• 検索結果がありません。

発 掘 調 査 平城宮跡発掘調査部 頭絡は,奈良市高畑

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "発 掘 調 査 平城宮跡発掘調査部 頭絡は,奈良市高畑"

Copied!
4
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

頭 塔 の 発 掘 調 査

平城宮跡発掘調査部

頭絡は,奈良市高畑11汀字頭塔町921帯地にある。奈良時代の高僧玄13;1]の首塚である,という伝 承からこの名がある。遺跡の現状は、 一辺約30‑35m.高さ10mの方墳状の土壇であり,四方 の斜面には,北に3体,東に1体,南に5体,西に4体,合計13体の石仏が露出している。遺 跡は史跡に,石仏は重要文化財に指定されている。

頭;塔の発掘調査は.1978年に当調査部が指定地の東辺部にT字形のトレンチを設けて実施し たのが最初である。この時は,基恩来辺の石棺Iみとその外側の石敷きおよび第一段の石積みを 確認し,更に.W:面第一段中央石仏の北5.3mの位置で、新たに石仏1基を発見している(r奈良国 立文化財研究

f r r

年報 1979J)。

今回の発掘調査は,奈良県が行う頭搭の復原装備事業に先立つもので,頭塔の規模と構造の 確認を目的とし.iIIi回の調査区を含めた東北1/4(約300m')について行った。その結果,基壇上 に建つ.7段の│法段状に積まれた石和みの塔本体と.5体の新たな石仏を確認した。

基壇 ;塔本体および基控はほとんどが盛土である。基喧は地山上に砂質土を10‑30cmの厚さ で積む。高さは,基壇の端で0.7‑].2mある。基壇の外縁部には石和みがあり,更に,その周 囲は玉石敷きで化粧されているが,石和み・石敷きとも基喧*辺に部分的に残るにすぎない。

石積みは東辺中央から北へ6m分,石敷きもこれに沿う幅]m分を確認しただけで,石敷きの 本来の広がりは明らかでない。東辺の石積みは,直径30‑60cmの自然石を2‑3段に積み上げ た高さO.7mのもので,基壇上商とのとりっきから考えて,ほほ旧状を保つようである。石敷き は直径10‑30cmの自然石を説べたものであるが,上而が不揃し、で,かつ,裏込め土が柔らかく,

当初のものではない可能性がある。基塩の北辺には石積み・石敷きとも残らないが,基壇盛土 の裾が直線的に残ること,北辺裾近くの盛土に,石和みの装込めに入れられたと思われる石が 東西に並ぶことなどから,基壇端を複!反した。頭塔の各辺中央の石仏から求めた想定中軸線を もとに,基檀辺の規模を復原すると,東辺が30.9m,北辺が32.8mとなる。両辺の長さの差は,

基壇上面の幅か東辺約4m,北辺約3mと東辺が1m長いことによる。

基壇上面,塔本体の裾部には石敷きがあり,これには三期の変避がある。当初 (第1Wl)は搭 本体の第一段石積みのも居を巡る幅50cmの犬走り状の玉石敷きと,その周囲に一段低〈敷かれた 帽 20cmの礁敷きがあり,残る音11分は~土のままである 期は第 IWlの玉石敷きを埋め,そ の上に第一段石積みに沿う石敷きを部分的に行い,残りの音11分全体を直佳3cm前後の際数きと する そして,第期には この際~泣きを版築状のたたきで覆う。問題は,基壇上のこれらの 玉石敷きと塔本体の第一段石積みとの関係である。第1J切の玉石敷き,第IIWIの玉石敷き・ 磯敷きは,ともに第一段石積みの下にもぐりこみ,現存する第一段石積みは第四期の基壇上面 に伴う。第四期の版築状のたたきが第一段石積みの裾を斑っていることも,これと関連する。

‑ 2

(2)

