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国鉄改革と整備新幹線(2)

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(1)Title. 国鉄改革と整備新幹線(2). Author(s). 角, 一典. Citation. 北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編, 58(1): 57-70. Issue Date. 2007-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/856. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第58巻 第1号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(HumanitiesandSocialSciences)Vol.58,No.1. 平成19年8月 August,2007. 国鉄改革と整備新幹線(2) 一. 曲. ′ ヽ. 北海道教育大学旭川枚社会学研究室. TheRenewalProcessofJapanNationalRailwaysandSeibi−ShinkansenProject(2) KADO Kazunori. DepartmentofSociology,AsahikawaCampus,HokkaidoUniversityofEducation. 概 要 本稿は,前号に掲載されたものの続編である。前号では,国鉄の経営被綻と新幹線公害について概観し, それらが全国新幹線鉄道網建設のブレーキとなったことを明らかにした。本稿では,そうした状況下におい て,自民党内において整備新幹線建設に向けての努力がなされる過程を記述する。まず,オイルショック直 後の整備新幹線に対する逆風状況について概観し(第5章),経済状況の回復にともなって再び着工への努 力が活性化する一方で,国鉄再建という政治課題を背景として,新たな枠組みを形成していく流れ(第6章),. そして,政府・与党によって構成される財源問題検討委員会の成立や整備新幹線着工凍結解除などの成果を ともなって政府・与党の攻防が展開される展開について詳述し(第7章),一連の過程について考察を加え る(第8章)。. 本稿では以下の点が明らかとなった。第一に,第一次オイルショックから国鉄分割民営化にかけての期間 は,整備新幹線建設にとって,着工を実現するための制度を再構築する過程であったこと,第二に,その終 局点として,政府・与党の関係者によって構成される整備新幹線財源問題検討委員会が位置づけられること である。. た。世論の支持も背景にしていた田中の政治力が 5 整備新幹線への「逆風」 5.1 巨大公共事業の抑制方針と整備新幹線 1973年10月17日,第4次中東戦争が勃発,いわ. 弱まる中,オイルショックが決定的な契機となり,. 田中内閣もそれまでの積極財政から需要抑制政策 へと転換せざるを得なくなった。その結果,すで. ゆる第一次オイルショックにより,日本経済も混. に着工されていた青函トンネル・東北・上越新幹. 乱・停滞を余儀なくされた。当時の日本は,日本. 線・本州四国連絡橋に対する予算も抑えられたた. 列島改造論の影響で,インフレや全国的な地価高. めに,完成予定が大幅にずれ込むことが確実と. 騰などのマイナス要素も現れはじめており,田中. なった。. 角栄の人気にも陰りが見えはじめていた頃であっ. 実質的に自民党幹部によって牛耳られていた鉄. 57.

(3) 角. 一 皿. 道建設審議会は,11月13日に整備計画5線,15日. 自動車道などの大型プロジェクトに対する配分削. に基本計画12線を「力技」で計画決定したが,予. 減の方針を決め,翌1975年1月3日に発表された. 算の壁はきわめて厚かった。11月14日,運輸省が,. 大蔵省原案では,東北・上越・成田新幹線に対す. エネルギー対策として新幹線計画を一時遅らせ,. る建設費も削減され,整備新幹線や基本計画12路. 在来線の充実を図る方針を発表,12月18日には政. 線は事実上棚上げされることとなった。. 府が1974年反政府予算編成大綱を発表,大型事業 の新規着工を原則延期することを決定した。これ. 5.2 新幹線公害と整備新幹線. に対して22日,運輸省は,日本鉄道建設公団が建. 新幹線による騒音・振動問題に対する対応も,. 設主体となる北陸新幹線と北海道新幹線について. 1974年以降重要な課題となっていく。3月29日,. 工事費50億円を計上することとした。しかし,24. 徳永運輸相は,地元とのトラブルを回避するため. 日には,大蔵原案への復活要求の内容をまとめた. に,工事実施計画策走前に沿線にあたる地元自治. 際に,新幹線関連を外し,在来線強化関連予算と. 体の意見を聴取するよう事務当局に指示,4月4. して,国鉄に350億円,日本鉄道建設公団に165億. 日,運輸省は,環境庁が秋までに新幹線公害につ. 円を要求することを決定した。1975年4月22日に. いて新たに規制基準を設ける方針を決定したのを. 発表された日本鉄道建設公団の事業計画では,上. 受けて,整備新幹線の工事実施計画の完成時期を. 越・成田新幹線の予算は前年度並みに確保された. 1974年度末とする方針を決定した2。. ものの,北陸・北海道新幹線はゼロとなった。 その一方で,1974年3月27日,運輸省は,需要. 環境庁による新幹線公害の規制基準設定は大幅 に遅れ,1975年3月8日,中央公害対策審議会特. が急速に拡大していた東海道新幹線のバイパスと. 殊騒音専門委員会が,新幹線騒音の環境基準に関. して,基本計画に組み入れられていた中央新幹線. する報告書をようやくまとめた。また,一部委員. について,1985年完成の予定を1980∼81年と改め,. から要求が出ていた新幹線に関する評価について. 前倒し着工することを決めた。7月16日には,徳. は,「疑問点の多い新幹線網7000km建設計画の. 永運輸相が,国鉄と日本鉄道建設公団に対して,. 促進につながる」という楠本正康委員長の判断で. 中央新幹線の山岳部分と四国新幹線の海底部分の. 削除された(川名,1993:387)。環境庁は,審議. 調査を指示している1。. 会答申に沿った騒音の規制基準を設定する方向を. 1974年12月9日,田中に代わり三木武夫が首相 に就任,大型プロジェクトに対する予算削減が一. 決定した。. 6月27日,運輸省は,環境庁による新幹線の騒. 層進むこととなる。12月14日,大蔵省首脳は,1975. 音環境基準決定を受け,全国新幹線鉄道網計画の. 年度予算編成での本州四国連絡橋・新幹線・高速. 見通しを明らかにした。工事中の東北・上越・成. 1 この背景には,7月7日に行われた参議院選挙の最中に,首相であった田中角栄が公約として四国新幹線の調査を地元に 約束したことがある。中央新幹線の山岳部調査(正式には「甲府市付近一名古屋市付近間の山岳トンネル部の地形・地質調 査」)については,1978年10月に,国鉄総裁から運輸大臣に対して中間報告が行われ,1987年3月に最終報告が行われた。1987. 年11月5臥 運輸大臣が新たに日本鉄道建設公団に対して中央新幹線の山岳部調査を指示,1990年2月には,日本鉄道建設 公団とJR東海に対して,中央新幹線全線の調査を指示,現在に至っている。四国新幹線については,1974年に出された指 示では愛媛と大分の間の豊予海峡部分であった。1983年12月には本州一淡路島区間の指示も出されている。豊予海峡部分の 調査結果は1988年12月に調査結果が報告されている。本州一淡路区間については,当初大鳴門橋を使用する予定であったが, 1985年に大鳴門橋が自動車専用に変更されており,仮に建設されるとすれば海底トンネルとなることが予想される。 2 1974年11月17日,日本経済新聞が,名古屋での新幹線公害問題の二の舞を避けるため,運輸省が整備新幹線の工事実施計 画策定をさらに遅らせた上,周辺住民の協力を待た上で計画を決定したいとの意向を固めたため,建設・開業がさらに遅れ る見通しとなったと報道,さらに29日,運輸省と国鉄が整備新幹線に関して,公害への配慮から人口密集地域を迂回して建. 設ルートを決定する方針を固めたと報道している。. 58.

