警察改革とコミュニティ・ポリシング (特集 南ア
フリカの経済・社会変容)
著者
阿部 利洋
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
206
ページ
34-37
発行年
2012-11
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00003833
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はじめに︱体制転換にとも
なう警察改革の要請
アパルトヘイト体制が終焉した とき、警察組織もまた変化しなけ ればならなくなった。警察活動の 定義は force から service へと転換 され 、組織名称は South African P olice ︵SAP︶から South Af-rican P olice Service ︵SAPS︶ へと変更された。 それまでの ﹁人々 を弾圧する組織﹂から﹁人々に敬 意を表される組織﹂へと変化する 必要性が訴えられたのである。 その後、真実和解委員会︵紛争 時の被害・加害を証言聴取と情報 公開を中心に取り扱う公的機関 。 裁判とは異なり罪責の確定は行わ ない︶の活動︵一九九六∼二〇〇 三年︶を通じて、アパルトヘイト 体制下の紛争と犠牲は 、﹁黒人と 白人﹂ 、﹁アパルトヘイト政府機関 と解放運動組織﹂との間のみなら ず 、﹁ 黒 人 活 動 家 と 黒 人 右 翼 ﹂、 ﹁コーサ系住民とズールー系住民﹂ との間においても生じており、そ こにSAPが協力や黙認の形で密 接に関与していたことも明らかに なった。SAPは、日々の不当な 弾圧を行うだけでなく、紛争の展 開に直接影響を与える当事者でも あったことが共通認識となったの である。このことは、新政府が警 察の組織改革と正当性改善へ向け て、元解放運動武装勢力の取り込 みや黒人職員の比率を高めるなど 独自の取り組みを行うことを要請 した。そうした取り組みのなかか ら本稿で注目するのが、コミュニ ティ・ポリシングと呼ばれる制度 である。 コミ ュ ニ テ ィ ・ ポ リ シ ン グ と は 、 大ま か に は ﹁ 地 域社会 の 成 員 が 治 安維持 の 能動的な ア ク タ ー と な る ﹂ 点 と ﹁警察組織 が 、 管轄地 域 に 対 して 協 力 関 係 の 構 築 に 努 め る ﹂ 点 を基本的な要件と する 活動 で あ り、 欧米社会 で は 行政 サ ー ビ ス の 効 率 化を 目指す 制度改革 の 流れ の な か で実 施され て きた 。 具 体 的 な 活 動 としては 、 警 察 と 連 携 し な が ら 地 域住 民 が 防犯 パ ト ロ ー ル を 行 っ た り、 警 察 側 が 治 安 に 関 す る 情 報 を 住民と 共 有し た り する動きなど が あげら れ る 。 南 ア フ リ カ で は 、 警 察改革 の 一 環と し て 一 九 九 四 年 の 新政府誕生 後 に 導 入 さ れ た 。 以下 、南アフリカにおけるコ ミュニティ・ポリシング導入の背 景と過程を整理したうえで、現場 での制度運用の実態に触れ、この 取り組みをめぐる特徴と課題を指 摘する。とりわけ、場合によって はリスクをともなう治安維持活動 に住民の自発的な関与を促す要因 が何であるのか、南アフリカに固 有の文脈から考察してみたい。●
コミュニティ
・ポリシング
制度導入の背景
南アフリカ社会の約八割を占め る黒人にとって、アパルトヘイト 体制下の警察とは 、﹁ 治安を維持 し、犯罪捜査に取り組み、市民の 安全を守る組織﹂の対極に位置す るものであった。全体主義体制や 植民地体制の下で共通して見られ るように、SAPの目的は﹁政治 体制の存続に不都合と思われる人 物・集団を取り締まる﹂こととさ れていた ︵参考文献②︶ 。このよ うな状況で通報その他の情報提供 を行う市民は稀であろう 。行政 サービスを提供する側として民主 化後の治安維持に取り組む組織に とって、こうした状況は改善され ねばならなかった。 また、暴力的な取り締まりの最 前線に立たされていた黒人警察官 は、弾圧対象とする地域住民や政 治グループの構成員よりも低い階 層から採用され、かつ出身地から 離れた地域で勤務させられていた ことが指摘されている 。﹁かつて のイギリス植民地政策の伝統、 ﹃よ そ者によそ者を取り締まらせろ﹄ が踏襲されていた﹂のである︵参 考文献③︶ 。この事実からは 、組 織の活動効率の向上のみならず 、南ア
