ランボー : 『イリュミナシオン』の二つの《都市
》あるいはヴィクトリア朝のロンドン
著者
三好 美千代
雑誌名
年報・フランス研究
号
31
ページ
135-147
発行年
1997-12-25
URL
http://hdl.handle.net/10236/9387
ラ ンボ ー
《都市》あるいはヴイクトリア朝のロンドンー
三好美 千代
序文
散文詩集 『地獄の一季節』の最後の詩 (別れ
)の
中で、ランボーは「絶対的に近代的でなければならぬ。
H faut etre absolument mOdernc.」
と書 く.「近代的
moderne」
とい う形容詞は 『地獄 の一季節』の中では、ここ一箇所 だけi)唐突 に現れるこの言葉 は非 人称主語 しか持たず、何 において近代的でな ければな らないのか、あるいは、「近代 的」 とは、どうい うことを指 してい う のか と考え込 ませ られる。 ところで 『イリュ ミナシオン』 において、 この言葉 は二つの(都市》(1)と題される詩を中心に何箇所かで用いられてお り、それを 形容する名詞が存在することで文脈か ら受ける唐突さもない。そ して、ロン ド ンをモデルに架空の都市を描 き出す とされいるランボーの 〈都市》は、細か く 分析 してい くとロン ドン以外のなにものをも描 き出していないことが明らかに なって くるc架
空の都市 というよりまさにロンドンそのものを、その本質を描 き出そうとしているのである。ランボーはロン ドンという当時ヨーロッパでも 最大の大都会をどう受け止めたのであろうかcこ
こでは、19世紀のヴイク トリ ア朝、産業革命期のロン ドンを資料に、二つの く都市》の中に見 られる比喩を 一つ一つ検言正していきなが ら、ランボーにとつてのロンドンを、そ してランボ ーがそこに見た「近代」を浮かびあが らせてみたい。(都
市〉とロンドン
まず、一つ 日の (都市)を
取 り上 げ よ 詩が含 まれる詩集 『イリュ ミナシオン』 語に人つた言葉であ り12)、 ぉそ ら くロ のである.以
下全文である. ロ ン ドンに こだわるわけだが、 この タイ ト,レ自体 が 、英言吾か らフラ ンス ンi`請在が なければ生 まれ なか った も 資 の パ 私は、 どんな既知の趣味 も家の内装や外装や都││∫の設計 において避けられ い るので近代的 と思 われてい る大都会の束の閾1の、 さ して不満 の ない市民 で す:、 ここではいかなる偶像;lt拝的記念建造物の痕跡 も示 す ことは出来 ませ ん。 そ して、道徳 と言語 は単純 な表現 に還元 されて しまっているのです。 このお 互 い知 り合 うことを必要 と しない何 百万の人 々は同 じように教育 うけ、仕事 につ き、老 いを1■えるので、その人生 は、法外 な統計が大陸の民族達 について出 し た よりも、何倍 も短いに違 いあ りませ ん()ですか ら、私の窓か ら、濃 いあい も 変 わ らずの石炭の煤煙一我 々の森 の蔭、我 々の夏の夜!一の中を新 しい亡霊達 が歩 きまわっているのが見 える ように、私の故郷、私の心のすべ てである私の コテ ッジの前 には新 しい復讐 の三女神達が見 えます。 というの もここでは何 も か もが次の様子 を しているか らです―我 々の良 く働 く娘で召使いである涙のな い 1死 J、 絶望 に沈む「愛」、街の泥の中で晴 いている美 しい「犯罪 」の。Je suis un ёphё mё re ct point trop lnё content citoyen d'une ln6tropole
crue moderne parce quc tout gOot connu a 6tё ёludёe dans les
ameublements ct l'extёrieur des lnalsons aussi blen que dans ie plan de
la ville. Ici vous ne signalericz les traces d'aucun monument de superstition. La morale ct la langue sont rё duites a leur silnple
expression, cnin! Ces lrlil1lons de gens qui n・ ont pas besoill de se
connaFtre amёnent si parelllement liё ducation,le l■6tier et la vicillesse,
quc ce cours de vle dolt etre plusieurs lols lnoins long que ce qu'une statistique fone trOuve pour les peuples du continent.Aussi coHline,de ma fenetre.je vois des spectres nouveaux roulant a travers l・ ёpaissc et
ラ ンボ ー
6ternelle Fuln6e de charbon notre ombre des bOis,notre nuit diё te! ― des Erillnycs nouvelles, devant mon cottage qlli cst ma patric et tout mon coeur puisque tout ici ressemble a ceci, la Mort sans pleurs.notre
active flne ct sewante,un Amour dёsesp`r6,ct lin」01i Crilne plaulant dans la boue de la ruc.
