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澤柳政太郎の訓練論に関する教育方法史研究

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

澤柳政太郎の訓練論に関する教育方法史研究

著者 船越 勝

雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要

巻 32

ページ 147‑158

発行年 1996‑03‑01

その他のタイトル A Methodological‑historical Study on Classroom Management by Masatarou Sawayanagi

URL http://hdl.handle.net/10105/6923

(2)

奈良教育大学教育研究所紀要 平成8年第32号

澤柳政太郎の訓練論に関する教育方法史研究‡

   船越  勝舳

(教育実践研究指導センター)

要旨:明治から大正にかけての有名な文部官僚であり、民間の教育家である澤 柳政太郎は、訓練を弁証法的に把握するとともに、訓練の方法と訓練の機会と によって、訓練論の枠組と構造を究明することを通して、明治期訓育論の成立 と発展に大きな役割をはたした。

キーワード:澤柳政太郎、明治期訓育論、訓練の機会

I 間固の所在

 わが国の学校では、いま、その権力的支配が強められるなかで、その内面世界にまで管理主義 が貫徹し、子どもたちは、自らの「精神的自由権」を行使する力を奪われている。筆者は、こう

した問題意識から、これまで今日の管理主義を生み出すもととなったとされる明治期訓育論の形 成過程を、理論と実践の両面から検討を試みてきた 〕。本論文は、こうしたこれまでの研究の一 環として、明治期における訓育諭の基本的性格を見る場合に、重要な位置を占める澤柳政太郎の 訓練論について、教育方法史の立場から検討を行うものであ糺

 澤柳政太郎(1865年一1927年)は、明治から大正にかけて、文部省普通学務局長、文部次官、

東北帝国大学初代総長、京都帝国大学総長などを務めた文部官僚であるとともに、京大事件をきっ かけとして、京都帝国大学総長を辞任したあとは、帝国教育会会長に就任し、私立成城中学校や 成城小学校を創設して、大正自由教育を推進し、国民教育奨励会長にも就任するなど民間の教育 界の進歩・発展に尽力した教育家、思想家としても有名であ糺また、r教育者の精神」(1895・

明治28年)や丁教師及び校長論』(1908・明治41年)、そして教育界に大きな反響を呼んだ『実際 的教育学』(1909・明治42年)など、数多くの著作も物している2〕。

 こうした澤柳の多面的な活躍に対応して、これまでの澤柳に関する先行研究は、彼のさまざま な分野での活躍の実相を明らかにしてきており、そのことによって、今日、澤柳の人物の全体像 がかなり究明されてきているといってもよい。そのなかでも、彼自身が創設した成城学園におけ る「澤柳政太郎研究会」(略称・澤柳研究会)が果たした役割はきわめて大きい。ところが、残 念なことに、澤柳の訓練論に関しては、まとまった研究はほとんどなされていないのが現状であ る3〕。澤柳自身は、訓練論に関しても多くの主張を行っているのにもかかわらずである。

 他方、明治期訓育論の問題史的研究においては、澤柳が展開した明治期の形式的な訓練に対す

 *AMethodo1ogica1一阯storicalSt1』dyoI1Classroom ManagementbyMasatarouSawayanagi

**Masaru FUNAGOSHI (Center for Ed皿。ationa1Research and Training)

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る批判や教授の役割の強調など、彼の訓練論に関する主張について指摘されてきた。たとえば、

宮田丈夫4〕、宮坂哲文5〕、中野光6〕、関秀華f〕の研究は、明治期訓育論の発展のなかに澤柳の訓練論 を位置づけた。しかし、それらは彼の訓練論の特質を全体として解明したものではなかった。

 そこで、本論文では、澤柳の冒■1練論の全体像を解明することを目的とするとともに、明治期訓 育論の形成過程において果たした意義についても明らかにしたい。

皿 澤柳政太郎の訓練諭の基本的特徴

1.訓続の概念

 (1)教授、訓育、養護の区別と訓練の概念

 まず最初に、澤柳が、訓練の概念をどのようにとらえていたかについて見てみよう。彼は、教 授、訓育、養護の概念について次のように述べている昌〕。

 ヘルバルト派教育学が我国に唱道さ札ない以前には教育の作用を知育、徳育、体育に別って論 ずるのが通例であった。ヘルバルト派起って以来、教育の作用を教授、訓育及び養護の三つに別 がつのが一般になって来た。三育の区別は教育の働きの目的に就て挙げたものであらうと思ふ。

