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ラオスにおける国境を跨いだ生活の諸相 ──複数の事例をもとにした研究課題の提示── 利用統計を見る

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(1)

ラオスにおける国境を跨いだ生活の諸相 ──複数

の事例をもとにした研究課題の提示──

著者

箕曲 在弘

雑誌名

アジア文化研究所研究年報

50

ページ

334(13)-329(18)

発行年

2016-02-29

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00010879/

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ラオスにおける国境を跨いだ生活の諸相

──複数の事例をもとにした研究課題の提示──

箕 曲 在 弘

Ⅰ はじめに 本稿の目的は,ラオス人民民主共和国とタイとの間の国境をめぐる生活の諸相について,ラオス における2地域の調査結果を報告することにある。ラオスからタイへの出稼ぎは,ラオス政府に とって大きな課題となっており,政府はさまざまな抑制策を国際機関と連携して実施してきた(森 2009)。一方,受け入れ側のタイ政府も CLM 諸国(1) からの出稼ぎ労働者の管理に苦慮しており, 1990年代以降,幾度かの法整備が行われてきている(山田 2012)。とはいえ,それにもかかわらず, タイへの出稼ぎは,いまだラオスの若者にとって魅力的なものとなっているようである。 中国,ミャンマー,タイ,カンボジア,ベトナムと5か国に国境を接する内陸国のラオスでは, 今日,隣国との間の人とモノ,資金の動きが活発になっている。とりわけ,言語,文化的な類似性 を有するタイとの関係は密接であり,人の移動に限れば国境を接する他の国々と比べると際立った 特徴をもっている。 第1に,イサーンと呼ばれるタイの東北部とラオスのメコン川沿いに広がる低地部は,ともにタ イ・カダイ語族南西タイ諸語に分類されるラオ語を話す人びとが数多く住んでいる。つまり,言語 系統上,タイの東北部で生まれ育った人びとも,ラオスの低地部で生まれ育った人びとも,多くの 場合,ともにラオ族となる。したがって,フランスが後にラオス領となる地域を19世紀末に保護国 化し,今日のような国境線が確定する前まで,この地域に住む人びとは,とくに違った国に住む者 という認識はなく,お互いに行き来していた。 第2に,今日においても,タイとラオスの関係はとりわけ密接であり,ラオスの人びとは衛星放 送を通じて,日常的にタイのテレビ番組を視聴していたり,石鹸,洗剤,シャンプーなどの日用品 をほぼすべてタイから輸入していたりする。一方,ラオスの若者はタイのポップミュージックを好 み,VCD や DVD を通じてタイで製作された映画を好んで視聴している。とりわけラオスの低地 部に住む人びとは,言語上の類似性が極めて高いタイ東北部だけでなく,タイ中央の言葉にもメ ディアを通して慣れ親しんでおり,タイの文字を読み書きするのにも不自由はない。 このように,ラオス(とりわけ低地部)の人びとにとって,タイは言語,文化的な障壁が極めて 低く,他の隣国に比べ人の移動を促しやすい条件が整っているといえる。そのうえ,多くのラオス の若者は,タイのテレビドラマの視聴を通じて,タイ(とりわけその中心部)を都会的で洗練され た場所だと認識していると思われる。ラオスの若者にとって,テレビで観た魅力的な場所は,陸続 きで決して遠いわけではないと感じているはずである。このような,タイのテレビが表象する消費 文化のイメージは,ラオスの若者たちにとって,出稼ぎへの欲望を喚起する重要な要因のひとつと なっていることだろう。 (1)CLM とは,タイと国境を接するカンボジア,ラオス,ミャンマーの3カ国を意味する。

