初 期 朝 鮮 密 教 私 考 前 田 聽 瑞 一 小 序 由 來 、 朝 鮮 宗 教 の 史 料 は 極 め て 乏 し く 、 其 佛 教 に 關 係 す る も の す ら 、 僅 か に 朴 永 善 の ﹁ 朝 鮮 禪 教 考 ﹂ 一 卷 の 存 す る の み で あ る 。 其 他 、 金 富 軾 の ﹁ 三 國 史 記 ﹂ 五 十 卷 、 覺 訓 の ﹁ 海 東 高 僧 傅 ﹂ 二 卷 及 び 無 極 一 然 の ﹁ 三 國 遺 事 ﹂ 五 卷 等 に 散 見 す る 史 料 を 蒐 集 し 辛 ふ じ て 朝 鮮 古 代 佛 教 の 状 態 の 一 端 を 窺 ふ こ と を 得 る に 止 ま る の で あ る 。 就 中 ﹁ 三 國 史 記 ﹂ は 高 麗 仁 宗 第 二 十 三 年 (崇 徳 帝 久 安 元 年 西 暦一 一 四 五 ) の 修 撰 に 係 り 、 今日 殘 存 せ る 朝 鮮 古 書 中 最 古 の も の な る が 其 取 材 の 大 部 分 は 之 れ を 漢 よ り 唐 に 至 る 諸 史 に 徴 し た も の で あ る 。 ﹁ 海 東 高 僧 傳 ﹂ (大日 本 佛 教全 書 、 遊 方傅 最 書 第二 に收 も ) は 近 時 朝 鮮 に 於 い て 發 見 せ ら れ た る 一 逸 書 で あ っ て 其 撰 述 の 時 代 は 既 に 高 麗 高 宗 第 二 年 (順 徳 帝 建 保 二 年 西 暦 一 二 一 五 ) の こ と で あ る か ら 、 確 か に 朝 鮮 僧 傳 の 白 眉 で あ る が 惜 い 哉 現 存 の 僧 傳 は 僅 か に 二 卷 を 遺 す の み で 何 ん だ か 物 足 り な い 。 而 し て 、 海 東 高 僧 傳 に 遲 る ゝ こ と 約 數 十 年 に し て 撰 ば れ た る ﹁ 三 國 遺 事 ﹂ は 元 來 佛 氏 立 教 の 源 流 と し て 作 ら れ た も の で あ る か ら 文 献 荒 廢 の 朝 鮮 に 於 い て は 確 か に 學 界 の 珍 と す べ き も の で あ る が 、 元 來 佛 氏 立 教 の 源 流 を 叙 せ ん が □ 初 期 朝 鮮 密 敢 私 考 四 九
□ 密 教 研 究 五 〇 た め に 作 ら れ た も の で あ る か ら 時 に 無 端 虚 妄 の 説 が 混 つ て 居 つ て 悉 く 信 す る こ と が 出 來 な い 。 加 ふ る に 古 入 が 朝 鮮 佛 教 に 關 す る 研 究 は 殆 ん ど 絶 無 で あ る 。 而 し て 近 時 尚 ほ 朝 鮮 佛 教 に 關 す る 好 著 に 接 せ な い の であ る 。 若 し 強 い て 所 藏 を 探 ぐ ら ば 鮮 人 李 能 和 の ﹁ 朝 鮮 佛 教 通 史 ﹂ ( 上 中 下 三編二卷 )あ る の み で あ る 朝 鮮 佛 教 學 界 の 荒 凉 實 に 思 ふ べ き で あ る 。 況 ん や 、 朝 鮮 密 教 の 研 究 の 如 き は 眞 に 寥 々 と し て 其 心 細 さ は 語 る に 忍 び な い の で あ る が 、 以 下 暫 ら く 二三 の 書 を 頼 り に 強 い て 初 期 朝 鮮 密 教 の 迷 宮 に 彷 ふ こ と ゝ す る 。
二
朝
鮮
佛
教
史
の
區
分
ご
初
期
朝
鮮
密
教
私
考
案
す
る
に
、
高
勾
麓
の
小
獣
林
王
の二
年
に
佛
教
が
始
め
て
朝
鮮
半
島
に
傳
は
つ
て
か
ら
、
現
代
朝
鮮
総
督
府
時
代
に
至
る
ま
で
凡
そ
一
千
五
百
四
十
有
餘
年
の
星
霜
を
經
て
ゐ
る
。
とこ
ろ
で
、
此
朝
鮮
佛
教
史
を
如
何
に
區
分
す
べ
き
か
は
史
家
に
於
い
て
各
々
異
見
の
あ
る
と
こ
ろ
で
あ
ら
う
が
、
若
し
今
此
れ
を
時
代
史
の
上
か
ら
區
分
す
る
時
は
概
略
次
の
如
く
五
大
時
期
に
區
分
す
る
こ
と
が
出
來
る
と
思
ふ
。
第一
期
三
國
分
立
時
代
西
暦三七二六
六
八
第
二
期
新
羅
統一
時
代
西
暦
六
六
八
九
三
五
第
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期
高
麗
統
一
時
代
西
暦
九
三
五
一
三
九
二
第 四 期 朝 鮮 時 代 西 暦一 三 九 二 一 九一 〇 第 五 期 朝 鮮 總 督 府 時 代 西 暦 一 九 一 〇 と こ ろ で 、 三 國 分 立 時 代 に 於 け る 支 那 と の 關 係 は 比 較 的 密 接 で 、 南 北 朝 の 文 物 工 藝 は ま つ 高 勾 麗 に 入 り 、 次 で 百 濟 新 羅 に 入 り 込 ん で ゐ る 。 佛 教 も 亦 た 此 順 序 で 三 國 に 傳 播 し た の で あ る 。 斯 く し て 佛 教 は 漸 次 海 東 の 社 會 に 其 勢 力 を 養 ひ 、 其 隆 盛 が 頂 點 に 達 し た の は 新 羅 で は 法 興 、 眞 興 の 二 王 、 百 濟 で は 聖 王 の 時 で あ つ て 、 其 潮 流 が 日 本 佛 教 と な つ て 推 古 時 代 を 形 造 く る の で あ る 。 從 つ て 三 國 時 代 の 佛 教 は 支 那 南 北 朝 の 佛 教 と 日 本 の 推 古 時 代 の そ れ と の 連 鎖 を な し て ゐ る 。 而 し て 、私 の 所 謂 ﹁ 初 期 朝 鮮 密 教 私 考 ﹂ と は 此 時 代 の 密 教 の 一 觀 察 な の で あ る 。 三 三 國 分 立 時 代 の 佛 教 大 觀 私 は 初 期 の 朝 鮮 密 教 即 ち 三 國 分 立 時 代 の 朝 鮮 密 教 の 叙 述 を 進 め る 前 に 、 此 時 代 の 佛 教 を 大 觀 し て 置 き た い と 思 ふ 。 抑 々 海 東 に 佛 教 の 傳 來 し た の は 高 勾 麗 の 小 獣 林 王 即 位 第 二 年 (東 量 間 文 帝 咸 安 二 年 、 日 本 仁 徳 帝 即 位 六 十 年 、 西 暦 三 七 二 ) 秦 王 符 堅 が 王 使 及 び 浮 屠 順 道 を 遣 は し て 佛 像 經 卷 を 齎 ら し た の が 蓋 し 文 献 に 現 は れ た る 矯 矢 で あ る 。 ﹁ 三 國 史 記 ﹂ に は 、 □ 初 期 朝 鮮 密 教 私 考 五 一
□ 密 教 研 究 五 二 小 獸 林 王 壬申 二 年 夏 六 月 、 秦 王 符 竪 、 遣 使送 浮 屠 順 道 及 佛 像 佛 經 于 高 勾 麗 、 王 遣 使 謝 、 以其 書 教 子 弟 、 高 勾 麗 佛 法 始 此 、 と あ る か ら 、 王 は 佛 教 の 傅 來 を 非 常 に 歡 迎 し た も の ら し い 。 引 き 續 き 四 年 に 僧 阿 道 の 來 る や 、 王 は 之 れ を 遇 す る こ と 厚 く 、 翌 五 年 春 二 月 始 め て 省 門 寺 を 建 て ゝ 順 道 を 置 き 、 又 伊 弗 蘭 寺 を 創 立 し て 阿 道 に 提 供 し て ゐ る 。 斯 く の 如 く 朝 鮮 の 佛 教 は 頗 る 順 調 に 傳 播 せ ん と し た の で あ る 。 そ う し て 佛 教 の 傳 來 は 唯 單 に 佛 像 經 卷 の み で は な く . 建 築 繪 畫 彫 刻 織 物 鑄 造 等 の 技 術 を も 隨 伴 し 來 つ た か ら 、 教 田 の 開 拓 に つ れ て 此 等 の 技 術 も 漸 次 民 間 に 擴 ま り 、 高 勾 麗 の 文 化 は 年 と 共 に 發 展 し て 行 つ た の で あ る 。 廣 開 土 王 即 位 ( 晋 、 太 元 十 七 年 西 暦 三 九 二 ) す る や 、 直 ち に 下 教 し て 國 民 に 佛 法 を 崇 信 す べ き を 諭 し 、 且 つ 有 司 に 命 じ て 國 社 を 建 て 宗 廟 を 修 め し め 給 ひ 、 次 で 二 年 八 月 に は 平 壞 に 九 箇 寺 を 剏 立 せ ら れ て ゐ る 。 こ う い ふ 工 合 に 佛 教 は 非 常 な る 速 力 で 高 勾 麗 の 上 下 を 風 靡 し た が 、 儒 教 と の 關 係 も 圓 滿 で 何 等 の 波 瀾 も な か つ た こ と は 支 那 大 陸 の 比 で は な い 。 (李 朝 に 至 つ て 、 政 治 上 の 關 係 か ら 、 儒を 貴 び 佛 な 斥 け ぬ 結 果 、 多 少 の 波 瀾 な 惹 き 起 した こと も あ る が 、 こ れ 等 は 極 め て 些 細 な こ と で あ る 。 ) 且 つ 後 に 傳 來 し た 道 教 と の 關 係 も 亦 た 頗 る 圓 滑 で あ つ た 。 百 濟 の 佛 教 は 、 こ れ よ り 十 二 年 を 經 て 、 東 晋 太 元 九 年 ( 日 本 仁 徳 帝 七 十 二 年 西 暦 三 百 八 十 四 年 ) に 傳 へ ら れ た の で あ る 。 即 ち 、 ﹁ 三 國 史 記 ﹂ に は 枕 流 王 甲申 元 年 九 月 、 胡僧 摩 羅 難 陀 、 自 晉 至 。 百 濟 王 迎 致 宮 内 、 禮 敬 焉 。 百 濟 佛 法 始 此 。 と あ る 。 次 で 翌 年 春二月 、 百 濟 は 佛 寺 を 新 都 漢 山 に 創 建 し 僧 十 人 を 度し た と い ふ 。 聖 王 (普 通 四 年 、 繼 体 帝 一 七 、 西
