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余暇の教育的重要性

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Academic year: 2021

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(1)Title. 余暇の教育的重要性. Author(s). 安藤, 忠吉. Citation. 學藝 : 北海道學藝大學機關誌, 1(1): 76-82. Issue Date. 1949-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3455. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . . ′. 19妙 .‐ December ,・. GAKUG図上. I ~ vo l . .1 , No. .. ● ・\ t ている。 彼 はかかる-、. させること」、 叉 「精練的冒険に謝する愛を喚起L刺戟すること」 で,あるとt 、 ●●000 ・ . るこ と が、 何物を 物 を も悪 「考へること」 や 「思想」 を少数者に於てでなく、 多数者に於ける特権とすることが ノ ー ・ r i 申的胃陵や勇気を養ぅ ことに なると確信する。これは科聾的諺曾 的知性が、厳曾改造の原動 . れない精云. 力であることを意味t た も の で あ るo ・「教 育 なければならぬ。 は死 せる憲 三 紙舎再建の教育は・ 未来に希望を抱く創造的生産的なもので・ ′ 責の受動的認識を目的とすべきでなく ・て、 我々の努力によりて創造さ るべき世界へ導かれる活動を - 」 ・ツサンス時代の消威 した美に醤す ・ それはギリシャやルネ らぬ ばな と しなけれ 目的, 。 ・る哀悼的希望に のに. 二 いヴィ ジ, ヨン( 向 き蔵曾の--思想が勝利をかち得る時代の輝やかL, , よつてではなくかくあるべ ・.. ●◎‐00●噂0. . ・. ‐ ,. ゞ. ,. って進んで行かねばならぬ。 かかる冠舎に生きる人間の科摩的厳曾的知性の訓練が、 厳曾的ヒも- マ ニズムによって特に強調 される所以は自ずと明 らかであろづ。. 、. 、. r‘. ・互り連載) ● r 西田幾多郎と三木満の饗談鎌一讃貢新聞 (昭和十一年九月 八日より五回に 1 } { , :訊く」 創造性が人間の本質になって行く だろうQそれは個人が世 , 「ヒューマ=ズムの現代的意義,西田博士- :入っていろo 全体自身が創造的なもの. \ 心の見方でなく、却って人間がその中1. Cur lum for Mo i dem Livi昭.1947.P,44, D l in cu r 2 { ) , F. B,Stratemeyer: eveop g a 8 d 6一4 b i 4 l ( 3 ) . . p. d 4十.b i ( . p.4字‐. /. dupgs dea d鮎 Bi l i 1930 70,71 一 l l { sauf・ r Gegenwa nflus r tundibr Ei sophi e De ・ .s t t: Di e Phi o 回 Th . . 、 .Li 、・ ′ . ・ ● ・ , 三 ・ . 14晩 . 6 ),三木満:ヒ『 ‐マユズム 哲学的基礎、 思想 第2 . ( ・ .. m. 〉 ‐. :最近のプログレシヴ教育思想の中核をなしているo それは 全体・ と して ′ im) の思想は、 特- 統合 (ln t t e停a ー : に深く結びついて ろ の人間 知的、 身体的、 情緒的、 杜曾的成長褒達段階ー 在る人間-の概念 い o 統合煙結. :引き締める力を奥へる原理 てあるo 而も具体的 犬格の愛展を現 :伴ぅ人格の強震t 局個々の人間の成長蜜逆- . て、 その統合の働 らきをす ]- :求めょうとすれー 宜耽曾生活のゴ o ジ ョ y、 デ エ ー イ 、 .る原動力は知 生の他 はな い. t の書に於て、 かかる傾向の主張をな しているo も Human Na tur eand Conduc 01頁. { 麓曾改造の原理、 世界大思想全集. 1 8 } パートランド・ラッセル著 村上啓夫謡. て い ろo ▼ .. ,. 余 暇 の 教 育 的 重 要}性 安.・ Chuk i iAndo〉 ch. 藤ふ. 忠,. 吉. T熊 lmponance of Ldsurein 余. 暇. の. 霊、‐義. Educa i t on .. . ニ ミ 二 キ ー. i叩e) は Sapr i 余 暇 (Le ime(余分の時間) であ る。いはばわれわれの生活の中に於 ける余 s et ur et. 剰 時 間 で あ ると い え よ う。 t か し余剰時間とは何で あるか を規定することになると非常にむづか し. いのであるが、 一窓次のように分析的に考察 してみることは不可能ではある泳い。,われわれの日常 ,ると勤 i. 生活 ば一日二十四時間を「環 として、 これの連績tているものであるが、 こ れを分析Fしてみ ‐食事 身仕 ℃ 芽、 労働と いうょぅな各人の本務活動に関する時間 と生命を維持保全するための睡眠、 、, 男撒等の時間とに凡そ大別することが出来よう。 これ等の活動を個 人的面からみるな 度、す ・らば生奮 76.

