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不心得者からの遅ればせの感謝状 (フィールドワーク心得帖 第22回)

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Academic year: 2021

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不心得者からの遅ればせの感謝状 (フィールドワー

ク心得帖 第22回)

著者

米村 明夫

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

197

ページ

45-46

発行年

2012-02

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00004066

(2)

45

アジ研ワールド・トレンド No.197 (2012. 2)

ਸ਼৚ؙ

৪੨৥୏

●フィールドとは何か?   大学で数量社会学的手法を用 いて実証分析をやっている友人 から﹁フィールドを持っている 人がうらやましい﹂と言われた ことがある。私はフィールドと いうことをあまりに当然視して いた。   フィールドとは、実際の観察 対象のある場所、観察者が対象 のすぐ近くにいられる場所であ ろう。しかし、友人の発言には さらに、研究者がそこにいるこ とによって﹁元気﹂づけられる 何かがある場所というニュアン スが含まれているように思われ る。磁場のことを英語でマグネ ティック ・フィールドといい 、 そこに入った鉄などの金属に影 響を与える。ここで議論してい るフィールドの場合、入って影 響を受けるのは私︵研究者︶で ある。確かに、研究関心や動機 において迫ってくるような何か をもたらしてくれるフィールド はありがたいものだ。 ● 先住民地区フィールドワー ク馴れ初め   私は、メキシコの教育の研究 を始めた時、さらにラテンアメ リカ全体を広く見たいと思って いたので、先住民の教育という テーマに深入りする気はなかっ た。一九八一年から二年間、研 究所からの長期派遣でメキシコ に滞在した。受け入れ先であっ た第三世界経済社会研究所で 、 ﹁農村地域に先生が根付かない 問題﹂プロジェクトのオアハカ 州調査に参加しないかと誘いを 受けた。そのプロジェクトはチ ワワ州での調査を終えたところ で、大勢で楽しそうにやってい るなと見ていたので、軽い気持 ちでOKした。ところが、オア ハカへ出発の朝になって、その ために家に泊めてくれた友人の ミゲルから、そのまま二人だけ で調査を行うと説明された。思 えば、予定として師範学校へ行 くことしか聞いていなかったか ら話が違うわけでもなく、いず れにせよ今更いやだといえる状 況ではなかった︵実際のところ はびっくりしたもののいやでは なかった︶ 。ミゲルは、 リーダー と一緒にオアハカ州での予備調 査も済ませていた。リーダーは レイモンド・ライオンズという 元ユネスコの教育計画研究所の 要職も務めた高齢のイギリス紳 士で、農村のフィールドワーク を繰り返すのは、もう限度だっ たのだろう。しかしプロジェク トを放り出すわけにはいかな い。続きを一人任されたミゲル も、またインタビューしても同 じことしか出てこない、と義務 を遂行するためにのみ行くこと を今やあからさまにしていた 。 途中、車のオイルポンプが故障 して、強盗に備えて交代で見張 りをしながら道端に止めた車中 で寝るというハプニングもあっ た。師範学校へ着くと、スペイ ン語が怪しい私も分担して学生 達にインタビューする、という ことが始まった。   続いて、農村経験師範学校の あるミヘ先住民族地区に行くと 言われた。先生が地域に根付か ない問題はここでも深刻だった からだ。また二言語教育制度が 正式にできたばかりの頃でそれ についても、当然関心があった ようだ。オアハカ市から一時間 でミトラという幾何学模様で有 名な遺跡の町があり、そこでポ リタンクにガソリンを詰めて二 時間半ほど砂利道を登ってドラ イブしていくと、ミヘの中心の アユートラ村に着いた。先住民 庁の現地調整センターのゲスト ハウスで宿泊し、いくつか学校 を訪ね、先生達をインタビュー した。   翌日ミゲルが、恋人とその家 族が観光にやってくるのでオア ハカ市の空港まで迎えに行く 、 と言って車で去った。残された 私を、調整センターにいた小学 校のスーパーバイザーと小学校 寄宿舎責任者が、これから寄宿 制小学校にスーパーバイズに行 くからついて来ないか、と誘っ てきた 。 一泊の予定だという 。 ジープで一時間、さらに歩いて 二時間 、テプステペック村の ジャーノ・クルセーロという峠 にある学校に着いた。夜になる と、スーパーバイザーが先生達 を相手に会議が始まった。寒さ と疲れでもうれつな眠気が襲

