奈良教育大学学術リポジトリNEAR
ヴァージニア・ウルフの場合における価値原則の補 充 ―日記体文学その三―
著者 伊ケ崎 賢一
雑誌名 奈良学芸大学紀要. 人文・社会科学
巻 11
ページ 1‑14
発行年 1963‑02‑28
その他のタイトル The Fulfilment of General Principle of Value in the Case of Virginia Woolf ―Diaristic Literature: No.3―
URL http://hdl.handle.net/10105/3494
ヴァージニア・ウルフの場合における
価値原則の補充
‑ 日 記体文学 そ の 三‑
伊 ケ 崎 貿 ‑
は し が き
1915年から、 1941年の、死ぬ四日前まで書き続けられたVirginia Woolfの日記は、単なる日 録の外に、書いている作品や、書こうとしている作品、読んだ本や、会った人に対する批評感 想、さては、作品に対する概評‑の不安、保線一反頼‑そういったものによって漸次、作家と しての生長、やがて、技法の確立、それより、彼女の代表作To The Ligthouseが生れ、更に、
死を選ぶに至るまでの、偽らざる告白的記録なのである。しかし、この日記は、題名の示す通り
「作家の日記」(A Writers Diary)なのであるところから、その編者である、彼女の夫Leonard Woolfによって、 27年間の26冊に及ぶ日記から取捨撰択されたため、当然の結果として、彼女
の日常性は極度に限定されて、日記体文学の持つ独特な雰囲気には乏しく、且つまた、得てし て、日記は、一方的な偏狭に陥り易い(註1)ものだから、この日記を通して見る彼女は、戯画化さ れていることに注意しなければならない。作家の全貌を伝えるものは、矢張り、作品による外な いであろう。しかし日記は、その舞台裏的役目を果すことによって、隠れたる努力の跡が伺わ れ、作家の生長解明の鍵とも考えられよう。特に、 Virginia Woolfの場合から言って、その日 記の特異な性質上、そのことが一層言えるわけである。
私は本稿において、模索時代から・技法確立に至るまでの線に沿って、そこに浮び上る諸作その ものに対する研究はこの仕事ではなくって、これらを日記を通して、舞台裏から眺めることを主 たる目的としたいのである。
(蝣)
模 索 時 代
‑不安 と 焦操
Virginia Woolfが不安と焦操に満ちた苦難の道を進みつつそれを切り拓いて、一応その手法
の確立を見せたのは、主としてJacob's Roomによってであったといえよう。しかしそういっ
た傾向は他の作品に就ても見らるることは勿論であって、例えばThe Voyage Outを再読した
時の感想は、自己生長の跡を物語っている。
ヴァージニア・ウルフの場合における価値原則の補充(伊ケ崎)
1920年2月4日
The Voyage Outを1913年以来初めて読んで見た。よくも、こんなものを書けたと 思うと顔が赤くなる。ところが、世間の人はNightand Dayよりこの方を取る。私 は書き直そうかと思うが、さて、そうしようとすると、どこも書き直せない。こんな状 態のまま、後世に残るのだ。私は、それを尊敬する代りにただgallant and inspiring spectacle として眺めることにしよう。
こういった心境は、他の作家に対した時も現われるのであって、次の例は、その線がやや具体 的に現わされている。
1922年2月15日
読んだものについて少し書いて見たい。先ず、 PeacockのNightmare Abbeyと Crotchet Castleであるが、前に読んだ時よりもよい。それは、私が年を取ったからだ。
少女時代にギリシャを旅行した時汽車の中で読んでいると、弟のThobyが向い側の座 席にいた。私がMeredithの女は、彼女を借用していると言ったら同意してくれてうれ しかった。しかしその時は、強いてこの本を好きになろうとしたものだ Thobyはこの 本が気に入ったといっていた。私はその頃mystery, romance, psychologyものが好 きだった。しかし、今は美しい散文が何より。次第にそういったものに時好が向いて来 ている。私はsatireが好きになった。私は彼の懐疑的心理に好感が持てる fantas‑
ticalityはsham psychologyよりかずっとよい。煩に紅を‑刷毛塗ると私はそれだけ であとは自分で自由に空想する。
1919に書いた第二作Night and Dayが出版された時の日記には、評不評にかかわらず志向通 りに書くという強い一線が出ている。