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アジアにおける国境をまたぐ生活スタイルの研究││東アジア・東南アジア・南アジアの比較を中心に││ ラオスにおける国境を跨いだ生活の諸相──複数の事例をもとにした研究課題の提示── だが,出稼ぎを望むラオスの若者にとって,両国にまたがる政治的権力のために,タイへの移住 は決して容易なものではない。1975年12月にラオス人民革命党が政権を掌握してから数年間はタイ との国境が封鎖され,人の行き来はもちろん,物資の往来もできなくなった。その後,国境は再び 開かれ,政府が市場開放政策に舵を切ると,タイからの物資は大量にラオス国内に流入し,人の行 き来も少しずつ緩和されていった。この結果,今日では,合法的にタイに移動することは容易にな り,タイに出稼ぎに向かう若者は大きなリスクを背負うことなく,タイで働けるようになったので ある。 このような背景を踏まえて,本稿では第一に首都ビエンチャンに住む男性への聞き取り調査よ り,1975年の社会主義政権誕生以前の国境を越えた生活のあり様を明らかにしたい。続いて,南部 のコーヒー産地であるチャムパーサック県パークソーン郡の3つの村における聞き取り調査より, 農村部の出稼ぎの現状について明らかにしたい。 Ⅱ タイからラオスへの移住──ビエンチャン調査から 首都ビエンチャンは,メコン川を挟んだ対岸がタイ領となっており,タイとの関係は非常に近い。 2015年現在,タイとラオスには4つの友好橋と呼ばれる橋がある。その最初のものが,1994年,ビ エンチャンとその対岸のノンカイにかけられた第一ラオス=タイ友好橋( )である。この友好橋建設のおかげで,人と物資の往来は一層活発になった。 だが,それ以前の,とりわけ社会主義政権成立以前の両国の間には,確かに国境線はあったもの の,今日ほど厳格に管理されていたわけではなかった。ビエンチャン市内の新興住宅街として知ら れるシーワッタナー地区に住むタワン氏(仮名)は,東北タイで生まれたのち,これまでの人生で ラオスとタイを何度も往復して生活し,今ではビエンチャンを拠点に生活している高齢の男性であ る。 1945年に東北タイで生まれたタワン氏は,産まれた直後に実母を亡くした。実父はそののち別 の女性と再婚し,その関係でタワン氏はラオスに移住した。だが,大学入学をきっかけに再びタ イ側に戻り,タイの大学を卒業した。 大学卒業後,アメリカの農村開発プロジェクトで英語を話せる人を探していたので,再びラオ スに戻り,このプロジェクトに参加した。このプロジェクトでは,ターケーク,サワンナケート, アタプーなど南部6県において,農村の基礎調査と井戸掘りを行った。 その後,ビエンチャンに戻り,ドイツ系の工科大学の教員になり,溶接の仕方を学生に教える ようになった。これがきっかけで,西ドイツの奨学金を得て4年間留学し,1969年に学位を取得 して帰国した。帰国後は,元の大学で教え,その頃,家の近所に住む女性と結婚した。 このあと社会主義政権が成立し,タイに出ることは一時的に不可能になったものの,近年は,頻 繁にタイと行き来をしている。第1子であったタワン氏は,上記のとおり彼が生まれてからすぐに 実母を亡くしており兄弟姉妹はいないものの,母方の親戚が現在でもタイ側に多数住んでいる。こ のため,家族そろって車で旅行にいくことがある。筆者が調査した数か月前にも,車で6時間程度 かけて,タイ東北部のローイエットまで親戚を尋ねて旅行に行ったという。 このように,タワン氏はタイで生まれて,ラオスに渡り,再びタイに戻るものの,ラオスに帰っ てくるというライフコースをたどっている。その移住の要因は親の結婚,進学,就職であることが 分かる。ここには,現金収入の期待できない国から,今日わたしたちがイメージする現金収入を求