この区別は今日尚は広く一般社会に行はる・ことであって、一の適当なる分類であらうと思ふ。

又教育の作用の性質に就て、教授、訓育、養護の三つに別つことも強ち不合理なことではなから うと思ふ。

 ここからもわかるように、澤柳においては、訓練(訓育)は教育の働きないしは作用の性質の       o  o  o  o  o  o  o

一つである徳育として把握されているのである。したがって、別のところで、「訓練の目的は言

000000000000000000

ふまでもなく道徳的品性を作るのにある」(傍点一原文)ヨ〕と規定されることになる。

 (2)形式的な二元論把握から弁証法的な把握へ

 ところで、先の澤柳の訓練の規定はその機能の側面に注目したものであるが、当然、訓練は教 育における一つの分野ないし領域を占めている。この機能としての訓練と領域としての訓練との 関係をどのようにとらえるかが、とりわけ教授との関係で問題になってくるのである。それに対

して、澤柳は、次のような議論を行うm]。

教育学上教授と訓練とを区別して論ずるのは已むを得ないが、実際には常に教育を施す孝を以て せなければならぬ。実際に於でこれが教授、これが訓育と云ふやうに明に区別されるものではな い。しかるに実際に於ても恰も学問上に於て区別するが如く教授、訓練の二つが独立分離して居 るが如く訓育の手段方法を特に工夫する傾がある。

つまり、機能としての教授と訓練をそのまま実態的にも区分し、機械的に二元的に把握する傾 向があるが、それは誤りであり、機能としての教授と訓練は、常に、実際上は教育のなかに統一 されてあるというのであ糺いいかえ札ば、機能としての訓練は、教授の領域にもあるし、訓練

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の領域にもあるということである。こうした澤柳の詞■1線についての弁証法的な把握は、形式的な 二元論的区別が強かった当時にあっては、非常に注目すべきものだといえ乱

2.従来の訓練研究への批判とヨ11線の制限  (1)訓練の実際的研究の欠如

 訓練をこのように把握する澤柳は、他方で、従来の訓練研究のあり方に対して、非常に厳しい 批判を展開していた。すなわち、彼は訓練研究の現状について、次のように述べている11〕。

 従来の教育の目的を論ずる所より見れば、訓育は教育の作用の中に於て最も重大なる位置を占 める物である。……黙るに、訓育についての研究は、教授に関する研究に劣ることが最も著しい のである。

 澤柳は、さらに、訓練論と訓練の実際との関係は、教授論と教授の実際との関係よりも密接な 関係になっていないとし、教授よりもその必要性が高い訓練については、今後一層実際的な研究

を行っていくことを強く主張するのである。

(2) 「訓練の制限」論

 このような実際的な立場に立つ澤柳は、さらに議論を発展させて、学校での訓練の実態をリア ルに見るのであれば、それはもっと制限されてしかるべきであるという「訓練の制限」論を展開 する。それは、次のようなものである12〕。

 今日の訓練の実際について考ふれば、学校に於て施し得る訓練は極めて制限せられる者ではな いか。多くの学校長又は教育者が訓練の効果の挙がり難きことを唱べるのは、必ずしもその方が 至らぬばかりでなくして、訓練には大なる制限があると云ふ真理を含んで居るではないか。今日 の訓練論に於て目的として掲ぐる所のものは或は余り多きを望んで居るのではないか。

 こうした議論を澤柳が行ったのは、訓練の実際について科学的、実証的に研究しようという澤 柳の姿勢からだけではなく、無理な課題の押しつけはせず、子どもの発達に即した訓練のありよ

うを追求しようとしたこととともに、知育偏重の名の下に、形式的な訓練の実践がますます行わ れていく傾向を批判しようとしたことなどが考えられる。

3、訓練の段嗜

 「訓練の制限」論によって、子どもの発達に即して訓練のあり方を考えていくと、必然的に訓 練の段階を構想することになってくる。具体的には、澤柳によって、訓練の段階に関する次のよ