1919年10月21日 トラファルガ‑記念日
Night and Dayが印刷されて六部廻されて来たo五部を友だちに送るo 読んで見て 面白い。大体、自分の目論んだことが書けている。たとえ、はめてくれない者が居ても 構わない。また、次の作品を我流に書くから。
Night and Dayに対する反智はどうであったか。
1919年10月23日
忽ちNight and Dayの反響が届いた Clive BellからはNo doubt a work of the highest geniusと言って来た。けど、言ってるほど思ってるのではないだろう。けど、
嬉しかった。これは、心配しなくってもいいとゆう証拠だ。自分の尊敬する批評家から はこれほどの講評はないかも知れぬ。しかし、どれもこれも、はめる側ではあるだろ う。
しかし、彼女の尊敬する批評家からは若辞が送られたであろうか。
ヴァ‑ジニア・ウルフの場合における価値原則の補充(伊ケ崎)
1919年10月30日
N. and D.に対する批評が方々からやって来る Cliveの後にはNessa,註2)からとて も責めて来た。更にLytton(証。)から熱狂的な諌辞‑大成功、古典などといって来た。
VioletにはeulogyがついていたO昨日はMorgan(註4)からだが、 I like it less than the Voyage Out.と書いてあった。彼は急いで読んだので読みかえす必要があると書 いていたが、今までの讃辞がこれで帳消しになったOだが、今日の午後三時には、外の 人の讃辞より、彼の批難故に気持がよくなった。高い雲間にうかうかと昇っていい気持 になっているのだから、人間界に降りて来たような気持になった。 The Timesの今朝 の批評は頗るよいとしてあった N. and D.は外面はばっとせぬが深さがあると批評 してある。自分もそう思う。
リューマチのため書けない。しかし短篇の一寸したものを書くことにしよう。
ここで、 Virgina Woolfの「意識の流れ(Strem of Conscience)」との繋がりとも、芽生えと も、強いて考えられないこともない記述に触れておこう。
1919年1月20日
正月に歯を抜いて、元気がなさそうだ。頭痛になやんでいる。去年の日記を読返して 見ると、随分走り書きしている。けど、それで反って読みよい。読みにくいところは、
何か、考が一時停滞した所らしい。
1919年4月20日
日記というものについて考えて見るo これは古机か乱れ箆のようなものであって、な んでもそこいらのものをはうり込んでおくべきものであろう。そして、それを後口開け て見ると、ひとり手に整理され、解明されたものになっている。書方も走り書でよい。
自分の文章に柔か味が最近出て来たのは、お茶のあとの半時間の何気ない時間のお蔭で おoa
お茶のあとの半時間の何気ない時間と、走り書きと‑こういったことは誰しもあることであ ろうが、やがてそれが、彼女にとっては、 Stream of Conscienceの酵母をなしたことは否定で きないだろう。また、その酵母を育てる条件となったものは、当時の「失われた世紀」による伝 統的価値の喪失だろう。 Henry Jamesは、虚構の外部世界に対して、自己の世界の安定と持続 とを信じた。従ってあらゆるものが自己の主観を通って客観化される結果は、 impressionismへ の可能性を意味し、事実Virginia Woolfの短篇集、 Monday or Tuesdayに収められている作 品は、この影響を最も多く受けているものと言われている(註5)0
こういったことは、 Don Quixoteに対する在来の見方‑突猪的型の人間を見たり、中性の 騎士物語に対する風刺としたりする‑に捕われず、読んだままの感じから素直に述べさせてい
る。
1920年8月5日
Dou Quixoteを読んでいる。これは単に暖炉のまわりの人を楽しますために書かれ
ヴァージニア.ウルフの場合における価値原則の補充(伊ケ崎)
たもので、 Cervantesは、それに含まれる美や思想は意識して書いたものではない。
sadnessと satire は私の難しとするところである。これらは時代によって変るもので あろうか。終末近くになって第‑巻は言い足らない部分がある。それはC.が例えば galley slavesが行進しているようなところは書きたくなかったのか。 C.は私の感ずる
ような美と悲哀とを感じていただろうか。