頭塔3~楓逃構図(1‑14=J]t発見の石仏, A‑E=新発見の石仏) 今回,第一段石和みを断ち割る調査は行えなかった

が,塔本体には改修があり,現存する第一段石積み は改修後のもので,当初の石和みはひとまわり小規 模であった可能性が高い。

塔本体 基鹿上にのる塔本体は,石干1'(みと石敷き で外装された, 7段の階段状の土塔である(下から1m

発掘区西日E断面 I~( 網は石仏),

に,第一段,第二段……第七段とよぶ)。基国と同じく 太字は石仏の番号(1: 300)  塔本体も盛土で作られている。崩れた東南部の崖而には, .}享さlO‑30cmで土を積み重ねた状況 が現われている。盛土の中にはかなり大きな瓦の破片が含まれ,また,径50‑60cmもある石が 並んだ状態で顔をのぞかせている。塔本体の石積みは,直径30cmから大きいものでは1mを越 える自然石を用い,ほぽ垂直に積み上げたものである。崩れ落ちた所が多く,第一段 が2‑3  石分,高さ約1m程度を残すだけで,第二段より上の石和みでは最下段の1‑2石が残るにす

‑ 3 ‑

(3)

ぎない。各段上のテラスには直径10‑30cmの玉石を敷き詰めるが,頂上部には石敷きがない。

各段のうち,第一,三,五,七段の奇数段には石仏が配置されるが,第二,四,六段の偶数段 には石仏がない。各段の一辺の大きさを想定中軸線から計算すると,下から24.9,22.9, 19.4,  16.5, 12.9, 10.1, 6.7mである。各辺の長さの差の1/2がテラスの幅となるわけだが,その幅 は一定でなく,石仏がある段の前面のテラスが広く,石仏がない段の前面のテラスはやや幅が 狭い。塔本体の高さは,基壇上面から8.1mを測る。

石仏 発掘区内では,従来から露出していた石仏4体[(北而=第一段中央・第三段中央・第五 段中央(頭塔発郷遺構図6・10・13),東商=第一段中央(同図7)]と, 1978年の調査で見つかっ たl体 [東面第一段北側 (同図14)]に加え,新たに5体の石仏を確認した。東面では第一段北 側の北,第三段北側1].第五段北側の3体(同因子.8・C),北面では,第三段東側,第五段東側 の2体(同図D'E),の計5体がそれである。これまでに確認されていた14体とあわせ,合計19 体が確認されたことになる。東面の第三・七段の中央の石仏(同国×印)は,既に失われていた。

石仏は石積み前面より40cmほど奥まって立てられ,両脇に袖石を置いて全体として仏寵の形を なす。第一段の仏寵だけは,前面のテラスから一段高くなっている。

新発見の石仏5体のうち,東商第一段北側の北と北面第三段東側の2体の石仏は線彫り風で,

しかも風化が進んでいるため, 何を表現したのか明らかでない。前者が幅30cm,高さ60cm,後 者は幅55cm,高さ70cmある。その他の3体は,浮き彫りで表現されており,保存状態も良い。

東面第三段北側の石仏(幅55cm,高さ60cm)は説法図 第五段北1f!1J(稲110伺,高さ65cm)が五尊 像,北面第五段東側(幅50cm,高さ55cm)が三尊像、である。いずれも花尚岩製である。

石仏の配置は,第一・三・七段が各辺の中央に石仏を置き,第一段と第三段はさらに,その 左右にも石仏を置く形である。第三段には北面,W:面ともに,中央と左右l体づつの計3体が 並ぶ。第一段の石仏配置は,W:商で中央の石仏とその北に2体を確認したので,左右対称、とす れば, 5体が並ぶことになる。北面第一段では 東面第一段北側の石仏に対応する位置(問図 x)に,現在,大きなアラカシが生えていて.石仏の有無を確認できなかった。積み石の様子

耳E函第三段北石仏 北面第五段東石仏

‑ 4

(4)

からすれば,仏寵を作っているようなので,ここにも石仏があるとみてよいだろう。しかし,

東面北側の北(同図A)に対応する位置には,石仏も仏寵の痕跡、もない。また,第五段だけは辺 の中央に石仏がなく,中軸線を挟んでその左右に1体づっ計2体の石仏を配置する。 以上の石 仏配置を平面的にみると,東面では,下から5・3・2・1の数で石仏が並び,第一,三,五 段中央の石仏,そして第一段北側の北,第三段北側,第五段北側の石仏(阿国A・B'C)が, 中心部から放射状にのびる直線の上に位置している。一方,北面では,東面第一段北側の北,

