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Vol.36 , No.2(1988)069吉水 千鶴子「Nagarjuna 作 Bodhicittavivarana について -菩提心句の解釈における心の問題-」

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Academic year: 2021

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(1)

印度 學 佛敬 學 研 究 第36巻 第2號 昭 和63年3月

Nagarjuna

作 Bodhicittavivarana

に つ い て

-菩

提心句の解釈における心の問題-吉

Bodhicittavivarana1) (以下BV.) の 主 題 で あ る菩 提 心 句2)の 位 置 づ け と意 味 に

つ い て は,「 菩 提 心 偶 に関 す る一 考 察 」 と題 す る極 めて 明 解 な論 文 が既 に20年 前

生 井 智 紹 氏 に よ って公 け に され て い る。前 の 印仏 学 会 の発 表 時 に, 日頃 の 不 注 意

か らそ の 存在 に 気 づ か な か った こ とは 氏 に対 して失 礼 で あ つた ば か りで な く, 私

に と って も大 きな 損 失 で あ った。 菩 提 心 句 の形 成 過 程,『 大 日経 』 との 関 係 に つ

い て は 必ず 氏 の 御論 文 を参 照 され た い。 ま た近 年, BV. の 真 作 問 題 を め ぐって

Ch. Lindtner, C. Dragonetti らの 間 で 議 論 が 活 発 で あ るが, 生 井 氏 の論 証 か ら見 て

もBV. が8世 紀 以 後 の 著 作 で あ る こ とは 明 らか で あ ろ う。 この よ う な 前 提 に 立

った上 で, こ こで私 は 主 に私 自身 の 問 題 意識 に 従 って, BV. の特 質 を更 に 明確 に

した い と思 う。

まず は 主 題 で あ る菩 提 心 句 を 示 そ う。

dngos po thams cad dang bral ba//phung

po khams dang skye mched dang*//

gzung dang 'dzin pa rn.am par spangs pa//chos

bdag med par* mnyam nyid pas//

rang sems gdog nas ma skyes pa//stong

pa nyid kyi rang bzhin no//

*BVa(1):

kyi

*BVa(1):

pas

自心 は一 切 事 物 を離 れ, 纏 界処 と所 取 ・能取 を 断 じ, 法無 我 と平 等 性 で あ るが

故 に本 不 生 で あ り, 空 性 を 自性 とす る もの で あ る。

菩 提 心 句 は そ の 原型 を 『

大 日経 』 住 心 品 に もち, や が て定 型 句 と な らて 『大 目

経 』 の 儀 軌 類, そ して Gnhyasaamjatantra

第2章 に現 われ る。

sarvabhavavigatam skandhadhatvayatanagrahakagrahyavarjitam/

dharmanairatmyasamataya svacittam adyanutpannam sunyatabhavam//

(ed. by Matsunaga. p. 10)

故 に 註 釈 者Smrti. はBV. の 主 題 を 「Nagarjuna が Gnhyasanzaja. の う ち か ら, 中 観 の 見 と し て ま と め た 勝 義 と世 俗 の 菩 提 心 で あ る」 と い い3), 後 世 チ ベ ッ トで はBV. を, 波 羅 蜜 乗 と 金 剛 乗 が 無 我 の 教 説 に お い て は 一 致 し て い る こ と の 教 証

(2)

