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「東南アジア経済開発に関する一考察」: 沖縄地域学リポジトリ

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(1)

Title

「東南アジア経済開発に関する一考察」

Author(s)

上里, 安正

Citation

沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 9(1): 117-153

Issue Date

1969-02-28

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/11004

(2)

「東南アジア経済開発に関する一考察」

上 里 安 正

目 次

1. はじめに …・・・………・・・……・・・・一………・・・・・・… 117 2. 低開発理論の類型 …・・・…....・H ・-…....・H ・...・H ・....・H ・-……・ 118

3

.

東南アジア経済開発と援助問題……....・H ・-…H ・H ・...・H ・..・

1

2

8

4. 東南アジア経済統合の要請…・…....・H ・....・H ・H ・H ・...…H ・H ・...140

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むすび ...・H ・..…・……H ・H ・-…・…・…....・H ・-…...・H ・....…-…・

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は じ め に

第二次大戦後、東南アジア諸国が、帝同主義諸国の椴民地的支配下から 開放され、政治的独立をかち得たことは、大きな歴史的事象である。しか し、これらの諸国が、長い間の植民地支配から開放され、経済自刃を達成 するためには、種々の多難な問題をかかえて経済開発計画を樹立しなけれ ばならなかった。それと同時に、世界生産力の不均衡は、必然的に国際貿 易の地域化を招来せしめた。 現代資本主義経済は、第一次大戦前のような先進国と低開発国との聞に おける国際貿易のパターンは失われ、低開発固における第一次生産物の交 易条件は、孫々悪佑していく傾向にある。国内貯蓄本の低い低開発諸国は、 経済開発に要する所要資金を、先進資本主義諸国や国際機闘による援助に 大きく期待しなければならない現状にある。第二次大戦後、社会主義セク ターの比重が大幅に増大したことは見のがすべ‘からざる事実であり、資本 主義的低開発諸国、特に東南アジアの場合には、ソ連や資本主義的先進悶 の経済援助の方法と性格、或はその効果如何によっては、何れの経済体制 に組して経済自立を逮成すれば良いのか選抗をせまられているような現状

(3)

「東南アヲア経済開発に関する一考察」 である。現在低開発国は世界人口の70% (共産圏を除く)を占めており、 その所得は四%に過ぎないといわれている。 しかも先進国との聞における経済的格差は、益々拡大しているという事実 を無視することは出来ない。更に現代資本主義経済は、工.930年代における ブロック経済とは異った地域主義を示しており、世界経済の均衡的発展を 計るためには、或は東南アジア諸国の経済自立を達成するためには、その 地域における経済統合が達成きれなければならない。 本稿においてはお60年以来、はなぱなしく展開された低開発理論との関 連において、特に経済援助と経済統合について総論的にまとめ、それらの 問題点を多面的にとらえたつもりであり、東南アジア経済開発に関する予 備的研究であることを、あらかじめ、ことわっておきたい。

2

.

低開発理論の類型

第二次大戦後低開発諸国は、何れの固においても経済開発計画を樹立し、 工業佑を目標にその計画が進められているが、インドや2、3の国を除い ては、ほとんど基礎産業に重点を置かなければならない現状にある。 低開発諸国が資本主議方式によって開発が行われるべきであるか、社会主 義方式によってなさるべきか、ぞれともインドのように議会政治を守りな (1) がら混合方式によって開発されるべきかが問題となる。更に、低開発諸国 が工業佑と農業特佑の何れを選ぶべきかという問題もあり、資本形成にし ても外資導入と園内資本蓄積の問題がある。低開発諸国は第一次生産物に よって、国際貿易の伸張を計らねばならず、工業佑計画は資本財輸入のた めに多大の外貨を必要とする。 そのためには叉、第一次生産物の輸出増加を計らねばならないのであり、 貧困の悪循環が支配している。資本蓄積率の低い低開発閣において、如何

(4)

-118-「東南アヲア経済開発に関する一考察」 なる方法によって経済開発が行われるべきかは重大な問題である。以│二の 諸種の問題を解決する方法としての理論は種々寄在するのであるが、まず 従来から行われている低開発珂論について概観してみなければならない。 (1)

開発理論の分類

現在主として、欧米の研究者や国速などの調査機関から発表されてい る、数多くの低開発理論については次の4つのグループに分類される。 (イ) 第 一 の グ1レ{プ 古典的な自由貿易を背景として、後進国の工業イむには消極的態度をとる ものである。従来からの国際分業と自由貿易の機能によって、多大の信頼 において、敢えて急速な経済発展ぞ意識的に遂行しようとする考え方につ いては、それが如何に安易であ li、利益も少ないものとみて批判的である ところから、経済発展の問題に関しては、反省さるべき点が教えられると しても、積栂的な提言は期待すべくもないような立場である。その代表者 としては、

J

・ヴァイナーがあげられら。 (ロ) 第 二 の グJレープ これは広い範囲にわたり主としてほ代経済理論の概念や分析用具による アプローチに基づいて、概して漸進的な工業佑、即ち労働集約的産業の開 発、資本集約的な技術の選担、偽装失業の活用による国内的資本形成の財 政金融政策の効果的運営や、企業の役割の重要性の力説などを特色として L、る。 ヌルクセの低開発国における資本形成や、マンデンパウムの初期の業績 「後進国の工業佑」及び国連の専門家家ク勺レープの包賠的な観告などその 例は数多い。これらは「発展の経済学│による分析や政策論であるが、そ の背景となっているケインズ流の経済理論は、本来先進開発国の中に発展

(5)

「県南アジア経済開発に関する一考察」 したものであるから、これをそのま h、後進国開発の問題に適用するのは 危険であるという批判もある。 付 第 三 の グ ル ー プ これは経済発展の政治的制度的機能を重視する立場である。その著しい 例はマルクス主義で、低開発園が未開発で賓閑なのは、帝国主義による搾 取と封建勢力による圧迫にあると論ぜられ、積極的にはソ連の先例になら って、低開発国の政治的独立、農地改革を始め、一連の徹底的な制度の変 草が重要視され、計四経済方式による軍佑学工業佑や、農業の集同佑など が主張される。これらは叉、そのような理論ないしは、イデオロギーの面 から古典的経済学や、近代経済学による開発理論には、根本的批判を持つ ていろことは云うまでもないの 伺 第 四 の グJレ{プ 社会学的アプローチをとるす.場で、その内容は多岐にわたっている。こ の立場の中には従来から、インド、インドネシア、アフリカ等の植民地問 題の研究に造詣が深く、低開発国の経済発展を計る前に、それらの地域に 特有の社会経済構造そのものを分析することを重視する人たちである。た とえば、アーサールイスは近代経済理論を十分にとり入れてはいるが、他 (2) の人々はより暦史的に制度的に、アジア的停滞を「二重経済

J

とか「多元 社会」と規定し、士事号民の社会と行動様式が、如伺に西欧世界とはち主化的 (3) 1乙、かけはなれているかを指摘する。 以上4つのグループの開発理論は、何れも一面的であり、これらの開発理 論の協業的理論の展開が必要とな九九 (2)

工 業 化 論

低開発国開発のための工業化が必要であるとする代表者は、シンガーとヌ

-

(6)

