2005年 度 事 業 の 概 要
1調
査 と研 究 ……飛鳥藤原京の発掘調査
平城京 の発掘調査 ¨―十
…
………文化遺産研究部の研究活動 ………
●建造物研究室の調査と研究 ――――一――………
●歴史研究室の調査と研究 十
十
一十 ……●遺跡研究室 の調査 と研究
埋 蔵 文 化 財 セ ン ター の 研 究 活 動 … …… … … …
●遺物調査技術研究室 … … … … …… … … …
●遺跡調査技術研究室の調査 と研究 ― ― … … … …… … …
●古環境研究室の調査 と研究 ― 一 一 一 …… …… …… … … …
●保存修復科学研究室の調査 と研究 ……… … … ……
●保存修復工学研究室の調査 と研究 ― … … … ……
●文化財情報研究室の調査 と研究 一 ……… … …… …… … ……
●国際遺跡研究室の調査 と研究 … … … ……
国際 学 術 交 流 ―一 … … … …… … … …
●中国社会科学院考古研究所 との共同研究 … … … …
●遼寧省文物考古研究所 との共同研究 ¨一― ― ― ― ― 一 0河 南省文物考古研究所 との共同研究 ―一一 ― … … … …
●韓国国立文化財研究所 との共同研究
― 一 ―― … …… …
●西アジア文化遺産保存修復のための
一 一 ― ― ― ― ――
緊急協力事業
●異なる環境条件下における不動産文化財の 一 一 一 ― ― 発掘技術及び保存 に関す る調査研究
海 外 か らの主 要 訪 間者 一 覧 ―― ― ― ― ― 一一 一― ― ‐ 海 外 か らの招 聘 者 一 覧 一 ― ― ― ― 一 ― ― … … … … … 海 外 渡 航 一 覧 … … … …‐ 公 開請 演 会
… … … …
第96回 公開講演会 一 一 ― … … … …… … …… … …… … ……
第97回 公開講演会
― ― … … … ……… … … …
研究集会
文化庁が実施する富跡復原整備事業等への 指 導・ 助 言・ 協 力等 ―… …
●平城官跡の整備
― ¨― ―
●特別史跡高松塚古墳の調査 0キ トラ古墳の調査 ― ― ― 発 掘 調 査 現 地 説 明 会 ― ― ― 26
26 26 27 27 28 28 29 29 30 30 31 31 31 32 32 32 33 33 33 34
34
35 35 36 39 39 39
―‑ 45
‑‑ 45
‑‑ 46
‑‑ 47
‑‑ 47
0 1 5 4 4 4
8 8 8 8 4 4 4 4
0 0 0 1 1
2研
修 。指 導 と教 育 一一一――――一一――――……埋蔵文化財センターの研修と指導 ―――………
京都大学大学院の教育 ――一………
奈良女子大学大学院の教育 ………
3展
示 と公 開 ………飛鳥資料館の展示 ――一一………
平城富帥資料館の展示 ―………
解説ボランティア事業 ――――………
図書資料 。データベースの公開 ―一―一………
4そ
の 他 ――一………刊行移 ―――………
人事異動 ………
予算等 ――――――――一一………
1調 査と研究
飛鳥藤原京の発掘調査
飛鳥藤原宮跡発掘調査部では、2005年 度 に計9件・ 4874だ の発掘 ・立会調査 を実施 した。 うち、藤原宮の 調査が4件・2898だ 、飛鳥地域等の調査が5件・1976 だであ る。以下、主 な調査 につ いて概要 を述べ る。
藤原宮 の第136次 調査 で は、朝 堂 院東 第六 堂 の調査 をお こなった。調査 は秋 ・春・夏 の3班があた り、藤 原宮跡の朝堂 としては、一度 に建物全体 を検 出 したの は初 め て で あ る。 建 物 規 模 は桁 行 き14間 (168尺、 49,3m)、 梁行4間 (38尺、11.2m)で、桁行寸法 は14 尺等 間、 身舎 の梁行寸法 は10尺等 間、南北両庇各9尺 である。礎石位置 には礎石据付堀形が掘 られ、据付堀 形 内 に入 れ られ た根 石 は極 め て良好 な残 存 状 況 を示 し、地盤の悪 い東側 では特 に入念 に石が入 れ られてい た。基壇外装 につ いては、北縁部 の東側 で、計10〜20 cmの石が東西方 向に並ぶ場所 があるが、外面 をそ ろえ てお らず、土留 め な どの石列 であ り、朝堂が木製基壇 であるこ とも一応 は考 え られるが、確証 はない。第六 堂 の建設 に先立 って、基壇予定地の周辺 をめ ぐる よう に四周 に溝 を掘 削 し、完成 とともに埋 めたてていた。
また、藤原宮廃絶後、調査 区の東側 を中心 に9世紀 頃 とみ られる土器 と共 に、掘立柱建物や塀 を検 出 してお り、平安時代初期 の屋敷地が営 まれていた こ とを示 し てい る。
藤 原宮 の第138‑2次調査 は、 内裏 中心 部 の東 方 を発 掘 した。東西総延 長
H8mに
お よぶ トレンチ で、既調 査 で検 出 した建物や塀 、基幹水路 な どの延長部 を確認 した。 また、 内裏東方 を東西幅約50mに
区画する南北塀 と、それに
L字
形 に接続す る東西塀 を検 出 した。 そ の南北塀 の西側、す なわち内裏 中心方向には、人頭大 と親指大の石敷が南北 に分 けて敷 かれていた。藤 原宮 の第138‑3次調査 は水路 改修 に ともな う南北 に細長 い トレンチ調査 であるが、朝堂 院の東側 にあ り、
朝 堂院の東方官衛 区域 内 にあ る と考 え られ る。掘立柱 建物 2棟、塀 、石組東西溝、素堀溝 な どを検 出 し、主 要 な官衡施設の存在 を示 している。
飛鳥地域 の調査 としては雷丘 (第139次)、 石神遺跡 (第140次)、 甘樫丘東麓遺跡 (第141次
)の
調査が ある。雷丘の調査 で は、独立丘陵名 として名高 い雷丘の全 容が ほぼ半J明す る確 認調査 区 を設定 し、 中世 の山城 の
薬研堀 を検 出 した。 これか ら、現在 の雷丘 は中世 の山 城が築かれた時 に、大規模 に削 られてい ることが判明 した。 また、古墳本体 は検 出で きなかったが、
5世
紀 後半か ら6世紀前半の埴輪が 出土 し、 この時期 の古墳 が数基、雷丘 の上 に存在 した可能性 を示 している。 さらに、
7世
紀代 と考 え られる小型石室 を検 出 した。石神遺跡 の調査 では遺跡北側 の土地利用 の一端 を解 明 し、 天武朝 の祭祀遺物 を出土す る溝 を検 出 したが、
阿部 山田道 は検 出 していない。
甘樫丘東麓遺跡 の調査 では、
7世
紀 の掘立柱建物6 棟 と塀 3列を確認 し、谷 の広 い範囲で大規模 な整地が お こなわれているこ とを明 らか に した。今回の調査 区 は1994年 の発掘 区に近 い位置 にあ り、1994年 の調査で は焼土層 と焼 土層 出上 の上器 の年代 か ら「 日本書紀」に記載 のある蘇我蝦夷・入鹿 の邸宅 との関連 を推定 し ていた ものであ る。今 回の調査 は蘇我氏 との関係か ら 注 目されたが、引 き続 き調査 をお こなって確実 な部分 を積 み重 ね る必要がある。
