著者 長谷川 伸
出版者 法政大学史学会
雑誌名 法政史学
巻 52
ページ 74‑81
発行年 1999‑09‑30
URL http://doi.org/10.15002/00011370
歴史の研究における「文化財」は、文化財が持っている歴史の資料としての属性を、どう利用するのか、どう一般にわかりやすく伝えるのかが課題となる。そのために、我々歴史研究や文化財行政に携わる者は、「文化財」そのものを研究する方法と、歴史研究の素材として「文化財」を利用して、背景にある歴史を研究する方法を取って、課題にアプローチすることが多い。こうした研究対象となる「文化財」の多くは、文化財保護法第二条で「建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書その他の有形の文化的所産でわが国にとって歴史上又は芸術上価値の高いもの(これらのものと一体をな 法政史学第八’一一牙
はじめに
「地域文化財」の思想と博物館の創造
してその価値を形成している土地その他の物件を含む。)……」と定義された一定の評価を経た文化財である。このような概念規定に包括される文化財は、国の示した基準によって認められた優品的価値を有するものであり、その保存・活用には一定の法的制限もあるが、また該当資料の価値を保証するものといえる。これは都道府県・市町村による指定文化財や、近年登場した登録文化財の制度を適応される資料についても、その価値が法的に保証されているという点では、同様の意味を持つものということができよ》っoこうした文化財の在り方を狭義の文化財と位置付けるならば、文化財には広義の意味も存在する。すなわち、法的な指定は受けていないが、調査・研究の成果や蓄積によっ
長谷川伸
七四て、対象となる資料に新たな評価や価値が見出され、後世に伝えるべき文化遺産として認識されるべき文化財が存在する。そうした資料の多くは、その資料が存在する地域社会や所蔵者のもとに今も生き続けているのである。本稿では、このような指定外ながら地域に生きる「文化財」の保存・活用の理念と歴史研究の関わり方を考えるとともに、そうした活動の拠点となる「文化財を生かした博物館作り」についての考え方を、筆者が携わっている新潟市の博物館計画を含めて整理してみたい。
「文化財」の指定・登録では、国や都道府県の評価・選別基準をもとに、優品的な価値判断が求められるが、それに伴って、ふるい落とされた文化財も数多く存在する。そのような文化財は、極めて身近な生活空間や日常生活に深い関係を持っていることも多く、見逃しがちな資料であるともいえる。こうした文化財に光を当てていくことこそ、歴史研究や文化財行政に携わる者が、文化財の保存・活用に果たすべき役割ではないかと考える。その際筆者は、文化財としての資料(モノ)と、その文化財自体が存在する地域や環境を繋いで考えていく思想が 二「地域文化財」の思想
「地域文化財」の思想と博物節の創造(長谷川) 大切であると考える。つまり、資料そのものの評価とともに、文化財が資料として発生し、(長い年月に渡って)生き続けてきた背景にある地域や環境をも評価の対象に含めて考えるべきであろうということである。この過程で重要な作業こそ、地域の保有する記憶を掘り起こし、地域の資料に「歴史的に価値の高い」文化財としての価値を付加する歴史研究である。とりわけ、地域にある資料を対象とする場合、博物館・文書館といった公的資料機関の学芸員・アーキビスト・文化財担当者などといった専門職が、地域における文化財となるべき素材を発見・発掘し、資料研究によって新たな価値を付加していくことは重要な作業である。それのみならず、資料の価値が地域の人々に周知され、大切であるという認識を持たれ、地域の人々の手で保存・活用しようという形になって、はじめて「文化財」となっていくのである。これは文化財の予備軍を創出するような仕事ではあるが、確実に「文化財」の概念を広げていくことになる。これこそ「文化財」の本来的な姿であり、携わる専門職にとっても醍醐味となる仕事ではなかろうか。そこで、地域の歴史の中で生まれ、生活に密着した文化
財を「地域文化肱『)という捉え方で括ることを提唱してみ