これは、走り書き的な、メモ的な日記の文章であるが、終りまで読めば、その言わんとすると ころをはっきりと現わしている一例である。
更に、こういったことは、少し遡って 1918年8月5日
Christina Rossettiが余りに宗教に捕われて詩才を延ばすことができず、そのため に、愛を、従って人生を否定させた。
と言わせ、一目置いて8月7日の日記では、 Katherine MansfieldとByronとをコキ下ろさ せている。
Rupert BrookeがByronに似ているとしているが、それはBrookeにとって迷惑であ る。
とさえ断じ、 Mansfieldに対しては、外形の美に捕われている点を指摘している。しかし、
Byronの場合はChilde Haroldに対しての攻撃であったので、 Don Juanはまた否め千切って na
1919年8月9日
(galloping nature of its methodと言ってその苦さ方を述べ)いいにしろ、悪いに しろとにかく面白いO人生に興味を失った人はByronを読みなさい。
と言っているO
伝統的価値の喪失時代にあって、美の永遠性を信じていることは注意すべきであろう。
1918年8月19日
Sophocles のElectraはimproved and freed from superfluities by the polish of innumerable actors and authors and critics, till it becomes like a lump of glass worn smooth in the sea, (多くの俳優や、作者や、批評家たちの彫球によって改善
され、余計な附着物が取去られ、遂に、海でつるつるになったガラスの玉のようになっ た。)
と述べたついでに、英国の女性とギリシャの女性は、その勇敢さにおいて共通点があり、
ElectraはEmily Bronteの型だと言っている。
ヴァージニア・ウルフの場合における価値原則の補充(伊ケ崎)
これは、幾年代を経ても、価値あるものは時代を超越する証左であるとともに、 Virginia Woolfの美に対する認識において、彼女のsensibilityを示すものなのである。それは過去のあ らゆる価値に対する否定の内から、真に価値あるものを見出し、これを肯定にまで導かずにはお かなかった。
否定より肯定‑の脱出、それは彼女の妥協ではなくって、生長といわなければならない。内容 は日記を通しては解らないが、 1921年4月15日の日記にHenry Jamesの論説をThe Times で批評したことを誌しているが、この批評に対する批評をWalkleyが行った。その評言の中で 彼女のことをa sentimental lady friendであり、 H.J.の一番悪いマンネリズムに陥っていると 酷評しているが、その三年前に、不知不識のうちに、すでに部分的には「否定の肯定」をなし逐 げていたことが知られる。
書けないでおることは、作家にとって致命的な悩みだろう。それは、深い不安と焦腺を伴い、
いわば、一種の「空間恐怖」に捕われた形になる。この時問的空虚を埋めるがためには、絶えず 何かしていなければならない狂操に馳られる。これがTheVoyageOutやNight and Dayや、
Kew Garden、そして、 Monday or Tuesdayをすでに書いている後にも襲って来ている。
1921年3月21日
私の無限に変化する生活態度の一つでも、外界に対する反感を持つからだろうか。そ れとも私の生活態度は安定しているだろうか。私には常に変化していると思える。だ が、誰も気ずかずにおる。私もそれをどう名付けていいかわからない。自分の内部に は、自動的に価値を計る計量器がある。それが何をするのがよいか指示する‑この三 十分はロシア語を勉強しなさい。この三十分はWordsworthに。或はまた靴下を繕い なさい。どうしてこういう価値綱嶺ができ上るのだろう。どうも、清教徒の祖父たちの 遺産のようだ。こんな日記を書くのにも頭をしぼらにやならぬ、 Russianほどにはない けど。けど、 Russianを勉強している時間の半分は暖炉の火を見凝めて、明日書くこと を思っている RodmelL註6)に居たら、すぐ考えつくことだけれども Flanders夫人が 果樹園に居るので、それで、彼女がそこに居るのだと思うとどうも考えが纏らない。
こういった気分の時でも、人から読められることは、また、人並あるいは人並以上に嬉し かった。三週間ばかり後の日記に
1921年4月12日
