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読売新聞に見る明治期講談(その3)

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Academic year: 2021

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(1)(1). 読 売 新間 に見 る明治期 講 談 ︵ そ の三︶. 明 治 四十 一年 から 四十 五年 ま で の講 談 関 連 記事 を 抜 き 出 し 、 更 に明 治 四十 年 以 前 の分 に つ. 二月 十 日 ︵ も日 も 二 9. 伝 の内 ﹃ 岡 野金 右 衛 門 ﹄ な り ⋮ ⋮. 宣︵. 八 日 の晩 に本 郷座 で旗 挙 し た美 当 一調 の初 日を 聴 いた 、話 し上手 な伊 藤 痴 遊 が例 の中 江 兆 民. いて洩 れ て いた のを 追 加 す る。. 明 治 四十 一年 ︵ も認 ︶. 居 士 の物 語 り にド ツと 笑 は せ て引 込 む と お 次 は 橘 旭 翁 の筑 前 琵 琶 ﹁ 扇 の的﹂、 長 た ら し い手. 0 ● 老 宅 せ る美 当 一調. 一月十 日 ︵ ︻ 8 ” F 8︶. が ら 而も 充 分 に筑 前 琵 琶 其 も の ゝ真 価 を 発 揮 し お ほ せ た のは 流 石 にお 腕前 ぢ やと 感 服 の外 は. 前 味 噌 の前 日上 には馴 か 恐 れ 入らざ るを 得 な か つた が選 り に選 つて ア ンナ平 凡 の曲 を 出 し な. ボ ク レ式 で張 り 扇 の叩 き 按 排 なども 何 と な く 木 魚 の調 子 にな づ ん で居 る又後 席 の時 に 三度 ば. な い。其 れ か ら は愈 々御 本 尊 一調 の出 現 と な つた 、 電車 内 の広 告 にあ る写真 そ つく り の面 影. か リ サ ワリを 入 れ た け れ ど 単 に吟 変 り が し たば か り で少 しも も のにな つて居 な い、僅 に良 か. 十 九 歳 を 一期 と し て死 去 せ り 若 円 は十 三年 小 石 川 関 口に生 れ 父 は故 田中久 重 氏 の経 営 せ る芝. 一月 二十 七 日 ︵ も寵 二 も じ. つた のは早 調 子 で言 葉 か ら 言葉 へ櫂 つて行 く 追 込 み の節 ば か り だ 。 会 話も無 論 下 の下 な るも. な の で 一見 し て ハ ヽアと 知 ら れ る、態 度 悠 々言 語 明 晰 ﹁ 何 分本 年 六 十 二歳 云 々﹂ の前 駆 を 二. ● 本 郷 座 の名 物 会. の で 口跡 に宅 も 変 化 が な いた め甲者 の言 葉 と 乙 者 の言葉 と を 聴 き 分 け る には甚 大 の骨 が 折 れ. 浦 製 作 所 の技 師 たり し よ り 築 地 の工手 学 校 に入 学 せ し め しも 半 途 に て退 学 し夫 より 松 本 楓 湖. 東 京 名 物 会 第 一回演 奏 会 は 昨 日午 後 一時 か ら 本 郷 座 で開 か れ た 、 出 し物 は筑 前 琵 琶 、 長 唄 、. る。 若 し夫 れ筋 の取 り 方 に至 つては テ ンデ御 沙 汰 の限り では な く 瓜 生 中将と 木 越 少 将 の談 話. 度 も 三度 も 立 てた 上 で借 弁 じ述 べた る芸 題 は前 席 が ﹃ 仁 川港 に於 け る千代 田艦 の苦 心 ﹄ に後. 落 語 、 曲 芸 、常 磐 津 、 薩 摩 琵 琶 、 講 談 、手 踊 り と 云 ふ 二 の膳 付 御 馳 走 た つぷり の上 にヴ アイ. 翁 の門 に入り楓 楊と 称 し 頻 り に画筆 を 紙 るう ち 講 談 の趣 味 を 感 じ 十 九 歳 にし て伯 知 の門 弟 と. オ リ ン の合 奏 、ピ ア ノ の独 奏 を も 聴 か せ ると あ つた ので下 戸も 上 戸も 毛 色 の変 つた 処 を 買 つ. の如 き 、 千代 田艦 上 に於 け る諸 将校 の談 話 の如 き 仁 川市 街 に於 け る人 心 動揺 の形 容 の如 き 、. があ つて関東 派 の其 れ より も 柏 や研究 し た 跡 が 見 え るけ れど 肝 腎 な 口演 の方 は節 が全 然 チ ヨ. てか いざ 蓋 を 明 け て見 ると 中 々 の大 入 り 桟 敷 な ど は 間も な く 満 員 と な つた ▲真 龍 斎 貞 水 の講. 新 左 衛 門 が 暇乞 の際 に庭 下駄 で殴 ら る如 き 、慌 て ゝ銭 湯 か ら 飛 出 し た ??之 助 が読 売 を 買 つ. 席 が義 士銘 々伝 の抜 読 ﹁ 勝 田新 左 衛 門 の伝 ﹂ であ る 、 三味 線 は 調 子も 高 く抑 揚 にも 面 白 い処. 談 ﹃ 出 世 の大 盃 ﹄ は 柏 や余 計 な お喋 舌 を す る嫌 ひ はあ るけ れ ど 甲 良 の生え て居 るだ け に耳 煩. て悠 々と義 士 の連 名 を 読 上 げ 且 つ 一々其 人 に就 いて の述 懐 に耽 るが如 き は、事 実 の穿 孔 を 欠. な り 初 め知 鏡と 云 ひ昨 年 三代 目若 円 の名 を 襲 ぎ た るなり 葬 儀 は 昨 日午 前 小 石 川葛 荷 谷 の伝 妙. 二月 五 日 ︵ も日 も ﹂ ︶. は し い点 は な い⋮ ⋮. 二月 八 日 ︵ も寵 も “ ︶. の前 身 は豪 く つても 、 いく ら平素 の篤 行 は見 上 げ た も のでも 、 芸 人 と し ては彼 れ の上 に は 何. き 欠 点 だ ら け の俗 に云 ふ 田舎 廻 り に過 ぎ ぬ のであ る 、 人格 必 ず しも 芸 を伴 はず 、 いく ら 一調. と し ては余 り に不 用意 千 万 な こと と 思 ふ、 数 年 前 は いざ 知 らず 少 く も 今 日 の 一調 は急 く の如. ● ▲本 郷座 の美 当 一調   ︿可日午 後 五時 よ り 開 場 す る美 当 一調 の演 題 は ﹃日露 戦争 ﹄ 義 士 銘 々. ● 本 郷 座 に現 は る ゝ  美 当 一調 氏 ︵ 顔 写真 紹 介 ︶. き 前 後 の撞 着 す る こと 最 も 甚 し いも ので荀 く も 檜 舞 台 の真 只 中 で堂 々と名 乗 り を 挙 げ る芸 人. 寺 に て執 行 せり. ○ ● 猫 遊 軒 若 円 死す   伯 知 の門弟 に て現 時 講 談 界 中若 手 の売 出 し な る若 円 こと 南 剣 次 は昨 年. 池. 九 月 以 来 肋 膜炎 に て本 所 区 亀 沢 町 二丁 目 四番 地 の宅 に療 養 中 な り し が 七 日午 後 五時 三 十 分 二. 菊.

(2) (2). 等 の敬服す べき又何等 の尊重す べきも の ゝなか つた のを僕 は切 に/ヽ 失望 し且 つ慨嘆す る者  一調は元来 下手 ではな いが如 何せ ん本年 六十 二歳、今 や であ る。終り に臨 んで敢 へて弁ず 、 講談 ︵ 烈婦高 の伝︶. ▼ ▲余 皿ハ. 二月十 一日 ︵ こ路 も L じ. 蝶 々子︶ 既 に老童 の境 に入 つた のだと。 ︵. 真龍斎貞水 ︶⋮⋮ 講談義士銘 々伝 ︵. ● ▲軍人後援会寄附慈善演芸会 明十九 日正午 より神 田橋外和強楽堂 にて開く其番組 は. ︵も 寵 二 L じ. 寄附出演 ︶ 真龍斎貞 水 ︵. 右猿︶ 馬 ︶錦名竹 ︵. ●第 八回読売新聞読者懇親会. 四月 十 八 日. ○ ▲演芸講話会 十 一日午前十時 より上野広小路 の鈴本亭 にて催す番組 は左 の如 し. 二月 二十 四日 ︵ ︻ 8” ド X ︶. 金 南 玉︶五郎 正宗 ︵ 小 燕 林︶お か ふ い ︵ 暁 星 五郎 ︵ 円 左 ︶ 関根 弥 次 郎 ︵ 如燕 ︶素 人芝 居 ︵. 赤 垣﹂其他 二三 の筑前 琵 ⋮︰尚午後 一時 より余 興と し て高峰瑞峯女史 の ﹁ ●昨 日 の廃兵院 ・. あ り 来 会 者 は多 く紳 士 淑 女 に て極 め て静 粛 に最 も 清 き 会 合 な り し. ず お伽 会 員 の牛 若 弁 慶 と 新 か ち ノヽ 山 何 時 見 ても 興 あ り其 外 に高 峯 筑 風 の琵 琶 と 貞 水 の講 談. 為 め の催 し に て九女 八 の鷺 娘 と 安 宅 勧 進 帳 は 流 石 に見耐 へあ り て七 十 に近 い老 姐 と は 思 は れ. る が其 目 的 は 同館 に於 て基 督 信 者 の人 々が毎 日曜 に軍人慰 労 会 を 開き 居 る慈 善 の資 に供 す る. ● 第 八 回読 売新 聞読 者 懇 親 会. ● 第 八回読 売 新 聞 読 者 懇 親 会. 四月十 九 日 ︵ も寵 k ﹂ 3. 寄 附 出演 ︶ 真龍斎貞水 ︵. 講談 ︵ 烈 婦 高 の伝 ︶. ○ ▲青 年 会 館 慈 善演 芸   神 田 の青 年 会 館 に ては 予報 の如 く 廿 五 六 の両 夜 慈 善 演 芸 会 を 開 き た. 二月十 九 日 ︵ こ認 ﹄ 二 3. 四月 二十 九 日 ︵ も寵 ヽ 3 8. 講談 ︵ 烈 婦 高 の伝 ︶. ▲余 皿︵ ▼. 燕 林 ︶寛 永 武 勇 伝 ︵ 小燕 林 ︶ に て小 田 才 ︶外 に 三名 の席 上揮 宅 、 佐 倉 義 民 伝 、 元 禄 義 士 伝 ︵. ○ ● 辰 雄 と 痴 遊  来 る 三 十 、 三十 一の両 日午 後 五時 より 横 浜 の羽 衣 座 に て開演 し其 純 益 は全. 二月 二十 八 日 ︵ も認 ﹄ も 巴. ● 劇 と な り た る鏡 花 氏 の小 説   小山 内薫. 六 月 二十 一日 TS ∞︵ ピ ︶. 寄 附 出演 ︶ 講 談   真 龍斎 貞 水 ︵. 四 月十 七 日 ︵ も寵 ヽ 二 じ. 南 玉︶ ⋮⋮ 浅 香 三 四郎 ︵ 如燕 ︶ ⋮ ⋮ 越 後 日記 ︵. と 云 ふも の ゝ無 い脚 本 にま で出 て来 て、 出 て来 る人出 て来 る人 の台 詞 が 、如 何 し ても 講 釈 師. 手 、 話 し 方 が巧 いので偽 な 事 も つひ真 に聴 か れ る のだ 。 ⋮ ⋮鏡 花 の話 し方 の巧 いのは 地 の文. ● △演 芸 講 話 会   十 九 日午 前 十 時 よ り 上 野 広 小 路 の鈴 本 亭 に於 て催 す 番 組 は. ● 第 八 回 読 売 新 聞読 者 懇 親 会. 一体 鏡 花 氏 の小 説 を 愛 読 す る人 の心 持 は 丁 度 巧 い講 釈 師 の話 を 聴 いて居 る人 の心 持 と 同 じ. 部 育 児 同 仁 社 に寄 附す る由. 木村重成堪 忍談 ︶桃 川燕林 、 △廿 一日昼 講談 ︵. の三少 年 少 女 は故 小 松 宮 殿 下御 前 講 談 の栄 を 賜 ひ し九 州 の神童 と 称 せ ら れ た るも のな り と. 小 田昇 十 小 田 仙 子 十 四才 ︶ 現 在 社 会 の情 勢 ︵ 日露 戦 争 談 ︵ 小 田富 子 十 六 才 ︶ 教 育 歴 史 諄 ︵. 0 ▲横 浜 羽衣 座   来 廿 一日 よ り 五 日 間 午 後 五時 開 場 日本 能 弁 学 会 の趣 旨 に基 き 開会 の演 題 は. ▼ ▲余 皿ハ. 二月十 九 日 ︵ も寵 ﹄ L 3. ▲余 皿︵ ▼. 中井桜洲﹂﹁ 西郷隆盛﹂等 の寄附演芸ありき 琶及び伊 藤痴遊の講談 ﹁. ⋮︰来 る二十 、 二十 一の両 日神 田青 年 会 館 に て催 ふす 番 組 は ● ▲日本育児院慈善演 芸会  ・ 元禄義 士伝 ︶桃 川燕林、⋮⋮ △廿 日夜 講談 ︵. 二月 二十 七 日 ︵ 一 8” ド 喝 ︶. 文学 ・文化編 (2002年 3月. ). 甲南女子大学研 究紀 要第 38号.

