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プレビッシュ再論(上) : 「周辺資本主義」論によせて

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プレビッシュ再論(上)

  一「周辺資本主義」論によせて一

羽  鳥  敬

彦 1 は じ め に  多かれ少なかれ,今日の経済学はある種の曲り角に達していると,しぼしば いわれているけれども,国際経済論,とりわけ第三世界をめぐる議論において は,その傾向が著しいようである。あらためて述べるまでもなく,これは現代 世界経済のさまざまな部面での混迷の反映とみるべきものであって,第三世界 ではその困難の程度がより激烈な様相を呈しているためといってよい。この意 味で,「現実は常に理論を越えて進行するが,いわゆる『南北問題』ほど,理論 の体系的完結性と歴史の複雑な展開とのあいだのギャップを際立たせるものは ない。とくに最近10数年の事態の推移は,既存の理論的枠組みに大きな衝撃を     ユラ 与えてきた」と表現したとしても,あながち不当ではないだろう。  第一一次世界大戦,1929年に始まる大恐慌,第二次世界大戦という一連の世界 資本主義体制の危機のなか,しだいに高揚してきた民族解放闘争は,ついに第 二次大戦後の植民地体制の崩壊という大きな成果を生むに至ったが,その後の 発展一ここでは経済的側面に限定する一は必ずしも円滑に進んだわけでは ない。そして,少なくとも表面的には,この発展をより促進する目的をもって 多くの経済理論すなわちその後進性の原因の究明とそこから導き出される政 策の定立をめぐる理論一今日でいう第三世界論が生まれてきたことは,周知 のことであろう。古典派的な国際分業論を継承するもの(」.ヴァイナー), 1)伊豫谷登士翁「世界経済の史的認識∼一工.ウォラシュティソとCi  一」小野一一郎編『南北問題の経済学』同文舘,1981年,p.312。 メイヤスー

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 96 彦根論叢 第220号 需要説にたって国内市場向け工業化を主張するもの(R.ヌルクセ),交易条件 悪化論から輸入代替工業化を主張するもの(H.W.シンガー, R.プレビッ シュ),ブ・・一ケ,ファーニヴァル等によって説かれた二重経済論を重視する立 場(W.A.ルイス),輸出指向型開発論(H.ミント),発展段階説(W. W. ロストウ),あるいはマルクス経済学の立場からの重工業優先論(M.ドップ), 経済余剰論(P.バラン),国家資本主義論,新植民地主義論,中国型の農業基 礎論,そして近年の新従属理論等々,それは枚挙のいとまがないくらいであ 2) る。  とはいえ,まずここで注意しておきたいのは,こうした諸理論のなかで第三 世界それ自体の内部から生み出されたものとしては,R.プレビッシュと新従 属派の議論を除けば目につくものがほとんどないということである。そのう え,これらを含めた多くの理論が,先にも記したように,変転著しい世界経済 を背景として常に浮沈を免れないとすれば,第三世界の経済学徒にとって事は 重大である。なぜならば,それに応じてたえず「自己変革」を強制されること        3) になるからである。  本稿では,その典型的な一例としてアルゼンチン出身の経済学老ラウル・プ レビッシュ(RaUl Prebish)の場合を取り上げることにしたいと思う。いう までもなく,彼はH.W.シンガー(Hans Wolfgang Singer)とともに発展 2) これらの諸理論については,さしあたり,松井清編『後進国開発理論の研究』有斐  閣,1957年,同『低開発国経済論』有信堂,1967年,小野編,前掲書,をみよ。 3)例えば,新従属理論についての評価の変化をみてみよう。A. G.フランク (A. G.  Frank)によってこの理論はまず先鞭をつけられたということができるが,わが国に  おけるその体系的紹介者である湯浅魁男姿は,かつて彼の「低開発の開発」という概  念について「それは世界資:本主義の発展における統一性と不均等性の矛盾構造を……  一一一明快に統一的に把握する視点をわれわれに提起したものであった」と賞賛されてい  た(『第三世界の経済構造』新評論,1976年,pp.59−60)。ところが,本山美彦氏の 近著『貿易論序説』有斐閣,1982年,によれば,「近年の経済学では珍しいほどの受  容過程の拡がりと深さとをもって人びとの感性をとらえたこの〔新従属一引用者)  理論も,経済理論としての完成をみる前に急速に消滅過程に入った」(p.90)とまで  いわれるような現状になっている。

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       プレビッシュ再論(上)  97 途上国の交易条件の長期的悪化純一いわゆる「シンガー・プレビッシュ命題 (“Singer−Prebish thesis”)」一を唱え,初期国連貿易開発会議(United Na− itions Conference on Trade and Development:UNCTAD)における第三世 界側の理論的旗手として,広く知られた存在であるが,近年の一連の業績をみ ると,そのドラスティックな進展ぶりは上記の点からもまことに興味深いもの があるからである。またその内容を明らかにすることによって,今日の第三世 界をめぐる困難な状況に対する私たちの認識を深める一助となりうるように思 われる。さらに,かつて私はこの「シンガー・プレビッシュ命題」とそれをめ ぐる論争を考察した際,その後のシンガーの見解の変貌については多少とも触 れる機会があったけれども,プレビッシュの場合は文献の紹介にとどめ,その 内容に言及することはできなかった。したがって,彼の最近の論稿を取り上げ, それまでの見解と合せて検討することは,私に残された課題を果すことにもな     4) るであろう。  その際,とくに次の2点に着目しておきたい。まず第1に,彼の経済理論を !つの発展過程としてみることである。確かに,現在のいわゆる「周辺資本主 義(Peripheral Capitalism)」論において彼は1つの到達点に立っており,とも すればかつての見解との相違に目を奪われがちになるのであるが,そのような 大きな変化をもたらした理由を探る意味から,以前の議論に内在化してみる必 要があるように思われる。それゆえ,ここでは今日的観点から再度以前の「プ       5) レビッシュ命題」を中心とした,いわゆる「プレビッシュ理論」にまでさかの 4)拙稿「UNCTADの経済学  シンガー・プレビッシュ命題一」小野編,前掲  書。なお,ここでいうプレビッシュの最近の業績とは,国連ラテン・アメリカ経済委  員会(Economic Commission for Latin America)の刊行している(]EPAL Rewiew  に寄せられた一連の論交のことであって,詳しいタイトルは後述する。 5)大原美範氏は,プレビッシュの主張する「周辺」国の対外的制約要因論(「ブレビ  ッシュ命題」を中心としている)と国内的制約要因論との両者を合せて,全体的に  「プレビッシュ理論」として把握しておられる(『プレビッシュ理論とラテン・アメ  リカ経済』白桃書房,1971年,pp.16−19)。また,細野昭雄氏は対外的制約要因論の  みを「プレビッシュ理論」と呼び,全体的には「プレビッシェの経済思想」と規定し  ておられる(「プレビッシュの経済思想」『アジア経済』第6巻第3号,1965年3月)。