もうーっ続けて書けば、気分がクシヤクシャするので町に買い物に出かけScotland
Yardに財布を受取りに行った.途中主人に会うと、 LyttonがString Quartetがとで
も素晴らしいといっていたことを知らせてくれた。これは誇張の嫌いなRalphが本人
から直接聞かされたことであった。私は嬉しくなってコーヒ買うのを忘れ、Hungerford
Bridgeを渡ったが身が貰えていた。美しい夕碁でもあった。河は空色だった。 Roger
も私が新らしい道を進んでいることを言ってくれた。主人と二人で今までにない買い物
をしたOけど、悲嘆したほどには嬉しく感じなかった。けど、安心感があった。運命は
私を下すことはない。そりゃあまあ、批評家は悪く言って、本の売行は減ずるかも知れ
ヴァージニア・ウルフの場合における価値原則の補充(伊ケ崎)
ない。けど、私の恐れるのは、取るに足らぬものと等閑に付せられることである。
めずらしく雲間から洩れた日の光のようであるo私はここで、 「否定の肯定」の他の一例とも なるし、 Londonにも次手に触れるので、もう一つの日記を示そう。
1919年4月12日
Moll Flandersを読みさして十分ほどもらってこれを書く。昨日もこれを読みさして Londonに行き、 Defoeの見たHungerford Bridgeからwhite city churchやpalaces を眺めた。すると、私の日に彼の日を通して、マッチ亮のお婆さんを見たし、 St.James Sq.のpavementを廻っているdraggled girlはRoxanaかMoll Flandersに見えたので
ある。偉大なる作家は二百年経ってもそこに姿を現わしているのである。 Forsterに会 う。彼は身を固くしているのが撹手でわかる。有名なる女流作家に会ったのだ Defoe を読めと私は言った。帰りにDefoeを一冊買う。
Lytton Stracheyのことを書くことは、彼女に触れることになる。
1919年4月17g
(Lytton Stracheyについてはめている。) so sparkling, definite and nimbleだ。
勿論自分は、 Stracheyとは反対のものについても尊敬している。
1921年4月29日
近頃よく Lytton と会う。会うとお互の本のことにふれる Verreysで会った時のこ とを言うと、茶とbrioche とを取りながら話した。 Verreysはgiltfeathers, mirrors:
blue wallsだった。一時間も座っていたか。
私は貴方にはSt.SimonとLa Bruyとreのようなところがある。また、 Macaulayの ようなところがあると言った。すると彼はGeotgeIVを書くつもりだと言った。
貴女の影響を受けていますよ、と彼は言う。そして、私にはいろいろのstylesがある が、私にはすぐわかりますよ、と彼は言う。それは私が努力するからよ、と答える。
それから歴史について話し出した GibbonはHenry Jamesに似ていると言うと彼 は否定した。けど、彼には定見があると私は主張した。 Forsterは彼(G.)をimpと 呼んでいるが、彼は意見を多く持っていない。まあ、道徳位のものでしようね、と彼は 言う。彼の意見によると蕃族が都市を攻略するところが実によいというのである。初期 のChristianには興味を持っているが、かれらについて何も発見した点はないとも言 う。
貴方にはフランスの影響が大きいですネというと、同意し、私にはフランス的な形式
‑しっかりした形式があるというO私は彼をCarlyleに例えて見たと言う。 Remin‑
iscenceを読んだ。歯のない墓掘のおしゃべりじゃないの、けど、 phr があるとい うと同意した。
彼は私の作品は素晴らしく、皆それぞれ異っているという。 「私は十二人の人間よ」
といった。
ヴァージニア・ウルフの場合における価値原則の補充(伊ケ崎)
(⇒
技 法 確 立 期
・' .'I 1 I‑ ∴
不安があれば、それを切り抜けんとして焦燥があるのは、人間世界の常態だろう。そして、こ の不安は宗教によって救われるかどうかは、信仰生活のない筆者には解らない。不安にもいろい ろあるだろうが、精神的不安と一口に言うと、いかにも上品に聞えるが、それは、肉体的ないし 経済的不安と無関係に存在しないで、両者は入れ乱れ、交結し合って存在するものだろう.人は パンのみにて生くるものに非ず、ということは、人はパンなしで生き得られるということではな くて、その裏にパンの必要性を包蔵しているのである。地球上に人口が増殖すればするほど、パ ンの必要性は痛感せられ、人は、パンのために稼がざるを得なくなる。そして、それが、殆んど 生活の全部ないし大部分を占める状態の現代資本主義社会においては、不安と言えば、自己およ
