日本の大都市圏における移住者コミュニティの文化・社会地理学的研究
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全文
(2) 要旨. 本 研 究 は 日本 「本 土 」在 住 の 奄 美 出 身 者 に つ い て 、主 に 阪 神 大 都 市 圏 の 近 代 工 業 化 に 伴 う労 働 市 場 の 拡 大 に 呼 応 して 流 入 して き た 人 々 を 対 象 と し 、そ の コ ミ ュ ニ テ ィ や ネ ッ トワ ー ク 、そ れ に 定 着 過 程 に つ い て 分 析 す る も の で あ る。そ こ で 本 研 究 で は 、既 往 の 人 文 地 理 学 とそ の 隣 接 分 野 に お け る移 民 研 究 や エ ス ニ ッ ク 集 団 研 究 の 潮 流 を 展 望 す る と と も に 、近 年 に お け る コ ミ ュ ニ テ ィ論 や ア ソ シ エ ー シ ョ ン 論 の 再 検 討 を 行 な つ た 。 そ の 上 で 、同 郷 団 体 の 形 成 過 程 と役 割 に 注 目 し 、 日本 国 内 に お け る 境 界 地 (Borderlands)の 出 身 者 で あ る研 究 対 象 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 変 容 に つ い て 、 ホ ス ト社 会 か ら の 他 者 視 され る ま な ざ し や 出 身 地 を 取 り巻 く政 治 状 況 な ど か ら 解 明 す る こ と を 主 要 目的 に 設 定 した 。 研 究 方 法 と して は 、同 郷 団 体 の 諸 活 動 を 主 た る対 象 と した 参 与 観 察 や 聞 き 取 り調 査 、そ して ア ン ケ ー ト調 査 な ど の フ ィ ー ル ド調 査 と公 立 図 書 館 、公 立 公 文 書 館 等 で の 資 料 調 査 と を 並 行 して 行 な つた 。 得 られ た デ ー タ か ら は 、 客 観 的 事 実 の 時 系 列 的 な 記 述 と あ わ せ て 、居 住 分 布 や 就 業 形 態 の 分 析 と い つ た 伝 統 的 な 地 理 学 的 手 法 も採 用 した 分 析 を行 な つ た 。 以 上 の 研 究 か ら、まず 、奄 美 出 身 者 の 神 戸 へ の 定 着 が 始 まつた. 1920年 代 頃 か ら現 在 に. 至 るまで の 同 郷 団 体 の 活 動 を例 示 し、そ こに垣 間 見 られ る多 様 なアイデ ンテ ィテ ィの 表 出 を 描 き出 した 。そ の 結 果 、定 着 過 程 の 初 期 である戦 前 期 には 、本 土 へ の「同 化 」が 奄 美 出 身 者 内 部 で 期 待 され て い なが らも、同 郷 者 の 連 帯 も強 力 に維 持 され るとい う両 義 的 な事 例 が 明 らか になつた 。また、そ の 志 向 性 が 第. 2次 大 戦 後 の 復 帰 運 動 期 にも大 い に影 響 し、自集. 「琉 球 」との 差 異 を強 調 す ることで 、出 身 地 の 日 団 の 日本 本 土 との 同 一 視 を政 治 的 に訴 え 、 本 へ の返 還 を求 める社 会 運 動 が 展 開 され たことが明 示 され た。 だ が 、近 年 では 異 なった様 相 も認 められ 、各 種 同 郷 団 体 の 行 事 で 演 じられ る島 唄 や 舞 踊 など、か つ ては 集 団 内 部 で 否 定 的 にみ られ ていた「奄 美 」や「琉 球 」の イメー ジが 肯 定 的 なも の として捉 えられ ている現 在 の 状 況 が示 され た 。あわせ て 、戦 後 にお ける同 郷 団 体 活 動 が 、 戦 前 に比 べ て相 互 扶 助 的 要 素 よりも親 睦 的 要 素 に大 きくシフトして いつたプ ロセス に つ いて も示 され た 。また 、集 住 や 就 業 へ の 特 定 企 業 による介 在 も認 め られ 、企 業 の 人 員 配 置 が 地 域 を越 えた 同 郷 者 ネットワー ク構 築 の 大 きな要 素 となつてい る点 が 明 らか にな つた。 このように「境 界 地 」の 出 身 者 コミュニ ティの 様 態 は研 究 対 象 の 政 治 的 、文 化 的 実 践 か ら.
(3) は 奄 美 出 身 者 が 日本 「本 土 」の 多 数 派 社 会 や 隣 接 す る 沖 縄 と の 関 係 性 の 中 で 揺 れ 動 く動 態 性 が 明 らか に な っ た 。換 言 す れ ば 、国 民 国 家 。日本 の 近 代 化 過 程 の な か で 奄 美 出 身 者 の 位 置 性 が 単 な る マ イ ノ リテ ィ と して で は な く、日本「本 土 Jや 沖 縄 な ど、 文 化 的 、社 会 的 に 密 接 に 関 わ る 地 域 と の 距 離 を 変 化 させ な が ら、自 己 表 象 に 関 わ る 諸 実 践 に つ い て 、同 郷 団 体 を 核 とす る 同 郷 者 コ ミ ュ ニ テ ィ が 展 開 して い つ た プ ロセ ス が 明 らか に な っ た 。.
(4) 目次. 序章. Ⅳ. 0001 コ ミ ュ ニ テ ィ/ア ソシ エ ー シ ョン概 念 の 再 考 ・ ・・ 00。 ・ 。・ ・ ・ ・ ・・ ・ 0003 00000。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。・ ・ ・ 006 ナ シ ョナ リズ ム と同 化 理 論 ・ 000000。 「移 動 論 的 転 回」 と移 民研 究 00・ 00000。 ・ 0000000000000008. V. 研 究 対 象 と論 文構 成. I. エ ス ニ ック集 団研 究 と同郷 団 体 の 交 差 ・ ・ ・. Ⅱ Ⅲ. (1)「 奄 美 」 の 近 代 日本 へ の 包 摂 ・・ ・. 000000000000・. 00000000000・. 009 000・ 00H. ・ ・ ・ ・ ・ 0・ ・. (2)論 文 の 構 成 00。 ・ ・ 。・ ・ ・ 00。 ・ 。・ ・ 00・ 000・ ・ 第 1章. ・・. 0・. 戦 前 期 の 神 戸 にお け る奄 美 出身 者 の 同郷 団 体 とネ ッ トワ ー ク ・・・・・・ 0 0 0 0 ・. 0 。・ 0 0 ・ ・ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ・ 0 0 014. I. は じめ に. Ⅱ. 奄 美 出身 者 の 神 戸 へ の 移 住 と定 着 ・ ・ ・. Ⅲ. 同郷 団 体 の 形 成 過 程. 0. 00000。. ・. 0000000。. ・. 00015. 0000。 00。 ・ ・ 000000000000017 019 (2)徳 之 島 出身 者 の 同郷 団 体 ・ ・ ・ 。・ 000。 ・ ・ 0000000000000。 ・ 。・ ・ 。・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 20 (3)大 島本 島 出身者 の 同郷 団体 0000000。 (1)沖 永 良部 島 出身者 の 同郷 団 体 ・. 神 戸 奄 美 会 とェ リー ト層. Ⅳ. 0000021 0000000000000000000・ 。・ 000000000。 ・ ・ 23 (2)奄 美 出身 者 の 自己表 象 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 000000・ (3)地 方 政 治 へ の 関 わ り 0000。 ・ 00000。 ・ ・ 0000000000000025 (1)神 戸 奄 美 会 の 設 立 と活 動 ・. :れ ,わ りに. V. 第. 2章. I. 0 0 ・ ・ ・ ● ● ● ● ●・ ・ 。・ ・ ・ ・ 。・ 0 0 0 0 0 。・ 0 0 。0 0 0 027. 終 戦 直 後 の 激 動 期 と 「復 帰 運 動 」 は じめ に. 0000。 ・ ・ ・・ 000000000029 00000000000000。 ・ 000000030. (1)同 郷 団 体 の 社 会 的機 能 ・・ ・ ・ 000・ (2)領 域 とアイ デ ンテ ィテ ィ 。・ ・ Ⅱ. 研 究 の 対 象 と方 法. 00000。 ・ ・ ・ 。・ 000。 ・ ・ 31 。・ ・ ・ ・ ・ ・ 0000。 ・ 0000000033. (1)研 究 対 象 ・ ・ ・ ・ ・ ・・ 。・ ・ 。・ ・ ・ ・ ・ (2)研 究 視 角 と方 法 ・ ・・ 。・ ・ ・ ・ ・ Ⅲ. 終 戦 直 後 の 同郷 団 体. (1)行 政 分 離 の 影 響 ・ ・ ・ (2)奄 美 連 盟 の 設 立 Ⅳ. 00000。 000・ 0000000。. 0・ ・ ・・ 。・ ・. (3)南 西 諸 島連 盟 の 結 成. 0000。 0000000000000036. 0・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。・. ・・. ・ ・ ・ 。・ ・ ・ ・ 。・. ・ … 34. 00。 ・ 。・ 38. 神 戸 にお け る 「復 帰 運 動 」 の 端 緒. ° ° (1)「 本 土 」 に端 を発 す る 「復 帰 運 動 」・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・. 0041.
