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密教研究 Vol. 1933 No. 51 020小野 玄妙「弘法大師の芸術 P382-422」

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弘 法 大 師 の 藝 術 三 八 二

小 野 玄 妙 我 が 國 文 化 の 大 恩 人 と し て の 弘 法 大 師 空 海 は 眞 言 宗 の 開 祖 と し て 我 が 思 想 界 に 偉 大 な る 足 跡 を 飴 さ れ た ば か り で な く 、 大 陸 文 化 の 請 來 と そ の 普 及 、 特 に 大 師 天 稟 の 才 能 に 本 つ く 文 章 の 麗 、 書 勢 の 美 に 至 つ て は 實 に 古 今 に 卓 越 し て 聖 者 の 稱 を 檀 に し て ゐ る 。 其 の 件 に つ き て は 史 乗 既 に 明 徴 が あ り . 何 人 も 之 を 疑 ふ も の は 無 い 。 但 し 大 師 は そ れ 巳 上 更 に 彫 刻 、 繪 畫 等 の 技 藝 に も 練 達 し て 居 ら れ た と い ふ こ と 、 是 れ は 俗 説 と し て は 相 當 に そ の 聾 が 高 い 、 併 し そ れ が ど の 程 度 ま で 眞 實 で あ り 、 ど の 程 度 已 外 は 俗 説 と し て 荒 唐 の 説 で あ る か を 分 別 す る こ と は 、 之 を 歴 史 的 に 檢 討 す る と な る と 仲 々 難 し い 問 題 に な る 。 今 回 密 教 研 究 に 於 て 記 念 號 を 發 刊 す る に つ い て 、 表 記 の 題 號 に つ い て 何 か 一 文 起 草 す る や う に と の 御 話 が あ つ た 。 お 引 受 け 致 し た も の ゝ 扨 て ど う 云 ふ こ と を ど う い ふ 風 に 記 し た ら よ い も の か 、 私 と し て 三 向 に 見 當 が 付 か な い 。 三 體 何 か 書 い て 見 や う と 思 ふ 時 、 自 分 の 頭 に 最 後 の 結 論 に 對 す る 自 信 が あ ら ば 知 ら す .く の 間 に 筆 も 運 ぶ こ と に な る が 、 そ れ が 鉄 け て ゐ る と 兎 角 執 筆 も 瀬 く な る 。 か ゝ る 場 合 は 自 分 と し て 比 較 的 解 り 易 い と こ ろ だ け を 狙 つ て 當 座 の 責 を 塞 ぐ こ と を 餘 儀 な く さ れ る 。 今 此 の 小

(2)

稿

稿

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(唐

西

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使

麿

(平

)

(3)

三丈

(4)

