• 検索結果がありません。

指示詞が指し示す範疇について : 現代韓国語と日 本語の対照を中心に

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "指示詞が指し示す範疇について : 現代韓国語と日 本語の対照を中心に"

Copied!
23
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

指示詞が指し示す範疇について : 現代韓国語と日 本語の対照を中心に

著者 金 善美, ? ??

雑誌名 言語文化

巻 9

号 4

ページ 613‑634

発行年 2007‑03‑10

権利 同志社大学言語文化学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011079

(2)

指示詞が指し示す範疇について

―現代韓国語と日本語の対照を中心に―

金   善 美

1. 問題提起

韓国語と日本語の指示詞の主な用法は、指示対象が話し手と聞き手の会話 が行われている現場に存在するか、会話の先行文脈や共通知識などの情報か らその手がかりを探せるかによって現場指示・文脈指示・観念指示などに分 類できる。

この一般的な指示詞の用法の分類とは別に、張京姫(1989)とSuh,  Cheong- Soo(1996)はそれぞれ、「範疇指示」「部類指示機能」という概念を設定して いる。この概念について張京姫(1989)は、「範疇指示とは現場に存在する事 物の範疇を指示する場合や、現場に存在している事物と同一の範疇に属する が別個の対象を指示する場合に使われる」と説明し、一般的な指示用法とは 異なるものだとしている。

日本語では金水(1986b)が、「この」と「こんな」が名詞を修飾する際に 眼前の指示対象のクラスや属性を指示する用法について論じている。

このように指示対象のクラスや範疇を指示する範疇解釈は、従来の研究で 言われている現場指示と文脈指示、観念指示のいずれの用法においても現わ れる可能性がある。

本研究では、この中でも特に現場指示を中心に、いわゆる「範疇指示」と いう概念の設定の有効性について韓国語と日本語の用例の比較を通じて検証 する。また、比較の過程で明らかになった韓国語と日本語の違いについても 指摘する。

『言語文化』9-4:613−634ページ 2007.

同志社大学言語文化学会©金 善美

(3)

〈表1〉韓日指示詞の形態的分類

日本語と韓国語の指示詞は、それぞれ三つの語根「コ・ソ・ア」と「i, ku,  ce」が対立する体系をなす。語根からは異なる含みを持つ単語が派生さ れ、品詞からは〈表1〉4のように分類される。派生される単語の中で韓国語 に特徴的な指示形容詞、指示動詞は、範疇表現を構成する重要な形式となる。

指示形容詞が指示するのはある事物の状態であり、指示動詞が指示するのは ある動作やイベントである。

以下、本稿の中で主に論じることになる「範疇指示」と範疇解釈、範疇表 現についてそれぞれの概念をまず整理しておきたい。

*本稿における用語の整理*

①「範疇指示」:張京姫(1989)の用語。範疇指示とは現場に存在する事 物の範疇を指示する場合や、現場に存在している事物と 同一の範疇に属するが別個の対象を指示する場合に使わ れるもの。次の②と③を合わせた概念になっている。

② 範疇解釈:指示対象のクラスや範疇を指示するもの。

<この+X>などの形式を取る。

③ 範疇表現:指示対象の属性を表現するもの。

<こんな+X>などの形式を取る。

i-kes・ku- kes・ce-kes「これ・それ・

あれ」1/ yeki・keki・ceki「ここ・そ

こ・あそこ」/ i-ccok・ku-ccok・ce-ccok

=ili・kuli・celi「こっち・そっち・あ っち」

これ・それ・あれ/

ここ・そこ・あそこ/

こちら・そちら・あちら 名詞(もの/

場所/

方角)

i・ku・ce「この・その・あの」

この・その・あの/

こんな・そんな・あんな 連体詞(指

定/性状)

ili・kuli・celi「このように・そのよう に・あのように」

こう・そう・ああ 副詞(様子)

ileh-ta・kuleh-ta・celeh-ta「こうだ・そ うだ・ああだ」

形容詞

ile-ta・kule-ta・cele-ta「こうする・そ うする・ああする」

動詞 *2

こんなだ・そんなだ・あんなだ

形容動詞3

韓国語(近・中・遠称)

日本語(近・中・遠称)

(4)

2. 範疇解釈と範疇表現の現れ方:

<指示的連体修飾語+名詞>の場合

「範疇指示」という概念を初めて提案した張京姫(1989)の問題点は、範疇 解釈が可能な事例と範疇表現そのものである事例とを区別せず、これら全て の事例を「範疇指示」だと看做している点である。以下、指示詞の範疇解釈 と範疇表現を<指示的連体修飾語+名詞>の形の中で観察してみよう。

まず、範疇表現でない指示詞i  (この)が範疇解釈を持ちうる事を示す。次 の例を見られたい。

(1) (テーブルの上に置いてある、半分しか残っていないリンゴを指しながら)

i sakwa nwuka mek-ess-e?

この リンゴ 誰が 食べる-過去-疑問

「このリンゴ、誰が食べた?」

(2) (市場で買い物の途中で売り物のリンゴを指しながら)

i sakwa mek-un cek iss-e?