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 98 彦根論叢 第220号 ぼって検討することとしたい。第2に,以前から彼は一貫して体制の変革を主 張してきたわけであるが,その場合問題となるのは,彼が第三世界(といって も彼は主としてララン・アメリカに限定している)の現状を根底からどのよう に把握してきているか,ということである。実際,体制変革を説くのであれ ぽ,こういつた基本認識は確固としたものでなくてはならないし,そのために はいくつかの概念装置も不可欠のものであるだろう。したがって,これらの内 容を吟味することをも本稿の課題の1つとしておきたい。  そこで,彼の新たな「周辺資本主義」論の展開の前提をなしている,かつて        6) の「プレビッシュ理論」に目を向けることから始めることにしよう。 ∬ 「プレビッシュ理論」について  本節では,最:近の「周辺資本主義」論以前のプレビッシュの見解を検討し, 現在の議論に至る内的必然性を探ることにする。ここで取り上げる著作は以下 のとおり。  R. Prebish, The Economic DeveloPment of Latin America and lts Pri− nciPal Problems,1949(ただし本稿では, United Nations Economic Commission for Latin America, Economic Beclletin for Latin America, Vol. 2 No. 2, Feb. 1962,におけるリプリント版を使用。以下P.〔1〕と略記する)  一, “Commercial Policy in the Underdeveloped Countries,” Anzerican  ここでは,大原氏の用法に依拠しているが,後述のように「プレビッシ=理論」とい  ういい方には私は多少疑問をもっている。 6) プレビッシュの最近の見解については,既に,植松忠博「70年代のラウル・プレビ  ッシュー「周辺資本主義批判」を中心に一」『岡山大学経済学会雑誌』第34巻第  4号,1982年3月,同「ラウル・プレビッシュの周辺資本主義論をめぐって一資本  蓄積と体制変革の新しい視点一」『世界経済評論』第27巻心1号,1983年1月,に  よって紹介されている。とりわけ前の論文は,プレビソシュの新たな議論の背景まで  探ろうとした優れたものであるが,私が述べた2つの点においていささか弱いように  思われる。また,同氏の解釈と異なる部分も二,三ないわけではないが,全体的には  本稿は異論を唱えようとするものではなく,むしろ補完しようとするものとして理解  していただきたい。

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       プレビツシュ再論(上)  99 Economic Rewiew, May 1959(吉野昌甫訳「低開発国における通商政策」『ア メリカーナ』第7巻第3号,1961年3月,P.〔2〕)  一,“Economic Development or Monetary Stability:The False Dilemma”, Econonzic Bztlletin fbr Latin America, Vol.6No.1, March 196!(P.〔3〕)  一,Towards a Dbynαmic DeveloPment Policy for Latin America,1963 (スペイン語版からの邦訳として,大原美範訳『ラテン・アメリカの開発政策』 アジア経済研究所,1969年,P.〔4〕)  一,Towards a New Trade Policy for DeweloPment,1964(外務省訳『新 しい貿易政策をもとめて』国際日本協会,1964年,P.〔5〕)  一,ToωαrdsαGlobal Strαtegy of DeveloPment,1968(正井正夫訳『新 しい開発戦略をもとめて』国際日本協会,1968年,P.〔6〕)  _,Cange and DeWelopmzent_Latin America’s Great Tasfe,1971(大来佐 武郎監修,竹内照高訳『中南米の変革と発展』国際開発ジャーナル社,1971年, P.〔7〕)  これらを概観するとき,60年代前半のP.〔5〕までにおいて,「シンガー・ プレビッシュ命題」と称せられる交易条件不利化論を中心とした,いわゆる 「プレビッシュ理論」がほぼ完成され,その後の2著作(P.〔6〕,〔7〕)では 多少の変化をみせながらも,基本的な枠組みは維持されていたといいうる。注 4)で述べたように,「プレビッシュ理論」という場合,彼を著名にした,発 展途上国(彼は「周辺(Periphery)」と呼んでいる)の対外的制約要因の究明 のみならず,その国内的制約要因に関する議論までも含んでいるけれども,そ れらはいちおう別箇のものとされていた。したがって,ここでも便宜上両者を       つ 分けてみてゆくことにしたい。 7)なおプレビッシュの経歴については,ここでは省略する。L. E, di Marcs ed. Int・  ernational Eonomics and DevegoPment−Essays in Hoizottr of Rdul Prebish, 1972,  PP, xvii−xix,をみよ。

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 100  彦根論叢 第220号  1.対外的制約要因論 一「プレビッシュ命題」  プレビッシュのこれまでの経歴のなかで,もっとも華々しく,かつ彼の名前 と切り離すことのできないこの問題については,既に多くの論者によって取り 上げられ,前記でもある程度考察しておいたので,詳しく再説する要はないで あろう。それゆえ,本稿では「プレビヅシュ命題」にみられるその理論的特徴 とその後の若干の変化の検討に重点をおくことにしよう。  はじめに,彼の議論のアウトラインを簡単に要約するならば,だいたい次の とおりになるであろう。  世界経済は決して同質なものではなく,主として工業製品を輸出する「中心 (Center)」諸国と一次産品を主要輸出品とする「周辺(Periphery)」諸国に分か     う れている。ここで,さまざまな理由によって,工業製品の需要の所得弾力性は 一次産品のそれよりもかなり高いと考えることができるため,経済の成長とと もに工業製品と一次産品との,したがって「中心」と「周辺」との交易条伴(プ レビッシュは商品交易条件一すなわち,輸出輸入品単位価格比率の指数的変 化一しか問題としていないが)は,必然的に後者に悪化せざるをえない。こ のことは,技術進歩の利益は世界的に均等に配分されるのではなく,当然「周 辺」にとってはより小なる部分しか割り当てられず,したがって所得分配にお いても国際的な不平等が生ずることを意味する。かくして,「中心」諸国と「周 辺」諸国との間には,資本蓄積それゆえ経済発展において,大きな格差が惹起 されざるをえないし,現状のままではますますこうした傾向は強められるだろ う。そこでこれに対処するためには,「周辺」諸国は不利な一次産品生産にの み力を注ぐべきではなく,輸入代替的なものを中心として,より大きな可能性 をもった工業生産を積極的に拡大しなくてはならない,というわけである。 8) この「中心」,「周辺」という用語は,プレビッシュの議論においてキー・ワードを  なすものである。しかし,一次産品輸出国としての「周辺」のなかには,その当時か  ら先進国の一員と考えられていたオーストラリア,ニュージーランド,あるいはカナ  ダなどを含んでいk点が,しばしば批判の対象となってきた。そして.第三世界の工  業化がかなり進んだ現在では,工業製品輸出国を「中心」とし,一次産品輸出国を  「周辺」とするような分け方自体に疑問が出てきているといえよう。

