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明治期における「御影」普及に関する覚え書き : 明治期小学校への「御影」普及方針確定直後の「肖像」販売戦略と受容上の諸問題

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Academic year: 2021

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(1)Title. 明治期における「御影」普及に関する覚え書き : 明治期小学校への「御 影」普及方針確定直後の「肖像」販売戦略と受容上の諸問題. Author(s). 新田, 和幸. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 48(2): *1-16. Issue Date. 1998-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/2234. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 ( 第 一部 C)第 四十八巻 第 二号 平 成 十 年 二月. 明治期 における 「 御影」普 及に関す る覚え書き. 一八八八 ( 明治 三 一)年 二月、. ー 明治期小学校 への 「 肖像」 御影」普 及方針確定直後 の 「 販売戦略と受容上 の諸問題ー. はじ め に 「 御影」普 及方針確定 に いた る若 干の経緯. 森有礼文 部大臣は、地方長官会議 のため在京中 の全国知事 たち に、紀 元節並 びに天長節祝 日 の学校儀式執行を促す指 示を出した。左 に示す のは、 八八年 一〇月 、三重県知事発師範学校 長並び に中学校 長宛、 二犬節 におけ る学校儀 式施行 に関す る通知 ( 二往 乙第 一一七 三号) の案 文 に、 「 参 考 文 部大 臣演 「 述摘 要」と し て記載 され て いるも のであ る ( 三重 県じ 罫紙墨書 一枚、 三重 県行政文書 『 学 務部 明治 こ 一年』、傍線 は筆者)。 礼節 ハ風教 ノ興廃 二関 スル モノ ニシテ、教育 上緊要 ソ 一事 ナリ。別紙訓 令 案 ゾ如 キ モ ゾ ラ発 シ テ、 公 私 立 ヲ問 ハ ス 一般 ノ学 校 能 ク 之 レ ラ行 ヒ、. 以 テ風数 ヲ輿 ス ニ至 ル様厚 ク注意 ヲ要 ス。. 新. 田. 和. 幸. この 「 文部大臣演述摘要」は、 こ の年 二月 に、森が地方長官 たち に与え た 指 示と同 一のも のと思われ る註-。森 の指 示以後、まず中等学 校 での学校儀. 式 が急速 に普 及す るに伴 い、「 御真影L下賜 が全国 の府県立学校 へと拡大 す る。 これ に続 いて文部省は、八九年 --一 御真影L 下賜 の 月、高等小学校 への 「 許 可を宮内省 から得 ると ころにま でこぎ つけ た。 こ の措置 は、 「 地方 公共 団. 体 ( 自 治体)設立 の学校を初め て対象 に加えた ことにお いて 「 御真影」 の学 校 への「 下賜」史 に画期をもたらすも のであ った」( 佐藤 一九九 四年 、一二頁)。 だ が、 この時点 で、高等 小学校数 は全小学校数 のわずか 一五分 の 一にすぎ. なか った から、文部省 は、九 〇年 八月、 「 幼 稚教育 の時」 から 「 忠 君愛 国 の. 志気」を養成 す べしとす る教育政策的立場 から、尋常小学校 ・幼稚園 レベ ル. の学校 への下賜を宮内省 へ要請 した。宮内省 はこれに対 し て、九 〇年 一〇月、. 下賜を許 可せず 、「 近傍 の学校 へ下賜 せら れた る御真影を複 写し奉 掲 」す る ことを許 可す る旨 回答 した。宮 内省とし ては、 「 特別 の恩典」 と し て の 「 御 真影 下賜」 の限定的意義を保守 し つつ、同時 に文部省 の政策的意図 にも 配慮. 文部省は、 こ の妥協策 にすぐ には応 ぜず に、 一定期 間まだ尋常小学 校 への. し た も の であ った 。. チリ。自今諸学校各 其校 二教員吏員生徒 ヲ集 〆、祝賀式 ヲ挙行 スル ラ要. 下賜を模索し つづけた。初等義務教育全般を通し て皇室 への崇敬心を 急速且. 天長節紀 元節 ハ国家 ソ大祝 日 ニシテ、臣民 一般之 レラ慶祝 ス ヘキ ハ勿論 ス。 而 シ テ其 式 ハ専 ラ唱 歌 二由 ル ラ可 ト ス。 此 ブ如 ク ス ル ト キ ハ、目 ラ. つ広範 に浸透 さ せ るため には、 「一視 同仁」 的な皇室 の直 々の 「 恩典. に浴. 忠君愛国 ソ志気 ヲ興起 シ、教育 ノ上進 モ亦大 二和 スル所 アル ヘシ。.

(3) . . 新 田 和 幸. 写真業 が先進的産業と し て各 地 に進出 し つつあ った頃だ ったから、少なく. 複写」は、 一般 に困難な情況 ではな か っ とも道府県単位 での、業者 による 「. 複写」 販売を全 複 写」奉掲 許可方 針確定直後 から、 「 た。だ が、文 部省 の 「 御真影」制作者 の宮内省御 用写真 師丸木 利 国的 に展 開した のは、他 なら ぬ 「. す ること の効 果 に期 待したから であ った。しかし、文部省 は下賜 の実現を果 御 たせず に、結局九 二年 五 六月 、尋常小学校 への 「 御影」普 及方針と し て、「 肖 像画」奉掲 許 可 にま で踏 部省 は、宮内省 が示した妥協点 にとど まらず 、 「. 陽 であ った。丸木 が、 八八年 一月 に大蔵省印刷局雇 いのイ タリ ア人 エド アル. 真影複写」 及び天皇 の肖像画 の儀式時奉 掲許可を打ち出した。最終 的 に、文 以上 に ついて の詳細 は、 み込ん で、早期 の普 及を めざす こと にした のであ る (. ド ・キ ョンーネ が描 いた擦筆 画を、写真 に調製 した こと はす でに知 られ て い. 御影」 の普 及は、 こ こ のよう に、明治期 における小学校 への 「. 九 二年 八月 二七日付文 書 「乙第 一〇四六号」をも って、埼 玉県知事 は宮内 今般東京市居住写真師丸木 利陽 ヨリ別紙 写 ノ通申出有之、 省内事課長宛 に 「. 御真影」製作 の功績をも って翌年 八月宮内省 から褒賞を受 け て るが、 こ の 「 明治 天皇紀』 巻 七、三三七頁)。 いる ( 吉 川弘文館 『. 新 田 一九九 五年、新 田 一九九七年を参昭じ。 本稿 の課題 れ以後 基本 的 には、 「 肖 像画L の儀式時 御真影」 の下賜と 、 「 御真影 複写」 「 奉掲許可を 両軸とし て展開す ること にな る。 こ の普 及 の過程を全体 的 に明ら かにす ることは、 日本 の近代学校 における学校儀式 の態様を明 らか にす る上. 就 テ ハ町村立尋常小学校幼稚 園 二於 テ、同人 二就キ複 写 ヲ調製 セシ ムル ハ差 宮内庁書陵部 『 御写真 録』)。 こ の照会文書 支無之次第 ニ候哉」と 昭太翫した ( に添付 され て いる 「 別紙写し」 によれば、埼 玉県知事 への丸木 の申 し出 は左. で重要 であり、今後 の大きな課題とな ろう。だ が、そ の全体像をすぐ には解 御影L普及最終方針決定後間もなくの初 九二 ( 明治 二五)年 に、文 部省 が 「. 同右 、 「 埼 玉 県 」 罫 紙 、 墨 書 一枚 )。 のよう な も の であ る (. 明しがた い。本稿 では、こ の課題 の前提的な作業と し て、とりあえず 、 一入 普 及」 と 「 受 容 」 のあ り か た を め ぐ って の、 いく 発 の段 階 に お い て、 そ の 「. 御影」 まざ ま の 「 御 影 」 受 け 容 れ の諸 態 様 に 視 線 を 当 て る こ と に よ って、 「. 像画」 の販売を めぐ るメディア産業 の販売戦略 の展 開や、各 地 におけ る、 さ. 納仕、現 ニ各府県庁 へ御 下賜相成居候 御写真 ハ皆弊家 ヨリ上納仕 タ ル. 明治 二二年. 謹啓、閣下益 々御清栄奉恭賀候。陳 ハ、弊家嘗 テ宮内省御用 ノ栄 ヲ蒙 り、. 肖 御真 影複 写」 や 「 つか の特徴 的な展 開を 追跡 し てみた い。 具体的 には、 「. 普及 の論理と地域 における受 け容 れ の論理 の相克 の中 で噴き出 し てく る、相. モノ ニ御塵候。然 ル ニ、今般各府県小学校 へ複写御許 可相成候趣 ヲ以 テ、. 近 傍 の学 校 へ下 賜 せ ら れ た 」 「 御 真 影 」 を さら と を 許 可 し た 。 「複 写 」 は 、 「. 全国 の御真影複写事 業を 一手 に独占 しようと のもく ろみ で、県当局 へ複写 の. こ の書 簡 は 、丸 木 が 宮 内 省 御 用 の 「 御 真 影 」制 作 者 と し て の権 威 を た て に 、. 梱願候、敬具。. 内省 へ上納可仕 モノト同様柳 不都合無之様 調進可仕候間、右之段偏 ニ奉. 右御用被 仰付候様奉願度、尤 モ 御写真 ハ勿論其他 方事注意 ヲ加 へ、宮. 各府県 ヨリ続 々御注文 ヲ受候得共、御県 ヨリ ハ未 タ御用 ヲ蒙 ラス、何卒. 聖上皇后 両陛 下御写真之御用被 仰付、爾来今 日迄数 千葉上. 互 の矛盾関係をとらえ るた め の手 がかりとした い。. 御真 影 九 二年 五月、文部省 は、 「. 肖像」販売商法 の展開 一 全国規模 の 「 写真 業者 による 「 御真影複写」 販売商法. に写真撮影す ることとされた ( 九 二年 五月 二 一日付、文部次官発各 地方長官. 発 注 を 催 促 す るも の であ った 。 し か も 、 こ の書 簡 の 日 付 は 、 複 写 を 許 可 す る. 複写Lを、市 町村立尋常小学校幼稚園 に限り、そ の校園 の費 用負担 で行う こ. 宛 、 文 甲 一九 一号 通 牒 )。.

