• 検索結果がありません。

経済競争の発生

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "経済競争の発生"

Copied!
22
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

経済競争

発生

海 道

1.序

1.経済競争の基本的特徴 1917 年のロシア 10 月革命を契機として発生した資本主義と社会主義の経済競争は,一方におけ る社会主義の工業生産高の急速な増大,その経済的地位の上昇,他方における資本主義の世界 経済に占める地位の相対的な低下,その支配領域の縮小化を基本的な特徴として発展している。 資本主義が体制的な全般的危機の段階にあるといわれるゆえんもこのような状況を背景として いる。 1917 年以来の歴史は,社会主義経済が平和的な条件のもとで資本主義経済に追いつき追い越 していくことが可能である乙とを証明した。その事実は,社会制度の特質にもとづく必然的な 結果であり,法則的なものである。全世界的には,資本主義は徐々に死滅しつつあり,新たに 社会主義が発生し発展している。乙の現象は,何人も否定しえない歴史的現実となっている。 社会主義が資本主義に追いつき追い越していく過程は,社会体制の独自的な構造的特質にも とづくものである。 2. 資本主義経済の特質 資本主義には,それ自体に固有の好況と不況,繁栄と恐慌の産業循環,景気変動,周期的に 発生する過剰生産恐慌がある。 イギリス資本主義においては, 1825 年以来日世紀においでほぼ 10 年を周期として恐慌が発生

した。その 10 年は,固定資本更新の期聞に相当す 41

生産諸手段の私的所有と生産の無政府性を特徴とする資本主義経済においては,周期的な過 剰生産恐慌は,逃れられない運命にある。 20世紀の高度に発達した独占資本主義段階において

それは消滅してはし

1ない。むしろその周期は時には短縮化されている。 も, (1) 1825 年以前の恐慌ならびに, 1825 年以降の恐慌の周期性についての具体的な内容は,つぎの論文を参照の乙 と。そ乙では,固定設備更新の期聞についても,マルクスの原典における資料が示されている。林直道「景気 循環と恐慌の周期a性一ーその物質的基礎についてJ r経済学の諸問題」大阪経済法科大学出版部, 1987 年, 3 -31 ページ。

1

(2)

1929~1933 年恐慌後においては, 1937 年の特殊の不況が引続き発生し,以前の好況期の最 高水準の工業生産高の段階に達しない前に新たに不況の局面に突入するという現象が発生した。 資本主義は自動回復力を失うにいたり, 10 年聞に 2 回の下降,沈滞期を迎える最悪の段階を経 験した。 第 2 次世界大戦後の資本主義は, 1970 年代から 1980 年代 l 乙かけて 1974~ 1975 年の第 1 次石 油ショツ lクによる恐慌と 1980~ 1982 年の恐慌を経験している。恐慌発生の間隔は,短縮化さ れ, 10 年に 2 回の恐慌を見るにいたった。 20 世紀の恐慌の規模と深さとは, 19 世紀とは比較にならないほどに拡大化された。物質的生 産力が発達し,資本の有機的構成が高度化し,工業生産高が巨大となり,生産組織が拡大化さ れればされるほど,恐慌が一旦発生するとその影響する領域は広がり,工業生産の縮小,操業 率の低下,企業の倒産,失業の発生,生産力の停滞は深刻化する。独占資本主義段階における 恐慌は,産業資本主義段階におけるそれよりもはるかに規模が拡大化され複雑となっている。 全世界的には,

1

8

4

7

~ 1848 年に最初の世界恐慌が発生した。それはイギリス, ドイツ,フラ ンスのヨーロッパ諸国とアメリカを襲った。その後ほぼ 10 年を周期として世界恐慌が現われ, 19世紀末には長期の沈滞が続いている。 20 世紀に入ってからは, 1907 年の世界恐慌があり,あと第 1 次世界大戦 (1914~ 1918 年)に 入る。第 1 次大戦後には 1920 ~ 1921 年の戦後恐慌が生じており, それは以前のどの恐慌より も深刻なものであった。 1920 年代にはアメリカでは長期の農産物の過剰生産を背景として 1929 年 10 月 24 日の暗黒の 木曜日に株式恐慌=取引所恐慌が始まった。それ以前の好況の熱は一夜にして吹き飛んだ。株 価の暴落に引続き,工業恐慌,銀行恐慌,信用恐慌,金融恐慌, 1933 年の貨幣恐慌=本位貨 恐慌が発生し,世界各国に波及し,世界資本主義の全般的危機をよりいっそう深めた。

1

9

2

9

~ 1933 年の恐慌において,アメリカの 1932 年の工業生産高の水準は, 1929 年のマイナ ス 45.8% ,資本主義全体としては 35.5% の低下であった。主要な資本主義国の工業生産高の水

準は, 1913 年以前の水準lこまで後退し 7220年分の後退。その恐慌の規模と深さとは, 19 世紀

(2) 工業生産高の変化 (1928年 =100) 1913 資本主義国 73 その内 1932 69 アメリカ 63 58 イギリス 107 88 ドイツ 89 60 フランス 79 76 チェコスロパキア 73 59 ポーランド 111 54

(3)

の比ではない。足かけ 5 年聞に及ぶ暗黒と苦悩の時代が続いたのである。 当時アメリカでは,多くの銀行があっという聞につぶれていった。倒産した銀行は 5, 000 以

上。株式価格は 3 年聞にわたってほぼ一貫して低下を続けた。失業者は 1 , 357 万人~ 1 , 600 万

人以上と推定された。 10 万人をこえるアメリカの労働者が、ノ連の 6, 000 人の求人に応募し 72

農産物価格は悲惨なまでに低下した。 1932年におけるアメリカの小麦とライ麦の卸売価格は,

1928 年の

40% にも達しなかった。とうもろこしの卸売価格は

1929 年のマイナス

6

1.

5%

という

{fl;さであった。 3. 社会主義経済の特質 社会主義は,生産諸手段の社会的所有により企業,銀行,保険,運輸,通信を国有化し,資 本主義的私企業を消滅させ,新しく資本家の存在しない社会主義企業を成立させた。生産手段 の社会化にもとづく全国民経済の計画化は,周期的に爆発する過剰生産恐慌を一掃し,好況と 不況,上昇と下降の経済変動,繁栄と麻庫の産業循環を絶滅させた。それにより失業発生の根 拠も取り去られた。 過剰生産恐慌,景気変動に代って,たえまない生産の増大,釣合いのとれた計画的発展が新 しい経済法則として生れた。資本主義のもとでの利潤極大の法則,最大限利潤の法則に代って, たえまなく生産技術を発展させて最大限に国民の需要を充足させ,生活水準を向上させる基本 的な経済法則が新たに作用するようになった。またたえまない労働生産性の向上と労働に応じ た分配によりたえまない実質賃金の上昇が可能となり,それらは社会主義に固有の経済法則の 地位を占めるにいたった。 社会主義は,生産諸手段の私的所有を社会的所有に変え,計画経済を手段として国民経済の 急速な発展を実現したしまたしつつある。 4. 平和的経済競争 1917 年に始まった社会主義と資本主義の経済競争は,両体制の平和共荏を条件として発展し

ている。平和共存は,両体制存続の基本原則であり、平和的な経済競争を意味している。その

基本的な内容は,国民の生活水準向上の競争である。その基礎には,いうまでもなく,物質的 生産力の発展の競争がある。その主要な形態は工業生産の増大の競争である。

工業生産の増大の競争において,生産手段生産部門の生産の増大が消費資料生産部門の生産

の増大に優先する。それは労働生産性向上の競争の条件をなしている。労働生産性の向上は国

民所得増大の競争における勝利の条件でもある。

(

3

)

The G

r

e

a

t

Depression

,

e

d

.

by

D

a

v

i

d

A

.