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      プレビッシュ再論(上)  101  以上のような論理には,いくつかの問題点や特徴点を見い出すことができる だろうが,とくに本稿では以下の3つの側面について掘り下げてみることにし よう。   a.技術進歩の利益  既述のように,プレビッシュによれば,「周辺」諸国の交易条件の不利化と は,技術進歩の利益が世界的に不均等に配分されることを意味していた。した がって,彼の所説の中心的要素の1つとしてこの技術進歩の問題があるといっ てさしつかえない。ではなぜ,主としてそれを彼は経済発展の基底をなすもの と考えるのだろうか。  これは1つに彼の方法論からきているもののように思われる。その方法と は,しばしば動態(Dynamics)として表現されているように,変化の過程と して事象を把握しようとすることであり,しかもそこには量的及び質的変化の        ゆ 両者をも含めているところに特微を有する。このように量と質の問題を明示的 に区別していないため,むしろ動態性概念が曖昧となっている点に,私は1つ の難点を感ずるのであるが,当面の問題に限定すれば,次のようになるだろ う。すなわち,経済発展のためには,さらに資本蓄積を行なわなくてはならな いが,既存の所得分配や消費パターンを問わないとすれば,その源泉となるの は所得の増分であって,これは技術進歩=生産性向上によってである。そこ で, 「中心」と「周辺」の成長を考える際,両者間の技術進歩の利益の配分が        10) 問題の焦点とならざるをえなくなるわけである。 9) 例えば,P.〔4〕の標題『ラテン・アメリカの動態的開発政策をもとめて』という  場合の動態とは体捌転換を含む意味で使われている。ところが,最近の著作において  最も重要な概念である「余剰(surplus)」が発生するのは「本質的に動態的過程」に  おいてであるというとき,それは生産性の上昇していく過程を指しているだけであっ  て,たんに量的変化の意味しかもたない(ttSocl(}一Economic Structure and Crisis of  peripheral Capitalism”CEPAL Rewiew, No.6, Second half of 1978, p.189.な  お,この「余剰」概念については,後に詳しく検討することにしたい)。 !0) ここで,投資源泉を求めるに,既存の所得分配や消費パターンを決定している諸要  因の解明を深めることなく・ただちに動態的過程を論ずるところに,彼の方法的な問

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 102  彦根論叢i第220号  技術進歩の利益という場合,彼は通俗的にいわれているように,①生産物価 格の低下,あるいは②生産者所得の増大,という2つのケースがあることを認 める。いずれも物的所得水準の上昇を意味するため,それだけ現在の消費水準 を向上させ,さらには投資財源の増加をもたらすことが可能となるが,問題は 「中心」国と「周辺」国との間において,前者では②の形態が,後者では①が より生じやすいために,その利益の不平等分配が必然化されるということであ った(これが次にみる交易条件論である)。  このように,技術にたいする初;期の考え方はきわめて単純なものだった。と もすれば,それは技術万能論につながりかねないものをもっており,比較優位 の観点を別とすれば,技術選択の問題などはほとんど視野に入りえなかったと     ユ  いってよい。しかし,P.〔6〕・〔7〕になるとその態度に徴妙な変化が起って いる。  まず,P.〔6〕では,次のように述べている。  「科学技術の進歩が発展途.ヒ世界にもたらす希望は実にすばらしいものがあ る」にもかかわらず,「この技術は周辺諸国に鋭い矛盾をつきつけている。」ま       カ ず,R.ヌルクセの説いたいわゆる国際的デモンストレーション効果である。 すなわち,世界的なマス・コミュニケーション技術の急速な発達とともに,「周 辺」諸国では「中心」諸国のイメージ,生活様式,消費習慣「を模倣しようと する願望はあらゆる社会分野に独特のスピードで広まりつつある。」このこと はもともと「周辺」諸国に存在している「こうした技術進歩の要求する資本投 下量と,その投下のために利用可能な諸資源の希少性との間の矛盾」をより激 烈なものとする。また,技術発展の結果もたらされた死亡率の低下にもかかわ らず,「周辺」ではその「経済的社会的環境」によって極端に高い出生率が維  題が現われているといってよい。そして,こうした点がしだいに修正されていくとこ  ろに,彼の論理の発展があるように思われる。 !1)例えば,P〔1〕, p.22,では「周辺」では資本財産業を設立する必要はないと述べ  られていた(ただし,その後の著作にはこういつた主張はなくなっている)。 12) R, Nurkse, Problems of Capital Formation in Underdeweloped Countries, 1955,  pp.57−81,土屋六郎『後進諸国の資本形成』巌松堂出版社,1965年, pp・94−135。

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       プレビッシュ再論(上)  103 持されているため,「驚くべき人口増大」が生じているが,そのことも先の傾 向を強めざるをえない。さらに,「技術進歩は,その直接的及び間接的効果に よって,周辺の一次産品輸出に不利なインパクトを与え………他方,この技 術の周辺への浸透は中心からの工業製品輸入を拡大する傾向をもっている」た め,「周辺」諸国の貿易不均衡一いわゆるトレード・ギップ(trade gap) 一も大きくなる(pp.1−3),というぐあいである。  続いて,P.〔7〕になると,問題はよりいっそう深刻な様相を呈している。  「中心」諸国においては「技術進歩の逆効果に対する懸念が劇的な高揚を示 している。」「これらの大国では,繁栄の指数が着実に上昇しているのにかかわ らず,自然環境は悪化しつつある。」「これらの問題に対する無知と無関心は, 経済的諸方の自由な行動を許し,あらゆる経済的社会的意味を伴った,大気と 水の汚染,そして都市の過密化という結果を生ぜしめたのである。」(p.198)  「技術の巨大な進歩によって,財の生産・運輸・販売は要する時間はますま す減少してぎて」おり,今や「人聞解放というユートピアン達の理想は,ラテ ン・アメリカ地域において現実のものとなるかもしれない状況にある。」しか し,しばしば機械やコンピューターに人間が従属しているといわれるように, それは「人間の精神を腐敗させることによって人間性を土台から掘り崩してし まうこともできる。」このことは「たんに技術それ自体の二面的性格(ambiva一 工ence)を表わしているばかりでなく,それによってもたらされる経済発展の二 面的性格を示している。」(pp.219−220)  「本質的には,この問題は,どのようにして利用可能な技術を最も有効に利 用し,ラテン・アメリカの状況により適合的に反応させるために,その技術の 諸要素を順応させ,組み合せるか,ということである。」「すなわち,われわれ は,外部の者の判断にあまり多くを依存することなく,独自の識見を生み出す 能力を発達させる必要があるのである。」(pp.206−207)  もし,以上のことを論理の射程のなかに入れるとするならば,それまでのよ うな単純な技術進歩の利益論から脱して,別の新たに視座を導入しなくてはな らないだろう。それは一方では,技術進歩をいわば質の面から考察することを