Nagarjtma 作 Bodhicittavivarana 綜こつ い て (吉 水) (81) と し て 用 い る4)。 し か し な が ら そ れ に よ っ て 直 ち に, BV. は 顕 教 と 密 教 を 統 一 せ ん と す る 目的 で 書 か れ た と理 解 す る の は 適 切 で は な い。 む し ろ 当 時 (7∼8世 紀), 顕 教 密 教 を 問 わ ず 共 通 の テ ー マ で あ っ た 「菩 提 心 」 を 中 観 思 想 に よ っ て 定 義づ け る こ と がBV. の 目的 で あ っ た と 考 え ら れ る。BV. の 思 想 的 背 景 に は,『 大 日 経 』 の 「如 実 知 自 心 」,「菩 提 心 清 浄 」 の 教 説 と, Santaraksita, Kamalasila の 教 判 哲 学 が あ る。 こ の 時 代 に, BV. と ほ ぼ 同 内 容 の Kamalasila 作 と さ れ る Bodhicit-tabhavana 等, 幾 つ か の 「菩 提 心 修 習 論 書 」5)が 作 ら れ て い る こ と, 主 に タ ン ト ラ の 註 釈 者 達 に よ っ て Nagarjuna 等 の 中 観 論 師 の 名 が 名 の られ た こ と は, こ の 背 景 と 密 接 な 関 係 に あ る。 あ ら ゆ る 大 乗 思 想 の 中 で 中 観 思 想 が 最 も勝 れ た も の で あ る と い う評 価 は salltaraksita に よ って 決 定 的 と な っ た。 そ れ が そ の ま ま 密 教 の 通 念 と も な っ た の で あ る。BV. は 密 教 の 論 で は な い が, 菩 提 心 を 主 題 とす る。 菩 提 心 を 中 観 思 想 に よ っ て 定 義 づ け る場 合, 最 も 大 き な 問 題 と な る の は 何 で あ ろ う か。 そ れ は 「心 」 を ど う扱 うか と い う こ と で あ る。 菩 提 心 と は 他 な ら ぬ 「心 」 で あ る。 Santaraksita, Kamalasila の 論 に よ れ ば,「 心 」 と は 常 に 喩 伽 行 派 の 説 く 「唯 心 」 と考 え られ, 中 観 の 立 場 か ら は 否 定 さ れ る べ き も の で あ っ た。BV. は は っ き り と こ の 姿 勢 を 継 承 して い る。 つ ま りBV. の 真 の 狙 い は, 菩 提 心 と い う も の は 喩 伽 行 派 の 説 く唯 心 で は 決 し て な く, 必 ず 中 観 の 教 義 に 従 っ て 理 解 さ れ ね ば な ら な い と 唱 え る こ と に あ った の で あ る。 唯 識 と 中 観 の 相 違 を 踏 ま え, 後 者 の 立 場 か ら 前 者 を は っ き り と 批 判 す る と い う態 度 は,『 大 日 経 』や, や は り Nagarjuna の 名 に よ る Pancakrana 等 の タ ン ト ラ論 典 に は 見 られ な い。 そ れ で は 以 下,『 大 日経 』 と 比 較 し な が ら, BV. の 菩 提 心 解 釈 を 見 て い く こ と に し よ う。 菩 提 心 句 は 自 心 観 察 の 次 第 と し て 次 の 五 段 階 に 分 け ら れ る が, そ れ をBV. と 『大 日 経 』 は そ れ ぞ れI, IIの 如 く解 釈 す る。

(1) sarvabhavavigatam.

(2) skandhadhatvayatanagrahyagrahakavarjitam/

(3) dharmanairatmyasamataya

(4) svacittam adyanutpannam.

(5) sunyatabhavam/

1. BVa(4), 455a5-8 (1) 外 道 の 見 解 を 破 る (BV., vv. 49-9) (2) 有 部 と 経 量 部 の 見 解 を 破 る (BV., vv. 10-25) (3) 唯 識 派 の 見 解 を 破 る (BV., vv. 26-45) (4), (5) 中 観 派 の 見 解 を 証 明 す る (BV., vv. 46-72) 1.『大 日経 』 如 来 出 生 大 曼 茶 羅 加 持 品6) (p. No. 126, 221b4-221b8)

(3)