び家族の日々のパンの問題となったと言ってよい。在来の宗教とは、主として精神的なものであ ったし、また、それでよかったが、現代社会においてその勢力を失墜した理由は、這般の理に拠 ると考えられないことはないし、また、新興宗教が、信者の肉体的ないし経済的不安を除くこと を主としたことによって族生しつつある状態も、この際大いに考慮に入れる必要がある。
Virginia Woolfの不安と焦燥の本質は何かO勿論それは、創作に繋がるものではあろうが、
その前に、もっと卑俗な、生活不安という現代の不安に立脚したものではあるまいか。こういっ たことを取り上げることが本章の目的ではないが、それが彼女の不安と繋がりがあるというこ と、それが、彼女を駆って、創作の筆を進めさせたと見ることは、彼女を卑俗なる世界に引きお ろし、芸術職人とすることではなくって、反って彼女をして、現代に住むわれわれの一員とし、
われわれの世界に住んでわれわれの問題を真撃に取扱う者とすることなのである。言いかえれ ば、真実、現代作家とするに過ぎないのである。
私は、こういったことを念頭に持ちつつ、彼女の成功作といわれるJacobs Roomがいかに して書かれ、一応の技法の確立がなされ‑そして、それは、不安と焦腺からの一時的であるか も知れないが、離脱である。そういったことを、日記を通して跡を辿って見たいのである。
一年間かかったこの作品のことについて最初に日記に現われたのは、 1920年1月26日において である。
1920年1月26日
誕生日の翌日。 38才となったが28才の時より幸福と思うo少なくとも昨日よりは今E]
‑なんとなれば、新らしい小説の新らしい形式に到達できたから。単にlo貞(筆者 註、短篇の意味か)に対してでなく200貢に対して新らしい口が開けて来たとしたら、
私の欲しいIoosenessやIightnessを与えてくれはしないか。それは、あらゆることに 接近し、しかも形式と速度を保ちつつ、そのあらゆるものを包含しばしないか。ただ、
心配なのは、人間の心をどの程度まで包含するかである。人間の心を捕えるだけの会話
が自分に可能であろうか、だ。今度の小説は今までのとは違って、足場も組まず、煉瓦
一つなく、ただheart, the passion, humourだけであって、要するに、何もかも、霧
ヴァージニア・ウルフの場合における価値原則の補充(伊ケ崎)
の中の灯のように赤々としている。どの程度、題材に対して主体性を持ち得るか、それ は疑問だが、 Mark the Wall, K. G.そして、 Unwritten Novelがしっかと手をとり あって、調和を保って躍っているのを見よOいかなる調和を生むや‑それは自分には わからない。しかし、二週間許り前に考えついた形式にすばらしい可能性を発見してい るのである。危険なのは余りにもegotistical mindだと思われることであるQそのため にJoyceやRichardsonを自分の心に寄せつけないのである(註7)。私は度々、あらゆる entertainmentsを提供する方法を見出したのである。まあ、暗中模索や実験も続くだろ うけれども今日の午後幸いにも一つの光明を見出したのである。淡々と書き出す方法が 今度の小説に対する私に与えられた道であるだろう。
しかし、いよいよ書き出すまでには時日を要した。 「作家の日記」には、いつ書き出したとは 書いてない(註8)。苦く前のノートを取りに行くところが、一月余り経った日の日記にある。
1920年3月9日
矢張りこの日記は続けるべきだ。いつの間にか日記の文体ができ上ったようだ。茶時 のあとのくつろいだ気分にふさわしい文体である。老いたる私が1920年のMarchの日 記を読んでいるのを想像するとその私は続けることを希望しているだろう。 50才といえ ば大した年令でもない。それまでに結構立派な本が書ける。で、ここにまた新らしい煉 瓦があってそれで家が遣られようとしているO私は日曜日にCampdenHillにSchubert quintetを聞きに行く.また、 George Booths houseを見に、私の小説のノ‑トを取る のだが‑それに7!6という費用しかかからなかった。