120-「東南アジア経済開発に関する一考察」 ルクセである。ヌルクセの見解では、 「需要が非弾力的で、静態的な第一 次商品に特殊佑し、その輸出をおし進めることは、長期的発展にとって有 利な方法ではなく、一般に未加工の食料及ぴ原料に対する需要の価格弾力 性が、 lより小さいと仮定するならば、低開発国の経済的成長は、大部分 園内市場向けの生産増加の形をとるべきだと結論することも、叉当然のよ (4) うに思う」と述ぺている。 ヴァイナー、ブキャナン、エリスが比較生産費説による分業を理論の中心 においており、そうした理論の現実的結果としては、先進国の工業特化、 後進国の農業特佑に対し、ヌルクセは明らかに低開発国の工業佑を認める のである。ヌルクセは自給自足の経済を認めるのではなく、その点につい ては右のように述ぺている。

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比較的優位の度合は変佑しがちである。早 まった結論が時々、静憩的分析から引き出される。自国市場のために生産 する工業を建設しようとしている低開発国は、自給自足国家へ向っている ことがよくある。しかし、市場の大きさは固定されたものではない。たと えばある数の靴を年々消費し、その一部分を輸入している園が、今一年間 に同じ数量の靴を生産する。国内製靴工業を建設しようとする場合、その 国は靴に関しては、自給自足になりつつあると結論しでも差支えないよう に見える。しかし新しい製靴工業が全般的成長過程の一部であれば、そ

d

国の靴の市場は十倍に増加し、従ってその国の輸入は零にまで切下げられ (5) るどころか、かえって増加するかも知れない。比較生産費説による低開発 国の農業特化論や、工9世紀の国際分業論に対して、ヌルクセの理論は低開 発国の工業イじを主張している。その理由は、第ーに、 20世紀的段階におい ては、資本主義的先進国の工業の重点は、すでに重工業に移行しており、 低開発国の軽工業の発展は、必ずしも、先進国の利益に反しなくなったこ とを意味している。第二に、その工業化が長期間抑圧されていた低開発固 においても、漸次工業佑のきぎしがみえ、それに伴って勃興し始めた民族 運動が、もはや先進国の力をもってしては圧し得なくなったことを意味し

(7)

「東南アヲア経済開発に関する一考察」 ている。軽工業中心の工業化方式を主張するヌルクセの理論は、後進国を 先進国の重工業製品の市場として確保しようとする、いわゆる先進国の利 益においてなされているという批判もあろのしかし、最早や古典的国際分 業論による先進国の工業特佑、低開発闘における農業特佑は、必然的に低 開発国を従属的植民地支配の状態にとどめるものであり、低開発国は漸次 了.業化によって経済自立を達成すべきであろう。 (3)

資 本 蓄 積

低開発園開発のための資本蓄積には、国内資本の蓄積と、外資導入がある。 ブキャナン、 アンド、 エリスは、低開発国においては生活水準が低いの で、圏内貯蓄による資本の形成は困難で、外資導入が必要であるという理 論には費成せず、開発に必要な資本は、まず国内で調達されるべきである ということが原則であるが、どのようにして悶内資本の形成を行うべきか については、特別に変った理論は示していない。しかし外資導入も認める ことは認めるけれども、第二次大戦後の現実から、その大量の資本形成に は非観的であり、結局間内資本の形成に頼らぎるを得ないという見解に立 っている。ヌルクセの見解によればマルクスのいう資本の原始的蓄積を低 開発において行うことが可能であるとする。 即ち、一方において資本主義経済の前提となるべき自由なる労働力を作り だし、他方において生産を把握すべき資本を作りだすことを示している。 即ち人口過剰な低開発国においては農村の中に潜在的失業者がおり、これ らの潜在的失業者は「生産的」労働者によって扶養されているのであるか ら、この潜在失業者を農村からとりだし、工業イじのための労働力tとするこ (6) とによって貯蓄は生産的資本となるというのが論旨の力点である。しかし ヌルクセは知何に工業イちを達成するかについては具体的方法を示していな い。従ってヌルクセの資本形成の理論に対しては、各方面から多くの批判 が起った。ヌルクセは低開発国の経済開発に当つての外資の役割を重く見

122

(8)

-「東南アヲア経済開発に関する一考察」 ず、国内資本の形成を重視し、低開発国の原始的蓄積を主張する。このよ うな古典的な解答だけでは、第二次大戦後における低開発理論の根拠を十 分に説明し得ないとし、松井教授は第二次大戦後とくに旺盛となった低開 発理論の歴史的背景について、次のように要約して問題の所在を明らかに している。 仔) 第二次大戦後事情の変イじがあったとはいえ先進国がその商品及ぴ資本 の輸出市場として、低開発固に利害関係を持っていることは変りがない。 だが第二次世界大戦後の世界資木宅義の全般的危機の深佑、資本主義的世 界経済体制の解体は、多くの資本主義諸国をして、為替管理方式を採るべ く余儀なからしめ、各国の通貨の自由交換性が阻害されている。そのため に、費本輸入国から輸出悶へ利子の支払、元本の償還に不安があり、この ことが民間資本の国際移動ぞ妨げている。先進国が低開発国に資本を輸出 することによって、低開発国を開発すろことが困難であるとするならば、 低開発問の内部における資本の形成、市場開発の方策を考えることにな る。 伊) かくして先進国の工業、低開発国の農業の聞に国際分業が成立し、先 進国が低開発国の開発、とりわけその工業佑は先進国の利益に衝突した。 しかし先進国における工業佑の重心が、次第に消費財工業から生産財工業 に移行した独占資本主轟段階では、低開発国の工業佑は、必ずしも先進国 の利益に反しないばかりか、反対に先進国の生産財工業の市場を拡大す る。第二次大戦後、民族独立運動が激化し、先進国としても最早や、これ を抑圧することは不可能となり、能う限り自らの利益を害しないような形 で、民旗資本の形成を促進するという態度をとらぎるを得なくなって lき fこ。 り 独占資本主義諸国における経済の軍事佑は、軍需品の輸出市場と考え られる限り、その工業佑少なくとも、消費財産業の育成は、必ずしも先進 国の利益と衝突しない。 むしろ低開発国が開発され、その国民所得が増大することは、担税能力を

(9)

「東南アヲア経済開発に関する一考察」 引上げ、軍需品に対する購買力をますことになる。 伺 ソピエト同盟が強佑せられ、人民民主主義国のみならず、資本主義世 界に対しでも経済協力の手をさしのべている。その諸条件は低開発固にと ってきわめて有利なものである。したがって、これへの対抗上、資本主義 的先進国も自らの利益を少々犠牲にしても、低開発園の開発を採りあげぎ (7) るを得ない。 後進国の資本形成について多くの人々は、圏内資本の形成に重点をおいて いる。その具体的例として、先進国の経済発展や日本の原始的蓄積過程を 引き出すのであるが、現実においては、第一次生産物の輸出市場の不安定 性と食糧、消費財の不足による物価騰貴などは、原始的蓄積を否定し、逆に 外資導入による経済援助が要求されるのである。即ち、資本財輸入のため に、第一次生産物の輸出という強制貯蓄の計画のもとにおいても、資本主 義世界市場における第一次生産物の需要の減退と価格下落によって原始的 (8) 蓄積を不可能にしているのである。低開発理論は

1

9

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0

年代において、多く の学者によって展開されたのであるが、低開発国における開発効果が少な い所から、開発理論は四回年代に入ってからは、

1

9

6

0

年代の

1

0

年聞に見ら れたような展開はみられなかったが、

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ロストウの歴史学の立場におけ る五段階説とテイクオフの理論および