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アパルトヘイト体制が持ち込んだ ﹁公務員不信﹂の構造を変化させ ることも警察改革に要請されてい た実態がうかがえる。 この問題に応えるため、新政府 は各警察署にコミュニティ・ポリ ス・フォーラム︵CPF︶を設置 し、コミュニティ・ポリシング活 動の拠点を全国に作った︵二〇一 〇年の時点で一一一四カ所︶ 。こ の制度は、警察署員と地域住民が 定期的に話し合い、地域における 警察活動に住民の視線が反映され ることを目的として始められた 。 一九九三年の暫定憲法で﹁すべて の警察署にCPFを設置するよ う﹂定められ、一九九四年から開 始された。一九九五年の南アフリ カ警察法では、 CPFの役割は ﹁警 察と地域住民の関係を促進するこ と﹂ 、﹁地域レベルの警察活動を住 民が監視すること﹂ 、﹁犯罪への対 応に 、地域住民を動員すること﹂ と規定された。 ﹁住 民 に よ る 警察 の 監 視﹂ と い う 表現 に 示 さ れ る よ う に 、 当 初は 、 アパ ルト ヘ イ ト 期 の 轍 を 踏 ま な い よう に 、 住民 側が オ ン ブ ズ マ ン 的 な役割を 果た す場と し て C P F は 期待 さ れ て い た 。 し か し 、 民主 化 後の 犯 罪 多 発 状 況 を 前 にして 、 警 察の 権 限 を 強 化 す る 傾 向 が 強 ま り、 コ ミ ュニ テ ィ ・ ポ リ シ ン グ に 対す る 政 策的な位置 づ けも変化 し てい く 。 一 九 九 四 年 の 実 施 開 始 後 、 活動 に お け る 住 民 の 能 動性 は 政 策 文書 に お い て は 徐 々 に 矮小化 さ れ 、 一 九 九 九 年にム ベ キ 政 権に 代 わ っ てか ら は 、 よ り 中 央 集 権 的 で 、 犯 罪と の 闘 い を 前面 に 押 し出す 警 察 政策 が 採 用 さ れ 、 政府 に よ る C P Fへの サ ポ ー ト は 後 退 し た 。 二 〇 〇〇 年 頃 ま で には 、 限 ら れ た 地 域 を除 い て C P F の 取り 組 み は下火 にな っ て し ま っ た 、 と いう 評 価 が 与 え ら れ た ︵ 参 考 文 献 ⑦ 、 ⑧ 、 ⑨ ︶ 。 しかし、その後CPFがカバー していた地域をさらに細分化し ︵﹁セクター ﹂の設定︶ 、その各セ クターに担当警察官を配備すると いうセクター・ポリシングが、警 察主導で推進されることになっ た。ここでは、アパルトヘイト期 の警察が示したような強権・越権 行為を監視するというCPF設置 の理念はすでに希薄になってお り、取り組みが後退したと見る向 きもあるだろう。その一方で、一 九九四年の民主化から一〇年近く が経過し、警察組織内部にも変化 が生じた点から、警察主導という 点はそれほど問題ではないとする 意見もある。たとえば職員の人種 比率は大幅に改善し、解放運動組 織出身あるいは女性の警察幹部が 誕生し、管轄地域に居住する警察 官が増える、 といった変化であり、 そのことは警察主導であることが 必ずしも抑圧的な関係に結びつく わけではない 、というのである 。 こうした点を考慮すれば 、セク ター ・ ポリシング ・ フォーラム︵S PF︶の設置は、CPFからの後 退なのではなく、CPFの活動を より効果的に展開するための次な るステップなのだ、ということに なる。
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何をしているか︱ヨハネス
ブルグの
CPF
=
SPF
を
中心に
ヨハネスブルグ市には二二のC PFが展開しているが、ヨハネス ブルグ警察のCPF広報資料によ れば、各々の活動内容には一定の 特徴を見出すことができる。まず 気づくのが、一九九〇年代後半に いったん下火となり、あるいは完 全に崩壊してしまった後、おおよ そ二〇〇〇年以降 、新たなリー ダーシップのもとで活動を発展さ せてきている、という傾向がみら れることである。また、いずれの 地域も、 ⒜﹁地元企業による献金 ・ 寄付を奨励﹂ 、 ⒝ ﹁警察署の建物 を改装・改修するための寄付金集 めを行う﹂ 、⒞﹁ ︵コンピュータの 活用など︶警察官のスキルアップ のための機会を設ける﹂ 、⒟ ﹁積 極的な活動を行った警察官を表彰 ︵たとえばヨハネスブルグのセン トラル地区では毎月の優秀警察官 への賞金が五〇〇ランド。