Shannon

,

1

9

6

0

.

D

.

A. シャノン編, 玉野井芳郎,清水知久

訳,「大恐慌-1929年の記録J 1963年,

7

-19

,

3

0

~ 32ページ。

(4) C OUl1aJII1CTl1yeCKOe CTpOI1TeJIbCTBO CCCP, 1934. 日 p l1 JIO lK eH l1 e , C. 86.

(4)

5. 社会主義の優位性

資本主義は,生産手段の私的所有にもとづき生産の無政府性を特徴とし,過剰生産恐慌を周

期的に発生させるのに対し,社会主義は生産手段の社会的所有を基礎として国民経済全体の計

画化にもとづき過剰生産恐慌を一掃した。周期的な経済変動を消滅させ,たえまない生産力の 発達,工業生産高の増大を実現し,失業を一掃する乙とができた。過剰生産恐慌と景気変動の 消滅により社会主義は、工業生産の急速な増大により,資本主義に追いつき追い越す乙とが可 能となった。 この社会体制の歴史的特質に規定されて,資本主義と社会主義の経済競争における具体的現 実は,社会主義の工業生産の発展テンポが資本主義のそれを上廻っている乙とを示している。 現代の経済競争における基本的な特徴は,物質的生産力の発展における社会主義の優位性にあ る。それは,将来の発達を規定する決定的要因をなしている。 ll. ソ連経済の発展 1.ロシア資本主義の地位 1861 年の農奴解放以来カパラ形態をもっ軍事的封建的資本主義として特徴づけられたロシ ア資本主義は, 1913 年当時,アメリカ,ドイツ,イギリス,フランスに次いで,世界で第 5 位, ヨーロッパで第 4 位の工業国一一農工業国であった。総生産高の 58% は農業生産高で,工業生 産高は 42% ,国民所得に占める工業部門の比率はほぼ 40% で、あった。 (5) ソ連 アメリカ ソ連とアメリカの工業生産高の年平均増大テンポ(%)

1961-1985

6

.

5

3

.

8

1

9

7

1

-

1

9

8

5

5

.

2

3

.

0

備考

H

a

p

o

.lUiO

e

X03S1l!CTBO

CCCP

B

1985r.

,

1986

,

c

.

5

8

2

.

1

9

8

1

-

1

9

8

5

3

.

7

2

.

6

キ士会主義国と先進資本主義国との工業生産高の年平均増大テンポ(%) 社会主義国 先進資本主義国 備考 TaM >K

e

,

c

.

5

8

0

.

1961-1985

6

.

9

3.9

1971-1985

6

.

6

2

.

7

1981-1985

5.5 1.8

(5)

1913 年のロシアの工業生産において鉄鋼生産高は 423 万t 。アメリカの 3, 180 万 t の約 8 分の

1

,

ドイツの 1 , 290 万t の 3 分の 1 ,イギリス 779 万t ,フランスの 700 万t の 60% で,ヨーロッ パ第 4 位の地位を占めていた。ちなみに,当時日本は,僅かに 38 万t 。ロシアの 8% 。ロシア は日本に対し鉄鋼生産高でははるかに先進国であった。 1913 年のロシア資本主義の発電量は,アメリカ, ドイツ,イギリス,カナダ,イタリー,フ ランス,ノールウェーに次いで世界で第 8 位。アメリカ 255 億キロワット時に対しロシアは 19.4 億キロワット時で,アメリカの 10 分の l 以下,イギリスの 46.5 億キロワット時の半分以下, ドイツ 28 億キロワット時,フランスの 21 億キロワット時にほぼ接近化していた。 石炭採掘高では,ロシアはアメリカ,イギリス, ドイツ,フランス,ポーランドに次いで世 界で第 6 位。アメリカ 5 億 1 , 690 万t ,イギリス 2 億 9, 200 万t

,

ドイツ 1 億 3, 960 万t ,フラ ンス 4, 430 万t で,ロシアはアメリカの 5 %,イギリスの 10 分の l 以下の 2, 900 万t

,

ドイツ の 4 分の l 以下,フランスの 60 %を若干上廻る程度であった。 石油では,ロシアはアメリカに次いで世界第 2 位であったが,アメリカの 3 分の l 以下。ア メリカ 3, 410 万t I乙対しロシアは約 1 , 000 万t であった。 セメント生産ではロシアは 180 万t 。アメリカの 1 , 590 万 t の僅かに 11% 。ドイツの 520 万 t の 3 分の 1 で,イギリス,フランスに次いで世界第 5 位。 機械製造高においては,アメリカ, ドイツ,イギリスに次いで世界で第 4 位,ヨーロッパ第 3 位であった。 1913 年の金属切削機の生産台数は僅かに 1 , 800 台であった。 ロシアの化学工業は,技術的に遅れており,輸入原料にもとづいて稼動していたので,原料 産地はなく,世界に占める地位もなかった。 1917 年の革命前においては, トラクターは生産されておらず,貨物自動車,パスについても ほとんど生産されてはし 1 なかった。またアルミニウム,マグネシウム,ゴムの生産はまったく 行われてはいなかった。 ロシア資本主義は,重要な工業生産の分野においてもっとも進んだ先進資本主義国に遠くヲ| きはなされていた。 革命前のロシアの工業は,生産設備の大部分を輸入しており,先進資本主義国に依存してい た。工業生産高に占める機械製造業と金属加工工業の比率は 9% 弱で,生産手段生産部門は立 遅れていた。 1913 年当時のロシアの総工業生産高の中で生産手段生産部門(第 I 部門)の生産高は 33% で あり,残りの 67 %が消費資料生産部門(第 E 部門)であった。ロシアの経済は,第 E 部門が 優位を占め,軽工業国の特徴を示していた。繊維産業における独占度は外国よりもかなり高度 の水準を保っていた。

5

(6)

-2. 重工業国への発展 1917 年の社会主義 10 月革命によって新しく生れたソビエト政権は,

1

9

1

8

~ 1922 年の国内戦 と外国干渉戦によって工業生産高の激減を余儀なくされた。 1921 年には工業生産高は 1913 年 水準の 31 %1乙低下し,大工業の生産高は 21 %の水準に減少した。 各部門別に見ると,銑鉄の生産高は 1913 年の 421.6万 t より 1921 年の 11.7 万 t (1920年 11.6 万t )に減少し,その比率は僅かに 3%弱。鉄鋼の生産高は 1913 年の 423.1 万 t より 1921 年の 22万 t (1920 年19.4 万 t )に低下し, 1913 年水準の 5%弱となる。 石油の採掘高は 1913年の923 .4万 t より 1921年の 378.1 万 t lL低減した。マイナス 60% 以上。 石炭は 1913 年の 2 , 91 1. 7 万 t より 1921 年の 953 万 t 1(.低下し, 50% 以下となる。 (1920年 874.6 万t )電力については, 1913 年に 19 億 4, 000 万キロワット時が 1921 年には僅かに 5 億 2, 000 万 キロワット時に低下し, 74% の低減,僅かに 4 分の l の水準になる。セメントの生産では, 1913 年に 177.7 万 t