この都市は、「近代的 と思われている」都 市である。 どの ような記念建造物 も ない とヴェルレーヌは友人のルペ ルテ ィエ宛、1872年9月24日 の手紙 に書いて いる(3)。 ここに描かれるのはシテ イと呼 ばれる、 ロン ドンの旧市街、 もっと 言 つて よいな ら、 さらに東の イース トエ ン ド地区か ら ドック地帯 にかけてで、 観光 ガイ ドブ ックで もほ とん ど見るべ き歴史建i雀物 は見当た らない。 さて、デ ンマークの建築家 ラスム ッセ ンは、パ リや ウイーンなどの大陸の都市 を高層の 建築が立 ち並ぶ集中型 と した上で、 ロン ドンは一戸建ての住宅中心の散開型の 都 市であると言 つている0。 そ うなった理由の一つ として、彼は政府庁が、現 在 はロン ドンに含 まれる旧 ウエス トミンス ター市 にあ り、旧ロン ドンは商業都 市 として発展 して きた ことを挙 げる。彼 は住宅建築 について「建築 にたいす る ロン ドンの貢献は単純性である」
0と
言 う。1666年のロン ドン大火の後、本造 建築は禁止 され、ロン ドンは煉瓦 と石の都市 とな り、 18世 紀 には装飾性 を排 し た「煉瓦で出来た等質の箱状の棟」が立 ち並ぶ こととなる。彼 は室内について も家屋の内部の豊か さを演出す る単純 さと今 日にも通 じるモダニズムを語る。 ランボーが「既知の趣味のない」 と言 った建物が 19世 紀 にはロン ドンの平均的 な住宅 となったcこ
こで語 られる都市 は後で取 り上げるもう一つの都市、旧 ウ エス トミンス ター市 をモデルとした過去 の様式 にあふれた巨大都市 と鮮やかな 対比 を成す もの となる。 ここでは言語や道徳が最 も単純 な表現 を持つ。道徳 は一種の ピュー リタニス ム的、感情 に流 されない 自己抑制 に基づいた道徳、勤勉、節市U、 正義 といった 目に見 える形の道徳である。言語 も直接 的 となる。フランスの英文学者ルイ・カザ ミヤ ンは、 フランス語 と比較 して、映像の喚起力は、事物 を具体的に捕 ら える英語のほ うがi豊かに高い と書いている “)。 フランス語の ように観念的な言 語ではないのである。1900年の ロン ドンの人日はお よそ
658万
人余 り。パ リは271万
人余 りで0、 1872年か ら1873年にかけてランボーがi帯在 した当時すで に「数百万 人」のバ リに倍す る大都会であった。「同 じように教育 を受け、仕 事 につ き、老いをむかえるので、 人々の 人生は短い ものに違いない」 と感 じさ せ るのは、ロン ドンの下層労働者であ り、彼等は長時間労働 に従事 し、それで 自らの生活 を支えるためだけに生 きてお り、他の社会の 人との関わ りがあろう はず もない。1870年、 下層労働者 に教育 を受 けさせなければ近代国家 としての 発展は望めない とい う認識 に基づ き、義務教育の原則 を打 ち出 した初等教育法 案が可決0された。それ以前、工場で働 く子供達に対す る無償の 日曜学校、助教 授 法学校等、様 々な試みがなされているの ここでの「教育」は中上流層の 人々 が受ける教育ではな く、下層労働者の教育 を指 しているc1880年
のイギ リス男 性の平均寿命 は42才0で
、貧民層は劣悪 な住環境、栄養不良、長時間の労働、 そ して職業病 を抱 えてそれを遥か に下回った。「法外 な統計」 とは1965年に行 われた ヨーロッパ とアメリカ合衆国を対象に した大がか りな国勢調査 の ことと ある(1の 。 ロン ドンとい う現実の都市の一つの側面がクーズアップされる。 さて、 ランボーはこの都市 に、 まさにロン ドンの象徴 である煤煙 を配す る。 ここには、森の代 わ りに永遠の煤煙の中を徘徊す る新 しい亡霊達がいる。 ラン ボーはその短い人生 を持 った 人々をはや亡霊 に して しまう(H)。 さて、「 コテ ッ ジ」はエ ングルスによれば労働者達のため郊外の工場の近 くに建て られた庭つ き一戸建の慎 ましい住宅(1"、 まさに憧 れのマ イホームを言 うが、ほとんどの都 市の下層労働者 には不可能な ものであった し、その実態は狭い家屋の一室 に一 家族が ひ しめ きあ うとい うものであった。そ して、その コテ ッジの前 には冥府 に住み、殺人な どの罪 を犯 した もの を罰す るとい うギ リシャ神話の三女神が近 代の衣装 をまとって存在す る。