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岡山大学教育学部社会科教室 内地域研究会
は し が き
岡山大学教育学部地域研究会の第12降の調査報告苛 として 「頼合 に生 きる谷 あいの町久世町」
を公刊す る。
この題 目が決定 したVJはVlよい よ原稲が出揃 つ7t匪博で あった。調査の対象地域 を久世町に決定 したのは昭和4 2年5月で あ り,その時に も久世町の性格が輸鼓 され ,勝 山 .落 合 と鼎立す る存在 で ある ことが ,確電 されたが ,研究三越を競合にも・くとvlうことは なか った。 したが って ,この研 究は ,競合の事実についての披証 に宝鑑を値いた もので もな く ,また ,事象その ものの分析 に際 し て必ず しも敷合を考慮忙入れたわけで もな く ,従来 とって きた総合研究で あ り ,標題は調査対象地 域久世町の町 としての性格 を端的に襲現 したまでにす ぎ夜h ことを予 めお断 りしても・きたい。
i,・よそ岡山県の町ほ ど似 か よった町の多V,ところ も少女い。 これは1つには 中国脊梁山地 ,吉備 高原 ,南部沖棟平野 と地形 が模式的に展開 して いるところにあろ う。 したが って多 くは その地域の 中心集落であって若 しh特 色をもたない。 中心集落は その機能にも‑いてたえずサ ‑ビス地域 の争奪 において同 じようを隣接の 中心典落 と吸いを くりひろげている
。
特に相接近 してい る場合にははげしい.地域は生 きているといわれ るゆえんで ある。
久世町 と勝 山 ・落合 両町 とは ,岡山県下の第2次 クラスの都 市樺 山 市の傘下にある第5次ク ラス の 中心躯商である。 戸数 と人 口 とを親兼の作陽兼か らとる と,久世原村 の207畑・ 1,5 8 8人に対 して ,勝 山 ・落合は それぞれ, 1 9 4畑, 1,2 4 6人 と1 2 0畑・ 6 1 7人で あるO 明治2 2年 で は9 2 6戸・ 4.4 9 1人に対 して, 5 9 7戸・ 2.2 6 9人 と5 2 5戸・ 2,2 2 4人であ り
,
昭和 40 年 では2.7 25戸・ 1 1.7 1 5人 に対 して ,5 .
05 5戸・ 1 2,9 5 9人 と4,1 85戸1 1 8,6 7 9 人である。人 口で追いつ追われつの関係彼 ら .歴史的冬美において も似か よっているo 久世 と勝山 は ともに出等街道の宿駅 であるの忙加えて高帝舟の河岸町で もあったのに対 して落合は高瀬舟 と陸 上交通の結節的 と しては他 にゆす らない貸地 を占めていたO 久世町が代 官所 が臣かれた所 な ら ,勝 山は三浦氏の陣屋が五一かれた地方政 治の中心で もあった。 そ して現代 にも一いては とも忙中幽縦H道 ・・中国横断道の建設に よって ,ベーシ ・/クな中心娘藩の機能で ある商業 を中心 に新 たな生 きるVlと なみが脈 うっている。調査の打合わせに壮 しめて現地にい ったのは昭和4 2年6月9日で あったが , この時 の第一 印象 「活発 な町だを」 とい うこと吐今 も変 りがない。 これが競合 に生 きる姿である。
地域研究 と して特定の町村 を取上げて調査す る J:うにな ったのは ,吸後 アメ リカの共同研究の成 果 が高 く評価 され ,その方法がわが国Irも採 博された こと ,社会科が発足 し郷土研究が填求 された こととに よる ところ大で ある。 1 0年1昔を経過す る間にその条件は変 って来てい る. しか し,こ
れ を支えた ものは 自ら学ぼ うとす る熱意 と御協力をいただいた受入れ側の各位のお蔭 とである.
久世 町について も調査期間中の7月2 5日か ら2 9日まで及びその後の額 後調査 まで三村専治町 長 .横 山慎一教育長 を比 じめ ,細 士史家の菊池庶太郎氏 .手島鏡 胤氏 ,町民各位の あたたかい御協 力をVlたたいた。最後に記 して厚 く御礼 申 し上げたVlo
二 .tr‑I.ち;2
加 者
教 官
谷 口 澄 夫 i 米 村 昭 二l 宗 田 克 巳
卒 業 生
上 田 賢 一 高 田 正 規 山 川 靖 仁
学 生
赤 坂 英 二 宇津木 敬 子 奥 山 富 轟 風 早 弘 美 寅 安 加代子 田 中 宣 江 坪 井 都 子 難 波 貸美子 福 嶋 琢 巳 吉 田 恵 子 板 野 悦 子 小 野 優 志
東 本 進
藤 井 桂 子
孝 本 月
三 宅 克 幸
明 石 憲 子 大 田 斐 子
′」\ 野 栄 一一 北 口 千代 子 須 山 邦 二 佃 美 智子 中 藤 元 彦 花 田 幸 子 守 本 一 意 吉 田 寮 代 大 口 莫栄子
柴 岡
元
樫 本 邦 光 高 山 琢 三
頒 換 ソー 0137
・r 新 雪
虫 明 凡
三 浦 遺三郎
高 田 浩 二
森 牽
岩 崎 威
大 野 瑞 枝 小 野 常 夫 児 玉 信 子 高 月 栄 子 津 下 淳 子 長 瀬 正 幸 菱 川 玲 子
山 下 滋
渡 辺 泉
大 穂 室 二
関 孝 敏
森 上 敏 夫
第1童 久世町の沿革 と現況 1 現況 ・位暦 ・地勢 2 久世町の沿革 一・
第2茸 久世町の 自然的環境 一一‑ ‑‑‑ 一一一一一一‑ ‑‑‑‑一日 H H H 1‑‑日 一一一一 1 0 1 地 形 ‑‑‑‑‑‑一一一一一‑一一一一‑‑一一‑一一‑‑一一一‑‑‑‑‑‑‑‑‑一一一一一一一一‑‑ 1 0 2 地 質 一一‑‑‑‑一一一‑ ‑一一一一‑ I‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑一一‑ 一一一一一一‑I1 1 5 水 利 一一‑‑ ‑ 一一一‑一一一一一一一一一一一一一1‑‑‑‑‑‑‑‑‑ ‑‑一一一‥ ‑‑ ‑‑ 1 6 4 気 候 一一1‑I‑‑‑‑ ‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑一一一‑I‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑一一一一一一一‑I 19 第5蛮 人 ロ ー一一一一一ー一一一一一1‑‑‑‑‑‑‑日 一一一一一一‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑ ‑‑‑I 2 7 第4牽 古代 ・中世の久世 一一一‑ ‑ ‑‑ ‑ 一一‑ ‑‑ ‑ ‑ ‑‑‑ ‑‑‑一一日 一一一‑ 1 5 5 1 条理 と古代村落 一一一‑ ‑ ‑ ‑一一一一日 ‑‑‑ ‑ 一一一一日 一一‑‑‑日 日 一一一一11‑5 5 2 退 跡 ‑‑ ‑‑ 一一1‑‑‑‑‑‑‑ ‑‑ ‑ ‑ ‑‑ ‑一一一‑ ‑ ‑‑日 日 一一日 1‑占 0 第5章 近世宿場町 としての久世 一一一一1‑‑‑‑ ‑‑‑ ‑‑ ‑‑‥ 一一‑ ‑ ‑一一一一一一日 1 6 5 1 代官所支配 と久世町 ‑‑ ‑ ‑ ‑ ‑‑ 一一‑ 一一一日 ‑ ‑一一‑ 一日 一日 ‑ 一一‑‑ 65 2 早川代官 とその治績 一一一一一‑ ‑ ‑ ‑ ‑一一一一‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑= ‑ 一‥ 一一一1 72 5 宿場町 と して久世 1‑‑‑‑ ‑ ‑ ‑‑‑‑‑ ‑‑一一‑ ‑ ‑ 一一一一一一一一‑‑‑‑ 一一一 8 6 1 宿場町の成 立 一一日 ‑‑ 一一‑一一‑ 一一一一一一一一一一一‑ 一一‑ ‑‑‑‑ ‑‑一一一一一 8 6
ロ 宿場町の機能 ‑‑一日 一一一‑‑ ‑ ‑ ‑I‑‑‑‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑‑‑‑A‑‑‑I‑‑‑‑ 1 0 4