(4) 国鉄改革と整備新幹線(2). 田は1978年度の完成予定が大幅にずれ込むことが. なった。8月31日には,国鉄監査委員会が運輸大. 決定的となり,整備新幹線は着工のめどがたたな. 臣に報告書を提出,国鉄は破綻に至ったと指摘し,. い状況であるとした他,基本計画12線は採算性の. 整備新幹線については凍結を碇言した。. 高い中央新幹線以外は悲観的で,在来線の強化を 推進すべきとの内容となっている。7月29日,環. 以上のように,田中が中心となって進んでいっ. 境庁は,「新幹線鉄道騒音にかかる基準(告示第46. た全国新幹線鉄道網整備は「挫折」した。それは,. 号)」を告示,さらに1976年3月21日,運輸大臣. 第一に,日本列島改造論にはじまったインフレ懸. に対して「環境保全上緊急を要する新幹線鉄道振. 念に加わって,オイルショックをきっかけとした. 動対策について(環大特第32号)」を勧告,新幹. 経済混乱とそれにともなう財政危機,第二に,新. 線建設にあたって,騒音・振動などの対策を十分. 幹線公害の深刻化,第三に,国鉄の経営危機,こ. に施すことが制度上も必要となった。. の3つの要素によるものであった。これらのため に,新幹線建設予算は着工済みの新幹線に特化さ. 5.3 匡l鉄改革の議論と整備新幹線 70年代に入って破綻の兆しが表面化した国鉄の. れることとなり,未着工区間については事実上無 期限の凍結状態へと追い込まれることとなった。. 議論に関連して,整備新幹線に関わる事柄も取り. 整備新幹線は,上記の3つの課題がなんらかの形. 上げられるようになってきた。1975年9月9日,. でクリアされることが必要となったともいえる。. 第7回国鉄再建問題懇談会において,国鉄の新線 建設の見直しが盤上に上がった。この会議では政 治路線に批判が集中し,鉄道建設審議会のメン バーをより民意が反映するよう構成を改めるべき. との意見が出され,木村運輸相も検討する旨表明. 6 整備新幹線建設の条件整備 6.1 環境影響評価手続きの組み入れ 先に検討した3つの条件が整備新幹線の逆風と. している。これは,直接新幹線を批判したもので. なったわけだが,第一の経済不況については,主. はないが,全国新幹線鉄道網の策定過程の批判と. 要先進国が長期の経済不況に突入したのとは対照. もなりえる議論でもあった。. 的に,日本はいち早く不況を脱することに成功した。. さらに,10月24日に行われた第11回国鉄再建問. 1974年度こそ実質経済成長率が−0.5%と,戦後初. 題懇談会では,国鉄の投資問題を中心に議論が行. めてのマイナス成長となったが,1975年度は4.0%,. われた。住田運輸省鉄道監督局長から,策定中の. 1976年度は3.8%とプラス成長に転じた。その一方. 三全線などにおいて国鉄の大幅な投資を期待され. で,この時期には,不況対策の名の下に大量の国. ているが,現在の国鉄に負担能力はないとし,運. 債が発行されるようになり,財政は決して日本経. 輸省としては国鉄に投資を控えるよう要請してい. 済とパラレルに復活を遂げたわけではなかった. るとの説明があった。また委員の一部からは,国. が,拡張傾向が続いた。不況対策との関連で整備. 鉄の投資が新幹線に偏り過ぎているという意見が. 新幹線着工を要求する声も聞かれたが,1976年ま. 出されている。. では,先に記したとおりに凍結の意見が強かった。. 1976年2月14日,国鉄動力車労働組合は,新幹. 経済状況の回復傾向とともに,整備新幹線建設. 線建設中止など12項目の提言を含んだ国鉄問題に. を求める声も次第に大きくなっていくことにな. 関する報告書をまとめた。身内にあたる労働組合. る。1977年4月11日,自民党有志議員で作る「五. からも,新幹線建設に対する批判が上がるように. 新幹線協議会」3の代表が大平幹事長・河本政調会. 3 代表世話人は長野1区選出の小坂善太郎である。/ト坂の祖父は信濃毎日新聞の創業者であり,祖父と父も衆議院議員を経 験した。/ト坂家は代々長野政財界の重鎮であった。. 59.

(5) 角. 一 皿. 長を訪れ,政府がオイルショック後の総需要抑制. 手・建設費についての公的助成や財源措置等の検. 制作以来凍結している整備新幹線について早急に. 討など,整備新幹線建設に関しての具体的実施計. 着工するように申し入れを行った4。これに対し. 画プロセスを了承,当面の作業として,整備新幹. て,大平や河本も工事の凍結の解除を示唆する考. 線に関する環境影響評価を行うことを決めた。. えを表明,党レベルでは整備新幹線建設の推進が. 1979年1月11日,1979年度予算における整備新幹. 鮮明となった。翌12日には新幹線整備計画路線関. 線の取り扱いについて閣議了承,整備新幹線に対. 係閣僚会議が開かれ,整備5線について環境等も. して,運輸省が行う収支採算性調査および国鉄・. 含め調査を行うことを申し合わせている。. 日本鉄道建設公団が行う環境影響評価のための予. この時期に一つの注目点となったのは,第三次. 算が計上されが。1月23日には運輸省が整備5. 全国総合開発計画に新幹線を組み入れるかどうか. 線に関する環境影響評価指針を決定,「整備五新. ということであった。先にも記したとおり,三全. 幹線の環境影響評価の実施について」を通達し,. 総の審議過程において,新幹線を含めた高速交通. 環境影響評価の要領および手順を定め,関係知事. 網の整備は必要性を認められるものである一方. へ協力を依頼,4月には,日本鉄道建設公団が環. で,国鉄再建問題が大きな政治課題となっており,. 境影響評価のための調査に着手した。. 当の国鉄が新規の新幹線着工に対して消極的姿勢. もう一つのハードルである国鉄の経営再建につ. を示すようになっていた。そのような中で,全国. いては,状況は進展するどころか悪化の一途をた. 新幹線鉄道網を三全線の中に位置づけることに対. どっていった。1977年11月2日,整備新幹線に関. する批判的な意見も無視できないものになってい. 係する自民党国会議員が新幹線整備5線建設促進. た。三全総策定が大詰めを迎えた1977年8月,三. 議員連盟を発足させた。議員連盟は「早期着工の. 全総の計画案が公表され,その中に全国新幹線鉄. ため,国鉄にとって利子の付かない工事費を建設. 道網が位置づけられた。11月4日には,正式に三. 国債によって調達すべきである」との意見をまと. 全総が閣議決定され,整備新幹線については順次. めた。これ以降,整備新幹線建設のための財源は. 着工の考えが明記された。. 国鉄に期待するのではなく,別の手段を検討する. 新幹線の新規着工にあたって2つ臼のハードル. という方向性が,自民党議員を中JLりこ強く打ち出. となった新幹線公害については,先の関係閣僚会. されていくこととなる。1978年11月には,九州新. 議において申し合わせの内容に含まれた環境等の. 幹線長崎ルート関係者が中央陳情した折,自民党. 調査を行う方向で議論が進み,1978年3月25日,. 首脳から新幹線建設のための特別会計制度が検討. 経済対策関係閣僚会議において,整備新幹線に関. されていることが示唆されている。運輸省も整備. して当面は環境アセスメント等各種調査の推進お. 新幹線建設には積極的な姿勢を見せ,8月17日,. よび具体的実施計画を9月末までに作成する方針. 福永健司運輸相が,1979年度概算要求に整備新幹. が決定した。これを受けて,10月3日,新幹線整. 線関連予算400億円を計上することを表明,12月. 備計画路線関係閣僚会議は,整備5線に関する環. の大蔵原案では,公的助成の法律ができるまで執. 境影響評価の実施・地元の協力体制に見通しをつ. 行を保留するという条件付きながら,整備新幹線. けた上での工事実施計画の認可申請・工事への着. 建設費用が計上された。しかしながら,工事費の. 4 同じ日に,久保長崎県知事が河本政調会長を訪れ,原子力船むつの佐世保寄港について,ヰ亥燃料棒を抜くこと,長崎新幹 線の早期着工を条件として受け入れの方針を伝えている。なお,翌1978年5月26日に,自民党三役と久保知事との間で,む つ寄港と関連して,長崎ルート建設が他の4線に遅れない旨の念書が交わされていることが,後の佐世保市議会の答弁で明. らかにされている。 5 整備新幹線建設調査費補助金の名目で20億円が計上された。. 60.