神話 に よれば彼女達は冥界 に住み、亡霊達 を責 め苛 む。涙を見せない我 々の働 き者の娘かつ召使いである「死」力れヽる。都市の労働者 は40才まで生 きられれば連のいいほ うだった(13)。 都市 には悲 しみが 麻痺す るほ どに 日常的に多 くの死がある。絶望 に沈 む「愛」力れヽる。 これ らの 人 々は愛の宗教 を して も救 えない。街のJ2の中で びいびい泣 いてい る綺麗 な 「犯罪」がいる。「泥ひば りmud_lark」 と呼ばれるテーノ、ズ川の泥の中か ら石 炭 な どを拾 う子供達 は船 に忍 び込 んでわずかな稼 ぎのため石炭 な どを盗み、多 く犯罪者 となってい く。三女神 はこの冥府に住 む亡者 に与え られた罰なのだ。
『地獄の一季節』の最終章 〈別れ〉の中でこの都市は聖書的イメージでたち表
われる。都市は「食人鬼の女王」と比喩され、「何百万という最後の審判で裁
かれることになる死 んだ魂 と肉体」 を貪 り食い、彼等への「数限 りない愛」は 詩 人をイエ スの如 く「十字架 にかけた」 と回想 される。「近代的 と思 われてい る」都市は、一人の「束の間の市民」の 目を通 して総括 され、そこは冥府 とな り、その近代性 は決 して言E歌されるべ きものではないことを暴露する。 巨大都市の幻想 く都市 宙lles)は構想上二つの部分から成る。音や音楽が全体を満たし、伝説や ギリシヤ神話の人物達がいる祝祭空間を現出する く都市 Ⅱ》の方は割愛 して、 ここでは都市の情景描写が細か く述べ られている 〈都市I)の
方のみを見てい く。単数の く都市 vllle〉 は近代の大都市の様々な矛盾に焦点があてられた。複 数の く都市villes I)で
は都市の巨大さがまな板の上にあがる。この都市は先 の詩 とは少 し異なり、様々な都市のアマルガムの様相を呈するが、ここにもロ ン ドンが色濃 く描かれているのではないだろうか。最初の部分である。 公共建築が並ぶアクロポリスは近代の野蛮が持つ概念を最も巨大におしすす めたものだ。この、あくまで灰色の空が作り出す、どんよりとした光、建物の 倣然たる輝き、地面の万年雪を言い表すのは不可能だ。巨大さへの奇妙な好み から、あらゆる古典時代の建築の傑作が再現された。私はハンプトンーコートの 二 十倍の広 さがある場所で1月かれる絵LAl展を見て廻るぃなんとい う絵 だ!ノ ルウエ ーの ネブカ ドネザ ルの ような人物が、官庁の階段 を作 らせた。私が会 う ことが出来た 下級役 人か ら して もうプラフマー神達 よりも尊大で、建造物にい る巨像達や官 吏達の番 人の様 子に震え上がったく、
L'acropole omcleHe Outre les conceptlons de la barbarie rnoderne les plus
colossales. Impossible d'cxprirrler le jour mat produit par ce ciel iΠIInuablement gris,1・ ёclat impё rial des batisses.et la neige ёternelle du sol. On a reproduit dans un gOot d'6norITlitё singulier tOutes ies meⅣeilles classiques de l'architecture.J'assiste a des expositlons de peinture dans des locaux l月 ngt fols plus vastes qu'Harnpton― courto ouCHC peinture!Un Nabuchodonosor no口Ⅳこgien a fait costruire les escaliers des
Πlinistёres;les subalternes que J'ai pu volr sont daa plus rlers que des
Brahmas etJ'al tremblё 江llaspect des gardlens de colosses et omclers de constructlons. 先ほ どの都市 とは対象的に過去の様式が建物 を支配 し、その巨大 さと呼応する ように尊大 な人々がいる。アクロポリスは高台に築かれたギ リシャの城塞都市 で、後 に都 市が平野 に移 ってか らは、要塞、神殿等が置かれた。ランボーは神 殿の立 ち並ぶ アテネのアクロポ リスを考 えてお り、アクロポ リスに例 え られて いる場所 をロン ドンの中に捜す と、旧ウエ ス トミンスター市の地区にある官庁 街、ホワイ トホールがある。各々の役割 を持つ大臣はギ リシャの神 々とだぶ る だろ う