暦 五 二 三 即 位 ) の 四 年 に は 直 濟 沙 門 謙 益 は 梵 文 並 に 律 部 の 攻 究 の た め に 遠 く 中 印 度 に 入 り 、 十 九 年 に は 百 濟 は 其 使 者 を 粱 に 遣 は し て 毛 詩 博 士 、 涅 槃 經 義 、 工 匠 畫 師 等 を 請 ひ 求 め た こ と が ﹁ 三 國 史 記 ﹂ や ﹁ 東 國 通 鑑 ﹂ に 記 載 さ れ て ゐ る 。 斯 く し て 百 濟 の 佛 法 は 聖 王 の三二 十 年 に 我 國 に 弘 通 せ ら れ た の で あ る 。 ( 日 本 書 紀 十 九 等 參 考 ) 百 濟 と 日本と 關 係 は 人 の 既 に 悉 知 せ る 所 で あ る か ら 茲 に は 述 べ な い こ と ゝ す る が 、 法 王 高 宣 (隋 、 開 皇 十 九 年 、 推 古 帝 七 年 西 暦 五 百 九 十 九 年 即 位 ) の 如 き は 、 即 位 の 冬 詔 を 下 し て 殺 生 を 禁 じ 、 民 家 養 ふ と こ ろ の 鷹 鷄 を 收 め て 之 れ を 放 ち 漁 獵 の 具 を 禁 じ 、 越 へ て 翌 年 春 正 月 に は 王 興 寺 を 建 て 僧 三 十 人 を 度 す る ( 三 國 史 記、 三 國 遺 事 參 考 ) な ど 百 濟 の 佛 教 も 決 し て 盛 ん な ら す と す る こ と が 出 來 な い 。 然 り 、 而 し て 新 羅 の 佛 教 は 其 傳 來 尤 も 遲 く 、 法 興 王 ( 梁 武 帝 天 監 十 二 年 、 繼 体 帝 七 年 、 西 暦 五一三 即 位 ) の 十 五 年 に 肇 め て 佛 法 を 行 ふ に 至 つ た の で あ る 。 法 興 王 は 英 明 の 君 で 、 且 つ 佛 法 を 信 す る こ と 篤く 、 十 六 年 に は 令 を 下 し て 殺 生 を 禁 じ 、 二 十 二 年 に は 大 興 輪 寺 、 永 興 寺 を 創 建 せ ら れ て ゐ る 。 (三 國 史 記 四 、 三 國 遺 事 三海東 高 僧傅 、一 等 寸參 考 ) 次 で 眞 興 王 ( 梁 大 同 六 年 、 欽 明 帝 元 年 西 暦 五 百 四 十 年 即 位 ) が 即 位 せ ら れ た が 王 は ま た 頗 る 付 き の 佛 教 信 者 で あ つ た 。 即 位 第 五 年 に は 出 家 得 道 並 び に 佛 寺 の 興 立 を 許 さ れ て ゐ る 。 ( 三 國 史 記 、 四 、 東 國 通 鑑 、 五 等 參 考 ) 又 十 年 に 入 梁 僧 覺 徳 は 梁 使 と 共 に 佛 舍 利 を 齎 し て 歸 國 し た が 、 王 は 百 官 を し て こ れ を 興 輸 寺 の 前 路 に 奉 迎 せ し め て ゐ る 。 ( 三 國 史 記 四 、 三 國 遺 事 、三 、等 參 照 ) 十 二 年 に は 惠 亮 を 以 て 僧 統 と な し 、 百 座 講 會 及 び 八 關 會 の 法 を 設 け て 佛 法 の 弘 通 に 腐 心 し て 居 ら れ る 。 ( 三 國 遺 事 四 等 參 考 ) 次 で 十 四 年 に は 新 宮 を 舍 て ゝ 皇 龍 寺 を 創 め ら れ て 居 る 。 ( 三 國 遺 事 三 、 東 國 通 鑑 五 、) 二 十 六 年 八 月 に は □ 初 期 朝 鮮 密 教 私 考 五 三
□ 密 教 研 究 五 四 陳 使 劉 思 及 び 入 學 僧 明 觀 等 來 つ て 釋 氏 經 論 千 七 百 有 餘 卷 を 齎 ら し ( 三 國 史 記 、 三 、 三 國 遺 事 、 三 、) 二 十 七 年 春 二 月 に 礦 祗 園 、 實 際 の 二 寺 竣 成 し 、 又 三 十 三 年冬 十 月 二 十 日 戰 死 士 卒 の た め に 八 關 會 を 營 む (東 國 通 艦 五 、 ) な ど 新 羅 は 漸 く 佛 教 國 た ら ん と し た の で あ る 、 而 し て 眞 興 王 は 晩 年 に 至 つ て祝 髪 し て 僧 衣 を 着 し 自 ら 法 雲 と 號 じ 、 王 妃 亦 た 之 れ に 傚 つ て 尼 と な る に 至 る や 、 崇 佛 の 風 蕩 然 と し て 上 下 を 浸 し 國 俗 又 革 ま る に 至 つ た 。 ( 東 國 通 鑑 、 五 、 三 國 史 記 四 、 海 東 高 僧 傳 一 等 參 考 ) 殊 に 眞 平 王 ( 陳 宣 帝 大 建十 一 年 、 日本敏達 帝八 年 、西 暦五七 九 即 位 ) の 時 量 り 、 智 明、 曇 育 、 圓 光 等 の 高 僧 一 時 に 輩 出 し 、 皆 相 踵 い で 陳 に 入 つ て 法 を 求 め 、 王 も 亦 把 三 郎 寺 を 創 め て 佛 法 を 盛 ん に し 、 殊 に 永 興 寺 出 火 の 際 の 如 き は 王 親 ら 現 場 に 臨 ん で 之 れ を 救 ふ な ど 實 に 空 前 の 光 景 で あ る 。 ( 三 國 史 記 四 ) 三 十 五 年 秋 七月 、 隋 使 王 世 儀 皇 龍 寺 に 至 る や 百 高 座 を 設 け て 圓 光 等 を 邀 へ て 徑 を 説 か し め ( 三 國史記 四、 三 國遺 事 四、 參 考 ) 四 十 四 年 正 月 に は 皇 龍 寺 に 親 幸 の 事 が あ る。 新 羅 佛 教 の 隆 盛 は 茲 に 至 つ て 殆 ん ど 其 極 點 に 達 し た の で あ る。 而 し て 善 徳 女 王 (唐 、 貞觀 六 年 、日 本 欽 明 帝 四 年 、 西 暦 六 三 二 ) の 時 代 に 於 い て 注 意 せ な け れ ば な ら ぬ の は 海 東 に 於 け る 空 前 絶 後 の 皇 龍 寺 九 層 の 塔 の 竣 成 と 慈 藏 の 歸 朝 及 び 阿 離 那 跋 密 本 惠 通 等 の 輩 出 で め る 。 結 局 、 新 羅 の 佛 教 は 其 傳 來 に 於 い て は 麗 濟 二 國 に 遲 れ て ゐ る が 弘 通 の 點 に 於 い て は 遙 か に 一 頭 地 を 援 い て ゐ る の で あ る 。 以 上 簡 單 に 述 べ 來 つ た 三 國 時 代 の 佛 教 は 謂 ふ ま で も な く 開 拓 時 代 の 佛 教 で あ る 。 創 興 時 代 の 佛 教 で あ る 。 強 い て 當 て は め て 見 れ ば 梁 陳 隋 時 代 の 佛 教 で あ る。 が 更 に 一 歩 進 ん で 斯 か る 時 代 に 如 何 な
る 人 に 依 つ て 如 何 な る 宗 派 が 擴 め ら れ た で あ ら う か と い ふ こ と を 調 べ る の は 極 め て 興 味 あ る 問 題 で あ る が 、 こ は 暫 ら く 他 日 の 攻 究 に 譲 つ て 今 は 唯 だ 此 時 代 に 於 け る 密 教 を 考 覈 す る こ と に 止 め て 置 く 。 四 初 期 の 朝 鮮 密 教 僧 ( い ) 密 教 沙 門 惠 通 年 代 は 餘 り 明 了 で は な い が 、 三 國 分 立 時 代 の 晩 年 に 惠 通 と い ふ 密 教 僧 が あ つ て 、 密 教 的 見 地 か ら 穣 災 治 病 の 秘 術 を 試 み 着 々 成 功 し て 冨 代 に 重 き を な し 柁 も の ら し い。 事 實 は ど う で あ ら う と も 文 献 の 上 で は 入 唐 し て 善 無 畏 三 藏 か ら 印 訣 を 傳 へ た と の こ と で あ る 。 惠 通 の 傳 記と し て 見 る べ き も の は 先 づ ﹁ 三 國 遺 事 ﹂ 第 五 神 呪 編 に 載 せ ら れた る 惠 通 降 龍 の 記 事 だ ら う 。 此 記 事 は 便 宜 上 六 段 と す る こ と が 出 來 る 。 第 一 段 は 惠 通 出 家 の 動 機 、 第 二 段 は 善 無 畏 三 蔵 と の 關 係 、 第 三 段 は 唐 の 高 宗 と の 關 係 、 第 四 段 は 惠 通 降 龍 の 始 末 を 叙 べ つ ゝ 惠 通 の 歸 朝 と 鄭 恭 、 神 文 王 、 孝 昭 王 と の 關 係 を 描 き 出 し 、 第 五 段 に は 神 文 王 の 發 疽 と 惠 通 穣 災 の 事 を 載 せ 、 第 六 段 は 再 び 惠 通 と 善 無 畏 三 藏 と の 關 係 を 以 て 結 ん で ゐ る 。 ま づ 惠 通 出 家 の 動 機 及 び 善 無 畏 三 藏 と の 關 係 に 就 い て は 次 の 如 き 記 録 が あ る 。 釋 惠 通 、 氏 族 未 詳 、 白 衣 之 時 、家在 南 山 西 麓 銀 川 洞 之口 、 今 南 澗 寺 東 里 、 一 日 遊 舍 東 溪上 、 捕 一 獺 屠 之 、 棄 骨 園 中 、 □ 初 期 朝 鮮 密 教 私 考 五 五
