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マルクス恐慌理論の研究-解明と批判- その一 不均衡説と恐慌 その二 過少消費説と恐慌: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Title

マルクス恐慌理論の研究−解明と批判− その一 不均衡説

と恐慌 その二 過少消費説と恐慌

Author(s)

松沼, 勇

Citation

沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 1(2): 20-70

Issue Date

1961-02-25

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/10702

(2)

第一節 第二節

第一節 第二節 第三節 第四節 マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究 │ 解 明 と 批 判

l

マルクス恐慌理論の研究│解明と批判│

不均衡説と恐慌

過少消費説と恐慌

そ の

目 次

カール・マルクスの再生産表式理論 トゥガシ・パラノアスキーの不均衡説

過少消費説と恐慌

カール・マルクスの過少消費説 カール・カクッキーの過少消費説 ロ

i

ず・ルクセシペルグの過少消費説 ポール・スクイージーの過少消費説

O

?

(3)

慌 第一節

カール・マルクスの再生産表式理論

再生産とは生産の不断の反復過程を意味する、如何なる社会形態の下でも、生産過程は絶えず継続して行われなければならず 周期的に同じ段階が経過されなければならない。社会は消費することを停止し得ないと同時に、生産する乙とも停止し得ない。 従って、あらゆる社会生産過程は、それが中断する乙とのない反復循環をなすという点において、同時に再生産過程である。 資本主義経済社会における生産は、資本の生産として現われ、従ってその社会における再生産過程は、資本の再生産過程と して展開される。資本の再生産過程は個別資本の立場か'りすれば資本の循環過程であるが、乙の環循が行われる為には流通 (交換)過程を必要とする。それ故、社会の総資本の再生産過程は、資本の直接的生産過程と流通過程との統一として考究さ れなければならない。 マルクスは、資本主義経済社会における再生産過程の複雑な機構を表式化する乙とによって、乙れを説明しようとした。マ ルクスのいわゆる再生産表式は、資本の生産過程と流通過程との統一を取り扱っているが、しかし専ら、流通過程に重点をお き、社会的総生産物の価値実現過程を明らかにしようとしたのである。再生産が円滑に行われるならば、恐慌も不況も起り得 ない筈である。マルクスは、それ故に再生産が滞りなく行われる条件を究明した。 社会の総資本によって生産される社会の総生産物は、素材の見地か冒りすれば、生産財と消資財とに区別することができる。 我々は、消費財がなければ生活を維持するととができないが、消費財は生産財があって初めて生産され得る。従って、社会の 再生産を維持するためには、生産財の補充が年々なされ、且つ消費財も生産されなければならない。他方において、価値の点 からみれば、生産物の価値は不変資本と可変資本の価値、更に剰余価値より構成される。 社会の総生産部門は、従って生産財生産部門と消費財生産部門とに大別される。乙の生産部門は上述した理由の他に、生産 財は不変資本によって購入され、消費財は可変資本及び剰余価値によって購入される(拡大再生産において生産財は剰余価値 マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究 │ 解 明 と 批 判 │

(4)

マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究

i

解 明 と 批 判

i

の一部によって購入される場合もある)とい

5

点からも意義がある。また生産財生産部門は生産財及び梢資財を生産する資本 家に生産財を提供し、消費財生産部門は資本家並びに労働者の消費財を提供する。 マルクスは、社会における再生産を生産規模と産出量との変化から、縮小再生産、単純再生産及び拡大再生産の三つに区分 し、主として後の二つの場合について分析している。本節は要約的にマルクスの敷街した再生産表式理論の骨子を吟味する乙 と に す る 。

単純再生産表式理論

循環の状態を意味する。 単純再生産とは、社会における各生産部門の生産規模、産出量が年々一定不変であり、純投資(新投資)が行われない静的 ① マルクスは単純再生産に関して次のような表式を掲げている。 同 H 品 。 。

o

n

H

+

5

0

0

︿

H

+

5

0

0

H

H

S

O

O

N

g

o

p

+

g

o

︿

N

+

g

o

露 目

H

ω

0

0

0

い た ノ ま で も な く 、 ー は 生 産 財 生 産 部 門 、

E

は 消 費 財 生 産 部 門 、

C

は 不 変 資 本 、

V

は 可 変 資 本 、

M

は剰余価値をそれぞれ表示 する。両部門共に資本の有機的構成は

(

C

V

)

四対一、剰余価値率

(

M

V

)

は 一

O

O

M

であるとし、且つ生産財(生産手 段﹀は一回の生産過程で消費されて了うものと仮定する。 部 門 ー に お い て 、

A 5

0 0

0 H

は生産手段であるから、 乙の部門に関しては、同部門の資本家が自ら生産し補充しなければなら な い 。 問 。 。 。 ︿

H

+

5

0

0

H

H

N

8

0

は労働者の獲得した賃銀と資本家の獲得した剰余価値とであって、何れも消費財の講入に 充当されるものであるから、同部門では得られない。部門

E

で生産されたものを交換によって入手しなければならない。 部 門

E

に お い て 、

g

o

o

p

は消費財を生産するための生産手段であるから、部門ーより購入しなければならない。 旬 。 。 ︿ 同

+80

冨 岡

H

5

0

0

は消費財の購入に向けられる部分であるから、部門

E

の 内 部 で 消 費 さ れ る 。 生産手段の総需要量はち

g

p

+

g

o

o

p

H

であるから、乙れに対応する供給は部門工の価値の総計

ggk

一 致 。 。 。 。

(5)

するから過不足がない。 故 に

H

+

n

N

u

n

H

十 ︿

H

+

H

:

-j

i

-2

)

が 成 立 す る 。 消費財に対する総需要は部門工の

5

0

0

︿

H+58

H

及び部門

E

8

0

︿ 同

+

g

o

N

の 合 計

8

0

0

であり、供給の総計は 部門

E

の価値総計

88

に対応する。故に ︿

H

+

H

+

︿

M

+

冨 凶

H

C

+

︿

N

十 冨

N :

: :

(

凶)が成立する。かくして山及び閉式より次の式が得られる。 ︿

H

+

富 岡

H

n

N

乙の式は単純再生産の基礎的条件であり、更に次の乙とを示している。先ず第一に、部門ーではききの価値を有する生産 手段が生産されるが、同部門の生産手段には

h s

o o

n H

あれば補充ができる。残りのき。。は部門

E

の生産手段として必要であ るから、同部門の生産した消費財中の

N

G

g

と交換されなければならない。次に部門ーに入った消費財の半分

58

は同部門の 労働者の所得(︿

H

)

H

E

g

によって購入し消費され、残りの

5

0

0

は資本家の収入(冨

H

,)によって購入し消費されるから 乙乙に過不足がない。更に部門

E

に入った

N c

o o

n N

は乙の部門で生産的に消費される。 以上が単純再生産表式理論の骨子である。

拡大再生産表式理論

拡大再生産とは、純投資が行われ(資本家の獲得した制余価値│利潤ーが余部消費されることなく一部分が蓄積され)、生 産部門の生産規模が拡大し、産出量が増大して行く状態を意味する。 マルクスは﹁資本論﹂第三篇﹁社会的総資本の再生産と 疏通﹂第二一章﹁蓄積と拡大再生産﹂において、拡大再生産表式を三つ掲げ、それぞれについて分析しているが、先ず代表的 マ ル ク ス 恐 慌 理 論 め 研 究

l

解明と批判

l

(6)

マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究

l

解明と批判

l

回 な次の表式を吟味する乙とにしよう。② ト4 ち g p + H o g J N H + H 8 0 冨 H u g o o 叫 83+28富岡H800 Hgop+ 同 拡大再生産の場合には、両部門とも剰余価値の全部を消費せず、その一部を残し、乙れで以って次の再生産過程における生 産手段及び労働力の購入に振り向けられなければならない。従って拡大に必要な部分だけ既に生産手段も労働力も市場に存在 していなければならないから、単純再生産の場合と基本年度の表式は若干異なっている。 単純再生産の場合はP+PHC+︿H+冨Hであったが、 乙の場合にはO+C八︿H+P+冨Hとなる。何とな -れほ、両部門おける生産手段の追加部分だけ、第一部門におい生産しておかなければならないからである。 更に単純再生産の場合︿H+冨H+︿回+冨HHP+︿H+冨凶 であるが、乙の場合には︿H+冨H+︿同+宮崎八 。回+︿回+富岡となる。何故なら、ば単純再生産の場合は資本家も労働者もその収入を全部消費し得るのでVと

M

の合計が 第二部門の合計と一致しなければならないが、拡大再生産の場合には制余価値の一部が消費されず︿+冨の合計が第二部門の 合計より大でなければならないからである。 右の二つの不等式からの同八︿H+冨Hなる不等式が生成する。 さて部門工(第一部門)では、制余価値500冨Hのうち半分を消費し、他の半分を翌年度の追加資本として蓄積するものと する。更にその蓄積部分における資本の有機的構成を四対一とする。 次に説明を容易にするために、剰余価値のうち消費される部分を郎、追加不変資本として投下される部分を叫、追加可変資 本として投下される部分を肺とする。 そ乙で今、部門ーにおける剰余価値の半分即ち80冨が蓄積されると、先ず583+go冨同は部門

E

の 5 0 0 n 悼 と 交 換 さ れるととになる。を蓄積部分80言は

C

対VH四対一の割合で分割されるから、追加不変資本肌はさ、追加可変資本肌は

(7)

HOO と な る 。 以上の過程を経て部門工は次のようになる。但し

W

は 生 産 物 の 価 値 を 一 不 す も の と す る 。 H

88P+品。。冨P+500︿同+50冨︿H+80ζFH8004F次に部門ーでは、追加可変資本50民︿Hが労働者 に渡り、従って消費支出されるから、そ乙で部門

E

ではそれだけ多く消費財と引き換えに生産手段を入手し得る。それ故、部 門

E

における不変資本は500の日となるが、追加不変資本(50)を運用するためには可変資本

33

が必要となり、部門にお け る 総 可 変 資 本 は 討 。 か ら ∞ g k 増 加 す る 。 部門

E

では不変資本(50)と追加可変資本(包)との合計は目。となり、 これは剰余価値吋旬。冨日から賄われるから、従つ て剰余値価はき。富岡国に減少し、 乙の部門が同部門における資本家の消費する額となる。 かくして部門

E

は 次 の よ う に な る 。 同 -Egp十回。。冨P+叶83+包冨︿M+80宮市内NHgood ︿ N 拡大再生産を維持して行くためには単純再生産の場合と同様に、生産物(生産財と消費財)に対する総需要と総供給とが一 致しなければならない。 と乙ろで、生産財に対する総需要はちgp+色。冨P 十回oop+50

pugSであり、 乙れに対応する総供給は部 門工の価値の総計ggに一致するから、 乙 乙 に 過 不 足 が な い 。 それ故、P+冨P+nN+冨ハUMUd 句 H H P + 冨 P +︿H+冨︿同十宮間H が成立し、両辺から共通項を控除すれ ば 次 の 式 が 得 ら れ る 。 C+冨nNH︿H+冨︿H+冨

F

i

j

i

-:

:

(

同 ) 次に消費財に対する総需要は部門 H の58︿H+50冨百+go民間同及び部門

E

の 叶 印 。 ︿ N + g M 向 ︿ 凶 + 8 0 宮 内 同 の 合計

ω

。 。 。 で あ り 、 これに対応する総供給は部門

E

の 消 費 財 仙 値 合 計 8 0 0 で あ る か ら 、 乙乙にも過不足がない。 マルクス恐慌理論の研究│解明と批判│ 二 五

(8)

マルクス恐慌理論の研究

l

解明と批判│

-一

-ハ

かくして次の式が成立する。 ︿同+冨︿H+冨岡H+計十冨︿N+冨阿国Hd 句 NlnN+冨の拍+︿N+冨︿N+冨同NhvF十冨︿H+冨FHP+冨nN( 凶) 川と聞の式は全く一致しており、乙の関係は次のことを意味する。即ち、消費財生産部門で使用された不資変本と追加不変 資本との価値合計は、生産財生産部門における労働者と追加労働者更に資本家によって消費された価値合計に等しい。乙の乙 とは拡大再生産を維持して行くための基礎的条件である。 噌 4 9 h -更に拡大再生産の場合には、師長に等しいととを必要条件とする。何となれば、き冨Pは部門工で、80冨♂は部門

E

でそれぞれ補充されるが、50冨︿Hは可変資本であるから部門

E

より提供されなければならないし、50冨CMは不変資本で あるから。部門ーより提供されなければならなず、結局両者の等しい乙とが過不足なく交換される条件であるから。 かくして、基本年度から次年度への拡大再生産表式は次の如くになる。 H

-主

8 0 + 戸 。 。 ︿ + 口 。 。 冨 u g g 同 ・ 5 8 0 + ∞ 。 。 ︿ + ∞ 。 。 冨 H 8 0 0 第二年度より第三年度への拡大再生産表式もまた同様にして次の通りとない 同 ・ 島 ち の + H N H O ︿ 十 H N H O 冨 H 吋 Ng 同 ・ 口 g c + ∞ ∞ 。 ︿ + ∞ ∞ 。 冨 H 8 8 第三年度 同 ・ 8 訟 の + ロ 臼 ︿ + ロ 出 冨 H 詰 ∞ 。 同 -E g n + c g ︿ + c g 冨 H ω ∞ 芯 第四年度 H ・ 8 8 C + E E ︿ + E E 冨 H ∞ 話 A F

(9)

- M

H N

ゅ の

+ 忌

O 聞 く

+

5

8

H A F

M

色 第五年度

H

-E

A

F

N

n

+

H

G

g

︿

+

5

5

u

g

a

N

同 ・

N

E

N

O

+

︿

+

u

怠 ∞

再生産過程が正常にして円滑に続行するためには、上述の如く両生産部門の聞に一定の技術的、価値的な均衡(比例)が存 在しなければ実現し得ない。しかるに利潤の追求、激烈な競争、自由放任主義等を基調とする資本制生産にあっては、その生 産が必然的に無政府的、無計画的となり、到底かかる均衡は維持され得ない。そ乙で両部門閣の混乱が生じ、従って恐慌を誘 発する一つの強力な原因が内在するというのがマルクスの主張である。 しかし遺憾ながら、彼は乙の乙とを具体的に再生産表式の分析と関連させて論証しておらず、ただ暗示したにすぎない。 いずれにせよ、資本制生産にあっては、拡大再生産過程における各部門閣の均衡を維持して行く乙とが如何に困難であるか を十分に察知し得るのである。 と乙ろで、都留重人教授はマルクスの再生産表式理論に関して次のように述べている。﹁乙の表式や均衡条件などをめぐっ て、数えきれないほど多くの論争がたたかわされてきた乙とは、 マルクス主義経済学を研究した乙とのある殆んど誰もが熟知 していると ζ ろである。と乙ろが乙うした論争のなかには、 マルクスが再生産表式を利用した段階における抽象のレペルを無 視して、しばしば勝手な仮説を設け、むしろ最初から意図した結論をひき出すために表式を悪用した者も少なくなく、その為 にいつまでも議論のやりとりがなされたものであった。:::::・::再生産表式を使って資本制社会の崩壊を証明しようとした り、或いはそ乙から過少消費説をひきだしたりしようとする前に我々は再生産表式のもっている色々な前提を考え、前提のな かのどれをどのように変えるととが如何なる意味をもつかを正確に制定しながら理論の具体化をはからねばならない。--E 拡大再生産の場合のマルクスの再生産表式のもっている前提条件を数えあげてみると、判社会は賃労働者と資本家という マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究 1 解 明 と 批 判