c花
商岩 を使 った 18陛 紀か らの様 々な様式の建物が並び、外務省、イン ド省、内務省、植民省の合同庁舎の建物はギルバー ト・スコッ トの手 になるイ タリアの建築様式cホ
テルの ような内装だそ うで、大階段がある 仁→。この建物 を建て させたパーマス トン(1784-1865)はイギ リス帝国植民地主義時代の立役 者で、 ランボーはその人物 を、li代バ ビロニアの国王、ユ ダ王国を滅ぼ し、バ ビロン補囚で知 られるネブカ ドネザ ルニ世 (在位BC605‐562)に
例 える。聖書 の中ではイスラエ ルの民 に敵対す る極悪非道な侵略者である。パーマス トンは中国 との阿片戦争、クリ ミア戦争、イン ドでのセポイの反乱の弾圧等 に外務大 臣 と して関わつてお り、首相 に もなっている。「 ノルウェーの」 とあるのは、 ノルマ ン人が8陛 紀か ら
H世
紀 にかけてバ イキ ングの名で知 られ、戦い と略奪 を繰 り返 したことか ら、海運力 に もの を言わせたイギ リスを語 りたか ったのだ ろ うか。 また、 ノルマ ン人の ウイリアム征服王 は ウエ ス トミンスター市で戴冠 しているので、その末裔 だ と言いたか つたのであろ うか。いずれに して もパ ー マス トンが イン ドの植民地化に関 してまさに「ノルウエーの ネブカ ドネザル」 だったのは確かである。 さて、ハ ンプ トンーコー トはロン ドンの西 にある、1760年 まで英国の宮殿 と して使用 されていた古典様式の建物で、 ランボー当時、既 にコレクシ ョンを誇 る美術館 であった。ホワイ ト・ホールを北 に抜 けるとす ぐに、トランス ファル ガー・ スクエア をはさんで、ナシ ヨナル・ギ ヤラリー、ナシ ヨナル・ポー トレ イ ト・ギ ヤラリーがあ り、19世 紀の古典主義の建築で、官庁街 と区別 される建 物 で はない。そ して ランボーにおいて絵画 は「詩=ポ
エ ジー=人
の持つ価値 観」 に通 じる。それらの絵画はランボーにとつてJl染 みのあるものではない。 下級役 人を讐 えるプラフマー神 は創造神。 ビシヌ神、シバ神 と共 にヒンズー 教 の三 主神 の一 となる。 イ ン ドの カー ス ト制度 は ヒンズ ー教 に基づ く。そ し て、アクロポ リスの巨大 な神像つ ま り大 臣達 あるいは官吏達の番人 とはホー ス 0ガ ーズのみ じろぎだに しない馬上の衛兵だろうか。近代の野蛮、領土 を広 げ帝国主義的植民地支配 を行 な うイギ リスの総本 山 とも言 える場所 にはまさに その尊大 さを象徴す るような建物があ り、人々がいるのである。そのあ と、馬 車の入 れない、庭 を四角 く囲むテラス 0ハ ウス (棟割連続住宅―イギ リス人は 他の家族 と上下 に階 を接す ることを好 まず、裕福 な人々は何層 に も階 をなすテ ラスハ ウスに住 むことが 出来た。その中庭 は外 と遮断された空間で、実際に馬 車 は入れなかった)や
公園について語 られたあと、次の文章が続 く。 上の地区は説明ので きない部分がある。船のない入江が巨大 な街灯 を乗せた埠頭 の 間で青 い雹 の海 を転 が してい る。短 い橋 がサ ン トー シ ャベ ルの ドー ムの 下に 直接 出 る間道 に繋 が ってい る。 この ドームは直径 が約15000ピエ あ る芸 術 的 な鋼 鉄 の骨組 み か ら成 って い る。
Lc haut quartier a des parties inexphcables: un bras de FFler, Sans bateaux, roule sa nappe de grё sil bleu entre des quals chargё s de candё labres gё
ants. Un pont court conduit a une poterne
irrlrn6diatement sous le dOme de la Saint‐ Chapelle.Ce dOrrle est une
armature d'acier artistique de quinzc lnllle pieds de diarrlё tre environ.