(5) (2)神 戸 にお け る運 動 の 展 開 。・. 0000000000000・. ・・・・・. 00。 ・ 042. サ ン フ ラ ン シ ス コ講 和 条 約 後 の 「復 帰 運 動 」. (1)信 託 統 治 の 決 定 ・ 。・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・・ ・ ・ 00・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。 000。 ・ ・ ・ 44 (2)三 島分 離 報 道 と運 動 の 帰 結 ・ ・ 。・ 。・ ・ ・ ・ 。・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 00・ 00045 お わ りに 第. 3章. 48. 奄 美 返 還 後 の 同郷 団 体 とネ ッ トワー ク. I. は じめ に. 00000。 ・ 0000。 000000。 0050 000000000。 ・ ・・ ・ 0。 ・ ・ ・ 000。 00。 0051. (1)同 郷 者 ネ ッ トワー ク と社 会 関係 資 本 (2)社 会 関係 資本 の 機 能. 同郷 団 体 と同郷 者 ネ ッ トワー ク. 000・ 。・ 。 00000・ 。・ 00000・ ・ ・ 53 000。 ・ ・ ・ 000000000055 (2)同 郷 団 体 参加 者 の 概 要 ・ ・ 0000000・ 00000000。 ・ 0000058 (3)同 郷 団体 活 動 へ の 参加 の 契機 00000000・ (1)同 郷 団体 の 構 成. 0。 ・ ・ ・ 。・. 連 鎖 移 住 と集 住 地 区. 0000000000000060 0000。 ・ ・ 。・ ・ 0000061. (1)沖 永 良部 島 出身 者 の 居 住 分 布 と同 郷 者 ネ ッ トワー ク. (2)徳 之 島 出身 者 の 居 住 分 布 と同郷 者 ネ ッ トワ ー ク・ (3)連 鎖 移 住 と同郷 者 ネ ッ トワ ー ク 00。 。・・ 。・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ (4)連 鎖 移 住 と就 業 形 態 。・ 。・ 。 0000。. 00・ ・ 。・ ・ ・・ ・. 0・ ・ 。・ ・ 63. 0000・ 00065. お わ りに ・ ・ ・ ・ 0 0 0 0 ・ ・ 0 0 0 0 0 0 ・ ・ ・ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ・ ・. 第. 4章. 0 067. 同郷 団 体 とエ ス ニ ック 0シ ンボル. I. は じめ に ・ ・ ・ 。・ ・ ・. Ⅱ. 同郷 団体 活 動 の 変 容. 0000000000000000・. (1)定 着 過 程 と他 者 化 の 経 験. ・ 。・ ・ ・ 。・ ・ 。・ 70. 0000000000000000000071. 00000。. (2)政 治 的 手 段 と して の 同郷 団 体 ・ 。・ 。・ ・ ・ ・ ・ ・ 00。 ・ 00・ 0。 ・ ・ ・ 0072 (3)現 在 の 同郷 団 体 の 活 動 。・ ・・ 。 00。 ・ ・ ・ ・ ・ 0。 ・ ・ ・ 00000000073 Ⅲ. 神 戸 沖洲 会 館 と神 戸 奄 美 会 館. (1)拠 点施 設 の 建 設 と出身 地 ・. 0。 ・ ・ 。・. (2)会 館 にお け る文 化 活 動 ・ ・ ・. 00000。. 000000000000・ ・ 。・ ・ ・ ・ ・. ・ 。 。・ ・ ・ 75. 00。 ・ ・ ・ 00。 ・ 077. Ⅳ. 同郷 者 メデ ィ ア とエ ス ニ ック・ エ ン タ ー テ イ メ ン ト ・ ・ ・ ・ ・・ ・ 。・ 。・ ・ ◆・ ・ 79. V. お わ りに ・ 。・ 。 00・ ・. 第 5章. I. 0000000000000000000000000082. 再移 住 と地域 を越 えたネ ッ トワ ー ク. は じめ に. (1)問 題 の 所 在 ・. 0000・. 0・. 0000000000000084 。 000。 ・ ・ ・ ・ 0000・ ・ ・ 0000085. 。・ ・・ ・ ・ ・ ・ ・ ・. (2)地 方 出郷 者 と再移 住 ・ 。・ 。・ 。・.
(6) 倉 敷 へ の再 移 住. 0000・ 00000・ ・ ・ ・ 000087 ・ 。88 ・ ・ 0。 ・ ・ 000000。 (2)川 崎 製 鉄 の 人 員 配 置 転 換 ・ 000000000。 000000000000000000000090 (3)岡 山沖 洲 会 の 設 立 000000。. (1)国 内移 民 と して の 奄 美 出身 者 と神 戸. 0。 ・. 岡 山沖 洲 会 の 活 動 と同郷 者 ネ ッ トワ ー ク. (1)岡 山沖 洲 会 の 活 動 内容 ・ ・. 000000000・. (2)地 域 を越 えた 同郷 者 ネ ッ トワー ク・ 。・ ・ ・ ・ ・ ・ 。・ お れ)り に. 00000。 ・ 092 。 000・ ・ ・ 00。 0095. 00。 ・ ・ ・ ・. 。・ 0 0 0 0 。・ ・ ・ ・ 0 0 0 0 0 0 0 ・ ・ 0 0 ・ ・ 。・ 。・ 。・ ・ 。・ 。95. 終章. (2)奄 美 出身 者 の ア イ デ ンテ ィ フ ィケ ー シ ョン 00・ ・ 参 考文献・・・ 図表 ・ 。・. 00。. 00000000。. 00。 ・ ・ ・. ・ ・ ・ ・ ・ ・・. 00000000000・. 000・ 0。 ・ ・ 000・ ・ 。・ 。・ 。 00000000・. ・・. ・. 00000000000000102. 0000・ 00。. ・. 0000000H4. 9 9. 000000000。. 7 9. (1)同 郷 団体 が 担 う機 能 の 変 容.
(7) 序章. I. エ スニ ック集 団研 究 と同郷 団体研 究 の 交差. 多 くの人文 0社 会科学 の 学問分野 同様 、地理学 にお いて 日本 国内 の エ ス ニ ック集 団研 究 へ の 関 心が高ま っ た の は、「ニ ュー カ マ ー 」 として 渡 日す る外 国人労働者 の増大 を経験 した 1980年 代 か らであ る. 1。. 以降、 エ スニ ックなネ ッ トワー クの形成や 、 そ の社会的、経 済的機 能 を対象 とす る. 論考 が 多 くみ られ るよ うにな つてきた. 2。. 地理学 にお けるエ ス ニ ック集 団 の研 究 の 主な例 として. は、山下 (1984)や ノ ックス (2005)な ど、地理学 が重視す る空間的 パ ター ンや それ らが形成 さ れ る要 因を検討す る論考が特徴的であ る。エ ス ニ ック集 団 の移動や移住 とも多 くの場合 で 関 わ る セ グ リゲー シ ョンは、エ ス ニ ック集 団 の空間的特性 の最 た るもので あ り、そ の よ うな集 団 ご との 集住 を もた らして きた社会的 な要因は、マ イ ノ リテ ィ とされ る人 々 に対す るホ ス ト社会 の対応 を 示す事例 とい える。故 にエ ス ニ シテ ィ を分析す る上で 、そ の 空間的現象 に注 目す る方法 は非常 に 地理学的な視角 で ある とい えよ う。 しか し、内藤 (1990)や 太 田 (1997)が 地理学 に見受 け られ る空間 に表 され た もの だ けを対象 とす る姿勢 へ の批判 の 中で述 べ た よ うに、「空間的 セ グ リゲ ー シ ョン」か ら表現 され る問題 は、マ イ ノ リテ ィ集 団 の抱 える問題 の一 端 に過 ぎな い とい う指摘 も また事実で ある。例 に挙 げた ノ ックスや 山下 の論 考 は、チ ャー ター集 団 とエ ス ニ ック集 団 の 間 に お ける摩擦 とい つた社 会的 な要素 を大 い に考慮 した もので あ るが、エ ス ニ ック集 団 のア イデ ンテ ィテ ィや彼 らの持 つ 場所 の意味 に着 日 し、人 々 の意識や 主体性 を注 目す る視 点、更 には 「マ イ ノ リテ ィ」集 団に対す る差別 的処遇 の改善や政治性 に注 目す る視 点 な ど、複数 の角度 か らエ ス ニ シ テ ィを探 る姿勢 が不可欠 で あろ う。 杉浦. (1998、. 2004)は こ う した議論 を引き受 けた 上で 、空間的 パ ター ンの記述 の み に 固執 せ ず 、. 文化 的 な側 面 を重視 しなが ら文化 的 0社 会的 プ ロセ スの検討 を空間的現象 に結 び付 けて い くとい う方 向性 を視野 に入れ た研 究 を提唱 した。つ ま り、先 に挙 げた幾 つ かの新 た な アプ ロー チ は、エ ス ニ ック集 団に関す る空間 の様態 を分析す る とい う伝統的 な地理学的方法 を否定す るもので は な く、伝統的手法 を再 検討 し、補完 してい こ うとい う捉 え方 であ る。 この よ うに、地理学 にお け るエ ス ニ ック集 団研 究 は文化・社会地理学 の領 野 を中心 に、そ の 隣接分野 で あ る文化人類学や都 市社会学 の影響 を強 く受 けつつ 展開 してきた。こ うした エ ス ニ ック集 団研 究 の幅 の広 が りに呼応. 1 例 えば、山下 (1984)な どはその先駆的な研究蓄積 といえる。 2 例 えば、島田 (2000)、 山本 (2002)、 片岡 (2005)な ど、エスニ ック 0ネ ッ トワー クとビジネ スの 関連 を明 らかにす るよ うな研究 の増加 が指摘 できる。.
