奈良教育大学学術リポジトリNEAR
T.Parsonsにおけるパーソナリティ構造発展の一般 的問題
著者 永田 陸郎
雑誌名 奈良学芸大学紀要
巻 8
号 1
ページ 61‑72
発行年 1959‑02‑15
URL http://hdl.handle.net/10105/4866
T‑Parsonsにおけるパ‑ソナリティ
構造発展の一般的問題
永 田 陸 郎
‑、は LL が き 二、課 題
三、初期の三段階におけるパーリナリティ構造の概観 四、 Post‑oedipal期におけるパーリナリティ構造の特質 五、パーリナリティ構造発展の」投的問題
人間の「自我の本質及び自我の発展」の理論は精神科学、特に教育科学の基礎理論であることは
(ll
いうまでもない。前世紀の末、 lN. Jamesが「社会的自我」(social self)の概念をたてることに よって、歴史を通じて長い間観念的世界の中につながれていた人間の「自我」に経験的基礎を与
(蝣‑'
えた。今世紀の初め、 C. H. Cooleyは「鏡に映った自我」 (looking‑glas self)の概念によって Jamesのsocial selfの概念を発展させた。その後G. H. Meadは、グーリーの自我発展の過
(3)
程を説明するために、 「役割取得」 (role‑taking)の概念を適用して一層精栂な理論を展開した。
1940年以降になると、経験的地盤に降り立ったこの理論が、文化人類学者や社会学者によって、
文化や社会の構造や機能の具体的研究の用具として適用されるようになり、更に役割取得や、役 割演披(role playing)の概念はsociometryやgroup dynamicsの研究者の影響下に実験的に 研究されるに至った。
(4) (3)
現代役割理論の展開において、 Mead以後、 T, M. Newcomb, T. R. Sarbin等の諸家を輩
(6)
出しつつある中に、 'f. Parsonsも亦独自の立場を占めている。自我発展の理論が役割理論とし てこれらの諸家のうちに養われつつある間に、それらは広くほ社会的行為理論の広汎なパースペ クティブをもつに至っている。経験的地盤に立つ「自我発展」の理論は、もともと、社会学者、
心理学者、社会心理学者や文化人類学者等の協力によって始めて解明しうる、いわば結合的領域 であり、結局これら諸科学の協力を可能にする基礎理論としての「社会的行為」理論が考えられ ているように見える。ところでこれらの中で大きくほニューカムを中心とする「社会学的な」社
(7)
会心理学と、パーソンズを中心とする「社会心理学的な」社会学とが分けられるであろう。何故 ならパーソンズは「社会体系とパーソナリティ体系とは単に相互依存するのみでなく、相互浸透
(9)
する」ものと考え、方法的には両体系をパラレルに置く立場をとっているにも拘らず、彼はもと もと社会学者として、社会的価値に極めて高い価値を与え、この立場からの「統合」に主力をお く結果、社会的行為理論の全図式から見て社会心理学的であるよりもむしろ社会学的であるとい えよう。
61
Parsonsは彼の社会的相互作用説に基ずいて、パーソナリティの形成過程乃至人間の社会化過 程を論じている。この場合彼はまずパ‑ソナリティ発展の原初的な母体である家族(family)杏 とりあげる。万人がそこに生れ、そこに育つ家庭を起点とし、パーソナリティの形成過程をあく
I")
までも家族を中心視野に置き、それとの関係において論じている。
このような彼の発想の根底には、彼の行為諭の中でパーソナリティと社会体系と文化との体系 的な連関の、より純粋で典型的なあり方を求めようとする意図があったと思われる。そして彼は そのようなケ‑スを現代アメリカの核家族(nuclear family)に求め得ると考えたのであるO 何 故なら、彼もいうように、現代アメリカは愈々都会化し、家族は社会構造の中で極度に分化した 単位になってきて居り、そのようなアメリカの典型的な核家族は、 「パーソナリティ、文化と社
uo)
会体系の間の諸関係の本質的問題の分析に対して、特に都合のよい経験的なcaseである」と見 られ得るからである。
吾々ほ、このようなParsonsの発想に基づく社会化過程論の中で、ここでは特に、家族のもつ 社会構造との関係においてパ‑ソナリティ構造を、初期の三段階について見るのであるが、就中 第二段階に当るoedipal phaseにおけるそれを手掛りとして彼のパ‑ソナリティ構造論の特質を 明らかにしたいと思う。
パーソナリティ構造の初期の三位相
A
iI 't U一、二 ¥l
パーソナリティ
Cl unit)
Object
Parenトchild dentityi Need‑disposition
Oral dependency Performance type
HAskng" for care Sanction type
Passive reception of care
