明星大学社会学研究紀要
March 2014
《論 文》
地域社会における郷土教育の実践
『郷土教育より見たる川崎市教育』
高 島 秀 樹
目次
はじめに1.『郷土教育より見たる川崎市教育』の書誌的検討 2.『郷土教育より見たる川崎市教育』の内容 (1)文化・生活・教育についての基礎的考察 (2)郷土文化財と教育
(3)川崎市の文化と教育 (4)学校経営のあり方
3.『郷土教育より見たる川崎市教育』の意義 おわりに
はじめに
日本における近代的な学校の創設以来、地域 社会と学校の関係についてどのように考えられ てきたかについて、著者は両者の関係を重視し ようとする考え方と、それに反するような考え 方が時期を追って相互に優位となるという動き を示してきたととらえることができると指摘し たことがある1)。そのような長い期間にわたる 動向の中で、近年は文部科学省等の教育政策・
学校教育政策においても、またそれを受けた各 学校等における教育実践においても地域社会と 学校の関係をより密接なものとしていこうとす る考え方が顕著となってきている2)。近代的な 学校制度創設以来の日本における地域社会と学 校教育の関係についての考え方の歴史的展開の 中で、地域社会と学校の関係を重視しようとす る考え方が特に盛行を見た時期・運動として著
者は1920年代(特に昭和初期以降)の郷土教育 運動と1940年代後半(昭和20年以降)のコミュ ニティ・スクール運動の二つが代表的な存在で あると把握している。著書はこのような基本的 な認識に立ってこれまで郷土教育運動やコミュ ニティ・スクール論に関して資料を収集し、そ の解読・検討を重ねてきた3)。
このような一連の資料収集、解読・検討活動 の中で郷土教育に関する一資料として『郷土教 育より見たる川崎市教育』4)を入手した。本資 料については次の1.に記すように不詳の点が 多く残るが、本稿においては1920年代に刊行さ れたと推測される本資料の内容を明らかにし、
検討することを通して、第1に郷土教育運動の 基礎となる考え方についてこの時期に地域社会
レベルでどのように理解されていたか、第2に 郷土教育の観点から見て川崎市の教育について
どのようにとらえられており、どのような課題
一
があると考えられていたかについて明らかにす ることを研究の目的とする。
1.『郷土教育より見たる川崎市教育』の書誌 的検討
本稿で取り上げる『郷土教育より見たる川崎 市教育』はA5版よりやや大きめの版形であり、
表紙裏に目次が記載され、本文は16頁、巻末に 別表として「川崎市教育の陶冶要諦」「川崎市 教育の施設経管」の2表4頁が付されている小
冊子である。
その目次は次のとおりである。
目次
第一章 序論
第一節 文化と生活と教育
第二節 文化の教育的意義(教育の客親的見 方)
第三節 生活の教育的意義(教育の主観的見 方)
第四節 文化生活形式と學習生活形式 第二章 郷土文化材と教育
第三章 文化財と教化材(生活材)
第四章 川崎市の文化的形態
第五章 川崎市の文化的形態の躍進と教育展開 第六章 學校の本質と學校経螢の方向
別 表 川崎市教育の陶冶要諦 川崎市教育の施設経螢5)
本資料を検討するにあたって最大の問題点 は、著者名、刊行者名、刊行年の記載、あるい はそれらを記すべき奥付が無いことである。こ れは後年になって欠落したものとは考えられ ず、表紙には表題『郷土教育より見たる川崎市 教育』のみが、表紙裏には上記の目次のみが記 載されており、裏表紙は刊行当時のままと思わ れるが内外ともに何も記載されていない白紙の
状態である。
刊行年については記載内容に取り上げられた 統計的数値の中で、最新のものとして「…(略)
・・臨時歳計の更生決算、…(略)…昭和二年度 の十二月末に於て百九十三萬圓を現示しつ5あ るのである。」、「市税に於ては、…(略)…昭 和元年に至つて六十九萬一千に達して居るので ある。」、「…(略)…本市の児童数は、…(略)
…
昭和二年度には九千四百八人に達してゐる、」といった記載が散見され6)、1927(昭和2)年 後半から1928(昭和3)年頃に刊行されたと推
測される。
なお、刊行年とも関連して本資料の内容を検 討する際に注意すべき点は、本書は「川崎市教 育」と題されているが、川崎市の市域について 変遷があった点である。川崎市が市として成立
したのは1924(大正13)年7月1日であり、市 の成立当時、あるいは本資料の刊行年と推測さ れる時期の市域は市制施行時に合併した川崎 町・大師町・御幸村の範囲であり、現在の行政 区域でいえば川崎区・幸区の範囲であった。な お、その後中部から北部の地域を順次合併し、
現在の市域になったのは1939(昭和14)である。
当時の市域と現在の市域との相異については、
本資料中の諸統計数値等、記述内容を見る時に 注意しなければならない。