(3) . ′・ : -々. ・ ’ T r . ,. (昭 和〆 24年12月 ‐. ; 、 ′ ・一′ ・. 、. 第1 巻 第1 ・擁. こぎ‐. 活勤を通じて・ われわれが生活してゆくナ こめの財貨とか物 資を獲得 し、 自己及び家族の ,生 計を維 群 饗. 坐赫的入閣の生 嘉さ するといぅ生活上必須の領域に属するであらぅL、 睡眠、 食事、 身仕度 遊 離等は…. 命維持のための基本的生活の領域む こ属すると考えらすぎようo LかL ノわれわれはとの ょぅな働き・ 食 も選 べ、 眠るといった生活領域以外にまだ重 要な生 活領域 を持っ ている筈であるo 厳 烈こいぇ ば\ こラ サ 誓 、 g いった生活上の 必須的基本的活動の時 間を二十四時間から減 じた結果得られる時間が ある。 P ま・夢 謝さ , これ等の弊働時間と生活の基本時 間 以外の時 間、 いはばこれ等から解放 鼓した時間を持って い る。 ,一 群・ . これが余暇である。, しか L現賓生活に於て賓際的具体 的にはこれ等三者は非常に重 複 したり混合 は 雲誓 たり しているので限界をはっ きりと決定す ることは困難な場合 が多し o Lかし余 咳はわれわれの現そ ぎ 賛生活の中に確に賞存 してい るのであって全然ないので はない, 。・しかも余 暇は生 活の余目 時 間とじ , 、 .」 で て、 どうに もよい時間であり、 無益、 不用な怠惰の時間であって・ よい諺ではないのである。 とい ざ ・ ぅのはわれわれの 日常生 縮ま勤勢÷ 生命維持、 余暇と ・いう三者の織りなす 時間的園係にょ?文構 成 いき. され、 しかもこれ等三 者の間には 師岡勺 、. 的叉経済 的にJa. J、 に於けるそれぞれの向上を意圏 しなくてはな らないのであって、 三者の中いづれか が貧弱であ り;\ ・認 或は犠牲に於て考え られてょい謬ではない。 印ち生活の向上とか豊かな楽 しい文化生活とかは ごれ.. 等 三 者の 間 に ハーモ ニ ーと バ ラ ン ス が あ? て、 じか, t て効果 的に遂行しtいけ. も こ れ等 が 充 責・ 二言 孫・. ‐ ・ る . r. ‐ ~ . ~ 1 ・ 、 なし せ に 於 制にある時に於ていえることではあるまいか。 従ってわれ金れ が余暇の悟題を考察 , する場合 . 、 . . . . . も常に他の二者との開運性に於ける余暇というものを念頭において考察 してゆかねば余暇の員の意 ,〆 」 ‘ 義は把握されないであらう。 筒ことで注意,しなければな・ ・ らないこと は の闘係裟 於て ′ 、 余暇は本務と , ・ . ・ ・,′ ・ ・ , , ′ かない者に於て 徳でき まならないと その意義を認識t なけれむ ・いうことである。 本務を持た ない者、 ‐働ら って 員の意味の余暇 はない謬である。 従 仕事と遊びの未分化の幼少者とか▲ 病床にある者とかに は 三洋 員の意味の余暇はないといえよラ。・ . ・ r ミニ ・ , , , :、 ・ , は何 故であ, .こ, ら- . と ろで余暇の問題 が重要性を持っ て人々の間心をひき はじめ たの′ うか。・そ れば壷 -{ ≠ ・三 .業革命以来機械化のために生産にっいやされる努力と時間が急に軽減t て余暇時間が増大t め たた 二 , . -〆 ● ; . ‐ ・′ . 」 、’ 、、 ‐ , .・ . ‐ .・ t 1 ( )三か ら一日約 丘望 時間で、あ ・・ 商といはれ‐ 0時 る である。 ァメリヵに 於て最近余暇時間は-週平均4 二 . ‐、 . ‐ ・ ノ 十 , ,.・÷て , 2 ) と い はれ るが る。 日本に於て は明治 中期に於ては一日 14,5 時間の労働は珍 しくなかった( だ }. んだん減少の傾向をたきり勢働基準法が施行されてからは、 勢毎 時間が 8時間に制限され従 づて f ,動 いご ・ 三 かt 和 で L 券大衆の余暇時間 は形式 的に は増大される体制にむかつ ているとい えよ ぅ 東 昭 二十 二 年 、 o. 2 時間 を 京都の壮年勤勢大衆 (男) につ いて私が調査t た結果によると余暇時間は平日、 に於て約 3 . , ・ 5 時間である。 