Author(s)
納富, 香織; 米田, 孝子
Citation
沖縄史料編集紀要 = BULLETIN OF THE
HISTORIOGRAPHICAL INSTITUTE(43): 81-100
Issue Date
2020-03-19
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/24882
『沖縄県史 図説編 前近代』刊行記念シンポジウム
「図やモノが語る琉球の歴史」報告
納富 香織・米田 孝子 本稿は『沖縄県史 図説編 前近代』の刊行を記念して 2019 年 7 月 14 日に沖縄県立図 書館 3 Fホールで行われたシンポジウム「図やモノが語る琉球の歴史」の報告をまとめた ものである。掲載にあたっては、読みやすいように事務局で見だしを付した。 1.概要 本シンポジウムは2部構成となっており、第1部が里井洋一(琉球大学教授)による基 調報告、第2部はコーディネーターに里井洋一、パネリストとして安里進(前沖縄県立博 物館・美術館長)、麻生伸一(沖縄県立芸術大学准教授)、粟国恭子(沖縄国際大学・沖縄 県立芸術大学非常勤講師)、豊見山和行(琉球大学教授)に、各自の執筆項目に関連する 発表をしていただいた。*本シンポジウムは「沖縄県生涯学習情報プラザ」HP で動画公開中 ◎発表者および発表内容 【第1部 基調報告】 里井 洋一(琉球大学教授)「ここが面白い! 図説編前近代」 【第2部 パネルディスカッション】 「どう見る? どう使う? 新たな視点と活用法を探る」 コーディネーター:里井洋一 パネリスト: 安里進(前沖縄県立博物館・美術館長) 「絵図・古地図の落とし穴」 麻生伸一(沖縄県立芸術大学准教授)NOTOMI Kaori and YONEDA Takako: Report on the Symposium on the Publication of The Pre-modern Period in
「琉球の身分・位階・階層と社会-モノであらわす身分制-」 粟国恭子(沖縄国際大学・沖縄県立芸術大学非常勤講師) 「感性の歴史-身体・匂い・時間と音・色-」「技術の歴史-貝」 豊見山和行(琉球大学教授) 「図像の中のヒト・モノ・神話」 総合討論 2.シンポジウム及び関連企画展のアンケート総括 今回のアンケートでは、選択形式と自由記入欄形式の問いを設け、本書の刊行意義や本 シンポジウムの満足度、関連企画展についての感想 など、幅広く県民のみなさまの意見を収集するよう 努めた。 【シンポジウム】 本シンポジウムの総参加者数は約 160 名で、うち 90 名からアンケート回答を得ることができたため (回収率は約 56%)、本総括ではこの 90 名の回答を 基調として分析する。 回答者を年代別・性別に見ると、60 代の 25 名が 最も多く、続いて 50・70 代が 17 名、40 代が 11 名、 30 代が9名、20 代が8名、80 代が2 名、10 代が1名であった(図1)。 県内からは那覇市の 34 名が最多で、 続いて浦添市 10 名、南風原町が6名、 沖縄市・糸満市が各5名、宜野湾市・ 北谷町が各4名ずつ、豊見城市が3 名、南城市・八重瀬町が各2名ずつ、 名 護 市・ 恩 納 村・ 中 城 村・ 西 原 町・ 与那原町・座間味村から各1名ずつ 回答があった。また、県外からは東 京都2名、神奈川県1名、名古屋市 1名、大阪府1名の回答が得られた。 不明が 4 名であった(図2)。 10代:1名 20代 8名 30代 9名 40代 11名 50代 17名 60代 25名 70代 17名 80代以上:2名 図1 来場者(年代別) 名護市:1名 恩納村:1名 中城村:1名 沖縄市:5名 北谷町:4名 宜野湾市 4名 浦添市 10名 那覇市 34名 西原町:1名 与那原町:1名 南風原町:6名 八重瀬町:2名 南城市:2名 豊見城市:3名 糸満市:5名 座間味村:1名 東京都:2名 神奈川県:1名 名古屋:1名 大阪:1名 不明 4 名 図2 来場者(居住地)
シンポジウムの情報入手先としては、「ポ スター・チラシ」が 41 名、「新聞」が 25 名、 「知人・友人から」が 13 名、「ホームページ」 が 5 名、「ツイッター」が 3 名、その他が8 名であった(図3)。 来場者の満足度としては「非常に満足」 が 22 名、「満足」が 45 名、「どちらかとい えば満足」12 名、「どちらかといえば不満」 2名であった(図4)。 本シンポジウム関連展示パネルについて は、「非常に分かりやすい」が 20 名、「分か りやすい」が 46 名、「少し分かりにくい」「分 かりにくい」が各2名であった。 今後、沖縄県史に期待すること等につい ては、下記のような意見が寄せられた。 ・『沖縄県史 各論編 女性史』を重版し て欲しい。(20 代、30 代) ・『沖縄県史 各論編 女性史2』を刊行 して欲しい。(30 代) ・『漫画 沖縄の歴史』を作って欲しい。(30 代) ・戦後、占領下の沖縄の情勢について。復帰後~ 2000 年までの県史。(30 代) ・県史ならではの深い研究が盛り込まれた刊行物を期待します。(40 代) ・これからもこのような斬新な切り口の県史を刊行してください。(40 代) ・琉球の王府の歴史、系図等、各地方の方言、詩の歌等。(70 代) ・他の都道県史は読んだことがありませんが、沖縄県史については満足しているし、す ごいと思う。(60 代) ・この様に多くの人が歴史に興味のもてる様な、いろいろな切り口と、歴史的資料を見 せてほしい。沖縄の人の元気や希望、自信につながる歴史的切り口も含む。(50 代) ・とにかく、おもしろそうなので、ゆっくり読んでみます。(50 代) ・薩摩侵攻、琉球処分についても詳しいことを書いた本がほしいです。学校現場にきち んと入れてほしいと思います。(50 代) ポスター・チラシ 41名 新聞 25名 ホームページ 5名 知人・友人 から:13名 ツイッター:3名 その他 8名 非常に満足 22名 満足 45名 どちらかといえ ば満足:12名 どちらかといえば不満:2名 図3 情報入手先 図4 満足度
