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『日本仏教総合研究』 第12号 002尾崎 勇「『治承物語』の性格 ―西山と四天王寺―」

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Academic year: 2021

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(1)

西

は じ め に 慈 円 の 事 蹟 ・ ﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 文 章 と ﹃ 平 家 物 語 ﹄ と の 類 似 ・ ﹃ 徒 然 草 ﹄ 第 二 百 二 十 六 段 の ﹁ 慈 鎮 和 尚 、 中 略 ︶ 此 信 濃 入 道 を 扶 持 し 給 ひ け り 。 中 略 ︶ こ の 行 長 入 道 、 平 家 の 物 語 を 作 り て ⋮ ⋮ ﹂ の 一 節 、 こ の 三 点 か ら 、 慈 円 が ﹃ 平 家 物 語 ﹄ 成 立 に 関 与 し て い た ら し い と 思 わ れ 、 様 々 に 取 り 沙 汰 さ れ て 現 在 に 至 っ て い る 。 こ の 驥 尾 に 付 し て 、 こ の 度 、 小 著 ﹃ 愚 管 抄 の 言 語 空 間 ﹄ 汲 古 書 院 ・ 二 〇 一 四 年 ︶ で は 、 閑 雅 な 空 間 で あ る 比 叡 山 延 暦 寺 の 別 所 の 西 山 に 隠 棲 し た 慈 円 は ﹃ 平 家 物 語 ﹄ の 原 型 で あ る ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 企 画 し 、 慈 円 自 身 の 出 自 で あ る 九 条 家 の 家 司 や 慈 円 の 門 弟 等 を 参 画 さ せ て 創 出 さ せ た と 推 定 し た 。 そ し て 書 名 の ﹃ 治 承 物 語 ﹄ の 由 来 は 二 つ あ る と み な す 。 頼 朝 に 寿 永 二 年 ︵ 一 一 八 三 ︶ 十 月 十 四 日 に 荘 園 問 題 に 関 す る 決 定 を 委 ね る 宣 旨 を 朝 廷 が 下 す ま で 、 法 的 に は 無 効 で あ る 以 仁 王 の 令 旨 に よ っ て 東 国 で 使 い 続 け た 頼 朝 の 私 年 号 の ﹁ 治 承 ﹂ で あ る こ と が 一 点 目 、 さ ら に ﹁ 治 承 ﹂ の 日 々 を 澆 季 末 代 に 及 ん で い く 始 発 の 災 禍 に み ま わ れ た 時 期 と し て 人 々 は 回 顧 し て い た こ と が 二 点 目 で あ る 。 そ の た め 平 家 一 門 の 横 暴 か ら 頼 朝 の 挙 兵 に よ る 源 平 の 争 乱 か ら 壇 ノ 浦 の 海 戦 で 平 家 が 族 滅 し て 王 法 が 安 穏 に な る ま で の 顚 末 を 射 程 に い

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れ て い る 源 氏 の 動 向 に 比 重 を 置 い た 物 語 で あ る こ と を 論 じ た1 。 建 永 元 年 ︵ 一 二 〇 六 ︶ に 慈 円 は ﹁ 大 懴 法 院 起 請 條 々 ﹂ に あ る ﹁ 一 、 供 僧 器 量 事 ﹂ の 条 で の 、 此 外 聲 名明 法 則 受 師 傳 、 音 曲 堪 能 階諧 衆 聴 、 為 其 器 之 輩 、 所 撰 補 也 。 又 遁 身 於 山 林 、 三 業 四 儀 穏 便 之 後 世 者 、 縁 闕 事 違 、 有 其 望 之 者 、 同 可 補 之 、 と ﹃ 徒 然 草 ﹄ 第 二 百 二 十 六 段 の ﹁ 慈 鎮 和 尚 、 一 芸 あ る 者 を ば 下 部 ま で も 召 し 置 き て 、 不 便 に せ さ せ 給 ひ け れ ば 、 此 信 濃 入 道 を 扶 持 し 給 け り 。 ﹂ と を 筑 土 鈴 寛 は 結 び つ け 、 ﹁ 慈 圓 は 、 世 の 泰 平 の た め を 思 っ て 、 愚 管 抄 を 書 い た が 、 い は ば 平 家 は 、 逆 縁 的 に 、 世 の 泰 平 を 祈 る 、 す な は ち 怨 霊 回 向 の 祈 り の 物 語 と し て 、 漸 次 そ の 姿 を 整 へ き た り 、 ︵ 中 略 ︶ 平 家 物 語 の 、 し か あ る 形 象 統 一 は 、 は じ め か ら 具 へ て ゐ た も の で は な い で あ ろ う 。 も し そ の 調 整 統 一 の 世 を い ふ な ら 、 慈 圓 の 世 と し た い と 思 ふ 。 ﹂ と し て い た2 。 こ の 筑 土 説 は 現 今 で も 通 行 し て い る 。 例 え ば 五 味 文 彦 も ﹁ 大 懺 法 院 に 集 ま っ た 一 芸 あ る 者 の 力 を 結 集 し て 、 平 家 の 怨 霊 を 鎮 め る た め の 物 語 は 作 ら れ た と 言 え る の で は な い か 。 ﹂ と し て ﹁ ﹃ 平 家 物 語 ﹄ は 、 八 条 家 に 仕 え 、 九 条 良 輔 に 仕 え 、 出 家 後 に は 慈 円 に 扶 持 さ れ た 藤 原 行 長 が 作 者 で あ っ た 、 と 考 え る 。 ﹂ と し て い る3 。 こ の 視 座 か ら 原 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ で あ る ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 考 え る と 極 め て 不 思 議 な 事 実 に 行 き 当 た る 。 そ れ は 第 二 百 二 十 六 段 に は ﹁ 行 長 、 稽 古 の 誉 れ 有 け る が 、 楽 府 の 御 論 義 の 番 に 召 さ れ て 、 七 徳 舞 を 二 つ を 忘 れ た り け れ ば 、 五 徳 の 冠 者 と 異 名 を 付 き に け る を 心 憂 き こ と に し て 、 学 問 を 捨 て て 遁 世 し た り け る を 、 ⋮ ⋮ ﹂ と あ る の で 廟 堂 の 論 議 で 行 長 が 失 態 を 演 じ た か ら ﹁ 遁 世 ﹂ し た こ と に な る 。 と こ ろ が 、 そ の 慈 円 が ﹁ 扶 持 ﹂ し た 大 懺 法 院 と は 、 慈 円 起 草 の 承 元 二 年 ︵ 一 二 〇 八 ︶ の ﹁ 大 懺 法 院 供 養 願 文 ﹂ に よ れ ば 三 間 三 面 の 熾 盛 光 堂 で は 日 々 に 不 動 護 摩 が 修 さ れ 、 年 中 行 事 と し て 大 熾 盛 光 法 が 厳 修 さ れ て い る4 。 同 願 文 で は ﹁ 祈 以 太 上 之 長 生 。 祈 以 天 下 之 静 謐 。 遂 乃 統 萬 城 之 東 第 四 街 之 南 占 勝 絶 之 地 。 ﹂ と あ り 、 後 鳥 羽 院 の 長 命 や 廟 堂 の 静 謐 を も っ ぱ ら 修 し て い た と あ る 。 そ の た め ﹃ 明 月 記 ﹄ 承 元 二 年 ︵ 一 二 〇 八 ︶ 十 月 二 十 四 日 条 に 、 御 共 し て 大 懴 法 院 に 参 ず 。 御 幸 ︵ 密 儀 ︶ 早 旦 の 事 と 云 云 。 小 時 に し て 博 陸 参 じ 給 ふ 。 法 会 の 儀 式 、 童 舞

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等 厳 重 厳 重 。 呪 願 ︵ 成 円 ︶ ・ 導 師 ︵ 聖 覚 ︶ ・ 樂 行 事 伊 時 朝 臣 ・ 資 家 朝 臣 。 公 喞 博 陸 ・ 内 府 以 下 、 中 略 ︶ 事 訖 り て 、 内 大 臣 殿 ・ 左 大 将 殿 、 御 贈 物 を 取 ら し め 給 ふ と 云 々 。 博 陸 、 是 よ り 先 に 退 出 。 暗 に 及 び て 御 幸 。 還 り お は し ま す 以 前 に 退 出 す 。 此 の 日 の 事 、 注 し て 益 無 き か 。 見 及 ば ず 。 行 道 の 間 、 公 仰 せ ら る る 事 有 り 。 資 家 、 庭 上 に 膝 を 突 き 、 其 の 事 を 申 す ︵ 可 否 、 未 だ 弁 ぜ ず ︶ 。 と あ り 、 治 天 の ﹁ 君 ﹂ の 君 を は じ め と し て 公 卿 等 が 常 に 参 入 す る 空 間 で あ っ た 。 と す る な ら ば 、 廟 堂 で 学 問 的 な 名 声 が 鳴 り 響 い て い た 行 長 が 、 貴 顕 と 目 を あ わ す 大 懺 法 院 に 身 を 寄 せ る で あ ろ う か 。 仏 法 王 法 相 依 の 理 に 則 っ て 廟 堂 の 安 寧 と 治 天 の ﹁ 君 ﹂ の た め に 造 営 さ れ た 大 懺 法 院 の 実 態 と 一 世 紀 を 遙 か に 降 っ た 人 間 的 関 心 か ら 私 的 に 綴 っ た 卜 部 兼 好 の 随 筆 と の 間 に は か な り 懸 隔 が あ る よ う に 思 わ れ る 。 四 天 王 寺 を 本 論 稿 の 副 題 に し た わ け だ が 、 当 寺 は 寛 弘 四 年 ︵ 一 〇 〇 七 ︶ 頃 に 聖 徳 太 子 の 遺 言 の か た ち で ﹃ 荒 陵 寺 御 手 印 縁 起 ﹄ を 創 出 さ せ た 。 当 然 な が ら ﹃ 縁 起 ﹄ の 中 核 に は 太 子 の 功 徳 が 説 か れ 、 西 門 が 極 楽 浄 土 の 東 門 に あ た る と い い 、 西 門 の 内 側 か ら 門 を 通 し て 海 の 彼 方 に 沈 む 夕 陽 を 眺 め る 日 想 観 を 修 さ れ る 場 に な る と と も に 本 縁 起 か ら 後 述 す る よ う に 舎 利 信 仰 も 吹 聴 さ れ た の で あ っ た 。 西 山 の 方 も ﹃ 往 生 要 集 ﹄ を 著 わ し た 源 信 の 弟 子 の 源 算 が ひ ら い た 別 所 で あ り 、 浄 土 信 仰 と と も に 舎 利 信 仰 も み ら れ た 。 太 子 の 霊 威 を 信 奉 す る 慈 円 は 、 九 条 家 の 興 隆 し て い く 道 筋 を 基 底 に 据 え た ﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 草 案 を 当 寺 の 太 子 を 祀 る 聖 霊 院 で 練 っ て い る5 。 小 著 ﹃ 愚 管 抄 の 言 語 空 間 ﹄ 第 Ⅱ 部 ︶ で は 、 建 保 末 年 ︵ 一 二 一 七 ∼ 一 九 ︶ 頃 に 末 代 の 道 理 を 揚 言 す る た め に 慈 円 は 、 ﹃ 愚 管 抄 ﹄ 別 帖 を 結 構 し て 、 同 時 代 の 箇 所 に は ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 摂 取 し た と し た 。 ま た 慈 円 は ﹁ あ そ び 心 ﹂ を 充 溢 さ せ て 隠 棲 し て い る 西 山 に 人 材 を 呼 び 寄 せ て 慈 円 圏 を 組 織 し て ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 創 出 さ せ た 事 情 と を 論 じ 、 本 物 語 の 内 容 は 王 法 の 動 揺 か ら 平 穏 に な っ て い く 過 程 を 源 氏 勢 の 動 向 に 配 意 し た も の で あ る と し た 。 本 論 稿 で は 、 四 天 王 寺 の 空 間 と 西 山 の 空 間 と の 異 同 を も と に ﹃ 治 承 物 語 ﹄ の 性 格 の 一 側 面 を 窺 っ て い く 。