(3) ). の三 (そ. 真 一 :読 売新 聞 に見 る明 治期 講談 菊池. (3). な 少 しづ ゝ間違 つて居 る のは甚 だ 残 念 であ る依 て吾 社 は長 く 肥 後 屋 敷 に秘蔵 せ ら れ た る ﹁ 忠. ● ▲伊 藤 痴 遊   浪 花 文 界 を 脱 し て正義 派 に入 会 し 又 々落 語 の柳 派 に加 入す ると 云 ふ. 七 月十 日 ︵ も常 ヽ 二 9. が如 し伊 原 青 々園著 の新 講 話 も のは却 々盛 ん に て宝 息 子 は わ け てよく 出 ると ⋮⋮. ⋮ ⋮ ▲講 談 類   は格 別従 前 と 大 差 はな け れ ど 浪 花 節 に唱 へら る ゝ種 類 のも の最も 多 き に居 る. ● 貸 本 屋 の昨 今. 六月 二十 八 日 ︵ も日 よ も じ. ● ︹ 真 正新 説 ︺赤 穂 義 士 伝. ○ 面 白き 講 談 予告. 十 月 二十 一日 ︵ も認 ﹂ 9 〓 ︶. 十 一月 一日 の紙 上 より 載 せ ま す. ない. 比 べ てず つと 面白 く 又 有 益 であ り ま す 況 し て語 る のは大 評 判 の 一心 亭 辰 雄 、 面白 く な い筈 が. 銘 一点 の間違 も無 き 義 士伝 を 掲 ぐ る事 に致 しま し た真 実 の義 士 伝 は 従 来 の間違 つた義 士 伝 に. の手 に在 るを 借 用 し其 の他 二三 の珍 書 を も 参 考 し て各 義 士 の伝 記 よ り 讐 討 に至 るま で正真 正. の台 詞 だ 、 近 代 劇 作 者 の台 詞 ではな い。 講 釈 乃 至 落 語 の会 話 だ 、 劇 の会 話 と 云 ふも の では な. 八月十 日 ︵ も認 “ 二 9. 誠後 鑑録 ﹂ ﹁ 忠 誠後 鑑 録 惑 説﹂ 及 び 義 士 自 筆 の覚 え 書 等 が 目 下幸 ひ に農 科 大 学 教 授 横 井 博 士. 0 ● 横 浜 の演 芸 大 会   横 浜 演 芸 雑 誌 社主 催 に て来 十 五 日午 後 六時 よ り 横 浜港 町浜 港 館 に於 て. 銘 一点 の間違 も無 き 義 士 伝 を 掲 ぐ る事 に致 しま し た真 実 の義 士 伝 は従 来 の間違 つた義 士伝 に. 一心 亭辰 雄 講談. 比 べ てず つと 面白 く 又 有 益 であ り ま す 況 し て語 る のは大 評 判 の 一心 亭 辰 雄 、 面白 く な い筈 が. 諸 芸 大 研 究 会 を 開催 す る由 な る が出 しも のは浪 花 節 、義 太 夫 、 落 語 、 講 談 、新 内 、 常 磐 津 、. 十 月 二十 八 日 ︵ ︻ 8 ” 86 巴. ない. 赤 穂 義 士伝 は是 れま で或 ひ は芝 居 に或 ひ は講 談 に常 に世 人 か ら 大 喝 来 を 受 け て居 ま し た が皆. ○ 面 白 き 講 談 予告. 十 一月 一日 の紙 上 よ り 載 せ ま す. 清 元 、 琴 平 踊等. ●赤穂義 士伝. 十 一月 一日 ︵ ︼ 8 ” 〓二 ︶. な少 しづ ヽ間違 つて居 る のは甚 だ 残 念 であ る依 て吾 社 は長 く 肥 後 屋 敷 に秘蔵 せ ら れ た る ﹁ 忠. 一心 亭 辰 雄 講 談. ● ▲新史 料 に拠 れ る新 講 談. 九 月 二十 七 日 ︵ ︻ g” ︶ 喝 ︶. 赤 穂 義 士 伝 は是 れま で或 ひ は芝 居 に或 ひ は講 談 に常 に世 人 か ら 大 喝 来 を 受 け て居 ま し た が皆. 赤 穂 義 士伝. の手 に在 るを 借 用 し其 の他 二三 の珍 書 を も 参 考 し て各 義 士 の伝 記 より 讐 討 に至 るま で正真 正. な少 し づ ゝ間違 つて居 る のは 甚 だ残 念 であ る依 て吾 社 は 長 く 肥後 屋 敷 に秘蔵 せら れ た る ﹁ 忠. 誠 後 鑑録 ﹂ 7 心 誠後 鑑 録 惑 説﹂ 及 び 義 士 自 筆 の覚 え 書 等 が 目 下幸 ひ に農 科 大 学 教 授 横 井 博 士. 誠後 鑑 録 ﹂ ﹁ 忠 誠 後 鑑 録 惑 説 ﹂ 及 び義 士自 筆 の覚 え 書 等 が 目 下幸 ひ に農 科 大 学 教 授 横 井 博 士. 一心 亭辰 雄 口演. ○ △演 芸 講 話 会   午 前 十 時 よ り 上 野広 小 路 鈴 本 亭 に て出 演 者 は. の手 に在 るを 借 用 し其 の他 二三 の珍 書を も 参 考 し て各 義 士 の伝 記 よ り 讐 討 に至 るま で正 真 正. 本 文省 略 ︶ ︵. 天 野 屋利 兵衛 伝 ︵一︶. 鯉 橋 、 南 凌 、 円 橘 、 南 玉 、 円 歌 、 如 燕 、 円 右 、 円 左 、 小 円 遊 、 り う 馬 、義 太 夫 、 薫 、 三福. 銘 一点 の間 違 も 無 き 義 士 伝 を 掲 ぐ る事 に致 し ま し た 真 実 の義 士 伝 は従 来 の間違 つた 義 士 伝 に. ● 高 等演 芸 場 の開 場 式. 十 二月 二日 貧8 ” おも ︶. 比 べ てず つと 面白 く 又有 益 であ り ま す 況 し て語 る のは大 評 判 の 一心 亭 辰雄 、 面白 く な い筈 が ない. 有 楽 町 に十 二万円を 投 じ て新 説 せ ら れ た る高 等 演 芸 場有楽 座 は昨 一日午 後 五時 知 名 の士 数 百. 十 一月 一日 の紙 上 よ り 載 せ ま す. ○ 面白 き 講 談 予 告. 十 月 二十 日 ︵ も寵 二 9 8 ︶. る が 興行 時 間 は極 く 短 く 行 る積 な れば 食 堂 、 運 動 場 の設け な く 又 喫 煙 は廊 下 に限 ら れ たり ⋮. 名 を 招待 し て開場式 を 行 ふ⋮ ⋮ ▲元来 本 場 は芝 居 、能 楽 、 講 談 等 各 種 の演 芸 を 興行 す る筈 な. 十 二月十 日 ︵ も寵 〓 N 8︶. ● ︹ 真 正新 説 ︺ 赤 穂 義 士 伝 一心 亭 辰 雄 講 談 赤 穂 義 士 伝 は 是 れま で或 ひ は芝 居 に或 ひ は講 談 に常 に世 人 か ら 大 喝 来 を受 け て居 ま し た が皆.