・こんなに多くの図が残っているとは驚きでした。これまで言われている事と、図や、 におい等の感性がつながると、もっと豊かな琉球が現れてくると思いました。(50 代) 自由記入欄では、下記の意見が寄せられた。 ・大変くわしい、又わかりやすい。県史、大変ありがとうございました。先生方、御苦 労様です。感謝しています。(70 代) ・これからも、もっと学術的な資料を発表・出版していただきたいと思います。(60 代) ・非常にわかり易く、新しい視点が盛り込まれているようなので、是非,教育現場での 有効活用を検討してほしい。(60 代) ・勉強になりました。今後、図説を利用して詳しく勉強したいと思います。有難うござ いました。(60 代) ・素晴らしい発表に感銘を受けました。学校現場や社会教育の場で活用して行かねばと 思います。(60 代) ・「感性の歴史」今までにない視点で、大変興味をもちました。学校現場では、歴史的 思考力を養う取組が様々になされていますが、これはすばらしい教材だと感じました。 しかし、教師自身の力量がためされるため、学校現場で使うのはかなり難しいと思わ れます。(この図説をもう少し分かりやすくしたものが必要かなと)。指導事例集(中 学校用、高校用)が必要?(50 代) ・とてもわかりやすい解説です。ありがとうございました。(50 代) ・文章での史料も良いが、絵図での史料は文字がない分、見る側に考える力を求めてい ると思った。(20 代) ・資料(図や実物)をどう見るか、初めて知ることがたくさんあった。とても興味深かっ た。(30 代) ・本日のシンポジウムでより期待と関心が高まりました。ビジュアル中心で読む、見る ことによって分かりやすく何度も繰り返して読むことができる県史だと思いました。 他にはあまりないのではないでしょうか。(40 代) ・本書を手にして、今まで想像していたものと絵図などに残っているものが違うことが 分かりました。とても分かりやすくて良い本だと思います。このような本で学習でき る今の子どもたちは幸せですね。(40 代) 【関連パネル展】 『沖縄県史 図説編 前近代』関連展示パネル展を、7 月 10 日(水)~ 8 月 5 日(月)
に沖縄県立図書館3階にて開催、来場者のうち、21 名からアンケート回答を得ることができた。回答 者を年代別に見ると 10 代の6名が最も多く、続い て 50 代が 5 名、30 代と 60 代が各 3 名、20 代が2名、 40 代と 70 代が各1名であった(図5)。 県内では那覇市の7名が最多で、続いて浦添市 5名、糸満市3名、南風原町・宮古島市から各1 名ずつ回答があった。また、県外からは大分県1名、 大阪市1名、国外から中国1名、不明が1名であっ た。 下記の意見が寄せられた。 ・ありがとう(10 代) ・世界史や日本史では絶対に学べないと思う。 (10 代) ・大切な歴史の記録がある。とても嬉しい。 (10 代) ・またこれからも沖縄を勉強したいです(10 代) ・很好(20 代/中国)※意味:とても良かったです。 ・ハジチという文化を初めて知りました。今度、 祖母に話を聞いてみようと思います!(20 代) ・もっと資料があっても良いと思う(30 代) ・おもしろかったです。たまたま寄ったのですが、 本が欲しいです。どこで買えますかね?(30 代) ・琉球の様子が少ないパネルの中でわかりやすくまとめられ、技術の高さや独自の文化 を築いてきたことがよくわかりました。ありがとうございました。(50 代) ・昔の琉球人の暮らしぶりがわかって、とても興味深かった。(50 代) ・「首里城なりたちから今日まで」という本を(私は首里の出身なので)興味深く読み ました。特に戦前・戦中・戦後の時代、首里の様子を知りたくて ・・・。母が大正4年 生まれで、首里城の中にある学校に通っていたと言っていたのを思い出しました。そ れから、戦争中、日本軍の司令部になったせいで、アメリカ軍の攻撃の的になったと のこと。そして今日の沖縄の基地の問題につながっています。(60 代) ・楽しく学べました。ありがとうございます。プリントでもあればよかったです。(60 代) 10代 6名 20代 2名 30代 3名 40代:1名 50代 5名 60代 3名 70代:1名 図5 来場者(年代別) 非常に満足 8名 満足 8名 どちらか といえば 満足 4名 どちらかといえば不満:1名 図6 満足度
・6つのパネルからみた「視点」が非常に興味深いと感じました。(40 代) ・面白い。興味を引くことが目で見てすぐわかる。「県史」資料にこういうことが書か れているんですね。(50 代) ・「琉球人のすがた」には興味あり。私が小さい頃「ハジチ」の手を見たときは、「なんで?」 と恐いと思ったことを思い出した。(60 代) ・閲覧する場所が暗いので、ゆっくり見ることができない。販売できるようにしてもら いたい。測量の技術について、→ルート(√)や関数の知識があったのか、どのよう に勉強していたのか、どのような知識階級か。算数 or 数学の教本は?(70 代) 3.第1部 基調報告 里井 洋一(琉球大学教授)「ここが面白い!図説編前近代」 (1)編集の経過 『沖縄県史 図説編 前近代』(以下『図説編』)の部会長を務めております里井です。 琉球大学で社会科教育を教えております。本書は 2007 年度から編集をはじめ足掛け 12 年 で完成しました。『図説編』を刊行するにあたって、刊行の必要性や意義についても議論 を重ねました。文章が主体である各論編と違い、『図説編』は、図や写真が添え物ではなく、 そのものから考えることができるという点が重要であるとの認識で編集を行ってまいりま した。 県史では「ビジュアル版」シリーズもあり、これも『図説編』と同じく図や写真をもと に歴史を知ることができます。現在、1~ 13 まで出されていますが、残念ながら販売さ れておらず、学校や図書館等で見るしかありません。 そこで、『図説編』をきちんと出そうということになりました。実は、県史は凄いんで すよ(笑)。本作りも一から行っています。執筆者が原稿を出した後、事務局が原稿校正、 表の作成、レイアウト含め行います。執筆内容についても厳密に校正し、よりよい提案を してくれます。研究者を鍛えてくれるという、県史スタッフはそのようなお仕事をなさっ ています。執筆者と事務局が対話を重ねながら本書はできました。 議論になった点として、『図説編』というからには、これまでの研究成果に基づいたイ ラストを作ったら分かりやすいのではないかということがありました。しかし、研究は進 化するので、この時点での成果をもとにすると、間違ったものになってしまう恐れがある との指摘もありました。しかし本物は変わらない。でも、後ほど安里さんの発表でもある と思いますが、本物も事実と違う、怪しいということもあります。