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︵ 一 ︶ 四 天 王 寺 と 西 山 の 空 間 と の つ な が り 九 条 家 の 立 子 が 入 内 す る こ と を 目 論 ん だ ﹁ 夢 記 ﹂ を 後 鳥 羽 院 を は じ め 廟 堂 の 貴 顕 に 呈 し 、 入 内 が か な い 符 合 し た の で ﹁ 夢 記 ﹂ を 書 き 継 い で ﹃ 慈 鎮 和 尚 夢 想 記 ﹄ を 西 山 で ま と め た の は 承 元 三 年 ︵ 一 二 〇 九 ︶ 六 月 で あ っ た 。 そ の 四 ヶ 月 後 に 、 九 条 家 の 瑞 兆 に 心 を 踊 ら せ て 慈 円 は 、 紫 の 雲 ま つ や と の 西 の 山 か か れ る 藤 の 色 そ う れ し き ︵ 三 四 〇 二 ︶ と 詠 ん だ 。 西 山 の 景 観 を 紫 雲 た な び く 浄 土 さ な が ら と 擬 え る 。 建 保 六 年 ︵ 一 二 一 八 ︶ 十 月 に 立 子 か ら 懐 成 親 王 が 生 誕 し 、 同 年 十 一 月 に は 当 親 王 は 立 坊 し た 。 翌 年 正 月 に 四 天 王 寺 で 、 す へ ら き の 千 歳 を ま つ の 春 の 宮 に あ ゐ よ り も こ く そ む 心 哉 ︵ 三 〇 二 七 ︶ と 詠 む の は 、 ﹃ 荒 陵 寺 御 手 印 縁 起 ﹄ の ﹁ 若 有 興 隆 輩 。 官 位 福 栄 。 自 以 相 続 。 子 孫 世 世 常 安 常 楽 。 悉 殖 勝 因 。 ﹂ の 言 辞 に 慈 円 は 目 を こ ら し 、 家 運 の 隆 盛 を 祈 請 す る た め に 承 元 元 年 ︵ 一 二 〇 七 ︶ よ り 篤 く 太 子 信 仰 を 懐 い て き て い る か ら で あ る 。 三 〇 二 七 番 歌 の ﹁ あ い ︵ 藍 ︶ よ り も こ く そ む ︵ 濃 く 染 む ︶ ﹂ と 三 四 〇 二 番 歌 の ﹁ 藤 の 色 ﹂ と 対 比 す る と き 、 ﹁ 藤 ﹂ 原 氏 の 正 系 で あ る 摂 関 家 の ﹁ 色 ﹂ が 十 年 後 の 現 今 で は ﹁ 藍 色 ﹂ に 染 ま っ て 耀 い て い る こ と に な り 、 慈 円 は 太 子 の 霊 威 を 報 謝 し た の で あ っ た 。 承 久 三 年 ︵ 一 二 一 二 ︶ 四 月 に 懐 成 親 王 は 即 位 、 道 家 が 摂 政 に 就 く 事 象 を 以 て ﹁ 道 理 必 然 ﹂ と す る 言 辞 を ﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 仲 恭 天 皇 紀 に 嵌 入 し て 、 霊 告 符 合 と み な し 、 末 代 の 道 理 と 揚 言 す る 。 三 〇 二 七 番 歌 は 太 子 の 霊 告 ど お り に 符 合 す る 時 運 が 目 睫 に せ ま っ て い る こ と に 心 を と き め か せ て い る 慈 円 の 歌 で あ る 。 西 山 で 詠 作 さ れ た 三 四 〇 二 番 歌 の 延 長 線 上 に あ り 、 ﹃ 愚 管 抄 ﹄ 別 帖 に 立 子 入 内 の 事 象 を 叙 述 し て ﹁ 春 日 大 明 神 モ 八 幡 大 菩 薩 モ カ ク 、 皇 子 誕 生 シ テ 世 モ ヲ サ マ リ 、 ⋮ ⋮ ﹂ 巻 六 ︱ ︱ 二 九 六 ペ ー ジ ︶ と 明 言 し な が ら 、 末 代 の 道 理 を 揚 言 し て い く 姿 勢 と 照 応 し て い る 。 慈 円 が 四 天 王 寺 の 聖 霊 院 で ﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 草 案 を 練 り 、 西 山 で 創 出 さ て い る ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を も 取 用 し な が ら ﹃ 愚 管 抄 ﹄ を 成 立 さ せ た6 。 と し た な ら ば 、 西 山 で の 三 四 〇 二 番 歌 と 四 天 王 寺 で の 三 〇 二 七 番 歌 を 配 意 し 、 西 山 と 四 天 王 寺 と 信 仰 上 で は 如 何 な る 関 係 に あ っ た か を 問 わ ね ば な ら な い で あ ろ う 。

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源 信 に 師 事 し た 天 台 僧 の 源 算 が 長 元 年 間 ︵ 一 〇 二 八 ∼ 三 七 ︶ に 西 山 の 小 塩 山 か ら 麓 の 大 原 野 に 連 な る 山 陵 に 善 峯 寺 を 建 立 し 、 北 側 の 隣 接 す る 空 間 ︵ 北 尾 ︶ に 庵 室 を 設 け て 隠 遁 し た 。 こ れ が 往 生 院 で あ り 、 比 叡 山 延 暦 寺 の 別 所 と な っ て い く 。 す な わ ち 十 一 世 紀 前 半 か ら 院 政 期 を 通 じ て 現 れ る 別 所 と は 、 特 定 寺 院 を 離 れ た 僧 の 隠 栖 ・ 自 力 精 進 の 場 所 で あ る7 。 別 所 の 本 寺 で あ る 善 峯 寺 か ら さ ら に 離 れ た と こ ろ に あ る 往 生 院 は 、 し た が っ て 本 寺 か ら 奥 ま っ た と こ ろ に 造 建 さ れ た 意 図 と 往 生 院 と の 名 称 か ら も ﹁ 別 所 の 別 所 ﹂ す な わ ち 行 に ひ た す ら 明 け 暮 れ る 聖 な る 空 間 で あ っ た 。 そ の た め 往 生 院 を 慈 円 は ﹁ 住 吉 百 首 ﹂ 跋 文 で ﹁ 建 久 三 年 涼 秋 九 月 占 空 閑 之 山 寺 、 披 清 浄 之 道 場 、 ﹂ と 評 し た の で あ っ た 。 西 山 に 別 所 が は じ め て ひ ら か れ た 事 情 は 、 ﹃ 拾 遺 往 生 伝 ﹄ 巻 上 ・ 十 六 ︶ の ﹁ 源 算 ﹂ 伝 に 、 ⋮ ⋮ 生 年 四 十 五 な り 。 初 め て 西 山 の 良 峰 に 入 り て 、 流 に 嗽 ぎ 石 を 枕 に し て 、 命 を 軽 ん じ 法 を 重 ん ず 。 而 る 間 一 夜 霹 靂 あ り て 、 一 山 震 動 せ り 。 樹 木 悉 く 倒 れ 、 鳥 獣 皆 死 に た り 。 翌 日 里 人 行 き て 見 れ ば 、 上 人 独 存 す 。 見 る 者 こ れ を 異 ぶ 。 上 人 道 場 を 建 て む と 欲 す れ ど も 、 厳 石 を り 難 し 。 夢 の 中 に 僧 等 あ り て 曰 く 、 上 人 嗟 く こ と な か れ 。 単 夫 を 与 ふ べ し 、 云 々 と い へ り 。 中 略 ︶ そ の 夜 野 猪 数 千 、 そ の 地 を 穿 鑿 し て 、 そ の 跡 思 ひ の ご と し 。 道 場 始 め て 建 ち ぬ 。 そ の 後 如 法 に 妙 法 を 書 し て 、 如 説 に 供 養 を 遂 ぐ 。 更 に 毎 年 に 九 月 朔 を も て 、 四 ヶ 日 法 花 講 会 を 修 す 。 ま た 上 人 年 来 持 せ し と こ ろ の 仏 舎 利 三 粒 、 図 ら ざ る の 外 に 、 一 粒 紛 失 せ り 。 上 人 常 に 嗟 く こ と 年 序 尚 し 。 而 る に 寛 治 五 年 九 月 一 日 、 八 講 会 に 相 当 り て 、 舎 利 を 供 養 せ む と 欲 す 。 年 来 失 せ し と こ ろ の 舎 利 一 粒 、 忽 ち に 円 座 の 上 に し て こ れ を 得 た り 。 上 人 歓 喜 し て 、 希 有 の 心 を 成 し 、 も て 多 宝 塔 に 安 じ て 、 十 種 の 供 養 を 致 す 。 と 記 さ れ て い る 。 二 重 施 線 と 圏 点 か ら 判 然 と す る よ う に 毎 年 九 月 、 ﹃ 法 華 経 ﹄ を 書 写 供 養 し て 埋 経 す る 如 法 経 の 仏 事 が 修 さ れ て い く 。 ま た 今 一 つ の 圏 点 に あ る よ う に ﹁ 九 月 ﹂ の 舎 利 紛 失 と 舎 利 の 探 し 当 て 事 象 は 太 子 信 仰 と 密 接 す る 舎 利 講 と ﹁ 十 種 供 養 ﹂ と も 関 連 し な が ら 、 恒 例 の パ フ ォ ー マ ン ス と し て 浸 透 し て い た こ と が 波 線 部 か ら 知 ら れ る 。 慈 円 在 世 時 に な る と 、 ﹃ 玉 葉 ﹄ 寿 永 元 年 ︵ 一

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一 八 二 ︶ ﹁ 九 月 ﹂ 十 四 日 条 に 、 寅 の 刻 出 京 、 辰 の 刻 西 山 の 草 庵 に 到 着 す 。 相 具 す る 所 の 男 共 、 皆 浄 衣 な り 。 余 人 の 車 を 用 ふ 。 又 鈍 色 の 小 直 衣 指 貫 等 を 着 く 。 こ れ 浄 衣 の 体 な り 。 中 略 ︶ 供 養 の 儀 を 始 む 。 十 種 の 供 具 下 官 調 へ 具 す る 所 な り 。 美 麗 に こ れ を 調 ふ 。 抑 件 の 経 、 三 箇 年 の 間 紙 麻 を 植 ゑ 、 観 性 法 橋 纖 法 を 行 ひ 、 法慈 円 印 願 立 を な し 、 書 寫 せ ら る る 所 な り 。 写 経 の 所 よ り 堂 場 に 至 る ︵ 別 堂 場 に 於 て 供 養 の 例 あ り ︶ 。 余 及 び 納 言 庭 に 降 り 地 に 居 り 。 加 陀 の 段 々 楽 あ り 、 例 の 如 し 。 盤 食 調 な り 。 そ の 音 物 に 合 ひ 、 興 味 極 ま り 無 し 。 事 了 り 納 言 帰 り 了 ん ぬ 。 そ の 後 如 法 仏 を 礼 し 奉 る ︵ 仏 眼 曼 荼 羅 な り ︶ 。 こ れ よ り 先 、 如 法 経 六 部 の 筒 の 上 、 木 筆 、 石 墨 を 以 て 銘 を 書 き 奉 る ︵ 大 神 宮 、 八 幡 、 賀 茂 、 春 日 、 日 吉 、 天 王 寺 ︶ 。 件 の 六 所 の 所 願 成 就 の 後 、 埋 め 奉 る べ き な り 。 次 に 手 づ か ら 自 ら 紙 麻 を 植 ゑ 奉 る 。 善 根 時 至 り 、 種 々 の 勝 因 を 植 ゑ た り 。 誠 に こ れ 一 世 二 世 の 宿 執 に あ ら ず 、 悦 ぶ べ く 尊 ぶ べ し 。 随 喜 の 涙 、 千 行 万 行 。 そ の 後 休 息 、 酉 の 刻 帰 京 、 戌 の 刻 家 に 至 る 。 と あ っ て 、 前 掲 し た ﹃ 拾 遺 往 生 伝 ﹄ の ﹁ 源 算 ﹂ 伝 の 二 重 施 線 で の ﹁ 如 法 の 妙 法 を 書 し て ﹂ と 摘 記 し て い た 写 経 の 模 様 を き わ め て 具 体 的 に 記 主 の 九 条 兼 実 は 捉 え て お り 、 西 山 の 往 生 院 の 院 主 二 世 の 観 性 が 懺 法 を 修 し 、 八 年 後 に 入 滅 す る 観 性 の あ と 三 世 院 主 を 引 き 継 ぐ 兼 実 の 弟 の 慈 円 が 願 立 し て 如 法 経 書 写 を 行 な っ て い る 。 ま ず 四 天 王 寺 等 で 銘 を 刻 み 、 西 山 で の 供 養 の 後 に ふ た た び 四 天 王 寺 等 へ 埋 経 し て い る 。 ﹃ 法 華 経 ﹄ を 書 写 供 養 し 、 こ れ を 埋 経 す る ﹁ 如 法 経 ﹂ の 仏 事 善 行 は 、 周 知 の よ う に 第 三 代 天 台 座 主 の 円 仁 が 比 叡 山 延 暦 寺 で 始 め た も の で あ っ た 。 四 天 王 寺 等 で 正 修 懺 法 を 修 し て 写 経 に 入 り 、 つ づ い て 花 ・ 香 ・ 瓔 珞 等 十 種 の 物 を 供 養 す る 儀 式 の ﹁ 十 種 供 養 ﹂ の 順 序 に 則 っ て い る 。 そ の こ と は す で に 一 部 掲 出 し た 慈 円 の ﹁ 住 吉 百 首 ﹂ 跋 文 に 、 建 久 三 年 涼 秋 九 月 占 空 閑 之 山 寺 、 披 清 浄 之 道 場 、 半 行 半 座 之 勤 如 説 修 之 。 無 二 無 三 之 教 如 法 書 之 。 則 捧 持 二 部 妙 典 、 遙 往 詣 四 天 王 寺 。 於 彼 霊 地 忽 経 再 宿 、 然 間 或 備 十 箇 種 之 供 養 、 或 唱 一 昼 夜 之 念 仏 。 翌 日 之 朝 庭 露 之 余 、 即 詣 上 宮 太 子 之 古 墳 。 深 凝 下 化 衆 生 之 懇 地 、 ⋮ ⋮ と あ っ て 、 ま ず 圏 点 を 付 し た と お り や は り ﹁ 九 月 ﹂ に 西