□ 密 教 研 究 五 六 詰 旦 亡 其 骨 、 跡 血 尋 之 、 骨 還 舊 穴 、 抱 五 兒 而蹲 , 郎 望 見 、 驚 異 久 之 、 感 歎蹴 躇 、 便 棄 俗 出 家 、 易 名 惠 通 。 往 唐 謁 無 畏 三 藏請 業 、 藏 日 隅 夷 之 人 豈 堪 法 器 、遂 不 開 授 、 通 不 堪 輕 謝 去、 服勤 三 載 、 猶 不 許 、 通 乃 憤 悲 、 立 於 庭 、 頭 戴 火 盆 須 叟 頂 裂 、 聲 如 雷 、 藏 聞 、 來 視 之 、 撤 火 盆、 以 指 按 裂 處 、 誦 神 呪 瘡 合 如 平 日 、 有 暇 如 王 字 文 、 因 號 王 和 尚、 深 器 之 、 傳 印 訣 。 出 家 の 動 機 は 暫 ら く 不 問 に 附 す る に し て も 、 此 文 献 に 徴 す れ ば 善 無 畏 三 藏 と の 關 係 は 頗 る 明 白 で 毫 も 怪 し む と こ ろ が な い 。 第 三 段 唐 の 高 宗 こ の 關 係 は 亦 た 善 無 畏 三 職 こ の 關 係 か ら 引 き 出 さ れ て ゐ る。 即 ち 同 書 は 次 の 傳 説 を 掲 げ て ゐ る 。 時 唐 室 有 公 主 疾 病 、 高 宗請 救 於 三 藏 、 擧 通 自 代 、 通 受 教 別 處 、 以 白 豆 一 斗 呪 、 銀 器 中 變 白 甲 神 兵 、 逐 崇 不 克 、 又 以 黒 豆 一 斗 呪 、 金 器 中 變 黒 甲 神 兵 、 令二 色 合 逐 之 、 忽 有 蛟龍 走 出 、 疾 邃 疹 、 龍 怨 通 之 逐 己 也 、 來 本 國 文 仍 林 、 害 命 尤 毒 。 第 四 段 は 次 の 如 く 惠 通 降 龍 の 記 事 を 中 心 に し て 惠 通 歸 朝 の 年 代 を 明 ら か に 麟 徳 二 年 (唐 太 宗 時 代西 暦 六 六五 ) と し て ゐ る 。 從 つ て 此 時 代 に 比 較 的 近 い 神 文 王 ( 唐 太 宗 開 燿 元 年 、 西 暦 六 八 一 即 位 ) 孝 昭 王 ( 唐 中 宗 嗣 聖 九 年 西 暦 六 九二即 位 ) 等 の こ と が 加 は つ て ゐ る 。 是 時 、 鄭 恭 奉 使 於 唐 、 見通 而 謂 曰 、 師 所 逐 毒 龍 、 歸 木 國 害 甚 、 速 去 除 之 、 乃 與 恭 以 麟 徳 二 年 乙 丑 還 國 、 而 黜 之 、 龍 又 怨 恭 、 乃 托 之 柳 、 生 鄭 氏 門 外、 恭 不 之 覺 但 賞 其 葱 密 酷 愛 之 。 及 神 文 王 崩 、 孝 昭即 位 、 修 山 陵 除 葬 路 、 鄭 氏 之 柳 當 道 、 有 司 欲 伐 之 、 恭 恚 曰 、 寧 慚 我 頭 、 莫 伐 此 樹 、 有 司 奏 聞 、 王 大 怒 、 命 司冦 曰 、 鄭 恭 恃
王 和尚 神 術 將 謀 不 遜 、 侮逆 王 命 、 言 斬 我 頭 宜 從 所 好 、 乃 誅 之 坑 其 冢 、 朝 議 王 和 尚 輿 恭 甚 厚 、 應 有 嫌 宜 先 圖 之 、 乃 徴 甲 尋 捕 。 通 在 王 望 寺 、 見 甲 徒 至 。 登 屋 携 砂 瓶研 朱 筆 而 呼 曰 見 我 所 爲 、 乃 於 瓶 項 、 抹 一 畫 曰 、 爾 輩 宜 各 見 項 、 視 之 皆 朱畫 、 相 視 愕 然 、 又 呼 曰 、 若 斷 瓶 項 、 應 斷 爾 項 如 何 、 其 徒 奔 走 、 以 朱 項 赴 王 、 王 曰 和 尚 神 通 、 豈 人 力 所 能 圖 、 乃 捨 之 。 王 女 忽 有 疾 、 詔通 治 之 、 疾 癒 、 王 大 悦 、 通 因 言 恭 被 毒 寵 之 汚 、 濫 膺 國 刑 、 王 聞 之 心 悔 乃免 恭 妻 奴 子 、 拜 通 僞 國 師 、 龍 既 報 寃 於 恭 、 往 機 張 山 爲 熊神 、 慘 毒 滋 甚 、 民 多 便 之 、 通 到 山 中 、 諭 龍 授 不 殺 戒 、 神 害 乃 息 。 第 五 段 は 惠 通神 呪 を 以 て神 文 王 の 疽 を 治 す る の 記 事 で あ る 。 初 神 文 王 發 疽 背 、請 候 於 通 、 通 至 呪 之 立 治 、 乃 曰 陛 下 漉 昔 爲 宰 官 、 誤 決 臧 人 信 忠 爲 隷、 信 忠 有 怨 、 生 生 作 報 、今 茲 悪 疽 亦 信 忠 所 崇 、 宜 僞 忠 創 伽 藍 、 奉 冥祐 以 解 之 、 王 深 然 之 、 創 寺 號 信 忠 奉 聖 寺 、 寺 成 空 中 唱 云 、 因 王 創 寺 、 脱苦生天 、 怨 已 解 矣 、 ( 或 本 載 此 事 於 眞 表 傳 中 誤 也 ) 因 其 唱地 置 折 怨 堂 、 堂 與 寺 今 存 。 而 し て 、 最 後 の 第 六 段 は 善 無 畏 三 藏 の 洪 嗣 と し て の 惠 通 が 活 躍 と 教 風 の 振 起 と を 描 い て ゐ る 。 即 ち 、 先 是 密本 之 後 、 有 高僧 明 期朗入 龍 宮 得 神 印 ( 梵 云 文 豆 婁 此 云 神 印 )祖 創 神 遊林 ( 今 天 王 寺 ) 屡ゝ 穣 隣 國 之寇 、 今 和 尚 傳 無 畏 之 體 、 遍 歴 塵 寰 、 救 人 化 物 、 兼 以 宿 命 之 明 、 創 寺 雪 怨 、 密 教 之 風 於 是 乎 大 振 。 天 磨 之 總 持 嘉 、 母 岳 之 呪 錫 院 等 、 皆 其 流 裔 也 。 或 云 通 俗 名 尊 勝 角 干 、 角 干 乃 新 羅 之 宰 相 峻 級 、 未 聞 歴 仕 之 迹 或 云 射 得豺 狼 皆 未 詳 。 と あ る 。 と こ ろ が 、 少 し く 以 上 の 記 事 を 調 査 す る に 從 ひ 、 次 第 に 疑 問 が 起 つ て 來 た。 善 無 畏 三 藏 三 藏 は 西 暦 紀 元 六 百 三 十 七 年 (唐 、 貞 觀 十 一 年 、 日 本 舒 明 帝 第 九 年 )-七 百 二 十 五 年 (唐 、 開 元 二 十 三 年 、 日 本 聖武 天皇 天 夲 七 年 ) の 人 □ 初 期 朝 鮮 密 教 私 考 五 七
□ 密 教 研 究 五 八 で あ り 、 其 來唐 は 唐 開 元 四 年 ( 日 本 元 正 天 皇 靈 魑 二 年 、 西 暦 七 一 六 ) で あ る 。 ︹備 考 ︺ 但し 善 無 畏 三 藏 の 來 唐 年 代 に 就 て に 多 少 護 が あ ろ。 靈 嚴 寺 圓 行請 來 崔 牧 の 大 日 經 序には 至開元丁紀已 ( 即 ち 五 年 ) 三 蔵 (善 無 畏 ) 乃 持 梵 秘 典 杖 錫 來 儀、 時 朝 野 翕 然 咸 從請 益云云 と あ ろ。 面 し て、 海 雲 の 胎 藏 界 記 には開元七年 從 西 國 將 大 毘 廬 遮 那 梵 爽 經 等 來 至 此 國 云 云と あ る 。 が 、 三 蔵 の 正 傳 即 ち 開 元 、 貞 元 の 二 經 録 及 び 柴 高 僞 傳 には 何 づ れ も 開 元 四 年 逹 長 安と い ふ 明 文 が あ る か ら 今 は 開 元 四 年 説 に 據 るこ と に した 。 と こ ろ で 、 ﹁ 三 國 遺 事 ﹂ に は ﹁ 惠 通 徃 唐 謁 無 畏 三 藏 請 業 、-中 略-以 麟 徳 二 年 乙 丑 ( 日 本 齊 明 帝 諒 闇 五 年 、 西 暦六 六 五 ) 還 國 、 ﹂ と い つ て 些 も 疑 ふ 所 が な い 。 且 つ ﹁ 三 國 史 記 ﹂ に も ﹁ 文 武 王乙丑 五 年 (唐 麟 徳二 年 ) 新 羅 高 僧 惠 通 、 入唐 、 傳 善 無 畏 三 藏 印 訣 而 還 ﹂ と 明 白 に 云 ひ 切 つ て ゐ る 。 す る と 惠 通 が 入 唐 の 時 は 勿 論 、 歸 朝 の 麟 徳 二 年 に す ら 善 畏 三 藏 は 未 だ 支 那 に 來 て ゐ な い こ と に な る 。 惠 通 が 新 羅 へ 歸 へ つ て か ら 約 五 十 年 の 後 に 漸 く 善 無 畏 三 藏 が 支 那 長 安 に 來 着 す る の で あ る 。 即 ち 吾 人 は 茲 に 非 常 な る 時 代 錯 誤 を 見 出 す の で あ る 。 實 は 此 小 稿 を 起 す 前 に 韓 人 李 能 和 氏 の 近 著 ﹁ 朝 鮮 佛 教 通 史 ﹂ を 披 い て ﹁ 惟 我 海 東 、 則 新 羅 惠 通 和 尚 、 入 唐謁善 無畏三藏 、 得 其 印訣 以 文 武 王 四 年 還 國 、是眞言宗開祖也 ﹂ (朝 鮮 佛 教 通 史 中 編 七 十 二 頁 ) て ふ 文 に 逢 著 し た か ら 、 早 速 ﹁ 朝 鮮 密 教 開 祖 惠 通 ﹂ と い ふ 題 曰 の 下 に 禿 筆 を 呵 さ ん と し た が 少 し く 攻 究 の 歩 を 進 め る に 從 ひ 遂 に 斯 く の 如 き 甚 だ し き 迷 宮 に 投 げ 込 ま れ た の で あ る 。 兎 も 角 も 、 こ ん な に 時
