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海と暮らすコミュニティ ――太地町の持続と変容――

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Academic year: 2021

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 【修士論文要旨】

海と暮らすコミュニティ

――太地町の持続と変容――

 石黒 真美 *

1 研究の目的

 本論文は野生動物と人間社会がどう関わりあっていくべきかを問いとした.その問いに答える ために,野生動物(鯨類)と地域社会の関係が国際的なイシューになっている和歌山県太地町の 追込み漁問題を事例とした.フィールドワークと資料調査から,太地町がクジラ・イルカとどの ように関わってきたのかを考察した.太地町は歴史的,文化的,経済的にクジラ・イルカと関わっ ており,太地町という地域社会を維持していくためにクジラ・イルカを中心としたコミュニティ を形成していることがわかった.このような地域社会と野生動物の通時的で広範囲なつながりは,

野生動物と人間社会の関わり方が問題化する際に捨象されてしまい,「保護」か「利用」といっ た単純な二項対立に陥ってしまうことが多い.しかし単純な二項対立では問題は平行線上を辿る ため,地域社会における野生動物との関わり方を多方面から理解することで,野生動物と人間社 会の間で起きる問題を捨象されてしまう事象も含めた視点から捉えることができると考える.

 太地の人々の追い込み漁問題を解決させようと様々に模索する姿勢は,観光地化や鯨類の学術 研究都市を目指すものとして,パブリックな「外からの視点」を意識したものである.野生動物 と人間社会の在り方の「保護」か「利用」の中間点を探る太地の事例そのものが「外からの視点」

である私達にとって教えてくれるものがあるのではないだろうか.

2 本研究の位置づけと研究方法

 本論文は主要的に地域社会学の流れ,とりわけ地域社会における一次産業に着目した研究の中 に位置づけられる.太地町では経済的,文化的,歴史的にクジラ・イルカ(以下くじらと表現す る1))と関わりあいながら太地を維持していこうとする,さまざまなステークホルダーの取り組 みや協力関係がみられた.ここから太地町という地域社会はくじらを中心としたひとつのコミュ ニティであるということができる.本論文では単純な二項対立に抽象化されてしまう追い込み漁 問題を,太地町というコミュニティの視点から考察し,捨象されてしまった事象を含めて追い込 み漁問題について考えたい.

 副次的な先行研究としたいのが環境社会学であるが,野生動物との共存について体系だった議 論がまだ十分になされていないとする指摘がある(谷口 2008).よって,環境社会学の文脈で 太地という地域社会に着目しつつ追込み漁問題を研究することは発展途上にある野生動物と人間 社会の共存をテーマとした議論を進めるためのひとつの手がかりになるのではないかと考える.

研究方法はフィールドワークを中心的に用いた.2016 年 8 月から 2017 年 5 月の間に 6 回ほど 太地を訪問した.参与観察として,追い込み漁の見学や太地の観光ツアー団体主催のツアーへの

* 本学大学院博士前期課程 人間科学研究科人間社会科学専攻 2017 年度修了

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参加,太地町立くじらの博物館での 1 週間程度の学芸員実習,太地住民が経営しているペンショ ンや民宿での宿泊を行った.また,漁業関係者,太地町役場,太地小学校校長,太地住民などに インタビューを実施した.フィールドワーク中の太地住民との自由会話の内容も研究材料として 用いた.なお,本論文中に記載されているインタビューの内容はすべてインタビュイーに後日確 認してもらったものである.その他にもフィールドワークとは別個に行った文献,メディア資料 といった資料の収集と検討,新聞記事検索を行った.

3 太地というコミュニティ

 太地町は和歌山県東牟婁郡に所属し,紀伊半島の最南端にあたる部分に位置している.平野が ほとんどなく,山と海に囲まれた自然か豊かな町である.太地町駅舎の壁にはイルカ・クジラの 絵が写実的に描かれている.