うな研究課題が提起されているのである 3〕。

これを要するに訓練の効果には階段があるか、ないか、第一にこれを研究する必要があるので

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ある。もし階段があるとしたならば、如何にしてその階段を表はし得るか。訓練の階段は或は教 授の階段と別にこれを定めなければならないものなのであるか。又この二者の階段をして調和一 致せしむることが出来るものであるか。

 これらの問題は、もちろん澤柳によってすべて解決されたわけではないし、それらは同時に現 代に我々の課題でもある。しかしながら、形式的な訓練の実践が多かった当時において、澤柳が、

子どもの発達にもとづき、教授との関係も視野に入れながら、訓練の段階を構想しようとした点 は、高く評価されなければならない。

4.全体劃11線と個人的劃11線

 最後は、全体訓練と個人的訓練の問題である。澤柳は、訓練は学級を単位とした全体訓練ない しは団体訓練が標準であるけれども、訓練がすべてそれに修練してしまうのは問題だとする。す なわち、「今日は訓練に関して団体としてのみ取扱って居るが、個人として取扱ふ方向に進んだ なら訓練の効果は著しいことであらうと思ふ」 4〕と述べ、個人的訓練の必要性を次のように説明 するのである15〕。

 即ち教授は学級を単位と看破して授くるに拘らず、教授の目的を達する為には更に個人に付で 教授しなければその目的を達せぬのである。……併ながら此の如き方法が訓練に関しては一も実 行されることの無いのは怪むべき次第である。自分が少し言はふとする所は即ち個人的訓練の方 法を学校に実施すべしと云ふ一点に止まるのである。(傍点一原文)

 これは、今日でいえば、訓育における集団指導と個人指導の統一として追求されていることで あり、澤柳の主張もまた、個別教育のように、訓練をすべて個人的訓練にするのではなく、全体 訓練と個人的訓練の相補的関係としてとらえようとしている点で傾聴に値する。

皿 澤柳政太郎における訓線の方法

1.貫田

(1)学校における賞罰の現状

 訓練の方法としてまず第一にあげられるのは、賞罰である。澤柳自身が述べているように、賞 罰は明治期訓育論における訓練の方法として、最もポピュラーなものである。しかしながら、賞 罰が、訓練の方法として、うまく機能しているかどうかというと、必ずしもそうではない。そう

した賞罰の現状について、澤柳は、次のように指摘している固。

賞与はよく、これを受くる者として益々奮発せしめ、且他の児童生徒を鼓舞奨励せんとする目的 が達せられて居るか。罰を施す場合に於ても、同様に、所罰の目的は十分達せられた居らないと 思ふ。即ち罰を受けても衷心より悔悟することをせずして、卸て学校の冷酷を怨ずる場合が多い。

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賞は或はその受くる者を励ますことがあっても他を奨励する効能は幾んどない。

 このように、澤柳は、賞罰が訓練の方法として当時の訓練論の理論書に最も論究されているも のであるにもかかわらず、学校においてはその効果をほとんど発揮していないことを厳しく批判

している。では、なぜ賞罰は学校でうまく機能しないのか。その点について、澤柳は、別のとこ ろで、次のように分析している。すなわち、「訓育論に於て賞罰の原理を説くが如きはこれは大 体論であるが賞罰を与える場合に注意すべき点を論究するが如きは各論である。・一・従来の教育 学に於て大に重きを於て論ずる所の事柄は序論に過ぎない。入門的の大体論に過ぎないのであ

る」 7〕というのである。つまり、従来の訓育論を研究する教育学のあり方が、序論や入門を論じ ただけであって、賞罰の実際に踏み込んだ各論が展開できていないからなのである。

 12)賞罰研究における理論と実践の統一の必要性

 こうした従来の訓練論の賞罰研究におけるアポリアに対して、澤柳は、どのような態度をとる のか。その点で、澤柳■の態度は明確である。彼は、次のように述べる 目)。

実際賞罰の行はる・ことは決して少しとしない。……その賞罰にして実際上大なる効力がないと したならば、訓育の実の挙がり難き歎声の起るのは怪むに足らない。此点に関しても理論と実際 との調和一致につき考究するの必要を感ぜざるを得ない。

