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一、はじめに   智 山 伝 法 院 で は、平 成 二 七 年 度 よ り「作 法 集 研 究 会」と い う 研 究 会 を 立 ち 上 げ、そ の 成 果 を 智 山 伝 法 院 選 書『作 法集の解説』 (仮題)としてまとめるべく活動している。   本稿において取り扱う「地鎮々壇合作法」は、日常的に修される作法ではないが、堂宇等を建立する際には必 ず用いられるものであり、東密の建築における重要な作法であるといえる。また後述するように、古来より修さ れてきた作法であり、伝統的な作法であると評することができる。   し か し、複 数 の 次 第 を 比 較 し て み る と、い く つ か の 特 徴 的 な 相 違 点 が 見 い だ さ れ る の で あ る。そ こ で 本 稿 で は、 総本山智積院発行の『作法集』巻下に収められている「地鎮々壇合作法」と他の数種の次第とを比較して、その 相違点について少しく検証してみたい。

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二、地鎮々壇合作法の典拠   そもそも、 「地鎮々壇合作法」が如何なる作法なのかといえば、 「合作法」とあることからも理解される通り、 「地 鎮 法」と「鎮 壇 法」を 合 わ せ た 作 法 の こ と で あ る。堂 宇 等 を 建 立 す る 以 前 に、そ の 土 地 を 結 堅めの法が地鎮法であり、建立の後に土壇を鎮める法が鎮壇法である。尚、一般家屋新築の際の地祭りは土公供 といい、屋堅めを鎮宅法という。更に、この鎮宅法を御所等において修する場合は安鎮法と称して、それぞれを 区別しているようである。   この地鎮法・鎮壇法について、隆誉(一六五三~一七一一)の『要法授訣鈔』巻中には、 地 鎮 々 壇 法、堂 塔 仏 閣 禁 裏 殿 閣 建 立 時 修 法 也。中 地 鎮 法、堂 塔 仏 閣 等 未 レ 已 前 埋 二 物 一 未 レ 張 二 敷 一 前 埋 二輪・橛 法 也。今 此 次 第、地 鎮・鎮 壇 格 別 修 レ 作 法、丁 寧 義 也。又 合行修 レ 也 ( 1 ) 。 【和訳】地鎮々壇法とは、堂塔・仏閣、禁裏の殿閣を建立するときの修法である。中の地鎮法とは、堂塔な どを建てる以前に鎮物を埋める作法である。鎮壇とは、堂塔などを建立し板敷を張る以前に輪・橛を埋める 作法である。今のこの次第は、地鎮と鎮壇とを別々に修する作法であり、丁寧な作法である。他にも、地鎮 と鎮壇を合行に修する作法がある。

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と あ る 通 り、地 鎮 法・鎮 壇 法 と も に 地 面 に 埋 納 す る も の が 定 め ら れ、ま た「合 行 法」が あ る こ と を い い な が ら も、 地鎮法と鎮壇法とを別に修法することが丁寧であるとされている。   この地鎮法・鎮壇法の典拠として、 『覚禅鈔』巻九二では『聖無動尊安鎮家国等法』 (以下『不動安鎮儀軌』 )・ 『一髻尊陀羅尼経』を挙げてい る ( 2 ) 。『不動安鎮儀軌』には、鎮所に穴を掘って輪を敷き、その中央に橛を立てて槌 で千八十遍叩いて加持し、七宝・五穀を埋める儀礼が説かれてい る ( 3 ) 。   また『一髻尊陀羅尼経』には、七日作壇法の四日目の儀礼として、 次第四日、用 二牛糞香泥 二 其地 一竟、次将神線四方八肘一匝挽之、四角下点。更以神線東北角 一 至 二 西 南 角 一、従 二 東 南 角 一西 北 角 一 叉 挽 レ之、其 線 叉 中 下 レ点、掘 レ 地 深 一 磔 許、埋 二 著 五 宝 并 及 五 穀 一 其 五 宝 者、 �� (中 略) �� 。言 二 穀 一者、 �� (中 略) �� 。以 二 片 絹 一 共 裹 二宝・穀、以 二 五 色 線 一絹埋之。其五色線一頭出地長五指許。此宝物等永不 4 ) 。 【和 訳】次 に 第 四 日 に、牛 糞 香 泥 を そ の 地 に 塗 り、次 に 神 線 で 一 辺 八 肘 の 方 形 を 墨 打 ち し て 四 角 に 点 を 打 て。 更に神線を東北の角から西南の角、東南の角から西北の角に交差するように墨打ちし、その線の交わるとこ ろ(中 央)に 点 を 打 ち、そ こ の 地 を 一 磔 ば か り 掘 っ て、五 宝 と 五 穀 を 埋 め よ。五 宝 と は、 �� (中 略) �� 。五穀とは、 �� (中略) �� 。一片の絹で五宝・五穀を共に包み、五色糸で絹を結んでこれを埋める のである。五色糸のひと端を五指ばかり地に出せ。この宝物等は永く掘り出してはいけない。