,

1920 年に 3.6 万し 1921 年に 6.4 万 t で,壊滅状態といってよいほどに 低下した。 1920 年で 1913 年水準の 2%強, 1921 年で 4% 以下であった。 砂糖の生産では, 1913 年の 134. 7 万 t より 1921 年の 5.1 万 t へ低下。僅かに 4% 。 農業の総生産高は, 1913 年を 100 として 1921 年には 60 であった。 40% の低下。 運輸部門では,鉄道貨物輸送は 1913 年の 764 億料率トン・キロメートルから 1921 年の 140 億料率トン・キロメートルに 80% の低下であった。水運による貨物輸送は 1913 年の 110 億ト ン・マイルから 1920 年の 11 億トン・マイルに低下,

1

0

%となる。 外国貿易は, 1924 年に 1909 ~ 1913 年水準の 30% 以下となり,輸出は僅かに 22% であった。 ソ連経済の出発点である 1917 年より 1920 年初頭にかけての状況はきわめて不利な条件のも とにおかれていたことは,以上の数字によっても明らかである。 1921 年の工業生産高の水準は, 1913 年の水準をはるかに下廻るものであり,極端な部門においては僅かに数パーセントという 悲劇的なものであった。 乙の極端に低い水準にもかかわらず,若いソビエト政権は, 1921 年の最低点を克服して社会 主義工業化を推進し,急速な工業生産高の回復と増大のもとに軽工業優位であった破壊された 国民経済を 1930 年代には重工業優位の産業構造に作り直した。 第 1 次 5 カ年計画 (1928~1932 年)開始期には,第 I 部門と第 E 部門の比率(%)は 40 対 60 で あったが,その終了期には 53対 47 と逆転した。ソ連は第 I 部門優位の工業国に発展した。 1940 年一一独ソ戦勃発の前年一ーには,両者の比率は 61 対 39 となり,ソ連は生産手段生 産部門優位の重工業国に転化した。総工業生産高に占める機械製造業と金属加工工業の生産高 の比率は 30% に上昇した。 当時すでにソ連の社会主義工業は,資本主義から独立しており,国民経済には生産施設が, 軍隊には軍需品が完全に保証されるにいたった。第 1 次大戦当時においては,ロシアは自国製

(7)

品による自国の軍隊の武装は不可能であった。生産手段生産部門は相対的に遅れていたが,こ のような産業構造の脆弱性は社会主義工業化によって取り除かれた。 1940 年の工業生産高は, 1913 年の 8.5 倍,そのうち第 I 部門は 15 倍以上,第 E 部門は 5 倍 となった。とくに機械製造高は約 35 倍,電力約 25 倍,化学工業品は約 22 倍,肥料 47 倍,メリ ヤス製品 40 倍,縫製品 13 倍,缶詰製品 11 倍以上であった。重工業部門が建設され,国民生活 l 乙重要な産業部門も急速に発展した。 第 2 次大戦後の 1950 年には,ソ連工業における第 I 部門と第 E 部門の比率は 69 対 31 となり, 1955 年には 71 対 29 とさらに前者の比率を高め,先進資本主義国に劣らない重工業をもっ社会 主義国に発展した。 3. ヨーロッパ第 1 位の工業国への発展 ソ連は第 1 次 5 カ年計画 (1928 ~ 1932 年)と第 2 次 5 カ年計画 (1933 ~ 1937 年)において 工業生産を倍加倍増した。第 1 次 5 カ年計画では 2.02 倍,第 2 次 5 カ年計画では 2.2 倍。第 I 部門は 2. 7 倍と 2.4 倍,第 H 部門は1. 6 倍と 2 倍になった。 部門別に見ると,鉄鋼は第 1 次 5 カ年計画期に1. 4 倍,第 2 次 5 カ年計画期に 3 倍,石炭は 1. 8 倍と 2 倍,石油は1. 8 倍と1. 3 倍,電力はそれぞれ 2. 7 倍,肥料は 6.8 倍と 3.5 倍,機械製 造業と金属加工工業の総生産高は 4 倍と 2.8 倍,セメントは1. 9 倍と1. 6 倍に増大した。 1928 年には世界第 5 位の工業生産高であったソ連は, 1930 年にはフランスを追い抜き第 4 位になった。 1931 年にはイギリスを凌駕して第 3 位となり, 1932 年にはドイツを追い越して世

界第 2{立の地位に上昇し fjy

1932 年におけるソ連の工業生産高の資本主義国に対する比率は,フランスに対し190% 以上, ドイツに対し 160 %以上,イギリスに対し 130% 以上であった。アメリカに対しては, 1929 年

10%

より目32 年の 40%以上に増大し

72

ソ連の経済的地位の上昇は,いうまでもなく,一方における社会主義計画経済による急速な 工業生産力の発展にもとづくものであり,また他方における資本主義国の1929 年恐慌による工 業生産高の低下にも影響をうけた必然的結果である。それは内的要因と外的条件に依存した歴 史的現象である。 以上に見たようにソ連は 1932 年に国民経済の計画化にもとづく急速な発展によって,フラン ス,イギリス, ドイツの工業生産高を追い抜き,ヨーロッパ第 1 位の工業国に発展した。革命 後15 年のことである。 1918 ~ 1920 年の国内戦と外国干渉戦の時期を除けば,僅か12 年でヨー ロッパの先進資本主義国 l 乙追いつき追い越した乙とになる。 銑鉄生産では,ソ連は第 l 次 5 カ犀計画の終る 1932 年にはフランス,イギリス,ドイツを凌駕

(6) COUlIaJlIlCTII可eCKoe CTpOIlTeJlbCTBO CCCP, 1934.TIpllJlOlKeHlIe, C.119. (7) TaM lKe.

(8)

-することになる。当時ソ連 616 万 t ,フランス 554 万しドイツ 510 万 1 ,イギリス 363 万 t 。日本 は僅かに 101 万 t 。ソ連の 6 分の l 以下。 鉄鋼生産では,ソ連は 1931 年にイギリスを追い抜く。イギリス 528 万 11乙対しソ連は 562 万

1

0

1932 年にはソ連はフランスの鉄鋼生産高をも上廻る。ソ連 593 万 1 ,フランス 564 万 t 。当 時日本は 240 万 t 。ソ連の半分以下。日本はソ連よりもはるかに遅れていた。 石炭採掘高においても,ソ連は 1932 年比フランスを追い抜いた。ソ連 6, 110 万 1 ,フランス 4, 690 万 to 1940 年にはソ連はドイツに接近化する。ソ連 1 億 5, 370 万 t ,ドイツ 1 億 7, 130 万 t 。 ソ連はドイツの 90% に達する。 電力生産では,ソ連は 1937 年にはすでにイギリス,フランス, ドイツ,日本を追い越して, 世界第 2 位の総発電量をもつにいたった。ソ連 362 億キロワット時,イギリス 331 億キロワッ ト時, ドイツ 287 億キロワット時,フランス 211 億キロワット時,日本 304 億キロワット時。 当時アメリカは, 1 , 536 億キロワット時。ソ連はアメリカの 24

%0

1985 年にはソ連はアメリ カの 58% の総発電量に達している。なお工業用電力消費量においてはソ連はすでにアメリカ を追い越した。 1984 年でアメリカの 101

%0

1986 年のソ連の総発電量は 1 兆 9, 990 億キロワッ ト時。アメリカの 1985 年のそれは 2 兆 6, 500 億キロワット時。日本は 1985 年でソ連の 43% の 6, 600 億キロワット時に過ぎない。 セメン卜の生産においては,ソ連は 1932 年にドイツを追い越す。ソ連 350 万 t ,ドイツ 220 万 t 。 ただし, ドイツは 1937 年 1 , 000 万 t となり,ソ連の 550 万 t に対し逆転。 終局的にソ連がドイ ツを追い越すのは 1950 年代である。 1937 年には,ソ連はフランスのセメン卜生産高を凌駕する。ソ連 550万 1 ,フランス 430 万 t 。 なおソ連がイギリスを追い抜くのは, 1950 年である。ソ連 1 , 020 万 1 ,イギリス 990 万 t 。ソ連 がアメリカを追い越すのは, 1960 年代前半に属する。 1966 年には,ソ連は 8, 000 万 t のセメン 卜を生産し,アメリカは 6, 650 万 t 。日本は 1971 年に 5 ,950 万 1 , 1985 年に 7, 500 万 t で,