著者については特定の学校についての記述、
あるいは特定の学校の立場からの記述とは考え られず、末尾の部分に「私はかうした立場から
(ママ}
川崎市教育の陶治要諦と施設経螢とについて表 示することSする。」と記載されており、川崎 市全体の教育行政に関わる機関、もしくはそこ に所属する者が記述し、刊行したものではない かと推測される。また、奥付等の表記がないこ とから、公刊した文献ではなく教育行政に関わ る機関が作成し、学校等に配布した内部資料で はないかと推測することも可能である。
本資料について教育調査の歴史について先駆 的で、数少ない貴重な研究を進めている竹村英 樹慶応大学教授はかつて「三井透が、川崎へ入
る前のものと考えられます。(もしかして、川 崎特殊高等小学校長山崎博氏のものか?)」と 私信で教示して下さった。この教示を基に当時 の状況について以下で簡単に検討する。
昭和初期に川崎市において郷土教育の実践に 積極的に取り組んだ学校として、次に示すよう に当時の資料では川崎市立田島小学校があげら
れている。
東京帝国大学教育学研究室が郷土教育に関す る全国調査を行い、その結果を東京帝国大学文 学部教育学研究室内教育思潮研究会が編集する
「教育思潮』第6巻第1輯に「我が國に於ける 郷土教育の発達」として掲載したのが1931(昭 和6)年、ほほ同様の内容を共編著『我國に於 ける郷土教育と其施設』として刊行したのが 1932(昭和7)年である。両者の内容はほぼ同
一
であるが、そこでは全国各地の郷土教育活動 を展開している代表的な学校11校に対する実地 調査の結果とともに、全国の学校を対象とした 質問紙調査の結果が掲載されている。この質問 紙調査については、「質問紙を登迭した學校は 全國師範學校附属小學校百四校、昭和二年文部 省が全國の郷土教育に就いて調査を行つた際報 告書を提出した小學校約五百校中より選んだ百 七校、その他郷土教育に就いて特に研究をなし、これに就いて何等かの施設ありと考へられる學 校百六十一校、その他各府縣より七十一校をと つて隠数四百四十三校である。」と記されてい るように400校を超える学校に質問紙を郵送し て回答を依頼したものの、回答を寄せた学校は 48校と比較的少数にとどまっているが、その中 に防申奈川縣川崎司i田島小學校」がある。調査 結果として項目ごとにまとめて全体的傾向や特 徴的な事例が示されているが、その中で田島小
一41一 学校については、「生活科に於て郷土文化の髄 験をなすことを趣旨とするものも郷土科と同じ 使命を果して居る。其實施の一例に就いて見る
に、(祠奈川縣川崎市田島小學校)昭和二年度 より毎週水曜日午後課外として全學年に生活科 を課し、郷土の文化見學、調査、整理、表現を なさしめ、これを指導するに生活科教材配當表 を用ひてゐる。最近出版された田島小學校長山 崎博氏の著書によると同校の生活科は郷土科と 改稻されたかに見られる。郷土科(生活科)とな つてゐる故、生活科の名稚よりも郷土科の名稽 を本彊とするとの意であらうか。」との記述が みられる。また、「郷土に關する教科書」項目 に関連して調査に対する回答と同時に寄せられ た資料を示す中で「祠捺川縣川崎市田1島尋常高 等小學校 生活科教材配當表」が記されてい
る7)。このように郷土教育に関する質問紙調査 に積極的に回答していること、またその回答内 容から田島小学校が本資料刊行推定年より数年 後の1931(昭和6)年時点において郷土教育に 積極的に取り組んでいたことは明らかである。
また、三井透「川崎市の教育調査」は1934(昭 和9)年9月に刊行された『教育』第2巻第5 号、岩波書店刊、に掲載されたものであるが、
その内容は川崎市の教育全体についての調査研 究報告が基本であり「特殊施設封犬況調査(昭和 七年度)」項目など調査に対する回答について 個々の学校ごとに表などに一覧する形式で示さ れている部分もあるが、特定の学校や教育実践 については本文中で取りあげられていない。「特 殊施設‖犬況調査(昭和七年度)」表中には田島 小学校も取りあげられており、余暇指導状況・
職業指導・養護学級能力別促進学級状況・保健 衛生施設状況・その他の各桐について項目が示 されているが、郷土教育に関連すると考えられ る項目は記載されていないs)。
なお、その刊行当時までに実施されていた教
一
育調査について網羅的に明らかにしている貴重 な調査研究成果である1938(昭和13)年10月に 刊行された岡部教育研究室『日本に於ける學校 調査の批到的研究』においてもこの三井透「川 崎市の教育調査」が紹介されている。その内容 は、この調査の特徴、内容の概略、結論の要約、
著者のこの調査に対する意見など約5頁にわた って比較的詳細に記載されているが、郷土教育 については触れられていない9)。
