音声言語医学 56:348 ─ 356,2015
原 著
性同一性障害 Female to Male 症例の男性ホルモン投与による
話声位基本周波数の継時的変化
二村 吉継1) 佐久間 航2,3) 南部由加里1) 岩橋 美緒1) 要 約:性同一性障害 Female to Male(FTM/GID)症例に対する男性ホルモン投与では声 が低くなることが経験的に知られているが,経時的解析を行った報告はほとんどない.今回, 男性ホルモン投与中の FTM/GID 23 例を対象に話声位基本周波数を経時的に測定しその変化 を解析した.男性ホルモン投与開始時,1 ヵ月,2 ヵ月,3 ヵ月,6 ヵ月,9 ヵ月,12 ヵ月経過 時点において楽な発声での母音を録音し基本周波数を測定した.投与開始 1 ヵ月経過時点から 3 ヵ月経過時点の間に特に急速に音声が低下した.音声の低下は 6 ヵ月経過時点まで有意であ り,その後 12 ヵ月まではわずかな低下があったが有意差は認めなかった.また投与開始時点 と 6 ヵ月経過時点の話声位基本周波数は有意な相関を認めた. 音声が低下すると同時に声帯は発赤および肥大化し,喉頭隆起は顕在化した.男性ホルモン 投与により声帯の肥大化と喉頭の枠組みが増大することで音声が低下すると考えられた. 索引用語: 性同一性障害(GID),Female to Male(FTM),話声位基本周波数,ホルモン 音声障害,男性ホルモンTime-Dependent Change in Speaking Fundamental Frequency
of Patients with Female-to-Male Gender Identity Disorder
by Androgenic Hormonal Administration
Yoshitsugu Nimura1), Ko Sakuma2, 3), Yukari Nambu1) and Mio Iwahashi1)
Abstract: It has been empirically known that androgenic hormonal administration deepens
the voice of a patient with female-to-male gender identity disorder (FTM/GID). However, there have been few reports that evaluated its time-dependent change. Here we report the time-dependent changes in the speaking fundamental frequencies of 23 FTM/GID patients who were administered androgenic hormone. Vowel sounds produced in an effortless way were recorded at baseline and 1, 2, 3, 6, 9, and 12 months after the start of the administration of androgenic hormone, and the speaking fundamental frequencies were evaluated. The speaking fundamental frequency was most drastically lowered between 1 and 3 months and was significantly lowered until 6 months. Although it was further lowered slightly between 二村耳鼻咽喉科ボイスクリニック1):〒545−0011 大阪市阿倍野区昭和町 5−12−16 グレースコートシーダーバレーⅢ 2F
さくま診療所2):〒542−0083 大阪府大阪市中央区東心斎橋 1-7-8 心斎橋井上ビル 2F
NPO 法人関西 GID ネットワーク3):〒530−0001 大阪市北区梅田 2-6-20 パシフィックマークス西梅田 14F 梅田ガクトホール 1)Nimura ENT Voice Clinic: 5-12-16-2F, Showa-cho, Abeno-ku, Osaka 545-0011, Japan
2)Sakuma Clinic: 1-7-8-2F, Higashi-shinsaibashi, Chuo-ku, Osaka 542-0083, Japan 3)Kansai GID Network: 2-6-20-14F, Umeda, Kita-ku, Osaka 530-0001, Japan