(6) 国鉄改革と整備新幹線(2). 捻出については,運輸省が,1979年1月11日に,. 開業すれば,建設費を無視すれば経営改善に効果. 自家用車に対する新税を財源とする「陸上公共輸. があり,建設による経済効果も非常に大きく,有. 送整備特別会計」の創設を打ち出したが,自動車. 益な事業であることを強調しつつも,公的助成が. 業界等の反対で見送りになったことを明らかにし. なかった場合は建設費の負担がきわめて大きいた. た。. めに,むしろ経営上マイナスになるというもので. このように,1970年代後半は整備新幹線建設へ. ある7。ここでは,諸外国における高速鉄道建設. の機運が高まっていた状況にあったが,1979年1. の事例等も検討されている他,事業費圧縮のため. 月17日,イラン革命を端緒とする第二次オイル. に単線新幹線などの案も検討されている8。. ショックが勃発,7月16日には,森山欽司運輸相. しかし,ここで行われた議論は,当面の結果と. が1980年度の整備新幹線着工を見送ることを表. しては徒労に終わる。1979年12月21日,政府・与. 明,8月には,高木国鉄総裁が,整備新幹線建設. 党の間で1980年度の整備新幹線着工見送りが決. のめどがつかないため,青函トンネルを在来線で. 定,27日には閣議了承として,調査のため国鉄お. 開業することを明らかにしている。この後,1983. よび日本鉄道建設公団に50億円を計上すること,. 年度まで実質経済成長率が毎年度3%を切る低成. 1979年反発行予定だった利用債は繰り越し,公的. 長となり,着工は再び難しい状況となっが。. 助成や財源措置が決定されるまで留保し,財源措 置等が具体化した場合には利用債による資金で着. 6.2 整備新幹線調査委員会 1978年10月3日に新幹線整備計画路線関係閣僚. 工すること,財源措置等については検討委員会の 設匿等により検討を進め,利用再発行分は決定さ. 会議において了承されたプロセスにしたがって,. れた財源措置によって肩代わりすることなどが決. 1979年6月1日に整備新幹線調査委員会の第1回. まった。しかし,財源に関する手当てがなされる. 会合が開かれた。調査委員会は3つの小委員会に. 可能性は,第二次オイルショックによって低成長. 分かれて審議することとなった。第一小委員会で. に陥っていた当時の状況では皆無であり,表面的. は輸送需要・収支見通し,経済効果,助成・財源. にはあたかも着工への可能性があるように見える. 制度について,第二小委員会では建設費・運営費. が,実質的には着工不可能の状態であった。 さらに12月28日,行政改革の流れの中で,特殊. 等の軽減,土地利用・用地確保の方策について, 第三委員会では輸送サービスのあり方について,. 法人の整理合理化について閣議決定がなされ,「日. それぞれ検討を進めた。12月11日には運輸省が,. 本鉄道建設公団に関しては上越新幹線と青函トン. 投資採算性等に関する整備新幹線に関する調査の. ネルの本体工事が完了した時点において他との統. 概要を発表,1980年1月には,整備新幹線調査委. 合を図る」ことが明記された。国鉄の経営危機の. 員会が『整備新幹線に関する調査調査報告書(Ⅲ)』. 下で,鉄道建設の第二のルートであった日本鉄道. をまとめた。. 建設公団が将来的に解体されるということは,整. 報告書は全8章,約500ページにおよんでおり,. 備新幹線建設にとっても大きなマイナスになる事. 小委員会での議論をふまえた構成になっている。. 柄であった。翌29日,「日本国有鉄道再建について」. その内容をごく簡単にまとめると,整備新幹線が. 閣議決定,それと同時に,整備新幹線の建設方針. 6 1980年度にも,前年に続き整備新幹線建設調査費補助金25億円が認められている。 7 「収支の状況からのみの考察では,整備新幹線の建設と比較した場合,工事費の補助がなかった場合には在来線大規模改 良の方が有利と推察される」(運輸経済研究センター,1980:78)。なお,本報告書においては,東北新幹線と北海道新幹線. は一体のものとして検討されている。 8 結論としては,単線化による圧縮は約2剖程度にとどまり,将来的に複線化を考えた際には,当初から複線で建設するよ りも2剖以上建設費が余計にかかるために非合理的であると報告されている。. 61.