(8) して 、 日本 の都 市 にお ける 「オ ール ドカマー 」研 究 も進 んで きた 4も. また、都 市社会学 に始 ま る 日本国内 の 地方 出郷者研 究. 3。. 、 エ ス ニ ック集 団研 究 との 関連 の 中. で展 開 され るよ うにな った。近代都 市空間 にお ける地方 出郷者 の 定着過程 は、少数者 として の エ スニ ック集 団 と同様 に 国民国家 との 関連性 を多 く有 して い る. 5。. 従 つて 、 エ ス ニ ック集 団 を研 究 6。. 「オ ール ドカ マー 」た る地方 出郷者研 究 の重要性 が広 く認識 され て きた す る際 の参照点 として、. 日本 の都 市 にお け る同郷者集 団研 究 が本格化す るの は 1960年 代後半 か らで あ る。 そ の先駆 は松 本. (1969、. 1971)で あ り、以降、主 に社 会学 にお け る この分 野 での諸研 究 に大 きな影響 を与 えて. きた。 同郷者集 団. 7研. 究 の代表的 な成果 をま とめた松本 ・ 丸木 (1994)の 中で 、松本 (1994)は. 同郷 団体 が都市移住 の 際 に人 口の輩 出地 と移住先 との 間 の結節 として の機 能 を果 た してお り、都 市 はそれ ら多数 の 同郷 団体 のモ ザイ ク的集合 とい う一 面 を持 ってい る と述 べ て い る。即 ち、都 市 内部 の分節 として 出身地 を同 じ くす る人間集 団 が存在 し、村 落 /都 市 とい つ た 単純 な 二 項対 立 と は異 な る、新たな関係性 を支 える機 能 をそ の人間集 団 が有 して い る とい うこ とで ある。 だが、同郷者集 団 には多様 な ヴァ リエ ー シ ョンが 存在 し、それ に関わ る人 々 の形態 も様 々 で あ る。鰺 坂 (2009)に よれ ば、同郷者集 団 の ヴァ リエ ー シ ョンは都 市 と村落 の 関係 の相 互 「浸透」 の結果 として、双方 の 関係や依存 の強 さに よつて 変化す る。従 つて 、都 市 自体 が 常 に極 めて複雑 な社会的変容 を してい る状況 をみ るまで もな く、同郷者集 団 を一 面的 に捉 えるこ とは到底 で きな いので ある。必ず しも、集 住 地 区にお い て出身地 を同 じくす る人 々の 間に密接 な接触 が あ つた訳 ではな く、同郷 団体 の成 立 も常 に 自然発生的 であ つた とはい えな い。政治 的な結 びつ きに基 づ く 同郷者 同士 の紐 帯 とい う例 も示 され てお り、都 市 にお ける移住者 らは 自分 た ちの政治的利 益 を追 求す る際 に、「同郷人」 として の意識 を基 に して集 団化 を行 うとい う議論 が 今や 主流 にな ってい る. (山. 口 2008)。 また 、山本 (2000)は 都 市移住 の一 形態 として同郷 団体 を認識 しつつ も、それ. ぞれ の 内部構成や成 立のあ り方 を検討す る こ との 重要性 を述 べ て い る。多様 なライ フス タイ ル や 社会 関係 の 中で 、生活す る都 市移住者 が適応す るた め の手段 として選択す る同郷 団体 の 意義 と、 都 市 に与 えるそ の影響 に注 目す る湯浅 (2000)の 視 点 も、同郷者集 団 とホ ス ト社会 の相 互 作用 を 無視 して論 じるこ との不可能性 を示唆す る。. 3近 年 の例 として は、阿部 (2000)、 福本 (2004) 4松 本 (1969、 1971)は 、そ の嗜矢 で あ る。 5成 田 (1998)を 参 照。. 6例 え ば 、 松本 7本. 中西 (2004)な どが あ る。. 0丸 木 (1994)、 新原 (1995)、 鰺 坂 (2009)な ど。. 稿 で は、都 市 にお いて 同郷者 に よ つて結成 され た団体 で 、郡 、市町村 、校 区、字 を単位 と してい る もの を同郷 団体 と呼び、同郷 団体 に加 えて県人会や 同窓会 を含 めた団体 をま とめて 同郷者集 団 と呼ぶ こ ととす る。.
(9) と りわけ、沖縄 の よ うに近代 国民国家 へ の包摂過程 で住民 が他者化 され 、「日本 人」 とい う範 疇 の境界線 上で社 会的、文化 的 に不安定 な位 置 に置 かれ る こ との ある、境界地 borderlandsの 出 身者 はそ う した面が強 い. 8。. 例 えば 、冨 山 (1990)は 近代国民国家 と労働 市場 に組 み込 まれ て い. く「沖縄人」 とい う標識 に着 日 し、他者化 され た 沖縄 出身者 の 同郷団体や複数 の 階層 の 人 々の対 応 を分析 してい る。また、水 内 (2001)は 大阪 の集住 地 区にお ける 「沖縄」 カテ ゴ リー を通 した 抵抗 の様相 を描 いた。錯綜 したネ ッ トワー クの なかに暮 らす 「都 市人」と しての 沖縄 出身者 の 姿 を提示す る桃原 (1997)や 山 口 (2008)は 、出身 地 の 特性 に影響 を受 けつつ も決 して一面的 に捉 え られ な い 、境界 地出身者 の複雑 な都 市生活 の形態 を明 らかに して い る。. Ⅱ. コ ミュニ テ ィ/ア ソシエ ー シ ョン概念 の 再考. これ まで原初 的紐帯で結 ばれ た始 原的 な集 団 を前提 として考 え られ る こ とが多か っ たエ ス ニ シテ ィ概念 の再考 も、近年 な され るよ うにな つて きた。 ここまで 「コ ミュニ テ ィ」や 「エ ス ニ ッ ク集 団」 とい う語 を用 いて きたが、両者 は共 に決 して均 質 な一枚岩 の集 団 で はな く、それ らを構 成す る個人 に よつて 、自らの所属す るエ ス ニ ック集 団 との 関 わ りの度合 い は当然異な つ て くる と 思われ る。エ ス ニ ック集 団内 にお ける組織化 は多 く見 られ るが、そ う した組織 と個人 との 関係 の 密接度 は様 々で あ り、同一 の エ ス ニ ック集 団内 に複数 の組織 が発 生 し、 しば しばそれ らの組織 間 にお ける摩擦 が顕著化す る可能性 も否 定で きな い。時 にはイデ オ ロギー 的色彩 を帯びた対 立 さえ 起 こ りうるので あ る。また、エ ス ニ ック集 団 が文 化 的生活 の 面 でチ ャー ター集 団 に同化す る、ま たは同化 させ られ る とい うこ とも当然 あ り得 よ う。 従来、固定的 な地域性 に基 づ く社会的相 互 作用 の形態 として コ ミュニ テ ィは捉 え られ て きた。 例 えば 、近代 にお ける社会構成 を論 じた 古典的研 究 で あるテ ンニエ ス (1957)は 、近代化過程 に つい てゲマ イ ンシ ャ フ ト (原 初的紐 帯 )を 基礎 とす る社会 か らゲ ゼル シ ャ フ ト (社 会契約的紐 帯 ) を基礎 とす る社会 へ と移行す る過程 として捉 えて理 論化 した。つ ま り、テ ンニ ー スの ゲ マ イ ンシ ャ フ ト/ゲ ゼル シ ャ フ ト論 の要諦 は、地縁や血縁 に基 づ くコ ミュ ニ テ ィが希 薄化 し、近代期 では 代 わ つて企 業や労働組合 に代表 され る結社 的 な社会集 団 を主体 と した社 会 が 浸透 して い くとい う構 図だ が 、ここで想 定 され て い るゲ マ イ ンシ ャ フ トに基 づ く社 会集 団 の典型例 こそが 、伝 統的 な規範 を有 し、原初的紐 帯 に よつ て 関係 が結 ばれ た コ ミュニ テ ィで あ つ た。 テ ンニ ース に よる前近代 の社会集 団認識 はマ ル ク ス主義的 な発展段階論 に基 づ くもので ある. 8例 え ば 、小 熊 (1998)や Kaplan(1999)を 参 照 。.
(10) が 、一 方で近代社会 に も適用可能 な普遍 的概念 として コ ミュニ テ ィを定義 したのが マ ッキー ヴァ ー (2009)で あ つた。 20世 紀前 半 にお ける コ ミュニ テ ィ論 の代表 として知 られ る彼 は、 コ ミュ ニ テ ィを 「あ る種 の またあ る程度 の独 自な共通 の諸特徴― 風習、伝統 、言葉使 い そ のほか一 」が 発達 した 「集 約的な共 同生活 の諸核 」 と定 義 して い る。そ の上で 、 コ ミュニ テ ィ こそが 、契約 に 基 づ く 「共 同 の 関 心 豚J害 〕ま たは諸 関 心 を追求す るため の組織 体」であるア ソシエ ー シ ョンの 「母体」で ある と論 じてい る。 この コ ミュニ テ ィ とア ソシエ ー シ ョンの二 項対 立 的な定義 は、両 者 を時間に沿 つた移行 ではな く、同時代 に存在す るもの として議論 してい る とい う点 で違 うもの の 、テ ンニ ースの ゲ マ イ ンシ ャ フ ト/ゲ ゼル シ ャ フ ト論 と同様 に、コ ミュ ニ テ ィを原初 的 で 固定 的 な同質 の基盤 として捉 え、社会契約 的 に成 立す るア ソシエ ー シ ョン と明確 に 区別 してい る点で 共通 して い る とい えよ う。 しか し、それ ぞれ コ ミュニ テ ィを原初 的で有機 的 な もの として、他 方、ア ソシエ ー シ ョンを機 械 的 な もの と して捉 える図式 には再考 の余地 が大 い に指摘 され て きた。例 えば 、これ らの議論以 前 の近代社会論 の噌矢 ともい える『 社会分業論』な ど、デ ュル ケ ム に よる議論 の 中心 的 な関心は 流動性 を帯びて近代期 に社会的 な るものが 陥 った危 機 、 つ ま り利 己的 な個人主義 の 台頭 に よる 「ア ノ ミー 」へ の対処法 を発見す るこ とにあ つた。そ して 、社会 の 再組織化 の た めに見 出 され た ものが 、前近代 にお ける コ ミュニ テ ィ とは異 な る、脱伝統的 な コ ミュニ テ ィ として の 「二 次的集 団」で あ つた。これ は同業者組合や職業集 団な どを指す もの で あ るが、中間集 団 とも換言 で き る。 この 「二 次的集 団」 として の 中間集 団 を基盤 に成 立す るもの として社会 を捉 え、そ の なかで醸成 され て い く市民的 な連帯 と市民道徳 に期待す る立場 をデ ュル ケ ム は採 つてい た (デ ラ ンテ ィ 2006)。. この議論 にお いて 、 コ ミュニ テ ィ とア ソシエ ー シ ョンの 間にお ける伝統的な るもの と結. 社 的 な るもの とい う二 項対 立 的 な区別 は意味 を持 たず 、真 島 (2006)の 述 べ るよ うに 「コ ミュニ テ ィ とア ソシエ ー シ ョンは現実 の場 で相互嵌入 的で ある」 こ とが前提 とな る。 さらに 1980年 代以降、 こ うした 中間集 団論 を古典 とす る コ ミュニ テ ィ概念 の根本的 な再定義 の必要性 が迫 られ るこ ととな る。従来 の伝 統的 で あれ 、脱伝 統的 であれ 、客観 的 な概念 として語 られ が ちであ つた コ ミュニ テ ィを、「想像 され るもの 」 として考 える象 徴論 的な アプ ロー チが主 流 とな り、関 心の 中心 は コ ミュニ テ ィが内在す る意味や アイデ ンテ ィテ ィ に向け られ るよ うにな つ たの であ る。 これ は 、アイデ ンテ ィテ ィ とは特定 の基盤 に依 拠 して本質的 に決 定 され るもので はな く、社会的、文化 的な構築 に よつて表 明 され て い くとい う議論 にシ フ トした、アイデ ンテ ィ.