l

ニ 七

(10)

マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究

l

解 明 と 批 判

l

二 八 二 つ の 階 級 か ら な る 。 村資本家の数は非常に多く、その相互間には自由競争が 同価値からの季離は存在しない。例外国貿易はない。付商品の種類は生産財と消費財の二種類であって資本の 回転期聞はその何れに於ても同じでる。川技術は変化しない。従って資本の有機的構成も変化しない。例二つの部門の聞に 於て資本は交流しない。つまり第一部門から生れる蓄積は第一部門に投下される。第二部門から生れる蓄積は第二部門に投下 される。川一期間以上にわたって利用されるような耐久資本財はないものとする。同在庫品はそれを仮定しない。同貨幣は 流通手段としてのみ働く。同労賃は前貸される、などである::・:: 実際には、我々の分析は更に具体的な方向に前進せねばならず、価値の屈伸性とか、在庫品の有無とか、信用の貸与とかい う契機が問題を一層複雑にし、一方に於ては制度全体になにがしかの伸縮性を与えると同時に他方ではこれらの契機それ自身 のもつ撹乱的な要素が加えて、現実の恐慌や景気変動の様相に色々な影響を与えるのであ柄﹂ 同労働者はその所得を全部消費して了う。 行 わ れ あ 。 以上の如く、都留重人教授はマルクス再生産表式理論の種々の抽象性や欠陥を指摘されたのであるが、乙れとは別の角度か ら若干の欠陥を披漉してみたいと思う。 先ず第一に、上述の拡大再生産表式においては、年々第一部門の剰余価値は規則正しく半分が蓄積され、且つその蓄積部分 は

C

VH

四対一の割合で分割されて行くのに対して、第二部門の剰余価値のうち蓄積される割合並びにその蓄積部分の分割 の割合は全く第一部門によって規定され、そ乙には規則性が存在しないという点を指摘し得る。 乙 の と と を 例 証 し て み よ う 。 マルクスは先に掲げた基本年度未の拡大再生産表式における次年度への再生産過程を次のよう に 分 析 し て い る 。 同 ・ お き の + H N H O ︿ + H N E H

g

同 ・ 見

g

n

+

︿

+

H

8

8

﹁剰余価値の分割率が不変ならば、先ず第一花、ーによって所得として支出されるべきものは、 H N H O ︿と冨の半分たる窃︿

(11)

合計回∞民である。乙の消費元本は文しでも切切だけ同のより大きい。乙の日は∞包冨から控除されねばならないのであって、残り は∞N切である。日同冨の同ロヘの転化は、更にそれに照応する可変資本当時の為の同冨からの控除を前提とする。資本家

E

の 消 -費用に残るのは選斗時同富である。 ーに於て今や資本化されるべきものは∞自民であって、そのうちお品は不変資本、可変資本でHNHとなる。後者は、今迄昌一可 l 時 であった。旧から控除される筈であって、残りはき首冨である。かくして

E

は 更 に H N H を 不 変 資 本 に 転 化 す る の で あ っ て 、 その為には更に可変資本

g

砕を要する。乙れはやはり句。時から出て行くのであって、資本家

E

の消費用に残るのは色。であ る。そこで資本は次のようになる。 同 -U 判 悩 何 回 瑚 U サ 品 目 山 A F ( } + 仏 ∞ A F H m ω N K H

4

糊蹴 M 甘 H N H O + H N H H H ω ω ] { 同 -U 引 糊 滅 U 弁 H U 可 。 。 十 m m + H N H H H m w ω 。

4

脳 内 崎 弥 ∞ ∞ 。 + N 寸 時 + 。 。 時 H C O ∞ ゆ :::jI! 同 m ω N A p n + 同 ω ω H J 刊 日 。 。 ∞ 印 同 H ω ω ∞ の + 。 ∞ ∞ ︿ H N m v O A 胆 そして年度末の生産物は次の如くである。 H -m ω 留 め + ロ 臼 ︿ + H ω ω 冨 H U 6 8 ︺ } ] { ] 戸 ∞ ∞ ∞ 同 ・ 思 ω ∞ の + 句 。 ∞ ︿ + 句 。 ∞ 冨 H ω ∞ 斗 N ﹂ ⑤ ﹂ 。 上述のマルクスによる表式の分析か滑りすれば、第一部門の剰余価値のうち半分が蓄積されると、第二部門における蓄積活動 は二重に行われなければならない。即ち第一部門の可変資本HNE︿と資本家の消費支出部分

g u

岩間同との和民民は第二部門 のロ

g

の N より目だけ超過する。故に第二部門では剰余価値∞き冨より追加不変資本として自の蓄積を必要とし、乙れに応じて マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究

l

解明と批判

i

ニ 九

(12)

マ ル ク ス 恐 慌 翠 論 の 研 究

l

解明と批判

i

追加可変資本として均時の蓄積化を必要とする。次に第一部門で蓄積される

g

m

は お 品 冨

P

H N H

富 ︿ H とに分割されると、 乙 ればならない。 れに応じて第二部門では剰余価値(君。時)から追加不変資本 HNH 冨

P

、追加可変資本

g

時冨︿日としての転化が行われなけ かくして、資本の蓄積と生産活動のイニ

ν

アティプは何時でも第一部門の側にあって、第二部門は従属的であり、且つ規則 性をなさないのである。 塑 M W 宮高甜 そ乙で、第二部門の剰余価値のうち蓄積される額と消費される額とを示せば次のようになる。 JlJ奇 跡 錨 瀦

l

相 同 目 。 富 凶 遭い令同 ∞ 。 。 冨 N 遭 い 羽 田 門 ∞ ∞ 。 阜 両 日 瀦

E

h

相 同 む ∞ ∞ 伊 向 悼 論叫凶判栴割問

H o

g v

p

この表から、剰余価値のうち蓄積される部分と消費される部分との割合は不規則的である乙とがわかる。 醐部盤

ささき

5

5

足足足

ω N O 富 山 V 。 。 。 冨 問 凶 旬 。 。 冨 間 同

NO 冨 阿 国 。 吋 ∞ 宮 間 N

J E

∞ 宮 間 同 そ乙で、上述の表式にはマルクス自身満足せず、第二例として次のような表式を掲げて分析している。

H

-g

o

o

n

+

5

0

0

︿十

58

H

8

8

-E

S

m

+

+

N

∞ ∞ 冨

H

8

0

0

うに分析している。 乙の表式においては、再部門とも資本の有機的構成は五対 マルクスは乙の表式に関して次のよ

(

C

V

)