(7) 角. 一 皿. の再確認を閣議了承したが,財源のない状況にお. こととされ,東北・北陸新幹線の優先着工が決定. いて,着工の実現は限りなく不可能に近い状況に. した。先に記した前年12月の自民党国鉄基本問題. あったといえる。. 調査会の報告を受けての対応と思われるが,これ が,それまで横並びと目されていた整備5線が,. 6.3 財源問題をめぐる攻防 一地元負担案 と着工優先順位案の浮上−. 1980年2月19日,新幹線整備5線建設促進議員. 互いを競争相手とする状況におかれるはじまりと なった。. その年の予算編成において,上記の決定が反映. 連盟役員と整備新幹線関係都道府県知事との合同. される形となった。12月28日,1982年度予算編成. 会議が開かれ,政府・自民党による財源問題検討. にあたっての「整備新幹線の取り扱いについて」. 委員会を設置する方針を決定した。しかし,政府. 政府・自民党の間で覚え書きが交わされ,国鉄と. を整備新幹線問題に関連させることは,財源問題. 日本鉄道建設公団は,東北・北陸新幹線について. を抱えているがゆえにきわめて困難であり,結果. 調査を進め,国鉄財政再建の進捗状況や事業採算. 的には,議論は自民党内に限定されてしまう。. 性を慎重に検討の上で工事実施計画の認可申請を. 9月19日,自民党国鉄問題基本調査会内に整備. 行うこととされ,九州新幹線については調査を進. 新幹線財源検討小委員会が設置され,初めての会. めるに止められた。また,東北・北陸新幹線に対. 合が開かれた。以後,小委員会は11月28日までに. しては,調査経費として各10億円の補助金を計上. 7回の会合を重ね,12月19日に審議の概要を発表,. した他,建設費について各50億円を計上,建設費. その中で地方負担の必要性について言及した。こ. については財政投融資・利用債を財源とし,執行. れに先立ち,自民党交通部会・国鉄基本問題調査. は公的助成や地方負担の程度・方法の整備を進. 会の合同会議が行われており,整備新幹線の財源. め,これらの決定を待って工事に着手するなどが. 問題に関して,国と地方が2:1で負担,優先順. 確認された。. 位を付け逐次着工し,通過各県に工事費や利子の. 自民党内においてこうした努力が積み重ねられ. 1/3を負担してもらう案をまとめ,各県代表に. ている一方で,1981年3月16日,第二次臨時行政. 意見を求めている。この日,北陸3県は「積極協. 調査会の第1回会合が開かれ,7月10日には早く. 力」,九州3県は「反対」の意思を表明した。し. も緊急答申として第一次答申を発表,国鉄につい. かし,10日には鹿児島県が新幹線建設地元負担金. ては,当面経営改善計画の早期かつ着実な実施を. 受け入れ方針を表明,逆に16日,新幹線建設費の. 図るとともに,緊急に措置すべき課題として,労. 地元負担に対して,北陸三県も建設費は持てない. 使双方が厳しい認識を持つべきであること,合理. と難色化した。. 化方策を徹底すべきこと,遊休資産の処分を進め. 12月19日,自民党国鉄基本問題調査会は,12月. ること,地方交通線の分離などを進めるべきこと. 5日の試案に基づき中間報告を取りまとめた。自. の4点を指摘,整備新幹線については,財政再建. 民党がまとめたこの方針にしたがい,新幹線建設. の進捗状況,事業採算性の観点からさらに慎重に. の法制度見直しが行われ,1981年6月12日,全国. 検討するとした。. 新幹線鉄道整備法の一部を改正する法律が公布・. 1982年2月5日には,三公社に関する問題を議. 施行,建設費について地元負担が叶能となった。. 論していた第二次臨時行政調査会第四部会が,第. また,この時期に優先着工案に関する議論も進 展を見せる。. 1981年11月10日,自民党四役の間で整備5線の. 二次答申に先立ち,国鉄が当面とらなければなら ない措置10項目を公表したが,整備新幹線の凍結 が盛り込まれ,10日に発表された第二次答申でも. 環境アセスメントと着工準備の調査順位について. それが踏襲された。5月17日に行われた第川部会. 取り扱いを決定,優先順位をつけて調査を進める. から第二次臨調への報告の中でも,整備新幹線は. 62.

(8) 国鉄改革と整備新幹線(2). 当面見合わせるとされた。7月30日に発表された. 元負担による公共事業方式とする財源案を取りま. 第三次答申は基本答申とされ,国鉄の分割民営化. とめた。3月31日,自民党交通部会と国鉄基本問. などを含む重要な項目が盛り込まれており,整備. 題調査会の合同会議において,小委員会がまとめ. 新幹線については当面見合わせるとの文言となっ. た財源案が検討され,小委員会の財源案が了承さ. た。この答申を受けて,9月24日,国鉄に対する. れた。4月28日には,自民党政務調査会正副会長. 緊急措置に関連して,整備新幹線着工凍結が閣議. 会議において,小委員会がまとめた財源確保策を. 決定された。. 基に,政府に対して対案を策定させることを決定,. 5月13日,自民党として,整備新幹線の財源対策 6.4 自民党内における着工方針の確定. について政府案をまとめるよう要請した。しかし,. 自民党が決定した東北・北陸新幹線の優先着工. これに対して政府は5月18日,整備新幹線の建設. 方針にしたがい,1982年3月30日,国鉄と日本鉄. 財源対策に関する政府案といった形での具体策は. 道建設公団は,環境影響評価実施のため,東北新. 当面まとめず,同問題に対する政府の見解を表明. 幹線盛岡一青森間・北陸新幹線高崎一武生間の. するとの方針を確認した。. 駅・ルートの概要を公表した。その後,国鉄と日. 5月25日,自民党政務調査会では,引き続き政. 本鉄道建設公団は環境影響評価に着手,11月には. 府に対して整備新幹線の着工を求める方針を決. 国鉄が東北新幹線について,12月6日には日本鉄. 定,総務会もこれを了承した。8月26日,自民党. 道建設公団が北陸新幹線について,それぞれ環境. は,政務調査会の下部組織として整備新幹線建設. 影響報告書案を作成,関係する県の知事に対して. 促進特別委員会を設匿,委員長に三塚博が就任し. 報告書案を送付した。12月29日,政府・与党は整備. た。ほぼ同時期の6月1日,国鉄再建監理委員会. 新幹線に関する取り扱いについて覚え書きを取り交. が設置され,8月2日には「再建のための緊急措. わし,1983年度も1982年度と同様(東北・北陸につ. 置の基本的実施方針」として第一次碇言を発表,. いては工事実施計画認可申請を行い,九州について. 整備新幹線計画は当面見合わせることが文言とし. は環境影響評価を行う)とする旨が合意された。. て盛り込まれた。しかし,こうした自民党の積極. この時期,1982年には東北・上越新幹線が大宮. 姿勢とは裏腹に,国鉄再建という重安な政治課題. まで暫定開業され,建設主体である国鉄と日本鉄. 解決の前に,整備新幹線着工実現は極めて厳しい. 道建設公団に着工への「余力」が出てきたという. 状況におかれることとなった。その一方で,10月. 考えもあったように思われる。この段階で,問題. 14日,新幹線鉄道整備法が改正され,地元負担に. はいかにして工事費を捻出するかということに絞. よる新幹線駅の設置が可能となった他,10月20日,. られていた。これを受けて,1983年に入ると,自. 日本鉄道建設公団が,長野・富山・金沢に北陸新. 民党を中心に再び財源問題を解決しようとする動. 幹線着工準備作業所を設置,11月17日には,国鉄. きが活発化する。1983年1月25日,自民党国鉄基. が鹿児島県に対して駅・ルートの概要を説明,. 本問題調査会の下部組織として,整備新幹線建設. 1984年3月27日,正式に九州新幹線鹿児島ルート. にともなう公的負担制度の確立に関する小委員会. の駅・ルートが公表された10。このように,きわ. を発足させた9。3月24日,小委員会は,既設新. めて媛慢な動きではあるが「外堀」は徐々に埋め. 幹線利用者から新幹線特別便用科として特急料金. られている。1984年1月24日に政府・与党の間で. の20%を徴収し,そのうち2分の1を整備新幹線. 交わされた整備新幹線の取り扱いに関する覚え書. の建設費とし,駅施設部分の建設費については地. きでは,前年と同様所要の調査を進め,可能なルー. 9 メンバーは塩川正十郎委員長以下36名。 101984年10月12日に,環境影響報告書案が関係知事に送付されている〈. 63.