この3点の資料からは本資料について示唆を 得ることはできず、著者・刊行者・刊行年につ いては不詳のままといわざるをえない。
竹村教授の示唆にあった「山崎博」について は、CiNiiの資料検索を行なった結果では学校 教育に関する領域を中心に数多くの著書があ り、その中で直接「郷土教育」をタイトルに含 む著書としては『新時代の郷土教育』1931(昭 和6)年3月、教育実際社刊、『郷土教育の再 吟味:研究と批判』1931(昭和6)年10月、教 育実際社刊、『郷土教育のカリキュラム構成』
1932(昭和7)年3月、人文社刊、『カリキュ ラム構成郷土模式調査の研究』1933(昭和8)
年、明治図書刊、が見出された。さらに注目す べきは『日本田島における新教育の實際』1927
(昭和2)年10月、日本教育學會刊、が見出さ れた。これらの諸著作を刊行していることから、
竹村教授の示唆にある山崎博を本資料の著者と 推測することも可能であるが、残念ながら現時 点ではこれら諸著書を実見する機会を得ておら ず、推測の域にとどまるといわざるをえない。
2.『郷土教育より見たる川崎市教育』の内容
(1)文化・生活・教育についての基礎的考察 本資料の著者は郷土教育の観点から見た川崎 市の教育について明らかにすることを主目的と
しつつも、その前提として「…(略)…最初に、
郷土教育乃至川崎市教育の實際に導く基礎とし ての教育概念について…(略)…」lo)明らかに することが必要であると考え、教育のみならず、
その基礎となる生活・文化についての考察、そ れら三者間の関係についての考察から記述を始 めている。それが「第一章 序論」であり、そ の具体的内容は「第一節 文化と生活と教育」、
「第二節 文化の教育的意義(教育の客観的見 方)」、「第三節 生活の敬育的意義(教育の主 観的見方)」、「第四節 文化生活形式と學習生 活形式」の4節に分けて、各項目について簡潔
に述べている。
第一節では、教育と文化、生活の関係につい て取りあげているが、「教育とは文化であり、
生活であると思ふ。」と最も基本となる教育の 概念を示している。さらに「文化とは自然たる 素材を人間のもつ理想によつて、愛化し創造し たるものである。」と文化の概念を示している。
ここに示されている教育は文化の一部であると ともに生活の一部である、もしくはそうなるべ きであるという考え方は、教育を観念的なもの に留まらせない考え方であるが、それは郷土教 育という考え方を可能にする最も基本的な考え 方を提示しているものととらえられる。その上 で「…(略)…正しき生活は、債値ある生活で あり、債値ある生活は文化である。」とし、「見 童はかうした文化生活、具体的なる文化生活た
る宗教、藝術、學問、道徳、冠會、経濟、政治 の下に登展し形成せられるものであり、文化關 聯に於ける交渉によつてS ある。」と生活を重 視する考え方、正しい生活が価値のある生活て あり、それが文化となること、文化、生活文化 によって子どもの人間形成が行われるという考 え方を示している。また、「かうした交渉を助 成するものは、直接指導者たる教師其の人であ る。その教師の助成する世界は精帥的世界であ り、人格の綜合力の上に於てなされるものであ
る。」11)と、文化関連における交渉による人間形 成を助成するものが教師であると、教師の果た すべき役割について示している。
第二節では、「文化の創造とは精祠が自然を 支配する精祠的な生活の形式である。」、「私の 意味する文化内容観の思想的立場は全文化を以 て内容とする…(略)…」、「文化内容を理想の みから考へず、現實をも含んで考へるものであ って、自然と精祠1、現實と理想とから見た人間 的な行動が文化であるのである。」と文化を自 然と対置するとともに、文化を人間の精神的な 生活と関連づけてとらえ、その内容については 広く総合的なものととらえるとともに、人間の 行動こそが文化となるという考え方を示してい る。その上で、「かうした文化の創造力の体験 乃至文化の創造は即ち教育である。」、「一体児 童は文化組織の働きによつて精祠力を獲達し得 るものであるが、児童その物は既に文化組織に よつて影響せられつ・あるものである。そして 其の影響を助成することは教育である。」12)と文 化が子どもの発達をもたらすものであり、その 活動を助成することが教育であるとしている。
このように文化の教育的な力を示しているが、
これも郷土教育を基礎づける考え方の一つとな る点であると考えられる。
第三節では、生活の教育的意義を取り上げ「…
(略)…生活を内面的作用的に見るならば、知 識的にも情意的にも心意を働かして、全人とし ての心意の働きをなす働きをいふのである。か うした働きをよりよくなさしめる生活の作爲乃 至助成が教育である。」13)と心意のより良き働き をなさしめるような生活に導くことが教育とな るという考え方を示している。