右 佛 菩 薩 金 剛 諸 天 等 像 並 傳 法 阿 闇 梨 等 影 十 鋪 と あ る 。 之 に よ る と 所 謂 佛 像 等 と し て お 傳 へ に な つ た も の は 畫 像 十 鋪 、 其 の 中 始 め の 三 は 胎 藏 大 法 關 係 の も の 、 一 は 大 曼 荼 羅 、 三 は 法 (種 子 )曼 荼 羅 、 一 は 三 昧 耶 曼 荼 羅 で あ る 。 次 の 二 は 金 剛 界 大 法 關 係 の も の 、 一 は 九 會 大 曼 荼 羅 、 一 は 成 身 一 會 の 大 曼 荼 羅 で あ る 。 後 の 五 は 傳 法 阿 闇 梨 等 の 眞 影 で あ る が 、 そ の 五 祖 の 中 、 金 剛 智 、 不 空 、 惠 果 の 三 人 は 阿 閣 梨 、 善 無 畏 は 三 藏 、 一 行 は 襌 師 の 敬 稱 を 用 ゐ て 凡 そ 三 通 り に 畫 き 分 け て あ る 〇 已 上 十 鋪 の 畫 像 は 、 其 の 師 惠 果 和 術 の 告 諭 に 由 り 供 奉 丹 青 李 眞 等 十 餘 人 を . 招 い て 新 に 圖 繪 せ ら れ た も の で あ つ て 、 圖 像 其 の も の と し て は 、 大 師 が 惠 果 阿 闇 梨 か ら 兩 部 の 灌 頂 を お 受 け に な つ た 時 に 彼 の 地 の 灌 頂 道 場 で 使 用 さ れ た も の と 同 一 の も の と 思 は れ る 。 而 し て 是 等 圖 像 の 請 來 に つ い て 、 大 師 は 特 に そ の 縁 由 を 記 し て 法 本 無 言 非 言 不 顯 、 眞 如 絶 色 待 色 乃 悟 、 錐 迷 月 指 提 撕 舞 極 、 不 貴 驚 目 之 奇 觀 、 誠 乃 鎮 圖 利 人 之 賓 也 。 加 以 密 藏 深 玄 翰 墨 難 載 、 更 假 圖 畫 開 示 不 悟 。 種 種 威 儀 種 種 印 契 、 出 自 大 悲 覩 成 佛 。 經 疏 秘 略 載 乏 圖 像 一、 密 藏 之 要 實 繋 乎 茲 、 傳 法 受 法 弄 此 而 誰 突 。 海 會 根 源 斯 乃 賞 之 也 。 と 仰 せ ら れ て ゐ る が 、 そ れ は 此 の 文 に も 明 か な と ほ り 、 密 藏 は 深 玄 に し て 翰 墨 に 載 せ 難 き と こ ろ 、 更 に 圖 畫 を 假 り て 悟 ら ざ る も の に 開 示 す る 種 々 の 威 儀 な り 種 々 の 印 契 な り 、 み な 大 悲 よ り 出 で 、 一 た び 覩 さ へ す れ ば 成 佛 を す る 、 經 疏 に 秘 略 し て 之 を 圖 像 に 載 せ た の で あ つ て 、 密 藏 の 要 は 、 實 に 茲 に 繋 る 弘 法 大 陳 の 藝 術 三 八 五

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弘 法 大 師 の 藝 術 三 八 六 と せ ら れ て ゐ る 。 い は ゆ る 誨 會 の 根 源 と し て 傳 法 も 受 法 も 此 の 圖 像 な し に 修 行 す る こ と は 出 來 な い こ と に な つ て ゐ る 密 家 最 極 秘 の 法 賓 で あ る 。 大 師 が 惠 果 和 尚 の 示 誨 に よ り て 特 に 之 を 新 寫 し て 請 來 せ ら れ た に つ い て は 、 そ の や う な 深 重 な 意 義 を 有 し て ゐ る の で あ つ て 、 軍 な る 藝 術 品 と か 參 考 品 と か い ふ や う な 輕 い 意 味 で 傳 持 せ ら れ た も の で は 無 い 。 次 に 道 具 に 就 い て は 録 に 道 具 五 賓 五 鈷 金 剛 杵 一 口 五 賓 五 鈷 鈴 一 口 五 賓 三 昧 耶 杵 三 口 五 賓 獨 鈷 金 剛 三 口 五 賓 羯 磨 金 剛 四 口 五 賓 輪 三 口 已 上 各 着 佛 舎 利 五 賓 金 剛 厥 四 口 金 銅 盤 子 一 口

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獨古

調

便

調

調

(7)

