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定住外国人教育のパラダイム変換
著者 田渕 五十生
雑誌名 高円史学
巻 12
ページ 1‑14
発行年 1996‑10‑01
その他のタイトル Paradigm Change in the Education of Permanent Foreign Residents
URL http://hdl.handle.net/10105/8726
定住外国人教育のパラダイム変換
一
︑ は じ め に
田 測 五 十生
文部省の一九九五年末の調査では︑日本語が不自由な外国人の子どもが全国の公立小・中学校に二︑五四二人在籍して
おり︑彼らの母国語の内訳はポルトガル語︵三六︑八%︶︑中国語︵三二︑三%︶︑スペイン語︵一二︑三%︶の順になって
︵
1 ︶
い る
このような状況に対して︑外国人児童・生徒が多数在籍している地方自治体の学校で︑日本語指導のための特別講師が採 ︒
用されつつある︒この措置は︑彼らの学校教育への適応には有益であるが︑トータルな外国人教育という観点からは不十分
で多くの課題を残している︒彼らのエスニシティー︵民族的︑文化的帰属性︶を考慮しないで日本語教育だけに終始すれば︑
かつて在日コリアン ︵韓国・朝鮮籍︶に対して行なった同化教育を繰り返すだけだという批判も寄せられている︒
本小論の狙いは︑定住︵在日︶外国人の児童・生徒の教育には︑従来の異文化理解の教育に加えて︑文化の違いや多様性
を尊重する多文化教育的発想が必要であることを︑次の三点を通して明らかにしようとするものである︒
まず︑現在どのような定住外国人が日本に居住しているのかを類型化し︑彼らの子どもたちの教育にどのような課題があ
るのかを指摘する︒次に︑中国から引き揚げてきていじめを体験した大学生の訴えを紹介しながら︑彼らの受け入れをめぐっ
て︑日本の教育現場と日本人児童・生徒にどのような問題があるかを考察する︒そして最後に︑徐々に多文化・多民族化し
ていく社会のなかで︑定住外国人教育を考える場合どのようなパラダイム変換が求められているか提言したい︒
二︑ 定住外国人児童・生徒の教育課題
︵こ定住外国人の推移
下表は︑過去一〇年間の定住外国人の推
移を示したものである︒一九九五年末︑定
住外国人は約二二六万人︑人口に占める比
率は一%強である︒けれども︑外国人登録
し て い な い 約 三 〇 万 人 の ﹁ 超 過 滞 在 者 ﹂ ︵ オ ー
バーステイ︶を加えると︑その数値はさら
︵
2 ︶
に 高
く な
る ︒
この表は多くのことを物語っている︒一
つ は
︑ こ の 一
〇 年 間 に 定 住 外 国 人 が 約
外国人登録数の推移
1986 1995年
出典:法務省入国管理局調べ
−2−
一・六倍増加していることである︒次に︑構成比率の変化である︒かつて定住外国人といえば︑八〇〜九〇%が在日コリア
ンであったが︑現在ではその割合は五〇%を割り込んでいる︒したがって︑最近では定住外国人を二つのグループに分けて
考察するのが一般的になっている︒
一つは︑植民地支配の結果︑日本に居住するようになった在日コリアンや華僑の人々であり︑ずっと以前にやってきたと
いう意味で﹁オールド・カマー﹂︵○︼dcOmer︶と呼んでいる︒もう一つのグループは︑円高︑人手不足などの経済的要因で
一九八〇年代後半になって来日した人々であり︑新しくやってきたという意味で﹁ニュー・カマー﹂︵New cOmeこと呼んで
いる︒﹁オールド・カマー﹂ への対応が不十分なまま︑大量の﹁ニュー・カマー﹂を迎えたことが定住外国人を巡る問題を
複雑にしている︒教育についても例外ではない︒以下︑彼らの教育課題についてグループごとに記述する︒
︵二︶在日コリアン
﹁オールド・カマー﹂の典型は在日コリアンで︑約六八万人居住している︒彼らの子どもは既に3〜4世の世代になって
おり︑言語や生活習慣など文化的には完全に日本社会に溶け込んでいる︒しかし︑韓国・朝鮮や在日コリアンに対する偏見・
差別のために︑民族的誇りが持てない状況に置かれている︒その具体例が通名使用で︑本名で通学している児童・生徒の割