この結果 は一体何を物語るもの であ ろうか に 休日に於て 6 キ ここ も は お く経済 ら 的ニ . 。 , 産業 的、 厳曾的等の問題 が存在するのであ らうが・ 更にその根底には思想的問題が存在する. もめ と} ≦ 、 ・ 予想されるのである。 兎角日本に於て はァ メリ ことは 事善 こぎ な余暇時間にあるといぅ, ,ヵに くらべ貧弱, で ある。 しかt 余 暇時間は労働時間に原則的には制約されるのであるから、 一際券鱗 時間を 8時聞. き . に制限 したことは、 過去よ‐ りも余暇時間を増大せしめる方向にむいていると考えることは受賞で あ き ●. らぅ、 と思う。 従って余暇問題を考える場合に先づ一般大衆の余暇時間の増大をはかることが第‐ rに・ , 大切ではあるが、 しかL余暇時間が豊富に奥ぇ られたからといってこれで余暇の間 断性が総て解; 決 した 諺 で は な く て 余』慶の 問 題 は更 に こ の 上 に あ るの で ある。 .. 余暇● は労働から解放さえ た時間と して Freet ime .. .. ‐. ′. ることに常に余暇のイ デァがあるのである。 逆にいえば自由性の ない余暇は既に余暇の特性を零 2 も ′て ・るか ら員の意味の余暇ではない ,いえ・ よう。 セ ‘従つて囚人とか奴隷等には員の意味の‐余暇はない老 77. こ、 一′ 一 ・ 事 . . . . ・ ・ - , .-.

(4) . ‐ 、. 、, 1 Vol .1 , No .1. ’ ・・ ,. ,. . 二 ‐ , ・ GAKUGEI J ,. , r .. .. 、. ,. ‐. .\こぎぢヤ埠槻 ,. . 、 . Peee嬰beお り .轡. ●‘ ・ ,. ● 余暇を余暇たらしめる本質が自由性・ 余 暇をす ごす人の自由意志 ・ ′いう ÷ ・ l血韻r (vo y)三 に於て あると . ことに余暇の重 要性と問題性が所在 するので,ある。・ つまり は人々の自由意志によ っ て活動 二 ,, .余暇時間, し得る時間で外部からの強制や束縛がなく、 久々の 好きな活動を自己の好みによって選探 して行う、 ことが出来るのであるか ら、こごにわれわれは喜びや繍足が十分に得 られる余地を有す るのであるo ・ l 叉人間にとつて人間 らしさを深め高め表現L 形 成 す る 自 己 表 現 (Se f i ‐ l f e$ -メ ー on) 自己創 造 (Se expr , る。 と ごろ で こ の フリ ータ ィ ムの 余 暇 の 使 い 方に は善 悪の 二 qの 道 adon) の 機 曾・も あ る護 で ぁ′ cr e , ,. がひらかれている。 つまり余暇時間を有効適切に使用 し心身の健 全化をはかりゞ 人生を豊かな楽 しd 、 ノ1 ン 、 みある創 造の方向にむけ生活 を豊かな女化的なものに形成 してゆくことも出来るt 、 逆に余暇時間 ′を ●紙舎を毒するようにも使 用 し得 拙劣且俗悪に使用 し心身を害L 自己を破滅させるばかりで なく、 o 円少. の不. 化 の機舎 が 多. )@ な余暇使用は窓々にあやまっ た方向に走 らせる。 この殿につ いて, ≦ は山鹿素行 がつ とに 「燕居」( ・ 指 い と ね 中に 摘しているのであって、 余暇の望ま し 方向づけ 使用法 は教育問題と してとりあげ ば童 ・ , , ’十分に生 . 生を防止する という消極的意味に 票 でだけでな く・ 個人を . らな いo これは余暇生活の危険一 長獲達させ人生を豊かな楽 しいものと して、 健全なデモクラシー厳 曾を建設する ,と ぅ榛極的な近 , 代的意 味に於て余暇問題を取りあつかはね ばな らぬであらう。一ここに余暇教育 (Ld s 員 , r e ・me ・ ,t Educa i t on) の.