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 104 彦根論叢 第220号 要請するとともに,経済発展に見合った技術選択の問題をも姐上にのせること にもなろう。他方で,現在採用されてい技術が批判的に検討されるのはもちろ んのこと,たんに「中心」国の後追いをしているにすぎない,「周辺」国の模 倣性についても掘り下げる必要も出てくる。最後に,これらの背後にある「周 辺」国内での所得分配やそれに規定されている消費パターンのあり方までメス を入れなくてはならないであろう。そうでなくては,後段で論じているよう な,技術に対する自主性を確立することは困難だからである。  いずれにせよ,これらのことは,たんに交易条件の動きに集約されるにすぎ なかった技術進歩の利益の配分論とは異なった,質的観点を含んだ技術それ自 体の検討を迫るものといえる。こうして,「命題」の第1の柱は新たなディメ ンションへの道を開くに至った。

 b.交易条件論 一「中心」と「周辺」一

 続いて,プレビッシュの名を一躍高からしめた「周辺」国交易条件の長期的 悪化論であるが,ここでは彼がもっぱら使用している商品交易条件のもつ意味       ユき  と限界については他書に譲り,はじめに交易条件(terms of trade)それ自体 の性格についてだけ一言しておこう。  周知のように,交易条件には商品交易条件以外にも,要素交易条件・所得交 易条件等いくつかの種類があるけれども,いずれもそれらは相対変化を表示す るものであって,絶対的なタームとしては用をなさないものである。つまり, 少なくとも2時点比較によって,有利化したか不利化したか,あるいは不変で あるかを数量化したものであって,1時点を単独に取り上げたとしても,まず       ユの 意味をもたない0 13) さしあたり,小島清『交易条件』勤草書房,1956年,などを参照されたい。 14)例えば,商品交易条件は次のように表わされる。ある国の基準時点の輸出品単価を  e1)。,輸入品単価をεPoとし,第1時点のそれぞれをePi, iRとするとき,その国の  第!時点の商品交易条件Tiは,       ePl       ePo    T±==       垂       ?;1)り

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       プレビッシュ再論(上)  105  この点で対照的なのは,日本の戦後の世界経済論研究において最:大の論争の 1つとなった「国際価値論」や,近年第三世界論の立場からさかんに論じられ ている「不等価交換論」である。なぜならば,これらは常に異時点比較を要求 する性質のものではなく,ある時点の国際的収i奪=「価値の移転」あるいは 「surplusの流出」の数量化が可能だからである。したがって,その意味から        ユつ 交易条件論とは基本的な差異があるとみるべきであろう。  こうした性質の交易条件を技術進歩の利益配分の不平等性を認識せしめるト ゥールの最大のものとしているところにも,先にみたプレビヅシュの方法的特 徴が現われているように思われる。一方で技術進歩の利益という変化を含む概 念に,たんに相対変化のみを表示するにずぎない交易条件を対応させているた めに,その前提として存する分配の基礎構造を看過しがちにな:ってしまってい      16) るからである。  続いて,プレビヅシュの交易条件不利化論の筋道を追ってみることにしよ う。  先にも述べたようは,主として工業製品を輸出する「中心」国と一次産品輸 出国である「周辺」国との貿易関係において,必然的に後者の交易条件が悪化 し,技術進歩の利益が不平等に分配されるというのが,その主旨であるが,ま  となる。この定義から.第1時点での交易条件Tlとは,基準時点との比較において  はじめて意味をもつものであることが明らかであろう。 !5)この点で,「シンガー・プレビッシュ命題」の一方にその名をとどめているH.W・  シンガーが,J. A. Ansariとの共著, Rzch and Poor Countries,1977, p.71,で自ら  の見解を,A. Emmanuel等の「不等価交換」論と結びつけようとするとき,両者の  間でその方法論において大きな転換があることを看過すべきでないであろう。 16) プレビッシュは,P・〔5〕, P・19,において.1950一一61年の問に,発展途上国はその  交易条件の17パーセントの悪化のために,輸入購買力を131億ドル失ったと述べてい  るけれども,基準時点(1950年)における輸出入の価格関係が基準として果して妥当  かどうかの検討なくして,131億ドルの購買力の低下が補償されるべぎものであると  主張することはできないであろう。交易条件論争において,しばしば基準時点が問題  となったのは,この吟味が不十分となりがちになるため,といってもさしっかえない  ように思われる。

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 !06 彦根論叢第220号 ずP.〔1〕の段階では,通常知られているような需要の問題から説明されてい たのではなかった。  すなわち,「周辺」国の交易条件の不利化の「原因はきわめて単純である。 景気上昇期では,利潤の一部は企業間の競争と労働組合の圧力で惹き起される 賃金上昇によって吸収される。ところが下降期において利潤が低下するような 場合でも,中心諸国ではこの賃金上昇によって吸収された部分は伸縮性を失っ てしまう。というのは,賃金引き下げに対する周知の抵抗が生ずるからであ る。かくして圧力は周辺諸国へ向かう」。しかるに「周辺」では,「第一次生産 に雇用されている労働者達の組織が欠如しているため,工業諸国の場合ほど賃 金は上昇しないし,同じ程度にその上昇を維持することもできない。それゆ え,周辺においては利潤であろうと賃金であろうと,所得の引き下げはあまり 困難ではない」 (p.6)のである。  労働者の賃金交渉力の差異という供給側の要因にもっぱらその原因を求めて いるこの議論について,不十分さをみてとるのは容易なことであろう。まず第 1に,好況;期に価格上昇に応じて,賃金は引き上げにくく,不況期では価格下 落に対して,賃金水準を維持しがたいというのであれば,そういった価格変動 をもたらしている隠れた別の要因として,需要の問題が想定されているといわ ざるをえない。というのは,そうでないとすれば, 「周辺」における賃金の相 対的下落を,なぜその利潤の相対的上昇が相殺して,一次産品価格を工業製品 価格とパラレルな動きをするものとしないのか,という点が説明されないから である。また,もし一次産品生産においては労働者の賃金交渉力がその組織化 の欠如のゆえに,工業部門のそれよりも低いというのであれば,その原因が究 明されなくてはならないだろう。この点が抜け落ちるならば,工業化を主張す る積極的意義は, 「中心」諸国の保護主義に対抗する以外にあまりなくなって しまうからである。  したがって,彼が需要の問題へ,しかもそこにおける一次産品と工業製品と の差異に目を向けるようになったのは,むしろ当然のことだったように思われ る。そして,P.〔1〕においても,こういつた点が萌芽的にみられることも,