‑ 町並の復原 ‑ 一日 ‑一一‑ ‑ 一一一一一一一一‑ ‑‑ 一一一一‑‑ 一一一一一一一一1‑‑ 1 10 4 市場町 としての久世 ‑ ∴ ‑ ‑ ‑ ‑ 一一一一‑ ‑ ‑ 一一‑ 一一‑ 一一一一一一一‑‑1 1 0 1 牛 市 一一一一‑ ‑ ‑ 一一一一一一一一一‑ ‑‑‑I‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑I‑ll‑I‑一一一一一 1 1 0 ロ その他の 市と特産品 ‑‑‑ ‑= ‑‑‑ 1‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑ ‑ ‑ I‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑ 1 1 5 第6蟹 周辺虎村の経済棉進 と戯民一機 一一一一1‑‑‑ ‑ ‑ ‑‑‑日 ‑一一日 一一一一一‑‑‑1 1 7 1 近世の塊業 と出民僧分解 ‑‑ ‑‑一一一一一一一‑ ‑‑一一一‑一一一一一一一一日 1‑‑‑‑‑1 1 7 2 盈民一糠の発生 と経過 = 一一一‑‑一一‑‑‑ ‑ ‑ ‑一一‑ 一一日 一一一一一1‑‑‑‑‑12 6 第7牽 近代化‑の胎動 一一‑一一一一一一‑ ‑ ‑ ‑ ‑‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑‑ ‑‑I‑‑‑‑A 1 4 7 1 封建制慶の崩壊 と近代化 一一一一‑ ‑ 一一‑ 一一一‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 一一一一‑‑1 4 7 2 政治 ・教 育の近代化 ‑‑ ‑‑‑ 一一一‑ ‑ ‑‑ ‑ ‑‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 一一一一一一一‑‑1 5 4 第8章 交通の発達 と変遷 一一一‑ ‑ ‑‑ ‑ ‑十 干㌻ 、‑‑ ‑ ‑ ‑ 一一‑ ‑ I一一‑ ・ 1 占 7 1 河川交通 一一一一‑‑‑‑一一一‑一一‑ ‑‑‑‑‑‑ ‑‑ 一一日 ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 一一‑ ‑‑1 6 7 2 七里飛脚 ‑‑一一一一一一一一一一‑ 一一日 ‑ ‑‑‑・一・‑ ‑.‑ ‑ ‑ ‑ ‑‑一一日 ‑I‑‑‑ 1 7 5 5 道路交通 ・‑‑I‑ ‑‑ ‑ ‑ ‑‑‑‑ ‑‑‑ ‑‑I一一‑‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 一一一一一‑ 1 7 9 4 中国縦耳 自動車道 ・一日 1‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑ ‑ ‑ ‑‑ ‑‑I一一‑ 一一1‑‑‑ ‑1 9 1
■
第9葦 久世町 の経済構造 1 農 業 一一一一一一
1 良薬の機械化 ‑‑一一‑一一一一一一一一一一日 一一‑‑ ‑一一‑‑‑‑一一一一‑‑‑‑‑ 一山 2 0 1 ロ 労 鋤力の耕成変化 日 一一一一一一一一一‑ 一一一一一 一一‑ 一日 ‑一一一一一 一一一一一 2 0 9 ノ、 施民層分解 と小作争議 ‑一一‑ 一一‑ ‑‑‑ 一一一‑ 一日 ‑一一一‑一一一一一‑ ‑‑‑2 1 4
‑ 典薬構造改音容薬 ‑ ‑一一一‑‑一二 一一一‑ ‑‑ ‑‑一一一一一一一一‑‑‑ ‑‑‑ 2 4 0 2 畜 産 業 一・‑ ‑一一‑ ‑1‑‑‑‑‑‑,‑ ‑一一一‑一一一一‑ 一一一日 ‑‑ 一・一‑ 一一一 2 50 1 和牛の生産桝造 ・・‑‑ ‑一一一1‑ ‑‑‑‑‑‑‑ ‑‑‑ ‑‑‑ 一日 ‑一一日 ‑ ‑‑‑ 250 ロ 和牛の流通機構 一一‑ ‑‑‑‑ ‑1一一一一‑‑‑ ‑一一‑‑‑‑‑ 一一一一一一一‑一一一一 2 5 6 ノ、 離農の発逐 日 一一1‑‑‑ ‑ ‑日 一一一‑一一‑‑‑‑一一一日 一一‑ 一一‑ ‑‑ ‑小 一2 6 6 5 林 菜 ‑‑ ‑ ‑‑‑ ‑‑‑‑ 一一‑‑ ‑‑‑一一一‑= 一一‑‑一一一一‑一一一‑‑一一一 2 8 1 1 山林の所有形態 ‑‑ ‑ ‑‑ ‑‑一一一日 ‑‑一一‑一日 ‑‑ 一一‑‑一一一一一一‑ I 2 8 5 ロ 山林の利用形態 一一日 一一一一一一一一一一一一一一一‑‑ 一一一一一一一一一一一一一一一一一一 2 9 5 ノ、 林 産 物 ‑‑一一‑一一日 一一一一一一一一‑‑‑ 一一一‑ ‑一一一一一一一‑ … ‑‑I一l 50 0
製材某 の成立 と発展
4 商工弟の隆替 一一一日 ‑ ‑‑‑一一一一‑‑‑ 一一‑ ‑一一一一一一一‑ 一一日 一一‑‑ 一一‑5 15 1 商業の変化 一一日 一一‑‑‑H I‑‑‑ ‑‑‑‑一一一一一一一一‑ ‑‑‑‑ ‑一一一一一‑‑5 15 ロ 久世 とそのサ ービスエ リア ‑I‑‑ 一一‑‑ ‑ ‑‑‑ ‑I一一‑‑5 5 ム ノ、 製糸業 の成 立 と発展 一日 一一一‑‑‑ 一一‑ ‑‑‑‑ ‑‑‑‑ ‑‑ ‑ ‑‑‑一一‑1 5 5 9
‑ 商 = 会 ‑ 一一1‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑ ‑‑‑一一一一一一一一一‑‑‑一一一一‑ ‑‑一一一・一 5 7 2 第1 0車 社会構造
1 家 族
(‑) 焦尾の家族 一一一一一日 一日 一一一‑‑ 一一一一一一‑ 一一一一一日 一一‑‑ ‑ ‑ 一一一一5 8 1
⊂‑)余野の家族 ‑一一一‑ ‑一一‑ ‑一一一一一日 一一‑‑‑‑‑ ‑‑ ‑‑‑一一一一一‑ ‑ 4 1 4 2 同族 と親族 一一一一一‑‑ ‑ 一一一‥ 一一一‑‑ ‑ ‑‑‑‑ ‑一一日 一一‑ 一一‑一一一一一445 第1 1章 宗教 と民俗 ‑I‑‑‑‑‑‑‑‑ ‑‑‑ ‑日 ‑‑ ‑一一‑ ‑‑‑ ‑‑‑ ‑‑‑‑ ‑‑I 4 8 1 1 宗 教 一一一一一一一‑一一一日 一一‑一一‑‑ ‑‑一一一一‑一一一一一‑ ‑‑‑‑ ‑‑‑‑‑‑‑4 8 1 1 祭柁組織 ‑‑ ‑‑ ‑‑ ‑‑‑ ‑‑‑ ‑ ‑ ‑ 一一一‑ ‑‑ ‑ ‑‑‑ ‑‑‑‑ ‑‑・4 8 1 ロ 明治以後の宗教 ‑・1‑‑‑‑‑‑‑‑‑‑日 一一一‑一一一一日 一一一‑‑‑‑‑‑一一一‑‑‑‑‑‑4 9 5 2 民 家 ‑‑I‑一日 一一一‑ ‑‑‑‑‑‑‑一一一一一‑‑‑‑‑ ‑‑ ‑‑‑‑ 一一一一一一一552
1 年 中行串 1‑‑日 一一一一一一‑ ‑‑1一一一一一一一一1‑‑‑‑‑‑‑‑‑ ‑‑‑‑ ‑‑‑ ‑ 5 5 5 ロ 冠婚葬祭
‑ 民 家
第1 2牽 教 育 ‑‑ ‑‑ 一一一一一一一一一一‑‑一一‑ ‥ ‑‑ 一一一‑‑‑‑‑ 一一一一日 5 6 0
第15輩 久世町の未来像 5 9 6
第 1 章 久 世 町 の 沿 革 と 現 況
1
現 況 ,位 置 ,地勢
㈹ 現 況
久世町の現況 を杷纏す るにあたって仇 諸種の妻兼が あげ られ, またそれ らが交錯 してはいる ものの・一応下記の四項 目に しぼD.その概略 を記す ことにするO
(i) 産業別従業者数の推移 と現況
別
表①
に示す ように
.従菓者数では第‑位が血兎 第二位が製造薬.第 三位が卸′J、売薬.第 四位がサー ビス業で.以下.建設英.避梅迫菜 と統 くO しか しなが ら.月懐
Q逓)を見 て明 らかなよう
に
.腹位にかけ る比亜はかTrD流動的であることがわかるO即 ち.産鞍 を第一 次.第二 次.第三次に大別 した場合.過去昭和三十年か ら昭和四十年 までの十年間にかいて比 第二次一第三次産業の占める割合が.雛'一次産業の占めるそれを次第に圧倒 してきていることが わかる。
ちなみ
に
.=場誘致 などで息林業者は昭和三十年には全体 の5 4・1弟であった ものが. 昭和四 十年には5 9・2弟と渡少 しているC特に増淡の改変仇 鼻薬 .卸小売業.製造業 にかVlて著 し vlo これ らの変化仕主 として.専業維持ので きな くなった ことに 上るもの,従 って兼業,特に
第二種兼業へ と移行 した ことに 上るもの.住民が粥茸の 目を都 市に向けるようになった こと.