重 要 性 が あ ると 思 ぅo 更 に 教 育 が 生 活 と い ぅ 原 理 に ょ っ て 生 活 に ょ り 生 活 に ま で 進, .. ・ 一 ( り もの としてゞ- められる新教育に於ては、 「生活だ罫す教育は余暇に封する教育を意味する」ぐ r層 - 員 剣に 取 りあ げ られ検 討 されな くて は な らな い と 思 うo. ,. .余 暇 ,. の. 機. 三. 能「・ と. ,. ●.. L ・. 債 ● --. ・ 二に余暇の本質と して自由性をあげ ・ 、 この自由性が人間形成的に 使用されるために余暇教育が必 .」 要であることを選べたの であるが、 それで は余暇は近代 生活の中に於て如何な・ また し、 る機 能をを . l i l) 生 理 掌的 (ph%i 心 理 掌 的 (Ps l l s 。 i ca l og ) o ca og i og ycho c副)の当 っの 観点がち考察 ・直 曾 撃 的 ( 。i. ● してみたいと思ぅ , 。しかもこれ等は人間存在の -領域であるか ら劃然と分 離Lてい るのではなく℃、 ′ それぞれは ・個人の全体的体制の中に相互関連的に位置づけ ・られで いると考 ぅべきであらう。. log l ロ ) 心 理 拳的 (Psycha i ) ca .. ・. ・. ・. ′. 幼児に於ては仕事と遊びは未今f ヒである ,が、 年令の進むにつ れて仕事と遊びとは分化・して生活に ▼ 」 謝 して一定の位置を しめるよぅにな るd そ して仕事は現質的に就曾と開係し義 務や責任の意識を伴 うものとなるo徒?て仕 裁こは勝手気鰹の意識とは反鷺 に緊張 し本気で仕事に従事するよ ぅにな るo . 仕事がこのょ )な意識 に於て遂行されるよう にな ると、ゞ余暇は仕事から解放 された時間と! して弛緩 ‐ ,. の 時 田と しての 意 味 を 持 っ ょぅ に な っ て く る。 余 暇は 仕 事 の ア ンチ ゼ ← シ ス と・して 考 え られ る ・よ う ,. になり、 余暇生活は仕事に謝 してエスケr プ活動の性格をおびて′ くるみ 特に近代生活は, ミッチェル. 7 )が支遊べ て い るよ う に と マー ソ ン( , 、. ‐. 2 そ 1的には、 部分的仕事. 覆・ ・交r げ り単調な反, って創造的表現の欠り .精“ 、 従, ん、 機械使用か らぐろ過勢、 ・ ノ ゞ 際の機曾の欠除等からく る不愉快 が多くなりつ つある。 とするならばミ な おさら余暇 は仕事か らく - i 窃 不愉 快 を 回 復 し(Re a t i r cupe r s qn) 気1着し(Di ve on) す る時 間 と して の 意 味を 持 って く、るで あ らうo l. ・外からの強制等を全然 除.ず 叉弊働傑件がたとえ快的なものに改善されたと じこも仕事からは、 緊張、 , ▽8. i j ,.

(5) . ′. 第. 1巻. ′. 2月 昭和2名手1. 第 1携. imz i o 神経 a t n) にはデ ー 去することは不可能であらう・し雷)れわれは日々の 必然的なきま り仕事 (Rowt ・ ;℃生活 i 緊張とa d軽疲労とを伴いあきが生ずる。 これに欝 して余暇ば必然的に緊張の弛緩の 時間とt , パ 生活は緊張と弛緩のリズム ゎれ 励も の にぁって に 節 られなけれぱならなぃ け のリズムの中 灘 o. . 運 ’ ! . ず .. . ′ , ‐ . ′. テ 浅薄 い る時 に 健 全 で あ ると い え よ う。 ラ ン ス を 保 っ て, 更に余暇は仕事から解放された時H 嗣 め 蜘 人にとっても自由な表現の時間である筈である ,三 瀦 め 常に 梨しい生活が 出来ることを望んでいる 従もて余暇は . 。 人 は 本性と して自由 に喜びや満足を求 ‐ . にき 掌 らな させるものでなくてはな 性格を本 ・ いo そ して 罵 . 