フレデリック・ソディのエントロピー貨幣論
片 山 博 文
目 次 はじめに 1.経済過程の熱力学的性格とソディの経済観 2.ソディの貨幣論 3.ソディの貨幣改革論 おわりにはじめに
現在、21 世紀の初頭に生きるわれわれは、気候変動に代表される環境危機、ピーク・オイルと 原油高騰というエネルギー危機、そしてサブプライム問題に象徴される金融危機という三重の危 機に直面している。グリーン・ニューディール・グループはこれを「トリプル・クランチ」と呼ん でいるが、そこに示されているのは、金融システムを通じた消費の人為的拡大とそれによる環境負 荷の増大、いわば「地球を抵当とする過剰消費」(The Green New Deal Group[2008]p.11)によっ て支えられた経済の限界である。そうした中にあって、経済におけるエネルギー問題とエントロピー 問題の重要性をいち早く指摘し、矛盾の根源を現代経済の貨幣制度に求めたフレデリック・ソディ (Frederick Soddy, 1877-1956)の経済学は、現代のわれわれにとっても示唆的な内容を含んでいる。 ソディは、放射性元素の壊変説や同位元素の発見で知られ、1921 年にはラザフォードとともにノー ベル化学賞を受賞した英国の化学者であるが、彼は第一次世界大戦の悲惨な現状から科学文明の 未来に大きな危惧を抱き、経済学研究に取り組むようになった(1)。熱力学の観点から現代の経済 システムと経済学を批判した彼の著作は、ジョージェスク-レーゲンやボールディングなど、のち のエコロジー経済学ないしエントロピー経済学の先駆的業績と位置づけることができよう。本稿の 目的は、彼の経済学、とくにその貨幣に関する学説を、「エントロピー貨幣論」として再構成する ことである。 私がここで「エントロピー貨幣論」というのは、以下に述べる方法的立場を意味している。エコ ロジー経済学の代表的な論者の一人であるジョージェスク-レーゲンは、その主著『エントロピー 法則と経済過程』の中で、主流派経済学がすぐれて「力学的」であり、「力学のドグマ」に全面的 にとりつかれていると批判している。彼によれば、力学が認識可能なのは「場所的な移動」だけ であるが、場所的な移動は可逆的であると同時に質的な側面を欠いている。しかし、現実の経済 過程は燃料・原料が廃棄物へ転換されるという不可逆的かつ質的変化を伴う過程であり、エントロピーの増大法則をはじめとする熱力学の諸法則に服している。それゆえ可逆性と質の捨象の上 に成り立つ力学は、現実の経済過程を把握する上で根本的な欠陥を有するものであるが、こうし た力学の欠陥が近代経済学の中に持ち込まれている、と彼は指摘するのである(ジョージェスク- レーゲン[1971]pp.1-3)。さらに、ジョージェスク-レーゲンが批判するこの経済学の力学的性格 は、単に経済学という人間の認識方法にとどまらず、その認識対象である市場経済そのものが有 する性格でもある。市場経済は、本来は熱力学的過程として存在する経済過程を、力学的過程に 転換することによって成立している。この転換は、いったい何によって引き起こされるのか。そし て、力学的過程として機能している市場経済を、本来あるべき熱力学的過程に「再転換」するに はどうすればいいのか。私のいう「エントロピー貨幣論」とは、この転換-再転換の媒介を貨幣に 求める理論のことである。すなわち、市場経済における熱力学的過程から力学的過程への転換が 市場貨幣によって行われていること、そしてその熱力学的過程への再転換を、何らかの貨幣改革 によって実現することが可能であること、これが「エントロピー貨幣論」の基本的立場である(図 1)。 ソディの経済学的業績は、エコロジー経済学に関心のある一部の研究者を除いては、わが国に おいてまだまだ広く知られるには至っていない。とはいえ、かなり早い時期からソディに注目して いた室田武 [1979]をはじめ、近年では桂木健次[1996]、泉留維[2004][2005]、藤堂史明[2006][2008] [2009]などにより、ソディ経済学の紹介・考察がなされてきている。本稿は、これらの先行研究 の成果をふまえながら、ソディを「エントロピー貨幣論」の創始者として位置づけ、その理論を現 代の観点から再評価しようとするものである。以下まず第 1 節では、市場経済および経済学の「力 学的性格」とソディによるその特徴づけについて簡単にまとめ、続く第 2 節において、ソディ貨幣 論の内容を現代のエントロピー論の知見も踏まえて再評価・再構成する。そして第 3 節では、ソディ による貨幣改革論を検討する。以上を通じて、ソディの経済学と貨幣理論が「エントロピー貨幣論」 を構築する上で有する意義を明らかにしたい。 図 1 エントロピー貨幣論の構成
1.経済過程の熱力学的性格とソディの経済観