ちなみ に警察官の給与月額平均は二〇〇 〇ランド︶ ﹂、さらに⒠﹁被害者支 援のNGO と連携﹂ 、 ⒡ ﹁ 地元の 学校へ出向いてドラッグ売買や児 童虐待に関する情報を提供するよ う呼びかけつつ、警察のイメージ 改善に努める﹂という活動指針を 共有している。 地元企業による支援について 、 ヨハネスブルグのクリーブランド CPF議長は﹁企業との結びつき なしには何もできない﹂といいき る 。 彼の前任者たちは 、﹁ CPF は住民組織﹂という意識が強すぎ たため、企業からの参加者をミー ティングに参加させなかったが 、 メンバーが制限され、十分な活動 資金も得られないことで活動は停 滞していた。しかし、 資金を集め、 それを警察官のスキルアップや警 察署の改修にあてることで、警察警察改革と コミュニティ・ポリシング
・ 事 例 ・ 、月一回の地区ミー ブラフ地区では、 。 ヨハネスブルグ ・ベノニのセク ター七︵ムスリム住民の多いファ アミア地区︶では、住民の六五% がCPFに登録しており 、メン バーは二〇〇人ほど。パトロール は朝二回、夜二回。時間帯は二一 ∼二四時、二三∼翌朝三時、一九 ∼二二時などランダムに決め、無 線で連絡を取り合いながらメン バー所有の車で担当エリアを巡回 する。オーランドの場合、五つの セクターに五人ずつ配置し、毎日 歩行パトロールをする。仕事のな い若者を集め、ズボンとジャケッ トを支給し、蛍光色のベストを着 せる。基本的には無給だが、CP Fは毎日スープやコーヒーを準備 し 、 チップをくれる住民もある 。 まずは挨拶の仕方から教え、調停 やコミュニケーション・スキルな どの研修を施し、なかにはこうし たパトロール・メンバーから巡査 長になった者もいるという。オー ランドで説明をしてくれたハウテ ン州CPF副議長 ︵四五歳︶も 、 もともとパトロール・メンバーか ら活動を始め、ブロック長、セク ター長、CPF議長とキャリアを 積み、 いまのポジションについた。 SPFシステム導入後の活動 は、警察側の説明責任とその機会 が制度化され、フォーラム開催と 意見交換が定期的に行われるよう になった点が、それ以前の活動か らの大きな変化である。住民側の 姿勢としては、地元の民間企業の 取り込みに積極的である点に着目 することができる。
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誰が主導するのか︱特徴と
課題
こうした活動に対する阻害要因 や課題としては 、﹁不十分な公的 支援﹂ 、﹁警察と地域の根深い対 立﹂ 、﹁自警団的な暴力組織への転 化﹂や﹁警察内部の意識改革がな かなか進まないこと﹂などのほか に 、﹁代表性の問題﹂が指摘され ている︵参考文献⑩︶ 。 代表性の問題とは、CPFメン バーがどの程度適切に地域住民を 代表しているのか、ということで ある。たとえば、CPF幹部を選 出する投票に、ごく限られた住民 しか出席しない場合 、そこで決 まった人物らは住民を代表してい るといえるのか、といった問題が 該当する 。ハウテン州では現在 、 法令により ﹁少なくとも三カ月間、 メンバーとして活動した経験を持 つ者が幹部選挙に立候補できる﹂ ことになっているが、二〇〇九年 までは﹁当該地域に居住または勤 務している者なら誰でも立候補で きた﹂ため、活動に不案内な者や 偏った意図を持つ者が﹁ CPFを 乗っ取る﹂可能性があった。また ﹁ CPFがローカル政治の舞台に ならないよう、政治家、あるいは 政治的な動機からCPFを利用し ようとする人物を幹部にしない﹂ とは、機能しているどのCPFで も説明されることであるが、必ず しもその警告が守られない場合も ある。一定の人数が金を払わずに 集められ、そこで自分の存在をア ピールでき、さらには自分の︵政 治的︶主張を聞かせることができ る。あるいは、事件が生じ、誰か の犠牲とともに現場が緊張した雰 囲気に包まれ、人々の感情が高揚 している状況がある。そこで、 ﹁こ の事件の捜査を警察に強く促した のはCPFリーダーの自分だ。次 の選挙では是非投票してもらいた い﹂と訴える自己宣伝が行われる 可能性がある 、というのである 。 CPFがそのようなローカル政治 の場になってしまえば、住民自治 や治安改善といった目的は二の次 にされてしまうだろう。 一方で、コミュニティ・ポリシ ング活動を主導する者の背景に特徴的な要素も見られる。CPFの 幹部として活動を促進している人 物には 、﹁かつてアフリカ民族会 議︵ANC︶メンバーとして政治 に関与していたが、現在は政治活 動からは距離を置いている﹂とい うケースがいくつか見られた。