また.当地域内. あるいは周辺地域への=切諸
政
に 上るもの と考えてVlる. ところで,任意の 必要 なことW.表 面的 な人口増加についてであるO即 ち.昭和三十五年か ら四十年にかけては 人 口は増加 してい るが. この増加は主 として郡長製糸会社.その他 の灘造業会 社の従渠者が久 世町に転入 してきてVlる ことが大 き く作用 してV,ると考え られる。 (後輩 「人 口動嵐 人 口静 態」を参照されたいO )既に,若干述べた よう
に
.患家故にかいては専黄 か ら兼秦,特に第二 杜兼業への移行が顕著 であるが. この移行 は別表④忙み られるような. (日本特有の )経営動地 の狭'」、性か ら して.必然的 な帰結であろ うO
・.一一1‑‑
別表① 人 口.世帯数 お よび産業 別従業者徴
分 昭 和 5 0 年 昭 和 5 5年 昭 和 4 0年
人 口 12.7 0 2 l l,75 6 1 2,5 4 4
世 帯 数 2.8 0 9 2.6 4 5 2.7 5 1
産 莱刺従
莱者数 # # 5,0 4 9 2,6 8 6 2,4 4 2
林 英 1 8 6 15 1 1 12
漁 薬 1 7 4
0
鉱 業 5 7
0
建 設 業 2 6 1 2 7 占 2 9 5
製 造 業 62 7 69 9 1.5 8 0
卸 ′J、 売 薬 8 8 4 9 6 6 7 4 5
金 融 業 8 4 6 6 占 9
運 輸 通 信 菜 2 2 7 2 8 8 2 8 1
サ ー ビ ス 典 5 6 7 6 5 5 8 9 2
公 務 ー 5 0 ー5 5 13 8
そ の 他 5
0 0
別表② 第一 次産業 と第二 次,第三次産業 との比率
∃
̲〜 ※ さ \ ∴
(loo帝)昭和50年 55年 40年
別表③ 農 家 数
総 数 専 業 寮 一 種 兼 業 第 二 種 兼 薬 5 5年 1,2 5 4 5 8(】 5 9 8 2 7 8
一・・2‑‑
別表④ 経営耕地広狭別姓家数
55年 1,254 55 5 5 l占 159 18 1
(2)真庭郡 内お よび県北 における経済的 中心地 と しての久世町 : その変貌せ る現状
地理 的にみた久世町の位燈 もみのがす とと比で きないが, これは歴 史的 な要素 を多分に反映 してV,る現 象 といえ よう。即 ち, 「久世」 とい うの比元渡場 で あるところか らか こった地名で あ D.古文献 には 「久世」が 「古瀬」 とあ 9. 舟泊地 を意味 している。同時に.久世は宿場町 であ D.牛馬市の盛ん 在所で もある。それ比歴 史
的
にみて英庭郡 を も含めた県北における久世 町の歓楽地.商業 中心地 と しての性格 を示 している といえ J:う。 こ うした古来か らの久世町の 性格は地域住民の性格決定に大 き く作用 した と思われ るのである。久世町民の間には V'わゆる U新 しV,もの 〝に対する関心は強 く. それは能動的である。一九 昭和三十年代 の経済 の新 L v,波は久世町 に も当然影碑 を及ぼ したが.その蘇 取は後進地域 た る県北 の一地域たる久世町に
も新た在籍矛 盾を一 層 うきは Dにす る ものであったC こ
こ
にかV,て. これ まで少 な くとも県北 にかV,て歴 史的 にみ て.V,わゆる先進地域 として上述の ととき性格 を もってV,た久世町は新た なる事態 に対処せ ざるを得 をV,状況 に遺 したo つt 少. これ まで久世町は県北の間におV,て町 民性.経済性の観点か らして誇 9の ようなもの を抱 いていたが.今 日の大 きな社会の波の中で はそ うV,った ものは小さ な意味 しか もた 7zくなって くるo従 って.現段階 におV,て久 世町 の焦T そ う感は表面化 して きてV,る。即 ち.それは合併問屋 で あ D. 悲観的 とも思われ る経済 力確保 の努 力 とV,った もので ある。 こ うした後 進地域 と しての問題 は.久世町に僻有 なものでは な く.開発のお くれてV,る県北 に普遍的 を もの としてあ らわれ ている。
ところで久 世町は隣接の町村 である勝山 落合町 などと比戟 して物価が安 V,とV,われてV,る。
そのため.隣接町村 か らの物 穀購入者 も多いそ うである し. 他町民 であ 9なが ら久世町に住居 を定 めるもの もかな Dいるそ うであるO また.遠 く久世町
上
Dも発展的 な津山 あた Dか らも遊 び客が多V,。 こうした意味 にかV,てのみ久世町比歴史的 な地位 を保 ってV,る。 しか しなが ら.外部 の大 きな波は これ までの久世の性格 に大 きを変貌 を余儀 な くさせ るのは当然の ことなが ら 予想 され るところで あるo
(3)交通組織 の現況
鉄道 は姫新線が久世町内でほぼ旭川 沿いに走 9.両は黄作落合駅.西は中国勝山駅 に至 る。主 主要道路 としてqi久 世町南部 を東西 にぬける国道1 8 1号憩.旭川沿いに北上す る県道久世建 部線.市街地 中心 よD東北 にのぴ.隣接苫EEI郡 に至 る収道中和久世讃臥 せた中和久世線 とほほ
‑ 5‑
久世町北端で分岐 して北に走 る樫西賂原*・ 目木川 に沿 って北上 し一 更に
西
にぬけ る余野上鏡 野線などであるO との うち南部を走 る主要道路 の交通丑の増大が著 しく・特に県道久世建部破 綻久世町 と県南を桔ぷ線で あり・その路線上 にあって久世市街地に入いるための唯一 の橋が中 橋である.県南 との往来は激増 しているので中橋の交通丑 を鮒 PL・更に市帯地 の発展の構想 も兼ねて.県道久世建部線 よD
分岐 し・久世高校東側を北東にぬけ一国道‑81号線
に接続す る新道路建設を計画 している。将来の都市計画.工場軒数計画 を考慮すれば・ なおいっそ うの 路線整備が な首れなければなら72Vl。(4)青少年対策の現況
久世町で も他の県北市町村 と同様,青年 の町 を出てい く他向紘年 々その匿合を増 してV,るO そのため町当局で仕 これか らの典薬 発展一=喝増大,工菓発展 の前凍条件たる人的資源の確保 を比か るため.対策 を こうじているOそ こで若人 を町に とどめるための一条件 ともい うべ き娯 楽施設 の必要性が叫ばれてVlるのである
が
. 目下の ところ 2ロ0人程度 の収容 力を もつ公民館 があるのみである.今後払 1ロ00人程度 の収容力をもち.都会的 を雰囲気 を味わえるような会館の建設を予定するなど.町当局の青少年 vc魅力を与える上うそ町づ く
D
の努力は うかが える。(。)位置か 上び両横
久世町は旭
川
にまたがD.