質的に満足 人の喜びや楽 しみを得る自由時間の ,・ . の喜びや満足は自己表現、 自己創造と して個体が表 現される際にもたらされ る感情であって・ 自己 . 、 ~- ≦ の丈化的、′情緒的、 身体的欲求が変揮され、 固有の手腕才能 が十分に表現され、 自己 が自己に 於て ; 喜びや満足が得 られるのであ る。 こういっ た人 間の諸欲求の表現は′ 創造さ ・れる時には じめて大きな- ・ 労働時間に於ても可能ではあるが、 責際には十分な表現が困難な場合が多V o 一般には余暇時間内 . - , 、 き納 f e) は → 層メ カ ニ ゼ の活動に於て得られると考ぅべきであらう。 われ われの生活様式 (Mode Qf Li ● ・. ざ 二満 足 さ」せ ら れ ることは 少 なく .従っ .● ・ て、 1 事 時 間 内 で 己表 現 が 行 は れ常を ・. . . 薄. のような近代 生活の難点に謝 して、 色々な欲求、 興味、 衝動等 を抑墜することなく、 安全な方向に と しての機能を持つものでなけれ,.r キー - 葉散させ 全我的活動 と して 喜びや満足を典ぇ・ 自己表 現の時間「. . S と す るな らば一 人 間は 轍 ら く 生 活 の 外 に まな らな い。 「人 間 は物 質文 明の た め に 選 化 して ゆく()」. ‘ , .. こうい ,った勝義の 御慶に於て 楽 しみの 生活を持ち人間ら,しい園満な健全なヒーマ‐ニテ を膏現 し ‐ . てゆかなくてはな らぬで あらぅ。 しかもわれわ 掴ま勤勢の義務を持つ以上余暇を楽 しむ権利 をも有′ ‘わいの多いものであるならば、 是非とも自 由な楽 しい時 する筈である。 特に近代生活が苦労やわさ ノ . 一. 罰を持っことが人間的奮 然の要求と して認められなければならない であらラ。 と‐ころで 具体的に は ー l ay 楽L みのある活動慮p どのょぅな‐余暇活動 が心的満足と楽 しみをもたらすのであ らぅか、一般に- , ション ー レクリ 出 ぅ ェ ょ i R こと ー 三雲 l 呼 ぶ が t n a 来 内 は e 間 e cr o の pay と o , r i と いは れ るd そ・し .て 余 暇 時 思 であ る \ h ると が こあ うの f f ng) e r岱i ,せ しめ る 聞. . 白いと してもその 種目に不得手な人 にとってはかえって不愉快を輿えるかも しれない。 同 ;様式 の 三愛 ・ キ,ー 余暇活動であっても各人に共通の喜びや満足を輿えるとは限らないの,であるから・ 心 的満 足雪活動 ’. 1 の ( も ( D 調 I い 1 M 見 意 E A G の N G s s o や ,. 得 な い。 しか し楽 しめ る も の な ら全 く 何 で も よ 誰で な い。 . . の む 主的杜 ・品性 形成 舎 能率 民 増進 上 望まし 康 , 業務の の 心身の休養と健 向 、 を綜合ムてみると、 、 謡 、 , ・ i‘詔暮 三 ′ . の凄展に楽 しみの余暇活動を通 じて貢 献 しぅるものが望ま しいと え ょ ぅ。 三劃 1 0 ) がいう よう に 活動 す る 者 の主 観 - , 9 ) 或 は ダック( が もた らす か否 か の 決定 は ミッチ ェ ルと マ ニ ソ ン( \. 三 洋. てな しぅるものにあるので あって、 活動そのものによって客観 性・ 態度・ 即ち活動 者が喜びをもっ, ざ ・ 的外形的に決定されなv 。 従 ってわれわれの余暇活動はバラヱテ- にとむ鷹汎なもの とな ら るを . . ,. l i i l ca og o { 2 ) 生 理 聾 的 Phys 心理型的見解に於て余暇の弛緩性、 リズム性、 愉悦性をあげたの であるが、 心と身 とは分離 Lt .・ ●1 - =が一定のリズムによって弛緩と休息をうるな らば、 身体の疲労も回復 -、 いるものではないから、 精示. 、79. 「 ・デー :. 4 1 へ 、 . ′ ′ ▼ ・.. 蓄 電 - - 言 語 は き 『 請お. 猪 締諸.