(11) テ ィ概念 の 「構築 主 義的転 回」. 9と. も連動す る。デ ラ ンテ ィ (2006)が 整理す るよ うに、文化 的. な要素 を象徴 としてアイデ ンテ ィテ ィや他者 との差異 を構築す る こ とで 、特 定 の コ ミュ ニ テ ィが 創 られ て い くとい うア ンダー ソン (1987)や コー エ ン (2005)の 指摘 は 、そ の典型例 で あ り、後 の研 究 に多大 な影響 を与 えた。 同様 の構築主義的な議論 は文化人類学で のエ ス ニ シテ ィ論 の再考 とい う形 で 、よ り早 い 段階 か らな されて いた。 そ の先駆者 た るバ ル ト (1996)は 、エスニ ック集 団 の属性 は言語や宗教 、出 自 とい った 客観 的 な要素 に よつて規定 され るのではな く、人 々 の行動や政治 的、社 会的利 益 に基 づ くもので あ る と主張 した。そ して エ ス ニ ック境界 は絶 えず社 会的 に再構 築 され 、変更 され てい く と論 じた。 これ は主観 的 アプ ロー チ と呼ばれ る非実体論 的な エ ス ニ シテ ィ論 の噌矢 で あ り、エス ニ ック境界 を動的 に捉 える考 え方 は現在 の 主流 とな つ て い る。 しか し、これ ら構 築 主義 的 アプ ロー チが有す る矛盾 も否定 で きな い。例 えば非実体論 的 アプ ロ ー チは、これ まで コ ミュニ テ ィの紐 帯や アイデ ンテ ィテ ィの 変容過程 に関す る議論 を等 閑視 して きた とい え る。なぜ な らば、現 にエ ス ニ シテ ィな い し帰属意識 を通用 させ て きた源泉や根拠 の検 討 とい う行 為 自体 が原初 的愛着や実体論 の 肯定 に陥 る恐れ が あ り、逆 に構築性 の 強調 は コ ミュニ テ ィを単 な る虚構 として片付 ける平板 な議論 にな りかねないか らで ある (松 田 2004、 典那覇 2006)。 加 えて、 コ ミュニ テ ィや エ ス ニ ック境界 を道 具論的 に捉 えることは成員 の主観や主体性. を前提 とし、本 質 主 義的 な議論 にな つて しま うとい う点 も指摘 で きよ う。集 団 の 目的合理性 や成 員 の合意 に基 づ くエ ス ニ ック境界 の生成 維持 の理 解 は、諸集 団間 の不均衡 な関係性 を軽視 し、マ イ ノ リテ ィ集 団 が 押 し付 け られ る否定的な有標化 を看過 しかねな い とい つ た批 判 も認 め られ る (金. 1999:金 2000)Ю 。. よって 、筆者 は コ ミュニ テ ィを構築物 ではあるが明確 な境界 と帰属 を要請す る存在 として再生 産 され て い くもので あ り、決 して一 枚岩 ではな く差異 を内在 しつつ も、そ の存在 を担保す る何 ら かの共 同性 を有 してい るもの と捉 える。従 つて 、そ の 共 同性 を想像 させ得 る基盤 として の 出身地 に根差 しつつ 、外 的要因た る社会的な有標化 に よ つて対他的 に構 築 され てい くアイデ ンテ ィテ ィ や 同郷者ネ ッ トワー クの様態 を、コ ミュニ テ ィの形成過程 とともに分析 してい く必要性 を重視す る。. 9. 詳 しくは 、宇 田川 (2006) を参照 の こ と。 えて、 「マ イ ノ リテ ィ」 集 団 の連帯や被抑圧 的 な状況 へ の異議 申 し立ての 際 に有用 とな る、戦略的 本質 主義や アイデ ンテ ィテ ィ・ ポ リテ ィ ク ス な どに依拠 した議論 さえ も、構 築 主義 的 アプ ロー チ は単 な る虚構 として結論付 けて しま う恐れ も指摘 で き る。. 10加.
(12) ナ シ ョナ リズム と同化理論. Ⅲ. 以 上の視座 に基 づ き、本研 究 では奄 美 出身者 の 同郷 団体 を第 一 の 手掛 か りと して 、日本 「本 土」 の大都 市圏 にお け る国内 の周辺地域 出身者 の コ ミュニ テ ィについ て 、そ の集住地 区で あ る神 戸 を フ ィール ドとして考察 してい く。「本 土」在 住奄美 出身者 に関 して 、 一 連 の 同郷者集 団研 究 にお いて は同郷 団体活動 の 参与観 察 か ら「郷 土」意識 の ノス タル ジ ックな様相や 、出身者 の郷里 との 結 び つ きの形態 な どが明 らかに され て きた (安 斎 ほか 島. 1990、. 1981、. 1982;小 林. 1986、. 1987、. 1994;田. 1991;田 島 2001;西 村 2006)。. 近代 国民国家 に包摂 されて い く過程 で 、住民 が他者化 され る局面 に しば しば遭 うこ ともあ る奄 美 の よ うな境界地 borderlttdsで は、政治的不安定や緊張 に伴 い 、出身地 の特性 が人 々の アイデ ンテ ィテ ィに極 めて複雑 な影響 を与 える (Kaplan 1999;興 久 田 2000;Moris‐ Suzuki 2004)。. ゲル. ナ ー (2000)の 述 べ る通 り、国民国家 自体 が も とも と存在す る統一 され た 「コ ミュニ テ ィ」 の浮 かび上が っ て きた もので はな く、近代化過程 で新 たに創 造 され た制度的 な境界 に よつて分節化 さ れ た もので ある。従 って 、国民国家 を取 りま く境界 の 内側 に対 しては 、ナ シ ョナ リテ ィ に基 づ く 法的地位や様 々 な文化 的な装置 に よつて創造 され 、表象 され 、そ して再生産 され たナ シ ョナル な 文化 な どを 「根拠」に内部 の差異 は無化 され た り、無化す るよ うに努 める同化 が 要請 され た りす る (ホ ブ ズ ボ ウム・ レンジ ャー 1992)。 そ の結果 、境界 地 の住 民や 出身者 をめ ぐる法的 、文化 的、 社会的不安定性 は、本質主義的な同一 化や 同化圧 力 を伴 って構成 され る国民国家 が本源 的 に抱 え る矛盾 の一 端 とい えよ う。小 田 (1995)は ネ ー シ ョンや エ ス ニ シテ ィ といつた 「想像 の 共同体」 へ 結 び付 けて い く過程 を、複数 の集 団間 の 「境界 を 100%と. 0%の 違 い まで極 大化 した類化 のマ. ジ ック」に よる 「まや か し」である と述 べ る。そ して 、そ の虚構 に よつて 制度化 され た境界 に よ つて 取 り囲まれ た 国民国家内部 には 、必ず 「境界 の外 に も内に も 100%の 共感 に よるアイデ ンテ ィテ ィをもてない エ ス ニ シテ ィの葛藤 を生む」 と指摘す る。 シカ ゴ学派社会学 の 中心 人物 として著名 なパ ー クは 、この よ うな 立場 にあ る人 々 の こ とを 「マ ー ジナル 0マ ン」 と呼び、20世 紀初頭 のアメ リカ合衆国にお け る移 民研 究 を展 開 した (パ ー ク 1986)。. マ ー ジナル 0マ ン とは、パ ー クや Stonequist(1937)ら を嘱矢 とす る諸研 究 か ら 「二つ 以. 上の 異質 な社会集 団 と文 化 に同時 に属 してい るか、あ るい はそれ らの境 界 に位 置 し、 どち らに も 十分 には帰属 で きない 人間」と定義 づ け られてお り、国民国家 の境界 地 の住 民や 出身者 はそ の典 型例 とい える。Parkを 始 め とす るシカ ゴ学派 の社会学者 は、移 民 が移住先 の 多数派社会 との接触 を通 した相 互 作用 の 中で、他 のエ ス ニ ック集 団 との車L礫 を生 じさせ た り、ハ イ ブ リッ ドな文化 を.