利八

呂南

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碧 瑠 璃 供 養 鏡 二 口 虎 珀 供 養 鈍 一 口 白 瑠 璃 供 養 椀 一 口 紺 瑠 璃 箸 一 具 右 五 種 亦 是 青 龍 阿 閣 梨 之 所 付 也 。 健 陀 穀 子 袈 裟 を 始 と し て 、 供 養 鏡 、 箸 、 合 せ て 五 種 六 點 を 傳 承 し て 歸 朝 せ ら れ た の で あ つ た 。 而 し て 是 等 の 法 賓 物 を 惠 果 阿 閣 梨 か ら 付 囑 を 受 け ら れ た 當 時 の 事 情 に 就 き て は 、 具 に 録 の 中 に 詳 記 せ ら れ て あ る 。 但 し そ れ 等 の こ と に つ い て は 、 今 茲 で 改 め て 申 上 げ る 必 要 も な い が 、 斯 く し て 大 師 が 唐 か ら 傳 へ ら れ だ 法 賓 物 は 、 そ の 後 ど う な つ た か と 云 ふ こ と 、 是 れ は 大 師 の 請 來 物 が 如 何 に 我 が 國 文 化 に 影 響 を 與 へ た か を 考 察 す る う え に 、 多 少 に 拘 ち ず そ の 必 要 が あ る 。 其 の 中 先 づ 第 三 類 の 佛 像 等 に 就 い て 考 へ て 見 る 。 大 師 が 李 眞 等 を 喚 ん で 盡 か せ ら れ た 十 鋪 の 圖 像 の 内 、 傳 法 阿 闇 梨 等 の 影 五 鋪 は 、 現 に 東 寺 の 大 經 藏 に 秘 襲 し て ゐ る の で あ る が 、 佛 菩 薩 金 剛 諸 天 等 像 の 五 幅 、 即 ち 兩 界 曼 荼 羅 關 係 の も の は 、 其 の 眞 本 は 夙 に 散 失 し て 三 部 も 残 つ て ゐ な い 。 但 し 模 本 を 以 て 傳 っ て ゐ る 。 申 す ま で も 無 く 兩 部 の 大 曼 荼 羅 は 密 殺 根 本 の 圓 像 で あ つ て 、 一 宗 と し て 最 極 無二 の 靈 賓 で あ る か ら 、 嚴 重 に 秘 襲 さ れ 泥 こ と は 察 す る に 難 弘 法 大 師 の 藝 術 三 八 九

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弘 法 大 師 の 藝 術 三 九 〇 く な い 、 そ れ か ら 叉 度 々 の 秘 法 勤 修 に 於 て 常 に 之 を 懸 け 奉 り 、 そ の 破 損 の 憂 も 多 い と 同 時 に 、 そ の 新 摸 の 像 を 造 る こ と も 屡 々 行 は れ た 。 大 師 在 世 中 に 於 て 既 に 三 回 も 新 摸 の 兩 界 曼 茶 羅 を 造 顯 せ ら れ た 事 實 が 、 性 靈 集 に 載 せ ら れ た 大 師 自 身 の 記 文 に 依 つ て 明 か に せ ら れ て ゐ る 。 そ の 大 師 が 唐 か ら 請 來 せ ら れ た 李 眞 筆 の 大 悲 胎 藏 大 曼 荼 羅 、 及 び 金 剛 界 九 會 曼 荼 羅 は ど う い ふ も の で あ つ た か 、 爾 後 そ れ が ど う な つ た か と い ふ に 就 て は 、 確 と し た 記 録 と し て 、 其 の 丈 量 に 就 い て 胎 金 倶 に 七 幅 、 三 丈 六 尺 で あ つ た こ と が 、 請 來 目 録 の 中 に 明 記 さ れ て あ る 。 そ の 繪 像 が 絹 本 で あ り 、 し か も そ れ に 五 彩 の 着 色 が あ つ た こ と 、 且 つ 如 何 な る 事 情 か 大 師 在 世 中 、 逸 早 く 破 損 の 厄 に 遇 ひ 、 そ れ が 爲 に 大 師 が 新 摸 の 曼 荼 羅 を 造 ら れ た こ と が 、 性 靈 集 第 七 に 載 す る ﹁ 奉 爲 四 恩 造 二 部 大 曼 荼 羅 願 文 ﹂ の 中 に

、身

,

至八

忿

.

(10)

