僧
史
略
の
世
界
牧
田
諦
亮
-唐 末 五 代 の 混 齪 も、 軍 閥 よ り 身 を 立 て た 宋 の 太 組 趙 匡 胤 肇 國 ( 建 隆 元 年-九 六 〇 ) に よ つ て 一 賑 の 絡 息 を 見 る こ と と な つ た。 自 ら の 政 権 を 維 持 す る た め に 執 つ た 太 祀 の 諸 政 策 に よ つ て、 節 度 使 宰 相 の 實 灌 を 及 ぶ か ぎ り 滅 じ て、 君 圭 を な い が し ろ に す る が 如 き 從 來 の 悪 弊 を 是 正 し、 中 央 の 禁 軍 を 強 化 し て、 地 方 藩 鎭 の 弱 燈 化 を 謀 り、 着 々 と 申 央 集 灌 が 實 行 に 移 さ れ た。 か く し て 唐 の 貴 族 勢 力 全 盛 の 時 代 よ り も 更 に 強 力 な 君 主 猫 裁 肚 會 が 展 開 す る の で あ る。 此 の 檬 な 時 代 の 政 治 の 根 幹 と な つ た も の は、 當 然 從 來 も 漢 人 杜 會 に 行 は れ て き た 儒 教 倫 理 に 基 づ く 施 策 の よ り 強 調 さ れ た も の で あ る。 ( 此 の 傾 向 は ﹁ 三 武 一 宗 の 法 難 ﹂ の 最 後 の も の、 後 周 世 宗 の 佛 教 政 策 に も す で に 其 の 萌 芽 を 見 せ て い る の で あ る。 ) 佛 教 々 團 は 此 の 頃 全 く イ ソ ド 本 來 の 佛 教 の 悌 を 失 つ て、 シ ナ 人 の 肚 會 に 同 化 さ れ、 受 容 さ れ た 新 し い 佛 教 と 攣 質 し て い た に も か 払 は ら ず、 猫 ﹁ 外 國 人 の 教 で あ る 佛 教 ﹂ と し て 非 難 せ ら れ、 出 家、 剃 髪、 寺 廟 建 立 の 如 き も、 忠 と か 孝 と か の 簿 統 的 な 儒 教 倫 理 に 背 反 す る も の、 輕 濟 的 困 難 を も た ら し て 國 家 の 存 立 を 危 く す る も の と し て、 き び し く 排 撃 せ ら れ た の で あ る。 宋 僧 ↓貿 寧 ( 九 一 九 一 〇 〇 二 ) は 此 の 問 に 江 南 に 生 を 享 け、 五 代 の 混 齪 の 中 に ひ と り 爾 漸 に 偏 在 し て よ く 敬 十 年 の 統 治 を 全 く し た 佛 教 王 國 呉 越 銭 氏 の 庇 護 に よ つ て、 副 僧 録、 都 僧 正 を 歴 任 し た の で あ つ て、 太 季 興 國 三 年 ( 九 七 八 ) 呉 越 主 銭 淑 が 全 版 圖 を 墨 げ て 宋 に 降 つ た 時 に、 彼 も 阿 育 王 寺 の 眞 身 舎 利 塔 を 奉 じ て 首 都 沐 京 ( 開 封 ) に い た つ た。 太 宗 に 重 用 さ れ、 右 街 副 檜 録、 左 街 講 経 首 座、 右 街 僧 録 を 歴 任 し て 北 宋 佛 教 の 元 締 と な り、 其 の 聞 宋 高 僧 傳 三 十 巻、 檜 史 略 三 巻、 簸 鷲 聖 賢 録 五 十 巻 其 の 他 敬 多 く の 内 典 外 典 の 署 書 が あ り、 永 明 延 壽 と な ら ん で 宋 初 の 代 表 的 佛 教 入 で あ る。 