この リンゴ 食べる-連体修飾 ある-疑問

「このリンゴ、食べたことある?」

例(1)と(2)でまず「i  (この)」が使われた場合をそれぞれの例で比較してみる と、例(1)は現場に存在するリンゴを指示対象とする一般的な対象指示であ るのに対し、例(2)は範疇解釈が可能である。例(2)で「i  (この)」の指してい るのが現場のリンゴであるという点では現場指示用法であるが、自然な解釈 では聞き手が食べたリンゴは目の前にあるリンゴではない。同じ種類の、過 去に存在した別のリンゴである。つまり例(2)は目の前にあるリンゴが属す る範疇を指している。これが張京姫(1989)では「範疇指示」と呼ばれるもの であり、本稿における範疇解釈である。

一方、例(3)と(4)のように「i (この)」ではなく「ilen (こんな)」が使われた 場合も張京姫(1989)では「範疇指示」という言葉で説明している。

(5)

(3) (テーブルの上に置いてある、半分しか残っていないリンゴを指しながら)

?ilen sakwa nwuka mek-ess-e? 

こんな リンゴ 誰が 食べる-過去-疑問 

「?こんなリンゴ、誰が食べた?」

(4) (市場で買い物の途中で売り物のリンゴを指しながら)

ilen sakwa mek-un cek iss-e?

こんな リンゴ 食べる-連体修飾 ある-疑問

「こんなリンゴ、食べたことある?」

例(3)と(4)で「ilen  (こんな)」が使われた場合、対象指示と範疇解釈の対立は 見られない。「ilen  (こんな)」という言葉はそもそも範疇表現であるため、例 (3)と(4)ではリンゴの種類の解釈しか生じない。例(3)では「ilen  (こんな)」が 使われると一見不自然に見えるが、次のような解釈なら容認度が上がる。つ まり、「食べるに値しない種類」のリンゴについての抽象的なカテゴリーが 発話以前から話し手の頭の中に存在していて、目の前のリンゴがそういうリ ンゴの一つであるということを示す、話し手の評価のこもった発言であるな ら容認度は上がる(cf.  金善美(2004,  2006a,  2006c))。また、例(4)のように会話 の中で種類を問題とする場合は、範疇解釈の「i」より範疇表現の「ilen」が 一般的に選ばれる。例(1)から例(4)の日本語訳の通り、上記の例での韓国語 の用例の許容度は日本語の場合にもそのまま当てはまる。

日本語における金水(1986b)の説明では以下のような例が見つかる。

(5) a. この機械は使えない。

b. こんな機械は使えない。 (金水1986b)

金水の説明によると、例(5)でaの「この機械」は①眼前の機械を指している もので<存在化、定指示>を表す用法と、②眼前の機械と同じタイプの機械 を指しているもので<限定、総称>を表す用法があるとした。aの用法の特 徴はi) 眼前の対象それのみを指示することができる、ii) 機種、すなわち名詞

(6)

的な、タクソノミー的なクラスを問題にしている、としている。これは本稿 における範疇解釈に該当する。一方、bの「こんな機械」の場合は眼前の機 械と同じ属性を持った全ての機械を指しているもので<限定、総称>を表す 用法だと説明する。この用法は機種ではなく対象の属性を問題にしていると いう。これは本稿における範疇表現に該当する。

以上より、韓国語と日本語における範疇解釈と範疇表現について、次の (6)のようにまとめることができる。

(6) <指示的連体修飾語+名詞>で現われる範疇解釈と範疇表現 

・指示連体詞「i」、「この」類:対象指示(例(1))と範疇解釈(例(2))の対立が見 られる。

・指示詞の連体修飾形「ilen」、「こんな」類:範疇表現(例(3)(4))としてのみ 使われる。

3. 参照基準としての現場指示と範疇表現の優先順位における 韓国語と日本語の違い

3.1. 韓国語の指示形容詞の場合

韓国語では指示形容詞や指示動詞が範疇表現として使われ、日本語では連 体詞、副詞、形容動詞が使われる。

(7) A:  (演壇にある調子の悪いマイクを指しながら) maikhu-ka way celehci?

マイク-が どうして あんななの

「マイクがどうしてあんななの?」

B: (自分の目の前のテーブルに置いてある、調子の悪いマイクをとんと んと叩きながら) 

cey maikhu-to {celayyo / kulayyo/ ??ilayyo}.