(6) . - .‐ ノ ゞ , ′. ,、 vol ’ Nぴ 1. .. ,. GAKUGE1 一. ‐. 、. ・. . ,. 「 1949 1 c*ber・ .De . ÷ざ. ればならない。 先に述べたように近代生活は機械化 によっ で生物的ゞ心理的・精紳的全体 とt り 署キ ;て, ・ ー 人間の或 る部分 しか働らかせない偏頗な 活動が多い。 更に身体面か らみるなら ば軍 -作業の単調な . キメ ● ●れないので、 生物撃的機能面では F病気に なった動物j 反覆が多いので筋肉は部分的に しか使用さ 、三, , 二 に な りつ つ あ るの か も しれ ない。 従ってここに全身的活動にょる 、スポ」ッや ゲー ムや その ・他体育目星二 ; 、【 r i l と いえ るも ′ これ等は線構 して a レクリェーションが奨励されなければならぬ理由が存在する p y - ● 。 ● 」 \ ● .i - - . ・ . ・ ・ ,. ・ 二 活 る l じて賛 l つ 的及び品性の形成的償値が 動を通 . れ 謬抄 ある , ので あるから、pa 現さ y pa y の持 健康 一 ? tr l しかも p a y は平等の人間間係に於て友愛、 理解、 分嬉の感 じの共通 生を え しめ るか ら デモ ク ラ・シー. ・ン-\′ 動 が健康的にはよいであらう し、〆筋肉的努動を余リ レない人に倒 しては全身的な いクリエ ーショ :.. 3 ( )・、 ・ 1 「ふ け る, こ とは pl 一 ay ス ポ ← ッが よい で あ らう。 こ こ で 注意 しな け れ ば な らな い・ , に は一 般 に\ 、 く I ノ D・ l : ・は 次 の′ . ・ ・ という性質があるから梁t みの 余 り過 度 に な らな い よ うに すrるこ とで あ る がH′SrDidl. ま c ・ゎ状態よりも筋肉の歌態にょり\ 叉運動の型に エ , よぅな忠暑をLている。 「運動の安全な償値も ・ 1 }心身の一般的状 態を定期的な身体検査を,づけで決定 する リ、そ れ を な す 加 減 に よる。」 とt て、← 、 。き ミ~ { 2 1 身 体疲弊以下に運動するo 休養の意味と中程度の疲弊の運動な・らょろ し が過激な過弊の連覇 一 三 を す るな、 らば、 重大 な損 失 と な るで あ ら う● 。. ▼ われわれは余暇の健康的意味を把握 して 自己に最適の型のレクリェ「ショ ンを通 じて単に 疲 勢の‐ らしめるように剣・できト 回復と してだけでなく、健康の 増進のために、そ して次の本務活動に能率と効果あ● に余暇を使用 しなくてはならない。 ‐ 造の領域に有効的1. ー謝. l i l i ca 吐 曾 撃 的 Soc o og. ・. ゞ. 、. \. 1 余暇の 要求はその根本をヒユーマニテ ーこあ←て いる。 われわれは勤労の義務とともに御陵を梁圭三 ‐ い う不健全なる・ しく生活する権利をも有するとぃはれるの は、 余暇生活は賛揮、 浪 費、 怠慢と. のと --・ ・. して で は な く、 人 間 的 要求 の 富 然 の もの と して,ピュ ー マに プーの 奪 重 の上 に 根 嫁を おい て い る力もら ・ ィ十 ー. である。 封建厳曾に於て は大衆の自由の領域が極めて狭く徒 ◇て個人の 生命の充贋と か生活 の梁L みとか尊否定され、 徹曾秩序は大衆の生命の否定の上に 構成されていたともみられるので. あるb 民 ト , 主的蔵曾は個性の十分な愛揮を ・ ン ‐認め、 大衆全体が豊かな幸頑な生活をすることを理 想としてかかげ これを目指 して廼 忙舎生活を改善L建設t てゆかなくて はな らないと考え るな 釧ズ、 大衆の生活は壕ゞ ;… , . 牲と してで はなく・ q証 償値の承認の上に大 らかに明るく豊かに伸長させられなければな らない6 dC1 i i l e 慧 礎つで余暇の問題は 部の特濯階級 (Pr ) の ものとして ではな≦、・あらゆる階級、・年 三)えさ eg a s s v :R式r函1 i 令層、 性 別について徹曾掌 的に検討されなくて はならない。 近 代撃家に於ける Publ c on .. 」 に お いて い る と考 ぅ べ きで あ ら. 解 放という Eュ ← マ ニ ス テッ ク な 思想 を 根 底1 . 1・ うo・個 人 の 幸幅 か ら ー・ .・ ・ 般蔵曾(Gener副Sode t y) の幸稲へ綾大された立場か ら、余暇の問題を考え る時には余暇の有効使用.二 言 ‐ は、 個人 rを通 して蔵曾の 裟展と向上更に民主的文化の愛展に貢献する亀 のとして意義づけあ れ る。二 メド「 き ;. 耀 鴛業震. 管 も ; 農鴎襲爵 s a s謬美鑓 導き↓電器滋養 80 ′.