と 明 記 し て あ る 。 文 中 、 年 三 六 を 過 ぎ て 絹 破 れ 彩 落 ち て 尊 容 化 し な ん と す と あ る は 、 大 師 歸 朝 後 僅 に 十 入 年 に し て し か も そ の 原 本 の 絹 が 破 れ 色 彩 が 剥 落 し て 尊 容 も 化 し て 解 ら な く な つ て 來 た と い ふ の で あ る 。 同 時 に 畫 か れ た 他 の 五 鋪 の 傳 法 阿 閣 梨 等 の 眞 影 が 、 今 大 猜 ほ 嚴 然 と し て 保 存 せ ら れ あ る の に 拘 ら す 、 特 に 兩 部 の 大 曼 荼 羅 の み が 、 僅 か に 二 十 年 も 經 た ぬ 間 に 斯 く 損 壊 さ れ た と い ふ の は 如 何 な る 事 情 に 基 づ く も の か 詳 か で な い が 、 兎 も 角 も 弘 仁 十 二 年 の 四 月 三 日 に 第 三 回 の 轉 寫 が 行 は れ た こ と は 事 實 で あ る 。 而 し て 此 の 兩 界 曼 荼 羅 等 の 圖 寫 は 一 體 那 處 で 行 は れ 、 そ の 檀 越 は 誰 で あ つ た か と い ふ 。 そ の 檀 越 に 就 い て は 天 皇 皇 后 公 卿 衆 庶 等 の 結 縁 が あ つ た こ と が 本 文 に 見 え て ゐ る 。 那 處 で と い ふ こ と に な る と 文 に 明 記 が な い か ら 臆 断 で 定 め る 譯 に は ゆ か ぬ が 、 前 後 の 事 情 か ら 推 測 す る と 、 恐 ら く 高 雄 山 寺 で は な か つ た ら う か 。 假 令 高 雄 山 寺 で な く 京 洛 中 で 畫 か れ た に し て も 、 そ の 成 品 は 同 寺 へ 納 つ た も の で は な い か と 思 は れ る 。 何 故 か と 云 ふ に 、 弘 仁 十 二 年 に は ま だ 東 寺 を 賜 つ て ゐ な い 、 か の 東 寺 を 賜 つ た の は 弘 仁 十 四 年 で あ る し 、 金 剛 峯 寺 の 草 創 は 更 に そ の 後 の こ と で あ る か ら 、 東 寺 並 に 高 野 で な い こ と は 明 か で あ る 。 そ れ で 高 雄 山 寺 で な け れ ば な ら ぬ と い ふ 理 由 は 、 大 師 唐 よ り 歸 朝 已 來 、 密 教 の 本 道 場 と し て 兩 部 の 大 灌 頂 を 修 行 せ ら れ た と こ ろ と い へ ば 高 雄 よ り 他 に な い か ら で あ る 。 そ れ と も う 一 つ 考 へ な く て は な ら ぬ こ と は 、 此 の 時 に 畫 か れ た 兩 部 の 大 曼 茶 羅 が 即 ち 現 在 高 雄 に 傳 へ て ゐ る 古 曼 荼 羅 で あ る 弘 法 大 師 の 藝 術 三 九 一

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弘 法 大 師 の 藝 術 三 九 二 べ き こ と で あ る 。 請 來 の 曼 荼 羅 は 絹 本 彩 色 で あ つ た に 對 し て 、 高 雄 の 曼 荼 羅 は 彩 色 で な く て 金 泥 で あ る 、 此 の 點 は 前 引 願 文 に も 明 記 は な い が 、 そ の 胎 藏 界 が 一 鋪 八 幅 で あ り 、 金 剛 界 が 一 鋪 九 幅 で あ る こ と は 正 し く 現 存 の 遣 品 と 前 の 記 文 と 全 く 合 致 す る の で あ る 。 そ れ と 、 是 れ は 間 接 の 證 據 の 三 に 計 へ 得 る と 思 ふ こ と は 、 醍 醐 本 の 十 天 形 像 が 其 の 奥 に ﹁ 右 本 者 神 護 寺 眞 濟 僧 正 本 云 々 是 大 師 御 本 云 々 ﹂ と 記 し て あ る の は 、 此 の 弘 仁 十 二 年 の 兩 界 曼 荼 羅 と 同 時 に 畫 か れ た 十 大 護 天 王 の 模 本 で あ る こ と を 物 語 つ て ゐ る や う に 見 え る 、 是 れ 亦 併 せ て 高 雄 の 神 護 寺 に 傳 つ た も の と し て 見 る と 、 斯 く 申 す 私 の 想 像 は 十 中 七 入 迄 は 恐 ら く 間 違 ひ な か ら う と 思 ふ 。 此 の 他 に 大 師 は 更 に 幾 回 か 兩 部 大 曼 荼 羅 の 模 本 を 造 ら れ て ゐ る 。 高 野 雑 筆 集 卷 上 に 大 師 が 某 相 公 に 寄 せ ら れ た 書 牘 が あ る が 、 其 の 文 に 中 冬 霜 寒 、 伏 惟 動 止 兼 勝 、 貧 道 器 劣 前 修 、 識 怨 可 畏 、 謬 沐 先 帝 恩 命 、延 暦 末 年 得 入 工大 唐 、 幸 遇 慈 悲 大 師 、 已 遂 本 願 、 大 毘 盧 遮 那 金 剛 界 兩 部 眞 言 秘 教 、 及 二 部 曼 荼 羅 、 灌 頂 傳 授 、 誓 志 言 歸 、 翼 宣 揚 秘 輪 、 大 同 初 年 乃 得 著 岸 、 即 所 將 來 經 及 佛 像 等 、 附 使 高 判 官 、 修 表 奉 進 訖 、 今 上 馭 暦 、 恩 普 卉 . 木 、 有 勅 返 賜 所 進 經 佛 等 、 兼 宣 以 傳 授 眞 言 、 即 率 二 三 弟 子 日 夜 教 授 、 東 大 杲 隣 實 慧 、 元 興 泰