殊 に ﹁ 檜 史 略 ﹂ は 片 々 た る 小 珊 子 で は あ る が、 此 の 君 主 猫 裁 の 杜 會 に あ つ て、 如 何 に 佛 教 は 庭 す べ き か に つ い て の 賞 寧 の 意 志 を 表 現 し た も の と し て、 は な は だ 重 要 な 意 義 を 有 す る も の で あ る。 二 お そ ら く 欝 寧 が ﹁櫓 史 略 ﹂ を 著 し た の は ﹁高 僧 傳 ﹂ を 完 成 し た 太 卒 興 國 七 年 ( 九 八 二 ) 以 後 の こ と で、 巻 中、 行 香 唱 導 の 頃 に は 淳 化 三 年 ( 九 九 二 ) 虞 部 員 外 部 李 宗 訥 の 上 奏 に つ い て 記 し て を り、 ま た 各 巻 の 首 に ﹁ 成 卒 二 年 ( 九 九 九 ) 重 更 條 理 ﹂ の 割 註 が つ い て い る か ら そ の 製 作 年 時 を 推 察 し 得 る。 大 中 祥 符 四 年 ( 一 〇 二 ) に は 仁 欝 が 編 修 し た ﹁ 繹 氏 會 要 ﹂ 四 + 雀 を 上 進 し て を り、 道 誠 は 天 禧 三 年 ( 一 曾 一 史 略 の 世 界 ﹁ ( 牧 田 )-261-曾 史 略 の 世 界 ( 牧 購 ) 〇 一 九 ) ﹁ 繹 氏 要 賢 ﹂ 三 巻 を 撰 し て を り、 ﹁僧 ・更 略 ﹂ は 之 等 と と も に、 シ ナ 佛 教 の ハ ン ド ブ ッ ク 程 度 に し か 評 償 さ れ て い ぬ 憾 み が あ つ た が、 然 も 猶 必 し も 看 過 し 得 ぬ も の が ﹁ 檜 史 略 ﹂ に 見 ら れ る。 ﹁ 大 中 群 符 法 寳 録 ﹂ に ょ る と、 ﹁ 曾 史 略 ﹂ 大 中 群 符 四 年 に は 入 藏 さ れ て を り、 崇 寧 四 年 ( 二 〇 五 ) に 再 入 藏、 紹 興 十 四 年 ( 二 四 四 ) に は 法 道 に よ つ て 鎮 刻 さ れ て い る。 此 の 時 に 出 版 さ れ た 本 が 今 日 名 古 屋 貞 薦 寺 費 生 院 に 重 要 文 化 財 と し て 襲 藏 さ れ て ゐ る ﹁ 曾 史 略 ﹂ と 思 は れ、 さ ら に 同 寺 に は 之 に ょ つ た と 思 は れ る 鎌 倉 期 鋤 本 ( 残 歓 ) が あ り、 和 刻 本 に は 五 山 版 ( 室 町 期 )、 慶 安 四 年 ( 一 六 四 七 )、 延 寳 四 年 ( 一 六 七 六 )、 延 轡 天 年 ( 一 六 八 ○ ) 明 治 十 六 年 ( 一 八 八 ﹂ 二 ) 鞘楓 田 行 誠 校 刊 等 の 諸 本 が あ る。 三 ﹁ 樹 立 門 題 捜 求 事 類。 始 乎 佛 生 教 法 流 行。 至 干 三 寳 佳 持 諸 務 事 始。 一 皆 隠 括 約 成 三 雀。 號 櫓 史 略 焉。 蓋 取 斐 子 野 宋 略 爲 目。 恨 所 捌 采 不 周。 表 明 多 昧。 不 可 鴻 碩 寓 自。 預 愕 鉄 然 者 爾。 ﹂ と 序 し て い る こ と に よ つ て、 ﹁檜 史 略 ﹂ 編 纂 の ・意 圖 を 知 る こ と が で き る。 