(2)琉球史の時代像 本書の構成は大きく二つに分けることができます。「Ⅰ 琉球史の時代像」では通史的 な時代区分にそって先史時代から古琉球、近世琉球の各時代の特徴を紹介しています。「Ⅱ 図やモノでみる多様な琉球史」では、これまでの時代区分にとらわれず、図やモノなどを 素材にして、いろいろな角度から琉球史を描いてみました。私たちは今まで歴史書、「書 かれたもの」から歴史を読み解いてきたわけです。すなわちそれは支配者層が作成した文 字資料であり、そこからは見えないより多くの人々の歴史はどうだったのかが分からな かったのです。図やモノが添え物ではなく、それこそを主体に琉球史に切り込むという、 これまでの県史とはいささか違う内容になっています。 ここで少しだけ、本書のテーマを紹介しますと、本書では骨・食・住居・貝・石造建造物・ グスク・絵地図・首里城正殿・王権の文様・肖像画・儀礼・御嶽・船・墓・泡盛などの素材・ テーマをもとに、多様な琉球史を描いています。 (3)読者が主体的に学ぶ楽しさ 今、教育の現場では、「内容」を覚える学習ではなく、学習者が主体的に学ぶという流 れに変化しています(2017 年指導要領にも反映)。学習者が主体的に人類の文化を吟味す る能力すなわち「深い学び」に変わったのです。図や写真等、資料を読み解く力がとても 必要になっていますが、その教材として本書は活用できると思います。 ここで、私が担当した箇所を紹介します。「Ⅱ - 2 生産を考える」(本書 62 ~ 73 頁) では、人々がどのようなかたちで生きてきたのか、ものをつくってきたのか、という視点 で考えてみました。例えば「魚を捕る」ということを考えた場合、その最初の資料がサキ タリ洞窟から出てきた釣り針です。ただし釣り針と言えるのかは議論が分かれるところで すが、イラブチャーやモクズガニ、オオウナギの骨が一緒に出てきているので、釣り針と して使っていたのではないかと類推できるわけです。もし釣り針であるならば世界最古の ものですが、もしかしたら釣り針ではないかもしれないわけです。そのような可能性も含 めて考えることが、図と対話することだと考えます。 サキタリの釣り針は2万3千年前の出土ですが、同じようなものが貝塚時代の伊是名か ら出土しています。これも釣り針かもしれません。沖縄の貝塚時代では釣り針がなかなか 出ないそうです。沖縄で釣り針がずっと使われていたかどうかについて、希少な証拠となっ ているかもしれません。 グスク時代になると、釣り針にかえしがついたものが出土します。一方、サキタリのも のはかえしがなく、釣るのに技術が必要です。またキラキラ光っていて、魚が寄ってきそ
うだな、とか色々と想像できるわけです。 沖縄で最も多く出てくるのは、シャコ貝に穴が開いているもの、貝の錘おもりです。網に錘を 付けて沈めます。これが貝塚時代から最近まで使われていました。また勝連城跡から出土 した土ど す い錘もあります。近世末、八重山の絵図では土錘のようなものを用いて投網を投げよ うとしているものがあります。人々が生活していく中で、貝錘や土錘を使いながら魚を捕っ てきたという世界を考えることができます。土錘は土製だからたくさん作れるし、小さく て使いやすいのに、なぜ、近代まで大きな貝錘が使われてきたのかな、など色々と考える ことができます。このように図や写真等の資料と色々と対話してもらうために、『図説編』 は作られています。 4.第2部 パネルディスカッション 「どう見る? どう使う? 新たな視点と活用法を探る」 安里進「絵図・古地図の落とし穴」 みなさん、こんにちは。安里です。私が担当したテーマの一つに「描かれた首里城正殿 の虚実」がありますが、内容としては「絵図・古地図の落とし穴」ということになります。 昔の絵図や古地図は、当時の風景が色彩豊かにリアルに描かれているように見えます。 しかし、この絵図・古地図には落とし穴も隠されています。それらから歴史情報を読み解 くためには注意が必要です。このことを、首里城正殿の絵図を例に考えてみたいと思います。 1992 年(平成4)に復元された首里城正殿は、1768 年に作られた正殿修理記録の絵図『百 浦添御殿普請付御絵図并御材木寸法記』(以後『寸法記』とする)を主な根拠にして 18 世 紀中頃の姿を再現したものです。『寸法記』には詳細な書き込みがされていますが、火災 で大破した首里城正殿を修理するための施工図だったわけです。『寸法記』に記録されて いる4つの特徴を見ていきたいと思います。まず塗装に大量の弁べんがら柄が使われていることか ら、外壁は赤かったと考えられます。正面に唐破風がありますが、柱間3間です。柱間と は柱と柱の間がいくつあるか数えます。正面の階段は末広がりで、大龍柱は向き合ってい ます。 ところが、復元正殿とは異なる正殿を描いた絵図が多数あります。代表的なものを3点 紹介します。一つ目に呉著仁が描いたとされる「首里那覇全景図屏風」です。これは 19 世紀の首里・那覇の都市景観を精緻に描いております。この絵図は、戦争で消失し、写真 でしか現存していません。首里城正殿の外壁の色は不明、柱間は1間、正面階段は直線、 大龍柱は正面向きです。 次に王国末期に来琉した明治政府の役人であった伊地知貞馨『沖縄志』の「首里城図」