(9) 角. 一 皿. トから工事実施計画の認可申請を目指すととも. 期,鉄道政策においては,国鉄の再建問題が最重. に,北海道新幹線を除く4線についてそれぞれ. 要課題となっており,整備新幹線建設推進にあ. 13.6億円の調査費を計上することが確認された。. たってもそれを無視できない状況にあった。. 年末になり,並行在来線の取り扱いについての 6.5 公共事業方式による財源の確保と並行在 来線の経営分離案の浮上. 1984年5月31日,自民党整備新幹線建設促進特. 方針が固まっていく。12月26日,自民党五役会議. で,整備新幹線着工の前碇条件として並行在来線 の廃止が決定,翌27日には,自民党総務会で,整. 別委員会は,整備新幹線の建設財源について,公. 備新幹線着工時に並行在来線を廃止することを党. 共事業方式とし,建設国債を発行して財源を確保,. 議決定した。28日,三塚政調会長代理が,整備新. 10%は地元負担とする三塚委員長の案(三塚私案). 幹線沿線の知事らを呼び,並行在来線の廃止につ. を碇示,整備新幹線の建設財源として国費を投入. いての自民党の意向を説明して協力を要請,その. することが議題としてあげられるとともに,すで. 一方,山下運輸相は,「並行在来線の廃止といっ. に自民党内で確認されている地元負担について. ても,東北本線や北陸本線などの幹線を含めるか. 10%という目安が示された。6月8日,自民党建. はまだ決まっていない。並行在来線をどうするか,. 設・交通合同部会が三塚私案を了承,6月19日に. 今後事務的につめることで合意を得た。全て廃止. は,合同部会が財源問題に関する三塚私案を政調. ということではない」と述べ,各線の事情に応じ. 審議会に諮ることを決定した。6月21日には政務. た取り扱いをする可能性について言及している。. 調査会が三塚私案を了承,翌22日には,総務会で,. 12月28日,政府・与党の間で1985年皮予算にお. 財源を「建設国債」から「建設国債等」へと微修. ける整備新幹線の取り扱いについて合意,東北・. 正を加え,党議決定とした11。運輸省は,8月31. 北陸新幹線は1985年から工事に着手,国鉄・日本. 日,1985年反政府予算概算要求において整備新幹. 鉄道建設公団に事業費を50億円ずつ計上,着手の. 線工事費を事項要求として盛り込んでいる。. 際には並行在来線を廃止,国および地元負担等,. さらにこの時期,もうひとつの重要な案件が自. 事業実施方式のあり方,国鉄再建監理委員会の答. 民党内で議論されるようになる。それは,並行在. 申との関連等について調整を進め,その結論を. 来線の取り扱いについてである。新幹線の開業に. 待って1985年8月をめどに建設に着手するとし. ともなって既設在来線の収支は急速に悪化するこ. た。また,九州新幹線鹿児島ルートについては建. とが見込まれており,トータルでの収支は非常に. 設に向けてできる限り早期に着工準備作業所を設. 厳しいものになる。また,既設新幹線と比較して. 置し,着工のための準備を進めるとともに,長崎. 整備新幹線建設予定地域では鉄道利用が相対的に. ルートに関しては候補ルートを決定して環境影響. 小さいため,新幹線が与える並行在来線への影響. 調査等を進め,建設のための調査費として国およ. はより深刻であると考えられた。折りしも,政府・. び日本鉄道建設公団に14億円ずつ計上することな. 与党を中心に国鉄再建問題が討議されている段階. どが盛り込まれた12。. で,再建に対してマイナスになるような要素はで きる限り排除しなければならなかった。公共事業 方式の提案の背景にも同様の事情があり,この時. 11 6月14日,自民党新幹線早期着工促進議員連盟が新幹線早期着工促進決起大会を開催,公共事業方式による早期着工を決. 議している。 12 九州新幹線長崎ルートについては,年が明けて1985年1月22日,国鉄が駅・ルートを公表,3月から環境影響評価に着手 し,1986年9月12日に環境影響報告書案が関係知事に送付されている。. 64.

(10) 国鉄改革と整備新幹線(2). 7 アジェンダセッティングの成功 一財源 問題検討委兵舎の設置− 7.1 匡l鉄再建策の確定と東北・北陸新幹線の 駅部着工. 1985年になると国鉄の再建問題が大詰めを迎. 12月27日,1986年度予算編成の政府・与党覚え 書きで,建設費の執行は検討委員会の結論を待つ ことを再確認,九州新幹線鹿児島ルートについて は,1986年8月をめどに工事実施計画の認可申請 を行うことで合意,翌28日,九州新幹線に初めて 建設費を計上した16。. え,7月10日に亀井国鉄再建監理委員会会長が正. 1986年2月22日,財源問題等検討委員会幹事会. 式に国鉄の全国6分割案を表明,26日には,国鉄. は,長野・富山・金沢の3駅で新幹線駅関連改修. 再建委員会が,国鉄の7社分割・長期債務のうち. 工事の着手を承認,3月16日には,長野・富山・. 約16兆円は政府負担とするなどの内容の最終答申. 金沢で起工式が行われた。. を碇出した。その中で,整備新幹線建設は,財源. このように国鉄改革が進んでいくのと平行し. 問題等を考慮に入れて慎重に判断する必要がある. て,整備新幹線建設も着実に進められていったの. と指摘した13。. である。. このような状況の下,8月22日,整備新幹線計 画について政府・与党申し合わせ,東北・北陸新. 7.2 政府・与党間での攻防. 幹線についてはアセスメント終了後に工事実施計. 1986年2月28日,国鉄の分割民営化などを定め. 画の認可申請が可能となり,財源問題検討委員会. た日本国有鉄道改革法など5法案が閣議決定され. の設匿,駅周辺環境整備事業の実施が決定した14。. た。この流れの中で,自民党内では,整備新幹線. そして27日,整備新幹線財源問題検討委員会の初. に関わる法整備に向けた動きが活発化する。3月11. 会合が開催,藤波孝生官房長官等8名で構成し,. 日,自民党整備新幹線建設促進特別委員会は,国. 幹事会の設置と4項目の検討事項等を決定した。. 鉄および日本鉄道建設公団に代わる建設主体とし. 11月7日,政府・自民党首脳会議は,新青森駅. て新たな鉄道技術集団を創設する構想をまとめ,. などの建設・周辺整備を認めることで合意,翌8. 翌12日,自民党が国鉄分割にともなう整備新幹線. 日には,関係省庁の局長級5名で構成される財源. 建設について党議決定,国鉄と日本鉄道建設公団. 問題等検討委員会幹事会第1回会合の場で,前日. の鉄道建設技術者を一本化することを決定した。. の合意を受け,新青森駅の建設に着手することと,. 6月9日,自民党整備新幹線早期着工促進議員. ワーキンググループ設置を決定した15。11月15日. 連盟総会が開かれ,国鉄の分割民営化後も国の重. には,自民党五役会議が,整備新幹線の工事実施. 要政策として整備新幹線建設を強力に推進,各路. 計画の1985年皮内認可申請を了承,12月4日,国. 線の進捗状況に応じ,1987年度から本格着工する. 鉄が東北新幹線,12月25日には日本鉄道建設公団. ことなどを決議,同日,自民党は,選挙公約を発. が北陸新幹線(高崎一小桧間)の工事実施計画の. 表し,「国鉄改革と整備新幹線の各路線の進捗状. 認可申請を行った。また,12月4日には,1986年. 況に応じ早期着工」を最重点政策として掲げた。. 度予算編成において東北新幹線と北陸新幹線に対. 翌10日,臨時行政改革推進審議会最終答申が発表. して工事費100億円が計上された。. され,整備新幹線建設に関しては財源・収支等を. 13 8月2日,山下運輸相は参議院運輸委員会で,「線路を広軌にして時速260kmといった速度にすることがどうしても必要 かどうか。中距離の旅客が利用できるよう駅の間隔も見直す必要がある」と整備新幹線の形態変更を検討する考えを示した。 14 同じ日,整備新幹線建設促進議員連盟(会長:二階堂進)が,北陸・東北新幹線即時着工要求総決起大会を開催している。 15 これにしたがい,12月16日に新青森駅の起工式が行われた。また,以後,財源問題等検討委員会幹事会は,1987年12月23. 日までに20回,ワーキンググループは,1986年1月14日の第1回会合から1987年11月14日までに32回の会合が開かれた。 161986年8月29日,九州新幹線鹿児島ルートの工事実施計画認可申請が行われている。. 65.