(1)熱力学的システムとしての経済の特徴 市場経済はあらゆる使用価値が価値によって等質化される経済空間であって、その意味で本来 的に抽象化への強い志向性を有している。市場経済および経済学の「力学的性格」とは、そもそ も熱力学的なシステムとして存在・機能している、あるいはそのようなものとして存在・機能する べき経済を力学的システムに変換することによって、自然と人間の物質代謝過程としての経済過程 が有している特徴、そして持続可能な経済の備えるべき条件がシステムから欠落してしまうという 否定的な状況を意味している。力学的システムに欠落している熱力学的システムの特徴・条件の 重要なものとして、エントロピー、経済の大きさ(規模)、循環と定常性という、3 つの項目を挙 げることができる。 ①エントロピー 熱力学の発展は、産業革命において蒸気機関の熱効率をいかに高めるかという考察・探究の中 からもたらされた。19 世紀の中葉、マイヤー、ジュール、ヘルムホルツ、カルノーらによって推し 進められた探究は、クラウジウスによって熱力学の第 1 法則・第 2 法則の形で定式化され、その 後 19 世紀後半のギブズらによる自由エネルギーの概念の形成、さらに 20 世紀初頭に入ってネル ンストの熱力学第 3 法則の定式化により、ここに古典熱力学は完成をみることになる。 ここでは、主に村上[2004]にしたがい、熱力学の諸法則について簡単に確認しておこう。あ る系が有する総エネルギーは、次のような熱力学関数によって表現される。 H = G + TS ここで H は系の総エネルギー、G は自由エネルギー、TS は束縛エネルギーである。自由エネルギー (free energy)とは、総エネルギーのうち仕事に変換できる利用可能なエネルギーを指し、束縛エ ネルギー(bound energy)とは、仕事として有効利用することのできないエネルギーを指している。 束縛エネルギーは、温度 T(単位は絶対温度)と S の積として表されるが、この S がエントロピー (entropy)と呼ばれるものである。 この式において、総エネルギーそのものは、仕事の有無によって増えることも減ることもない。 これが熱力学第 1 法則(エネルギー保存の法則)と呼ばれるものである。しかし、何か仕事をす れば、総エネルギーそのものは増減しないものの、仕事として利用可能な自由エネルギーは減少し、 仕事として利用不可能な束縛エネルギーへと変わっていく。これが、熱力学第 2 法則(エントロピー 増大の法則)である。この法則は、ほとんどの力学法則が可逆であるのに対して、不可逆性を表 現する唯一の法則として重要である。また、熱力学第 3 法則はエントロピーの基準点を示すもので、 「絶対零度におけるエントロピーはゼロである」という命題で表される。 これらの諸法則は、人間による利用可能なエネルギーの限界、いいかえれば永久機関の不可能 性を示している。すなわち熱力学第 1 法則は、外部からエネルギーを受け取らずに仕事をし続け る「第 1 種永久機関」の不可能性を、熱力学第 2 法則は 1 つの熱源だけを用いて循環的に作動す る「第 2 種永久機関」の不可能性を示している。また、熱力学第 3 法則は、上記の熱力学関数でT =絶対零度、すなわち TS = 0 となることはできないから(ネルンストによる「絶対零度到達不 可能性の原理」)、系の総エネルギーを全て自由エネルギーとして利用することはできないことを意 味している(2)。 ②経済の大きさ(規模) 力学的システムに欠けている第 2 の重要な項目は、システムの大きさとそれが取りうる限界に関 する問題である。ジョージェスク‐レーゲンは、このことを次のように論じている。力学の空間、時間、 質量はすべて無差別な足し算・引き算ができる「基数的測度」であるが、このことが現象の質の 捨象と大きさの問題の捨象をもたらしている。すなわち、ある一つの現象における諸変数が基数 的に測定可能であるならば、それらはすべて同じ比率で増加し、増加した後もやはり同じ現象を示 すことができる。これは、この現象を記述する式が、大きさに関し無差別な事態を特徴づける次 数 1 の同次関数で表されることを意味している(ジョージェスク‐レーゲン[1971]pp.129-141)。 以上をより明確な形で示したのが、デイリーの「最適規模の経済学」である。デイリーは、既 存のマクロ経済学には経済の「規模」という概念が存在しないことを指摘し、その原因は、マク ロ経済学が、経済を環境との物質・エネルギーの交換のない閉鎖系システムとして捉えているこ とにあると論じた。それゆえ、マクロ経済にはその規模に制限を課するより大きな全体は存在しな いとされるのである。これに対してデイリーは、マクロ経済を物質収支、エントロピー、有限性によっ て制約される自然生態系の「開放系サブシステム」として捉えることにより、経済の規模が生態系 の環境容量の範囲内にあるべきことを示し、さらに経済の「最適規模」による持続可能性の実現が、 最適資源配分による効率性の実現や、分配による公正の実現とは異なる政策手段を必要とする独 自の政策目標であることを明確にしたのである(デイリー[1996]、片山[2008])。 ③定常性と循環 古典熱力学の完成者であるクラウジウスは、熱力学第 1 法則・第 2 法則を、それぞれ「宇宙の エネルギーは一定である」「宇宙のエントロピーは最大値に向かう」という宇宙の基本原理として 表現した。ここからは、世界はいずれエントロピーの増大によって「熱死」するという悲観的な終 末論が導かれる。しかし、現実の生命、地域・地球生態系は、熱死することなくその機能を維持 している。それは、これらのシステムが、発生したエントロピーを系の外部に「捨てる」機構を有 しているからである。槌田敦は、このようなシステムを「定常開放系」と呼んだ。 発生したエントロピーを系外に捨てることは、「循環」を通じて行なわれる。例えば地球生態系 の場合、太陽光によってもたらされた低エントロピー資源の消費によって廃熱という形でエントロ ピーが発生するが、それは大気循環・水循環を通じて宇宙空間に放出されることにより、定常性 を維持している。生命体も、血液やリンパ液などのさまざまな循環を通じて高エントロピーの廃物・ 廃熱を体外に放出し、自己を生命体として維持している。この観点から槌田は生命体を「多数の 循環の調和ある動的な集合」(槌田[1986]p.61)と呼んでいるが、これは生態系にも同様にあて はまる規定であろう。このように、循環による定常性の維持が、「持続可能性」の実現にとって最 も根本的な問題であることを、槌田の定常開放系の理論は明らかにしている。
(2)ソディによる経済の熱力学的把握 以上、経済過程の熱力学的側面を、エントロピー、経済の大きさ、定常性と循環の 3 点にわたっ て論じてきた。これらはどれも、エコロジー経済学の重要な分析視角をなすものである。それでは、 ソディ自身による経済の熱力学的把握はどのようなものであろうか。 ソディによる問題把握の特徴としてまず指摘できることは、彼が太陽エネルギーの重要性を強 調していることである。彼は「なぜ人が生きているのか、なぜあらゆるものが生存するのか、なぜ 無生物的自然が活動するのか、すなわち滝や絶え間ない活動を示すすべてのものの活力源は何か」 という問題を立て、それに対して「太陽の光によって」と答えている。彼は「太陽のスイッチを切 れば、世界は死んでしまう」と述べ、自己の経済学の出発点を「エネルギーの保存と変換という よく知られた法則であり、通常熱力学第一、第二法則と呼ばれているもの」におく(ソディ[1922] 上、pp.41-42)。 さらに、太陽エネルギーを地球上のすべての活動の基盤に据えるソディは、人間社会を中心に おいた自然界のエネルギー・フローを、図 2 のように示している。彼によれば、太陽エネルギーは すべての生命活動の基盤であり、太陽エネルギーを取り入れる植物は「真の資本家」、葉緑素は「太 陽エネルギーが生命の世界に入ってくるドア」とされ、そして農業が「生命のキー産業」として位 置づけられる。一方、化石燃料に依拠する現在の経済発展は、過去の太陽エネルギーの蓄積によ るものであり、人類史の「非常に一時的な局面」をなす「華々しい時代」に過ぎないとソディは指 摘し、ますます「生命を経由しない」システムになりつつある現代経済に警鐘を鳴らしている(Soddy [1926]p.30、pp.37-39)。 図 2 人間社会を中心にみた自然界のエネルギー・フロー
このように、経済過程に対するソディの熱力学的アプローチは、上述のエコロジー経済学の分 析視角のうち、エネルギー・エントロピー論、とくにその資源枯渇の問題に重点をおいたものであ ることがわかる。廃棄物問題は、次節で述べるようにソディの理論構成の中に一応組み込まれて おり、また経済の大きさの問題にも、資源の有限性の観点から一定の関心が払われている。逆に、 ソディの経済認識の中で決定的に弱いのが、定常性・循環の問題である。しかしソディの貨幣論 には、こうしたエントロピーの現代的問題をも取り込みうる可能性を有していると私は考えている。 そこで次節では、ソディの貨幣論に「定常性」の概念をより明示的に導入することにより、ソディ 貨幣論の再構成を試みる。
2.ソディの貨幣論
(1)富の 2 つのカテゴリーと金属貨幣による経済空間の転換 ソディ貨幣論の出発点をなすのは、富の性質に関する彼の考察である。ソディは、富の生産を エネルギー論の観点からとらえ、自然の利用可能なエネルギーを、人間生活の目的に利用可能な 形態に変換することと考える。したがって、人間の生産活動は、エネルギーの観点からすれば常 に「消費」活動となる。ソディはこうした観点から、「富Ⅰ」および「富Ⅱ」という富の 2 つの「熱 力学的カテゴリー」を区別する。 すなわち富Ⅰにおいては、商品はその生産に支出されたエネルギーの一部を内部に保持しており、 その商品の消費において、内部エネルギーは生活の目的に役立つように解放される。富Ⅰは具体 的には、食料、燃料、爆薬、ある種の肥料などから構成される。富Ⅰの生産と消費は、次のような 等式で表される。 生産:原料+利用可能エネルギー=富Ⅰ 消費:富Ⅰ=生のエネルギー+廃エネルギー・廃物 次に、富Ⅱは衣料、住居、その備品と家具といった富の享受や消費に必要な個人所有物、また道 具、工場、道路、自動車、船舶その他、富の生産に必要な生産手段(ソディはこれを「生産器官」 organs of production と呼んでいる)からなる。