です。印刷物なので色は不明、柱間1間、直線階段、大龍柱は見えにくいですが復元正殿 とは異なります。 さらに明治初期に友寄喜恒が詳細に描いた「首里城図」も外壁は黒色、柱間1間、直線 階段、大龍柱は正面向きです。信用できそうな絵図ですが、復元正殿や『寸法記』と、こ れらの絵図は、唐破風や正面石段の形、大龍柱の向き、外壁の色などが復元正殿とは全く 異なっています。さて、どちらが正しいのでしょうか? 今頃こんな話をされても困ると 思いますが(笑)。 さて、どちらが正しいのかについてですが、それを考えるとき、一つの筋道があります。 それは王府が作成した絵図・古地図と、民間が作成したものそれぞれの性格を考えること です。王府は行政目的で作成し、一方、絵師は商品等の私的目的で作成しているわけです。 前者は『寸法記』、後者には「首里那覇全景図屏風」、『沖縄志』の「首里城図」、友寄喜恒「首 里城図」があります。従来これらの図が同一線上で論じられてきたわけですが、それぞれ の性格・背景に基づいて区別して論じられなければならないわけです。行政目的の絵図・ 古地図はある時点の実態をけっこう正確に描いています。仕事上で書いているので嘘を書 く必要はないのです。また実態を正確に描かなければ仕事上意味がないわけです。例えば 『寸法記』の正殿修理の施工図、「浦添ようどれ」の絵図、村の屋敷図を正確に測量して居 住者名も記した「久茂地村屋敷図」などです。 ただし、役所作成のものがすべて正確なのかというとそうでもなく、「首里古地図」(1720 ~ 32 年頃)のように色々な年代情報が盛り込まれている、いわば「落とし穴」があるも のもあります。「首里古地図」については、戦前から、いつ作られたかについて論争があ りました。というのも年代情報に矛盾があり、何を強調して見るかによって研究者の見解 が分かれていました。なぜなのか。「首里古地図」は首里王府が一斉に測量して作成した ものではなく、年代が異なる別々の情報を編集統合し、居住者の身分と居住者名を足した ものであることが分かってきました。だから年代に矛盾が生じたわけです。王府が作成し たものも注意をしないといけないわけです。 これらのことをふまえて、王府の絵図から首里城正殿の変遷を見てみたいと思います。 王府の絵図を見ていくことによって、ある程度、正確な流れが分かります。 まず最初に 18 世紀初頭の 1701 ~ 07 年頃に描かれた「首里城古絵図」です。これが一 番古い時期に正殿を描いた絵図です。柱間1間唐破風・直線階段・正面向き大龍柱です。 この正殿は 1709 年に焼失してしまいまして、1715 年に再建されています。その後、1729 年に石段を作り直していますが、その時に作成されたのが「首里古地図」(1729 ~ 32 年頃) です。柱間1間唐破風・末広階段・外壁赤色・大龍柱の向きは不明です。1768 年には大破
した正殿の修理が行われましたが、その時に作成されたのが先ほどご紹介した『寸法記』 です。柱間3間唐破風・末広階段・向き合い大龍柱です。これをもとに復元正殿が作られ ました。18 世紀後半に「正殿前城元設営絵図」が作られましたが、これは『寸法記』と同 じ形の正殿が描かれています。 このように変遷をみると次のことが分かります。唐破風は当初は柱間1間だったが、 1768 年以降に3間と大きくなったことが分かります。階段は当初は直線だったものが、 1715 年に再建されたあたりから末広階段になったことが「首里古地図」から分かります。 大龍柱は「正面向き」だったものが、「首里古地図」では不明ですが、『寸法記』あたり からは「向き合い」に変わったことが分かります。外壁の色は 18 世紀初頭の「首里城古絵図」 では不明ですが、「首里古地図」『寸法記』では間違いなく赤色ということが分かります。 そこで、先ほど復元された正殿と異なる描かれ方をした絵図を見ましたが、いずれも唐 破風は1間で、外壁は黒色、直線階段、大龍柱は正面向きであり、1729 年以前の正殿が描 かれていることが分かります。絵師たちは 150 年以前の首里城をいかにも本当の姿らしく 描いていたのです。なぜ、絵師たちは古い首里城を描いたのでしょうか。先ほど紹介した 3つの絵図は、首里城の構図や正殿の形がそっくり同じです。つまり 19 世紀初頭に描か れた呉著仁「首里那覇全景図屏風」を、後輩の絵師たちが模写、踏襲して描いていたのです。 だから実際の正殿とは異なるものが描かれているわけです。実際の正殿は焼失・修理され る度に少しずつ形を変えていったにもかかわらず、です。さらに絵師たちは独自のイメー ジも加えたり、デフォルメしたりしていたわけです。 このように絵図や地図を見るには、史料批判が必要となります。このことがあって初め て、図やモノから歴史を読み解くことができるようになり、新しい琉球史像が描かれるの ではないかと思います。 麻生伸一「琉球の身分・位階・階層と社会ーモノであらわす身分制ー」 こんにちは、麻生です。私が担当した「モノであらわす身分制」をかいつまんで紹介し ます。本稿は、これまで諸先輩方が研究されていた成果をもとにしていること、そして学 校現場でどのように活用できるのか、教材としての可能性を意識した内容となっておりま す。 使用した絵図の一つに「冊封使行列図」(沖縄県立博物館・美術館所蔵)があります。 これは、清から琉球を訪れた冊封使節団と、彼らを先導・警備する琉球の人びとが描かれ た絵図です。このさまざまな人やモノが描写された絵図から、何を読み解くことができる のか、どのような特徴を読み取ることができるか、という発問を想定しながら、ここでは
特に「冊封使行列図」から琉球人の身分や階層を考えてみたいと思います。 琉球にはどのような身分・階層があったのか。簡単に述べると 1609 年の薩摩が琉球を 侵略しますが、そのあと 100 年ぐらいかけて色々な改革を行い、統治システムを再編して いきます。その中で身分制が出来ていきました。また、17 世紀の後半から 18 世紀の前半 にかけて、系図家譜の編集事業が行われ、その帰結として系図家譜の有無によって社会的 な位置を分化するシステムが整備されました。系図家譜を所持する者を系持ち(士)、所 持しない者を無系(百姓)とする身分秩序が生まれたわけです。ただし、単純に琉球社会 が二分化されたわけではなく、複雑な構造がありました。例えば系持ち(士)の中には、 御殿・殿内と呼ばれるエリート層と、サムレーと呼ばれる一般の諸士があり、御殿・殿内 にも様々な階層がありました。一般諸士には、「筋目」(家柄、家格)という区分が見られ ました。同じように無系(百姓)も住んでいる場所や役割によって階層がありました。こ のように琉球社会は、系図家譜に基づいた複雑な身分制社会が構築されていきました。 このような身分の複雑さを絵図から読み取ることができるでしょうか。ここでは実際に 大学の授業で行った「冊封行列図」を使った授業を紹介します。