 すなわち、賞罰研究における理論と実践の統一の必要性という研究のあり方についての指摘で ある。しかしながら、澤柳自身は、こうした研究姿勢で、その後に、賞罰の実際的あり方を論じ た各論を展開しているかというとそうでもない。それは、その主著r実際的教育学」の序で述べ ている、「子が教育学は如何なる問題を如何なる方法によって研究すべきものであるかと云ぶこ

とを述べたものである」蝸〕という彼のスタンスから必然的なものであった。

2.教授

 (1)訓練の方法としての教授の構造

 第二に、訓練の方法としては、教授がある。このような教授の訓育的意義を強調する立場に、

ヘルバルト主義教育学があるカ刺、澤柳は、そのことについて、次のようにいう…1〕。

自分かご・に訓練の方法としての教授を述べるのは、ヘルバルト派に於て言ふ所の趣旨に依って 言ふのではない。一・・実際上に於て教授は訓練の方法として最も有効なるものであり、最も重大 なるものであると云ふ事実を看て言ぶのである。意志は観念よりして生ずるものであると云ふ心 理説よりして言ふにあらずして、事実上についてこれを研究して見やうと思ぶのである。

つまり、ヘルバルト教育学から演繹的に述べているのではなく、事実として教授は訓練の方法 として機能を果たしているではないかということである。そして、さらに、澤柳は、訓練の方法

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としての教授の問題を考えていく上で注目すべき2つの事実を指摘する。一つは、「教授をなす 間に於て諸種の訓練を施すことが出来る」22)ということであり、もう一つは、「訓練と各学科教授 について…の関係」醐のことである。以下、そのことについて見てみよう。

 (2)教授過程の訓育的意義

 まず、前者の「教授をなす間に於て諸種の訓練を施すことが出来る」ということであるが、澤 柳は、それについて、次のような例をあげて説明している。すなわち、授業時間中に静粛にして いるのも訓練であるし、自分の欲するままに話したり動いたりしないということは、礼儀にかな

うことであるなどなど。こうした事実は、澤柳をして、次のようにいわしめることになる別〕。

教師たる者単にその学科を授くるのを以て教授時間中の能事とせず、かくの如く教授中に諸種の 徳義を生徒をして実行せしめつ・あることを明に認識して、荷もこれらの徳義の実行に反するこ とがあるのを見てはこれが矯正を怠らなかったなら教授時間中に訓育は常に同時に行われつ・あ るのである。……此点から考へると教授時間なるものは突はこれを教育時間と唱えたいと思ぶの である。(傍点一原文)

 このことは、現代の訓育論研究の立場からいえば、教授過程ないし授業過程の訓育性という問 題のことである。澤柳は、そうした特質を「教授時間なるものは実はこれを教育時間と唱えたい」

という表現で示しているのであ糺この点は、形式的な訓練を批判し、訓練の知的性格を強調し た彼の訓練論の特徴がよく表れているところである。だが、思想圏の陶冶を中核とヘルバルト主 義教育学の枠組みを無媒介に持ち込んだのではなく、まず教育の事実に立脚することから出発す

ることを主張した澤柳だからこそ解明できた視点であるといえる。

 (3〕教授内容の訓育的意義

 後者の「訓練と各学科教授について…の関係」についていうならば、澤柳は、各学科の教授内 容の特質にしたがって、その教授時間にどのような訓育の機能が発揮されるかについて分析を 行っている。これは、現代の訓育論研究からすると、教授内容ないし教科内容の訓育性のことで ある。以下、順に見ていこう。

 ①修身科と訓練

 修身科は、訓練と最も関係があるものである。修身科は、子どもに道徳上の知識と情操を養う ことを目的とするものであるが、それが十分になされた場合、実行への転化が容易であるという 意味で、訓練の目的は大半が達せられたということができる。ところが、修身科は知識と情操を 養い、訓練は実行であるかというとそう単純ではない。すなわち、「通常訓練として与えられて 居ることは、直ちにこれを実行し得べきものに限るとしたならば、知識を与ふることは修身科の 事業であるが、訓練ではないと言はなければならぬ。黙るに学校の訓練は単に学校生徒の行為を 道徳的ならしむるものに止まったならば、この効果は極めて小なるものと言はなければならぬ。