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と 説 か れ、鎮 所 の 中 央 に 絹 で 包 ん だ 五 宝・五 穀 を 埋 め る こ と が 指 示 さ れ て い る。た だ し、こ の『一 の記述は、 『陀羅尼集経』巻四の記 述 ( 5 ) と同じであるため、典拠としては『一髻尊陀羅尼経』よりも『陀羅尼集経』 を挙げた方が適切であると思われる。 『一髻尊陀羅尼経』を敢えて典拠とした理由は不明であるが、 尼経』が空海(七七四~八三五)の請来であることが影響していると推測することができよう。   ま た、 『陀 羅 尼 集 経』巻 一 二 に お い て も、七 日 作 壇 法 の 三 日 目 の 儀 礼 と し て、四 角・中 央 に 点 を掘り、絹片をもって七宝・五穀を包んで五色線で結んでその穴に埋めるよう指示されている。   この儀礼と上述の『陀羅尼集経』巻四との記述は、第三日目・第四日目の相違、五宝・七宝の相違はあるもの の、ほぼ同じ儀礼であるとみることができ る ( 6 ) 。しかし、この五宝と七宝の違いは、日本における修法の重要な相 違 と し て 表 れ る こ と に な る。す な わ ち、 『覚 禅 鈔』巻 九 二 に は、支 度 物 と し て「五 宝    金・銀・真 商 佉 ( 7 ) 」との指示がされ、一方『阿娑縛抄』巻一七三では「五宝   金一分・銀一分・真珠三粒・ 瑟々・青瑠璃・頗梨・水精 」 ( 8 ) とあるように、 ながらも七宝を用いるように指示されている。つまり、東密の『覚禅鈔』では五宝が、台密の『阿娑縛抄』では 七宝が用いられるのである。   尚、この五宝・七宝について更に一言付しておくならば、森郁夫氏の先行研究には、東密では五宝や五穀等を 瓶に入れて埋め、それに対し台密では、七宝等を絹片に包んで埋めることがその相違として指摘されてい か に 東 密 で は、 『覚 禅 鈔』の み な ら ず、醍 醐 第 一 七 世 座 主 実 運(一 一 〇 五 ~ 一 一 六 〇)の『諸 尊 〇九三~一一五六)の『厚造紙』においても、五宝等を瓶に入れることが指示されている。しかし、台密の著作 で あ る『阿 娑 縛 抄』巻 一 七 三 に も、支 度 物 に「銅 瓶 一 口 )1( ( 」と い う 記 載 が あ り、ま た「経 王 記 云、又 五 香・五 穀 一、各 納 二 物 一 )11 ( 。」 (【和 訳】第 四 十 一 世 天 台 座 主 賢 暹(一 〇 二 七 ~ 一 一 一 二 )12 ( )の『経

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五 宝・五 薬・五 香・五 穀 を そ な え て そ れ ぞ れ を 瓶 の 如 き も の に 納 め る。 )と 説 か れ て い る。更 に 尊 円 親 王(一 二 九 八 ~ 一 三 五 六 ) の 『 門 葉 記 』 巻 二 九 に は、 穴 に 輪・橛 を 入 れ た 後 の 作 法 と し て、 「 次、 取 二 宝 一 輪 上 一 )13 ( 」( 【 和 訳】次に七宝を取って輪の上に散ずる)とあるように、台密においても、瓶に納める作法や、絹片で包むことな く散じる作法がみられるため、瓶に納める、絹片で包むことを東密・台密の相違と断定することはできないであ ろ う )1( ( 。   ま た、森 雅 秀 氏 の『マ ン ダ ラ の 密 教 儀 礼 )15 ( 』で は、ア バ ヤ ー カ ラ グ プ タ( Abhayākaragupta )の 主 著、 『ヴ ァ ジ ュ ラ ー ヴ ァ リ ー( Vajrāvalī :金 剛 の 環)と 名 づ け る マ ン ダ ラ 儀 軌 書』に お け る マ ン ダ ラ を つ く る 儀 礼 の 中 に、土 地 を 支 配 す る と さ れ る ヴ ァ ー ス ト ナ ー ガ )1( ( ( vāstunāga :家 屋 の 龍)の 右 脇 の 下 か ら 距 離 一 ダ ン ダ 離 れ た と こ ろ に 穴を掘って土の中の不純物を取り除いて土地を浄化し、土地の中央に五宝・五薬・五穀を埋納して、キーラ(漢 訳 で は「橛」 )を 用 い て 土 地 を 結 界 す る 儀 礼 が 紹 介 さ れ て い る が、こ れ も 日 本 に お け る 地 鎮 法・鎮 壇 法 と 密 接 な 関係にある儀礼といえるであろう。 三、地鎮法・鎮壇法と地鎮々壇合作法   それでは、既に簡略に触れてしまったが、地鎮法・鎮壇法と地鎮々壇合作法が具体的にどのように異なるのか 検討していきたい。まず地鎮法と鎮壇法の相違とは、上述したごとく、堂塔仏閣などを建立する以前に修する作 法が地鎮法であり、堂塔仏閣等建立以後、板敷を張る以前に修する作法が鎮壇法である。また、これを個別に行 う こ と が 丁 寧 で あ る が、地 鎮 法・鎮 壇 法 を 合 わ せ て 行 ず る「合 行 の 作 法」が あ る こ と も 既 に 指 摘 し た 通 り で あ る。   で は、地 鎮 法 と 鎮 壇 法 が 具 体 的 に ど の よ う に 異 な る の か と い え ば、 『諸 尊 要 抄』巻 一 五 に は、小 野 の 仁 海(九

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五一~一〇四六)の 伝 )17 ( として、以下のように記されている。 地 鎮 口 伝 云 小 野 記 、不 レ 以 前 修 レ之。金 剛 賢 瓶 一 口 五 寸 入 二 宝 等 一蓋、以 色 糸 一之。誦 并 地 天 真 言 一、然 後 埋 二 之 於 本 地 一。以 二 五 色 玉 一 地 四 方 一。五 穀 粥 二 桶、以 二 露 法 味 一桶沃 二壇外、一桶沃牆外四至。即乞請地於諸神地主也。二桶若不足者、可三桶 鎮 壇 口 伝 云 小 野 説 、次 築 レ 建 レ 之 後 修 レ之。輪 八 枚・橛 八 本 埋 二 八 方 一。輪 中 央 穿 レ 入 埋 レ 也。先 自 二 方 一之。各 随 二 方 一 方 天 真 言 一之。五 穀 粥 二 桶 沃 レ 後 両 度 修 二 鎮・鎮 壇 一 儀 也。所 レ 地 鎮 埋 二 及 玉 一輪・橛、鎮 壇 埋 二輪・橛 若 前 不 レ 二 地 鎮 一、造 堂 舍 一 之 後、一 度 行 二 壇 一者、金 銅 瓶 埋 二 中 心 一、輪・橛 可 レ 云云 。近代多者、別不 レ地鎮一度行 云 云 )18 ( 。 【和訳】地鎮の口伝(仁海の伝)に云うには、壇を築く以前に地鎮を修法する。五寸の金剛賢瓶一口に五宝 等 を 入 れ て 蓋 を 覆 い、五 色 糸 で こ れ を 結 ぶ。大 日 の 真 言、地 天 の 真 言 を 誦 し、そ の 後 に こ れ また五色の玉を地の四方に埋める。五穀粥二桶を、甘露法味の真言で加持する。一桶は壇の外にそそぎ、一 桶は境界の外の四方にそそぐ。即ち地を諸神・地主に請うのである。二桶で足りないならば、三桶に及ぶべ きである。 鎮壇の口伝(仁海の伝)に云うには、次に壇を築いて堂を建てた後に鎮壇を修法する。輪八枚・橛八本を壇 の八方に埋める。輪の中央に穴をあけて橛峯を入れて(輪を)のせ、橛を立ててこれを埋めるのである。ま