「「冊封行列図」にはいろ いろな人々がいますが、誰が身分的に偉いのか、系持ち(士)、無系(百姓)は誰なのか」 等の発問を行い、学生に考えさせました。その中でいろいろな意見が出てきました。無系 (百姓)の人たちは裸足で草履を履いてる、ハチマキ(帕・冠)をかぶっていない、丈の 短い衣装を着ている等です。ほかにも、赤いハチマキをしている人々は、系持ちで、足袋 をはいていたり、先ほどの百姓と比べ丈が長い衣装を着ているや、系持ちの中の御殿・殿 内は紫色のハチマキをかぶっていて、馬に乗っているといった意見が出ました。まずは、「冊 封行列図」から分は、身につけている衣装等といった見た目から、身分とか社会的な地位 が分かるのではないかというように授業を展開しました。とくに授業を進めていくなかで、 身分差を象徴的に表しているのがハチマキだろうということを、学生との話し合いから見 ていきます。 次に授業者が提示するのは、実はハチマキは身分を区別するツールではないのではない かという疑問です。同じ絵図にはハチマキをかぶっているが、丈の短い衣装を着た裸足の 人々がいます。先ほどの区別で考えれば、系持ち(士)と無系(百姓)の特徴を兼ね備え ているかのように見えます。これをどのように理解するかを学生たちと考えていきます。 「冊封使行列図」には他にも涼傘などの儀礼道具を持つ酒庫理や、耳を片手で押さえて火 矢を持っている螺赤頭、警備要員である築佐事がいます。この人々はどのような人たちな のか。身分的に言えば無系で、首里に住んでいる百姓だと伝えます。彼らは百姓だけれど もハチマキをつけていることが分かります。
なぜ身分とハチマキの関係性が違うのか。いかにもハチマキは身分を示しているかのよ うに見え、先ほど、身分は系図家譜に基づいて決まると言いましたが、系図家譜の 200 年 前にハチマキの制度は出来ていて、その後、薩摩の侵入があり、近世的な身分再編がなさ れていきました。ハチマキの制度の上に、身分制が定められていったので、必ずしも身分 制とハチマキの制度が一致しないのです。ですので、例えば、無系の筑登之は赤いハチマ キをしますが、系持ちの里之子等も赤いハチマキをするということになります。あごひも の素材が違うなど、実際は違いもあるのですが、色だけでみるとそれ程違いはないように 見えます。見た目だけでは身分が分かりづらいという部分もあったかと思います。先ほど 紹介した螺赤頭がなぜ赤いハチマキをつけているかというと、身分ではなく仕事でかぶっ ているのです。ハチマキは位階制でつける場合だけではなく、職務でつけるということも 可能だったわけです。 話をまとめますと、15 世紀から段階的に整備されてきた位階制度があり、その後に系図 家譜を基準とする身分制が整備されていきました。位階による制度、身分による制度、そ して仕事による階層の違いがあったのが近世琉球だったと言えます。 つまり「冊封使行列図」から身分や階層が分かるのかについては、分かるところと分か らないところがあると言えます。一見すると身分の高い人、低い人の違いが分かるような 気がしますが、それだけでは回収できない身分の人々が存在していることも「冊封行列図」 の面白さだと思います。 以上のように、例えばハチマキは身分だけを表すものではないこと、位階や仕事からつ ける基準もあったことなど、絵図を読み解くための資料を提供できるのが今回の『図説編』 だと思います。これで私の話を終わりたいと思います。 粟国恭子「感性の歴史-身体・匂い・時間と音・色-」「技術の歴史-貝」 こんにちは、粟国です。この県史図説編部会委員5名の中で、私だけ歴史専門ではなく、 文化人類学、民俗学の専門です。人々の暮らしや生活など、違う視点を求められて委員に なったのだと思います。最初は恐る恐る、後半は強引に独自のテーマを入れてもらいまし た(笑)。今日はなじみの浅い、歴史の専門書とは違うテーマを「感性の歴史」という形 で 15 分、お話ししたいと思います。 私が担当した5つのテーマは「身体」「匂い」「時間と音」「色」、そして自然環境の中で「貝」 を取り上げて技術の歴史を紹介しました。 始めに、人の感覚、自然、文化と歴史を考えた時に、どの社会、どの時代にも変わらぬ 主体は人です。そうすると生物としての人は視覚、嗅覚、触覚、味覚を持っています。そ
うすると何万年前から現在まで人間は主な感覚を持っているわけです。時代や社会の文化 の違いによって様々なものを生み出すのが、このような感覚であると私は思っています。 このような前提で、私が担当したテーマについて、設定のねらいも含めてお話しします。 私は文献史学の出身ではないということもあって、歴史学の研究成果、民俗学、美術工芸等、 様々なかたちで紙面を作り上げるということを目指しました。それは総合的な歴史認識に 向けての「試み」をやってみようじゃないか、ということで、テーマを設定したわけです。 総合的な歴史認識に向けての試みとして、『図説編』という非文字資料を使ったかたち で紙面を構成したり文章を書きました。みなさんにお配りしたレジュメに各テーマ及び執 筆者を記しました。あわせてデザインを担当してくれた米田さん、久貝さん等、事務局の 力も大きかったです。最後の最後までデザインを吟味してくれました。この本は研究者の 力だけでできあがったものではないということです。 この本には新しいイメージのものが盛り沢山に入っています。これから私が担当した5 つのテーマを紹介します。 最初に「貝をめぐる琉球史」です。先ほど、感覚の話をしましたが、変わらないものと して自然環境が挙げられます。海に囲まれている琉球の、海からの贈り物の中から貝を取 り上げました。長い歴史の中で人々がそれを利用してきたかどうか、その多様な利用方法、 技術の理解と造形文化に視点を置いた構成となっています。構成は4つで「遺跡から出る 貝」(執筆者:国吉まこも)では、変わらぬ自然の中で何千年の前の人たちも貝で指輪や 腕輪を作ったりしていた技術を紹介しています。それから生活の中の民俗として「貝殻を 利用した道具」「呪術と貝」(執筆者:前田一舟)、生活道具ですとか精神世界の呪術を紹 介しています。また、王府が保護した成熟した美術工芸の技術と貝について「螺鈿漆器と 琉球外交」「琉球の工芸と貝の模様」(執筆者:岡本亜紀)を書きました。少し風呂敷を広 げすぎたかなと思うのですが、新しいテーマとして「空間を彩る貝の世界-王都の風景と 吉祥の現れ-」(執筆者:粟国恭子)では、都市計画のイメージを描きました。その中で 首里城近くにある世持橋は 1600 年代からこの場所にあって、1945 年の沖縄戦で焼失する まで首里の王都の道を何万人の人々が通ったのか、という感じですが、長い歴史の中で琉 球の人々が見た風景の中に貝を見つけだすという作業をしました。このような古い石造建 築の中に、エビや魚等、中国の吉祥文様や沖縄独特の文様として巻き貝等が描かれていま す。円覚寺仏殿の須弥壇にも魚や貝等が装飾されています。私たちが今まで文献資料では 気がつかなかったことが、ビジュアル資料を通しながら、もっと歴史のイメージが膨らん でいきます。 次に「時間と音」です。「時間」をめぐるあり様、琉球にとって時間とは何なのか、暮