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      プレビッシュ再論(上)  107        エの この推測をある程度裏付けてくれるであろう。  「プレビッシュ命題」がほぼ完成したとみられる,P.〔2〕・〔4〕・〔5〕に おいては,周知の説明がなされている。すなわち,一次産品の需要の所得弾力 性は工業製品のそれよりも低いため,経済成長とともに,「周辺」国の一次産 品部門の労働吸収能力は鈍化せざるをえず,労働力(彼はmanpower,人間力 と呼んでいる)の過剰化傾向を生み出す。この余った労働力はr周辺」国内に ある工業部門へ移動せざるをえないが,同部門の生産性水準はきわめて低位で あるため,賃金水準は下落せざるをえない。他方「中心」国では,これとは逆 に,労働力はより不利な一次産品部門から生産性の高い工業部門へ動くのであ るから,賃金は改善される傾向が強まる。この「周辺」国における賃金の低下 傾向は,一次産品生産者をして逓減する需要に,価格引き下げをもって対応す ることを可能とする。かくして,「周辺」国の交易条件は悪化せざるをえない わけであるが,加えて,「周辺」と「中心」との問にある「技術密度(“techn− ologica正densities”一技術的知識とそれを生産に応用する能力)1の格差もこの 傾向を助長するし,また「中心」国の一次産品保護政策および労働組合の強い 圧力も同様の効果をもたらす。こうして,交易条件の悪化を通じて,「周辺」 諸国では技術進歩の利益から疎外され,所得の「中心」国への移転と資本蓄積 の低位性が生み出されることになる。  以上から引き出される政策論とは,まず「周辺」国においては,経済発展と ともに需要面から不利となってしまう一次産品生産から,しだいに工業生産部 門を拡大・発展させることである。それは一次産品輸出の相対的鈍化傾向より 帰結する対外的不均衡を是正する意味からも,すなわち輸入系数を下げる観点 からも,不可欠といわなくてはならない。そのうえ,一般的に同地域ではそ の出発点において,工業生産が「中心」国に比して相対的に不利であるという /7)P.〔1〕,pp・16,17。例えば, p.17では次のように述べられている。「農業におけ  る技術進歩と農産物に対する海外需要の相対的緩慢さのため,農業部門よりも工業部  門の方が増加した労働人口のより大きな部分を吸収しうるといわれている。」(傍点引  用者)

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 !08  彦根論叢 第220号 比較優位の面から考えると,この工業化は,合理的な保護手段を伴った輸入代 替的なものが望ましいであろう。他方で,「周辺」国の貿易収支の改善を計り, より進んだ資本財を「中心」国から輸入するため,一次産品のみならず漸次優 位を獲得してきた一部の工業製品の輸出を促進する必要がある。そのために は,「中心」国に有利に形づくられている既存の世界貿易システムを大きく変 革し,「周辺」国の発展に役立つようなものに改めなくてはならない(例えば, 一般的特恵制度, 「中心」国による「周辺」国からの輸入に対する数量ターゲ ット,交易条件悪化に対する補償融資制度等の実施)。そしてむしろこうした       ことが,世界経済の安定的調和的発展に寄与するのである。  こういつた「プレビッシュ理論」の核心ともいうべき部分に関して,1950∼ 60年代において多くの論者がそれぞれの立場から批判と擁護とを繰り返してき た。とりわけ前段の交易条件不利化については,理論的・実証的に種々の論争 があったことは,周知のことだろう。その一端には既に予稿で触れておいたの で,ここではむしろ今日的観点に立って問題点の洗い出しに努めることとした い。  一言でいって,プレビッシュの政策論とは輸入代替をベースとした工業化と いうことに尽きる。ところが,現在の発展途上国の立場からすれば,このよう       表/.発展途上国の工業化(1) 1960年 工業化率1)1人あたりGDP3) 1978年 工業化率  1人あたりGDP 先  進  国 37.4%3,4諮レ(・。。.。) 38.4%t 6,13”o”V aoo.o) 非石油輸出途上国2) うち 南中米諸国 25.2 31.8 270 ( 7.9) 715 ( 20 8) 32.5 1 440 ( 7,2) 37.6 1 1, 200 ( 19. 6) 出所;UNCTAD, Trade and I)ewelopment Report,1982, p.15!,より作成。 注 1) GDPに占める工業(製造業,鉱業,公益事業,建設業)の割合。  2)1974年目おいてその国の石油輸出額が全輸出額の50%以上を占める国以外の   発展途上国。このため,中南米諸国では,エクアドル,ヴェネズェラが除かれ   ている。   3) 1975年U.S.ドル。()は先進国を100.0としたときのそれぞれのシェア。 18)詳しくは,前掲拙稿,PP.56−62,をみられたい。

(15)

       プレビッシュ再論(上)  109 な単純ともいいうる工業化が果して救いとなるのか,というきわめてクリティ カルな局面にあるといってさしつかえないように思われる。  表1には,ここ18年間の途上国の工業化への努力の成果が示されている。す なわち,非石油輸出途上国のGDPに占める工業の割合は25.2パーセントから 32.5パーセントへと着実セこ増加しており,とり i表2.発展途上国の工業化(2> わけ,ラテン・アメリカ諸国は先進国(社会主        発展途上国数 義諸国を除く)と比較して,何ら遜色のない 程度に至っているかのようである(31.8一→ 37.6パーセント)。 だが,1人あたりGDPの 先進国と発展途上国との間の格差は,この聞ほ とんど縮小していない,というよりむしろ若干 の拡大すら示しているという点に,問題の一部 が既に現われているといってよいけれども,そ 紐勤ヴ蓼製196・年・978年 5一 9% 10 一 14 15 一 19 20 一一 24 25 一 力国 25 21 9 5 3 上国 20 21 !8 8Q︶ rr 二=ロ 1 63 L 76 出所;表!に同じ。 れについては後に触れるとして,さらに工業化について概観していこう。表1 は鉱業を工業部門に入れて いるので,今度は製造工業 についてだけのデータをみ ることにしよう。表2は,