1

9

6

6

年のミントの業績による、低開 発の多様性と特殊性の発見への努力と、その上に立って問題の本質をとら え従来の開発論を追求して、包括的に考察しているその効果は高く評価し (9) なければならない。 ロストウは各国の経済の歴史、そしてある場合には諸地域の経済の腫史 をも一組の成長段階の形に分解することが可能であり、必要であるとし て、このような成長段階が経済成長に関する一つの理論を構成すると共 に、 「近代史全般に関する一つのより一般的な理論を構成する

J

と信じて いる。被はすべての社会を経済の観点から次の範時のいずれかにあるとみ ている。(1)伝統的社会

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(2)離陸のための先行条件期

-124

(10)

「東南アジア経済開発に関する一考察」 (Preconditions for take off)(3)離陸 (takeoff)(4)成熟への前進 driue to maturity)(5)大象消費時代(ageof high m回sconsum

ρ

tion)。ロス トウの問題意識は各社会は共産主義社会へ進んで行きつつあるのか、それ とも高度大象消費社会=資本主義的「福祉国家」へ向っているのかであ る。そしてロストウにとって答は与えられている。すなわちこれを低開発 国問題に適用すれば、低開発国は賢明に開発問題に取り組むならば資本主 義へ向って進むであろうし、また資本主義国が歩んだ道を通って開発すべ ( 10) きであるということになる。 ロストウは明らかにマルクス主義の批判の上に理論を展開している。たと えばロシアや中国のようなかつての低開発国において「共産主義

J

がなぜ 勝利をしめたのであるか。ロストウによればそれは誤りであった。という のは共産主義は「過渡期の病気」であるからである。すなわち共産主輔が 勝利を収めるのはその経済的効果の故ではなく、 「権利行使の技術として の共産主義が恐るべき力をもつものであるから」であり、とくに「離陸が (11) いまだ達成されない低開発固においてそうである。」しかし、ラ・ミント はロストウの五段階説がきわめてばくせーんとしたものであると批判し、離 陸以前の段階にある開発途上国経済を歴史的発展にもとずいて、それぞれ (12) 異ったモデツレで分析することの必要性を主張する。 低開発国の新しい計画の多くは、経済成長モデルの形式にのっとって立て られている。 物質的進歩の主要局面ないし決定要因の若干について、特殊の一般佑の可 能性を否定するわけではないが、しかし、実際には形式的な成長モデルも、 そして叉「成長段階説

J:

L

全社会の長期の発展にたいする説明ないし予 測にどれだけ役に立っか疑問である。 このことに関するパワーの考えをここでとりあげてみるならば、被は成長 モデルを全面的に否定するものではないけれども、低開発経済の多様性、 そこにおける種々の要因の錯綜などに十分な注意をはらい、したがって成

(11)

「東南アヲア経済開発に関する一考察」 長モデルのいとも単純に割り切ったドン・キホーテ式やりくちを斥けると 味に、一方において成長段階説の大ぶろしき的やりくちもとらず、その方 ( 1司 法と部分性の認識を主張する。 ポンネのいうように低開発国の新工業地帯で実際に自に映ずるものは、先 進国から移植された、きわめて近代的な設備と技術である。しかし一歩農 村に足をふみ入れると、伝統的社会が、しかも原始的共同社会の形態をそ のまま温害している事実を目撃するであろう。低開発国ではそのような社 日 司 会が、国によっては人口の

80%

を占めている。 かくして純粋経済学的アプローチ

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反対するク'ループの多く一一

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ブー ケ、

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フランケル、

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ファーニパル等ーーは社会学的接近法を展開し、 文

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パランは経済開発理論は純粋経済学の領域をこえて、政治経済学でな 閥 ければならないと主張する。 以上低開発理論について検討したのであるがロストウの成長理論は、低開 発国を如何に早く離陸させるかということについて論じられていない所に 難点が見出される。今後の低開発理論は近代経済学的アプローチ、政治経 済学的アプローチ、社会学的アプローチの折衷的なものでなければならな い。即ち従来の低開発理論の協同作業が必要であろう。更に、古典的な自 由貿易を背景とした、いわゆる国際分業による先進国の工業特佑、低開発 国の農業特イちを主張する理論は、今や適用しないのである。何故ならば、 大部分の低開発固においては第一次生産物貿易が先進国の需要条件に左右 されるからである。それと同時に重大なことは世界最大の貿易国であるア メリカにおいて、工業国に対しては第一次生産物の輸出者であり、低開発 固に対しては工業製品の輸出国であるということである。第一次生産物を 停滞せしめている他の大きな理由は、先進国における重要原料の自給佑の 向上である。従来、先進工業国は低開発国の手工業を破壊して、自らの商 品市場とし、これら諸国を安価な原料及ぴ食料供給固にっくりかえ、搾取 的経済政策をとってきたことは明白な事実であり、低開発国が経済自立の

-126

(12)

「東南アジア経済開発に関する一考察」 目標を工業化におくのも必然的結果である。 低開発諸国の経済開発が資本主義方式、社会主義方式、その伺れによって 達成すべきであるか、たまたま問題になるが、東南アジア諸国においては 混合方式によろ経済開発計画を樹立すべきであり、工業生産の国営佑と、 一連の農地改革をすることによって、その地域の後進性を打破し経済開発 を促進することが可能であろう。しかし、低開発国の工業佑のための資本 財輸入は、第一次生産物の輸出に支えられており、従って工業佑は逆に第 一次生産物貿易を助長しなければならないという悪循環を生むのである。 従って低開発国の国内資本形成に重点をおくヌルクセの理論も、現代資本 主議世界経済構造ヒ、その枠内で採用されるとすれば、種々の難問題に直 面せぎるを得ないでみろう。 圏内資本蓄積率の低い低開発諸国、特に東南アジアにおいては、工業化計 画による経済開発所要資金を先進国や国際機関からの援助によらねばなら ない。しからば、東南アジアの経済開発に要する所要資金と国際機関、ア メリカその他の経済援助と問題点について次章において考察してみること にする。 必(1) 現在混合方式を係っている国は、インド、ピルマ、エヲプトの四ヶ国であ る。乙のうちでも混合方式による重工業重点の計画が実施されているのは、 民族工業の発展度の高いインドのみである。 これらの国々は第二次大戦後 政治的独立を達成したとは云え、今なお基本的には輸出入に依存する、原 料供給国である。 現代資本主義講座第五巻79頁 (創 アジアの経済の後進的特質や停滞的構造の解明に当って独自の理論的見解 を提示した人にプーケ(J

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博士がいる。彼はアヲアの社会経済構 造を二重経済叉は二元社会と呼ぶ。 アヲア経済年鏡 (1966年)66頁 (3)松井清著世界経済の理論的諮問題

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頁 (4) ヌルクセ著土屋六郎訳 「後進国における資本形成の諸問題