発掘調査 に ともない実施 した現地説明会 は、47頁 の 通 りであ る。
平朝京の発掘調査
平城宮跡発掘調査部が2005年 度 に実施 した発掘調査 は、平城宮跡5件、平城京跡7件の計12件である。以 下、主要 な調査成果 につ いて概要 を述べ る。
平城宮 中央 区朝堂院地 区の発掘調査 (第389次
)は
、 第367次 (2003年 度)。 376次 (2004年 度)調
査 の成果 を受 けての ものである。両次調査 で発見 された称徳大 嘗宮 の全容解 明等 を 目的 とす る。 第367次 調査 と第77 次調査 (1972年)の
調査 区の間に、それぞれ一部重複させ なが ら調査 区 を設定 した。
調査 の結果、第1次大極殿 院南 門基壇 お よび南面階 段 、朝庭 部の舗装、平城上皇時代 とみ られ る道路 関連 遺構 な どを検 出 した。第1次大極殿 院南 門南階段 には、
2次期 の変遷があ ることを確認 した。階段 の出が大 き くされている。北 階段 で も3時期 の変遷が確認 されて お り、基壇規模 の変遷の可能性 も含 め、慎重 に検討す る必要が生 じた。また、平城上皇時代 の道路遺構では、
交差点 とみ られ る部分で側溝 に丸太材 を用 いた工作物 が発見 された。側溝 に蓋 を していた とみ られ る。なお、
26
第367次 調査 以北 に大嘗宮 関連 の建物群 は広 が らない こ とも確認 した。
平城宮朝集殿 院地 区の発掘調査 (第 394・ 399次)は、 2001年度の第326次 調査 に始 まる同地 区の一連 の調査
としてな された ものであ る。
東朝堂院で は、礎石建 ち建物以前 に、掘立柱建物が 存在す る。朝集殿 院で も、 区画施設 には2次期 あ るこ
とが判 明 した。そ こで、朝集殿 の前 身建物 の有無が重 要 な課題 となった。 第370次 調査 (2004年 度
)は
、東 朝集殿 基壇 の南1/3を調査 したが、下層建物 は確 認 できなか った。
これ らをふ まえ、第394次 では第48次 調査 (1968年)
とほぼ重 なる、東朝集殿基壇全体 の再発掘 をお こなっ た。 また、発掘 に先立 って レー ダー探査 も実施 した。
調査 の結果、東朝集殿基壇 の下 に、下層建物 は確認 で きなか った。そ こで、基壇直下以外 の場所 に存在す る可能性 を検討す るため、 第399次 調査 で は基壇 の北 側 に調査 区を設定 した。 ここで も下層建物 は確認で き ず、奈良時代前半の平城宮 では、朝集殿 院相 当の区画 は存在す るが、朝集殿 の建物 は存在 してい なか ったか、
最初か ら礎石建 ちであ った可能性が高 まった。
旧大乗 院庭 園の発掘調査 (第390次
)は
、現在庭 園 を管理す る (財)日
本 ナ シ ョナル トラス トの委嘱 をう け、復原整備 のための資料 を得 る 目的で1995年 か ら毎 年お こなって きた一連 の調査 に属す る。西小池の全容 と西側 の陸地部分の状況の解 明 を 目的 として、西小池 の未調査地お よびその西側 に調査 区 を設定 した。西小池 。西小池護岸 ・西小池排水施設 のほか、 陸地 部分 で各時期 の建物 をは じめ として、礫敷遺構 や井戸 な どの施設群 を検 出 した。
西小池排水施設 には、数期の改修・変遷がみ られ る。
また、西小池 自身の護岸改修 も明 らか になった。
陸地 部分 の施 設群 は各時期 の以 降が複 雑 に重複 す る。室町時代 に積極 的 に建物が整備 された状況が判 明 した。 また、F大乗 院 四季 真 景 図』 にあ る「湛雪亭 」 とみ られ る建物 を確認 し、それ と関連す る とみ られ る 水溜遺構 も確認 した。
池 自身の管理状況や変遷 を確認 で きた とともに、陸 地部分の諸施設の状況やその変遷 。拡充が明 らか にな った こと、 と りわけ、おそ ら くは善阿弥の手 に よる改 作 の様相が うかがい知 れ るようになった ことは、大 き
な成果 といえ よう。
以上、主要な調査の詳細や、平行 しておこなった小 規模調査 の内容 については『奈良文化財研究所紀要
2006』 を参照 されたい。
発掘調査 にともない実施 した現地説明会は、47頁の 通 りである。
文化遺産研究部の研究活動
当研 究部 を構成す る建造物研 究室、歴 史研究室、遺 跡研究室 では、各研究室 の個別分野、 テーマ による調 査研究 を継続 的 にお こな うとともに、共 同で南都寺 院 の歴 史的景観 に関す る研究 として唐招提寺 を対象 に取
り組 んでいる。
●建造物研究室の調査と研究
歴史的建造物・伝統的建造物群の調査研究
建造物研究室 では現存建築、古材、発掘遺構 ・遺物 な どの現物 資料 を中心 に据 えて歴 史的建造物 及び伝統 的建造物群 の調査研究 を進 めてい る。
2005年 度 は歴 史的建造物 の受託研 究 として、長野県 塩尻市 か ら重文小野家住宅及 び上 問屋手塚家住宅、高 知県佐 川 町か ら竹村 家住 宅、(財
)竜
王会館 (岡山県 倉敷市)か
ら野崎家 旧宅、以上の3件の調査 を受託 し た。 旧塩尻宿 の旅籠屋 であ る小野家住宅、 旧奈 良井宿 に位置す る手塚家住宅 につ いては、建造物 の歴史的価 値 を明 らか にす るための詳細調査 は もちろん、周 囲の 文化遺産 との連 関 を重視 し、管理活用計画立案のため の調査 に も重 点 を置 いた。 酒造経営 に よって発展 し、代 々御 目見 町人 に名 を連 ね た竹村 家住 宅 に関 して は、
主屋 の建築意匠の特 質や有力商家の遺構群 としての価 値が高い ことな どを明 らか に した。江戸末期 に塩 田経 営 と耕作 地経営 で富 をな した野崎 家 旧宅 に関 して は、
主屋 や土蔵 な どの建造物群が立 ち並 ぶ現在 の広大 な屋 敷 地が、 明治時代 までの構 えを よ く保 ってい るこ と、
建物が 同時代 の最高級 の邸宅建築 の様相 をよ く示 して い ることな どを明 らかに した。以上の成果 をとりまと めた報告書 をそれぞれ刊行 した。
また、2004年 度か らの継続 でお こなっている′鳥取 県 近代和風建築総合調査 (県か らの依頼
)を
2005年 度 に 完 了 させ た。 この成果 を と りまとめた報告書 は2006年 度刊行予定である。木造建造物の保存修復に関する調査研究
多様化す る文化財建造物 の保存修復 に対処す る新 た な体 制 と組織 を検討す るこ と、過去 の事例 を検証 しな が ら今後 の保存修復 のあ るべ き考 え方 。方法 を探 るこ と、保存事業 に伴 い蓄積 された学術資料 を再評価 して その保存活用方法 を探 る ことな どを 目的 とした このプ ロジェク トは、1998年 か ら7カ年計画 で進 め きた。 こ の成果 を提案書 として刊行 した。