1

9

8

5

年においてもソ連の 1966 年の水準に達していない。約 20 年間の遅れ。 すでにソ連は,主要な生産部門でドイツ,イギリス,フランスを追い越し,第 2 次世界大戦 前に世界第 2 位の工業国民発達していた。 皿.第 2 次世界大戦での損害 1941 年 6 月 22 日のドイツ・ファシズムの奇襲によって始まった大祖国戦争において,ソ連は 約 2 回の 5 カ年計画分の工業生産高の減退を余儀なくされた。 2, 000 万人の人的損害と国富の 3 分の l を失う蓮大な物的損害を蒙っている。 第 2 次世界大戦においてドイツ・ファシストの侵署者がソ連国民経済と市民 l 乙与えた損害は, 直接の物的損失と財産の略奪による損失を合せて, 1941 年価格で 6, 790 億ルーブリと計算され

(9)

ている。[ちなみに, 1940 年の工業総生産高は 1 , 385 億ノレーブリ。(ただし不変価格による J 国民 所得は 1 , 280 億ルーブリ,国家予算の収入額は 1 , 800 億ノレーブリ。〕 そのうち,国営企業と国家施設の損失は 2, 870 億ルーブリ,コルホーズのは 1 , 810 億ルーブ リ,農村と都市の住宅のは 1 , 920 億ルーブリ,協同組合,労働組合,その他の社会組織のは 190 億ルーブリである。 とくにロシア共和国とウクライナ共和国との損害が著しい。前者は 2, 555 億ルーブリ,後者 は 2, 850 億 jレーブリである。ウクライナの損失は,ロシア共和国を上廻る。 ドイツ・ファシストによって全部あるいは部分的に破壊され焼失を蒙った都市は 1 , 710 に及 ぶ。 7 万以上の大きな村と農村, 600 万をこえる建築物が焼失・破壊され,約 2, 500 万人が家を 失った。 1941 年 11 月までに占領された領土には,戦前全人口の約 40% が住んでおり,戦前全石炭採 掘高の 63% ,全銑鉄精練高の 68 %,鉄鋼生産の 58% ,全アルミニウムの生産の 60% ,穀物生

産の 38 %,全砂糖生産高の 84% ,牛総数の 38% ,全豚頭数の 60% が占められてい fjy

第 2 次大戦中約 400 万人の労働者が働いていた 31, 850の工業企業が破壊されたっ(1 940 年末 の工業の総人員数は

3, 150

万人,その

10%以上)。鉄鋼業ではその生産能力のほぼ 60% が失わ

れ,石炭部門では 60%以上であった。 鉄道では,

4, 100 の駅と 6, 500km の線路が損害をうけ, 1941 年 11 月までに占領された鉄道線

路の長さは,全鉄道延長の41 %に相当していた。 農村では, 98, 000 のコノレホーズ (1940 年 23

5, 500 の42

%),

1, 876 のソフホーズ (1940

七 159

の 45

%),

2

, 890

の機械・トラクター・ステーション

(1940 年末 7, 100 の 41

%)が破壊さ

れ略奪をうけた。 また 700 万頭の馬 (1941 年 1 月 1 日 2, 100 万頭の 33

%),

1 , 700 万頭の牛 (1941 年初め 5, 450

万頭の 31

%),

2 ,000 万頭の豚 (1941 年 2 ,750 万頭の 72

%),

2

700 万頭の緬羊と山羊(1 941 年

9

,

160 万頭の約 30%) が屠殺され徴発され盗奪された。 そのほか,

4 万の病院と医療施設, 84, 000 の学校・大学・研究所, 43, 000

の図書館が破壊 され壊滅した。 以上の数字は単に市民,コルホーズ,社会組織,国営企業,施設の財産の直接の物的損害の みであって,全損害はと記の数字につきない。それ以外に国民所得の低下などによる損害があ る。

(8).uOCTI1ì悶HHH COBeTCKOH B~aCTH 3a 40 ~eT 8 UH~paX , CTaTHCTH4eCKH員 C60PHHK, 1957, c.20~21. HapOllHOe X03HHCTBO CCCP 1922-1972 rr., 106H~eHHbIH CTaTHCTH問団HH e>KerOllHHK, 1972, c.54~55.

(9) N. A. Voznesensky, Soviet Economy duriug the Second World War, 1949, p.38. ヴォズネセンス キー「大祖国戦争期におけるソ同盟戦時経済」政治経済研究所訳,社内研究資料,第 14集,昭和 24 年, 31

内、 a ,,-;_/。

(10)

-いま戦費その他の経費をも含めると,損害額は 1 兆 8, 900 億ルーブ‘リは下らないものと算定さ れている。なお,軍事支出のほかに,占領地域の工業と農業からの一時的に失われた収入を合 算すると,その損害額は 2 兆 5 ,650 億ルーブリに達する。〔ちなみに, 1960 年の総工業生産高 は企業卸売価格で 1 ,574 億ルーブリ, 1970 年で 3 ,743 億ルーブリ, 1980 年 6 ,163 億 Jレーブリである。] ソ連の第 2 次世界大戦における損害は,想像に絶するものがある。 ドイツ・ファシス卜による反ソ反共の戦争が人類社会の歴史に拭い去ることのできない大き な汚点を残した乙とは忘却されるべきではない。 ソ連にとって 2, 000 万人の人的損害と怠大な物質損失は,再び戦争の発生しないように,い かに平和を守る乙とが重要であるかを教えている。 ソ連における平和擁護法は,僅か数カ条であるが,戦争宣伝を禁止している。人聞が人間を 殺裁する戦争を宣伝する ζ とは,犯罪的なものである乙とを知るべきであろう。乙の法律は, いうまでもなく,ソ連の一貫した平和政策の現れである。 資本主義社会では,戦争宣伝が犯罪的なものとして禁止されてはいない。また平和擁護が国 民の義務として法律で制定されてはいない。むしろ逆で平和運動の活動家が弾圧され,戦争宣 伝が大手をふって行われ,その取締りはなされてはいない。平和擁護法の制定は世界的アピー ルがあったにもかかわらず,資本主義国ではいまだに制定されてはいないで無視されている。 平和教育がかえって弾圧されたりする。 社会主義は平和を人間の貴重な財産としている。その擁護乙そが,現代における人間行動の もっとも重要なものと教えている。 ソ連の平和政策の背後には,第 2 次大戦中における老大ないたましい数字がある。 2, 000 万人 の死を無にすべきではない。戦争がいかに人間の存在にとって無意義なものであるかを熟知す べきである。戦争は悪魔(カザルス)であり,人間の最大の愚行である。人間は戦争をするた めに生れてきたのではない。(エレンブ、ルグ) 第 2 次世界大戦は,社会主義に莫大な損害を与えた。他方,資本主義に対してもそれ以上に 否定的な結果をもたらした。それは,資本主義の死滅を早めたのである。ヨーロッパとアジア において資本主義は社会主義へと移行した。

(

1

0

)