となっている。 ﹁いま資本家階級工は剰余価値の半分

m

g

を消費して、残りの半分を蓄積するとしよう。すると

( 5

0 0

︿

+

g

g

7

g

が 言 宗 主 態 さ れ る べ き で あ ろ う 。 乙 の 場 合 に は ず

E855

ないから、剰余価値から吋。が追加さ

(13)

れなければならない。これをぬき同冨から控除すれば、残りは白山同富である。かくして次のようになる

l

。 同 ・ 8 0 0 0 + g Q 冨 ( 蹄 M 間 併 合 何 日 ム 附 伊 S ) + 5 8 ( ︿ 十 冨 ) 蹄 サ M 河什改盛鵡作 S器時凶対 同 ・ E g o -十 J 3 出 ( 減 対 古 併 合 ん 刷 、 ρ 附 伊 δ ) + N ∞ 切 ︿ + N H U P 向 乙の場合、き同めは直接同のに併合されるのであるから、

@

て残りはNE同冨となり、次の結果となる。 乙の追加不変資本を運用させる為にはこのEがNE同冨から出てい 同 ( E ω 。 。 十 一 3 0 ) + ( N ∞ ∞ ︿ + 区 ︿ ) 十 N O H 冨 更に分析を続ければ、部門ーにおいて蓄積される部分go昌は追加不変資本としてmg×即日仏見冨のと追加可変資本として 旬 。 。 × 即 日 ∞ ω ( 冨 ︿ ) と に 転 化 さ れ る 。 乙 の お 宮 ︿ は 部 門

E

の不変資本と交換されなければならないのであるから、部門

E

に お いてはNE冨のうちから追加不変資本として包(冨口)を転化しなければならないし、更に追加可変資本として自の告即ち 口 ( 冨 ︿ ) の 転 化 を 必 要 と す る 。 乙の結果表式は次のようになる。 H・800口+邑吋宮口+500︿+∞ω宮間+旬。。冨岡H800 同 ・ H A F ω 。 口 + 苫冨の+∞ω冨の十邸宅 +口宮︿+E冨︿+HCH冨同HNO00 かくして年度未の表式は次のょになる。 同 -E 見 。 + 5 8 ︿ + 5 8 冨 H a ∞ ω 同 ・ 5 8 n + ω 忌 ︿ + ω 民 冨 H N N H U 第二年度末の表式もまた同様にして次のようになる。 ト4 ggn+ロ誌︿+ロお冨H

同 ロ ロ ロ + ω お ︿ + ω お 冨 H N ω S との第二例の再生産表式においては第一倒の場合と異なり、両部門とも第二年度以後剰余価値のうち半分が蓄積され、他の マルクス恐慌理論の研究

l

解明と批判

i

(14)

マ ル ク ス 恐 慌 環 論 の 研 究 │ 解 明 と 批 判

i

半分が消費されいてる。との表式に対してロ

l

ヂ・ルクセ Y プルグは次のように批評している。 ﹁ : : : 部 門

E

における蓄積が全くーにおける蓄積に依存し且つ支配される乙とが明白に現われるからである。なる程乙の依 存性はマルクスの第一例の場合と異なり、もはや制余価値

E

の分割における勝手気優な変動となって現われないが、しかし、 たとえ剰余価値がいまや両部門に於てその度ごとにきれいに切半│資本家の目的の為と個人的消費の為にーされるとしても、 依存という事実そのものに変りはない。両部門における資本家階粧のこのような数字上の平等にも拘らまず、全蓄積運動は工 によって開始され能動的に行われ、

E

は受動的に参加するのだという乙とは、全く明らかである。乙の依存性は文、次のよう な正確な規則

l

即ち、蓄積は両部門に於て同時でなければ行われ得ず、しかもそれは、生活手段部門がその度ごとに、丁度に 生産手段部門の資本家によってその可変資本及び個人的消費元本が拡大されるだけ、その不変資本を拡大するという条件のも とでなければ行われ得ないという規則のうちにも表現されている。との比率(民の増加分

H

刊の増加肘胤の増加分)、は我 マルクスの蓄積表式の数字的基礎である。﹂と。 々がとれを如何なる数的比率で例証するかにかかわりなく、 マルクス再生産表式理論の短所ともいうべき点を指摘すると、第二例の拡大再生産表式における各部門の利潤率 は一六・七銘であって一致するが、第一例の場合には、各部門の利潤率は第一部門が二

O

M

m

、第二部門が三三・三

M m

であるか ら、それ故利潤率の低い第一部門から利潤率の高い第二部門へ資本の移転が行われて平均化する傾向がなければならず、も

L

更 に ま た 、 そうだとすると、拡大再生産過程は継続され得ないということになる。 マルクスの再生産表式理論からは恐慌発生の原因を直接的に知る乙とが困難である。但し、拡大再生産を継 続

L

て行くためには第二部門と比較して第一部門の蓄積額を相対的に大とする生産の優越的不均等発展が行われなければなら 何れにしても、 ないというととは察知し得る。 ② 阿 国 ユ 宮 田 吋 H ・

0

8

関 目 立

g

r

切 向 日

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・ 長 谷 部 文 雄 訳 ﹁ 資 本 論 ﹂ 第 二 部 第 三 分 冊 ( 七 ) 、 日 本 評 論 社 版 、 九

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頁 列 島 こ 話 回 吋 F S R -m w -m H A 可 ・ 長 谷 部 訳 、 前 掲 書 、 三 一

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コ 二 七 頁 ③ 都 留 重 人 ﹁ 再 生 産 の 為 の 条 件 ﹂ │ ﹁ ' 一 橋 論 叢 ﹂ 第 二 一 巻 四 号 、 八 │ 一 六 頁 ⑤関白ユ冨月

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三 一 九 頁 ⑦河口師同

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己 主 O ロ 己 目 白 関 与 E-L@NH ・ 長 谷 部 訳 ﹁ 資 本 蓄 積 論 ﹂ 上 、 青 本 文 庫 版 、 一 二 五 │ 一 二 六 頁

第二節

ト ク ガ シ ・ パ ラ ノ ア ス キ ー の 不 均 衡 説 ロジヤの経済学学者トゥガシ・パラノアスキー(富山岳

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巴巴は)彼独自の再生産表 式(理論)と関連させて恐慌理論を展開しようとした。 内 同 母 国 自 岡 田 ゆ 戸 田 町 富 山 口 宙 開 口

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円 ロ 岳 トゥガガの恐慌理論は、彼の主著﹁英国における商業恐慌の理論及び歴史の研究﹂ 吋 } 回 。 。 ユ O H U O A F -) 、 ﹁マルクス主義の理論的 基 礎 ﹂ 本節においては、トゥガシの主著の邦訳(鍵本博訳﹁英国恐慌史論﹂日本評論社版、昭和六年)に依拠して彼の恐慌理論を 研究しようと思う。 トゥガシは彼独自の再生産表式理論を展開するに先立って、 ① 解決を見るととができない﹂とし、マルクスの再生産表式理論に関して次のようにいう。 ﹁恐慌の問題は正当な販路の理論に基礎をおかなければ妥当な ﹁しかしマルクスの分析は未完成のままであり、 一般的結論をひき出す迄には至らなかった。彼の有名な表式は論理的完成 を欠いていて、調和的なマルクス主義体系の中における純然たる一異分子の観を呈している。乙の表式の結果として生じ、且 つマルクスが全く無視した演鐸は、彼が乙の表式の作製以前に述べた思想と明らかに矛盾しているので、 マルクス派がその始 マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究 │ 解 明 と 批 判

l

(16)

マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究

l

解明と批判

i

四 ② 視の労作を継承し得ず、販路の問題が解決されないままであった乙とも驚くに足りない﹂と。 マルクスの再生産表式理論は未完成のものであるとして、彼自身乙れを完以しようと試みたのである。 そ乙で彼は独自の再生産表式を分析するわけであるが、その分析に当って、先ず生産部門を第一部門(生産財生産部門)、 第二部門(労働者用消費財生産部門)、第三部門(資本家用消費財生産部門)の三つに区分し、次いで各生産部門ともその剰 余価値のうち半分が蓄積されるものとし、且つ資本の有機的構成

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を二対一とし、更に剰余価値率を百労と仮定して 即 ち ト ゥ ガ ジ は 、 いる(但し拡大再生産の場合﹀。表式中

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は不変資本(生産財)、

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は剰余価値(利潤)を示す。 第一表式(単純再生産表式)

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(17)

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-第三年度 同 N A F 切 ︼ V + H N N 時 的 + H N N 時 同 H A F @ 。 務 E学 同 市 町 。 。 ] V + ∞ ∞ 。 ω + @ ∞ 。 河 H ω m v N O 右の表式中単純再生産の場合には、第一部門で生産される生産財(広怠)は全一部門の生産財(不変資本)の総計(区ち)に 等しく、第二部門で生産される労働者用の消費財QNO)は全部門の支払賃銀(可変資本)の総計(芯O)に、第三部門で生産 される資本家用の消費財qNO)は全部門の剰余価値の総計QNO) に そ れ ぞ れ 相 等 し い 。 ﹁ 社 会 的 生 産 値 物 の 価 が お 8 ( H E A S + 認 。 + 芯 O ﹀ に 等 し い の に 、 社 会 的 所 得 は 僅 か に E ち ( H ω g ω + ω g m + 居 。 ω + H g m + 居 。 ω + 冨 。 河 ) 即 ち 社 会 的 生 産 物 の 半 分 に す ぎ な い 。 社 会 的 生 トゥガシは単純再生産表式に関して次のように結論している。 産物(の価値)は社会的所得総額の二倍に等しく、しかもそれは全市場によって吸収される。ー社会的供給の社会的需要対に ③ する超過は何ら現われていないのだ﹂と。 かかるトゥガシの結論は妥当であり、何ら問題はない。 拡大再生産表式の場合に対しては、トクガシは次のように説明している。 消費物の生産(第三部門)はωgである。我々が仮定したところでは第一部門の資本家は図。の価値の消費物を需要し、第二部 ﹁第一年度の生産物は次の如く捌ける。資本家用 門の資本家はHOmの価値第三部門の資本家は島の価値の消費物を需要する乙ととなる。需要の総計はωきである。ーそれは完全 に供給を覆うであろう。労働者用の消費物の生産は第一年度内に∞ちであった。第二年度の増大せる生産物が惹起する需要は 第一部門がお。第二部門が慰問第三部門が巴切である。乙 ζ でも文需要は供給に等しいであろう。同様に第二年度生産の為の 生産手段の需要は(第一部門の生産がお。第二部門色。第三部門出。)第一年度の生産に正確に合致するであろう。かくして・ 第一年度の生産は全部第二年度の内に捌けて了仰﹂と。 マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究

i

解 明 と 批 判

l

三 五 ・

(18)

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さ れ る 大 ﹁資本主義経済全体を表 式的叱研究するならば﹃販路は社会的消費の大いさによって定まれツはしない﹄という結論は必ず文生産手段の中にも存する。 もし機械が労働者に代るならば、当然消費物の社会的消費需要は減少する。けれどもその代りに生産手段の需要が増加する。 ととろで、トゥガシはかかる拡大再生産表式の分析から次のような珍奇な結論を導き出している。 同様に、資本家の所得が資本家によって消費されずに資本に転化されるならば、消費物の減少と、その代りに生産手段の需要 の増加とが起る。一般的法則として社会的生産が釣合よく配分されている場合には、消費の減退も消費需要の誠少も市場に於 て何ら需要に対する供給の過剰を惹起しないのでお匂﹂と。 即ち、トゥガシによれば、社会的消費(即ち資本家と労働者の消費)の減少が生産的消費の増加によって相殺されるから、 過剰生産は起らず、生産財生産は社会的消費に依存せず独立無関係である ζ とを拡大再生産表式が証明しているのであるとい

﹁ ・ : ・ : 乙 の 場 合 生 産 手 段 は 益 々 新 し い 生 産 財 の 生 産 に 用 い ら れ る で あ ろ う 。 働者が機械によって排除されたとせよ、との場合 ζ の唯一の労働者は莫大な量の機械のすべてを運転し、乙れを以って新しい 他 の 箇 所 で は 、 一人だけ残して他のすべての労 棚械と資本家用消費物とを生産するであろう。労働者階級は消滅しても資本主義的産業の生産物の売捌には大した関係はな い ﹂ と 述 べ て い る 。 かくしてトゥガシは、資本の蓄積が漸次増大して行けば、生産財需要が増加し、従ってまた生産財生産が益々増大されて行 くから、生産的消費は社会的消費に依存しないと主張しているのである。 かかるトゥガシの主張に対して、特にマルクス主義経済学者たちの聞で批判がなされてきたのであるが、そのうちの代表者 の一人であるロ

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ザ・ルクセシプルグは彼女の主者﹁資本の蓄積理論﹂の第二三章﹁トゥガシ・パラノフスキ

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氏 の 不 均 衡 説﹂において、次のような痛烈な罵倒的批判を浴びせている。 ﹁彼の見解、即ち生産手段の生産は消費から独立するかのよう

(19)

な見解は、勿論トゥガ γ ・パラノアスキーの俗流経済学的屋気楼である。彼が乙の謬論を基礎づけようとする事実、即ち生産 手段は消費手段に比べてより急速に増大するという事実は、そんなことはない。乙の事実は全く争う余地がない。しかも旧い 工業諸国の場合ばかりでなく技術的進歩が生産を支配しているど乙の国の場合でもそうである。利潤率の傾向的低落に関する マルクスの根本的法則もとの事実に立脚する。:::トゥガシ・パラノアスキーが、 乙の法則に於て、生産が自己目的であり人 閣の消費は只附随的事態に過ぎないという一つの経済としての、資本制的経済の独自的な本質を明らかにしたと思っているの ⑦ は大きな誤謬である﹂と。 更に第二回章﹁ロ

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アの合法的マルクス主義の終着﹂においては、 ﹁資本制的生産はそれ自身の為に無制限に販路をつくり 得るものであり、消費からは独立したものだというトウガンの見解は、彼を真直ぐに、生産と消費、即ち需要と供給、 の自然 的均衡に関するセイ│リカ