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ず東方よりこれを埋めるべきである。それぞれその方角に随って八方天の真言を誦してこれを埋めるべきで あ る。五 穀 粥 二 桶 を そ そ ぐ(作 法 は 前 の 地 鎮 の 通 り で あ る。粥 は 地 鎮・鎮 壇 に 共 に 用 い る。 )以 上 が 壇 を 築 く前後の両度において地鎮・鎮壇を修法する儀である。いわゆる地鎮には瓶及び玉を埋めて輪・橛は用いな い。鎮壇には輪・橛を埋めて瓶・玉等は埋めない。もし壇を築く前に地鎮を修法せず、堂舎を建てた後に一 度に鎮壇を行ずるのであれば、金銅瓶を壇の中心に埋め、輪・橛を八方に埋めるのである。玉は埋めない。 近代の多くは、別に地鎮を修法せず、一度にこれを行じている。   このように仁海の伝によれば、地鎮法では賢瓶・五色玉、鎮壇法では輪・橛を埋めることが、その相違として 指摘され、もし合行に修する場合は、瓶・輪・橛を埋めて五色玉は用いないことが説かれている。また、仁海の 在世時には既に、 「丁寧の義」とされる地鎮法と鎮壇法を格別に修する作法よりも、 「地鎮々壇合行法」が修され るケースが多いと指摘されている。森郁夫氏の論考には「地鎮・鎮壇供養事例一覧表」が付属されてい る )1( ( が、こ の 表 に は 五 色 玉 が 埋 納 さ れ た 事 例 を 見 る こ と が で き な か っ た。す な わ ち、現 行 の『作 法 集』に 収 め ら れ て い る「地 鎮々壇合作法」は、省略されたものであり「丁寧の義」ではないが、仁海の時世以前より伝わる伝統的な修法で あると理解されるのである。   またこの埋納物は、 『要法授訣鈔』巻中に、 修 二此法助衆、唯具入堂弟子一人・承仕二人。是為[供]散念誦間埋鎮物五穀粥役人 也 )2( ( 。

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【和訳】この法を修するにあたっては助衆なく、ただ弟子一人と承仕二人のみを具す。これは散念誦の間に 鎮物を埋めて五穀粥を供ずるための役人である。 とあるように、修法の「散念誦」の間に埋納物を埋めると説かれている。また、この修法の前方便として『要法 授訣鈔』巻中には、 先方便、大途十八道構也。或金界成身構可 レ修也。法、地天法也。是祭地天 一 請 レ地故 矣 )21 ( 。 【和訳】まず前方便は概ね十八道の構えである。或いは金剛界成身会の構えで修法するべきである。法は地 天の法である。これは地天を祀って地を請うためである。 とある通り、十八道或いは金剛界成身会の構えで修法することが説かれている。 四、各次第における修法の比較   それでは、実際に数種の次第を現行の『作法集』と比較してみたい。ただし、現行『作法集』は、前方便が説 かれるのみで、埋納の作法が説かれていないため、前方便のみを比較することとする。 使用した次第

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・現行『作法集』 (総本山智積院・一九六六) ・昭和三一年版『作法集』 (総本山智積院・一九五六) ・元海『厚造紙』 (大正七八・二七八頁中~二七九頁中) ・勝賢・守覚『秘鈔』 (総本山智積院・二〇〇一) ・覚禅『覚禅鈔』 (大正図像五・三五二頁上~三五八頁中) ※現行『作法集』は、昭和三一年版『作法集』を改訂再版したものである。 ※『厚造紙』と『秘鈔』は全く同じ次第であっ た )22 ( ため、まとめて示した。 現行『作法集』 昭和三一年版『作法集』 『厚造紙』 ・『秘鈔』 『覚禅鈔』 壇前普礼 壇前普礼 壇前普礼 着座普礼 着座普礼 着座普礼 着座普礼 塗香 塗香 塗香三部被甲等 塗香 三密観 三密 浄三業 浄三業 浄三業 三部 三部 三部 被甲護身 被甲 被甲 加持香水 加持香水 加持香水 加持香水

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加持供物 加持供物 加持供物 加持供物 らん字観 ラン字観 覧字観 ラン字観 観仏 観仏 観仏 金剛起 金剛起 金剛起 普礼 普礼 祭文 表白 表白 表白 表白 神分 神分 神分 神分 祈願 祈願 五悔 五悔 五悔 五悔 発菩提心 発菩提心 三昧耶 三昧耶 発願 発願 発願 勧請 五大願 五大願 五大願等 五大願 普供養印明三力 普供養三力 誦普供養三力偈 勝願 勝願 勝願 大金剛輪 大金剛輪 大金剛輪

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金剛橛 地結 地結 地結 四方結 四方結 四方結 四方結 驚発地神偈 地神偈 驚発地神 誦地神偈 勧請地神 勧請地神 勧請地神 地神持次第 地神持次第 地神持次第 地神持次第 作壇 作壇 作壇 作壇 灑浄 灑浄 灑浄 灑浄 持地 持地 持地 地持 金剛部三昧耶 金剛部印明 金剛部三昧耶 道場観 道場観 道場観 道場観 大虚空蔵 大虚空蔵 大虚空蔵 大虚空蔵 小金剛輪 小金剛輪 小金剛輪 送車輅 送車輅 送車 送車輅 請車路 請車輅 請車 請車輅 召請 召請 勧請 大鉤召 四明 四明 四明 拍掌 拍掌 拍掌