(4) (4) ). 文学 ・文化編 (2002年 3月 甲南女子大学研究紀要第 38号. ● 第 六 回 紅 葉 祭   十 六 日午 後 一時 より 芝 紅 葉館 内 に て催 さ る ゝ筈 な る が参 会 自 由 に し て会 費. 十 二月 十 四 日 ︵ も寵 L ド ヽ︶. て和 解 と な り 十 日外 神 田福 田家 に て講 談 三百余 名 ら 和 解 祝 を 開 く 由. ● ▲講 談 師 の和 解 祝   同 志 正 義 の 一派 は是 迄 ゴ タ ノヽ な し居 り た る が 今 回某 々顔役 の仲 裁 に. ︵ 本文省 略 ︶. 一心 亭 辰 雄 口演. 赤 穂 義 士伝. ● ▲新 史 料 に拠 れ る新 講 談. 一月 二十 日 ︵ ︻ 8︶ r 8 ︶. 一月 二十 一日 ︵ も8 L ﹄ じ. 大 石内 蔵 之 助 伝 ︵一︶. ○ ▲痴 遊 峰 吉 春 海   関 西 地 方 巡業 の為 め 廿 一日先づ 浜松 の勝 曰 亭 へ乗 込 みた り. 江 見 水 蔭 ︶ ▲講 談 鼻 毛 大 名 ︵ 細 川風 谷 ︶ ⋮ ⋮ ▲開 会 の辞 ︵ 巌 谷 小 波 ︶ ▲紅 葉 山 人 の吉 野 行 ︵ 十 二月 十 七 日 ︵ も日 L ド 葛︶. ▲辰 雄 の 二月 上席   一心 亭 辰 雄 は 二月 一日よ り 京 橋 南 伝 馬 町 の東 京 亭 にか ゝり 赤 穂 義 士伝 等. は金 二円 な り 祭 場 の順 序 及 び 余 興 は. 義 士 伝 ﹂ と ﹁三 日月﹂ を 講ず る由 十 六 日水 戸 市 に乗 込 み常 磐 座 に て十 八 日よ り 三 日間 ﹁. 二月 一日 ︵ も3 3 L ︶. 前 後 三席 を 長 講 す べし と. ○ ▲辰 雄 の水 戸行   病 気 全 快 後 蠣 殻 町 の喜 撰 亭 に て毎 夜 客 留 の好 人 気 であ つた 下堂 号辰 雄 は. 0 ▲演 芸 講 話 慈 善 会   廿 六 、 七 の両 日午 後 六時 よ り 愛 宕 下 の桃 桜 亭 に て桃 川如 燕主 任 と な り. 二月 一日 ︵ も3 3 L ︶. ● 商 工青 年 一日会 の発 会   ・ ⋮ ︰細 川 風 谷 の立 志 講談等 あ る筈 な り. 十 二月 二十 六 日 ︵ 8 ” るも 9 一. て同会 を 開 く 純 益 は谷 中 の慈 善 学 校 へ寄 附. 南玉 ︶ 倉橋伝 助 ︵ 南 凌 ︶ ⋮ ⋮黄 金 米 櫃 ︵ 如 燕 ︶ ⋮ ⋮ 日露 実 記 ︵. O ▲講 話 会 発 会   十 日鈴 本 亭 に て. 二月 十 五 日 ︵ も3 3 L じ. 円橋 ︶ 円 歌 ︶ 江 戸 の花 ︵ 当 ︵. 金 馬 ︶神 出 鬼 没 ︵ 大 川新 ︶勘 伊 達 騒動 ︵ 南 凌 ︶文 違 ひ ︵ 如 燕 ︶大 阪 落 語 ︵ 左 近 ︶ 塚 原卜 伝 ︵. ○ ▲演 芸 講 話 会   七 日鈴 本 亭 の番 組 は. 物 、 旧 談 物 、 西洋 物 等 都 合 四席. の為 め 十 三 日午 後 五 時 半 よ り 常 盤 木 倶 楽 部 に て風 谷 独 演 会 を 催 す 由 、 当 日 の出 し 物 は 文 学. ○ ▲細 川 風谷 独演 会   巌 谷 小 波 、 石橋 思案 、 岡 村柿 紅 、今 村 次 郎 の四氏 発 起 と な り 細 川 風谷. ○ ▲講 談 独 演 会   廿 六 、 七 の両 日正午 十 二時 よ り 神 田白 梅 に て演 者 伊 藤 痴 遊. 明 治 四十 二年 ︵ こ3 ︶. 一月十 六 日 ︵ こ3 L L S. ● 新 史 料 に拠 れ る新 講 談. 一月 六 日 ︵ も8 L 。S. 日比 谷 図書 館 の入 口 に ﹁ 十 五 十 六 両 日は商 家 の徒 弟 に限 り 商 業 書 籍 小 説 お 伽書 類を 書 棚 に陳. 一心 亭 辰 雄 口演. 赤穂義 士伝. ● 藪 入 の図 書 館. 列 し て随意 に閲 覧 を 許 ま す ﹂ と 云 ふ貼 札 が 出 て居 る ⋮ ⋮. 潮 田 又 之 丞伝 ︵一︶. ▲読 ん でる書 物   年 か ら 云 へば 十 八九 の所 が多 い生 意 気 に最 う コス メチ ツク の匂 な ぞ さ せ て 頭 を 気 にし な が ら カ ー ド式 簿 記 法 を 読 ん で居 る ボ ー イ 風 の少 年 も 居 る支 那 経 済 全書 と 領 事 報. ● 新 史 料 に拠 れ る新 講 談. ︵ 本文省略︶. 赤穂義 士伝. 二月 二十 二日 T8つい お ︶. ﹁ 荒 木 又 右 衛 門﹂ ﹁ 宮 本 武 蔵 ﹂ ﹁野 狐 三 次﹂ な ど を 面 白 さ う に読 ん で居 る者 も あ る併 し 近 頃 流. 赤穂 義 士 伝﹂ 金 色 夜 叉﹂ 等 が 最 う 出 切 つ て 居 た 講 談 で は ﹁ 記﹂ ﹁お のか いま し め﹂ コロ春 ﹂ ﹁. 行 の冒 険 小 説 が 小 僧 さ ん達 に向 か な いのは 如 何 し た も のか ⋮ ⋮. 一心 亭 辰 雄 口演. 欺 かざ る 告 の 日 本 貿 易 統 計 と を 開 け て熱 心 に筆 記 す る者 も あ る が 概 し て小 説 が 大 受 け で ﹁. 一月十 六 日 ︵ も3 L 二 S. 前 原 伊 助 伝 ︵一︶. 二月 二十 六 日 ︵33 も も S. ︵ 本文省 略︶. O ● 東 京 亭   日本 橋 南 伝 馬 町 の同 亭 には十 五 日よ り 十 八 日迄 伊 藤 痴 遊 の独 談 あ り番 組 は 十 七 日︶ 大 塩 平 八 郎 、 僧 日 ︵ 十 六 日 ︶ 近 藤 重 蔵 、 最 後 の 石 田 三 成 、渋 沢 栄 一、 会 津 小 鉄 ︵ 蓮 、福 沢 諭 吉 、 国定 忠 次 ︵ 十 八 日︶秀 吉 中 国引 返 し 、 僧 日蓮 、 江 川 太 郎 左 衛 門 、国 定 忠 次.

(5) の三) (そ. 菊池 真一 :読 売新聞に見る明治期講談. (5). 一心亭辰雄 口演. 赤穂義 士伝. ●新史料 に拠 れる新講談. 五月 二十 二日 ︵ ︼ Sつ い 滅 ︶. 席 し六月 一日は神 戸 の虎屋席と極りし由. ○ ▲西尾麟慶  門下を引き つれ廿八日出発大阪 へ乗込 み 一日より北区天満新門 の宝来亭 へ出. ○ ▲地久節講談会 廿 八日鈴本亭 にて開会 し東 西 の貞 婦伝 のみを講演す. ○ ▲辰燕 辰雄講演会  正午 より高等演芸館 に て南 部坂 雪 の別れ、横 川勘兵衛 の二席 ︵ 辰燕 ︶. 前 田善良 院 ︵ 如燕 ︶松 の操 ︵ 宝来︶妻 の心 得 ︵ 円 橘 ︶貞 婦 の黄 金 ︵ 金 馬︶ ワシ ント ン の妻. ︵ 本文省略︶. 〇●講釈師愈 よ分離. し の伝 ︵ 小円遊︶侠婦 お秀 ︵ 円歌︶. 片山万蔵伝 ︵一︶. 如燕 一派と馬琴 一派. 六月十日 ︵ も3 よ 二 9. 五月 二十 六日 ︵ 〓 Sつ い 減 ︶. 講談師界 の正義派を以 て任ず る如燕 、南龍、若燕 、右 円、花清 ︵ 旧白馬︶小燕林外 丹名 が同 志派 の馬琴、天山、伯知外数十名と紛擾を醸 せ しは去月廿日 の事 な るが遂 に両派共手を 切り. 天 の屋利兵衛 、大 石瀬左衛 門 の二席 ︵ 辰雄 ︶. て独立行動を取 るに至 れり其 原因は同志派 な る馬琴 の弟子寄席小柳亭 の主人琴調と馬琴 の弟. 父 ︵ と つ︶さ ん小僧と呼ば る ゝ大 の貯蓄家 にて先 頃 から宝珠 の玉 へ無暗 に銀貨を投げ 入れ て. 0 ▲神 田伯山 の金儲策 嘗 て正義派を脱 し同志会 へ入たる神 田伯山は同社会 にては綽名を親. 二月 二日 ︵ 38 ﹄ じ. 天山等 が講談席 の範囲を定 め此定席以外 に出席 した る者は三百円 の懲戒金を出さしむ る事 に. 大 川新︶母 の鑑 ︵ ︵ 左 近︶山内 一豊 の妻 ︵ 円玉︶孝 女 ひさ ︵ りう 馬︶井 上静子 ︵ 南 凌 ︶お く. 相談を決め小柳、永花、金車 、若宮外十 二軒を定席とし他席 へ出 る者をも併せ て排斥す る旨. と な れり. 巴亭︶小燕 林 ︵ 小林亭︶花清 ︵ 深川亭︶右 円 ︵ 桃桜亭︶ 一道 ︵ 横浜森 下亭︶等 へ出席す る事. 立す る事 に極まり正義派 は 一日より如燕 ︵ 鈴木亭︶若燕 ︵ 小岩亭 ︶南龍 ︵ 花月亭︶大 川 ︵ 新. ○ ▲演芸講話会 十 三 日午前十 一時より上 野広小路鈴本亭 にて. 準備中なり. 催 さんと連 に計画中な るを 早くも斯と聞 た る正義 派 は ▲大 に憤怒 し之れま で深川亭 へ出席 し てた伊沢宝来 、右 円、如燕等 の連中は同所 の八名 川亭 へ昼席 の看板を掲げ伯山 へ対戦せ んと. るは知れた事 なるより買主 は自 分なれど席主を他 人名義と し講談 の跡 に て浅草公園 の剣舞 を. たが数 日前最早 や余程溜り しならんと打壊 し て見 ると大枚 百廿円六十 五銭とな つてるより ▲. 二月十 六日 ︵ も8 ﹄ 二 S. 音曲ばな し ︵ 円新 ︶故 郷 へ錦 ︵ 鯉橋︶作 虫源助 ︵ 南 凌︶衛 生 理科 ︵ 金 馬︶ 左 近︶作新 語落 ︵. 同業者 へ通知せしに前記 の各 席と同志派 の面 々は直ち に賛成 し松鯉、馨、桃葉、伯山、南玉. O ▲辰雄 の下席   一心亭辰雄 は今夜より本所吉 岡町 の清水亭 にか ヽり例 の如く 三席 長講談を. 風流線続き ︵ 大 川新︶岸 柳島 ︵ 円橘︶侠 客権兵衛 ︵ 宝 来︶勘当 ︵ 円歌︶隅 田夕 立 ︵ 小 円 遊︶. 伯 山 の喜び 一方ならず之を基本として席を買ひ込 み席亭出方兼帯 で金を叩き集 め んと思案 の. なす由演 題 は未定. 人情ばなし ︵ りう馬︶武家評林 ︵ 如燕 ︶. 等も又渋 々乍ら賛同せり 、然 るに如燕 一派は こんな規約は日進 の今 日服従 し得 べきも のにあ. 二月 二十 六日 ︵ い 3つ い 減 ︶. 七月 二日 ︵ も8 葛 ﹄ ︶. 結 果内縁 の妻 にて同じ貯金主義 の浅草公園芸妓中村家染吉 に計り同人より出金 させ正義派 所. ○ ▲演芸講 話会  廿 八 日鈴 木亭 に て大阪落 語 ︵ 左 近︶柳 生又十郎 ︵ 南龍︶新作 落 語 ︵ 円左︶. ○ ▲講談通   よし町 一 二太郎. らず客 の招き に依 ては如 何な る席 へも出 るが当 然と主張し之 には又大金白梅深川巴桃桜鈴木. 一日上り ︵ 円歌︶転宅 ︵ 円橘 ︶よ いノヽ 蕎麦 ︵ 金馬︶義士拾遺 ︵ 大 川新 ︶人 如燕 ︶新講談 ︵. 現今東京 の釈師中 で真 に其 の名 に恥ぢな い物は先づ典山、文慶 、桃葉、松鯉、馬 琴、南玉 、. しま では至極 よかり しが 二丁と離れぬ高橋 には栄花亭と云 ふ同志会附属 の席あり て苦情 の出. 情話 ︵ りう 馬︶. 南窓、伯山、貞山 、貞吉、麟慶等だ。中 でも典山 が名 人 の称があ る。其 の ﹁ 伊達﹂等彼 に及. 属 の深川区西元町 の深川亭 が千八百円 で売物 に出 てるを買込 み自分 で叩 いて儲け んと思案 せ. 四月 二十 八日 ︵ い S︶ や 圏 ︶. ぶ者 はな い。 ﹁ 伊達﹂ と ﹁ 天保 六歌仙﹂ と ﹁ 小牧 山﹂ の三席を ち やんと こなす者 は亦 彼 の外. 花月小岩 明治豊川小林其他 の席亭が同情 し其 上大阪よりは 一道伯円等 の応援あり斯 て二十 八. ○ ▲改 良講 談会 来 月 一日午 前 十時 より 三十 日間馬喰 町 の常磐 亭 に て開催 南 龍、  一道 、龍 谷、如燕 の 一派出勤 し木 戸均 一制 にて小物代無 し. にな い。其 の諄 々たる 口調お つとりとした声巧 いも のだ。文慶と桃葉 は世話物 に於 て伯仲 の. 日正義派 は若燕宅 に同志派 は浅草区森 下町 の松鯉宅 に何れも会合 し て熟議 の結 果愈 々両派分. 四月 二十九 日 ︵ も3 ヽ こ 3.