隣捗落合町 とともに真庭都中最上の広野を占める土地であ 9.郡の 中央部 上9やや東南にその位置 を占めているO北は静原町の南東部.勝山町の北東部.古村南部 と接 している。東は鏡野町西部.久米町北西部 と矢倉山で境をなし. なか落合町北兼部 と接 し.南紘落合町 の北瓢 平取 目名.神毛.杉山 と醗 し.酉 は勝山町原方
エ
9旭川 を境 とし.杉河原 の上小瀬 ケ谷を上 9.山頂続 きに 上D.勝山町 と接 している。旧久世町 と旧美和村 との合併後の現在の久世町は総両横 74・82
湖
を有 している。い 地 勢
旭川 (高田川 )は勝山町
I
D東流 して久世町 に入 D.市街地の下外れ上
9漸次南東 に曲流 して 落合町 を通 9.両
に向 って流れているO との川 の両岸は作西第‑ の境野で あ 9.本町南部はその 昔における美島部.久世軌 高田庄 の広大を
沃野 を占めていた。山地に関すれば.本町の西北端の高峰三坂山(905m )の連峰比南Kのぴ,旧久世町の北境 VEおいて三叉に分岐 し.東肢 の連峰は余川. 目木
川
に沿 って南に進み.砥石山(4 19仇 )上D
茶E]山に至 るO との脈中になお河原山 (585m )が あ
9
. また茶E]山の南に展開 している多田 の耕地比山谷で階段状をな している.西肢の連峰は本町 と勝山町 との境界 をな して南方に進 出 し.旭川に接 しているo この脈 中の中央部 19分岐 して東方に突 き出 している連峰の頂上を寺畑山 と Vlって.5 4Dmある。また.三叉の中央部連峰 をな して. これまた南方 に突 き出 し. 田下に追 っている山脈があ9. との脈 中に岩尾山の高峰がある。岩尾山連峰の東側に≡坂谷があ D. ≡坂 川はその源を大曲
上
D発 し.≡坂谷 を流れ 鍋屋 を経 て旭川
に狂いでいる。三板谷は階段状の耕 地 をな し. 中途二つの谷に肢るo西の谷 を宿の谷 といい.東の谷 を東明 とい う。岩尾山 と寺畑山‑ 4‑
との間奥深
く
に谷があ 9. 小谷 とい って/J、谷川遠 く寺畑の背後.御滝山の奥上
9流れて南流 して 田下 を過ぎ・鍋屋にて三坂川
に合流 している.平野の南部の山地比 その北東
に草加部の平野, 東麓に私 書尾の平野 を抱いている. この山地の頂 に神村の東方 金砕山の高峰 (547,托)が あ あるO との山の東側比二つの谷 となって惣忙開いている.南の谷 を志津谷. 北の谷 を大
礼谷 というO との山地の南麓は落合町の杉山.神毛 目名であって一久世町の地 はその一部分三角形VC突 き出 して神毛 と相腰 している.東部 エ9本町 を斜めに横切 る川比目木川 といい.隣接宮村 の南端 上9本町に入 D.余野T .埋束 を通 9.砥石山 を西 に仰 ぎ.更に南下 し. やがて旭川に合流す るO また.雷村の南部楠 上9本町に入 9. 商流 LE]木川 に合流す る川は余川 とい うO兼秀川は本町北 部 と宮村南西部 との境界線に沿 って南東に流れ.山生川 は三坂山東部 をかすめ,山生 を通 9南東 に走 9.昏畑川は樫西南部 を東流 し. いずれ も余川 に合流 している. この兼秀川.山壁用 との間 を南方に走 る脈 中に招鉢山の高峰 (879m )がある。また.禽村の南部上9本町に入 D. やや 南西 に分岐 し.砥石山の方向に走 る山脈があるが. との脈中に長田山 (584
m)
が ある.一方一 余野下上
9隣接落合町の最北部.久米町 の西北部にかけて走 る山脈があ 9. この脈中に高 仙の高 峰がある。2
久 世 町 の 沿 革久世は真庭郡東南部 に任 し.旭川 とその支流. 日
大川
に沿 う肥沃 を平連地に恵まれ 農薬に従事 するものが大部分であるが. この地方に・おける経済の中心 となっている.現在の久世町QL 昭和50年4月2 9日に近麻の柔和村 と合併 し,新大久世町 となって現在 に至 っているのであるo
それ以前に久世町. 莫和村はそれぞれ一い くたの合併 を経 ていたが一 ここではそれぞれの町村が どの 上うに合併 してきたかを中心に述べてみ ようO
久世は現在.真庭郡に属 し. 明治以前は美 作国に属 し.その支配下にあった.太古にかいては吉 備の国に属 し.後. 吉備 を前. 中.後の5つに分 ち.現在の久世は備前の国に属 したo Lか し, そ の後.和銅 占年の美作分国に 上9,備前の国を 占つに分 ち. 始めて実作の国 を置いたOその後.い くたの年 月を経一 明治 9年. 廃合置県の改正に 上9.岡山県に合併 されるに及 び.美作国の独立は 終
D
になったのであるOでQi, まず美作国に属する久世は美作園の変遷 ととも
に
. どの 上うに変 ってきたかを調べてみ 上 う。イ 久世の発展
前述 した 上う
に
.現在の久世町は昭和5 0年4月2 9日に近隣の美和村 と合併 し.今 日に至 っている もので ある。でQi.久世町 と美和町はそれぞれどの 上うに発展 してきたかを中心 に述べてみ ようo M 久 世 町
この地域は古 くは山久世 ・鍋屋 ・三坂 ・多用 ・中島 ・久世村山方 ・同原方 ・草加部1 分 ・
‑ 5‑
同下分 ・神 ・惣 ・宮尾の12村が あった とVlうO いつ頃か ら12村に分かれていたのかはわ か らをいが.仁徳天皇の皇子.大 日下王 ・若 日下王の御名代の地が草加部にあ った とV,うか
ら.それ以前にすでに分かれてV,た もの と思われる.
その後.山久世 ・鍋屋 ・三坂 ・多EB・中島 ・久世村山方 ・同原方は大庭郡
に
.他の各村は 兵島郡に縞入 された.大庭郡 とは久世川の東をtJIV,,酉を夷島郡 とい うのであるOをか この 地域は央島郷 ・高田郷 ・久世郷の5細にわかれてV,たO倉時代の仕 じめ,梶原常時が美作守護に任 じられ, この地を治 めたが.戦国時代に入 D.
山名 .赤松 ・尼子 ・毛利 ・三浦氏等の諸氏が抗争を繰 9返 し,天正 12年,字喜多氏の平定 まで続vlた。
徳川時代 に入 9.慶長5年′ト早川氏.同 8年森氏が代 って美作国を領 したが. 4代 に して 元醸 1D牢固除 され. 一時,薙府直轄領 とな ったが,亜 1 1*,松平氏が津山藩主にな D.
この地を治めた。その後.享保 1 1*.凶作に加え.徴租税を早めたため, 2郡の住民が久 世に会 し,いわゆる山中潜動を引 き起 こし,その結果翌 1 2年,幕府はその封土 を削 9. 5 万石を没収 して幕府直轄領 とし. これを管理するために久世に代官所を置いたOなかで も名 代官,早川八郎左術門正妃の尊政 によ9.度耕 ・華秦等が発達 し.旭川沿いに開けた沃野 と
ともに作西にかける政治経済の中心的都市を形成 して きたO
幕末には.山久世村 ・三坂村は幕領 として津山藩の預 D.鍋屋 ・多田 ・中島 ・久世村山方 . 同原方の各村は津山藩筑 草加部村上分 ・神 ・惣の各村は真島藩領.草加部村下分 。宮尾は 竜野藩領に属 していた。 この中.其島藩 とは明和元年,勝山に封ぜ られた三浦氏の ことであ る。
明治に入 D.5亀 山久世村 ・三坂村は倉敷県 に属 し.盟 4年7月に廃藩倍県に よD,他 の各 村はそれぞれ津山腺 ・直島腺及び竜野腺に属することになった那.同年 1 1凡 腺の統 合に よD,北条膿 とな ったO
5年8月1 7日.久世村原方.同山方を合併 して久世村 とし.草加部村上分及び同下分 を 合併 して草加部村を置 いた。
9年,北条腺は岡山県に合併 し. 22年6月1日.村制実施の際.久世 ・中島 .多田 . 鍋屋 ・三坂 ・山久世の各村が合併 して大 庭郡久世村 とな D.草加部 ・惣 ・神 .宮尾の各軸 l・ 合併 して真島郡川 南村 となったOその後, 2 9年久世村は町制を虎行 して久世町 とな 9,
55年4月1日共島郡 と大庭郡が合併 して兵庭都 とを D.選 54年4月1B.山久世地区 と 分離 して‑宮村 (後の勝山町
)
に編入 した。その後・ 5 7年6月1日・久世町 と川南村が合併まで続 いたのである。
r2)美 和 村
この地域には・古 くは樫村東谷 ・同西谷 ・神上 ・余野上 ・白木 ・三崎pJ腺 ・台金屋の各村 があ ったo この地は美作国大庭郡 に属 し.台金屋の地域は久世私 他の各村は大庭郡に縞入
され ていた0
‑ 6‑
戦国の争乱を経 て.天正1 2年字音多氏の所俄 とな ったが.徳川時代 に入 D.曲長5年.