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山 で 書 写 し た 経 を 、 施 線 に あ る よ う に 四 天 王 寺 に 携 え て 赴 き 、 二 重 施 線 に あ る よ う に ﹁ 十 種 供 養 ﹂ を 修 し て い る 。 ち な み に 西 山 と 四 天 王 寺 と を の み 併 記 し て い る 管 見 に 入 っ た 最 古 の 例 は ﹃ 後 拾 遺 往 生 伝 ﹄︵ 巻 中 ・ 十 一 ︶ の ﹁ 永 暹 ﹂ 伝 の 、 沙 門 永 暹 ︵ 中 略 ︶ 専 好 修 行 。 往 反 諸 山 。 遂 住 留 善 峰 寺 天 王 寺 。 於 此 二 寺 。 両 度 書 如 法 経 。 時 人 呼 曰 如 法 経 聖 。 永 久 年 秋 八 月 上 旬 臥 病 。 中 略 ︶ 今 年 終 身 之 期 也 。 詣 聖 徳 太 子 之 廟 廷 可 終 焉 者 。 ⋮ ⋮ で あ る 。 当 時 の 人 々 は こ の 永 暹 を ﹁ 如 法 経 聖 ﹂ と 称 し て お り 、 死 期 を 覚 っ た 永 暹 は 聖 徳 太 子 廟 す な わ ち 四 天 王 寺 の 聖 霊 院 に 詣 っ て 往 生 し た の で あ っ た 。 と す れ ば 前 掲 し た ﹃ 拾 遺 往 生 伝 ﹄ の ﹁ 源 算 ﹂ 伝 に は ﹁ 九 月 一 日 、 八 講 会 に 相 当 り て ﹂ と い い 、 波 線 部 に ﹁ 舎 利 を 供 養 せ む と 欲 す 。 ⋮ ⋮ 十 種 の 供 養 を 致 す ﹂ と あ っ て 、 や は り ﹁ 九 月 ﹂ に 行 な わ れ て い る ﹁ 如 法 経 ﹂ で の ﹁ 十 種 供 養 ﹂ と 舎 利 信 仰 と が 関 連 し て い る こ と に な る は ず で あ る 。 そ の う え ﹃ 玉 葉 ﹄ 文 治 元 年 ︵ 一 一 八 五 ︶ ﹁ 九 月 ﹂ 二 十 四 日 条 に は 、 天 王 寺 の 舎 利 三 粒 な が ら 紛 失 し 了 ん ぬ 。 去 る 四 日 の 事 と 云 々 。 悲 し む べ し 悲 し む べ し 。 去 々 年 こ の 事 あ り 。 両 三 日 を 経 て 長 押 の 上 よ り こ れ を 求 め 出 す 。 今 度 早 々 出 で 来 給 は ず と 云 々 。 仏 法 の 滅 す る 相 な り 。 と や は り 同 じ よ う に 一 昨 年 に も 舎 利 の 紛 失 が あ り 、 二 ・ 三 日 が 経 過 し て 舎 利 を 探 し 当 て た と の 前 例 を も と に 、 こ の 度 は 舎 利 紛 失 で は 施 線 で ﹁ 早 々 ⋮ ⋮ ﹂ に は 探 し き れ な い と 兼 実 は し た た め た 。 こ の 度 の 舎 利 は 結 局 ど う な っ た か は 不 詳 で は あ る が 、 施 線 の 末 尾 の ﹁ ⋮ ⋮ 云 々 ﹂ の 筆 致 と 四 天 王 寺 の ﹃ 縁 起 ﹄ の ﹁ 相 加 佛 舎 利 六 粒 ︵ 中 略 ︶ 佛 法 将 滅 ﹂ の 教 え と 兼 実 の 同 日 の 条 の ﹁ 仏 法 の 滅 す る 相 な り ﹂ と は 照 応 し て い る の で 、 遅 れ ば せ な が ら 舎 利 は 探 し 出 せ た と の 意 を 含 ん で い よ う 。 ﹃ 縁 起 ﹄ の な か で 仏 法 が 危 殆 に 瀕 す れ ば 王 法 も 同 じ よ う に 危 急 に 遭 遇 す る と の 仏 法 王 法 相 依 の 理 か ら 四 天 王 寺 が 、 各 階 層 の 人 々 に 向 け て 当 寺 へ の 信 仰 心 を あ お る た め の 便 法 に し て い た と も い え よ う 。 仏 法 王 法 相 依 の 理 を 弁 え て い る 王 法 の 中 核 に い る 貴 顕 の 兼 実 の 日 録 に 二 重 施 線 に あ る ﹁ 仏 法 の 滅 す る 相 な り ﹂ と の 言 説 も 四 天 王 寺 信 仰 か ら の 文 治 元 年 ﹁ 九 月 ﹂ の 仏 事 の パ フ ォ ー マ ン ス で あ っ た と 思 わ れ る 。 こ の 仏 事 の 始 発 が 前 掲 し た ﹃ 拾 遺 往 生 伝 ﹄ の ﹁ 源 算 ﹂ 伝 の ﹁ 九 月 ﹂

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の 出 来 事 と し て 波 線 部 ﹁ 舎 利 を 供 養 せ む と 欲 す 。 年 来 失 せ し と こ ろ の 舎 利 一 粒 ﹂ が あ り 、 こ れ に 倣 っ て 四 天 王 寺 の ﹁ 九 月 ﹂ の 舎 利 講 で 発 し た 兼 実 の が 二 重 施 線 の 言 説 で あ ろ う 。 要 す る に 仏 事 と し て こ の 言 説 は 仕 組 ま れ て い た 。 貴 顕 の 兼 実 も そ の 事 を 弁 え て い た の で ﹃ 縁 起 ﹄ の な か に あ る ﹁ 佛 法 将 滅 ﹂ を も と に ﹁ 仏 法 の 滅 す る 相 な り ﹂ を ﹃ 玉 葉 ﹄ に 記 載 し た と 推 測 で き る 。 兼 実 の 言 説 が パ フ ォ ー マ ン ス と み な す 理 由 を 次 に 四 天 王 寺 の 浄 土 信 仰 か ら 押 さ え る こ と に し よ う 。 ﹃ 縁 起 ﹄ の ﹁ 釈 迦 如 来 ノ 転 法 輪 ノ 所 ﹂ と す る 教 え か ら 、 仏 の 舎 利 を 拝 礼 す る 信 仰 は 、 四 天 王 寺 の 開 祖 の 聖 徳 太 子 を 讃 え る 太 子 信 仰 、 ﹃ 縁 起 ﹄ の な か に ﹁ 宝 塔 ・ 金 堂 ハ 極 楽 土 ノ 東 門 ニ 相 当 ス ル ﹂ と あ り 、 当 寺 の 宝 塔 ・ 金 堂 が ﹁ 極 楽 土 ﹂ の 東 門 の 中 心 に 相 当 す る と の 教 え か ら 、 四 天 王 寺 に 浄 土 信 仰 が 胚 胎 し 、 や が て 平 安 時 代 後 期 に は 阿 弥 陀 仏 の 脇 士 で あ る 観 音 菩 薩 の 垂 迹 だ っ た 太 子 は 、 人 々 を 浄 土 に 導 く と い う 使 命 を 負 う こ と に な っ て い た 事 情 が 反 映 し て い る8 。 そ し て 浄 土 信 仰 が 濃 密 に 浸 透 し て い く 。 と こ ろ が ﹃ 愚 管 抄 ﹄ で 慈 円 が ﹁ 山 ノ 大 衆 ヲ コ リ テ 、 空 ア ミ ダ 佛 ガ 念 佛 ヲ イ チ ラ サ ン ト テ 、 ニ ゲ マ ド ハ セ ナ ド ス メ リ 。 ﹂ ︵ 巻 六 ︱ ︱ 二 九 五 ペ ー ジ ︶ と 指 弾 し て い る 専 修 念 仏 徒 の 空 阿 弥 陀 仏 が ﹁ 四 天 王 寺 の 西 門 内 外 の 念 仏 を 、 こ の ひ じ り 奏 聞 を へ て は じ め て お き 給 へ り 。 ﹂ ﹃ 法 然 上 人 行 状 絵 図 ﹄ 第 四 八 ︶ と あ る よ う な 事 態 に 陥 り 、 元 仁 元 年 ︵ 一 二 二 四 ︶ 、 慈 円 は 四 天 王 寺 の 西 門 に あ る 太 子 を 祀 る 聖 霊 院 の 絵 堂 に ﹁ 九 品 往 生 の 間 ﹂ を 新 設 し て 九 品 往 生 図 を 画 か せ て 、 ﹃ 往 生 要 集 ﹄ を 下 敷 き に し た ﹁ 九 品 蓮 台 ﹂ の 有 様 か ら 源 信 以 来 の 観 想 念 仏 を 主 と す る 信 仰 を 鼓 吹 す る9 。 他 方 、 源 信 の 弟 子 で あ る 源 算 が ひ ら い た 西 山 を 拠 点 に し て 西 山 義 を 説 い た 證 空 は 、 源 空 の 門 弟 で あ る わ け で あ る が 専 修 念 仏 批 判 の 時 勢 の も と で 天 台 本 覚 の 一 念 往 生 の 思 想 を 展 開 す る と と も に10 、 證 空 自 身 も そ の 聖 霊 院 で 念 仏 を 修 し た の で あ っ た11 。 證 空 は 小 著 ﹃ 愚 管 抄 の 言 語 空 間 ﹄ ﹁ 第 十 章   證 空 と 法 性 寺 の 空 間 ﹂ ︶ で 言 及 し た よ う に 慈 円 圏 に 参 画 し て い た か ら で あ る 。 当 時 、 そ の う え 浄 土 に 往 生 し た い と の 願 望 か ら 白 布 で 目 を 隠 し て 西 門 か ら 鳥 居 を く ぐ る ﹁ 浄 土 参 り ﹂ が 行 な わ れ て お り 、 こ の 擬 死 体 験 す る パ フ ォ ー マ ン ス を 慈 円 が ﹁ わ か 寺 の 浄 土 ま い り の あ そ ひ こ そ あ さ き 物 か ら ま こ と な り け れ ﹂ 三 〇 〇 〇 ︶ と 詠 じ 、 ﹁ あ さ き 物 ﹂ す な わ ち ﹁ 俗 っ ぽ く 浅 い ﹂ か も し れ な い が 往 生 へ の 道 に