合は一〇%に満たない状態である︒
在日コリアン教育のスローガンとして︑﹁本名を呼び名乗る﹂教育が定着しているが︑その狙いは二つある︒一つは︑文
化や歴史など朝鮮との豊かな出会いを通して︑コリアン生徒・児童の民族的誇りを育てようとするものである︒もう一つは︑
日本人児童・生徒の在日コリアンに対する偏見を払拭して︑民族の違いを違いとして尊重できる精神・感性を育成しようと
するものである︒この﹁本名を呼び名乗る﹂教育は︑名前を民族性の象徴として捉え︑日本人児童・生徒との関係性の中で
在日コリアンの民族的アイデンティティーを育成しようとするところに意義がある︒
在日コリアンの数値は︑今後減少すると言われている︒彼らの問で帰化者が増えているからである︒過去︑帰化者は約
一八万人に達し︑その子孫を合計すると五〇万人を超えると言われている︒また︑日本人との国際結婚も進んでいる︒
一九八四年の国籍法の改正によって︑父母両系主義に改められて父母双方からの国籍選択が可能になり︑日本国籍を取るケー
︵ 3
︶
スが圧倒的に多くなっている︒ちなみに最近では︑日本人との結婚が八〇%を超えている︒
国籍上での在日コリアンは減少するが︑日本と韓国・朝鮮をルーツに持つ人々は今後ますます増加していくことが予測さ
れる︒かつてはそのような子どもを﹁混血﹂または﹁ハーフ﹂と呼んでいた︒しかし︑その用語自体︑﹁純血﹂を基準にし
たH本人中心の発想に立つものである︒また︑﹁半人前﹂という響きがあり︑当事者に不快感を与えている︒したがって︑
最近では﹁ダブル﹂という用語が使用されつつある︒﹁ダブル=カルチュラル日キッズ﹂の略で︑二つの文化を持つことを
積極的に評価しようという願いが込められている︒日本と韓国・朝鮮の二つのルーツを持つことをネガティブではなく︑ポ
ジティブに受け止められる教育がますます必要となる︒
︵三︶ 中国からの引き揚げ者
在日コリアンに次いで多いのが中国人のグル〜プである︒その約三分の一がいわゆる﹁残留孤児﹂や﹁残留婦人﹂の家族
の人々で︑彼らの日本社会への適応は困難を極めている︒中国と日本︑社会主義と資本主義︑農村社会と都市社会︑生活習
慣も価値観も全く異なっているからである︒
最大の障壁は日本語習得で︑四〇才を過ぎて新しい言語を学習することは非常に困難である︒しかも︑混乱期に未就学の
ままで成長したケースも多く︑中国語での読み書きに不自由する﹁孤児﹂も少なくない︒また︑苛酷な生育歴から︑﹁自分
たちは戦争の犠牲者で︑日本政府は自分たちの面倒を見るべきだ﹂という意識から脱却できず︑日本社会への適応を諦めて
︵
−
︶
家庭に引き籠っているケースも見受けられる︒
一方︑児童・生徒は学校教育を通して日本語に習熟し︑日本的価値観を内面化していく︒親は中国的価値に拘り︑子ども
は背を向ける︒外部との接触では子どもに依存せざるを得ない親たちの権威は失墜し︑家庭内の序列関係も逆転する︒言語
による親子間のコミュニケーション・ギャプに加えて︑価値観の違いからくる深刻な精神的断絶が生じてくる︒中国では日
へ 5
︶
本人と見られ︑日本では中国人として扱われ︑彼らの帰属意識︵アイデンティティー︶は危機に瀕している︒
学力補充も切実な問題で︑中学生になれば高校入試の壁にぶつかる︒コ︑︑︑ユニケーションのための生活言語は短期間で獲得
できるが︑抽象化や思考に必要な学習言語の習得には時間がかかる︒特に︑国語や歴史など文化背景の異なる教科が問題である︒
年令的には︑中学校段階での引き揚げが最も適応困難といわれている︒二言語を駆使する﹁バイリンガル﹂より︑いずれ
も中途半端な﹁セミリンガル﹂に留まるケースも少なくない︒また︑人間関係にも困難が生じている︒学校生活があまりに
も学習中心であるために︑友人関係を築く時間が少なかったり︑課外活動やスポーツなどで活躍の場が与えられにくいから
である︒このように︑彼らをめぐる教育には課題が山積している︒
現在の﹁残留孤児﹂や﹁残留婦人﹂に対する支援に加えて︑新しい問題が生じている︒それは︑彼らの﹁呼び寄せ家族﹂