は じ め に
性 同 一 性 障 害(gender identity disorder) の Fe-male to Male 症例(FTM/GID)に対する男性ホルモ ン投与では身体的変化の一つとして声が低くなり,男 性的になることが経験的に知られている.Male to Female 症例(MTF/GID)の音声に対する治療はピッ チを上げる目的で手術治療として甲状軟骨形成術Ⅳ 型1)や音声治療2)が行われる.そのため耳鼻咽喉科医 や言語聴覚士が積極的に治療に携わっている.一方で, FTM/GID の音声に耳鼻咽喉科医や言語聴覚士が介入 する機会は少なく,報告もわずかである.これは,男 性ホルモンの投与により自然にピッチが下降して声が 男性的になるため,音声に直接アプローチする治療を 要しないからだと考えられる.今回の研究では FTM/ GID に対して男性ホルモン投与を行っている医療機 関と連携して音声を経時的に測定することにより音声 がどのように低下するのかを明らかにし,喉頭所見か ら音声が低下する生理的な原因を考察した. 対 象 「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライ ン」3)に従い専門の精神科医によって FTM/GID と診 断され,男性ホルモン投与を希望した 23 例を対象と した.平均年齢は 21.9±3.7 歳,年齢分布は 17〜36 歳 であった. 方 法 1 .録音と音声解析 対象者全員に本研究の趣旨を説明し,インフォーム ドコンセントを行ったうえで音声の録音・分析の承諾 を得て実施した. 男性ホルモンの初回投与当日の注射直前(以下初回 投与時)および,ホルモンの投与開始より 1 ヵ月・2 ヵ 月・3 ヵ月・6 ヵ月・9 ヵ月・12 ヵ月経過時点での音 声を経時的に録音し解析した. 音声の記録は静かな部屋で,リニア PCM レコー ダー(R-05,Roland 社製)を用い,マイクより 30 cm に一定にして録音した.話声位の測定は特定の語 の最後の音を伸ばす方法4)で行い,楽な声の高さで /aiueo:/と発音させた.ファイル形式は WAV ファイ ルで記録した. 周波数分析はリニア PCM レコーダーで記録した WAV ファイルを音響分析ソフト(リアルタイムピッ チ・プログラム,KayPENTAX 社製)に取り込み解 析した.話声位基本周波数(F0)の解析は /o:/ の安 定した部分の周波数を用いた. 2 .喉頭内視鏡検査および音声機能検査 ボランティアとして喉頭内視鏡検査および音声機能 検査を行うことを承諾した 2 例について,男性ホルモ ン投与とは別日に初回投与から 3 ヵ月ごとに二村耳鼻 咽喉科にて喉頭ストロボスコピー,声域測定,視触診 にて喉頭の確認を行った. 3 .男性ホルモンの投与 男性ホルモンの投与方法はエナント酸テストステロ ンデポー剤 125〜250 mg を 2〜3 週に 1 回筋肉内注射 で投与した.遊離テストステロン,エストラジオール の血中濃度を確認し,特にエストラジオールの十分な 抑制を確認しながらフォローアップを行った. 男性ホルモン投与および各観測点での音声の録音は FTM/GID の専門医療機関であるさくま診療所で行っ た. 結 果 1 .音声分析 初回投与時(baseline)の F0 の平均値およびその 標準偏差は,185.7±19.0 Hz(n=23)であった.また 1 ヵ月経過時点では 174.6±18.5 Hz(n=22),2 ヵ月 経過時点では 148.7±19.8 Hz(n=22),3 ヵ月経過時 点では 132.8±21.4 Hz(n=23)であり,3 ヵ月間に急 6 and 12 months, the difference was no longer significant during this period. Also, the
speaking fundamental frequencies at baseline and 6 months correlated significantly.
In tandem with the lowering of the speaking fundamental frequency, the vocal cords developed redness and laryngeal prominence appeared, suggesting that androgenic hormone administration causes thickening of the vocal cords and growth of laryngeal cartilage and leads to deepening of the voice.