(11) 角. 慎重に検討することを求めており,自民党の攻勢 を牽制する形となっている。. 8月22日,自民党交通部会・国鉄基本問題調査. 一 皿. 12月7日,宮沢蔵相は,「財源・建設主体・運 営主体・並行在来線の問題があり,新会社の経常 が黒字になっていかないと,旅客会社の立場は並. 会・整備新幹線建設促進特別委員会の合同会議が. 行在来線の存続問題が絡んで難しい問題が出てく. 開かれ,1987年度を整備新幹線着工初年度とし,. る」と整備新幹線の本格着工に閲しで慎重な発言,. 必要額を全額公共事業費として確保,これに支障. 12月11日,自民党四役は経済団体首脳との定例懇. をきたさないように政府与党で結論を出すこと,. 談会で,整備新幹線建設に関する財界側の強い懸. 日本鉄道建設公団を吸収する特殊法人鉄道総合開. 念に対して,来年度着工に積極的な姿勢を示した。. 発整備機構を新設することなどを決定した。. このような状況の下,時の首相である中曽根の 発言も二転三転する。9月3日,中曽根は全国知 事会議で「希望の灯火を消してはならない」,「整. このように,国鉄改革という大きな政治的課題. の中で,自民党による整備新幹線着工への努力は 絶えることなく続けられたのである。. 1986年12月1日,幹事会において,新幹線建設. 備新幹線着工凍結の閣議決定は,自民党の財源問. に合わせた西鹿児島駅と熊本駅での駅周辺環境整. 題・在来線問題・事業主体の検討などの結果に. 備事業として待合室設置を了承,8日に起工式が. よって見直しをスタートさせる」と発言したが,. 行われた。九州新幹線鹿児島ルートも,東北・北. 共同通信社加盟編集局長会議では発言に対して釈. 陸新幹線と実質的に同じ地位を獲得したのである。. 明,後藤田官房長官も「(国鉄改革を最優先させる). 政府の方針は変わっていない」と発言している。. 7.3 整備新幹線財源問題検討委員会. 11月13日の参議院国鉄改革特別委員会では,本格. 国会における国鉄改革の議論が決着し,自民党. 着工に前向きの発言を行ったが,22日の委員会で. 内では整備新幹線着工に向けての動きが本格的に. は新会社発足前に決定的な結論を出すのは難しい. 活性化することとなる。. と述べ,整備新幹線をめぐる政府と与党の間の微 妙なバランスを象徴しているようにもみえる。. 11月28日,参議院本会議において国鉄改革関連. 1985年に設置された整備新幹線財源問題検討委 員会は,国鉄再建が議論している間は幹事会のみ が開かれ,駅周辺整備などの,重安ではあるが,. 8法案が通過,国鉄の分割民営化を軸とした国鉄. 決定的とはいえない意思決定の場として機能し. 改革のスキームが決定した。同日,橋本運輸相は,. た。その財源問題検討委員会が,長期の中断の後. 整備新幹線着工を決定するには並行在来線を廃止. に再開されることとなった. する必要があり,新会社の設立を危うくする結論. 12月5日,1年半ぶりに第2回の財源問題検討. が年度内に出ないことを希望すると発言,その一. 委員会が開催され,政府が建設費・輸送需要・収. 方で,11月30日,竹下幹事長は,自民党として1987. 支などの試算結果を提出した。この場でも,橋本. 年度予算編成期に整備新幹線財源問題等検討委員. 運輸相は新会社への影響を懸念している。12月12. 会で結論を出すという従来の方針は変わっていな. 日には第3回の会合が開かれ,「整備新幹線は税. いと発言,年末の予算案決定までに一応の結論を. 収増などの効果をもたらす」などの報告をまとめ. 出す考えを明らかにした。12月3日には,自民党. た三菱総合研究所の担当者が報告の概要を説明,. 整備新幹線建設促進特別委員会が整備新幹線の来. これを基礎として自民党が推進論を展開した。12. 年度着工を自民党として政府に要求していくこと. 月16日には政府が自民党の推進論に対する反論を. を改めて確認している。. 行っている17。12月19日,第5回の委員会が開か. 17 同日,自民党整備新幹線早期着工促進議員連盟総会が開かれ,. 1987年度予算編成で整備新幹線を本格着工するための措置. を講ずるべきとの方針を確認している。. 66.