-905-(82) Nagarjuna 作 Bodhiciavivanna につ い て (吉 水) 自心 は, (1)外 道 の 説 く atman 等 で は な い (唯纏 無我 を悟 り, 小 乗 へ 入 る), (2)小 乗 の説 く葱 等 で は な い(法 無 我 を 悟 り, 大 乗 へ 入 る), (3)法 無 我 と等 し く無 我 で あ る と 知 り, (4)本 不 生 ・不 可 得 で あ る と知 り, (5)空 性 を 本 性 とす る と知 る (真 言 道 を 通 じ て 空 性 を 悟 る)。 『大 日経 』 に お い て も 「心 は 本 性 空 で あ る」 と悟 る が, そ れ は 真 言 道 に よ る の で あ り, 大 乗 の 中 で 唯 識 説 と 中 観 説 の 思 想 的 対 立 は 問 題 と さ れ な い。BV. は 唯識 説 に 関 し て, そ の 三 性 説, ア ー ラ ヤ 識 転 依, 自 証 知 を 順 次 批 判 す る が (vv. 28∼40), そ の 後 そ れ ら を ま と め て 次 の よ うに 述 べ る (vv. 41∼46, BVa(1), 44b7∼44a3)。 内或 い は外 或 い は 両 者 の 間 に勝 者 た ちの 心 は 得 られ な い。 そ れ 故 心 は 幻 を 自性 とす るの で あ る (v. 41)。 色 形 に よ る 区別 或 い は所 取, 能 取 或 い は 男, 女, 中性 な ど と い った 性 質 に 心 は 住 す るの で は な い (v. 42)。 つ ま り諸 仏 が御 覧 に な らな か った し, こ れ か ら も御 覧 に な らな い で あ ろ う, 無 自性 を 自性 とす る もの (心) を どの よ うに して (現在) 御 覧 に な ろ うか (v. 43)。 実 在 (bhava) <と して唯 心 派 に よ って立 て られ た 自内証 の知> とい わ れ るの も分 別 で あ る。分 別 が な い こ とが 空 で あ る。分 別 が 顕 わ れ る と ころ に空 性 は ど う して あ ろ うか (v. 44)。 知 られ る もの, 知 る もの と い う形 象 を もっ た心 は 如 来 た ち に よ って 御 覧 に な られ て い な い。 知 られ る もの と知 る もの が あ る と ころ に菩 提 はな い (v. 45)。 無 相, 不 生, 非 有 で あ り, 言 葉 の 道 を 離 れ た 虚 空 と菩 提 心 と菩 提 とは 無 二 とい う相 を もつ もの で あ る (v. 46)。 (<> はBVa(4)に よ る。) 心 の 無 自 性 ・空 性 を 悟 る智 が 勝 義 の 菩 提 心 で あ る。Smrti. は 菩 提 心 と は 無 分 別 智, 菩 提 と は 諸 法 を 顛 倒 な く現 観 す る こ と で あ る と 解 釈 す る7)。 空 性 の 智 と は 実 体 が な い が 故 に 虚 空 の 如 く で あ る。 従 つて 「虚 空 と 菩 提 心 と 菩 提 と は 無 二 の 相 を も つ 」 と い う。 そ し て こ のBV. の 記 述 は 実 は 『大 日経 』 の 住 心 品 に 基 づ い て い る こ と を 見 て お か ね ば な ら な い (P.No. 126, 117b4-118a4, BVb., 49b6-50a1, 50a8-50b1)。

秘 密 主 よ, 菩 提 と一 切 智 性 とは 自心 よ り求 め る べ き で あ る。 なぜ な らば この心 は 自性 清 浄 で あ る か ら。 それ は 内 に も無 く, 外 に も無 く, 両 者 の 間 に も観 られ な い の で あ る。秘 密 主 よ, 心 は如 来, 阿羅 漢, 正 等覚 者 た ちに よ って 御 覧 に な られ な か った し,〔 こ れ か ら も〕御 覧 に な られ な い で あ ろ う。 そ して 〔心 は〕 青 に 〔住 す るの 〕 で は な く, 黄 に, 赤 に, 白 に, 紅 葉 に, 水 晶 の 色 に 〔住 す るの 〕 で もな い。 短 に で は な く, 長 に で は な く, ……(中 略)。 秘 密 主 よ, こ の心 は 眼 に住 さず, 耳鼻 舌 身 意 に 住 さな い。 な ぜ か と い う な らば, この心 は虚 空 を 相 と し, そ れ 故 に分 別 と妄分 別 の す べ て を 離 れ て い る。 なぜ か とい うな らば虚 空 の 自性, そ れ が 心 の 自性 に 他 な らな い か らで あ る。 心 の 自性 とは 即 ち