富Ⅱにおいては、エネルギーはその使用に本質的 なものとして商品の内部に残ることはない。その意味で富Ⅱの生産とは、エネルギーの観点からは すでに「消費」の完了した過程である。富Ⅱの生産および消費は、次の等式で表される。 生産・消費:原料+利用可能エネルギー=富Ⅱ+廃エネルギー このように、ソディは富の 2 つのカテゴリーをエントロピー論の観点から分類しており、等式 に明確に示されているように、これらは生産と消費に関する不可逆性の表現となっている(3)。こ こで興味深いのは、ソディがこれらの富をそれぞれ「腐食性」(perishability)および「永久性」 (permanence)という反対の性質によって特徴づけていることである。腐敗・腐食・発火その他 の変化を被りやすいというのが、富Ⅰの本質的な特徴である。それはエネルギーの貯蔵庫として価 値があり、富として機能する際にそれらは全体が富として消費ないし破壊される。エネルギーそれ 自体には価値がなく、あるモノから他のモノへ、ある場所から他の場所へのエネルギーの流れだけが価値がある。流れるというエネルギーの傾向の物質的な対応物が、変化するという物質の傾 向であるとされる。一方、富Ⅱでは、腐食性よりも永久性が本質的な性質となる。使用の際の破壊は、 完全に回避することはできないとはいえ、それは富Ⅱにとって本質的ではなく、むしろ欠陥となる ものである。それらは磨滅に耐え、できる限り持続することが求められ、そのためにそれらはしば しば溶解しにくく耐性のある物質から作られる。富Ⅱは、生を可能にしそれを促進するが、それに 力を与える(empower)ことはできない。また富Ⅱは、生の時間の支出を節約することはできるが、 生を支えることはできないとされる(Soddy[1926]pp.116-119、p.295)。 ここでソディが腐食性・永久性と呼んでいるものは、現在の熱力学の用語でいえば、それぞれ「拡 散能力」「保存能力」という言葉におきかえることができよう(4)。ソディによる富の 2 つの熱力学 的カテゴリーの把握は、そこに「定常性」の概念を明示的に組み込むことによって、市場経済が、 物体の熱力学的な使用価値空間を力学的空間に転換する契機を表現するものと解釈することが可 能である。すなわち第 1 に市場経済は、低エントロピー-高エントロピーを主軸とする使用価値空 間から、腐食性-永久性を主軸とする使用価値空間への経済空間の転換をもたらし、第 2 にその 転換過程を通じて、生態系の有する「定常性」を「永久性」におきかえる。地球生態系が熱力学 法則に支配されている以上、地球における永続性や不滅性というものは、本来、生態系の循環と エントロピーの宇宙への廃棄によって繰り返されるフローの継続としての永続性に他ならない。例 えば、農作物が毎年栽培され収穫される、成長と枯れ死を行いながら全体として森林が維持される、 などがそうである。これに対して、永久性とは、エントロピー法則に反して使用価値空間にとどま る能力のことである。さらにこれらの転換から第 3 の転換として、永久性による腐食性の支配、腐 食性に対する永久性の優位性がもたらされる。市場経済は、以上 3 つの転換を通じて、地球生態 系の熱力学法則を脱した独自の閉鎖的な力学的空間として自らを再構成するのである(図 3)。そ して、このような熱力学的な使用価値空間から力学的な使用価値空間への経済空間の転換を行う ものが、貨幣(金銀などの金属貨幣)に他ならない。貨幣は、富Ⅰ-富Ⅱの対立関係、すなわち腐 食性と永久性の対立関係の中から生まれてきた。この対立の中から、永久性を代表するものとして、 腐食性に対する支配力を確立したものが貨幣なのである(5)。 図 3 金属貨幣による経済空間の転換
ソディの議論にしたがえば、市場経済におけるこのような転倒した関係は、資本と利子の概念 のうちに最もよく表れている。ここでいう資本とは富Ⅱのうちの「生産器官」を指している。太陽 エネルギーをすべての富の根本的源泉とみなすソディにとって、富とは本来フロー量であり、蓄積 が不可能なものである。一方、資本は本質的に耐久的で使用によって消費されないが、使用によっ て実際に生産的となるものであり、一見すると人類に物理法則と経済的依存から逃れる手段を与 えるようにみえる。というのは、その使用によって節約される「永続的な時間収入」によって、そ の生産で負った時間負債を返済するように見えるからである。この永続的な時間収入が、利子を 構成するものとなる。しかし、ソディによれば、こうした永続的利子の物理的基盤は資本の生産物 にあるのではなく、生産における富Ⅰの使用にのみ存在するのである(Soddy[1926]pp.126)。 素材的には、このような貨幣の機能は、金によって最もよく果たされる。