(13) 生成 した りす る状況 を この マー ジナル 0マ ン概念 で説 明 しよ うと した。 ただ し、 この概念 には様 々 な批判 が存在す る こ とも事実であ る。例 えば 、「マー ジナル 0マ ン」 とい う語 か らも見受 け られ るよ うに、この概念 は極 めて男性 中心主 義的 であ る とい う批判や 、そ もそ も この概念規定は本質主義的な文化 と文化 の境界 を前提 とし、ス テ レオ タイ プな移 民像 をマ ー ジナル・マ ンの立場 にあ る人 々 の特徴 として言 い換 えただ けで ある とい つ た批判 が これ までな され て きた (森 本 2009)。 加 えて 、筆者 が ここで特 に指摘す べ き批判点であ る と考 えるの は、 マ ー ジナル 0マ ン概念 が前提 として い るパ ー ク らの提唱 した 、い わゆる同化理論 が抱 える問題 であ る。 Pttk and Burgess(1921)は 代表的 な同化理論 として も後世 に大 きな影響力 を及 ぼ した論稿 で あ る。 ここに描 かれ た異 質 な社会集 団間 の 多数派社会 へ 同化 してい くモ デ ル とは 、以下 の よ うな も ので あ る。まず 、異 な る文化 を持 つた 諸集 団 が接触す る ことに よつて 、資源獲得 をめ ぐる「競合」 関係 が生 じる。そ の後 、さらには互 い へ の攻撃 を含 む軋蝶 が生 じるよ うな「葛藤 」の段 階 を経 て 、 共存 関係 を 目指 した 「適応 」の段階 に達 し、最終的 には集 団間 の価値や文化 を受 け入れ た 「同化」 へ と至 る とい うもので ある。 この理 論 は渡米 した様 々 な出 自をもつ 移 民たち が 、次第 に 「ア メ リ カ 」 とい う価値観 を共有す る社会 の一 員 として差異が無化 され てい くとい う、いわ ゆる 「人種 の るつ ぼ 」 として比喩 され る同化 モ デ ル であ る。 シカ ゴ学派 の社会学 が花開 い た 20世 紀初頭 のア メ リカは、急激 な産業発展 と労働 市場拡大 に 伴 い 、南欧や東欧 、そ してアジアな ど世界 の あ りとあ らゆる地域 か らの移 民が生活す る、多様 な 人種構成 に よつて成 り立つ 社会 とな って い た。そ の反動 として、WASPを 中核 とす る多数派社会 に対す るエ スニ ック・ マイ ノ リテ ィの 「異質性 」が 問題視 され 、新 た な移 民排斥や人種差別 が顕 在化 した時 代 であ った。文化的 に異 な る諸集 団 も、様 々 な段 階 を踏 んで結果 的 にはア メ リカ社会 へ 同化 してい くとい う Pttkの 同化理論 は、 この 当時 の 「異質」 な移 民 の排斥 を正 当化す る言説 へ の対抗言説 として の意義 があった。 しか し、現在 で は同化 そ の ものが 、そ の支配的な規範 が 恣 意 的 に設定 され る とい う政治性 の抱 える問題や 、そ の 同化 され るべ き規範 が 担 う暴力的 な抑 圧 ヘ の批半Jに よつ て 、 広 く批半J的 に捉 え られて い る。 実際 に、そ の後 1960年 代 のア メ リカで巻 き起 こった公 民権運動 が 同化理論 の描 く近代化像 を明 白に否定 し、以降、エ ス ニ ック集 団研 究 は前述 の構築主義 的転回や多元主義的な視 点 を含 んだ研 究 (例 えば、 グ レイザ ー 0モ イ ニハ ン 1986) へ と移行す る。 マ ー ジナル 0マ ン概念 は、 こ うした Pttkら の 同化理論 の延長線 上 に設 定 され た概念 で あ り、 先 に挙 げた同化理論 の 問題 点 を無視 、または軽視 して い る とい う批半Jを 免れ るもので はな い。た.
(14) だ し、マー ジナル 0マ ン概念 を用 い た研究が 指摘 した 、境界 に位 置す る人 々 が複数 の文化や社会 に立脚 しなが ら、混清的 な文化や アイデ ンテ ィテ ィを生 成 してい く可能性 へ の言及 は 、21世 紀 の移 民研究 にお いて も重要 な視角 として評 価 され るべ き とい える。もち ろん 、Pttkら の想起 した 混清 的 な文化 は、そ の後 の文化論 的転 回 を経 て論 じられ て い る文化 的混清 と同一では な く、やや 本質主義的 で統一 され た単位 として の 文化 の ミックス された もの とい うニ ュア ンスが 強 い 点 は 指摘 しな くてはな らない。 しか しなが ら、境界 地である奄美 出身者 の 「本 土」へ の移住過程 を主 題 とす る本論 にお いて は、そ の境界線 上の人 々の様 々 な反応 をそ のマー ジナル な位相 か ら考察す る視角 自体 は有用 な もの とい えよ う。 では 、マー ジナル 。マ ン概 念や 同化理論 へ の批判 を踏 まえ た上で、それ らの 問題 を超 克す るには、いか な る視座 で の考察 に可能性 を見 出せ るので あろ うか。. 「移動論的転 回」 と移 民研 究. そ こで筆者 は、現在 、英語 圏 の人文地理学 にお い て提唱 され て きた移動論 の援用 を試 み た い。 近年 、国家やネ ー シ ョン、 コ ミュニ テ ィや エ ス ニ シテ ィ とい つた もの を、静的な範疇 に よつて 規 定 され るもの として進 め る従来 の人文社会科学 に対す る批判 として、事象 の流動性や移 動そ の も の に焦点 を当てた 「新 しい移動 パ ラダイ ム」、 または 「移動論的転回」 と呼 ばれ る研 究 の方 向性 が現れ て きた (Ury2004、 Blunt2005、 2007な ど)。 移 民研究 はま さに、人 の移動 をめ ぐる最 も重 要 な主題 で あ り、コ ミュニ テ ィやネ ッ トワー クを動的 な もの として考察す る必要性 が 以前 か ら指 摘 され て きた研 究課題 であ る。そ の なかで、移動論的転 回を受 けた地 理 学 にお け る移 民研 究 にお いて は 、出身 地 と居住地 の相 互 作用、特 にそ の両者 を双方 向的 に移動 した り、架橋 した りす る動 態的 な生活基盤 の あ り方 に注 目され て きた (Blunt2007)。 態 の こ とを Corlradson and Lttham(2005)は. この 出身地 と居 住 地 の 間 を接続す る形. 「移 民 の 中間化. middling」. と呼び、他 の移 民 とのネ. ッ トワー クや物理的 に離れ た地域 に生活す る家族 との親密 なネ ッ トワー キングに重要性 を置 い てい る。 「新 しい移動 パ ラダイ ム」に含意 され る流動性 には、出身地 と居 住 地 の どち らに も属す 、 また 、 または属 さな い移 民 の弾力性 の あるアイデ ンテ ィテ ィの動態性 も含 まれ る。ここで考慮す べ きな の は 、移民 の帰属意識 の基盤 とな るホー ムヘ の注 目で ある。近年 の 「ホー ムの 地理学」をめ ぐる 議論 を展望 した福 田 (2008)の 整理 に よれ ば 、移動論 を踏 ま えたホー ムの研 究 には 、①社会 的 な 過程 で動的 に形成 され たホ ー ム をめ ぐるポ リテ ィクス 、② ホー ム を位置 づ け るス ケ ール の 問題 、 ③ ハ イ ブ リッ ドな主体形成 を生 じさせ るルー ツ とル ー トの存在 、④ ホー ムの 空間的ポ リテ ィ ク ス.
(15) と女性 の 関係性 、⑤集合 的記憶 とホ ー ムの共有、とい っ た論 点 か らホー ム とアイデ ンテ ィテ ィの 相 互 関係 が 問 い 直 され て い る。 これ らの論 点 を移 民研 究 の研 究課題 に 引きつ けて考 えれ ば 、従来 の 固定的 で本 質的 な もの として のホー ムの捉 え方 を否 定 し、物理的 な出身地 /居 住地 だ けで はな く、象徴的 で想 像 され たホ ー ムヘ の帰属意識や複数 のホー ム を持 ち得 る移 民 の諸 実践 へ の着 目が 特徴 的であ る。そ して同時 に、これ までに筆者 が指摘 して きた コ ミュニ テ ィや エ ス ニ シテ ィを め ぐる本質主義的 で 静的 な見方 を排 除 し、多角 的に動態的 な過程 ヘ ロを向ける必要性 と極 めて重 な る ところの 多 い視 点 とい える。 戸邊 (2008)は 1990年 代 か ら盛 んに蓄積 され始 めて きた近代 日本 の植 民地研 究 を振 り返 り、 「植 民地支配 に よつて離散 を余儀 な くされ た人 々 (デ ィア ス ポ ラ)の 移動 と定住 の諸相 、越境 的 な生活 圏、定住先 の権力 との 交渉や抵抗」 (71頁 )な どの実態 を解 明す る試 み に 、 ポ ス ト 0コ ロ ニ アル な状況 に置 かれ た人 々 の研 究 の 可能性 を見 出 してい る。筆者 も同様 の 可能性 を肯定的 に捉 える とともに、ナイ ー ブな 同化理論 に陥 穿す る こ とを避 け、マー ジナル な位相 にある移 民 の 状況 を、コ ミュニ テ ィや ア ソシエ ー シ ョン、そ してネ ッ トワー クを動態的 に捉 える枠組み の なかで明 らかに したい と考 える。 そ こで 、本稿 では 日本 「本 土」にお ける奄美 出身者 を事例 として 、いか に 国民国家 の周縁地域 として の特性 が住 民、または出身者 に様 々 な影響 を与 え、それぞれ の アイ デ ンテ ィテ ィ構築 に作用す る点 に着 目す る。 そ して 、 ホ ス ト社会 との世代 を越 えた 関 わ り合 い 、 特 に移 住者集 団 が組 織す る同郷 団体 に関わ る諸実践 に着 目 し、内的要因 と外 的要 因 の解 明 を通 じ て 、移住者 の移動過程 の なかで移住者 集 団 の 同郷 団体 の機能やネ ッ トワー クが いか に変容 した の か分析 してい くこ とを研 究 目的 の要諦 に据 える。. V. 研 究対象 と論文構成. (1)「 奄美 」 の近代 日本 へ の包摂. 本論 で扱 う奄美 は、か つ て琉球王 国 の版 図にあ つ た ものの 、 17世 紀 には薩摩 藩 に征服 され て 過酷 な搾取 を受 けた。また、 日本 に包 摂 され た明治維新後 は鹿児 島県 に属 しなが らも、財政 上 は 県 か ら切 り離 され る 「独 立経済」を 1889年 か ら 1940年 まで強 い られ 、経済的 な困窮 に直面 した H。. 第 2次 世界大戦後 には北 緯 30度 以南 の 沖縄や小 笠原 同様 に 日本 「本 土 」 か ら行政分離 され 、. サ ンフ ラ ンシス コ講和条約発効 に よる 日本 の主権 回復後 も、 1953年 末 までア メ リカ軍政 下 に置 かれ た。 この よ うに、奄 美諸 島は 日本 「本 土 」 =ヤ マ トと歴 史的文脈 にお い て 多 くの差異 が 存在. H西 村. (1993)に 詳 しい。.
