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北九州市の国際環境協力と経験 (特集 地方自治体による国際環境協力)

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北九州市の国際環境協力と経験 (特集 地方自治体

による国際環境協力)

著者

内藤 英夫

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

235

ページ

21-22

発行年

2015-04

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00003229

(2)

21

  アジ研ワールド・トレンド No.235(2015. 5)

 

 

内藤

  英夫

  本稿は、北九州市の国際環境協 力について、友好都市の大連市で の取り組みから昨今大きな問題と なっている中国の大気環境改善事 業までをまとめたものである。本 市が都市間連携・協力によって、 ア ジ ア の 諸 都 市 と ど の よ う な 交 流・協力、さらにはビジネスを展 開してきたのか、筆者の体験を基 に記述したもので、ご参考になれ ばありがたい。なお、意見等は北 九州市を代表するものではないこ とを申し添えておく。   北九州市は九州の最も北にある 街である。一九〇一年官営八幡製 鐵所の操業から発展し、重化学工 業を主体とした素材型産業(鉄鋼、 化学、セメント・窯業、電力等) が特色になっている。素材型都市 であったことから一九五〇年代か ら一九八〇年代にかけて激甚な産 業公害を体験した。その経験を活 かして、一九八〇年代から国際環 境協力、北九州エコタウンの建設、 市民環境力の強化、さらには世界 の環境首都を目指すなどの環境政 策に取り組んできた。低炭素な街 づくりを目指した「環境モデル都 市」や新しい価値観の街づくりで ある「環境未来都市」に挑戦して いる。   本市の環境国際協力は一九八一 年 一 〇 月、 公 害 対 策 局( 現 環 境 局)職員三名を大連市に派遣し、 「 公 害 管 理 講 座 」 を 開 催 し た こ と が始まりである。しばらく環境の 交流は途切れたが、一九九三年、 友好都市締結一五周年事業として、 大連市で「北九州―大連技術セミ ナー」を開催した。本市から産学 官約五〇名の講師が参加し、我が 国の優れた環境保全技術や生産性 向上技術を紹介し、筆者も初めて の海外出張と環境交流を経験した。   さ ら に、 一 九 九 二 年、 ( 公 財 ) 北九州国際技術協力協会内に、K ITA環境協力センター(以下、 「環境協力センター」 )を設立し、 海外都市との環境協力事業に本格 的に取り組み始めた。当時もっと も大規模な事業は、日本の自治体 と し て 初 め て O D A を 活 用 し た 「 大 連 市 環 境 モ デ ル 地 区 整 備 計 画」に関する開発調査(一九九六 ~二〇〇〇年度)である。調査か ら円借款事業にまでつながったが、 市 内 企 業 が 絡 む ま で に は 至 ら な かった。二一世紀に入ると、国際 環境協力を取り巻く環境が大きく 変わり、より具体的な成果を求め ら れ る よ う に な っ た。 地 方 は 霞 ( 国 際 的 な 評 価 ) だ け で は 生 き て いけない。地域の活性化や発展、 引いては経済的な効果を求められ る よ う に な り、 「 交 流・ 協 力 か ら ビジネスへ」を合言葉に新たな挑 戦が開始された。しかし、当時、 社 会 も 企 業 も 内 需 指 向 で、 「 環 境」の切り口で海外事業へ乗り出 す市内企業は少なく、環境協力セ ンターと一緒に活動してくれる企 業はそれほどなかったが、活動を 通じて蓄積された経験は次の時代 の礎になったと思っている。   筆者は二〇〇〇年四月に環境協 力センターに赴任して以来、六年 間いろいろな協力事業に携わって きた。一番印象に残っているのは、 インドネシア・スラバヤ市で実施 し た 生 ご み の コ ン ポ ス ト 化 事 業 ( い わ ゆ る タ カ ク ラ 式 コ ン ポ ス ト)である。この事業は今日のイ ンドネシア事業に大きな影響を与 え た も の と 思 っ て い る。 カ ウ ン ターパート探しや資金繰り等で大 変苦労したが、協力事業の成功事 例と思っており、現在ではフィリ ピン・メトロセブにも広がり、花