(4)

Nagarjuna 作 Bodhicittavivarana

について (吉 水)

(83)

菩提の 自性で ある。即 ち秘密主 よ, このよ うに心 と虚空界 とこの菩提 とは無二で あ り,

二 とされ たものと して無い のである。

こ の よ うに両 者 の記 述 の 類 似 は 明 らか で あ る。 しか しな が らそ の 意 味す る と こ

ろ は必 ず し も一 致 して い ない よ うに私 に は思 わ れ る。『大 日経 』 で は心 の 如 実 相

と して の 自性 清 浄 が 菩 提 の 前 提 と な って い る。 故 に 清浄 な る 自性 に お い て は心 と

菩 提 と は無 二 な の で あ る。『

大 日経 』の浄 菩 提 心 思 想 は, 如 来 蔵 思 想 に お け る 「自

性 清 浄 心 」 を継 承 した もの い と え るが, そ の 観 点 か ら見 るな らば,「 心 は 空 性 を

自性 とす る」 とい う菩 提 心 句 も, 心 を否 定 し去 る もの で は な く, 心 の清 浄 な る真

の あ り方 を説 い た もの と解 釈 され よ う。一 方 のBV.は

決 して 心 の 自性 清 浄 を 説

か な い。 心 もま た纏 等 の 諸 法 と同 じ く因縁 に よ る もの で あ り, 無 自性 で あ る とい

う。 それ を悟 る無 分 別 智 が 菩 提 心 なの で あ る。『大 日経 』 で は 「

心 と虚 空 と菩 提 」

とが 無 二 だ と言 い, BV.で

は 「

虚 空 と菩 提 心 と菩 提 」 が 無 二 だ と い う。 こ こ で

私 はBV. が故 意 に 「

心 」 を 「

菩 提 心 」 と言 い 換 えた よ うな気 が し て な ら な い。

BV. に と って 「

心」 とは 「

唯 心 」 を意 味 して し ま うか らで あ る。 そ して この よ う

なBV. の 説 に, Santaraksita, Kamalasila の多 大 な る影 響 が認 め られ る こ と は 確

か で あ ろ う。 しか しな が らなお ひ とつ の 疑 問 が あ る。 そ れ で は な ぜBV.

は 離 一

多 性 に よ る無 自性性 論 証 を用 い な い の か。 お そ ら く答 え は, こ れ は Nagarjuna

の作 で あ るか ら, で あ ろ う。Nagarjuna が 離 一 多 性 に よ る無 自性 性 論 証 を知 って

い るはず が な い か らで あ る。

以後9∼10世

紀 に か け て, Nagarjuna は タ ン トラの 分 野 で 大 い に活 躍 す る。 こ

のBV.

も聖 者 流 の Nagarjuna の 手 に よ る もの で あ る可 能 性 は否 定 で き ない。 し

か しな が ら聖 者 流 の Nagarjuna は, 唯 識 説 を タ ン トラ実 践 法 の解 釈 に し ば し ば

利 用 し, 喩 伽 行 中観 説 に よ って 「

心 もま た空 で あ る」 と説 い て も, 決 して 唯 識 説

に批 判 的 で は な い。 む しろ 『

大 日経 』 の 自性 清 浄 心 の 思 想 を受 け継 い で い る と言

え よ う。 この点 で はBV. は 特殊 で あ る。 これ は全 くこ の作 者 Nagarjuna 自身 に

よ る もの か, それ と もBV.