得大

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、一

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命 三、 二 類 已 颯 然 、 生 願 已 満 、 應 傳 亦 了 と あ る 。 此 の 書 は 宛 名 の 人 を 詳 か に せ す 、 又 其 の 年 暦 を 明 に し な い 、 但 し 文 中 の ﹁ 生 年 近 知 命 ﹂ の 句 に ょ り 、 大 師 五 十 歳 に 垂 ん と す る 時 で あ つ た こ と が 解 か り 、 中 冬 の 語 を 以 て 起 筆 し て ゐ る の で 、 年 は 解 ら ぬ な が ら も 月 は 十 一 月 で あ る こ と が 判 然 と し て ゐ る 。 そ の 近 知 命 の 言 を 、 假 り に 四 十 入 歳 と す れ ば 弘 仁 十 二 年 、 四 十 九 歳 と す れ ば 同 十 三 年 と な る 。 弘 法 大 師 年 譜 は 之 を 十 二 年 に 系 し 前 述 の 兩 部 曼 荼 羅 等 二 十 鋪 の 圖 寫 と 同 年 の 事 と し て ゐ る が 、 果 し て 如 何 や 、 い つ れ に し て も 彼 と 此 と 同 一 の 事 實 で な い こ と は 、 年 は 兎 も 角 と し て 月 も 異 へ ば 、 檀 越 も 同 じ で な い 。 即 ち 前 の も の は 四 月 に 書 寫 を 始 め て 八 月 に 畢 つ て ゐ る の に 、 今 者 は 十 一 月 に 於 て な ほ ﹁ 其 功 欲 畢 ﹂ と あ つ て 全 了 し て は ゐ な い 。 そ れ か ら 又 前 者 は 上 御 一 人 を 始 め 衆 多 知 識 の 外 護 を 得 た こ と に な つ て ゐ る が 、 此 の 分 は ﹁ 天 恩 重 流 ﹂ と 云 ひ ﹁ 一 生 再 喜 自 天 而 下 ﹂ と あ る に 徴 し 、 且 つ ﹁ 今 上 馭 暦 ﹂ 云 々 已 下 の 叙 事 か ら 推 し て 、 確 に 弘 仁 帝 の 御 願 に 由 る も の で あ る こ と が 知 ら れ る の で あ る 。 或 は 案 す る に 此 の 曼 荼 羅 は 、 弘 仁 十 三 年 東 大 寺 中 に 新 に 眞 言 院 が 草 創 さ れ 灌 頂 道 場 が 造 建 さ れ た に つ い て 、 そ の 本 尊 の 料 に と て 圖 寫 さ れ た も の で は あ る ま い か 。 但 し 是 れ は ほ ん の 當 座 の 推 測 で あ る 。 此 の 他 に 大 師 が 御 自 身 で 兩 部 曼 荼 羅 を 造 顯 せ ら れ た と い ふ こ と が 、 性 靈 集 第 八 に 載 す る ﹁ 孝 子 爲 先 妣 周 忌 圖 寫 供 養 兩 部 曼 荼 羅 大 大 經 講 説 表 白 文 ] に は 弘 法 大 師 の 藝 術 三 九 三