(16) す る、近代 日本 の境界地 とい える。 奄美 が 多数 の移 民 を輩 出す る人 口流 出地 にな った 背景 には、近代 日本 の経済的、文化 的、社会 的周縁 として位 置 づ け られ た こ とに起 因す る。特 に、奄美か らの移 民 を生みだす 主因 とな つた 戦 前期 の脆弱 な奄美経済 は、サ トウキ ビのモ ノカル チ ャー 経済 とい う特徴 が色 濃 く極 めて不 安 定で あ った。 そ の ため 、例 えば 19世 紀末期 か らの度重 な る台風被 害 の結果 、奄美最南端 の 与論 島で は家屋 の倒壊や農 作物 の被 害 に よつ て生活 の継続 と現 金収入 が 困難 にな り、九州 北部 の 産炭 地域 へ集落 ごとの集 団移住 を余儀 な くされ た (南 日本新 聞社 2005)。 また、1920年 代 に国際的な糖化 暴落 の あお りを受 け、沖縄 同様 、「そて つ 地獄」 と呼 ばれ る飢饉 が発 生す る こ ともあ つ た。 こ う した状況 の 中で 、奄美 ので は一 定 の年齢 に達す る と男女問わず 日本 「本 土 」の工 業地帯や産炭地 域 、ま たはアメ リカ大陸 な どの海外 へ 移住す る こ とが、20世 紀初頭 か ら少 なか らず行 なわれ た ので あ る (西 村 1993;元. 1997)。. 特 に、第 1次 世界大戦後 に急速 な発展 と労働 市場 の拡大 をみた. 阪神 工 業地帯 へ の 人 口流 出は、 1885年 か らす でに開設 され ていた 沖縄 0奄 美 と神 戸・ 大阪 を結 ぶ定期航路 の存在 を背景 に顕 著 で あ っ た。 加 えて 、奄美 の周縁性 は経済的な側面 に限 つ た もので はなか つた。い わゆる 「標 準語」教育 に 代表 され る近代 日本 が支配 した植 民地で の 国民化教育 は、単 な る国民統合 の推進 だ けで はな く、 いわ ゆ る 日本的 な 「国民文化」を先進 的で洗練 され た望ま しい文 化 として規 範化 す る こ とに重点 が 置 かれ 、頂点 として 日本 「本土」 と周 縁地域 との上 下関係 を 自明視す る効果 が 意図 され ていた (例 えば 、陳 2001)。. 内地 に位 置 した とは い え、「本 土 」 とは文化的 な差異 を多 く有す る奄美 で. も同様 の効果 は認 め られ 、国民化 の障害 とな り得 る と考 え られ た思想や 事物 へ の 否 定的感 情 が 、 実際 の排斥運動 として発生 した例 もあ つた (例 えば 、麻 生 20H)。 近代 日本 へ の包摂過程 が奄美 に与 えた 絶大 な影響 を語 る上では、本稿 で も使用 してい る「奄美」 とい う地名 が一 般 に普及す る過程 自体 が極 めて象徴 的 である。もともと明治維新 以前 に薩摩藩 の支 「オオシマ」という呼称 が喜界 島、大島本 島、徳 之島、沖永 良部 島、与論 島まで 配下にあった時代 には、 の地域を指す地名 として一 般 的であつた (津 波. 1996)。. 廃藩置県後 の 1879年 に施行 された郡 区町村編. 制法 によつて正 式 に名付 けられた大島郡という行政地名も従来 からの呼称である「オオシマ」をそのまま 「奄美」という呼称 が公 的 に地名 として用 い られた例 は、1874年 に海 軍水 使用 したものとされる。一 方で、 路寮 によつて編集 された 『 南島水路誌』に大島本 島 が「奄美 島」として掲載 されているものが初 出であり、 「 同年 に海 軍水路局 が作成 した 『 大 日本海岸 実測 図』の 中 に 大 日本奄美大島海峡西部図」という図 が登 「奄美大 島」や「奄美群 島」といった 場する。以降、海 軍 による測量はその後も数 回にわたつて行なわれ、 呼称 がほぼ定着 していく。町 (2010)に よれ ば、一連 の軍事的 な海 図 の作成 とその際 の「奄美」という地. 10.
(17) 名 の使用 が 、社会 一 般 へ の「奄美」呼称普及 の一 義 的な役割を果たしたという。1925年 に鹿児 島市在 住 の奄美 出身者 によつて奄美 の「郷 土雑誌 」として発刊された 『 奄美』)の 創 刊号 に 『 奄美大 島』(以 下、 は、当時 の奄美 という呼称 について以下 の記述 がなされている。. 「大島」という地名 はところどことにあるので陸海軍をはじめ一 般 にわが大島をあまみ大島と呼ぶ ことが はや つ てきた。あまみという名 は古 いが一 般 に使 はれるやうになつ たの は近来 のことだ。斉明紀 には「海 「奄美」といふ 文字は元明紀 から見 えてゐる、阿摩爾姑 とい 見」、天武紀 には「阿麻爾」と記 してゐるが 、 ふ 女 の神様 が海 見嶽 に天降 つ たといふのが大島開開 の博説 になつ てゐる、これが「あまみ」の名構 の起 こりだといふ 。(『 奄美』1925年. H月. 号、1頁 ). ここから、古来 より奄 美は 日本 のなかの「あまみ 」であつたということを、天皇紀 の記述や開開神 話から自 「奄美」という呼称 が近代期 に定着する契機 の 明視化 しようとする言説 の存在 が垣 間見える。同時に、. 1. つ が陸海 軍 による地名 の使 用であつたこともうかがい知るこ.と ができる。また、戦前期 における「奄美」地 り 名 の普及 に絶大な影響を与 えた出来事である、1927年 の昭和天皇来島 が「奄美大 島行 幸」 として 大 々的に執 り行われたこととあわせて、近代的な領域概念 に基 づ く国土編成作業 の 中で一般 化 した「奄 美」という呼称 自体 が 、近代以降 の国民国家・ 日本 に組 み込まれ ていつた奄 美 のポストコロニアルな状況 を示唆 しているといえる。こ うした 状況 の 中で 、奄美 出身者 は 「本 土」 に移住先 で 、次章 に述 べ る 様 々 な偏見 に基 づ い た他者 化 を受 けるこ ともあ つたが 、それ に関 しては奄美 出身者 の反応 ととも に詳 しくは次章 にて詳述す る。 林 (2005)は 、香港 、沖縄 、台湾を「辺 境東 アジア」として定 義 し、ナショナリティの変更など法的地位 を めぐる不安定化と、辺 境 に位 置す ることで揺れ動く帰属意識 の不安定化 についてポストコロニアルな文 「辺境」として帰属変更 を強 い られたことに対する 脈 から考察 している。とりわけ、林 が注 目しているの は、 点を踏まえて、政治的、社会 反応 としてのアイデ ンティティ0ポ リティクスである。本稿 にお いても同様 の視 ′ 「本 土」へ 移住 した出身者 の諸実践をもとに明 的、文化的 に近 代 日本 の周縁 に置 かれた奄美 の位相 を、 らかにしていく。. (2)論 文 の構成. 以 上の視座 に基 づ き、本論では以下 の構成で議論を進 めていくこととする。. 12天 皇 の来 島 にあた り、鹿 児 島県大 島支庁 は住 民 に対す る大 々 的 なキ ャ ンペ ー ン を行 な つた 大 島支庁 1929)。. (鹿 児 島県.
(18) 第 1章 では 、戦前期 にお け る奄美 出身者 の 同郷 団体 の 生成期 の状況 を明 らか に し、奄 美 出身者 がいか にホ ス ト社会 か らの まな ざ しに対応 したのか 、同郷団体 の活動 を事例 として解 明 を試 み る。 先行研 究 が示 す通 り、戦前期 に 日本 の 大都 市圏 で広 く見 られ た同郷 団体 の形成 は、主 に 「エ リー ト層」を中核 としてな され た。 よつ て 、 ここでは 同郷 団体活動 に携 わ った 「エ リー ト層 」 の言説 を手掛 か りに分析 を行 な う。ま た 、従来 の研 究では未解 明で ある点 を考慮 し、当時 の 具体的 な同 郷団体 の諸活動 の解 明 も行 な ってい く。資料 につ いて は 、1925年 か ら 1944年 まで出版 され た『 奄 美大島』 とい う日本全 国 の奄美 出身者 向け の 月刊誌 を用 い る。また、当時 の社会的な背景や移住 地 の 多数派社会 の言説 を探 るために、関係す る新 聞記事や行政資料 も側面 を補 うもの として扱 う。 第 2章 では 、第 2次 世界大戦直後 か ら 1953年 まで の奄美諸 島 の米軍統治時代 を対象 とす る。 この 時期 は 「本土」在住奄美 出身者 の境界地 出身者 として の特性 が 最 も顕在化 した時 期 で あ る。. 1950年 代 に展開 され た 「復帰運動」 は 、奄美諸 島住 民だけではな く 「本 土 」在住 出身者 も巻 き 込んで繰 り広 げ られ た もので 、そ の運動 に付 随す る 「名乗 り」の 問題 は研 究対象 のアイデ ンテ ィ テ ィを考察す る上 で 、非常 に重 要 な要素であ る。 従 つ て 、「復帰運動」 にお け るアイデ ンテ ィテ ィの提示 の され方や運動 アイデ ンテ ィテ ィの収飲・分離 に焦点 をあて、そ の動態性 を論 じてい く。 そ の た めに有用 なテキ ス トとして、この章 では 「本 土 J在 住奄美 出身者 が参加 した集合行為 で発 せ られ た宣 言文や声明文 を用 い 、移住者集 団 として の彼 ら/彼 女 らの領域的 アイデ ンテ ィテ ィの 変容 を探 る。加 えて 、奄美諸 島 自体 で行 なわれ た運動や 「本 土」にお いて複数 の 地域 で行 なわれ た各運 動 との相 互 作用 につい て も触れ るこ ととす る。 第 3章 では 、「本 土復 帰」後 の奄美 出身者 コ ミュニ テ ィに関 し、都 市内部 での 日常的 な生活 実 践 を通 した 同郷者ネ ッ トワー クを通 時的 に分析す る。まず手掛 か りとして 、国内 で唯 一 、奄美 出 身者 の 同郷 団体 が 会館 を設 立 した神 戸 の事例 を中心 に 、同郷 団体 の再構成 の様子 と諸活動 を考察 す る。 ここでは 、「復帰運動」以降 の政治的 な活動や多様 な同郷者 のネ ッ トワー ク、 さ らには同 郷者 の枠 を超 えた個人的なネ ッ トワー クの様態 を探 る。そ の ため、本章は統計や新聞記事、それ に同郷 団体 の 出版物等 の資料 に加 えて 、聞 き取 り調査や 同郷 団体活動 へ の参 与観 察や調査票調査 に よつて得 られ たデ ー タが大 きな比重 を占める こ ととな る。また、集 住地 区 の 「磁場 」 として効 果 に 目を向 け、地理的 な居 住 地 の変容 と移 住者ネ ッ トワー ク との 関連性 も探 る。 第 4章 では 、同時代的 な奄 美 出身者 コ ミュニ テ ィ にお ける文化活動 を取 り上 げ る。特定 の 同郷 者 コ ミュニ テ ィを中心 にな され る象 徴 的な文化活動 は、当該 コ ミュニ テ ィのアイデ ンテ ィテ ィを 考察す る上で、エ スニ ック集 団研 究 にお いて 重要視 され る。本研 究 において も文化的 プ ロセ ス に 注 目し、コ ミュニ テ ィ維持や アイデ ンテ ィテ ィ形成 にお ける文化 的事象 の意義 につい て検討す る。. 12.