私の マイク-も {あんなです/ そんなです/ こんなです}

私のマイクも{?あんなです/?そんなです/こんなです}5。」

(7)

例(7)で使われている形容詞celehci(あんななの),  celayyo(あんなです), kulayyo(そんなです),  ilayyo(こんなです)は全て、調子の悪いマイクの 属性を表わしている。つまり、調子の悪いマイクの状態からカテゴリー化を 行なう範疇表現だと考えることができる。

韓国語の指示的範疇表現が現場に存在する同一種類の様態を描写する際、

その指示の方法で日本語とは違いを見せる。上の例(7B)では、指示対象のマ イクが自分の目の前にあっても、韓国語では現場指示のilayyo(こんなです)

を使うのは不自然である。(7A)で言及されたマイクの状態が(7B)のマイクの 状態の参照基準になり、(7A)のce系指示詞をそのまま踏襲して使うのがもっ とも自然である。韓国語については張京姫(1989)も指摘しているが、種類を 示す指示形容詞が現場指示として使われた場合、韓国語では話し手の近くに ある指示対象だとしても最初に言及された指示対象を参照する指示形容詞を 選ぶ。一方、日本語では、最初に言及された指示対象と自分の近くにある指 示対象が同一種類だとしても、描写したい様態を示す指示対象を優先的に参 照する傾向がある。とりわけ描写対象が自分の近くにある場合は、近称のコ 系が好まれる。

3.2. 韓国語の指示動詞の場合

韓国語ではile-ta・kule-ta・cele-ta(こうする・そうする・ああする)の指 示動詞も範疇表現として使われる。

(8) A: i ay-nun way ile-ko issni?

この 子-は なぜ こうする-て している

「この子はなぜこういう風にしているの?」

B: i  ai man-i anieyyo. ce ay (swuni)-to {ile-ko /  kule-ko / *cele-ko}

この子 だけ-では ないのです あの 子(スニ)-も{こうする-て/そうする-て / ああする-て}

isscanhayo.

しているのです

「この子だけではないのです。あの子(スニ)も{こういう風に/そ

(8)

ういう風に/ああいう風に6}してるでしょ。」

(張京姫 1989:22, グロスと日本語訳は筆者)

例(8)では、範疇表現の参照基準になっている(8A)の子供は話し手の近くに いるので近称のi系を使っている。一方、(8B)の子供スニは話し手から離れ ている場所にいるが、その動きの種類は(8A)の子供と同様である。この時韓 国語では、スニが話し手から距離的に離れているからと言って遠称のce系を 使うよりは、最初に参照基準になった(8A)の子供を指示する近称のi系を使 うのがもっとも自然である。文脈指示で照応するku系も許容される。一方、

日本語の場合は優先的に選ばれる参照基準がはっきり決まっていない。

ここで、韓国語の参照基準の選択条件をより明確に規定する必要があるだ ろう。例(7)において張京姫(1989:22)は遠称のce系を使うのは許容されないと いう判断を示したが、筆者の判断ではスニの方を見続けながら言う場合なら 容認度の面で問題がない。次の例(9)と(10)を比べてみよう。

(9) (泣いている、自分の近くにいる子供(ヨンミ)を見つめながら) A:  i ay(yengmi)-nun way ile-ko issni?

この 子(ヨンミ)-は なぜ こうする-て している

「この子(ヨンミ)はなぜこういう風にしているの?」

B:  i ai man-i anieyyo. (離れた所にいるスニを見ながら)

この だけ-では ないのです

ce ay (swuni)-to {(ヨンミを見ながら)ile-ko /  kule-ko /

あの 子(スニ)-も {こうする-て / そうする-て/

(スニを見続けながら)?cele-ko} isscanhayo.

ああする-て} しているのです

「この子だけではないのです。(離れた所にいるスニを見ながら)

あの子(スニ)も{(ヨンミを見ながら)こういう風に/そういう風 に/(スニを見続けながら)ああいう風に}してるでしょ。}

例(9)では泣いている二人の子供、ヨンミとスニがいる。ここで二番目に登

(9)

場するスニについて言及するとき、例(9B)のように近くのヨンミの状態を参 照して言う場合はヨンミの方に向きなおって「ile-ko(こういう風にして)」 と言うほうが自然である。しかし、同じ状況で遠くのスニを見続けながら話 す場合は、「cele-ko(ああいう風に)」と言うほうが許容度が上がる。

同じ状況で、次の例(10B)のように「i ai man-i anieyyo. (この子だけではな いのです)」のような背景の説明なしにいきなりスニについて言及する場合 は、韓国語では「cele-ko(ああいう風に)」が指示する行動の種類がヨンミ の行動と同一種類であるかどうかの同定が難しくなり、範疇表現として使わ れた「cele-ko(ああいう風に)」の容認度が著しく下がる。

(10) A: i ay-nun way ile-ko issni?

この 子-は なぜ こうする-て している

「この子はなぜこういう風にしているの?」

B: ce ay (swuni)-to  {(近くのヨンミを見ながら)ile-ko /  kule-ko / 

あの 子(スニ)-も {こうする-て / そうする-て/

(遠くのスニを見続けながら) #cele-ko} isscanhayo.