「上の地区 le haut quartier」 という表現は、ここが旧市街か らみればテー
ムズ川の_L流にあるためだろうか。そ して、テームズ川は河口か らさほ どの距
離はな く、言 って見れば一種の「入 り江 bras de mer」 であろう。 『イリュ ミ
ナシオン』に く橋
)と
い う詩があ り、「水 は灰色 と青で、入 り江の ように幅広い。Licau cst grise ct bleuc,large comme un bras de mer.」 との一文があ る。「巨大 な街灯 を乗せた埠頭」 とはヴ イク トリア・エ ンバ ンクメン トであ る。 このエ ンバ ンクメン トは先程のホワイ トホールのす ぐ脇 にあるテームズ川 河畔で、北河岸の湾 曲部 を約2.4キ ロメー トルにわたって、立派な「街灯」の並 ぶ壮麗 な並木道 を備 えた道路 に している。ヴィク トリア朝の栄光 を示すエ ンバ ンクメン トは、それが交通の要所 としてのテームズ川
=入
り江 にあ り、埠頭で ない分不可思議に映ったであろう。そ して、鋼鉄の骨組みの巨大な ドームが現 れる。サ ン トーシャベ ルはステ ン ドグラスの美 しさで知 られているパ リの礼拝 堂である。そ して、この建物 にあたる建築物 をウエス トミンス ター界隈 にぜ ひ とも探 し出さねばな らない。ランボーはこの詩の中で この界隈 しか描 き出 して いない。チ ャリング・クロス駅 はエ ンバ ンクメン トに垂直に作 られた新 しい タ ー ミナルで、駅前の広場 にはエ ドワー ドー世が亡 き妻の思いでに作 らせたエ レ オノールの十字架の レプリカがある。列車がハ ンガーフォー ド橋 を渡 ってす ぐ が駅舎で、橋 には歩行者用の通路 も設け られている。 このあた りにランボーの 想像の源があ りそ うである。イギ リスの鉄道の発達は鉄工業の発展 を促 し、当時作 られた ロン ドン市 内 の駅舎 は天蓋 に多 く鋼 鉄 とガ ラスが用 い られ る。 セ ン ト 0バ ンク ラス駅 は長 さ210メ ー トルに及ぶ ガ ラスの天蓋 を持 ってい る。 ガ ラ ス と鉄 の天蓋 は1871年に完成 した ロイヤ ル・ア ルバ ー ト・ホー ル、その他様 々 な建 造物 に も用 い られてい る。 た だ、 この巨大 さは尋常 で はない。
15000ビ
エ は メ ー トル法 に換 算 して5キ ロメー トル近 い長 さであ る。1851年
の万博 の際作 られた ク リス タルパ レス で も横550メ ー トル、縦 125メ ー トル、高 さ53メ ー ト ル にす ぎない。 ランボー はここにイギ リスの鉄工業が生 み 出 した近代 の聖堂 を 倉J出 してい る。 銅の歩道橋やプラットーフォームや玄関ホールや柱を取 り巻 く階段などの何箇所か で、都市の深 さを推測することが出来ると思つた。この ような驚異は考 えもしな かった。アクロポリスの上や下の地区の階層はどこに位置するのだろう?