第四節では、より具体的に文化生活形式と学 溜生活形式の関係について取り上げ、目的価値 と関係する活動であり、自己を創造せんとする 意志の働きとしての「…(略)…生活はそれ自
一43一 体が生成向上、永遠なる意義を有することは、
文化慣値文化内容を實現する現實的なる働きで ある。」、「…(略)…精祠内容をもつ債値の方 向に向ふ生活は、客覗的な文化の各方面と交渉
し、生活する(せつ取乃至創造)ことによって、
文化形式乃至創造の力と文化の内容とを体現し て、自己の本質構造を獲展せしめることが出來 るのである。」、「…(略)…精祠登展過程は、
未登達の構造生活から登達的な精祠1構造へと精 祠1生活をなすものである。實際教育に於ては か・る未登達期から登達期への伸展を企圖し、
助成するものである。」14)と生活と文化によって 助成的に行われるべきものが教育であり、心意 のより良き働きをなさしめるような生活に導く ことが教育となるという考え方を示している。
本資料が作成・刊行されていることは、この 当時「郷土教育」の考え方、「郷土教育運動」
が中央における教育思想・教育運動論にとどま らず、地域社会レベルにまで浸透していたこと を示しているものと判断することができる。し かし、上述のような記述内容を持つことから考 えると、その受けとめ方としては、「郷土教育」
に関して単に郷土のための教育、郷土に関連す る内容を取り入れた教育といった実践的な捉え 方にとどまっていたと考えることはできない。
さらに深く郷土教育の基礎となる教育の概念を どのようなものとしてとらえ、そこに生活や文 化がどのように関わるのかが地域社会レベルに おいても検討・追究される段階にまで進んでい たことを示していると判断することができるの であり、地域社会レベルにおいて単なる「受容」
にとどまらない「深化」の動きがあったと考え ることができる。
(2)郷土文化材と教育
次に郷土文化財と教育との関係、郷土文化財 の教材化について述べられている。第二章では、
一
その前提として郷土の範囲について「…(略)
…
郷土とは自然的生活文化的關係を含む地いき…
(略)…」と定義づけ、その子どもにとって の意味については「…(略)…児童に直接的な る生活範囲である。」15)ととらえている。その上 で郷土が子どもにとって直接的な生活の範囲で あることから、「郷土文化財に出立することは、…
(略)…全体より出立し、生活に出立するこ とであり、生活に蹄趨することであり、即ち生 活を關聯的に見ること・となり、取扱ふこと・なるものであり、地上に於ける体験せる及び体 験し得る全体総和の結合である。」、「概念によ
る教育ではなくて、生活よりの教育であり、意 義ある生活であらしめるものである。」と郷土 が自然的生活文化的関係を含む地域であり、子 どもの生活の範囲であることから、郷土に基礎 をおく教育は生活と深い関連を持つ教育となり うる、また郷土に基礎をおく教育は概念的な教 育ではなく、より具体性を持った教育となりう るという意義があることを示している。さらに
「…(略)…生活に直接的なる郷土文化財は、吾々 に教育乃至指導の着眼と基礎と方法とをあたへ る。」16)と、教育における郷土文化財活用の実践 的意義を示している。ここでは郷土文化財の具 体的内容の例として経済的文化財、科学的文化 財、芸術的文化財があげられており、それらの 実態に対応した教育のあり方が示されている。
また、「郷土文化は文化の内容となり、精祠生 活の獲展即ち生活力を附與するものである。」17)
と、生活力を付与するという教育効果を持つと いう考え方を示している。
このような考え方においては「文化財」と「教 化材」が同一のもの受け取られがちであるが、
この点について「文化財と教化材とは同じでは なくて、教化材の方が文化財よりはせまいもの である。文化財の中に於て教育目的に向つて意 義を有するものが即ち教化材である。」と、文
化財の中から教育目的に沿って一定の選択が行 われたものが教化材となるととらえているが、
選択の基礎となる教育に向っての意義という点 については「…(略)…第一には兄童の個性の 上から選鐸せられるものであること、(主親的 立場)第二には内容構造が文化全体の構成から 選揮せられるものであることである。(客観的 立場)」としている。さらにその内容として、
第一の観点については児童の精神発達と文化機 能と文化意識に即して選択されるべきであり、
第二の観点についてはその内容は文化全体から 考えるべきものであり、全生活に関係づけられ るものが選択されるべきであると説明してい る18)。文化財一般と異なり、教化材はその中で 教化価値が追求され、教育目的に向って意義を 持つ規範が求められるものでなければならない