(7) . 第 1 巻 第} 班. 畢. ‘. 4年12月 昭和2. -襲 ,. 余暇の ない な開運性があるように増、ぅ。 逆訟的には‐ たと ・考えるならば、 余暇と文化との間には密接 ・しか し近代諺曾に於ては人間 生活を途ってい る階級には文化が愛達 しえない あらうともいえる。 とt ノて 一般武舎 の変見と共に文化も貴族的特椛階級のもの ; してではなく・ デモクラテック な もの, なければなら せLめ 文 るもので ないと/ の彼 展のために文化は大衆のもの と して、 大衆を 化的に向上 質的に この余暇使用を 考えられてきている。このためには先づ大衆が或る程度の余暇を持ち、しかも. , いに依ガ 湾力に勿論大 ヒせ しめる要件は経 ・L かも条暇使 用を 質的に向 向士 させ て ゆ か ね ば な ら な い。 く 暇の質にも関係してい るので 存 ‐している 「貧乏暇な し」 とい ‐はれるが、 これは量的にだけでな 余 は .翻生活観の改造をも要求 し あ る 更にそれだけで なく 禁欲的、物的成功、極端な勤勉主義等の人生 ・る方法と,して厳舎の問題 てい る。 人間の; 吐舎性の強調とともに、 個人の余暇生活は大衆とともにう i b P l i t う e a on の 顕 著 な 変 展 方 して u c Recr となってきた。 従って 紙舎に於てともに架じみを る 法と ・ i l i on は ヒ キ ーマ ニ テー に 根差 して い る。 cRecr鋭t があり、大衆の幸窟を目指す と い ぅ 点に 於 て Pub , l ら 1 るか 、 pay 活動に於け る饗化性\ 適悪性ゞ活働性 ay・で あ. しか も レク リェ ー ショ ンは主 と して p hにa l l i )を・協同の中に形 t t a o止e e l ay の特 質とする平等 夢 人情開係の道徳 (Huma畦r 愉 悦性を通 して・ p. .塀 -1 - . ,-凄 . 〜 ′. , d .き ● ・: ‐・ ・ . ; ・ ・〆 .」 ● . , ・ . ′ ・ ー , . 、 “ ・き ー二 .. メ シバ←とな る資格を得 しめるに‐とになろう。 成する機能をもつか ら、 やがて望ま しい協同就曾の、 ぅ」 )「余暇を大 衆が如何に送るかが洛東の文明を決定する大きな尺度となるで あら- dd M.Ma nos e 人間生活への - ,生活の向上は 武曾の文化的謎展の具体化で あり、 幸頑な といって いるが、 大衆の 余暇 我 展 を目 指す デモ ク ラ シーの 本質 た るヒュ ← マ ニ ズ ム 思想か ら出 獲 して い. る と 考 う べ き で あ ら う.. 余暇生活が ≧の ょうな耐曾改良の役割をはたtへ大衆の幸幅を目指すとい う鮎を訟識 する ならば、余 暇の問題は国家及び耐曾の民主化に貢献する重要問題として注目 しなければならない。 以上心理蝉的 (弛緩性、リズム性、 愉 悦性) 詐理 事的 (健康性と創造性) 厳曾学的 (民主的文化) .の機能の再認 の三つ の槻離から余暇の機能と償値について考察 してきたo しか して こういった余暇 ‐ その重要な領域に ないまでも 於て 〔総てで 識 と余暇生活の充質向上 は教育によって可能なので あるc d i u r s edme E ucadon) は)。 ぞ乙て知識は活動にならなげればならないのであるか ら、 余暇教育(Le を教育の重要な領域 と しt位置づけて賓際的に活 動 しなくて はならない。 さてこの 場合、 余暇教育 旨せれ賛行き な‐ か ら計謬 く ‐て はな は、 余暇の意 義α轡 .解と態度及び余暇時 間拝む用の 技術の修得の南面 じ らな であ らう。 暇余教育の方法的問題につい て は別の機舎にに裏表 たいと望んでいる。 附. 言巳. く - ・ ・ .) . ・ ーも .. 、. 余暇の問題は私の大学卒業期 に於ける最大関心事の研究テーマてあり、 二の問題を中心と↓て更に深い研究と :あたり、 問題の選定、 研究方法、 充賀 したアル バ 小トを持ちたいと考へていま したo 今この“ 論文を強表するー i :都雄 石山情平教授、 前ノ 京 育大学教育学部長 或は 教 間接的に絶大な指導を下さいました東 、て直接的 :っv 進行等ー. 」 、 り 、 .. :深甚なる感謝の意を表するものてあります。 助教授ー ‐. 文. 献・. i ・恐卸ca i I Res ′1941 t on) t erch ona . .〔Recrea { 1 ) W S. Mdnre: Encyclopediaof . .12 12 ) 小川信r‐; 勢働者の状態及び労働運動史 (上)、日本資本主義褒達史講座、、昭和7年 岩波書店 P 432 . .P . .1945 3 ( ) Arthure J.Jones: Principle of Gu試ance. i ]h d h i I Educa t i on t ぐrea anni on P] ng ng of Re tandi , DecembeL s : Under 鍵 G. M. G1oss 「(H(at an p ysra I938). 7年、 岩 波書 店、・ P .48て ‐山鹿素行全 集1巻、 昭和1 ◎・山鹿素行:、武教小畢.. , 1938) 吏 I Eduでa ℃a i t . iαn Look aヒヂhy8 on モden , .(日.P.E. June be I Ma 6 ー ( ) Ma : Reぐr錦t P f ‐( 1 1 2 4 9 - h h d i a h T ] 1 T e e o Ma r o 1 M 7 t ce 8 s . 、 n on : y y ・ .. .. ‐ , L. ′′ ・¥ ・ .. ・ ・. もの、 棋揮如ー謬、 昭和13年、.岩波書店、 シ、 人間:の未知なる、 { 8 } ア レキソヌ、 カ レ’ 8I. 二 . ・ ,.