Superior Power Instrumental
Inferior Power Expressive
B
受 信(')‑蝣 パーソナリティ
C 2 units〕
Object
Cathected : Self Internalized : Parent Need‑disposition
Dependency Performance Type
Alter‑oriented‑Asking for and giving care
Nareissistic‑SelLindulgence Sanction Type
Alter‑oriented‑Accepting care Marci ssistic‑Selトgratification
Object
Cathected : Parent Internalized : Self Need‑disposition
Autonomy Performance Type
Alter←oriented‑lovig alter
Narcissistic‑SelトIove Sanction Type
Alteトoriented‑Receiving
alter's Love
Narcissistic‑SelトIove
C
Post‑Oedipalパ‑ソナリデイ構造
C 4 units) Superego
Instrumental
Id
‑.‑‑ ‑‑‑‑‑‑ 匹 ‑ Expressive
Superior
3M OJ
Objects :
Cathected : Self(masculine) Internalized : Father Nee d‑disposition
Conformity Exernal Orientation
Performance : Control of Alter Sanctiion : Esteem
lnrernal Orientation P‑SelトControl S‑Self‑Esteem
Objects :
Cathected : Father Internalized : SelfCm) Need‑dsiposition Adequacy
InferiorAdequacy ExternalOridntation P‑Instrumentalperformance s‑Approval
InternalOrientation iP‑"Reality‑Testing iS‑self‑approval
Objects :
Cathected : SelfCfeminine〕
Internalized : Mother Need‑disposition
Nurturance Extenal Orientation
P‑Giving pleasure S ‑Response Internal Orientation
P‑Self‑indulgence S‑Self‑gratif ication
Objects :
Cathected : Mother Internalized : SelfCij Need‑disposition
Security
External Oientation P‑Giving love S‑Acceptance Internal Orientation
P‑Harmonization S‑Se lトIove
L Adaptive functions [Egoj Integrative functions 」
〔補註〕 1. Parsons and Bales, Family, Socialization and Interaction, p. 75. 76, 82 2.適当な訳語、乃至熟した訳語が見つからないものが多いため、原文のままにした。
図A (口腔依存期) 、 B (愛依存期) 、 C (post‑oedipal期)の中説明のためには、パ‑ソナリ ティ発展の第二段階であるBを最初に説明する方が便利であろう。
この期の子供は、社会体系面からいうと、母子の二成員のみの相互作用体系をもち、又パーソ ナリティ体系は、二対象単位から構成されている。 Parsons‑Bales理論では、小集団内の役割は 基本的に、力(power)の優劣と手段的‑表現的(instrumental‑expressive)放能の二軸の線に
り1)
そうて分化するものと考えられている。所でここで問題の愛依存期における欲求傾向(need‑dis position)の対象単位は二つにすぎないため、基本的役割分化の図式からみて不完全分化の形を とらざるを得ない。そこでParsonsはこの場合手段性と力の優位性とが結合して上位の対象単位 をなし、表現性と力の劣位性が癒着して下位の対象単位をなし、両単位が相互的役割関係を構成
(12
すると考える。さて役割は相互性をもつ故に、各単位の中で、カセクI(cathect)された対象と
それに.対応する内面化(internalize)された対象とが分化すると考えられるo そして,その際上