(4) 明 治 期 に お け る 「 御 影 」 普 及 に 関 す る 覚 え 書 き. 文 を 御 真 文 学 引 及 甲 六 三 九務号 い て 影 複 写 御へ 示 真 そ 影 う 之 御 肖 也義 ( 二 付 像 、 ・ 共 島 根 三 枝 工 県 、 冊 知 V 愛 媛 』 事 ヨ 、 宮 崎 県 リ 問 行 合 政 文 書 二 対 年. 御 也 板 真 並 領 等 ヲ 影所 之 宮 明 。 内 県 治 二 十 五知 相 成 知 調 省 事 有 進 内 度 シ ラ ナ 年 篠 崎 。 、 課 九 兼 テ 又 ス 月 ハ 転モ 宛 宮 、 御 五 郎 殿 十 九 内 写 悉 照 省 ヌ 皆 会 文 部 大日 ト ル 同 人 打 等 之 義 趣 合 之 臣 ゾ ミ 島 根. 官 房 文 書 課 長. 次 第 モ 有 之 、 此. 青 木 保. ハ 決 シ テ 不 相 成 ”. ニ 於 。. 写 テ 調 真進 師 丸 木 ス ル 利. 九 文 甲 月 別( 五 日 六 二 紙九 一 号. 事付 長. 之. 地 第 四 十. 号 ヲ 以 テ. 了 承. 御 真 影 複 写 之 義 二. 付. ). 愛 媛 県. 御 送 五 年 付 候. 知 事 勝 間 田 稔 殿. 九 月 十 九 文 日 部 大 臣 官 房 文 書 課 長 青 木 保 職﹇ 印 ﹈. あ る. を わ 利 っ 。 用 て し 一 八 て 九 、 の 遅 れ い だ 五 ち が ( 明て は 、 治 参 入 や 丸 く 木 二 し 全 八 ) 年 た の 国 、 的 な 文 群 馬 が 部 東 複「 省 県 知 京事 市宛 下 が 写 」 「 販 複 谷 区 売 に 商 」 送 上 戦 を 付 さ 根 を 岸 展 可 れ 町 開 し た の 写 し た 始 御「 真 め 真 影 師 た の に 松 、 御 崎 晋 で三 そ 複 あ る の 写 立 御 で 。 場 2. U. こ れ に や や. 右. 明 写 治 二 十. 疑 念 省 も は も ち 御「 や そ 、 影 同 年 ろ れ ん 」 、 奉 に 九 対 月 こ 掲 す 一 う に 九 日 し つ る 藷文 蕩 版 た 催 促 い 部 付 て の 省 で と 各 知 は事 検 討 埼 玉 し て の 基 県 行 宛 政 文県 開 始 に だ 本 以 け し 的 下 に た 見 の 通行 ば 解 わ か を 知 れ り の 、 を た 書 目『 長 し も に 明 文 た の 期 も 治 に 。 で はで 同 ) 二 わ た 催 あ 促 さ な っ 。 五 年 か た る が れ 至 。 っ 明 治 通 知 たの 県 た 。 側 の 文 部 二 六 全. シ 回 答 候 ニ 付 、 為 御 心 得. 事 宛 が を 木 写 発 島 木 広 も の 独 文 部」 注 根 の 右 「 を 依 を頼 県 埼 宮 内 文 部 い 御た に 範 と の 真 影 通 囲 に に 占 省 催 促 か ら 玉 文 面 の 知 を 転 写 事す は 島 県 へ の 省 省 」 業 わ し し の 疑 義 は 内 普 通 発 た う 事 の で は 根 て て い 撮 送 県 よ ち( 別 紙 課 学 務 っ る 影 し て い こ と なな い 知 い か る 催「 長 事 点 に は て 局 、 促 は 注 る 点 ど 、 「 に に 長 複 写 と 二 丸 意 ど 、 、 う さ で ら 木 を 喚 あ 許 お 股 久 保 田 同 ) 別( か に 」 だ 様 の 、 ろ さ よ 紙 野 け 起 う と い 丸、 が の 書 島 れ び あ 根 県 で な し こ と る を 丸 一) の 木 た う た べ 木 が 琢 譲 が か 簡 く く 点 所 持 殿 殿 の に か よ も 丸 起 因 ら 写 、 で 考 慮 も な い 点 島 根 で う 宮 あ 種「 あ す の 問 に 木 内 る 板 し し 県 知 、 る。 る の 許 省 御 。 て 」 と 独 て い い 「 、 、 等 を 御 真 合 わ 推 測 さ 占 る 用 さ を 回 答 事 業 の せ 写 ら 影 個 篠 崎 直 真後 人 」 に は は れ し 的 に を 師 こ 、 る 原 で い あ う さ 小 調 の 丸、 木 五 郎 旨 川 所 製 版 に る ま き を 有 す か で に 一 真 も 全 の し る の よ も な 示 よ 国 催「 促 、 の は し る う か た 丸 こ の い 知 」 複「 に か 。 れ 丸 、. 九 月 五. 事. が 発 せ ら れ てを 僅 か 二 月 半 後 の 八 月時 九 日 で あ り 、 埼 玉 県 と. し て. 写 セ 下 御 年 東 京 地芝 新 橋 各 写 第 四 別( 紙 二 シ 小 真 ハ 聖 学 校 拾 号 土 メ 差 悉 皇 ) 年 支 へ 奉 皆 蔵 同 后 両 角陛 下 無 之 候 哉 丸 人 木 利 セ ノ 陽 日 ン ト謹 御 。 写 セ 写 儀 ハ 至 急 ス 真 、 ル シ ノ 御 モ 御 予 テ 回 答 御相 ノ 用 真 影 ニ 候 被哉 宮 内 仰 成 ハ 付 省 御 度 同 人 。 、 、 果 シ 爾 用 此 所 持 来 写 真 段 テ 事 各実 府 県 及 ス 師 御 問 ル ニ 二 有 庁 之 候シ 等 へ テ下 合 御 候 也 真 、 影 明 。 二 ハ 賜 治 依 ・ 相 成 二 十 、 り 複 県 候 二. 明 治 三 十 五. 旨 の 文 部 省 通 牒.

(5) 新. 印 を 開 手 す が こ 刷 物 左 、 に る こ 文 一 引 枚﹈ い て とみ よ 部 う に に 省 、 、 な の 同 宮 前 う る 御「 内 。 松 崎 影 省 同『 ( 同 」 御 』 ) 年 が 普 及 。 二 各 地 方 写 方 真 月 二 二 日 付針 確 師 丸 に 送 定 直 木後 と 付 、 し 松 崎 たよ り 、宮 全 国 複「 官 写 規 庁 模 で の 」 用 崎 県 事 業 松 知 の 広 複「 の 事 宛 告 写 写 真 文 文 」 書 の 商 業 戦 ﹇石 一 部 を 版 分 展. ば り 、 、 ﹇写 真 肉 筆 絵 ;( 一画 や 木 五 頁 参 刷 り な ) は ど で 、 明 治 一多 描 か. ジ ェ ン ト の 場. 存 在 を 行 幸. 、. 面 と 、 大 日 版 照し て 本 帝 描 き 国 出 憲 法 数 し 、 発 く〇 天 年 代布 皇 式 典 を 、 れ 構 図 の 一帝 国 こ 議 は 部 会 開 所分 に 院 登 場 式さ 典. 行 る の 政よ 文 ( 書 年 明『 治 三二 月 一 八 八 年 日 付 用 学 、 第 松 一 三 晋 号 雑 二書 中 央 諸 』 ) 崎 。 県 内 御 崎. 界 の 大 、 宮 崎 県. 主 と し て つ の 方 が あ っ た 。 一 つ は 、 天等. た か ら と 東 京 名 知 ら れ 図 て い る せ の 強 な ど る 壮 大 。 方 大 な なペ の 木 版 た 法 で あ 権 力 と え 的 画 ー. 乙 へ 御 種 複 九 五 居 候 が 下 付 分 縦 上八 三 寸割 五 」 甲「 種 相製 法 用 も 成 候 は製 の 、 減 で 」 「 甲 分 ) と さ、 ト 種 一 異 ナ」 」 組 二 、 の も」 「台 が れ 円 ル 事 崎 紙 て い 五 の 「 L で 台 ナ 十 、 紙 が る シ 銭 、 一 張 よ 「り 宮 。 横 寸「 q 二 唯 組 ( 最 一 尺 法一 寸十 三 光 二 沢 」 組 以 箱上 枚 ) 光三 は 減 少 目 沢 何 付 務 部 れ 」 一 割 減 分 縦 も で 下 、 各 尋 常 小 一 風 「 、 尺 御 十 組 以 五 真 四 十 組 以 上 二 割 省 文 寸書 影 正 」 学 校 ヨ リ と 味 高 御 用 さ 」 れ が 減 て い 「 減 ニ テ 」) 小 横 、 学 、 五 寸 百五. 組 以 納. 代 段 と 石 歴 し 版 史 近 に と は し て の 刷 上 代 り の 天 皇 制、 の て 制 重 従 来 か 天 皇 で 人 で 製 物 は 、 作 や 「 の 時 肖 像 販 明 治 ら れ 代 度 的 のな た 売 さ の 期 木 版 。 が ス ー 、 れ の 藩 閥 官 僚 他 方 二 枠 組 刷 し ば るし ば パ り と 、 よ ー う 民 み 法 ス が な 間 で に タ 登 な を は 準 備 ら ー 場 ん で は っ と 新 さ た し じ し 。 め と れ 、 た な て て の く そ つ つ 市 場 絵 す し る 天 あ を 二 画 の も てま る 皇 印 、 政 る 」 こ 治 指 こ の 分 版 多( す 法 と た う し 導 者 時た る ま 皇 木の 必 期 し た 一 九然 、 で に て で 時 皇 室 ゆ 代 ち 、 八 八 あ 普 一 っ の 顔の 肖 年 及 八 八 た 。 の 像 か し ) 頂 が り の た が 描 点 、 。. か れ と る こ 方 法 ろ に. 第 三 課 宛. 相. 田. 和. 幸. 向 屡 ら 被 活 々 御 用 仰 付 版 た 一 相 勤 難 有 枚仕 合 真二 師 法 も の の メ あ 恐 っ し 各 地 多 御「 た 真 ク で モ 当 候局 ー ー影 亀( の 御 松 崎 の 複 一 写 諸 御 真 御 公 上 等 御 影 用 真 ヨ 御 願 影 複 リ写 事 複 業 写 のに 展 。 成 績 極 円q 三 は ノ 、 儀 ハ 「 メ : : テ 完 最美 モ 鄭各 地 方 呂 内 上 一 割開 を ト 重 謹 粛 窺 ノ ヨ リ わ 御 せ 賞 ヲ 御 賛 旨 複 等 る ト 写 の で ヲ 蒙 シ 御 用 あ り 、 る. 写 費。. 候 」 と し て 、 す で に. く 石 版 よ印 刷 る の 。 本 端 日 本 る 全 国 来的 な 的 利 的 潤 に に宝 さ 移 入 業さ 者 追の 求 の な い え 「 趣 ば 論 御「 意 す、 れ 、 肖「 理 真 」 中 像 画 が 影 複 で べ あ る て の 央 や 先 行 す 写 」 尋 常 小 と 地 方 製の 作 販 売 」 る の 受 し容 中 で 展 て 学 校 、 諸 官 は 巧 が 、 み 庁 石 開 「 真 御 に で 版 印 す る ま ず 、 細 刷 こ は 複「 影 複 写 密 な 技 と に な、 写 術 こ 」 う 発 」 製 は を 備 し 注 図 や 、 る 明 治 維。 新 た 中 を央 促の え 諸 る 文 し こ と 書 の 作 成 て い 写 以 後 こ 真 る 〇 年 そ 業 者 の ま も 、 で の 手 宮「 な に あ 」. 学 〉 行 画 れ 真 業 界 の 中政 文 書 売 写 知 の 奉 存 事 官 房 特 で で は 明『 治 許二 を 被 、 』) そ の 活。 躍 十 八 る年 」 松 崎 は に 井 至 ぶ 国 学 務 る部 り 九 丸 一家 年 ) ま が 的 で 明 治 事前 業半 期 、 広 御へ に 真 官 付 随 影 の 新 す聞 る 紙 勅 上 事 : 撮 影 語 業 謄 本 に 携 に に 高 最 も い多 実く 学 績 務 を っ て 委 員 取 残 り し 学 ( 、 齢 上 げ 写 就. ル ニ ン 。 ー ー. く 界. わ き. り に. 用 同「 八 願 」 、 に 元 老 年 内 添 院 務 付 さ 、 省 二 五 開年 よ れ 拓 り 小 た 使 「 帝 、 笠 履 歴 書 国 工 原 博 部 島 へ 」 物 省 に 依 館 、 派 出 よ 文 部 れ り 」、 ば 宝 省 物の 等 の 同「中 九 松、 崎 古 器 年 は 物 央 奥 羽 建 院 明「 治 築 省 巡 物 の 写 幸真 御 七 年 の 種 写 台 湾 征 討 板た 撮 影 真製 御 用 御 貸 下 作 」 に 群げ 馬 に県 次 を 皮 従 軍 の 印 々 切 L、. 校 癒 ニ 得思 小 ・ ー・ 、 学 校ヘ ソ 御 高 等 小 一 フ ハ其 栄 二 洩 真 ハ 御 影 ヲ 高 等 小 学 ニ 学 、 校 ヨ 宮 下 付 内 リ 省 ハ ル ナ キ ヨ 、 幾 倍 是 校 甲 学 年 リ ノ ヘ ニ 厚 多 、 ノ ミ ノ 均 数 ク 高 下 二 ナ ル 乙ラ 以 テ シ 御 下 ク 二 薄 依 帝 付 キ ル ト国 ノ 認 臣 ノ 、 故 ニ 錐 モ 民亦 憾 可 ナ ハ キ 未 タ 普 ソ 子 弟 ア 御 ク ハ リ 子 弟 複 写 ヲ 以 ア ラ シ 及 ニ ナ シ ノ ヲ ス 計 ラ 。 希 テー レ ト 全 国 ニ 非 サ. ト ル ラ ニ 許 因 可 セ ル ナ ナ ラ ラ レ ン カ タ 。 ル ラ 見 然 し ト レ 知 ハ モ 、 、 官ニ 之 二 足 ラ 代 フ ア リ テ モ 偏ル ニ. ン ト ノ 御 趣 意 ル コ ト ラ 窺 ヒ. 専 と 従 事 し 、 「同. 望 ヲ 協 ヘ シ メ. テ 奉 備. ス ル コ. ル } 能 ハ サ. 尋 常 ル小 ヘ シ 学 。. ハ ー i 栄. モ 未 タヲ 尋 常. A. I.

