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信用と資本蓄積 : 信用理論の基本的視角について(開學記念)

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信用と資本蓄積 噸 五四 胃

信用ご資本蓄積

1信用理論の基本的三角について一

      闘     ’  総じて、事象が如傅に吾々に把握されるかということは・吾々の問い方によると損えられる。このことは経濟塩押嫁に ついても同様であるといわねばならない。所で、経濟的な事象については、再生産に關連して問うとき、より根本的な把        の 握への途が開かれるのではなかろうかというのが筆者の翌翌の習え方である。從って、こ、で問題とする信用についても 右に蓮べた考え方からすれば、信用が資本家的再生産の展開に於て如何にして必然であり、且つ、如何なる役割を果すか ということが、この問題の最も基本的な問い方のように思われる。  所で資本主義経濟に於ける再生透は、貨幣の媒介によって、資本的に編成される。即ち、企業家によって、より大なる 利潤の獲得を目的に、毒生産の拝めの生崖諸要素が、より有利な方法の選揮に於て、結合されるが、この生産要素の結合       へ は貨幣的購買力の行使を媒介として行われる。これは資本の形成としても考えられよう。資本の形戒の本質は再生産の資 本的編成に求められねばならないと考えられる。勿論、上述の如く再生滞のための生産諸要素のより有利なる結合乃至編

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、 威は貨幣の購買力の行使即ち購入に隔て行われるのであるから、そのためには、これに必要な貨幣的購買力即ち資金が調 達されなければならない。從って、か、る資金の調蓬が資本形成の大切な面をなすことは否定し得ない。併し、か、る資 金の調蓬乃至形成のみを資本の形成と見ることは、それ自体の意義役割及びその必然性を見失うやうな重大な硯角の欠如 を意味する。       “  ω拙稿、再生塵論埋の存在論的考察、砒會科學評論、第四集蓼照 二 ¶   上述の如く、再生産のための生塵諸要素の資本的結合乃至編成が必要とする資金の形成は如何にして可能であるか、吾  々はこ、に直ちに金融乃至信用をもつて來ることは、未だ早急に過ぎる如くである。というのは、再生塵的に老えるとき  これに先行する再生産的経濟翠黛によって實現され回牧された資本は資金的形態で存在するからである。この回牧された 資金が、若し新に形成される資本と憤値的に等しいとするならば、こ、には、別に資金の信用的形成の問題は起らぬとい  はねばならない。而して、再生産的輝濟循環を基底とする資本循瑛に於て、前段階の守牧がそれに績く段階の投資と債値  に等しいのは、鍵屋再生旋即ち静態的維濟循環に於て老えられることである。されば、助筆喜生粋乃至静態的脛濟循環に 於ては、金融乃至信用の必然性が存しないとも考えられる。 轡 斯くの如く、静態的な経濟循環に於ては、信用の必然性なしと賜る代表的論者はシユムペーターである。彼は静態的な  維濟循環に於ては﹁総ての貨幣は一定の軌道に固く結び付けられて流通している筈である﹂となし静態に於ける貨幣の流  れについて次の如く論じて居る。       へ   ﹁吾々の出越した循環に於ては年々歳々同一の方法で生産される。すべての慣行的な供給は遅筆経濟の何威かに於て之     信用と賢本蓄積      五五