・」、早川氏一同8年森氏が美作の地を領 したが.元疎 1 1年松平氏が津山藩主 とを D.その所 領 とな った。翌日 年 目木村を分別 して目木上村を設催 した。享保12年幕府直韓領 とを D, 久世代官所 の所属 とな ‑つたが.文化1 4年.再 び津山藩主の所領 とそった。寛政8年神上村 を鴻殖村 と改め,同12年三崎河原村を分割 して中原村を新たに設置 した。
明治に入 9. 4年7凡 廃藩僅県に よ9帝山県に属 し.同年1 1月北条県 と夜 ‑‑たo里 5 年 8月1 7日日木上村 と自木村が合併 して呂木 村 とを D.三崎河原村 と中原村が合併 して三 崎河原村 と
をD
. また樫村東谷 と同西谷 ・特碑村が合併 して樫村 とを 1た。 9屯 北条県は 岡山県に合併 した. 15年4月2 8日樫村が分割され.樫東村 と樫西村 とな った。里 1 4年 9月2乱 三崎河原村を廃 して三崎村 ・中原村が設け られた. 2 2年6月1E].町村制実施 の際.樫兎 樫酉.余野上.余野下の四村が合併 して樫野村を置 き, 白木 ・台金屋 ・三崎 ・ 中原の四村が合併 して米乗村 とを D, 5 8年 9月1日,樫野村 と米釆村が合併 して美和村と を D. これが昭和5D年の合併 まで続 くのであるO以上の ように昭和5 0年の合併に至 るまでに久世町 ・実和村でそれぞ れ させざまの合併 分割 を行なってお D.それ らを一つ‑つ辞 し(調べ てみれは よいのであるが.何分. 資料が をいため一それは不可能なので.その中 よ
b
明治5 7年の久世町 と川南札 昭和5 0年の久 世町 と美和村の合併をそれぞれ調べてみ よ5と患 う。ロ 明治5 7年の合併
明治5 7年4月2 8日に岡LLl児知事 よD.共産郡久世町 ・川南村を廃 して.その区域に久世 町を置 くとい うのは公益上必要ではないか とい )意見が 出され.慎重を討議が重 ね られた。 し か し. 次の理由に よD.久世町側では. この合併には不東成 とい う声が多か ったのである。
1・ 風土 ・人情 を具 し.資力相平均せざるに 上る0
2.大字.草加部の如 きは地勢隔脆地理上の不便のみな らず. もしこれが合併の暁は公益上に 於て利益を認めざるのみならず.一水を隔て一朝秩zk兇荒に際 し.交通遮断その他及ぼす と
ころの利害を供にせざるを以 てを b (町会憩故事凄 よD )
一方川 南村側では 「川南村は久世町に比戟するに地価反金当 Dに非常の高低あbてこれまで 実価な らびに収益に至 bては反比例をなせ D。 これを合併 して均一の賦課奉を受 くる うちは不 公平 なる もの と存候。 これに加えて久世町 と川甫和 とは人帆 風習俗及び生活の道等 も自ら異 をる ものあD.共同の経営 とをさんか。
従 って町村経済の予算 に更正増減するの必要を生ず。 これまで適 当に 自治 自立の道を立 てん か.予算割増の免 るべか らざる もの あ D。
以上の理由に よb合併す る時Lri公益 を寄する もの と苛むる もの もこれ あD‑‑
・ ・ ・ ,
.・
」 (川 南 村会議事録 よb)以 上の ようを理 由で反対が双方の村にはあったのであるが. これが どの ように施定 されて, 明治5 7年6月1日の合併に至 ったのかや科が全 くな くて不明なのが残念である.
‑ 7‑・
ノ、 昭和5 0年の合併
昭和2 8年10月1日町村合併促進法が施行 され,町村規模 の拡大 と財政の健全化が唱え られに及び,久世町 と美和村は地形的に も経済的にも簡捷 な関係が あ9,人情 ,風俗,習慣 等 も共通 してか 9,当然合併すべ きで あるとの藩がか こ9,その実現に進んでいた。 ところ が隣接す る町村の うち.久世,美和両町村 に近接する一部住民間にかいて編入 を希望す る声 が起 ったため,その解決策 として真庭郡南部8ケ町村 (美川村 ・津田村 ・木山村 ・落合町 ・ 川東村 ・河内村 ・久世町 ・美和村 )が合併 して市制をひいた らどうか とい う案が 出され,昭 和2 9年5月1日, 8ケ町村の合併促進協譲合 を設け,以来 1 0数回にわた って協議 を重 ね た。 しか し容易に協議の成立 をみず ,落合町 と木山村のか らん だ問題 (学校問題 )が あ9, その他の理由で実現の見通 しが困難 とな 9, 7月12日の協議会 をもって, これは解散 した.
その後,久世 ・美和両町村 の久世 ブロックと落合町を中心 とす る郡南部6ケ町村 の落合 ブロ ックにわかれて合併 を進めることになった.昭和2 9年9月18日,久世 ブロックは合併協 議合 と括成 して合併 の促進 に努めたが ,落合 プロ・,クの一部地区,いわゆる落合町北部地区 (天津学区 ),川東村北部地区 (旧大庭村 )の住民は,地形的に相接続 してい るとい うとと 経済的関係上,T久世町 とは密接,不寸分で あること。教 育行政運営の面 にかいて画期的 な成 果 あること等の理 由によ9,本地区への分梅細 入 を希望 したOが ,その成行 を静観すること となった。その後落合 ブロ ック d町村 合併の議 がまとまD,旧落合町,旧川東村 の分離問題 未解決のまま,昭和5 0年1月1日,新落合町の発足 となった。
ここにおいて,久世 ブロック町村合併協議を進 め ることにな 9,5月8日専門部第‑ ,第三 部会,次いで10日弟二部会 を開催 して合併に関す る諸事項 を決定 し,東に同月18日最後 の協議会を開催 して合併協定の成立 菅みた0 5月2 2日,久世,美和両町村性臨時議会 を招 集 して合併 を議決 し,合併 申諸事を提出 したo しか し,前の未解決の問題は落合町 エDの分 離 を期 して,昭和5ロ年4月1日に同時合併 を希望 して きたが,その期 日を目前にひかえ , と の合併の見通 しは困難 とな9,柵想の一部 を変更 して久世町 ・美和村の2ケ町村の合併 を 先行す るに至9.昭和5 0年4月2 9日,新大久世町の発町 と売った。
この合併の際,条件 となった ものは,次に上げ る如 くであるo 1. 役場及び支所
役場は旧久世町地内.遷喬小学校南方国道附近忙置 き,当分の間,久世町役場 をもって これにあてる。
2・ 役場感物は新 町にかいて早急 に新築する もの とす るO ま 支所は旧美和村 に設置す る.
4・ 支所 に卦いては概 れ 次作掲げ る事務 を取 少扱 うもの とする。
・ 戸薪に髄す る畢務
・ 諸証明に関す る事務
‑ 8‑
・ 町税その他収入金の収納に関す る事務
・ 配給 に関す る串妨
5・ 財産,営造物 及び負債の帰属処分
・ 財産及び営造物は原則 として一切の柏利粉 共 に新町に引き継 ぐもの とす るO但 し, 公有林野,営造物 については住民の利益 と7kる旧慨は従前の通 Dとする。
・ 負債 については,長期起債はすべて新町に引 き継 ぎ,その他の負債は新町発足まで
に
誠意 をもって極 力整理す る ものとす る。6
̲ 税収入等について税率及び使用料 については一応旧町村の ものをその ま7E新町に引 き継 ぐもの とし,滞納 金については旧町村にかいて誠意 をもって可久的速 やかに これを塵理するもの とす る。
7. 自治功労者の取 9扱いについて
各 自町村にかいて措粧する もの とする.
8
. 職且の取 D扱いについて・ 助役 ,収入役,一般職の敬具は原則 として新町に引 き継 ぐもの とす るO
・ 給与は現在のせせとし,新町にかいて可及的速かVC調整する もの とする。
・ 合併 に よる希望退職者の退職手 当については,旧町村にかいて優遇 の措怒 菅静ず るも の とするQ
・ 町村長 ,惑会議長.委員会の姿見尊 の退職金壮各町村において善処す るものとす る。
・ 新町発足 に至 るtで拙戦負の新規採用比行 なわない0
9. 議員の任期及び宗教 の特例適用について
関係町村の藩会の敬具は町村合併促進法第 9粂第1項の規定 に塞 き,合併後, 1ケ年間 を限 9新町の譲会議長 として引 き続 き在任せ しめる もの とする。
10. 国民健康保険堺英 について
国民健康保険事業は可及的速やかに夷施す るもの とす る0 ll. 典薬委員会について
関係町村の良薬要具会の選挙 に よる要点牲町村合併促進法第9条の 5第1項第1号の特 例 智適 し,合併後1ケ年間を限 9,新町 の良案委員 会の選挙に よる委員 として,引 き続 き
在任せ しめるもの とす る。
12.教 育委員会について
新町 の教 育委員会の選挙 に 上る要点比町村合併促進法第9条 の2第 1項第1号の特例 を 適用 し,関係町村の教 育委負会の選挙 に 上る季長の互選 に上る者 を もって, これに充て'
合併後 1ケ年間 を限 D,引 き続 き在任せ しめる ものとす る0 15. 消防団の組織について
現状の ませ新町に引継 ぎ,当分 の間旧町村毎 に分EEを設置 し,新町 において早急に統合
‑9‑
を図 る もの とす る.