(6) (6) ). 文学 ・文化編 (2002年 3月 甲南女子大学研究紀要第 38号. 〇 ● 三銭 の寄 席   正義 派 の講 談 師伊 沢宝 来 は 去 る十 六 日夜 より 八 丁 堀 豊 久 亭 へ出 席 し毎 夜 一. と 云 ふ高 田さ ん脈 はあ る よ. 九 月十 日 ︵も3 も 二 9. 観 が あ る。 前 者 は ﹁ 河内 山﹂ 後 者 は ﹁ 木 内 宗 吾 ﹂ を 十 八番 と し て ゐ る。 馬 琴 は公 園 の鬼 丸 に. 0 ▲貞 水 の義 気   講 談 師 貞 水 は 席 亭 の頑 冥 な ると仲 間 が勢 力 争 ひ のみを な し技芸 に心 を 入 れ. 軍談 物 ﹂ は 董 州 が 亡 く な つて か ら 此 の人 の天 下 だ 。 南 玉 は 典 山 の貧 総 て の点 が 似 てゐる。 ﹁. だ 。 双 方 に巧 い所も あ る。 又 欠 点 も あ る。 前 者 は ﹁ 伊 賀 の水 月﹂ 其 の 竹 川盛 太 郎 ﹂ 後 者 は ﹁. ざ るを 憤 慨 し久 しく 何 れ の席 へも 出演 せず 熱 心 に技 芸 を 研 究 し た る結 果 昨 今 は上 流 社 会 よ り. 人 に て 五席 宛 立 読 を な し た る上 木 戸銭 四銭 と した れば毎 夜 客 止 の大 景 気 は 附近 の席 の大 打 撃. 十 八番 物 だ 。 貞 吉 に至 つては 全 く 離 れ た芸 だ あ の流 れ る やう な 調 子 で浪 六 の ﹁五人 男﹂ を や. の招 待 に 日も 亦 足 らざ る の有 様 な れど 今 回 浅 草 茶 屋 町 の大 金 亭 へ門 人 鏡 水 が真 打 と し て打 つ. と な り 来 月 より は 三銭 にせ んと 協 議 中 な り. ら れ た ら実 に胸 が躍 る よ 。 が 髯 だ け は 止 し て貰 ひ た い。 麟慶 は心 地 の い ゝ講 釈 だ 。 習以小 僧 ﹂. て出 る よ り 時 々無 給 金 に て出 演 し義 士 伝或 は 最 近 の出 来 事 を 演 ず る為 め毎 夜 大 入 に て鏡水 は. 西 遊 記 ﹂ は他 人 の及 ぶ所 にあ らず だ 。 伯 山 と 貞 山 は 現今 の人 気 者 の高 田 に比 べ得 る。 其 の ﹁. が 中 でも 好 い。伯 痴 は コケ 嚇 か し だ が 、 チ ヨイ ノヽ 巧 い所 があ る。 琴 凌 の ﹁ 幡 随院 ﹂ も 悪 く. 中 山 大 納 言 ﹂ は よ く 調 べ た 。 此 人 は 素 敵 に熱 心 だ 。 南 窓 は 新 派 乏 臭 く な つた やう な 人 だ 。 ﹁. は な いがあ のキ イ ノヽ 声 が 耳 に つく 。 桃 林 カ ラ ツ下手 。 首 計 り 振 る のは 誰 だ つて出 来 る。 親. 九 月 十 二日 ︵も3 も L じ. 以 外 の利 益 を 得 て喜 び 居 れ り. 五十 二︶は 十 日夜 八時 〇 ● 河 豚 喰 た 酬 ひ  本 所 区 原 庭 三 五講 談 師 水 雲斎 龍 玉事 小 川定 次 郎 ︵.   一時 ら し い。 鶴 窓 は将 来 恐 る べき も の であ つた が今 は 何 所 へ行 つた か 。 文 車 、 千 山 は軽 妙 、. 頃 近 所 の露 店 より 河豚 を 買 ひ来 り手 料 理 に て 一杯 聞 し 召 し た る 間も な く 苦 悶 し始 め 一時 間 程. 仁 が 冥 土 で泣 いてるだ ら う 。 其 の他 貞 豊 、 葉 柳 、 琴 龍 等 の輩 があ る が いづ れも あ れ 丈 のも の 神童 の称 が あ つた吉 右 衛 門 も 今 は 一才 子 に過 ぎ な く な つた。 目 下有 望 な 青 年 は先 づ 貞 一であ. 経 て死 亡 し た り 九 月 十 二日 ︵38 も L じ. 八月十 二日 ︵も3 “ L じ. ● 義 士 伝 の流 行     生 方 敏 郎. らう 。 故 一山 の遺 子 名 人 典 山 の元 にあ る。 ま だ 沢 山 あ るが他 日 に ゆづ る。. 一心 亭 辰 雄 講 演. ▽ ロシヤぱ んと 活 動 写 真 と 赤 穂 義 士伝 記 と は 今 年 に於 け る流 行 の三幅 対 也 。. ●赤穂義 士伝. 南 部 坂 雪 の別 れ  第 一回. 吾 人 は 到 る所 に義 士 伝 のビ ラを 見 、 ペ コ ペ ンな る 三絃 と 一種 異 様 な る 濁声 を 聞 か ざ る事 な. け る伝 道 の勢 力 は 天 理 教 にも 将 た 流行 病 にも 優 る べし。 洪 水 の如 く 暴 風 の如 く 人 に逼 れり 。. ▽大 石良 雄 は之 と 異 り 。 彼 には多 く の伝 道 師 あ り 。 浪 花 節 語 り 諸 氏 は其 れ也 。 此 一両年 に於. ○ ● 講 釈 師 の仮 装 旅 行. ︵一S P ” 滉 ︶. 桃 川如 燕 三 遊 亭 小 円 遊 同 円 橘 同 円 歌 同金 馬 土橋 亭 り う 馬 等 下谷 の定 席 鈴 本 亭 杯 に て組 織 せ る. し。. 八 月 二十 八 日. ︵ 本文省 略 ︶. 演 芸 講 話 会 の連 中 二十 名 は フ ロ ツク コート の紳 士 姿 或 は糸 立 姿 の田舎 者 杯 に仮 装 し来 る 三十.   一方 は キ リ スト 教 の故 智 を 学 ん で下層社 会 よ り始 め ▽彼 等 の武 士 道 を 普 及 す る に巧 みな る、. ゛ 日新 橋 発 の汽 車 に て金 沢 八景 の見 物 か た ノ ヽ 鎌 倉 江 の島 へ押 出 し 不 景 気 軌 回 の為 め 大 陽 気 に 騒ぎ 廻 る筈 な る が仮 装 の趣 向 は各 自 秘 密 にな し当 日新 橋 駅 の 二等 待 合 室 に落 合 ひ 冴 つと 云 は. 処 の寄 席 より 講 談 落 語 義 太 夫 色 物 を 追 出 だ し て之を 武 士 道 の説 教 場 と な したり。 否 、 彼等 の. 中 に は 十 四歳 の少 年 に し て都 下 の大 劇 場 を す ら乗 取 つた るも のあ る也 。 但 し彼等 は久 しく 其. 他 方 回 々教 が寺 院 を 自 ら建 てず 、他宗 の教 会 を 乗 取 つて之 を 我 物 と な し た る如 く 、 彼 等 は 到. 経 文 を 有 たざ り き 。. せ る計 画 な り. て置 た が奮 然 と し て悟 る処 あ り 芸 妓 にす る のを 中 止 し て本 郷 の女 子 職 業 学 校 へ通 は せ る事 と. 二十 三︶を 十 五歳 の時 迄 柳橋 で半 玉 を さ せ 〇 ● 文 学 士 の恋 病 ひ  講 談 師 宝 井 馬 琴 は娘 お花 ︵. し た る が 其 の粋 な女 学 生 姿 に埼 玉 県 2 豪農 高 田某 と 云 ふ文 学 士 が懸 想 し如 何あ つても 妻 にせ. 団 を 引 被 つて寝 て居 る と か 記 者 は 可愛 相 に 思 ひ 馬 琴 を 訪 て潮 染 の実 否 を 正 せ ば ﹃ 飛 でも な. の阿 兄 が 附 て居 る事 迄 知 れ て大 いに情 気 返 り 遂 々古 風 な恋 病 ひと な り 昨 今 の暑 さ に頭 か ら布. 一心 亭 辰 雄 講演. ● 赤 穂 義 士伝. 九 月 十 二日 ︵38 も 二 じ. では と 一日跡 を 尾け て馬 琴 と 云 ふ こと 丈 は 解 つた が 探 る に従 つてお 花 には 山崎 と か 云 ふ潮 染. い、 結 婚 前 の女 に其 様 噂 さを 立 てら れ ては 迷 惑 です 故 何 卒 貴 下 の新 聞 で取 消 て置 て 下 さ い﹄.

(7) の三 ) (そ. 真 一 :読 売新 聞 に見 る明治期講談 菊池. (7). ●赤穂義 士伝. 九月 二十 七日 ︵ も3 も も じ. 博士 より贈 られた る古書 に依 て実説を 口演 す ⋮⋮. ● ▲芸 人消息  o ⋮・ ・ ▲桃 川如燕 は十六 日より牛込 の大和亭 に出席得意 の義士伝を改 訂 し某. 九月十 五日 ︵ も3 も 二 じ. ︵ 本文省 略︶. 第 一回︶ 鍔屋宗 伴 ︵. 二月九日 ︵ も86 も ︶. 鈍 にて斬付け数ケ所 の重傷を負 はせ生命覚束なし. にて止宿人 の津滝音松 ︵ 六七︶と講談師塚手金次郎 ︵ 六〇︶ の両人酒 の末喧嘩を始 め津滝 は. ○●講談師斬らる  上 ハ日午前 十時頃神奈 川県 三浦 郡浦郷村字 田浦木賃宿房州屋事岸 野ト シ方. 二月七日 ︵ も8も ヽ ︶. 其発会は来る六日正午. ○ ▲講談名人会 伊藤痴遊主宰者となり今後 日曜毎 に神 田 の白梅亭を定席とし て開会す べし. 一節を 口演をし居れり. ○ ▲高等演芸館 神崎家十代 目 の末孫勝蔵翁毎夜臨場 の桃 川如燕 の紹介 にて霞 ケ関忍耐話 の. 四月 八日 ︵ も8二 島 ︶. 一心亭 辰雄講演. ︵ 本文省略︶. 宅 にて療養中なる講談師邑井 一事 邑井徳 一 ︵ 七十︶は其後漸次重体となり七 日朝来昏睡状態. ○●邑井 一の危篤   一昨年来神経衰弱症 に罹り て永らく席を休 み浅 草区千東町 三 の 一九 の自. 間重次 郎 ︵ 第 一回︶. ○●桃 川黒猿  正義派 の講 談師小燕林改 め黒猿 は久 しく腸胃を病 み居たるが八日午前 二時深. 十 月十 一日 ︵ も3 二 9 〓︶. に陥りたり 六月 一日 ︵ もあよ 二 ︶. ︵ 本文省略︶. 三村次 郎左衛 門 ︵一回︶. 一心亭 辰雄講演. げ﹂と大笑ひになり侯爵夫 人は コソノヽ と逃出し てしま つた. 掘り葉掘り伺 ふ程 に遂 々講釈師 ヘンリー の令夫 人と判り群衆 は ﹁ 何だ ヘンリー講釈 の妾ぢ や. 妻 で、夫 ヘンリーは衆議院議員 です﹂と威丈高 にな る貴族 で下院議員 は少 々可笑 いと尚も根. を恢復しなければなら ぬと云 ふ ﹁一体貴女 は何誰様 です﹂ と伺 ふと ﹁ 英 国 の貴族 ヘンリー の. が傍 はらを通る酔払 ひが ﹁ 彼女 は妾だ﹂と云たと て駅員を捕 ら へて苦情を並 べ飽迄私は名誉. 8︶. 川大 工町 の自 宅 にて死去 せり行年丹七歳 十 一月 二十 日 ︵ も3 二. 十 二月十 四日 ︵ も3 ニ ド 〓9. 六月十 四日 ︵ 38 9 〓︶. ○●滑稽侯爵夫人  一 二十 一日 の夜九時新橋停車場構内 で二十歳計り に見え る盛装した貴婦 人. 0●講談師 の行倒れ 講談師松林伯鯉 ︵ 四五︶ は予 て心臓内膜炎 と レウ マチ スを併 発 し居り. ●赤穂義士伝. ,. しが十 三日午後 三時神 田通新 石町 一六地先 通行 の際俄然途上 に倒 れ人事不省と為 り応 急手当. ●赤穂義士伝. の上区吏 に引渡 した るが生命危篤なり. 一心亭 辰雄講演. ●赤 穂義 士伝. 一月十 七日 ︵ 38ユ ニじ. 明治 四十 二年 ︵ 38︶. 度大 団円を告ぐ る運び に至りた るを以 て本社 は更 に是 に代 るに当時講談 界 に名人 の間えあ る. 前後数年 に亘り大好評を博 し来りたる 一心亭辰雄氏 の講談赤穂義士伝も愈 々近 日 の内 に目出. ○新講談予告. 六月 二十 六日 ︵ も5 9 × ︶. ︵ 本文省略︶. 第 一回︶ 義士討入り ︵. 一心亭辰雄講演. 本文 省 略 ︶ ︵. 真龍斎貞水氏 に嘱 し氏 が最も得意 の読物たる. 間瀬久 太夫 ︵ 第 一回︶. 一月 二十 九 日 ︵ も8二 3 8. 武士道銘 々伝 真龍斎貞水講演. 0 ▲芝倶楽 部 は今 回 正義派 に加入し二月 一日夜 より桃 川如燕 の 一派出勤義士伝会を催す 二月 二日 ︵ も86 も ︶.