(19) 特 に 「エ イサ ー 」や 三 味線 教室 な ど、出身地 を表象す るよ うな文化 的事象 が 再構 築 され てい く過 程 に注 目す る。また、そ う した場 で語 られ る 自己表象 に 関 わ る言説 を分析 し、アイデ ンテ ィテ ィ の語 られ方や コ ミュニ テ ィ成員 の参加 の形態 を考察す る。 ここで は、対他 的 アイデ ンテ ィテ ィの 重要要素で ある外部か らの まな ざ しも対象 に含 む。例 えば、同郷者 コ ミュニ テ ィを越 えた外 部 か らの参加者 な ど、文化 的事象 を通 しての共 振者 の存在や役割 につ いて も言及す る。本 章で も聞 き 取 り調査や参与観 察 か ら得 られ たデー タを主要 な資料 として用 い る。 第 5章 では 、既存 の 同郷集 団 の形態 を基 としなが らも、同郷者 間 の地域 を越 えたネ ッ トワー ク の再構 築や若年層 を中心 とす る新 たな 団体 の結成 な どを模 索す る、最近 の 同郷者 コ ミュニ テ ィの 変容 を分析す る。既存 の 同郷 団体研 究 は、現在 の 同郷 団体活 動 につい て 高齢化や世代 交代 の 困難 さを明示す るものが数 多 く見受 け られ る。本研究 の対象 に関 して もそ う した傾 向 が認 め られ な い わけではな い。 だが、ここではそ の よ うな議論 を越 え得 るもの と して 、今後 の新 たな同郷者 コ ミ ュニ テ ィの展 開 を考察す る。一般 的 に奄 美や沖縄 の 出身者 の 同郷 団体 は、形成 の 要因 として相互 扶助 とい う目的 が大 きかつた とされ てい る。 しか しなが ら、近年そ の特性 は薄れ 、前 の 章 で述 ベ るよ うに象徴的な意味合 いが 強 くな つ て い る とい える。そ うした象徴 的な共 同性 を、内的要因 と しての 世代や地域 間 の相 互 交渉 を通 じた過程 の解 明 か ら論 じるこ とを 目指す。 そ して 、終章 にお い て以 上 の事例 と議 論 を考察 し、関連す る同郷者 集 団研 究や エ ス ニ ック集 団 研 究 の 蓄積 に対 して 、本研 究 が有す る意 義 を論述す る。具体的 には、本質主 義 に陥 らな い形 で の 移住者 コ ミュニ テ ィの 「共 同性」 に関す る分析 の成果 につい てで ある。 以 上の構 成 に よって 、冒頭 に述 べ た問題 の所在 を明確化 し、そ の 問題設 定 に沿 つた事例 の検討 を 目指 してい く。本研 究 は従来 の文化地理学や社 会地理学、それ に都 市社 会学 にお ける都 市移住 者研 究 の潮流 の 中 に位 置付 け られ る。都 市社会学 では都 市 コ ミュニ テ ィの重層化 に伴 っ て 、それ らに対す る研 究視角 の変容 が迫 られ て きた。本研 究 は コ ミュニ テ ィ内部 の集合的 な諸実践 に視線 を向けるこ とで 、コ ミュニ テ ィの複雑 な様態 を描 き出 し、近年盛 ん にな つ て きた コ ミュニ テ ィの 再定義や 、集合 的 アイデ ンテ ィテ ィの あ り方 に対す る本質主義 に陥 らな い検討 の方 向性 に示唆 を 与 える成果 を 目指す もの で ある。なお 、本稿 にお ける奄美 とい う語 は、現在 の鹿 児 島県大 島支庁 管内 の 喜界 島、大島本 島. B、. 徳 之島、 沖永 良部 島、与論 島 か らな る地域 を指す。. 13便. 宜上 、本稿 で は一 般 的 に奄美 大 島 と称 され る大 島 と近接す る加 計 呂間 島、請 島、与路 島 の 4島 の 総 称 と して 、大 島本 島 とい う語 を用 い る。 これ は神 戸 にお け る奄美 出身者 の 同郷 団体 での 呼称 に依拠 した もので あ る。. 13.
(20) 第 1章. I. 戦前期 の神 戸 にお ける奄美 出身者 の 同郷 団体 とネ ッ トワー ク. は じめに. 本 章 では奄 美 出身者 の コ ミュニ テ ィについ て 、集住地 区 の存在 が顕著 で同郷 団体 の活動 も活 発 な神 戸 を フ ィール ドとし、研 究対象 の構築過程 にあた る戦前期 の事例 を取 り上 げ る。 都 市 へ 移住 した奄 美 出身者 の研究 は安斎 0田 島 ほか. (1981、. 1982)を は じめ、出身集 落 と都. И 市移住者 との強 固 なネ ッ トワー クを対 象 とす るもの を中心 に蓄積 され て きた 。小林 1987、. (1986、. 1994)も 参与観 察 とライ フ・ ヒス トリーの分析 か ら都 市移住者 の故郷 に対す るノス タル. ジー を描 き出 し、相 互 扶助 よ りも出身地 との 関係性 に よって 、集合 的 に合成 され た記 憶 に基 づ く親睦 が現代 にお ける同郷 団体 の 主要 な活動 目的 であ る と論 じる。 これ ら一 連 の研 究 は近 代以降 の奄美諸 島 の周縁性や 「本 土」か らの遠隔性 を前提 として い る。 に もかかわ らず 、近代 日本 へ の包摂過程 が最 も顕著 な戦前期 にお ける、同郷 団体 の設 立 経緯や 活動 内容 は明 らかにな ってい ない。本稿 と同 じく神 戸 を対象 地域 として分析 した西 村 (2006) は、統計デ ー タか ら移住 の主 要因 を経済的なプ ッシュープル 要因 であ る と分析 した。そ の上で 、 相 互 扶助 と親 睦 を 目的 とす る同郷 団体 の発足や 、冨 山 (1990)の 例示す る 「生活 改善運動」 の 展 開 といつ た 1930年 代 の 大阪 にお ける沖縄 出身者 同様 の定着過程 が 、神 戸 の奄美 出身者 に も み られ た として い る。 だが 、実際 に 「本 土 」 にお いて奄 美 出身者 が如 何 な る過程 で組織化 し、 どの よ うな活動 が如何 な る志 向性 を もつて展 開 され た のか とい う点 につい て 、戦後 に発行 され た同郷 団体 の 出版物 の記述以外 に提示 していない。他 の先行研 究 も同様 で 、同郷 団体 の 出版物 や成員 の 間 で 口承 され てい る情報 のみ に依拠 して い る点は問題 とい える。故 に 、同 じく境界 地 出身者 であ る沖縄 出身者 の 事例 とどれ程 の共通点や相違 点が あ つ た のか 、詳細 は不 明 で あ る。 加 えて 、特定 の集 落や 島 を単位 とした同郷団体 の研究 は見 られ るものの 、奄美 出身者全体 を 包含す る集 団 へ の 言及 はほ とん ど見 当た らず 、「奄 美」 とい うカテ ゴ リー に 目を向 けた研 究 は 未 だ少 な い。筆者 は以上 に注 目 し、様 々 な ス ケール の領域 に依 拠す る奄美 出身者 の 同郷 団体 の 形成過程 につい て 、そ の役割 とともに時 系列的な解 明 を試 み る。 そ して 、外的要因 た るホ ス ト 社会 との 関係性 の なかで変容す る同郷者ネ ッ トワー ク とアイデ ンテ ィテ ィの様態 を、同郷 団体 の活動 が活発化す る 1920年 頃 か ら 1940年 代前半 までを対象 に分析 してい く。 そ の資料 として、 1925年 か ら 1944年 まで発行 され た『 奄美大 島』 (以 下、 『 奄美』 と略称 ) 14. 例 えば 、渋 野 (1987)、 田島. (1990、. 1991)、. 田島 (2001)な どを参 照 の こ と。. 14.