「金は腐食せず富の最 も永久的な形態」であり、「人間はこの世に現れそして去っていくが、金は永久に蓄積を続ける」 とソディは論じている(Soddy[1926]p.178)。 (2)バーター貨幣から債権・債務貨幣へ 前項では、貨幣による定常性の永久性への転換についてみてきたが、そこで想定されている貨 幣は、金銀などの金属貨幣であった。しかし、こうした貨幣は地金に溶かされても確定した価値 を有しており、金属貨幣による財貨の購買は、単なる個人的所有物の物々交換を延長したものに 過ぎない。その意味で金属貨幣は、いまだ「バーター貨幣」(barter money)の域を脱していない。 ところが、このような「個人的な貨幣の概念」が貨幣の無限流通によって「国民的な貨幣の概念」 に進化すると、貨幣は新しい性格を有するようになる。すなわち、売り手から財を受け取った買い 手は、自分が負った負債を貨幣で支払い、このようにして売り手に彼が手放したものと引き換えに、 「要求払いで富によって返済される等しい信用ないし権利」を与えるのである。この場合の貨幣とは、 好きな時にはいつでも、売り手が買い手に与えた富を売り手に返済するという「国の一般化された 約束」である。かくして貨幣は、「その所有者がコミュニティ全般の債権者であり、要求払いで富 を返済してもらう権利を付与されていることを証明する印」とみなされるようになる(Soddy[1926] pp.133-134)。ここに貨幣は、バーター貨幣から「債権・債務貨幣」(credit-debt money)と進化 するのである(6)。 債権・債務貨幣は紙幣(paper money)と銀行信用(bank-credit)に分けられる。債権・債務 貨幣たる紙幣への貨幣の進化によって、第1に、貨幣をめぐる社会関係は根本的に変化する。紙幣は、 バーター貨幣における個人と個人の交換関係を、個人とコミュニティの債権・債務関係におきかえ、 そのことを通じて、熱力学法則に拘束されている個人の手に「真の永久性」をもたらすことができ るようになるのである。ソディは次のように論じている。「心理的には、個人の経済的目的は、こ れまで常に、老年期に自分自身と自分の家族を養うために、さらなる努力の有無とは独立に、時の 経過や状況の偶然性の効かない恒常的な収入を確保することであったし、これからもおそらくずっ とそうであろう。彼は若い全盛時に、のちのちずっと自分と跡取りがその利子で食べていけるくら
いの量の財産を蓄積することによって、そのことに努める。経済社会の歴史は、この人間の熱望と 物理法則との衝突であり、そしてこの問題を、ひとえに次のような方法に還元してきた。それは、 ある個人が別の個人ないしコミュニティを自己の債務者にし、そして返済はさせずに、その個人や コミュニティが彼らの努力の賜物を自分の債権者とシェアせざるを得なくなるようにするという方 法である」(Soddy[1926]pp.122-123)。 ソディが述べているように、債権・債務貨幣たる紙幣の所有者は、コミュニティを債務者にする ことによって、熱力学法則からの解放を実現しようとする。なぜなら、貨幣を通じて個人が手にす る「永久性」の本当の源泉は、定常開放系としての自然生態系との有機的連関を形成し、低エン トロピー資源の年々のフローを生み出すコミュニティの「定常性」の中にこそあるからである。こ の、定常性を維持しつつ低エントロピー資源を生産するコミュニティと自然生態系との有機的連関 を「コモンズ」と呼ぶことができるが、債権・債務貨幣は、このようなコモンズが生み出す富を、 私的に取得するための手段であり社会的装置であるということができよう(7)。 第 2 に、上述のバーター貨幣と債権・債務貨幣は、富の観点からも大きな違いがある。というのは、 バーター貨幣はそれ自身が富であるが(ソディによる先述の富の 2 つのカテゴリーでいえば、バー ター貨幣は富Ⅱに分類される)、債権・債務貨幣は本来は富ではなく負債である。ところが債権・ 債務貨幣は、この「負債」を「富」に転換することによって、バーター貨幣の下では越えることの できなかった物的富の増殖の限界を突破する。ソディは次のように述べる。「負債は物理学の法則 よりもむしろ数学の法則に従う。熱力学の法則に従う富とは異なって、負債は古くなっても腐食し ないし、生活の過程で消費されることもない。逆に負債は、よく知られた数学の単利あるいは複利 の法則によって、年々かなりの割合で増加する・・・複利で減少する過程は物理学的にはかなり 一般的だが、複利で増加する過程は物理学的には不可能であり、それには十分な根拠がある。複 利での増加は時間とともにますます急速に無限大に向かっていくが、それはマイナスと同様に、物 理学的な量ではなく数学的な量である」(Soddy[1926]p.70)。ここでいう「物理学の法則」とい うのが、熱力学の法則を指すことはいうまでもない(8)。 この債権・債務貨幣の増殖的な性格は、その紙幣よりもさらに進化した形態である「銀行信 用」において十全に展開される。というのは、金属貨幣や紙幣を貸し付けるものは実際にその貨 幣を放棄するのであるが、銀行によって貨幣が貸し出される場合、貨幣は誰によっても放棄され ず、その貸付は全くの擬制であるからである。近代の銀行貨幣は、想像上の貨幣を貸し付け利子 を徴収することによって、貨幣制度の「想像性」を一段高い段階へと引き上げ、銀行信用を通じ た「物理的には存在しない貨幣の上部構造」を築き上げるのである(Soddy[1926]p.157、p.190、 Soddy[1934]pp.29-30)。