印 ち 梁 の 武 帝 の 著 作 郎 変 子 野 ( 四 六 七 五 八 ) の ﹁ 宋 略 ﹂ に の つ と つ た と い う の で あ る が、 こ れ は か の 有 名 な 史 學 者 沈 約 が ﹁ 宋 書 ﹂ を 公 け に し た 後、 そ の 煩 難 な る を も つ て 斐 子 野 が ﹁ 宋 略 ﹂ を 編 纂 し た の で あ つ て、 其 の 記 述 は 沈 約 自 身 自 ら 吾 れ 逮 ば ず と 歎 じ て い る ほ ど で あ る。 ﹁ 梁 書 ﹂ 巻 三 十 の 彼 の 傳 に よ る と、 中 書 萢 績 の 上 表 文 に、 宋 略 二 十 毬。 彌 総 首 尾 勒 成 一 代。 屡 事 比 事 有 足 観 者。 且 章 句 治 悉 訓 詰 可 傳。 腕 置 之 膠 摩 に 弘 漿 後 進。 庶 一 藥 之 辮 可 尋。 三 薮 立 疑 無 謬 二 矢。 と あ る。 子 野 は 晩 年 深 く 佛 教 に 臨 依 し 持 戒 堅 固 に 絡 身 褒 飯、 疏 食 で あ つ た と 記 さ れ て を り、 殊 に フ 衆 僧 傳 二 十 巻 の 著 が あ つ て 階 書 輕 籍 志 に 竜 著 録 し て あ る 六 朝 の 名 門 斐 松 之 の 曾 孫 た り、 儒 學 佛 學 に も 通 じ て い た 子 野 は、 お そ ら く は 欝 寧 の 理 想 と し た 所 で あ り、 殊 に ﹁ 宋 略 ﹂ が 五 十 九 條 よ り 成 る ﹁ 僧 史 略 ﹂ に と つ て ﹁ 目 ﹂ と な つ た 所 以 の も の は、 ﹁ 彌 論 首 尾、 勒 成 一 代 ﹂ に あ る こ と は 明 か で あ つ て、 こ 鼓 に 賞 寧 の 意 岡 の 一 斑 を 知 る こ と が で き る。 か く の 如 き 自 信 を 以 て 著 述 さ れ た ﹁檜 史 略 ﹂ は 後 進 を 引 漿 す る も の、 疑 團 を と く も の と し て、 シ ナ 佛 教 傳 入 以 來 の 諸 事 象 に つ い て 該 博 な 賞 寧 の 知 識 を か た む け た も の で あ る。 何 を 以 て 後 進 を 誘 抜 し、 疑 雲 を 晴 ら す べ き 根 撲 と す る の で あ ら う か。 四 一、 儒 道 二 教 の 外 學 に つ い て は 慧 遽 と 宗 嫡、 復 禮 と 纏 無 二、 鮫 然 と 陸 鴻 漸 等 の 例 を 引 い て 古 徳 高 檜 が よ く 異 宗 の も の を 折 伏 し た の は 博 學 に 由 る の で あ る か ら 外 學 に 通 ず べ き こ と を 読 き、 儒 道 二 教 義 理 玄 逸、 繹 氏 既 精 本 業、 何 妨 鐙 極 以 廣 見 聞、 勿 滞 於 一 方 也 ( 巻 上、 外 學 ) と 自 己 の 立 場 を 主 張 し て い る。 二、 檜 道 の 亥 第 に つ い て は 時 代 に よ つ て 攣 遷 あ り、 有 爲 法 の も と 四 相 の 遷 移 冤 れ が た い こ と を 読 き、 今 大 宋 朝 に 僧 先 道 後 な る こ と を 謹 し て い る。 ( 巻 中 曾 道 班 位 ) 三、 開 寳 中 に 奮 勅 に よ つ て 左 右 街 僧 録 が 暉 大 徳、 講 経 律 論 大 徳 乃 至 表 白 聲 讃、 警 術 諸 科 の 大 徳 號 を 與 へ る こ と 許 さ れ て い る。 