が タ ン トラの 修 習 を論 の 中 で 扱 わ な か った た め で あ

ろ うか。 タ ン トラの修 習 の理 論 的 根 拠 と して 唯 識 思 想 は不 可 欠 で あ り, また 時 代

の要 請 か ら 自 ら中観 論 師 の名 を名 の った こ と に よ り, タ ン トラ論 書 は多 くの 「

もま た空 で あ る」 とい う曖 昧 な表 現 を用 い た。 い った い それ はい か な る意 味 な の

か。 こ こで い つ も私 は立 ち どま って しま う。 この論 もま た, こ の問 題 に関 す る私

の足 踏 み にす ぎ な い の で あ る。

(5)

-903-(84) Nagarjuna 作 Bodhicittavivarana に つ い て (吉 水)

1) BV. に は 以 下 の テ キ ス トが 存 す る。

BVa(1):

Byang chub sems kyi 'grel pa (P. No. 2665)

Tr. Gunakara, Rab zhi bshes gnyen

Rev. Kanakavarman, Nyi ma grags

BVa(2):

Byang chub sems kyi 'grel pa (P. No. 5470)

Tr. Rab zhi chos kyi bshes gnyen, Gu rug chos kyi shes rab

BVa(3): 菩 提 心 離 相 論 (大 正No. 1661) 施 護 訳

BVa(4)

Byang chub sems kyi 'grel pa'i rnam par bshad pa (P. No. 2694)

A. & Tr. Smrti jnanakirti

BVb.: Byang chub sems kyi 'grel pa (P. No. 2666)

Tr. Jaydnanda, mDo sde 'bar

こ の う ちBVa(1), (2)は 同 本 の 異 訳, (3)は そ れ に 相 当 す る 漢 訳, (4)は 註 釈 で あ る。BVb.は 散 文 で 書 か.れ て お り,『 大 日 経 』 住 心 品 を 引 用 し な が ら論 を 進 め, 内 容 的 に も異 な っ て い る 。 こ こ で はBV. 孝 い え ばBVa. を 指 し, BVa(1)を テ キ ス ト と し て 使 用 す る。 2) チ ベ ッ ト訳 は こ れ を 偶 と し て 翻 訳 す る が, Gnhyasanaja. に 見 ら れ る 梵 文 が 不 規 則 な 形 の た め, 仮 に 句 と 呼 ぶ。

3)

BVa (4), 455b3-4.

4)

Tsong kha pa, Rim inga rab to gsal ba'i sgron me, Ja, .49b2-3, The Collected Works

of Tsong kha pa, Part II, New Delhi, 1978.

5) 生 井 氏論 文 に よる。 ま た森 山 氏論 文参 照 の こ と。 6) 生 井 氏論 文pp. 33-34参 照。 7) BVa(4), 471b20 <参考 文 献> 生 井 衛 「菩 提 心 偶 に関 す る一 考 察 」,『密 教 文 化 』91号, S. 45。 森 山清 徹 「Kamalasila の唯 識 思想 と修 道 論 」,『仏 教 大 学 人 文 学論 集 』 第19号, S. 60。

N. Dutt, "Bodhisattva Pratimoksa Sutra", IHQ., vol. VII (1-2).

P. C. Bagchi, "Bobhicittavivarana

of Nagarjuna", IHQ., vol. VII (3-4).

P. Patel, "Bodhicittavivarana",

IHQ., vol. VIII (3-4).

D. S. Ruegg, The Literature of the Madhyamaka School of Philosophy in India,

Wies-baden.1981.

Ch. Lindtner, Nagarjuniana, Copenhagen, 1982 (BVa. の 英 訳 を 含 む).

Ch. Lindtner, "Adversaria Buddhica", WZKS., XXVI, 1982.

P. Williams, Review Article, JIP., XXII (1), 1984.

C. Dragonetti, "On Suddhamati's Pratiyasamutpadahrdayakarika

and on

Bodhicittavi-varana", WZKS., XXX, 1986.

<キ ー ワ ー ド> 菩 提 心, Nagarjuna, Bodhicittavivarana

参照

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