代 錯 誤 の あ る 上 は 善 無 畏 三 藏 と の 關 係 が 甚 だ 面 白 い に も 拘 ら す こ れ を 棄 て な け れ ば な ら ぬ 。 が 今 一 度 善 無 畏 三 藏 の 傳 記 に 徴 す る こ と に す る 。 善 無 畏 三 藏 の 正 傳 は 開 元 十 八 年 沙 門 智 昇 撰 の 開 元 釋 教 録 第 九 (結 四 、 八 四 )を 始 め と し て 其 後 七 十年 西 明 寺 沙 門 圓 照 撰 の 貞 元 新 定 釋 教目録 第 十 四 ( 結 六 七 七 ) 尚 ほ そ れ よ り 以 後 約 百 八 十 餘 年 後 宋 太 宗 端 拱 元 年 天 壽 寺 沙 門 賛 寧 撰 の 宋 高 僧 傳 第 二 (致 四 、 七 三 -七 四 ) 及 び 本 朝 弘 法 大 師 撰 の 略 付 法 傳 (弘 法 大 師 全 集 第 一 六 十 二 頁 左 )等 で あ る 。 然 し 、 此 等 の 僧 傳 中 更 に 惠 通 の 名 を 見 な い の で あ る 。 若 し 多 少 な り と も 三 藏 と の 關 係 が あ る な ら ば 其 名 前 位 は 僧 傳 の 中 に 見 ゆ る べ き 筈 で あ る 。 こ う な つ て み る と 、 殘 念 な が ら 善 無 畏 三 藏 と 惠 通 和 尚 と の 關 係 は 正 史 の 上 か ら 捨 て な け れ ば な ら ぬ や う に 思 は れ る 。 然 ら ば 惠 通 和 尚 は 一 体 誰 人 か ら 密 教 を 受 け 繼 い だ の で あ ら う 。 若 し 假 り に 惠 通 の 入 唐 傳 説 を 許 す と した ら 、 惠 通 は 善 無 畏 三 藏 以 前 の 支 那 密 教 を 誰 人 か に 傳 授 さ れ た の か も 知 れ な い 。 故 に 此 關 係 を 探 く つ て み る の に は 少 し く 善 無 畏 三 藏 以 前 に 於 け る 支 那 密 教 に 就 て 研 究 す る の 必 要 が あ る 。 弘 法 大 師 の ﹁ 顯 密 二 教 論 ﹂ 卷 上 ( 弘 法 大 師 全 集 第 三 、 六 十頁 ) に 、 ﹁釋 教 漸東 夏 自 微 至 著 、 漢 明 爲 始 、 周 天 爲 後 、 其 中 間 所 翻 傳 皆 是 顯 教 、 玄 宗 代 宗 之 時 金 智 廣 智 之 日 、 密 教 鬱 起 盛 談 秘 趣 云 云 ﹂ と あ る。 こ れ に 依 る と 密 教 は 唐 に 至 つ て 始 め て 傳 へ ら れ た や う な感 が あ る け れ ど も 、 こ は 全 く 其 譯 經 が 唐 朝 に 盛 ん な り し こ と 及 び 其 弘 通 の 隆 盛 で あ つ た こ と を 言 つ た も の に 過 ぎ な い。 然 り 、 密 教 の □ 初 期 朝 鮮 密 教 私 考 五 九
□ 密 教 研 究 六 〇 傳 來 は 遙 か に 古 い 、善 無 畏 や 金 剛 智 の 時 よ り 約 四 百 年 前 に 既 に 西 域 か ら 支 那 に 傅 へ ら れ て 居 る の で あ る 。 其 密 教 宣 傳 の 先 驅 者 は 西 晋 の 懐 帝 永 嘉 六 年 ( 西 暦 三一二 ) に 南 地 佛 教 の 中 心 地 た る 建 業 に 來 つた 西 域僧帛 尸 黎密 多 羅 そ の 人 で あ る 。 即 ち 彼 れ に は 大 灌 頂 經 十 二 卷 、 大 孔 雀 王 神 呪 經 一 卷 、 孔 雀 王雑 神 呪 經 一 卷 の 三 部 十 四 卷 經 の 翻 譯 が あ る 。 而 し て 此 三 部 が 皆 密 教 の 聖 典た る こ と は 明 ら か で あ る 。 且 つ 棄 高 僧 傳 ﹂ 卷 一 (致 二 、 五 頁 右 ) に ﹁ 帛 尸 黎 密 多 羅-(中 略 )-晉 永 嘉 中 、 始 到 中 國 、-(中 略 )-密 善 持 呪 所 向 皆 驗 、 初 泣 東 未 府 呪 法 、 密 譯 出 孔 雀 王 經 明 諸 神呪 云 元 ﹂ と あ る か ら 、 こ れ が 密 教 支 那 傳 來 の 初 め で あ る こ と は 疑 ひ な い 。 ︹ 備考 ︺ 普 通 、 支 那 に 於 け る 密 教 の 鼻 組 に 帛 尸 梨 密 多 羅 で あ ろ と ぜ ら れ て ゐ る が 、 實 際 經 録 に 當 つ て み る と 、 張 ち 此 人 な 支 那 密 教 の 鼻祖 と す ろこ と が 出 來 な いこ ど にな る 。 開 元 釋 教 録 に 依 ろと、 呉 の 支 謙 居 士 に 八 吉 祥 神 呪 経 、 無 量 門 微 密 持 經 、 華 積 陀 羅 尼 神 呪 經 、 七 佛 神 呪 經 等 各 一 卷 な 譯 出 し 、 安 息 國 人 沙 門 安 法 欽は 阿 難 目 怯 經 一 卷 な譯 し 、 沙 門 白 遠 も 無 量 破 魔 陀 羅 尼 經 、 檀 特 陀 羅 尼 經 各 一 卷 な 譯 出 し て ゐ ろ の で あ る 。 良 に 後 漢 時 代 に 溯 ろと、 後 漢 失 譯 の 中 に に 随 分 秘 密 部 に 屬 す る も の が 存 在 し て ゐ る。 又 單 譯 闕 本 の 中 に 於 い て も 安 世 高 所 譯 の 中 に 、 卒 逢 賊 結 衣 帶 呪 經 一 卷 の 名 が 見に ろ 。 こ う い ふ 風 に 探 究 し て ゆ く と 支 那 密 教 史 の 起 源は 支 那 佛 教 史 の ろ れ と 同 色 や う に な つ て く る の で あ る 。 又 こ れ と 殆 ん ど 同 時 代 即 ち 晋 の 懐 帝 永 嘉 四 年 に 洛 陽 に 錫 を 飛 ば した 佛 國 澄 の 如 き は 能 く 神 呪 法 を 應 用 し て 大 に 朝 野 を 風 靡 し た こ と は 僧 傳 の 語 る と こ ろ で あ る。 西 域 僧 、 曇 無 蘭 の 如 き は 東 晋 孝 武 帝 太 元 六 年 よ り 二十 年 ま で 揚 都 に 於 い て 陀 鄰 尼 鉢 經 、 摩 尼 羅亶 經 、
玄 師 飃 陀 所 説 神 呪 經 、 孔 雀 王 呪 經 、 七 佛 所 結 麻 油 述 呪 經 、 大 神 母 結 誓 呪 經 、 伊恒 法 願 神 呪 經 、 解 日 厄 神 呪 經 、 六 神 名 神 呪 經 、 檀 特 羅 麻 油述 神 呪 經 、麻 油述 呪 經 、摩 尼 羅 亶 神 呪 按 摩 經 、 醫 王 惟樓 延 神 呪 經 、 龍 王 呪 水 浴 經 、 十 八 龍 王 神 呪 經 、 請 雨 呪 經 、 止 雨 呪 經 、囃 水 經 、 幻 師 阿 夷 鄒 紳 呪 經 、 呪 水 經 藥 呪 經 、 呪 毒 經 、 呪 時 氣 病 經 、 呪 小 兒 經 、 呪 齒 經 、 呪 牙 痛 經 、 呪 眼 痛 經 等 各 一 卷 を 譯 出 し て ゐ る 。 就 中 、 檀 特 羅麻 油 述 經 、 幻 師 颶 陀 所 説 神 呪 經 、 摩 尼 羅 亶 經 等 に は 種 々 の 鬼 神 を 示 し 並 に 鬼 神 の 呪 或 は 其 經 典 を 誦 す れ ば 種 々 の 穣 災 を な す こ と が 出 摩 る と 説 い て あ る か ら 、 惠 通 の 事 蹟 と 對 照 す る 時 は 大 に 首 肯 し 得 ら るゝ 鮎 が あ る の で あ る 。 苻 秦 の 建 元 年 問 ( 西 暦 三八 三 ) に 長 安 に 來 り し 鬩 賓 國 僧 、 僧 伽 提 婆 の 如 き も 寵 王 結 願 五 龍 神 呪 經 及 び 大 將 軍 神 呪 經 を 譯 出 し た と の こ と で あ る 。 東 晋 の 恭 帝 元 熈 元 年 ( 西 暦 四 一 九 ) に 晋 に 來 れ る 西 域 人 竺 難 提 居 士 は 清 觀 世 音 善 薩消 伏 毒 害 陀 羅 尼 呪 經 一 卷 を 譯 出 し て ゐ る 。 東 晋 時 代 の 譯 經 僧 羅 什 三 藏 も 亦 孔 雀 王 呪 經 一 卷 等 を 譯 出 し て ゐ る 。 此 經 に も 種 々 の 鬼 紳 を 擧 げ 種 々 の 陀 羅 尼 を 説 い て 穣 災 的 方 面 を 縷 述 し て ゐ る 。 北 凉 の 曇 無 讖 の 譯 出 經 典 の 中 に は 呪 經 の 如 き も の を 見 な い が 、 彼 れ の 傳 記 に は ﹁ 讖 明 解 呪 術 、 所 向 皆 驗 、 西 域 號 爲 大 神 呪 師 、後 随 王 入 山 、 王 渇 乏 須 水 不 能 得 、 讖 乃 密 呪 石 出 水 、 云 云 ﹂ ( 開 元 録 、 第 四 、 結 四 、 三 八 、 右 ) と 出 て ゐ る か ら 非 常 に 呪 術 を 善 く した こ と が 解 る 。 東 魏 の 宣 武 帝 永 平 元 年 (四 暦 五〇八 ) に 東 夏 洛 陽 に 來 遊 せ る 北 天 竺 僧 、 善 提 流 支 □ 初 期 朝 鮮 密 教 私 考 六 一