(12) 国鉄改革と整備新幹線(2). れ,三塚前運輸相が党代表として過去の経緯を説. 建設財源の結論を先送りしたまま整備新幹線着工. 明,同時着工にこだわらない姿勢を示した上で早. 凍結の閣議決定を変更し,逐次建設に着手するこ. 期着工を求めた。これに対して,後藤田官房長官. とで合意,同日,1987年度予算編成にあたっての. が「整備新幹線建設にともなう並行在来線の廃止. 整備新幹線の取り扱いについて政府・与党申し合. は新会社の意見を聞く必要がある」と発言,政府. わせで,整備新幹線の逐次建設および東北・北. としで慎重姿勢を再度表明している。12月24日に. 陸・九州鹿児島ルート新幹線への建設費計上等が. 開かれた第6回委員会では,これまでの政府と自. 決定,北海道・九州新幹線長崎ルートについては,. 民党のそれぞれの指摘事項を整理した。結果的に. 着工準備作業所を設置し,引き続き所要の調査を. は,1987年度予算編成において本格着工を目指し. 進めることとなった。. ていた自民党と,分割民営化を控えで慎重姿勢を. 1987年1月30日,政府は「1982年9月の整備新. 貫きたい政府との間の議論は平行線をたどった。. 幹線凍結の閣議決定」廃止を閣議決定,また日本. 1986年末に,次年度の本格着工を目指して集中的. 鉄道建設公団の取り扱いについて1979年12月の閣. に行われた財源問題検討委員会での議論は徒労に. 議決定を廃止し,「大規模工事の円滑な実施に資. 終わったのである。. するようその存続を図るものとする」ことを閣議. 12月26日,三塚政調会長代理は,内閣改造で新 たに蔵相に就任した竹下登を訪れ,自民党が決め た復活重点16項目について協議したが,ここでも. 整備新幹線については議論が平行線をたどった。. 決定,日本鉄道建設公団が整備新幹線の一元的な 建設主体となった。. 3月26日,財源問題検討委員会の第7回会合が 開催され,自民党側は本格着工を強く求めたが,. 政府,特に財政当局が新会社の意向や収支見通し 7.4 整備新幹線着工凍結の解除. などを理由に慎重姿勢を崩さなかったために,財. 12月26日,伊東政調会長・三塚整備新幹線建設. 源問題について結論は出ずに終わり,整備新幹線. 促進特別委員会顧問・小此木副幹事長は,翌日行. 財源問題等検討委員会小委員会設置と検討の継続. われる予定の1987年度予算に対する政治折衝に先. が決定した。. 立って対応を協議,東北・北陸・九州鹿児島ルー トに絞って来年度着工を政府に求め,財源は当初. こうして遂に本格着工への道は開かれたのであ る。. 予定していた建設国債の発行を断念し,新たな措 置を検討するとの方針を固めた。27日の,自民党 五役を交えた政府・自民党の政治折衝では,整備 新幹線の工事費として,国鉄に100億円,日本鉄. 8 考察 本稿では,第一次オイルショックからはじまる. 道建設公団に50億円,九州新幹線に対しても初め. 大型公共投資抑制政策と国鉄の経営問題,そして. て工事費が認められ,さらに国鉄・日本鉄道建設. 新幹線公害などの理由によって,整備新幹線を含. 公団に北海道・九州長崎ルートの調査費としてそ. めた新幹線鉄道網建設が凍結されて以降,自民党. れぞれ14億円が計上された。続く28日の政府・与. による着工実現への働きかけを追った。その過程. 党折衝では,自民党側から整備新幹線の予算執行. から,日本における巨大公共事業の政策過程の特. 凍結を決めた閣議決定の変更を強く要望,政府側. 徴がいくつか見出すことができる。以卜ではそれ. も譲らず,ものわかれに終わった。その一方で,. について整理しておこう。. 同日,財源問題検討委員会の規模を縮小,政府と. 自民党代表との実務者協議の場とすることが決定 した。 12月29日,再度政府・与党の間で折衝が行われ,. 8.1 整備新幹線建設の枠組み再構築 新幹線の建設は,1970年に議員立法として制定 された「全国新幹線鉄道整備法」によって制度化. 67.

(13) 角. 一 皿. されている。その基本的な流れは図1のとおりで. けに使われるようになる。さらに,政府・与党の. ある。事実,整備新幹線以前の東北・上越・成田. 間で合意をみた駅関連の整備事業が,さらに順位. 新幹線では,図1の手順で着工に至っている18。. 付けに加わることとなったのである(図2・表1. しかし,国鉄の経営悪化によって建設の前提が 大きく変化した。さまざまな事情により,国鉄に. 参照)。 また,国鉄分割民営化後の新会社に対する負担. は新線建設にあたっての負担能力がなくなってし. とならないよう,並行在来線の経営分離について. まった。特に,在来線の新線建設では数十億から. も基本合意に至っている。. 数百億といった費用であるのに対して,新幹線の. このようなことを考慮すれば,第一次オイル. 場合には見積もり額で数千億となる大事業であ. ショックから整備新幹線着工凍結解除の閣議決定. る。当初予算の数倍の費用がかかることは,当時. に至るこの時期は,建設スキームの再構築過程で. の「常識」であったし,騒音・振動等によってよ. あったということができるだろう。財源問題の根. り一層の工事費をかける必要性が生じた新幹線で. 本的な解決という最後の,最も重要で困難なハー. は,在来線建設とは比較にならない大事業になる. ドルをクリアできなかったものの,建設費の地元. ことが必然であった。したがって,実質的に国鉄. 負担と国費投入という財源案も含めて,後の整備. にすべてを任せる形で進められてきた新幹線建設. 新幹線建設の大枠を規定する重要な過程だったの. のスキームは大きく変更されなければならなく. である。. なったのである。. 環境影響評価の導入は,表面上は騒音・振動を はじめとする公害への対応であるが,その後,環. 8.2 財源問題検討委員会の持つ意味 財源問題検討委員会の設置は,それまで自民党. 境影響評価は,優先着工という新たな方針が示さ. 内での議論にとどまっていた整備新幹線問題に政. れて以降,整備新幹線5ルート間の優先順位を示. 府を引き込んだ点で「画期的」であった。国鉄改. すものとして機能するようになった19。また,着. 革の議論が正念場を迎えていた時期であったため. 工凍結が長期化するに至り,工事実施計画の認可. に,議論は当面の間,官僚で構成される幹事会を. 申請手続きが,環境影響評価と同じように順位付. 中JLりこ展開されるが,行政権,特に予算編成権を. 図1 全国新幹線鉄道整備法上の建設までの手続き 運輸大臣が鉄道建設審議会に基本計画に組み入れるべき路線を諮問 鉄道建設審議会が基本計画に組み入れるべき路線を運輸大臣に答申 運輸大臣が鉄道建設審議会に整備計画に組み入れるべき路線を諮問 鉄道建設審議会が整備計画に組み入れるべき路線を運輸大臣に答申 建設主体が運輸大臣に対して工事実施計画認可申請 運輸大臣が建設主体に対して工事実施計画認可. 18 東海道・山陽新幹線では,全国新幹線鉄道整備法は存在しておらず,鉄道敷設法に基づいて建設が行われている。 19 環境影響評価は,建設主体による駅・ルート公表の後,環境影響報告書案の作成・関係知事への報告書案送付・沿線自治 体での報告書案縦覧・住民に対する報告書案説明会・関係知事からの見解書送付・見解書に対する回答を経て,最終的に報. 告書が確定する。. 68.