中 に は 賂 を 納 れ て 四 字 六 字 十 字 の 大 徳 號 を 與 へ た 僧 録 道 深 の 如 き も の も い る。 ( 巻 下 徳 號 附 ) 四、 宋 の 太 組 は 爾 街 僧 道 に 勅 を 下 し て 天 子 の 車 駕 往 來 の 時 は 各 威 儀 を 正 し て 之 を 迎 へ し あ 爾 後 定 式 と な つ た。 ( 巻 下 内 供 奉 井 引 駕 ) 五、 佛 法 の 盛 衰 は 王 臣 の 動 向 に か & る と い ふ 王 法 爲 本 の 襯 念 が 支
-262-配 的 で あ る。 ﹁ 遇 其 抑 勒 知 復 奈 何、 凡 百 學 ・徒 観 此 思 事。 ﹂ ( 巻 下 菩 薩 鱈 ) 其 の 文 意 を 昧 ふ べ き で あ る。 六、 僧 史 略 編 纂 の 目 的 は 佛 道 の 中 興 と 正 法 を 久 佳 せ し め た い か ら で あ る。 設 同 し て 曰 く、 方 今 の 天 子 は 佛 道 を 重 じ 玄 門 を 崇 び、 儒 術 を 行 つ て 太 翠 を 來 し て い る。 既 に 中 興 で は な い か。 賞 寧 の 曰 く、 天 子 中 興 の 業 を 助 け ん と す る も の で あ る。 筍 く も 繹 子 に し て 法 を 知 ら ず 修 行 せ ず、 學 科 に 勤 め ず、 本 起 を 明 に せ な け れ ば 帝 王 の 中 興 に 副 は な い。 ( 巻 下 総 論 ) 替 へ寧 は 殊 に 此 の 総 論 に 於 て 李 素 の 持 論 と も い ふ べ き 王 法 爲 本、 儒 佛 道 三 教 調 和 の 説 を 強 調 し て い る。 三 教 是 一 家 之 物、 萬 乗 是 二 家 之 君、 競 家 不 宜 偏 愛、 偏 愛 則 競 生、 競 生 則 損 教、 己 在 其 内、 目 然 不 安、 及 己 不 安、 則 悔 損 其 教、 不 欲 損 教 隔 則 莫 若 無 偏、 三 教 既 和 故 法 得 久 佳 也。 ⋮⋮況爲 檜 莫 若 道 安、 安 興 習 馨 歯 交 游、 崇 儒 也、 爲 檜 莫 若 慧 遠、 遠 邊 陸 脩 静 過 虎 漢、 重 道 也、 絵 慕 二 高 櫓 好 儒 重 道、 秋 子 猫 或 非 之、 我 既 重 也、 他 量 輕 我、 請 信 安 遠 行 事、 其 可 法 也。 詩 日 伐 桐 伐 何 其 則 不 遠、 孟 子 日、 天 時 不 妙 地 利、 地 利 不 如 人 和、 斯 三 謂 鰍。 と 結 ん で い る こ と は、 直 載 に 賞 寧 の 立 場 を 示 し て ゐ る も の で あ る。 ﹁ 僧 史 略 ﹂ 三 巻 並 に 其 の 主 著 宋 高 憎 簿 等 を 通 ず る 貿 寧 の 肚 會 観 は、 一 貫 し て 佛 法 は 國 王 有 つ て 存 在 す る と の 見 解 に 徹 す る も の で あ つ て、 こ れ は 唐 末 五 代 の め ま ぐ る し い 王 朝 興 亡 と、 佛 教 の 嚢 退、 呉 越 銭 氏 の 崇 佛 と 江 南 爾 漸 佛 教 の 全 盛 等 を 身 を 以 て 膿 瞼 し て き た こ と よ り 得 ら れ た 結 論 と い ふ べ き で あ ら う。 か の 激 陽 修 の コ 蹄 田 録 ﹄ に 現 在 佛 ( 宋 の 天 子 ) 過 去 佛 を 拝 せ ず の 話 柄 の 生 じ た 所 以 で あ る。 