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      ぐ     信用と資本蓄積       五六  に照慮する需要を待つし、すべての慣行的な需要がまた此の慣行的の供給を待っている。この循環に封しては一定の貨幣量  が適懸して居る。総ての財貨の全過程は、年々歳々一定の↓た望微弱に動揺するに過ぎない領格で進行してゆき、從って  すべての貨幣軍位は如何なる経濟期間に隔ても原則的には同一径路を亙る、あらゆる経濟期間に於て、その大いさも使用 ◇方法も︸義的に定められている購買九量が現存せる一定量の本源蘭生産用役に封立するものであり、それは隔て其の﹁給       わ  付者﹂の手に移りゆき結局慣行の一定量の享樂財と封立するものである﹂從って﹁正常的循環に於ては生産物と生産的手          も  も  も  段との間に何等の必然的なる乖離も存在せず、また原則として生庫者による生産手段の購入は悉く現金取引によるし、且  つ一般に購買者セらんとする者は其の以前に既に同額の貨幣量に就てめ販費者であると假嘉し得るから、從って蕪では信        み  用授與は決して根本的なものではない。﹂かくて﹁信用の獲得なるものは慣行軌道に於ける正常的維濟循環に必然的な、       の  即ち夫れなくしては循環の本質的現下が理解され得ないが如き要素ではない﹂と結論されるのである。   斯くの如く静態に鞭ては、信用の必然性がなく、從ってこ、には信用の本質的機能は見出されないという考察は、根底  に於て再生産と關燃せしむることに於て、その均衡的な再生産、從ってシユムペ二軍ーの所謂正常的な経濟循環から導き  出された。   ω訟。冨菖儲8さ目密。凱①店霞鼠垂論義昏島¢邑逸出。冠ξ﹂q”N>面白・ロ。・一〇。。・中山、東畑善本一七九頁   ②国ぴ①β二費℃ω。一しn心●謬本二六一一一一六二頁   ㈹自ぴ㊦昌画♪鉾一㎝恥・謬本二六〇頁      ・   ω国び㊥同益3ロ。. Oρ繹本一七四頁       ■        三 所が敢會的再生熊の考察がより具体的に進められて、生産の自然的乃至技術的條件と消費の自然的乃至慣習的理由から ψ

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﹂ 蓮綾的生産と聞断的消費又は間断的生産と連績的消費が不可避的である事態の存在を考慮し、而も、年々同︸規模の再生 産がつ望けられ、同一年度に於ては生産と消費とが均衡を保つという意味での静態が考えられる場合、信用の必然性及び その機能如何の問題が生じて來る。この問題は経企信用の問題としてポラーク︵勺。冨犀︶によって取上げられ、マハルー  ラ      ラ      ラ        ヨ      イ プ︵竃8包正員︶、ボルトローブ︵団。ξ8︶及びワグナー︵凋・♪.宅麟碧碧︶によって詳細に諭ぜられて居る。  更に固定資本の循環が間断的投資と減憤償却による回顧的回牧として現われることは、静態的再生産を前提とする場合 と難も、こ、に信用の必然性とその役割を見出さ∫るを得ぬ如くである。これも再生産のより具体的な考察との關蓮に於       の て當然問題になって來べき筈のものである。ワグナーはこれらの問題を一括して﹁再生産信用﹂として論ずる。  灘態的再生産を考える場合にも、當然避けることの出立ない所の、これら技術的、自然的乃至慣脅的條件に基く部分的 ︵喜生塵の各部門島は各企業に於ける︶、一時量的な不均衡は、そこに各個別資本の循環に於ける同一時置の投資と回牧に 過不足を生じ、こ、に信用の供給乃至需要を必然的ならしめるが、それが金融機構の媒介によって、有無相通の途が開か れ、それによって、肚愈全体として、叉一継嗣期闇としては再生産が均衡的に調整され、その安定的進行が確保されると 老えることが出來るのである。  次に、静態に於ける信用の問題について、キネテーク︵嗣ぎ霧涛︶の立場からの問題提起の農地が淺されて居る如くであ る。  こ、で問題とされる雪山①け冨。げ巽℃8No沼は、経濟の與件の攣動ずる所に炎夏的に誘稜ざれる相殺的運動であり、均衡化 蓮動であるということが出至る。レーヴエは、静態及び動態の外に運動の第三の形態としてこの犀ぎ昌ωoロ。切①≦o頴ロ切騎が .あると述べて居掛、併し.この均衡化騒動は實は静態の成立及び動態の展開の素地をなすものという事が出至る。ワグ       の ナーがこ﹁れを﹁翻心にも動態にも存在する所の維濟循環の内的運動現象である﹂と、いうのはこの職でうなづける。    信用と賢本蓄積       口糧