椅麗な部屋に一時間許り通されて、さて、人というものは、極端に椅麗な部屋に住み たいものかどうか疑って見る。冷たい表面的な虚偽、それは池の上の氷のように薄い感 じがする Horsehairとmahoganyが主であって、白い鏡板、 vermeer reproductions, Omega tableや色様々なカ‑テン。こういったものは俗っぽさがある。ちっとも部分的 には好感が持てない。妥協そのもの。まあ、言って見れば、それが面白い。
寡婦の服を纏ったOld Mrs. Booth。娘たち、孫たちが居ならんでいる光景は、天使 のようである。キチンとした面白そうにもない少年や少女たち。
しかし、これが、やがて、 Jacobの部屋の光景となるのである。こうして、それがら、四か月 ばかり経って、やっと、このJacobs Roomが書き初められたことが、次の日記の記事でわか る。
1920年9月26日
Jacobのペンがはたと止まってしまった。二月ばかり書き続け(証9)ているところ‑
Eliotがやっで来たため、なんだか意気阻喪した。大胆さと自信は小説を書く時に必要
だ。それに影が差して来た。彼は何も言わなかった‑しかし、私のやっていることを
Joyceにやらしたらもっとよくやるだろうという気がした。それで、一体自分は何をや
っているんだと思って見た。これはいつも陥る癖だが、どうも自分は計画の立て方が足
らなかったのだろう。それで尻すぼみになり、ちゅうちよするO 要するにどうしていい
ヴァージニア・ウルフの場合における価値原則の補充(伊ケ崎)
か解らなくなったのだ。心の底で、私はあらゆる点でL には協わないと思う。
更に一月経った日の日記を見よう0 1920年10月25日
人生は断崖の上につけられた短い舗道。見下ろすとぞッとする。と、こう書けるの は、今それを感じておらない証拠。暖炉は燃えている Beggars Operaを聞きに行こう としているところだO それは、われわれの周辺にあることだ。日を限っておられない。
‑‑=melancholyは書いていると減ずる。そんなら何故書かないのか。虚栄心がそれを 禁ずる。私は自分に対してでも成功を望む。けど、物事の奥底までは行けない。 ‑・‑礼 はwhysとかwhereforesとか余り考え過ぎる。自分自身について考え過ぎる。時は過 ぎ行く。そんなら書けばよい。しかし、すぐ疲れる。読書は殆んどできない0 ‑時間書
くのがせいぜい。ここ(Richmond(註10))には誰も訪ねて来ない。来る人があると私は 六かしい顔をする。 Londonに行くのは大仕事。 ‑‑‑新聞は絶えず世の中の悲惨な出来 事を報じる‑‑・Jacobをまた書き続けるのが私の神経を救うのだろう。だが、深淵が足 元にのぞいでいるのが見える。それさえなかったらどんなに幸福か。
人生は断崖の上につけられた短い舗道、と暖かに燃えている暖炉の火に当りながら、人生を客 観視するほどの余裕を持ちながら、同じ日の日記の終りには、深淵に対する恐怖の戦きを書いて いる。これはどこから来るのだろう RichmondのHogarthhouseという邸宅に住み、賛沢と思 われる暮しをしているその生活が持続できなくなり、没落することに対する不安が、その足元か ら大きくロを開いているのではないか。この不安が絶えず彼女を鞭打って、それを支えるために 書かすのだと言えば、言い過ぎであろうかe この不安は、彼女の作品に溶け込んで、このJacobs Roomに、現代人に共通の不安や焦腺を与え、それによってこそ、現代の小説たり得たのであろ
‑"¥
この目から半年あまり経って、未完のままのJacobs'RoomがThe Timesに送られると、
それが冷遇されたのである。それに対する彼女の悩みは大きい。しかして、その悩みがいかに処 理されて行くかを日記の文章を通して見たい。
1921年4月8日、午前10時50分
Ralphの送った未完のJacobs'RoomがThe Timesによって冷遇されている。 Lytton のほ三欄に亘る批評がしてある。私はもう小説書きは止めようかしら、そして批評家に なろうか。 Lyttonは出版祝賀会で私の本のことを言わない。読んでいる筈なのに。も し、私の作品がmystery物とLit. Sup.で言われてもLyttonは注意してくれないだ ろう。彼はそんなものに興味がないがら。
さて、賞畜とか名声とかの問題だが、 Rogerが昨日言ったことは本当だo即ち、人
は憧問から忘れられず、作品は興味をもって注意されておらなければならないと。自分
の心配していることは一 日分の作品が興味を失っていはしないかということである。自
分としては興味を持たれる筈だと思うのだが。私は世間並には女流作家として有創こな