(6) 明 治 期 に お け る 「御 影 」 普 及 に 関 す る 覚 え 書 き. 背 笹 治 六 一) 年 も 景 の の基 本 切 の の が デ ザ 和 装 、 イ に 御「 真 構 ン は内 束 の 皇 図 は 田 影 、 九一 」 后 を モ 同 年 撮 影 の 図 像 御「 真 影 内 デ 田 撮 の影 皇 ル に 」 は 后 、 仕 の 皇 の の 洋 装 立 后 天 皇 肖 像 て た の の 写 の 肖写 真 真 御「 真 と 像 の も の は の 影 明 ほ 写 真 う 」 - を を の取 中 との 合 も と致の はす 全 り て 異 入 る 。 な り れ に て い 照 応 ま た 、 す 、 七 三( る る 床 の 級 ( いし ず 、 明. と 御 尊 影 と) こ も に ろ 、 で 正 、 申 価 広 金 告 文 は 参 拾 五 銭式 が 、 刷 大「 日 さ本 」 れ 大「 日 本 た 今 返 上 信 今 皇 帝 用陛 上 皇 帝 陛は. と あ る 。 こ の こ 込 様 ろ 一 斉 に 印. が. 下 き も 之 下 御 御乗 肖馬 同 御 封 像 さ れ 御( て い 肖 像( 制 服 ニ テ 御 料 名 馬 之. 。. 、 全 国 向 け に 広 告 が 発 送. さ れ た と 考 えた ら 俺 れ凡 る. 。 広 告 文. 掛 け た 天 皇. あ で こ げ あ れ 当 は 時 出 よ る う 。 宮 大 内 版 と の 礼 省 さ の 園 像 服は で れ 意 図 に に た 右 肩 御「 、 真 影 肖「 表 か 像 る 情 ら 」 画 も の 、 ト レ が 」 右 製 の 一 で例 手 イ 作 あ ン さ っ この 位 置 を れ を た 。 か て 、 け か ﹇写 勲 章 左m ら 真 二 一 手 - 一 な. と 新 こ 権 を 兵 式 での た を め 青 別 締 を 接 の し と な を 発 表 あ 指 示 そ の さな ま る 冠 も し の 力 背 景 て い れ さ 対 う う る の み っ い 場 の 象 。 し し に た て べ き れと す 象 る 動一 きつ 一 点 時 合 代 の 、 徴 と し 、 な た 一 か こ の て図 き た 梅 寿 て た と 天 皇 ら ( 次 頁 で 緩 す る は の て 国 、 山 練 ず び 、 み し 大 八 、八 や た 方 法 天 皇 が 家 の て 最 高 権 は よ、 一 天 か 兵 場 へ、 皇 の な肖 統 制 の び 強 く を意 容 姿 そ、 時 覧 指 菊 花 巷 代 二 国 表 参 で (明 導 力 月 利 が 間 に あ販 (な い の 権 図 す の 紋 者 行 幸 :日 が 大 照 ) 治 三 像一 る も の 章 に に 、 画 の 中 に 力 ス 。 し さ べ 。 相 応 す 内 売 さ き れ は タ こ 一 は 彩 石 ) 年 製春 以 販 部 る に 八 八 九 ー れ ら 皇 て い ス 版 ら し 場 面 、 作 売 后 と タ さ に れ ほ れ い 皇 居 販 を 黙 一 た の と る ー し 業 ど た 壮 界 売 時 。 、 で の て の の 団 ヰ が 降 は あ で ( 明 、 、 、 天 る 憲 法 治 二 二 皇 m 儀 最 森 。 著 十 こ 発 の 布 ) 図 式 年 二 の 典 中 を 終 月え に 製 で 、 天 た 天 作皇 皇 し た は 、 が 木 皇 居 、 版 観 画. の 影 の れ肖 図 も 像 多 と 像 木 し 写 真 一の 諸九 て あ 八 え 八 年 て 和 掲 装 を 載 の を 再 採 構 用 成 真 し し 参 照 た て の は描 き 。 、 出 御「 真 女 し 性 の た洋 装 影へ 作 品」 の み で あ ら の る 当 。 ず 時 制 作 者、 そ の 強 れ が 以 い 反 発 を、 前 皇 に 后 撮. 要 素. 写. ). な.

