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何故とデザイン

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Academic year: 2021

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巻頭言  人間の「記憶」は時間とともに風化・消失 していくが、学問の「事実」の「記録」は 改 かいざん 竄されずに保存されれば残る。その願いを 込めて私は「事実と解釈」と題した「巻頭言」 を『交通権』(第 33 号、2016 年 6 月)に 書いた。 「交通権憲章(1998 年版)」から 20 年も 過ぎた交通権学会 2018 年度研究大会(7 月 7 日、東京)で、私は「『交通権憲章(1998 年版)』〜何故とデザイン」と題して基調講演 した。理由は、学問の始まりとなる 7 つの「何 故」であり、私の答は「デザイン」を重視し てきたからだ。当日、紹介した私の「イラスト 入り大学教授の名刺」も日本初のデザイン例 といえる。 (交通権学会編、日本経済評論社、1999 年 7 月 10 日発行)  『交通権憲章』の「表紙」「交通権憲章の構成」 「目次」「前文」「交通権憲章の内容」などは、 交通権学会のホームページで今でも見ること ができる。  「1998 年版」は既に「あれから 20 年!」 も前である。しかも「2000 年紀」というミ レミアムが近い年だった。『交通権憲章』の 「編集後記」(日比野)と「策定の経過」は 巻末に資料として掲載してあるようにまさ に議論百出であった。しかし、ある会員が 「Window1998」の発売を紹介しながら「交 通権憲章も 1998 年版にして、後日改定した らどうか」と提案してくれたので「1998 年版」 として収まった。  「交通権憲章」は「憲章」なので整合性(論 理性)を重視してHM(叡智・笑む)法(私 のオリジナルな方法)を活用してシステム化し てある。具体的には「憲章の理念」(前文)、「普 遍的原則」(第 1 条)、「交通機能の確保」(第 2 条〜第 4 条)、「交通システムの確保」(第 5 条〜第 7 条)、「当事者の責務」(第 8 条〜 第 10 条)、「憲章の実現」(第 11 条)である。  「憲章」の「サイン化」はおそらく初めてだろう。 「デザイン」(design)は「de + sign」であ り、意味は「意匠」、つまり「意」の「匠」(プ ロ)である。私が提唱したオリジナルな日本 初の「バリア・フリー・デザイン」の「憲章版」 Q1 なぜ、「1998年版」か?

はじめに

『交通権憲章~

  21世紀の豊かな交通への提言』

何故とデザイン

日比野 正己

Q3 なぜ、交通権憲章の各条を   初めてカラー・サイン化したのか? Q2 なぜ、「交通権憲章」の構成はシステムなのか? 2

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巻頭言 だからである。今で言う「ユニバーサルデザ イン・サイン」の先駆けである。  「策定の経過」の(1997 年 7 月 13 日)に あるように野村正樹会員が「日本の条文は古 来から 17 条、五箇条の御誓文、日本国憲法 103 条とすべて素数なので交通権憲章も 11 箇条にしたら」という提案からである。  交通権学会のホームページを見れば、中国 語、ハングル、英語、フランス語、ドイツ語、 スペイン語で見ることができる。「交通権憲章」 の国際化としても意気込みを感じる。  日本初の「交通権憲章」の策定のために参 加した交通権学会会員の熱気溢れた記録を残 すためであった。会員からの意見・提案などは、 私のHM研究所の資料箱やスライドに歴史的 資料として今でも「保存」されている。  感慨深いのは「1998 年 3 月 15 日」に「島 原 琢会員からの意見」とあることだ。なぜ なら交通権学会の若手研究者対象の「研究 奨励金基金」は、若くして逝去した島原 琢 会員の「志」を願った御家族の寄付によって 2002 年に設立されたからである。  私の愛読書『座右板 中国古典名言事典』(諸 橋轍次著、講談社)の「孟子」には「天の時 は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず」 がある。それを私の方法である「三間法」つ まり「時間」「空間」「人間」で言えば、次の ようになる。「編集後記」に詳しいので読んで みよう。  「交通権学会初代会長の原田勝正先生も『交 通権憲章』の制定を早くから提案されていた が、学会発足 10 周年を契機にして『交通権 憲章作成委員会』が 1996 年度の学会で正式 に設置された。メンバーは、安藤 陽、土居 靖範、原田勝正、日比野正己である。幸い、 私はその年の 4 月から東洋大学大学院社会学 研究科福祉社会システム専攻教授として赴任 していたので、委員会は桜井 徹交通権学会 事務局長の参加もえて、東洋大学の白山キャ ンパスで開催した。その経過は本稿の最後に 資料として載せておいた。」  「天の時」(時間)で言えば、「交通権憲章 作成委員会」が 7 月に設置された 1996 年 4 月から、私は、毎週、長崎と東京を飛行機で 往復する「空飛ぶ教授」になったからだ。そ のため週末は長崎のHM研究所で作業するこ とができた。  「地の利」(空間)で言えば、東洋大学の私 の研究室が白山キャンパスにあったからであ る。なお、私の研究活動と歴史は『図解 交 通バリア・フリー百科』(日比野編著、TBS ブ リタニカ、2002 年)の「福祉のまちづくりと バリアフリー化の変遷」等に詳しい。  「人の和」で言えば、交通権学会が発足し て 32 年になるが、当時は新しい学問創造へ の意気込みと情熱がみなぎっていた。しかも 我が国初の「交通権訴訟」を提訴した住民運 動、労働運動、そして障害者運動もふくめ「時 代の情熱」が交通権学会にも溢れていた。 Q4 なぜ、交通権憲章は11条なのか? Q5 なぜ、各語訳か? Q6 なぜ、政策の経過が詳細なのか? Q7 なぜ、天・地・人か? 3

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巻頭言    楽しい課題は「交通権憲章(1998 年版)」 に既に書いてある。  「いまや 21 世紀を目前にして、世界的には 地球環境問題、わが国ではさらに少子・高齢 社会の急速な到来によって、交通権にもとづ く新しい交通像とその実現が求められている。 交通権は人間の夢と喜びを可能とする。」   第 1 の課題は「認知症と交通権」である。 団塊世代が 70 代になり「人類未体験」の高 齢社会になっていく。『図解 交通バリア・フ リー百科』の各論である『図解 痴呆バリア・ フリー百科』(日比野正己・佐々木由恵・永 田久美子共著、TBS ブリタニカ、2002 年) が参考になるだろう。すでに日本認知症ケア 学会もある。  第 2 の課題は「アンパンマン学と交通権」 である。アンパンマンの創作者である「やな せたかし」先生が逝去された 2013 年 10 月 13 日に私の「アンパンマン学」が誕生した。 幼児から親しむ「アンパンマンのマーチ」(い け! みんなの夢 まもるため)を「交通権」 から探求すると楽しい「日本初」となるので はないか。

交通権学会の楽しい課題はなにか?

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