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アジアにおける国境をまたぐ生活スタイルの研究││東アジア・東南アジア・南アジアの比較を中心に││ めて貧しい国から豊かな国に出稼ぎに行くという一方向の動きではなく,その時々のライフコース の節目にそれぞれ異なった移住の契機が見いだせる。すなわち,社会主義政権以前のラオスとタイ の国境を越えた移動には,経済的な動機に限らず,多様なきっかけを前提として双方向に行きかう というといった特徴があることが分かる(2) 。 Ⅲ ラオスからタイへの出稼ぎ状況──パークソーン郡の農村調査から 首都ビエンチャンから直線距離にして約600キロ離れたチャムパーサック県パークソーン郡は, コーヒー栽培が盛んな地域である。出稼ぎの問題を考える前に,この地域の特徴として2点述べて おきたい。第一に,ラオスの低地部の水稲耕作が盛んな地域と異なり,この地域に住む人びとは, コーヒーを売って現金を手に入れて,主食のコメを買う生活をしている。したがって,コメを自給 している地域よりは,現金収入を得やすい環境にある。 第2に,パークソーン郡はタイと国境を接しているわけではないが,タイの国境があるバンタオ までは,一直線の舗装された道が伸びており,約100キロの距離にある。パークソーン郡の中心地 に住んでいれば,自家用車を使い日帰りでタイ側の都市ウボンラーチャターニーを往復できる。こ の距離は,タイ側と国境を接している地域ほどではないが,タイに出向くには決して遠くない。 すなわち,現金収入の得やすい環境が経済的な理由で出稼ぎすることを踏みとどまらせる一方, タイとの物理的な距離の近さが出稼ぎの負担を軽減させることにもつながっていることが推測され る。この両側面が出稼ぎの実態にどういった影響を与えているのかを,以下の3つの事例に即して 考えてみたい。 1 KP村の事例 パークソーン郡の中心地から北へ10キロほどの地点にある KP 村は,1960年代に現在の地点から さらに北に3キロの地点にある村から移住してきた家族によって構成されている。現在では200家 族,1000名ほどが住んでいる。この村は郡の中心地からかなり離れているため,公務員や商人を持 つ家族はほとんどなく,すべての家族がコーヒーを主な収入源としている典型的な換金作物依存型 の村である。以下,コーヒー生産組合長に伺った同村のタイへの出稼ぎの状況である。 2015年8月現在,KP 村からタイに出稼ぎに出ているのは,12名から13名である。彼らはタイ において,食堂のキッチンやホール,物売り,家事手伝い,工場における氷運びなど,基本的に 単純労働の仕事に従事している。送金額は,月に4000から5000バーツ程度(約13,760∼17,200 円(3))である。彼らの中には,時々,村に一時的に帰ってくる者もいるが,まったく帰ってこな い者もいる。 合法的に出稼ぎに行っている者については,村長など村の幹部がその人数を把握している。しか し,非合法の者や数か月で帰ってくる短期の出稼ぎについては把握しきれていない可能性がある。 年齢は20代前後の場合が多く,小学校や中学校を卒業あるいは中退して,家の農作業を手伝ってい る状態にある者が出稼ぎに行くことになる。 一方,村には村落警察という役職があり,薬物や違法出稼ぎの取り締まりをしている。同村では (2)タワン氏の国籍や移住の際の政府の許可などの情報を聞き取れていない。次回の課題としたい。 (3)2015年8月の円バーツ換金レートにより算出した(1バーツ=3.44円)。

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アジアにおける国境をまたぐ生活スタイルの研究││東アジア・東南アジア・南アジアの比較を中心に││ ラオスにおける国境を跨いだ生活の諸相──複数の事例をもとにした研究課題の提示── この村落警察が違法出稼ぎを見つけた場合,捕まった者は一月15,000キープ(約225円(4))を出稼ぎ していた月数分,罰金として村長に支払う規則がある。2014年と2015年は誰も捕まっていないが, 数年前は5名程度いたという。この5名はすべて女性で,年齢は20歳程度であった。 2 SP村の事例 次に挙げるのは,パークソーン郡中心地から同じく北に10キロほどの地点にある SP 村である。 214家族,1010名で構成される SP 村は,エスニック・マイノリティ集団のラベン(ジュル)が人 口の大半を占める点が特徴的である。KP 村と同じく SP 村の人びとの主な生業はコーヒー栽培で あり,村人は平均2ヘクタール程度の農地をもち小規模な家族農業を営んでいる換金作物依存型の 村である。以下は,同村の村長から聞き取った話である。 KP 村におけるタイへの出稼ぎ者は,2015年8月時点では誰もいない。しかし,これまでに3 名の若者がタイに出稼ぎに行ったことがある。1人目は現在26歳の男性でタイにいたときは魚の 養殖場で働いていたという。2人目は現在26歳の女性で,タイではサトウキビプランテーション で働いていたという。3人目は現在26歳の男性でタイでは土木の仕事をしていたという。2人目 と3人目は,現在では結婚し,村の中でコーヒー栽培に従事している。みな経済レベルが普通よ り少しよいくらいの家庭で生まれ育った。3人とも3年くらいの間,タイに住んでいた。最初の 1年くらいは両親に送金していたようだが,その後は途絶えた。 この SP 村の場合,先述の KP 村のように多くの出稼ぎ者がいるわけではなく,これまで把握さ れている中でたった3名しかいない。ただし,ここでも村長は非合法的な出稼ぎまで把握できてい ないため,実際の数は分からない。仕事の中身は KP 村のものと異なるが,いずれにせよ単純労働 である。この3名のタイに出稼ぎに行った動機は明確ではないが,みな近隣の村の友人と一緒にタ イに渡ったという。 3 PO村の事例 最後に挙げるのは,パークソーン郡の中心地から南へ3キロの地点にある PO 村である。約118 家族,543名で構成されるこの村は,現在の地点よりおよそ5キロ東にある村から移り住んできた 人々によって,1936年ころに作られた。この村の特徴は,町に近いこともあり上記2村に比べて現 金収入の多い家族が住んでおり,公務員や商人が一定数いるという点にある。したがって,必ずし もコーヒー栽培が主要な生業ではない者もいる。一方で PO 村は南側に広大な敷地があり,なかに は10ヘクタール程度のコーヒー農園を持っている者もいる。小規模農家が一般的に2ヘクタール程 度の農地を持つ者を指すことを考えると,この村には一定数の中規模農家が住んでいることにな る。この村では,個別の家庭において聞き取り調査を実施した。 1969年生まれのMさん(女性)は,夫と5人の子どもとともに暮らしている。夫婦はどちらも PO 村生まれであり,長男(24歳)は父親とともに家族のコーヒー農園で働き,長女(22歳)と 次女(20歳)は,同村から50キロほど離れたラオス南部の中心地パークセーの単科大学で会計を 学んでいる。三女(18歳)は近隣の町の高校に通い,二男(13歳)は村の中学校に通っている。 この家族の農園は15ヘクタールあり,すべてコーヒーを植えている。この規模であれば,十分, (4)2015年8月の円キープ換金レートを使用した(1キープ=0.015円)。