(7) . 新 田 和 幸. 兼発行者 薮崎芳次郎 【第1586号 (1888 .10)】 .10 ′ 貴顕肖像 (石版一枚)1888 1 0 節議 東京府芝区神 題 明町二十五 番地 著作兼発 . . 行者 吉田政次郎 【第1599号 (1888 1 2 0 6 ) 】 . . 貴顕御 肖 像 (石版一枚)1888.10.11幽纏 東京府牛込区若松町百十二番地 町百十二 著作 者 土屋 八十五郎 発行者 東京府神田区神 保町四番地 高須嘉右衛門 【第1 6 01 号 (1888.io ,29)1 日本帝国貴顕肖像 (石版一枚) 1888 .10.31出 題 東京府芝 区露月 町十三番地 著 作兼発行 者 金子新三郎 【第1613号 (1888 .13)】 .10 貴顕肖像 (石版一枚) 1888.11.5畿版 東京府 日本橋 区馬喰町三 町目四番地 地 著 著作 f 兼発行者 渡選忠久 【第i615号 (1888.=.15)】 貴顕肖像 (石版一枚) 1888.11 著作兼 .9議題 東京府下 谷区北大門町十五 番地 著作兼発 一 行者 亀 井至一 【第1618号 (1888 イ 丁 )】 .19 .11 1,477 皇国費顕肖像 (一枚) 岡村竹四郎 東京 1888 .11.21灘 錘 【第1624号 (1888 .. ・. 11.27) ]. 貴顕肖像 (石版- 一枚》 1888.=・15議 石版一枚) 京府京橋 区本八丁堀;町 目フ 員 艶 書 東 京府京 員版 き く番地 、 ′ 著作兼発行者 7号 1 第 蛸2 1 627 = 0 竹 平井逸蔵 【第i 号 (1888 3 )1 , ・ . . . 皇国費顕 肖像 (石版一 枚)i888 .ILI9雄版 東京府京橋 区宗十郎町十 番地 著作 者 酒井鈴子 発行者 熊爆喜太郎 に第1628号 (1888 .12.1) 】 ・ 皇国費 顕 肖像 (石版一枚)i888 .11 .30出版 東京府京橋区鎗 屋町九番地 著作兼 発 行 者 富田貞作 富 田 貞 作 【第1 発行者 639号 (1888 .12.14) 】 費顕肖像 (石版一枚) 1888.12.25出版 大阪府東区北浜四町 目五十六番地 著作 兼 発 行 者 片野仁三郎 片 野 仁 三 郎 【第1 兼発行者 )】 665号 (1889 )】 .1 .19 一 田村三百七十 ・ 皇 国 費 顕 御 肖像 一 枚 i88 皇国費顕御 肖 像 (一枚)i 3 8.10.23出版 山口 大 山口県大島郡戸 番地 著 作兼発行 者 島田勝蔵 【第1668号 (1889 i 2 3 )】 .. 皇 国貴顕之図 (一枚) 1888.i2.28議 堕 東京府神田区松生 町三番地 著作権発行 者 小川 たけ 【第1669号 (1889 .1 .24) } 貴顕肖像 (石版一枚)1888.12。28畿 堕 東京府白本橋区 馬 喰町四 町目二十一 番地 著作兼発行者 吉原秀雄 【第1669号 (1889 。i .24)】 明治貴顕之肖像 (石版一枚)i888 .12.20出版 大阪府東 区北浜四町目五 十六番地 著作兼発行者 片野仁三郎 【第 節79号 (1889.2.6)】 )】 高貴之肖像 (石版一枚)1889.2.7出版 宮城 県仙台区国分町四 町目百六十番地 著作兼発行者 渡選為次郎 【第1700号 (1889.3。4)1 11,343 大日本帝国皇帝 陛下之御 肖像 (一枚) 画者 東京 岡村政子, 版権所有 者 東 京 岡村政子 岡村竹 四郎 吉村鐘一 【第257 2号 (1892.1.29 ) -189L12.15登 鐘. 分I. 11 下名 馬金華山御乗馬之御 肖像 (一枚) 画者 東京 岡村政子, ,344 大日本帝国皇帝陛下名 版権所有 者 東京 2号 (1892.1.29) - 、 岡村政子 岡村竹四郎 吉村鐘一 【第257 1891.12.15登 録 分】. 12,586 至尊御乗馬之御真影 (一枚). 画及 版権所有 者. 東京. 相 漫富蔵 【第2660号 (18. 92.5.13) ‐1892↓4.29鷲 錘 分】. 12,7 66 天 皇陛 下皇后陛下皇太子殿下御立影画 (一枚) 画及版権所有者. 東京. 辻本仁 兵. 衛 【第2716号 〔1892.7.18) -i892.5.17登 録 分】. 13,300 皇太 子嘉仁親王殿下御 肖像 (一枚). 画及 版権所有 者. 38号 (1892.8.12) -1892.7.8登 録 分》. 13,321 費顕御 肖像. 東久世伯 筆蹟御製 (一 枚). 大阪. 小林文太郎 【第27. 画作 並二臨書 及版権所有者. 東京. 和. 田 勉 【第2738号 (1892.8.i2) -1892.78 登 録 分】. 14,530 天 皇陛 下御肖像並二五箇条御誓文・大 版権所有者 熊本 山川均 【第2842号 14,552 天皇陛下御肖像並二五箇条御誓文 下御肖像 並二五箇条御誓文 o 小 版権所有 者 熊本 山川均 【第2842号 14,841 14,882. (一枚) 画者 熊本 淵上清太郎, 書及 6) -i89 (1892.i2.1 2.11 .16登録分】 (一枚》 一枚) 画者 熊本 淵上清太郎, 書及 6) -189 (1892.12 2.11 .1 .16登録分】. 今上皇帝御真影皇后御真影 (各一枚) 画者 東京 岡村政子, 版権所有者 東京. 岡村政子 岡村竹四郎 吉村鐘- 吉村鐘一 【第2857号 (189 3.1・ -1892・ 萱 錘分】 墓墓 直交“ .10) ー1 .12・ .15塁 聖上御尊影 (一枚) 画及 版権所有 東京 費 目港 塁喜太郎 【第2868号 (1893・ 熊漫喜太郎 1 L2 . .23) -1892。12.鰯登 錘分】.

(8) . . 明治期における 「御影」 普及に関する覚え書き. 年 」も 版. 諭【 肖 金 ( 京. .ム. 〜出 r 図 月「 は 出 1 ・の 届. )書た出. 像 大 高 者 肖 東 1 ( 崎 肖 樺 御 【 ( 至 肖 者 肖 子億. 2. 1 図 し「. 1 8 8 8 (明治2 1) 年1月 ~1 8 9 3 (明治2 6) 年1月の間, 『官報』 の 「広 告」 欄. 寸は. 登載の 「版権登録図書」 ・ 「出版届 出図書」 中, いわゆる 「御肖像」 の類 と推定されるも , の (頭書番号を付 したものは 「版権登録図書」 欄に登載されもので, その版権 登録番号を 表す. その ほかは 「出版届 出図書」 欄に登載され たもの) 石1 4 一 三 一銀 ( 4( 新 版 区 1 写第 像 子 石 橋. 白い. の. 1← 11. 0 ( ) 2 一次 一第 枚 ) 第 一第 枚. 5版 仙版【 一 枚 【 版 【 一号 枚 1 一郎 石 郎 ( 節 一第 石 水 石 郎 版. 石 芳 像 害 肖 第 石 一像. 5版 【 ( 興( 三石 版次(太像1 (. 88.5.28) 】. 像京. 国 ‐顕. .. 勅郎貴. 肖. 貴顕御肖像勅諭写 (石版一枚) i888 .4.10畿纏 東京京橋 区釆女町 二十九番地 画 ヴ 工亀井鑑太郎 【第1441号 (1888 .24) 】 .4 4 一枚) 1888 日本帝 国高貴肖像 (一枚)1 . .17出版 東京京橋 区南伝馬町一 町目二番地 著 作兼発行 者 金子新三郎 【第1450号 (1888 .5.3)】 東 京京橋区弓町七番地 著作 者 福 宮 5 7 出版 皇国貴顕肖像 (石版一 枚) 1888 .. 発行者 矢島智 三郎 【第1471号 (18 一町目二十一番地 東京京橋区銀座 源次郎. .▲、ノ ー←.ー. 白い. ベ ー 、ノ. 像新. 薮 顕 熊顕 作像 井 人行顕金肖. 貴顕肖像 (石版 一枚) 1888 .5.21世版 東京京橋区築地三町目十一 番地 著作兼発 行者 薮崎芳次郎 【第i479号 (1888 .6.6)】 6 7 皇国貴顕 肖像 (石版 一枚)1888 . . 出版 東京京橋区鞘町工十九番地 著作兼発 行者 熊樺喜太郎 【第1494号 (1888.6.23)】 皇国費顕御肖像 (一枚)1888.6.13出版 東京京橋 区鎗町九番地 著作兼発 行者 富田貞作 【第i500号 (1888.6.30)】 貴顕肖像 (石版一枚) 1888.6.30世版 東京下谷区北 大門町十五 番地 著作 兼発行 者 亀井至一 【第1520号 (1888 .24) 】 .7 皇国貴人肖像 (石版 一枚) 1888 .6.25出版 山梨県西山梨郡甲府魚 町二十番地 著 作兼発行者 輿水仙 次郎 【第1522号 (1888 .7.26)】 東京府芝 区露月 町十三番地 著作兼発 7 1 3 雄 糎 皇国費顕 肖像 (石版一枚) 1888 . . 7 )】 行者 金 子新三郎 【第i532号 (1888.8 . 貴顕御 肖像 (石 版一枚)1888 .7 .20出版 東京府牛込区若松町百十二番地 著作者 【第1 540号 第1 土屋八十五郎 発行者 東京府神田区神保町四番地 四番地 高須嘉右衛門 【 (1888.8.16) 】. ・. 京 ・麹 町目三十二番地 貴顕肖像 半身之図 (一枚)1888 .23蕪版 東京府麹町区飯田町五 .7 2 8 0 】 ) 著作兼発行者 岡野茂 三郎 【第1543号 (i888 .. 0盤纏 東京府京橋 区南伝馬町一町目二番地 著 一枚) 1888.7 貴顕御 肖像 (石版 一枚)1 .30 547号 (1888.8 作兼発行者 林吉蔵 【第1 .24) 】 1 8 8 8 3出題 東京府 牛込区若松 町百十二番地 著 大日本賞顕肖像 (石版一枚) 8. . 作者 土屋八十五郎 発行者 東京府神田区神保町四番地 高須嘉右衛門 【第15 40号 (i888.8.25) 】. ・ ・. ・. 皇国費顕肖像 (石版一枚) 1888 .8 .4翻吏魁越版 東京府日本橋 区通 三町目八番地 発行者 野村銀次郎 【第1551号 (1888.8 .29)】 8 2 2出版 東京府芝区神明町二十五 番地 著作 皇国費顕 肖像 (石版 一枚)1888 .. 9 5 )】 兼発行者 吉田政次郎 【第1557号 (1888 .. 皇国貴顕御 肖像 (石版一枚) 1888 .9.4出版 東京京橋区鎗町九 番地 著作兼発行 )】 者 富田貞作 【第1567号 (1888 .9 .17 大日本高貴肖像 (石版 一枚)1888 .9.7幽版 東京府芝区露月 町十三番地 著作 兼 発行者 金子新三郎 【第1573号 (1888.9 .25)】 書 顧 肖 像 「万 桁 一 輪、 IRRR 9 ln鼎 ,賄. 南京 府富矯 反南桜 鹿町一 町 日十四悉龍. 著. 大日本貴顕之肖像 (石版 一枚)1888 .9.17出 版 東京府日本橋通三町目十三 番地 )】 著作兼発 行者 小林銭次郎 【第1576号 (i888 .9.28 1 東京府 8 8 8 9 7世極 ・ 日本 橋区通三 町目十三番地 著作 貴顕之肖像 (石版 一枚)1 . . 兼発行者 相 淫富蔵 【第1578号 (1888.10.1)】 皇国 貴顕 肖像 (石 版一 枚) 1888 .9 .21遮極 東京府日本橋区南紺 屋町二十六 番地 )】 著作兼発行者 香山秀吉 【第i578号 (1888 .io.1 東京) i 4 吉原秀雄 ( 【第1583号 (1888 1 5 一枚) 版権所有者 貫顕之肖像 ( .10.6)】 , 0 1 東京府 1 8 8 8 1 一枚) 撚版 ( 日本橋区馬喰町二丁目九番地 貴顕之肖像 石版 著 . . 作兼発行 者 荒川 鱗兵 衛 【第1586号 (1888 .10 .10)】 皇国費顕 肖像 (石版一 枚)1888 ・ .10.1議 題 東京京橋区築地三町 目十一番地 著作.