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通 じ て い る と 四 天 王 寺 別 当 と し て の 立 場 か ら 表 明 し て い た12 。 こ の こ と か ら も 前 掲 し た ﹃ 玉 葉 ﹄ 文 治 元 年 九 月 二 十 四 日 条 の 二 重 施 線 の 兼 実 の ﹁ 仏 法 を 滅 す る 相 な り 。 ﹂ の 言 説 は 舎 利 講 の 仏 事 に 仕 組 ま れ て い る ア ン チ テ ー ゼ で あ っ た 。 同 時 に 浄 土 信 仰 が 類 同 し て い る の で 、 四 天 王 寺 の ﹃ 縁 起 ﹄ か ら 胚 胎 し て い る 舎 利 信 仰 は 西 山 へ 波 及 し て い っ た 。 別 所 の 西 山 と 四 天 王 寺 と が 相 互 に 交 流 し て い る こ と に な る は ず で あ る 。 ︵ 二 ︶ 此 岸 の 四 天 王 寺 と 彼 岸 の 西 山 の 往 生 院 文 治 四 年 ︵ 一 一 八 八 ︶ ﹁ 九 月 ﹂ の ﹁ 十 種 供 養 ﹂ 仏 事 善 行 を さ ら に み て い こ う 。 ﹃ 玉 葉 ﹄ 同 月 十 一 日 条 に 、 こ の 日 院 の 如 法 経 筆 立 と 云 々 。 法 性 寺 座慈 円 主 俄 に 書 き 手 に 召 し 入 れ ら る 。 早 筆 に 依 り て な り と 云 々 。 観 性 法 橋 又 同 前 。 と あ り 、 後 白 河 院 に よ る ﹃ 法 華 経 ﹄ の ﹁ 筆 立 ﹂ が あ り 、 ﹁ 草 卒 露 胆 百 首 ﹂ 同 年 十 二 月 ︶ を 速 詠 す る ほ ど で あ っ た か ら 、 圏 点 の と お り ﹁ 早 筆 ﹂ と 思 わ れ て お り 、 慈 円 は 院 に 呼 び 出 さ れ た 。 ﹃ 法 華 経 ﹄ を 書 写 し 終 え た ﹃ 玉 葉 ﹄ 同 月 十 五 日 条 に は 、 こ の 日 如 法 経 十 種 供 養 の 結 縁 の た め 天 王 寺 に 下 向 す 。 ︵ 中 略 ︶ 院 御 乗 船 、 そ の 後 二 時 を 経 て 、 御 経 の 船 到 来 す 。 草 津 に 於 て 船 に 乗 せ 奉 る と 云 々 。 法慈 円 印 相 具 せ ら る 。 中 略 ︶ 申 の 終 り 、 観 性 法 橋 楽 人 を 相 具 し て 参 り 来 た る 。 と あ り 、 慈 円 は 観 性 と 一 緒 に 四 天 王 寺 へ 赴 い た 。 ﹃ 玉 葉 ﹄ の 翌 十 六 日 条 で は 、 こ の 日 四 天 王 寺 に 於 て 、 如 法 経 十 種 供 養 の 事 あ り 。 法 皇 随 喜 の 叡 念 を 動 か し 、 万 乗 の 駕 を 動 か す 。 中 略 ︶ 一 乗 の 善 縁 を 結 ぶ も の な り 。 昨 日 天 陰 り 雨 降 る 。 午 後 ︵ 雨 脚 止 む と 雖 も 、 雲 漢 猶 掩 ひ 風 気 疑 ひ あ り 。 而 る に 夜 よ り 天 快 晴 、 終 日 雨 脚 降 ら ず 、 誠 に こ れ 上 宮 太 子 四 大 天 王 、 同 心 合 力 、 退 魔 守 善 の 致 す 所 な り 。 余 払 暁 参 会 、 先 に 当 り 要 門 内 に 於 て 、 亀 井 の 水 を 覧 来 た る 例 の 如 し ︶ 。 と あ る の で 、 前 掲 し た ﹃ 拾 遺 往 生 伝 ﹄ の ﹁ 源 算 ﹂ 伝 に あ る ﹁ 四 ヶ 日 法 花 講 会 を 修 ﹂ を 踏 襲 し て い る 仏 事 善 行 に 参 列 し て 後 白 河 院 等 と と も に 兼 実 は 法 悦 に し た っ て い る 。 当 日 、 好 天 に 恵 ま れ た の は 聖 徳 太 子 と 四 天 王 と の 利 生 と

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い い 、 施 線 の ﹁ 退 魔 守 善 ﹂ よ う な 言 辞 も ﹃ 縁 起 ﹄ の ﹁ 断 悪 修 善 ﹂ の 教 え に 基 づ く 四 天 王 寺 の 空 間 か ら 醸 し 出 さ れ る 信 仰 心 の 発 露 で あ ろ う 。 前 掲 し た ﹃ 玉 葉 ﹄ 文 治 元 年 九 月 二 十 四 日 条 の 二 重 施 線 ﹁ 仏 法 の 滅 す る 相 な り ﹂ の 言 説 は 、 ﹃ 縁 起 ﹄ の ﹁ 佛 法 将 滅 ﹂ と 同 一 の 太 子 信 仰 を め ぐ る 兼 実 の 思 惟 が あ ら わ れ た と も い え よ う 。 建 久 六 年 ︵ 一 一 八 五 ︶ 五 月 二 十 日 に 頼 朝 は 四 天 王 寺 参 詣 を 思 い 立 っ て 太 子 の 聖 霊 に 蒔 絵 を 施 し た 銀 製 の 剣 を 奉 納 し 、 寺 内 の 奉 納 さ れ た 五 智 光 院 に は 鎌 倉 将 軍 代 々 の 霊 牌 が 安 置 さ れ る こ と に な っ た 。 こ の 五 智 光 院 は や が て 御 霊 屋 と 称 さ れ る13 。 仏 法 王 法 相 依 の 理 に 則 っ て い る ﹃ 縁 起 ﹄ を 信 奉 し て い る 四 天 王 寺 別 当 の 慈 円 は 、 法 の あ た を 跡 ま て は ら ふ 寺 に き て 雨 に も り や を み ぬ よ し も か な ︵ 二 九 六 五 ︶ と 、 逆 臣 が 現 れ て 寺 塔 が 荒 廃 す る の は 守 屋 の 変 化 の 仕 業 で あ る と い い 、 寺 塔 滅 亡 す れ ば 国 家 も 壊 滅 す る と の ﹃ 縁 起 ﹄ の 教 え か ら 、 仏 敵 の 物 部 守 屋 に 雨 漏 る 屋 を か け て 、 抱 負 と し て 寺 塔 整 備 拡 充 を 詠 じ る14 。 ほ ど な く ﹃ 愚 管 抄 ﹄ を 結 構 し て ﹁ 頼 朝 ハ 鎌 倉 ヲ 打 出 ケ ル ヨ リ 、 片 時 モ ト リ 弓 セ サ セ ズ 、 弓 ヲ 身 ニ ハ ナ ツ 事 ナ カ リ ケ レ バ 、 郎 従 ド モ ヽ ナ ノ メ ナ ラ ズ ヲ ヂ ア イ ケ リ 。 ﹂ 巻 五 ︱ ︱ 二 七 一 ペ ー ジ ︶ と あ る よ う な 勇 壮 な 武 将 振 り を 押 し 出 す の も 、 四 天 王 寺 に は 幕 府 将 軍 の 霊 牌 が 安 置 さ れ て い る こ と に も 起 因 し て 慈 円 は 、 兼 実 と 同 様 に 太 子 信 仰 か ら 叙 述 し て い よ う 。 ﹃ 縁 起 ﹄ に は ﹁ 施 薬 院 ﹂ を 造 営 し ﹁ 普 以 施 與 ﹂ し 、 ﹁ 療 病 院 ﹂ で は ﹁ 令 寄 宿 一 切 男 女 无 縁 病 者 。 日 々 養 育 。 ﹂ を す す め て お り 、 そ の た め ﹁ 天 王 寺 の 西 門 に 、 病 者 か ず も し ら ず な や み ふ せ る を 、 ⋮ ⋮ ﹂ ﹃ 法 然 上 人 行 状 絵 図 ﹄ 第 一 六 ︶ と あ る よ う な 情 況 を 呈 し て 、 王 法 の 秩 序 か ら 離 脱 し て い る 人 々 も 蝟 集 し て く る の で 、 ﹃ 愚 管 抄 ﹄ に も 記 載 し て い る ﹁ 魔 縁 ﹂ 巻 四 ︱ ︱ 一 九 八 ペ ー ジ ︶ ・ ﹁ 邪 魔 ﹂ ︵ 巻 七 ︱ ︱ 三 四 三 ペ ー ジ ︶ ・ ﹁ 悪 魔 ﹂ 巻 七 ︱ ︱ 三 四 六 ペ ー ジ ︶ 等 が お の ず と 当 寺 の 境 内 に 侵 入 し て 跳 梁 し て い た 。 よ っ て 前 掲 し た 四 天 王 寺 に 参 詣 し た 兼 実 の 日 録 に ﹁ 退 魔 守 善 の 致 す 所 な り ﹂ と し た た め て い た わ け で あ る 。 俗 世 の 悪 風 が そ の ま ま 瀰 漫 し て い る の で あ る 。 こ れ は ﹃ 愚 管 抄 ﹄ 別 帖 で 保 元 の 乱 で 敗 残 し て 怨 霊 と な っ て い る 知 足 院 忠 実 を も と に 、 付 録 で は 、 知 足 院 殿 ヲ モ 申 ウ ケ テ 、 法 性 寺 殿 ノ 御 サ タ ニ ハ 、 宇 治 ノ 常 樂 院 ニ ス ヱ 申 テ 、 イ マ ス コ シ 庄 ド モ ヽ マ イ ラ

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セ テ 、 ヲ ナ ジ ク ア ソ ビ シ テ 管 絃 モ テ ナ シ テ ヲ ハ シ マ サ シ カ バ 、 カ ウ ホ ド ノ 事 ハ ア ル マ ジ キ 也 。 中 略 ︶ 人 間 界 ニ ハ 怨 憎 会 苦 、 カ ナ ラ ズ ハ タ ス ト コ ロ ナ リ 。 タ ヾ 口 ニ テ 一 言 、 ワ レ ニ マ サ リ タ ル 人 ヲ 過 分 ニ 放 言 シ ツ レ バ 、 當 座 ニ ム ズ ト ツ キ コ ロ シ テ 命 ヲ ウ シ ナ ハ ル ヽ ナ リ 。 怨 霊 ト 云 ハ 、 セ ン ハ タ ヾ 現 世 ナ ガ ラ フ カ ク 意 趣 ヲ ム ス ビ テ カ タ キ ニ ト リ テ 、 小 家 ヨ リ 天 下 ニ モ ヲ ヨ ビ テ 、 ソ ノ カ タ キ ヲ ホ リ マ ロ バ カ サ ン ト シ テ 、 讒 言 ソ ラ 事 ヲ ツ ク リ イ ダ ス ニ テ 、 世 ノ ミ ダ レ 又 人 ノ 損 ズ ル 事 ハ タ ヾ ヲ ナ ジ 事 ナ リ 。 顕 ニ ソ ム ク イ ヲ ハ サ セ ネ バ 冥 ニ ナ ル バ カ リ イ ナ リ 。 聖 徳 太 子 ノ 十 七 条 ノ 中 ニ 、 ︵ 巻 七 ︱ ︱ 三 三 九 ペ ー ジ ︶ と し た あ と 、 太 子 の 十 七 条 憲 法 に 沿 っ て 時 務 策 を 開 陳 し 、 ﹁ 遮 悪 持 善 ト イ フ 道 理 ﹂ 巻 七 ︱ ︱ 三 二 七 ペ ー ジ ︶ を 揚 言 す る 弟 の 慈 円 の 姿 勢 と 軌 を 一 に し て い よ う 。 右 文 は 冥 顕 二 法 の 道 理 か ら 批 評 し て い る 。 そ の う え 看 過 で き な い の は 右 文 の 施 線 部 分 で あ る 。 ﹃ 縁 起 ﹄ に は ﹁ 須 多 施 入 封 戸 田 園 ﹂ ・ ﹁ 資 財 田 地 、 併 以 委 護 世 四 王 ﹂ と あ っ て 支 配 層 か ら も 伽 藍 を 維 持 し て い く た め 財 源 を 確 保 す る べ き 教 え が 説 か れ て お り 、 当 該 箇 所 は 道 理 を 説 諭 す る 姿 勢 が 顕 著 で あ る か ら 四 天 王 寺 別 当 と し て の 職 責 の 真 骨 頂 も 同 時 に 露 呈 し て い よ う 。 四 天 王 寺 の 空 間 は ﹁ 俗 ﹂ の 要 素 を も 巻 き 込 ん で い た 。 ﹃ 治 承 物 語 ﹄ が 創 出 し た 西 山 の 空 間 を 次 に み て い こ う 。 ま ず 筑 土 鈴 寛 の 言 説 を 引 用 し て み よ う 。 ﹁ 新 古 今 集 と 平 家 物 語 ﹂ の 論 説 で 、 閑 居 友 は 承 久 四 年 に 書 か れ て ゐ る が 、 こ れ は 永 く 慈 圓 の 作 と 信 ぜ ら れ て ゐ た 理 由 は よ く わ か ら な い 。 西 山 の 草 庵 で 記 し た と い ふ こ と で 、 こ ゝ が 、 慈 圓 の 最 も 好 ん だ 隠 栖 の 地 で あ る ゆ ゑ に さ う 傳 へ た の か 、 ⋮ ⋮15 と 筑 土 は い ぶ か し む 。 ﹃ 閑 居 友 ﹄ の 作 者 は 慶 政 ︵ 一 一 八 九 ∼ 一 二 六 九 ︶ で あ る こ と は 定 説 に な っ て い る わ け で あ る が 、 書 誌 的 解 説 を 加 え て い る ﹃ 本 朝 書 籍 目 録 ﹄ 一 二 三 四 ∼ 九 四 年 頃 成 立 ︶ に は 作 者 を 慈 円 と 注 記 さ れ 、 江 戸 時 代 で も 慈 円 ・ 慶 政 ・ 無 名 の 仏 教 者 の 三 説 が 通 行 し て い る 。 そ こ で 筑 土 は ﹃ 閑 居 友 ﹄ の 跋 文 に あ た る 最 末 尾 に 、 そ の 時 は 、 承 久 四 年 の 春 、 弥 生 の 中 の 頃 、 西 山 の 峯 の 方 丈 の 草 の 庵 に て 、 記 し 終 り ぬ る 。 と 慶 政 が 記 載 し た 箇 所 を も と に 疑 義 を た だ す の で あ ろ う