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アジアにおける国境をまたぐ生活スタイルの研究││東アジア・東南アジア・南アジアの比較を中心に││ この人数の家族を養うことができ,大学にまで行かせることができる。 この家族でタイに出稼ぎに行っているのは,単科大学に通う長女と次女である。大学が休みの 3か月間だけ,タイの首都バンコクに行き,2人で同じ部屋に住み,ともに物売りの仕事をして いる。日給は400バーツだというが,バンコクまでの往復交通費は一人900B,パスポートの取得 に3000バーツを要する(5)。娘たちとは毎日電話で話しているという。 この家庭の2人の娘たちが3か月間で稼げるのは,仮に休みがほとんどなく90日間(約3か月) 働いた場合,一人約36,000バーツ(約123,800円)である。支出は推測だが,表1のようになると考 えられる。この支出を鑑みると,残るのは約9,600バーツ程度(約33,000円)となる。実際はもう少 し働く日数が少ないと予想されるうえ,雑費に携帯電話の通話料やデータ通信料を含むとなると, もう少し多くなる可能性もある。母親のMさんによれば,娘たちから送金はないうえ,自分で学費 を払うといった話もしていないという。母親もそういった期待すらしていないようであった。つま り,この出稼ぎは,あくまで都会に出て短期のアルバイトをするようなものであり,そこで得た収 入は自分たちが遊ぶために使うのだと思われる。 表1 バンコクで3か月間出稼ぎに行った場合の支出の推計 費目 金額(バーツ) 備考 家賃 4,500 約3,000B/月×3か月 = 約9,000B÷2名 食費や雑費 18,000 約200B/日×90日 往復交通費 900 パスポート取得 3,000 合計 26,400 約91,000円 (出所 調査データより筆者作成) このMさんの娘たちの事例は,わたしたちが「出稼ぎ」としてイメージするものとは,多少かけ 離れているようにみえる。確かに収入を得るために国境を越えて一定期間,国外に滞在することか ら,形式的には出稼ぎと変わらない,だが,そもそもそこで得られた収入を送金して家計の足しに するという発想はない。この「出稼ぎ」のようなものは,彼女たちにとって,「進んだ都会の空気」 を吸うために国境を越え,自分たちが遊ぶためのお金を稼ぎ,再び戻ってくるという「遊び」の延 長線上に位置づけられる生活の営みなのである。 4 出稼ぎ者に対する認識 以上の3村の事例から,出稼ぎの実態を明らかにしたが,興味深いのはここで出てくる出稼ぎ者 に対して向けられる村人たちの評価である。 KP 村の生産組合長は,「男がタイに行くと全部金を使って,結局,貧しいまま帰ってくる。一方, 女性は貯金して送金する」という。これと同様の認識は,彼以外にも複数の人物から聞いた。SP 村の村人は,「(タイに行けば)お金を稼ぐのは簡単だと思っているみたいだけど,結局,それは無 理。戻ってきてもお金は持っていなかった。空っぽ。節約できる人だけ,お金を稼ぐことができる」 と笑って言う。このように,村人たちはある程度の年になると,これまでの経験からタイに行って も,ほとんどの人が使ってしまうので稼げないことを知っている。タイの賃金は高かったとしても, (5)このパスポートで6か月間タイに滞在できるというが,未確認である。