(9) 新. て 皇 天 皇 后 陛 陛 下 の 下 巧 な 御 肖 る 石 版 像 刷 に. 夫 日 か 事ら 新 ﹇ ろ 写 う 竹 四 報 真 か 美 社麗 精 来 三 は る 。 郎 の 三 L ﹈ 読 者 九諸 月 の ( こ こ 日 八 日 付 一 六 頁 参印 を 刷 録 と で 君 と 以共 て 両 ま 、 に よ で し 一 枚 る の 連て 配照 ) の 石 に 陛 「 此 下 御 日 布 さ は 、 版 真 盛 式 御 、 九 結 次 れ た 四 画 を 影 を 祝 婚 」 の よ 年 三 後 と り と も の う し 満 二 は 月 奉 な で 九 日 あ 、 広 あ ら 十 げ い ん 五 年 の 大 告 祝 を 典る を 挙の る っ が 。 天 こ た 為 掲 「 皇 皇 と い 載 時 ど め に 、 し 事 新 后報 の し の よ 当 よ て い 日 銀 う う る 」 の 新 婚 式 典。 当 な 日 げ 。 は も 、 報 に さは せ の 同 だ 給 二 っ 月 の き わ ぷめ た の 。 工 本 八 時「 だ. は 影 す 複 写 御「 真 影 二 で に 」 地 方 述 べ のた 急 複 速 写 な 普 及 を に お 」 。 奉 掲 許 可け そ る れ. に 対 し て 、 た と. 当 て 直 後 込 の ん 府 で 県 、 の え 全 受 ば 国 的 容な 丸 木 情 況. 販 利 陽 に 売 商 戦 複「 写 を 展 」 開 製 作 しを 始 め 依 頼 し. こ と. 中 央 の 写 真 業 者 た が 、 御「 真. 御「 真 影 複 写. 」. 肖「 像 画 」 受 容 上 の. 諸 問 題. ざ 明 確 し つ つ あに っ た 。. そ れ で は 、 明 治 期 を 代 表 す る 石 版 画 工 の 一 入 と 調 れ た 村 政 子 が 描 き. 田. 和. 幸. 天. 編 冊. れ. 替 四 と 〇 明 し 銭 治 て の と 二 六 年 な 通 っ 用 て い 性 を 強 る 小 。 学 わ 校 調 せ 御「 真 之 部 ん 影 岡 』) と 」 。 し と た も 銘の 打 で あ ろ う. 、. っ た の は. 、. 年 権 登 : の も の 録 月一 し 一 だ 、 っ そ の 販 た の 、 新 に 売 た に 比 広 べ 告 文 岡を 村 、 政 こ れ は 九 三 子 天 年 作 皇 と 春皇 后 の の に 発 今「 上 送 し 二 て い 御 種 真 類 る を 。 L. 真 し さ か ら 囲 に 信 気 多 色 れ て よ 影 」 も 、 陽 堂 を 強 意 か 刷 の 九 の 図 図 で 四 年 が三 調 り ろ う 九 し し で 像 と あ 。 る 二 て あ て 年一 、 る は は と 月 作 む の 、 考 え の し に し 二 ﹇写 「 ら れ 付 月 ろ 比 、 学 真 全 校 録 以 対 象 べ て 三 後 国 儀 式 る 」 ﹈ 。 が 新 た を の 尋 常 、 の 奉 す 、 一 徹 九 に 層 底 掲 「 な 肖 像 わ ち 二 年 小 リ に し 肖「 像 ア た モ 学 校 使を タ 画. ー ゲ ッ ト 「 に 御 販 売 真 影. 網 の 」拡 の 代 大 を 替め 品 を. 、. 版. 」 九 二 権 と ほ 登. 年. 録 二の 際 の 岡 版 村 を 政 も 子 と る と画 み な に 作 の し て 御「 作. ぼ 一 同 一 の 月 も の で あ. 影. は 皇 単」 を そ 版 『公 文 真 の れ代 ぞ 独. 書. こ う し て 、 製信 陽 堂. 用 す る た め の. 認 的 此立 后 ヲ 描 画 五 示 金 御 尊 両 陛 広 で 日 付 し 華 写 告 あ て 山 場 影 下 及 ス 皇 太 は 子 殿る い へ 「 を ヲ ル さ こ と 御を 表 る 乗 強二 調 瀞 肖 像 註 御 ら に ニ 二 之 刷 従 。 御 事 セ 、 」 し 発 た 行 販 九 一 尊年 : 影一 ) 「 示 有 し 売 シ 下 二 シ ( 宮以 テ ム 名 て の 「売 崎 献 ル ナ ル 肖 像黙 ▲ 県 行 江 上 許 正 コ 五 日 月 買 」 湖 ス 価 ト 政 文 二 頒 ルツ 薮 が 公 の 一 金 参 ノ 二 画 工 岡 宮 五 書 光 栄 数ヲ に 認 内 大 日 版 拾 五 銭 年 ノ 明『 特 典 ヲ 得 今 タ ヤ 村謹 テ め 之 臣 権 政 子 らラ 内 達 登後 録 」 治 二 得 と れ タ の こ の、 た の 五 リ 画 年 : : : シ 天 の 出 皇 の 図 リ ヲ 石 テ で 畏 あ 今 般 学 」 版 図 像 は 版 ク モ る 第 と ゆ え 像 で 一 三 、号 雑其 書筋 二 前( 頁 に 、 浄 い わ 皇 帝 聖 上 、 同 あ ノ 刷 別 ば 許 シ 天 皇 年 る 表 皇 室 可の ヲ 被 ノ 一 こ 』 御皇 参 昭 の じ 肖 一 像 と 聖 上 影 ) 尊 影 。 月 を 公 り 二 明 。. 最 初 の 肖 像 製 (長 野 対一 の 作正 規 の 肖皇「 像 写信 后 じ 陽 宮 御 堂真 県 行 政 文て 、 は 正 価 が 翌 九. サ ン を し た う え で. が る こ と 、 そ 真 は れ 影 右 は 」 の 文 面と で を も 、 か 身 体 描 く 明 か 、 の 輪 郭ら か で れ ﹇写 真 た こ と ﹈ 、 あ る 表 は 情 疑 い な、 。 の 石 服 装 等そ の 細 部 版 し 画 ル て い 画 な ノ ク 。 、 が 存 在 と さ 」 こ の 岡 村 ら の ロ 政 類 に に ト 「 子 、 い た 肖 の 感 ー の 画 版 像 じ こ 権 登 と がン の 類 のる 」 作 ら せ 、 は ま に 録 は 、 で 「 て い 写 真 肖 像 、 丸 よ 精 巧 な木 る し も 利 画 て い る 」 。 的 な 雰が 陽 製 の で 製 な 一 般 デ 作 あ い ッ の 御「. 「 肖 像 祝 典. 写 平 生 を 写 し て の 購 し買 勅 奉 、 許 り し 時「 を 得 者た に 進、 。 事 新 、 特 ま さ 報 に 銀 ろ 呈 」 三し は 数 信 す べ 色 く 陽 を 万 部 を 堂 し 用 マ な れ 。 ひ ス 此 石 て 紙 面 の 光 コ 増 ば ミ 産 業 刷 、 版 し 一 部印 の て 刷 と 、 者 彩 を し 大 は て の 便 乗 商 法 の一 環付 々 録 、 加 的 、 両 へ に 天 陛 以 て 企 願 下 の 業 広 本 誌 に 御 腿 尺 告 を 肖 の 付 像 を し 掲 奉 録 と で 載 あ 石 る し の 想版 に し っ た た て 。 」 の 付 録 は. 当 日. ひ あ るべ.

(10) . 明治期における 「御影」 普及に関する覚え書き. て いたが、九 二年当時 の東京府内 の尋常小学校数全体 の六割 以上を私立尋常. になる。九 二年 一〇月 一三日付 で、東京府 は文部省 に対 し て、九 一年 三月文 私立小学校代用規則」 にもとづき、市 町村立小学校 に代用を 部省令第 一号 「 許 可された私立小学校 に限り 「 特 別 ノ御詮議 ヲ以 テ市 町村立 同様 両陛 下ノ. 御影」 の普 及はままならな いこと 小学校 が占 め て いたから、そ のまま では 「. 複写」申 し込 み取り纏 め日限と定 め て、そ の後 郡ごと の申請を 日を最初 の 「. 代 御真影複写被 差 許候様」申請 した。文 部省 は これ に 一〇月 工六 日付 で、 「. た道府県 は、現在直接行政文書 で確認 でき る範 囲 に限 ってみれば、秋 田、埼 玉、東京、宮崎 の各府県 であ る。. 町 県 が纏 め、 一括 じ て丸木 へ発注 した。埼 玉県 は、 一〇月 一三日付 で丸木 へ 「. 用中 二限り特別 ヲ以 テ公立学校 同様複写奉掲被差許」 と応 じた。東京府 は九. まず、 こ のう ち最も早 い時期 に対応 した埼玉県 の例を見 てみよう。埼玉県. 村立小学校 二奉蔵 スベキ 両陛下 ノ 御影各 百弐拾枚複写 ヲ命 ジ候条、本月. 生 じる余地 のな いよう に、厳密な管 理方法を設定 したほか、百 二十組 の天皇. 。. 契約書L を 提 出 し て いる 複写じ に係 る六箇条 からな る 「 木 は、「 契約 書」 は、 「 種板に と出来 上 がり の御真影 に ついて、密売 の疑 義 が 右 「. にお いては、九 二年九月 工三日付 、埼玉県知事 発各郡長宛通牒 で、 一〇月 二. 複写命令書」を手渡 した。そ の際丸 二十 五日限 り当庁 二納 付 ス ヘシ」と の 「. 複 三年 一二月中、市立 三校、村立 二二校 、代用私立 四五校、合計 七 〇校 の 「 写」奉掲許可尋常小学校 に ついて文 部省 に開申 した。 こ の数 は、九 三年頃 の 東京府内全尋常小学校 五五〇校あまり のうち の、僅 か 一三パーセ ントほど に 複 写」を請 け負 った のは、丸木利陽と東京市浅草 すぎなか った。 こ のとき 「 明治 二五 ・二六年御真影 二 区 の江崎礼 二の両者 であ った ( 東京都行政文書 『. 命令書」 が定 めた 一〇月 三五 すなわち 「 皇后 の御真影を、 「日限 に違わず」 (. 学校v 九〇七ー 四 目明治 三 一年至同 工八年学務部 ハ 』)。. 陽と松崎晋 二の両者 を検討 した結果、最終的 に丸木 に発注す ること に決定 し. 「 容易 にこれを許可せず」と、きわ め て限定 的な方 針を打ち出した。結 局、 重立 たる学校」三九校を最終 的 に選 九六年 一一月ま でかか って、各 町村 の 「 び 「 複 写」製作 に係 る業者 の選定 に ついては、 丸木 利 複 写」 を許 可した。 「. 複 写奉 掲」を許可す る知事 内 宮崎県 の場合 は、九 二年 六月 工八 日付 で、 「 最も尊重を要」す るから 御真影」と 同様 「 訓を発 したが、そ の取り扱 いは 「. 関 スル書 類』)。. 御真 このとき 「 種板」 に使 用された のは、さき に埼玉県庁 に下賜 された 「 複写」を完 了じ、 一〇月下旬 に県 へ上納 影」 であ った。丸木が予定 どおり 「 した複製写真 は、「 主任官 の話し」とし て、「 御写真 の大 さは何 れも縦 一尺五. すなわち 一組 二 複 写 料 金 は 一枚 一円 三五銭 ( 日ま でに)上納す ること、 「 に 明一 埼玉県行政文書 『 円七 〇銭) で、「 最良 に調製」す ることを誓約 した (. 寸余中 一尺 三寸 許あり、 又複写と は い へ精良無比 の調製 なれ ハ、鮮明 にし て. 学第 一三号雑書』)。 た ( 宮崎県行政文書、明治三五 工九年ま での 『. 複 写」奉 掲許 可 の方針確定直後 におけ る 右 の三例を見 る限り、文部省 の 「 複写」許 可校選定 の限定方 府県 の受容 反応 は緩慢 であ る。宮崎県 のよう に 「. 玉 の如き光沢あり、原版 に比し て少 しも劣 ると ころなきま での出来栄えなり」 『 埼玉教育雑誌』 第 一一〇号、九 二年 一一月 五日発行、 一六 と報 じられた ( 註三。 こ のとき 「 そ のうち、高 御真影複写」奉掲を許 可された 一二〇校 ( 頁). の選定 より は緩 やかと は いえ、「 御真影複 写」受 け容 れ にお いてもな お、強. 針を明瞭 に打ち出 した場合も含 め て、 これら の府県 では、「 御真影」 下賜 校. 等小学校 及び尋常高等小学校 が 三〇校あまり含まれ て いた) は、全公立小学 複 写」 校数 五三〇校 のう ち 四分 の 一弱 であ った。さら に、九 三年中ま で の 「. 『 官報』二八 二七号 、 複写」奉掲を許可したと報告 され ており ( ち 五〇六校 に 「. ただ、兵庫県 では、九 二年 一一月 の時点 で、県 下六〇 三の尋常小学校 のう. い自 己規制 が働 いて いた のであ る。. 奉掲許 可学校数 は五 二九校中 一七八校 で、県全体 の三分 の 一に達した。 複写」受 け容 れに際 し て、まず 早急 に取り除く べき 東京府 の場合 には、 「 複写に奉 掲を許 可した のは市町村立学校 に限られ 障碍があ った。文部省 が 「.