という、教科材についての基本的な考え方が示 されている。この基本的な考え方にもとついて、
郷土教育は郷土の文化(財)を教育活動の中に 取り入れることを目ざしているものであるが、
郷土の文化(財)が全て無条件に教化材になる ものではなく、そこに教育目的を達成すること に寄与するか否かという観点からの選択が行な われるべきものであることを強調していると理 解することができる。
(3)川崎市の文化と教育
以上で取り上げた基礎的、前提的考察を受け て第四章では「川崎市の文化的形態」、第五章 では「川崎市の文化的形態の躍進と教育展開」
と題して、川崎市における郷土教育において取 り入れるべき内容が具体的に示されている。
第四章では、「具体的生活的なる川崎市の文 化乃至形態的要素」について取り上げているが、
はじめに教育の本質から考え、その形態を「歴
くママラ くマめ ごマれ
史的形像」「自然的形像」「文化的(狭義)形像」
の3種に分けてとらえるべきことが提唱されて
いる。「歴史的形像とは、自然と狭義の文化と の關聯に於ける川崎市の文化的登展について・
ある。即ちMII先及祀先の生活、近世及現代の生 活についてS あり、経濟、政治、道徳、宗教、
くママラ
知的発達を含むんで居るのである。」、「自然的 形像とは川崎市の文化的進展への素材、資料で あり、生活内容を形成する自然的方面について であり」、「文化的形像とは、具体的なる文化生 活の組織内容一宗教、學問、藝術、道徳、経濟、
政治、iii土會一以上の文化財の個性的全体につい て・ ある。」と各々の内容を示している19)。こ くママラうした説明に続いて「郷土の文化及自然の内客」
と題して、道徳、宗教、経済、政治、学問、芸 術の領域ごとに具体的な名称をあげている(た
だし「藝術」については項目の記載がない)。
例をあげるならば「宗教」の領域では稲毛肺洞:、
日枝祠1祠二など12項目があげられ、さらに「備考」
において「◎洞1祠:佛閣教會 祭祠及沿革 帥話 傳説 祠1祭ノ刺1話的内容」と取り上げるべき要
点が示されている20)。
第五章では、文化的形態の躍進と教育展開に ついて取りあげる前提として、「文化的形態の 躍進」について「…(略)…文化理想の登展、
文化佃値創造の過程をいふのであって、事實の 知識ではなく、知識につくす生活躍進即ち、理 想の意志活動についていふのである。」、「教育 的展開」について「…(略)…文化的形態の躍 進に相即する教育形成についていふのであつ て、文化内容ともなり文化財の産出ともなるも のであることについて言ふのである。」と各々 の概念を明砿にしている。その上で、「以下文 化的形態の躍進につくす放育形成の内容の一斑
を述べやうと思ふ。」としているが、「かうした 教育形成について知ることは、郷土文化の内而 性を過去に見ると共に、現在に生きて形成し つ・ それが將來に形成せられる文化形成過程
を理解し得るものであり、且つそれが郷土の精
一45一 祠的過程に規範を與へることにより、我が郷土 川崎教育に規範を附與すること・なるものであ る。」21)と、文化的形態の躍進に相即する教育形 成について明らかにすることの意義を示してい
る。
このような基本的な考え方を示したうえで、
文化的形態の躍進に尽くす教育形成の内容とし て、川崎町・大師町・御幸村が合併し川崎市が 成立した1924(大正13)年7月1日以降の動向 について、人口、面積、財政、工業、教育の各 領域について具体的に数値をあげて明らかにし ている22)。例をあげるならば、人口については 1924(大正13)年には6万9千人であったもの が、1926(大正15)年には7万8千人に達して いること、この間1年間当たり4千人ないし7 千人の増加、8%程度の増加を見ており、全国 の他の都市を上回る増加状況を見せているこ と、それにより全国101都市中49位であったも のが27〜28位になったことを示している。これ らの項目は川崎市の当時の変動状況を数量的に 示しているものであって、これらは川崎市にお ける郷土教育の一環として郷土川崎市の実態を 取り上げる場合の具体的な素材を示しているも のと理解することができる。
(4)学校経営のあり方
第六章では、「學校の本質と學校経螢の方向」
とのタイトルのもとに「…(略)…文化過程と しての學校の本質についてと、文化過程として の學校の経管方向について述べて、我が川崎市 の學校経督への立場を明らかに…(略)…」23}
することが取りあげられている。
学校の本質については、「…(略)…文化の 過程から(理想と文化内容とから)學校が生ま れるものであること…(略)…」、「學校そのも のS中心任務が文化内容の傳達乃至文化の創造 であること…(略)…」、「學校それ自体が文化
一
それ自体の中に導入せられるものであること…