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   信用と資本蓄積      流八

 静態が、資本主義的自由競孚の行きつく均衡状態と考えられるが、この経人的諸力の均衡が老えられるのは、この均衡 を擬聾する如何なる事態の閑事に上しても経濟が均衡化運動を以て反慮するが故である。何らかの原因による需給關係の 磁化は、贋格の攣動として現われ、それが利澗率の攣化、不利なる部面から有利なる部面への資.本の移動を通じて生産の輻 換となり、先に惹き起された需給關係の攣化從って債格攣動を相殺する蓮動を惹き起す。この露μ①瓢8ず巽℃目oN①沼は古 典學派の理論の最も見事な業績とさえいわれるが、この均衡化運動の潜在が均衡成立の背景乃至基礎をなすことは否定出 來ないことはいうまでもなかろう。    キ  また、シユムペーターが静態理論を以て理解しうる領域となす所の與件の攣動に歯する馬丁の適慮過程は、純粋の灘態 に於てその背景として潜在的に耀えられる所のこの運動の石動過程と見ることが出漁る。  この蓮動は維濟の循環過程に於ける不均衡の面輔を契機として展閉されるのであるが、この不均衡は各個別資本の循瑛 に於て同一時置に於ける投資と回牧の不均衡を痛し、こ、に資金の過不足を湿生せしめる。均衡授胤に誘獲される均衡化 運動は信用を必然ならしめる。そしてかくして必然的となる信用はこの運動を可能にし容易化する機能をもつ。りカード        の は資本家的再生産に於けるこの鮎に注意した最初の人だといわれる。即ち、自然債格から市場憤格が乖離するとき、利潤率 差等の焚生に基く資本移動を通じて利潤傘が均等するやうな、從って市場慣格と自然慣格とが再び一致するやうな蓮動が        の 惹起される。而してこの蓮動を實現する資本の移動は信用によって行われる黙に眼を注ぐのである。斯くて、信用を中心 としていうときは、それは、自然慣格よりの市場債格の乖離として現われる均衡の撹鼠を契機として、利潤率差等の登生 を媒介とする資本移動を可能ならしめ、こ∼に再び均衡回復をもたらす︼連の臨ロ①け凶ωoげ巽℃﹁oN①ωωを可能ならしめると いうことが必然的に導き出されて來る筈である。併し、リカードはこのやうに明確に信用の機能について述べて居るわけ ではない。所がマルクスに於ては、利潤率の均等は信用に依存することを明確に規定する。即ち﹁信用制度について、こ

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れまでに我々が到達した︸般的叙述は次の如くである。即ち、利潤率の均等化1iその上に全資本家的生産が立って居る  亀      ゆ 所の此の均等化の蓮動一を媒介するために必然的に信用制度が形成される。﹂  所で、か∼る均衡化蓮動を可能ならしむる所の、信用によって移動される資本部分は如何なる範園のものであるかとい う問題は遣るが、基本的視角決定に關する問題を主とする本論ではそれに賜れることは思い止るべきであろう。  斯くて賦βΦ臨。。oず。切O≦①ぬロp趣qは、資本家的再生薩を媒介する諸過程叛至諸事獄の相互依存關係の上に現われ、根本に 於て、資本家的再生産の自己調整作用とも見るべきものであるが、以上の問題はこれに於ける信用の問題を問わる、所に 正しき意義を見出すということが出來よう。  ω2●も噌。冨ぎΩ旨乞凶︻黄Φ衛霞麟峯ロ臥①言言冨訓け費ざ二四︻﹂旨碧︷岳㊦困弓①二二讐9一露ひ・  ㈲喝・旨碧哲口︾関α議魯犀話島樽﹁Hβ角募け二①寳。篠け鐸塁﹁図3。言雪ぎ些ごロ聖一8ご。Ω・一8馬︷●  ㈹察≦・=。潔目。噌︶”自①q三麟亀。。器・。翁惹三置訂津・︷霧O㊦=㊦g・、一三ピQ㊦ξ隣器鵠ξ?峯二お。ユρ=①弓路.ぎ昌男﹀﹂肖弓Φ﹃三一。濤一〇8り    oa・鼠℃◎竃.       幽  四頃﹀・≦ゴ器ギOo。。。三魯け。二霞図話象詳ぎ。二〇2一〇QN堕コ陰.一二箪  ㈲聞●レ.≦ゴ﹂q器5鵠げ賃費り内薯冒ポコD・δひhh・  ㈲卜.ピα妻ρ頴ξoぎち昌二澱。︸ ①員日げ8瓢。︷ぎの三三℃霞β=エ一[岩♂ぎ”≦﹁写誓言置け嵩二一〇$Φ=蓉7亀訂一う霧什馨ξ.躍け宕尾勾噌鉾怒O℃酬︶o置︸同包巨。ひ    白℃N♪ω。一℃評  ω喝・﹀・キ舖碧3鉾卸・O・趣慶・Nひ・  ⑧曽g︵5”●鉾○・の・Nρ  ⑨O・空郵昆9魔匡二一︸肖⑦の。鴨勺。属鶴。箪朗8⇒oぎ団第β二弓ρ蚕齢〇炉国︹︷.び団09葺ρ一望ρOげ費㍗づ●O昌嵩簿ξa竃出目診涛①け唱ユ。。・