 他にも町内にはクジラをモチーフにしたモニュメントや絵が至るところにあり,古式捕鯨時代 の様々な史跡も見ることができる.また,太地町役場が公開している統計資料によると,2013 年現在の太地人口は約 3400 人で 65 歳以上の高齢者は全体の約 39%を占めていることがわか る.よって太地町は高齢化が進んでいる地域であるということができる.同統計資料の 2010 年 の産業別の就業者をみると漁業水産養殖業の割合は 6.3%で,農業と林業・狩猟業は共に 0.5%

で第一次産業はほとんど水産養殖業が占めているが,2010 年現在の太地で水産養殖業に携わっ ている人は 10%に満たないことがわかる.観光客の人数をみると,2013 年は太地人口の約 75 倍の観光客が太地を訪れており,役場の歳入も観光事業からの歳入が比較的多いことがわかる.

 くじらをめぐるステークホルダーとして太地町役場,太地開発公社,くじらの博物館,太地 町漁協協同組合,太地小学校,太地住民が挙げられ,くじらとの関わりは太地というコミュニ ティにおいて重要な位置を占めているということがわかる.住民同士の交流が非常に緊密であり,

「誰々の娘(息子)」といった認識が近所同士でなされているようであった.また,隣町から結婚 を機に太地に来た女性から「太地に暮らして数十年だった今でも『あんたよそ者やんな』とか言 われることもある」という話も聞くことができた.

 次に太地の古式捕鯨から古式捕鯨衰退後までの 1200 〜 1960 年代までの歴史を,熊野太地浦 捕鯨史編纂委員会が出版した著書などの文献資料を元に述べた.古式捕鯨の歴史は現在の太地住 民のアイデンティティの根底に流れていることがフィールドワークで得た情報等からわかった.

1200 年以降,古式捕鯨で太地は一時は栄華を極めるが,1878 年に起きた大規模な水難事故(大 背美流れ)を契機に古式捕鯨は衰退し,捕鯨砲を用いた近代捕鯨へ移行した.その後,大企業の 捕鯨産業への参入などによって漁師たちは労働力として搾取されるようになった.太地近海にお いて捕鯨で稼いでいくことが困難になると海外への進出,南氷洋捕鯨の砲手などとして漁業関係 者は太地の外に働き口を求めるようになった.

 太地とくじらの歴史の痕跡は,町内の史跡や住民の記憶などに見ることができ,太地のコミュ ニティ全体の記憶として引き継がれている.大背美流れは特に漁師の間で強く記憶されており,

まるで自身が経験したかのような語り口で「あの時はなあ(大変だった)」,「あれ以来(捕鯨が)

あかんのよ」などと話されることが多いようであった.現在の追い込み漁も,古式捕鯨からの太 地とくじらの関わりの在り方として理解している住民が多かった.また 1916 年には太地の漁場

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を当時の財閥に利用させるのではなく,太地住民の利益となる定置網の操業を目的にした「太地 水産協同組合」が設立された.ここから社会の変化に対応しつつ,太地のアイデンティティを維 持し,これからもひとつの地域社会として維持していこうという人々の強い思いが見えてきた.

太地とくじらの関係性は現代に始まったものではなく,長い時間のなかでくじらと共に暮らして きたことがわかった.

4 追い込み漁問題の経緯と反応

 現在の太地が観光資源としてくじらを扱うようになった 1960 年代以後の歴史,太地の観光 地化の中心的役割を果たしているくじらの博物館の現在の状況,観光資源としての利用以前か らあった鯨食習慣について,文献資料,2017 年 5 月に行ったくじらの博物館での1週間程度の フィールドワークを中心に述べた.1959 年に庄司五郎という人物が太地町町長に就任するが,

彼によって初めて太地の観光地化計画が進められた.太地の観光地化計画は食料資源としてくじ らを捕獲してきた太地にとって,大きな転換点となる出来事であった.また,現在の追い込み漁 はこの時期から行われていたことがわかった.太地の観光地化計画のなかで,追込み漁はくじら の博物館で観光客用にくじらを飼育展示するために,生きたままくじらを捕獲する技術として導 入されたものであった.