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ドォの理論に導ぴく。区別は只セイ│HJカ

l

ドォは専ら単純商品流通の軌道内で動いているが、 トゥガシは同じ見解を簡単に資本流通の上に移している。という乙とだけである。恐慌は不均衡から生.するという彼の理論 l土 つまるととろ、もし何らかの商品が過剰に生産されるとすれば、それは只、他の何らかの商品が過少に生産された乙とを 証明するに過容ないという、セイの俗悪な世迷い言を意訳したものに他ならないのであって、只トゥガシは乙の世迷い言 ③ を、再生産過程に関するマルクスの分析上の言葉で述べているに過容ない﹂と彼女は論駁している。 ロ

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ずのいわんとしているところは、生産と消費とは決して無関係であり得ないということにある。 かかるロ

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ずとは別の角度に立って、若干の批判を試みれば凡そ次の通りである。 先 ず 第 一 に は 、 ﹁労働者階級は消滅しても資本主義産業の生産物の売捌には大した関係はない﹂というトゥガシの論点に間 題 が あ る 。 何となれば、たとえ多くの企業が労働節約的な機械を大量に採用したとしても、そのために却って、 これらの機械を製造す る他の諸企業は乙れに対応する新たな機械の増設を必要とすると同時に、少くとも若干の新たな労働者の雇用を必要とし、頁 マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究

l

解明と批判│ 一 七

(20)

マルクス恐慌理論の研究│解明と批判

l

八 にかかる過程が関連企業に次々と波及して行き、そ乙にはいわゆる﹁補償作用﹂が存在するものと考えなくてはならないから で あ る 。 概していえば、資本の有機的構成の高度化は、相対的には可変資本を誠少させるとしても絶対的には増加させ、従って社会 的消費をも増大させる筈であって、もしそうでないならば、資本の有機的構成の高度化は困難であり不可能ではなかろうか。 かくしてトゥガシの右の論点は支離滅裂となり空論となるであろう。 第二に、トゥガシは表式の分析の結果、 ﹁一般的法則として社会的生産が釣合よく配分されている場合には、消費の誠退も 消費需要の誠少も市場に於て何ら需要に対する供給の過剰を惹起しないのである﹂と結論しているのであるが、だが残念なが ら、乙のような結論は表式のど乙をひねくり廻してみても出て乙ないのである。乙の乙とを論証しよう。 拡大再生産過程の分析(第一年度﹀ H ・ ∞ A F { ) 司 + A F N O ω + A F N C m H H A W ∞ 。 同 -A F N O M M + N H O ω + N H O m H 困 -H ∞ 。 M M + @ O H N H

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(21)

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(22)

マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究

l

解 明 と 批 判

l

四 0 財)に対する総需要は飽きとなる。次に社会的総消費(労働者及び資本家の消費)はむき ( U

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3

と な る 。 同様にして第二年度の場合においては、生産物に対する総需要は

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、社会的総消費は足。。、第三年度の場合においては、 前者は ω 認 。 、 後 者 は

58

時 と な る 。 かくして、社会的総消費は減少するどころか、第一年度においては

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、第二年度においては

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、第三年度においては 民 ω ω 時であるから、益々増大しているのである。更にまた社会的総消費は生産物に対する総需要と独立無関係であるどころか 各 年 度 と も 、 その内の凡そ白・雪渓の割合を占めている乙とがわかる。従って、 トウガンの結論は現実と遊離しているだけで なく、彼自身の表式とも背離しているのである。 生産財生産と消費財需要、或いは生産と消費とは決して無関係であり得ないという乙とは何人も否定し得ないであろう。ト ウガンはかかる関連を認識せずに無視したのは、 ﹁蓄積せよ、蓄積せよ/乙れがモ

i

ゼの言葉であり予言者たちの言葉であ ﹃勤勉は、節約によって蓄積される材料を提供する。﹄だから節約せよ、節約せよ即ち剰余価値または剰余生産物のう ちできるだけ大きな部分を資本に再転せよ/蓄積のための蓄積、生産のための生産、

l

乙の範式に於て古典派経済学は、プル ③

l

時代の歴史的使命を語ったのである﹂というマルクスの章句を文字通り解釈した乙とにあるまいか。 る

乙の点トウガンの次のような章句は、拡大再生産過程の均衡を維持して行くために、 ﹁蓄積のための蓄積、生産のための生 産﹂を強調しているかの如き感を呈している。﹁労賃は社会的所得の諸形成の一つである。しかるに機械は何等の所得にも関係 しない。故に機械による労働者の排除は、 それに照応する社会的所得の減少に等しい。生産手段によって表わされる資本部分 が大になれば大になるほど所得要素に転化される資本部分は小となる。社会的生産の額と、従って社会的富の額とは増加し、 社会的所得の額は相対的に(機械による労働者の排除が或る速度をもって行われる場合には絶対的にすら)減少する。けれど も何等生産物の過剰は現われない。ー何となれば、機械も労働者と同じくその作業の為に或る経済に費用を必要とするが故 に、生産手段の需要が消費財の需要に取って代るからである。もし例えば或る生産部門に於て機械が労働に代ったとすれば、

(23)

労働者用消費財の需要は乙れに応じて減退する。しかしその代りに、機械それ自身、及びすべての機械の維持に必要なもの即 ち燃料、石油等の需要はそれだけ増加する。結局商品の販路は減少せず、需要される生産物の性質の変化が起るだけである。 ⑬ かくして社会的所得の減少と同時に、社会的富(社会が使用し得る生産物の量によって現わされる)の増加が可能である﹂と。 資本の蓄積が増進されるならば、生産財需要増加│生産財生産の拡張│国民所得の増加│消費需要増加という現象が生じ、 生産は益々迂固化され、且つ生産の安定的均衡状態が形成されるというととは事実である(乙の均衡状態がいつ迄維持される 乙の逆の現象が生じ、迂回生産 かは問題であるが﹀。乙れと反対に、資本の蓄積が減退するならば、生産財需要も減退して、 過程は短縮化されるという乙ともまた事実である。 と乙ろで、トゥガシは上述せる再生産表式の分析から、恐慌の原因をどのように説明したであろうか。乙の点に関してトゥ ﹁一般的法則として、社会的生産が釣合よく配分されている場合には、消費の減退も消費需要の誠少

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も市場に於ては何等需要に対する供給の過剰を惹起しない﹂と。更に、﹁資本主義生産は巨大なる生産力を使用し、常にその 作り出す生産物の額を増加する傾向をもっ。しかし乙の生産物の売捌は社会的生産の均斉的配分なくしては不可能である。し ⑫ かるに資本主義は乙の釣合を実現せしめる何等の組織ももたない。乙の乙とから産業恐慌が起る﹂と主張している。即ちトゥ ガ シ は 次 の よ う に い う 。 ガシによれば、恐慌は社会的生産の釣合や均斉的配分の撹乱によってひき起されるというのである。ととろで﹁社会的生産が 釣合よく配分されている場合には、消費の誠退も消費需要の誠少も、市場に於ては何等需要に対する供給の過剰を惹起しな い﹂という論点か=りして、トゥガシは生産と消費との均衡という意味ではなくして、・単なる生産部門聞の均衡という意味にお い て 、 ﹁社会的生産が釣合よく配分されている場合には﹂とか﹁社会的生産の均斉的配分なくしては﹂とかを云々しているの で は な か ろ う か 。 とのように解釈し得るととは一点の疑もないであろう。何となれば、彼は更に他の箇所では恐慌の原因を次のように結論し マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究 │ 解 明 と 批 判

l

﹁資本主義経済に於ては、資本蓄積が生産拡張への不断の傾向を作り出す。資本は常にいわば生産を押し 四 一 て い る か ら で あ る 。

(24)