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結界 結界 結界 虚空網 虚空網 虚空網 火院 火院 火院 大三昧耶 大三昧耶 大三昧耶 閼伽 閼伽 閼伽 閼伽 花座 花座 花座 荷葉座 荷葉座 荷葉座 振鈴 振鈴 振鈴 振鈴 五供   理供   事供 五供   理供   事供 五供養 五供印明   現供 召請印 開地獄門及咽喉印 讃   四智   不動   天竜八部 讃   四智   不動   或天竜八部 讃 讃   諸天 普供養三力 普供養三力 普供養 普供養三力偈

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祈願 祈願 祈願 礼仏 礼仏 礼仏 入我々入 入我々入 本尊加持   不動    独鈷印火界呪    剣印慈救呪   地天印 本尊加持   不動    独鈷印火界呪    剣   印慈救呪   地天 本尊加持   地天真言 正念誦(地天呪) 正念誦(慈救呪) 正念誦(地天) 本尊加持(前の如し) 本尊加持(如前) 本尊加持(如上) 字輪観   五大 字輪観   カン字   若五大 字輪観   五大 本尊加持   大日印明   不動印明    根本印火界呪    剣   印慈救呪 本尊加持   大日(胎)   不動印明    根本印火界呪    剣   印慈救呪 不動明王印真言 本尊加持(如上) 地天 地天 地天 八方天(或略之) 八方天(或略之)

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仏眼印言 仏眼印言 散念誦   仏眼   大日胎   不動   地天   八方天   仏慈護   法施    心経    尊勝陀羅尼   大金剛輪   一字金輪   般若無尽蔵 散念誦   仏眼   大日胎   不動   馬頭   金剛部三昧耶   地天   八方天   仏慈護   法施    心経    尊勝陀羅尼   大金剛輪   一字金輪   般若無尽蔵 散念誦   ①仏眼   ②大日   ④不動   ⑤馬頭   ⑥金剛部明   ⑦地天   ⑧八方天   ③仏慈護   ⑨法施    尊勝陀羅尼    三昧耶戒真言    宝号等 散念誦   ①仏眼   ②大日   ③不動   ④本尊(地天)   ⑤八方天真言   ⑥尊勝陀羅尼   ⑦一字金輪 後供養   理供   事供 後供養   理供   事供 後供養 後供養   理供   事供 閼伽 閼伽

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後鈴 後鈴 後鈴 讃 讃 讃 讃 普供養三力 普供養三力 普供養三力偈 祈願 祈願 祈願 礼仏 礼仏 礼仏 礼仏 廻向 回向 廻向 廻向 廻向方便 解界 解界 解界 撥遣 撥遣 撥遣 撥遣 三部被甲等 三部   被甲 普礼 普礼   この表を見てみると、まず現行『作法集』と昭和三一年版『作法集』は、ほぼ同じ作法であるということがで き る。し か し 後 述 す る よ う に、い く つ か 相 違 す る 点 も み ら れ る。ま た、現 行『作 法 集』と『厚 造 紙』 ・『秘 鈔』 、『覚 禅 鈔』を 比 較 し て み る と、 『厚 造 紙』 ・『秘 鈔』 ・『覚 禅 鈔』で は、現 行 の 次 第 に 挙 げ ら れ る 作 法 が し ば し ば 抜 け て いる―例えば『覚禅鈔』の「四明」~「大三昧耶」 、『厚造紙』 ・『秘鈔』の「祈願」~「字輪観」―ことが理解さ れるが、これが表記として省略されただけで実際には修されていたのか、そもそも修されていなかったのかは判 然としない。

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  それでは、以下に特徴的な相違を指摘してみたい。 ・『覚禅鈔』にのみ「祭文」が説かれる。 ・『厚造紙』 ・『秘鈔』にのみ「勧請地神」が説かれない。 ・現行『作法集』のみ「金剛部三昧耶(金剛部印明) 」が説かれない。 ・『覚禅鈔』にのみ「召請印」 ・「開地獄門及咽喉印」が説かれる。 ・昭 和 三 一 年 版『作 法 集』は「正 念 誦」に お い て「慈 救 呪」を 唱 え、現 行『作 法 集』 、『覚 禅 鈔』で を唱えている。   ま ず『覚 禅 鈔』に の み「祭 文」が あ る こ と に つ い て は、現 行『作 法 集』 ・昭 和 三 一 年 版『作 法 白次に祭文あるべ し )23 ( 」とされることから、ここに「祭文」を設けることが口伝として伝わっていたことが理解さ れる。また、 『要法授訣鈔』巻中には、 此法、大途不 レ祭文。尓古禁裏或公家営建時、修此法施主作祭文諸願意趣 以若有 二祭文表白次可 也 )2( ( 。 【和訳】この法では多くの場合に祭文を用いない。しかしながら、古くは禁裏や公家の営造の時に、この法 を修法するに、施主が祭文を作って諸願の意向を述べて、それを阿闍梨に送ることがあった。これにより、