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たい。「地域文化財」とは、地域に存在する未だ法的評価の対象外にある資料の中で、地域(史)研究を通じて歴史的・文化的な価値を見出されたもので、その資料が地域社会の責任において保存・活用に務められるべき文化遺産と位置付ける。すなわち、地域にとって価値のあるもの、地域の文化・歴史・生活を知る上で必要不可欠なものは、すべて「地域文化財」であると考える。そして、この「地域文化財」を支えるために必要なのが、「地域の文化財」と「地域が文化財」という考え方である。まず、「地域の文化財」とは、地域における文化財としての資料は、その資料が存在した地域や所蔵者の許に存在してはじめて、歴史的文化的意義を発揮する文化遺産であるという認識を持つということである。それゆえ、地域(史)研究は、こうした資料を発掘・再発見し、地域のアイデンティティーを認識・公表する作業であると同時に、そこで得られた資料を生きたまま保存し後世に伝える術をも求められている。さらに、地域の自発的な文化財の保護意識が芽生えるような、啓発活動も必要である。こうした活動の方法として、新潟県内では、「保存なくして利用なし」という主張のもと、県立文書館の史料所在調査や、越佐歴史資料調査会の資料保存活動が行われてい 法政史学蛸ハト二号
るが、そこで貫かれているのが、地域における歴史資料の
現地保存・現地整理・現地活用という「現地主義団)の考え 方である。例えば、越佐歴史資料調査剣の場合、より多く
の人々に歴史資料の保存活動の重要性や、地域史の理解が深まる具体的な実践に取り組むことを設立の趣旨の一つにしているが、そのためにも、資料の調査・整理は、研究者のために行われるのではなく、所蔵者のため、地域のため、資料を長く保存していくことを目的としている。それゆえ調査会は、所蔵者との信頼関係形成を重視し、所蔵者にとっての資料の保存と管理の便を最優先にしている。そして、近年の史料整理法の進展に学びながら、その資料が生きてきた地元の人々とともに資料の調査・整理を行い、報告会などで地域の歴史の興味関心を掘り起こしながら、資料を守り、伝えていく方法をともに追求する活動を展開している。このように、「地域の文化財」は、その資料をどのようにトータル的にケアしながら、地域の手で保全していくかも課題となるのである。一方、「地域が文化財」とは、地域そのものが文化財であるという考え方である。すなわち、人間の歴史的な営みの蓄積としての地域も文化財Ⅱ資料(モノ)としてとらえ、地域を形成してきた自然環境から人々の生活習慣に至六七
るすべてを調査↓記録↓保存↓活用の対象として、地域を資料化していこうという試みである。「地域が文化財」であるためには、地域をまるごと文化財として捉え、「地域文化財」を地域特性を支える環境条件として位置付けることが必要である。そのためには、地域の時間の記憶としての歴史を掘り起こし、地域特性に焦点を置いた有形・無形の文化遺産と、生物の時間の記憶としての多様な自然遺産を評価・保護していくことが求められる。それは、単に現地主義的に文化財を保存するばかりではなく、自然環境を基盤として、地域社会において培われてきた伝統的な技術や慣習によって生み出され、適応してきた人々のくらしを理解することも含まれる。つまりそれは、人間と自然・文化環境との関連性を学際的で生態的な視点から捉えることによって、地域のアイデンティティーを発見する作業である。そしてその地域認識の象徴として「地域文化財」が存在するのである。そこで、地域の人々に対して「地域が文化財」であることを啓発し、地域の人々がともに参加できる活動が求められる。そして、「地域が文化財」であることを認識していくためには、地域の調査研究・資料保存・情報活用などの拠点となるセンター的機能が必要である。また、地域の記
「地域文化財」の思想とⅢ物鮒の創造(長谷川) 億としての資料(情報)を集積し、資料を守る「地域の蔵」が必要である。そこでこうした機能を有する博物館が果たす役割は大きい。自分の地域を文化財として考えていく地域の活動拠点として、利用者・参加者を主体とする市民参加型の文化財活動を展開するために、博物館は重要な意味を持つのである。近年、エコミュージアムという新しい博物館の形態が注目されているが、これも、「地域が文化財」と共通する部分を持った新しい博物館作りの思想と
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「地域文化財」そのものをどのように活用するかという実践は、博物館という形にとらわれることなく、すでに各地で行われている。そこで、地域における文化財を考える際に重要なのは、その文化財がその地域にとって大切であると認識されることと、その資料が地域社会の責任において保存・活用に務められることができるかということではないだろうか。このことを自らも含めて課題として投げかけたい。ところが、一般的な「文化財」についての認識は一様ではなく、いくつかの問題点が眼前に横たわった状態にあ 三相違する「文化財」の認識