 次に現在のくじらの博物館の状況を1週間程度の参与観察から得た情報を中心に述べた.現在 のくじらの博物館の主な業務は,県外から就業してきた職員によって行われていた.ここから現 在の太地の観光地化の中心的役割は太地出身者ではなく,就職に応じて町外からやってきた人々 が支えていることがわかった.このような状況から太地に暮らす人々が直接的にくじらと関わる 機会は現在ではほとんど失われていることもわかった.くじらの博物館の鯨類飼育担当の職員は

「鯨類飼育がしたかったらここよりいい所はないでしょ.」と話し,鯨類に対する職員の愛情を参 与観察の際にも何度も感じられる場面があった.この発言はくじらの博物館が世界的にも珍しい 種類の鯨類の飼育に成功していること,鯨類の飼育頭数や種類数も多いことに関連していること 考えられる.また,鯨類の飼育員にとってくじらの博物館は上記のような鯨類飼育に最も適した 場所として認識されていることがわかる.

 一方で観光資源よりも歴史的経緯の長い鯨食文化の現在の様子をフィールドワーク,太地小学 校や漁業関係者,太地住民へのインタビューから調査した.くじらを振る舞う飲食店は多く見ら れたが,住民の日常的な食卓では鯨食の存在は薄れつつあることがインタビューや参与観察など からわかった.現在 60 代の漁業関係者の男性が子供の頃は「すき焼きと言えばイルカ肉」が定 番だったそうであるが,太地小学校校長に話を聞いたところ,「児童の親世代が食べなくなって いるため,食卓に鯨料理が出ることはほとんどない」と話していた.また結婚を機に太地に引っ 越し,太地に暮らして数十年になる女性は「イルカを食べるなんてねえ」と話し,太地で一度も イルカを食べたことがないようであった.太地に長く暮らしつつも,くじらを食べることを拒否 している住民もおり,鯨食についての捉え方も住民によって異なることがわかった.

 追い込み漁への批判はどのようなものがあるのか,何が批判されているのか,さらに太地は批 判に対してどのように反応したのかについて知るために,フィールドワークで得た情報を中心に 述べた.その他の資料として太地で取材を行ったジャーナリストが書いた著書などの文献資料,

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映像資料なども用いた.「THE COVE」をきっかけに太地町への批判が過熱したが,「THE COVE」

上映以前から追込み漁への批判があったこと,追込み漁を含むいるか漁業は全国的に行われてい ることを最初に確認した.批判への反応として水産庁,和歌山県の見解は追込み漁は太地の伝統 であり,科学的根拠に基づく適切な資源管理下で行われているとして追込み漁を擁護していた.

 2010 年に太地公民館で行われた「イルカ漁意見交換会」での太地町役場,太地町漁業協同組 合と反追い込み漁団体の応答から,「保護」か「利用」といった単純な二項対立として追込み漁 問題が捉えられていることを確認した.太地町の批判への反応として,経験的に批判に対して反 論するのではなく,批判にじっと「耐えて」いることがわかった.追い込み漁を行う漁業協同組 合や太地町役場からの反追い込み漁団体に対する公式の見解は 2018 年 1 月現在では出されて いない.追い込み漁関係者は「(追い込み漁をやめて別の仕事を行えばいいと)活動家は簡単に 言うが,くじらを取ったら(太地には)なにもない」と話し,追い込み漁の作業の様子もブルー シートで覆うなどとして隠すことを意識的に行っているようであった.太地住民も同様の反応を 示し,警備のために臨時交番が増えたことも歓迎していないような雰囲気があった.

 一方で追い込み漁批判によって,太地がくじらの町であるという再認識が生まれた動きがある ことを 2 つの事例を元に述べた.1 つ目は太地小学校の全学年で総合的な学習の時間に行われて いる「くじら学習」の事例である.くじらの生態学的な知識,太地とくじらとの歴史といったテー マから,くじらについて総合的に学ぶことができる.各学年の担任の意向に応じてバラバラに行 われていたものが,2012 年から現在のような体系化された「くじら学習」を行うようになった.

2 つ目は「鯨とともに生きる」として日本遺産に 2016 年に認定された事例である.くじらにま つわる様々な観光プランが提案され,太地がくじらの町であることを外部に発信していく動きも 見られることがわかった.