 ゆ内.ξ藁穿・寄宮具ひひ鼻竃ごw・肖﹄こ¢爵N高畠、丸本、改造再版悶’一三九六買      ,

 ︹

   信用と資本蓄積       五九       ﹁

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鷲 信用と資本蓄積 六〇 、 四  信用の根本的問題は、むしろ動態理論の問題であるとし、寸意登展との關連に於て、それに決定的意義を見出し、之を 學的体系に於て取上げたのは,周知の如くシユムペータ1である。シユムペークーの説によれば、信用の本質的機能は経 王春展に役立つ瓢にあるとされ、叉そこに信用の獲生とくに信用創造の必然性も見出されるというのである。而して、シ ユムペーターの意味する経濟獲展というのは、短縮的にして、非連言的な、経濟循環軌道の攣化乃至均衡歌態の推移であ  エ       ワロ り、之は國民的生産諸力の﹁新結合の途行﹂という定義によって興えられる。       の  シユム浸ーターは﹁生産の現象を生産的諸力の結合という概念を以て把えた。その結果が生岸物である。﹂という。﹁こ の生産物の一軍位に於ける諸生産財の量的關係を表現するものは生床係撒である。從ってそれは﹃結合﹄の本質的特色で  ラ      ロ  ヰ ある﹂というのである。﹁各個の生産方法はそれぞれ︼定のか、る結合を意味し﹂、これには一定の生産係数が照慮する。 ﹁異なる生産方法は唯それを結合する様式によって、換言すれば、或は結合せられる封敦によって、或は叉その量の比例       励 關係によって匝別される﹂と並べる。か、る結合は輕濟的老慮の下に狡術的考慮を媒介として成立する。  勝で、耽會的再生産を均衡に於いて考えるとき、夫々一定の生康係数に照慮する﹁結合﹂様式即ち生産方法には、 一定 の生産部門闇の均衡的体系が照臨する、と考えざるを得ぬ。即ち一定の結合様式乃至は一定の生産方法には一定の再生産 軌道或は循環軌道が照面すると考えられる。斯く老えるとき、循環軌道の重心が新結合の途行と置換えられることも了解 されうるであろう。而も﹁奮結合から漸次に小さ魅歩みを麺じて連績的に霊廟しながら薪結合に到達され得る限りに於て も、確かに攣謡曲は場合によっては生長が存在するであろう。然し夫れは均衡考察の力の及ばぬ新現象でもなければ、將 又吾々の意味する磯展でもない。さうでない場合、即ち新結合がたゴ非蓮績的にのみ現れることが出來、また嘉島現れる