(21) とい う奄美 出身者 の コ ミュニ テ ィ誌 を用 い る。 この月刊誌 は鹿児 島市 に本社 を置 き、沖永 良部 5。. 島出身者 が社長 を務 めた奄 美大島社 に よって発行 され た もので あ る. 1925年. H月. の創 刊号 に. は、「わが奄 美大 島 の ことと本 土在 住 同胞 の 消息 を博 へ よ うといふ 」創刊 の 目的 と、「各地 の 同 胞 が互 に相知 り、郡 内郡外 が互 に相連絡す る機 関 にな りた い 」旨の所信 が掲載 され た “。戦前 ・ 戦 中期 には阪神 地 区に も支社 が置 かれ 、当時 日本 の統治下にあ つ た朝鮮 、台湾 、樺太 を含 む国 内各地 の奄美 出身者 に よる投稿や 、特派員 による取材記事 な どで構成 され てい る。 また、戦前 期 の 同郷 団体 に 関す る記事が多 く、 当時 の 同郷 団体 の 特徴 を うかが え る数少 な い 資料 で あ る。. 1927年. H月. 当時で 1,300部 の発行 を数 えた とい う (内 務省警保 局編. 1979)。. 同誌 は奄美 出身者 の大半 を 占めた工場地帯や炭鉱 の底 辺労働者 よ りも、 い わゆ るエ リー ト層 が記 した と思 われ る記事 の方 が 多 い。 また 、 エ ス ニ ック・メデ ィア に似 た色彩 が強 く、同郷者 向けに寄稿者 が持 論 の表 明や提唱 を行 な う形態 の記事 も 目立つ 。従 って 、編集者 の思想 な どの バ イ ア ス がかか つ てい る可能性や労働者層 の発言 の少 な さは否定 で きな い。 しか しなが ら、 マ イ ノ リテ ィ集 団 が移住地 で組 織化す る際、集 団内 の エ リー トが核 として の役割 を果 た し、組織 後 の活動 に も極 めて大 きな影響力 を持 つ 場合 が顕著 であ る。そ こではエ リー トとして の立 場 か ら、支配者側 の言説 を流用 しつつ 多数派社会 との対決 を避 け よ うとす る例や 、 マ イ ノ リテ ィ集 団 の代表 としてアイデ ンテ ィテ ィ・ ポ リテ ィ クス を志 向す る例 な ど、ホ ス ト社会 との接触 を通 した対応 が顕在化 しやすい. (白. 水 1998;福 間 2003)。. 故 に、移住者集 団 の 定着過程 を考察す る上で、 エ リー ト層 の 間 の支配的 な言説 とそ の構築 に 多大 な影 響 を及 ぼす メデ ィアの記述 を もとに、エ リー トの志 向性や役割 を解 明す る こ とは大変 重要で ある。本稿 では前述 の 問題 点 を考慮 しつつ 、同誌 に掲 載 され てい る同郷 団体 の活動や成 員 の残 した文 言 な ど、神 戸在住奄美 出身者 に関す る言説 を主 な分析対象 とす る。 また、アイデ ンテ ィテ ィ・ポ リテ ィ ク スの有無や 同郷者ネ ッ トワー ク内部 の動態性 を探 る手掛 か りと して 、 奄美 出身者 の地方政治 との 関係 に も言及す る。 そ の他 、各種統計資料や 当時 の新 聞記事、それ に筆者 の 聞 き取 り調 査 で得 られ たデ ー タも必要 に応 じて用 い て い く。. Ⅱ 奄美 出身者 の神戸 へ の移住 と定着. 「阪神 特輯琥」 と銘打 たれ た『 奄美』 1936年 H・ 12月 合併 号 には、阪神 地 区 の奄美 出身者 15同. 誌は 1927年 7月 号から誌名を『 奄美』に変更 し、同時に出版社 も奄美社に改名 した。1944年 に印刷 用紙不足のため休刊 したが、1946年 に旬刊紙 として復活 し、1991年 まで発行 されていた。 16『 奄美』 1925年 H月 創刊号、1頁 。. 15.
(22) に 関す る記 事が数 多 く掲載 され た。 そ の なか の 「阪神 地方 に奄 美 同胞実 に三万. 郷土 の延長 」. と題す る記事 に 、以下 の記述 がある。 郷 土 を離れ て 郡外 にあるわが同胞 が最 も多 く集 ま つ て をる ところは どこであ るか、之 は数 字上 の 比 較 をす る材料 はな いが 、何 人 も明 か に阪神 地方 である と答 へ る。 それ ほ ど此 の事 は既 に郡人 の 常識 とな ってゐ る. 17。. この よ うな 「常識 」 が構 築 され た 背景 と して 、「阪神在住 三 高人 とい えば名瀬 町人 口の一 倍 半 に営 り、 沖永 良部全 島 の 人 口よ りも遥 かに多 く、 しか も年 と共 に尚増加 の趨勢 に有 り、正 に 第 二 の奄美 大 島 を建設 した観 が あ る。試 み に神 戸 の街頭 に立 てば必 ずや東神 戸 に於 て 沖州 人 (沖 永 良部 島出身者 の意. :筆 者 注 )、 西神 戸 に於 て徳州人 (徳 之 島出身者 の 意 :筆 者 注 )の 姿. を見」か け る とい う当時 の状況 があつた. B。. では 、実際 の数 的規模 として、 どれ 程 の奄美 出身者 が神 戸 へ 移動 して きた の であろ うか。 国 勢調査 に基 づ く神 戸市在住者 の 出生地別人 口のデー タは 1920年 と 1930年 に限 り存在す るもの の 、 いずれ も道府 県単位 の統計資料 であ り、鹿児 島県 出身者 中の奄 美出身者 の割合 は不 明で あ る。鹿 児 島県大島支庁 の統計資料 において も、管見 の 限 り戦前期 にお ける転 出者 の移動先 を記 した もの は認 め られ な い。 それ故、あ くまで参考 なが ら表 1-1を み る と、 1920年 の時点で鹿 児 島県 出身者 は既 に 8,192人 に上 り、さらに 10年 後 にはそ の 2倍 以 上 とな つ て全 人 口中 の割合 で も倍増 してい る こ とが明 らか とな る。 また、戦間期 に神 戸市が行 な つた 4度 の 労働 統計実地調査 の結果 か らは、鹿児 島県 出身 労働 者 が 1924年 の段階で兵庫 県出身 に次 いで 多 く、 1930年 代 には神 戸市全体 の工 場 労働者 の 1割 を超 える規模 であ った こ とがわか る (表. 1‐ 2)。. 当然、鹿児 島県出身者 には奄美 出身者 以外 も含. まれ るが、第 2回 調査 の結果報告 では 出身地別 の 労働者数 につい て 、兵庫 県や神 戸市 に 「続 く り もの は鹿児 島県 で 、大 島出身者 は殊 に多数 を占め」 る との説 明 が付記 され てい る 。 奄美 出身者 の神 戸 へ の移住 には 、阪神 大都市圏 の 労働 市場 へ の包摂 とい うプル 要因 と、奄美 の 経 済 的 困窮 や 過剰 労働 力 の 増 大 とい うプ ッ シ ュ 要 因 とが大 き く作用 した とされ る (田 島 1990)。. 奄美諸 島は 1920年 代 に沖縄 同様 、「そて つ 地獄 」 と称 され る悲惨 な経 済状況 に陥 り、. 過剰 人 口の存在 が 慢性化 した。 また 「土地 が狭 く特 に耕 地が少 く、次 に孤 島な る点が禍 し」、 前述 の 「独 立経済」 も影響 した結果 、奄美諸島は鹿児 島 「縣 下で第 一の 出稼 地」 にな っ たので 17『. 奄美』 1925年 H月 創刊号、 1頁 。 奄美』 1925年 H月 創刊号、5-6頁 。また、 この時期には 「阪神地方には五十餘 の郷人會」 があった とい う。 19 近現代資料刊行会 (2003:80)よ り引用。 なお、引用文 中の 「大島出身者」 とは大島郡出身者 の意。 18『. 16.
(23) 20。. ある. しか し、神 戸 へ の 人 口移動 を単 に経済的要因 に よるプ ッシュープル 論 の みで語 る こ とは困難 である。奄美 出身者 の場合 、特定企業 の リクルー トと大 い に 関連 し、同郷者 のつ てに頼 つた連 鎖移住 の例 が 多 い とい う傾 向 が看過 で きな いか らであ る。現在 も神 戸 に在 住す る奄美 出身者 の 間 では 、移住 の最大 の契機 はかつ て の川崎財 閥や 三 菱財 閥 の 関連 工 場 場 へ の縁故就職 であつた とい う 「歴 史」が共有 され て い る. 22。. 21、. それ に諸 々 の ゴムエ. こ ぅ した特定 の企業や産業 に特. 化す る就業 状況 は 、集住地 区形成 の大 きな要素で あ つ た。戦前、集住地 区であ る神 戸東部 の 大 日通 は 「エ ラブ銀座 」、神 戸西部 の六 間道 は 「徳 之島銀座 」 と呼 ばれ ていた とい う23。. 同郷 団体 の形成過程. Ⅲ. 戦前 の神 戸 にお い ては 、沖永 良部 島 と徳 之島 、それ に大島本 島 の 出身者 に よる同郷 団体 の設 立が み られ た。 ここで は、それ ら 3島 出身者 の諸 団体 の活動 に焦 点 を合 わせ て奄 美 出身者 の 定 着過程 を提 えて い く。. (1)沖 永 良部 島出身者 の 同郷団体 奄美 出身者 が神 戸 の工 場 につ てで就職 した例 の端緒 は、1917年 に川 崎造船所製飯 工場 の 前身 である葺合 工場 へ 沖永 良部 島出身者 が 派遣 され、彼 を親方 とす る子方労働者 として同島出身者 が採用 され た こ とにあ る とい われ てい る (西 村 2006)。 これ を契機 に沖永 良部 島出身者 は増 加 し、同郷者 の 「親 睦救済」を 目的 として 1919年 に阪神 沖洲会神 戸支部 を結成 した24。 1923年 に は和泊村 同志会、知名村 同志会 とい う沖永 良部 島にあ る 2村 の 同郷 団体 も設 立 され た (神 戸沖 洲会 1989a:24)。 葺合 工場 は設備 拡大 と従業員 の拡充 を この 時期 に実施 し、「(同 郷 の :筆 者 注 ) 先輩達 は、 この機 を逸す るこ とな く、後輩子弟 を神 戸 に招致 し、会社 に信望厚 い 先輩 た ち の縁 故 に よつ て 、多数入社 した 」 (神 戸沖洲会 1989a:23)と い う。. 20『. 奄美』 1925年 H月 創刊号、6頁 。 『 奄美』 1925年 H月 創刊号に よれば、 1936年 当時、神戸市葺合区 (現 ・ 中央区)の 川崎造船 所製飯 工場 の総従業員約 59300人 中、約 1,300人 が奄美出身者 であった とい う。 22筆 の 者 聞き取 り調査による。また、奄美出身者 の間では、製鉄 工場における労働環境が極めて高温で 過酷なため、「南国生まれで暑 さに強い」奄美出身者が大量に雇用 された とい う、奄美出身労働者 の優秀 性 にまつ わる言説 が、特に高齢層にお いて浸透 している 23『 月刊奄美』1998年 4月 20日 号、南海 日日新聞社。また、筆者の聞き取り調査においても確認された。 24『 奄美』1926年 2月 号、16頁 。だが、具体的な活動や阪神沖洲会に神戸支部の他、どのような団体が. 21例 えば. 存在 したのか定かではない。. 17.
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