ああする-て} しているのです

「あの子(スニ)も{(近くのヨンミを見ながら)こういう風に/そ ういう風に/(遠くのスニを見続けながら)ああいう風に}してるで しょ。」

例(10B)のような状況ならば張京姫(1989:22)の観察と同じく「cele-ko(ああ いう風に)」の容認度が著しく下がる。ここから見えてくるのは、例(10)で は状況の説明が無かった分、ひとつの文でi系とce系の二つの指示詞をいき なり交差させて使うことに無理がある、ということである。

もし例(10)と同じ場面で、(10B)の「cele-ko(ああいう風に)」が指示する スニの行動の種類がヨンミの行動とは別の種類のものである場合は「cele-ko

(ああいう風に)」の容認度は上がる。しかし、その場合は「cele-ko(ああい う風に)」がスニの行動とヨンミの行動を同じ範疇として扱う範疇表現とし ては機能しない場合が多く、ヨンミの行動とは異なるスニの行動を指示して

(10)

いる現場指示としてのみ機能するのである。

以上をまとめると次のようになる。

(11) 韓国語:二つの様態の類似性や同一性を表わす場合、先に言及された 指示対象を参照する範疇表現が、話し手からの人称・距離尺度を基 準とした現場指示に優先する。ただし、参照基準を補う背景の説明 がある場合はこの限りではない。

日本語:二つの様態の類似性や同一性を表わす場合、先に言及された 指示対象を参照する範疇表現よりは描写対象自体を現場指示によっ て指示する。

4. 範疇解釈と範疇表現の層位

4.1. 張京姫(1989)の説明

範疇解釈の「i」「この」類と範疇表現の「ilen」「こんな」類が修飾する名 詞の範疇には、ひとつの特徴がある。まず韓国語に限って言うならば、張京 姫(1989)は「i」と「ilen」が修飾する名詞の範疇について、「i」系は「形態 の同一性」によって範疇化を行うが、「ilen」系は「任意の属性」により範疇 化を行うとしている。

(12) wuli cip-eyto {i / ku / ce} namu-ka isse.

われわれ 家-にも この/その/あの 木-が ある

「我が家にも{この/その/あの}木がある。」

(張京姫1989:16, グロスと日本語訳は筆者)

(13)(レンガ造りの家を指差しながら)

wuli cip-to {*i cip/ pyektol-cip/ ilen cip} iya.

われわれ 家-も {この家/ レンガ-家/ このような家} である

「我が家も{??この家/レンガ造りの家/このような家}である。

(張京姫1989:17, グロスと日本語訳は筆者)

(11)

張京姫(1989)は例(12)と(13)を挙げ、次のように説明する。つまり、例(12)の ように「範疇指示」がうまく行われる木、リンゴ、本、薬、鉛筆などは形態 的な類似性が大きいため範疇化が容易である。したがって「i namu(この木)」 のような「範疇指示」でもって木の下位範疇である「白樺の木、紅葉の木、

松の木」などを表わすことができる。しかし、例(13)のように「範疇指示」

がうまく行われない家、人などは形態的な類似性というより属性の類似性に よってしか範疇化ができないと主張する。つまり、家は建築の材料や構造、

人は職業や間柄でしか範疇化が行われないので形態的な類似性は期待できな い。よって、例(13)で「i  cip  (この家)」のような「範疇指示」で以って家 の下位範疇である「レンガ造りの家、石造りの家、藁葺きの家、マンション」

などは言い表わせないと言うのである。

つまり、張京姫(1989)は<「i.  ku,  ce」+  名詞>の形で「範疇指示」が可能 な範疇は形態の統一性を持っていなければならないと主張する7。したがっ て、形態的な統一性や類似性がなく属性的な類似性しか持たない家や人は<

「i.  ku,  ce」+  名詞>の形ではなく<「ilen,  kulen,  celen」+  名詞>の形でしか

「範疇指示」が行われないとする。

しかしここで、家や人が<「i. ku, ce / この、その、あの」+ 名詞>の形で 範疇化表現を作ることが不可能ではないという事実を指摘しなければならな い。以下、この問題について詳しく論じる。

4.2. <「i / この」+ X >が指し示す範疇 4.2.1. <「i / この」+「人」>が指し示す範疇

まず、範疇解釈ではない、人を巡る範疇の例として次の二つの例を比べて みたい。

(14) (眼前の、看護師の制服を着た、自分の知らない人について言及する 場面)

kanhosa-ka nay-ka toy-ko siph-ess-ten cikep-iya.

看護師-が 私‐が なる-て たい-過去-回想 職業-である

「看護師が私がなりたかった職業なのよ。」

(12)

(15) (眼前の、看護師の制服を着た、自分の知り合いについて言及する場 面)

i kanhosa8-ka nay-ka toy-ko siph-ess-ten cikep-iya. 

この 看護師-が 私‐が なる-て たい-過去-回想 職業-である

「この看護師が私がなりたかった職業なのよ。」

例(14)における「kanhosa  /  看護師」とは、「看護師国家試験に合格し免許を 得て,医師の医療補助や傷病者の看護などを行う人」という定義9を満たす 属性を持った人であれば誰でも当てはまることから、眼前の看護師ばかりで はなく看護師という職を持ったグループ全員を指し示すことができる。また 人を、看護師の職を持った人のグループとそうでない人のグループで分ける ことができることから、看護師という職業でもって人を範疇化することも可 能である。また、例(15)の「i  kanhosa  /  この看護師」のように「i  /この」が 看護師を修飾する場合も、眼前の看護師を指している機能に加え、看護師の 職業一般を指すことが可能である。

しかし、これらの例は本稿で考察している範疇解釈ではない。本稿で論じ ているのは以下の(16)のような例である。

(16)(眼前の、空色の制服を着た看護師を見つめながら)

i  kanhosa-ka nay-ka toy-ko siph-ess-ten kanhosa -ya. 

