一内務省における勧商局と勧農局の設置過程
内 務 省 に お け る 勧 商 局 と 勧 農 局 の 設 置 過 程
國
雄 行
はじめに
明治六年
( 一
八七三
) 末
、内務省が開設され、その一等寮として勧業寮が配置された。勧業寮は、当初、勧農寮と
して構想されたが、内務省設置前に農工商を総合的に勧奨する機関として勧業寮となったのである。これは勧業殖
産を強力に推進しようとした大久保利通の意図が働いたものと思われ、その意図は明治七年三月に定められた勧業
寮事務章程第一条の「勧業寮ハ全国農工商ノ諸業ヲ勧奨、確実、盛大ナラシムル事務ヲ掌管スル」という条文にあ
らわれている (1)。しかしながら、この二年後の九年五月には勧業寮の商業部門が分離して勧商局となり、翌一〇年一
月に勧業寮は縮小されて勧農局となるのである。
従来、内務省勧業寮については明治政府の工業化政策、すなわち殖産興業政策の研究において触れられることが
多かった。昨今では農業政策から勧業寮の勧農事業について分析が進んでおり、商業的側面からも浅田毅衛氏が政
商との関わりにおいて勧業寮に触れている (2)。しかしながら、内務省の勧業政策における農業、商業的側面からの研
究は、まだ十分とはいえないであろう。とくに勧商、勧農両局の設置過程の分析は不十分な点が多い。これらの設
置に密接に関わる政府機構の改革や、その節目の一つである内務・工部省の合併問題については安藤哲、勝田政治
二人文学報 第四九〇号 二〇一四年三月
氏等の詳細な研究がある。しかし、両省合併が挫折した原因はまだ明らかにされていないのである (3)。
そこで本稿では、内務・大蔵省の商業政策に着目しながら勧商局新設の経緯を検討するとともに、政府機構改革
から勧業寮が勧農寮に縮小される過程を分析する。また、これら政策の立案、実行過程からみえる大久保内務省の
性格についても検討する。
一
勧業寮の設立と会社政策
1
左院商法課における農工商統括機関の提示
左院副議長の伊地知正治は、明治六年
( 一
八七三
) 一
一月二五日、伊藤博文等とともに正院制度取調御用掛に任命
された。ここで伊地知が作成した「内務省職制私考草案」をたたき台として内務省機構がつくられていく。この案
では内務省の中心は戸籍、勧農、警保の三寮で勧農が内政の軸とされていた (4)。伊地知は御用掛拝命の際、業務繁劇 のために二等議官の伊丹重賢を左院における伊地知の代理とすることを右大臣岩倉具視に届け出た (5)。
この左院でも伊丹が属する商法課において内務省の勧業機構に関する構想が練られており、「内務省中農工商総
理ノ一寮ヲ置カレンコトヲ請フ為メノ議」としてまとめられた (6)。建議の内容は商法課が作成しただけに商業に重点
が置かれている。冒頭では「農工商ノ人民ニ在ル、固リ偏廃スヘカラサルノ要業ナリ」と、農工商三業の重要性を
述べ、その勧奨には「先後緩急」があり「世運未タ開ケス、人民各其土ヲ守ルノ時ニ当テハ」、「工商」は「未業」
でも支障はないが「世運既ニ開ケ人智漸進ミ交易運輸ノ道盛ニ行ハルヽニ及テハ、商業却テ他ノ二業ヲ誘動スルノ
勢ヲ生ス」と、今こそ「工商」奨励に着手すべきであるといいたいのである。ところが、商法課が「商業今日ノ実
況ヲ検査」すると、営業開始の手続方法が「甚区々」で「官私トモ只目前ノ便利ニ従ヒ、終始一定ノ規矩」がない
という問題点が浮かび上がった。例えば、商売
( 営
業
) を
始めるにあたり、届限りで済むものもあれば鑑札や免許状
を必要とするものもある。また、会社免許を与える機関も府県庁、開拓使、大蔵、文部諸省、または紙幣、駅逓、
租税諸寮と多数ある。この煩瑣な手続きのため、今日では売買貸借の成否を運に任せる風潮があり「永遠ノ基業ヲ
作サント計ルモノハ、百ノ一二モ得難」い。これは「今日ノ急務中一大欠典」であると指摘した。