J

33頁 (5) 前掲脅 ヌルクセ箸 34頁

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-127-「東南アヲア経済開発に関する一考察

J

(6) 前掲書ヌルクセ著

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頁 (7)松井清著 「世界経済の理論的諮問題」

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頁 (的有沢広巳編 現代資本論講座第五巻

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頁 (9) 原覚夫著 「世界経済の変革と発展」

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頁 側水田博、名和献三編 「国際経済論」

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頁 (11) 前掲書

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頁 聞 大 西 昭 著 「低開発国の経済開発」

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頁 (13)原覚天著前掲書

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頁 回 前 掲 書

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頁 聞 大 西 岡 著 前 掲 書

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東南アジア経済開発と援助問題

東南アヲア諸国が第二次大戦後政治的独立を達成すると共に、殆んどす べての国が前後して、なんらかの経済開発計画の作成にのり

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ごしたが、イ ギリスはこれらの各国の開発計画を自己の主催する、コロンボプランのな 謹(1) かに結ひ'つけることに成功したのであるが、コロンボ計画加盟国の開発計 画中、産業全般にわたる公私両部門の資金支出計画を含む、最も合理的な 計画をたてるのがインドであるが、そのインドの計画を含め、すべての国 の計画が農業開発、謹瓶計画、およびそれと結びついた発電計画等に重点 をおき、工業に対する投資は、きわめて微々たるものであった。 これはこれらの国々が急速な工業佑を望んでも、必要な資金や機械設備、 技術要員のすべての点で先進国の助力にまたねばならず、その結果先進国 の要求に屈せまるを得なかったのであるが、そればかりではなく、当時各 国の農業生産は極度に低下し、貧しい外貨の中から大幅食糧輸入のために きかねばならなかった。だが、これらの諸国においては、益々進行してい

128

(14)

-「東南アヲア経済開発に関する一考察

J

た農業危機を阻止し、農業生産力の発展を計ることは、単に外貨危機に対 処するためでなく、圏内市場を拡げ工業イちを推進し、植民地的な従属経済 から脱するための根本条件であり、そのためには漕瓶事業を押し進め、農 業技術の改善普及を計ると共に、根本的には徹底した土地改良を行い、封 (2) 建的な土地所有関係をとりのぞくことが必要であった。他方これらの諸国 は社会主義的工業佑を成功複に実現している中国との接触がたかまり、 19 64年頃からソビ、エ卜をはじめとする、社会主義諸国から経済開発に対する 協力の提案によって、国際状勢の発展が全〈新しい要因をもたらし、東南 アジア諸国の経済発展の努力に、あたらしい目標と展望を与えるようにな ったことは否定しがたい。 東南アヲア諸国は、圏内活動の大部分がごく限られた数種の第一次生産物 に依害しているために、いわゆる植民地的モノカルチャー的経済構造を持 っているために、国際市場におけるこれら第一次生産物の動向によって、 経済の好況、不況が大きく左右される。 工.968年に東南アツア諸国が見舞われた経済的困難も、1969年の第四、四半期 から始まったアメリカ経済の後退、及ぴそれにひき続く西ヨーロッパ諸国 の景気後退、ないし成長率の鋪佑による第一次生物に対する需要の誠退、 ならびに価格低落によってもたらされた貿易の不振が直接の主因となって (3) L

T

こ。 更にこの貿易の不振が、その原因として、輸出額の減少は、輸出数量の減 少よりもむしろ第一次商品の輸出価格の下落によるところが大きかったこ とが指摘される。 東南アツア諸国の経済開発は工業化に比較的重点をおいている固と、依然 として農業に大きな比重をおいている国とに分けられる。 インドは地域内で最も工業に重点をおいており、第二次五ヶ年計画草案に 際して、国土開発評議会は「社会主義社会に関する政策決定の具体的表現 を含むように起草さるべきであることを決定」しており、その重工業重点

(15)

「東南アヲア経済開発に関する一考察」 (4) の方式が明らかにされた。 インドに次いで重工業に重点をおいている国はフィリピンで工955年から59 年にいたる五ヶ年計画では、開発計画に対する政府部門投資の38.4%、民 間の開発資金の21.7%が工業化に対する投資である。 東南アジアではこの

2

国を除く、他のほとんどの国の計画はすべて農業重 点の計画である。東南アジア諸国の経済開発計画が、規模や性格等におい て、それぞれ異っており、開発の経済的社会的条件も、ひいては発展の速 (5) 度にも相違がある。アジア諸国における国際資本移動については、一般に その傾向として次の点が指摘される。即ち 付戦前 t乙較べて戦後は政府聞の借款ないし贈与の形をとる、ア~ア地域 への資本の流れが増大したこと。 同 アヲア地域とその他の地域との聞の民間資本の流れが著しく減少した こと。 東南アジア地域諸国が経済開発を遂行するための条件のーっとして、先進 国による経済および技術援助があげられる。 若しこれらの援助が受益出来ないとするならば、東南アジア諸国の年間の 資本形成は、人口一人あたり4弗程度にとどまり、中国で現在行われてい る額の3分のlにとどまるものと推定されている。 東南アジア諸国では自発的貯蓄は、金融機関の発達が遅れている関係もあ って、国民所得の工%にすぎないといわれている。 叉先進国で見られるような民間会社の社円保留による蓄積も、民間企業の 発達が初歩的な段階にあるために、ほとんど期待し得ない状態にある。そ のことは国民大多数が文盲であり、しかも生容線以下の貧窮状態にあるミ とを示している。つまり、そこでは貧困の悪循環を断ち切るために、先進 (6) 国の援助に大きな期待がかけられている。 ところで、東南アジア諸国の経済開発に必要とする外貨がどのくらいにな

130

(16)

-「東南アヲア経済開発に関する一考察」 るであろうか。その前に先ずアヲア地域の経済発展に必要とされる最低妥 当な年聞の資金は、どの位であり、実際の計画において予定されている所 要資金と、それがどの程度のひらきがあるかという点についてみる必要が ある。 アツアの最低妥当な開発所要資金については、

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1

1

9

5

4

年経済概 観」は一つの推定を行っている。 それによれば、アジア地域の一人当り所得を年2 %引上げるための所要資 金は、仮にこの地域の一人当り国民所得をl∞ドルとし、人口の増加を1.6 とすれば、初期において人口一人当り国民所得の9 %、即ち 9 ドル必要で ある。この計画を人口 6億4CXXJ万の東アジア地域(アフガニスタンと香港 を除くその南方地方)だけについてみると、その総額は57億印∞千万ドJレ となる. ところで東南アジア諸国のそれぞれの開発計画は、年間凡そ34.2億ドルで 人口一人当りにすると約

5

.

4

ドルとなっている。 即ち一人当りの国民所得を2%引上げるために必要とされる資金として、 想定された金額と比較すると、年間総額23.4億ドル少なく一人当りでは3 分の

2

にみたない少なきである。実際の投資はこれよりはるかに低いもの とみなければならない。 東南アジアにおける開発所要資金の規模の小さきは中固に比べるとその差 は大きいといわれる。東南アジア(中園、朝鮮、台湾を除く)の年間所要資 金は50億ドルと見積られている。これに対して域内の資本蓄積は、約20億 ドル以下と推定されており、先進諸国から30億ドル以上の援助を必要とし ている。 しかるに戦後の外国資本援助の実績は、平均して11億 ド ル 程 度 に す ぎ な い。一般に東南アジア諸国を通じて技術援助はかなり進歩したが、金融、 (7) 資本財の援助は期待された額を下まわっている。低開発地域全体の援助額 は65年に始めてl∞ 億 ドJレを記録しているが、東南アジア諸国は援助総額

(17)

「東南アヲア経済開発に関する一考察J (8} では、低開発国の中で最も大きいが、一人当り

3

.