□ 密 教 研 究 六 二 は 護 諸 童 子 陀 羅 尼 經 一 卷 を 譯 し て ゐ る 。 而 し て 彼 れ の 傳 記 に 徴 す る と 彼 れ も 亦 大 神 呪 飾 で あ つ た や う で あ る 。 試 み に こ れ を 抄 出 し て み る と 次 の や う で あ る 。 菩 提 流 支 -兼 工 呪 術 則 無 抗 衡 矣 、 嘗 坐 井 口 、 澡 灌 内 空 , 弟 子 未 來 、 無 人 汲 水 、 流 支 乃 操 柳 枝撝 非 中 、 密 加 誦 呪 纔 始 數 遍 、 泉 水 上 涌 、 平 及 井 欄 、 即 以 鉢 酌 用 之 盥 洗 、 傍 僧 具 見 莫 測 其 神 、 咸 共 嘉 歎 大 聖 人 也 、 流 支 日 勿 妄 褒 賞 斯 乃 術 法 、 外 國 共 行 、 此 方 不 習 、 謂 爲 聟 、 懼 惑 世 人 途 秘 不 傳 、 ( 績 高 僧 傳 第 一 致 二 、 八 七 右 ) 紀 元 六 世 紀 の 後 半 即 ち 北 周 明 帝 武 成 二 年 長 安 に 飛 錫 せ る 闍 那 崛 多 は 種 種 雜 呪 經 一 卷 、 不 空 絹 索 呪 經 一 卷 等 を 譯 出 し て ゐ る が 、 こ れ 等 に は 種 々 の 陀 羅 尼 を 説 き 且 つ 多 く の 神 秘 的 修 法 を 示 し 又 穰 災 的 單 一 護 摩 法 を も 説 い て ゐ る 。 又 こ れ と 殆 ん ど 同 時 代 に 來 夏 せ る 耶 舍 崛 多 は 北 周 武 帝 の 時 に 十 一 面 觀 世 音 神 呪 經 一 卷 を 譯 出 し て ゐ るつ 隋 の 文 帝 開 皇 十 年 長 安 に 來 れ る 南 印 度 羅 羅 國 僧 逹 摩 笈 多 は 藥 師 如 來 本 願 經 一 卷 を 譯 出 し て ゐ る 。 こ れ に は 藥 師 佛 を 信 仰 し て 除 病 延 命 を 所 願 す る こ と が 説 か れ て あ る 。 然 り 而 し て 耙 元 七 世 耙 の 前 年 に 於 い て 唐 朝 の 譯 經 .沙 門 玄 弉 は 不 空 羂 索 神 呪 心 經 一 卷 を 譯 出 し て ゐ る 。 こ れ は 闍 那 崛 多 所 譯 の 經 と 同 本 異 譯 で あ る 。 又 藥 師 瑠 璃 光 如 來 本 願 功 徳 經 一 卷 を 譯 出 し て ゐ る が 、 こ れ も 亦 た 隋 の 達 摩 笈 多 譯 と 同 本 で あ る 。 尚 ほ 玄 弉 は 此 外 に 數 種 の 秘 密 經 典 を 譯 し て ゐ る . 玄 弉 と 伺 時 代 な る 智 通 は 観 自 在 菩 薩 隨 心 呪 經 、 清 淨 觀 世 音 普 賢 陀 羅 尼 經 各 一 卷 等 を 譯 出 し て ゐ る 。 前 者 に は 種 々 の 呪 文 の 外 は 印 契 を 説 き 、 後 者 に は 入 檀 受 持 法 を 説 い て ゐ る 。 第 七 世 紀 の 中 頃 (唐 高 宗 永 微 三 年 四 暦 六 五 三 ) 長 安 に
來 れ る 中 印 度 僧 阿 地 瞿 多 に 依 つ て 譯 出 せ ら れ た る 陀 羅 尼 集 經 に は 數 多 の 印 契 及 び 眞 言 書 像 、 檀 法 等 を 説 い て あ る 。 且 つ 阿 地 瞿 多 自 身 も 造 檀 灌 頂 受 法 の 事 を 行 つ て ゐ る 。 參 考 の た め に 開 元 釋 教 録 第 八 に 依 つ て 其 一 班 を 示 し て 置 か う 。 沙 門 大 乘琮 等 一 十 六 人 、 英 公 鄂 公 等 一 十 二 人 請 高 ( 阿 地 罌 多 ) 於 慧 日 寺 浮 圖 院 、 建 陀 羅 尼 普 集 曾 壇 、 縁 壇 所 須 並 皆 供 辨 法 成 之 日 属 降 靈 異 、 京 中 道 俗 咸 歎 希 逢 (緒 四 、 七 五 丁 牢 ) 又 こ れ と 同 時 代 即 ち 唐 高 宗 永 徽 六 年 に 長 安 に 來 れ る 那 堤 (具 云 布 如 鳥 代 耶 福 生 ) は 師 子 莊 嚴 王 菩 薩 請 問 經 一 卷 等 を 譯 し て ゐ る 。 此 經 に は 明 呪 を 缺 い て ゐ る け れ ど も 曼 荼 羅 を 説 い て ゐ る 所 は 注 意 に 價 ひ す る 。 則 ち 方 壇 上 に 八 圓 壇 を 作 つ て 八 菩 薩 に 供 養 す る の で あ る 。 蓋 し こ れ 八 大 菩 薩 曼 茶 羅 法 の 嚆 矢 で あ ら う 。 又 、 唐 高 宗 儀 鳳 元 年 (西 暦 六 七 六 ) に 長 安 に 到 れ る 地 婆 詞 羅 の 譯 せ し 七 倶 胝 佛 母 心 大 準 提 陀 羅 呪 經 、 及 び 同 世 紀 に 義 淨 の 譯 出 せ る 佛 説 大 孔 雀 呪 經 等 に は 呪 文 の 不 思 議 力 を 示 す 秘 法 が 説 い て あ る 。 尚 ほ 義 淨 に は 幾 多 の 密 教 經 典 の 翻 譯 が あ る 。 其 他 七 世 紀 の 末 期 に 束 來 せ る 迦 濕 彌 羅 僧 阿 彌 眞 那 、 南 天 竺 僧 菩 提 流 志 、 干 聞 國 僧 實 又 難 陀 等 の 如 き 名 僧 相 踵 い で 秘 密 部 の 譯 經 に 從 事 し て ゐ る。 ( 是 等 の 人 々 は 惠 通 が 入 唐 し た こ 傳 へ ら れ て ゐ る 時 代 よ り も 遲 く 從 つ て 餘 り 關 係 が な い か ら 詳 し く 述 べ な い ) 斯 か る 長 い 整 備 時 代 を 經 て 、 第 八 世 紀 の 初 め に 善 無 畏 、 金 剛 智 不 空 が 出 る の で あ る 。 知 ら ず 識 ら ず 存 外 長 く な つ た が 、 以 上 述 べ て 來 た が や う に 善 無 畏 □ 初 期 朝 鮮 密 教 私 考 六 三
□ 密 教 研 究 六 四 や 金 剛 智 が 來 て 密 教 を 弘 む る 前 、 既 に 支 那 に は 所 謂 雜 部 の 密 教 が 比 較 的 盛 ん に 弘 ま つ て ゐ た の で あ る 。 ざ こ ろ で 、 今 惠 通 の 傳 記 の 上 か ら 彼 の 行 状 を 考 へ て み る の に 所 謂 雜 部 密 教 の 色 彩 が 非 常 に 多 い や う に 思 は れ る し だ か ら 、 假 令 、 惠 通 と 善 無 畏 こ の 關 係 が 全 然 な い こ し て も 、 彼 れ が 支 那 に 求 法 し た こ い ふ こ と が 事 實 で あ る な ら ば 當 時 行 は れ て ゐ た 所 謂 雜 部 の 密 教 を 誰 人 か に 依 つ て 修 得 し た こ い ふ こと は 考 へ ら れ な い こと で も な いと 思 ふ 。 以 上 、 永 々と 述 べ 來 つ た と こ ろ は 惠 通 の 入 唐 を 假 定 し た 上 の 想 像 説 で あ る が 、 こ れ を 再 考 す る に 惠 通 の 入 唐 傳 説 は 年 代 の 上 か ら 考 へ ると 頗 る 奇 怪 で あ る 。 然 ら ば 、 惠 通 の 入 唐 を 虚 搆 の 傳 説 こ し て 一 切 顧 み な い こと ゝ し た な ら ば 惠 通 は 一 体 如 何 に し て 秘 密 教 を 知 り 且 つ 修 得 し た だ ら う 。 隋 朝 の 時 高 麗 王 が 啓 民 可 汗と 結 ん で 隋 朝 に 當 た ら ん こ し た る 正 史 上 の 事 實 は 西 域 地 方 の 文 化 が 支 那 本 土 を 通 せ す し て 直 接 朝 鮮 に 入つ た こと を 想 像 せ し む る に 足 る も の が あ る 。 さ す れ ば 、 此 際 西 域 地 方 流 布 の 密 教 が 支 那 の 北 方 か ら 蠻 族 の 手 を 通 じ て 直 接 朝 鮮 に 輪 入 せ ら れ た こと は 容 易 に 想 像 せ ら れ る の で あ る 。 西 域 諸 國 に 於 い て ﹁ 呪 枯 樹 生 枝 葉 呪 人 變 爲 驢 ﹂ と い ふ 風 な 所 謂 外 道 的 呪 術 の 盛 ん に 流 行 し て 居 た こと は 洛 陽 伽 藍 記 四 等 に 見 ゆ る 所 で あ る が 、 此 外 道 的 呪 術 の 隆 盛 が 軈 が て 佛 教 に 影 響 し 遂 に 佛 教 内 に 於 い て も 其 隆 興 發 逹 を 見 る に 至 つ た こ い ふ こと は 蓋 し 亦 た 自 然 の 數 で あ る 。 西 域 記 第 三 (致 七 、十 三 丁 右 ) に は
﹁烏 杖 那 國 ⋮ ⋮ 好 學 而 不 切 、 禁 呪 爲 藝 業 ⋮ ⋮ 喜 誦 其 文 末 究 深 義 、 戒 行 清 潔 特 閑 禁 况 云 云 ﹂ と あ る 。 又 佛 祖 歴 代 通 載 第 十 六 (致 十 、 一 〇 三 右 ) に は ﹁ 貞 觀 中 有 信 自 西 域 來 、 善 呪 術 能 令 人 立 死 、 復 呪 之 使 蘇 、 太 宗 擇 飛 騎 中 壯 者 試 之 、 皆 如 其 言 因 以 問 傳 奕 云、 奕 日 、 此 邪 術 也 、 臣 聞 、 邪 不 干 正 、 請 使 呪 臣 、 必 不 能 行 、 帝 命 曾 呪 奕 奕 初 無 所 覺 、 須 臾 僧 忽 僵 仆 若 爲 物 所 繋 途 不 復 蘇 云 云 ﹂ 以 上 、 一 二 の 例 を 引 用 し て 見 た が 、 か よ る 秘 教 的 况 術 は 惠 通 の 密 教と 非 常 に 近 い や う に 思 は れ る 。 否 な 三 國 分 立 時 代 の 密 教 は 大 低 此 種 の 密 教 で あ る 。 こ う い ふ 風 に 研 究 調 査 し て ゆ くと 朝 鮮 の 密 教 は 直 接 蠻 人 の 手 か ら 輪 入 さ れ た 西 域 地 方 流 布 の も の こ も 考 へ ら れ る の で あ る 。 否 な こ れ に 從 ふ の が 或 は 正 當 で あ る か も 知 れ な い 。 以 上 、 古 代 朝 鮮 密 教 僧 悪 通 に 就 い て 逃 べ て 來 た こ こ ろ を 綜 合 し て 考 へ て み る に 、 第 一 に 善 無 畏 こ の 關 係 は 遺 憾 な が ら 捨 て な け れ ば な ら ぬ 。 而 し て 第 二 に 惠 通 人 唐 の 傳 説 は 頗 る 怪 し い が 無 暗 に 捨 て る 譯 に も ゆ か ぬ 。 第 三 に 古 代 朝 鮮 密 教 が 支 那 の 手 を 經 す し て 蠻 人 の 手 か ら 直 接 輪 入 さ れ た こ い ふ 説 も 一 面 有 力 な 説 で あ る 。 茲 に 於 い て 乎 、 吾 人 は 假 令 第 一 の 善 無 畏 こ の 關 係 の 問 題 は 解 決 し た と し て も 、 第 二 の 惠 通 入 唐 説 をと る か 將 た 第 三 の 説 を 探 る か こ れ が 決 定 に 苦 し む の で あ る 。 が 強 い て 二 者 何 つ れ を 探 る かと 云 へ ば 寧 ろ 第 三 の 説 を 採 用 し た い の で あ る 。 併 し 、 由 來 は 末 定 を 意 味 す る 。 且つ 充 分 の 研 究 を 遂 げ た こ い ふ 譯 で は な い か ら 完 全 な る 論 斷 は 識 者 の 高 見 に 俟 ち た いと 思 ふ 。 □ 初 期 朝 鮮 密 教 私 考 六 五