僕達の時 代の異邦 人にとつては測 り知ることは出来ない。商業地区は単一の様式の円形広場 で、アーケー ドのついた回廊がある。店は見えない。けれども、車道の雪は踏み荒 らされている。ロン ドンの 日曜 日に歩いている人と同 じくらい僅かの富豪が ダイヤ モ ン ドの乗合馬車の方へ歩いてい く。赤いビロー ドのソフアーがい くつか。百から 八千ルピーの極地の飲み物が供されている。この広場に劇場を探そうと思ったが、 店にはかな り暗い ドラマがあるはずだと気がついた。警察はあると思 う。けれども 法律は奇妙なものに違いなく、ここでの山師達のイメージを持 とうというのはあき らめる。Sur quelques polnts des passerelles de cuivre9 des plates‐lbrrrles,des escaliers qui contournent les hanes et les plllers,Jlai cru pouvoir Juger la profondeur de la宙 1lc.C.est le prodige dontJe n'ai pu lne rendre compte: quels sont les niveaux des autres quartiers sur ou sous l'acropole?Pour l.ёtranger de nOtre temps la reconnalssance est impossible.Le quartier
commercant est un circus d'un seul style,avec galeries a arcades.On ne
voit pas de boutiques.Mais la nelge de la chaussё c est ёcras“;quclques nababs aussi rares que les promencurs dOun matin de diIIlanche a
velours rouge:on sert des boissons polaires dont le prix varie de huit
cents a huit rrl1lle roupieso A l'idёe de chercher des theatres sur ce circus,
Je Hle rёponds que les boutiques doivent contenir des drames assez
sombres.Je pense qu・il y a une ponceo Mais la loi doit etre tenement ёtrange,qucje renonce a rne falre une idё e des aventuriers d・ ici.
ここでは都市の広が りは、垂直方向が、深さが問題 とされる。国鉄は貧民街 を見下ろす陸橋の_Lを走っていた し、ロン ドンにおける地下鉄の開業は 1863年 である
cま
たテームズ川の下には地下道が作 られていたc歩
道橋 あるいはプ ラッ トフォーム、イタリア風の建物の吹 き抜けの玄関ホールとその大い柱 をを 取 り巻 く階段は充分に垂直方向に広がる都市のイメ 「 ジを惹起する。 さて、ここに出てくる「円形広場 circus」 はピカデリー・サーカスであろ う。ホワイ トホールを北西の方向に500メ ー トルほど辿ればビカデリー ◆サー カスに出る。19世紀にはリージェン ト0サーカスの名称を持ち、高級商店街で あったリージェン ト通 りが横切る。この通 りはジョン・ナッシュの手にな り、 当時のガイ ドブックに「建築の統一性 という観点から見た場合、ロン ドンで最 も素晴 しい通 りである」と書かれてお り(10、 ランボーの言 う「単一の様式」と いう表現と一致する。「ソファー」とあるのは低いソファーを置いた東洋 (ト ルコ)風
のカフェのことで、19世紀にパ リで流行 したそうであるが(lη 、ここで は極地の飲み物、体を温めるアルコール類を出すパブであろう。ルピーはイン ド、当時のイギリス植民地の通貨単位である。アーケー ド街は宝石類などを売 り、夜 と日曜 日には門が閉 じられるバーリン トン・アーケー ドなどがある。 「商店bouuque」 が見えず、「nabab」 が往来 している。ロン ドンの日曜日は 安遭、日が守 られ、確かに人通 りが絶えたそうである。「大守nabab」 はムガー ル帝国時代(1526-1858)の