この 看護師-が 私‐が なる-て たい-過去-回想 看護師-である

「この看護師が私がなりたかった看護師なのよ。」

例(16)では病院の中で働いている看護師に色々な種類がいて、それぞれの分 野によってピンク色、空色などによって色分けがされている制服を着ている としよう。その場合、看護師の下位分類として「ピンク色の制服を着た看護 師」、「空色の制服を着た看護師」などが考えられる。例(16)では「i kanhosa / この看護師」でもって看護師の下位範疇の「空色の制服を着た看護師」を指 し示すことが可能であり、これは本稿で言うところの範疇解釈だと言える。

(13)

また、このことから人の職業名を「i  /この」が修飾する際に範疇解釈が現わ れることが可能であることがわかる。

なお、例(15)と(16)で「i kanhosa / この看護師」のイントネーションに違い が認められる。例(15)ではiと kanhosaの間にポーズが入り、iを強く発音する。

それによって「この、看護師というものこそが、私がなりたかった職業なの です」のような意味を伝える。一方、例(16)ではiと kanhosaの間にポーズは 入らず、iを強く発音しない。

以上の考察から分かることは、<「i  /  この」+人を表す名詞全て>によ る範疇化が不可能なのではなく、人の下位範疇である職業名が「i  /  この」

の後に来る場合にはその職業の属性でもって範疇化が起こるということであ る。

しかし、以下の例(17)のように、看護師という職業の人をその上位範疇で ある「人」で表す場合は、例(15)と同じ意味を表すことはできない。

(17) (眼前の、看護師の制服を着た、自分の知り合いについて言及する場 面)

# i salam-i nay-ka toy-ko siph-ess-ten salam-iya. 

この 人-が 私‐が なる-て たい-過去-回想 人-である

「#この人が私がなりたかった人なのよ。」

つまり、職業や伯父・娘のような人間関係上の間柄などの範疇を表すため に<「i / この」+「salam /人」という形式を使うことはできない。

また例(17)の文は、次の例(18)のような場面では容認されるが、範疇解釈 にはならない。

(18)(自分が尊敬する、ある人物の自叙伝を指しながら)

i salam-i nay-ka ponpat-ko siph-un salam-iya.

この 人-が 私‐が 見習う-て たい-現在連体形 人-である

「この人が私が見習いたい人なのよ。」

(14)

また、自分が見習いたいと思う属性を所有した人物と、そのような属性を 満たしていない他の人たちとを区別し、人を範疇でもって区別したい場合に は、例(19)のように範疇表現を使って表現することができる。

(19)(自分が尊敬する、ある人物の自叙伝を指しながら)

ilen salam-i nay-ka ponpat-ko siph-un salam-iya.

こんな 人-が 私‐が 見習う-て たい-現在連体形 人-である

「こんな人が私が見習いたい人なのよ。」

例(19)において指示対象になっている、話者の見習いたい人物は自叙伝の中 の人物であってもいいが、必ずしもその人である必要はない。自叙伝の中の 人物が持っている、ある属性を共有した人全てがその指示対象になりうる。

上記の事実は金水(1986b)の前掲の例と比べてみても分かることである。

(20) (=例(5a)) この機械は使えない。 (金水1986b)

金水(1986b)の説明によると、例(20)はi)  眼前の対象それのみを指示すること ができる、ii)  機種、すなわち名詞的な、タクソノミー的なクラスを問題に している、という二つの解釈が可能である。それに比べ、例(17)の「i salam  /  この人」は眼前の指示対象しか指示できない上、人を「人種」とい うクラスで分類することもできない。「人」は看護師という職業や伯父とい う間柄でもって範疇化されるが、現場に存在する人間一人一人はそれぞれ異 なる個性と属性を持った多様な<固有性>があるため、それらの属性につい ての範疇化が起こりにくいのである。一方、例(20)の機械の場合、同じ機種 に属するものであれば同じ形態と性能を持った大量生産によるものであり、

機械一つ一つが固有性を持っているわけではない。だからこそ「この」によ って修飾された場合、名詞的な、タクソノミー的なクラスを表すことが可能 になる。

4.2.2. <「i / この」+場所名詞>の範疇化について

(15)

4.2.1節の分析から、「人」は機械と違って<固有性>を持っているもので あるということがわかった。この<固有性>も含めて「人」が持っている属 性を、仮に田窪(1984)の用語を借りて「人性」と呼ぶことにする。また「機 械」のようなものは、同じく田窪(1984)の用語を借りて「もの性」を持って いるものであるとしよう。この「人性」と「もの性」とが、次の<「i  /  こ の」+「家」>という表現で範疇化が可能な理由を説明してくれる。以下で はまず、田窪(1984)の場所名詞についての考察をまず簡単に紹介したい。