の移住が相次いでいることである︒しかも︑彼等の場合︑行政による公的支援の対象から除外されている︒彼らへの支援活
動は一過性のものではなく︑今後も必要なのである︒
︵ 四
︶
日 系
南 米
人
﹁ニュー・カマー﹂の典型は︑ブラジルやペルーなど南米からの日系労働者で︑一九八九年の入管法の改定によって急増
するようになった︒バブル景気による人手不足対策で︑自民族中心主義的発想から日系人に限って在留資格が緩和された︒
彼らの場合︑家族単位の移住もあって︑しばしば子どもを伴って来日している︒現在︑景気が後退して雇用不安であるにも
かかわらず︑その数値が減少しないのは︑日本社会への定住化が進んでいるからである︒しかし︑大半は一定期間労働する
と本国に帰っている︒効率優先の労働慣行や生活習慣に馴染めないのである︒
帰国する子どもの場合︑母国の学校への再適応が待ち受けている︒日本の学校に馴染めば馴染むほど︑彼らは母語を喪失
していく︒地球の裏側で︑別の帰国子女問題が生起するのである︒帰国するこどもには︑母語保持も含めて彼らのニーズに
応える柔軟な対応が必要である︒
一方︑日本に定住する子どもにもさまざまな問題が待ち受けている︒一つは︑成績で一元化された学校風土の中で彼らの
活躍の場があまりにも少ないことである︒その疎外感は︑中国からの引き揚げ者にも共通している︒また︑﹁出稼ぎ労働者﹂
︵ 6
︶
を蔑視する風潮に加えて︑現地の人と適姫が進んでいる場合︑外見の違いからより排除の対象にされやすい︒その点が中国
引き揚げ児童・生徒との違いである︒彼らの場合︑外見の類似によってパッシング︵日本人のふりをする︶が可能だからで
あ る
︵五︶国際結婚の配偶者とその子どもたち ︒
国際結婚が急増し︑一九九〇年代になって毎年二万組を超えるようになった︒厚生省の﹁人口動態統計﹂によれば︑その
半分が在日コリアンとの結婚で︑他の半分が日本人男性とアジア人女性とのカップルである︒彼らの子どもの場合︑ほとん
ど日本籍なので教育上の配慮対象者としては把握されにくい︒しかし︑最も差別に曝されているのが彼らなのである︒彼ら
の母親は︑フィリピン︑タイ︑中国︑韓国などからの︑いわゆる﹁アジアからの花嫁﹂で︑フィリピン人だけでも毎年五千
人を超えている︒当初は嫁不足の過疎の農村に多く見られたが︑現在では都市部でも一般化している現象である︒
言語︑生活習慣︑育児様式の違いなどから︑母親自身︑非常に︑ストレスが多い︒周囲のアジア蔑視の風潮の中で︑母親の
︵ 7
︶
文化が子どもに伝えられにくい状況がある︒﹁ダブル﹂と呼ぶ願いとは裏腹に︑現実には父親の文化しか与えられておらず︑
文化的﹁ハーフ﹂の状態に置かれているといっても過言ではない︒
現在︑彼らの子どもたちが小学校に入学しているが︑﹁母親の出自でいじめを受けない子どもはいない﹂とは︑筆者の
﹁異文化理解教育﹂の講義に登壇したフィリピン人のカルメン・松島さんの言葉である︒﹁フィリピン人︑およびフィリピン
についてどのようなイメージを持っているか﹂という彼女の質問に︑日本人学生はステレオタイプ・イメージでしか答える
ことができなかった︒日く︑ジャバゆきさん︑ホステス︑貧富の格差が大きい︑貧しい︑暑い︑スラム︑ストリート・チル
ドレン︑ピナツポ火山の爆発︑自然災害が多い︑日本の犯罪者がよく逃げ込む国子等々︒
このようなフィリピン女性に対する偏見やフィリピンに対する無知・無関心のなかで︑日本とフィリピンの﹁ダブル﹂の
子どもたちが自尊感情︵セルフ=エスティーム︶を持つことは非常に困難であろう︒フィリピンとの豊かな出会いがなけれ
ば︑彼らは母親の出自を恥じるようになる︒日本人児童・生徒も︑クラスメイトの母親の文化を知る機会が必要である︒文
化への無知が偏見をつくる︒アジア地域の人々や文化に対する暖かい理解を育む教育が求められている︒
三︑ 中国籍大学生の訴え
一九九六年二月一日︑大阪市で開催された日教組教育研究集会の開会行事で︑中国籍の大学生︑チャン・リン︵日本名・
︵8︶
上村香織︶さんが︑中国人という理由でいじめを受けた体験を語り︑約五千人の教師たちが涙ながらに耳を傾けた︒彼女の
父は日本籍で母は中国籍︑祖母の住む鹿児島県に六年前に引き揚げてきた︒最初に編入した中学校では徹底的にいじめられ︑