□ 密 教 研 究 六 六 今 や 密 教 沙 門 惠 通 の 叙 述 を 終 る に 當 つ て 一 言 附 け 加 へ .て 置 き た い こと は 、 李 能 和 氏 が 惠 通 を 以 て 朝 鮮 眞 言 宗 の 開 祖 と せ る 意 見 に 同 意 し 難 き こと で あ る 。 同 氏 が 惠 通 を 以 て 朝 鮮 眞 言 宗 の 開 祖 と せ る 理 由 は 一 に 善 無 畏 と の 關 係 に よ る こと で あ ら う が 、 今 や 吾 人 の 研 究 は 遺 憾 に も 其 關 係 を 破 壞 し た か ら で あ る 。 惠 通 は 朝 鮮 眞 言 宗 の 開 祖 と い ふ よ り も 寧 ろ 朝 鮮 密 教 の 一 先 驅 者と 見 る べ き 人 で あ ら う 。 支 邦 密 教 史 の 上 か ら 見 れ ば ま つ 金 剛 智 不 空 に 對 す る 帛 尸 梨 密 多 羅 ぐ ら ゐ の 人 で あ り 、 日 本 密 教 史 の 上 か ら 云 へ ば 弘 法 大 師 に 對 す る 役 の 小 角 位 の 人と 見 れ ば ま つ 充 分 で あ ら う 。 然 ら ば 、 朝 鮮 密 教 史 上 に 於 け る 金 剛 智 三 藏 及 び 弘 法 大 師 は 誰 人 で あ ら う 。 朝 鮮 密 教 史 上 唯 だ 一 人 の 金 剛 智 、 弘 法 の な か つ た こと が 誠 に 遺 憾 の 極 み で あ る 。 ( ろ ) 密 教 沙 門 明 期 朝 鮮 年 島 は 上 古 以 來 強 隣 を 以 て 三 方 面 を 園 繞 せ ら れ て ゐ る か ら 其 侵 犯 を 被 む る ふと は 決 し て 少 く な か つ た 。 時 し も 三 國 分 立 時 代 の 末 期 (唐 高 宗 調 露 元 年 西 暦 六 七 九 )唐 羅 兩 國 干 戈 相 交 ゆ る の 時 、 文 豆 婁 秘 密 の 法 を 行 つ て 新 羅 國 の た め に 一 大 氣 焔 を 吐 い た こ 傳 へ ら れ て ゐ る 一 高 僧 が あ る 。 例 に 依 つ て 年 代 の 正 確 を 缺 い で ゐ る が 明 朗 ざ い ふ 密 教 僧 で あ る 。 ま つ ﹁ 三 國 遣 事 ﹂ 第 五 に 依 つ て 明 朗 の 戸 籍 調 べ を や つ て み ると
師 諱 明 期 、 字 國 育 、 新 羅 沙 干 才 真 之 子 、 母 曰 南 澗 夫 人 或 云 法 乖 娘 蘇 判 茂 林 之 子 、 金 氏 、 則 慈 藏 之 妹 也 、 三 息 よ り 、 長 曰 學 教 大 徳 、 次 日 義 安 大 徳 師 其 季 也 、 初 母 夢 呑 青 色 珠 而 有 娠 、 云 云 と あ る か ら 、 佛 教 に は 非 常 に 因 縁 の 深 い 家 柄 で あ つ た と 見 わ る 。 而 し て 彼 は 唐 の 貞 觀 六 年 (善 徳 王 元 年 西 暦 六 三 二 ) か ら 同 九 年 ま で 前 後 四 ヶ 年 間 入 店 し て 居 つ た こ の こと で あ る が 其 事 は 更 に 明 ら か で な い 。 唯 歸 朝 の 際 に 海 龍 の 請 に よ つ て 龍 宮 に 入 つ て 秘 法 を 傳 へ た こ い ふ 寳 に 奇 怪 な る 神 秘 的 傳 説 が 殘 つ て ゐ る 許 り で あ る 。 今 參 考 の た め に 、 此 傳 説 を 抄 出 し て 畳 か う 。 金 光 業 記 云 、 師 挺 生 新 羅 、 入 唐 學 馗 、 將 還 因 海 龍 之 請 、 入 龍 宮 傳 秘 法 施 黄 金 千 両 、 一 云 千 斤 、 潜 行 地 下 、 湧 出 本 宅 井 底 乃 捨 爲 寺 、 以 龍 王 所 施 黄 金 飾 塔 像 、 光 曜 殊 特 、 因 名 金 光 焉 、 爾 來 、 彼 は 常 に 神 印 (梵 云 文 豆 婁 )を 以 て 秘 法 を 行 じ 、 遂 に 神 印 宗 の 宗 書 仰 が る ゝ に 至 つ た と い ふ 事 で あ る 。 が 彼 が 密 教 僧 と し て の 呈 つ た 事 蹟 は 唯 一 つ し か 傳 は つ て ゐ な い 。 そ れ は 唐 調 露 元 年 (文 武 王 十 九 年 偶 ゝ 層 の 兵 が 新 羅 の 邊 境 を 侵 し た 時 に 翼 防 禦 策 を 王 の 下 問 に 答 へ て 狼 山 の 南 神 遊 林 に 四 天 王 寺 を 設 け て 瑜 伽 道 場 を 開 設 せ ら れ ん こと を 上 奏 し た の で あ る 。 と こ ろ が 直 ち に 許 可 に な つ た も の だ か ら 、 瑜 伽 の 名 僧 十 二 員 を 率 ひ て 文 豆 婁 秘 密 法 を 嚴 修 し て 唐 兵 を 穰 つ た こ い ふ の で あ る 。 少 し く 煩 は し い 樣 で は あ る が ﹁ 三 國 遣 事 ﹂ の 文 を 次 に 抄 出 す る こと に す る 。 即 ち 總 章 戊 辰 、 王 文 虎 王 法 敏 與 金 仁 間 金 欽 純 等 、 至 平 壞 、 會 唐 兵 滅 麗、 唐 帥 李 勣 獲 高 臧 王 還 國、 献 俘 于 帝、 時 唐 之 遊 撃 諸 將 、 有 留 鎭 、 而 將 謀 襲 我 者 (即 謂 上 元 元 年 申 戍 二 月 劉 仁 軌 爲 鷄 林 道 總 管 以 伐 新 羅 者 ) 王 覺 之 、 發 兵 之 明 年 、 高 宗 使 召 仁 間 等 時 仁 問 留 唐 宿 衞 穰 之 日 、 爾 諧 我 兵 、 □ 初 期 朝 鮮 密 教 私 考 六 七
□ 密 教 研 究 六 八 以 伐 麗 、 害 之 何 也 、 乃 下 圓 扉 、 錬 兵 五 十 萬 、 以 薛 邦 爲 帥 欲 伐 新 羅 時 義 相 師 西 學 入 唐 、 來 見 仁 間 仁 間 以 事 諭 之 , 相 乃 東 還 、 上 聞 、 王 甚 悼 之 、 會 群 臣 問 防 禁 策 、 角 干 金 天 .尊 奏 曰 、 近 有 明 朗 法 師 、 入 龍 宮 傳 秘 法 而 來 、 詳 詔 問 之 、 朗 奏 曰 、 狠 山 之 南 、 有 神 遊 林 創 四 天 王 寺 於 其 地 開 設 道 場 、 則 可 矣 、 時 有 貞 州 使 奏 報 日 、 唐 兵 無 數 至 我 境 迥 槧 海 上 、 王 召 明 期 日 、 事 己 逼 至 如 何 、 朗 日 、 以 彩 帛 假 搆 宜 也 、 乃 以 彩 帛 螢 寺 、 草 搆 五 方 神 像 以 瑜 伽 名 僧 十 二 員 明 期 爲 上 首 作 文 豆● 換 、 秘 密 之 法 、 時 唐 羅 兵 來 交 接 、 風 濤 怒 起 、 唐 船 皆 没 於 水 後 吹刧 寺 、 名 四 天 王 寺 至 今 不 堕 壇 席 國 史 云 改 剏 在 調 露 元 年 巳 卯 後 年 辛 末 、 唐 更 遣 趙 憲 爲 帥 、 亦 以 五 萬 兵 來 征 、 又 作 其 法 、 船 没 如 前 云 云 と あ る 。 右 に 抄 録 し 彪 文 献 の 中 に 現 は る ゝ 文 豆 婁 秘 密 の 法 な る も の は 、 思 ふ に 支 那 雜 部 密 教 時 代 に 産 れ 把 密 教 の 一 修 法 で あ る 。 若 し 此 文 豆 婁 法 な る も の が 、 明 朗 入 唐 以 前 既 に 支 那 に 於 い て 實 修 さ れ て ゐ た 形 跡 を 見 出 す こ ご が 出 來 た な ら ば 多 少 明 朗 の 事 蹟 に 光 明 を 認 め る こ ご が 出 來 る 譯 で め る 。 ︹ 備 考 ︺一 体 、 文 豆 婁 即 ち 印 契 な ろ も のは 勿 論 秘 密 佛 教 の 特 有 物 で に な く 、 富 蘭 那 文 學 の 後 に 起 つた 密 呪 文 學 に 於 て も 種 々 の 印 契 な 用 ゆ う の で あ ろ 。 否 な 秘 密 佛 教 に 却 つ て 此 等 の 影 響 層 受 け て 次 第 に 發 達 し 遂 に 諸 佛 に 關 す ろ 印 契 な 盛 んに 用 ゆ る に 至 つ れ こと が あ ら う 。 然 し 、 其 内 容 に 無 論 天 地 の 差 が あ ろ の で 、 婆 羅 門 教 の 方 で ば 生 天 な 目 的 と と て ゐ う が 、 密 教 (雜 部 密 教 ) の 方 で に 一 面 穰 災 的 紳 秘 力 か 現じ て 現 世 的 慾 望 な 滿 足せ し め 、 以 て 佛 の 慈 悲 廣 大 な ろ こと な 示 す ご 同 時 に 他 面 に ほ こ れ に 依 つ て 佛 果 に 到 達 ぜ し め ん と す ろ に あ ろ 。 試 み に 、 こ れ を 漢 譯 佛 典 に 徴 す る に 大 藏 經 秘 密 部 の 中 に 東 晋 尸 梨 密 多 羅 譯と せ ら れ て あ る 佛 説 灌 頂 經 な る も の が 十 二 卷 成 帙 六 に 收 め ら れ て ゐ る . 此 の 第 七 卷 に 佛 説 灌 頂 伏 魔 封 印 大 神 呪 經 な る も の が あ る 。 (成 帙 六 、 五一 丁 右-五 三 丁 右 )そ の 中 に 文 豆 婁 法 が 説 か れ て ゐ る 、 こ の 法 は 簡 單 に 云 へ ば 圓 水 の 上 に 諸 神 の