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      の 限り、磯展に特有なる現象が成立する﹂となす。從って、饗展を﹁新結合の主管﹂と定義するのは以上の意味に於てばあ る。       ラ        リ      フ  シユムペーターによって、この概念は次の五つの場合を含むとされる。  旧、新しき、即ち泊費者の問には未だ充分に知られていない財貨或は新しき品質の財貨の製浩。  二、新しき、即ち覚該床業部門に於て實際上未知な生産方法の導入。  三、新販路の開拓。  四、原料或は牛製品の新しき獲得、資源の占櫨。       し  五、新組織の達成、・即ち、温習的地位︵例へばトラスト化による︶の形成叉は然る猫占の破壌の如き。  而して、この新結合の途行を自らの職能とし且つその柄行に當って能動的総体となるものが企業者︵q暮。讐①げヨ。﹁︶で      の あるとされる。        み  前で、競孚経濟に於ては、新結合が奮結合を攻略することによって途行される。從って、﹁新結合は一般に其の使用す        ゆ る生産手段を何かの奮結合から奪取し來る﹂所に特色を有つ。從って﹁新結合の途行並びに其の具体化物の成立は、原則       リ       リヨ      ロ として、決して利用されていない生湿手段を結合して爲されると栄えられてはならない﹂とする。  斯くてシユムペーターは経濫獲展を生産要因の不完全使用︵d旨α興国堅陣O<ヨ①暮︶から、読明する事を避ける。なぜな れば、それは概ね正に夕明さるべき獲展の結果だからである。彼はあくまで正常的循環、即ち完全使用︵司ロ目国ヨ豆。ギ ヨ。暮︶の歌態から黒磯する。從って、新結合の吟行は﹂國民経濟に於ける生産手段の縛用を意味する・ことにもなるのであ の      へ を。  ωF訟島鐸巨唱導①ン日7①。臣㊦︵︻霞乱昏の︹.剛るh些筈。鵠コ署ご犀言昌﹂q”勧﹀亀一・コD・℃o。奪中山、東畑謬b纏慢言展の理論b一六二頁以下    信用と心賢本噸畜糟一      六一       ●

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信用と資本蓄積 働国びO貫二節”己D・円OO・認岬本、 一六六頁 ㈹国げ。盈p砿●一。。・鐸本、三一頁 ㈲国げ①同旨3己慶・一。。.謬本、三〇頁 ㈲国ぴ①昆3訟・一N。課本、二九頁 ㈹、㈲♂げ①員︵幽触♂訟’一〇〇iHO一・鐸本、 一六六頁−一六七頁 ⑧邑ゲ。同覧欝の・一一一・鐸本、一八三頁 ⑨宙び。昌急㌍o慶・・一〇一。課本、 一六八頁 川、 ァび。賞自斜¢一〇NI一〇ρ羅岬本、 一六九頁一一・七〇頁 蝋営び。§訟§課本二六九頁 馴邑ぴ賃号”¢一〇9課本・一七〇頁 山 ノ、 鵠 五  所で新結合のための生産諸費の韓用は、耽會主義的計書経書に於ては、計書に基く命令により行われる。所が資本主義 経濟に於ては之は信用の媒介によって行われる。﹁斯くて新結合を途行せんとする者にして、而も既存の結合の如く既に 流入しつ、ある土釜を以てしては金融し得ない者は、貨幣叉は貨幣代替物に就ての信用を求め、之によって必要なる生葎 手段を購入せねばならない。﹁斯かる信用を準備することは明かに人が﹃資本家﹄と名付ける範疇の輕濟主体の機能であ る。また曇れは明かに聖君出仕を新しき軌道に押しやり其の生直手段を新しき目標に役立たしめる所の﹃資本主義的﹄経 濟形態に特有な方法である。﹂       つ  然らば斯る﹁磯展は如何に金融される﹂か。こ、に信用創造の必然性とその本質的機能が導き出される。即ち、新結合 に必要な生産用役の購入に用いられる資金は何庭から來るかという問に鮒して、−傳統的には貯蓄からと答えられて來た。