また、 この調査研究 の一環 として着手 した乾板 写真 目録、現状変更説 明 (本文編 。図版編各1冊
)の
刊行 につ いては、本年度 に計3冊刊行 したが、 この刊 行 は 次年度以 降 も継続す る予定 である。平城宮建物の復原的研究
大極殿正殿復原 のための大棟 中央飾 りに関す る金具 研 究会 と身舎 内部小壁彩色 に関す る研 究会 をそれぞれ 1回開催 し、復 原 の可能性 につ いての検討 をお こなっ た。 また、大極殿 院楼 閣建築 にお ける平面計画 と軒架 構 の方法 の検討 を昨年度 に引 き続 きお こなった。
その他
文化庁 に よるアジア・太平洋地域文化財建造物保存 修復協力事業へ の協力要請 を受 けて2003年 度か ら着手 したベ トナム・ ドンラム村 の集落保存対策調査 の と り まとめ をお こな うと同時 に、現地で集落保存 の方策 を 探 るための協議 をお こなった。
その他、全 国各地 で実施 されている文化財建造物等 の4妖理事業・遺跡整備事業 に関わる修理・復 原 。整備 等 に姑 して援助・助言 した。
●歴史研究室の調査と研究
歴 史研 究室で は、世界文化遺産 に登録 されてい る南 都 の寺社所蔵 の書跡 資料 について継続 的 な調査研究 を お こなっている。 さ らに奈文研 に寄贈 された歴 史資料 につ いて も調査研 究 している。
本年度 の南都諸寺 院の調査 は、興福寺・薬 師寺 。東 大寺 ・唐招提寺所 蔵 の書跡 資料 につ いてお こな った。
興福寺 関係調査 は、現在『興福寺典籍文書 目録 第四巻』
に 目録 を収録す る予定の重要文化財指定品 につ き、 ブ ローニー版で写真撮影 をお こない、 日録原稿 を作成 し つつ ある。 また従来把握 されていなか った函 について
も追加分 と して順次整理 を進 め、第90画 〜第95函 の画 番号 を付 し、 目録 デー タをパ ソコ ンに入力 した。 これ ら追加分 について も、今後 目録 として と りま とめる予
定 であ る。 その成果 の一部 は、『奈文研紀要2006』 に も、「信 円の花押」と題す る文章 として掲載 した。薬師 寺 は、箪笥であ る第29面 と、 第31画 〜第34画 の調書作 成 をお こなった。写真撮影 は第23画 を継続 してお こな っている。 また薬師寺典籍文書デー タベースは、デー タベ ースの確認作業 をお こない、第11画か ら第15函ま で を新 たに公 開 した。 また第1函か ら第10画までの既 公 開分 につ いてはデー タの訂正 をお こない、デー タベ ース を更新 した。
東大寺 は、東大寺 図書館収蔵庫 第4号室収蔵 の新修 東大寺文書聖教 の調査 を実施 した。従来 は東大寺未整 理聖教文書 と称 して調査 して きた資料 だが、昨年度刊 行 した科研 費報告書 において、今 までの整理 をふ まえ て新修東大寺文書聖教 と命名 した ものである。本年度 は第46画 ・第49画 ・第51画 の 日録 デー タをパ ソコンに 入力 し、第5画の写真撮影 をお こなった。
唐招提寺所蔵資料 につ いては、 当部の他 の研 究室 と 協力 して、唐招提寺 の歴 史的環境 に関す る調査研究 を お こなってい るが、その一環 として惣倉所在 の近代書 類 の調査 を継続 して実施 してい る。 また、近世・近代 の唐招提寺境 内図の調査研究 をお こなった。それ らの 成果 の一部 は、F唐招提寺 の歴 史 と景観 に関す る調査 研 究報告書』 に掲載 した。
以上 の南都 諸大寺 の調査状 況 は、『南都諸大寺所蔵 歴 史資料 の調査状況報告』 と して と りまとめた。
また、平成17年度 には菅原大三郎 関係資料 が研 究所 に寄贈 されたが、そのための事前調査 をお こない、 ま た、寄贈後 には内容確認の調査 をお こなっている。
その他、調査協力 の依頼 を受 けて、滋賀県石 山寺聖 教調査や、文化庁依頼の醍醐寺聖教調査、京都府教育 委員会依頼の4HI護寺聖教調査、奈 良市教育委員会依頼 の水室神社大宮家文書調査 な どに協力 した。
●遺跡研究室の調査と研究
遺跡研 究室 は2001年 4月発足 の文化遺産研 究部 に新 設 された研究室である。遺跡整備 に関す る調査研 究 と、
庭 園史 に関す る調査研 究が当研 究室 の二本柱 となる。
遺跡整備 に関す る調査研 究 として、整備後の遺跡 の 活用 に対す る関心 が急 速 に高 まってい る現状 に鑑 み、
中期計画で は全 国各地 の大規模遣跡 の整備 ・活用・管 理 に関す る情報収集 。調査・分析 を と りあげた。計画 は5カ年 で、全 国の対象遺跡 の現地調査 を順次お こな 28
い、各遺跡 ごとに調査結果 をとりまとめた。5年目に あた る2005年度 は板付 遺跡 (福岡県福 岡市)、 首里城 跡 (沖縄県那覇市
)な
ど九州地方の19カ所 と伯者 国庁 跡 附法華寺畑遺跡 (鳥取県倉吉市)な
ど中国地方の4カ所、計23カ所 の遺跡 を調査 した。現地調査 の と りま とめは
(a)整
備 手法 ・技術 、(b)維
持 管理、(c) 学習資源 としての活用、(d)観
光資源 としての活用、(e)オ
ープ ンスペース としての活用、(f)地
域 の文 化 的中核施設 としての活用、 の6つの観点か ら現状 と 課題 を整理 した。整備後 の活用、管理が適切 にな され るため には整備段 階か ら活用、管理 につ いての綿密 な 計画 を立 てる必要があ ること、担 当者 をは じめ として 自治体 の熱意、力量 による ところが大 きい ことな どが 明 らか になった。 なお、研究で得 られた成果 につ いて は、必要 に応 じて各遺跡 にフイー ドバ ックす ることと してお り、当研究室が この分野 にお ける情報 セ ンター の役割 を担 うもの と考 えている。庭 園史 に関す る調査研究 として、 中期計画で は 日本 の古代庭 園 を対象 として文献史料、発掘調査資料、遺 跡現地 にお ける地形・水系調査 な どに基づ く多角的な 研究 を設定 した。個 々の庭 園の形態、技術 な どを明 ら か にす るこ とに よって、庭 園の源流、成立過程、変遷 を解 明す ることを期 してい る。2005年 度 は、2001年 度 か らお こなって きた古代庭 園 に関す る調査研 究 を と り ま とめ る作業 をお こない、報告書 を作 成 した。 また、
発掘調査 された古代 〜近代 の庭 園遺跡 に関す る資料収 集 とデー タベース化 も中期計画で設定 した庭 園 に関す る研 究項 目であ る。 これ まで に321件 の発掘庭 園の所 在地・ 時代・構 成要素 な どの基本項 目を和文・英文で デー タベース化 し、 当研究所 のホームペー ジ上で公 開 してい る。英文 デー タベースの公 開は当研 究所 での最 初 の事例である。画像 デー タの追加 ・充実が今後 の課 題 となっている。