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もし祭文がある場合には表白の次に読むべきである。 とあるように、主に禁裏・公家の営造の際に祭文が用いられていたようである。   次 に、 『厚 造 紙』 ・『秘 鈔』に の み「勧 請 地 神」が 説 か れ な い こ と に つ い て 検 討 し て み た い。そ も そ も、こ の 勧 請 地 神 は、胎 蔵 法 に「作 壇 の 儀 礼 )25 ( 」の ひ と つ と し て 説 か れ る 作 法 で あ り、 『厚 造 紙』 ・『秘 鈔』以 外 の 次 第 に は、 「驚 発地神偈」 ・「勧請地神」 ・「地神持次第」 ・「作壇」 ・「灑浄」 ・「地持」と、作壇の儀礼が説かれている。この作壇の 儀礼は、まず驚発地神偈・勧請地神により土地の地神を驚発し勧請して、地神持次第によってその土地を加持す る。そして作壇により壇を築き、灑浄・持地により壇を浄め堅固に保つのである。 『厚造紙』 ・『秘鈔』に勧請地神が説かれていない理由を確定することは困難であるが、胎蔵法の次第が説かれる 『青 龍 軌』巻 上 に は 勧 請 地 神 の 作 法 が 説 か れ て い な い )2( ( 。ま た、教 舜(? ~ 一 二 六 四 ~ ?)の『胎 蔵 界 口 伝 鈔』巻 上 に は、 「常 喜 院 云、次 勧 請 地 神 諸 軌 未 レ レ 之 )27 ( 。」と、常 喜 院 心 覚(一 一 一 七 ~ 一 一 八 〇)の 伝 と し て、諸 々 の 儀軌に勧請地神が説かれていないことが指摘されている。したがって、胎蔵法のうち、勧請地神が説かれない次 第を参考にして、 『厚造紙』 ・『秘鈔』に記された次第が編纂された可能性を指摘することは可能であろう。   次 に、現 行『作 法 集』に の み「金 剛 部 三 昧 耶(金 剛 部 印 明) 」が 説 か れ な い こ と に つ い て 検 討 し て み た い。ま ず、 こ の 金 剛 部 三 昧 耶(金 剛 部 印 明)が 如 何 な る 印・真 言 な の か と い え ば、昭 和 三 一 年 版『作 法 集』に は、 「次 金 剛 部 三 昧 耶 )28 ( 」、 『厚 造 紙』 ・『秘 鈔』に は「金 剛 部 印 明 )2( ( 」と の み 記 さ れ、印・真 言 に つ い て の 記 載 は な い。し か し、 『覚 禅鈔』巻九二には以下のように説かれている。

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次 金 剛 部 三 昧 耶。二 手、左 覆、右 仰、合 レ 背 相 著。以 二 右 大 指 一 小 指 一、以 小 指 一 六 指 博 著 二 腕 一、如 鈷 杵 形 一。結 印 已、想 二 剛 蔵 菩 薩 相 好 威 光、并 無 量 執 金 剛 眷 属 囲 逆此印旋転 云々 真言曰 唵嚩日盧 二引 合 納波 二 合縛耶娑縛 二引 合 賀 )3( ( 【和 訳】次 に 金 剛 部 三 昧 耶。二 手、左 は 覆 い、右 は 仰 ぎ、背 を 合 わ せ て つ け よ。右 の 大 指 で 右の小指で左の大指を交えよ。中間の六指は広げて手腕につけ、三鈷杵の形の如くせよ。印を結び終わった ら、金剛蔵菩薩の相好威光、無量の執金剛眷属の囲繞することを観想せよ。真言を誦し順逆にこの印を旋転 せよ。 真言に曰く、オンバゾロドハンバヤソワカ   ま た、川 崎 大 師 教 学 研 究 所 所 蔵 の 道 範 作 と さ れ る 次 第、 『地 鎮 祭 文 幷 札 次 第』に お い て も、 「次 護 身 法 第 四 也 )31 ( 」と 説 か れ て い る よ う に、こ の 金 剛 部 三 昧 耶 の 印・真 言 は、護 身 法 に お け る「金 剛 部 三 ある。   一方で、 『要法授訣鈔』巻中には、 金剛部三昧耶   金界金剛部心三昧耶印言也。内縛立 二左大指。唵嚩日羅○地力迦○娑縛 賀 (

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【和訳】金剛部三昧耶   金剛界の金剛部心三昧耶の印・真言である。内縛して左の大指を立てよ。オンバザ ラチリキヤソワカ と、金 剛 界 法 の 金 剛 部 心 三 昧 耶 の 印・真 言 を 用 い る と 説 か れ、 『覚 禅 鈔』等 と は 相 違 し て い る の で あ る。ま た、 動潮(一七〇九~一七九五) 『三宝院流洞泉相承口決』巻一一には、 金剛部印明   金剛界金剛部三昧耶印明也。此金剛持遍礼印故用 レ之。真言、 喝沙憧 紅逓 泗 爾 )33 ( 【和訳】金剛部印明   金剛界金剛部三昧耶の印明である。これは金剛持遍礼の印である故にこれを用いるの である。真言、オンバザラチリキヤソワカ と、 『要法授訣鈔』と同じ真言が説かれているが、その一方で「金剛持遍礼印」ともある。この金剛持遍礼印は、 金剛界法において、一切如来を礼拝する作法として説かれるものであり、真言「オン   バザラビツ   オン   サラ バタタギャタキャヤバキシッタバザラバンダナンキャロミ   オン   バザラビツ」を唱え、護身法の金剛部三昧耶 印を結び、垂帯・舞儀・金剛合掌の所作を行う作法である。この作法では護身法の金剛部三昧耶印を用いること から、動潮は、地鎮々壇作法における金剛部三昧耶の印相を、護身法に用いる三鈷杵の印であると想定していた と考えられる。すなわち、 『要法授訣鈔』と真言は同じであるが、印相が異なっていると考えられるのである。

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  この金剛部三昧耶の印・真言がなぜ相違しているのかは不明であるが、髙井観海氏・布施浄慧氏は、共に『要 法授訣鈔』の記述を支持してい る )3( ( 。また、この金剛部三昧耶の作法が、現行の『作法集』にのみ説かれていない 理由も不明であるが、川崎大師教学研究所所蔵の『鎮壇法 地鎮々壇合行法 』には、 異本、勧請地神前地神偈加也如何。但地神偈加本、末金剛三昧 ヤ ママ 無 レ )35 ( 。 【和 訳】異 本 に、勧 請 地 神 の 前 に 地 神 偈 を 加 え る と あ る の は 如 何 な る こ と か。但 し、地 神 偈 末の金剛部三昧耶がない。 と 説 か れ て い る。こ の『鎮 壇 法 地 鎮 々 壇 合 行 法 』の 次 第 が、書 写 年 代 や 何 れ の 流 派 の 次 第 で あ る の か ができないが、この次第の記述によれば、次の三種の次第が存在することになるであろう。 地神偈(驚発地神偈)

地神偈(驚発地神偈) 勧請地神 勧請地神 勧請地神 地神持次第 地神持次第 地神持次第 作壇 作壇 作壇 灑浄 灑浄 灑浄 地持 地持 地持 金剛部三昧耶 金剛部三昧耶