14.継続事典 及び原案草案について
各町村 の継続 事
英
については新 町の櫛 計画 と して継続 実施 す るものと し一その他県案 事案等 紘新町建設計画策定の際 . これ を検討 す る もの とする015. 各種団体について
各種団体の意志 を尊重 し,新町 は これに協力す る もの とす る0 16, 附帯条件
・ 本協定成立の 日並 びに新町発足の 日以後 といえ ども落合町分離地域 の編入 に関 しては 新町に引継 ぎ目的達成のため強力に努力す る。
・ 新町の議会藩負,成東委員会 の選挙 に よる委員 ,教 育委員会の選挙 に 上る委員は落合 町分 離地区編入の際は直 ちに改 選 とす る。
参 考 資 料
岡山県市町村合併誌 久世町誌
議 事 録
第
2葦 久 世 町 の 自 然 的 軍 境
1
地 形岡山県は大 きく北部の中国山地.甲部に青備高原,南部 に備前平野並 びに丘陵地帯 と地形 区分す ることがで きる.そ して久世 町は中国山地 と吉備 高原 の境界域 の小 さな盆地 菅中心 と
す る境域 である.そ のために北 t,こは 中国山地,
繭
には吉備高原 の一部が域内にふ くせれ る。北部 の中国山地は高 く急峻で招鉢山で8 79mに達 し,その南面は多 くの ヒダに開析 され, 落合 あた
D
か ら臨む山容紘壮年山地その ものであるOかか る急峻 を山地 の鞄
には200‑d 001nくらいの丘陵 をい し低山性 の山地が横 たわ 9.盆地底 との境 をを してい る。そ して 旭川 に合流 する北か らの
粂
川 , 目木川帆 ここで水狭随一なつ くってい る。 (写真①◎ )さて久世盆地の盈地底 であるが, これは転めて フラ ットで.一帯は旭川の氾濫原で ある.
しか し山間 にかかる広い低地面が存在 す ることについては,一考 な要するととで,それにつ いては北の山放線 の東西に走 る一 直線 であるo す なゎち鍋屋か ら勝 山町の原方菅見通す山側 は急嶺で,それは平坦 な盆地面 につ っ立 ってい るO断層 に よるもの とい わねばならない.南 側の境 も,北側ほ どでは ないに して も同様, との帯状の平坦面は全体 と して単に浸食のみに よる ものでは な く,地牌性 の もの と断定 したい。そ して との地帯内 に旭川 の上 流が流 しこん
‑ 1ロー
だ砂鉄は, このなかを7ラ ,トになるまで堆耕 し
,
氾温原 らしい ものをつ くった07 5
にさせ かか る 河流の上流にで きたいわ くつ きの平野比T流の ものとちが って,堆哉物 も租粒で,塞 盤 も伐 く,それに旭川の流路方向 も,再従的 (Resequen
l: )で あるなど,土地利用で 考えさせ られ る問題 をは らんでい る。 この平坦面上に も氾亀医によくみ られる河道の変遷の跡がみ られる.すなわ ち曲流が洪水時のたびに流路 を変えた らしく,大庭 .首尾 ・土居 ・惣 などにい くらか湿地性の ところが ある.現在で比それが攻防 に規制されて殆ん ど直線化 して い る。
旭 川 の
Re r 8equent
久世町の町轟で,旭川の攻防 に立 つ と,河原は意外 に も広 く,その河原の 僕は砂利ではな く,いゎゆるポールダ ー といわれるのがふさわ しい大陳で, 流水は文の渦渇時で あるのに流速は速
い. まだ侵食の激 しさを思わせる もの が ある。すなわち既述の 中国山地 に し て も同様 に, この あた 9‑帯は若返
D
の様相が うかがゎれ るので ある。 目木 川に して も中流か ら下流にかけて河岸 段丘が見 られ る。河岸段丘は河川侵食 の若返 D.すなわち侵食が よ9強 くな った結果,河流は谷床 を下刻す る。 こ の際,旧谷床の全部が侵食 しつ くされ ない限 E),谷床の一部は平坦面 となって残存 し,谷は 谷中谷の状態になるC との旧谷床の平坦面が河岸投丘で ある。河岸段丘は大別 して,河川の 堆斬作 用に よって生 じた堆析段丘 と河川の側方侵食に 上って生 じた侵食段丘の2つに分け ら れるが, この付近の河岸段丘は 回木川の左岸托, しか も川が カーブ してい る場所 に多 く, 2
〜 5mの段丘崖を もった河岸段丘がみ られ, この付近の地盤で ある黒色準片岩,主に千枚岩 が河鼠 段丘崖の下部に見 られる ことか ら,地盤が隆起 し,その結果下刻作用が再び活発に なって形成された ものと思われ る.従 って侵食段丘で あると考えて よかろ うoそ して一部 の 地区では2段の河津段丘が見 られ ることか ら, 2回にわたる若返 Dが あったといえるQ
(写真
③) 2
地 質このあた
Dは
三部変成
帯 といゎれる低庇 の変成岩 の卓越す る地域 に あたってい るoすなわ ち盆地か らみられる急髄の山地は,すべて熟色5:してい る千枚岩が粘板岩 であって'これが また ここでの最古の岩層で もあるO地質時代でいえばおそ らく石炭紀の上部 で・約5億 年前‑ 11‑
写真③ 目木川,木谷附近の河岸段丘
の地層であるOそれが古生代終 Dか ら中生代初めにかけての,大造山連動に よって変成 され た ものである。Lへうまで もな くとの造山運動は古い 日本の陸地 として,今の日本 の位 置には じめて陸地 をつ くった地盤運動で秋吉造山過 勤といわれ,海面上に現われた山地は秋吉山脈 とエばれ るo Lか しこの古い山脈はその後の地盤運動 で大 きく変化 を うけて,極 めて′J、さ く プロ・)ク化 し,いず見る山地の概形は第三紀後の もので あることはい うまで もない。古生代 以後の岩層 といえば,中生代末 に選入 した花 牌岩が あD,北方の摺鉢山か ら三坂 にかけて,
わずかでは あるが現われて
卦
D.三坂峠の南では断層で もって古生屑の粘板岩 と接 している.また津山盆地か ら西方三次 (広島県
)
にかけて帯状 にみ られる第三紀の中新銃は, ここでは 三坂の谷や鍋匿の あた9
,中原 ・高屋 ・草加部 と山取
に分散的に.古生層む不整合にかかっ て分布 してか
D,砂岩や際岩で.僚岸は一部 では洪横 の段丘疎であろ うと思われるもの もあ る。そ して盈地底 は沖耕堆横物で あることはい うずで もないが.い くつかのポー ])ンク試料 によると, この沖疎堆碑 もせいぜい数nで あって,この底は大ていのところで中新続 と思 わ れる砂岩であるOさて構造であるが,古生屑の走向は大体東北一西南 で南落 ちであ D,一見単斜榊進の よう であるが.隣接地域 菅考えると, この地域 の北部 あた Dが背斜軸にあた っていて,津山三 次 の中新統堆筋 の地帯は多 くは この軸部に相当す るようで ある。地形的に大 きな断層は前述 の と
か
9であるが,′J、さな断層が北か ら南へ斜めに起 っている。茂見尾休業銅 山か ら茂瀬 ・目 木 にかけて, あるいは摺鉢山山腹の花尉岩 と古生屑 との接触点か ら鍋谷か ら三坂 にかけて起 っているih屑を基 幹 として,樹枝状に教 ヶ所起 っている。 (第1回〕 この ことは道路 に面 し‑12‑
た基盤が現われた所 など至 る所に 小 さを断層が起 ってい るのが見え る。そ してこの′J、さを断層が起 っ ている千枚岩の間には黒色の断層 粘土が生 じているが, この黒色 を 呈するのは古生屑の中に娘 鉛が漁 ってい るためであろ う。
(写真④ )
を桝 中耕地 の地質 についてみ る と大体数nの厚 さ と見 ることがで き,久世町市街地付近の地層断面 を電報旬話局建造にかけるポー 1) ング調査図 (第 Ⅱ図〕か ら見てみ ると.地下面 上90.25mまでの 間は耕地 の盛土で,その下に砂の 薄層 を狭み,深度0.58mで砂際
屑
に遷す0 0150m以下の砂傑J5 は旧旭川の河床に堆壊 した河成層 で ちD,秒分の比叡的少ない鍵 を 主体に した砂鉄屑 で,相対密度は 締 って卦 D,地層はか な少締 って い る. ここで第Ⅱ図菅よ く見 ると,写 其ql 余野下
,
目・木川沿い で写 す黒色断層粘土0・8 a‑ 1・6 0mの味さで陳は暗灰色を してか9.地下水で疎は汚染 されているO従 って 1・48‑1・a Olnの闇は相当多丑の地下水が放れ てい るもの と思われ る.地下水が この よ う な浅 い所 を流れているとlハうことは,久世町庁舎のわずか北方に泉が沸いていることか らも うかがえる.泉は二 ヶ所 に沸水 して
か
D,コンク T)‑ トで固め られてい る。 1つは′」、綿の‑角に深さ
5
0cm位の小さな ものであ るが,いま1つは4m四方位のかを 9大 きを泉である。 (写真⑤ )現在 で も56戸の住宅が この泉 を使用 し てか9,渇水期で も水生は殆ん ど変らないそ うで ある。
また久世統合中学校 のポー 1)yグ調 査図か ら推定 した想定断面図 〔第 皿
至久世
115‑
久 世 町 地 質 図
第 1 図
‑ 14‑
深 度
n 原屈Tn 図 表 地 質 色
‑0.25 0 ■o,O.0.0.e).一rl0 細 砂 暗暗灰茶 碗暗灰暗 槻育暗舵灰 0.