児童生徒が社会に出でた後に道徳的行為をなす、この基礎すなわち道徳的知識を冬へなければな らぬ」蛎〕というのである。つまり、先にも見たように、両者は弁証法的な関係にあるのである。

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 ②歴史科と訓練

 歴史科と訓練も、非常に密接な関係がある。すなわち、歴史科の教授は、単に知識を授けるこ とだけではなくて、徳性を酒養することをも目的としているのである。したがって、歴史科の教 授を行う場合には、確かに「歴史上の教授をなしつ・ある間に知らず智らず訓育の一目的を達する

こともあるけれども歴史と訓育との密接なる関係を明にし、この関係を認識しつ 歴史の教授を なすときには一層訓育に資することが多い」囲)のである。

 ③地理科と訓練

 地理科と訓練も、やはり関係している。地理科は、わが国土を愛するという意味での愛国心の 養成に関係しているが、こうした徳性の酒養は、訓育の課題である。こうした徳性を養っていく 場合に、それを徳目として教え込むのではなく、すなわち、「単に人は国の為に尽くさなければ ならぬと云ぶことを説くよりも、我国の位置、状況は如何なるものであるかと云ぶことを明にす るときには、自ら奮発心を興起せしむることが出来るのである。かくの如く地理科に於ても訓練 の一部分の仕事を尽くすことが出来る」 〕のである。

 ④国語科と訓練

 国語科は、言語について教えることを主目的にするものであるが、その内容を見てみると徳性 の啓発に関係しているということができる。つまり、「教科として論ずる際に、国語科は美育、

情育をなすに適することを述べたが、美育、情育の如き、又訓練上の一部分のこと」腕〕なのである。

また、とりわけ作文については、作文が子どもの思想や感情を表現したものであることも少なく ないので、そうした場合には言行の一致を指導する必要が出てくるが、これは訓練の機会として 最もよいものだということができるのである珊〕。

 ⑤理科と訓練

 理科も、訓練と関連している。すなわち、自然科学を教授することによって、真実の尊重や正 直といった徳性を養うことができるのである。それゆえ、理科を教授する場合に教師が心得てお かねばならないのは、「理科の教授に依って、これらの徳義を養はんことを認め、その心を以て 教授するときには、一層効果のあることは疑いのないこと」3。〕だということである。

 ⑥手工科、唱歌、体操科と訓練

 手工科、唱歌、体操科と訓練との関係も、非常に密接なものがある。すなわち、「勤労、熱心、

忍耐等の徳は此等の教科に依って養はれ、又共同一致の精神と云ひ、或は規律、剛毅等の徳義と 云ひ、これらの教科に依ってその目的を達することは決して少なくない」ヨ1〕のである。

3.その他の訓線の方法

 第三は、その他の訓練の方法として分類されているものである。澤柳は、具体的には、制服制 帽の規定、校内の掃除、学資金の限度の規定、校訓、校歌、級長や組長などの選出、校外監督な

どを指摘している。これらは、教育の実際にかかわっている教師が必要に迫られて生み出したり、

その時々の考えから行ったものであるが、その後、形式的になってしまうことが多い。というの は、学術的な考察を踏まえて実施されたものが少ないからである。したがって、こうしたその他

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の訓練の方法については、「実際家の必要上行ふ所のことの如きは十分に値打ちのあることであ るけれども、更にこれを学術の方面より考究することが最も必要になる」鋤のである。

4.寄宿舎

 最後に、訓練の方法として、寄宿舎が指摘されている。寄宿舎は、小学校においてはあまり設 けられていないが、中等学校においては少なからず存在している。澤柳は、訓育は家庭の力に待 つことが多いといわれるが、寄宿舎を設けて、そこで生徒を生活させている以上は、そこは家庭 と同じであり、学校は当然訓育に取り組む必要があるという。しかしながら、澤柳は、寄宿舎で の訓育は余り効果があがっていないとも述べ、それゆえ、「寄宿舎の問題は実際教育家の研究の みに委せられて、教育学者が毫もこれらの点について研究しないことが、寄宿舎の利用せられな い一つの理由であろうと思うのである。寄宿舎の研究は、教育学上に於ても最も努めなければな