田窪(1984)は日本語において「場所性」が関与している環境として、①

「のところ」が付くか付かないか、②疑問詞「どこ」で聞ける(=答となり 得る)、③移動を表わす動詞のGoal,  Sourceに現われる、④場所の状況語句を 作る「NPで」のNPの位置に現われる、⑤存在を表す文において「位置」を 示す「NPに」のNPの位置に現われる、などの五つの環境を挙げている。そ してこれらの環境によって同定される「場所」名詞は、網羅的ではないにし ても、大きく分けて次の(21)のように4つに分類されるとしている。

(21) 場所名詞の分類:田窪(1984)

①「人」が関与している場所名詞 a.  地名:東京、大阪、玉野市…

b.  機関名:(固有名)玉野高校、京都大学、巨人軍、高島屋…

(普通名)大学、役所、学校、デパート、警察…

②「人」が関与していない場所名詞 a.  地名:若草山、大井川、野尻湖…

b. 自然物:山、川、湖…

c.  建造物(およびその一部):家、部屋、階段、二階、庭…

③ 身体名称など

胃、腸、肝臓、口、のど…

④ 相対名詞

後、前、左、右、上、下、東、西、南、北…

(21)で①と②を分けるもっとも大きな特徴は「人性」だと思われる。田窪も

(16)

指摘しているように、①の名詞は「人」が現われる環境の多くに現われるこ とができる。例えば、当事者能力を問題とする動作主の位置に生じることが 可能である。また、複数の「人」につく「で」によって動作主を表す用法と 同じような用法が①の名詞には可能である10

4.2.2.1. <「i / この」+「人」が関与している場所名詞>の範疇化

前節の(21)①の「人」が関与している場所名詞の場合、地名と機関名のど ちらの場合も<固有性>が高く、同時に「人性」を併せ持っている。よって 日本語と韓国語の場合、次のような文の容認度は低い。

(22) a.  * この学校はうちの近所にもあるよ。

b.  * i hakkyo-nun wuli-cip kunche-eto isse.

この 学校-は 我が-家 近所-にも あるよ

「この学校はうちの近所にもあるよ。」 (23) a.  * この大学はわが国にもあるよ。

b.  * i tayhak-un wulinala-eto isse.

この 大学-は わが国-にも あるよ

「この大学はわが国にもあるよ。」

例(22)と(23)において、学校や大学は人が関与しているものであり、その固 有性が高いため、同じ個体が同一の時間と場所の複数箇所に存在しえないこ とから非文になると思われる。

しかし、ここでも一つ注意しなければならない事実がある。「人」が関与 している場所名詞の中でも「デパート」のようなチェーン経営による店であ る場合には、固有性が無くなる。そこから以下のような文が自然になる。

(24) a. このデパートはうちの近所にもあるよ。

b. i paykhwacem-un wuli-cip kunche-eto isse.

この デパート-は 我が-家 近所-にも あるよ

「このデパートはうちの近所にもあるよ。」

(17)

例(24)からもわかるように、「人」が関与している場所名詞の中でもチェー ン経営による企業等は「チェーン経営」という属性ゆえに「i  /  この」によ る範疇化が可能となる。また例(22)の「この学校」と例(23)の「この大学」

においても、複数の地域や国においてチェーン経営している学校については

「i  /  この」による範疇化が可能となる。そのためそのような学校や大学が指 示対象になる場合は例(22)と例(23)は非文にならない11。

4.2.2.2. <「i / この」+「人」が関与していない場所名詞>の範疇化

一方、前節の(21)②の「人」が関与していない場所名詞の場合、その設備 のタイプや性能を問題とする次のような文では「i  /  この」による修飾でも って範疇化を行うことが可能である。

(25) (住宅博覧会で展示された家を見回っていて、建設中の自分の家と同じ 形を見つけてその家を指しながら)

i cip-i wuli cip-iya.

この 家-が 我が 家-である

「この家がうちの家だ。」

例(25)は「i  cip  (この家)」の範疇解釈が可能な例である。ここでは目の前の 家が自分の家と属性(設備や内部構造など)を共有していて、その属性で以 って家の範疇化が行われている。この例は、張京姫(1989)の「「cip  (家)」は

「範疇指示」が行われない」とする主張への反例になる。張によると「cip (家)」は形態的な類似性が少ないので範疇化が起こりにくいとしたが、例 (25)からも分かるように<「i」「この」系+名詞>が範疇化を起こす際に問 題になるのは形態的な類似性に加え範疇化を行う上での「属性」も考慮され るのである。

またこの例は、張京姫(1989)で容認不可となっている次の例(26)(=例(13)) のような表現が、住宅博での発言である場合など文脈によっては十分に容認 可能であることを示している。

(18)

(26) (=例(13))(レンガ造りの家を指差しながら)

wuli cip-to {*i cip/ pyektol-cip/ ilen cip} iya.