自殺まで考えた︒しかし︑次に転校した大阪府松原市の中学校では彼女を支える教師や友人に恵まれ︑彼らに支えられて高
校入試を突破し︑現在大阪外国語大学で学んでいる︒
当日の講演では︑言葉で苦しんだ経験を生かしながら人と人との心︑日本と中国の二つの国を結ぶ﹁かけはし﹂になりた
いという夢が語られた︒以下︑その内容の一端を紹介する︒
⁝前略⁝ 私が中国からきたということで︑私はどうしてもみんなの中に入れてもらえませんでした︒私のことを
名前で呼んでもらえなくて︑﹁中国人﹂﹁チャイニーズ﹂とか︑そういうことで呼ばれました︒調理実習では︑みんな
と同じように料理を勉強したかったのに︑私の触ったものは﹁きたない﹂と言って︑同じ鍋に入れてもらえませんで
した︒それに放課後︑学校の帰りでも︑多くの子どもたちに囲まれて︑石を投げられたり︑スカートをめくられたり
しました︒﹁中国人﹂﹁チャイニーズ﹂という言葉を耳にしながら︑泣きながら家に帰った毎日でした︒そんな生活が
半年つづきました︒⁝中略⁝
でも︑私が入った中学校︵転校した松原市の−引用者︶では︑仲間を大切にするっていうことを︑学校のなかでみ
んなで勉強していました︒その中でまわりのみんなは︑私を半分の中国人半分の日本人として以上に一人の仲間とし
て受け入れてくれたんです︒⁝中略⁝
日本で︑二年間たちましたが︑私には高校進学というすごく大きな壁が前にありました︒いままで︑ごく普通の子
が小学校・中学校で九年間勉強してきたことを︑私は日本語が分からないままの状況で二年間で勉強しなければなり
ませんでした︒⁝中略⁝
そんな仲間たちに囲まれながら︑班学習やいろんな勉強をしてきました︒高校に入ることができたときにはほんと
うにうれしかった︒⁝中略⁝
自分が二つの名前をもっていることとか︑二つの国で生活していかなければならないということ︒そのことで︑つ
らい目にあわされたことが父と母のせいではなくて︑戦争があったからとか︑文化や考え方のちがい︑そのちがいを
︵
9 ︶
認めようとしない社会の在りかたにあるのではないかと考えるようになりました︒⁝後略⁝
彼女の訴えは︑外国人教育を考える上で多くの示唆を与えている︒前節の定住外国人教育の課題とからめて整理すれば︑
日本人児童・生徒のいじめの背後に共通した態度と意識が窺える︒一つは︑中国やフィリピンなどアジア地域︑アジア人に
対する偏見・蔑視である︒もう一つは︑少しでも異なる者を排除しようとする風潮が子どもたちの間に浸透していることで
ある︒周囲と違うことをマイナスと考えたり︑﹁異なることが豊か﹂であると感じられなくなっている︒それは︑﹁同じこと
がいい﹂と考える社会の﹁横並び意識﹂と無関係でない︒
また︑﹁ダブル﹂の教育を考える上で注目したいのは︑チャン・リンさんが日本人か中国人のいずれかを帰属対象とする
のではなく︑その二つの文化︑二つの祖国を生きる﹁ダブル=カルチュラリズム﹂に自己のアイデンティティーを見つけだ
していることである︒しかも︑それが︑民族性や個性を大切にしようとする教育風土のなかで︑日本人生徒・児童の支援の
中で実現している︒したがって︑定住外国人への教育は周囲の日本人との関係性の中で把握されるべき問題で︑双方にとっ
て重要な教育課題なのである︒
四︑ 同化教育から異文化理解の教育へ
︵ 一
︶ 同
化 教
育
戦後の定住外国人教育を概観すると︑同化教育から異文化理解の教育へという歩みを確認することができる︒いうまでも
なく︑同化教育とは朝鮮人児童・生徒から民族言語や民族文化を奪って︑彼らを日本人化する教育である︒その典型を︑
一九四八年︑四九年の朝鮮人学校の閉鎖措置に見ることができる︒全国約五百校の民族学校を閉鎖して︑子どもたちを日本
学校へ強行移籍させたのである︒
また︑一九六五年の日韓条約を踏まえた通達で︑朝鮮人児童・生徒の日本学校への就学促進を図る基本方針が確定した︒
その通達には︑公立学校への入学や就学援助措置等については日本人子弟と同様に扱うが︑教育内容には関しては民族性を
考慮した特別の取り扱いをしないと明言されていた︒