7 ル ク ス 恐 慌 選 論 の 研 究

l

解 明 と 批 判

l

四 進め絶えず生産を刺激する。けれども生産物が捌け得る為には、生産の均衡的配分がなければならない。しかるに資本主義経 済全体は混沌とし、組織を欠いている。 乙の組織の欠如と資本蓄積による生産拡張とが、生産過剰への永久的傾向を作り出 資本主義生産が瞬く聞に一般的麻痔状態に陥ることがある。 し、正当時に於てすら、資本主義の特徴をなす生産物売捌維や、生産力の不断の過剰として現われる。:::それが尖鋭化し、 ⑬ 乙のとき我々の所謂産業恐慌が起るのである﹂と。 かくしてトゥガシによれば、恐慌は資本主義経済社会の組織欠如、生産の均衡的配分の欠如、生産の無政府性や無計画性に よってひき起されるというのである。 だが、かかる原因によって恐慌が必然的に醸成されるとしても、 このことから如何にして恐慌の周期的・循環的発生の実情 を説明し得るであろうか。そ乙で、トゥガシは乙の点に鑑み、他の原因から説明しようとした。而して、彼の恐慌理論は景気 変動理論ないし景気循環理論たる色採を呈するに至ったのである。それでは、彼の理論はどのように変転して行くかを次に吟 味する乙とにしよう。 トゥガシは、景気の不況から回復への転換並びに好況から恐慌への転換をそれぞれ貸付資本の潤沢化と泊渇化とに求めたの である。先ず前者の場合については、トウガンは、不況が終未に近づくにつれて貸付資本が豊富になり、従って利子率が低下 するから、景気は回復に向うと主張する。即ち次のように述べている。 ﹁自由貸付資本は絶え間なく蓄積される。それは烈し い勢いで投下を求める O i -投下されざる資本は利子をもたない。それは資本の機能を全く果さない。その所有者にとって何 等の使用価値をもたない。かくの如き無活動の資本が多ければ多いほど、自由資本の生産的投下への圧力は益々強まらざるを 得ない。即ち一方では産業が資本で飽和しているのに、他方では新資本が絶えず増す努力を以って産業内に浸透しようと努め る。産業の抵抗が破れ、蓄積された貸付資本が投下口を見出して生産的資本に転化する時期が来なければならない。かくして ⑬ 新繁栄期が始まる﹂と。 貸出資本の潤沢化や利子率の低下は景気回復の一つの有力な原因である乙とは容易に首肯し得るが、しかし右の一節では疑

(25)

間が生じてくる。というのは、トゥガ y は、不況期においては貸付資本が潤沢佑し、且つ﹁投下されざる資本は利子をもたら さないから貸付資本家は資付を焦慮し狂奔して、 化に圧力をかけ、景気を回復に転化させると主張しているからである。だがどうして、利潤率の低い生産過剰蔓延の不況期に おいて、被貸付資本家は資本を借り入れ、投資を増大するであろうか。更にまた貸付資本家側においても、利子を取得する見 ﹁産業が資本で飽和している﹂にも拘らず、貸付資本から生産的資本への転 込みがないにも拘らず、貸付を焦慮するであろうか。トゥガジのかかる主張はやや空論の感を抱かせている。 貸付資本の潤沢化や利子率の低下は景気回復の第二義的或いは第三義的原因に過ぎない。何故ならば、利潤率が利子率を超 過しない限り、投資活動も生産活動も沈滞し、不況は長引くからである。景気が回復に向うためには在庫調整が行われ、生産 過剰が消滅化して行かなければならないのではなかろうか。 ところで、景気回復の原因を貸付資本の潤沢化(従ってまた利子率の低下)に求めたトウガンは、理論的一貫性を保つため に好況から恐慌への景気転換を貸付資本の酒渇に、従ってまた利子率の騰貴に求めたのである。即ち、 ﹁繁栄期の数年が経過 すると、以前に蓄積された資本は次第に消耗する。勿論社会的生産の拡張によって大量の新資本が作り出されはするが、それ は急速に市場に吸収される。けだし各企業家は好景気に乗ぜんと努めるであろうから、商品は販路を見出す。そして各企業家 はいやしくも彼が吸引しうる一切の資本を、自己の事業に投ぜんと努めるであろう。資本の全準備が利用し尽される。産業循 環のとの段階(繁栄期)の特徴たる信用の異常なる膨脹は資本の集約的投下を意味する。以前には貨幣所有者聞に強い競争が あり、貸付資本の供給が需要に超過したが、今や需要が供給に超過する。乙の期の終り頃に通常みられる割引率騰貴は、貸付 ⑮ 資本欠乏の確かな一徴候である。﹂ 更に他の箇所では、 ﹁生産の拡張は、貨幣市場におけるその蓄積が繁栄の原因であった自由貸付資本、自由可動購買力を吸 収する。例えば、 一鉄道が敷設される聞は、その敷設が巨大な商品需要を作り出す。しかし鉄道敷設は繁栄期におけると同じ 大きさで常に継続する乙とはできない。資本は欠乏するからである。 一八七三年の米閣の恐慌は、恐慌勃発の直接的原因が、 マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究

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解 明 と 批 判

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(26)

マ ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究

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解 明 と 批 判

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四 回 欧米貨幣市場で新鉄道債を起す乙との不可能性にあった乙とを示してい締﹂と。 トゥガシのいう如く、好況期においては貸付資本(広義には資金であろうが)が酒渇化し、従って利子率も騰貴する乙とは 経験的事実であるが、しかし乙の乙とは恐慌の直接的原因ではない。何故ならば、依然として利潤率が利子率を超過している 限り、必ずしも投資活動や生産活動が衰退するわけではないからである。概していえば、恐慌の直接的原因は、生産過剰の事 態が生じ、従って利潤率が急激に低下して行く乙と、 乙れである(更に立ち入った検討は後の機会に譲る)。 トゥガシは恐慌の原因を貸付資本の酒渇化、利子率の急騰の他に、信用膨脹の停止、投機熱の冷却に求めている。即ち彼に よれば﹁商品価格の騰貴と、繁栄がもたらす利益とは、信用膨脹と投機熱の刺激とを招かずにはおかない。世界市場の良好な 状態は必然的に投機熱を来さずにはおかない。大利益は、乙れを多量に飲めば、量も強健且つ理的な人の理性をも失わしめず ⑫ ぼやまない酒に似ている。:::信用膨脹と投機然は、信用崩壊とパァニツクとをもたらさずにおはかない。﹂ それでは何故であろうか。トゥガシは﹁信用は膨脹し得べきものではあるけれども、余りに膨脹せる信用は破壊をもって終 ⑬ らざるを得ない﹂というのみである。トゥガシの信用機構の分析は余りにもお組末である。 以上の如く、トゥガシは恐慌と回復の現象を貸付資本の酒渇化と潤沢化、信用膨脹と崩壊、投機熱の変化等々から説明しょ 乙の乙とは根本的には誤りではない。だが、トゥガシの理論の出発点と遊離していばであろうか。何故 ならば、彼は﹁恐慌の問題は、正当な販路の理論に基礎をおかなければ妥当的な解決をみる乙とができない﹂とし、更に﹁販