に対応する石仏がないので,東面とはやや異なった配置を示す。

出土遺物 主な出土造物は,瓦と土器である。瓦は,多量の丸瓦と平瓦に加え,多数の軒瓦が ある。ほとんどが包含層から出土し,基壇上にも多量に堆積していたが,仏寵の周囲に集中す る状況は観察されなかった。軒瓦は,奈良時代117点,平安時代3点,中近世28点,の合計146 点が出土した。奈良時代の軒瓦は, 115点が東大寺式軒瓦(粁丸瓦6235型式M種57点,軒平瓦 6732型式F種目点),重圏文粁丸瓦・軒平瓦各1点である。 1978年の調査でも東大寺式軒瓦33点 が出土しているので,頭塔の1/4を発掘して,合計148点の東大寺式軒瓦が出土したことになり,

面積に対して粁瓦の出土畳が多い。その他,面戸瓦が数点出土した。

土器は,土師器,須恵器,青磁,白磁などがある。包含!脅から出土した他,石仏の寵内に供 えられた状態で出土したものもある。平安時代後期から鎌倉時代初め頃(12世紀から13世紀前 半)のものが最も多く,新発見の石仏寵内には供i猷された状態で土器が残っていた。東商第三 段北側の石仏からは,13世紀初め頃の土師器血[約15枚が半円形に並べられた状態で見っかり,

北面第五段東側の石仏の前而にも, 12世紀代の土師器血がいくつか置かれていた。いずれも,

火をともした痕跡を残す。奈良時代の土器はごく少量ではあるが,基簡のf.?r:土のなかから奈良 時代後半の土師器が出土している。

まとめ 今回の調査によって,頭塔の構造がかなり明らかになった。従来,石仏の並び方な どから, 5段構造と考えられていたが,一辺約32mの基壇上に7段の石積みの塔本体がのる構 造であること,ほとんど全体が盛土で作られ,基閣の周囲と搭の表面はすべて自然石を積んだ り敷き並べて化粧しであったこと,が判明した。

m

'i塔を特徴づける石仏も,新たに5体を発見 したことにより,その配iti:状況を確認し,これまでの推定を裏付‑けることができた。出土造物 では,瓦に閲する問題がある。創建当初の軒瓦がすべて東大寺式であることは r東大寺権別当 実忠廿九箇条!':JJJに記されるように,東大寺の僧実忠、が神諮1H雲元年 (767)に東大寺の南に造 立した土塔こそこの頭塔である,というこれまでの研究成果を裏付けるものである。しかも,

その粁瓦は,軒丸瓦・軒平瓦ともに一級類の瓦箔で製作されており.それが単なる東大寺式粁 瓦の寄せ:j;ffめではなく,この頭塔造立のために集中的に製作されたものであることを推測させ る。しかし,大量に出土した瓦の使用方法は,それを推測させるような瓦の出土状態,遺構を 確認できなかったため明らかにし難く,第一段の石積みと基邸上回の玉石敷きの問題や,塔頂 上音1¥の 施 設 の 存 否 を 含 め て , 今 後 の 訓 査 に 期 待 し た い 。 ( 花 谷 浩 )

Fhu 

参照

関連したドキュメント

ドリフト流がステップ上段方向のときは拡散係数の小さいD2構造がテラス上を

Figure 90 Finds from gray sand layer at the open space, Level 3, Khor Fakkan town site. Green glazed ware, bowls, Iran,

Taguchi, The non-existence of certain mod 2 Galois representations of some small quadratic fields, Proc... Odlyzko, Lower bounds for discriminants of number fields, II,

第四系更新統の段丘堆積物及び第 四系完新統の沖積層で構成されて おり、富岡層の下位には古第三系.

〔追記〕  校正の段階で、山﨑俊恵「刑事訴訟法判例研究」

 階段室は中央に欅(けやき)の重厚な階段を配

2 学校法人は、前項の書類及び第三十七条第三項第三号の監査報告書(第六十六条第四号において「財

本学陸上競技部に所属する三段跳のM.Y選手は