高官に付けられた尊称で、英国植民地時代には転 じ てイン ド帰 りの英国の大富豪を、そして金持ち全体の蔑称 ともなった言葉であ る。「nabab」 がお り、ルピーはイン ドの貨幣単位 となると、ここで英国の植民 地、特 にイ ン ドを暗示 しようとの意 図が あ る もの と思 わ れ る。 「 nabab」 達 が、植民 地、す なわ ち詩 人には見 えない 「商店 boutiquc」 で どの様 な ことを し て きたのか。確 か に「か な り暗 い ドラマ」が あ つた。踏 み荒 され た雪 、 ダイヤ モ ン ドの馬車 は象徴 的で ある。植 民 地 には支配す る側 に有 利 な法律 しか存在 し えない
c「
山師達aventurier」 とは ま さにイ ン ドにお け るイギ リスの 、冒険 を もの と もせ ぬ 「貿易 商 人adventurer」 達 で は ない だ ろ うか 。東 イ ン ド会社 時 代 、高級社 員の 「実 質的 な莫大 な収入 は、わい ろ、恐 喝 、裏取 り引 きか ら得 ら れ」(10た。1857年
の セポ イの反乱 以 降、ムガール帝 国は崩壊 、東 イ ン ド会社 は解 消、 イ ン ドは イギ リスの直接 統 治 となるが 、 イギ リスの商 人達 は イン ドの 富 をあ さ り続 けたはず で あ る。以上 の ように辿 って行 くと、 ラ ンボー はホ ワイ トホ ール を中心 に、物 理 的 には 自分 の歩 く範 囲の ご く狭 い地域 を描 き出 してい る こ とにな る。 しか し、そ こには ま さに ヴ イク トリア朝 の ロ ン ドンが 、そ して イギ リスが、凝縮 された形 で存在す るのであ る。 町外れは、パ リの美 しい通 りと同 じに優美で、光に輝 く空が広がる。この民主 主義的な場所には数百人がいる。そこはまだそれ以上家が続いていない。奇妙に も郊外は田合に続いている。そこは永遠の西洋を森 と素晴らしい作物で満た しい る 〈領地〉で、野性のジェン トルマン達が作 りだされた光のもとで、自分達の年 代記を狩っている。Le faubourg,auss1 61ё gant qu・ une belle rtle dc Paris,cst favorisё d'un alr
de lunllё re. L.61ёment dёmocratique compte quelques cents ames. L江
encore les lnaisons ne se suivent pas;le faubourg se perd bizarreHlent dans la carnpagne,leく coΠltё>qui rempllt l.occident 6ternel des lbrets et
des plarltatlons prodigieuses ot les gentllshonllnes sauvages chassent leurs chroniques sous la lumiё re qu.on a crёёe.
ジ ェ ン トルマ ン達 の 送 る 田 園生 活 へ の憧 れ か らか 、 ロ ン ドンの 富 裕 な人 々 は 郊 外 に家 を持 ち 、鉄 道 で 市 内 に通 勤 す るの が 理 想 で あ つ た 。 閑 静 な住 宅 街 が 郊
外 に広が る、
,新
興の郊外 か ら田園は直接続 くc封
建的制度が まだ支配 している 場所である。 〈Comt6〉 は英語 に訳せば「county」 で これは「伯爵領あるいは 封建時代の世襲支配者の土地」 を意味 し、また同 じく英語の「田舎countv」 に 音が似ている(1の 。彼は括弧付 きで大文字の 〈Comtё 〉におそ らくは「田園」 と 「領地」の■つの意味 を担わせ ている。そ してイギ リスの「ジェン トルマ ン gentleman」 はそのままフランス語にすれば「貴族 gentilhomme」 であるが、 英語では貴族ではな く大土地所有地主階級 を言 う。1870年代、 ジェン トルマ ン 達はイギ リスの農地の半分 を所有 していた120)。 彼 らの 日常は自分の領地での狩 りが、所有階級の威光 を示す もの として大 きな部分 を占めていた。ここでの表 現は、ギュイヨーが言 うように「狩猟年代記 chronique de chasse」 の転倒で あろう し1)。 神の創 った光ではな く人間の創 った光、それはテクノロジー信奉 を 産み出 した産業革命 を言 っているのだろ うか。そ うした時代 にカン トリー 0ラ イフを送るジェン トルマ ン達はランボーにとつて「近代の野蛮」 にも通 じる野 性の者達だったか もしれない。 終わりに ランボーの く都市)を