3.ソディの貨幣改革論
(1)「仮想的富」とソディの貨幣改革論 前節では、ソディの貨幣論を「エントロピー貨幣論」として再構成することを試みたのであるが、その内容を要約すれば、市場貨幣による経済過程の熱力学的過程から力学的過程への転換は、① 金属貨幣(金)による定常性の永久性への転換、そして債権・債務貨幣による②個人間のバーター 関係から個人-コミュニティ間の債権・債務関係への転換、③負債の富への転換、という 3 つの 段階にまとめることができる。そこで次に問題となるのが、ソディによる貨幣改革論が、エントロ ピー貨幣論における「力学的過程から熱力学的過程への再転換」のための構想として有する有効 性・妥当性である。その際、ソディ経済学の最も重要な概念の 1 つである「仮想的富」(virtual wealth)を検討することが有益であると思われる。 仮想的富とは、前節で述べてきた債権・債務貨幣が作り出す「負の量」としての富をマクロ的 にとらえ直すことによって形成される概念であり、コミュニティの仮想的富とは、さしあたり「あ る共同体が所有するよりも負債を負わせる方を選好した富の総価値量」(Soddy[1926]p.138)と 定義される。このように、ソディの論ずる仮想的富とは、人々が所有する富の「負の量」としての 貨幣総額を表すものであると同時に、人々が貨幣の所有と引き換えに所有することを放棄した実 在の富の量に対応するものでもあるという、両義的な性格を有している。実際、ソディはこの仮想 的富という概念に、少なくとも 2 つの異なる意味合いを持たせているのである。 第 1 に、仮想的富の有する「仮想性」である。この意味において仮想的富は、債権・債務貨幣 の有する負の量としての富の性格をそのまま受け継いでいる。そして仮想的富のために、コミュニ ティは、実際には存在していない富があたかも存在しているかのようにふるまわなければならない。 ソディは、貨幣(信用貨幣)が国富の一部をなすことを否定して次のように述べている。「国がそ の貨幣の購買力の総量によって、あたかもそれが所有している以上の富を所有しているかのように ふるまわねばならず、そして永久にふるまい続けなければならないことは事実であるが、重要なこ とは、この仮想的富は存在しないということである。それは想像上の負の量であり、富の赤字ない し負債であり、保存則にも熱力学の法則にも従わない」(Soddy[1926]pp.139-140)。これに対して、 バーター貨幣の制度においては、貨幣は国富の一部であり、またコミュニティの誰もそのコミュニ ティの所有する富を超えた富に対する貨幣的請求権を有してはいない。 図 4 はソディによる仮想的富の概念図である。ここで時間 t1において販売に供されているコミュ ニティの「実在する富」(real wealth)は ab であるが、その仮想的富は bc であり、それゆえコミュ ニティはあたかも ac の富を所有しているかのようにふるまうことができるし、またふるまわなけれ ばならない。この ab が所有されているものであり bc が負債として負わされているものである。図 に示されているように、この正と負の富の量には大まかな比例関係があり、どちらもゼロからはじ まるとされる(Soddy[1926]pp.138)。 このように、「仮想性」としての仮想的富には、それが物的富の制約を越えて増大するイメージ が明快に打ち出されている。ところが仮想的富には、もう 1 つ別の意味合いが存在する。それは 貨幣の購買力(貨幣価値)を決定するための概念としての性格である(9)。この観点からみた場合、 仮想的富は次のような式に表される(Soddy[1926]pp.211)。 仮想的富=貨幣量×貨幣の購買力
あるいは 1 ポンド・スターリングの購買力=コミュニティの仮想的富/貨幣量 そして、ソディの貨幣改革論は、この式にもとづき、貨幣価値をいかに安定させるかという問題意 識によって展開されているのである。 彼の貨幣改革構想は、以下の 2 点にまとめられる(Soddy[1926]pp.296-297)。第 1 に、金(な いし他の単一の財)を価値基準とすることを否定し、貨幣の価値を「生活において消費され用い られる財の全般的平均」に関連づけるべきであるという主張である。というのは、例え金といえ どもそれが単一の財である以上価格変動をまぬがれず、そうした変動は貨幣価値の混乱を招くか らである。第 2 に、銀行信用を否定し、通貨の発行権を国家の手に保持することである。そして 国家は、全般的な価格水準の指数、もしくはその逆数である貨幣の購買力を、流通総貨幣量を制 御することによって一定に保たなければならない。イギリスにおいて国立物理学研究所(National Physical Laboratory)が重さや長さの標準化を行なっているのと同じように、この指数は国の統 計局によって継続的に確認され、貨幣価値を一定に保つために用いられる。すなわち一種の「商 品バスケット制」と 100%準備制度が、ソディの貨幣改革論の中心的内容をなしているといえよう。 図 4 仮想的富の原理