GDPに占める製造工業の

シェアが5パーセント以上 の途上国数を示したもので ある。これによれば,60年 から78年の間に全体で13力 国増加しているうち,とく に15パーセント以上の国が 多くなっていることがわか る。そして,25パーセント 以上の国が既に9力国に達 表3.発展途上国の輸出構成(一次産品   と工業製品のシェア)    (単位%) Ig60r 1 1970 1 197s 1 1979   , 途上国全体

OPEC

非OPEC

一次産品 (うち燃料) 工業製品 一次産品 (うち燃料) 工業製品 一次産品 (うち燃料) 工業製品 87.7 (3!.0) 11.7 ( 一) ( 一) 83. 5 (33.0) 16.3 98.2 (85.9)  1.7 76.1 ( 7. 2) 23.4 85.2 (59. 5) 14.4 98.7 (95.3)  13 69.8 (18.1) 29.6 80.5 (56.6) 19.0 97.7 (9301)  1.6 61.7 (16.8) 38.0 出所;UNCTAD, Hand’book of lnternatinal 7’rαde  and 1)evelopmtent 5麟ゼ∫ψ瑠,1976,ユ981,より作  成。 注ここには,SITC 9(分類不能)が含まれていな  いため,全体を合計しても100.0にはならない。

(16)

 1!0 彦根論叢 第220号 している事実にこそ,着目しておくべきであろう。  また表3にあるように,途上国の輸出構造にも看過しがたい変化が現われて いる。というのは,1965年には1割程度だった途上国全体の工業製品の輸出に 占めるシェアは,79年前は2割近くに達しているし,しかもOPECの輸出額 を除けば,全体の4割程度を工業製品が占めるに至っているからである。た だ,これらの工業製品輸出のかなりの部分は,表4.ラテン・アメリカ3国と先進        国のGDPの構造 (単位%)いわゆる「新興工業国(Newly lndustrialising       1960 1 !9. 79 Countries:NICs)」によって担われているの は,注意を要する点であるが,いずれにして も少なくとも一定数の発展途上国は,この問 に工業化に相当な成果を挙げてきたことは明     ユ う らかである。  そしてプレビッシュの研究対象の大きな部 分をなしていたラテン・アメリカ諸国のなか でも,最大の経済規模をもつブラジル,メキ シコ,アルゼンチンの3力国は,工i業化にお       20) いて著しい進展を示したものであった。表4 からわかるように,農業部門の大きさを洌と してGDPの構造をみるならば,もはや70年 代末には工業化という点において先進国とほ とんどかわらないような観を呈している。さ

先進国

アルゼンチン ブラジル メキシコ

60ω4

 4 3 ﹁D   ︵ 聖業菊ス   造ビ   製   ち一

農工Gサ

農    業 工    業 (うち製造業) サ 一 ビ ス 農1   業 工    業 (うち製造業) サ 一 ビ ス  4 37 (27) 59 16 38 (32) 46

65

10Q

(26)

1

 49 農    業 工    業 (うち製造業) サ 一 ヒ ス 16 29 (23) 55 13 46 (37) 41 11 38 (28) 5! 10 38 (29) or2 出所;世界銀行『世界開発報告』  1981年版,pp.126−127 19) 「新興工業国」については,多くの研究が現われているが,さしあたり,OECD,  The ImPactげ融N伽砂Industriagising Countries on Production and Trade tn  Manufactures,1979(大和田死期訳『OECDレポート新興工業国の挑戦』東洋経済  新報社,!980年),平川均「新興工業諸国の『従属性』について」「長崎県立国際経済  大学論集』第!5巻第1号,1981年8月,などを参照されたい。 20)1978年におけるラテン・アメリカ全体のGDPは5, 233億ドルであったが,そのう  ち68パーセント(3,549億ドル)はブラジル,メキシコ,アルゼンチンの3力国によ  って占められていた(UNCTAD,}landbook of lnternational Trade and 1)eveloPment,  1981, P 348).

(17)

らに,この3国の輸出構造を掲げた表5に目 を向けると,いまだいずれも一次産品が過半 を占めているとはいえ,この19年間におのお の大幅な工業製品輸出の伸長があったことが わかる。こうした傾向が続くならば,近いう ちに,途上国の一部は工業国という名称を得 ることすら可能なようである。かくして,プ レビッシュの定義に従う限り,「周辺」諸国 はしだいにその「周辺」的性格を失いつつあ るといわな:くてはならないわけである。  しかし,もしこれらのことによって,第三 プレビヅシュ再論(上)  1!1 表5. ラテン・アメリカ3国と先   進国の輸出構成  (単位%)          1960 1 1979 品品

製三

次二

一工

先進国

アルゼン チン 。ブラジル 一次製品 工業製品 一次製品 工業製品 44ρ0 3ρ0 ρ04 4 7 9 ∩O 88 P2 品品

試製

次業

一工 メキシコ [D﹁0

27

6472

19

ρ0∩Q −Q﹂ 6つ﹂ 世界では事態の打開へと向いつつあるというの であれば,あまりに楽観的な見通しであるだろう。現在の第三世界をめぐる状 況は以前と同じような,あるいはそれ以上に困難なものとなっているからであ る。 表6. 1人あたりGNPとその成長率       1960∼80年       /980          けロ ロドノレ       1先 進 国2)!0・320(100・0)1)i 3・6%i       ミ

1低所得国z)、260(2.5) !.21

1         ;

中所得国2)i1・400(136) 3・8

うちアルゼンチン  2,390(23.2)   2.2   ブラシル 2,050(19.1)  5,1   メキシコ 2,090(20.3)  2.6 1 出所;『世界開発報告』1982年版,   pp. 128−129 平均成長率注1) ()は先進国を100.Oとしたと 出所,『世界開発報告』1982年忌,pp。  112一一113   きのそれぞれのシェア。 2)低所得国とは,1人あたりGN   Pが410ドル以下の33力国。中所  得国とは岨1ドル以上4,5GOドル以  下の63力国。社会主義国.高所得  石油輸出国(リビア,サウジアラ   ビア,クウェーF,アラブ首長国  連邦)以外のその他が先進国。  たとえぽ,表6をみてみよう。これは,1980年における1人あたりGNPと 60年から80年末までのその年平均成長率を示したものであるが,まず1人あた りのGNPにおいて,先進国と途上国との間にはいまだ隔絶的な格差があると いえよう。そして,60年以来の成長率から推測されることは,先進国を低所得 国との間ではこの格差比率は確実に拡大しており,中所得国においてわずかだ

(18)