なおソ連では,戦後 1947 年 I乙, 10 対 1 での若干の条件をともなった貨幣改革が行われている。それによって 第 2 次大戦中のインフレーションの整理がなされた。したがって,物価を機械的に比較することができない点

(11)

N. 戦後の急速な発展テンポ ソ連の工業生産の戦後の出発点は,以上の損害からしても知られるように,きわめて不利な 条件のもとにおかれていた。それにもかかわらず,戦時中すでに工業生産高は増大している。 1944 年に全工業生産高は, 1940 年の 104% ,生産手段生産部門は 136% に達していた。消費資 料生産部門は 54% 。 戦時経済から平和経済への移行期には,軍需品生産部門の民需品生産部門への転換による 一時的な工業生産高の低下が見られる。 1940 年を 100 とした工業生産高は,戦後の 1946 年には 77 となり,生産手段生産部門は 82 ,消費資料生産部門は 67 に減少している。しかし 2 年後の 1948 年には 118 となり,戦前水準を乙える。第 I 部門は 130 ,第 E 部門は 99 であった。 1940 年 水準に回復するのに, 8 年間の月日を要したことになる。(約 2 回の 5 カ年計画分) ソ連は 1946 年の最低点をへて,

1

9

4

6

~ 1950 年には年平均工業生産の増大率を 13.6% とし, 1950 年代前半においては年平均 13.2% の発展テンポを実現し,国民経済は急速に復興した。 第 4 次 5 ヵ年計画 (1946 ~ 1950 年)においては,工業生産高は 1945 年の1. 9 倍となり,第 I 部門は1. 8 倍,第 E 部門は 2. 1 倍であった。第 I 部門の年平均増大率 12.8% に対し,第 E 部門 のそれは 15.7% であった。後者が大であることによれ急速に国民の生活内容は改善され, その水準は上昇した。 1950 年の工業生産は, 1940 年の1. 7 倍,第 I 部門は 2.1 倍,第 E 部門は1. 2 倍で、あった。第 I 部門はすでに戦前の 2 倍以上となった。 第 5 次 5 カ年計画 (1951 ~ 1955 年)においては,工業総生産高は1. 85倍に増大した。第 I 部門は1. 9 倍,第 E 部門は1. 8 倍となる。部門別には,銑鉄と鋼鉄は1. 7 倍,石炭1. 5 倍,石油 と電力は1. 9 倍,機械製造業と金属加工工業の総生産高は 2.2 倍,金属切削機1. 7 倍, セメン ト 2.2 倍,絹織物は 4 倍に増大した。 1951 年には,工業生産高は 1940 年水準の倍 (202%) となり, 1958 年には 4 倍となった。 なお 1970 年には 12 倍, 1980 年には 21 倍, 1986 年には 26 倍となる。その中でとくに増大した のは,機械製造業で 105 倍,重工業は 52 倍,軽工業は 7.7 倍である。

1956 年ソ連はすで吋界で第 2 位,ヨーロッパ第 1 位の工業国に発達し T21913 年は界で

第 5 位の工業国は, 1930 年代初めに世界第 2 位の工業国民発展し,第 2 次大戦中,甚大な損害 を蒙ったにもかかわらず, 1950 年代には再び世界第 2 位の工業国の地位を確立するにいたった。 1958 年当時ソ連は,石炭と鉄鉱石の採掘高において世界第 1 位を占め,機械製造高では 1913 年の全世界での第 4 位から第 2 位に,ヨーロッパ第 1 位となる。化学工業, トラクタ一生産, 貨物自動車(パスを含む)の生産においても,ヨーロッパ第 1 位の地位を占めるにいたった。

(12)

電力は 1913 年の世界第 8 位,ヨーロッパ第 6 位より,ヨーロッパ第 1 位 l 乙,銑鉄,鋼鉄,セ メントの生産においても,世界第 5 位より第 2 位に,ヨーロッパ第 1 位となる。また甜菜糖の 生産においては, 1958/1959 年にソ連は世界第 1 位を占めた。 1958 年当時のソ連とアメリカの工業生産の年平均増大テンポは, 1918~1958 年の 40 年間で, ソ連は 10.1 %に対し,アメリカはその 3 分の 1 以下の 2.9% であった。 そのうち,

1

9

1

8

~ 1929 年の 12 年間では 6.9%対 3% で, アメリカはソ連の半分以下のテン ポである。 1930~ 1940 年の 11 年間は, 1929 年の恐慌の影響もあって,アメリカは1.

2%

,

ソ 連は 16.5% で,断然あるいは圧倒的にソ連の万が大。 13 倍以上の発展テンポを示す。

1

9

4

1

~1945 年の戦争期におけるソ連のテンポはマイナス1.

7

%,乙れに対しアメリカはプラ ス 9.8% であるが,乙れは例外的のものである。戦後の 1947 ~ 1958 年の 12 年聞における工業 生産の年平均増大テンポは,ソ連の 15.4% に対し,アメリカは僅かに 3.4% で,ソ連の 4 分の 1 以下のテンポ。ソ連はアメリカの約 5 倍の早さで発展した。 1952~ 1958 年の 7 年聞においては, ソ連は 1 1.

4

%,アメリカは1. 6% でソ連はアメリカの 7 倍以上の早さで工業生産高を増大させ た。 ソ連は戦後のアメリカとの経済競争において, 1950 年代はその工業生産高の発展テンポにお いて圧倒的に優勢な地位を占めたのである。戦争期を除けば,アメリカに対してソ連は驚異的 に早いテンポでその経済力を強化している。 戦争ではなく平和が社会主義にとって必要であるととは,以上によっても証明される。平和 な条件のもとで,社会主義は,資本主義との経済競争,その基礎である工業生産の増大の競争 において勝つ乙とが実証されている。戦前においてもまた戦後においても,また一般的に原則 的に。 v. 社会主義の発展 現在ソ連は,アメリカに次いで世界第 2 位の高度に発達した工業国である。その工業総生産 高は, 1975 年以来アメリカの80 %以上を占め,世界の工業生産高の 20% に達している。 日本の工業生産高は, 1980 年代前半において資本主義国の中ではアメリカに次いで第 2 位で あるが,世界全体ではソ連に次いで第 3 位である。日本を世界第 2 の工業国とするのは,ソ連 を無視している結果であり,過大評価となる。日本の工業生産高は世界の総工業生産高の 10% を占める。 経済企画庁発表の数字においても, 2000 年における世界の GNP の構成比は,日本はソ連に (

12) HapOJlliOe x03HlicTBOCCCP B 1958ro

JlY,

CTaTHCTH羽田HÌÎ e>KerollHHK

,

1959

,

c.118. (

(13)

次いで第 3 位と推定されている。アメリカは 19.6% ,ソ連 12.5% ,日本 1 1.