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  表 の 上 段 は、昭 和 三 一 年 版『作 法 集』の 他、多 く の 次 第 に 記 載 さ れ て い る 作 法 で あ る。中 段 は、 『鎮 壇 法 地 鎮 々 壇 合 行 法 』に お い て「異 本」と 呼 称 さ れ る 次 第 で あ り、下 段 は、 『鎮 壇 法 地 鎮 々 壇 合 行 法 』に お い て 参 照 し た と さ れ る、 「地 神偈を加えた本」の次第である。   これによれば、下段に示した次第は、この七つの作法に関しては現行『作法集』と全く同じ構成であるといえ る。現 行『作 法 集』を 用 い て 行 わ れ た 伝 授 の 中 に は、 「次 第 に 金 剛 部 三 昧 耶 が な く と も、地 持 の 後 に 金 剛 部 三 昧 耶を加えるべき」との伝もあったようであるが、現行『作法集』以外にも金剛部三昧耶の作法が説かれていない 次第が存在したということである。   次 に、 『覚 禅 鈔』に の み「召 請 印」 ・「開 地 獄 門 及 咽 喉 印」が 説 か れ る こ と に つ い て 検 討 し て み た い。ま ず、こ の二つが如何なる作法なのかといえば、 『覚禅鈔』巻九二には以下のように示されている。 次召請印   右手大中面捻、余三相去少曲。   呪曰 無尽如 二雲集、以大悲願誦七返    誇姿 歩 引 歩利迦利 跢 利怛他蘖多耶 次開地獄門及咽喉印   左手執 二食器、右手弾指。大頭捻余三指開立少曲。   呪曰    喝 歩々帝 引 里迦[里]多里怛他蘖多耶   或師云、飯仏供取 二右手居用此印言 一 云 々 )3( ( 【和訳】次に召請印   右手の大指・中指の面を捻し、余の三指は離して少し曲げる。 呪 に い わ く(無 尽 に 雲 集 す る が 如 く、大 悲 の 願 を も っ て 誦 す る こ と 七 返) 、ノ ウ ボ ウ ボ ホ リ キ ヤ リ タ リ タ タ

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ギヤタヤ 次 に 開 地 獄 門 及 咽 喉 印   左 手 に 食 器 を と り、右 手 弾 指 す。大 指・頭 指 捻 し て 余 の 三 指 は 開 き 呪にいわく、オンボホテイリキヤ[リ]タリタタギヤタヤ ある師が言うには、飯仏供を右手に取り居してこの印・真言を用いると。   この真言は、施餓鬼法で用いられる「普集餓鬼印」 ・「開咽喉印」の真言であり、施餓鬼法では普集餓鬼印によ って餓鬼を招き集め、開咽喉印によって餓鬼の喉を開く作法として説かれている。一方、地鎮々壇作法における 召請印は、 『要法授訣鈔』巻中に、 次 召 請 印   本 尊 召 請 印 明、先 既 有 二 鉤 召 一故、今 眷 属 召 請 也。 �� (中 略) �� 無 尽 如 雲 属如 レ雲来集儀 )37 ( 。 【和訳】次に召請印。本尊(地天)を召請する印明は、先に既に「大鉤召」があるため、今ここでは眷属を 召請するのである。 �� (中略) �� (『覚禅鈔』の) 「無尽如雲」等とは、地天の眷属が雲の如く来集する ことを述べているのである。 と、先に修した大鉤召によって地天を召請し、この召請印によって地天の眷属を召請すると説かれている。   ま た、 「開 地 獄 門 及 咽 喉 印」の 印 相 に つ い て は、施 餓 鬼 法 で は「五 指 を の べ て 大 指 と 中 指 を 捻

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弾 指 す る」と さ れ る が、 『覚 禅 鈔』で は「大 指 と 頭 指 で 弾 指 す る」と あ り 相 違 し て い る。こ れ に つ い て も『要 法 授 訣 鈔』巻 中 に、 「以 二 指 一 摺 二 指 側 一 弾 指 也。施 餓 鬼 時 大・中 ス ル ト 同 也 )38 ( 。」 (【和 訳】大 指 で 風 指 の は し を 摺 っ て 弾 指 す る。施 餓 鬼 の 時 の 大 指 と 中 指 を 摺 る の と 同 じ で あ る。 )と 説 か れ、印 相 は 異 な る が 同 じ 目 的 で 修 さ れ ることが理解されるのである。   次 に、昭 和 三 一 年 版『作 法 集』と 現 行『作 法 集』 ・『覚 禅 鈔』と で は、 「正 念 誦」に お い て 用 い る 真 言 が 相 違 す ることについて検討してみたい。この相違は、本尊とする尊格が異なることを示しているのであり、重要な相違 であると指摘することができるであろう。すなわち、現行『作法集』 ・『覚禅鈔』では地天を本尊としているが、 昭 和 三 一 年 版『作 法 集』で は 不 動 明 王 を 本 尊 と し て い る の で あ る。尚、 『要 法 授 訣 鈔』巻 中 に は、 「法、地 天 法 也。 是祭 二地天地故 矣 )3( ( 。」と説かれることから、 『要法授訣鈔』では地天を本尊としていたことが理解される。   また、この本尊の相違は、 「道場観」や「字輪観」における観想にも表れている。まず、 『覚禅鈔』巻九二の道 場観では、以下のように観想している。 結 二如来拳印。観、壇上有 二 完 字 一、変成荷葉座。座上有 字 一、変成鉢。鉢変成地天 一 )(( ( 。 【和 訳】如 来 拳 印 を 結 ぶ。観 ぜ よ、壇 上 に ア ク 字 が あ り、変 じ て 荷 葉 座 と な る。そ の 座 の 上 に ビ リ 字 が あ り、 変じて鉢となる。その鉢が変じて地天となる。   こ の よ う に、 『覚 禅 鈔』で は、本 尊 を 明 確 に 地 天 と 定 め て い る こ と が 理 解 さ れ る。一 方 で、昭 和 三 一 年 版『作