臭 庭 厚 の ﹁ 青 箱 雑 記 ﹂ に ﹁ 近 世 繹 氏 多 務 吟 詠。 唯 國 初 賞 寧 猫 以 著 書 立 言 。 奪 崇 儒 術 備 佛 事。 ﹂ と 記 す の は、 佛 法 が 図 王 あ つ て 存 す る と の 立 前 か ら は 當 然 君 主 凋 裁 杜 會 の 指 導 原 理 と し て の 儒 教 に 野 す る 佛 教 の 愛 協 に 外 な ら ぬ 事 の 現 實 を 巧 に 喝 破 し た も の で あ る。 然 も 巻 中、 僧 主 秋 俵、 曾 籍 弛 張、 巻 下 徳 號 附、 封 授 官 秩 等 の 條 に、 政 治 権 力 と 接 鯛 す る 事 か ら 生 ず る 弊 害 を 強 く 警 め て ゐ る の は 注 目 す べ き で あ る。 賛 寧 と は 親 交 の あ つ た 王 禺 構 も、 事、 佛 教 に 關 し て は 極 め て 批 到 的 で あ り、 ご 諌 書 序 に き び し く そ の 排 撃 を 読 き ( 小 畜 集 巻 + 九 )、 ま た 騨 鐵 使、 韓 蓮 副 便 等 の 経 濟 官 僚 か ら も 屡 佛 教 淘 汰 の 上 奏 が あ つ た こ と が 綾 資 治 通 鑑 長 編 其 の 他 の 史 書 に 極 め て 普 通 に 見 ら れ る。 王 萬 傅 の 佛 教 排 斥 の 根 擦 と な つ た も の は、 卒 民 共 は 佛 教 に 惑 溺 し て 著 し く 寺 を 興 し、 檜 尼 は 徒 ら に 多 く 人 聞 の 邪 魔 を す る し 政 治 に 害 毒 を 與 へ る こ と 之 よ り 甚 し い も の は な い と い ふ 常 識 論 に す ぎ な い が、 然 も こ れ が 儒 教 國 家 に 於 て 最 も 根 底 的 な 排 佛 論 で あ る。 儒 教 の 教 養 に 生 涯 を 生 き た 士 夫 太 階 級 と、 軍 閥 よ り 身 を 立 て た 濁 裁 君 圭 と の 政 治 が 儒 教 倫 理 に よ る 政 権 確 立 に 趨 く こ と は 勢 の し か ら し め る と こ ろ で あ り、 こ れ に 野 し て、 趙 宋 初 期 の、 こ と に 政 界 と 密 接 な 關、 係 を も つ た 代 表 的 僧 侶 賞 寧 と し て は、 三 教 融 和 を 唱 へ、 儒 教 優 先 を 認 め た の は け だ し 止 む を 得 ざ る も の で あ つ た の で あ る。 孤 山 智 圓 ( 九 七 六 -一〇 一二 一) 閑 居 編、 明 教 大 師 契 出局 ( 一 〇 〇 七 一 〇 七 二 ) の 鐙 津 文 集 ( 輔 教 篇 ) 等 に 現 は れ る 儒 佛 融 和 の 根 源 は 貸 寧 に よ る と こ ろ が 多 い と 言 ふ も 過 言 で は な い。 五 賞 寧 の 死 後 百 鹸 年 を 輕 て、 ﹁教 主 道 君 皇 帝 ﹂ 微 宋 の 世 に 永 嘉 の 道 士 林 璽 素 を 中 心 と し て、 珍 奇 な 事 件 が お こ つ て い る。 宣 和 元 年 ( 一 二 一 九 ) 正 月 に は 佛 を 大 畳 金 仙、 菩 薩 を 仙 入 大 士、 僧 を 徳 士、 尼 を 女 徳 士 と 禰 し て 曾 尼 は 道 服 を 着 用 す る こ と を 要 求 せ ら れ、 寺 を 宮 と 敦 櫓 旧 由 入 略 の 世 界 ( 牧 田 )