Key words: gender identity disorder (GID), female-to-male (FTM), speaking fundamental
激に F0 の低下を認めた.また 6 ヵ月経過時点では 120.0±17.6 Hz(n=23)であり,低下の傾向は緩やか となった.6 ヵ月以降は軽微な低下にとどまり,9 ヵ 月経過時点では 117.9±18.3 Hz(n=14),12 ヵ月経過 時点では 114.4±12.6 Hz(n=18)であった(図 1). 治療開始時に対して 1 ヵ月以降の観測点すべての点で 対 応 の あ る t 検 定 を 実 施 し, 有 意 確 率 に 対 し て Bonfferoni の補正を適応後も,有意差を認めた(1 ヵ 月:t(21)=2.97,p<.05,2 ヵ月:t(21)=7.93,p<.001, 3 ヵ 月:t(22)=11.6,p<.001,6 ヵ 月:t(22)=17.7, 185.7 174.6 148.7 132.8 120.0 117.9 114.4 80 baseline (n=23 ) 1M( n=22 ) 2M( n=22 ) 3M( n=23 ) 6M( n=23 ) 9M( n=14 ) 12M (n=18 ) 100 120 140 160 180 200 220 (Hz) * *** *** *** *** *** 図 1 話声位基本周波数の継時的変化(t 検定) ***p<.001,**p<.01,*p<.05 図 2 全観測点においてデータ欠損のない 11 例による話声位基本周波数の変化と分散分析(ANOVA)の 結果.*p<.05,**p<.01,***p<.001,n.s.: no siginificant 185.3 172.3 151.9 133.5 118.9 117.0 115.6 80 100 120 140 160 180 200 220 (Hz) n.s. (v.s. baseline) ** (v.s. baseline) *** (v.s. baseline) *** (v.s. baseline) *** (v.s. baseline ) n.s. (v.s. 6M, 9M) *** (v.s. baseline) n.s. (v.s. 6M) baseline 1M 2M 3M 6M 9M 12M
p<.001,9 ヵ月:t(13)=13.8,p<.001,12 ヵ月:t(17) =14.4,p<.001). 図 1 のデータには欠損があるため,すべての観測点 において欠損のない 11 症例について,反復測定の分 散分析(ANOVA)を行ったところ,有意な差を認め た(F(6, 60)=99.7,p<.001).多重比較を行ったと ころ,初回投与時に対して 1 ヵ月経過時点は有意差を 認めなかったが,それ以降の観測点では 6 ヵ月経過時 点までおのおの有意差のある低下を認めた.また 6 ヵ 月経過時点に比して 9 ヵ月および 12 ヵ月経過時点で はそれぞれ有意差を認めなかった(図 2). 投与開始時と 6 ヵ月経過時点の F0 の回帰直線は y =0.49x+28.86 で有意な回帰式(F(1, 21)=8.21,p<.01) が得られ,その決定係数は R2=0.28 であった(図 3). 2 .喉頭内視鏡検査および音声機能検査を行った 2 症例 症例 1:23 歳,FTM/GID 男性ホルモン初回投与時の F0 は 152 Hz,初回投与 3 日後の声域は上限 D♯5 下限 C♯3 であった(表 1 上段).喉頭ファイバースコピーでは喉頭に器質的異 常は認めず声帯の色調はほぼ白色であった.ストロボ スコピーでの声帯粘膜振動は良好で,左右差および位 相差を認めなかった(図 4 1 段目).頸部の視触診で は喉頭隆起の明らかな突出はなく,女性の形態であっ た. 3 ヵ月経過時点:F0 は 130 Hz,声域は上限 C5 下 限 F2 であった.