外 国の研究機 関 との研究交流 とい うこ とでは、米 国 ハ ーバー ド大学の ダンバー トンオー クス研究所 との間 で ここ数年、情報交換 、研 究交流 な どをお こなって きた が、2005年 には同研 究所 が作成 した 『Ancient Roman
Villa Gardens』 を 日本語 に翻訳す る作業 をお こない、
『古代 ローマの ヴイラ・ ガーデ ン』 とい うタイ トルで 刊行 し、 日本 にお ける庭 園考古学 の普及 と新 たな情報 提供 を図 った。
この他、地方公共 団体がお こなっている遺跡 の整備
事業や庭園の保存修理事業 に関する指導、助言 も当研 究室の重要 な役割であ り、2005年 度 は遠江 国分寺跡
(静岡県磐田市)、 旧円融寺庭園 (長崎県大村市
)を
は じめ51カ所の史跡等 についてお こなった。埋蔵文化財センターの研究活動
埋 蔵文化財 セ ンターは7研究室か らな り、それぞれ の研 究課題 に取 り組 んでい るのは言 うまで もな く、全 国の埋蔵文化財担 当者 に対 し、埋蔵文化財 の調査 や保 存、遺跡保存 に関す る研修 を年 間 を通 して開催 してい る。 また、地方公共 団体 や 関係機 関の求 め に応 じて、
各地でお こなわれ る発掘調査や保存事業 について、専 門的・技術 的立場 か ら指導 と協力 をお こなっている。
●遺物調査技術研究室
本研 究室 は、室長、松 井章 に加 えて派遣職員2名、 客員研 究員2名、京都大学大学院生7名の大所帯 とな
り、研 究室 の狭 さが深刻 にな りつつあ り、 さらに収蔵 庫 の玄 関 にまで はみ出 した、遺物 を満載 した コ ンテナ の山に頭 を痛 めている。平成17年 3月 よ り、韓 国慶 尚 南 道所 在 の金海会ll■里 貝塚 の発 掘 に環境 考古学 的研 究 の協力 を依頼 され、同年11月までの間に5度訪韓 し、
多 くの知見 を得 ることがで きた。現生動物骨格標本 の 作製 は、狩猟期 間中に仕留 め られたエ ゾシカ4頭、ニ ホ ンジカ2頭、イノシシ2頭の生 々 しい死体 を入手 し、
冷凍庫 に保存 中で、現在 も順次成骨化 をすすめている。
平成16年度 にコウノ トリの里公 園 よ り寄贈 を受 けた コ ウノ トリの死体2羽の うち、
1羽
の成骨が完成 し、鳥 類骨格標本 に加 わった。独法化後 の本研 究室 の第1次 中期計画 の成果品の うち、眼 日であった 『埋 文ニュー ス環境考古学1〜 7』 が、本年度の「魚類骨格 図譜」
と「人骨 図譜 」(『埋 文 ニ ュー ス』122)と で完結 し、
その成果 品 として、遺跡か ら出土す る可能性 のあ る動 物種 の主要骨格 を図示 した、F動物考古 学 の基礎 』 を 刊行す るこ とがで きた。 9月 に英 国エ デ インバ ラで開 催 さ れ た 湿 地 考 古 学 会
(WARP I Wetiand
Archaeology Research Project)で、「近年 の 日本 に おける湿地考古学 の成果」 と題 して研 究発表 をお こな い、学会賞 を獲得 した。 さらに 1月 に大阪市歴史博物 館 で開催 された、世界考古学 会議 中間会議
(WAC:
World Archaeology Congress)で 、「考古学か ら見 た 差別」 と題す るセ ッシ ョンで、座長 を務 め発表 をお こ なった。発表 は関西 の遺跡 か ら出上 した斃牛馬骨 を も とに、被差別部落の形成が、従来の文献史学で主流で あ った近世起源説 に対 して、 中世 に遡 る例が少 な くな い ことを論証 した ものである。
●遺跡調査技術研究室の調査と研究
当研 究室 で は、 まず第一 に、古代官衛遺跡 の発掘調 査・研 究や遺跡 の保存活用 に資す るため、官衡遺跡発 掘調査法 の研究 を実施 してい る。 この研究 で は、古代 の官衡及び官衛 関連遺跡 とともに、各地の古代集落・
寺 院・豪族 居 宅遺 跡 等 の発 掘 調査 資料 を収 集 ・整 理 し、科学研 究費 を も利用 しなが ら、官衛建物遺構 の諸 属性 につ いて検討 し、官衡施設 の性格 や造営技術 の特 質 を明 らか にす る とともに、官衛施設造営技術等 の復 元 のため にいか なる情報 を遺跡か ら抽 出すべ きか とい
う発掘方法 の向上 にむけた研 究 をお こなってい る。
第二 に、上記 の研 究 のため に収集 した官衛 関係遺跡 の資料 について、通宜公開を目指 してデー タベース化 す る作業 を実施 している。 この うち、 デー タベ ース化 が完 了 した東北地方・ 関東地 方 の官衡遺跡 につ いて、
遺跡 の性格、所在地、文献 目録、主 な検 出遺構 ・遺物 の概要、建物遺構 の詳細 デー タや、遺跡 の所在地図や 遺跡全体 図・建物 図面 な どの画像 デー タを、奈 良文化 財研 究所 ホームペ ー ジで公 開 し、 中部以西 につ いて も 公 開 を 目指 してデー タベース化 を進 めてい る。
第三 に、郡衡周辺寺 院の性格 についての研 究 を進 め てい る。 その成果 の一部 は、後述す る研究集会の論文 報告集の中に収録す る とともに、鳥取市上原南遺跡 出 土 の瓦類 の製作技法 。型式・編年 につ いての研究成果 の と りまとめをお こなった。
第四 に、古代地方行政領域 の成立過程 の研 究 を進 め てお り、 ケースス タデ イの一つ として因幡国における 郡領域 の成立状況 につ いての検討作業 を進 めた。
第五 に、古代官衛 と集落 に関す る研 究集会 を開催 し た。2005年度 は、「在 地社 会 と仏教」 をテーマ と し、
いわゆる村落内寺院のあ り方や行基 による仏教普及の あ り方 な どを と りあ げ、仏 教 の地 方在 地 社 会へ の普 及・受容 の実態や仏教が在地社会 においていか なる役 割 を果 た していたか な どにつ いて、考古学 と文献 史学 の両サ イ ドか ら研究報告 をお こない、討議 した。
第六 に、各地の地方公共 団体 か らの依頼 に よ り、全 国の官衡 ・寺 院遺跡等 の発掘調査、遺跡 の保存整備活 用等 につ いて指導助言 をお こなってい る。
●古環境研究室の調査と研究 考古学関連