(8) (8) ). 文学 0文 化編 (2002年 3月 甲南女子大学研 究紀 要第 38号. 武 士 道 銘 々伝. 真 龍 斎 貞 水 氏 に嘱 し 氏 が 最 も 得 意 の読 物 た る. 度 大 団 円 を 告 ぐ る 運 び に至 り た るを 以 て本 社 は 更 に是 に代 る に当 時 講 談 界 に名 人 の間 え あ る. 前 後 数 年 に 亘 り 大 好 評 を 博 し 来 り た る 一心 亭 辰 雄 氏 の講 談 赤 穂 義 士 伝 も 愈 々近 日 の内 に 目 出. ○新 講 談 予 告. 六月 二十 七 日 ︵ 3 8よ も じ. 読 者 を 満 足 せ しむ る に足 る べき を 疑 はざ る所 也. 既 に定 評 あ れど も 本 講 談 は 特 に材 料 の蒐 集 詮 索 に力 を 用 ひ た るも のな れば 掲 載 の暁 は 必 ず や. を ば 引 続 いて掲 載 す る事 と な し た り 貞 水 氏 の講 演 の如 何 に教育 的 にし て然 も 趣 味多 き か は 世. 前 後 数 年 に亘り 大 好 評 を 博 し 来 り た る 一心 亭 辰 雄氏 の講 談 赤 穂 義 士 伝 も 愈 々近 日 の内 に目 出. ○ 新 講 談 予告. 七 月 一日 ︵ も あミ ﹂ ︶. ︵ 本 文省 略 ︶. 義 士最後 ︵ 第 一回 ︶. 一心 亭 辰 雄 講 演. ●赤 穂 義 士伝. 七 月 一日 ︵ も8ヽ L ︶. 読 者 を 満 足 せ しむ る に足 る べき を 疑 はざ る所 也. 度 大 団 円 を 告 ぐ る運 び に至 り た るを 以 て本 社 は更 に是 に代 る に当 時 講 談 界 に名 人 の聞 え あ る. 真 龍 斎 貞 水 氏 に喝 し氏 が 最 も 得 意 の読 物 た る. 真 龍 斎 貞 水 講演 を ば 引 続 いて掲 載 す る事 と な し た り 貞 水 氏 の講 演 の如 何 に教 育 的 にし て然 も 趣 味多 き か は 世. 武 士 道 銘 々伝. 度 大 団 円 を 告 ぐ る運 び に至 り た るを 以 て本 社 は 更 に是 に代 る に当 時 講 談 界 に名 人 の聞 え あ る. 前 後 数 年 に亘 り 大 好 評 を 博 し 来 り た る 一心 亭 辰 雄 氏 の講 談 赤 穂 義 士 伝 も 愈 々近 日 の内 に 目 出. ○新 講 談 予告. 六 月 二十 八 日 ︵ もδ 9 滉 ︶. ○ 新 講 談 予告. 七 月 二日 ︵ も δ葛 も ︶. 読 者 を 満 足 せ しむ る に足 る べき を 疑 はざ る所 也. 既 に定 評 あ れども 本 講 談 は 特 に材 料 の蒐 集 詮 索 に力 を 用 ひた るも のな れ ば 掲 載 の暁 は 必ず や. を ば 引 続 いて掲 載 す る事 と な し た り 貞 水 氏 の講 演 の如 何 に教育 的 に し て然 も 趣 味多 き か は 世. 真 龍 斎 貞 水 講演. 既 に定 評 あ れ ど も 本 講 談 は特 に材 料 の蒐 集 詮 索 に力 を 用 ひた るも のな れば 掲 載 の暁 は 必 ず や. 真 龍斎 貞 水 氏 に嘱 し氏 が 最 も 得 意 の読 物 た る. 前 後 数 年 に亘り大 好 評 を 博 し 来 り た る 一心 亭 辰 雄氏 の講談 赤 穂 義 士 伝 も 愈 々近 日 の内 に目 出. 読 者 を 満 足 せ しむ る に足 る べき を 疑 はざ る所 也. 武 士 道 銘 々伝. 度 大 団 円 を 告 ぐ る運 び に至 り た るを 以 て本 社 は更 に是 に代 る に当 時 講 談 界 に名 人 の聞 え あ る. 真 龍 斎 貞 水 氏 に喝 し氏 が 最 も 得 意 の読 物 た る. 真龍斎貞水 講演 をば 引 続 いて掲 載 す る事 と な し た り貞 水 氏 の講 演 の如 何 に教 育 的 に し て然 も 趣 味多 き か は 世. 武 士 道 銘 々伝 真 龍 斎 貞 水 講演. 既 に定 評 あ れ ど も 本 講 談 は 特 に材 料 の蒐 集 詮 索 に力 を 用 ひた るも のな れば 掲 載 の暁 は 必 ず や 読 者 を 満 足 せ し む る に足 る べき を 疑 はざ る所 也. 読 者 を 満 足 せ しむ る に足 る べき を 疑 はざ る所 也. 既 に定 評 あ れど も 本講 談 は 特 に材 料 の蒐 集 詮 索 に力 を 用 ひた るも のな れ ば 掲 載 の暁 は 必ず や. 七 月 二日 ︵ も あ葛 ﹄ ︶. を ば 引 続 いて掲 載 す る事 と な し たり 貞 水 氏 の講 演 の如 何 に教育 的 に し て然 も 趣 味多 き か は 世. 前 後 数 年 に 亘 り 大 好 評 を 博 し 来 り た る 一心 亭 辰 雄 氏 の講 談 赤 穂 義 士 伝 も 愈 々近 日 の内 に 目 出. ○ ● 痛 患 者 を 慰 問 す  埼 玉 県 所 沢 町 の原 田勇 吉 ︵ 五七 ︶は 二十 有 余 年 間 魚 商 を 営 み今 日 に て. 六月 二十 日 ︵3 8よ ﹄ 9. 度 大 団 円 を 告 ぐ る運 び に至 り た るを 以 て本 社 は 更 に是 に代 る に当 時 講 談 界 に名 人 の聞 え あ る. 0新 講 談 予 告. 真 龍 斎 貞 水 氏 に嘱 し 氏 が 最 も 得 意 の読 物 た る. は数 万 の財 産 を 積 みた るも 曾 て 一日も 怠 らず 家 業 を 励 み つ ヽあ る 間 に神 仏 を 崇 め て喜 捨 を 為. れ な る有 様 に深く 同情 し 団 扇 と 五も く 寿 司 の折 詰と を 患 者 全 体 に寄 贈 せ り と 云 ふ尚 講 談 師 南. せ る事 も 弯 ば な り し が 此 頃 北 多 摩 郡 東 村 山 村 に設置 さ れ し全 生 病 院 を 訪 ひ痛 患 者 を 見 て其 憐. 武 士 道 銘 々伝. を ば 引 続 いて掲 載 す る事 と な し た り貞 水 氏 の講 演 の如 何 に教育 的 に し て然 も 趣 味多 き か は 世. 鶴 は 同 院 を 訪 ひ得 意 の講 談 に半 日 の慰 藉 を 与 へたり と いふ. 真 龍 斎 貞 水 講演. 既 に定 評 あ れ ど も 本 講 談 は 特 に材 料 の蒐 集 詮 索 に力 を 用 ひた るも のな れば 掲 載 の暁 は 必 ず や.