らしの音も含めて聴覚の歴史を探りました。「時間を計る」「管理された時間と自然の時」 については、先行研究として高良倉吉先生や安里先生のご研究がありますが、それを参考 にビジュアル化しています。「琉球の梵鐘-時間の音」として、古琉球時代からの資料と して、現在でも沖縄県立博物館・美術館に保存されています。生活の中の「打つ、鳴らす」 (執筆者:粟国恭子)、「時間と音-その他の音」(執筆者:真栄平房昭、小野まさ子)を技 術史も含め紙面を作りました。王府が時間をコントロールするために色々な技術、知識で 作り上げた管理された時間の世界を利用していることも分かるようにしています。朝鮮鐘、 和鐘系、中国鐘を比較し、琉球は和鐘系を利用しているという点も面白い。現在でも行事 の時に「打つ、鳴らす」も取り上げ、読み手側が音を感じ取れるように、自分たちの時代と、 過去の時代の音等、色々なイメージを喚起出来るように工夫しています。 それから「色」についてです。このテーマは試みの中ではとても難しかったです。「色」 をめぐる歴史・文化概念、これは東アジアに繋がる色と琉球独自の色の感性があるのかど うかを考えました。今回取り上げたのが「赤・赤き城、漆と瓦」「黄-信仰の色彩」「青- 海の色、こだわりの色」「白-聖なる色、葬礼の色」(粟国恭子)です。「赤」は首里城で 安里先生がお話されたので「黄」から。中国から入ってきた王権の色、そして琉球でも王 権の色として使われてきた。しかもそれは衣装だけではなく、宗教的な世界でも黄色が重 要な意味を持っていました。また海で周辺を囲まれている琉球が「青」という色をどのよ うに捉えていたのか。身分の高い男性の正装であった、琉球藍で何度も染め上げた「黒朝」 と呼ばれる衣装をフォーマルウェアにしたり、各グスクで出土する大量の青磁であるとか、 様々な切り口で考えることができます。 次に「身体表現」です。このテーマにはこだわりがありました。「身体」をどのように 認識するかという歴史の中に、日常動作とジェンダーという視点で、「手の動作」「女性の 身体の記憶-針突」「身体動作-座る」「身体動作-運ぶ」等、さまざまな身体を取り上げ ました。これはいわゆる 1500 年代の記録にもある通り、身分に限らず手にハジチを施し ていました。それは島々の歴史でもあります。1609 年に薩摩に組み込まれた奄美でさえも、 1900 年代に入ってもハジチがあり、「薩摩化されない身体」というものがあったわけです。 「座る」という動作については、男性、女性、役人、市場の人、組踊りの人々の動作の共 通性があり、その中からどのような歴史性を読み取るのか、文献資料では全然出てこない、 興味深い世界です。それから、様々な身体です。けがや病気、遊び、布を作る、命の終わ りの身体はどのような感覚で取られていたのか、子どもたちや一般の人々がこれらの絵図 を見て、気づいたり気づかなかったり等、色々なイメージを膨らますことができるテーマ になっていると思います。
次に「香りと匂い」です。このテーマに関しては歴史研究の真栄平房昭氏の先行研究が あります。それを分かりやすく図化しています。そして独特な暮らしの中の匂い、王府の 竜涎香とか文献に出てくるような匂いと併せながら、暮らしの匂いも取り上げました。 最後に非文字資料と絵図・モノと感性をつないでいく、琉球史を理解する新しいテーマ 設定、つまり歴史とは一体何かということを皆で考えました。琉球史への豊かな視点、面 白い視点を提示できないか、また利用する人の時代感覚、感性を刺激しながら、興味が湧 くような、あと 50 年後にこれらのテーマが残っているかどうかは分かりませんが、試み として新しいテーマ設定をいたしました。これで私の発表を終わります。 豊見山和行「図像の中のヒト・モノ・神話」 こんにちは、豊見山です。私は、『図説編』と関わりつつ新たなテーマで発表したいと 思います。 先ほどからの報告にもありますように、本書は多様なテーマがあるのですが、本報告で は「図像の中のヒト・モノ・神話」という視点で、横断的につなげてみたいと考えています。 いわば『図説編』の補足ということで、私の報告で『図説編』をより面白く読むことが出 来るのではないかと期待します。 まず一点目として「琉球人のイメージ」についてです。琉球人がどのように描かれてき たかを内と外の視点から紹介します。日本側によって描かれた「漂到流球国記」(13 世紀) をご覧下さい。この絵図は非常に興味深いのですが、琉球人が舟の上から弓を撃ち、半分 海水に浸りながら獲物を狙う場面が描かれています。海賊、海洋民のイメージで琉球人が 描かれています。そのことが『図説編』の他のテーマでも関連して出てきます。「骨から みた琉球列島人」というテーマがあるのですが、先史時代の琉球人の耳の骨に「サーファー ズ・イヤー」と呼ばれる骨腫があって、それは潜水など冷たい海水に触れることによって 生じたと考えられるといいます。 次に欧米からみた琉球人です。時代が少し飛びますが 19 世紀に琉球を訪れたバジル・ホー ル『朝鮮・琉球航海記』に描かれた上級の士たちの絵です(「首長と二人の息子」)。真ん 中に座っている人物の冠の色が赤地なのか紫地なのか判別しにくいのですが、先ほど麻生 さんが報告したとおり、赤地の浮織であれば王子・按司クラス、紫地の浮織であれば親方 クラスです。そして付き人の二人は成人前の少年二人です。手には煙草盆を提げています。 衣装はカラフルな型付(紅型のこと)を着ていて、派手な格好をしているのがよく見られ ました。 次に『ペリー提督日本遠征記』に描かれた「平民(農夫)」の像を紹介します。ボサボサの頭、