らない」3ヨ)ことだと主張するのである。

M 澤柳政太郎における割11線の機会

1.劃I1育作用の特質と訓続の機会の位置

 訓練の方法として、賞罰や教授などの意義や機能をこれまで検討してきたが、澤柳は、それだ けでは不十分であり、訓練の問題を考える場合は、訓練の方法ではなく、訓練の機会ということ が重要になってくるという。では、なぜ訓練の機会ということが重要なのか。澤柳は、訓練の働

きに着目して、次のように説明している朋〕。

訓練の働きは教授とは異って、方法と云ふものに依ることが少いのである。訓練は方法に依るよ りは多く実際の機会を利用することに依って行はる・ものである。訓練は教授の如くに教師と生 徒との間に或は教材を用ひると云うよりも、或る機会を見、これに応じて教育者が直接に被教育 者に対し適当なる作用を施すことに依って目的を達せらる・ものである。故に訓育論に於ては訓 育の方法を論ずるよりも訓育の機会を考えることが一層必要である。

 つまり、訓育作用の特質は、教授のように教師が教材を介して生徒に作用を及ぼすのではなく て、生徒の置かれている状況に応じて働きかけることによって、生徒に作用を及ぼすものだから である。いいかえれば、教授と異なった訓育作用の特質を明確にするために、訓練の方法とは異 なった訓練の機会という概念が必要だったのである。

2.訓続の機会の概念と構造  (1)訓練の機会の概念

 では、訓練の機会とは、どのように定義されるべきなのか。この点について、澤柳自身も、明 確な定義を与えているわけではない。ただ、「訓練の機会と称するものを或はこれを境遇と唱へ 生徒の生活と云ふても不都合なることはない。自分は訓練の機会と名づくる方が最も適当であら

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うと思びこの名称を選んだ」朋〕という彼の言葉からすれば、訓練の機会とは、訓練の契機として の生徒の生活における諸活動のことを指していることは間違いない。このように見るならば、訓 練の機会は、今日でいう教科外活動の原型の位置を占めているのである。

 (2〕訓練の機会の諸相  ①儀式

 訓練の機会としてまず第一にあげられるのは、儀式である。儀式は、非常に重要な訓練の機会 である。澤柳は、こうした儀式として、具体的に、三大節をはじめとして、始業式、卒業式、新 任式、告別式、開校記念日などを指摘しているが、これらはともすれば形式的になっていて、余 り効果をあげていないという。それゆえ、彼は、「儀式をして映活に、愉快に、行ふことは、国 より妨げない。さらにこれに加ふるに訓練上の目的を達成するやうにせしめなければならぬ」職 と述べ、儀式を通しての訓練という視点を強調するのであ乱

 ②放課時間

 第二は、放課時間である。澤柳は、放課時間は児童生徒が自由に行動している時間であるが、

それに対して、教師が彼らを管理しているような場合も見られるし、他方では、教師が全く指導 していないような状況もあると学校での現状を批判している。したがって、彼は、「僅々の時間 であるけれども、学校の放課時間は最も大切なる機会である。よくこれを指導する時には、児童

をして種々の徳義を実行せしむることも出来る」目7〕と述べることとなる。

 ③運動会

 第三は、運動会であ乱運動会は、本来、運動の日的で行うもので、また、娯楽という目的も あるが、訓練に関しては問題が多いと澤柳はいう。彼は、イギリスの運動会の例を引きながら、

「この運動会を利用して、男子に就ては男子らしく、女子に就ては女子らしき気質を養成するこ とが必ずしも出来得ざることはなからう。又この間に礼儀作法に欄はしむることも出来るであら う。その他規律、節制、剛毅、忍耐等の諸種の徳義を養成するの機会と為すことが出来るであら う」鋤と、訓練の機会としての運動会の大きな意義を強調するのである。