-263-一僧 一 史 略 の 山世 界 ( 牧 寓 ) め ら れ た の で あ る。 此 の 時 左 街 寳 畳 大 師永道(1二四七)は 事 の 不 可 を 直 言 上 奏 し て 怒 に ふ れ、 道 州 に 配 流 せ ら れ る に い た つ た。 林 露 素 の 配 流 と 共 に 事 態 は や 鼓 好 轄 し、 翌 年 六 月 に は 寺 院 の 蛋 額 を 復 し 水 道 も 近 郡 に 移 さ れ、 宣 和 七 年 (二五)六月 に 赦 さ れ て、 却 つ て 護 法 を 以 て 族 せ ら れ て 法 道 と 名 を 賜 ひ、 か つ 宋 室 南 遷 の 危 機 に 際 し て 宣 教 鄙 総 管 郎 に 補 せ ら れ、 軍 事 に 参 謀 と し て 殊 に 潅 穎 の 地 に 軍 糧 の 徴 集 に 任 じ た こ と が 傳 へ ら れ て い る。 此 の 頃 從 來 の 曾 先 道 後 の 定 制 は 覆 へ さ れ た の は 勿 論 で あ つ て、 漸 く 紹 興 三 年 ( 一 一 三 三 ) に 檜 道 の 班 弐 を 復 し た と い ふ。 ( 佛 祖 統 紀 巻 四 + 六 ) 此 に 大 に 力 を 致 し た の は 法 道 で あ つ て、 現 行 ﹁檜 史 略 ﹂ に 附 さ れ て い る ﹁ 紹 興 朝 旨 改 正 僧 道 班 列 文 孚 一 集 ﹂ は 江 州 鷹 山 東 林 大 不 興 隆 暉 寺 佳 持 傳 西 天 法 特 賜 寳 箆 園 通 法 濟 大 師 法 道 の 名 を 以 て、 す で に ﹁僧 史 略 ﹂ に 明 示 さ れ て ゐ る 如 く 僧 先 道 後 が 本 朝 の 租 宗 の 成 憲 よ り 出 た 定 制 で あ る に か か は ら ず 王 資 息、 林 塞 素 等 の 輩 の 不 法 に よ り 此 の 序 を 棄 つ て ゐ る、 今 天 下 の 道 士 は 國 忌 行 番 等 に 際 し て 道 先 僧 後 と し て 全 く 賓 主 の 稽 に 乗 き、 風 教 に 害 が 有 る か ら 今 後 の 行 番 の 立 班、 諸 庭 の 法 事 の 聚 會 に 際 し て は す べ か ら く 組 宗 の 成 法 に 蓮 は ん こ と を 乞 ふ て ゐ る。 曲 折 を 輕 て 此 の 請 願 は と り あ げ ら れ、 僧 先 道 後 の 奮 制 に 復 し た の で あ つ て、 紹 興 十 四 年 ( 一 一 四 四 ) 四 月 重 開 僧 史 略 序 を 附 し て 新 に ﹁檜 史 略 ﹂ の 上 梓 を 見 た の も、 實 に 此 の 僧 先 道 後 を 文 鰍 に よ つ て 實 鐙 せ ん と し た も の に 外 な ら な い め 此 の 頃 天 下 の 僧 道 に 合 し て、 六 十 以 上 並 に 擾 疾 の 者 を 除 い て す べ て 丁 銭 を 納 め し め た。 十 千 よ り 千 三 百 に い た る 九 等 に 分 つ て 征 賦 を 徴 集 し、 兵 役 を 冤 ず る の で あ つ て、 清 閑 銭 と よ ば れ る も の で あ る が、 壷 度 牒 や 紫 衣 師 號 の 費 出 し に と ど ま ら ず こ の や う な 種 目 に ま で 税 を 課 さ ね は な ら ぬ 程、 國 家 の 財 政 難 が 連 年 の 北 邊 の 侵 冠 等 に よ つ て 將 來 さ れ た の で あ る。 