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が 、 ﹃ 沙 石 集 ﹄ 巻 十 本 ・ 八 ︶ で は 、 松 尾 の 証 月 房 上 人 は 、 中 略 ︶ た だ 一 人 、 松 尾 の 奥 に 、 人 に も 知 ら れ せ ず し て 、 七 日 の 時 料 を 用 意 し て 、 仮 り に 庵 を 結 び て 、 修 行 せ ら れ け り 。 と あ っ て 、 現 在 の 松 尾 大 社 か ら 苔 寺 一 帯 の 区 域 で 西 京 区 御 陵 峰 ヶ 堂 あ た り に 慶 政 は ひ と り で 隠 棲 し た の で あ っ た 。 一 方 、 ﹃ 治 承 物 語 ﹄ が 創 出 し た 西 山 は ﹃ 山 槐 記 ﹄ 治 承 三 年 ︵ 一 一 七 九 ︶ 四 月 二 十 七 日 条 の ﹁ 向 善 峰 別 所 、 ︿ 西 山 當 大 野 原 西 南 、 去 彼 社 、 二 許 里 、 山 半 樹 見 所 也 、 ﹀ ﹂ と み え る 西 京 区 大 野 原 の 善 峯 寺 ・ 三 鈷 寺 な ど に 連 な る 小 塩 山 の 麓 の 大 原 野 社 あ た り に 近 い 人 を 迎 え 入 れ る 区 域 で あ る 。 京 都 盆 地 の 西 を く ぎ る 山 並 み を ﹁ 西 山 ﹂ と す る わ け で あ る が 、 ﹃ 徒 然 草 ﹄ 第 二 十 四 段 に ﹁ す べ て 、 神 の 社 こ そ 、 す ご く な ま め か し き 物 な れ や 。 中 略 ︶ 伊 勢 、 賀 茂 、 春 日 、 平 野 、 住 吉 、 三 輪 、 貴 布 、 吉 田 、 大 原 野 、 松 尾 、 梅 宮 。 ﹂ と あ る よ う に 施 線 の ﹁ 大 野 原 社 ﹂ と 二 重 施 線 の ﹁ 松 尾 社 ﹂ と を 別 け て 綴 っ て い る よ う に 、 具 体 的 に は 異 な る 空 間 で あ る 。 筑 土 は ﹁ 松 尾 ﹂ す な わ ち ﹃ 閑 居 友 ﹄ の 跋 文 の ﹁ 西 山 の 峯 ﹂ と 、 ﹁ 大 野 原 西 南 ﹂ の ﹃ 治 承 物 語 ﹄ が 創 出 さ れ た ﹁ 西 山 ﹂ と を 混 同 し た の で あ っ た 。 慶 政 が 著 し た ﹃ 法 華 山 寺 縁 起 ﹄ ︵ 九 条 家 本 ︶ か ら 慶 政 の 隠 棲 し た 空 間 を み る と 、 先 年 始 平 地 之 時 、 夢 有 一 禅 僧 即 是 自 身 也 、 相 此 地 云 、 此 地 名 自 然 往 生 地 、 行 者 必 当 向 西 方 、 此 西 峯 名 本 尊 峯 、 含 甘 露 而 未 吐 之 峯 也 、 立 塔 之 地 其 形 如 金 剛 盤 云 々 、 石 像 観 音 ・ 勢 至 不 経 幾 日 奉 破 出 了 、 若 是 自 然 往 生 瑞 欤 、 夫 倩 以 西 方 遙 晴 、 表 聖 衆 来 迎 之 無 障 、 東 都 在 眼 、 似 済 度 利 生 之 有 便 、 左 右 有 深 谷 、 智 行 相 並 、 可 顕 仏 法 威 徳 之 貌 也 、 左 谷 貌 行 、 右 □ ハ 貌 智 耳 、 此 山 行 谷 尤 深 、 故 行 者 可 蒙 徳 哉 、 弟 子 始 挙 登 此 地 之 時 、 但 以 上 人 墳 墓 為 樹 下 之 主 、 以 繊 芥 盤 路 為 山 上 之 道 、 即 構 方 丈 草 庵 、 修 法 花 ・ 弥 陀 法 、 受 処 雲 霧 覆 頂 、 独 澄 神 寂 思 矣 、 静 以 飲 此 山 水 、 焼 此 山 柴 、 既 以 十 有 余 年 、 調 息 於 此 峯 、 結 印 於 此 峯 、 中 略 ︶ 此 寺 縁 起 大 慨 如 斯 、             丁 亥 歳 八 月 十 一 日   砂 門 福 聚 金 剛 と あ る の で 、 施 線 か ら 険 阻 な 山 谷 で あ っ た こ と が わ か る 。 筆 者 が 実 際 に 登 攀 し た 体 験 か ら も 、 人 は 仮 初 め に は 入 り 込 め な い 空 間 で あ っ て 二 重 施 線 に あ る よ う に ﹁ 行 者 ﹂ の み が 鍛 錬 す る 空 間 で あ る と の 思 い を 強 く 懐 い た 次 第 で あ

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る 。 愛 宕 山 か ら 天 王 山 に 至 る 京 都 盆 地 の 一 角 で あ る 以 上 、 波 線 部 で 水 平 方 向 に そ び え て い る 東 山 か ら 出 る 日 の 輝 き は 、 眼 下 に 広 が る 此 岸 の 京 洛 に 照 り 返 し て 、 阿 弥 陀 仏 が 美 し い 輪 を 負 っ て ﹁ 極 楽 土 ﹂ か ら 迎 え に く る 聖 衆 来 迎 に 支 障 は な い と 慶 政 は し た た め て い る 。 地 形 と 方 位 か ら 慈 円 が 隠 棲 し た 西 山 の 空 間 と は 、 こ の 点 で は 同 一 で あ る 。 が 、 前 掲 し た ﹃ 山 槐 記 ﹄ 治 承 三 年 ︵ 一 一 七 九 ︶ 四 月 二 十 七 日 条 を 子 細 に 窺 う と 、 廿 七 日 乙 卯 天 晴 、 寅 尅 ︿ 不 秉 燭 日 未 出 ﹀ 、 向 善 峰 別 所 、 ︿ 西 山 當 大 野 原 西 南 、 去 彼 社 、 二 許 里 、 山 半 樹 見 所 也 、 ﹀ 女 房 為 求 終 焉 地 所 向 也 、 女 房 二 人 、 共 人 十 人 許 相 具 、 侍 従 忠 季 在 共 、 予 女 房 出 京 用 車 、 中 略 ︶ 干 山 中 乗 輿 、 経 善 峯 本 堂 前 、 至 干 件 堂 、 住 侶 云 、 號 善 □ 導 千 手 十 一 面 也 、 本 願 聖 人 往 生 人 也 、 後 朱 雀 御 時 也 、 と あ っ て 、 記 主 の 忠 親 は 夫 人 と 同 伴 で 本 堂 に 到 着 し た 。 僧 か ら 後 朱 雀 天 皇 の 世 に 十 一 面 観 音 像 が 祀 ら れ る こ と に な っ た 縁 起 を 聞 き 、 次 に は 、 至 干 五 六 町 有 一 草 庵 、 故 美 作 前 司 顕 能 女 房 遁 世 此 所 、 齢 七 十 有 餘 之 人 也 、 着 此 房 、 干 時 辰 終 尅 、 女 房 聊 □ 法 橋 観 性 ︿ 顕 能 子 、 母 故 為 隆 喞 女 、 ﹀ 被 養 育 彼 尼 公 、 件 法 橋観 性 遁 世 住 此 山 、 随 又 尼 公 □ 法 橋 房 去 此 庵 室 、 五 六 町 在 西 北 山 上 、 號 往 生 院 、 出 発 し て か ら 五 時 間 後 の 午 前 九 時 に は 観 性 の い る 往 生 院 へ 至 っ て い る 。 そ し て 、 其 後 岸 下 有 三 間 庵 室 、 故 信 乃 入 道 ︿ 少 納 言 入 道 信 西 子 ﹀ 、 入 滅 所 也 、 臨 終 正 念 云 々 、 と あ っ て 、 出 家 し て ﹁ 信 乃 入 道 ﹂ と 呼 ば れ 、 往 生 院 で 臨 終 正 念 し た 信 西 の 子 ・ 是 憲 の 庵 室 を も 巡 拝 し て い た 。 ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 創 出 さ せ た 西 山 の 方 は 柔 和 な 幽 邃 境 で あ る 。 筑 土 鈴 寛 の 西 山 の 空 間 の 捉 え 方 は 、 性 急 で 自 己 の 思 弁 を 優 先 さ せ た 誤 を 含 ん で い る と い え よ う 。 ﹃ 治 承 物 語 ﹄ の 創 出 と そ の 再 編 に 参 画 し た 證 空 の 門 弟 の 念 仏 聖 で あ る 宇 都 宮 入 道 蓮 生 の 往 生 を め ぐ っ て は 、 西 山 に 草 庵 を し め 、 一 向 専 念 の ほ か 他 事 な か り き 。 ︵ 中 略 ︶ 三 尺 ば か り の 弥 陀 の 立 像 、 虚 空 に 影 向 し た ま ふ 。 中 略 ︶ 仏 や う や く ち か づ き た ま ひ 、 光 明 赫 奕 と し て 、 白 玉 の か ざ り ま こ と に 妙 な り 。 中 略 ︶ 瑞 相 あ ら は れ て 、 往 生 の 素 懐 を と げ ゝ る と な む 。

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︵ ﹃ 法 然 上 人 行 状 絵 図 ﹄ 第 二 六 ︶ と あ る 。 こ の 往 生 譚 か ら も 往 生 院 を ﹁ 住 吉 百 首 ﹂ 跋 文 で ﹁ 清 浄 之 道 場 ﹂ と 慈 円 は 評 し 、 ﹁ 紫 の 雲 ま つ や と の に し 山 か か れ る ⋮ ⋮ ﹂ 三 四 〇 二 ︶ の 歌 を 詠 作 す る 必 然 が 首 肯 さ れ る で あ ろ う 。 菩 提 心 を 持 っ て 聖 衆 来 迎 を あ ず か る た め の 往 生 の 作 法 を 説 く ﹃ 観 無 量 寿 経 ﹄ を 読 誦 し て い る 念 仏 聖 は 、 同 経 ﹁ 得 益 分 ﹂ に 説 か れ て い る 極 楽 の 後 代 無 辺 の 有 様 を 見 て ﹁ 皆 当 往 生 、 得 諸 仏 現 前 三 昧 。 ﹂ と の 教 え に か ら れ 、 朝 ぼ ら け の 頃 に 陽 光 が き ら き ら と さ し 上 り は じ め る と 我 が 身 が 浮 揚 し た よ う に な っ て 、 箱 庭 の よ う な 京 洛 を 見 晴 る か し 、 今 た た ず む 往 生 院 は ﹁ 極 楽 土 ﹂ と の 想 念 に か ら れ る に 相 違 あ る ま い 。 正 面 に そ び え る 東 山 の 稜 線 よ り の 陽 光 に 照 ら し 出 さ れ 、 聖 衆 来 臨 の 様 相 を 呈 す る 地 勢 に な っ て い る 。 往 生 院 で は 、 巧 ま ず し て 真 に 迫 る 迎 講 が 体 感 で き て 法 悦 に ひ た れ る わ け で あ る 。 平 地 の 海 岸 沿 い に 造 営 さ れ て い る 四 天 王 寺 は 、 海 原 に 沈 む 夕 陽 の 光 景 か ら 浄 土 信 仰 を か き た て る 聖 地 で 、 ﹃ 縁 起 ﹄ の 教 え か ら 西 門 が ﹁ 相 當 当 極 楽 土 東 門 中 心 ﹂ で あ る か ら 西 門 の 外 の 海 に 入 水 往 生 を 遂 げ る 程 で あ っ た 。 が 、 あ く ま で も ﹁ 極 楽 土 ﹂ へ の 門 で あ り 、 俗 世 の 波 に 洗 わ れ て い る の で ﹁ 此 岸 ﹂ で あ っ た 。 そ れ に 対 し て 西 山 は 別 所 す な わ ち 念 仏 聖 が 行 を す る 空 間 で あ り 、 前 掲 し た 忠 親 の 日 録 か ら も 在 家 俗 人 も 仏 事 に 参 加 し 、 こ こ で 容 易 に 終 焉 で き た の で あ る16 。 衆 生 の ﹁ 煩 悩 濁 ﹂ す な わ ち 欲 望 ・ 怒 り ・ 無 明 等 の 煩 悩 は 清 ら か な 水 に 月 が う つ る よ う に 解 脱 す る ﹁ 極 楽 土 ﹂ の 様 相 を 讃 歎 す る ﹃ 阿 弥 陀 経 ﹄ の ﹁ 正 宗 分 ﹂ で は ﹁ 得 与 如 是 諸 上 善 人 、 会 一 処 。 ﹂ と あ り 、 ﹁ 極 楽 土 ﹂ に 生 ま れ た も の は 優 れ た 聖 者 た ち と 諸 々 の 優 れ た 善 人 と 真 の 出 会 い を す る と の 教 え が 説 か れ て い る 。 世 俗 の 嵐 が 吹 き 荒 れ な い ﹁ 聖 ﹂ の 要 素 が 濃 厚 な 空 間 で あ る 。 そ の う え 善 峯 寺 ・ 往 生 院 の 麓 の 大 原 野 に は 紀 貫 之 を 祀 る 遺 蹟 が あ る 。 今 の 十 輪 寺 で あ る 。 ﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ 七 十 六 段 ︶ そ し て 同 じ 内 容 が ﹃ 古 今 集 ﹄ に も 、     二 条 の き さ き の 、 ま だ 東 宮 の み や す ん 所 と 申 し け る 時 に 、 大 原 野 に も う で た ま ひ け る 日 よ め る な り ひ ら の 朝 臣 大 原 や 小 塩 の 山 も け ふ こ そ は 神 代 の こ と を 思 ひ い づ ら め と み え て い て 、 生 涯 が 華 や か な 恋 愛 譚 で 飾 ら れ て い る 業 平 を し の べ る 。 当 該 の 西 山 の 区 域 に は 優 美 な 雰 囲 気 が た

