近畿大学構内遺跡学術調査の紹介(三) - 327 ー
近畿大学構内遺跡学術調査の紹介(ご
今回は、山賀遺跡にて平成四年に発見した弥生時代 中期初頭頃の墓を紹介する。 発見した墓は墳丘墓と呼ぱれるもので、平地に溝を 掘り、中央に向けて士を盛りあげ、つき固め、木製の 棺を埋納するタイプの墓である。このタイプの墓は近 畿東海地方では弥生時代前期より存在し、中期には 関東地方でも造られるようになる。 本学が発見した墓は、調査範囲外にあってその辺縁 部のみ確雫きるものと、不明瞭なものを除くと八基 で、長辺が最大十三メートルまでの個人用の墓であ る。 いずれも長方形か円形に近い不定形状を呈し、周囲 に掘られた溝の幅と深さもまちまちで、整形されてお らず、一定の規格性や統一性は見いだせなかった。 ほとんどの木棺と人骨は、微生物にょる分解などを 原因として消失しており、二基から木棺の一部が、一 基から人骨の一部が出士したのみで、棺が存在してい た場所には副葬品の類いは置かれていなかった。この墓群は調査した場所全十七号二図姦)の
周辺に広く存在するものとみられ、南西に隣接する新 上小阪遺跡の発掘調査においても発見されている。 遺物は、弥生時代中期初頭頃の畿内第Ⅱ様式の壺や 甕と呼ぱれる士器が周溝にて出士しており、一基のみ藤田義成
し、 た 0 寺' 、 支;ゞ、 328 -畿内第Ⅲ様式の士器が出士することから、この墓群は おおむね二度の時期(紀元前三世紀と同二世紀頃) ι 造られたか、再利用されたことがわかっている。 墓域となる前(弥生時代前期)は狩り場であったよ うで、墳丘内外には多くの鉄が、そして現地で鎌を 作ったのか、サヌカイト(讃岐石)片が多数含まれて