(11) . . ・また・三重県では九ニ年 三 月に 県 -明も 五 年 : 月ニ九日・桑報欄). 四郎発行 の肖像画が優 れ て いると の判断を宮崎県 へ示した ( 宮崎 県行政文書 『 明治 二五年 学第 一三号雑書』)。. の選定 が知事 の裁量下 にあ ると の原則的立場を表明 した上 で、信陽堂岡村竹. 宮崎県 に見られるこのような姿勢 は、厳格な国家管 理下 におかれた天皇 の. るため には、皇室 にかかわ る地方行政当局 の独自 の判断を でき るだけ回避 し. 「 肖像写真」とは異なり、九 一年 : 月す でにそ の出版 ・販売 が公認され て いる 「 肖像画」 に関す ることと は いえ、 やはり、肖像 が実際 に果たす べき教. 意味あ いがあ った。 したが って、文 部省 は、市町村立学校 のみならず 私立学 校 で の奉 掲をも 認 め、か つ、 「 肖像 画」 の選定 ( 版権 登録済 み、ま たは特 に 許 可され て描写 したも ののう ち から地方 長官 が認 可)、奉 掲許 可 に係 る 一切. ようとす る、天皇制官僚 の いわば本能的な対応 でもあ った。. 日付 の 「 肖像画」奉掲 に関す る文部大 臣内 訓が発 せられ てから十 日ほど の間 に、香 川県と宮崎県 から文部省宛 に、儀式 に奉掲す べき適当 の 「 肖像画」 に. だ が 、 委 さ れ た 地 方 庁 と し て は 、 これ も 悩 み の種 だ った 。 九 二年 六 月 一七. や上 回 ったが、そ の間、同時 に 「 肖像画」奉 掲許可申請 は五〇校 ほど にのぼ っ. 一二月中ま で の間 に、 「 御真 影複写」奉 掲 の県知事 への許 可申 請 が百校 を や. 真影複写」並び に 「 肖像 画」奉掲許可を各 郡長宛 に通知 した。同年 八月から. 愛媛県 の例を みよう 。 九 二年六月 三〇日付 の県知事内 訓 で、「 愛 媛県 では、 御. 年. 宮崎県 の例を引 こう 。宮崎県知事 は、九 二年 六月 二八日付 で文部省普通学 製 図尤良 巧 ニシ テ適 当 ナ ルモノ ラ撰 ヒ、之 ヲ指 示 シ奉 掲 セシ 務 局長宛 に、 「. よ る )。. 一、大日本今上皇帝陛 下 ノ御肖像 一面 ( 縦壱尺六寸、横幅壱 尺 二寸). 御 肖 像 奉 掲 之 儀 二付 同. 「 肖像画」奉 掲 の場合 にお いても 、学校 設立者 から県知事宛 に いち いち同. 学務 へ 御真影御肖像 ・共 二冊. ムル コト ニ致度 候間、当時発刊 ノ製図 ニシテ右 二該当 スト御 認 メノ分承知致. が出 され、許 可を受 ける のは当然 であ った。左 に同文 の 一例を 示そう 。. 示 し て いる 。 し か し 、宮 崎 県 知 事 は 一 一月 一九 日 、「 畏多 ク モ. 但 シ、東京市京橋区宗 十郎 町岡村政子 ノ画、同町岡村竹 四郎出版、. 明治 二十 四年十 二月十 二日版権 登録 ヲ得. 立山尋常小学校御影奉 置所 へ納置 キ、三大節 二同校 二於 テ奉掲仕度候条、. 前記之御肖像、本年 八月、松 山市魚 町弐 丁目福 田新十郎 ヨリ購求致候間、. わせに対し て普通学務局長は、 : 一 辰普甲 二二五六号」を以 て 月 二 一日付 「 「 当方 ヨリ何 分 ノ儀申進 ス ヘキ筋 二無 之候 得共 1・ 1・ 信陽堂 岡村 竹 四郎 発行. 此段相伺候也. あきらか. 御座像 ノ分、 較 二優 り候哉ト モ存候、猶御精査相成度」と 回答し、「 肖像画」. 「 慎重調査 ヲ遂 グ ベキ ハ勿論 ノ儀 二候得共、発行 ノ分 一二 二止 マラL な い の で、文部省と し ての判断を仰ぎた い旨を重 ね て問 い合わせた。再度 の問 い合. 聖 徳 二関 ス ル儀 二付 」き 、. 度、乍御手数御取調御 回報 二預 り度」と問 い合わせを した。 これ に対し て、 普 通学務局長 は、同年 八月 二四日付 「 辰普甲 一五九 三号」 で 「 本官 二於 テ ハ 未 タ来意 二適当 ト認 メ候 モノ無之」と 回答し、県知事 の判断 に委ね る態度を. た。およそ 二対 一の割合 であ る ( 愛媛県行 政文書 『 目明治 二五年 至明治 二六 、以下、愛媛県 に関す る記述は同文書 に. ついての問 い合 わせがあ った。. 来す るも のであ ると同時 に、他方 では、あら ゆる 「不敬」 の事 態 から遠ざ か. 育上 の効 果、即ち天皇 への崇敬 心 の培養 の課題を深刻 に受けと めた こと に由. の管 理権 限を地方長官 に委ねた のであ る。. 影 複 写 」 に 比 べ て、 市 販 の 「肖 像 画 」 の場 合 は 、 簡 易 な 「代 替 物 」 と し て の. 「 肖像画」受容 の諸 相 文 部省 が確定 じた 「 御 影」普 及方針 のう ち、 「 御真. の例 も あ り 、 現 段 階 で は 一般 化 は でき な い。. 不全学 校数 の八四 ・九 パーセ ント」 の四三七校 へ 「 御真影複 写」を 下付 した 『 とき れ て いる ( 三重県教育史』 第 一巻、 一九 八〇年 三月、 七 二五頁) など. 田 和 幸 新. 0 1.