本年 度 は、■府県27遺 跡 か ら約 140点 の出土 木材 に つ いて年代測定 を実施。その中で、京都府宇治市の宇 治市街遺跡 の発掘調査 では、古墳 時代 の溝跡か ら70点 余 りの韓式上器 とともに初期須恵器や在 来の上器が 出 上 し、 これ らの上器群 と供伴 して辺材が完存 している ヒノキの板材 が出上 した。 この板材 の年輪年代 は389 年 と判 明、 また同一試料 か ら採取 した小 断片 を炭素14 ウィグルマ ッチ ング法で も年代 を調べ た ところ、同様 の結果 を得た。 この2つの 自然科学 的年代法 による分 析結果 は、 日本 にお ける初期須恵器生産 開始の年代 を 明 らか にす る とともに、 日韓 の上器編年枡 究 に極 めて 重要 な年代情報 を提示 で きた点で重要 な研 究成果 とな った。
古建築関連
本年度 は、
7府
県か ら国宝・重文 の建物15棟につ い てデ ジ タルカメラや年輪読取器 を用 いて現地調査 を実 施。 中で も中尊寺金色堂 は、 内屋根 に使 われている棟 木 に天治元年 (1124)人月十 日建立銘が墨書 されてお り日本最古 の ものであるが、今 回、昭和 の修理 に際 し て取 り換 え られた2本の巻柱 の うちの1本につ いて、最 も幅広 く辺材 の残存 していた添木 につ いて調査 した ところ、年輪年代 は1116年 と確定、 この ことよ り棟木 銘 の年代 が正 しい こ とが裏付 け られ た意義 は大 きい。
また、取 りはず されていた折上 げ天丼支輸板 の年輸年 代 は1114年 と判 明、 これ も巻柱 と同様 に棟 木銘の正 し い ことが実証で きた。経蔵の部材調査か らは、今で も 一部の壁板や床板 に当初材 (初代清衡公 の時代
)が
使 われてい るこ とが確 定 した。 また、 中尊寺 に所蔵 され ていた13合の唐櫃 は三代秀衡の代 に製作 された もので ある ことが半J明 した。新 しい年輪計測技術の開発研究
マ イクロフォー カス
xttC Tに
よる非破壊 年輪年代測定技術 の実用化 に向けて、技術面 の完成度 をよ りい っそ う高 めるべ く各種実験 を重ねた。技術 内容や研究 成果 は、特許公 開公報や 国際学会 を通 して広 く紹介 さ れた。
30
●保存修復科学研究室の調査と研究
当研 究室で は、 出土遺構及 び遺物 の公 開・活用 に資 す るための保存科学 的研究 な らびに保存修復 に関す る 開発研究 を進 めてい る。本年 度 に取 り組 んだ内容 を以 下 に概観す る。
奈良文化財研 究所平城宮跡発掘調査 部がお こなった 発掘調査 に よって出土 した遺物 の材 質 。構 造調査 を実 施 し、それ らの保存処理 をお こなった。
他機 関 との共 同調査 ・研 究 で は、「寺福 童遺跡4出 土銅曳保存修理」(小郡市教 育委 員会)、 「潤 地頭給遺 跡 出土準構 造船 の保存科 学 的共 同研 究」(前原市教 育 委員会)、「伝 持 田古墳 群 出土 資料 の考古科学 的研 究」
(辰馬考古 資料館
)の
3件を実施 した。 カ ンボ ジア王 国 ア ンコー ル遺跡群 にお いて、現地 のAPSARA機
構 との共 同研 究で は西 トップ寺 院の石材 の劣化状態 お よ び劣化要因の保存科学的な調査 を継続 してお こなった。開発研究 で は、診 断調査方法の開発 として、衝撃弾 性 波 試験 、超 音 波伝 播 速 度測 定法 、打 音 試験 、
TDR
法、 アコーステ イックエ ミッシ ョン法 な どを取 り入 れ た遺構 の劣化原 因の特 定 をお こない、 これ らの測定デ ー タを基 に した保存修復処置法 を策定す ることが可能 となって きた。 また、携帯型マ ルチ レーザ ー ラマ ン分 光 分析 装 置 につ い て は分析 精 度 と携 帯性 の向上 を図 り、標準試料お よび考古遺物 の分析 デー タの収集・ 蓄 積 をお こなった。新 たな有機質遺物 の分析手法 として、
シンクロ トロ ン顕微赤外分析法 の適用 を試 み、 出土絹 繊維 の埋 蔵 中の劣化 につ いて成分変化 の詳細 を検討で きることが明 らか となった。バ ッチ式 の超 臨界溶媒乾 燥装置 を用いた実験 をお こない、短時間の うちに変形 す ることな く乾燥で きることを確認 した。 また新規の 強化含浸薬剤 としてのリグノクレゾールを効率 よく材中 に吸着させた状態で乾燥できることが明らかとなった。
外部機関か らの受託事業 として、島根県加茂岩倉遺 跡 出土品事前調査 (文化庁)、 島根県加茂岩倉遺跡 出 土品保存修理 (文化庁)、 妻木晩田遺跡土質遺構露出 展示技法研究 (鳥取県教委)、 古代土塁 (石垣
)遺
構 の保存整備手法の研究開発 (総社市教委)、 長野県千 山市社宮司遺跡出上の六角木憧保存修復委託業務 (長野県教委)、 クスノキ製割 り抜 き井戸の真空凍結乾燥 法 による保存処理研究 (三重県教委)、 西谷2号墓 出 土 ガラス遺物の科学調査 (出雲市教委
)を
実施 した。この他、有機質遺物および無機質遺物の材質分析お
よび構造調査 をお こない、基礎 的デー タの蓄積 を継続 した。
また、保存科学研 究集会 は「県存科学 にお ける諸 問 題 ―キ トラ・高松塚古墳壁画 の保存科学 と修理 一」 を テーマ として開催 した。
●保存修復工学研究室の調査と研究
中期 計 画 の最終 年 度 にあ た る2005年度 は、2001〜
2002年度 に実施 した全 国 の官衛 遺跡 整備 状 況 の調査
(『埋 蔵 文化 財 ニ ュー ス
111号
官衛 遺 跡 整備 状 況 』 として2003年 2月刊行)と
、2003〜 2004年 度 にお こな った遺跡 の斜 面保護 に関す る研 究 (『埋 蔵文化 財 ニ ュ ース119号
遺跡 の斜面保 護 一遺跡 の保存工学 的研 究 ―』 と して2005年 3月刊行)を
、それぞれデー タベース化 して、当研究所 のホームページ上で一般公開 し た。公 開にあた って は、全 国の追加事例 の収集 に努め る とともに、すで に収録 した内容 につ いての加筆訂正 と写真 。図面等 の補足 をお こなった。
これ によ り、文化庁文化財部記念物課発行 の『史跡 等 整備 のて び き一保存 と活用 のため に 一』 (2004年 3 月刊行)とあわせ て、広汎 な範囲での情報 の共有化 と、
保存修復 の具体 的指針 としての機能 を果 たす ことが期 待 で きる。それ らは、今後、上記項 目における追加事 例 の収集 とともに、 さ らに対象 を広 げた整備事例 の収 集 とデー タベ ース化 。公 開 を図 るこ とで、いっそ うの 向上 をみ るだろ う。
また、2005年 度 は、昨年 度 に引 き続 き、埋蔵文化財 発掘技術者専 門研1寡「遺跡保存整備課程」を担 当 した。
文化庁 をは じめ内外 の講師 に よる講義 と実習 を主体 に した構 成 とし、整備事例 としては、蛭子 山古墳 (京都 府)、 登 呂遺跡 (静岡県)、 山中城 跡 (同)、 払 田柵跡 (秋田県
)を
と りあげた。 日程 的 には必ず しも充分 な もの とはい えなか ったが、地域 や遺跡 の特性 に応 じた 保存 ・整備 のあ りか た を模索 し、時代 の要請 に どの よ うに応 えてい くか を聞い直す きっか け となるこ とを願 うものである。●文化財情報研究室の調査と研究