小さなまげ、裸足、丈の短い芭蕉布(バサージン)のような着物、たばこ入れ、がっしり したふくらはぎなど、当時の琉球農民が写実的に描かれています。 今まで見てきたのは、中国側、欧米側の視点による琉球人イメージ、つまり外から見た 琉球人イメージでした。次は内からの視点として、御後絵(琉球国王の肖像画)や程順則 画像などのエリート層だけでなく、民衆がどのように描かれているか、という点にも着目 したいと思います。琉球人の肖像画として国王の肖像画「御後絵」ですが、平川信幸さん が『図説編』のテーマに取り上げています。私が注目したいのは顔つき、表情です。「程 順則肖像画」を見ていきたいと思います。程順則は琉球随一の学者です。「名護聖人」と 呼ばれ 72 歳で亡くなりました。程順則の肖像画をアップで見ると興味深いことがあります。 厳めしい学者然とした表情ではなく、微笑んでいるように見えます。肖像画を分析する時 に、衣服等に着目しつつ、まず彼自身がどのように描かれているのかに注目したり、楽し むことも出来るのではないかと思います。もう一人「東任鐸」という首里のサムレーで八 重山に在番で行った知念里之子親雲上の肖像画ですが、この絵は制作年代がはっきりして いて 1839 年です。八重山に残してきた子どもたちに、自分のことを忘れないように、と いうか拝むようにということで描かせたわけです。この肖像画もアップにすると結構面白 いです。非常にリアルに描かれています。それを描けるだけの技量を持った絵師がいたと 言うことです。 今見たようなエリートだけではなく、民衆がどのように描かれていたのかについても注 目したいと思います。粟国さんのところで色々と取り上げられていますが、例えば「身体 表現」のところで取り上げられている頭上運搬の様子において、その顔つきはどうであっ たのか、微妙な表情の違いなどを『図説編』で楽しむこともできます。バーキに魚を乗せ て売りに行く男女が描かれた絵図では、二人とも丈の短い着物を着けています。短い着物 を着けているのは百姓ということです。男性は髭が短いのですが、庶民はあまり立派な髭 は許されなかったのか、興味深いところです。 二つ目はモノについて検討していきます。里井先生が取り上げた「八重山蔵本絵師画稿 集」の中に、たばこの葉を売る女性の姿が描かれています。女性は手に竿秤を持っていま す。また米の収穫から上納までの様子が描かれている中で、大きな天秤秤が描かれていま す。この秤については、これまで正体不明(名称不明)だったのですが、古文書を調べて いたら「斤量やあま」という意味であることが分かりました。「やあま」というのは糸車 や仕掛け道具とういう名前です。文字だけでは分からない部分が絵図だと判明する。絵図 等と付き合わせる必要があると改めて思いました。 三つ目は神話とかかわる図像として久高島が描かれた「間切図」を検討しました。島内
には「物種子壺」と表示された場所があります。この「物種子壺」とは一体何なのかと。 久高島は琉球における麦や粟などの「発祥の地」として、農耕の開始に関わる神話が残さ れています。実際に「物種子壺」が埋められている場所が久高では分かっていて「はたす」 という場所にあります。「はたす」は、島の西海岸のヤグルガーに近い畑地の中にあります。 実際に行ってみると石垣があって、やや楕円形になっています。もしかしたら船の形に似 ているかもしれません。『琉球国由来記』の中で、久高島に漂流した壺を埋めた、という 記述があります。その「物種子壺」を掘ってみようという人物が現れたところ、突風が吹 いてきて亡くなってしまった、という伝承があります。このように神話とかかわる場所が、 なぜ表示されているのか、それは久高島がこの時期においても、久高島が神話の島、琉球 の発祥、人間と作物の発祥の地であるということを王府が強調したいと言うことだと思い ます。 つまり本日の私の話は、図と関連して文字テキスト、実物と付き合わせることで、より 立体的に歴史を紐解くことができるのではないか、ということでした。ご静聴ありがとう ございました。 総合討論 里井(コーディネーター):それではこれからゆんたくをしながら総合討論を進めていき ます。先ほどの豊見山先生のように、『図説編』を作った後で、改めて図と対話し ていく中で、世界が広がっていくということがあります。この『図説編』を、どの ように活用していけるのか、やり残した課題は何かなどについてゆんたくしていき たいと思います。お一人4~5分でお話してください。まずは安里先生からお願い します。 安里:この『図説編』は、文字資料だけではなく、図やモノを主な素材にして、それぞれ の専門分野の垣根を取り払って総合化することで、新しい琉球史像を描いてみよう というコンセプトだったと思います。しかし扱う材料が様々で、それらを総合化す る上での課題も見えてきました。史料批判ということです。例えば近世期の考古資 料に絵図資料等を加えて総合化する場合、考古学は史料批判という方法論がしっか りできていますが、考古資料だけを扱っている先史時代やグスク時代だけならいい かもしれませんが、近世みたいに他の絵図や地図等、色々な資料がある時代につい て総合的に分析するには、やはり他の分野の史料批判もしっかりと行った上で、考 古資料と突き合わせていくという作業が必要になるわけです。この辺をおろそかに してしまうと、いいとこどりをしてしまい、さもその通りになるかのように、だい