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だ よ っ て い る 。 西 山 隠 棲 時 、 念 仏 聖 の 志 向 を 充 溢 さ せ て い る 歌 人 の 慈 円 は 、 前 掲 し た 仏 の ﹁ ⋮ ⋮ 諸 上 善 人 、 会 一 処 。 ﹂ の 本 願 に 繋 が っ て い た 。 そ の た め 人 材 を 集 め て 慈 円 圏 を 組 織 し て ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 創 出 さ せ て い く の で あ っ た 。 ︵ 三 ︶ ﹃ 愚 管 抄 ﹄ と 怨 霊 ﹃ 愚 管 抄 ﹄ 巻 三 の 冒 頭 で ﹁ 武 者 ノ 世 ﹂ を 叙 述 す る と 揚 言 し て 、 保 元 の 乱 を 詳 述 し た の ち 、 ﹁ サ テ 、 後 白 川 院 ハ 、 佛 法 ノ 御 行 ヒ コ ト ニ 叡 慮 ニ 入 タ ル 方 ヲ ハ シ マ シ テ 、 御 位 ノ 程 、 大 内 ノ 仁 寿 殿 ニ テ 、 懺 法 行 ヒ ナ ド セ サ セ 給 ヒ ケ リ 。 ﹂ 巻 五 ︱ ︱ 二 二 五 ペ ー ジ ︶ と 後 白 河 院 の 仏 事 善 業 を 摘 記 し 、 院 の 崩 御 に 関 連 さ せ て 、 同 三 年 三 月 十 三 日 ニ 法 皇 ハ 崩 御 ア ル 。 中 略 ︶ 大 方 コ ノ 法 皇 ハ 男 ニ テ ヲ ハ シ マ シ ヽ 時 モ 、 袈 裟 タ テ マ ツ リ テ 護 摩 ナ ド サ ヘ ヲ コ ナ ハ セ 給 テ 、 御 出 家 ノ 後 ハ イ ヨ 〳 〵 御 行 ニ テ ノ ミ ア リ ケ リ 。 法 華 経 ノ 部 数 ナ ド 、 数 萬 部 ノ 内 二 百 部 ナ ド ニ モ ヲ ヨ ビ ケ リ 。 ︵ 巻 六 ︱ ︱ 二 七 八 ペ ー ジ ︶ と 慈 円 は 、 尋 常 で な い 行 者 と し て の 鬼 気 迫 る 形 相 を 押 し 出 す 。 治 承 四 年 ︵ 一 一 八 〇 ︶ の 源 頼 朝 の 挙 兵 よ り 壇 ノ 浦 で 平 家 一 門 が 族 滅 し て 、 ひ と ま ず 王 法 が 安 寧 に な り 、 院 が 崩 御 し た 建 久 三 年 ︵ 一 一 九 二 ︶ に 至 る ま で の 顚 末 が 叙 述 さ れ た 。 こ こ に は 明 確 に 仏 法 王 法 相 依 の 道 理 が 通 底 し て お り 、 仏 法 に 入 れ 込 む 院 を こ と さ ら 強 調 し て い る こ と が 判 然 と し よ う 。 そ の た め 文 治 二 年 ︵ 一 一 八 六 ︶ に 兼 実 が 摂 政 に な っ た 事 象 に 関 連 さ せ て 、 サ テ ノ チ 法 皇 ニ ハ 心 シ ヅ カ ニ 見 参 ニ 入 テ ア リ ケ レ バ 、 ﹁ ワ レ ハ カ ク ナ ニ ト ナ キ ヤ ウ ナ ル 身 ナ レ ド 、 世 ヲ バ 久 ク 見 タ リ 。 ハ ヾ カ ラ ズ タ ヾ ヨ カ ラ ン サ マ ニ ヲ コ ナ ハ ル ベ キ 也 ﹂ ナ ド 仰 ア リ テ 、 ︵ 巻 六 ︱ ︱ 二 七 三 ペ ー ジ ︶ と あ っ て 、 院 政 の 世 で あ り な が ら 後 白 河 院 は 兼 実 に す べ て 政 治 を 委 ね る こ と を 申 し 出 た と あ る も の の 、 こ れ を 傍 証 す る 史 料 類 は 管 見 に 入 ら な い の で 慈 円 の 曲 筆 で あ ろ う と 思 わ れ る 。 道 理 史 観 か ら 後 白 河 院 に た た る 崇 徳 院 の 怨 霊 の 実 相 を 韜 晦 し た の で あ っ た17 。 怨 霊 か ら 、 保 元 の 乱 で 敗 北 し た 既 述 の 忠 実 に つ い て み て い く と 、 ま だ 廟 堂 に 出 仕 し て い る 時 点 で ﹃ 愚 管 抄 ﹄ に ﹁ 執 フ カ キ 人 ニ ヤ 。 中 略 ︶ カ ヤ ウ

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ノ 心 ニ テ ソ ノ 霊 モ ヲ ソ ロ シ 。 ﹂ 巻 四 ︱ ︱ 二 一 二 ペ ー ジ ︶ と 怨 霊 に 化 し て い く 性 癖 を 先 取 り 、 ﹁ ⋮ ⋮ フ カ ク 世 ヲ ミ ル ニ ハ 、 讃 岐 院 、 知 足 院 ド ノ ヽ 霊 ノ サ タ ノ ナ ク テ 、 タ ヾ 我 家 ヲ ウ シ ナ ハ ン ト 云 事 ニ テ 、 ﹂ 巻 七 ︱ ︱ 三 三 八 ペ ー ジ ︶ と 展 開 さ せ る 。 こ の 史 論 の 思 念 は 、 慈 円 の 起 草 し た ﹁ 大 懺 法 院 起 請 ﹂ の ﹁ ⋮ ⋮ 無 二 無 三 之 作 善 者 也 。 就 中 、 崇 徳 院 聖 霊 ・ 知 足 院 怨 霊 、 済 度 之 舟 ヲ 追 福 之 流 ニ 浮 ベ 、 三 寶 之 誓 ヒ 、 発 願 之 志 ヲ 祈 レ バ 定 メ テ 宗 廟 ・ 社 稷 之 神 慮 ニ 叶 フ 。 ﹂ と 相 即 す る こ と に な る 。 慈 円 の 考 え る 怨 霊 と は 閉 鎖 的 で 狭 い 現 実 の 廟 堂 で の 人 々 に と っ て は ほ ぼ 了 解 ず み の 人 間 の 霊 で あ っ て 、 現 実 の 政 治 の 直 接 に 見 え な い 側 面 な の で あ る18 。 ﹃ 愚 管 抄 ﹄ に 、 サ テ 一 條 院 ノ キ サ キ ニ 、 顕 光 大 臣 ノ ム ス メ ヲ マ イ ラ セ ラ レ タ ル ハ 、 皇 子 ヲ モ ヱ ウ マ ズ 。 サ テ 三 條 院 ノ 御 子 、 東 宮 ニ タ テ 給 ヒ タ ル ハ 小 一 條 院 ナ リ 。 コ ノ 東 宮 ノ 女 御 ニ 、 又 顕 光 大 臣 ノ ム ス メ ヲ マ イ ラ セ タ リ ケ ル ガ 、 東 宮 ノ 、 一 條 院 ノ 御 子 ニ 、 後 一 條 ・ 後 朱 雀 ナ ド 出 キ 給 ニ シ ウ ヘ ハ 、 我 御 身 モ テ ア ツ カ ハ レ ナ ン ト ヲ ボ シ メ シ テ 、 東 宮 ヲ 辞 シ テ 院 号 ヲ 申 テ 、 小 一 條 院 ト 申 テ ヲ ハ シ マ シ ケ ル 。 御 有 心 メ デ タ ク テ 、 御 堂 コ レ ヲ イ ト ヲ シ ミ モ テ ナ シ 申 サ レ ケ ル ア マ リ ニ 、 ム コ ニ ト リ マ イ ラ セ ラ レ ケ レ バ 、 モ ト ノ 女 御 、 顕 光 ノ ヲ ト ヾ ノ ム ス メ 、 ヱ マ イ ラ ヌ ヤ ウ ニ ナ ラ セ 給 ケ ル ヲ 、 心 ウ ク カ ナ シ ク 思 ヒ ナ ガ ラ 、 ナ グ サ メ 申 サ ン ト テ 我 ム ス メ ニ 、 ﹁ 世 ノ ナ ラ ヒ ニ 候 ヘ バ 、 ナ ゲ カ セ 給 ソ ﹂ ナ ド 申 サ レ ケ レ バ 、 物 モ 仰 セ ラ レ ズ シ テ 、 御 火 ヲ ケ ニ ム カ イ テ ヲ ハ シ ケ ル ガ 、 火 ヲ ケ ノ 火 ノ 、 灰 ニ ウ ヅ モ レ リ ケ ル ガ 、 シ ハ リ 〳 〵 ト ナ リ ケ ル 。 涙 ノ ヲ チ サ セ 給 イ ケ ル ガ 、 火 ニ カ ヽ リ テ ナ リ ケ ル ヨ ト ミ テ 、 ア ナ 心 ウ ヤ ト カ ナ シ ミ フ カ ク テ 、 ヤ ガ テ 悪 霊 ト ナ リ ニ ケ リ ト ゾ 人 ハ カ タ リ 侍 ル メ ル 。 サ モ ア リ ヌ ベ キ 事 ナ リ 。 サ レ バ 御 堂 ノ 御 ア タ リ ニ ハ 、 コ ノ 霊 ハ ヤ ウ 〳 〵 ニ コ ト モ ア リ ケ レ ド モ 、 サ マ デ ノ 大 事 ハ ヱ ナ キ ニ ヤ 。 コ レ ラ ハ 御 堂 ノ 御 ト ガ ト ヤ 申 ベ カ ラ ン ナ レ ド 、 コ レ マ デ モ ス コ シ モ 我 ア ヤ マ チ ニ ハ ア ラ ズ 。 タ ヾ 世 ノ 中 ノ ア ル ヤ ウ ガ 、 カ ク テ ヨ カ ル ベ ク テ 、 ナ リ ユ ク ト ゾ 、 ウ ラ 〳 〵 ト コ ソ ハ 御 堂 ハ ヲ ボ シ メ シ ケ ン ヲ 、 ア サ ク ヲ モ イ テ 悪 霊 モ イ デ ク ル ナ ル ベ シ 。 ︵ 巻 四 ︱ ︱ 一 八 五 ∼ 八 六 ペ ー ジ ︶ と あ る の は 、 道 理 と し て の 摂 関 政 治 の 世 が 機 能 し て い る