(略)…」をそれまでの考察の結果から導き出 される点として示している。このような学校の 発生と本質的な役割にかかわる認識は、今日的 な理解と共通するものであると筆者は判断す る。そのうえで「かくて學校は精祠1性の体験に 基づき、体験的生活をなさしめ(生活を向上せ
しめ、生活を深化せしめる)生活力を酒養する ところである。軍なる知識ではなく、知識につ くす生活の把捉を努めるところである。」24)と学 校が子どもたちに対してどのような働きかけを
なすべきなのか、また生活との関係を重視し、
単に知識を与えるだけではなく生活力の酒養を 基本とする点に学校の本質があるという考え方
を示している。このような考え方を示したうえ で、知識に尽くす生活の把握、文化体験的生活 を行うことは主知主義(知識の伝達のみ)によ るものではなく、反主知主義(心情生活、意志 生活の力説、主観的態度の重視)を強く力説す るが、それのみが全てではないとの説明を補っ
ている。
学校の経営方法については、学校生活のあり 方について「文化の体験的生活の責際としての 全學校生活」においては、「第一郷土に出立す る國民文化的であることである。國民文化生活
を生活する即ち文化債値を享受せしめることに より、文化債値の創造に導くことである。」、「第 二には全精祠を出立とし、人間を債値領域に於 て、基礎づける心理に立脚することである。」、
「第三には文化債値体験、文化債値實現活動を 重覗することである、」ことが必要であること を示している。その中心的な方法としては「生 活化 肚會化 行動化」が中心となるべきこと を主張しており、こうした方法についての考え 方は今日の社会化の考え方に共通するものがあ ると筆者は判断する。さらに「そして形式主義 に流れずして施設経螢せられることである。」25)
と留意点を述べている。このような内容から考 えると、ここで言う「学校の経営」とは、今日 用いられているような狭義の学校経営というこ とにとどまらず、学校に於ける教育実践の基本 的なあり方を示していると考えられる。このよ うな学校経営を実践していくうえで、どのよう な内容を取り上げ、どのように教育・指導して いくべきか(陶冶要諦)について、さらに学校 経営のための組織(施設経営)について、「私 くマむ
はかうした立場から川崎市教育の陶治要諦と施 設経営とについて表示すること・する。」26)とし て、次に掲げる2表を示している。
表1.川崎市教育の陶冶要諦
川崎市教育の陶冨要諦
要項
原理 目的とする文化生活 指導の方法的綱領
総 合
的文化生活市民生活の競照 (ママ}
郷土文化の研究(傳説史績、自然、會杜、工場、官 衙、製造品等)
言果タト講座 ({1}K養、 i舌蚤力、 与冴斗、 等≡)
儀式作法指導 郷土文化資料の蒐集
職業指導(父兄職業、克童性能調査と、紹介と個別
指導)
女子本分の指導(衣食住経螢法、家庭氣分)
個性的指導、
質實剛健なる意志敬育、
情操の醇化指導、
作業化取扱と學校の杜會化(講堂、校舎、住宅分布、
出張指導)全体的生活の指導 形式陶冶の尊重(錬成)
自己佃値の創造徹底(性格訓練の重硯)
一
講話、祠1宮参拝旅行、 自己生活観照の上の指導、
道
榊宮及宮城遙拝、誕生會、 國家愛の奉精祠養成
徳 的
祠:會奉仕作業、勧努の体験
吊問、鐙祭、徳目鍛錬、 道徳的生活の長所短所を出登鮎帰結鮎とする指導、
生
校外生活指導、機會指導、 特殊性と個性との指導
活 祠:會的生活指導(義務 じ・、責任感、共同連帯心、敬 元土會的自治的生活への指導
姦 愛感謝)
國民的學校行事、(儀式會議等) 克童職員同行の生活、
的
家庭の宗教行事、 敬慶たる精帥を中心とする。
一
釜
奉安所敬禮信念生活、
手工科の施設経管、 環境の整理創造に務む
藝
學級文庫設立、 自己内省と批判への指導
般 術 成績品鑑賞會及び展覧會 生活開聯による指導
的學藝會、唱歌會
生 課外讃物、副讃本調査制定 的 活 文集作製
硬毛雨筆書方指導
科 實験實測施設 具体化作業化の奪重
文 學的生
教材園経螢 校外研究
生活事宜に即しての指導(自然及文化)
問題登見と問題解決の指導
活 生活關聯による指導
化 経 濟
實際生活の見學及實際的指導 實習作業
環境の整理創造
郷土的背景と宜生活の適合
的
貯金奨刷 作業化
生
生活 學用品経済的使用指導 言語経濟の指導
道徳との關聯
政 校内自治會、校外自治會 自治的生活への指導
活
治的生活
級長制度 會合 公民講話
運動會、競技會 体育の合理的指導と体質体格の自窒的登展への指
自由及課外蓮動、遠足角力、徒歩、強行、校戯、級
導、体 育 戯の練磨 個別指導、と繕績的救済鍛錬と趣味養成と、矯正と
身体検査、衛生日衛生週間 常的登達との顧慮、精神衛生方面の注意
的生
夏季施設、と郷土夏季施設の利用 保健衛生方面指導(傳染病豫防、歯牙衛生、消化器