われわれ 家-も {この家/ レンガ-家/ このような家} である

「我が家も{??この家/レンガ造りの家/このような家}である。

(張京姫1989:17,  グロスと日本語訳は筆者。 *i  cipは張京姫の容認度の判断 である。)

以上の考察により、一般に範疇化が起こりやすい条件としてはまず形態的 な類似性が考えられるが、例(25)のように範疇化が起こりにくいとされた

「家」などの名詞でもその外見上の類似性とともに家の設備や内部構造など、

その属性もが問題となる場合は、その属性でもって範疇化を図ることも可能 であることがわかった。また、家のように「人性」が低い事物の場合は固有 性も低く、その属性により複数の指示対象を範疇化することも可能である。

したがって<「i」「この」+名詞>による範疇化も容易に起きる。

では、例(25)における家のようにその設備や内部構造などによって属性を 付与することができる上、「人性」も高いと思われる「コンビニ」1 2の場 合、<「i」「この」+名詞>による範疇化は可能なのであろうか。例(27)の 中でコンビニは、金水の言うところのタクソノミー解釈が可能である。

(27) a. (偶然立ち寄ったコンビニの中で)

このコンビニは陳列のセンスがいい。

b.(偶然立ち寄ったコンビニの中で)

i phyenicem-un cinyel seynswu-ka coha.

この コンビニ-は 陳列 センス-が いい

「このコンビニは陳列のセンスがいい。」

例(27)も問題なく成立することから、人がかかわる場所名詞は、系列店とし ての性格など一定の属性を問題とする場合には<「i  /  この」+場所名詞>

による範疇化が可能であることがわかる。

(19)

4.3. <「ilen/ こんな」+ X >の範疇化

<「i  /  この」+X>による範疇化と違い、それ自体がそもそも範疇表現で ある<「ilen/ こんな」+ X >による範疇化では、Xの位置に入る名詞の種類 に制約がない。その名詞が家や人の場合であっても、自然な形で範疇化が行 われる。

(28)(レンガ造りの家を指差しながら)

wuli cip-to ilen cip iya.

われわれ 家-も このような 家 である

「我が家もこのような家である。」

(張京姫1989:17の例を修正, グロスと日本語訳は筆者)

(29) (=例(19)) (自分が尊敬する、ある人物の自叙伝を指しながら)

ilen salam-i nay-ka ponpat-ko siph-un salam-iya.

こんな 人-が 私‐が 見習う-て たい-現在連体形 人-である

「こんな人が私が見習いたい人なのよ。」

5. まとめ

本研究では、現代韓国語と日本語の指示詞の現場指示を中心に、いわゆる

「範疇指示」という概念の設定の有効性について検証した。その結果、張京 姫(1989)の「範疇指示」は次の2点で整理できることを示した。1)  現場に存 在する特定の指示対象が指示詞によって修飾されている場合は、一般的な

「対象指示」(現場の指示対象を指し示すこと)と「範疇解釈」の対立がうか がえる。2)  韓国語において指示形容詞と指示動詞が事物の属性や動作を指 示する場合は1)のような対立が生起せず、そもそも「範疇表現」としてしか 機能しない。

また、韓国語と日本語では二つの様態の類似性や同一性を表わす際、韓国 語は先に言及された範疇表現が描写対象の現場指示に優先する場合が多い反 面、日本語は同じ場面で描写対象の現場指示を優先する、という点も明らか

(20)

にした。

最後に、範疇解釈と範疇表現の層位という問題では、<「i  /  この」+ X

>の範疇解釈ではXが人や場所名詞を表す場合、それぞれ出現条件に制約が あった。まず人の場合、人の下位範疇である職業名がXの位置に来ることは 可能だが、「人」という名詞自体がXの位置に現われることはできない。次 に場所名詞の場合、その場所名詞が文の中で「人」が現われる環境の多くに 現われる、人が関与しているいわゆる「人性」が高い場合はXの位置に現わ れにくい。一方、家のように文の中で「人」が現われる環境に生じにくい、

いわゆる「もの性」が高い名詞はXの位置に現われる上で制約が少ない。そ の場合、特に物としての属性が問題になる場合が多いということを示した。

*本稿は2006年6月18日に東京大学で開催された「日本言語学会第132回大会」に おける口頭発表の内容に加筆・修正を行ったものである。大会当日、本研究内容 について貴重な御意見を述べてくださった先生方に心から感謝いたします。

1 「」の中は日本語訳である。

2 *は存在しないことを示す。韓国語のile-ta・kule-ta・cele-taに意味的に対応する 日本語の「こうする・そうする・ああする」をここで動詞に含めなかった理由は、

これらは「こう」と「する」の2語からなる形式として考えるためである。

3 例えば「こんなだ」は「こんなに」という連用形を持っていることから形容動 詞と言える。しかし「こんなな」という連体形を持たない等、一部の活用形を欠 く。

4 <表1>は、崔鉉培(1955)と佐久間鼎(1951)の指示詞の分類表を参考に、指示詞 の形態から品詞分類したものである。

5  例(7B)でインフォーマントによっては{あんなです/?そんなです/?こんなです}

という判断を示す人もいた。しかし多くのインフォーマントの場合、日本語で目 の前に指示対象がいる場合はその指示対象をどうしても参照してしまうし、もし

「あんなです」と指す場合は眼前の自分のマイクは存在しないかのように無視し ている感覚を受けると答えた。また同じ例(7B)の韓国語の例における容認度の判 断では、(7A)で言及されたマイクの状態が(7B)のマイクの状態の参照基準になっ ていることから、(7A)のce系指示詞をそのまま踏襲して使うのは不自然ではなく、