ヴァージニア・ウルフの場合における価値原則の補充(伊ケ崎)
っている。けど、私は、世間での人々の評判を聞き集めなければならない。それが私が 興味ある作品を書いているか、時代おくれのものを書いているかの目安になる。時代お くれだったら、書くのを止めなければならぬ。物の砕けないような機械だったら、機械 になっても仕方がない。こう思っていると、何か妙な愉快な感覚が湧いた。自分一個の 見解こそ大切だということである。しかし、これが、今までの不愉快を転換させ、自分 をeccentricにしてくれるだろうか。自分はそうとは恩わぬ。しかしー われわれは、あ
らゆるつまらぬものの根元をなしている下らない虚栄に直面しなければならない。この 際、私にとって唯一の救済法は、例え、その‑つがこわされても、無数の興味をロシャ 語、ギリシャ語、新聞、庭園、人々、又は、私の書いているものに関係のない事柄に注
ぎ込ますことである、と思う。
自分の作品の面白さについての考察であって、面白さが唯一の作品価値を決定するかを自問自 答し、自分自身の見解が大切だとするけど、しかし、それで、果して問題が解決するかを危ぶん でいる。悩みつつ、絶えず前進する彼女の姿と見なければならない。かくて、 Jacobs'Roomが 完成を見たのは、正味一年を費やした後においてであったO
1921年11月15日
なんにも出来ない Rodmellを主人と散歩。帰って来て暖炉にあたたまる。
Jacobが一年かかってやっと先日‑11月4日書き終えられたO 初めたのは、 1920年 の四月。問でMonday or Tuesdayと病気のために六か月とられたので、そうなる。
Henry Jamesの怪談についてTimesに書き送ろうと苦しんでいるが、なんだか飽き 飽きした気持だ。それからHardyについて書かねばならず、次はNewnesの生涯につ
いてだし、またJacobの推敵もせなければならぬ。また、いつか、 Paston lettersを仕 末する元気があれば、 Readingを初めなければ。 Readingを初めた途端、また他の小説 のことを考えるだろう。一体、私の指は、それほどの走り書きに耐えるだろうか。
作家、批評家としての彼女が、いかに、創作に批評に忙殺されているかが見えている。これ は、次第に、作家としての自信を得て来つつある証拠で、一年前、 Jacobに書き悩み、探測に対 する恐怖の戦きを感じていた時とは違っている。批評に対しても頑固なほどの態度を示すだけの
自信が見える。
1921年12月19日
Henry Jamesに関する批評の中で"lewd"という言葉(dirtyの義)を使ったため訂 正を求められたが、断乎として拒絶した。人は非難するかも知れず、 BruceはJames に対してというよりもSupplementに対して余計心配している。けど、やはり、時流
smt㌣Ei
に逆う私の手段は変えられない。取消すか、女衝のようなことをするか、とも思った が、やはりそのままにしておくことにした。
これは、倣慢だとか、恩義知らずとかの誤解を招く‑メになり易いのだが、 snobberyを殊更
ヴァ‑ジニア・ウルフの場合をこおける価値原則の補充(伊ケ崎)
ll
嫌う彼女には、それができなかった。ついでにそれを日記に求むれば 1919年3月19日
(Barnet夫妻について、そのsnobberyを難詰して)一番いけないのは無教育者に
つし・しJ'う
対しての追従、貧乏人に対しての意思の操縦の容易なることなどといった考えであるo 文章の表面が光沢がよいだけに尚更腹立たしい。
Jacobs'Roomを一年かけて書いて、それが、 Timesで冷遇されて気を腐らしてはいるもの の、しかし、それか決定打ではない。期待と不安を抱きつつ世評を待っている気持が、次の日記 に見られるのである。
1922年6月23日
Jacobは前に述べたようにMiss Greenがタイプしてくれている。 7月14日までには 大西洋を越えて行くだろう。それから私の懐疑や浮沈が初まる。とりあえずこうしよう と思う Eliotには物語をどしどし書き続けよう SquireとReadingとには伝記を。
こうして、真逆の時の用意をしよう。今度もし評判がよかったら、 Mrs. Dallowayを 書き続けることにしよう。不評だったらMiss Ormerodはどうだと言ってやるまでだ。
もし、作中の人物がちっとも面白くないとでも言われたら、私の批評を読んで下さいと 言うつもり。 Jacob という人物に対する批評はどうだろう。気違いだ、と言われよう。