1

ドルに過ぎない。 しからば東南アジア諸国やその他の低開発諸国に対して、国際機関、アメ リカその他の先進諸国による経済援助額がどの程度なされているかをみる と同時に、その問題点について考察してみようn (1 ) 国 際 機 関 に よ る 低 開 発 援 助 国際機関による低開発援助は世銀グループ=世界銀行 (1 B R D)、第二 世銀(IDA)、国際金融公社(1F C)=と地域的機関=(米州開発銀行 (1

DB)

EEC

海外諸国および属領開発基金

(EDF)

、アフリカ開発 銀行 (ADB)があり、技術援助機関としては国際連合によるもの=通常 擾助計画 (RPTA)、拡大技術援助計画 (EP T A)、国連特別基金 (U

N

SF)=

と地域的機関=米州機構(o

AS)=

がある。 世銀は70億ドルの貸付を行い、中南米25億ド、Jレ、アツア34億ドル、アフリ カロ億ドル、第二世銀は

5

億ドル、

IFC

8

3

0

0

万ドノレ、 太西洋共同体 のラテンアメリカ開発夕、ループ (ADELA)は、 4

0∞万ドJレの資本投 (9) 下を行っている。 国際機関の主流をなす世界銀行の低開発諸国への長期貸出は、 収) 貸出が借入国の投資計画案基準で行われるために、低開発国側に信用 供与に値する十分な計画案が希少である点や、 (ロ)私的資本を導入するために、コマーシャルベースに基いた良好な信用 状態の維持や、輸入国側の政府ゃ中央銀行の保証能力が重視されると いう点で、小規模な範囲に限定されてきた。 そのために低開発国側から世銀に対して、計画案基準の変更、審査の厳格 さの緩和や、貸出の贈与による援助への切換え等の要請がなされ批判が強 日0) まっている。 この目的を盛り込んで

1

9

6

0

9

月に、世界銀行の活動を補見する意味で、

132

(18)

-「東南アジア経済開発に関する一考察」 低開発国向けの第二世銀が発足した。当初資金は

1

0

億ドルであった。その 貸出に対しては審査基準の緩和、貸出利率の引下げ、現地通貨での返済が 認められている。 IDAと同様、世銀の姉妹機関として低開発諸国の生産 的民間企業の発展のための、長期貸出を目的とする国際金融公社

(

1F

C)

が、授権資本工億ドルで

1

9

5

6

7

月に設立された。貸出は無担保で行われ 危険性の大きな新事業に対して行われる。これら世銀を中心とする国際機 関は、

L

イ) 各国の開発見通しについての経済調査を行い、 (ロ) 開発問題を研究するための専門家を派遣し、 付協定取決めの援蹟を行い、

t

三)技術者を保充し、 (ホ) 経済開発研究機闘を運営する等、 Ull 低開発固に対する貢献度は大きいが、低開発諸国の資金需要に応じうるだ けの出資能力に欠けているため、今後の費金抵充と積極的な活動が要望さ れる。

1

9

6

0

年末におけるアジア地域(パキスタン以東)諸国に対する世銀借款は、

1

1

億ドルをこえ世銀の払込資本金は

1

9

5

9

年に、倍額の

1

9

3

億ドルとなり、 きわめて高く評価されながら、きびしい償還条件と開発計画の審査が、 資本不足に悩む多数の低開発国の要望に寛大にこたえてくれなかったのは ( 1目 、 事実である。世銀や第二世銀以外の国際機関の東南アジアに対する援助は 資金的に弱小であり、現在程度の貸付条件をもってしては、加盟国に対す るクレツット要求を満たすことは不可能であるo世銀やその他の国際投資 機関は、低開発国の真の経済発展に役立つものでなければならないにもか かわらず、世銀の貸付の利率は、年平均4.5%から 5 %以上の利率になっ ているのに対し、ソ連圏諸国の低開発諸国に対する開発資金の貸付条件 は、きわめて寛大で、利率も年平均2%であり、低開発地域の経済自立に 役立つ基礎産業部面に対する重点的融資であるため、世界銀行の加盟国か

(19)

「東南アヨァ経済開発に関する一考察」 ら、同銀行の長期低利の貸付条件の再検討が要望されるのは当然であろう。 (2) ア メ リ カ そ の 他 の 低 開 発 援 助 戦後アメリカの対外援助の代表的なケースとしては、ヨーロッパの戦後復 興を助けたマーシャルフ。ランによるものが第ーにあげられる。しかし、こ のような先進国向けの援助は、 1951年には停止されてしまった。 他方低開発国に対するアメリカの援助は、低開発国の消費財不足を補充す る余剰農産物の供給と、国務省の国際協力局 (1CA)による低開発固に 与えられる直接援助が、代表的なものとしてあげられる。 後者は朝鮮、台湾、ベトナムなど自由主義諸国の一環としての肪衛の負担 が、その国の経済力に比して過大と認られる低開発固に対するもので、補 間 足的資本援助なしの技術援助か、叉は資本援助の形態ぞとっている。 戦後アメリカの行った対外援助(公的贈与、借款)は、工945年7月から 19 62年までに総額では約9∞億ドルに達し、期聞を通じでほぼ民間資本の2倍 をこえる規模をもっていた。これらの対外援助は形態的には軍事援助と経 済援助の二つをもっており、内容的には贈与と借款に分れる。 このような大規模な援助は、いうまでもなく第二次大戦後における資本主 義体制の危機の深さと同時に、このような危機に対する指導的勢力として の、アメリカの対応の形態の特殊性を物語るものであった。 これらの援助と性格と役割は、第ーには戦後における資本主義の回復と復 興ーなかんずく西ヨーロッパ、日本=を助けると共に、アメリカを中核と する反共軍事体制の全世界的な広がりにおける構築と防衛、つまり資本主 義支配体制の維持一それは同時にアメリカ市場闇の維持と拡大を意味する が=に重要な役割を演ずるものであったことである。 同時にそれは後進国とソピエト圏との関連の密接化に対抗し、自己の体制 の中に囲い込む(他面では社会主義封じこめ)機能を持っていたことであ 仕掛 る。

134

(20)

-「東南アヲア経済開発に関する一考察」 アメリカの対外援助は

1

9

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8

-52

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月までに

1

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億ドル、工

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年一

6

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年 に

2

2

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億ドルで、先進諸国の経済援助の

49%(

1

9

5

6

52%

5

7

54%

5

8

50%

5

9

46%

、印年

48%

6

1

51%)

を占めており、 地域別には工∞ ケ固に

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るうち、インド、パキスタン、エジプト、韓国、ブラジル、南ペ、 トナムが大口で、

6

2

年の約半分がこの

7

ヶ固に向けられて居り、アジア

4

8

%、ラテンアメリカ

22% (

1

9

4

6

-1956

年には

6%)

、 ヨーロッパ

9 %

で U5) あって、ヨーロッパが低下し、ラテンアメリカが増大している。 東南アジアの貿易収支は輸出の伸び悩みに対し、輸入需要の上伸から慣常 的な赤字がつづいている。しかも民間資本の流入がきわめて低水準にある ことから、これら地域がそれだけ公的資本の移動に依存せぎるを得ない状 況にあることは明白である。 東南アジアに対するアメリカの援助額が、中南米、中近東などに較べ圧倒 的に多額に上っているのも、ひとつにはこのような状祝によるものであろ う。しかし、アメリカの公的資本の配分は、経済的考慮のみならず政治的 配慮からも影響されることはいうまでもない。 軍事援助がその典型的な例であり、戦後東南アジア諸国の受け入れたアメ リカの援助額のうち

43%

は軍事援助であり、しかもこれを除いた経済援助 も大部分が国際協力局

(

1CA)