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弘 法 大 師 の 藝 術 三 九 四 因 茲 移 法 身 海 會 作 兩 部 曼 荼 、 留内 證 微 言 書 毛 軸 眞 典 と あ り 、 ﹁ 勸 進 奉 造 佛 塔 知 識 書 ﹂ に も 於 金 剛 峯 寺 一、 奉 建 砒 盧 遮 那 法 界 體 性 塔 二 基 及 胎 藏 金 剛 界 兩 部 曼 荼 羅 と あ る 。 前 の 分 は 年 代 不 明 で あ る が 、 後 の も の は 承 和 元 年 入 月 一 十 三 目 の 撰 文 で あ る 。 而 し て そ の 高 野 の 曼 荼 羅 に つ き て は 、 東 賓 記 に 引 く 所 の 圓 明 房 の 記 に よ れ ば 、 ﹁ 彩 色 本 五 幅 、 も と 中 院 に 在 り 、 當 時 は 北 院 の 經 藏 に 在 り ] と あ る 。 い つ れ に し て 大 師 御 在 生 中 に 大 小 幾 許 か の 兩 界 曼 荼 羅 の 模 本 の 出 來 た こ と は 事 實 で あ る 。 却 説 、 朝 廷 か ら 大 師 に 東 寺 を 賜 つ た の は 同 十 四 年 の 正 月 で あ る が 、 此 の 時 に 至 つ て 始 め て 眞 言 秘 教 の 根 本 道 場 が 定 つ た 譯 で あ つ て 、 歸 朝 以 來 彼 方 此 方 と 随 身 し て 居 ら れ た 請 來 の 法 文 道 具 等 が 此 の 寺 の 大 經 藏 に 納 ま つ た 次 第 で あ ら う 。 彼 の 御 請 來 の 兩 部 曼 荼 羅 の 正 本 も 同 時 に 此 處 に 傳 へ ら る ゝ に 至 つ た こ と ゝ 思 は れ る 。 古 來 兩 界 曼 荼 羅 と い へ ば 東 寺 所 傳 の 五 彩 の 曼 荼 羅 を 以 て 規 模 と す る の で あ る が 、 そ れ は 御 請 來 の 正 本 を 以 て 依 憑 と す る も の で あ る こ と は 勿 論 で あ る 。 と こ ろ が 此 の 御 請 來 の 正 本 な る も の が 、 既 に 弘 仁 十 二 年 中 に 絹 破 れ 綵 落 つ る と い つ た や う な わ け で 第 三 回 の 轉 寫 が 行 は れ て ゐ る 。 但 し 高 雄 の も の は 命 泥 で あ つ て 五 彩 で は な い 。 そ れ が た め と い ふ 譯 で は あ る ま い が 、 此 の 時 灌 頂 院 の 備 付 と し て 正 本 に 由 る 五 彩 の 兩 界 曼 荼 羅 が 、 長 者 實 恵 僧 都 に 由 つ て 圖

(14)

廿

一也

(中

)

昌新

也、

之、

也、

自 天 永 三 年 至 建 久 二 年 經 八 十 年

於根

長 筥 一 合 納 之

金 剛 界 者 一 會 曼 茶 羅 也 、 兩 界 同 加 圓 外 部 天 尊 弘 法 大 師 の 藝 術 三 九 五

(15)

廿

,

.

.

後 納 長 筥 合 也 、 此 外 兩 界 大 曼 茶 羅 各 一 鋪 、 菩 提 院 寛 惠 僧 正 為 後 七 日 御 修 法 被 施 入 之 、 近 年 加 修 補 了 、 眞 言 院 回 祿 之 時 、 根 本 曼 茶 羅 炎 上 之 故 、 其 後 今 用 昌敷曼 荼 羅云々 仍 被 寄進 之

西

五 幅 在 庫 院 當 、 時 在 北 院 經 藏

若 西 院 内 陣 所 レ 懸 、 三 幅 彩 色

(16)