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ノ ● 併し、斯かる貯蓄額から爵磯する事は許されない。蓋し、それは既に進行の途上にある獲展の私経濟的結果からしてのみ        の 論明されるからとなされる。正常的な型番循環に去ては﹁一方それより貯蓄され得る程の豊かな源泉もないし、また他方       り 本質的にさうする刺戟も存しないであろう。﹂こ、では﹁総ての貨幣は一定の軌道に画く結び付けられて流通して居る筈 め で﹂こ、には新結合の金融への源泉は求め得られぬ。これは正に銀行による通貨創造に求められるといはねばならない。 斯くて﹁之れこそ正に新結合の途行のための典型的なる金融の源泉であり、且つ先行せる磯展の諸結果が事蹴上夫々の瞬        の 闇に存しない場合には、殆んど唯︸の金融源泉たるべきものである﹂という。  然らば、この購買力の創造が、如何にして諸生壷諸力の轡型、從ってそれに基く獲展を齎らすものであろうか。それは 貨幣の増加− 物便騰貴一既存購買力の減慣、從って奮結合の既存需要の犠牲によると新需要への生俸畜力の引抜きの 過程に於て行われる。即ち、新結合に利潤を見込む企業者が創造信用を受けて、この附加的購買力を以て生産用役の市場 に出現する。生産用役の数量は假定に從って從來と攣りないから、その慣格が上昇し、奮結合の既存需要は減債により一 部無力となり、こ、に蕾結合に行く筈だつた生塵用役の︸部が新結合に移行することになる。  斯くして、企業者が創造的信用の授輿を媒介として、生産諸力の輻用、從って新結合を途行ずるとき、若し期待通り行 ったとすれば、彼は、この新生産により、嘗て﹁循瑛﹂から引按い九財貨以上のものを﹁循環﹂に加えることになり、こ 、に先に惹起された貨幣と商品とのインフレーション的封立が逆心するであろうし、叉この代憤の回牧により、潔きの借        の 入金の元利の心髄も出來、彼自身更に企業者利潤を獲得することになるであろう﹂。こ、に磯遊を金融する﹁信用の創る参        の 黒鳥は本質から嚢えば黒黒の用役や、書証に生産せらるべき財貨に就ての誰書である﹂という重大な結論が出て論るので ある。  ωQa。冒茸一ワ095㌍満.O.q駐L2一一89鐸本、一七三頁    信用と費本蓄積      、       六三

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信用と資本蓄積 囲宙げ㊦旦ρψ一〇ド課本、 ㈹邑σ。畳2訟・δド謬本・ 樹国びΦ貫急2訟.δoo●繹本、 ㈲国審同箆譜む乙・一〇。。’謬本b ㈹、 ?ー。β二∫コ慶●一〇〇・講本、 ㈲国げ①昌^︷yロロ﹂$.謳本・ 捌︼旨身含”コ。●区N・謬本・ 一七七頁 一七七一一七八頁 一七入頁 一七九頁 一八0頁−一八一頁 一一 Z八1ご六九頁謬照 二五〇頁 六四 , 山 ts ,  以上の如くシユムペーターに於ては、信用の本質的⋮機能は維締盟展即ち新結合途行に必要な生産諸力の引抜き聞耳のた め企業者に支梯手段乃至購買力を創造し供晒する黙にありとするのであるから、斯る限定をもつ支輪手段乃至購買力に資 本の太−質を見んとする彼の理論に於て、信用は資本と本質的な平気をもつことになる。  シユムペーターは、資本主義三縄濟及び資本について次の如く規定して居る。曰く﹁新しき生産に必要なる財貨が購買 力の介入により或いは市場に於ける購買によりて、循環に於ける特定の使途から引抜かれるが如き経濟形態が資本主義的 維濟であり、反封に何等かの命令力或は絡員の一致を通じて之れが行われるが如き縄濟形態が資本なき生産を示す。資本       メ とは企業者をして必要なる具体的財貨を自己の支配の下に置くことを可能ならしむべき榎茸以外の何物でもない、また新 しき目的の爲めに財貨を支配する手段或は生産に新方向を指令する手段以外の何物でもないQ﹂        ヨ  ﹁然らば、此の﹃積粁﹄、此の支配手段とは何であるか。﹂﹁始れは購買力の基本である﹂所でこの﹁購買力の基本は何に        り 基くか。⋮それは貨幣並びに貨幣に換算された私の爾醸の財産より成り立つ。﹂そこでこのことから、﹁早る支携手段が企       の 業者に生産手段を旗門せしめ且つ此の目的の早めに之等を既存の使途から引抜かしめるに役立つ﹂限り、それは資本である        ρ

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とい、符る。斯くて﹁資本は磯展の一概念であって循環には之に封謁するものがない。この概念は維濟の諸国過の申でた        ラ       ワ        ゴ煙塵のみが吾人に暗示するか如き側面を呉現するものである。﹂﹁人が常に資本と名づけるものは、實は一定の養蜂を涌