(8) . l ー Vo , No . .1. ( 9 7 ) ) 前掲 (. .. ,. GAKUGBI. December 1940 ,,. .. .‐. i 煙の L A cook: Communi )kgrJUnd of Educa ty Bw っ洩 t .1938 ・ Pt3ヲ .. 側. 前掲 ” ). 回 前掲 姓 ) ・ / 回 波多野完治: 子供の娯楽心理 (児童心理 昭和2 4年7月 ←畿 金子書房) 、 鯉 H S. Diehl: Text B)ok.of Heal I Li▽i thfu ng .194気 鰯. ,. 前掲 竜). .冥 報 記 ー日 本 盤 異 記 と - 支那の説話集と 我園談 話文学との関係に つい ての 覚書 - 小. 泉 -. ▼ .. 弘. h Hi i Ko i r i kiand ルー hbk o s zumi: Ni i i e ppo詑‐Ry6 . , on [he Relat ion,be d tween ch i i ne s e an Japahese Narmt ve Literature, ( 1 〕 従 来 の.研 究についての概観 性) 成立事情について の影響関係. 2 ( ) 霊異記と冥報記に ついて (励 精. ( 3 ) ・ 雨書の説話の闘係につv ・て. 語. 1 . 従来の研究についての概観 ‐ 日本霊異記と冥報記 との関係については、 早く芳賀・ 博士が、 「考諸今昔物語集」 の序論 に於て・・ 「斯くて平安朝 り初、 延暦年間には、 宴 報記、 冥報記拾遺 戦こ牧められた訟話と同形式の の が き三 、 地名と人名とを日本に改め て、 日本霊異記となっ て現れるまでになった 」 と云 つて居 られ る ‐橋 。 , 。 1 ) に於てこれを承認されている- 川正氏も、 「繋異記の研究」( これに封 じて岩淵債太郎氏 は・ 「冥報記は、 霊異記上巻の序にその名が見えている ばかりでな〈 ・ 巻下の如 法奉罵法花細火不鰭縁第十の 像の終りの 方に、. 諒知河東練行尼所烏如法纏之功残額、 陳時王翼女讃鯉発火難之力再示…川,. / とあるのは、 冥報記に見える河東練行尼の事をさす ものであつ て 霊異 記の著者が唐 臨の冥報 記 、 . を見た と云ぅ事はぐ先 づ間遠の ない事責であろぅと思われる しか し 冥 賊記や金剛般 若集酸 記 中 。 、 の訟話が、 賛際に どれ程霊異記中の談話 ご影響を奥ぇて るか‐は検討を要する問題で あり 結論と 、 t ンては一 芳賀博士 の様に冥報記な どの説話を その地名、と人名 とを日本に改めたもの が霊異記の 訟 話だと、 概括的に云えるか どうか が問題になる 多くはそれ程密接な関係があ るとは思われな い ま 。 。 と云っ て居 られ る. ◎. 片寄正義氏は、 岩淵氏り指摘された霊 異記下巻第十の巻辰の記 事の他に その本文たろ牟 婁沙蒲 、 の 論. 話と冥報記力河東棟行尼の雨話を比較する事にょり この二つの話が共に法花樫書鳶の雲強調 、 その思想 的背景の全く一致する事 誠活力形式方面\ 部 分的猫烏の澱か らも 一一鰹交 -であっ て、 、 、 、 . 書烏の場面、 霊験功徳の猫 高等 -酷似す る所が ありく 思想 ,形 式 ・ 内容何れの方面か らも不 自営 に類似 性をもっ ものであっ て、 結局 「 女岩 前記 り芳賀 ‐ 博士 り所説も多少云い過ぎている点もあ り - 、 淵氏の考え られる程浅いものとも考えられないように恩 ,ぅ。 その中間位に考 定しては如何な もので あろ う か」 と云 い、 更 に、r, 「この雨 話は、 雨書中最も関 係の深い‐ものであり、 この他のものにつ い 82.

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