本 歟 云 々 、 私 云 、 西 院 内 陣 兩 界 曼 茶 羅 、 文 治 二 年 十 月 五 日 、 北 院 御 室 被 召 渡 升 帖 策 子 乏 時 、 同 被 召 之 云 々 、 是 中 古 當 時 荒 廢 之 刻 、 天 下 騒 亂 之 時 、 依 有 散 失 之 恐 也 、 其 後 代 遷 人 化 、 而 依 不 辮 子 細 、 于 今 不 及 返 納 御 沙 汰 者 也 、 件 曼 茶 羅 大 師 御 筆 云 々 、 可 尋 之 今 是 等 三 所 の 記 文 を 見 る に 、 そ の 第 一 と 第 二 と は 倶 に 同 一 の 曼 茶 羅 に 關 す る 記 事 で あ る 。 即 ち 一 は 懸 け 奉 ら れ た 灌 頂 院 に つ き 、 一 は 之 を 納 置 し た 大 經 藏 に つ き 便 宜 之 を 記 入 し た に 過 ぎ ぬ 、 蓋 し 東 寺 の 灌 頂 院 は 弘 法 大 師 の 御 草 創 で は あ る が 、 そ の 在 世 中 に 完 成 に 至 ら す 實 恵 僧 都 の 時 、 始 め て 灌 頂 御 願 を 修 す る に 至 つ た も の 、 從 つ て 同 院 の 本 尊 た る 兩 界 曼 茶 羅 が 僧 都 の 時 に 成 つ た と い ふ 事 も 、 事 實 當 に 爾 有 る べ き で あ る 。 而 し て そ の 曼 茶 羅 の 筆 寫 に つ き て は 、 必 す 御 請 來 の 正 本 の 曼 茶 羅 に 由 り 五 彩 を 施 し 、 て 圖 寫 さ れ た も の で あ る に 相 蓮 な い 、 或 記 の 説 に 高 雄 の 曼 茶 羅 に 由 つ て 圖 繪 し た と 傳 ふ る こ と の 允 當 な ら ざ る こ と は 既 に 杲 賓 法 印 の 指 示 せ ら れ た 通 り で あ る 。 御 請 來 正 本 の 兩 界 曼 茶 羅 が 其 の 後 ど う な つ た か 那 處 に 秘 藏 さ れ た か と 云 ふ や う 様 な 問 題 に 就 き て は 之 を 證 定 す べ き 確 と し た 記 録 は 残 っ て ゐ な い 。 杲 賓 法 印 は 當 時 寳 藏 に 見 在 す る と こ ろ の 兩 部 大 曼 茶 羅 の 古 像 は 、 是 れ 檜 尾 僧 都 の 圖 繪 か 將 た 又 大 師 請 來 の 正 本 か 子 細 を 知 ら す と 云 ふ て ゐ る が 、 御 請 來 の 正 本 は 弘 仁 十 二 年 に 既 に 絹 破 れ 彩 落 ち て 摸 本 作 製 の 必 要 が あ つ た と 云 ふ 位 で あ る か ら 、 そ の 後 更 に 二 百 弘 法 大 師 の 藝 術 三 九 七

(17)

西

(18)

三 幅 、 私 云 、 吾 朝 結 緑 灌 頂 、 傳 法 灌 頂 所 用 数 曼 茶 羅 歟

(紙

、其

界□

云□

)

西

い 。

使

使

る 。 弘 法 大 師 の 藝 術 三 九 九

(19)

出録 八十 一 尊 曼 茶 羅 云 々 と 記 し て あ る 。 南 御 室 と は 仁 和 寺 歴 代 の 法 親 王 の 中 、 そ の 誰 方 に 當 る や 今 自 分 の 手 許 に 之 を 詳 に す べ き 參 考 書 が な い が 、 兎 も 角 も 寛 助 信 正 以 來 廣 澤 流 に 相 承 の あ つ た も の と 見 ら れ る 。 そ れ を 版 に 興 さ れ た の が 極 め て 近 代 の こ と で あ る と こ ろ を 見 る と 、 御 室 か 嵯 峨 か い つ れ か の 本 山 に 古 曼 茶 羅 も 版 木 も 人 知 れ す 珍 襲 し て 居 ら る ゝ の で は あ る ま い か 。 圖 は 大 正 新 修 大 藏 經 圖 像 第 一 卷 に 收 載 し て あ る と ほ り 、 五 佛 、 四 波 羅 蜜 、 十 六 大 菩 薩 、 十 二 供 養 、 賢 劫 十 六 尊 、 二 十 天 、 四 神 、 四 明 王 の 八 十 一 尊 そ れ に 賢 劫 千 佛 も 書 き 加 へ ら れ て あ る 。 成 身 一 會 の 曼 茶 羅 と い へ ば さ う い へ ぬ こ と も な い が 、 九 會 の 中 成 身 會 だ け を 引 き 抜 い て 圖 し た も の と い ふ の で は な い 。 此 は 別 に 獨 立 し た も の で 、 五 解 脱 輪 中 の 二 十 五 尊 と 香 花 燈 塗 の 外 の 四 供 養 は そ れ み ぐ 五 種 の 座 に 乗 御 し て ゐ ら れ 、 且 つ 外 院 の 四 隅 に は 四