文化 財情 報 の電子化 及 び システム構 築 につ いて は、
研 究会等 においてそれ らの研 究成果 を公表す る ととも に、所外 の研究状況 につ いて情報 を収集 し、今後 の シ ステム構築、改良等の検討材料 とした。10月 には地理
情報 システム学会大会 において「応用 スキーマ に よ り モデル化 された遺構情報の考古学的分析 における 自動 化」 と題 して、遺跡情報 の分析 に関す る研 究成果 を発 表 した。 また、11月 には遺跡
GIS研
究会 を開催 し、都城 の ような都市遺跡 や歴 史都市 に関す る最新 の分析 手法 につ いての研 究報告や意見交換 をお こなった。
文化財情報の電子化 として、木簡、図書、全文、写 真、遺跡、航空写真、軒瓦、発掘調査報告書抄録等 の 各 デー タベース において、デー タの更新 な らびに追加 入力 をお こない、デー タの充実 に努 めた。 また、業務 用 のデー タベース につ いて は、各担 当で作成 したデー タの追加 をお こなった。 なお、デー タベ ースヘ の入力 に際 しては、事前 のデー タ整理が必要 であ るため、広 い範囲の文献や参考図書等の調査 をお こないなが らデ ー タの拡充 をお こなった。
写真 デー タベ ースの基礎 となる写真 の電子化 に関 し て は、35mm、 ブ ローニ、
4×
5、8×
10、 ガラス乾 板、奈文研 が発注 した空 中写真 につ いて電子化 を継続 した。航空写真 デー タベースにおいて は、入力 の基礎 となる原 フイルムか らのマ イクロフ イルム作成、マ イ クロフィルムか らの電子画像 の作 成 を継続 してお こな った。●国際遺跡研究室の調査 と研究
国際遺跡研 究室 は、研 究所 が主催す る国際共 同研 究 事業や支援協力事業 を円滑 に実施す るための調整 と外 国か らの訪 問者 に対す る対応が主 たる業務 であ り、業 務課 と連繋 してお こなっている。2005年 度 には、共 同 研究で招聘 した外 国人研 究者 は34名、施設見学や表敬 訪 間で研 究所 を訪れた外 国人研 究者 は、
6カ
国75名で あ った。一方、科学研 究費、招聘、共 同研 究費 に よる 研 究所 員 の渡航者 数 は128名 で、 その うち共 同研 究 による渡航 は62名である。
国際支援協力事業 「西 アジア文化遺産保護 緊急協力 事業」 は東京 文化財研 究所 と共 同で実施 してい るが、
本年度 は国内及 び現地 において発掘調査法・保存4笏復 科学 に関す る研修事業 を分担 し、研究所各部の応援 を 得 てバ ー ミヤ ン仏教遺跡 において探査 。試掘・分布調 査等 を実施 した。
また、埋 蔵文化財 セ ンターでは、 国際協力事業 国・
日本 国際協カ セ ンターな どの要請 に よ り、他機 関が招 聘 した外 国人 に対 して も研 修事 業 をお こな って い る
が、 当研 究室 では研修 内容や講師の選定 な どもコーデ ィネー トしている。2005年 度 には3件あ り、合計26名 に対 し研修授業 をお こなった。
これ らの国際関係業務の他 に、2005年 度 には坦蔵文 化財発掘技術者専 門研4多『陶磁器調査課程』を担 当 し、
他 の研 修授業 の講師 を務 めた。 また、 当研 究室 は、 山 内清男資料 の保管並 びに貸 し出 しと資料 閲覧希望者ヘ の対応の任務 を担 っている。2005年 度には貸 し出 しは 1件、資料 を閲覧 は2件あ った。本年度 の当研 究室 関 係 の 出版物 は、『山内清 男考古 資料16』 奈 良文化財研 究所 史料 第74冊 、『黄冶窯 の考古新 発 見』奈 良文化財 研究所 史料 第73冊 である。
国際学術交流
奈 良文化財研 究所 で は、現在 、中国 。韓 国・ カ ンボ ジアの3カ国の研 究機 関 と次 に述べ る ような学術 共 同 研 究 を実施 している。 この他、 ア フガニス タンとイラ ク両 国 を対象 とす る西 アジア文化遺産緊急保護事業 に も協力 している。2005年 度の各事業 の概要 は以下 の通 りである。
。中国社会科学院考古研究所 との共同研究
両研究所 は、2001年 度 よ り5カ年計画で唐長安城大 明宮太波池遺跡 の共 同発掘調査 を実施 して きた。太液 池 は蓬莱池 とも呼 ばれ、大 明宮北 部 中央 に位 置す る。
これ までのボー リング調査・試掘調査・発掘調査 によ って、平 面形 は瓢形 を呈 し、東西最大長484m、 南北 最大長310m、 面積 17万 だの壮 大 な規模 を誇 る苑池 で ある ことが知 られている。東小池 は民家密集地 の下 に あ り、発掘調査 は困難 なため、主 として西池 の構造解 明 を 目指 し調査 を実施 して きた。2005年 度 は共 同研 究 の最終年度に当た り、あ ま り知 られていなか った西池 東南岸部 の状況 を明 らか にす るため、春 に大規模 な発 掘調査 を実施 した。調査 の結果、池 の南岸護岸施設や 景石、池岸 に沿 う周遊道路、岸か ら池 に突 き出す桟橋 状 建物 遺構 、池 に浮かぶ亭 (浮見堂)、 それ と岸 を繋 ぐ欄千廊等 の遺構 が検 出 され、大 明宮 の構造解 明、 日 中古代庭 園の研 究 に姑 し貴重 な資料 を提供す ることに なった。 この調査 には 日方研 究者が合 わせ て7名参加 し、現地で は共 同記者発表 で、 日本で は招聘 の機会 を
つ
利用 し中方研 究者 に公 開講演会の場 で発掘調査成果 を 発表頂いた。秋 には安家瑶枡 究員 を始 め とす る研究者 5名を招聘。研 究会 を開催 し、関連遺跡 や遺物 を視察 す るな どして共 同研 究 をお こなった。 また、太液池 出 土遺物 を借用 し、飛鳥資料館主催 の「東 アジアの古代 苑池」展 に出陳、 あわせ て これ までの共 同研究成果 を 公 開 した。発掘終了後 には、誤方発掘調査報告書作 成 の作業 に執 りかか り、 日方 は冬 には研 究者4名を派遣 し、 出土遺物 の調査 をお こなった。太液池の共 同発掘 調査 の終結 に ともない、双方 は次期共 同研 究 に関す る 協議 を重 ねた結果、共 同研 究 の継続 と発掘調査 の対象 遺跡 を北魏洛陽城 とす るこ とで合意 し、 国家文物 局 に 申請 した。現在許可待 ちの状 況であ るが、
3月
には研 究員2名が調査予定地 を視祭 し、調査計画 につ いて中 方 と協議 をお こなった。●遠寧省文物考古研究所 との共同研究
2002年 度か ら4カ年計画で は じまった「
3‑6世
紀 日中古代遺跡 出土遺物 の比較研 究」 は、三燕時期 の主 要 な墳墓 ご とに、 出土遺物 につ いて比較研 究 をお こなっことに している。