(2)ソディ貨幣改革論の問題点 以上がソディによる「仮想的富」の概念とそれにもとづく貨幣改革論の概要であるが、これを「エ ントロピー貨幣論」の立場からどのように評価すべきであろうか。 ソディの貨幣論および貨幣改革構想を包括的に検討しているマイヤーズ[2004]は、ソディが 流動性選好という貨幣価値決定における心理学的要素、および貨幣数量説にもとづく貨幣の流通 速度の問題を無視していることを主な理由として、彼の議論をおおむね否定的に評価している。し かし私は、マイヤーズのこうした否定的評価は、ソディ貨幣論のミスリーディングであると考える。 いまソディによる上述の仮想的富の方程式(仮想的富=貨幣量×貨幣の購買力)を「ソディ方程式」 と呼ぶことにすると、貨幣数量説の諸学説においてこのソディ方程式に対応するものは、いわゆる 「ケンブリッジ方程式」(現金残高方程式)であろう。ケンブリッジ方程式は次の式で表される。 M = kPY ここで M は現金残高、P は物価水準、Y は実質国民所得である。また k は所得のうち人々が購買 力の形で保有しようとする割合であり、通常「マーシャルの k」と呼ばれているものである。この ケンブリッジ方程式の P をその逆数である貨幣の購買力 C(= 1 / P)でおきかえて整理すれば、 ソディ方程式に相当する次の式を得られる。 kY = MC すなわち、ソディの「仮想的富」とは、ケンブリッジ方程式におけるマーシャルの k と実質国民 所得の積として表されるものである。マーシャルの k はある時点における国民経済の心理的・産 業的・金融制度的諸条件に依存するものであり、経済の貨幣需要を決定する重要な要因となる。 これはソディが仮想的富は物理量ではなく「心理的な起源のもの」であると再三指摘していること、 そして仮想的富が「人口・国民所得の増加とともに増大し、長期の間には、人々の習慣やビジネ ス方法、国内の貨幣事情によって変化する」ものであると述べている(Soddy[1926]p.296)こ とと符丁する。周知のようにケインズは、このケンブリッジ方程式の着想を後の『一般理論』にお ける流動性選好の理論へと発展させた。ソディによる仮想的富の理論は、こうしたケンブリッジ学 派の一連の貨幣理論の発展の中に位置づけることが可能であるように思われる。 むしろ、「エントロピー貨幣論」の観点からは、ソディ貨幣改革論の問題点ないし不十分性は別 のところにある。それは、ソディ方程式を貨幣論に導入することによって、仮想的富の第 1 の意味 合いであった富の「仮想性」の側面が後景化してしまっていることである。それは例えば、ソディ による次のような記述に表れている。「仮想的富を G とおくと―ここで G は、コミュニティが所有 を控えた財ないし実物(real things)の総量を意味するが、この量は変化しないと最初に仮定しよ う。コミュニティにおける貨幣量を X ポンドとすると、各 1 ポンドは G / X に値する。次に、国 家、銀行ないし贋金作りの行為によって・・・X ポンドの貨幣量がある一定率 r だけ増加して rX ポンドになったとする。ここで r は 2、1.5、1.1 など 1 より大きい数で、G はいまや rX ポンドに値 し、各 1 ポンドは G / rX に値する。最初の X ポンドの所有者は今度は XG / rX すなわち G / r、 つまり以前に所有していたものの 1 / r の部分しか請求権を持たないことになる。新しい貨幣の所
有者は、残りの G(1 - 1 /r)に対する請求権を保持する」(Soddy[1926]p.205)。 ここでは、仮想的富の大きさが実在の富の量に対応するものとして一定と仮定され、貨幣量の 増加が貨幣の購買力の低下によって調整される過程が描かれている。この貨幣数量説に基づく自 己調節的な貨幣のイメージは、熱力学法則も生態系の限界も突破して増殖を続ける仮想的富の「仮 想性」のイメージとは明らかに相反するものであり、エントロピー貨幣論の重視する持続可能性問 題が、単なる分配の問題へと切り縮められているといってよい。先に述べたソディ貨幣改革論にお ける商品バスケット制の提起も、ソディ自身の展開してきた腐食性・永久性の議論との関連で深め られることなく、単なる貨幣価値の確実性の問題として論じられるにとどまっている。このように、 ソディの貨幣改革論は、エントロピー貨幣論として不十分・不徹底であると考える。
おわりに