辻接の合わないrhapsodyのような作品だと言われるかも知れない。私は、自分の本を 再読してその批評を述べることにした。再読して、というのが、 Supt、に送る、私の苦 心して書いた批評の題名なのである。
書き上げられ、推赦され、タイプされてアメリカに送られるまで七・八か月かかっている。こ こでまた、評不評による不安が顔を覗かせている。兵逆の時の用意といっているのがそれで、そ れは、やがて、その底辺に生活の不安が堵居しているのである。だが、それがまた発条となっ て、不屈の精神へと目覚めしめるのである。
1922年7月26日
主人はJacobs Roomを読んでくれて、私の一番の傑作だという。最初は、とても よく書けているということから、二人はそれについて話し出した。主人は天才の作品だ と言うO外の小説とは全然違っていると言い、作中人物はghostsであると言うO ま た、これは奇妙な作品で、私には人生哲学がないと言う。作中人物は人形であり、運命 によってあちらこちらに動かされている。運命がこんな風に作用することには同意しな いと言う。この次の作品には一、二の人物にはこのmethodを用いるべきだという。
非常に面白くって立派だよ、欠点(パ‑ティは多分除外して)はなく、知性がある、と
いう。あばたさん(主人か)は、とても自分の心をゆさぶったものだから、それで心が
落ちつかないまま、正確にその言葉を書くことができない。けど、私は、要するに嬉し
い。世間ではどう思っていてくれるかば、われわれにはわからない。けど、年四十にな
って、自分の声で物の言い方がわかり初め、そしてそれが嬉しいので、世の賞講に無頓
12
ヴァ‑ジニア・ウルフの場合における価値原則の補充(伊ケ崎)
着にやって行ける自信を得た。
これで、初めて自信を得たわけで、手法、並に、これと不可分の思想の「一応の」確立が得ら れたわけである。手法とのみ言えないわけは、次の、 8月16の日記の一部にある。
‑・‑もし、 Jacobがアメリカで評判が悪く、イギリスでも無視されるようなことがあっ たら、哲学的に私の畑を刈取ってしまおう。丁度今、小麦の刈入時だからでもあるまい が、そういった比晩がとび出したし、それで弁解ができるだろうo しかし弁解する必要 はない。私はLit. Sup.に書かないつもりだから。それとも、将来Lit. Sup.に書く ようなことになるだろうか。
従って、批評基準もそれに準じて確立したわけで、 Ulyssesに対する批評にそれが見られる。
1922年8月16日
私はUlyssesを読んで批評をしておらなければならない時である 200貢ほどは読ん だ。面白くて、刺戟され、悦惚とさせられ、興味が持てた。それは、最初の二、三章ま で、納骨堂のところまでである。それからあとは、面食らい、飽き、落ちつけず、幻滅 を感じたのである。それは、まだ山をあげない吹出ものを掻くような気持の悪い感じで ある。それをTomのような、 Tomのような里明な者がWar and Peaceに比肩し得 ると考えているとは。無知な、ぶざまな本だと私は思う。独学の労働者が書いたよう な本。誰にだって、なんと苦悩を与え、なんと自己中心的であり、頑固であり、未熟で あり、吃驚させ、そして、遂には吐気を催させることぞ。料理した肉があるのに、何故 わざわざ生肉を食べるのだろう。けど、もし貧血症なら、丁度Tomのように、それは 血にはいいだろう。わたしは普通のからだなので、また、やがて、古典を読むとしよう。
私は批評的賢明さを妥協なんかしない。
こういった時の処方隻には、対症薬として古典が挙げられているQ
^^Ki 醐
ヴァ‑ジニア・ウルフの一生は、不安と、これに基因する焦慮の連続であり、それは、近代人 の持つそれであることは、単に精神界のそれを主として持つ中世的なものとは峻別され得るので あって、その卑俗性は作品の中に溶け込んでわれわれに共鳴を呼ぶのである。言い換えれば、思 想の底辺をなす生活的不安が不知不識のうちに移入せられて、不安となり、かくて、実は、底辺 においてのこれとの戦いが克勝されんがために、その武器としての「作品の面白さ」が欲求され たが、後には、この欲求に克勝して、 「自分の声での物の言い方がわかり初め」たのである。
しかし、これが、すべての問題が片付いたとは言えないだろうO一応こうだと覚っても、それ は抽象的なものである。なんとなれば、精神、物質両界の問題がこれで片付いたとすれば、
Jacobs'Room以上の作品は生れなかっただろうし、彼女の生長はそこで止まっていただろう。
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