そして最後に「農工商ハ鼎足相保ツヘキノ要業ニシテ之ヲ統理スルノ官衙モ亦終ニ分離セサルヲ妙トスヘシ、伏
請、内務省中、農工商ヲ統理スルノ一寮ヲ設ラレ、開成ノ事業愈ソノ実效ヲ挙ラレンコトヲ」と記した。おそらく
商法課は制度取調御用掛が構想している内務省の主要部局の一つが「勧農寮」であることを知っていたのであろう。
それに勧商業務も含めるために農工商三業の鼎立を求めたものと思われる。
内務省設置以前の商務は大蔵省が管掌していた。それを内務省に移管することは大蔵省の権限削減となる。左院
は人民保護の観点から地方行政において「圧制」を行う大蔵省を抑制しなければならないと考え、明治五年に内務
省設立運動を展開し、自らの権限拡張と大蔵省の権限削減を要求した (7)。左院商法課の農工商統括機関の設立要請は、
商法課であるがゆえに商業を重視し、農業だけではなく商工業も含めた総合的な勧奨機関設置を要求したのかもし
れない。しかし、その根底には大蔵省の権限削減という目的も伏在していたとも考えられるのである。
左院商法課の建議がどのように扱われたか不明であるが、左院副議長の伊地知代理をつとめた伊丹が所属する商
法課が「一定ノ規矩」の欠如による営業手続の混乱を掲げ、農工商の総合勧奨機関設置を提言したことは、制度取
調御用掛にも影響を与えたと思われる。
2
内務省と大蔵省の会社政策
明治七年
( 一
八七四
) 一
月九日、太政大臣三条実美は内務省設置を布告するとともに、大蔵省に戸籍・土木・駅逓
寮と租税寮中の地理・勧農の事務、教部省に音楽・歌舞の事務、工部省に測量司、司法省に警保寮を内務省へ引き
三内務省における勧商局と勧農局の設置過程 という問題点が浮かび上がった。例えば、商売 ( 営
業
) を
始めるにあたり、届限りで済むものもあれば鑑札や免許状
を必要とするものもある。また、会社免許を与える機関も府県庁、開拓使、大蔵、文部諸省、または紙幣、駅逓、
租税諸寮と多数ある。この煩瑣な手続きのため、今日では売買貸借の成否を運に任せる風潮があり「永遠ノ基業ヲ
作サント計ルモノハ、百ノ一二モ得難」い。これは「今日ノ急務中一大欠典」であると指摘した。
そして最後に「農工商ハ鼎足相保ツヘキノ要業ニシテ之ヲ統理スルノ官衙モ亦終ニ分離セサルヲ妙トスヘシ、伏
請、内務省中、農工商ヲ統理スルノ一寮ヲ設ラレ、開成ノ事業愈ソノ実效ヲ挙ラレンコトヲ」と記した。おそらく
商法課は制度取調御用掛が構想している内務省の主要部局の一つが「勧農寮」であることを知っていたのであろう。
それに勧商業務も含めるために農工商三業の鼎立を求めたものと思われる。
内務省設置以前の商務は大蔵省が管掌していた。それを内務省に移管することは大蔵省の権限削減となる。左院
は人民保護の観点から地方行政において「圧制」を行う大蔵省を抑制しなければならないと考え、明治五年に内務
省設立運動を展開し、自らの権限拡張と大蔵省の権限削減を要求した (7)。左院商法課の農工商統括機関の設立要請は、
商法課であるがゆえに商業を重視し、農業だけではなく商工業も含めた総合的な勧奨機関設置を要求したのかもし
れない。しかし、その根底には大蔵省の権限削減という目的も伏在していたとも考えられるのである。
左院商法課の建議がどのように扱われたか不明であるが、左院副議長の伊地知代理をつとめた伊丹が所属する商
法課が「一定ノ規矩」の欠如による営業手続の混乱を掲げ、農工商の総合勧奨機関設置を提言したことは、制度取
調御用掛にも影響を与えたと思われる。
2
内務省と大蔵省の会社政策
明治七年
( 一
八七四
) 一
月九日、太政大臣三条実美は内務省設置を布告するとともに、大蔵省に戸籍・土木・駅逓
寮と租税寮中の地理・勧農の事務、教部省に音楽・歌舞の事務、工部省に測量司、司法省に警保寮を内務省へ引き