2005年 度 には春 に4名、秋 には研究員2名を招聘 し、
関連遺跡 。遺物 の共 同調査 を実施 し、招聘者 には研 究 発表 をお願 い した。夏 には研 究員6名を派遣 し、三燕 遺物 の観察・ 実測 ・写真撮影 をお こな うとともに、遼 西地域 の三燕文化 の遺跡 を視察 した。 当共 同研 究 も本 年が最終年度であ り、年度 当初か ら日中両 国の各研究 者が論文の執筆 にあた り、
3月
には一冊 に まとめ共 同 研究成果報告 として刊 行 した。双方協議 の結果、共 同 研 究 を継続す る事 で合意 に到 り、3月
には所長 と研 究 員1名が溶 陽 に赴 き新共 同研 究の協約書 の調 印 をお こ なった。次期 共 同研 究 の新課 題 は、「朝 陽地 区隋唐墓 出土遺物 の研究」 であ る。●河南省文修考古研究所 との共同研究
2000年 度か ら5カ年計画で実施 してい る事業 で、撃 義市大・小黄冶、 白河村 に所在す る唐三彩 窯跡及 びそ の生産品に関す る共 同研究 である。
6月 1日、新 共 同研 究 に関す る協 約書 を交換 調 印。
春 と秋 に2回、河南省文物考古研 究所が主導す る白河 窯の発掘調査 に研 究員 を合 わせ て5名派遣 した。発掘 調査 で は、 白姿窯1基、工房跡 1箇所 、失敗 品 を捨 て
た土坑 な どを検 出。完形 に復 され る器物 は500点 を超 え、 白盗 の外 に黒釉姿 。青盗・三彩 の発見 もあ り、 白 河地 区で も三彩が生産 されていた事が初 めて明 らか に なった。秋 には研 究者5名を招聘 し、 関連遺物・遺跡 の共 同研 究 をお こなった。3月には、研 究者3名を派 遣 し、次年度の共 同研 究計画 を協議 策定 し、合 わせ て 白河村 でお こなわれてい る窯跡 の発掘調査現場 を視察 した。 また、2002年 ・2003年 の発掘 成果 を盛 り込 んだ 図録 『黄 冶唐 三彩 窯 の考古新発 見』(日本語 版
)を
刊 行 した。●韓国国立文化財研究所 との共同研究
韓 回 国立 文化 財研 究 所 とは、 日本 の都 城 並 び に百 済 。新羅王京 の形成 と発展過程 に関す る共 同研 究 と生 産遺跡 ・遺物 に関す る共 同研 究 を実施 してい る。 この 他、毎年短期 で はあ るが、両研究所 は、様 々な分野の 研 究員 を相互 に派遣 し、学術 交流 を図 っている。本年 度 には、文化遺産研究部歴 史研 究室 の吉 川聡 主任研 究 官 を派遣 した。
生産関係 の共 同研 究 につ いては、本年度 は瓦 を対象 とし、秋 に3名の研 究者 を派遣 し、古新羅時代 の製品 を調査 した。冬 には、
4名
の研 究員 を招聘 し、生産遺 物 の共 同研 究 をお こない、都城遺跡 関連遺跡 の視察 を お こなった。また、韓方研究員の方 々に講師 を依頼 し、公開研 究発表会 を開催 し、責仁鏑氏 には新羅王京の条 坊 に関す る研 究成果 を披露 いただいた。一方、 日方 も 3名の研 究者が訪韓 し、新羅・百済の都城 関連遺跡発 掘調査現場 を視察 し、合 わせ て出土遺物 の調査 を実施
した。
これ までの韓 国国立文化財研究所 との学術交流 と共 同研 究 は、独立行政法 人 になる以前 の1999年 に締結 し た姉妹友好共 同研 究協約書 に基づ いてお こなわれて き た。次年 度か ら始 まる次期5カ年 の中期計画の策定 に 当た り、従前 の各事業 の見直 しがお こなわれ、効率 的 で効果 のあ る学術交流 をめ ざす ことになった。相手方 と共 同研 究 のあ り方 に関す る協議 を重 ねた結果、合意 に到 り、12月20日、 日本 にお いて韓 国国立文化財研 究 所 と独 立行政法人文化財研 究所 との間で「共 同研 究交 流協約書」が、奈良文化財研究所 との間で「共 同研究 合意書」 が取 り交 わ された。
0西アジア文化遺産保存修復 のための緊急協力事業 アフガニス タン、 イラクを対象 とす る文化遺産保護 緊急協力事業 であ り、東京文化財研 究所 と共 同で実施 してい る。 アフガニス タ ンに対 しては、世界遺産バー ミヤ ン仏教遺跡群 の保存修復協力 と現地人ス タッフの 養成のための研 修事業 を実施 してい る。2005年 度の研 修事業 は 日本 と現地の両方 で実施 し、 日本 で は招聘 し た4名の研究者 に対 し、発掘調査法 と遺物 の整理・実 測法 に関す る研 修、遺物 の保存修復 に関す る研修、建 造物保存4笏復 に関す る研 修 を実習形式 でお こなった。
バ ー ミヤ ン遺跡 の保護事業 は、遺跡の範囲確認 に重点 を置 き、本年度 も遺構 の広が りを把握す るため に仏巌 の前面 に広が る平地部分 を対象 に非破壊地下探査 (レ
ー ダー探査法・電気探査法
)を
お こなった。 また一部 探査 結果の検証 を兼ね試掘調査 も実施 し、新 た に塔 の 基壇 を発見 した。現地での研修 は、バ ー ミヤ ンに各地 の研 究者 を招聘 し、発掘調査 と出土遺物 の保存 に関す る研4易を実習形式 で施 した。イラクに対す る緊急援助事業 は渡航 が困難 な状 況 た め、 もっぱ ら現地 人ス タ ッフを 日本 に招聘 して実施 し てお り、本年度 もイラク国立博物館 の担 当者2名に対
して保存4笏復科学 に関す る研修 をお こなった。
●異なる環境条件下 における不動産文化財 の発掘技術 及 び保存 に関する調査研究
当研 究 は、 カ ンボ ジアの遺跡、遺物 を対象 に実施 し てい る。 ア ンコール文化遺産保護 に関す る研 究協力 は 1993年 か ら開始 し、 これ まで に3年を1フェイズ とす る3回 9年間にわたる事業 をお こなって きた。 これ ま で に延べ35名の研 究員交流 をお こな うとともに、上智 大学 国際調査 団 と共 同でバ ンテアイ=クデ イ遺跡や タ ニ窯跡群の調査研究 をお こなって きた。2002年 度か ら は4カ年計画で ア ンコー ル・ トム内 にあ る西 トップ寺 院跡 を対象 とした新 たな共 同研 究事業 を立 ち上 げ、発 掘調査、遺跡探査、広域遺跡整備 な どの諸研 究 を、現 地 の
APSARA(ア
ンコー ル地 区遺跡 整備 開発機構)と共 同で実施 してい る。
西 トップ寺 院 は、バ イ ヨ ンの西約500mに位 置す る 小型 の石造寺 院遺跡 であ る。 同寺 院か らは9世紀 の碑 文が発見 されてい る ものの、現存す る ものは建築形式 な どよ り10世紀 に建立 された もの と考 え られ、それ以 後13世紀 か ら17世紀 にか けて仏教寺 院 として再興 され