 ④旅行

 第四に訓練の機会として指摘できるのは、修学旅行である。修学旅行は、学問上の目的ととも に、訓練上の目的で行うものである。その点を澤柳も、「精神の鍛錬を為す方法として修学旅行 は一の名案の如くに思はれる。……修学旅行の歴史に稽へて見ても、最も重大なる目的ともって、

これを始めたものである」39〕のように論じているが、現状では必ずしも効果があがっていないと も述べている。

 ⑤会合

 第五は、会合である。会合には、教師と児童生徒の父兄との会合と、児童生徒の会合との二つ がある。とりわけ児童生徒の会合については、澤柳は、「小学校に就ては、或は多くの会合がな いかもしれぬが、中等学校に於ては必ず校友会の如きものがあり、同窓会の如きものがあり、或 は同郷会の如きものがあり、その会の仕事として或は運動を奨励する為の部門があり、或は演説 討論を為すものもあり、或は雑誌を発行するものもある、それ等の会合を適当に利用することが

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あったならば、訓育の目的を達する上に於て利益する所が多からうと思ふ」伽〕と、その訓練の機 会としての意義を大きく評価している。

⑥偶発の機会

 第六は、偶然の機会である。これは、偶然の機会をとらえて、児童生徒に適切な訓戒を与える というものである。これについては、「この偶発の時期に於て児童生徒の感情が既に幾分興奮し て居る際に乗じて、感動を与ふる教訓を為すことは必ず大きな効果がある」仙〕という理由から、

澤柳もその訓育上の効果を認めている。

⑦児童生徒の交際

 第七は、児童生徒の交際である。これは、現代の訓育論研究においては、「交わり」の指導と いわれているものである。澤柳は、こうした訓練の機会としての児童生徒の交際について、「道 徳は人間の交際の間に行はれるものである。故に学校に於る徳性の酒養は児童生徒の交際を適当 に指導することに依って、その大部分の目的を達することが出来るのである。」(傍点一原文)42〕

と述べ、大きな意義があるとする。また、その点での学級の役割の指摘も大変示唆的である。

 ⑧学校の生活

 最後に指摘するのは、学校の生活である。これまで述べたさまざまな訓練の機会は、まとめて いえば、学校の生活ということになる。澤柳は、アメリカの学校で市民としての資質を形成する ために試みられている学生による警察や裁判所、購買組合などの実践にも着目しながら、「児童 生徒をして総ての場合に於て快活ならしめ、その行動をして道徳の規定に依らしめ、面もその生 活をして出来得る限り変化あらしめ、豊富ならしむることは、訓練の目的を達する上に於て最も 必要なるものである」43〕とまとめている。

3.割11線の機会と教育者

 訓練は、このような訓練の機会を通して行われるのであるが、これさえ保障すれば訓練の成果 が必ずあがるというものではない。というのは、「何人がこの機会を利用するかと元へば、教育 者である」44〕からである。それゆえ、澤柳は、従来の訓練論においても教育者の訓練に果たす意 義は強調されてきたけれども、今まで以上に両者の関係を厳密に検討し、教育者も校長や一般の 教師などに区別し、その固有の役割を明らかにする必要があると指摘している45〕。

V 珀善と課題

 このように、澤柳政太郎の訓練論は、訓練の機能と領域、全体訓練と個人的訓練を統一的に把 握し、また、訓練の形式化を批判して、教授などの訓練の方法としての固有の意義を解明すると

ともに、それとは相対的に区別される訓練の機会の重要な位置づけを明らかにすることによって、

明治期訓育論の枠組と構造を構築するのに大きな役割をはたした。

(12)

1)拙論「澤正のr学級経営』論に関する教育方法史研究」r奈良教育大学教育実践研究指導セ   ンター研究紀要 第4号、1995年、同「多田房之輔の訓練論に関する教育方法史研究」r奈   良教育大学紀要j第44巻第1号(人文・社会科学)、1995年参照。

2)成城学園澤柳政太郎全集刊行会編丁澤柳政太郎全集」全10巻別巻1、国土社、1975−1979年   参照。なお、同全集の第10巻には、私家文書なども含めた澤柳の著作目録が収録されている。