 112 彦根論叢第220号 けこの比率を縮小しえたにすぎないということである。ラテン・アメリカの3 力国をみると,ブラジルの高成長は目立つけれども,他の2国では格差比率が より大きくなっていることがわかる(先進国の成長率より低い場合はその間に 格差比率は拡大し,逆の場合は逆となる)。つまり,工業の成果を先進国との相 対関係でみると,およそこの程度だったわけである。さらに,発展途上国内の 所得分配の不平等性が著しく改善されたことを示すような証拠はないし,いわ ゆるBasic Human Needsなるものが今さらのように喧伝されている事実をみ るならば,貧困と飢餓の問題にはほとんど根本的な解決がなされていないこと は明らかであろう。また,とくにラテン・アメリカを中心としたいわゆる都市爆 発は,同地域に巨大都市群を出現させたが,その実態はむしろ貧困の問題が抜        ZD きさしならない状況に至っていることを示している。そのうえ,第三世界に蔓 延している激烈なインフレーションは社会不安をいっそうかきたて,例の「新 興工業国」を中心とした債務累積の増大とともに,世界経済に不気味な影を落        22) としているとさえいえる。  もちろんこれらの原因が工業化にあるというのではないが,少なくともプレ ビッシュ等の説いた工業化戦略が基本的な解決策とならなかったのは,おおい がたい事実である。そして,今やこの工業化によって最も利益を得たのは誰だ 21) この点については,さしあたり以下の研究を参照されたい。山崎春成「ラテン・ア  メリヵの雇用構造と人口の都市集中」大阪市立大学『経済学雑誌』第68巻第1号,  1973年IN,同「ラテン・アメリカの雇用問題と農業構造」『アジア経済』第14巻第  4号,1973年4月,同「都市爆発と農民離村」吉岡健次・山崎春成編『現代大都市の  構造』東京大学出版会,1978年,西川潤「第三世界の都市」『第三IE一界の構造と動態』  1977年。またJメキシコについてだけであるが,湯川出子『メキシコ経済論』大明堂  1982年,も興味深いものである。 22) この問題については,塚崎二二「主要中進国の国際収支と対外債務状況」『海外投  資研究所報』第5巻第13号,ユ979年12月,東淳「非産油途上国の貿易動向」『同』第  7巻第5号,!981年5月,「ラテン・アメリカ諸国の対外債務」日:本輸出入銀行海外  投資研究所『ラテン・アメリカの経済に関する論文集』1979年.平川均「新興工業諸  国(NIC)の債務累積と世界資本主i義」『長崎県立国際経済大学論集』第!5巻第3号,  !982年3月,等をみられたい。

(19)

      プレビッシュ再:論(一ヒ)  113 つたのか,という問いかけが発せられなくてはならない。とくに,ラテン・ア メリカでは多国籍企業との関連をぬぎにして,工業化を論じられないとすれ       23) ば,このことはその国の主権にも関わる問題ともいえよう。そこで注目してお いてよいのは,外国資本に対するプレビッシェの態度の変化である。          24)  c.外 国 資 本  ここでは,外国資本を主として直接投資に限定して検討する。後述のよう に,いわゆる「飛び地(enclave)」的性格をもつかっての外国資本のタイプは, 今後の「周辺」諸国の発展のために変革されなくてはならない,という議論を 除けば,プレビッシュにあってはこの「時代遅れ」の,つまり一次産品国とい う,「周辺」国の経済構造を形成する上で果した外国資本の役割に対する認識 は希薄である。たとえあったとしても,第一次世界大戦前のイギリスを中心と した世界経済秩序を,「周辺」国の発展にとってある程度適合的ものだったと         25) 考えている彼の立場からすれば,あまり重要なことでなかったのかもしれな い。  したがって,外国資本の問題は,彼の政策論,すなわち輸入代替をベースと した工業化にそれがどのような役割を担うべきかという側面に焦点があてられ るわけだが,確立された「プレビヅシュ命題」からは,外国資本への期待とは 本来補完的な性質のものとならざるをえないであろう。なぜならば, 「命題」 の説くところによれば,一次産品に特化せざるをえないような「周辺」の産業 構造と既存の国際経済秩序の変革がなされない限り,ある程度の外資の流入に 23) ラテン・アメリカにおける外国籍企業の展開については.中川信義「ラテン。アメ  リカにおける多国籍企業」尾崎彦朔・奥村茂次編『多国籍企業と発展途上国』東京大  学出版会,1977年。細野昭雄「中進地域ラテン。アメリカの工業化と外国資本」『海  外投資研究所報』第4巻第10号,1978年9月,大泉光一『ラテン・アメリカの資源と  経済』新評論,1980年.などをみよ。 24)P.〔4〕ではプレビッシュは外国資本の問題を国内的制約要因のものとしているけ  れども.本稿では次節でみる「周辺資本主義ゴ論との関連で,対外的制約要因に含め  て考えることにしたい。 25) P.〔1〕,pp.6−13,〔2〕, pp.266−267,〔4), pp.67−69ページ,〔5〕, pp.3−10。

(20)

 114 彦根論叢 第220号 よっては,「周辺」の発展を限界づけている対外的制約を克服しえないからで ある。ただ,外資が無限にしかも一定比率以上に増大しつつ入ってくるのであ れば,話は別だが,これは起りそうもない想定である。こうして,プレビッシ ュの提起する政策論に,どのようにして外国資本を調和させていくか,という ことが問題の中心となる。  まず,P.〔1〕。「周辺」の経済開発において,国内の貯蓄不足を補うために 「しばらくの間,外国の貯蓄に頼ることは不可避のように思われる」。しかし ながら,1930年掛の大恐慌の際起った突然の資本の回収という悪夢の再生を防 ぐためには,「外国貿易の根本問題の解決」がなされなくてはならない。それ までは「ドル出投資は  それをドル建輸出〔活動一引用者〕に用いること ができないのであれば  ,将来の利払いを容易にするために,直接あるいは 間接に同通貨建の輸入を減少させることに役画せるように留意すべきである。」 (pp.2,15−16)このように,ここでは輸入代替工業化を補強するものとして, 外国資本の利用が考えられていたのであった。  続いて,P.〔2〕以降では,単なる輸入代替工業化によっては,「周辺」諸 国の対外的制約を乗り越えることができない点の認識が生まれ,「周迦に比 較優位のある工業製品を「中心」諸国へ向けて積極的に輸出すること,そして このために「中心」の市場開放が必要であることが主張され出す。それに応じ て,外国資本をこの方向へ導いていく前提として,これまでの外資のあり方の 論議が姐上にのせられるようになった。ほぼ次のような主旨である。  かつて, 「周辺」が一次産品輸出に特化して発展していた時代において,外 国資本はいわゆる「飛び地」だった。「その時代どんな先進的な技術の流入も この飛び地に限られていた。この技術を国内に伝播させようということもなか ったし,またその理由もなかった。」「ときおり,飛び地のものと類似した事業 を営もうとする民間企業が周辺国内より現われたけれども,しばしばこの国内 的努力は飛び地の経済的圧力の下,併呑されてしまったり,あるいは消滅させ られた」。 このように「特徴的な型の外国資本の主たる目的とは,何らかのか たちで中心諸国の利益に貢献することであり,その事業とは〔中心諸国の〕分