声帯全体に発赤を認め,声帯炎様の 所見を認めた.声帯粘膜振動はストロボスコピーでの 同期を認め粘膜振動は左右対称であったが,声門後方 に間隙を認めた(図 4 2 段目). 6 ヵ月経過時点:F0 は 122 Hz,声域は上限 D4 下 限 C2 であった.喉頭ファイバースコピー所見は視覚 的印象ではあるが,声帯遊離縁から喉頭室にかけて声 帯の幅が肥大化していた.声帯の発赤は持続しており, 声帯粘膜振動の左右差はなく良好な振動であったが, 閉鎖期で声帯後方の間隙はやや広くなった(図 4 3 段 目).頸部所見は触診にて喉頭隆起の触知が可能であっ た.視診でも正面および側面から喉頭隆起の突出を確 認でき男性的な印象となった(図 5 上段). 9 ヵ月経過時点:F0 は 105 Hz,声域は上限 G4 下 限 C2 であった.声帯の色調と形態にはおおむね変化 y=0.4906x+28.863 R²=0.281 80 90 100 110 120 130 140 150 160 170 140 150 160 170 180 190 初回投与時(Hz) 200 210 220 230 240 6 ヵ月経過時点 ( Hz ) 図 3 男性ホルモン初回投与時と 6 ヵ月経過時点での話声位基本周波数の 相関 表 1 症例 1,2 の声域と話声位基本周波数の変化 初回投与直後 3M 6M 9M 12M 症例 1 上限 D♯5 C5 D4 G4 G4 下限 C♯3 F2 C2 C2 C2 声域(半音) 26 31 26 31 31 F0(Hz) 152 130 122 105 112 症例 2 上限 B5 D5 D5 F5 F5 下限 B2 G2 F2 E2 F2 声域(半音) 36 31 33 37 36 F0(Hz) 192 152 123 120 124
がなかった(図 4 4 段目). 12 ヵ月経過時点:F0 は 112 Hz,声域は上限 G4 下 限 C2 であった.声帯の色調は発赤がやや軽減してい る印象であった(図 4 5 段目).頸部所見は触診にて 喉頭隆起を容易に触知可能であり,視診上正面および 側面とも 6 ヵ月目と比較してより突出が明瞭となり, 甲状軟骨および輪状軟骨の隆起を確認できるように なった(図 5 下段). 声質はすべての観察時点において話声の聴覚印象は G(0)R(0)B(0)A(0)S(0)で発声および声質に関しての 治療開始 3日目 3ヵ月目 6ヵ月目 9ヵ月目 12ヵ月目 吸気時 (開大期)発声時(閉鎖期) 図 4 症例 1:喉頭ストロボスコピー所見の継時的変化 3 ヵ月目以降声帯の発赤が持続し,6 ヵ月目までに声帯の肥大 化を認めた 側面 正面 6ヵ月目 12ヵ月目 図 5 症例 1:6 ヵ月目および 12 ヵ月目の頸部所見 6 ヵ月目には喉頭隆起を触知でき,12 ヵ月目にはさら に喉頭隆起および輪状軟骨の隆起が明瞭となった. 治療開始 4日目 3ヵ月目 6ヵ月目 9ヵ月目 12ヵ月目 吸気時 (開大期)発声時(閉鎖期) 図 6 症例 2: 喉頭ストロボスコピー所見の継時的変化 症例 1 と同様に 3 ヵ月目以降声帯の発赤が持続し,6 ヵ月目ま でに声帯の肥大化を認めた 図 7 症例 2:6 ヵ月および 12 ヵ月目の頸部所見 6 ヵ月目には喉頭隆起および輪状軟骨による隆起が 触知でき,12 ヵ月目にはさらに明瞭となった. 側面 正面 6ヵ月目 12ヵ月目
訴えはなく,臨床的に嗄声は問題とならなかった. 症例 2:21 歳,FTM/GID 男性ホルモン初回投与時の F0 は 192 Hz,初回投与 4 日後の声域は上限 B5 下限 B2 であった(表 1 下段). 喉頭ファイバースコピーでは喉頭に器質的異常は認め ず声帯の色調はほぼ白色であった.ストロボスコピー での声帯粘膜振動は良好で,左右差,位相差を認めな かった.話声位では前後径の短縮があり過緊張の傾向 があった.(図 6 1 段目).頸部の視触診では喉頭隆起 の明らかな突出はなく,女性の形態であった. 