5 現在の太地町の動き

 追い込み漁問題を経た太地の動きはどのようなものがあるのかを,太地町役場職員へのインタ ビューや,太地の観光ガイドが行うツアーへの参与観察などを元に述べた.そこから追込み漁問 題を経た太地の未来図を行政と住民の視点として記述した.太地町役場のまちづくり構想の一環 である「鯨の海構想」とは,太地町内の湾で多数のくじらを飼育し,鯨類研究者が大規模な鯨類 研究を行うことができるような設備を整えることを目標とした構想である.「くじら学術研究の メッカ」となることを「鯨の海構想」の最終的な目的として位置づけている.このような方策か ら行政は今後もくじらを活用して太地を維持するという方向でまちづくりが行われていることが わかった.また,太地町役場のまちづくり構想では太地駅近辺に道の駅の建設計画が含まれてい る.それに対して住民は「前にあったコンビニエンスストアの方が便利でよかったなあ」といっ た反応を示し,役場の一連のまちづくり計画を少し距離をとって眺めているような雰囲気があっ た.一方で「鯨の海構想」で使用する湾内の区画漁業権者等に許可をもらう必要があったが,交 渉の末,漁業補償なしで立ち退きを了承してもらうことができたという.「太地はお年寄りに優 しい町だよ.町長が頑張ってくれているからね」といった 60 代女性の言葉にあるように,役場 が進める構想に距離を取りつつも,全体の雰囲気として協力的であることがわかった.

 住民からの視点として,太地の観光ガイド団体「たいジオ。」の活動を紹介した.マスコットキャ

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ラクターとしてクジラをモチーフにしたキャラクターがおり,イベントに参加することもあった.

活動の基本理念として「難しい説明は本を読めば良い」,「歴史の説明は 10 分で飽きる」ので,「楽 しく」,「面白く」ガイドを行うことをモットーとしていた.ガイドの合間にメンバーが町内で世 間話をする住民に扮して太地の古式捕鯨時代に建てられた木造家屋の説明を行うなど,創意工夫 に満ちたツアー計画が太地住民が主体となって作られていた.そこでは,野生動物としてのくじ らではなく,太地の歴史のなかのくじらとの関わりに焦点をあててツアーが行われていた.

 どちらもこれからも太地を維持するために,くじらを活用していこうとする動きがみられた.

それは生物的なくじら,太地の歴史にみるくじらとの関わりに分けることができる.また,「鯨 の海構想」や,ガイドツアーとして成立するためには自分本位的なくじらの活用ではなく,外部 に認められるようなくじらの活用を模索する必要があり,そのようなくじらとの関わり方をこれ からも太地は探し続けることを選んだともいうことができる.

6 太地町の追い込み漁問題から見えてくることは何か

 太地は歴史的,文化的,経済的にくじらと関わり暮らしてきたことを各章で述べた内容を分類 しながら整理した.本論文で扱った事例には,太地という地域社会を通して追い込み漁問題を考 えると何が見えてくるのか,という問いがあった.フィールドワークなどを通して太地を知るこ とで,追い込み漁問題に見られる二項対立では捨象されてしまった,くじらを「利用」している 太地の模索と,太地という地域社会全体がくじらと関わり,くじらを通してコミュニティを形成 してきたことがわかった.

 自然環境,野生動物と人間社会の在り方が問題になると「保護」か「利用」といった二項対立 の議論になることが少なくなく,その地域社会で暮らしていく主体的な答えとしての「保護」と

「利用」の間を模索する動きは捨象されてしまう.観光地や鯨類の学術研究都市として町を発展 させていこうと考える太地町の姿勢は,パブリックな「外からの視点」を意識したものでもあっ た.野生動物と人間社会の在り方の「保護」か「利用」の中間点を探る太地の事例そのものが私 達にとって教えてくれるものがあるのではないだろうか.