足せピめ・限りに過て資本であり・旦2定の槻禦ら見られ蔭りに於て案であ詮過ぎなや﹂

   コ  ﹁吾々は斯くして資本とは貨幣及び其他の支挑手段の金額にして何時なりとも企業者の手に其の庭分を委ねられ得るも          め のとなりと定義しよう。﹂資本を實休的に肥えることはこ、では排される。それはどこまでもその作用に撃て考えられる。 從って、次の如き考えもまた生する。﹁資奉は流通維濟雨漏因である。流通経濟の一の経過は資本側面に曾て表わされて いる。之れ即ち一入の私山王の勢力圏内から他の夫れへの生産手段の移轄に外ならない。﹂⋮﹁た零私的維濟者の手にあっ       う てのみ支彿手段は其の資本役割を果すことが嵩來る。﹂  斯くの如く新結合平行のための生産諸表の引抜き輻用を實現する購買力乃至支撃手没に資本の本質があるとすれば、こ の購呪力乃至支軸手段を創造し移縛する所に信用の本質が見られる。所でこの購買力乃至支挑手段の創造、分配の行わる 、のが金融市場と呼ばれる場面なのである。こ、で﹁吾々は導管の信用需要が如何に現われるか、叉銀行界が如何に或時 拡之を支持激黒し、或る時は之を制約せんと試み、或時は最早新なる信用需要を糊すのを拒絶するに至るかを見るのであ

n

る﹂.而もこの市場に現われる購買力の分配、再分配が新結合を如何なる方向、程度に於て實施するかに決定的な意義をも〆 つものとなる。  かくて﹁金融市場は常に云わば資本主義的経濟の中央宇部とも云うべきものであって、藪よりその各部門部門への命令 が獲せられ、また薮で論議せられ藪で決定せられることは、常に其の最内面的本質に撃って次の無憂の計書の確定であ る。:斯くして將來贋値の實現のための信用流通或いは獲展に封ずる金融は、金融・乃至資本市場の主要職能である。磯 展が此の市場を創り、此の市場は獲凝によって生存する。﹂という見解が生する。    信用と資本蓄積      六五

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信用と資本蓄積 ωの畠冨8う①零び㌍壽。●09鉾一ひμ課本、二七九頁 働国び9智”ψ一ま・鐸本、ご八O頁 ㈹国ぴ①昌瓢斜Q瓜.嵩ρ鐸本、二八七頁 幽匿ぎ豊2ロD・一N9謬本、二八八頁 ㈲国げの芦⊆9狐・ぐN.課本・二九一頁 樹国びの邑9ψ一冨’謬本、二九二頁 ㈲,⑧陶び脅皆り己。﹂N9鐸本、二九土頁 ⑨国びΦ昌ユyQ慶・一N↑繹本、二九三頁 珊陶げg留︾mr8↑鐸本、三五〇頁 蝋国び葺皆u幹89鐸本・三五一一三五二頁 噺 六六 5 七  以上に於て吾々は、信用の動態理論の典型的なものとして、シユムペーターの信用理論を出駕るだけ彼自身の言葉を以 て述べて來た。それは経距磯展を資本主義的に可能ならしむる所にその必然性と本質的機能を見るということが出煙る。       、 蓋し、経濟獲展は奮結合からの生身撃力の引抜き韓用による新結合の途行に見られ、而もこの生産撃力の襲用は購買力の 信用的創造、移輻と之が行使によって實現されるという所に資本主義的維濟の特色があるとされるからである。シユムペ !ターの信用理論については、既に幾多の批判がなされて居る。叉理論の精密化という黙に於ては、今日に於ては格段の 進歩が見られるO  斯くの如くシユムペ毒断ーの信用理論に幾多の問題があるにしろ、信用理論の基本的妙工決定という上から見て、彼の 理論、否、その考え方を通じて學ぶべき重要なもの、あることは否定出來ない。