の防衛支持援助によるものであり、その 自国 内容はきわめて軍事的色彩が強い。 尚アメリカその他の先進諸国の低開発固に対する経済援助の推移はお

6

5

年 において、アヲア地域に対する比率は

46%

で、これらの先進国からの援助 は低開発諸国の開発に大きく寄与してきたが、その半面援助に伴う低開発 国の対外債務の累積は、東南アジアやラテンアメリカを中心1

.

r

6

5

年には総 額で400億ドルとなり、叉傾向的に見ても増大している。 その結果元利の 支払いは

6

4

年には

5

0

億ドルという巨額に達し、接助額の相当部分が返済に 当てられている。 このような債務が債務をよぶ悪循環は、最近低開発固に新たな問題をなげ

135

(21)

-「東南アジア経済開発に関する一考察」 且胃 かけている。 アメリカその他の先進国からの低開発国に対する援助は巨額に達するが、 真に低開発国の経済自立を達成出来るような開発効果があっ

T

こかどうか疑 問である。

E

S

メイソンも「対外援助と外交政策」という彼の著書の中 日却 で「開発委員会 (DAC)の全加盟国は、記録の上では紐付きでない援助 を支持しているが、援助はそれが実行可能である限り、ほとんどすべて組 付き援助であると思って真違いないと思う。これらは勿論対外援助が予想 もしなかった方面から、しばしば圏内的支持を受けている理由の一つであ る。とは

h

、え、これは紐付き援助の理由が何であるにせよ、疑いもなく受 入国に対する援助ドルの平均価値を減少させることになる。 この減価額を推定することは困難である。また紐付きの影響も大いに異っ ている。しかし発電気産業および運輸設備の競争入札に関する世界銀行の 経験は、国によって買付コストに大きな差異のあることを物語っている。 受入れ固に対する輸送選恨の制限もやはり紐付きの一つであろう。」とい っている。更に、公表された援助の数量について減額して考えねばならな ( 1 明 いということは、おそらく次のように考えられるであろう。 付) 報告書における誇張と重復計算 (ロ) 財による援助および輸送選訳における割高価格の問題 け債務残高の上昇による利子、元金支払いの急増による援助の受取の 急減 ( 司 余剰農産物援助l乙伴う他の輸出国への不利益と、自国農業生産に対 する自助努力の停滞。 先進資本主義諸国の特にアメリカの低開発国に対する経済援助は、パイア メリカン主義、即ち市場拡大主義的な性格をもっているので、援助額が巨 額にもか〉わらず、低開発国側からそれほど好感を持たれていないことは 否定出来ない。 内 九 日 ・

(22)

下東南ア~ア経済開発に関する一考察」 事実カンポヲアに対する経済援助は、アメリカの比重が大きかったが、羽 田 年11月にアメリカの援助の受入れを拒否して以来、フランスおよびソ 盟国 速、中共等共産圏諸国の援助が増加している。 カンポヲアがアメリカの援助を拒否したのもかかる事実によるものであ る。

1

9

6

1

3

2

2

日アメリカのケネディ大統領は、議会に提出した海外援 助特別教書において、アメリカの低開発援助があまり効果をおきめていな い所から反省を詩み、新しい援助方式が打ち出されはしたが、今なお営利 主義的な経済援助方式を採用している所に問題があるのではないかと思 う。

1

9

6

0

年までは低開発固に対する援助は、ほとんどアメリカによってな されていたが、

1

9

6

8

年以降アメリカの国際収支の悪化、金準備の蹴少によ って、アメリカのドル防衛政策がとられ、同時に西欧先進国や日本などに 対して、低開発園援助の肩代りが要請され、従来のアメリカ中心型援助から 国際協調的援助へ移行してきつつあるが、これら先進諸国が自国の営利関 係に終始した開発援助が行われるならば問題はなお深刻なものとなろう。 (3) ア メ リ カ の 民 間 投 資 先進諸国による低開発固に対する民間投資の大部分は、アメリカの民間投 資が大きな比重を占めている。羽田年末におけるアメリカの東南アヲアに 対する民間海外投資残高は、8億1

800ドJレで総投資残高に占める比重は、 わずかに

2

.

7

0/0と海外地域のうちで最低の比率を示している。 しかも東南アジア諸国のうち、アメリカの旧植民地であるフィリピンに対 する投資がほぼ半数を占めており、また羽田年から

1

9

6

9

年にかけての民間 t . !O 海外投資残高の増加割合においても

2.9%

といちじるしく低い。 したがって東南アヲアに対するアメリカの民間投資は徹々たるものに過ぎ ない。 67年に援助額の400/0を超えていた民間投資は、アメリカ、イギリス、フラ ンスなどの誠少によって64年には低下した。

(23)

下東南アジア経済開発に関する一考察」 64年の民間投資の多くは、ラテンアメリカ (7億 わ り や 、 ア フ リ カ (5 億ドル)、中近東(1.2億ドル)など、所得水準の比較的高い国や、工業国 と密接な関係を持っている地域、石油などの戦略的な鉱産資源が賦与する 地域などに主として向けられており、東南アジア (2.2億ドル)は低開発 圏全体の四%を占めるに過ぎない。 これを傾向的に見ると印年代に入ってからは、各低開発地域とも減少傾向 にある。これは先進国にくらべて低開発国の投資環境が、相対的に悪化し ていることを意味している。つまり低開発固に特有な市場の挟臨性が大き な障害になりかけており、さらにエネルギーや交通網を中心とした産業基 盤の立ち遅れは資本コストを高め、また輸入原材料に対する輸税の賦課、外 貨規制にもとづく原材料や部品の供給難、高金利などが生産コストを工業 国に比べ割高にしている。 このような要因が低開発固に対する民間資本の流入を阻んでいるとみるこ とが出来る。 叉東南アヲアの場合には、このような経済的要因に加えて、政情不安や根 強い経済的ナショナリズムなどの要因から、民間資本は手控えられている 闘 傾向にある。 外国民間投資は東南アヲアに対する外国資本援助と共に、その地域におけ る資本供給の不足をおぎない、さらに通貨均衡の維持を計る面におい

τ

重 要であるが、以上のように東南アヲアに対する民間資本の流入の減退の理 由は文元利返済の不安やその他種々存在するのであるが、このような傾向 は戦前とは大いに異なる所である。 したがって東南アジアその他の低開発固に対する公的資本不足をカバーす るためには、国連保証のもとに民間資本を吸収し、これを効果的に経済開 発に利用出来るような機関、いわゆる民間資本間接投資機闘を設立し、民 間資本の偏向的フローを是正すべく努めることが必要であろう。 以上東南アツア経済開発の所要資金と経済援助の状視について検討したの

138

(24)

-「東南þ-~ア経済開発に関する一考察」 であるが、東南アジアの経済開発所要資金と経済援助額との聞には約30億 ドルのギャップがある。 このギャップをうめ合すためには、先進国或いは国際機関の援助増額を計 る の も 必 要 で あ る が 、 資 本 吸 収 能 力 に つ い て も 考 慮 さ れ な け れ ば な ら な い。更に重要なことは、東南アジアの総合経済開発計画の下に、外貨の有 効利用資源の有効な開発を促進するという意味において、その地域におけ る清算同盟を設立し、その地域における異質生産工業の育成による域内経 済交流を計り、経済統合を達成すべきである。次章において経済統合の問 題について検討してみることにしよう。 詮

(

1

) 1

9

4

5

年以後はパキスタンから東の全国家が、中国を除いて加盟国となった。

1

9

5

0

年以来準加盟国となったマラヤとシンガポールは

1

9

5

7

年、

5

9

年に正式 に加盟国となった。 市川泰治郎著 「アメリカ低開発援助の構造J

2

0

7

頁 (勧 「現代資本主義講座」第五巻 280頁

(

3

)

