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カシュガルの古本屋

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Academic year: 2021

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FIELDPLUS 2018 07 no.20

カシュガルの古本屋

特別 寄稿

 古本屋の話がしたい。それは30年ほど前のカ シュガルの古本屋のことだ。まるで屋台のような 小さな店で、間口は2メートルもない。キオスク のような箱形で、そこから往来にせり出した板の 上に本が並べられている、そんな本屋だった。そ ういう古本屋が、かつてカシュガルでは、町の中 心である金曜モスク(イード・ガーフ・ジャー ミー)の北面の壁に寄りかかるように、いくつか 軒を連ねていた。

 それら古本屋では、中国の国営出版社から出さ れたコーランなどの経典や、著名な文芸書、歴史 書は言うに及ばず、ほかの国や地域で印刷された と思しき宗教冊子の類も豊富に売られていた。そ ればかりか、アラビア語、ペルシャ語やチャガタ イ語で書かれた手書き写本まで、少なからず店頭 では手に取ることができたのだ。

●邂逅:1980-90年代のカシュガルで

 私がカシュガルにはじめて足を踏み入れたのは 1986年8月のことだった。当時学部2年の私は もちろん土地のことば(ウイグル語)は片言も分 からなかったし、中国語だって甚だ怪しく、店先 にずらりと並べられたアラビア文字の本は一つも 理解できる代物ではなかった。しかし、いちいち 立派な風貌をした白鬚の店主が店舗の内側に座を 占め、なじみ客と思しきウイグル紳士たちと本を 手に語らう光景は、まるで一幅の絵画のようで、

そこに私は本物の異国情緒を見た思いがした。爾 来30年。いまにして思えば、あの体験は、どう 控えめに言っても、私の人生を変えた「邂逅」

だったに違いない。

 カシュガルの古本屋と出会ってから、私はカ シュガルを中心とする新疆地域の歴史と言語を学 び始め、2年間は留学生として新疆に住んだ。カ シュガルもたびたび訪問し、その古本屋たちに 通っては本を求めた。そして、幾人かの店主とは 顔馴染みにもなった。あのころの店主たちは「解 放」以前に伝統教育を受けた世代で、アラビア語 やペルシャ語の素養がある人もいたし、古典作品 についての知識も豊富だった。

菅原 純

すがわら じゅん / 蘭州大学、元 AA 研フェロー

カシュガルは、古くから「シルク・ロード」の要衝として栄えた 中国・新疆ウイグル自治区西部の都市である。

当地にかつて存在した小さな古本屋たちとの個人的体験を通して、

この町のここ30年の変化を振り返ってみたい。

 90年代ごろまで、あの古本屋の連なる一角は、

私にとっては実に魅力的な「狩場」―まさしく

「フィールド」だった。国営の新華書店ではもう 買えなくなった絶版本も、時には発禁となり焚書 の憂き目を見たような本も、尋ねればそう日をお かずに手に入れることができた。

 そして写本。各店舗に置かれた写本はそう多く はなかった。しかし店主たちはどうやら別の場所 に蔵のような置き場を有し、そこから適当な本を 見つくろって持ってくるらしく、日によって違う 写本が出てくるのだった。いったい彼らの「蔵」

にはどんな本が並んでいるのだろう、と私の関心 はかき立てられた。しかし、図々しくも「あなた の蔵書を見せてくれ」とまで言うことは私にはど うにもできなかった。

 店主たちが見せてくれた写本の多くは宗教書や 詩集であり、当時の私の目当ての歴史書や聖者伝

の類は実に少なかった。しかし、生の写本を店先 で、物知りの店主の講釈に耳を傾けつつ飽かず眺 め続けられたのは、至福の体験だった。コピーな どで読むよりも写本実物の方がはるかに読みやす い、という「常識」を私はそこで学んだ。カシュ ガルの古本屋は、私にとり、「写本読み」の最初 の修行の場だったと言えよう。

●変動:新世紀の都市改造と古本屋

 私にとってのカシュガルとの最初の10年余 はおおむね平和な時代であった。しかし世紀が 改まったころから事情は一変した。私が付き 合った古本屋の老店主たちは、90年代の後半 にばたばたと亡くなり、古本屋の世代交代が進 んだ。そのためか、私の目には馴染みの古本屋 たちが、どこか生気を欠いた、つまらない場所 になってしまったように思われた。

往時のカシュガルの古本屋(2000)。

新疆ウイグル自治区

中 国

カシュガル ヤルカンド

ウルムチ

北京

*写真はすべて筆者撮影。

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FIELDPLUS 2018 07 no.20  さらに国家プロジェクト「西部大開発」の影

響だろう、カシュガルも都市再開発の計画が策 定され、市内の至る所で住民の郊外への移住が 始まっていた。以前は時間がゆっくり流れてい たカシュガルの町全体が、どこか落ち着きを失 いつつあった。