(9) の三 ) (そ. 真 一 :読 売新 聞 に見 る明治期講談 菊池. (9). 真 龍 斎 貞 水 氏 に嘱 し 氏 が 最 も 得 意 の読 物 た る. 前 後 数 年 に亘り 大 好 評 を 博 し来 り た る 一心 亭 辰 雄 氏 の講 談 赤 穂 義 士 伝 も 愈 々近 日 の内 に目 出. ○ 新 講 談 予告. 七 月 二日 ︵ も︵ メ じ. 十 二月 二十 一日 ︵ 一 29 馬﹄ じ. 摩 琵琶等 の余 興があ つて義士 に因める甘茶 の接待あり午後十時頃散会 した. やが て提灯行列 の予定時 の五時 にな つて⋮⋮午後 八時頃帰校 し桃 川如燕 の講談、高橋某 の薩. 高輪 中学 の赤穂義士祭典 は例年 の如く昨 日午前 九時 から講堂を祭場 に宛 て ヽ執行 された⋮⋮. ●高輪中学校 の赤穂義 士祭典. 読 者 を 満 足 せ しむ る に足 る べき を 疑 はざ る所 也. ●武士道銘 々伝. 二月 二日 貧コ ︻ もも︶. 明治 四十 四年 ︵ も〓︶. ○ ▲ 一心亭辰雄 今回浅草新福富町 二事 務所を 設け 一日より は馬喰町 の常盤 へ出演す. ○ ▲痴遊独演会   一月 二日より八日ま で午前十 一時 より神 田 の川竹 に出演初 日は西郷南 洲 三 たび流罪 の事情、中井桜洲、征長中止と宮島談 判. 度 大 団 円 を 告 ぐ る運 び に至 り た るを 以 て本 社 は 更 に是 に代 る に当 時 講 談 界 に名 人 の聞 え あ る. 武 士 道 銘 々伝 真 龍斎貞 水 講 演 を ば 引 続 いて掲 載 す る事 と な した り貞 水 氏 の講 演 の如 何 に教 育 的 にし て然 も 趣 味多 き か は 世. 七 月 四日 ︵ も 8ヽ 二 ︶. 禁転載︶ ︵. 既 に定 評 あ れど も 本 講 談 は 特 に材 料 の克 集 詮 索 に力 を 用 ひ た るも のな れば 掲 載 の暁 は 必 ず や. 真 龍 斎 貞 水 講演. 関 口弥太郎 ︵一︶. 真龍斎貞水講演. ● 武 士 道 銘 々伝. ︵ 本文省 略 ︶. ︵ 本文省略︶. 深 堀 喧 嘩 騒動 ︵一︶. 九 月十 八 日 ︵ 3 8も 二 じ. 会な る会名 の下に今 回同座 に都 下第 一流 の名人連を招き低廉な場代 で開場した のは同座と し 心中船﹂もう 一息突込 んだ らと 思はれ て実 に破天荒な興行 であ る、⋮⋮第 五風谷 の新 講話 ﹁. 二月 八日 ︵ ︻ コ︻ もL︶. 桃 川如 燕 君 演. る節もあ つたが時 間 の都合もあらう から これも先 づよし⋮⋮. 二崎座主が営利 の目的を外 にし て演芸趣味 の普及を計 る為 東京名 人大 ● 三崎座 の名人大会  一. 由井正雪. 二月十九 日 ︵ も〓﹄ 二 3. 趣 味 津 々近 来 の読 物. 実 価 丹 五銭 郵 税 四銭. ●幸福. ○ ︵ 広告︶. 春 陽 堂   東 京 日本 橋 振 一六 一七. む。武士道とか侠気と か義 理とか云 ふ軌道 にキチ ンと嵌 つて、 スラノヽと進 んで行く のであ るから、 こ の次は何う な ると云 ふことが チヤ ンと分 つてゐるが、分 つて居 ても読 まず には ゐ. ▲私 は新 聞 に出 る講 談 の続きも のを読 む のが好き にな つた。 下らな いと思 ひな がら矢 張 読. 上司小剣. 十 月 二十 日 ︵ も 8二 9 8 ︶ 講 談 ︺ 頼朝 ● ︹. られな い。. 松 林 伯 知 口演 取 り ま し ては此 の上 の光 栄 は御 座 いま せ ん、 尤 も 伯 知 は御 社 に数 年 前 御 掲 載 にな り ま し た 、. 今 回 御 社 の 一万 三千 号 の御 祝 典 によ つて、 伯 知 へも 一席 口演 いた す やう 仰 を 受 け 、 伯 知 身 に 藤 野君 の平 壌 包 囲 攻 撃 、 平 田君 の黄 海 海 戦 誌 等 、 伯 知 署名 で御 広 め 下 さ いま し た為 め恭 け な. 以 下省 略 ︶ 蛭 ケ小 島 よ り討 て出 で、 源 氏 一統 の世 と 為 し た事 の端 緒 を 回演 いた しま す 、 ︵. のを と存 じ ま した が 、 是 と 云 ふ新 材 料 を 見 出 しま せ んから 、 源 氏 の棟 梁 と な る兵 衛 佐 頼 朝 が. 月十 二日横浜出帆 の加茂丸 にて渡英す る由 な るが今 回は興行或 は随行 に非ず し て全く漫遊 の. 四五︶は今回英帝戴冠式拝観 の為 め来 ○●燕林 の渡英 奇行講釈師桃川燕林事 坂本忠 一郎 ︵. 二月 二十 一日 T遇 ¨ ド ︶. く も 或 る や んご と な き 御 方 の御 前 に 口演 いた しま し た光 栄 も 御 座 いま す れば 、 何 か珍 しき も. 十 二月十 五日 ︵ も 8ニ ド 願 ︶.

(10) (10) ). 文学 。文化編 (2002年 3月 甲南女 子大学研 究紀 要第 38号. 第 九 回 ︺読 売新 聞 読 者 懇 親 会 ● ︹. 四月十 一日 ︵ も 〓ヽ ﹂ じ. 演 出 来 ると て大 喜 び な り と いふ ︵ 顔写真付 き ︶. 加 茂 丸 には 又 同 殿 下東 郷 大 将 及 び 乃木 大 将 も 乗 船 さ る ゝ由 な れ ば 今 度 も 又 殿 下 の御 前 に て講. 長 は今 の東 郷 大 将 に て東 伏 見 宮 殿 下 には未 だ 海 軍少 尉 に てお は せ しと 今 度 同 人 が乗 船 す る が. 生 じ て我 浪 花 艦 が 同 地 へ趣 く 事 と な り し に便 乗 し数 回忠 義 義 烈 の講 演 を 為 せ る事 あ り 時 の艦. た り と 猶 同 人 は去 る 廿 四年 軍 艦 金 剛 に乗 り て北 亜 米 利 より 南 洋 に趣 け る が帰 途 布 畦 の内 乱 が. 石 本 職 丈 け に其 の声 色 は 実 に巧 みな り しと 然 れ ど 遂 には化 の皮 表 は れ て馬 を 引 き て家 へ帰 り. 羽 織 袴 を 借 着 し て某 華 族 家 家 令 に化 け 赤 阪 某 待 合 に乗 込 み数 名 の芸 妓 を 招 き て騒ぎ た る が 流. 人 は 一向 平 気 に て時 々奇 行 を 行 へり 今 其 の 一例 を 挙 げ ん に未 だ 小 燕 林 と 云 へる時 代 一夜 漂 然. す と いふ同 人 は至 つて気 概 あ る者 に て奇 行 多 く 仲 間 中 に ては気 違 ひ燕 林 な ど ヽ云 ひ 居 れ ど 本. 為 め渡 英 す る物 に て帰 途 巴 里 及 び 羅 馬 市 の博 覧 会 を 見 物 労 々同 地 の興 行 物 演 芸 界 の視 察 を 為. 付 け て重 傷 を 負 は し た こと があ つた 、 そ れ を 段 々調 べ て見 ると 、 何 やら の講 談 に、自 分 と 同. と ゝと 云 ふより は 悲 む べき 次 第 であ る。 先 頃 或 る地方 で小 学 校 の児 童 が其 の友 に小 刀 で斬 り. り でな く 、寧 ろ健 全 な る 読 み物 や観 も の ゝやう に奨 励 さ れ る 傾 き も あ る のは 、 笑 ふ べき こ. 殺 伐 、 残 忍 、 粗 暴 、蛮 行 を 教 へてゐ る講 談 稗 史或 は演 劇 の類 の塁 も 制 裁 を 加 へら れ な いば か. 程 に取 締 が行 は れ てゐ る が 、 仁 義 や忠 孝 や義 勇 や、 さう 云 ふも のを 表 看 板 にし て、裏 面 には. 危 険 思 想 を 含 んだ 文 書 と か 、 淫 猥 に近 いこと を並 べた演 劇 と か は 、 厳 重 に過ぐ ると 思 は れ る. ● 通 俗 教 育 の 一方 面. 六 月十 日 ︵ も 〓よ ﹂ 9. 氏 の大 演 説あ る由. し第 一回を 来 る十 一日 日本 大 学 構 内 に 開 く と 演 題 は ﹁ 大 谷 刑 部﹂ ﹁ 妖 怪 ﹂等 に て残 花 咄 堂 両. ○ ▲家 庭 講 談 会   新 講 談 師 大 谷 内 越 山 は 戸 川 残 花 加藤 咄堂 両氏 の後 援 を 得 て家 庭 講 談 会 を 起. 六月 七 日 ︵ も 〓よ 葛 ︶. じ 年 齢 の子 供 が鎌 を 以 つて 一悪 漢 の脇 腹 を 刺 し て こ れ を 殺 し 、 大 に其 の勇 気 を 誉 め ら れ た. ら ノヽ と 其 の講 談 中 の架 空 人 物 にな つて見 た い心 を 起 し 、 些 細 のこと か ら友 と 争 いく ふた の. 一昨 日本 郷 座 に て開催. ▲風 谷 氏 の講 談. を 機 会 に刃傷 沙 汰 を 起 し た の であ つた さう な 。. が 、 此 の子後 に立 派 な 勇 士 にな つて名 を 挙 げ たと 云 ふ こと のあ つた のを 聴 いて、 子 供 心 にむ ⋮ ⋮ 次 ぎ は 細 川風谷 氏 の講 談 ﹁ 茶 碗 割 ﹂ と 言 ふ出 物 で元禄 の俳 人 北 条 団水 の昼 夜 用 心 記 の 一 も のな り 無 闇 と 張 扇 を 叩 き つけ 、 そ し て薄 汚 な い事 を ペラノヽ 喋 る者 と 相 場 がき ま つて ゐ る. ○ ▲講 談 奨 励 会   十 七 日 ︵ 土 曜 ︶午 後 六時 よ り 常 磐 木 倶 楽 部 に て. 六 月十 五 日 ︵も 〓よ 二 じ. 節 に氏 一流 の味 を つけ た も の曾 て紅 葉 山 人 が新 講 談 と し て試 ら れ しも のだ と 言 ふ因 縁 のあ る. 中 に流 石 は 風 谷 氏 な り と 感 服 せ し め た るも の少 か らざ りき. 文 字 焼 、 ど つこ い、 み つ豆 、 同 翁 作 画 玩 具 図 の抽 鍍 、宝 引 な ど 趣 味 あ る余 興あ り 尚 来 賓 には. ら 神 田連 雀 町 の金 清 楼 で催 さ れ た 式 後 講 武 所 芸 妓 連 の踊 、貞 水 の講 談 、 晴 風 翁 作 品 陳 列 室 の. 〇 ● 晴 風 翁 のお祝 ひ  玩 具 博 士 と 綽 名 さ れ た 清 水 晴 風翁 の還 暦 祝 賀 会 は愈 十 六 日午 後 一時 か. 四月十 八 日 ︵ も 〓ヽ ﹂ 巴. 0 ▲若 燕 帰 る  桃 川若 燕 は 昨 夏 より 朝 鮮 支 那 を 巡 業 し 居 り 今 回 帰 京 し新 講 談 ﹁ 朝 鮮﹂ ﹁ 通俗. 七 月 三十 日 ︵3 〓葛 ﹄ 9. 五 日正 午 より ⋮ ⋮. ● ▲各 演 芸 会   △落 語 講 談 有 名 会 ︵ 神 田白 梅 亭 ︶ △お 伽娯 楽 大 会 ︵ 牛 込 高等演 芸 館 ︶ 以 上 十. 七 月 十 五 日 ︵も 〓葛 ﹂ じ. ○ ▲柳 連 の演 芸 大 集 会   十 六 、 七 の両 日午 後 五時 より 本 郷 の若 竹 亭 に て. 五月 二日 ︵こ 〓﹂ も ︶. 飛 騨名 産 一位 一刀彫 記 念 印 材 を 頒 つて夕 方 散 会. 山 追 善 の為 め講 談 落 語 浄 るり の大 会 を 開 会 す と. 別﹂ ﹁ 大 石瀬 左 衛 門 賊 調 べ﹂ ﹁ 原惣右 衛 門実 伝 ﹂ の四席. 0 ▲如 燕 独 講   桃 川如 燕 は 本 日夜 よ り 神 田松 ケ枝 亭 に て新 講 談 ﹁ 沖 の船 唄﹂ ﹁ 和 久 半 太夫 子. 八月 十 六 日 ︵3 〓島 二 3. 教 育 百 種 談 ﹂ と 銘 を 打 ち 昼 は 四谷 の京 山 亭 夜 は麻 布 の 一の亭 へ出 演 す ると. ○ ▲講 談 奨 励 会   講 談 師 若 手 連 の組 織 せ る 同会 は其 第 三回を 来 る十 三 日午 後 五時 よ り 常 磐 木. 八月 十 九 日 ︵3 〓島 ﹂ 3. ○ ▲講 談 落 語 浄 るり 会   一一 日 四谷 見 附外 大 泉 に て宝 集 家 金 蔵 催 主 と 成 り 故 人若 扇 、 錦 城 斎 一. 五 月十 一日 ︵ も 〓ふ ﹂ じ. 倶 楽 部 に於 て催 す筈. 禁転載 ︶ ︵. ● 武 士 道 銘 々伝 ○ ▲講 談 奨 励 会   十 三 日午 後 六時 より 常 磐 木 倶 楽 部 に て.