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アジ研ワールド・トレンド No.197 (2012. 2) い、午前二時ごろ、途中で宿舎 のベッドに退散したが、記憶に 残った議題は、先生達の労働条 件のことであった。スーパーバ イザーが転勤希望申請資格の説 明をした後、時間をかけたやり とりがあり、先生達の強い関心 事がそこにあることがわかっ た。まさに、農村に先生が根付 かない問題である。ここへの途 中で調査した師範学校の学生達 は、異口同音に農村の人々につ くしたいと答えていた。が、僻 地勤務の厳しさを知ってしまえ ば、あるいは一度職を得てしま えば、 より快適な勤務地を求め、 あるいは他地の同僚と平等な待 遇を求めるようになるのは当然 だろう。 翌日、 スーパーバイザー はさらに他の小学校のスーパー バイズを続けるため、一人で峠 の向こうに発って行ったが、寄 宿舎責任者と私は来た道を引き 返してアユートラ村に戻った。 ●﹁深い﹂フィールドへ   私にとって非常に幸運だった のは、ミゲルがここ、ミヘ民族 地区に私を置き去りにしていっ てくれたことだ。 彼の言語能力、 プロジェクトとの関わり、予備 調査に来ていて人間関係ができ ていたことなどを思えば、彼が いる限り当然彼が調査のイニシ アチブをとっただろう。もしか したら寄宿制小学校訪問も予定 外だからと行くこともできな かったかもしれない。 ところが、 彼の不在の数日間、私はミヘの 人々と直接向き合うことがで き、ミヘの人々も私の相手をし てくれた。私は自分が抱いた疑 問をじっくりと質問し、またそ れでも解決できない疑問を自分 の疑問として抱え続けることと なるだけの﹁深さ﹂のある機会 を得たのだ。言い換えれば、巧 まずして ─ ─そしてその時はま だその自覚はなかったが ─ ─ こも私の重要なフィールドと なったのだった。   この時の経験は、一九八三年 に帰国してその三年後に出版さ れた拙著 ﹃メキシコの教育発展 近代化への挑戦と苦悩﹄ ︵アジ ア経済研究所︶で書いた。しか し、あの時の疑問は基本的に未 解決のままだった。何故、スー パーバイザーが来た時の中心議 題が労働条件、労働者の権利と なるのか、何故先住民教育制度 の先生達が﹁二重言語・文化教 師資格﹂から﹁二重言語 ・ 文化﹂ を外してほしいと要求していた のか、先生達の教育歴認定を巡 る要求はどのような経緯で生じ たのか、先住民をスペイン語化 するのではなく先住民語とスペ イン語の両方の能力を身につけ させるという建前の先住民教育 システムの中に、何故スペイン 語化センターと称する初等前段 階の学校があるのか。   一九八〇年代はアジア経済研 究所でも現地調査の機会は限ら れていた。一九九一年に一〇年 ぶりにミヘを今度は最初から一 人で訪れた時以来、ミヘは私の フィールドとして意識されるも のとなり、メキシコの先住民教 育は私の研究領域となった。こ のフィールドは私を二つの方向 に向かわせることとなった。第 一は、歴史的な研究である。先 住民教育制度の成立はもちろん のこと、先の先生達の勤務条件 に関する強い要求の問題を根本 において理解するには、そうし た方向性が必要、有効であるこ とがわかってきた。第二は、眼 前の村の変化とメキシコ全体と の関わりについての、教育とい う観点からの社会学的研究であ る。   普通、 フィールドワークとは、 例えば調査票を用意してインタ ビュー等を通じて現地でそれを 埋めていく作業を指し 、また 、 フィールドワークに基づく成果 と言えば、そのようなフィール ドワークの結果を直接利用した 論文等を指す。そうしたものも 書いてきたが、私にとってミヘ は、革命期まで遡る一方、同時 に一九九四年のサパティスタの 武装蜂起、二〇〇六年のオアハ カ州の政治紛争、といったメキ シコ社会全体の諸事件の意味 を、村レベルで理解するための 努力を促す刺激に満ちた存在と なってきた。考えてみればメキ シコは、ぼんやりと時間を過ご しがちな不心得者の研究者に対 しても、迫力を持って迫ってく る劇的な大フィールドだ。そこ にマイフィールドを持つこと に、日本の友人が羨望の念を抱 くのは当然のことであった。あ りがとう、ミヘ、メキシコの人 達、そしてミゲル。 よねむら あきお/アジア経済研究所 ラテンアメリカ研究グループ 専門:メキシコの教育。 うれしい給食(1981年、テプステペック、ジャーノ・ クルセーロ寄宿制小学校食堂で筆者撮影)

参照

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