9

%

(12000 年の日 本J 1982 年, 32 ページ) ソ連の工業生産高-は, 1980 年代初頭においても日本を凌駕している。このことは無視された り,過小に評価されるべきではない。 現在,世界人口の 3 分の 1 ,陸地面積の 4 分の l は,社会主義国に属している。アジアとヨ ーロッパの人口の約半分が社会主義圏に住んでいる。アフリカの陸地面積の 27% と人口の 20% が,社会主義を志向する国々に属し,社会主義国と密接な経済的・友好的協力関係にある。 20 世紀を特徴づける社会主義の発生・発展は,第 1 次世界大戦 (1914 ~ 1918 年)と第 2 次世 界大戦 (1939 ~ 1945 年)を契機とし,また民族独立の反植民地・反帝国主義の闘争によるもの であった。両大戦は,資本主義から社会主義への移行を促進し,資本主義の消滅,社会主義の 発展・拡大を結果としてもたらすことになった。それは,資本主義の体制的危機を深めた。 将来資本主義から社会主義への移行は,反帝国主義の闘争の激化とともにさらに増大してい く乙とになるであろう。その移行は,前進と後退,革命と反革命,抑圧と反撰,成功と失敗の 尖鋭な階級闘争をともないながら,各国の特殊な条件に規定されて複雑多様な過程を辿ってい く乙とになるであろう。その過程を通して,社会発展の歴史の法則が貫徹する。現実の諸現象 は,その法則の現象形態である。 百.工業生産高の増大 1.アメリカを次第に追い抜くソ連 ソ連は,すでに一部の重要な工業生産物の生産においてアメリカを追い抜いている。それに は,銑鉄,鉄鋼,セメント,肥料,石油,コークス, トラクター,銑鉱石,天然ガス,棉花な どがある。 またたんに生産財の生産においてのみならず,消費財の生産分野においても,ソ連はアメリ カの生産高を一部凌駕している。たとえば,綿織物,靴,砂地自,馬鈴薯,牛乳,油脂,魚獲高 などにおいて。 しかも重要な生産財生産部門において,アメリカはその追い越された事態を逆転させること は不可能になってきている。その典型は鉄鋼部門である。 1984 年ソ連は 1 億 5, 450 万 t の粗鋼 を生産した。アメリカは 8, 700 万 t 。アメリカの最高は 1973 年の 1 億 3, 680 万 t0 8, 700 万 t は, 1950 年の 8, 785 万 t 以下であり, 34 年間の後退を示す。 なお 1985 年にソ連は 1 億 5, 450 万 t ,アメリカはさらに低下して 7, 924 万 t0

1942

~ 1943 年 の水準への低落。 40 年以上の後退。ちなみに, 1986 年ソ連は 1 億 6, 100 万 t 。日本は 1985 年に (14)Hapo且Hoe X0351フホCTBO CCCP B 1985 r.

,

1986

,

c. 583. (15)TaM )l{e, c. 583, 590. q d

(14)

1 億 528 万 t 。同年のソ連の 68%以下である。 鉄を征するものが、世界を征するのは古くからの鉄則であるが,それは現在においてもなお かつ妥当する。基礎的な素材部門での生産競争における社会主義の勝利は,消費資料生産部門 での勝利を確保するための必要な物質的前提であり,条件である。 資本主義のもっとも発達した高度の工業生産力をもったアメリカにとって,社会主義との競 争における工業生産部門の将来の展望はそれほど明るいものではない。それは追われる立場に あり,追い越されていく運命にある。その未来には,資本主義敗北の暗雲が漂っている。 ソ連は,戦後 1950 年代年平均 10% 以上の工業生産の増大率で発展した。 1960 年代には 2 回 7 %台であったがほぼ 8~9% 台の数字を示している。 工業生産高の増大(対前年比%) 総工業生産高 生産手段生産部門 消費資料生産部門

1

9

5

1

1

1

6

.

4

1

1

6

.

7

1

1

6

.

0

1

9

5

2

1

11

.

6

1

1

2

.

2

1

1

0

.

7

1

9

5

3

1

1

2

.

0

1

11

.

8

1

1

2

.

4

1

9

5

4

1

1

3

.

3

1

1

3

.

5

1

1

2

.

9

1

9

5

5

1

1

2

.

5

1

1

4

.

9

1

0

8

.

3

1

9

5

6

1

1

0

.

6

1

11

.

3

1

0

9

.

3

1

9

5

7

1

1

0

.

0

1

11

.

0

1

0

8

.

2

1

9

5

8

1

1

0

.

3

1

11

.

4

1

0

8

.

1

1

9

5

9

1

11

.

4

1

1

2

.

2

1

0

9

.

8

1

9

6

0

1

0

9

.

5

1

1

0

.

8

1

0

7

.

1

1

9

6

1

1

0

9

.

1

1

1

0

.

3

1

0

6

.

8

1

9

6

2

1

0

9

.

7

1

1

0

.

8

1

0

7

.

4

1

9

6

3

1

0

8

.

1

1

0

9

.

4

1

0

5

.

1

1

9

6

4

1

0

7

.

3

1

0

8

.

8

1

0

3

.

9

1

9

6

5

1

0

8

.

7

1

0

8

.

9

1

0

8

.

3

1

9

6

6

1

0

8

.

7

1

0

9

.

2

1

0

7

.

4

1

9

6

7

1

1

0

.

0

1

1

0

.

1

1

0

9

.

9

1

9

6

8

1

0

8

.

3

1

0

8

.

3

1

0

8

.

5

1

9

6

9

1

0

7

.

1

1

0

7

.

0

1

0

7

.

3

1

9

7

0

1

0

8

.

5

1

0

8

.

3

1

0

8

.

9

(15)

アメリカの経済的優位性が部分的に崩れ去りつつあるのは,工業生産の増大テンポ,ソ連工 業のアメリカの工業生産高に対する比率の変化を見れば一目瞭然である。 1951 年より 1984 年にいたるソ連とアメリカの工業生産高の増大テンポは,年平均でソ連が 8.1% に対しアメリカは 3.9% である。アメリカはソ連の半分以下の発展テンポである。したが って,両者の隔差は次第に縮まりつつある。それを示すものが,ソ連のアメリカの工業生産高 に占める比率の増大である。 1950 年にソ連はアメリカの工業生産高の 30% 以下の水準であった。 1960 年には 75% 以上と なり, 1980 年以来それは 80% 以上を示している。アメリカの優位性は次第に危くなりつつある。 いずれそれは崩れ去ることになるであろう。現に一部ずつ崩れ去っている。 2. 宇宙開発競争 アメリカのソ連に対する技術的優位性が崩れ去った典型的な事例は,宇宙開発においてであ る。ソ連は 1957 年 10 月 4 日の世界最初の人工衛星を打上げた。それはソ連の宇宙科学の先進性 を表現する。 また 1961 年 4 月 12 日には,ガガーリンがボストーク 1 号の宇宙船 (Raumschiff) に乗って, アメリカより早く最初の地球一周の人間として輝かしい成果を収めた。 先端技術の最先端は,宇宙船である。この分野においてアメリカは,ソ連に大巾な遅れをと っている。それはアメリカの後進性を表現する。 宇宙開発の技術におけるアメリカの敗北は決定的であり,その立遅れを取戻すことは極めて 困難である。現段階における立遅れの回復は,早急には不可能に近いと見ても誤りではないで あろう。 社会主義の特性は,資本主義におけるような利潤追求の制限なしに,技術的進歩が可能であ る点にある。社会主義のもとでは,利潤そのものによる技術発展の制約は存在しない。そこに, 社会主義の技術的進歩の資本主義に対する優位性がある。 すでに宇宙開発技術においてアメリカがソ連に追い越されていることは, 1986 年 1 月のスペ ースシャトルの「チャレンジャー」のロケット技術における失敗で,全世界的 l 乙 4 白瞭然とな った。しかもこの技術上の格差は以前より拡大化され,その縮小化の可能性は小さい。鉄鋼生 産の場合と同じように。 ジェーン年鑑によれば, 1986 年,ロケット技術での宇宙開発において,アメリカはソ連に 10 年の遅れをとっていると指摘された。ドイツでは,アメリカの人工衛星は Spätnik と皮肉られ た。(ドイツ語の sp.åt は,遅いの意味がある。) アメリカは,宇宙船の規模=質的水準 (2

DK

I乙相当する約60ぱ) ,宇宙滞在期間 (8 カ月以

(16)HapO!lHOe X0351i1cTBO CCCP B 1984r.