3 ヵ月経過時点:F0 は 152 Hz,声域は上限 D5 下 限 G2 であった.聴覚的印象は男性的になり,声帯全 体に発赤と肥大を認めた.ストロボスコピーでは楽な 発声で声帯粘膜振動は同期を認め粘膜振動は左右対称 であった(図 6 2 段目).高音の発声では forming を 認め,声帯振動が悪くなり気息性の発声となった. 6 ヵ月経過時点:F0 は 123 Hz,声域は上限 D5 下 限 F2 であった.声帯の発赤は持続しており声帯の肥 大を認めた.話声位での声帯粘膜振動は左右差なく, 良好な振動であった(図 6 3 段目).高音発声では軽 度に気息性の声質であった.頸部所見は触診にて喉頭 隆起が容易に触知可能であった.視診でも正面および 側面からの観察で喉頭隆起の突出および輪状軟骨によ る隆起を確認でき,男性的な印象となった(図 7 上段). 9 ヵ月経過時点:F0 は 120 Hz,声域は上限 F5 下 限 E2 であった.声帯の発赤がわずかに軽減している 印象であった(図 6 4 段目).高音の気息性は軽減し ていた. 12 ヵ月経過時点:F0 は 124 Hz,声域は上限 F5 下 限 F2 であった.声帯の発赤に変化はなかった(図 6 5 段目).頸部所見は触診にて喉頭隆起は容易に触知 可能で 6 ヵ月目よりも明瞭であった.視診でも突出が 明瞭となった(図 7 下段). 声質はすべての観察時点において話声の聴覚印象は G(0)R(0)B(0)A(0)S(0)で発声および声質に関しての 訴えはなく,臨床的に嗄声は問題とならなかった. 考 察 1 .MTF/GID と FTM/GID の疫学と耳鼻咽喉科 への受診動機の違いについて GID 患者にとって声の悩みは心理的に影響が大き く,耳鼻咽喉科医が音声の相談を受ける機会がある. MTF/GID は声が低く男性的であるため声を高くする 希望をもっているが一方の FTM/GID は思春期に声 変わりをほとんどせず,声が女性的であることに違和 感をも 0 っている.疫学的報告では GID の内訳は欧 米では FTM/GID よりも MTF/GID が多いが,本邦 では FTM/GID のほうが 2〜4.7 倍多いと報告されて いる5,6).しかし海外の報告は GID に対する身体的な 治療を求めて受診した数や,法的な性別の扱いの変更 を求めた数を基本情報にしているため,有病率を過小 評価している可能性があるという6).手術や音声治療 など実際に耳鼻咽喉科医や言語聴覚士が携わるのは圧 倒的に MTF/GID が多いため,MTF/GID に関する 報告については多数ある.しかし一方で FTM/GID は耳鼻咽喉科を訪れることが少なく FTM/GID の音 声に関する報告は本邦では正岡ら7)や柳ら8)の報告が 散見されるのみで,複数症例を経時的にまとめた報告 は少なく,音声の変化は詳しく解析されてこなかった. 耳 鼻 咽 喉 科 を 訪 れ る 症 例 に MTF/GID と FTM/ GID で違いがあるのは治療方法の違いとともに心理 的な違いが関係する可能性がある.他人から認められ る男性性は男性らしい視覚的情報によって成立してい るが,女性性は視覚的な男性性の欠如から認識される といわれている9).とりわけ視覚的な男性性を示す喉 頭隆起において,FTM/GID では男性ホルモン投与に よりその獲得がなされるため喉頭隆起切除のような手 術的治療は必要がないが,MTF/GID においては男性 性を除去するためには手術的治療以外の方法がない. 上記の視覚的な情報に加えて,音声の聴覚的情報がも たらす性差について FTM/GID は男性ホルモンの投 与により声が自然に低くなるといった治療反応性に対 して,MTF/GID は音声治療での話声位の変更や,声 の高さが不十分と感じる症例では甲状軟骨形成術など 手術的治療が必要とされる.