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路の問題を充分に解決するためには先ず資本蓄積過程の科学的分析を与えなければならない﹂として、再生産表式の分析と関 う と し た の で あ る 。 速させて恐慌理論を展開しようとしたのであるから。 ト ゥ ガ y は乙の点を回想して再び不均衡説をもち出したのである。即ち﹁繁栄期の聞に人々は社会の新固定資本を作り出 す。社会の全企業は特殊の配列を行う。即ち生産手段の生産が第一線に出る。鉄、機械、道具、船舶、建築物材料の生産は以 前よりも増大する。しかし遂には新固定資本は完成する。即ち新工場、新商会、新造船、新鉄道線などができ上る。しかしそ

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の後新企業はより帯になる。従って固定資本の構成要素たる材料に対する需要は縮る。けれどもかかる生産手段の生産は、彼 等の資本を彼等の企業から引き上げることができないし、他面文建物、機械その他の形式で用いている資本の重要さが、生産 の継続を余儀なくせしめる。:::故に生産手段の過剰生産が起る。各種の生産部門は相互に依存しているので、

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剰生産は一般的過剰生産に終る。商品価格は下落する。人々は一般的萎縮期に入るのである﹂と。 かくし、てトゥガシの理論は理路整然としておらず、首尾一貫していないといい得るであろう。 ① 冨

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n v 仲 間 国 恐 慌 史 論 ﹂ 日 本 評 論 社 版 、 昭 和 六 年 、 二 四 六 頁 ②鍵本訳、前掲書、二

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四 頁 ③鍵本訳、前掲書、二

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七 頁 ④鍵本訳、前掲書、二一一頁 ⑤鍵本訳、前掲替、二一七頁 ⑥鍵本訳、前掲書、二一五資 ⑦ 河 口 回 目 F d 匂

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白 骨 山 口 ロ 色 白 血 肉 名 目 円 白 r g N H ・ ③長谷部訳、前掲書、三七九頁 ①岡田ユ冨

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印 ・ ⑬鍵本訳、前掲書、二一五頁 ⑪鍵本訳、前掲書、二一七頁 ⑬鍵本訳、前掲書、二二

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頁 ⑬鍵本訳、前掲書、二四九頁 ⑬鍵本訳、前掲書、二六

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頁 ⑮鍵本訳、前掲書、二六一頁 ⑬鍵本訳、前拷書、二六三頁 ⑫鍵本訳、前掲書、二六三

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二 六 四 頁 乙の部分的過 。印町田国ロ島由 E r M 守 山 由 叩 ロ 宮 岡 田 町 刷 回 同 国 内 P H U E M -鍵 本 博 訳 ﹁ 長 長 谷 部 訳 ﹁ 資 本 蓄 検 論 ﹂ ・ 中 、 青 木 文 庫 版 、 三 七 四 頁 長 谷 部 訳 ﹁ 資 本 論 ﹂ 第 一 部 第 四 付 制 、 日 本 評 論 社 版 、 六 三 │ 六 四 頁 7 ル ク ス 恐 慌 理 論 の 研 究

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解明と批判

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四 五

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マルクス恐慌理論の研究│解明と批判│ 四 六 @ ⑫ ⑬ ⑬ 鍵本訳、前掲書、二六六頁 鍵本訳、前掲書、二四六頁 鍵本訳、前掲書、二

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一 二 頁 鍵本訳、前掲害、二六七頁

過少消費説と恐慌

第一節

カール・マルクスの過少消費説 古典学派の代表的経済学者たるセイ及びリカ

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ドォは、生産物は他の生産物と交換され、貨幣は単なる交換の媒介物に過ぎ ないとして、需要と供給とが必然的に一致すると説いた。 乙のように需要と供給とが必然的に一致するとすれば、 一般的過剰生産は起り得ないであろう。 リ カ

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ド ォ は い う 。 ﹁何人も消費する為、もしくは売却する為以外に生産を行うものではなく、市して彼は直接己にとって 有用であるか、或いは将来の生産に貢献し得ベき他の何れかの貨幣を購入する意図を以ってするの外、決して物を売却するも のではない。されば生産を行う乙とによって、彼は必然彼自身の財の消費者となるか、或いは誰か他人の財の購買者且つ消費 者となるかの何れかである。彼がその志すと乙ろの目的、即ち他の諸財を得るという目的を成就する為最も有利に生産し得る 貨物が何であるかを久しくよく知らずにおるという乙とは、想像すべからざるところである。従って彼が引き続き需要のない 貨物を生産するであろうという乙とは、起りそうもない乙とである。:::もし一個の年収十万務なる人に一万務が与えられた ならば、彼は之を庫中に閉鎖する乙とはせずして、 その支出を一万務だけ増加させるか、自ら之を生産的に使用するか、或い は同じ目的に供させる為之を誰か他人に貸付けるかするであろう。何れの場合に於ても、需要の目的物は異なっても、兎に角 需要は増加するであろう。もし乙の人がその支出を増加させたならば、彼の有効需要は、恐らく建物、家具又は何等かの乙の

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種の享楽に向うであろう。もしも乙の人がその一万礁を生産的に使用したならば、その有効需要は、新たな労働者を労働につ かしめるべき、食物、衣服及び原料に向うであろう。しかもなお、それは需要たる乙とを失わないであろう。 生産物は常に生産物又は勤労によって購買せられるものであって貨幣は単に交換を行う媒介物たるに過ぎないものである。 特定貨物が余りに多く生産され過ぎて、それに賛された資本を償わない程の供給過剰が市場に起るという乙とは有り得る。し かし ζ れは、凡ての貨物については有り得ないととである。穀物に対する需要は、之を食うべき口によって靴や上衣に対する 需要は、之を着用すべき人々によって制限される。しかし一つの社会、もしくは社会の一つの部分は、 その消費し得る限り、 文は消費せんと欲する限りの穀物や帽子や靴を有するという乙とが有り得るけれども、同じ乙とは自然もしくは技術によって 生産された一切

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ついてはいわれ得ないのである。或る人は、もしそれを獲得する能力がありさえすれば更に多くの葡 萄酒を消費するであろう﹂と。 いうまでもなく、かかる見解はいわゆる貨幣グェ

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ル観に立脚するものであり、且つケイシズの指摘した如く供給それ自ら 需要を創造するという見解(叛路説といわれる)に立脚するものである。 だがかかる見解は妥当ではない。何故ならば、生産物の生産者がその売上代金の全部を他の生産物或いは用役の購買のため ピ支出するという保証は必ずしも存在せず、販売と購買とは別個の過程だからである。換言すれば、かかる見解(販路説) の 誤謬は生産物の売上代金のすべてが購買力として発動すると考えた点にある。 一般的過剰生産の発生を否認したセイ及びリカ

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ドォに対して、同じく古典学流の代表的経済学者たる v v スモシディ及びマ ルサスはその発生を容認

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た。彼等は概していえば、所得分配関係から、資本制生産においては、生産(供給)が需要(消費) を超過する傾向にあると説いた点において、経済学に一大進歩をもたらしたのであるが、しかし需要を消費需要ハないしは消 費財 J に対する需要)と同意義的に解釈し、生産財に対する需要を等閑に付したきらいがある。彼等がかかる誤謬を冒した所以 は生産過程と流通過程の綜合としての再生産理論の認識不足に基ずくものではなかろうか。 マ ル ク ス 恐 慌 趨 論 の 研 究 │ 一 解 明 と 批 判

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函 七

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