名 を 書 い て 伏 魔 す る 法 で あ る 。 今 參 考 の た め に 伏 魔 封 印 大 神 呪 經 の 文 を 引 用 し て 置 か う 。 天 帝 釋 稽 首 佛 足 、 長 跪 合 掌 而 白 佛 言 、 九 十 五 種 道 法 之 中 、 爾 有 文 頭 婁 法 、 況 復 世 尊 無 上 、 微 妙 最 勝 法 中 而 無 此 術 、 唯 願 天 奠 顯 揚 方 便 化 於 思 冥 、 未 達 道 眼 使 得 開 解 、 離 諸 危 厄 無 量 重 病 、 脱三 界 苦 登 泥 恒 道 、 所 問 如 是 唯 願 敷 演 、 ( 中 略 ) 佛 告 天 帝 釋 、 是 爲 五 方 神 王 名 字 、 若 後 末 世 四 輩 弟 子 危 厄 之 日 、 取 上 五 方 神 王 名 字 及 其 眷 屬 、 寫 著 圓 木 之 上 、 名 爲 文 頭 婁 法 、 其 義 如 是 汝 宣 行 之 、 天 帝 釋 言 圓 木 文 頭 婁 縱 贋 幾 何 、 佛 言 縱 廣 七 七 分 、 天 帝 釋 言 何 六 最 勝 、 佛 言 金 銀 珍 寳 最 爲 上 者 、 次 栴 檀 木 種 種 雜 香 、 以 此 爲 文 頭 婁 形 、 若 有 疾 病 危 難 恐 怖 邪 鬼 、 徃 來 中 傷 嶢 人 者 當 下 如 前 法 存 思 三 想 、 及 五 方 之 神 上 , 形 色 像 類 、 使 一 一 分 明 如 對 目 前 、 如 入 照 鏡 表 裏 盡 見 、 如 此 成 就 無 餘 分 散 惠 心 一 意 、 病 者 除 愈 恐 者 安 隱 。 邪 神 惡 鬼 無 不 梓 除 胡 言 文 韓 頭 婁 取 也 者 此 印 所 両 之 處 、 無 不 致 福 却 諸 悪 前 諸 善 也 、 若 佛 四 輩 弟 子 、 欲 行此神 印 之 者 、 先 當 洗 浴 身 體 著 香 潔 之 衣 、禮 敬 十 六 無 諸 佛 至 眞 等 正 覺 、-以 下 省 略 、-( 成 帙 六 、 五 一 頁 ) と こ ろ で 、 此 灌 頂 經 十 二 卷 は 今 日 或 る 一 部 の 學 者 間 で は 多 少 の 問 題 と せ ら れ て ゐ る 。 こ い ふ の は 此 經 が そ の 内 容 の 上 か ら 考 へ 、て 餘 り に 娑 羅 門 の 經 書 に 近く 且 つ 支 那 の 事 柄 に 關 係 し て ゐ る こ と が 多 い か ら 或 は 支 那撰 述 の 呪 經 集 で は あ る ま い か と い ふ に あ る 。 (﹁ 密 教 研 究 ﹂第 三 卷 第 一號 、 望 月 信 亨 氏 、 藥 師 本 願 功 徳 經 論 參 照 ) 本 文 批 評 の 上 か ら 見 る と 如 何 に も 尤 も だ と 思 は れ る 點 も あ る 。 思 ふ に 望 月 氏 の 高 見 の や う に 恐 ら く は 晉 宋 の 問 に 編 成 修 飾 さ れ た 僞 經 で あ ら う 。 灌 頂 經 十 二 卷 が 帛 尸 梨 密 多 羅 の 譯 で あ ら う と 又 は 僞 經 で あ ら う と 私 の 今 の 研 究 に は 別 に 差 支 へ は な い の で 、 こ れ が 兎 も 角 隋 唐 以 前 の も の だ と 解 り さ へ す れ ば よ い の で あ る 。 若 し 假 り に 灌 頂 經 十 二 巻 が 晉 宋 時 代 の 僞 經 だ と し て も 、 か ゝ る 文 豆 婁 の 秘 法 が 隋 唐 以 前 既 に 支 那 に 流 布 せ ら れ て ゐ た こ と 丈 け は 想 像 す る に 難 く な い 。 さ す れ ば 、 明 期 が 入唐 し て 文 豆 婁 の 秘 □ 初 期 朝 鮮 密 教 私 考 六 九
□ 密 教 研 究 七 〇 法 を 將 來 し た と い ふ こと は 考 へ ら れ ぬ 事 實 で は な い 。 然 し 、 歸 朝 の 際 寵 宮 に 人 つ て 秘 法 を 傳 へた と い ふ 傳 説 は 文 豆 婁 秘 法 の 傳 授 を一 層 神 秘 的 た ら し め ん が た め に拵 へ 出 し た 一 種 の 虚 搆 談 で あ ら う 。 明 朗 の 叙 述 の 終 り に 、 彼 が 朝 鮮 密 教 史 上 の 位 置 を 考 へ て み る に 、 彼 が 密 教 に 對 す る 效 蹟 と し て は 唯 文 豆 婁 秘 法 の 傳 來 で あ る 。 斯 く し て 彼 は 神 印 宗 の 祖 ご 祭 り 込 ま れ て ゐ る が 、 こ れと て も 雜 部 密 教 的 の も の で あ る か ら 矢 張 り 前 に 進 べ た 惠 通 と 同 列 ご 見 た ら 充 分 で あ ら う と 思 ふ 。 ( は ) 密 教 沙 門 密 本 惠 通 及 び 明 朗 と 殆 ん ざ 同 時 代 に 密 行 を 以 て 國 内 に 聞 ぬ た る一 密 教 僧 密 本 の あ る こ と を 忘 れ る こ と が 出 來 な い 。 彼 の 傳 記 の 始 終 は 又 明 了 で な い 。 彼 の 行 状 は 幸 に ﹁ 三 國 遺 事 ﹂ 第 五 、 神 呪 篇 に 載 せ ら れ て あ る 。 こ れ に 依 る と 、 彼 が 密 教 僧 と し て の 事 蹟 は 唯 二 つ で あ つ て 共 に 除 病 延 命 の こ ご に 關 係 し て ゐ る 。 が 、 こ れ は 唯 其 著 し き も の を 擧 げた の で 勿 論 こ れ 以 外 に 彼 が 穣 災 的 行 蹟 の あ る こ と ゝ 思 は れ る 。 と こ ろ で 其 二 つ こ い ふ の は 、一 つ は 善 徳 王 徳 曼 (唐 貞 觀 六 年 、 西 暦 六 三 二 即 位 ) に 關 係 し 、 一 つ は 丞 相 金 良 圖 に 關 係 し て ゐ る 。 ま つ 、 善 徳 女 王 金 徳 曼 に 關 係 し た 記 事 を 擧 げ て み る と 、 善 徳 王 徳 曼、 遘 疾 彌 留 、 有 興 輪 寺 法 暢 、 應 詔 侍 疾 、 久 而 無 效 、 時 有 密 夲 法 師 、 以 徳 行 聞 於 國 、 左 右 請 代 之 、
王 詔 迎 入 内 、 本 在 宸 杖 外 讀 藥 師 経 卷 軸 纔 周 所 持 六 環 、 飛 入 寢 内 刺 一老 狐 輿 法 暢 、 倒 擲 庭 下 、 王 疾 乃 摎 、 時本 頂 上 發 五 色 神 光 、 視 者 皆 驚 、 と あ る 。 す る と 、 密 本 は 王 に 迎 へ ら れ て 病 氣 平 癒 の た め に 藥 師 經 を 讀 誦 し た と い ふ こ と が 解 る 。 若 し こ の 藥 師 經 な る も の が 密 本 出 世 以 前 既 に 支 那 に 譯 出 せ ら れ て ゐ た な ら ば 此 傳 記 が 比 較 的 確 か な も の で あ る こと が 知 得 る と 同 時 に 此 經 典 が 既 に 朝 鮮 に 流 布 せ ら れ て ゐ た こ と を も 併 せ 知 る こ と が 出 來 る の で あ る 。 と こ ろ で 、 藥 師 經 に は 凡 そ 五 本 あ る 。 第 一 本 は 東 晋 帛 尸 梨 密 多 羅 の 翻 譯 と せ ら れ て ゐ る 灌 頂 經 第 十 二 卷 で あ つ て 所 謂 佛 説 灌 頂 拔 除 過 罪 生 死 得 度 經 な る も の で あ る 。 ︹備 考 ︺ 佛 言 此 經 凡 有 三 名 、 一 名 藥 師 瑠 璃 光 佛 本 願 功 徳 、二 名 灌 頂 章 句十 三神 王 結 願 神呪、 三 名 拔 除 過 罪 生 死得 度 (成 帙 、六 六 七 右 ) 第 二 本 は 宋 孝 武 帝 大 明 元 年 (西 暦 四 五 七 )鹿 野 寺 の 比 丘 慧 簡 に し 依 つ て 抄 撰 せ ら れ た る 藥 師 琉 璃 光 經 一 卷 で あ る 。 第 三 本 は 隋 の 達 摩 笈 多 譯 の 藥 師 如 來 本 願 經 一 卷 で あ る 。 第 四 本 は 唐 の 玄 奘 の 譯 に な る 藥 師 瑠 璃 光 如 來 本 願 功 徳 經 一 卷 で あ る。 第 五 本 は 唐 の 義 淨 の 翻 ず る 所 の 藥 師 瑠 璃 光 七 佛 本 願 功 徳 經 二 卷 で あ る , 而 し て 達 摩 笈 多 の 譯 經 年 代 は 隋 煬 帝 大 業 十 二 年 (西 暦 六 一 六 ) で あ り 、 玄 奘 の 譯 出 年 代 は 唐 高 宗 永 徽 元 年 (西 暦 六 五 〇 ) で あ る し 、 義 淨 は 良 に 遲 く れ て 唐 中 宗 景 龍 元 年 (西 暦 七〇七 ) に 翻 譯 し て ゐ る 。 こ う い ふ 風 に 調 査 し て ゆく と 密 本 が 讀 ん だ 藥 師 經 は 第 四 譯 玄 奘 本 で も な け れ ば 勿 論 第 五 譯 義 淨 本 で も な い 。 □ 初 期 朝 鮮 密 教 私 考 七 一