(11) ). の三 (そ. 真 一 :読 売新 聞 に見 る明治期講談 菊池. (11). ○ ▲義士伝大会 十 四日午前十 一時 より人形町 の末広 にて開催 の番 組は. 十 二月十 五日 ︵ も〓L ド 願︶. 真 龍斎貞水講演. ●赤穂義士討入 の日 昨十 四日は赤穂義士討 入り の記念 日なれば墳 墓 の所在地た る芝高輪泉. 桃葉︶ 松鯉︶堀部安兵衛 ︵ 石 の出会 ︵ 南玉︶西入 ︵. 八月 二十 五日 ︵ も■ ” じ ︶. 岳寺 にては高輪中学校主催 となり同 日正午 より講堂 に於 て第 五回義 士会を開き ⋮⋮それより. 馬琴︶弥次郎と大 英昌︶ 三度目 の清書 ︵ 伯鶴︶村松三太夫 ︵ 南 部坂 ︵ 貞吉︶不破数右衛 門 ︵. ○ ▲通俗教育講談会 東京府 教育会 の第 四回通俗教育講談会 は本 日午後七時より神 田和 強楽. 宮 本武蔵 ︵一︶. 堂 に開き 二木博 士 の腹式呼 吸 に就 ての講話 神 田松鯉 の講談赤穂義 士伝 の外数番 の活 動写真あ. 余 興場に於 て桃川若燕 の講談及び薩摩 琵琶等 あり⋮⋮. ︵ 本文省略︶. りと ○ ▲講談 奨励会 来 る九 日午後 六時より常 盤木倶楽部 にて典山、伯山 の二名も補助 に加 はる. 明治 四十 五年 ︵ もも︶. 九 月 四日 ︵ も〓も ヽ ︶. 町三 一帽子製造業山 田達春 方 に雇はれ中昨年十 二月両国立花亭 にて鼠小僧 の講談を聞き俄 に. 一月 三十 一日 貧つ0 ︻〓 ︶. 悪心を起し同二十 日家 出 し て両国回向院内 の鼠小僧 の墓 に詣 で市内 千軒 より金品を窃取す る. 二 一︶は 日本橋区村松 ○●講談を聞 いて賊 福島 県 田村郡三春 町三七又次郎長男鈴木庄 司 ︵. 0●講談奨励会 の園遊会  講談奨励会 は昨 日午前十時 より大森 八景園 にて創立記念 園遊会を. 九 月 二十 日 ︵ も〓も ﹄ 9 催 せり来会者百余名貞山、貞丈、伯遊等 の講釈師連 に小 さん、金 馬、むらく等 の落 語研究会. 区湯島天神町 一の三豆腐商 原沢屋方 に忍び入り 現金三十円を窃取 せ し以来外 六十 八ケ所 にて. 迄逮捕されぬやう にと祈願 し浅草区浅草町三 一木賃宿千屋 田方 に止宿 し同十 二月十 日夜本郷. と. 員 がお客 に来り て合併 の相撲もあり競落会 の芸 尽 しには梅坊主 が法 界坊 のやう な姿 し て の阿. 二月 二十 五日 ︵ もい ド 願︶. 0 ▲講談落語三人会 十 一日正午より神 田 の立花亭 にて. 二 一︶ の許 に浮れ居たる 八百余円 の金品を盗 み駐品を 入質 し て吉 原京町新宝来楼将棋中将 ︵. 午 前十 一時 より神 田立花亭 にて催す番組左 の如 し. ○ ▲美当 一芳愈 々来 る  先き に報じた る美当 一調 の二世 一芳 は愈 々昨 日午後 二時新橋着 の汽. て午後 三時頃散会 せり. 呆陀羅経殊 に好評を博 し臆 て模擬店 が開か れ折柄 の雨 にも めげず 突体もな いこと に騒ぎ 廻 つ. 貞 山︶⋮⋮ ⋮⋮堀 部安兵衛印籠 ? ︵. 二月十日 ︵ もにも 二 9. 十 一月十 三日 ︵ も〓二 r お︶. 車 にて上京し在郷軍人保護会 の主催 にて二十 五 日帝国ホ テルにて試演 の上同 日午後 六時 より 牛込 の高等演芸館 に出演す る由 、同人が師 の称号は先年小松宮大妃 殿 下より特 に賜りた る者. が 一昨 日坂本署 の手 に押 へられ昨 日検事 局 へ送 らる. ○ ▲雑誌講談倶楽部 本 郷団子坂 の講談社 より去 る天長節を以 て発刊せる雑誌講談倶楽 部は. 十 月十 三日 ︵ も〓二 9 お︶. 従来同種 のも の絶無 な るを以 て頗る世人 に歓 迎 せられ今 回三版を発行 せりと. 二月 二十六日 ︵ もおも も 3. にて最も得意 の戦況談 は旅順閉塞 の 一段なりと. 日曜︶ ● ▲演 芸有名大会 滞京 中な る桂文吾 の為 め円右 、小 さ ん の両名 発企となり十 五 日 ︵. 十 一月十 七日 ︵ も〓二 F 葛︶. 駆逐艦 隊 の旅 順夜襲﹂ 0● 一芳 の新軍談 昨 日午後 二時 より帝 国 ホ テ ルに於 て美 当 一芳 の ﹁. る べき戦争を事実其侭 に語 る のであ るが、事実 と いふ偉大な る力 は百千 の名 人が有 ゆる技巧. 開催す る下谷簡易 図書館講演 の余 興と し て何 か 一席と相談 に及 ぶと痴遊君厳然威儀を但 し我. ンヤク師 の伊 藤痴遊君は浅草 で府会 議員 に当選 し て以来 エラクな つた ▲明十 八日 ●隣 の噂   ヽ. を積重ね て語り聞 かせ るよりは遥 に聴衆 の心を 惹附けた、此 の軍談 に依 つて日本 の軍人が如. の如く後人 の捏造 や空想 で作り上げたも のと違 つて吾 々の父なり兄なり が実際 に経 て来た恐. 十 二月十 二日 ︵ も〓ニ ド S︶. 何 に勇敢 であ つたかと いふ事 がよく窺 はれる、真 に近来 の血湧き肉 躍る聞物 であ らう. を聴く、節が内容 に合 はし て勇壮管朴 で至極上品な のが何 より嬉 しか つた、そし て義士伝等. ○ ▲若燕 の清国動乱講演  桃 川若燕 は清 国漫遊 中計らず大動乱起 り実況を見聞 せしと か にて. 演 題西郷南洲論講演者府会議員伊藤仁太郎君﹂ と書 輩は余 興など には出 ぬ ▲吏 員如才なく ﹁. 其状況を十六 日 の夜 より神 田白梅 にて演ず と. ○ ▲演芸館 の 一芳 昨 日より開場せし高等演芸館 の美当 一芳 は向 ふ十 日間出演 の筈 にて本 日. ウ ム講釈料は いらぬ下れ ツ︸⋮︰ いて如 何 でしようと御意 を伺 ふと ▲伊藤府会議員破顔 一笑 ﹁. 十 二月十 四日 ︵ も〓ニ ド 〓︶.

(12) (12) ). 文学 ・文化編 (2002年 3月 甲南女 子大学研 究紀 要第 38号. ● △赤 行 燈 と 先 祖 様. 二月 二十 八 日 →つヽ ド 田 ︶. よ り は 昼 夜 二回 ︵ 昼 は 正 午 よ り ︶ の開演 に改 め 軍 人 学 生等 の便 を 計 る由. 即 ち 日比 谷 図書館 に於 て之 を 見 た ﹁ 慢﹂. いて ゐ る図書館 の景 況 は或 は都 市 の 一面 に於 け る読 書 界 の状 況 を 語 る者 であ る かも 知 れ ぬ。. 勿 論 出 来 な い。併 し最 も 通 俗 的 であ つて、 学 術的 研究 的 と 云 ふよ り も 寧 ろ 一般 的 享 楽 的 に傾. 尼﹂ ﹁ 正直 久 助﹂ ﹁ 永 井 の局 ﹂ ﹁ 大 政 所﹂ の九 篇 、 先 づ は 無 難 のも のば か り 。 ﹁ 慢﹂ ︵ 四六版 三. べし 。 国 〓 中 の夫 婦 ﹂ ﹁ 孝 子 正 宗﹂ ﹁ 貞 婦 間 か の﹂ ﹁烈 女 吉 村 れ つ﹂ ﹁ 貞 婦 清 水 美 代﹂ ﹁ 堀部妙海. ムつて し ま へば 夫 れま でな れ ど 、家 庭 向 の講 談 な り 、 いやら しき 文 字 のなき だ け を 取 柄 にす 一. な も のな れ ば 、声 の やう に抑 揚 頓 挫喜 怒 哀 楽 の調 な き 故 に、 此 の本 ね か ら 興味 なき も の、 と. な ど し て、 そ し て無 文 無 学 の人 のす る こと を 云 ふ、 面白 か ら う 筈 が な し。 ま し て活 字 は 平 ら. の人 のす る やう に馬 鹿 も 云 へね ば 嘘 も 申 さ れず 、 ご ま か し は 勿 論 出 来 ず 、 場所 柄も 考 へた り. れ ど も 苦 労 す る ほど 人 に聞 か れず 、是 れ は 文 章 も 作 つて見 、 学 問も し て見 た結 果 、 無 学 無 文. 談 師 と な り 、貴 婦 人 や紳 士 の面前 に立 て活 々と 喋 舌 り 来 り 喋 舌 り 去 る、う ま か ら ぬ では な け. し た る 硯 友 社 の同 人 で、 少 し は文 章も 書 いた 人 。  一念 発 起 す ると こ ろあ つて身 を や つし て講. 細 川 風 谷 君 は嘗 て尾 崎 紅 葉 君 、巌 谷 小 波 君 、 江 見 水 蔭 君 な ん ど 一代 の才 人 が寄 り 集 つて組 織. ○家庭新 講談 ︵ 細 川 風 谷 著 実 業 之 日本 社 発 行 ︶. 二月 十 二日 ︵ も も﹄ ﹂ じ. ん いか ゞ。. 帰 の戦 争 な り 。 私 は 不如 帰 だ け で帰 つた のな れ ば 後 か ら 本 物 が 出 た か ど う か は知 ら ず 。 A さ. 落 な ら 落 語 家 にお 馴 染 あ り 、 且 つは ﹁ 講 釈 師 本 田 が 出 れば ﹂ と いふ修 羅 場 が新 派 な り 、 不 如. せ た か つた のな り 。 文 慶 、 桃 林 、 いづ れも 駄 洒 落 が多 く て私 には浪 花 節 の方 が結 句 い ヽ、 洒. 入 つた り 、 不如 帰 通 のジ ヨ ンさ ん、伯 知 の不如 帰 を 聞き た い、と では な か つた が 私 等 が 聞 か. 席 を 問 ね る。 色 物 席 と 女 義 席 亭 だ けを 訓 へてく れ る 、 四人 で須 田 町 ま で歩 るく 、 小 柳 亭 に這. ▲赤 行 燈 か ら講 釈   o ⋮ ︰四人 で赤 行燈 を 出 てか ら ﹁ 豆 ヤ ア、 熱 か い豆 ﹂ 屋 に此 の近 所 の講 釈. 四月十 八 日 ︵も 馬ヽ 二 巴. ⋮ ⋮伊 賀 の水 月 ︵ 貞山 ︶⋮⋮. ● ▲東 西名 人会   十 三 日は. 四月十 三日 ︵も 高ヽ 二 じ. 数 で、 矢 張 り 人 の眼 は 利 の為 め に輝 いて ゐ る 。. は 云 ひな が ら、文 芸委 員 会 の為 め に広 告 さ れ た本も 少 しは 見 ら れ る が 、蓋 し そ れも 極 め て小. 法 と か農 業 に関 し た 本 な ど は殆 ど 見 やう と 云 ふも のも なく な つて ゐ る。 移 り 行 く 世 の現象 と. 次 ぐ に戦 記物 、伝 記 物 、 講 談 物 、紀 行 談 、 写 真帖 な んど が読 ま れ 、 嘗 て非 常 に読 ま れ た養 鶏. 間 に向 つて何事 かを 計 画 し 企 図 し てゐ る こと が分 る であ ら う 。 相 場 の本 が最 も 読 ま れ 、 之 に. 雑 と な る に従 つて精 神 の慰 安 を 求 む る に傾 く 。 人 は実 際 世 間 の実 際 的 状 態 に飽 いて、 更 に空. ▼投 機 的 傾向   之 を 要 す る に、 世 は益 々物 質 的 に進 歩 発達 し て投 機 的 知 識 は 増 し 、 社 会 の複. て作 ら れ たも のよ りも 娯 楽 的 のも のが多 く 見 られ てゐる。. 関 し た も のは何 に関 は らず 最 も多 く の読 者 を 有 し てゐる。 雑 誌 も 学 術 的 と か知 識 な ど を 考 ヘ. も のは余 り 読 ま れ な い。 名 士 の修 養 談 な ど も 非 常 に好 況 で、 講 談 も のも 多 い中 に赤 穂 義 士 に. る。 文 芸 の書 に至 つては 、 ど ち ら か と 云 へば 所謂 世話も のが 最 も 多 く 読 ま れ て、純 文 芸 的 の. ▼修 養 談 と 講 談   欧 米 漫 遊 の紀 行 文 な ど も 相 当 に見 ら れ 、 写 真 帖 な ど も 中 々見 る も のが あ. 的 のも のな ど は読 者 皆 無 と 云 つても 善 いく ら ゐ であ る。. れ か ら伝 記も ので、 更 に読 ま れ な いのは専 門 的 のも の、 又 は教 育 的 のも の であ る。 殊 に教 育. へば ﹁ 此 一戦﹂ と か 、 ﹁ 鉄 蹄 夜 話﹂ と か 、 ﹁ 血 煙﹂ と か、 そう 云 つた やう なも のが読 ま れ 、 そ. た 書 籍 で、重 に株 のこと を 書 いたも の であ る。其 の次 が戦 記 も の で、 日露 戦争 に関 し た 、 例. 傾 向 と 云 へば 云 ふも の の、 何 に原 因 す るか は 分 ら ぬ が近 頃 最 も 多 く 読 ま れ る のは相 場 に関 し. 百 十 頁 価 五十 銭 ︶. ● ▲立 花 亭 の三遊会   十 八 、 九 の両 日開演 の番 組 は ⋮⋮後 藤 半 四郎 、 近 江 文 次 ︵ 貞 山 ︶⋮ ⋮. B記 者. 四月 一日 ︵も 高ヽ 二 ︶ 知 、 小 円 遊 其 他 の名 人 出 演 す る由. の駒 ︵ 如燕 ︶. 0 ▲如 燕 、貞 水 舌 戦 会   廿 九 日夜 京 橋 山 村 亭 にて言行 一致 、今 世 力 士 伝 ︵ 貞 水 ︶ 隅 田 川出 世. 四月 二十 九 日 ︵ も 馬二 も 3. 四月 二日 ︵ も 高ヽ こ ︶. ● ▲立 花 亭   廿九 日よ り 左 の番 組. ○ ▲講 談 落 語 大 会   講 談 社 の主 催 に て、 来 る 三 日午 前 十 時 牛 込 高 等 演 芸 館 に同 大 会 を 開き 伯. ○ 講 談 と 戦 記物. 四月 二十 日 ︵も 高k ﹄ 9. ⋮ ⋮義 士 伝 ︵ 貞山︶⋮⋮. 近 頃 は ど う 云 ふ本 が読 ま れ る か と 云 ふ に、 場 所 にも 依 り 、 程 度 にも 依 つて、読 者 と 図 書 館 と. 0 ● 迪 宮 殿 下 の御 誕 生 日. △読 書 趣 味 の推 移 ▽. の関 係 は 何 処も 同 じ では あ ら う が 一の図 書 館 の状 態 を 以 て其 の都 市 全 体 の状態 と 見 る こと は.