 次に今後の課題であるが,本論文では反追い込み漁団体側へのインタビューや主張について詳 しく考察することができなかったことが挙げられる.追い込み漁の何が批判されるべきなのかと いったことを直接的に聞くことができなかった.太地町という視点から考えた追い込み漁問題と して論文を構成したが,どのように問題が解決されうるべきかを考える際には,反追い込み漁団 体のより詳細な批判の根拠を知ることが必要になるだろう.

 また,太地でフィールドワークを行った際に太地住民はクジラ・イルカを「くじら」とひらが な表記でまとめて呼んでいる印象を受けた.例えば町内にあるクジラの供養碑にも「くじら供養 碑」と明記されており,一般的なクジラ・イルカとは異なる共通の認識があるように感じられた.

しかし,漁業関係者にそのような認識は違うのではないかと指摘を受けた.筆者がフィールドワー クを通して感じたものと漁業者の「くじら観」にはズレがあることがわかった.しかし,インタ ビュー内容の使用許可の確認作業の際に指摘があったために,本論文でこの問題について考察す ることができなかった.このクジラ・イルカへの認識の違いを考察することは太地住民における クジラ・イルカの存在価値をより具体的にすることに繋がると思われるので,今後の研究の課題

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としたい.

[注]

1) フィールドワークから,クジラ・イルカに対して太地住民は一般的な人々と異なる認識を持っているように 感じられた.それは町内にある「くじら供養碑」という表記にみられるような,クジラ・イルカをまとめて「く じら」と認識しているように感じられたため,本論文ではクジラ・イルカをまとめて「くじら」と表現した.

また,追い込み漁で捕獲されている小型のクジラであるゴンドウクジラとバンドウイルカなどのイルカは生 物学的に同じ鯨類として分類されている.

[ 主な参考文献 ]

飯島伸子編,2001,『講座環境社会学 1 環境社会学の視点』有斐閣.

河島基弘,2011,『神聖なる海獣――なぜ鯨が西洋で特別扱いされるのか』ナカニシヤ出版.

熊野太地浦捕鯨史編纂委員会編,1965,『鯨に挑む町――熊野の太地』平凡社.

――――,1969,『熊野太地浦捕鯨史』平凡社.

MacIver,Robert M., 1977, 

Community, a Sociological Study: Being an Attempt to Set Out the  Nature and Fundamental Laws of Social Life, 

Macmillan and Co. (= 1975,中久郎・松本 通晴訳『コミュニティ――社会学的研究:社会生活の性質と基本法則に関する一試論』ミ ネルヴァ書房 ). 

丸山康司,2008,「『野生生物』との共存を考える」『環境社会学研究』14: 5-20.

箕浦康子編著,1999,『フィールドワークの技法と実際――マイクロ・エスノグラフィー入門』

ミネルヴァ書房.

似田貝香門監修,2006,『地域社会学講座 第 1 巻  地域社会学の視座と方法』東信堂. 

大塚久雄,1955,『共同体の基礎理論』岩波書店.

佐々木芽生,2017,「おクジラさま――ふたつの正義の物語」FINE LINE MEDIA JAPAN.

関口雄祐,2010,『イルカを食べちゃダメですか?――科学者の追い込み漁体験記』光文社.

水 産 庁,2016,「 小 型 鯨 の 漁 業 と 資 源 調 査( 総 説 )」(http://www.jfa.maff.go.jp/index.html,   2017.12.27).

庄司五郎,1969,「我が町の生きる道――観光漁業」『水産世界』18(2): 55.

太地町史監修委員会編,1979,『太地町史』太地町役場.

太 地 町 役 場,2013,「 統 計 資 料 」(http://www.town.taiji.wakayama.jp/tyousei/sub̲02.html,   2016.09.17).

谷口吉光,2008,「特集『野生生物』との共存を考える(特集のことば)」『環境社会学研究』14: 4.

伴野準一,2015,『イルカ漁は残酷か』平凡社.

和 歌 山 県,2015,「 イ ル カ 漁 に 対 す る 和 歌 山 県 の 見 解 」(http://www.pref.wakayama.lg.jp/

prefg/071500/iruka/, 2016.08.15).

渡邊洋之,2006,『捕鯨問題の歴史社会学』東信堂. 

       (指導教員:金野 美奈子)

参照

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