頼 りに我々は19世紀ヴイク トリア朝のロンドンを訪れ た。二つの詩において、ランボーの観察者 としての立場には微妙なずれが表わ れる。一方は「束の間」ではあるが、「市民」 として呪われた人々への同化を 志向する。他方は「異邦人」 として尊大 さ、巨大 さの理解の外にいる。パリ・ コミューンに共感 を示 したランボーの本質は全 く変わっていない。そ して、 「絶対的に近代的でなければならぬ」と言つたランボーの 目に映る近代都市は 『地獄の一季節Jの
最終章 〈別れ)の
「素晴 しい都市 splendides宙lles」 では 決 してない。まがい ものの近代性、近代の野蛮。ランボーは、彼の言 うヴイ ジョン(幻覚)を
通 して繁栄をきわめた大都市の中に、復讐の女神達を、また アクロポリスを、植民地を見る。ランボーにとつてはヴイジ ョンを見ることがまさに詩 人としての必須事項であつた
cそ
して、この二つの詩において、彼の 重層す るヴイジ ョンの中にロン ドンとい う都市の本質が表われて くる。散文詩 の世界で、 ランボーが詩の音楽性 を脇 に置 き ヴィジ ョンを追求 した理由の一つがこの二つの く都市》の中に見えてくるのである。
(1)二 つの く都市)のうち一つは、単数で「ville」 と題されている。 もう一つは複数で「villes」 の タイ トルが付 され、ジェルマン・ヌボーの清書の手が入ったため、二部構成をなす詩の間に別の詩 が挟 まれ、一部 と二部 とが逆になっていたことが草稿研究からほぼ、明 らかになっているが、テキ ス トによって、二つの「villes」 をわけてあるもの と(その場合、三つの(都市)が存在することに なる)、 複数の 「宙nes」 を一つの詩に組み換 えてあるテキス トがあることをことわっておきたい。 (2)「mummauon」 は英語か らはいった言葉で古い写本に描かれている彩色画を意味する。「 イ リュミナシオン」のタイ トルは初期にランボーが(母音〉に色付けをしたこと、あるいは、 〈盗 ま れた心臓)(僕
の可愛い恋人たち)の中で詩をフレスコ画、あるいはキヤンバス画に警えたことか らの帰結 として、一貫性 を持つ (拙稿Fランボーとプラ トニスノ、J詩論15号、「ランポー:〈僕の かわいい恋人たち)解読に向けてJ年報 フランス研究28号参照)。 最終的に自らの詩集に彩色画の タイ トルを与 えたわけである。そ して「地獄の一季節Jの (言葉の錬金術〉の中でランポーは自分 の好んだ もの として「大衆向 きの彩色画enlummures p01pulalres」 を挙げている。「彩色 画 enlummure」 は「Illuminatlon」 と同義でこちらの方はフランス語である。ロン ドン滞在によっ て、英語のタイ トルが着想され、この詩集のタイ トルとなったようである。(3)(ARTHUR RIMBAUD,∝ VRES COMPLETES,CORRESPONDANCE〉 Edition pr6sentこe
et 6tablie par Luis pORESTIER:Robert Lagont:1992,p.511
(4)「ロン ドン物語―その都市 と建築の歴史―JS.E.ラムッセ ン著、兼田啓一訳、中央公論美術 出 版、 1987、 P.3 (5)「ロン ドン物語―その都市 と建築の歴史―Jp.218 (6)「イギリス魂Jルイ・カザ ミヤン著 :手 塚 リリ子・石川京子訳 :社 会思想社:1971p.136 (8)Fイギリス近代史J村岡健次・川北稔編著:ミネルヴァ書房:1986p.214 (7)「事典現代のフランス」大修館書店、1977、 p.20 (9)「シャーロック・ ホームズの生 まれた家Jロナル ド・ ビアソール :小 林司・島弘之訳 :新 潮選 書:1983,p.228 (10)「ランボー全詩集J平井啓之、湯浅博雄、中地義和訳 :青 土社:1994,p.713 (11)ランポーの構文破戒のためここに出て くる亡霊をエ リユニエスと同格 と見ることも可能である が、神話 との整合性、また、いる場所の違い等から筆者は別の ものとしたい。 (12)「マルクス=エングルス選集」第12巻「住宅問題」大月書店:1950、 P,124 (13)「シャーロツク・ホームズの生まれた家Jp.228 14)F倫敦 !倫敦?J長谷り│1如是閑著 :岩 波文庫:1996′p.142 (15)「ロン ドン物語―その都市 と建築の歴史―Jp.193 (16)Fl∞年前のロン ドンJマール社:1996、 p.H6 (17)「ロワイヤル仏和中辞典」旺文社 (18)「イングラン ド人民の歴史JA.L。モー トン著:鈴木、荒川、浜林訳 :未 来社:1972p.256
(19)ARTHUR RIMBAUD,CEVRES COMPLШ ES,CORRESPONDANCE〉 p.513
(20)「イギリス近代史Jp.146
(21)「ランボー全詩集Jp.719