(13) ). の三 (そ. 真 一 :読 売新 聞 に見 る明治期 講談 菊池. (13). △貞水 の講談を聴 かせらる 富 士 の巻狩﹂ ﹁ 小 野川 釈師 早川貞水を召させら れ東宮妃 殿 下を 始 め 三皇孫 殿 下 の御前 に て ﹁. 席 口演致 しま した そ れ で大 連 に参 つてか ら は貞 水 よく 来 てく れ た ツてん で白 仁 民 政 長 官 か ら 先 づ 御招 待 に預 り 昼 飯 の御 馳 走 にな つて長 官 の御 好 み で同 地 の中華 学堂 に於 て中 学 生 徒 、 お. 言 行 一致 ﹂ を 一 ▲百 五十 回 の 口演   そ れ か ら船 中 では 国 沢 副 総 裁 殿 の御 好 み で乗 合 一同 に ﹁. て コ ツー ンと 頭を 陀 つけ た やう なわ け で大 滑 稽 ツ マリそ の縁 か ら御 招 待 に預 つた 訳 な ん です. で気 付 いて見 ると 小 笠 原様 、 ト ンだ 失 礼 を 致 し ま し た と 慌 て ゝお辞 儀 を した ら 船 の中 の事 と. 長短槍 の試合﹂ の三席を 語ら しめ給 ひ いと御感 興を 催 させ給 ひし が去 る廿 と雷電 の相撲﹂ ﹁. 昨 廿九 日は皇孫迪宮裕 仁親 王殿下第十 二回 の御 誕生 日に当らせら る ゝより東宮御所 にては講. 七 には麻布御殿 にても常宮、周宮 、泰宮、富美宮 の四殿下お揃 に て同じく貞水を 召させられ. し各 学校 の依 頼 、 又 は 星 野参 謀 長其 他 陸 海 軍等 の御 歴 々 の方 々 の御 招 待 で旅 順 へ行 つて や つ. 小 野 川 に雷 電 ﹂ の長 講 を や つた のを 始 め と 役 人等 約 千 人 の前 で ﹁ 柳 生 重 兵 衛 の天 狗 問 答 ﹂ ﹁. た のとを 合 せ て丁 度 百 五十 回と いふも の朝 、 昼 、 晩 と 様 に休 憩 し て る間も な いやう な 有 様 で. ﹁ 山本 昆寛 の伝﹂ の二席を語 ら しめ給 ひ いと御感 興 に入らせられしが 一代 の 神崎 の堪 忍袋﹂ ﹁. 六月 二日 ︵ もい 0 じ. 光栄を身 に負 ひし貞水 は いと面目を施 し て恭 しく御前を退出したり. いろノヽ の滑 稽 談 やら 馬 賊 の中を 通 つた事 やら お話 した い事 は 沢 山 にあ りま す が余 り 長 く な. 皆 三時 間宛 も 口演 し た のです か ら歯 も 何 も た ま り ま せ ん こ んな に壊 し てしま ひま し た 、 其 他. つては いけ ま す ま いか ら 止 め て置き ま す 云 々. △講談 ︵ 伯鶴︶⋮⋮. 六 月 二十 三日 ︵ い つい い 日 ︶. 二日 の番組は ● ▲真砂座演芸会  一. 六月十 四日 ︵ もおよ 二 じ. ○ ▲講談 琵 琶 三人会   本 日午後 六時 半 よ り 神 田橋 際 な る和 強 楽 堂 に開催 出演 者 は 琵 琶 側 、 永 田、 田村 、有 坂 講 談 側 、 細 川、大島 の五名. 日帰朝 す る筈. 六 月 二十 四日 ︵ a Sよ こ こ. ○ ▲貞水 の帰朝 南満鉄 に招待 され て満韓を 巡遊し至 る処 に講演 した る早川貞水 は来 る十七. 六月 二十 一日 ︵ い コド 9 ド ︶. の思 惑如 何 に拘 は ら ず 自 席 丈 け実行 す る由. 少 値 上げ と な るも 其 代 り 二等 席 は十 銭 に値 下げ し 桟 敷 の外 は全 部 二等 席 に宛 る事 と な し他 席. 亭 主 卒 先 者 と な り 来 月 一日より 場内 の客 席 を 三分 し て 一等 、 二等 に分 ち 一等 席 は 従 来 よ り 多. ○ ▲寄 席 の本 戸銭 改 革   都 下 の寄席 は従 来 の木 戸銭 場 内 一般 均 一制 度 な るが今 度 下谷 の鈴 木. ○● ︹ 満州︺お喋舌り旅行 △講談師貞水帰 る 水 は暴 に南満鉄 の招聘 に応 じ て同社 の従業員 及び同地在住者慰 藉 の為 め同地 に赴 いたが昨 日. 七 月 七日 ︵ も 3葛 葛 ︶. 内務省 の嘱託講談師と し て将たま た本紙 の講談担当者とし て夙 に声名あ る教育講談 士早川貞. し疲 れ果 て ゝ居るなら んと 思ひ の外 不相変 の元気 にて次 の如く記者 に語 る. 午後 二時新橋着 の汽車 にて無事帰朝 した、何 にせよ三十三 日間も 昼夜立続け の長講と て熙か. ● 芝 居 と寄 席 徳 田秋声. ▲甲板 へお辞儀 何 し ろ丹三日間も のべ つ幕無 しに口演した ん ですからそ の折 の事 などを詳 しく申 上げ て居た 日にはそれ こそ 一日費 つて了 ひます、丁度大連 へ上陸 ると直ぐ でした、常. 長短槍試合﹂ が殊 に面白 か つたと仰 せられ非常 ち何 れが 一番御意 に召 しま したと伺 つたら ﹁. は福 円から聞くが過 日 の皇孫殿 下 の御前講 は大 層御意 に召した やうだね、先 日殿 下 にあ のう. 君は確 か貞水君だ つたね、毎 度君 の噂 人 のお方が ニコノヽ 笑 ひな がら私 のそば へ来 られ て ﹁. ざ いま した ので、それは後 にわかりま した、其船中 で黒 い質 素な背広服を お着け にな つた 一. や国沢副総裁なん て御 歴 々の方 々の御乗船 になりま した船も矢張 私 の乗りま した台南丸 でご. 閑院宮殿下﹂と ﹁ 長短槍 爵 の御藩 中 の方 々が彼方 にも沢山御 いでになりますから其方 々に ﹁ 試合﹂ の二席を御聴 かせ致 しました、それ に就 ては面白 い話 があ るんです、丁度小笠原艦長. く る由 、尚 ほ其 れ以 外 の小劇 場或 は 寄 席 中 には御 遠 慮 申 上 げ る所も ま た そ の侭 にな し 居 る所. り と 語り 其 の他 明治 、 新 富 、東 京 、 宮 戸 の四座 は警 視 庁 より 何 と か 通達 のあ る迄 は 興 行 を 続. 事 者 は停 止 し ては却 つて不敬 に亘 らざ る やと 極 め て慎 重 な る態 度 を 以 て興行 を 続 く る考 へな. 目 下興行 中 の都 下各 劇 場 中 歌舞 伎 座 の雲 右 衛 門 は 十 日限 り 中 止 す る こと と な し 又 帝 国劇 場 当. ○ ▲興行 物 遠 慮. 七 月 二十 一日 ︵ も お﹂ も じ. る。 講談 の寄 席 な ど に は、 昼寝 を す る にも 夜 の涼 み にも 適 当 し て ゐ ると こ ろがあ る。 ⋮ ⋮. 来 の寄 席 な ど は 著 し く 影 が淡 く な つて来 た 。 ⋮ ⋮ 旧 来 の寄 席 な ど も 矢 張 夏 向 き に 出 来 て ゐ. 磐艦長 の小笠原子爵 から御招待 に預 つて疲 れ ても居 やうが是非と の事 で同地 の扇芳亭 で、子. ど なた様 で にお喜 び にな つて いらせられたよ﹂と云はれ る ので何れ高貴 の方 に違 ひ無 いが ﹁. そ んな有 様 であ る か ら 、単 に古 い芝 居 ば か り し て ゐ る歌舞 伎 座 と か、或 は 講 談 や落 語 の旧. ナ ニ海 軍 の者だ よ﹂とば かり仰言 つて笑 つてゐら れる の いら つし や いますか﹂と伺 つたら ﹁.

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