3)池田昭「道徳教育について一澤柳先生の道徳教育論その他一」(成城学園初等学校編r研究   紀要』第4号、1968年)は、不孝道』に見ら軋る澤柳の道徳思想や訓練の方法などを一部紹   介するにとどまっている。なお、澤柳政太郎に関する先行研究の全般的な状況については、

  「澤柳政太郎研究書誌目録」(丁澤柳政太郎全集』別巻、国土社、1979年)に詳しい。

4)宮田丈夫「訓育序説一その近代学校史的アフローチー」『お茶の水女子大学人文科学紀要」

  第12巻、1959年参照。

5)宮坂哲文著r生活指導の基礎理論」誠信書房、1962年参照。

6)中野光「明治後半期における訓育・訓練論一帝国主義的学校論の一側面一」r金沢大学教育   学部紀要』第15号、1966年参照。

7)関秀華「明治期における訓練論の発展」『福井大学教育学部紀要』第17号第1V部教育科学、

  1967年参照。

8)澤柳政太郎著r実際的教育学』同文館、1909年(r澤柳政太郎全集」第1巻、国土社、1975   年所収)、123頁。なお、当時一般的に、訓育と訓練の概念はほぼ同義で用いられていたが、

  実際的な面をいう場合訓練を使うことが多いとされており(吉田熊次著r訓練論』引道館、

  1910年参照)、澤柳の場合も同様である。本論文では基本的に彼に従うとともに、行論の都   合上、機能や作用を意味する時と現代的な視点から評価を行う時は訓育を用いている。

9)澤柳政太郎著r時代と教育』同文館、1905年(r澤柳政太郎全集』第9巻、国土社、1977年

  所収)、122頁。

10)澤柳政太郎著r実際的教育学』、189頁。

n)同上書、188頁。なお、澤柳は、別のところで(同上書、189頁)、訓育論の研究が倫理学や   心理学に還元される傾向を批判しているが、時と場所を越えて、マガレンコが同様の主張を   していることを想起されたい。(丁マガレンコ全集」第6巻、明治図書、1965年参照。)

12)同上書、193頁。

13)同上書、227頁。

14)澤柳政太郎著不時代と教育』、124頁。

15)同上書、123頁。

16)澤柳政太郎著『実際的教育学』、194−195頁。

17)同上書、41頁。

18)同上書、195頁。

(13)

19)同上書、19頁。こうした澤柳の『実際的教育学』の性格をめぐっては、吉田熊次をはじめと   して数多くの論争が行われている。(澤柳政太郎「拙著『実際的教育学』に対する吉田学士   の批評を論ず」r帝国教育』、322号、323号、帝国教育会、1909年参照。)

20)ガイスラー著・浜田栄夫訳丁ヘルバルトの教育的教授謝玉川大学出版、1987年参照。

21)22)澤柳政太郎著不実際的教育学』、195頁。

23)同上書、197頁。

24)同上書、196頁。なお、これをより厳密にいうと、教授における管理による訓育のことである。

  (澤柳政太郎著r時代と教育』、128頁参照。)

25)澤柳政太郎著『実際的教育学』、198頁。

26)同上書、199頁。

27)同上書、201頁。

28)同上書、202頁。

29)同上書、202−203頁参照。

30)31)同上書、203頁。

32)同上書、205頁。

33)同上書、206頁。

34)同上書、207−208頁。なお、宮田や宮坂などの従来の先行研究では、澤柳は教授による訓練   論者として描かれる傾向が強く、彼の訓練の機会論はほとんど見落とされている。

35)同上書、208頁。

36)37)同上書、209頁。

38)同上書、210頁。

39)同上書、211頁。

40)41)同上書、212頁。こうした考えから、澤柳は、当時の中等学校での学校紛擾に対しても慎   重な態度をとっている(同)。なお、当時の学校紛擾の状況については、斉藤利彦著『競争   と管理の学校史一明治後期中学校教育の展開一」(東京大学出版会、1995年)を参照。

42)澤柳政太郎著『実際的教育学』、213頁。

43)同上書、214頁。

44)同上書、215頁。

45)澤柳政太郎著丁教師及び校長論』同文館、1908年参照。

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