 2003年の夏にはカシュガルの中心部に本格 的な改造が加えられた。金曜モスク前の祭り広 場(イード・ガーフ・メイダーン)は掘り返さ れ、周辺の市場、そして古本屋の位置する小路 も建物の多くが取り壊され、カシュガルの中心 部は一時は廃墟のごとくであった。

 金曜モスク周辺部は2005年にはほぼ整理が 完了し、祭り広場は面目を一新した。さらにそ の後も、引き続き市内の至る所で住民の立ち退

きと建物の建て替えが進められ、それは2015 年ごろまで断続的に続いた。

「写本蔵」に入る

 その変化の渦中、2006年のある夏の日、もう そのころは懐かしい小さな店舗の多くは営業して いなかった。ただ、僅かに一番モスクに近い、つ まり従前の本屋群の一角の東隣に位置していた常 設の店舗では、まだ往来に本を並べて売ってい た。店主は寡黙な中年男性であった。

 そこで私が同行の畏友Aと一緒に「古い本を探 しているんだ」と告げると、店主は「古い本なら たくさんあるから、中に入って選びなさい」と言 い、店の一番奥へと案内してくれた。そこに足を 踏み入れるや、私は息をのんだ。

 そこはまるで「写本蔵」であった。部屋の隅に 書架が設しつらえられてあり、そこには少なからぬ数の

古写本が積まれていた。大きいものから小さいも のまで、それぞれ皮で装丁され、古写本独特の芳 香を放っている。私は、売り物として、こんなに多 くの写本が並んでいるのを見るのは初めてだった。

 それら古写本は、おそらくは長きにわたりそこ に架蔵されていたに違いなかった。かつて、ここ からすぐ近くの古本屋たちに日参しては、店主た ちの蔵書はどんなものだろう、と長く関心を持ち 続けてきた。それなのに、その時までほぼ20年 余り、私はそうと知らずこの店の前を幾度となく 通り過ぎていたのだ。

 それから2日、私たちはそこですべての本を開 き、内容をあらためた。多くは例によって宗教書 や文芸書であったが、一冊、実に筋の良い聖者伝 の写本があった。ホージャ・ムハンマド・シャ リーフ廟やハフト・ムハンマダーン廟など、ヤル カンド所在のいくつかの聖者廟にまつわる聖者の 伝説を一冊にまとめた集成で、史料的価値は高 い。私たちはその写本をそれなりの金額で買い 取った。後日、その写本に我々は『ヤルカンド聖 者伝集成』と便宜的な名前を付け、影印本をAA 研から出版した(アブリズ・オルホン、菅原純

(編)『新疆およびフェルガナのマザール文書(影 印)』2(Studia Culturae Islamicae, no.87)、

AA研、2007年)。

●新しい本屋の姿

 それから現在までの間に、私はなお幾度かカ シュガルを再訪した。私たちが写本を買い求めた あの「写本蔵」は今はもう無い。現在あの場所は 拡張された大通りになっている。つまり、私たち はあの古本屋が消失する直前の時期に、「写本蔵」

に通され、蔵書を子細に点検する稀有な恩恵に浴 したことになる。それは果たして喜ぶべきこと か、それとも悲しむべきことか。いまだ私の心は 落ち着き所を得ないでいる。

 2016年、金曜モスクの大門のすぐ右側の区画 に、きれいな常設書店が二つ三つ開業しているこ とを知った。売っている本は真新しい、豪華な装 丁の出版物ばかりであった。また、市内のあちこ ちで立派な構えの個人書店がいくつも開業してい るのを私は見た。どの本屋もかつての古本屋より も多くの本を並べ、子供から大人まで、多くの顧 客を獲得しているようだ。

 そうした新しい本屋の姿は、かつての懐かし い、屋台の古本屋とは似ても似つかないかもしれ ない。しかしそこは依然としてカシュガルの本屋 なのだ。都市の改造をへて、大きく変貌を遂げて はいても、そこにはなお土地の言葉を話す人々が いて、書架に並べられたウイグル語の本を手に取 りながら、馴染みの店員と何事かを語り合ってい る。そういういかにも本屋らしい、当世のカシュ ガル書店風景は、それはそれでまた別の、一幅の とても麗しい絵画のようでもある。

古本屋たちはモスクの北壁に寄り かかるように連なっていた屋台で あった(2000)。

工 事 中(2003) と 工 事 後

(2016)の祭り広 場(イー ド・ガーフ・メイダーン)。

『ヤルカンド聖者伝集成』

の一葉(ホージャ・ムハン マド・シャリーフ伝劈頭)。

カシュガルの「写本蔵」での点検作業風景(2006)。

参照

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