た と推 定 されてい る。 この共 同研究では西 トップ寺院 の変遷 を明 らかにす るに とどまらず、 ア ンコール王朝 崩壊後 の中世 の仏教寺 院 としての姿 を明 らか に し、 こ の地 の中世史 をよ リー層、豊かな ものにす ることをめ ざ してい る。 また発掘現場 を共 同研 究 の場 とす ること に よって、 よ り実効性 のあ る人材育成 を進めることが 可能 になる と考 えている。
西 トップ寺 院での共 同研 究 開始 に当た り、2002年12 月6日に現地 において
APSARA(ア
ンコー ル地 区 遺跡整備 開発機構)と
の覚書調 印式 をお こない、翌7日に現場 で調査 の鍬入れ式 を執 りお こなった。 当年度 は これ に加 えて、先立つ8月には、西 トップ寺 院調査 の第1回目調査 として、平板 に よる地形測量 を実施 し た。2003年 度か らは前面 のテ ラス部分の発掘調査 を進 め、 テ ラスの構 築 時期 や鎮壇 の様子 を明 らか に した。
本年 度 もテ ラスの建築構 造 を明 らか にす るために引 き 続 き調査 を実施す る とともに、あわせ て結界石施設の 構造解 明 を 目的 とした発掘調査 もお こなった。2004年 度か らは、遺跡 の保存 のための保存科学 的 な調査 も開 始 しているが、本年度 は誘電率測 定法 に よ り石造建築 物周 囲の上壌水分量 とその分布 を、 自然電位法 に よ り 地下水流 の方向 を調査 した。 また、例年通 り若手研 究 者3名を招聘 し、保存科学 に関す る研修 を実施 した。
34
海外か らの主要訪間者一覧 海外からの招聘者一覧
ODatuk WVira Hj Aahmad Rusli」 Oharie (マラカ州長官兼保存修復管理委員会委員長) 他19名/マレーシア/'054,6
●Keaneth Watt(ウ エス ト デ イー ン単科大 学陶磁器4歩復科学生)他4名/イ ギ リス
/
'05,4.19
●何 銃え・安F日臥 (中国社会科学院考古研 究所)/中華人民共和国/'05,920
●京都大学東南 アジア研究所
柴 山守教授 招聘団一行/ベ トナム/'05104
0金 奉建・金 容民 (国立文化財研究所)他
3名/大韓民国/'05,1219〜12.21
●Bobomunoev Bobomuno Saibmurldovichi
(タ ジク・スラヴ大学生)他2名/タ ジキス タン/'06111
●姜 恵元 (韓国伝統文化大学伝統美術工芸 学科学生)他5名/大韓民国/'06117
●劉 暁南 (上海市文化広播影視管理局社文 処副処長)他13名/中 華人民共和国/'Oal 18 0襄 棄宜 (国立文化財研究所建造物研究室 長)他3名/大韓民国/ン
,0626〜27
●鄭 光龍 (韓国伝統文化大学教授)//大韓 民国/'062.1〜 210
0王 大民 (国家文物 局教育虎長)他6名/
中学人民共和国/‐06323
●辛 龍飛 (国立慶州博物館
)/大
韓民国/
'063.28´‑4.27
●李 新全 (遼寧省文物考古研究所
副所長 副研究員
)/中
華人民共和 国 /'05.531〜611
●穆 眉文 (遼寧省文物考古研究所
撮影技
師 館員)′
′中華人民共和国/'055,31〜6.H
●王 瑛 (遼寧省文物考古研究所
研究室副 主任
副研究員)′/中華人民共和国/'05 531‑6.11
●隋 博 (遼寧省文物考古研究所
資料室副 主任
副研究員)/中華人民共和国′イ'05 5,31‑611
●白 雪松 (中国社会科学院考古研究所
助 理研究員)イ中華人民共和国 /'0510,12〜
1024
●張 春雨 (遼寧省文化庁
副庁長)′′中華
人民共和国ァ′'051015〜 1026
●王 品辰 (遼寧省文物考古研究所
所長) 中学人民共和国′'05.1015〜1026
●
k志
清 (河南省文物考古研究所 言硼帳) 中華人民共和国/'051017〜 1027●郭 向亭 (河南省文物考古研究所
科長)イ
中華人民共和国//'051017〜10.27
●幸 革 (河南省文物考古研究所
冨↓研究員
)/
中華人民共和国/'051017〜 1027
●姜 涛 (河南省文物考古研究所
研究員)//
中華人民共和国/'0510.17〜1027
●
k永
俊 (河南省文物管理局公務員
)/
中学人民共和国′/'05,1017〜1027
●昧 良停 (中国社会科学院考古研究所
副 主任
研究員)ィ 中華人民共和国/'05.10 20〜1024
●博 雨堂 (中国社会科学院考古研究所
副 処長)ァイ中華人民共和国イ'051020〜 1024
●季 進瑛 (中国社会科学院考古研究所
館 員)/中学人民共和国/'05,1020〜 1024
●棄 国張 (中国社会科学院考古研究所
副
研 究 員
)/中
華 人民 共和 国/'05,111〜1120
●紳 建 (中国社会科学院考古研究所 館員)′/
中華人民共和国/'05111〜11.20
0安 家瑶 (中国社会科学院考古研究所
研 究員)/中学人民共和国′/'05■ 14〜11.20
●王 吉杯 (中国社会科学院考古研究所
研 究員
)/中
華人民共和国/'05,H.14〜 1120●石 自社 (中国社会科学院考古研究所
助 理研究員)/中華人民共和国/'05.11,14〜
1120
●何 歳利(中国社会科学院考古研究所
助 理研究員)イ′
中華 人民共和 国 ′ツ'051210〜
1214
●張 玉亭 (中国文物交流中心
副処長)´
中華人民共和国′/‐051210〜 1214 0金 有植 (国立慶州博物館 学藝研究官
)/
ジ(車阜
'ミ
E∃ /´'06220‑224
0Srey Barang(王立芸術大学卒業生
)/
カンボジア/'06221〜310
●Pen Kesornicole(王立芸術大学卒業生
)/
カンボジア /'062.21〜3.10
●Chheang Sreyneang(王立芸術大学卒業 生)/′カ ンボ ジアン/′'06221〜 310
0テ 畑元 (国立慶州文化財研究所 室長)
大韓民 国′ '062.22‑33
●田 庸異 (国立扶餘文化財研究所
学芸研 究士)/フ大韓民国 /'06222〜33
●韓 松伊(日立扶餘文化財研究所 研究員
)/
ジ〔車阜│ミ巨罫 ′'06222‑3.3
●権 海五(国立慶州文化財研究所 研究員)イ
ジ〔市ユFttE目 '06222´‑37
●黄 仁錦(日立文化財研究所 学芸研究士
)/
大韓民国 '062.22〜37
●Ea Darith(ア プサ ラ主任研究員)・カ ンボジア/'0636〜315
●Lam Sopheak(共同研究事業現地整理担 当者)/′カンボジア/′'06.36〜31
●Loeung Ravattey(共同研究事業現地整 理担当者
)
カンボジア/イ'06.36〜31●Sok Keo Sovannara(共同研究事業現地 整理担 当者)′/カ ンボジア/'0636〜31
●劉 俊喜 (大同市考古研究所)/中華人民
■とオロ[目 /'06.37‑315
0何 不可群 (中国社会科学院考古研究所)′
中華人民共和国/'063.8〜314