本稿ではソディの貨幣論における諸概念、すなわち富の 2 つの熱力学的カテゴリー、腐食性と 永久性、債権・債務貨幣、コミュニティの債務者化、負債の富への転換といった一連の概念装置に、 「定常性」の概念を明示的に組み込むことによって、ソディの貨幣論を「エントロピー貨幣論」と して再構成することをめざした。本稿で明らかになったのは、市場貨幣が、コミュニティと生態系 の連関である「コモンズ」の低エントロピー性を私的に取得するシステムであるということである。 エントロピー貨幣論の観点からすれば、貨幣の有する永久性を支えているのはコモンズの有する 定常性であり、市場貨幣は、定常性を永久性に転換し、さらにそれを負債というマイナスの富に 転換することによって、コモンズの富に対する支配力を確立する。その意味でソディ貨幣論は、市 場貨幣の起源とその機能の本質をコミュニティないしコモンズに求める「コミュニティ貨幣論」な いし「コモンズ貨幣論」として発展可能な射程をも有している。ソディの問題提起を受けとめ、エ ントロピー貨幣論のさらなる理論的・実証的展開を行なうことを今後の課題としたい。 注 (1) ソディの略歴と経済学研究に取り組む経緯については、泉[2004]を参照。 (2) なお、ジョージェスク-レーゲンは、物質もまた散逸を通じてエネルギーと同じように不可逆的に劣化するこ とを強調し、これを「熱力学第 4 法則」と名づけている(ジョージェスク-レーゲン[1981]pp.31-34、194-197)。 (3) この生産の定式化のもう 1 つの特徴は、生産要素としての資本と労働、とくに労働が含まれていないことである。 ソディは、自然科学の発達により生産に果たす人間の役割が「労働者」から「人工的プロセスの管理者」に変 化し、それとともに「労働」(labour)が「勤勉」(diligence)に変化したと論じている。彼によれば、現代に おける富の生産要素は、発見、自然エネルギー、人間の勤勉である(Soddy[1926]p.39、p.61)。ソディによ る生産の定式化に労働が含まれていないのは、そうした認識によるものと思われる。 (4) 「拡散能力」「保存能力」については、槌田[1992]pp.70-72 を参照。 (5) ジョージェスク-レーゲンは、これとは逆に貨幣を「低エントロピーの経済的な等価物」であるとした論者の 説を紹介している(ジョージェスク-レーゲン[1971]p.366)。これが市場貨幣の性格規定として誤りである ことは明白であるが、逆に「貨幣の低エントロピー化」という貨幣改革構想は検討に値する。ゲゼルのスタン プ貨幣はその代表的な構想であり、後に述べるソディの商品バスケット制も、ソディ自身はその方向性を深め てはいないものの、同様の改革構想に分類しうるものである。(6) この「バーター貨幣」「債権・債務貨幣」という貨幣の進化論的区別は、Soddy[1934]にみられるものである。 Soddy[1926]にはまだこれらの概念はみられないが、内容的にはほぼ同様の議論が展開されている。 (7) ソディの中に、「定常性」の考え方が全くなかったわけではない。例えば次の記述を参照。「国が過去の世代に おいて生産してしまったのだから次の世代は生産できないという通念、・・・そしてもしわれわれがある年に多 く消費したなら将来にはより少なく消費することによって埋め合わせなければならないという通念は、真理を 逆様にするものである。富が実在の量であり、自生的な発生と増殖が不可能であるということは、個人に適用 されるときには真理を含んでいる。しかし国の観点から見ると、それは昨年は暑くて皆がたくさん飲んだので、 今年は川の水を飲むのを控える・・・のと同じようにばかげている」(Soddy[1926]pp.121-122)。また別の箇 所ではこうした観念を「国の富」(=コミュニティの富)と「個人的富」の混同であると指摘している(Soddy[1926] p.62)。 (8) このような「負債」としての債権・債務貨幣の性格は、前項で述べた単なる「資本」とも異なるものである。 というのは、資本は「共同体がいったん消費の比率によって定まった生活規模と調和した富を消費することを 可能にするのに十分な所有物を蓄積すると、それ以上の所有物、例えばより多くの資本は、使い道のない経費、 あるいは重荷となって所有者たちを圧迫することになる」からである。(Soddy[1926]pp.126)ソディによれば、 物体としての「資本」はプラスの値しかとり得ず、腐食性を有する富Ⅰの消費の率と均衡がとれる水準までし か蓄積しない。この物的富としての「資本」の限界を、債権・債務貨幣はいわば「マイナスの富」を作り出す ことによって克服するのである。 (9) マイヤーズはこの観点から「仮想的富」概念を「富と通貨との中間物として働き、通貨の価値を説明するため の新用語」(マイヤーズ[2004]pp.11-12)と規定している。 参考文献 外国語文献のうち邦訳のあるものは、原則として原著の発行年を[ ]で、邦訳の発行年を( ) で示した。
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