また心理的な側面につい て Hori ら10)はミネソタ多面人格目録テスト(MMPI) を用い,治療前後の心理傾向を FTM/GID と MTF/ GID で比較している.MTF/GID は FTM/GID に比 して身体治療導入前より心理的に明らかに不安定であ り,治療した後にも心理学的内向性や性への関心など の尺度で改善が乏しかったとしている.すなわち女性 ホルモンの投与が行われていたとしても,不可逆的な 喉頭隆起の大きさや声の低さなどの身体的特徴に対す る不全感を軽減し,心理的安定を得るためにも耳鼻咽 喉科的専門加療を求めていることが考えられる. 2 .FTM/GID に対する男性ホルモン治療につい て 一般的に FTM/GID に男性ホルモン投与を開始す ると子宮内膜の萎縮により開始 3 ヵ月から 6 ヵ月でほ とんどの症例で月経が停止するといわれる.その他体
表の変化としては,髭や体毛の増加,頭髪の減少,痤 瘡の増加,陰核の肥大が挙げられる.また心理的な影 響として性欲の亢進,性格が攻撃的になる,意欲の亢 進などがある11).また女性ホルモンに比して男性ホル モ ン は 重 篤 な 副 作 用 が 少 な い と い わ れる12).van Kesteren ら13)の報告では痤瘡の発現頻度は 33.5%, 肝機能障害は 18.8%であるがいずれも正常上限の 2.5 倍以内であったとしており,安全な治療法であるとい える. 3 .男性ホルモン投与による F0 の変化について まず始めに本研究における男性ホルモン初回投与時 の F0 の平均値は,185.5 Hz であった.これは一般的 な女性の話声位よりも低い.西尾ら14)は年代ごとに 日本人の平均話声位基本周波数を解析しており,19〜 29 歳では 226.1 Hz であり,他の先行する報告例でも 225〜226 Hz であったとしている.FTM/GID は女性 的な声に違和感をもっていて,日常的に声を低く出す ように意識している可能性が考えられた. 次に男性ホルモン投与を開始すると,1 ヵ月経過後 の F0 の低下は緩やかだが,それ以降急激に低下を始 める.3 ヵ月経過時までに 50 Hz 以上の低下を認めこ の間の低下が特に著しく,この低下は緩やかにはなる が 6 ヵ月まで続く.正岡ら7)は FTM/GID 1 例の男性 ホルモン投与中の話声位を測定している.投与開始時 点は不明であるが,治療開始から 2 ヵ月経過時点で F0 は 149.4 Hz であり,5 ヵ月経過時で 101.5 Hz まで 低下したと報告している.また柳ら8)も FTM/GID の 1 例につき報告している.その報告によると,男性 ホルモン投与開始から 34 日後までは,明らかな変化 は認めず,48 日後で F0 の低下を認め,143 日後には 108 Hzとなった,とされている.いずれの報告でも3ヵ 月経過時点では話声位が低下しており,本研究の経過 とも矛盾なく 3 ヵ月経過時点まで音声の低下が顕著で あることを支持するものと考える.一方で Damrose15) の報告では,FTM/GID の 1 例を報告しているが,音 声が男性の声域まで F0 が下降するのは 3 ヵ月目から 4 ヵ月目としている.これは本研究や本邦の報告での F0 の低下よりも若干遅い.この報告での男性ホルモ ンの投与量は,2 ヵ月に一度の間隔で testosterone ethanate 200 mg を投与したとされている.この量は 本研究での投与量に比べると少量である.海外の報告 と本研究や本邦の報告での F0 の低下のタイミングに ずれがあるのは男性ホルモン投与量の違いによると考 えられた. 4 .音声の低下機序について 喉頭内視鏡所見では音声が急激に低下する 3 ヵ月経 過時点において 2 症例とも視覚的印象ではあるが声帯 の発赤を認めており声帯は肥大していて,6 ヵ月経過 時点ではさらに声帯の肥大は顕著な印象であった.ま た 6 ヵ月経過時点で喉頭の視触診では明らかに喉頭隆 起が目立つようになることからも喉頭の枠組み自体が 大きくなっていると考えられる. 