此 の や う な 時 機 に 燕 翼 貼 謀 録 巻 三 に 説 く 撲 厩 下 流 を 多 く の 分 子 と し て 含 ん で ゐ る 佛 教 々 團 が、 不 耕 中 籏 の 故 を 以 て 爲 政 者 か ら 非 難 せ ら れ る の は 當 然 の こ と で あ る が、 猶 道 教 と の 間 に 優 劣 を 求 め ん と す る の は、 其 の 相 當 強 力 な 経 濟 的 背 景 が か へ つ て 佛 教 の 内 部 粛 清 に 多 少 の 役 割 を 果 し た 微 宗 の 佛 教 抑 魅、 一 時 明 な 度 牒 獲 給 の 停 止 等 と 相 ま つ て 佛 教 々 團 の 反 省、 反 擾 を よ ん だ も の と 考 へ ら れ る。 賞 寧 が 三 教 融 和 を 読 き な が ら、 然 も 道 教 よ り の 優 越 性 を 圭 張 し た こ と は、 か く し て 傳 統 的 な 儒 教 倫 理 を 國 是 と す る 君 主 濁 裁 肚 曾 に 於 て は、 も は や 儒 教 に は 遽 に 拮 抗 し 難 く、 ひ た す ら 主 権 者 の 意 を 迎 へ る 外 に 方 法 と て な く、 三 教 融 和、 王 法 爲 本 の も と に 佛 教 の 安 全 を 主 張 し、 一 面 佛 道 二 教 と な ら ぶ 時 は ﹁ 西 來 の 客 教 ﹂ で あ り、 各 時 代 を 通 じ て 多 少 の 消 長 は あ り な が ら も あ く ま で 佛 教 が 黄 冠 の 上 に あ る こ と 圭 張 し て ゐ る。 そ れ は 依 然 江 南 呉 越 の 地 に 安 佳 し て い た 檜 侶 は 別 と し て、 開 國 後 猫 十 藪 年 を 経 過 し た に 過 ぎ ず 國 家 建 設 の 事 業 に 忙 し い 趙 宋 の 首 都 沐 京 に あ つ て、 呉 越 か ら 江 北 に 進 出 し、 僧 録 等 の 要 職 に あ つ た 儒 僧 貸 寧 の 蹄 藩 す べ き 結 論 で あ つ た と 思 は れ る。 そ れ が 彌 論 首 尾 勤 成 一 代 と 評 さ れ た ﹁宋 略 ﹂ を 眼 目 と し て 著 述 さ れ た コ 憎 史 略 ﹂ の 世 界 で あ り、 彼 の 後 百 籔 十 年 を 経 て、 法 道 に よ つ て 檜 史 略 が 復 刊 さ れ た 唯 一 の 目 的 が 實 に ﹁檜 先 道 後 ﹂ を 顯 か に す る こ と で あ り、 ﹁ 佛 は 聖、 道 は 凡 な る こ と、 今 古 の 共 に 悉 か に す る と こ ろ な り、 幻 妄 の 縁 を 満 除 し て 輪 廻 の 苦 を 解 脱 せ よ ﹂ と 箇 じ て ゐ る こ と は、 儒 教 國 家 の 一 君 主 の 好 悪 に よ つ て 佛 教 が 道 教 の 下 風 に つ く こ と に 樹 す る 抵 抗 と 屯 構 す べ き で お そ ら く は 賀 寧 自 身 の 意 中 を も 代 辮 し て ゐ る と す る も 過 言 で は な か ら う。