むしろもっとも自然である。この見解は張京姫(1989)と立場を同じくするもので

(21)

ある。

6 インフォーマントによっては「あの子(スニ)も{こういう風に/そういう風に /?ああいう風に}」という判断を示す人もいた。しかし多くのインフォーマント の場合は「ああいう風に」の容認度に問題がないと答えた。

7 一方、張京姫(1989)は、「ilen」系と結合した名詞は、現場にある指示対象を包括 する、より抽象的な範疇まで表わすことができると指摘している。例えば、木を 指しながら「ilen  kes  (こんなもの)」と表現した場合は目の前にある木を含めた植 物、もしくは家を飾る物の範疇まで言い表すことができると言う(張京姫, 1989:20)。

8 例(15)と(16)で「i  kanhosa  /  この看護師」が使えるのは複数のインフォーマント から確認できたことであるが、同じ場面で「ilen  kanhosa  /  こんな看護師」を使う ことも自然である。4.3節でも述べているように<「i  /  この」+X>による範疇化 と違い、それ自体がそもそも範疇表現である<「ilen/ こんな」+ X >による範疇 化では、Xの位置に入る名詞の種類に制約がないからである。

9 三省堂「大辞林 第二版」(1999) からの引用。

10 「人性」の例として田窪は以下のような例を挙げている。当事者能力を問題と する動作主の位置に来ることができるのが以下の例(1)であり、複数の「人」につ く「で」が動作主を表すことのできるのと同じような用法が存在するのが例(2)で ある。

(1) 京都大学に依頼してこの報告書を作成してもらった。(田窪1984)

(2) うちの研究室でこれをやります。(田窪 1984)

11 例(22)と例(23)の「この学校」や「この大学」において「チェーン経営」してい る場合は非文にならないとの指摘は匿名の査読者からいただいた。記して感謝の 意を表したい。

12 コンビニの場合、「コンビニに依頼して小包を送ってもらった。」のような文を 作ることができるが、これは田窪(1984)が設定した、次のような「人性」の二つ の条件を満たしているからだと思われる。①コンビニが「人」が現われる環境の 多くに現われることができる。②当事者能力を問題とする動作主の位置に来るこ とができる。

【参考文献】

張京姫 (1989)「cisisa ‘i, ku, ce’ ui pemcwu cisi(指示詞‘i, ku, ce’の範疇指示)」『人文 論叢』17:5-28. 漢陽大学.

崔鉉培 (1955)『wuli-mal-pon』(我が語法). Seoul: cengum-munhwa社.

金水敏 (1986a)  「名詞の指示について」『築島裕博士還暦記念国語学論集』pp.467-

(22)

G

G

G 490. 明治書院.

金水敏 (1986b)  「連体修飾成分の機能」『松村明教授古希記念国語研究論集』

pp.602-624. 明治書院.

金善美 (2004)『韓国語と日本語の指示詞の直示用法と非直示用法』. 博士論文. 京都 大学大学院.

金善美 (2006a)「コ・ソ・アとi・ku・ceの感情的直示用法と間投詞的用法について」

『言語文化』第8巻第4号pp.761-790. 同志社大学言語文化学会.

金善美 (2006b)「韓国語と日本語の指示詞における範疇解釈について」『日本言語学 会第132回大会予稿集』pp.249-254. 日本言語学会.

金善美 (2006c)『韓国語と日本語の指示詞の直示用法と非直示用法』. 風間書房. 

佐久間鼎 (1951)『現代日本語の表現と語法』(改訂版). 東京: 厚生閣.(1983 くろし お出版より復刊.)

松村明 編 (1999)「大辞林 第二版」. 三省堂.

Suh, Cheong-Soo (1996) 『kwuke munpep (国語文法)』. 漢陽大学出版院. 

田窪行則 (1984)  「現代日本語の場所を表す名詞句について」『日本語・日本文化』

12号. 大阪外国語大学研究留学生別科.

(23)

G G

G

G G G

G

G G

参照

関連したドキュメント

従って、こ こでは「嬉 しい」と「 楽しい」の 間にも差が あると考え られる。こ のような差 は語を区別 するために 決しておざ

この 文書 はコンピューターによって 英語 から 自動的 に 翻訳 されているため、 言語 が 不明瞭 になる 可能性 があります。.. このドキュメントは、 元 のドキュメントに 比 べて

 彼の語る所によると,この商会に入社する時,経歴

スキルに国境がないIT系の職種にお いては、英語力のある人材とない人 材の差が大きいので、一定レベル以

つまり、p 型の語が p 型の語を修飾するという関係になっている。しかし、p 型の語同士の Merge

では,訪問看護認定看護師が在宅ケアの推進・質の高い看護の実践に対して,どのような活動

は,医師による生命に対する犯罪が問題である。医師の職責から派生する このような関係は,それ自体としては

下山にはいり、ABさんの名案でロープでつ ながれた子供たちには笑ってしまいました。つ