音声生理学的には話声位が低下するためには声帯の 肥大化もしくは延伸が必要になるが,声帯の肥大化と 喉頭の軟骨が成長することにより声帯の容積が増大し たために音声が変化したと考えられ,声帯の発赤は男 性ホルモンの影響で声帯が肥大化する過程で血流増加 を伴っているものと思われた.加藤16)の報告では性 ホルモン剤を生前に受けていた女性の喉頭を剖検にて 調査し,大量投与例では筋繊維の肥大が大なる傾向が 見られ,また動物実験においても筋線維の肥大化が見 られると報告している. また,男性ホルモン投与によって骨端線が閉じず身 長が伸びることがある3).男性の変声期と同様に男性 ホルモン投与の影響で喉頭の形態が変化し音声が低下 したという機序が考えられるが,年齢的にも本研究の 対象者の平均年齢は 21.9 歳であり比較的若年である ことから,ホルモン投与による喉頭の軟骨が形態変化 を起こしやすいと思われた. 頸部の視触診では 6 ヵ月から 12 ヵ月にかけてさら に喉頭隆起が明瞭化していることから,甲状軟骨はこ の間も成長しているものと考えられるが,声域の下限 は 2 症例とも 6 ヵ月以降はほとんど変化せず,F0 も わずかな低下にとどまる.喉頭の成長と音声の低下の 時期がずれていることから,喉頭が成長したことによ る声帯の延伸よりも声帯の肥大化が先行し,F0 およ び声域下限の低下に対して大きく影響しているのでは ないかと推測された.しかし,声帯の肥大化や延伸を 計測するためにはステレオ側視鏡17)など特殊な内視 鏡を使用するか,CT による計測など数値化できる検 査が必要となり,本研究の手法では不十分であると考 えられる.本研究ではボランティアによるデータ収集 であったため,被曝の問題がある CT 撮影は行わず, 喉頭内視鏡検査と頸部の視触診のみにとどめたのが理 由である.よって声帯の肥大化と喉頭の成長を計測し て音声の低下を裏づけることが今後の課題と考えられ た. 5 .男性ホルモン治療による音声の問題点について 男性化作用のある薬剤を女性に投与したときに引き
起こされる音声障害としてホルモン音声障害が知られ ている.これは FTM/GID に対する男性ホルモン投 与で起こる音声の変化と機序は同様であると思われる が,音声が男性化することが心理的に好ましいと感じ るか異常感と感じるかは大きく異なるところである. 楠山ら18)はホルモン音声障害では 8 例中 4 例に話声 位と声域が低下しており全例とも声帯粘膜波動が消退 していたと報告している.5 例に対してホルモン治療 を中止するとともに音声治療として vocal function exercises を施行している.いずれも著明な効果があ り,話声位の上昇と声域の拡大を認めたが,声域下限 の高音化は認めず,器質的には不可逆であると考察し ている.また宮田ら19)も 3 ヵ月間男性ホルモンを投 与された女性の音声障害症例で粘膜波動に位相差を認 めたが,音声治療が効果的であり,話声位の上昇を認 めたと報告している.本研究では 2 例の声帯所見を観 察し,いずれも 3 ヵ月経過時点から声帯の発赤を認め たが,2 例とも臨床的には嗄声が問題となることはな く,むしろ話声位の低下を好意的に受け止めていた. しかし声帯の発赤とともに症例 1 では閉鎖期に声門後 方に間隙が認められたことや,症例 2 では高音発声の 際に気息性になったほか,自験例のなかには発声困難 感を認める症例もあった.症例によっては声帯振動の 状態が変化することにより,嗄声や発声困難感が問題 となる可能性があると思われた.また声域検査を行っ た 2 例において,声域下限は F0 の低下と並行して低 下しているが,声域上限は一定していない.症例 1 で は 3 ヵ月経過時点,症例 2 では 3 ヵ月と 6 ヵ月経過時 点で声域上限が以降の観察時点よりも下回っていた. 症例 2 では高音を出したとき,有響音が出にくく気息 性となっていたことからも,声帯の肥大化に伴い粘膜 振動様式が変化して高音が出しづらくなったものと考 えられた.12 ヵ月経過時点の声域は初回投与時と比 較し,症例 1 は拡大,症例 2 は同等であった.