,

1985

,

c.68.

( 11) TaM )l{e, c. 67. F h u 旬 EA

(16)

上)とその人員数,宇宙での自然科学・技術・工学・治金学・生物学・医学上の実験数一ーそ の数はすでに 2, 000 といわれるーーとその成果において,また宇宙科学の発達において,まっ たく遅れており,ソ連の水準に達するのは近い将来においてほとんど不可能である。 最近のジェーン海軍年鑑によると潜水艦建造技術の主要部門においても,ソ連はアメリカ l乙 対し圧倒的優位にある。 (1987 年 8 月 21 日「信濃毎日新聞J) ソ連のアメリカに対する技術的優位性は,衛星打上げの分野においても現れている。ソ連の 大型ロケット「プロトン J (1陽子J) によるアメリ.カの衛星の打上げの商談が,ソ連から提案され ている。 1 体につき 3ρ00 万ドル。(約 40 億円,

$

1

=¥ 130 として)その費用は,アメリカの 民間の打上げ会社の約半額と報じられている。 (1987 年 8 月 27 日,「日本経済新聞J) 3. 工業生産の発展テンポ アメリカーの玉業生産,宇宙開発における未来の展望がそれほど明るくないのに対し,ソ連を 初めとする社会主義国にとってその未来は明るい。 ソ連は失業を 1930 年代初頭において消滅させ,第 2 次大戦中の大きな損害 1.[ もかかわらず, アメリカの工業生産高の 80%以上にすでに 1970 年代後半に到達した。 ちなみに, 1913 年のロシア資本主義時代にはその工業生産高はアメリカの 12.5% で, 1950 年 には 30% 以下であった。戦後 25年間にソ連はアメリカの工業生産高の 30% 以下から 80% 以上 にまで上昇した。 戦争がなく,平和が確保され,経済交流が拡大されるならば,社会主義国は,工業生産高に おいて資本主義国をより早く追い越すのは確実である。それは,ソ連の.工業生産高の増大テン ポがアメリカよりも早い乙とによる。 1970 年を基準にした 1982 年のソ連の工業生産高の増大は 190% であり,アメリカは 129~るで ある。 1971 年より 1982 年の工業生産の年平均発展テンポはソ連の 5.5% に対し,アメリカは その半分以下の 2.1% である。

ソ連の最近におけるペレストロイカ(再建)は,その発展テンポの増大をさらに促進するで

あろう。それを実現する重要な条件が平和である。 四.社会主義と平和 1.ソ連の平和政策 ソ連の 1917 年の 10 月革命直後に公布された「平和に関する布告J は有名である。第 1 次大 戦中,戦争をやめる宣言が出された。それ以来ソ連は,乙のレーニンの方針を堅持して,一貫 して平和政策を国家の外交政策の礎石としている。 平和共存は,社会主義の平和的性質に由来するものであり,社会主義の弱さの表現ではない。

(17)

乙の平和共存の原則は,人類の根本的利益に合致する。 逆 l 乙戦争準備,軍備拡張政策,軍国主義,国家間の緊張を増大させる資本主義の冷戦政策は, 人類の根本的利益一一平和である乙と,平和裡に生存する乙と一ーに反する。 国際緊張の緩和,軍備縮小の政策は,人類の平和強化の根本的要求にかなうものである。ソ 連の平和志向政策,平和共存の政策が世界的支持をうけるのも,人類の乙の根本的要求にこた えるからである。 資本主義の国際的な緊張の増大をもたらす冷戦政策が崩壊するのも,人類の根本的利益に反 し,平和に生存する人間の基本的権利を無視するからである。 一部の軍需資本家の利益にこたえる軍産複合体の利潤追求政策は,軍需品の利潤率が高いこ とによるものであるが,それは冷戦政策,国民経済の軍事化,軍国主義を生みだす根源ともな っている。資本主義の政策は,軍産複合体の利益を第 1 とし,資本の利潤を勤労者の利益に優 先させ,人民の生活を犠牲にして,人類の根本的利益に反するかぎり,永続的に存続すること は不可能である。 アメリカの宇宙開発における戦争政策は,人類の利益に反し,国際的園内的反対をうけるの に対し,ソ連の平和的な宇宙開発は広範な人類の発展の利益にかない世界的な支持をうける乙 とになる。両者は対照的である。 2. 社会主義の平和的本質 社会主義は,自己の経済発展のために戦争を必要としない。戦争なしに,平和的環境のもと において,社会主義は高度の生産力をもった社会に成長し,資本主義に追いつき追い越すこと が可能である。 戦争や軍備拡張競争がなければ,社会主義国はより早く国民経済を発展させ,国民の生活水 準をより高く引き上げることができ,人類最高の理想とする,能力に応じて働き,必要に応じ て分配をうける社会を実現する乙とができる。 したがって社会主義は,軍国主義,軍備拡張ではなく,国際間の緊張の緩和,軍備縮小の政 策を本質的要求としている。ソ連の一貫した平和政策,軍備縮小,核兵器廃絶の提案,核実験 の一方的停止は,社会主義の体制的本質より由来するものである。それは人類の利益に合致し, 世界的に支持される乙とになる。ソ連の平和維持の理念は,勤労者の利益を守り,単なる宣伝 ではなし 1 。それは社会主義の平和的本質そのものにもとづくものであり,その現れである。 社会主義国には,戦争によって私的富をこやし利益をえる階級はもはや存在しない。社会主 義は,軍備拡張,戦争準備によってではなく,平和を前提にして,その国民経済を発展させ, 資本主義に追いつき追い越す乙とが可能である。それは,本質的に資本主義とはまったく異っ た性質をもっている。 司 t 唱B4

(18)

3. 無貨幣社会の創造 社会主義の目標は,国民生活水準の向上である。価値の自己増殖,私的利潤の極大ではない。 他人を搾取する利潤追求は禁止される。その究極の目標は,ありあまるほどの消費物資を生産 し,それらを貨幣との交換なしに,無償で分配する経済体制を作り上げることである。 無貨幣社会の創造 それは人類最高の理想とされる。それが Communism (共産主義)の 社会を意味することは,すでに 100 年以上も前にマルクス・エンゲ、ルスによって明らかにされて いたと乙ろである。 この理想社会実現のための物質的前提が,生産力の発展である。ありあまるほどの消費物資 を生産するためには,工業生産高の増大一一生産手段生産部門の優先的発展を基礎とする消費 資料生産部門の発達一ーが必要である。それには,平和は不可欠の前提条件をなしている。 ソ連においては,アメリカの工業生産品目との比較は,すでに 1960 年当時 2, 000種 400 品目に わたっている。すでに見たように,一部の重要な品目について,ソ連はすでにアメリカの工業 生産水準を追い抜いた。その将来の展望の基本的方向は明確なものになっている。それは,社 会主義の勝利と資本主義の敗北である。その結論は,人間の主観的希望とは無関係である。 むしろそれは,人間の意思をも規定する客観的・本質的・合法則的結論である。 咽.社会主義への移行の必然性 1.必然性の内的要因 全世界的に封建制度が崩壊し,その資本主義への移行が必然的で、あったのと同様に,現代に おいては,資本主義はその内的矛盾によって社会主義への移行を必然的なものにしている。 その矛盾とは,私的利潤追求そのものにおける内在的矛盾,資本蓄積そのもののもつ基本的 矛盾,独占資本主義段階における矛盾の拡大化と深化,労働者と資本家の階級的対立の矛盾, 過剰生産恐慌に表現される生産力と生産関係の矛盾である。それらの矛盾の集中的表現として 資本家的生産様式に同有の経済法則一一資本主義崩壊の法則がある。 私的利潤の極大化,最大限の価値の自己増殖は,資本の本質的要求である。資本蓄積の限り ない追求,労働者の労働条件の悪化,搾取の増大は,資本主義発展の条件である。と同時にそ れは自己否定の条件をも成熟化させる条件になる。 資本主義は,その目的であり生存の物的基礎である利潤を増大きせればさせるほど,資本蓄 積を最大限化すればするほど,大企業が巨大になればなるほど,労働者を搾取すればするほど, 自己止揚の契機を強化することになる。 自己を発展させる条件そのものが,同時にまた自己否定,自己揚棄の条件となる。それは, 資本主義の自己矛盾である。発展を規定するものが,同時にまたその消滅の条件となる。資本 主義発展の限界は,資本そのものにある。