囹 密 敬 碍 究 七 二 す る と 後 に 殘 る の は 第 三 本 第 二 本 及 び 第 二 本 で あ る 。 密 本 の 藥 師 經 を 讀 ん だ 時 代 は 西 暦 六 百 三 十 有 餘 年 頃 と 思 は れ る か ら 第 三 譯 の 笈 多 本 は 恐 ら く 未 だ 朝 鮮 に 傳 は つ て 居 る ま い と 考 へ ら れ る 。 だ か ら 密 本 讃 誦 の 藥 師 經 は ま つ 第 二 本 か 第 二 本 か の 何 つ れ か で あ る と 見 る の が 穩 當 で あ ら う と 思 ふ 。 と こ ろ で 、 今 暫 ら く 藥 師 經 (第 一 本 、 灌 頂 經 第 十 二 卷 に 依 ろ ) の 結 構 を 見 て み る と 、 初 め に 藥 師 佛 の 十 二 願 及 び 其 功 徳 利 益 を 説 き 、 次 に 續 命 法 を 説 き 、 最 後 に 十 二 神 王 結 願 神 呪 を 以 で 、 結 ん で ゐ る 。 續 命 法 を 調 べ て み る と 非 常 に 道 教 的 色 彩 が 濃 厚 で あ る し 、 十 二 神 王 結 願 神 呪 の 如 き は 婆 羅 門 教 的 經 典 に 近 い や う に 見 受 け ら れ る 。 十 二 鬼 神 に 關 す る 連 文 に 救 脱 菩 薩 語 二 阿 難 言 、 如 來 世 奠 説 二 是 經 典 威 神 功 徳 利 益 不 少 、 座 中 諸 鬼 神 府 二 十 二 神 王 、 從 座 而 起 往 到 佛 所 、 胡 跪 合 掌 而 白 佛 言 、 我 等 十 二 鬼 神 在 所 作 謹 、 若 城 邑 聚 落 空 閑 林 中 、 若 四 輩 弟 子 誦 持 此 經 、 令 所 結 願 無 求 不 上 得 、 阿 難 問 言 其 名 云 何 爲 我 説 之 、 救 脱 菩 薩 言 灌 頂 章 句 其 名 如 是 、 神 名 金 毘 羅 、 神 名 和 誉 羅 、 神 名 彌 怯 羅 、 神 名 安 陀 羅 、 神 名 摩 尼 羅 神 名 宋 林 羅 、 神 名 因 持 羅 、 神 名 波 耶 羅 神 名 摩 侏 羅 神 名 眞 陀 羅 神 名 照 頭 羅 、 神 名 毘 伽 羅 。 救 脱 菩 薩 語 阿 難 言 。 此 諸 鬼 神 別 有 七 千 以 爲 眷 屬 、 皆 悉 又 手 低 頭 、 聽 佛 世 尊 説 是 藥 師 瑠 加 光 如 來 本 願 功 徳 、 莫 不 一 時 捨 鬼 神 形 得 受 入 身 、 長 得 度 脱 無 衆 惱 患 、 若 人 疾 急 厄 難 之 日 、 當 下 以 五 色 縷 結 其 名 字 、 得 如 願 己 然 後 解 結 令 人 得 福 、 灌 頂 章 句 法 應 如 是 、 即 設 呪 日 、 南 謨 鼻 熬 遮 倶 爐 吠 瑠 璃 耶 、 鉢 波 喝 羅 計 耶 、 移 始 他 鼻 熟 遮 、 鼻 熬 遮 娑 婆 掲 帝 薩 娑 詞 ( 成 帙 、六 七 、 右 ) と あ る 。 斯 く の 如 く 鬼 神 の 呪 の あ る 邊 か ら 考 へ る と 、 婆 羅 門 教 に 誦 ず る 鬼 神 の 呪 か ら 影 響 を 蒙 つ た も のゝ や う に 思 は れ る 。 然 し 一 面 藥 師 佛 の 十 二 願 を 説 き 其 功 徳 利 益 を 高 調 せ る 點 か ら 考 へ る と 最 早
單 な る 外 道 法 で な い こ と が 充 分 に 看 取 せ ら れ る 。 さ す れ ば 、 三 國 分 立 時 代 既 に 藥 師 經 の 如 き 雜 部 密 教 の 經 典 が 延 命 轉 壽 の た め に 朝 鮮 に 於 て 讀 誦 せ ら れ て ゐ 陀 と い ふ こ と を 斷 定 し て も 穴 勝 ち 早 計 な 論 斷 で も 無 か ら う と 思 ふ 。 次 は 丞 相 金 良 圖 に 關 し た 除 病 續 命 の 記 事 で あ る が 、 記 事 と し て は 非 常 に 面 白 く 書 か れ て あ る が 、 こ の 中 か ら 密 教 的 氣 分 を 味 ふ に ば 餘 り に 物 足 り な い 。 今 、 其 記 事 せ 抄 録 す る と 次 の や う で あ る 。 又 丞 相 金 良 圖 爲 阿 孩 時 、 忽 口 噤 體 硬 、 不 言 不 遂 、 毎 見 一 大 鬼 率 群 小 鬼 來 、 家 中 几 有 盤 肴 皆 啖 甞 、 巫 覡 來 祭 、 則 群 衆 而 爭 侮 之 、 圖 雖 欲 命 撤 而 口 不 能 言 、 家 親 請 法 流 寺 僧 亡 名 來 、 轉 經 、 大 鬼 命 小 鬼 、 以 鐵 槌 打 信 頭 、 仆 地 嘔 血 而 死 、 隔 數 旦 遣 山使 邀し 本 、 ( 密本 ) 使 還 言 本 法 師 受 我 請 將 來 矣 。 衆 鬼 聞 之 皆 失 色 、 小 鬼 日 、 法 師 至 將 不 利 、 避 之 何 幸 、 大 鬼 悔 慢 自 若 日 、 何 害 之 有 、 俄 而 有 四 方 大 力 神 、 皆 屬 金 甲 長 戟 來 促 群 鬼 而 縛 去 、 次 有 無 數 天 神 環 拱 而 待須申本 ( 密本 ) 至 、 不 緲 聞 經 、 其 疾 乃 治 、 語 通 身 解 、 具 説 二 件 事 良 圖 因 此 篤 信 釋 氏 、 一 生 無 怠 ・ 上 掲 の 文 中 、 ﹁ 不 待 開 經 、 其 疾 乃 治 ﹂ と あ る が 、 其 經 與 が 如 何 な る も の で あ つ だ か は 解 ら な い が 、 恐 ら く 矢 張 り 藥 師 經 で あ ら う と 思 ふ 。 ︹ 備 考 ︺ 當 時 朝 鮮 に 於 い て に 密 教 的 呪 法 の み な ら ず 、 異 端 的 呪 法 即 ち 外 道 的 道 教 的 呪 術 も 同 樣 行 に れ て 居 ぬ 形 跡 が あ る 。 即 ち ﹁ 三 國 遺 事 ﹂ 第 五 に ば 次 の や う な 記 事 が あ ろ 。 ﹁ 又 金 痩 信 。 當 與一 老 居 士 交 厚 、 世 人 不 知 其 何 人 。 于 時 公 之 戚 秀 天 、 久 染 惡 疾 、 公 遣 居 士 診 衞 、 適有 秀 天 之 舊 名 因 惠 師 者 自 中 岳 來 訪 之 、 見 居 士 而 慢 侮 之 、 日 相 汝 形 儀 、 邪 侫 人 也 、 何 得 理 人 之 疾 、 居 士 日 、 我 受 金 公 命 、 不 獲 己 爾 、 惠 曰 汝 見 我 神 通 、 乃 奉 爐 呪 香 、 俄 頃 五 色 雲 旋 遶 頂 上 天 花 散 落 、 士 日 和 尚 通 力 、 不 可 思 議 、 弟 子 亦 有 拙 技 請 試 之 、 願 師 乍 立 於 前 惠 從 之 、 士 彈 指 一 聲 、 惠 倒 迸 於 空 高 一 丈 □ 印 度 時 代 密 教 區 劃 の 研 究 七 七三
□ 密 教 研 究 七 四 許 、 良 久 徐 々 倒 下 、 頭 卓 地 屹 然 如 植 概 、 旁 人 推 挽 之 不 動 、 士 出 去 、 惠 猶 倒 卓 逹 曙 、 明 日 秀 天 使 扣 於 金 公 公 遣 居 士 往 救 乃 解 、 因 惠 不 復賣 技 。﹂ 五 絡 言 初 期 の 朝 鮮 密 教 に 對 す る 結 論 は 猶 ほ 幾 多 の 努 力 と 研 鑚 と の 後 に せ ら る べ き も の で 、 茲 に 結 論 を 述 べ る の は 稍 々 早 計 に 失 す る か も 知 れ ぬ が 、 吾 人 の 一 小 研 究 か ら 云 ふ と 、 第 一 に 初 期 の 朝 鮮 密 教 は 原 始 的 雜 部 密 教 で あ る と い ふ ことゝ 、 第 二 に 其 應 用 と し て は 疾 病 平 癒 息 災 延 命 敵 人 降 伏 其 地 特 殊 的 希 望 を 滿 足 せ し む る に 過 ぎ な か つ た と い ふ こ と と 、 第 三 に 密 教 的 勢 力 が 可 成 上 流 社 會 に 扶 殖 せ ら れ て ゐ た と い ぶことと 、 第 四 に 秘 密 經 典 譯 經 の 事 更 に 無 か り し と い ふ こ と と 、 第 五 に は 朝 鮮 密 教 の 開 祖 と も 云 ふ べ き 大 人 物 の 輩 出 せ な か つ た と い ふ こ と 位 は 云 ひ 得 る と 思 ふ 。 更 に 幾 多 の 史 實 と 幾 多 の 補 助 的 研 究 の 結 果 、 果 し て こ れ と 同 一 の 結 論 に 達 す る か 否 や は 茲 に 斷 言 す る を 避 け 、 唯 此 の 一 小 研 究 に 依 つ て 得 た る 歸 結 が 斯 く の 如 き も の で あ つ た と い ふ こ と を 披 露 す る に 止 め て 置 く 。 ( 完 )