地方自治体による

国際環境協力

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アジ研ワールド・トレンド No.235(2015. 5)  

22

を咲かせている。   どの途上国のどの都市に行って も、担当者などから是非「日本の 優れた環境技術や製品」を教えて 欲しい等、枕詞として必ずいわれ る。でも、最後の言葉は「高い」 であった。確かに、初期費用は高 いが、壊れにくく省エネでメンテ ナンス費用を含めトータルで考え る と 安 い と 説 明 し て も、 「 無 い 袖 は振れない」であった。日本の企 業や、市内の企業の技術や製品が どうすれば売れるのかずっと悩み 続けていた時代であった。   二年間この分野から離れていた が、二〇〇八年四月再挑戦の機会 が訪れた。日中政府間の覚書に基 づき、中国の資源循環型都市づく りに協力するもので、中国の青島 市や天津市と、廃家電や廃自動車 等のリサイクルビジネスを担当し た。この事業にかなりのめり込み、 四年間携わり、日本や中国のリサ イクル事業を勉強しながら、市内 企 業 の ビ ジ ネ ス チ ャ ン ス を う か がったが、ここでも厚い壁にぶち 当たってしまいうまくいかなかっ た。この経験は今の仕事に大きく 役立っている。   本 市 が 二 〇 〇 八 年 七 月、 「 環 境 モデル都市」に選定され、大きな 変動期を迎えることになった。本 市はアジア地域で二〇五〇年度ま でに一五〇%(二〇〇五年度市内 排出量比)の温室効果ガスを削減 することを目標に掲げ、その拠点 として「アジア低炭素化センター ( 以 下、 「 ア ジ 低 」) を、 二 〇 一 〇 年六月に設立した。アジ低が環境 ビジネスの最前線で様々な事業に チャレンジしている。   この四年半の間に、二〇名を超 える市職員が七九件の調査等の事 業に従事し、また関わった企業は 八一社(市内企業三九社)にのぼ り、海外の一二カ国・四五都市で 活動してきた。   環境ビジネスに関わって難しく 思うのは企業との付き合い方であ る。企業側に近づきすぎても、ま た離れ過ぎてもうまくいかない、 寄り添いつつもツキ離す絶妙なバ ランス感覚が必要である。また、 お上意識を捨て企業の方々と同じ 目線でしっかりコミュニケーショ ンがとれることも重要である。   長年廃棄物分野に関わってやっ と分かったことは、日本のリサイ クルシステムは素晴らしい、世界 でも引けを取らないと思っている。 しかし、そのシステムで使う機器 は日本製に限る必要はないと思う ようになった。むしろ日本製以外 である方が経済的で持続可能な経 営に繋がると思っている。これま で嫌っていた大陸育ちのドイツ製 品も捨てたものでないと思うよう になった。   海外に進出する企業はリスクを 覚悟すべきである。また、資金的 な支援を上手く繋げていくことも 大切である。しかし、二~三年真 剣に取り組んで目が出ない時は諦 めが肝心と思っている。自己資金 はビタ一文出さない、リスクを取 らない企業、また意思決定が遅い 企業は海外ビジネスをしない方が よいと思っている。   さて、筆者は現在、中国の大気 環境改善協力を担当している。大 気汚染、特に微小粒子状物質で成 果を短期間で出すことはほとんど 不可能と考えている。   相手都市の交流を進めながら、 本市企業のビジネスにどのように 繋 げ て い く の か、 ま た 眠 れ な い 日々を過ごすことになるのではと 思っている。   国際環境協力に関わって十数年 が経ち私にとってはラストチャン スと考えており、本成功事例を作 りたいと思っている。   私が関係したビジネスで成功し た事例はなく、失敗の連続である。 そういう筆者が書いたものとの前 提で読んで頂ければ幸いである。 ( な い と う   ひ で お / 北 九 州 市 環 境局環境国際担当部長) 堆肥化事業(提供:北九州市)

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