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以 上 、 一 条 天 皇 と 道 長 の 女 の 彰 子 と の 間 に 後 一 条 天 皇 と 後 朱 雀 天 皇 が 生 誕 し て い る か ら に は 道 長 が 執 政 の ﹁ 臣 ﹂ と し て 世 を 支 え る の は 至 当 な 時 運 に 添 う て い る と し た の で あ っ た19 。 そ の た め 政 敵 の 顕 光 ︵ 九 四 四 ∼ 一 〇 二 一 ︶ が 怨 霊 に な っ た 政 治 状 況 を 概 観 し つ つ も 、 施 線 で は 賢 臣 と し て 道 長 を 讃 え 、 顕 光 の 長 女 の 元 子 と 次 女 の 延 子 が 、 そ れ ぞ れ 一 条 天 皇 の 女 御 と 三 条 天 皇 の 第 一 皇 子 敦 明 親 王 の 女 御 と な っ た も の の 、 元 子 に は 皇 子 が 生 ま れ ず 、 敦 明 親 王 も 東 宮 位 を 辞 退 し 、 院 号 を 得 て 太 上 天 皇 に 准 じ た 小 一 条 院 と な っ て い く 模 様 を 坦 々 と 摘 記 し て い く わ け で あ る 。 し か し 、 史 実 で は 外 戚 を 築 こ う と す る 道 長 の 圧 迫 が あ っ た の で あ る20 。 が 、 そ れ を や は り 韜 晦 し て 、 道 長 は 小 一 条 院 を 五 女 の 寛 子 の 婿 に し た の で 、 院 の 延 子 へ の 寵 愛 が 衰 え た の を 悲 嘆 し た 顕 光 は 悪 霊 と な っ た と 批 評 し 、 そ の 顕 光 の 心 情 を 押 し 出 す ば か り で あ る 。 崇 徳 院 の 怨 霊 の 猖 獗 を 後 白 河 院 に か か わ ら せ な い の と 同 様 で あ っ て 、 道 理 史 観 が 通 底 す る 。 子 の 頼 通 が 執 世 の ﹁ 臣 ﹂ と な っ た 治 世 で も ﹁ 顕 光 ハ 悪 霊 ノ ヲ ト ヾ ト テ 、 コ ワ キ 御 物 ノ ケ ド モ ニ テ ア リ ケ ル 。 ﹂ 巻 四 ︱ ︱ 一 八 六 ペ ー ジ ︶ と す る だ け で あ る 。 と こ ろ が 、 付 録 で は ﹁ 顕 光 大 臣 ハ 御 堂 ノ 霊 ニ ナ レ リ 。 小 一 條 院 御 シ ウ ト ナ リ シ ユ ヘ ナ ド カ ヤ ウ ニ 申 也 。 サ レ ド モ 佛 法 ト 云 モ ノ ヽ サ カ リ ニ テ 、 智 行 ノ 僧 ヲ ホ カ レ バ 、 カ ヤ ウ ノ 事 ハ タ ヽ レ ド モ 、 事 ノ ホ カ ナ ル 事 ヲ バ フ セ グ メ リ 。 ︵ 中 略 ︶ 御 堂 ハ 三 昧 和 尚 ・ 無 動 寺 座 主 、 ﹂ 巻 七 ︱ ︱ 三 三 八 ペ ー ジ ︶ と あ り 、 施 線 の よ う に 実 相 に 則 っ て 叙 述 し た 。 右 文 の 前 の 箇 所 に ﹁ 昔 ヨ リ 怨 霊 ト 云 物 ノ 世 ヲ ウ シ ナ イ 人 ヲ ホ ロ ボ ス 道 理 ﹂ 巻 七 ︱ ︱ 三 三 七 ペ ー ジ ︶ を 揚 言 し て 、 具 体 的 な 事 例 を 率 直 に 取 り 上 げ た か ら で あ っ た 。 仏 法 に よ っ て 怨 霊 は 道 長 に は 猖 獗 し な い と 批 評 し て 、 王 法 の 安 寧 に 仏 法 が 不 可 欠 で あ る こ と を 慈 円 は 説 諭 し た の で あ っ た 。 山 折 哲 雄 は 、 ﹃ 紫 式 部 日 記 ﹄ の 彰 子 の 御 産 記 事 で ﹁ 物 の 怪 ﹂ を 除 祓 す る 修 法 を も と に 、 物 怪 の 憑 霊 現 象 は 、 い わ ば 宇 宙 を 貫 流 す る 大 気 の よ う に 、 不 安 定 な 無 限 空 間 と 個 々 の 病 め る 身 体 と を つ ら ぬ い て 循 環 す る こ と で 成 り 立 っ て い る 。 中 略 ︶ 憑 霊 現 象 が す で に 社 会 的 な 現 象 と し て 集 団 表 象 の 対 象 と な っ て い た か ら な の で あ る 。 鋭 敏 な ﹁ 心 理 主 義 者 ﹂ で あ っ た 紫 式 部 と い え ど も 、 こ の よ う な 憑 霊 空 間 の 圏 外 に 身 を お く こ と は で き な か っ た 。 と し て 、 古 代 国 家 よ り 祈 祷 が 次 第 に 重 要 視 さ れ て い く も

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の の ﹁ 加 持 の 効 験 が 不 動 明 王 の 忿 怒 相 と 火 焰 に よ っ て 代 表 さ れ る と す れ ば 、 念 仏 の 功 徳 は 阿 弥 陀 仏 の 慈 顔 と 光 明 に よ っ て 象 徴 さ れ る 。 そ れ は 不 動 信 仰 と 阿 弥 陀 信 仰 の 対 照 性 と し て あ ら わ れ る が 、 同 時 に 、 平 安 末 か ら 鎌 倉 初 期 に か け て 、 密 教 修 法 と 浄 土 思 想 と が 接 触 し つ つ 次 第 に 交 替 し て い く ﹂ と の 見 解 を 呈 示 し て い る21 。 ま た 浄 土 思 想 を 密 教 的 に 裏 付 け る 覚 鑁 ︵ 一 〇 九 五 ︱ 一 一 四 三 ︶ は 密 厳 浄 土 の 教 義 を 創 唱 す る こ と に も な る 。 こ の 教 義 は 、 後 述 す る よ う に 修 行 し て い る 場 所 を 浄 土 と み て お り 、 西 山 義 で は 受 容 し て 展 開 さ せ る 。 そ れ か ら 半 世 紀 を 経 過 し て 結 構 さ れ た ﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 九 条 良 経 の 頓 死 の 一 節 を み る と 、 サ テ イ カ サ マ ニ モ コ ノ 殿 下 ノ シ ナ レ タ ル コ ト ハ 、 世 ノ 末 ノ 口 ヲ シ サ 、 カ ヽ ル 人 ヲ エ モ タ フ マ ジ キ 時 運 カ ナ シ キ カ ナ ト 人 思 ヘ リ ケ リ 。 大 方 故 内 大 臣 良 通 、 コ ノ 摂 政 、 カ ヽ ル 死 ド モ セ ラ レ ヌ ル 事 ハ 、 猶 法 性 寺 殿 ノ ス ヱ ニ カ ヽ リ ケ ル コ ト ノ 人 ノ イ デ ク ル ヲ 、 知 足 院 殿 ノ 悪 霊 ノ シ ツ ル ゾ ト コ ソ ハ 人 ハ 思 ヘ リ ケ レ 。 法 性 寺 殿 ヨ リ コ ノ 摂 政 マ デ 七 人 ニ 成 ヌ ル ニ コ ソ 。 其 霊 ノ 後 世 菩 提 マ メ ヤ カ ニ タ ス ケ ト ブ ラ フ 心 シ タ ル 人 ダ ニ ア ラ バ 、 今 ハ カ ウ ホ ド ノ 事 ハ ヨ モ ア ラ ジ カ シ 。 ︵ 巻 六 ︱ ︱ 二 九 〇 ペ ー ジ ︶ と あ っ て 、 施 線 で は 念 仏 に よ る 菩 提 を 弔 う こ と を 説 諭 し 、 慈 円 自 ら が 造 営 し た 大 懺 法 院 で の 修 法 に 人 が 大 い に 関 心 を も つ よ う に 促 す 意 図 を も 介 在 さ せ て い る 。 二 重 施 線 は 前 掲 し た 忠 実 の 怨 霊 を め ぐ る ﹃ 愚 管 抄 ﹄ の ﹁ ソ ノ 霊 モ ヲ ソ ロ シ ﹂ に 照 応 し て お り 、 王 法 の 安 寧 を 念 頭 に 置 い て い る 慈 円 は 、 ﹁ サ ノ ミ ハ イ カ ニ コ ノ 邪 魔 悪 霊 ノ 手 ニ モ イ ル ベ キ ト ヲ ボ シ メ シ ﹂ 巻 七 ︱ ︱ 三 四 〇 ペ ー ジ ︶ す な わ ち 怨 霊 に た た ら れ な い よ う に ﹁ 佛 力 ニ テ ヲ サ ヘ ﹂ 巻 七 ︱ ︱ 三 四 二 ペ ー ジ ︶ る こ と が 緊 要 で あ る と 訴 え た 。 ﹁ 頼 朝 ユ ヽ シ カ リ ケ ル 将 軍 ﹂ の も と で 平 家 追 討 に 大 活 躍 し た 畠 山 重 忠 が 謀 殺 さ れ る 場 面 を ﹃ 愚 管 抄 ﹄ で は 、 荘 司 二 郎 重 忠 ナ ド 以 下 皆 ウ チ テ ケ リ 。 重 忠 ハ 武 士 ノ 方 ハ ノ ゾ ミ タ リ テ 第 一 ニ 聞 ヘ キ 。 サ レ バ ウ タ レ ケ ル ニ モ 、 ヨ リ ツ ク 人 モ ナ ク テ 、 終 ニ ワ レ ト コ ソ 死 ニ ケ ル 。 平 氏 ノ ア ト 方 ナ キ ホ ロ ビ ヤ ウ 、 又 コ ノ 源 氏 賴 朝 将 軍 昔 今 有 難 キ 器 量 ニ テ 、 ヒ シ ト 天 下 ヲ シ ヅ メ タ リ ツ ル ア ト ノ 成 行 ヤ ウ 、 人 ノ シ ワ ザ ト ハ ヲ ボ ヘ ズ 。 顕 ニ ハ 武 士 ガ 世 ニ テ 有 ベ シ ト 、 宗 廟 ノ 神 モ 定 メ ヲ ボ シ メ シ タ ル コ ト ハ 、 今 ハ 道 理 ニ カ ナ イ テ 必 然 ナ リ 。