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る。そこで、以下筆者が直面している事例から、博物館と文化財に関わる課題を提示しておきたい。まず、新潟市には過去三十年にわたる郷士資料館の歴史が存在する。その経緯については後述するが、この郷土資料館は博物館法に拠らない社会教育施設であるため、本来置かれるべき学芸員がいないにもかかわらず、市民からの寄贈資料を断ることなくすべて引き受けてきた。確かに、この結果収集された資料の数は総計約一○万点規模となっており、資料管理については大規模館のレベルで考えなくてはならない状態にある。しかし、その資料の内実は、およそ博物館資料とは言い難いものもある。なぜならば、所蔵者・寄贈者にとっては、故人やそのモノに対する強い思い入れのある資料であっても、実際には、蔵などの保管場所の破壊や遺品の整理によって、不要品の処分という形で博物館に寄贈されてくる場合が多いからである。そのため、中には古物商やリサイクルで扱うべきものがあったり、資料の体を成していない破損や欠陥のあるモノが数多く含まれている。これらは、とりわけ民具を主とした生活文化財の分野で顕著な傾向が見られるが、寄贈という手続きをとったがゆえに博物館(資料館)の財産となり、現状では容易に取捨・選択で 法政史学第五十二号
きない。資料や文化財はどんなモノであっても平等に扱うことが原則ではあるが、地域における文化財の認識は、その分野・領域の枠を越えた際限のないものになる可能性が高いのである。近年博物館では、収蔵庫のパンクの問題が浮上してきている。博物館か扱う文化財Ⅱ資料の収集・保管の問題は、その一連の過程の中に資料の評価・選別という行程を設ける必要もあるのではないだろうか。もう一つの問題は、一般の人々が、この資料はどれくらいの「金銭的」価値があるのかという次元で、文化財の価値や優劣を決めたがる傾向が見られることである。そしてこうした価値判断を求める話や、それに伴って金銭的な価値があれば売買、全くなければ逆に廃棄というような、資料Ⅱ文化財の市場流出や損失の危険性のある話か持ち込まれることがある。この背景としては、昨今の「なんでも鑑定団」というメディアの影響が大きい。確かに、一般の人々にとって、この資料の価値を表す際に、これはいくらかという価格が提示されることは極めてわかりやすい。そして、結果として人々の身の回りの文化財予備軍的な資料について、なんらかの啓発的な意味合いを発揮したことも事実であろう。しかしその一方で、資料本来の歴史的・文化的な価値が十分認識されないまま、金銭的な価値によっ 七八
て文化財の差別化・階級化が行われ、その判断基準によって資料が所蔵者の手を離れやすくなっているという功罪の面も存在している。つまり、文化財とは、文化財保護法や文化財関係業務に携わる者達が常識的に意識している文化「遺産」という考え方と同時に、文化「財産」であるという面が強く表出しているという問題があるのではなかろうか。文化財の価値の認識は、とりわけ広義の文化財として資料を扱っていこうとする場合、文化的学術的価値と財産的な価値の評価の問題、そしてそうした資料の所蔵者や公開や活用を求める一般の人々のもつ評価基準のズレや矛盾を意識しながら考えていく必要もあると思われる。
四「地域文化財」の活用と博物館作りの課題l新潟市の場合l
現在新潟市では、平成一四(二○○二)年頃を目標に、新しい博物館の計画が進んでいる。立地条件は、国指定の重要文化財「旧新潟税関庁舎」の建物と国史跡エリアを含んだ、信濃川を望む敷地である。ロケ1ション的には最適ではあるが、水害・塩害・強風の影響・地震の心配があり、博物館施設としてはどちらかというと環境的にはあま
「地域文化財」の思側と博物館の創造(長谷川) り適しているとはいいがたい。この「旧新潟税関庁舎」は、安政五(’八五八)年の日米修好通商条約によって開港地五港の一つに選ばれた新潟が、明治元(一八六八)年にようやく遅れて開港したことにより、翌明治二(一八六九)年に「新潟運上所」として竣工した建物である。そして、明治六(一八七六)年に「新潟税関」と改称し、昭和四一(’九六六)年の廃庁まで税関としての役割を果たしていた。この建物は、「生子(海鼠)壁」という現在では復原の難しい漆喰技術を用いた、木造洋風平屋建て日本瓦葺きという「初期擬洋風建築」としての価値を有しており、昭和四四C九六九)年、文化財保護法により、庁舎は重要文化財に、敷地は国史跡に指定され、翌年には「旧新潟税関庁舎」の解体修理が行われた。新潟市にとっては、いわば新潟開港の象徴的な意味を持つ文化財である。また、近年の近代化遺産の指定に比して、昭和四十年代における近代建築としての重要文化財指定という点では、極めて早い時期に指定されていることで注目される。解体修理完成後の昭和四七(一九七二)年、この建物は重要文化財の公開・活用という観点から、「新潟市郷士資料館」として開館し、以後およそ三十年間に渡って運営さ