(14) 国鉄改革と整備新幹線(2). 図2 実際の整備新幹線建設までの手続き 運輸大臣が鉄道建設審議会に基本計画に組み入れるべき路線を諮問 鉄道建設審議会が基本計画に組み入れるべき路線を運輸大臣に答申 運輸大臣が鉄道建設審議会に整備計画に組み入れるべき路線を諮問 鉄道建設審議会が整備計画に組み入れるべき路線を運輸大臣に答申 環境影響評価手続き. 舎および駅周辺整備 運輸大臣が建設主体に対して工事実施計画認可. 表1 整備新幹線建設の進捗 基本計画認可 整備計画認可 環境影響評価報告書案 工事実施計画認可 駅部工事着工 東 北 新 幹 線 北 陸 新 幹 線. 1972.6.29 1972.6.29. 1973.11.13 1973.11.13. 九州新幹線鹿児島ルート 1972,6,29 1973,11,13 九州新幹線長崎ルート 1972.12.12 1973.11.13 北海道新幹線. 1972.6.29. 1973.11.13. 1982.12. 1985.12.4. 1985.12.16. 1982.12.6. 1985.12.25 (高崎一小松間). 1986.3.16. 1986,8,29. 1986,12,8. (高崎一小松間). 1984,10,12. 1986.9.12(武雄温泉− 新大村間は2000.6.23) 2000.6.23. 2002.1.8 2002.1.8. 掌握する内閣の人員が参加する財源問題検討委貞. の意思決定が行われるところに,日本の政策過程. 会は,整備新幹線着工実現への重要な一歩であっ. の問題性があるという指摘もある。これは,昨今. た。事実,この委員会が設置されたことによって,. の公共事業批判の重要な論点の一つでもある。そ. 駅部整備というきわめて限定された形ではある. の評価を科学的に問うことは難しいにしても,日. が,整備新幹線に工事費が認められることとなっ. 本の政策決定の特色として注目すべき点であるこ. た。それまで調査費しか認められていなかった状. とには間違いない。. 況から大きな前進をみたといえる。. また,なぜこの時期に財源問題検討委員会が設. 財源問題検討委員会を先鞭として,その後くり. 置することが可能な状況になったかということに. 返し政府・与党によって構成される整備新幹線建. ついても明確な解答を示すことは難しい。先にも. 設を検討する機関が作られるが,いずれの機関も. 述べたように,国鉄改革の真っ只中で,整備新幹. 新規着工を決定,その決定どおりに着工が実現し. 線問題は本来アンタッチャブルな項目に含まれる. ている。整備新幹線建設においては,このような. べきものであったはずである。. 政府・与党による機関が最終意思決定権を持つ形. 自民党の有力議員を中心とした圧力の影響も無. で議論が進められるというスタイルが慣習化する. 視することはできないだろうが20,1985年のプラ. こととなる。. ザ合意の背景にある貿易摩擦も見逃すことはでき. このように,国会の力の及ばないところで多く. ない。自動車や家電などにおいて市場が日本製品. 20 例えば,鹿児島選出の二階堂進など,整備新幹線沿線の有力議員が着工推進に積極的に動いている。. 69.

(15) 角. によって侵食されている状況で,外国からの内需 拡大要求圧力が強まっており,公共事業の拡大に. 一 皿 ・角本良平,1995,『新幹線 軌跡と展望一政策・経済性 からの展望−』交通新聞社. ・角本良平,1997,『交通の改革 政治の改革一閃塞を打. とっては追い風となっていた。しばしば,日本の. 政策過程の特徴に外圧の影響があげられるが,整 備新幹線建設の政策過程においても,外圧が重要 な意味を持っていたといえる。. 破しよう−』流通経済大学出版会. ・川名英之,1993,『ドキュメント日本の公害9 交通公 害』緑風出版.. ・草野厚,1989=1997,『国鉄解体JRは行政改革の手本 となるのか?』講談社文庫. ・澤喜司郎,1994,『整備新幹線 政治新幹線を発射させ. 参考文献 ・朝日ジャーナル編集部,1986,『朝日ジャーナル 特集 :おいしい国鉄』1986.2.28. ・朝日ジャーナル編集部,1986,『朝日ジャーナル 特集 :追求!!「国鉄崩壊」第2弾』1986.3.28. ・飯尾 潤,1993,『民営化の政治過程一臨調型改革の成 果と限界−』東京大学出版会. ・伊東光晴,1968,「国鉄は第二の食管会計か 政治のシ ワが集る」『朝日ジャーナル』1968.10.27:46−47. ・伊東光晴,1989,「国鉄・電電改革とは何だったのか」『世 界』1989.5. ・牛久保秀樹/前川雄司/立山学,1989,「座談会 国鉄 解体負の遺産」『世界』1989.12. ・宇田川日出雄,1987a,「整備新幹線 国鉄改革に立ち ふさがる“地方の渇望”」『週間東洋経済』1987.1.31 :88−92.. ・宇田川日出雄,1987b,「JR新時代(上)民営国鉄 希 望と不安の旅立ち」『週間東洋経済』1987.4.4. ・宇田川日出雄,1987c,「JR新時代(下)労使安定・関 連事業拡大への旅路」『週間東洋経済』1987.4.11. ・運輸経済研究センター,1980,『整備新幹線に関する調 査調査報告書(Ⅱ)』. ・運輸省,1964−1988,『運輸白書(各年度)』大蔵省印刷. た男たち』近代文芸社. ・都留重人,1986,「初めに分割・民営化ありき 一国鉄 再建の問題点−」『世界』1986.11. ・日本国有鉄道再建監理委員会,1985,『国鉄改革 一鉄 道の未来を拓くために−』. ・船橋晴俊/長谷川公一/畠中宗一/勝田晴美,1985,『新 幹線公害 高速文明の社会問題』有斐閣. ・船橋晴俊/長谷川公一/畠中宗一/梶田孝道,1988,『高. 速文明の地域間題 東北新幹線の建設・紛争と社会的 影響』有斐閣. ・船橋晴俊//角一典//湯浅陽一//水澤弘光,2001,『「政 府の失敗」の社会学 整備新幹線建設とIR国鉄長期債 務問題』ハーベスト社. ・法政大学大原社会問題研究所編,1986−87,『日本労働 年鑑 第56−57集』労働旬報社. ・保坂三蔵,1982,『ハダカの新幹線 「高速時代と都市 再生」のロマンを追う』東洋堂企画出版社. ・三菱総合研究所事業戦略研究室編,1986a,『整備新幹. 線とはなにか 地域の活性化と高速交通の将来像』清 文社. ・三菱総合研究所事業戦略研究室編,1986b,『整備新幹 線をどうつくるか 21世紀の交通ビジョンを語る』清 文社. ・山田徳彦,2002,『鉄道改革の経済学』成文堂.. 局. ・運輸省大臣官房文書課編,1986,『トランスポート 特 集:国鉄改革3』1986.6. ・運輸省大臣官房文書課偏,1987,『トランスポート 特 集:新鉄道時代がスタート』1987.4. ・運輸調査局編,1987,『運輸と経済 特集:鉄道新時代 への期待と課題』1987.2.. ・運輸調査局編,1988,『運輸と経済 特集:JNRから JRヘー鉄道の経営革新』1988.4.. ・運輸調査局編,1988,『運輸と経済 特集:JNRから JRへ(財務編)』1988.10. ・岡野行秀,1996,「国鉄改革前夜 何が国鉄をダメにし たのか」『プレジデント』1996.7. ・角本良平,1964,『東海道新幹線』中公新書. ・角本良平,1989,『鉄道政策の検証JRの未来を探る』 白桃書房.. 70. (旭川校准教授).

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参照

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