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︵ 巻 六 ︱ ︱ 二 八 三 ∼ 八 四 ペ ー ジ ︶ と 賴 朝 の 死 を 施 線 の よ う に ﹁ 夢 カ ウ ツ ヽ カ ト 人 思 タ リ キ 。 ﹂ と 暈 か し て い る 。 が 、 実 相 で は 源 頼 朝 は 自 ら の 地 歩 を 築 き 固 め る た め に 己 の 一 族 を も 殺 害 し て お り 、 頼 朝 へ の 怨 霊 の 猖 獗 が 死 因 と み な せ る わ け で 、 ﹃ 明 月 記 ﹄ 文 暦 元 年 ︵ 一 二 三 四 ︶ 八 月 二 日 条 に は 、 故 前 幕 下 の 孫 子 、 今 に 於 て は 遺 種 な き か 。 平 家 の 遺 経系 の 嬰 児 を 召 し 取 り 、 悉 く 命 を 失 ふ 。 物 皆 報 い 有 り 。 何 を か 為 さ ん や 。 と あ っ て 、 頼 朝 の 子 孫 の 廃 絶 を 平 家 の 怨 霊 の 仕 業 で あ っ た と み え 、 ﹃ 保 曆 間 記 ﹄ に も 、 ⋮ ⋮ 正 治 元 年 正 月 十 三 日 、 終 ニ ハ 失 給 。 五 十 三 ニ ゾ 成 玉 フ 。 是 ヲ 老 死 ト 云 ヘ カ ラ ス 。 偏 ニ 平 家 ノ 怨 霊 也 。 多 ク ノ 人 ヲ 失 給 ヒ シ 故 ト ソ 申 ケ ル 。 と あ る 。 東 国 か ら 頼 朝 が 怨 霊 の た た り に よ っ て 没 し た と の 情 報 を 入 手 し た と し て も 、 ﹁ 武 者 ノ 世 ﹂ の 椿 事 と し て 慈 円 は 道 理 史 観 で 怨 霊 の 猖 獗 に よ る 賴 朝 の 死 を 韜 晦 し た の で あ っ た 。 既 述 し た 修 法 に 熱 を あ げ る 後 白 河 院 と 取 り 憑 か な い 怨 霊 と の 関 係 と 同 じ 視 座 で 叙 述 し て い る 。 其 上 ハ 平 家 ノ 多 ク 怨 霊 モ ア リ 。 只 冥 ニ 因 果 ノ コ タ ヘ ユ ク ニ ヤ ト ゾ 心 ア ル 人 ハ 思 フ ベ キ 。 ︵ 巻 六 ︱ ︱ 三 〇 四 ∼ 三 〇 五 ペ ー ジ ︶ と 叙 述 し て い る 。 こ こ で も 枠 で 括 っ た よ う に 冥 顕 二 法 の 道 理 か ら 批 評 し た の で あ っ た 。 重 忠 の 壮 烈 な 最 期 も 小 著 ﹃ 愚 管 抄 の 言 語 空 間 ﹄ 付 章   宇 都 宮 入 道 蓮 生 の 位 置 ︶ で 筆 者 が 論 じ た よ う に 宇 都 宮 入 道 蓮 生 の 提 供 し た 素 材 に 依 拠 し て ﹁ 武 者 ノ 世 ﹂ の 武 士 に ふ さ わ し い 死 に 様 を 押 し 出 し て い よ う 。 二 重 施 線 で は 平 家 の 怨 霊 が 猖 獗 を し て お り 、 右 文 に は 怨 霊 の 仕 業 で あ る と の 慈 円 の 筆 致 が 看 取 さ れ る 。 た だ し 、 施 線 で は こ と さ ら 賴 朝 の 器 量 を 追 懐 し て い る の は 何 故 か 。 こ の 理 由 を 窺 う た め に 、 ﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 頼 朝 が 没 す る 場 面 を み る と 、 カ ヽ ル ホ ド ニ 人 思 ヒ ヨ ラ ヌ ホ ド ノ 事 ニ テ 、 ア サ マ シ キ 事 出 キ ヌ 。 同 十 年 正 月 ニ 関 東 将 軍 所 労 不 快 ト カ ヤ ホ ノ カ ニ 云 シ 程 ニ 、 ヤ ガ テ 正 月 十 一 日 ニ 出 家 シ テ 、 同 十 三 日 ニ ウ セ ニ ケ リ ト 、 十 五 六 日 ヨ リ キ コ ヘ タ チ ニ キ 。 夢 カ ウ ツ ヽ カ ト 人 思 タ リ キ 。 ﹁ 今 年 必 シ ヅ カ ニ ノ ボ リ テ 世 ノ 事 サ タ セ ン ト 思 ヒ タ リ ケ リ 。 萬 ノ 事 存 ノ 外 ニ 候 ﹂ ナ ド ゾ 、 九 條 殿 ヘ ハ 申 ツ カ ハ シ ケ ル 。

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お わ り に ﹃ 愚 管 抄 ﹄ の 草 案 が 練 ら れ た 四 天 王 寺 は あ く ま で ﹁ 俗 ﹂ の 要 素 を 多 分 に 含 む 空 間 で あ る の に 対 し て 西 山 は ﹁ 聖 ﹂ の 要 素 が 濃 厚 な 空 間 で あ っ た 。 往 生 院 は ﹁ 聖 ﹂ の 純 度 が き わ め て 高 い 。 換 言 す れ ば 、 往 生 院 は ﹁ 憑 霊 空 間 の 圏 外 ﹂ の 最 た る 空 間 で あ っ た と 思 わ れ る 。 宇 都 宮 入 道 蓮 生 の 女 を 母 と す る 天 台 僧 の 源 承 が 著 し た 歌 論 書 の ﹃ 源 承 和 歌 口 伝 ﹄ の 奥 書 に ﹁ 治 承 四 年 卯 月 五 日 、 於 西 山 草 堂 書 畢 。 同朱 十 八 日 相 具 寂 超 上 人 見 合 集 付 假 名 了 。 ﹂ の 一 節 が あ り 、 崇 徳 院 の 子 の 元 性 と ﹃ 今 鏡 ﹄ の 作 者 と ほ ぼ 確 定 し て い る 寂 超 が 文 事 を 行 な っ て い た 事 蹟 が 西 山 に あ っ た の で あ る 。 そ の た め に 慈 円 は ﹃ 今 鏡 ﹄ を 直 視 す る こ と に な る22 。 西 山 で 起 草 し た ﹃ 慈 鎮 和 尚 夢 想 記 ﹄ で は ﹁ 宝 剣 没 海 底 之 後 。 任 其 徳 於 人 將 歟 中 略 ︶ 有 怖 。 有 憚 ﹂ と 王 法 の 実 相 を 直 叙 し た 思 念 を も と に 当 為 の ﹁ 人 将 ﹂ と し て 源 頼 朝 を 組 み 入 れ た 新 奇 な ﹁ 世 継 物 語 ﹂ を 慈 円 は 企 画 し て 創 出 さ せ る 。 こ れ が ﹃ 治 承 物 語 ﹄ な の で あ る 。 既 存 の ﹁ 世 継 物 語 ﹂ の ﹃ 今 鏡 ﹄ は ﹁ 都 へ 帰 ら せ 給 ふ こ と も な く て 、 秋 八 月 二 十 六 日 に か の 国 に て 失 せ さ せ 給 ひ に け り と な む 。 ﹂ ﹁ す べ ら ぎ の 中 ﹂ 第 二   八 重 の 潮 路 ︶ と ふ れ る だ け で 、 崇 徳 院 が 怨 霊 に な っ て 猖 獗 す る こ と に は 全 く お よ ば せ な い 。 ま た 後 三 条 院 の 崩 御 に 関 連 し て 、 夢 に 、 楽 の 声 空 に 聞 え て 、 紫 の 雲 た な び き た り け る を 、 ﹁ 何 事 ぞ ﹂ と 尋 ね け れ ば 、 ﹁ 院 の 仏 の 御 国 に 生 れ さ せ 給 ふ ﹂ と み た り け る に 、 ﹁ 院 か く れ さ せ 給 ひ ぬ ﹂ と 、 世 の 中 に 聞 え け る に ぞ 、 ま さ し き 夢 と た の み 侍 り け る と な む 。 ︵ す べ ら ぎ の 中   第 二   手 向 ︶ と あ る よ う に 、 往 生 伝 の か た ち を ﹃ 今 鏡 ﹄ は 踏 襲 し て も い た23 。 こ れ に も 倣 ら い つ つ 、 ﹃ 阿 弥 陀 経 ﹄ の 教 え で あ る 仏 の ﹁ ⋮ ⋮ 諸 上 善 人 、 会 一 処 。 ﹂ の 本 願 に 繋 が っ て い こ う と す る 慈 円 は 、 人 材 を 集 め て 慈 円 圏 を 組 織 し た 。 源 信 の 門 弟 の 源 算 が ひ ら い た 別 所 で あ る 善 峯 寺 の 北 尾 に あ る 往 生 院 は 、 高 台 に あ っ て 眼 下 に は 洛 中 の 様 々 な 衆 生 が 鳥 瞰 で き る 。 そ の う え 、 既 述 し た よ う に 覚 鑁 は 密 厳 浄 土 を 説 き 、 ﹃ 華 厳 経 ﹄ の 大 日 如 来 が い ま す 密 厳 世 界 と 阿 弥 陀 仏 の い ま す 浄 土 と は 同 一 で あ る と い い 、 そ の た め

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修 行 し て い る 場 所 が 浄 土 で あ る と み な し 、 西 山 義 は 、 こ の 教 義 を 取 り 入 れ て ﹁ 南 無 阿 弥 陀 仏 と 称 え 出 す 称 名 の 声 、 す な わ ち 現 身 往 生 の 実 体 と す る 。 ﹂ と 強 調 す る こ と に な っ た24 。 朝 ぼ ら け の 頃 に は 正 面 に そ び え る 東 山 の 稜 線 よ り の 陽 光 に 照 ら し 出 さ れ れ ば 、 観 心 主 義 に 基 づ く 浄 土 教 の 教 理 を 信 奉 し て い る 西 山 隠 棲 時 の 慈 円 は 、 ﹃ 華 厳 経 ﹄ の 教 え か ら ﹁ 夢 記 ﹂ を 起 草 し て も い た わ け だ か ら25 、 ﹁ 別 所 の 別 所 ﹂ で あ る 往 生 院 を 浄 土 で あ る と 見 做 す の は 多 言 を 要 し な い 。 慈 円 圏 で は 、 ﹁ ⋮ ⋮ 密 厳 浄 土 ノ 儀 式 ヲ 移 シ 、 花 蔵 界 ノ 作 法 ヲ 顕 セ リ 。 是 故 ニ 一 度 モ 此 地 ヲ フ ム 者 ハ 、 界 外 無 漏 ノ 功 徳 ヲ 備 テ 、 四 重 五 逆 ノ 罪 障 ヲ 滅 ス 。 ﹂ 延 慶 本 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ 三 本 ・ 十 五 ﹁ 白 河 院 祈 親 持 経 ノ 再 誕 ノ 事 ﹂ ︶ の よ う な 言 辞 を 嵌 入 し て 、 ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 創 出 し て い っ た 。 し た が っ て 、 こ と さ ら ﹃ 治 承 物 語 ﹄ の 性 格 と し て は 怨 霊 の 猖 獗 そ の も の に は ふ れ な か っ た 。 慈 円 寂 後 、 法 性 寺 の 空 間 に 慈 円 周 辺 圏 が 組 織 さ れ る 。 そ し て ﹃ 愚 管 抄 ﹄ を 摂 取 し な が ら 、 ﹃ 治 承 物 語 ﹄ を 六 巻 本 へ 再 編 し た と き に 怨 霊 の こ と も 組 み 込 ま れ た の で あ る 。 ︹ 引 用 資 料 の 典 拠 ︺ ﹃ 愚 管 抄 ﹄ は ﹃ 日 本 古 典 文 学 大 系 ﹄ ︵ 岩 波 書 店 ︶ 、 往 生 伝 類 は ﹃ 日 本 思 想 体 系 ﹄ ︵ 岩 波 書 店 ︶ 、 慈 円 の 歌 類 は ﹃ 校 本 拾 玉 集 ﹄ ︵ 吉 川 弘 文 館 ︶ 、 ﹃ 玉 葉 ﹄ は 高 橋 貞 一 著 ﹃ 訓 読 玉 葉 ﹄ ︵ 高 科 書 店 ︶ 、 ﹃ 明 月 記 ﹄ は 今 川 文 雄 著 ﹃ 訓 読 明 月 記 ﹄ ︵ 河 出 書 房 新 社 ︶ 、 ﹃ 華 頂 要 略 ﹄ は ﹃ 天 台 宗 全 書 ﹄ 、 ﹃ 慈 鎮 和 尚 夢 想 記 ﹄ は ﹃ 続 天 台 宗 全 書 ﹄ 、 ﹃ 荒 陵 寺 御 手 印 縁 起 ﹄ は ﹃ 続 群 書 類 従 ﹄ 、 ﹃ 古 今 集 ﹄ は ﹃ 新 日 本 古 典 文 学 大 系 ﹄ ︵ 岩 波 書 店 ︶ 、 ﹃ 源 承 和 歌 口 伝 ﹄ は ﹃ 日 本 歌 学 大 系 ﹄ 、 ﹃ 保 曆 間 記 ﹄ は ﹃ 校 本 保 曆 間 記 ﹄ ︵ 和 泉 書 院 ︶ 、 ﹃ 法 然 上 人 行 状 絵 図 ﹄ は ﹃ 法 然 上 人 絵 伝 ﹄ ︵ 岩 波 書 店 ︶ 、 ﹃ 徒 然 草 ﹄ ・ ﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ は ﹃ 新 日 本 古 典 文 学 大 系 ﹄ ︵ 岩 波 書 店 ︶ 。 ﹃ 今 鏡 ﹄ は ﹃ 講 談 社 学 術 文 庫 ﹄ 。 註 ︵ 1 ︶ 拙 著 ﹁ 第 Ⅱ 部   第 七 章   治 承 物 語 と 西 山 の 空 間 ﹂ ・ ﹁ 第 Ⅱ 部   第 八 章   治 承 物 語 の 復 元 ﹂ ︵ ﹃ 愚 管 抄 の 言 語 空 間 ﹄ 汲 古 書 院 ・ 二 〇 一 四 年 ︶ ︵ 2 ︶ ﹁ 平 家 物 語 に つ い て の 覚 書 ﹂ ︵ ﹃ 復 古 と 叙 事 詩 ﹄ 青 磁 社 ・ 一 九 四 二 年 ︶ 一 四 三 ペ ー ジ

参照

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