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れてきた。この施設は「地方公共団体は、法律で定めるところにより、学校、図書館、博物館、公民館その他の教育機関を設置するほか、条例で教育に関する専門的、技術的事項の研究又は教育関係職員の研修、保健もしくは福利厚生に関する施設その他の必要な教育機関を設置することができる。」とする「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第三○条を根拠とする、登録博物館でも博物館相当施設でもない社会教育施設である。すなわち博物館ではないが、税関庁舎を利用した展示を中心として、市民に開かれた施設として独自の活動を行ってきたところに特徴がある。これもまた、文化財活用の先駆的な事例ともいえる。しかし、展示や施設としての制限があり、また資料管理や資料の保存環境の悪さにより、収蔵資籾の劣化も進行している。それでは、こうした問題を解決しながら、文化財を保存・活用していくことはできないのであろうか。新潟市の新博物館の基本アイテムとなるものは、国指定重要文化財である建造物「新潟税関」と、その敷地の国史跡部分である。現在の新潟市における新博物館作りにおいて、「地域文化財」の思想と活用が生かされているかといえば、「否」である。しかし、国指定重要文化財である建造物「新 法政史学節バー一げび
しも潟税関」を基盤とするエリアの立地条件は、いわゆる「下まち町」といわれた界隈で、近世の船大工をルーツとして現代まで続く造船所があったり、堀に面した新潟独特の町屋造りのたたずまいも残した「地域(の)文化財」が存在する。この地域は、信濃川に面した近世の湊町新潟の中心であり、近代的な港湾都市を目指した新潟港の苦闘の歴史を支えてきた一面も持っている。これらは、断片的な点の存在であるが、これらを地域の歴史を語る文化財として、その環境を博物館の活動エリアとして面的に活用できれば、地域の文化財を拠点にした博物館作りに結びつくかもしれない。また、常設展示のテーマは、信濃川・阿賀野川・日本海と大小の潟湖という新潟の自然・歴史とは切っても切り離すことができない「水」である。類希なる低湿地と砂丘上で営まれてきた人々の暮らしは、どのように「水」と共存し、いかにして「水」と闘ってきたかの歴史であり、それに伴った多数の有形・無形の地域文化財が生み出されてきたのである。すなわち、新潟市域全体を形作ってきた「水」に纒わる歴史・自然環境を、「地域(が)文化財」として生かしていく取り組みが必要なのである。今後、いかに「地域文化財」を土台にした新しい博物館 八○
活動を計画し展開できるか、二一世紀の博物館に向かっての課題は大きい。
註(1)例えば文化庁では、「地域文化財・歴史的遺産活用による地域起こし事業について」(平成一一年四月一一三日付、自治振第五七号)を進めている。この事業は、「歴史と伝統の香り豊かで個性的な地域社会の形成を図るため、地域主導による文化財の保全及び地域の歴史的遺産を活用した地域おこし」を趣旨とし、そこで「地域文化財」という概念が用いられている。しかし、指定・登録以外の地域に存在する文化財程度の認識に留まっているようである。(2)新潟県内における「現地主義」と、県立文書館の資料所在調査については、山本幸俊「地域史料の保存と文書館l新潟県立文書館、史料所在調査の試みl」S新潟県立文書館研究紀要』創刊号、一九九四年三月)を参照。(3)越佐歴史資料調査会の活動については、拙稿「地域と歩む史料保存活動の試みI越佐歴史資料調査会の紹介I」(『地方史研究』第二七五号、一九九八年一○月)を参照。(4)このタイプの博物館は、地域における「人」と「モノ」と「環境」関係を総体として理解し、保存し、活用する思想を基盤として、「地域及び環境に関する人間の博物館」、あるいは「ある一定の地域の人々が自らの地域社会を探求し、未来を創造するための統合的な博物館」を目指している。エコ
「地域文化財」の思想と仲物節の創造(長谷川) ミュージアムの定義、理論、実践については、丹青総合研究所『ECOMUSEUMIエコミュージアムの理念と海外事例報告」(一九九三年)、日本エコミュージアム研究会編「エコミュージアム・理念と活動』(’九九七年)を参照。このように「人と自然」への包括的な視座を持ち、環境問題を正面から扱ったエコミュージアム的な方向性を、常設展示の更新構想の中で取り組んだものとして、徳島県立博物館の事例がある。なお、長谷川賢二・鎌田磨人「総合博物館・地域博物館としての徳島県立博物館の方向性l常設展示更新に向けての検討からl」(『徳島県立博物館研究報告』第八号、’九九八年)を参照。
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