(21)

      プレビッシュ再論(上)  115 枝にほかならなかった」。そのうえ,こうした外国資本は「周辺」国内の「土 地所有の特権に依拠している支配グループ」と密接に結びついており,後者は 前者から種々の利益を得ていた(P.〔4〕,pp,53−54)。  もちろん,現在も「飛び地」的な外国資本は存続しているのだが,新たな開 発政策を実行するにあたって,当然変革されるべきであるし,「集中的な工業 化過程において決定的な役割を担うべき新しいタイプ」のものにつくりかえる 必要があるだろう。そこにおいて,外国企業は「周辺」の発展に資するような 「技術普及のための中核とならなくてはならない」し,また輸出振興政策にお いても重要な役割を果すべきであろう。というのは,「しばしば国内の企業が 短期間で獲得できないような,輸出実務や海外市場に関する知識,技術水準, 経済的ノウハウ」を,これらの外国企業が保有しているからである(Pe〔4〕, pp. 54, 55−56).  もちろん外国資本に依拠するに際して,全く問題がないわけではない。例え ば,「〔現地〕国の利害にとってどれだけその外国企業が重要であったとして も,企業の意志決定は外国で行なわれるため,現地側が影響力を及ぼすことは 難しい」。あるいは,外国企業に対して,ラテン・アメリカ企業は技術的にも 経済的にも劣位にあるので,両者間に「合理的な均衡を漸次確立するための方 策が採られるべきである。」(P.〔4〕,pp.54−55)  したがって,これらに依拠するために新しい方式(new formuia)が必要で あるが,それは「リスクの負担を伴った,現地企業と外国企業とが参加した合 弁事業から,一定期間後これらの事業を周辺国の国内企業あるいは周辺諸国 の多国籍民間企業へ譲渡するなど,かなりの範囲のものを含むべきである。」 (P.〔6〕,p.57)また,外国企業が国際トラストの一部であるときは,「しば しば市場の分割によって,国内の生産努力を妨げる。この場合は,国家の干渉 は不可避であって,なすべきことを国家自ら行なうか,あるいは他者にそれを 実行させなくてはならない。」(P.〔4〕,p.55)  このように,P.〔2〕∼〔6〕においては,外国資本についてある程度の難点 を認めつつ,何とかそれを解消し,彼の説く開発政策に適させるべく模索して

(22)

 116  彦根論叢 第220号 いた,ということができるであろう。ところが,P.〔7〕の段階になると,確 かに基調としては,これまでの議論が流れているものの,他方でかなりの憂慮 が表明されるようになっている。  多国籍企業が驚くべき勢いで発展してきており,今や「その技術的・金融的 優勢性によって,ラテン・アメリカの巨大な経済空間(economic space)の利 用において支配的な部分を占めるのではないか,と恐れられている。」(P.〔7〕, p.180)「その技術が現地側によって既に習得されているような経済活動の分 野においても,経常的な経営に必要な運転資金を供与するだけの国内信用がな いために,現地企業が外国企業の手に収められることがしぼしばある」。こう した乗っ取り(take−over)によって,国民生活にとって重要な意志決定が外国 で行なわれるようになると,激しい不安が醸成されるし,そのうえ,外国企業 による対外送金は対外的制約をいっそう強めることになるだろう(P.〔7〕, pp。168−169)○  もちろん,プレビッシュの議論の筋道は,こうした脅威があるがゆえに,多 国籍企業に対する新しい方式を早急に,うち立てなくてはならないというので あるが,ラテン・アメリカにおける多国籍企業の著しい展開と考え合せると き,これまでとは別の独自の観点からの解明が必要となってきているよう思わ れる。というのは,貿易面に限定されていた「プレビッシュ命題」によっては 多国籍企業の提起している問題をすべてカバーできるものではないし,また貿 易だけを取り上げても,いわゆる「企業内貿易(intra−firm trade)」がかなり の位置を占めるようになった現状は,「命題」の視野からかなり隔ったものと        う いわなくてはならないからである。 26)例えば,多国籍企業の「企業内貿易」に特徴的なトランスファー・プライシングに   よって,「周辺」国の交易条件が不利化したとしても,とうていこれは需要の所得弾   力性の格差などからは説明できないことである。いわゆる「企業内貿易」について   は,「企業内障界分業」という概念を提起している,杉本昭七『現代帯国主義の基本   構造』大月書店,1978年,とくに第1章・第2章,あるいは,G. K. Helleiner,“Man・   ufactured Exports from Less Developed Countries and Multinational Firms”,   Economic Journa9, Vol.83 No 329, March 1973, ditto, Jntra−Firm Trade and

(23)

       プレビッシュ再論(上)  117  プレビッシュの対外的制約要因論は,「周辺」国の交易条件の長期的悪化論 を基礎としたものであったし,彼の名を高からしめたのもそれであった。けれ ども,以上の検討から明らかなように,今日ではとうていこの交易条件論をも ってしては処理できない局面が多々現われてきており,事態の全般的認識のた めには,新たな視座が要請されていることは否みがたいように思われる,それ は,工業製品輸出国か一次産品輸出国かで単純に分けてしまうような「中心」・ 「周辺」の概念を,より実態的なものとするところがら始まり,技術発展,さ らには多国籍企業問題までも射程に入れるものでなくてはならないであろう。 加えて,もし,経済発展の目的が「大衆の生活水準の漸進的向上」(P.〔1〕, p.!)というように,けっきょくその国内部の事清に集約されるものである ならば,この対外面の問題と国内の構造的問題とを総含的に把握する理論的方 向が探られてしかるべきである。そこで,今度はプレビッシュの国内的制約要 因論に目を転じなくてはならない。        (未完) 1)ewelOlbing Cezantrtes,1981(関下稔・中村雅秀訳『多国籍企業と企業内貿易』 ミネ ルヴァ書房,!982年)等を,また,トランスファー・プライシングについては,奥村 茂次「多国籍企業におけるトランスファー・プライシング」『経済学雑誌』第73巻第 4号,1975年10月,最近の論点を整理したものとして,R. Murrγed. Multmαtionals 勿伽4the 1臨珈ち1981.を参照されたい。

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