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、  先づ、彼の信用理論の基礎となって居る維濟食展の基本的考察から橡討を進めよう。シユムペーターが影野の本質的な ものをば、繹濟の量的蓮績的攣動、換言すれば質的に同一な軌道に於ける量的な櫃張再生産に求めす、むしろ、 ﹁新結合 の途行﹂即ち循環里道乃至再生産軌道の革薪にこれを求めたことは、從來、﹁礎展﹂を﹁威長﹂に置換え、量的櫃張のみを 見勝ちな立場に記して重大な一歩前進を示して居る。奮き資本蓄積論が資本の量的蓮績的増大に絡上し勝ちなのに聾して この質的非漣績的な生漆の革新に新に眼を注ぎ﹁経濟獲展﹂理論の核心をこ、に求めたことは、とくに近代経濟學の資展 史上劃期的な意義をもつものといはねばならない。漣績的な﹁循環﹂の理論に封して、非池子的、質的楚歌を問題とする 護展理論を劃然と匝別した理論的意義も亦正議に認めねばならないであろう。  併し乍ら、こ∼に亦、その理論の限界があるのではなかろうか。この黙で中山博士の次のキ張は傾聴に値する。即ち、 ﹁端的に云えば、シユムペータ1の体系は、禰態と動態との匿別を強調するにすぎて、この爾者の交渉に封しては充分な る注意を梯はないものではないであろうか。吾々は、彼に嘗て静態と動態との交渉が始めて眞に問題となるべき地盤を見 た。しかし、この地盤の上にはそれに値するだけの建怨毒は未だ建設せられていないように見えるのである。﹂と。そこ        ヨ で新なる課題は、先にシユムペ運動ーによって﹁循環﹂との剛比に於て明確にされた所の非蓮公的、質的韓換を示す新結 合の途行乃至生産の革新は、今度は連績的、量的﹁循環﹂との内的二連に於て、或は聖者の相互媒介性に著て見直されね ばならないということである。この意味に於て中山博士がその著﹁里雪遍綿の均衡分析﹂に於て﹁静態と動態との相交渉      の する磯展過程﹂を取上げ、この理論を展開した靴工的意義は滅すべからざるものであろう。  シユムペ⋮ターは彼につらなる維濟學の從來の資本蓄積論が、盗本の量的塘加に絡毒するのにあきたらす、経濟磯展を       の 新結合の遽行或は生産の革新に求めて、資本の攣動に求める見方を排斥して居るとも老えられる。併し、資本に即して考 えるならば、生産の革新乃至新結合は盗本構成の麺化として、資本蓄積過程の重大な側面即ち資本蓄積過程の非蓮三芳な    信用と資本蓄積       ,       六七

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   信用と資本蓄積      六八 面を表わすもので、彼か﹁磯展﹂として取上げなかった量的生産の櫃張、即ち横張再生産に現われる資本の量的増加は資 本蓄積過程の連坐的側面を一号表わすものということが旧來よう。否、資本蓄積は、寧ろ連絨的な資本の量的膨脹と男連 績的な資本構成の攣化との相即的、相互媒介的過程として考えらるべきであろう。  .所で、上述の如﹁き意味に於、ける資本蓄積の形成過程として投資のもつ意義も明確となって來、之を媒介する信用の意義 乃至機能も明がとなり、叉信用を媒介とする投資の動因としての野里差の役割も、其他二連の信用の問題もこの線に澹う て明となると老んられる。更に景氣勲等というも、實は資本蓄積の實現過耗に表われ曇る現象と考えられるが故に、信用 理論の重要な面である信用と景氣との關連の問題もこの基本線に即して明確化するであろう。  而して斯かる資本の蓄積過程は、その内構からいえば、再生産の動態的展開過程に外ならす、それはこれとの關蓮に於 て始めて根本的把握に到発するであろう。斯くて内實的には、上述せる盗本の量的増加は再生産の量的積張編成と見られ 他方資本構成の麺化は再生産の質的当所的編成であり、再生産体系、從って再生産的循環軌道の鍵革として考えられる。 そして再生産の動態的展園過程、即ち磯遊過程はこの再生産の量的機張と質的構成縛換との内的な相野媒介的過程と見ら るべきであろう。されば信用の媒介する投資もかくの如き再生産の資本家的編成として理解さるべく、從って信用の諸問 題も、右の如き意味をもつ投資とのつながりに於て再生産と關連するが故、それは根本的には再生産の動態的展開の分析 を媒介とする事なしには明かにされ得ないのではなかろうか。斯くて信用理論の根本的硯角は以上の基本.線に斯う鮎に決 定さるべきであると考えられるわけである。  ω申山伊知郎著﹁襲展過程の均衡分析﹂二四九頁  囲同    書 第三章   L   ご三五頁以降  ㈹中山博士﹁脛漕の一般理論﹂︵新糎濟學全集所載︶二九一頁 、

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