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閉会の言葉 梅原利夫

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Academic year: 2021

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公開シンポジウム◎少子社会日本の保育

閉会の言葉 梅原利夫

どうも皆さん、お疲れ様でした。皆さんとともに、このシンポジウム の意味というものを確認しあいたいと思います。

今日は、いろんな話が出ましたけど、私はずっと聞いていて、一つの 軸は、「保育における対話とコミュニケーション」だったと思います。

しかもそれは言葉だけではなくて、対話の質、コミュニケーションの 質というものが、非常に問われている。その質を、それぞれ三者の方 が、それぞれの実践に即してお話しくださったと思います。

私の専門は、小学校・中学校の学校教育の学習や授業になります。そ の専門から今日のお話を聞いていて、2つのことを考えました。

1つは、今日話された問題は、ほとんど全て、小学校・中学校で抱え ている問題と、本質的に通じることであって、全然違和感がありませ んでした。つまり、今日の子ども達、青年達、あるいは日本社会の人 間そのものが抱えている課題や、大事にしたい問題と突き刺さるかた ちで保育のことが語られたという印象を持っています。非常に共感し ながら聴かせていただきました。

それから2つ目は、このシンポジウムのテーマ「少子社会日本の保育」

についてです。保育のことは実に現代社会の問題と非常に深く関わっ ている。「子どもやお年寄りを大事にしない社会・日本」というものが、

告発されていると思うのです。実は、子どもやお年寄りを大事にしな い社会というのは、その間に挟まれた青年や成人を含む、人間を大事 にしない社会になっているかもしれないという告発であると感じまし た。

最近、どこかの国の大臣で「自分は2人の子どもを育てたので、義務 を果たした」というような言い方をした人がいて、私は唖然としまし た。今日保育が問われているというのは、少子社会日本という社会だ から問われているのではないと思います。今日のシンポジウムで感じ たことですが、そこに子どもがいるから保育が問われているんだと思 うのです。そこに子ども達がいるから、どういう保育の質を、どうい うコミュニケーションと対話の質をつくらなければいけないのかとい うのが問われているのです。ここには対策的な発想で保育を考えるの か、それとも人間の一人として、子どもがいるから保育を考えるのか

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和光大学現代人間学部紀要 第2号(2009年3月)

という違いが、あるような気がいたします。

今日は、3人のパネリストから多様な問題提起がなされました。また お集まりくださった皆さん方からも、さまざまな意見や質問や感想が 寄せられました。私どもはこれをしっかりとまとめて、今後、和光大 学の財産として生かしていきたいと思います。

最後に、パネリストの方を始め、この会をつくってくださった学部の 方、研究者の方、参加された皆さんに感謝いたします。どうもありが とうございました。

[和光大学現代人間学部学部長・心理教育学科教授]

付記:本稿は、2008年5月31日に行われたシンポジウム「少子社会日本 の保育──いま求められている保育の質とは何か」の記録である。掲載 にあたり、音声データを文字化したものを浅井幸子が修正したうえで、

パネリストの先生および発言者の方に校正して頂いた。

参照

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