世界経済白書

1

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5

9

3

3

9

頁 (4)経済企画庁海外調査局編 「世界経済の現勢

J

2

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5

頁 (5) ア少ア協会繍 「アヲアの経済開発

J

3

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(

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)

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アヲア政治経済年鑑

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(7)前 掲 書 経 済 年 鑑

8

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頁 (例経済企画庁繍前掲書

1

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年 (9)川口弘、 111合一郎編 「金融論議座」 第四巻

2

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頁 仰1)

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間 前 掲 書

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頁 間 高 木 健 次 郎 繍 「先進諸国の対アヲア経済協力J 89頁 白書

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(25)

「東南アヲア経済開発に関する一考察」 '(14)• JII回弘、,

1

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1

合ー郎穏 前掲寄

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頁 間 前 提 書

2

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6)高木健次郎編一前掲寄

1

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間 経 済 企 画 庁 編 「世界経済白書

J1

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、年・

1

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頁 ( 1目 DAC.“Developementassistance commit.tee" 0 E C Dの下部機関とし て、低開発国の開発援助問題を専門3こ吸3委員会。構成メンバーはアメリ カ、イギリス、カナダ、イタリア、ポルトガル、ノルウェー、 日本の

1

1

ヶ 国とEEC

( 1曲 原 覚 天 著 「世界経済の変革と発展

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貰 開通商産業省貿易振興局 「経済協力の現状と問題点

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貰 倒 高 木 健 次 郎 編 前 掲 害 154頁 働 経 済 企 画 庁 繍 前 掲 書

1

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.

東南アジア経済統合の要請

モノカルチャー的経済構造を持つ低開発国の圏内貯蓄率は低いので、必 然的に外資援助を必要としていることは明らかであるが、先進諸国による 経済援助がそれほど効果を示さないとするならば、如何なる経済開発計画 を樹立すれば良いのか、低開発国開発の問題については、世界経済構造上 の点から考察されなければならない。両大戦聞における世界経済は、第一 次大戦前の状態、即ちイギリスを中心とした金本位制度に復帰することで あったが、第一次大戦によるヨーロッパ諸国の破壊とアメリカへの金の偏 在等に相伴って、第一次大戦後に復帰した金本位制度も間もなく崩壊し去 るにいたった。 1920年代における資本主義経済は比較的安定していたので あるが、 1930年代に入るや各国は独自の経済政策を行い、平価切下競争と 保護貿易政策によって国際貿易は縮少し、国際流動性を困難にしたのであ る。

-H

O

(26)

「東南アヲア経済開発に関する一考察」 第二次大戦末期において、戦後における国際通貨安定と国際自由貿易の達 成を計ることぞ目的として、 1946年に成立したのが国際通貨基金IMF (l

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であり、その姉妹機関として出来上った のが国際復興開発銀行ー1B R D (1:世

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であった。 国際通貨基金は金本位制度の欠点を補い、国際貿易における一時的不均衡 の場合に、加盟国に対する国際短期資金の供与機関であり、国際復興開発 銀行は戦争によって破壊された諸国の戦後復興を計り、低開発地域の資源 開発と生活水準の向上を計り、国際経済の基礎的不均衡を是正しようとす る。 即ち第二次大戦後における世界経済の動向は、両機闘を通じて国際協調的 に均衡的発展を計らんとする。両機関はグローパルな自由貿易を主眼とし ているのであるが、戦争によって破壊されたヨーロッパ諸国は、いちじる しいドル不足によって、世界経済に参与することが出来なかった。 そこで、マーシャJレプランによる欧州経済協力機構(0

E

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C)

が48年

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(2) 設立され、

OEEC

諸国の経済は漸次発展していった。 1969年工月、ドイツ、フランス、イタリアとベネルックス3国の6ヶ国に よる共同市場が発足し、周年11月には自由貿易連合が成立し、欧州大陸市 場が分裂するにいたったのであるが、共同市場と自由貿易連合が、今後相提 携して一つの市場を形成していくかどうかは注目されなければならない。 1968年自由交換性回復を行った西ヨーロッパ諸国は、その後いちじるしい 経済発展を示し、現在ではドル過剰であるとさえいわれている。けれども、 東南アツア諸国やその他の低開発固においては、いまだにドル不足は解消 されていない。第二次大戦後における資本主義世界は、1930年代とは異った 地域化を示しているが、このような経済ブロックから外れた低開発国は、 益々経済発展の諸条件が悪佑していくものとみなければならないであろ う。世界経済が均衡的発展をとげるためには、基礎的不均衡の是正、すな

141

(27)

-「東南アジア経済開発に関する一考察」 わち、低開発国の経済開発を重点的に推進する必要があるけれども、世界 経済における基礎的不均衡を是正するための長期金融機関としての世界銀 行は、低開発国の援助資金を貸付けるに十分な資力を持合せていないこと は前述した通りである。

r

戦後の混乱期とドル不足の激しかった時期にお いて、

IMF

IBRD

が創業して以来、その秩序化に努め国際協力を推 進してきたことは、大きな役割を果してきたといえる。しかし、

IMF

の 場合にはその制度上、機能上の点で問題が多く、アメリカの意志どうりに (3) 基金の運営が行われるといっても過言ではない。」 国際通貨基金に対しては、その生成期においても、否定的な批判を下した ものは多々あるが、その代表的なものはウィリアムズ教授である。彼はこ のような多角貿易における多角決済機構は現実的ではなく、理組的形態を 追いすぎているものであり、国際経済の調整は低開発固に対する戦後措置 を行い、漸進的に段階を踏んでいかなければならないのであって、

IMF

は時期尚早である。即ち国際決済の調整は長期的通貨安定計画と、戦後過 渡的措置、いわゆる教済とか復興の問題について解決していかなければな らないが、戦後過渡期における中心問題は、円滑な通貨交換機構の確立で はなく、信用と贈与であり、叉その貸与であって自主的危回復力を失った 各国民経済が、このような援助により自立と安定をとりもどしたときにお (4) いて始めて、一般的な通貨機構が提起きれて然るべきである。

J

このような観点から彼は

IMF

に対しては消極的な態度をとり、むしろ

I

BRD

に重点をおき、更に

IMF

に期待される機能の一部をも

IBRD

に 附加し、ヨーロッバ諸国や低開発国の経済復興が急務であることを主張し たのである。 ウィリアムズ教授が

IBRD

を重視し、戦後の過渡的措置や、低開発国の 開発計画に重点を置いていたことは正当な解釈であったといわねばならな い。国際経済の均衡的発展を計るためには、各国の或は地域聞の生産力と 貿易の均衡が必要である。

- 1

4

2

(28)

「策南アヲア経済開発に関する一考察」 ウィリアムズ教授は自由貿易、自由為替を目的とする多角決済機構たる

I

MF

は、世界経済が或程度の均衡を保っている時にのみ、はじめて機能す るものであると主張すると同時に、国際経済が補完的作用によって均衡を 回復するためには、世界が平等な経済力を持つ国々によって構成されるこ とを前提として、はじめて可能であり、したがって世界経済の不均等発展 を是正するためには、アメリカ等と対等な立場で競争出来る経済単位を発 (5) 展せしめることであると主張する。 か〉る経済単位を形成するためには、ブロック経済的な西ヨーロッパ共同 市場の如く域内市場を拡大し、自給力を高めると同時に、国際競争力を増 大させ、安定した経済発展と生活水準の向上を計らねばならない。 しかるに、西ヨーロッパ共同市場が、いちじるしい経済発展をとげている 今日、小国分立した東南アヲア諸国の経済統合が要請され、当然に論究さ れるべき理由は以上の事実と理論によって明らかであろう。 東南アジア経済統合を実現せしめるためには、域内経済協力が十分に行わ れなければならない。従ってアヲア地域における経済協力の推移と現状に ついて分析してみることにしよう。第二次大戦後の世界経済の動向は、グ ローパJレな構題、理念によるものであり、そのなかにはリ{ジョナリズム