活 心身相關登展の調査 呼吸器闇衛生)
〔ママ}
給氷と配水と、洗面施設、
通風採光、姿勢、トラホーム治療 出典:『郷土教育より見たる川崎市敦育』
表2.川崎市教育の施設経螢
(著者・刊行年・刊行者、不詳)17〜19頁
川
崎 市 教 育 の 施 設 経 螢
兄 ?i7:
敬 材 教 師
児童自治生活四の組織 郷土中心各科敬伺」ll目 校務分掌
(校内、校外、學級) 商※科及工業科教材蒐集 研究紐織一研究部
生活科一郷土文化研究 各學校研究部、聯合研究部
學級ホーム制 郷土室経鞍 都市教育研究會
(學級単位兄童生活) 間書館と連絡指導細1ヨ 校具研究及製作
(不碍;1
児童固書舘、學級文庫 教口細目培補訂正
相互指導當番 學校學級行事定案 研究會
一
(ママ)
各科直観的研究資料蒐集 教科制、學年制、部判
學級奉仕回の組織 學習環境の充實整理 共同修食、交換授業、研究授業
(特設室と特設環境)
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〔ママ)
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家庭宜行信條制定 W合(朝會、書會、講詰) 連絡帳、通知、回覧、通信、
(ママ)
通信簿、慰籍、吊問、
特殊指導
〔ママ)
往行特別兄童調査と取扱 活動寓眞の調査と取締 善行兄並表彰
身体特殊兄童再診蓮動指導、
一 夜會指導、
出典:『郷土教育より見たる川崎市敢育』(著者・刊行年・刊行者、不詳)19〜20頁
このように第五章・第六章と2付表においては、川崎市において郷土教育を実践するうえで 教材内容となりうる具体的内容と、その各々に ついてどのように指導していくべきかというき わめて実践的な指針が示されている。さらに郷 土教育を実践していくために学校内においてど のような教育実践に関する体制を整備すること が必要かについて、児童の組織と活動、教材と 教育課程、教師の組織や指導の3領域に整理し て示されている。
これらの点からは本資料が実践に寄与するこ とも目的としていると理解されるが、その内容 は教育実践において実際に活用することができ るものとなっていると評価することができる。
3.『郷土教育より見たる川崎市教育』の意義 本稿の研究目的は、「はじめに」において記
したように、L郷土教育の基礎となる考え方 についてこの時期に地域社会レベルでどのよう に理解されていたか、2.郷土教育の観点から 見て川崎市の教育についてどのようにとらえら れ、どのような課題があると考えられていたか の2点について明らかにすることであった。以 上に記した本資料の検討結果から、この目的に 対して次のような点が明らかになったと考えら
れる。
1.本資料は、郷土教育について明らかにする ことにとどまらず、教育に関してより基本的 な点から考察し、そのうえで郷土教育の基礎 となる考え方を明らかにしている。
1−1.郷土教育についての考え方を示す前 提として、生活、文化、教育という最も基 本的な概念を明らかにしている。
1−2.教育が生活と深い関連を持って行わ れるべきこと、教育は生活・価値ある生 活・生活力の形成に寄与すべきであるとい う考え方が明示されている。
1−3.特に教育と文化、郷土文化との関係 については、教育実践の中で郷土文化の形 成過程について理解することが新たな文 化、郷土文化の形成に寄与しうるものであ るという考え方が示されている。
2.川崎市において郷土教育を実践する場合に 取りあげるべき内容が具体的に示されてい
る。
2−1.郷土教育の内容、教材として郷土文 化を取り上げる場合、それを「歴史的文化 財」「自然的文化財」「文化的文化財」の3 領域に整理して取り上げるべきとの考え方
が示されている。
2−2.2−1.で示した3領域について、
その各々で取り上げるべき具体的内容とそ れについての教育実践の方法が示されてい る。これは現実に存在する文化財の中から、
本資料の著者が教化材としての意味を持つ ものという考えに基づいて取捨選択した結 果であると理解することができる。
2−3.川崎市において郷土教育を実践する 場合に取り上げるべき内容の選択には、そ の基礎として著者の郷土教育についての考 え方が反映されていると理解することがで
きる。
3.第2の研究目的、特に郷土教育の関連から 見る課題と関連する点であるが、郷土教育を 実践するための望ましい学校経営、教育実践 の体制が示されている。
3−1.特に「教育の施設経営」の表に代表 されるように「児童」「教材」「教師」の3 観点からそのあり方について示されてお り、これは教育実践上有効な示唆であると 筆者は評価する。
4.以上の諸点を総合して考えるならば、本資 料が刊行された時点において、郷土教育の考 え方は地域社会レベルにまで十分に浸透して おり、その基礎となる考え方から検討され、