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アジアにおける国境をまたぐ生活スタイルの研究││東アジア・東南アジア・南アジアの比較を中心に││ ラオスにおける国境を跨いだ生活の諸相──複数の事例をもとにした研究課題の提示── それに付随する出費は多いうえ,若者が抱く消費への欲望が,彼らにお金を貯めるのを止まらせる のである。 ラオスのコーヒー産地の若者にとって,タイへの出稼ぎは金銭の必要性に迫られて行われるので はなく,むしろ,テレビで観たタイの都会の空気を堪能するために行われるものである可能性が高 い。実際,PO 村の2人の娘の事例はこれに当てはまる。さらに,その他の事例においても,出稼 ぎに行く若者は,当初金銭目的であったかもしれないが,次第に送金しなくなり,帰ってきたとき にはお金がなかったと言われるように,結局は消費の欲望に屈してしまうのである。 Ⅳ おわりに 以上,ラオスとタイの間の国境をめぐる生活の諸相について,ラオスにおける2地域の事例をも とに報告した。ビエンチャンの事例では,社会主義政権成立以前のラオスにおけるタイとの間の行 き来が今日ほど厳格に管理されていたわけでなく,比較的容易に移動できたことが分かる。一方, コーヒー産地の事例では,現金を獲得する機会は地域内に十分にあるものの,タイに出稼ぎに行く 若者の事情を明らかにした。彼/彼女らはタイに働きに出るものの,結局は現地の消費の欲望にと らわれて貯蓄できず,稼いで戻って来られないという話が流布していることが分かった。とりわけ, そもそも稼いで戻ってくることを期待せず,都会に遊びに出る感覚で短期的に国境を越えて移住す る若者がいることは興味深い。これは,パスポートの取得条件など両国間の合法的な移動の障壁が 低くなったことに加えて,ラオスとタイの言語的,文化的な類似性が,移住への障壁を低めている ことが関係しているだろう。 Barney(2008)は,タイへの出稼ぎには児童労働に加えて低賃金や違法な労働といったさまざ まな問題があるにも関わらず,多くのラオスの若者がタイに移住し続けていると指摘している。こ の要因は,彼によれば経済的なものばかりでなく,都市空間やメディア,ファッションといった「タ イの近代」への接触にもあるという(Barney 2008:64)。本稿の事例においても確かにこのような 傾向がみられた。だが,近年まではタイへの出稼ぎは現地で何が起こるか分からないというリスク を抱えながら行くものであったが,今日ではさまざまな情報が出回り,そういったリスクを回避す る実践も次第に身についてきていると推測される。 今後,ラオスとタイの国境を越えた生活の諸相を明らかにする場合,現金収入の必要性から出稼 ぎに行かざるを得ないという理由ばかりではない,遊び感覚で数カ月単位の移住をするカジュアル な出稼ぎにも注目し,多様な国境を超える実践についての理解を深めていくとよいだろう。このカ ジュアルな出稼ぎが,他の国境を挟んだ国同士の関係においても成立するのかどうかを考察してい くこともまた有意義な研究になると思われる。以上の研究課題を提示して本稿を終えたい。 参考文献 Berney, K

 2008 Land, Livelihoods and Remittances: A Political Ecology of Youth Out-migration across the Lao-Thai Mekong Border, Critical Asian Studies 44: 57-83.

森一代

 2009 「ラオス政府の不法就労抑制にかかわる一考察」『タイ研究』9: 99-122。 山田美和

 2012 「タイにおける移民労働者受け入れ政策の現状と課題」『東アジアにおける人の移動の法制 度』pp.1-16, アジア経済研究所。

参照

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