市川秀之・武田俊輔編『長浜曳山祭の過去と現在──祭礼と芸能継承のダイナミズム』(おうみ学術出版会 2017年)
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(2) 書 評. さに、それこそが、本書のタイトルにある祭礼と芸能継承のダイナミズムの本質なのであ る。他にも、本書は、地元公立大学である滋賀県立大学の地域貢献の成果であり、同学部、 大学院で学んだ卒業生がその執筆者に並んでいることも特筆すべきことと思われる。 さて、従来の祭礼研究は、地域の共同性が祭礼によっていかに構築されたのかを問うてい た。第八章で述べられているように、祭礼研究は、地域社会の再生や共同性・関係性の構築 を強調する「予定調和的な偏り」に陥ることを避けなければならない。しかしながら、それ は、祭礼研究と都市研究を分離して議論するということではなかろう。地域社会学的観点か らすれば、祭礼の担い手や組織を、その地方都市の社会構造や変動のなかに位置づけて分析 する必要性を感じる。 舞台である長浜市は、今では他の地方都市から視察が途絶えない、まちづくり会社による 中心市街地再生の成功事例として、 「黒壁」で有名な都市である。この間、曳山祭の外の舞 台そのものが大きく変容しているのである。 「黒壁」を巡るまちづくり研究には、矢部によ る一連の分析があるが、長浜市の中心市街地再生過程は、 「生態学的には、 『黒壁』という新 興勢力による、 「山組(商店街)」の文化的経済的中心部分独占地区への侵入過程」として解 釈できるとし、その原動力は、 「都市中心部の同質化状態から異質性を内包することによっ て生じたダイナミズム」であるとしている。現在の長浜のまちづくりでは、多くの店舗が、 「地権者」から土地を借り受け、 『黒壁』が仲介し、土地の所有と利用を分離させ、利用者が 新たな担い手として活躍している。そのことが長浜の中心市街地を活性化させている。その ような舞台の変化は祭にどのような影響を与えているのか。利用者が地縁により祭の担い手 となっていくことで、将来的に地権者のボリュームを超えることになるのか。また、祭の持 つ閉鎖性より、開放性やクリエイティビティという特性がまちづくりそのものにいかなる影 響を与えるのか。その相互作用はいかなるものか。市川氏が「長浜曳山祭と黒壁スクエアは 現在の長浜を特徴づける両輪とでもいうべき存在である」と言われるが、現在のまちづくり と曳山祭の関係についての分析はなされていない。都市祭礼における社会関係を分析しなが ら、一方で、地方都市の構造変動を同時に捉えれば、それらを予定調和にならずにとらえる ことができるのではないか。例えば、第二章において、山組が祭を担当し、七郷が神事を担 当するという現在の役割分担は、昭和 30 年代初頭、政教分離の観点と補助金削減、その対 応としての祭礼における神事と観光の分化過程で明確化されてきた可能性があるという指摘 がされている。商業者が多い山組は、曳山祭の中心として、補助金対象の観光イベントの主 体となり、宗教行事としての神事の中心は周辺部の七郷となった。今では、祭の明確な役割 分担が伝統的に形成されてきたとする視線はフーコー的な遡及的再集合化の一つであり、零 度に戻れば地域政策に端を発した、それほど昔ではない時代の行政対応の意図せざる結果だ ったと言える。祭本体を緻密に捉えても、このような理解に到達するのは困難であろう。 実は、私は、この長浜曳山祭の舞台である長浜市出身である。幼い頃、 『黒壁』の周辺で 遊んでいた。曳山祭の囃子の音色は今でも耳に残っているし、毎年帰省もする。長浜曳山祭 についての丁寧な調査と分析、その後の武田会員による精力的な研究、たいへん有難く、嬉 しい限りなのである。本書の続編を期待するものである。. −81−.
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