一
定の認識が深められていたと判断できる。4−1.地域社会における郷土教育の考え方に
一49一 ついては、中央で盛行を見ている教育実践 に関する動向の受容にとどまらないと理解
される。
4−2.郷土教育の考え方は単に教育実践のあ り方もしくは方法として受けとめられてい るだけではなく、教育に関する基礎的な考 え方の裏づけを持って考えられていたと理 解される。
おわりに
以上、本資料の検討を行ったが、本稿の最も 基本的な欠陥は、その基礎となる書誌的事実一 著者、刊行年月、刊行者一が明らかになってい ないことである。この点を明らかにしていかな ければ、本稿での検討は意味がないといわれて もやむをえないのであり、このためには現在示 唆の段階にとどまっている山崎博の研究・実践
について明らかにしていかなければならない。
これが残された最大の課題である。
また、さらに研究を進めるためには、同時期 に他の地域社会で刊行されて資料を検討し、こ の時期の地域社会レベルでの郷土教育について の理解・受容について明らかにしていく必要が ある。これらの著者にとっての今後の研究課題 を明記して一応本稿を閉じたい。
(2013年8月・稿)
【注】
工)高島秀樹「『我国に於ける郷土教育と其施設』
訓査の検詞(その2)一「地域社会と学校教育」
の視点から一」(「明星大学社会学研究紀要』第
28号、2008年、所収)22〜23頁2)岡崎友典・高几秀樹・夏秋英房『地域教育の 創造と展開一地域教育社会学一』2008年、93〜
94頁
3)郷土教育運動について
高島秀樹「『我国に於ける郷土教育と其施設』
調査の検詞(その1)一教育調査史の視点から 一
」(『明星大学社会学研究紀要』第27号、2007 年、所収)
高島秀樹「『我国に於ける郷土教育と其施設』
調査の検詞(その2)一「地域社会と学校教育」
の視点から一」(『明星大学社会学研究紀要』第
一
28号、2008年、所収)
コミュニティ・スクール論について
高島秀樹「コミュニティ・スクール論の再検討 一
「活動・体験」学習の意義を考える一」(『明 星大学社会学研究紀要』第26号、2006年、所収)
高島秀樹「LA. Cookのコミュニティ・スクー
ル論一コミュニティ・スクール論の再検討(続)
一」(『明星大学社会学研究紀要』第32号、2012 年、所収)
4)『郷土教育より見たる川崎市教育』(著者・刊 行年・刊行者、不詳)
5)同上、表紙裏(頁表記なし)
6)同上、12〜13頁
7)海後宗臣・飯田晃三・伏見猛弥『我國に於け る郷土教育と其施設』1932年、196/246/272
頁
8)三井透「川崎市の教育調査」(『教育』第2巻 第5号、1934年、所収)
なお、大島小学校の余暇指導状況欄には「日 曜休日利用郷土學習」の記載がみられる。
9)岡部教育研究室『日本に於ける學校調査の批 剣的研究』1938年、146〜150頁
10)前出(4)と同)、1頁 11)同上、1〜2頁 12)同上、2頁 13)同上、3頁 14)同上、3〜5頁 15)同上、5頁 16)同上、6頁 17)同上、7頁 18)同上、7〜8頁 19)同上、9〜10頁 20)同上、10〜11頁 21)同上、11頁 22)同上、12〜14頁 23)同上、14頁
24)同上、14〜15頁 25)同上、15頁
26)同上、16頁、表は17〜20頁(ただし、頁表記
なし)
【参考文献】
「郷土教育より見たる川崎市教育』(著者・刊行
年・刊行者、不詳)
海後宗臣・飯田晃三・伏見猛弥『我國に於ける郷 土教育と其施設』1932年、目黒書店
三井透「川崎市の敦育調査」(『教育』第2巻第5号、
1934年、岩波書店、所収)
岡部教育研究室「日本に於ける學校調査の批判的 研究』1938年、岡部教育研究室
岡崎友典・高島秀樹・夏秋英房『地域教育の創造 と展開一地域教育社会学一』2008年、放送大学 教育振興会
高島秀樹「『我国に於ける郷土教育と其施設』調 査の検討(その1)一教育調査史の視点から一」
(『明星大学社会学研究紀要』第27号、2007年、
明星大学人文学部人間社会学科、所収)
高島秀樹「『我国に於ける郷土教育と其施設』調 査の検討(その2)一「地域社会と学校教育」
の視点から一」(『明星大学社会学研究紀要』第 28号、2008年、明星大学人文学部人間社会学科、
所収)
高島秀樹「コミュニティ・スクール論の再検討一
「活動・体験」学習の意義を考える一」(『明星
大学社会学研究紀要』第26号、2006年、明星大学人文学部人間社会学科、所収)
高島秀樹「L.A. Cookのコミュニティ・スクール
論一コミュニティ・スクール論の再検討(続)一」(『明星大学社会学研究紀要』第32号、2012
年、明星大学人文学部人間社会学科、所収)(たかしま ひでき、本学科教授)