(

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いわゆる地域主義的な要素はほとんど入っていなかった が、世界経済の動向は次第に、必ずしもグローパルな考え方だけでは処理 出来ない動きが現実につぎつぎおこっている。 第ーには連合国の聞で米ソの対立が次第に明らかとなり、世界は東西両陣 営に分裂する傾向を示していったことである。 更に世界経済の有力メンバーであるヨーロッパ諸国が、きわだって地域的 な動きを示しはじめ、

IMF

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は、これを追認する結果を生ぜしめたことであるが、それは これら機構の本来の性格とは明らかに矛盾するものであった。そして、そ のような追認は今日までしだいに積み重ねられてきている。たとえば関税

(29)

「東南ア~ア経済開発に関する一考察」 同盟の設立を、それが将来相互間の関税撤廃を前提としている場合なら、 さしっかえないとして承認していることなども、見方によっては「原則と 現実の妥協」といえよう。

EEC

の誕生もそのような地域主義を示すものであり、それがグローパル な立場に立つ

IMF

GATT

のプリンシプルと矛盾する面を持つとして も現実的には承認せぎるを得ないであろう。叉1960年2月にモンテピデオ (6) 条約によって成立した中南米自由貿易地域

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に関する協定も、やがては中南米諸国における関税撤廃 をめぎすーっのリージョナルな動きである。しかし、こうした現象は、そ れらが根強い現実の動きであるならば、変則的なものと見るよりも、むし ろ、現在の世界経済自体に地域的なアプローチが要請されるような、何ら かの原因が内在するものとして検討してみる必要があるように思われる。 いずれにせよ、 「経済的地域主義」は、いまや戦後世界の現実的動向であ (7) ると考えることが出来る。以上のような世界経済の状勢から近年、アジア 地域における経済協力の問題がクローズアップしてきた。アジア地域の経 済協力が必要であることには、やはりそれだけの理由がある。これはアジ アにとっての受動的要因と主体的要因によるものとに分けて考えられるで あろう。 まず受動的要因としては、世界経済の動向が経済的地域主義の方向をとり つ〉あるところから刺激されたということである。 すなわち(a)、ヨーロッパにおける

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の発展、

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、ラテンアメリカにお ける、自由貿易地域の発足、 (cl、アフリカの新興独立諸国聞における地域 (8) 的経済協力の動き、 (dl、共産圏諸国における、

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を通じての国際分業体制の進展等の 動きなどが、いずれも刺激的要素として作用しているといえよう。 さらに主体的要因として、アジア諸国が経済建設途上の種々の制約を打破 してみようとする現実的要請が地域協力を志向する必要性を生みだしつh

-

(30)

144-「東南アヲア経済開発に関する一考察J あることである。次に主体的要因としては、 (1) 独立後の困難な民族主義的統一の過程を経て、ようやくアヲア諸国で は、自国の経済発展の問題にその重点がおかれるようになってきたこ と、それに伴って国際経済関係の重要性に気づき始めたこと。 (2) 世界貿易の観点にたつとき、アアジ。諸国は従来第一次生産物の生 産、輸出国であったが、今やその受入国である主要輸入国は共同市場 というかたちでの経済統合をすすめているのに、生産国がぱらぱらの ま〉では、これに対抗するパーゲーニング、パワーを強イじすることが 出来ないという自覚が生じてきていること。 (3) 経済単位の工業を建設するためにも、地域協力が必要になってくるこ と。すなわち人口が数百万から3千万程度の中小国では、国内市場の みでは狭陸にすぎるため、経済単位の工業を建設することがむずかし L。、 (4) 数年前に経済企画庁で行なった貿易結合度の計算によっても、地理的 に近い国々の聞では一般に結合度の指数が大きい。これも地域的協力 (9) の可能性を示すー要素となっている。 間 以上のような状況下において、アツア開発銀行(AsianDevelopement Ba -nk

ADB)が1965年3月のエカフェ総会で設立を決議され、同年11月のマ ニラ閣僚会議で、本部所地をマニラに決めると共に設立協定が正式に採摂 され、 66年11月東京で創立総会を聞いた後、周年11月マニラのマカチで正 式に開業した。アツア経済協力の構想のもとに設立されたアジア開発銀行 は、参加国聞の貿易取引の自由佑、拡大佑をねらいとすると同時に、アヲ ア的低開発諸国、即ち東南ア::;;ア諸国に対する開発援助を主たる目的とし ているのであるが、それは主としてアメリカ、日本を始め先進諸国の資本 援助、技術援助を内容としている。東南アジア諸国における域内経済の開 発計画に対して経済援助を与えるという点においては、従来の経済援助方 式と大差がなく、資金的にも限界があるために、今後どの程度の開発効果

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(31)

-「東南アヲア経済開発に関する一考察」 を発揮することが出来るか注目に値するであろう。 こhで問題になるのは、低開発諸国に対する経済協力の規模或は経済協力 必要額の供与国聞の分担、および供与能力についても、種々の問題が害す るのであるが、経済協力の受入国への回分ないし債務支払能力、吸収能力 も非常に復雑な問題になっている。一見すれば経済協力はいくらでも与え られるだけ、受入国は受入可能と思われるけれどもそれは正しくない。経 済協力が完全な贈与でない限り、元利の返済がその受入額に限界を与える とともに、実際にそれだけの経済協力を生産と結びつけることが出来るか も重要な条件である。供与国側も無限に経済協力を行うことが出来ず、経 済協力を与えるに際して低開発国側の自助 (self-helt)が要請されている。 そして経済発展、生産増大に結ひeつくように経済協力の供与の条件とし て、低開発固に実行可能な経済開発計画の寄在、作成を求めることが多く

1) なってきている。 このことは資本援助のみでなく、技術援助の外に行政指導、技術教育、文 佑の普及、留学制度の確立等の必要性を示すものである。 いづれにせよ、東南アジア諸国においては、世界経済構造上、地域的経済 統合を達成すべきであることはすでに述べた通りであるが、そのために は、東南アヲア諸国は、各国の個々の経済開発計画ではなくて、地域的な 綜合経済開発計画を樹立する必要があろう。何故ならば、アヲア低開発地 域

1

4

ヶ国を合計した経済規模は、日本経済一国とほぼ同じくらいになろ う。このことはアジア低開発地域の小国群に分裂した個別的圏内市場が狭 陸であり、これらの諸国が独自の国家開発計画にしたがって、工業化計画 を押し進めてゆくさいの、園内市場の制約がいかに大きいかを示唆してい る。したがって当該地域諸国の協力関係を基礎にした、地域総合開発計画 立案の必要性が認識されよう。地域計画立案にさいしては、域内諸国の計 画を相互調整する必要があるから、超国家的機関、実際的には

ECAFE

(12) のような国連機関がその任に当ることが望ましい。しからば東南アジア諸

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