位単イ立の中で、内面化される対象は両親(或は母)であり、カセクトされる対象は、子供のself
の中両親への依存的な部分であり、又下位単位の中ではカセクトざれる対象は親で、内面化され る対象は自律的なselfであると考えられるO次にこのような対象単位に応ずる欲求傾向は、既 に明らかなように依存(dependency)と自律(autonomy)であるO さてParsonsは「青々の次 の段取は二つの類別、即ち先ず、各欲求傾向(need‑disposition)のperformance,即ち"dispo sition"の面と sanction、即ち"need"の面の類別、第二に、内的リプアVソスと外的リファ
(33)
レンスの類別を留意することである」として、二つの欲求傾向を夫々performanceの型とsa‑
nctionの型とに別け、更に両型の夫々を又外に他者に向けられた志向(alter‑oriented)と、内 に向けられた志向(narcissism)とに別けているO さてnarcissismは他者志向の発展とバランス をとる形で発展することが要請される。
次にA図に移ろう。社会的相互作用面からいうと、この期の子供は出生直後の未だ"社会的"と もいえない母親の単なる所有物に過ぎない段階から口腔依存(oral dependency)をたてること によって始めて"社会的"になった段階であるO これをパ‑ソナリティ構造面から見ると、従っ てそれは単一単位で構成されている。この場合親がcareの代行者として欲求されるが未だいかな る自律的なselfも欲求されはしない。それは子供が親のcareの中に一方的に包まれていて、
親の中の補助的対象に過ぎないことを意味する。そのような意味でparent‑child identityをな しているのである。そこには単一の口腔欲求傾向が存在するのみで、子供にせめて可能なperfo‑
rmanceは"careを求める''ことであり、 sanction としてほ与えられた"careを受容する"こと のみである。
最後にC図に従って、 Parsonsのpost‑oedipal期のパーソナ)ティ構造の一般的な特徴を明 らかにしたい。第一に、社会体系の面からいうと、この位相は母子の二成員の相互作用体系から 家族の典型的タイプとして四成員の相互作用体系へと転移する過程である。それは次の意味にお いてである。即ち前位相における母‑一子の=成員体系は、親であり或は母である"you と子供 である"me"からなる体系として示されたが、本位種において、前の"you は"父"と"母"
に、前の"me"紘"自己" (self)と=異性のsibling"とに分化している。そしてselfを中心 とするいくつかの各相互作用体系が「a"you , a"meHと a" we"と"non‑we'の残基的カテゴ
(14!
リー」をもつわけであって、一般的に成員の相互作用体系の分化はそれに応じて多数の"weと
"non‑weフ'をもつようになったことを意味する。
次にパーソナリティ体系面から見ると、前述の社会体系に応じて、二単位から四単位パーソナ リティ構造‑と分化する過程である。このようなパーソナリティ構造に関し、 Parsonsは次の如 くいう。 「前述の如きそのような社会対象の複合体系の中でのどの役割の中でも相互作用過程に 入り得るパーソナリティとして、少くとも四つの一次的な内面化された対象‑欲求傾向から成立 っている。そしてこれらの諸単位相互の組織について、ある相対的に安定した様式をもたねはな らない。 」とO
(15)第二に、 oedipal期は子供が性役割をとるに至る第一段階に当るということである。単に生物 学的にみた男女別ではなく、子供自らがFreudがいう意味において、心的意味にでの性別を発 展させ、 penisの有無をもって男女別の象徴とするに至る。勿論全体社会の立場から考えての生 殖的(genital)な意味での男女ではなく、家族内成員性の立場においてではあるが、子供は心的 に男女別についての役割選択を課される時期である。
さて第三に、パ‑ソナリティ体系と社会体系とをパラレルにつなぐという文化的意味について
みるとき、四成員性をもつ本位相はどのような文化的意味を担うであろうか Parsonsは、四成
員性の「家族的諸対象は、パーソナリティに対する表現的象徴の体系の組織の発生的基本的な基
(16)
礎であるといわれるかも知れない。かれら(四成員性)は表現的象徴の原型である。 」といって いる。これはパ‑ソナリデイにおける文化的意味の起源と発展が人間文化一般の類型といかに結 びつくかについての極めて重要な提言であると思う。
四
