd, 1982) 73; Helmut Gernsheim, The Origins of Phatography [London: Thames and Hudson, 1982] 119-120, 141-42;シャン-A・ケイム, 『写真の歴史』 ,門田光博訳,文 庫クセジュ[白水社, 1972] 33.) 31 Newhal174:三木淳他監修『写真大事典』 (講談社, 1984) 904.もっともこの 写真におけるヌードの使用に関しては賛否両論が起こり,エディンバラの展覧会ではヌー ドの写っていない半分だけが展示されたと言われている。 32オットー・シュテルツアー, 『写真と芸術』 ,福井信夫・池田佳代子訳(フイル ムアート社, 1974)49-50:重森弘掩訳, 『クリエイテイヴフォトグラフィ』,アー ロン・シャ-フ著(美術出版社, 1969) 99訳註14,15.. 33 Nancy Rythling and John Crosby Freeman, The Illustrated Encyclopedia of Victoriana (Wigston: Magna Books, 1994) 133,172;オズバート・ランカスター, 『絵 で見る建築様式史』 ,白石和也訳(鹿島出版会, 1979) 102-103;マーガレット/アレクサ ンダー・ポーター, 『絵でみるイギリス人の住まい2-インテリア-』 ,宮内さとし 釈(相模書房, 1985) 35-36. 34この折衷派という言葉は便宜上,広義に用いたものであり,美術史上でいう狭義 の「折衷派」 (theEclectics)とは区別されねばならない。後者は普通16世紀末ボローニヤ 画派のカラッチ一派などを指す。 35 『良心の目覚め』 , 『発見』及び『過去と現在』に込められた道徳的・教訓的意図 の詳細に関しては,高橋裕子・高橋達史第8章:リンダ・ノックリン, 「失院と発見十九世紀イギリスの堕落した女性像」 , 『美術とフェミニズム』 ,ノーマ・ブルード/メア リー・D・ガラード編著,坂上桂子訳(PARCO出版局1987) 147-8谷田博幸, 『ロセッ.
(12) 12. ティ』 90-118を参照。なお, 「体制順応的な」というのは,積極的な社会(体制)批判が 希薄であるという意味である。確かに本稿で例として挙げているナラテイヴ・ペインティ ングは,いずれも,社会的に意味のある情景や出来事をリアリスティックに描き出すとい う意味では社会派リアリズム(socialrealism)に属するといえるものである。だが,カー ライル的な労働賛美に立つ『労働』には,カーライルの「社会批判に通じるようなペシミ ズムの影はほとんど見当たらない」し,いずれも道を踏みはずした女を問題にしている F良心の目覚め』 , 『発見』及び『過去と現在』の場合も,男性側の責任を不問にしたま ま,主に女性の側の堕落や更正だけが問題点としてとりあげられ,売春の根本要因たる貧 困の問題やヴィクトリア朝性道徳の「二重規範」そのものを批判する視点は希薄だと言わ ねばならない。 (高橋裕子・高橋達史46,102;リンダ・ノックリン180-81;谷田博幸, 『ロ セッティ』 86-87,101.). 36和知誠之助, 『ジョージ・エリオットの小説』改装版(南雲堂, 1974) 246注2; George Willis Cooke, George Eliot (1883; rpt. n.p.: Folcroft,1976) 277. (兵庫教育大学).
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