(20)

明 王 が ゐ ら れ 、 一 目 し て 成 身 倉 そ の も の で な い こ と が 解 る 。 そ の 上 尊 形 な ど も 大 部 異 つ て ゐ る 。 例 せ ば 外 院 の 拘 摩 羅 天 の 如 き 、 普 通 の 九 會 曼 茶 羅 の も の は 荷 葉 座 に 坐 し て ゐ ら れ る が 、 今 圖 で は 六 面 で 孔 雀 に 乗 り 、 右 手 は 蓮 華 の 上 に 鈴 あ る を 持 し て ゐ る 。 胎 藏 の 圖 に 似 て 而 も 持 物 が 異 つ て ゐ る 、 其 の 餘 推 知 す べ き で あ る 。 そ し て 五 佛 、 四 波 、 十 六 菩 薩 、 外 四 供 等 が 五 種 座 に 乗 つ て ゐ ら る と こ ろ 、 外 院 の 四 隅 に 四 大 明 王 の 在 す と こ ろ な ど は 、 台 密 家 所 傳 の 一 會 曼 茶 羅 に 酷 似 し て ゐ な い で も な い が 、 實 質 的 に は 是 れ 亦 大 に 相 違 し て ゐ る 。 例 せ ば 、 四 佛 の 獣 座 、 今 本 で は 象 、 馬 等 各 一 體 で あ る が 、 台 家 の 本 は そ れ み ぐ 七 数 を 畫 い て あ る 、 賢 劫 千 佛 は 無 く 、 今 例 と し て 擧 げ た 二 十 天 中 の 拘 摩 羅 天 の 如 き 、 普 通 の 荷 葉 座 で あ る 。 そ れ に 四 隅 の 四 大 明 王 、 行 宴 の 金 剛 界 尊 號 、 興 然 の 可 七 集 の 説 の 如 く 、 今 本 は 東 北 角 降 三 世 、 東 南 角 六 足 尊 . 西 南 角 馬 頭 、 西 北 角 軍 茶 利 で あ る が 、 台 家 本 は 安 然 の 金 剛 界 諸 尊 種 子 、 叡 山 本 金 剛 界 曼 茶 羅 等 の 説 に 一 致 し て 東 北 角 不 動 、 東 南 角 降 三 世 、 西 南 角 軍 茶 利 、 西 北 角 大 威 徳 で あ る 。 詳 細 な る 比 較 は 他 日 別 の 機 會 に 述 ぶ る こ と も あ ら う が 、 い つ れ に し て も 他 本 と は 別 に 一 種 獨 特 の も の で あ る こ と は 明 か で あ る 。 次 に 五 鋪 の 傅 法 阿 闇 梨 等 影 に 就 き て は 、 始 め は 大 師 御 自 身 の 手 許 に 護 持 し て 居 ら れ た 、 一 時 左 大 将 の 傳 語 に よ り 其 の 使 河 内 浄 濱 に 托 し て 相 公 の 許 に 送 ら れ た 消 息 文 が 高 野 雑 事 集 の 中 に 載 つ て ゐ る 。 東 寺 を 賜 つ て 以 後 は 、 同 寺 の 大 經 藏 に 秘 襲 さ る ゝ こ と に な り 、 現 在 猶 ほ 國 家 の 靈 賓 と し て 嚴 存 し て ゐ る 弘 法 大 師 の 藝 術 四 〇 一

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