5
0 一〇0 ‑ 0 ‑ 0‑00‑ 一 〇
0一〇一‑
0〇‑ 粘秒土 混 9蹟 0.80: : ‑ .
■O0■ . 0
..¢̲(7‑■砂 嘩2 . 4 5 ' . . . . . : '
砂 傑a5
ll.55 (粘賀砂傑砂 質頁岩粘 土
〔第Ⅱ図〕 翫報電話局 ポ‑ 1)ング調査園 蘇
皮竹t 価原m 図 表 地 質 色
G50 0.90 1.50 一1..40dO
idD 0.5
J
4ンヽ1, . J ^ノ nノ 1 少 ヽ功 へ
Jn′ ヽ
表 土 魚灰 0.占0㌔. ・ : I : . i
、二 . 、 \ . \ 二 ■ 、 ' . 二 . 言 "′ ,
、砂洩 りシル ト 暗鵜 0.4 ・○■..〇 一L.:,I.○..Q ,..a./:& & 茶色暗灰 0.1ヽ \ ヽヽ ヽ ヽ ヽ、 \ヽ ヽヽ ヽヽ ヽ、 ヽヽ ヽ ヽ 弛
9シルト暗灰 0.2 l ● 中 砂 暗灰2.00̲‑
% や
.;..C).q
〔q:
⊃.■ ∴
..砂
傑 暗 灰0.80.0.∴ 0.0 0:‑8...,. 枯質砂僕
晶
4..40 5n5528
15.00 0.占・、̲■oーT■.⊥ .0 枯質砂 傑 東 端
、一0..、〇
0.15 固結粘土 暗梅
9.80
J砂質頁岩 l 暗育舵
写真⑤ 泉 の 宙 水
‑ 15‑
図〕 と第 Ⅱ囲 とか ら推定す ると,表土や粘土 ロームなど地表面 に近い軟い層は0・5 0m‑1 冊,厚い所で27托近 くと蒋 く,その下はす ぐ砂瞭質の地層になっているO従 って久世町の地 盤は堅硬で徹宵な沖棟層で あるといえ るo な
か
電報電話局地点 にかいてfr入試験並びに載荷 試験 の結果 より,長期5 0I ; On/
d 智越える荷重に対 して十分 な応力を持つ ことがゎか りきわめて良好 な基盤で ある。
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(第 m図〕 想 定 断 面 図
3
水 利岡山県の三大河川の一つで ある旭川が久世町南部 智幹川 として西か ら東へ流れている。 こ の川幅10 0‑ 2 08冊の旭川を幹川 として.次いで余野上か ら目木 を流れる目木川,そ し て これ らの支川 と して余川,兼 弟川,宿川,大下川,黒尾川 ,三坂川,′ト谷川 あるいは山生 川,皆畑川,横畝川など渇水期には水の枯れ る谷川な どの大小支流が幼年谷官刻みなが ら旭 川‑ と集 っている.久世町の河川は旭)Jは 除いては狭 く,短か くそ して急流 となってho こ の ような河川のため,年間 雨丑1.i0OhZAZの降雨も最 も降 雨の多い梅雨期にかいてさえ も, 急 な山腹Iて降 った雨は一度に下流へ と流れ去 って しま う. 目木川流域では井収 で これ なの水 を集水 して段丘上 の水田に導いているD
井堰は第 Ⅰ表に示 した ように総計 18 8個 の井腹がみ られるo (写真⑥ )特に 目木川.余 川.三坂川の5つの河JJlに典中 してか9. 日木川,,余川に多 くみ られ るのは河長 か らみ て うなづけ るもので あるが,三坂川においては満親面馳 ゝらして ,水臭が少ないため1つの井 収か らは数 Laもの水田官職灘す るに十分な水丑 を取水す るととはで きない.そのためには 多 くの取水 口を多 く設けねばな らない. このことを甚づけ るように1 0 8個 の取水 口を教 え, その うち5 5個が雌概面税 1La未満 とい う多 くの/J、さを井収 となってい る。 しか し1つの河
̲1d‑
第Ⅰ表
河 川 名 取 水 聴 教 他 7取面 凍LaI 河 川 名 取 水 胎 教 傭 瀞 面 潜也
旭 川 5 151.0 大 下 川 2 1T.8
目 木 川 25 159.1 鼎 尾 川 2 不 明
宿 川 7 11 0 三 坂 川 2 7 64.7
余 川 25 59̲0 ′J、 谷 川 18 & 1
た め 池 総 数 確 概 面
額
(也 )写真⑥ 金 野 下 で 写 す 井 鵜
川にこれだけ の井他が接近 して存在 しているたれ 用水の争奪 あるtJlは用水路 ,取 水 口の維持, 権利 などの問題が起 9そ うで あるが,その芦 は剛 ▲れ なtJ
l
oこれは上流 に位置 す る塩の水VC 対 して下流の者は 口出 しで き帥 とい う碑勲の了殊 と・′J、さ夜備概面桁 を維持す るのに十分 な‑ 17‑
小 さい井晦 に対す る費用 も少 ないなどの理 由に よるためで あ,rbう。そ して流水の占用 目的 も 袋井 用水以外 昨春 魚,消防 用水 との兼用が数 ヶ所 見 られ る他払 すべて確瓶 用 目的 で 参ること
も共通の便 札 利益 と してあげ られ よう。これ ら/」、他叔 面横 とは反対に10Ja以上 の もの も6 井魅 を数え る.旭川に 2つ, 目木仙 余川,三
執 り
にそれぞれ1つづつ あるが,これ らはやは9維持に多額 を費用 を要す るため,取水 口の不朽化 .用水路の堅牢化 などが進み,土地改 良区 として発足 し,維持 されてい るo例 えば滞概面墳 80Laな もつ旭川左岸 の黒尾土地改 良区が代 表例 である.また 目木川流域 にみ られ る河岸段丘の問題 も見捨 られない。水面 か ら2仇〜 5m
と2段にな っている段丘面に位怒す る水田への誘水は ,相当上流 の地点に取水 口怒設置 しなけ れば価水 をす ることはで きない。こうした地形 に よる問題 の外 に.昭和5 0年に旭川上流, 蘇 原町に完成 された敵原 ダムに よる伶水音 の聞落が あるQ との湯原 ダ ムの水は湯原 町の第一発電 所 で発現用水 として使 用され,旭川本流 を流下す るととな く,湯原町社か ら約12Kmの トyネ ルで久世町草加部の第二発屯所 に発電用水 として使 用され,久世町黒尾井低 の下方 において旭 川本流 に放流 され てい る。一 方敵原町社 か ら下 流の旭川本流 は湯原町禾浮で鉄 山川 な合せて湯 原町牧 か ら トyネルで山久世 の勝山第‑発屯所へ, また勝山第二発電所へは新庄川の水 をも導 き入れ られ,黒尾井塩 ,楓 It井堰 上り上流 の横部 で旭川本流 に放流 されてい るQそのため,両 井
堰
に取D
入れ られ る水は旭川 ,新庄川の 自然の流水では なく, トンネルを通過 し,発電に使 用されて 自然の水温上昇 を阻害 された水 であるO この水温 低下 は1・0℃一臥上の低下がみ られ る。わず か1・0℃の低下 とい って も, この井 櫨一帯は沖研層エDをD,地下水位はわずか1.5‑ 2.6 mで あるoそのためわずかの水温 放下 も耕作の牧
丘
に大 きく影唇 する とい う大 きな開演が 4)る。しか し用水路がい かに多 くて も山の多い地方に かいて
河
川 か らの引水に 上る確概だけでは十 分 で仕をho ま して従傾丘陵 ,壮年山地の地形では山間 の枝 谷は渇水期には水は枯 れ,全 く用 を足さな くなるo従 ってため池 を設け ,ため池御蔵
に額 る上うになる。 また第三紀層か らなる 多軌 台金屋 など台地状 の ところではIため池に頼 るはかなく, 5 0個 ものため池が存在 して いる.そ してこれ らすべて使 用 目的は蝕菜用水補給 で,確概両横 0.5Lbか ら1 7血 の もの,節 水丑 も20 0m'の′J、さい ものか ら5 1・5 0 0mJの大 きな もの まで 第Ⅳ図に示 されてVlる上うに 分布 してい るo これ らのため池 の中で塘路すべ きものは台金屋 に位 置す る細 し他お よび台新 地 で ある。台 金屋 地区 は台地状 の丘陵地区 で あるため,河 川か らの引水 も容易では な く, また他 に流れ込む水 も多 くは盗 め なho細 し池 と台新地の流域 面郡が大体0.7kh?,そ こで田植時期 , す なわち6月の雨丑 を5 00mmとして も,そ して蒸発丑 と浸透丑 を合せて4 0%と して も(台 金屋地区は第三紀層で館岩,砂岩で 参るため浸透率壮高ho )貯水 で きる水丑 は12.600のB で あるo Lか し両地 を合せた貯水可舌 巨