たい研究者が陥りやすいところにはまってしまっていくわけです。絵画資料に考古 資料を使うという逆の場合でも同じことが言えるかと思います。この史料批判をど のようにしていくかということが大きな課題です。今後、いろいろなところで図説 編を作っていくことで解決できるのではないかと思います。 里井:ありがとうございました。では、麻生さん、教育現場でどのように活用できるのか、 お願いします。 麻生:『図説編』が作られた一つの意義、目的の一つに、教育現場での活用が挙げられる と思います。これまで博物館の中ですとか、本の中だけにあった資料をいかに活用 していくのか、ということです。様々な資料を研究に使っていくことももちろん大 切ですが、それ以上に今、沖縄に生きている人たちがどのように理解していくのか が重要だと思っています。そのような意味で、今後、本書を教育現場でたくさん使っ て頂きたいと思っています。とはいえ、実際に現場で使うとなると中身を読み込ま ないといけないので、教材化するところの難しさはあります。そのような意味で、 この『図説編』を使ってどのような教材ができるのか。あるいは子どもたち、学生 たちにどのようなことを伝えたいのかということも含めて、『図説編』の今後の広 がりを考えていかないといけないと思います。 里井:ありがとうございます。次は粟国さんのところで取り上げた色や匂いといった、普 通の日常生活にある世界で見えなかった世界をみえる形にしたものについてお伺い したいです。 粟国:先ほど時間がなくて「香りと匂い」の説明を端折りましたが、実は大交易時代の古 い時代から東南アジアとの貿易で、香料が琉球に出回っています。『歴代宝案』等 に基づき、どのような香料が琉球に入ってきているのか、そして東南アジア産の丁 子が琉球の世界の中でどのように使われてきたのか、丁子風呂を紹介しました。今 のアロマテラピーのようなものです。入れ物の焼き物は県立博物館・美術館の所蔵 です。焼き物の文化を匂いと絡めながら紹介することで、焼き物文化も膨らませる ことができるわけです。そして、匂いにはいい匂いと不快な匂いがあります。『図 説編』では不快なにおいも取り上げました。現代では水洗トイレを使っているわけ ですが、さっと流したり、スプレーをかけたりして消臭しています。しかし人間か ら排泄されるものの匂いは変わらないわけです。昔の人は一体、そのような匂い についてどのように考えていたのか。それを考えるために「豚便所(ワーフール)」 を紹介しました。昔と現代のトイレ事情を併せて色々とふくらませてみました。楽 しんで頂ければと思っています。
里井:ワーフールは今も色々なところで残されていて、そのように残っているモノと匂い を併せたらもっとよく見えるかと思います。次に豊見山先生は『図説編』をよりさ らに発展させた内容について発表されました。この『図説編』、もしくはそこで語 れなかったことも含めて、図、モノと会話をしていくことの意味についてお話をお 願いします。 豊見山:ちょっと難しいところもあるのですが、昨日、この『図説編』を改めて読み直 してみたのですが、全体的に明るい琉球史だと思いました。暗い場面があまりない、 強いて言えば先史時代のテーマの中に、刀で刺されて死亡したであろう骨の写真が 一カ所あったぐらいです。明るい琉球史がいいか悪いかは別として、もしかしたら 絵図や図像から分析する限界性なのかと思いました。どのような場面が描かれてい るかに規定されて、私たちは『図説編』を作った訳です。日本の戦国時代のように 合戦図等の戦争の場面が描かれた史料もあります。しかし琉球では、島津が侵略し ていた時の場面について回想されたものがあるぐらいで、絵になっているモノはあ りません。先ほど安里さんがおっしゃっていたように、文字史料にはないものを絵 図史料から分析するという有効な側面があると同時に、図像そのものの限界性もあ ると思います。そこを考えると少しややこしいのですが、両方で補いながらどこま で豊かに表現できるのか、限界はどこなのかそのようなことも考える必要があるか と思います。例えば粟国さんが紹介した「身体」、とても面白かったのですが、そ の中でシーソーで遊んでいる絵があります(『中山伝信録』)。その遊びが実は「大 島筆記」にも記述されていて、この遊びをやっていても全然けがをしたことがない、 子どもが熟練した遊びなんだと書かれています。琉球史の史料でも他にも遊びの ページがないかどうか一生懸命探したのですが、ほとんどないです。子どもたちの 世界をもう一度描くことはできないかと思いました。日本の史料には子どもが遊ん でいる史料がたくさんあります。やはり図像だけでは全てを描くことはできないと いうことを考える必要があるかと思いました。『図説編』の課題の一つだと思います。 里井:今、豊見山さんがおっしゃったことを相対的に考えてみると、麻生さんの身分制 は色によって身分が区別されるなど、がんじがらめの世界でいやな世界ではないか、 という話にもつながっていくかと思います。でもきっと麻生さんはそれだけではな いという思いがあるかとは思うのですが。前近代社会とは基本的に身分制社会=差 別というようなイメージもあるかと思います。これをどのように読むのか、という 話も含めて麻生さんお願いします。 麻生:難しいですね。文献資料では、例えば豊見山先生が紹介されていますが、船乗りの
話の中で、船頭の人たちは実は無系の人がやっていて、そこに乗り組む搭乗員の中 には士族がいたりするわけです。だから一般的に身分というのは、それこそサムレー だからえらいとか、百姓だからどうだというわけではなく、もちろん、根本に身分 制はあるわけですが、そこからだけでは見えない、レギュラーな世界からはずれた 部分をいかに示すか、という部分も大切だと思います。あまり固定観念で社会を捉 えるのではなく、その危険性もあるだろうということです。そこで今回この身分制 で、身分や位階では見えない職分の世界もあるということを示しました。 里井:ありがとうございました。おそらく身分制社会が安定しているという意味では幸 せな世界だと思います。文献のなかで現れる世界と絵が結びつくともっとよく見え てくるのではないかと思います。これは安里先生の話のなかでも、「どう読むのか」 という話があって、図をきちんと読むには文献もすりあわせていくという作業が必 要だと思います。安里先生いかかでしょうか。 安里 : 絵図や文献等、違う資料をつきあわせていくと、やはり違う部分、矛盾が出てきます。 そこが面白いわけで、全部一致してしまったら、先輩たちがやり尽くした仕事でよ くなってしまい、私たちの仕事、後輩の仕事がなくなってしまいます。この矛盾を つきつめていくことが歴史の面白さです。 里井:ありがとうございました。この『図説編』の課題や展望が皆さんの話からよく見え てきたと思います。多くの方々にぜひ手に取っていただいて、活用して頂きたいと 思います。 図7 関連パネル展の様子(上、下) 図8 シンポジウムの様子(上、下)