声帯の 変化に順応して喉頭調節に慣れることによって声域が 拡大したものと考えられる.また,これらの変化を評 価するために voice handicap index による主観的な評 価も必要であると考えられた. 6 .男性ホルモン投与前後の音声の相関について 男性ホルモン初回投与時と 6 ヵ月経過時点の F0 の 関連を検討したところ,有意な単回帰式が得られたこ とから,両者には相関があると考えられる.しかし一 方で,ホルモン初回投与時から 6 ヵ月経過時点に対す る回帰式についての決定係数は十分なものとはいいが たい.将来的に症例数を増やし,またその他の変数も 考慮したうえで治療前の声から治療後の声をある程度 予測することが期待される.臨床的には男性ホルモン 治療を開始しようとする患者にピッチシフトなどの音 声加工技術を用いて治療後の話声位をあらかじめ予測 して提示すれば,治療前のインフォームドコンセント の手段にもなりうるのではないかと考えられた. ま と め 1 .FTM/GID の男性ホルモン投与による話声位基 本周波数の変化を 23 例で調査し,検討した. 2 .1 ヵ月経過時点から 3 ヵ月経過時点までに急激 な周波数の低下が見られ,6 ヵ月後以降はほぼ安定す ることが確認された. 3 .音声の変化は声帯および喉頭の枠組みの形態的 変化に伴うものと考えられた. 4 .治療開始時と 6 ヵ月後の周波数は有意な相関が あった. 謝辞 本稿の執筆には大阪医科大学神経精神医学教室 金沢 徹文先生,統計解析にあたり関西大学心理臨床カウンセリング ルーム 上西裕之先生に助言いただきました.謹んで感謝申し 上げます. 本研究は第 59 回日本音声言語医学会学術講演会(2014 年, 福岡)にて発表した. 利益相反自己申告:申告すべきものなし. 文 献 1) 中 村 一 博, 一 色 信 彦, 讃 岐 徹 治, 他:Gender Identity Disorder 症例に対する Pitch Elevation Surgery―甲状軟 骨形成術 4 型の有用性―.日気食会報,58(3):310-319, 2007. 2)櫻庭京子,今泉 敏,峯松信明,他:女性と判定される声 の特徴―性同一性障害者の話声位―.音声言語医学,50: 14-20,2009. 3)日本精神神経学会・性同一性障害に関する委員会:性同一 性障害に関する診断と治療のガイドライン(第 4 版).精 神神経学雑誌,114:1250-1266,2012. 4)讃岐徹治:声の高さ.新編 声の検査法(日本音声言語医 学会編),医歯薬出版,東京,183-189 頁,2009. 5)山本和儀,青山 桜:沖縄県における GID の治療の現状 と課題〜当院における 238 例の現状分析から〜.GID 学 会雑誌,4:166−167,2011. 6)池田官司:性同一性障害当事者数の推計.産婦人科の実際, 62:2105−2109,2013. 7)正岡美麻,坂口菊恵,針間克己,他:男性ホルモン投与中 の Female to Male トランスジェンダー/性同一性障害の 話声位基本周波数の変化について.日本性科学会雑誌, 31(1):45-54,2013. 8)柳有紀子,石川幸伸,中村一博,他:性同一性障害症例に おけるホルモン療法による音声の経時的変化.音声言語医 学,56:250-256,2015.
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11)内島 豊,岡田耕市:性同一性障害 FTM 症例のアンドロ ゲン療法.日本性機能学会雑誌,15:405-410,2000. 12)Futterweit W: Endocrine therapy of transsexualism and
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