茄は22.100秒 で約半分 しか雨丑がな く,満水はた と え 冬期か らの雨丑 を貯めてかいて もたやすい ものでは ないo ま して放水後, 8月の水 田の水落しの後の 猫水紘非常 にむず ゎ Lhoそ して両
地
に頼 る偶概面希 は16Aa,受益 面積50JDの広 範 囲にかよんでい る。そ こで この流域面棟の狭′ J 、
忙 よる畑 不足の間留は河川か らの引水に頼‑18‑・
らなければならない。
しか し両地は E木川 よ9 8 0m〜 1 0 0mの高い位態に ある。そ こで余川の中流.伏 ケ芽附近 近に位置す る金屋井聴 エ9延 々約1 4hlの用水師を施設 して台新地 まで河川の水を導 き価水
してVlるO現在では台金屋 と同様 な状態にをる多田地区へ週一回 この他 より用水を譲与 して いるo しか し長い用水路で あるため濁水が散 しく.水香 も一 回見 てまわるの忙半 日も用す るo
このように他の
鞄
において も徹慨
に十分 とは言い切れない ようで ある04 気 候
久世町は地域的 にみ ると岡山県の北部地帯の:政商鵜に属 し,腺南部 の気象 とは非常 に異 覆 った現象をあらわ してい る。す なわち県南部の乾扱気候 と異 に して,久世地方は冷涼を内陸 的 を盆地気候 をのであるo従 ってそ こで行われる典薬 ,すなわち作物 か こび良作顎は当然異
な 9,気候は人 々の生活に多様 なる面 に着いてまで影唖を与えているO ここでは久世地方の 気象を瀬戸内の乾燥気候である岡山市 と盆地東食 の浄山市の気候を気象台のデーターを中心 に比戟 して,久世地方の主産業である良薬VC与え る彰苛 と県南 と作北の気象の差異を明 らか に してゆきたい と思 う。そ こで昭和4 1年 の久世町の気象は年に よってか な Dの差異 を生 じ るOそ こで少 々古いデー ターではあるが昭和25年〜 55年 までの10年間 の平均値 を加 え て検討す ることにする。
第‑図は昭和4 1年か よび1 0年間の月別平均気温の グラフであ
9
,第 甘園は同 じく月別 の 日較差のグ ラフであるO平均気温の グ ラフを見 ると, 7月〜 8月の最高気温時におV,て帆 久世は岡山 よb口・5℃〜1.0℃,冬期 の長 低気温時においても1 0℃‑ 2・0℃低い差異を示 しているOそ して津山は久世,岡山の中間値 ない しは久世に近い気温 と在ってい る。年間平 / 均気温 も久世は15.8℃,津山は14.1‑℃.岡山が15・1‑Cで,やは 9久世は岡山 よ9も1.
5
℃ とわずかで あるが 低 く,瀬戸内エP
も作北の方が,そ して津山 よDも久世 の方が政艶 である。また 日較差 をみる と,冬期の12月・ 1月に卦い ては久世 エ 9も岡山の方が わずか 0.5℃ 目敏差が大 きいが, しか し差が最大の4月・5月の春は久世の方が1・4℃〜 212℃ も 大 きいO年平均をみても口.8℃久世 の方が大 きい。 この ことは山に田 ずれてい る久世地方は 南部地帯の瀬戸内海気候 に比較 して内陸性気候 をあらゎす もので ,昼夜の温度差 (‑ 日較差 ) が 著 しいのは,海か ら速 くて 日中の副射が強い反面.夜間地面か らの副射 もまた強いために起 る現象である。水稲を主体 としているとの久世地 方旺盛作物の栽培̲i, 日較差が大 きい こ とは, 1)呼吸作用に よる夜間の輩分消坪の抑制, 2)貯蔵春分移動の促進, 5)果 実糖度 の増加をどの利点が あ9.魚作物 の栽培上大 きな質素 とな ってい る.
第 Ⅲ図は昭和4 1年お よび18年間が月別雨丑の グラフで ある。乾燥気候で有る県南瀬戸 内海地 方は年間総 雨f(1.2 0 0pwRZで長野県 忙梗 いて全国的に雨丑の澱 も少 をh地方に属す る が,北部久世地方の年間総雨fi・は1.6 0 0ppmで.その差4 0 0m でかな 9の多雨 となってい
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た め 池 分 布 図
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夢
Ⅳ
図紘 ,旬〜 7月上旬。梅 剛 と。差 も15。祝7′,と̲
番大 きくなってい るO この時規 の雨丑は成菜の病気.収確す る桃その他果実味に,また同化 作用に よる貯蔵頚分蓄
棟
に顧 影苛 を与えてい る。 しか し反面降雨は直接水忠 恕増 し, この時 期の巴植 智容易にする点,水格 技培に欠 かせめ梅雨現象であるo梅雨期 に次V,で多いのが9 月で あるが,岡山県は西 日本に卦いては台風通過 に 上る直接の影啓が比故的少 ない県である が, 9月にかなDの降閏がみ られるの仕 日本上空に停帯する秋雨前癖に よるものであろ う.なお久世地方は岡山地方と比戟 して気温の点で艦V,といって も.冬期の12 ・1 ・2月の雨 量が大差 ない ことか ら.久世の降雪 日数 性多 くで も降 雨丑が少 ないため と思われる。
次
に
農作物の栽培に最 も関係 の深い気象の三要素,すなわち温度 と雨畳,そ して 日照がそ れである。 日照は太陽が雲や錫にさえぎられす忙地上 を照 らした時間で,時間か よび十分数 で示 され,作物 に とっては 日照時間の長vlことが払賓である。 日照は直接植物の同化作用に よる貯春分の番所に関係 し,第 Ⅳ図に示 した ように岡山 と久世 とは月にかかわ らず常時相当 の差がみ られ る。年間総 計にかいて も久世比岡山 上9 7 0 0時間 も短か く, 1日平均岡山は 6時間20分に対 し久世は4時間50分 と2時間 も短か くなっている0年間 を通 じてみ ると 最 も日の長いのJji6月〜 7月で あるが, 日照の多いのは7月下旬〜 8月下旬であD,特に 8 月上旬( 10間 )では久世は7614時間, 1日の点高は12時間の 日照が ある。反対 に痕 も 少ない時期は 日の短かい12月〜 1月で あるが, もう少 し短か く旬別にみ ると久世 の場 合, 12月上 ・中 ・下旬・ 1月上 ・中 .下旬のいず れ も5 0‑ 5 5時間で あるの忙対 し, 7月の 上旬は25時間 しかな く,この時期 において比 1日平均1時間か ら1時間 50分 となる。 こ れ ら日照は快蹄 日数.
典天 日数 ,雨天 日数に も大 きく関係 し,例 えば昭和4 1年の久世 ,岡 山のそれぞれの 日数は快晴日数 日において,久世の4占日に対 し岡山の1 0 1日と5 5日も 少な く,反対に鼻天 日数 は久世の2 占 9日に対 し岡山は19 6日と75日も多 くなっている。この ように これ らの気象現象 も見逃せ ない もので ある。
このほか,久世の場合,快階や負天以外に 日照に大き く影申 してい るものに務がある。第 V図に示 した よう忙殺の発生は県北部は鬼南部 と比軟す ると抜群に多い,特 に久世町 を中心 としたところの霧の発生は東比毛廃部落 合町追合,南は久米郡福渡町,西は久世町黒尾上 (久世 ,藤山の町境 )そ して北は苫田郡宮村 にわた る広域 に及び,その発生はは なはだ しい。
この霧は副射 に よる大気の冷却 と蒸発に 上って生 じ, この ような洋を副射型の揮 とい うが, 久世 の場合は山 に囲 まれ た盆地状の地形 に 上る大気 の冷却 と旭川の蒸発 とが との男の発生
に
最 も適 している と考え られる。津山の場合 も同様に金地状地形 と吉井川 とに より,は夜はだ しV'発生 密み るととがで きる。この霧は 9月〜 1 1月の秋期に最 も多 く,次いで5月, 4月 にみ られ,最高視程6・Dmの朝 もあ 9,消去吐 1 1時近い ことも珍 らしV,ことでは をいそ う である。発生時刻は秋期 の癌は午前 占時前後に.春期のは午前 0時頃に多 く発生す る.そ し て発生 日の気凄状況は, 1)日中か ら翌朝の最高最低の温度差
(
‑ 目敏差 )が12℃以上の‑ 21‑