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法集』では、以下の道場観の観想が説かれている。 壇 中 有 二 々 座 一。座 上 有 二 ン 字 一、反 成 二 動 明 王 一。四 臂 具 足。其 前 有 二 葉 座 一。座 上 有 二賢瓶。瓶反成地天 一 )(1 ( 。 【和 訳】壇 の 中 に 瑟 々 座 が あ る。そ の 座 の 上 に ウ ン 字 が あ り、変 じ て 不 動 明 王 と な る。四 臂 その前に荷葉座がある。その座の上にビリ字があり、変じて賢瓶となる。その瓶が変じて地天となる。   このように、昭和三一年版『作法集』では、まず四臂の不動明王を観想し、その不動明王の前面に地天を観想 しているのである。すなわち、道場観において不動明王を観想することの有無が本尊の相違に繋がると考えられ るのである。   ただし、現行『作法集』の道場観は、昭和三一年版『作法集』と全く同じである。これは、現行『作法集』が 昭和三一年版の改訂再版であるため、昭和三一年版の文言を、現行『作法集』が踏襲したことによるものと考え られる。したがって、昭和三一年版と現行の『作法集』では、道場観における観想は同じであるが、観想した不 動明王と地天のどちらを本尊とするかが相違しているのである。尚、ここで観想する不動明王は「四臂具足」と あ る が 如 く、四 臂 の 不 動 明 王 で あ る。こ れ は 上 述 し た 地 鎮 法 の 典 拠、 『不 動 安 鎮 儀 軌 )(2 ( 』に 説 か れ 臂であることが由来であると考えられる。   ま た、 「字 輪 観」に つ い て も、現 行『作 法 集』 ・『覚 禅 鈔』で は「五 大」 、す な わ ち、 「ア・バ・ラ・カ・キ

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の五字を観想すると説かれているが、昭和三一年版『作法集』では「字輪観」において「カン字   若五 大 )(3 ( 」とあ る よ う に、 「カ ン 字」を 観 想 す る こ と も 記 さ れ て い る の で あ り、本 尊 が 相 違 す る こ と に よ っ て、字 輪 観 に お い て 観想する梵字も相違するのである。 五、結語   以上、現行『作法集』所収の「地鎮々壇合作法」と他の次第とを比較し、その相違点について聊か検討を加え てきたが、これによって、それぞれの次第において説かれる作法が異なっていることを確認することができた。 特に現行『作法集』と昭和三一年版『作法集』とでは、次第の変化こそ少ないものの、発行年が一〇年しか変わ らないにもかかわらず、本尊として立てる尊格まで異なっているのである。また「金剛部三昧耶」のように、作 法(印・真言)が異なるものも見受けられる。   ま た、本 稿 で は 問 題 が 繁 雑 に な っ て し ま う た め 比 較・検 討 し な か っ た が、 『覚 禅 鈔』巻 九 二 に は「地 鎮 法」に お い て 用 い ら れ る「五 色 玉」に つ い て、 「小 野 説、埋 二 五 色 玉 一、広 沢 伝、五 色 石 云 々 )(( ( 」( 【和 訳】小 野 流 の 説 で は 加 え て 五 色 玉 を 埋 め、広 沢 流 の 伝 で は 五 色 石 で あ る。 )と あ り、ま た『伝 流 抄』巻 一 〇 の 金 剛 部 三 昧 耶 の 次 第 に おいて、 次金剛部三昧耶印言。順逆旋転也。 或金剛部三昧耶印用。帰命僉達羅尼怛羅莎訶 是胎蔵地 持印言也 。 )(5 (

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【和訳】次金剛部三昧耶の印言。順逆に旋転するなり。 或いは金剛部三昧耶の印を用う。帰命ゲンタランヂタラソワカ(これは胎蔵法の持地菩薩の印言である。 と説かれているように、伝法院流の次第においては、金剛部三昧耶の印相・真言に胎蔵法の持地菩薩の印言を用 いるように指示されている。したがって、小野と広沢における作法にも相違がみられるのである。この小野・広 沢の次第の相違については、今後、更に詳細な検討が必要であろう。   そ れ で は、こ れ ら の こ と か ら 何 を 読 み 取 る こ と が で き る の で あ ろ う か。現 今、 「事 相」や「伝 授」と 闍梨から弟子へと伝えられたことを、 そのまま 0 0 0 0 次の弟子へ伝える」ものであるとの認識が多いように思われる。 確かに、この方法によって、現在に至るまで密教の修法が連綿と伝わっていることは事実であるし、阿闍梨の伝 は当然尊重されるべきである。しかし周知の通り、東密には多くの流派が存在し、それぞれの流派によって作法 が異なっているのであり、また幸心流においても、昭和三一年から昭和四一年の一〇年の間に『作法集』が改変 さ れ、異 な る 次 第 が 示 さ れ て い る の で あ る。す な わ ち、事 相 と は 伝 統 を 重 ん じ な が ら も 変 化 す る