(19)

2. 社会主義への移行 将来アメリカが社会主義に移行しないという保証はない。アメリカ社会主義の運動はある。 また社会主義を目ざす政党も活動している。 日本においても明治以来社会主義の運動はあり,幸徳秋水以来の弾圧された暗黒の歴史をも っとはいえ,戦前とはことなった規模での社会主義運動の拡大,社会主義政党の合法化と発展 カ f ある。 日本とても,資本主義から社会主義への移行の例外をなすものでもない。その必然性(=法 則)を排除する乙とはできないし,その作用・支配から脱れることは不可能である。 人聞が必ず死ぬのと同様に,資本主義も必ず消滅する。人間はどれほど金をもっていても, 最後には死ぬ。いつ死ぬかは健康その他の具体的条件による。 それと同様に,資本主義がどれほど繁栄し華かであっても,いつかは死滅する。それがいつ 死滅するかは,その体制内部における社会的矛盾と歴史的条件による。 人間は一定の寿命をもち,不老不死ではない。資本主義とても同様である。それは永久に生 存しうるものではない。 3. 資本主義社会の過渡的性格 資本主義の社会体制が永久不変に存続するものでないことは,すでに 20 世紀の歴史が証明し ている。資本主義社会は,生成・発展・消滅の法則にしたがう。社会はすべて歴史的発展の法 則に規定される。その基礎には,万物流転の一般法則がある。 資本主義の経済制度は,歴史的・一時的・相対的・過渡的なものであり,その発生・発展は 同時に死滅の可能性を含む。それはあたかも人間の生誕と成長が同時に死への道,その消滅の 行程を辿るのと同様である。発展は同時に消滅の可能性を含み,肯定の中にすでに否定的契機 が含まれている。 生の現実性はつねに死の可能性を内包する。生と死とは表裏をなしている。生は自己否定の 契機をもち,自己矛盾を含む。この自己矛盾が存在の本質でもある。資本主義も自己否定の契 機を含み,最後には墓場に入る。墓穴をより早く掘るか否かは,矛盾の深さに依存する。 資本主義は,社会発展の客観的な歴史的法則 l こしたがう。その社会は,永久に存続する社会 ではない。現実は正にそのことを示した。 20 世紀は,その 10 年代において資本主義が現実 l 乙消 滅することを論証し,社会主義の出現をもたらした。その後の歴史も,またその法則の正しい ことを実証している。資本主義が体制的危機といわれるゆえんもそこにある。 人間の歴史的社会は,原始共産制の社会である共同体より,奴隷制,封建制,資本主義の階 級社会を経て,社会主義社会へ,すなわち,資本家階級の存在しない,人間による人間の搾取 のない社会への発展を辿っている。それは社会発展の法則の作用による。そこでは,否定の否 定の法則が貫徹している。

- 1

9

(20)

-原始共産社会より階級社会へ,さらにそれより階級のない社会への発展は,肯定一一否定 一ーより高次の段階で、の aufheben の弁証法的展開を示している。歴史は繰返す。ただしそれ は,より高次の次元において。 4. 社会主義社会の過渡的性質 資本主義社会は,歴史的・相対的・過渡的性質をもっ。社会主義社会も同じく生成・発展・ 消滅の法則にしたがう。したがってそれは資本主義社会と同じく過渡的で相対的で一時的であ る。物質的生産力の発展とともに,社会主義体制はより高次の段階の社会に移行する。それは 革命や戦争を介してではなく,平和的に移行する。そこには,敵対的な階級対立は存在しない からである。 より高次の生産力の発展段階の社会が共産主義の社会一ーより正確には,共産主義の第 2 段 階の社会(社会主義はその第 1 段階の社会)一ーである。ソ連も中国もまたその他の社会主義 諸国も,戦争がなく,平和が確保されれば,その目標とする第 2 段階の社会をより早く実現す ることができる。社会主義は,社会発展の法則(=客観的必然性)にしたがって,人類最高の 理想、社会の建設を目標としている。 IX. 結 1917 年 l 乙発生した社会主義は, 70 年後の今日資本主義の最高水準の生産力をもっ国を部分的 に追い越すほどに高度に発展した。 他万. 70 年前 l 乙は全世界を支配していた資本主義は,今日社会主義に追いつかれ追い越され 圧倒されようとしている。 アメリカの工業生産はすでに一部ずつソ連に追い越されつつある。アメリカの世界における リーダーシップ,政治力,軍事力.経済力は, 1970 年代以降急速に低下した。それはベトナム 戦争での敗北が原因をなし,契機となっている。またその背後には, 1970 年代前半における鉄 鋼生産高の分野でのソ連との経済競争の敗北がある。 世界のリーダーシップは,資本主義から社会主義へ移行しつつある。社会主義は,国際緊張 の緩和,軍備縮小,核戦争防止,核実験停止,宇宙開発競争と宇宙空間の平和的利用の推進に おいて,積極的なイニシチブを発揮し,世界の平和勢力のリーダーシップを握っている。 西側陣営の政治的経済的弱体化は目に見えてはっきりとしてきている。かつての世界に君臨 し, 7 つの海を支配したイギリス資本主義の停滞はその典型である。植民地の喪失による。 ドイツは 2 つに分裂し,西ドイツの経済力はソ連以下となった。フランスは,西ドイツ以下 の経済力である。イタリー,カナダはさらに低い。日本の経済力も基礎的資材の生産において ソ連以下である。

(21)

資本主義諸国の経済の不均等発展とその相対的弱体化,経済的不安定(株価暴落,財政赤字, 貿易赤字,慢性的過剰人口,失業常備軍の存在) ,アメリカの債権国からの債務国への実質的な 転落,資本主義の全般的危機のよりいっそうの深化,それに対する社会主義諸国の発展と強化 とは,社会発展の法則にもとづく合法則的現象である。歴史の法則は,社会主義に味方してお り,未来が社会主義に属している乙とは,着々と実証されつつある。 t,ム ワ ω

(22)

参照

関連したドキュメント

また IFRS におけるのれんは、IFRS3 の付録 A で「企業結合で取得した、個別に識別さ

 富の生産という側面から人間の経済活動を考えると,農業,漁業ばかりでは

 IFI は,配電会社に配電システムの技術的な発展に関連する R&D 活動に対 し十分な資金調達を可能にする。また,RPDs は発電された電力の DG 連系を

はある程度個人差はあっても、その対象l笑いの発生源にはそれ

(2011)

近年の食品産業の発展に伴い、食品の製造加工技術の多様化、流通の広域化が進む中、乳製品等に

北とぴあは「産業の発展および区民の文化水準の高揚のシンボル」を基本理念 に置き、 「産業振興」、

会におけるイノベーション創出環境を確立し,わが国産業の国際競争力の向