(12) 明 治 期 に お け る 「御 影 」 普 及 に 関 す る 覚 え 書 き. 発 と の 所 行 ま 二 奉 掲 じ た 判 替 、 断 え て 、 版 九 三 を年 明 六 ス 月 十 三 奉日 権 ル 登 ら 掲 ハ 録 か に 不 じ 版 た い とじ 願 い 月 都 権 た 、 し 合 東 宇 て い 」 登 録 今「 ( 上 和 郡 る ノ調 三 皇 帝 御 。 出 年 年 肖 像 た の 渓 御 筋 村 二 対に 真 月 影 長 対 三 日 」 が ス し 、 ベ キ て皇 と 付 、 「 信 、 皇 陽 ル 時ス 県 内 務 別 紙 后御 は 后 宮 堂御 真 陛 が ハ 、 、 九 二 年二一 下 「 其 長 発 自 然 影 ソ 事 由 タ ル ヤ 御 肖 影 ハ 郡 余 」 御 長 尊 り 像 を 宛 厳 ヲ 出損 来 無 、 月 通 従 之 に 新 、 来 知 ノ ニ 善 因 ル 二 十 の もた 案 ) ス に ル ナ. ル 者ト ノ ニ 儀 モ 無タ リ 之 、 、 審 案 又 、 ス 奉 ル 掲 ニ 御 、 影 現 物 ノ 種 類 査 影 ノ 多 為 ニ 相メ成 差 出. 四 の 年 十 に二. 肖 像 教 育 もの 世 界 ま は ま り す 尽 、 な 」 俗 商 品 は 」 ま す き な か た ま がた 展 が 手 開 ま す 商ま す に 売 広 く』 品 っ 付 着 度 価 値 た 一 九買 出 版 。 し 重 の 展 を 高 天め 皇 て な 八 販 六 年一 開 販 る が 売 」 取 売 さ さ れ つ つ 君、 し 締 が た の 入 主 と た り りと れ に 続 月 あ も は け 、 込 し っ 、 た て 絶 対、 的 か か た 六 七 ん だ む か り 菊「 タ わ し ら 、 頁 ) と ら ろ 、 、 摘 ブ ず 天 一時 当 然 合の 法成 存 ー こ 期 し 在 へ 」と れ 皇 の 肖 像 画 や た 天 皇 、 が 金 の み がな 非 り の 構 合 法 を 問 儲わ ( 写 ゆ き 築 さ け ら 真 の 密 売 ず 信 で れ の 手 段 菊 、 あ て 所 謂 近『 紋 っ ず い と さ 章 た 代 が 、 く 。 を 横 行 日 「売 買 に 「 貴 顕 れ さ ま つ し れ る 種 ざ 御 域 た の 、 n. 奉 へ 掲 乗 す 御 る の 之 方 を御 奉 が 許 尊 影 さ 」 れ の 掲 た ど し ち の は だ い ら か 九 一 と 種 願二 い 類 出 た の み可 す 校 で 右、 の 両. 竹 四 郎 発 行. 愛 媛 県 で 、 は 九一 、 儀 年 三 一式 用 の 月を 許 版 肖「 権 登 像 画. 俺 い 九 御 尊 西 影条 」 か 「 校金 華 山. 世 負 国 の わ 的 な 的 れな 御「 た こ 販と 影 売 」 戦 普 に 略 及 方 世 つ界 い を 展 針 二て 開 を 、 し 打 ち 花 井 た り 。 出 信 「御 真 し は た 直 、 表 影 複 後写 指 向 、 き 大 手 神 」 聖 化 がさ の 写 民 間 れ の 写 業 花て 井 者 や い 真 た 業 者 領 版 域 に 印 に よ 刷 本 地 っ 業 も「 て 者 っ 請 が と け 全. 」 あ る 、 学 校 と内 は す べ 。 し て に て 、 お い て が テ岡 許 御「 真 村 政 は 可 さ 子 の 画 何 影 複 れ れ も た の 作 」 偶「 は さ 、 像 信 、 ら 」 陽 こ に は と 堂 れ ら が 岡 し 肖「 村 て. 録 の 御「 制 服. で る あ る こ と 。 に 九 三 決年 定二 ニ. の に 対 し て部 県、 し は て 、 月 「 一 学 、校 ニた 新 居 郡。 勿 論 、 シ テ ニ 一 小 ヶ 学 に. 時 に 者 を 奉 掲 し す て る 購 よ以 入 外 済 は 、 の 小 学 校 で 内 に あ設 影 っ た 」 け ら 。 は も な 奉 と蔵 よ れ お た 、 り こ 「 、 奉 置 所. の 儀 式 像時 さ 取 画 れ 」 り て 扱 の に い 拝 至 る い が 礼 る ま 。 こ の 不 可 の 対 で 欠 象 と 厳 格 な う だ に さ っ 、 た れ 管 理 御「 か る ら で 以 上 を 前 真提. 以 上 述 べ た 点 に つ い て. 、 若 干 の 整 理 を し て お真 こ う 。 文石 部 省 が 尋 常 小 学 校 へ. む す び に か え て. 」写 に 保. 必 ず. 、. 出 じ た 、 み 岡 村 も 政の 子 画 作 に よ る 明. の. 御「 肖 像 管」 は 、 三 犬. さ れ る こ と 節と 儀 式. し と 考 はえ も 容 、 「肖 易 ら 像 に れ 画 進 行 る し 」 し 、 を た と 簡 式 易 は な 奉 考 代 え に 替 用 物 と に 採 く 用 し い 。 て の す る こ 肖「 像 に 、 画 受 」 の 普け 容 及 に れ 側 つ の い て も. に 通 乗 り 右 の 同. あ っ た. 掲. と. 抵. 、. し た 治 天 皇 の 御「 肖 像 」 は 、 か の 信. す で 陽 に 松 堂山 が. 全 国 的. 市 内 の 業販 売. 礼 国 の 対家 が 象 と さ 認 し れ て く な い な い がと ら る こ 、 、 実 へ 指 社 の 摘 さ 会 で は れ 反 続 世 け 俗 て の 生 あ活 い っ た た か 。 ら で 天 内 あ る で 粗 。 略 だ抗 も な 扱 が 、 か ら い 学 、 を 他 方 受で け て 拝 い る 場 合 が 少 な. 儀. 座 像 で. に よ れ ば 、 村 長 が 申 請. 愛. 前 書 媛 県. 明 治. 勝. 三 十 五 年 十. 明 治 二 同十 五 知 之 事 趣 相. 年 十 違 無 間之 田. 月 四 日. 稔 殿 月 十 八 日、 依 之 奥 書 致. 喜 喜 多 郡 、 多 進 達 候 也郡 立 長 下 井 小 太 郎. 川 村 長. 中 岡 庄 蔵. ﹇職 印 ﹈. ﹇職 印 ﹈. を 避 類 に 恐 よ り レ が 一 け 多 く 公 般 モ 有 、 る に た め なの 願 之 、 当 る い 」 時 の 教 こ と 出 を (却 下 九 三 、 管 に 理 上 よの 理 由 こ年 そ と育 六 界 っ し 月 に て た 三 強 おい い て 、 。 〇 「万 一 こ尊 の厳 場を 合損 日 付 発 はが 、 が 、 「 も に 御 「 お 肖 領 肖 域像 画 っ と い て 像 取 な も 」 重 視 う も 締 お 、 ノ 皇 をの 肖 像 巷 さ そ 奉 儀 二 間 れ れ 掲 に た と がい わ す ね 付 販 出 て る 票 売 請 「 く し 肖 像 」画 、 ) 校 で は る と の 又 こ れ ば 」 な ら 危 」 険 の 種判 な 性 断 を し. Y.

(13) . . 新 田 和 幸. には進 ん で いな か ったと 見 てよか ろう 。花井 はま た、 「 複 写御真影 を 許可す. 上 で 一定 の役割を 果たした こと は否定 できな い。しかし、す でに見たよう に、 これら の 「 御影」 の各地域 での受容 は、必ず しも当初文 部省 が期待 した ほど. 管理上 の責任追及を、徹底的 に回避 しよう としたから であ る。したが って、. る のは、 天皇制官 僚 が、自 己 の将来 を左右 しかねな い、 「不敬」 にかかわ る. こ のよ う に 一つ 一つ の取 り 扱 い方 を め ぐ って、 地 方 行 政 当 局 が 神 経 質 に な. 渉 ル等 ノ事無之哉」と、郡長宛 に詳 細調査す るよう命 じ、最終的 には、同年. る こと に な って 以 降 の、 そ れ こ そ 全 国 的 な 小 学 校 への普 及 は 、 「下 賜 」 の体. 彼らが 「 御影」 の普 及を図 ろう とす る場合 にお いても、それと は裏腹 に、必. こう した写真 業者 や石版業 者 によ る積極的な販売戦略 が、 「 御影」普 及 の. 面を つく ろ いな がら の、実質的な権力 的強制 下付だ った」と の仮説を提示し. 要以上 の慎重 さがどう し ても つきまとわざ るを得なか った のであ る。. 多様 な形態 があ ったと 同様 に、 「 御 真影複写」 にお いても さまざ まな受 け容. し て例 外 と いえ な いで あ ろう 。 全 国 的 に は 、 「 御 真 影 」 の受 け 容 れ に お い て. ても は っきりと限定的な方針をと った宮崎県も ふくめ、緩慢 な受容状況は決. かれ て いた。町村 長 は、 「 玉体」 の身代 わ りと し ての天皇 の肖像 を保 管す る. 小学校現場 にお いても、頭 の痛 い問題 であ った。たとえ ば、愛媛県 にお いて は、 「 奉守」 上 の責 任 は地方自治体 の長と 学校 長 ( あ る いは首 座 教員) にお. 同時 に、 「 御影」を実 際 に受 け入れ て日常 的 に管 理す る、市 町村自 治体 や. 八月 に いた って村長が再度書類を提出し て、よう やく決着を見 た。. た ( 同前、六九頁)。だ がす でに見たよう に、現実は、「 複写御真影」 にお い. れ の実態があ ったも のと 予測 でき る。 今後 の検討を待 たなければならな いが、. ため に、 「 尊 厳」 を損 なわな いた め の奉 置所 を新 た に設置 しな ければ な らな. から守 り通さなければならな か った。あ る いは、 そ のた めに宿直制度も導 入. 現段 階 では、 「 実質 的な権力 的強制 下付」 が 一般的 であ ったとす る のは、妥 道 府 県 行 政 レ ベ ル か ら 町 村 ・学 校 レ ベ ル に至 る ま で、 「 御 影 L の受 容 に と. しなければならな か った。公法 上 の学校 長 の管 理責 任も 重大 であ った から、. か った 。 学 校 長 は 、 身 を も って こ れ を 、 焼 失 、 盗 難 を 含 む あ ら ゆ る 「不 敬 」. もなう 大問題は、 いうま でもなく重大 な管理責任 であ った。す でに九 一年 一. 「 御影」 の受 け容れを表 明す るには、他方 でそれなり のリ スクをも覚悟 しな. 当 では な いと 考 え る 。. 一月文部省訓令第 四号は、「 御影」並 び に教育勅語謄本を 「 尊重 に奉置せしむ」. け れ ば な ら な か った の であ る 。. 以上 のよう に、 「 御影」 の普 及や奉 掲許 可 の申請 は、道 府県 、市 町村、学. る こ と を 命 じ た が 、 こ の件 に 関 し て九 三年 一月 二 〇 日 付 、 「 文 甲 二九 号 」 文. 部次官 通知 は 「 近来 御影 又 ハ 勅語謄本 ヲ紛失 シ、 又 ハ 御影 ヲ学校外 二. 校 のそれぞれ の名誉と なること ではあ った が、管 理責 任 に深刻 に結び つく こ. と でもあ ったから、判断は 一様 ではあり得な か っただ ろう 。. ため の管 理上 の諸事情と の狭間 の中 で、具体的 に進行した のであ って、各 地. 奉遷 セシ等 ノ箇所有之、不都合之儀 二付、右等 ハ兼 テ十分御 取締相成居候事 ト ハ存 候得共、自今 一層厳重 二取締方法注意 セシメラレ候様致度」と、重ね 「 て厳重 取締りを各 地方 長官 へ命 じた ( 文部省」罫紙、茄蕩 版 一枚、愛 媛県 行政文書 『 明治 一九年起文部省内 訓及来輸等綴』)。 この通知文 から、す でに管 理上 の諸問題が少 なからず発生 し て いることが. 域 によ って多様な展開があ った であ ろう こと は十分 予測 される。教育勅 語謄. こ のよう に、それぞれ の地域 での 「 御影」 の受 け容れ の態様 は、天皇崇敬 心 培養 の基軸と し ての 「 御影」 拝礼儀式普 及 の意 図と、 「 不敬」 を 回避す る. 伺わ れるが、たとえ ば愛媛県 でも 「 御影」奉 置 上 の問題が起き て いる。九 三. 本来型」 の儀式形態 が、必ず しも当初 か 本と 「 御影」を ワンセ ット にした 「. 最後 に、本稿 では、文部省 が小学校全体 への 「 御影に普 及方針を決定 した. ら順調 に定着 したと いえな いことだけは、少 なくとも予想 でき る。. 年 二月、久米郡 石井村 長が知事 宛 に出 した 「 御真影複 写」取り扱 い規程中 に、 「 御影 ハ平素白木 ノ箱 中 ニ容 し、学校備付 ノ書棚 ノ上欄 ニ奉置 シ:::」とあ る のを県側 が指摘 し て、県内 務部長名 で 「 他 ノ書類帳簿等 ト混 同シ、 不敬 二.