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註 (1) 『要法授訣鈔』巻中(吉祥院所蔵写本・一四丁右) (2) 『覚禅鈔』巻九二(大正図像五・三五二頁下) (3) 『不動安鎮儀軌』 (大正二一・二八頁下) (4) 『一髻尊陀羅尼経』 (大正二〇・四八六頁中~下) (5) 『陀羅尼集経』巻四(大正一八・八一四頁上) (6) 『陀 羅 尼 集 経』に お け る 七 日 作 壇 法 に つ い て は、駒 井 信 勝 「『陀 羅 尼 集 経』に お け る 灌 頂 儀 礼 を め ぐ っ て」 (『智 山 学 報』 六〇・二〇一一)に詳しい。 (7) 『覚禅鈔』巻九二(大正図像五・五五二頁中) (8) 『阿娑縛抄』巻一七三(大正図像九・五五九頁上) (9)森郁夫「寺院の地鎮・鎮壇」 (『日本の美術』五四一所収、 至文堂・二〇一一、八六頁) ( 1()『阿娑縛抄』巻一七三(大正図像九・五五九頁上) ( 11)『阿娑縛抄』巻一七三(大正図像九・五五九頁下) ( 12)賢暹の生没年については、 『天台座主記』 (第一書房・一九 七 三、八 六 頁)に、 「天 永 三 年 壬 辰 二 月 二 三 日 入 滅 年 八 十 四 」 とあることから換算した。 ( 13)『門葉記』巻二九(大正図像一一・七〇二頁下) ( 1()尚、森郁夫氏は五宝・七宝の埋納法以外にも、輪・橛の埋 納法の東密・台密における相違も指摘している。森氏はそ の 相 違 と し て、東 密 で は 地 に 橛 を 刺 し て そ の 上 に 輪 を 置 き、 台密では輪を置いた上に橛を立てることを挙げている。た だ し、 『三 宝 院 流 洞 泉 相 承 口 決』巻 一 一(真 全 三 三・三 三 七頁上)には、 穴 底 置 レ 等、此 有 二 説 一 。一 先 立 レ 橛、其 上 安 レ 輪 也。 一 先 下 置 レ 輪、其 上 立 レ 也。或 記 義 後 説、本 文 前 説 也。 【和訳】穴底に輪を置くこと等について二説ある。一 つ は、先 に 橛 を 立 て て そ の 上 に 輪 を 置 く。も う 一 つ は、 先に下に輪を置いてその上に橛を立てる。或る記の義 には後ろの説、本文では前の説である。 と あ る よ う に、動 潮 は 両 説 あ る こ と を 説 い て い る た め、輪・ 橛の埋納法の相違が東密・台密の相違であると断言するこ とはできないであろう。 ( 15)森 雅 秀『マ ン ダ ラ の 密 教 儀 礼』 (春 秋 社・一 九 九 七、七 五 頁~一一〇頁) ( 1()ヴァーストナーガについては、森雅秀「ヴァーストゥナー ガに関する考察」 (『東洋文化研究所紀要』一四二・二〇〇 二)等に詳しい。 ( 17)「小野」を仁海とすることについては、 『要法授訣鈔』巻中 (吉祥院所蔵写本・一四丁右)に、 此 法 雖 レ 有 二 多 種 一 二 醍 醐 一 用 二 小 野 仁 海 伝 一 。 題下有 二小野伝 一 次第不 レ諱、 准云 二小野仁海事也 【和訳】この地鎮々壇法には多種あるが、醍醐では小 野 仁 海 の 伝 を 用 い る。 (題 の 下 に「小 野 伝」と あ る 次 第には諱が記されていないが、小野というのは仁海の

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ことである) とあることによる。 ( 18)『諸尊要抄』巻一五(大正七八・三三六頁中~下) ( 1()森郁夫氏前掲論文(八七頁) ( 2()『要法授訣鈔』巻中(吉祥院所蔵写本・一四丁左) ( 21)『要法授訣鈔』巻中(吉祥院所蔵写本・一四丁左) ( 22)『 厚 造 紙 』・『 秘 鈔 』 の 次 第 が 同 じ で あ る こ と は 、 髙 井 観 海 『 密 教 事 相 体 系』 (髙 井 前 智 山 化 主 著 作 刊 行 会・一 九 五 三、九 五〇頁)において既に指摘されている。 ( 23)現行『作法集』巻下(一七頁) ( 2()『 要 法 授 訣 鈔 』 巻 中 ( 吉 祥 院 所 蔵 写 本・一 四 丁 左 ~ 一 五 丁 右 ) ( 25)「作 壇 の 儀 礼」と い う 表 現 は、智 山 伝 法 院 選 書『智 山 の 真 言 ③ ― 胎 蔵 界 念 誦 次 第 に お け る 真 言 の 解 説 ―』 (智 山 伝 法 院・二〇一五、七一頁)に拠った。 ( 2()『青 龍 軌』巻 上(大 正 一 八・一 四 五 頁 下) 。尚、 「胎 蔵 法」 の次第を比較したものとして、髙井前掲論著(三〇三頁~ 三 一 三 頁)が あ る。こ れ に よ る と、空 海 の『胎 蔵 梵 字 次 第』 においても「勧請地神」が説かれていないが、この『胎蔵 梵 字 次 第』で は、作 壇 の 儀 礼 の う ち、 「勧 請 地 神」の み な ら ず「作 壇」 ・「持 地」も 説 か れ て お ら ず、 『覚 禅 鈔』の 作 壇の儀礼と相違したため、扱うことはしなかった。 ( 27)『胎蔵界口伝鈔』巻上(智積院所蔵十冊本・一五丁左) ( 28)昭和三一年版『作法集』 (二七頁) ( 2()『厚造紙』 (大正七八・二七八頁下) ( 3()『覚禅鈔』巻九二(大正図像五・三五五頁下~三五六頁上) ( 31)『 地 鎮 祭 文 幷 札 次 第 』( 川 崎 大 師 教 学 研 究 ( 32)『要法授訣鈔』巻中(吉祥院所蔵写本・一五丁右) ( 33)『三宝院流洞泉相承口決』巻一一(真全三三・三三六頁下) ( 3()髙 井 前 掲 論 著(九 五 六 頁) 、布 施 浄 慧「作 教文化論集』二・一九七七、一一二頁) ( 35)『鎮壇法 地鎮々壇合行法 』(川崎大師教学研究所所蔵写本・四頁) ( 3()『覚禅鈔』巻九二(大正図像五・三五六頁上) ( 37)『要法授訣鈔』巻中(吉祥院所蔵写本・一五丁右~左) ( 38)『要法授訣鈔』巻中(吉祥院所蔵写本・一五丁左) ( 3()『要法授訣鈔』巻中(吉祥院所蔵写本・一四丁左) ( (()『覚禅鈔』巻九二(大正図像五・三五六頁上) ( (1)昭和三一年版『作法集』 (二七頁) ( (2)『不動安鎮儀軌』 (大正二一・二九頁上) ( (3)昭和三一年版『作法集』 (三一頁) ( (()『覚禅鈔』巻九二(大正図像五・三五二頁中) ( (5)『伝流抄』巻一〇( 『伝法院流聖教』二(真言宗豊山派宗務 所 弘 法 大 師 千 百 五 十 年 御 遠 忌 記 念 事 所収、二三九頁上) 【付記】本稿執筆に際し、川崎大師教学研究所、ならびに吉祥院御山主布施浄慧師より、多大なるご高配を賜りました。衷心より深 謝申し上げます。 〈キーワード〉地鎮々壇合作法   地鎮法   鎮壇法   『作法集』

参照

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