た とえばヨービルでは﹁党内政治に は疲れた﹂という、マンデラ政権 時代の元農業省高官がコミュニ ティ開発の一環としてCPFに力 を入れている。解放運動時に抱い ていた自治の理念を実現するため に自分にとって現実的な規模が 、 CPF の管轄範囲なのだという 。 ベノニCPFの議長は父親がAN Cの政治家であり、兄は国外亡命 する家庭に育ったが、自身は企業 家としてCPF 活動を再建した 。 同地域の副議長はANC女性連盟 に所属しているが、現在はむしろ CPFに活動の重心を移してい る 。ケープタウン近郊のマネン バーグでは、かつて統一民主戦線 ︵UDF︶の活動家だった人物が、 そのネットワークを活かしてCP Fを組織し、ハノーバー・パーク では 、カラードの元ANCメン バーが、現在のANC政府による アファーマティブ・アクション政 策に不満を持ちつつ、その動きに 反発するように、カラード集住地 区の自治活動・治安維持に取り組 んでいる。これらは、あくまで各 地で行われているCPFの事例の ごく一端でしかないが 、﹁誰がわ ざわざ時間とリスクを負って、自 発的な治安維持活動に参加するの か﹂というコミュニティ・ポリシ ングへの根本的な批判に対する反 証を、南アフリカに固有の形で示 している 。それは 、﹁ かつて政治 運動に関与していた人物で、今で は政治のメイン・ストリームから 離れた、あるいはそれに対して不 満を持つ、 さらにはコミュニティ ・ ベースでかつての理念を追求した いと考える人物らが、CPF活動 の中心的存在となる︵可能性があ る︶ ﹂というものである。 ︵あべ としひろ/大谷大学文学 部准教授︶ ︽参考文献︾ ① 阿部利洋 [二〇一二] ﹁紛争後 の治安回復︱南アフリカのコ ミュニティ ・ポリシング﹂ ︵佐 藤章編﹃紛争後国家形成︱アフ リカ・中東からの視角﹄アジア 経済研究所︶一三七︱一七一 ページ。 ② Brogden, Mike, and Preeti Nijhar 2005. Ap-proaches, Cullompton: Wil-lan Publishing. ③ Brogden, Mike, and Clifford Shearing 1993. , London and New Y ork : Routle d ge . ④ Burger , Johan 2007. Com-munity P olicing or Sector P olicing: P uzzling Develop-ments, (28 May 2007), http://www .iss.co.za/ pgcontent.php?UID=13509, 二〇一二年七月三〇日閲覧。 ⑤ Dixson, Bill, and Janine Rauch 2004. , ISS Monog raph 97, h ttp:// www .iss.co.za/pubs/Mono-g raphs/No97/Chap3.htm, 二 〇一二年七月三〇日閲覧。 ⑥ Maroga, Millicent 2003. T wo Sides of the Same Coin?: Sector P olicing and Community P olicing F o -rums, , 6, pp. 13-16. ⑦ P elser , Eric 1999. The Challenges of Community P olicing in South Africa, No. 42, http:// www .iss.co.za/Pubs/P a-pers/42/P aper42.html, 二 〇 一二年七月三〇日。 ⑧ P elser , Eric, Johann Schnetler , and Antoinette Louw 2002. ' ' , Pretoria: Institute
for Security Studies.
⑨ Rauch, Janine 2007. Crimi-nal Justice after Apartheid, in Charles T . Call ed., , W a shington D .C.: United States Institute of P eace Press, pp. 159-191. ⑩ Wisler , Dominique, and Ihekwoaba D . Onwudiwe 2007. Community P olicing: A Comparative V iew , , no.6, pp. 1-35, http://www . ipes.info/WPS/WPS%20 No%206.pdf, 二〇一二年七月 三〇日閲覧。