このような民族性に無頓着な同化主義政策に対して︑日本人教師から疑念が提起されなかったのは︑﹁構造的同化﹂と
﹁文化的同化﹂の混同があったからである︒この﹁構造的同化﹂と﹁文化的同化﹂の用語は︑アメリカの社会学者ゴードン
が同化の分類で用いた概念で︑﹁文化的同化﹂とはマイノリティーが支配集団の文化を受容して固有の文化を喪失すること︑
︵lハU︶
﹁構造的同化﹂とは支配集団の組織や団体へマイノリティーの参加が認められることを意味している︒そして︑﹁構造的同化﹂
を実現しながら︑マイノリティーが自分たちの文化を保持する﹁文化的異化﹂が保障される状態が多民族社会における民族
ー10一
的平等であると主張するのである︒日本学校への入学という﹁構造的同化﹂と同時に︑民族性を配慮した教育内容︵﹁文化
的異化﹂︶が必要であったのである︒﹁最も良心的な日本人でさえ朝鮮人を日本人と同じように扱おうする﹂と指摘したのは
詩人呉林俊であるが︑当時の日本人教師の大部分は︑﹁区別なく平等に﹂教育するという誤謬から脱却できていなかったの
︑日
︑
で あ
る ︒
︵二︶異文化理解の教育
一九六〇年代後半から七〇年代にかけて︑﹁同和教育﹂が浸透するようになると︑在日コリアンの教育問題が浮かび上がっ
てきた︒当初は︑就職差別や指紋押捺など民族差別として﹁構造的同化﹂の文脈で把担されていたが︑﹁文化的同化﹂ の問
題性と﹁文化的異化﹂の重要性が︑徐々に日本人教師にも認識されるようになってきた︒在日コリアン児童・生徒が民族文
化から剥奪されていること︑そのことが民族的劣等感になり︑ひいては低い自己イメージに連なっていることが理解される
ようになったのである︒
そのような経緯で︑一九七〇年代後半になると︑彼らの民族的誇りを回復する実践が展開されるようになった︒在日コリ
アン児童・生徒が多数在籍する地域で︑ハングル学習や歌や踊りなど民族文化に触れる学習が校内の民族学級や課外活動で
実践されるようになった︒また︑日本人児童・生徒に対しても︑﹁同和教育﹂の一環として︑在日コリアン理解のために彼
らの衣・食・住などの生活文化や日朝関係史などが教材化されて︑小・中・高の教育現場で教えられるようになった︒
このような在日コリアンや朝鮮文化を理解の対象に据えた教育を﹁異文化理解﹂の教育と捉えることができる︒それは︑
文化的背景の異なる人々を理解するために︑彼らの文化を一つの文化として認め︑事象を相手文化の文脈に則して理解しよ
うとするものである︒そのような︑実践の積み重ねから︑二節で紹介した﹁本名を呼び名乗る﹂教育理念が定着していった
一11−
の で
あ る
︒
五
︑ お わ り に
一九九〇年代になって︑定住外国人が多様化したと冒頭で述べた︒また︑東京都の新宿区や大阪市の生野区などでは︑既
に多民族社会の様相を呈しはじめている︒その結果︑多様な民族集団の居住する地域では︑特定の民族集団をターゲットに
した従来の異文化理解の教育では対処できなくなりつつある︒そこで︑注目を集めているのが欧米で取り組まれている﹁多
文化教育﹂である︒
多文化教育とは︑﹁多民族国家おいて多種多様の文化的︑民族的背景をもつ青少年︑とくに少数民族や移民など︑社会的
に不遇な立場にある集団の子どもたちに対して平等な教育機会を提供するために︑彼らのエスニシティ︵民族的︑文化的帰
︵ 1
2 ︶
属性︶や文化的特質を尊重し配慮して行なわれる教育﹂であると江淵一公は定義している︒
﹁異文化理解﹂のパラダイムは︑一方にメインストリームまたはマジョリティーとしての文化が存在し︑他方に理解の対
象として異文化や異文化を持つマイノリティー・グループが存在するという図式で︑そこにはメインストリームの在り方を
相対視する視点が希薄であった︒それに対して﹁多文化教育﹂は︑複数の文化が共存・共生するためには︑マイノリティー
の文化を理解するだけでなく︑メインストリームやマジョリティーの文化の在り方そのものを相対化することが必要である
と主張する︒そして︑お互いの文化を尊重しっつ︑新しい文化や地域社会を創造しようとする︒したがって︑文化の多様性
や個人の個性を評価できる態度や感性の育成が重視されるのである︒
一12一