(14) . き 明治期における 「御影」 普及に関する覚え書き. 御 直 後 の、初 発 の段 階 に つ いて、し か も 一つ の側 面 を 見 た にす ぎ な い。今 後 、「. 影」受け容れ の多 様 な展開を 可能な限り明らか にし つつ、学校儀式普 及 の全 体像を追求 し て いく 上 での出発点とした い。. 註 以下、「 演述摘要」と略す)は、 二 参考 文部大臣演述摘要」 ( (こ ここに引 いた 「 森 全集 ・第 一巻』 (一 有 礼 三 のごく些細な文言 の違 いを のぞ いて、大久保利謙編 『 以下、「 演説」と略す) 文部大臣演説」 ( 九七 二年三月)六八 一 六九 二頁所収 の 「 同 、 六 八 六 頁 )。 のう ち 、 「生 徒 礼 式 ノ事 」 の項 の内 容 と 全 く 一致 す る ( 演 説」 に つ いては 、 「こ の演 説 は時 期 の明 示 が な いが 、 こ と こ ろ で、 右 全 集 中 の 「. ー筆者註ー 明治 二 一年九月 同年秋 の時期) の終期もしくは明治 二 の時期 ( 期 のも のと推定される。あ る いはこれま での演説を属官 が配列 ・整理したも 胤 全 集 ・第 一巻』、 「 しれ な い」 (『 解 説 」 の部 一九 二頁 )な ど と推 定 さ れ て いる よ、 い つど のよう な場 で行 わ れ たも のか は特 定 さ れ て いな い。. 演述摘要」 の傍線部分は、三重県をはじめ、埼玉触 本文 一頁上段に引 いた 「 明治 二 一)年中に発令した、学校儀式施行に関・ 他 いく つか の県 で 一入八八 ( 令 の文言とほぼ 一致する。筆者はす でに、八八年 四月 の埼玉県訓令案同文に 大臣より の御談話 の趣旨」 にもとづくも のであることが明記され て いる点、ふ 今春在京 の日文部大臣閣下・ 八年五月鹿児島県知事が学校儀式挙行 の方針は 「 しく諭旨を辱くせし所 のも の」 であ ると公言している点、さらに八八年 二月 一 に森文部大臣が地方長官会議出席 のため上京中の知事たちを文部大臣官邸に沼 教育上 の方針を説 いたこと、などを示して、各県 の儀式執行に関す る訓令と- この点は、新 田 一九九五年を参照)。 示と の直接的な関係を説 いた ( 小学校設置区 さらに、八八年 一二月 =二日付、愛媛県知事 への森文部大臣内訓 ( 此等 ノ趣旨 ハ本年 二月二○日本大臣ノ官舎 二於 テ各地方長官 二述示シ、 域 の件)に、「 明 愛媛県行政文書 『 其筆記 ハ其際印刷シテ配布 シ置 タル筈 ニ候」とあることから ( )、前述 の森 の指示内容が印刷物とし て各地方 治 一九年起 文部省内訓及来翰等綴』 長官 へ配布されて いたことが窺われるのであ る。各府県における儀式執行 に関す る 訓令 の文言 の 一致は、こうした背景によるも のと考えるのが自然であ ろう。 演説」 これらのことから、従来そ の場所、時期が不明とされてきた森文部大臣 の 「 冊子) は、八八年 二月 二〇日、森が文部大臣官邸 にお いて指示した内容 の印刷物 (. のことである、と特定 できるのではな いかと考える。 二)大日本帝国憲法発布後間もな い 一八八九年 四月 二四日、外務次官発枢密院書記官 ( 憲法明文中 二記載 アル天皇 ノ文字ト、他 ノ公文 二記載 スル皇帝 ノ文 長井上毅宛 の 「. 字 ト ノ差 別 如 何 」と の照会 に対 し て、同 五月 八 日、井 上 は 以 下 のよう に 回答 し た q枢. 緊 密院 罫紙 に墨書 一枚、国立公文書館所蔵枢密院文書 2A ー1612 枢三 一 『 」 ) 要雑書類』. 皇 帝 ト ハ外 国 二対 シ テ称 ヘラ ル ル ノ尊 称 タ ル ハ中 古 ノ典 例 タ リ シ ニ、 近 来 ハ他 ノ 法 文 中 ニモ往 々皇 帝 ノ称 ヲ用 イ ラ レ タ ル コト 見 エタ リ。 即 チ、 二 一年 勅 令 第 二 四. 号参軍官制第 一条、同年第 二七号師団司令部条例第 一条是ナリ。皇室典範 及憲法. ニ天皇 ノ称 ヲ用 イ ラ レ タ ル ハ先 王 ノ遺 範 ニ因 ラ レ タ ル モ ノ ニシ テ、 既 ニ 一定 ノ制. ヲ成 サ レ タ ル ハ嗣 今 法 文 ニ ハ総 テ 天 皇 ノ尊 称 ヲ用 イ ラ レ ル ヘキ ハ当 然 ナ ル ヘシ. 但、外国交際ノ文書 ヲ除ク) (. 右 の例は、明治国家体制 の形成者たちが苦心 の末 に大日本帝国憲法並び に皇室典. 皇 帝 」 と 絶 対 的 に区 別 さ れ た 、 日本 固有 の 「国 体 」 の体 現 範 にお いて、 諸 外 国 の 「. 天皇」を正式 の呼称とし て採用したにもかかわらず、それが国家権力 者としての 「 内部 で必ずしも徹底し て いな い情況を映し出すも のである。文部省が発した御真影. 関 連 の通 達 文 に お いても 、 明 治 期 ま で は 「聖 上」 を 使 用 す る のが 通 例 であ った 。 し. 信陽堂 の広告文や六!七頁 の 一覧表 のなか の表現) の如く、 たが って、本文 の例 ( 皇帝」そ の他さまざま の呼称 の混在がごく 日常的 民俗的次元にお いてはなおさら、「. 天皇 」 が 必 ず しも 急 速 度 に民 近 代」 的 「 に見 ら れ る のはむ し ろ当 然 で、 これ ら は 、 「. 衆 へ浸透しがた い実状を反映する 一例ととらえ てよかろう。. ( 三) -八八九年 一二月に高等小学校 への御真影下賜が認められた後、さらに市町村立. 小学校幼稚園 へも許可するよう、 一八九〇年八月に文部省が宮内省 へ要請した のに 複写」 のみを許可すると回答した要因に 対して、同年 一〇月宮内省が下賜を拒 み 「. つ いて、筆 者 はす で に皇 室 に よ る特 別 の恩 典 と いう 意 義 を 保 守 す るた め であ る こと. 。 を説 いた ( 新田 一九九七年). 現在、この不許可要因に ついては 一般 に、 二万数千校 の尋常小学校を下賜 の対象. とす るのは、写真製作費用 の問題と、短時日で多量 の写真製作が不可能であ った技. 術 上 の問 題 、と があ った のでは な いか と 指 摘 さ れ て いる。 複 費 用」 に つ いて いえ ば 、た と え ば丸 木 利 陽 が 示 し た 天皇 皇 后 の 一組 の 「 前者 の 「. 写」料金 二円七〇銭 で二万校分と計算すると、五万四千円ほど になる。当時 の皇室.

(15) . . 新 田 和 幸. 費 の年間国庫支出額 三〇〇万円と比較し てみても、金額的 には無視しがた いことは ある程度は了承しう る。 し か し 、 後 者 の写 真 技 術 上 の問 題 に つ いて は 、 疑 問 が あ る。 こ の占デゼ指 摘 し た お 『 ド そら く 最 初 のも のは 、 猪 直 瀬 樹 カ の 肖 像 八 ミ ( 一 九 六 年 - - 一 月初版第 一冊発行) 』 であ ろう 。猪 瀬 は、 『 明 治 天皇 紀』 第 七 巻 三 三 六 三三七頁 の 「 写真師丸木利陽が之 れを御写真 に調製せんとし て、キ ヨソネ の指導を受け、試写数回、数十日を費 やし て漸 く 完 成 し た る :::」 の部 分 を 引 いて、 「こ こ で新 た にわ か った のは 、丸 木 利 陽 と. いう写真師 の存在と、当時 の写真 の技術水準を示す、キ ョンーネ の絵を写真に 「 調製」 す る のに 「 数 十 日 を 費 や し」 た と いう 事 実 であ った 。」 と 指 摘 し た 。 だ が 、 『 明治天. 皇紀』 からの引用部分が、写真を単純に製作するため の時間 の長さではなく、制作 者たちが試写を繰り返して、まさしく 「 御真影」 の 「 種板」とし て満足できるも の を 創 り 出 す た め に費 やし た期 間 を 述 べ て いる こと は 、 そ の文 面 か ら 明 ら か であ る。. また、す でに本文 で示したよう に、御真影 の制作者 である丸木 や松崎が、多量 の 受注を前提とす る商戦を展開し、埼玉県 の例 で示したよう に丸木が 「一二〇組」を 一○日あまりで台紙に張り付け作業ま でを行 い、完成品を納付して いる事実からす ると 、さ ほど 時 間 的 な 困 難 性 はな か った のでは な いか と 考 え る。あ る いは 小 川 一真 、. 鈴木真 一など の他 の宮内省御用写真師 の存在をも考え るなら、困難性 はも っと薄ま る であ ろう 。 ま た 、 実 際 に 二万 数 千 の学 校 が 即 、 一斉 に 下 賜 を 願 い出 る こと は 考 え にく いし 、 ま た 、. 数 千 の単 位 で願 い出 があ った と し ても 数 カ月 、 一年 く ら い の期 限 内 で、 十 分 に対 応 でき る技 術 水 準 に達 し て いた の では な いか と 考 え る 。 こ の問 題 に. ついては、写真技術史 の側面からもさらに検討を加える必要がある。. 参考 ・引用文献 佐藤秀夫編 『 続 ・現代史資料 ( 八) 教育 へ 御真影と教育勅語1ぷ (一九九四年 一二月) 新田和幸 「 小学校 への 「 御真影」下付政策 の端緒に ついてー 明治 二二年 : 一 総 月 一九日 「 三000号」通知文書 の意図ー」 ( 教育史学会紀要 『 日本 の教育史学』第三八集、 一九九 五年 一〇月) 新 田和幸 「一八九 二年文部省 による尋常小学校 への 「 御影」普及方針確定 の経緯ー 「 御 真影」下賜実現の追求から 「 御真影複写」「 肖像画」奉掲許可 ヘー」 ( 教育史学会紀要 『 日 本 の教育史学』第四○集 一九九七年 一〇月) 亀井武 『 日本写真史 の落穂拾 い』 (一九九 一年 一〇月) 多木浩 二 『 天皇 の肖像』 (一九八八年七月). 山室次郎 『 岡村政子伝 明治石版画界 の異彩』 (一九六二年). ( 本学助教授 岩見沢校). 4 1.

参照

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