以上のパーソナリティ構造発展の初期の三段階の概観に続いて、次に、特に先にふれたposト oedipal期における彼のパーソナリティ構造論の理論的特色をあげたい。吾々は、ここから頁に Parsonsのパーソナリティ構造発展の一般的問題点をとりあげうるであろう。第一に、 Parsonsは post‑oedipal期において子供のもつ家族の社会構造をもって四成員性から成る基礎的役割体系で あると考えるのであるO彼とBalesとの協力による小集団内役割分化の基本的図式が、この期の 家族における役割分化に適用されるのである。力の優位と手段性、力の優位と表現性、力の劣位 と手段性、力の劣位と表現性が、夫々父、母、息子、娘の役割に配せられるのである。底にこの 期のパーソナリティ構造は、四対象単位をもつことをのべたが、それらに対応する欲求傾向を Parsonsは父、母、息子、娘の役割に応じて同調(conformity)、撫育(nurturance)、適当性 (adequacy)、安定性(security)であると考えるのである。
第二に、以上の指摘は同時に、 Parsonsをして、 Freudの"体質貯'両性説に対して、 "心理学 的"両性説の理論的基礎を提供している。彼はいう。 「性によるパ‑ソナリティの分化は、特定 の決定的な動機的要素の存在と欠如による分化ではなくて、諸単位の性質的に同様の要素である
iサ:
ものの組織づけの相違を含むのである。 」と。同様の要素を構成分子とし、構成要素としてほ両 的性でありながら、組織の相違が男女の性別を生むというのである。
第三に、 Parsonsは役割取得の過程に働く社会対象の相互作用関係を極めて厳密にし、その一 般的図式を提供していると考えられる Meadは、子供は、他の人々の役割について組織された 概念を発展させた後にのみ、自我の概念を発展させることが出来るとし、相互作用過程に立つ自 我発展の理論の一般的基礎を与えた。しかし、彼においては相互作用における他者の役割のいか なる面を、いかなる意味で内面化するか、一般にパーソナリティと役割の相互関係についての分 析は、悔めて不十分であった。
Parsonは、この点自他の意味ある相互作用と共通のcommunicationの成立する社会関係を we′Sの構造をもって表わしその分析をすすめている。四成員の本位相では、少年の立場からみ
て、可能的に次の六つのwe′Sが考えられるという。即ち、 (1)the old"I,ve"of"motherandI",
(2) "father andmother" (3) "we males'", (4) "those females ', (5) "we" of myself and siblings,
(6) the overall "weりof the familyが分化する。しかも上のようなwe‑nessは(6)なる上位の we体系と、 (1)‑(5)の下位のwe体系の二水準のものから成り、両者を含む一種のヒエテルキ‑
をなすものと考える。ところで六つのweの中、両世代と両性は相互に排除する関係にあるから、
少年の場合についていうと、少年は(2)、 (4)以外の四街のweに所属することになり、旧世代で ある両親、及び異性である女性のweは彼にとって"they"となるというのである。 Parsons はこのように社会構造を分析した後、この期の少年のパーソナリティは以上によって、四筒のwe/S から成る「秩序ある内面化された諸対象体系」の構造をもつに至るというのである。結局この期 の子供は、一般に(1)家族的weカテゴリ‑、 (2)siblingカテゴリー、 (3)性役割による男性的
"we 或は女性的"we"カテゴリーなる新しい役割と諸価値を内面化するのである。このように
考えた上で、 Parsonsの立場から例えば息子が父を同一視するということの意味を本位相につい て考えてみようOそれは第一に、息子の自我のカテゴリ‑が父と共に"we‑males"なる下位系体 に席するとの役割知覚をもつこと、第二に、両親を世代を異にするものとして区別することによ り、却って同世代に属する"sibling‑we"を内面化すること、従って彼はこの意味では、世代を 異にする両親の一人としての父役割をとることを得ない。将来別の家庭を作ることによってa parentになる可能性をもつことは出来ても、現在彼の所属する家庭でhis parentを演ずること はできない。かくて、少年は母に対する父の役割vL̲対して、羨望と敵意と同時に尊敬と愛惜をい だく所謂エディプス・コンプレックスの状態におかれることによって、 his parentたることを 断念して、全く新しい家庭のa parentたることを目指して将来を堵けるといえる。 Parsonsが この期をもってFreudの意味における潜在期(latency)とする所以もそこにあると思われるO 第三に、息子はこの期において、母一子体系にみられなかった父を代表者とする四成員家族の一 組の新しい価値を内面化するのである。以上三つの意味において息子は父を同一視したと云い得 るわけで、このようにMeadに見られなかった突込んだ分析が展開されている。
第四、 Meadの社会的行動主義(social behaviorism)には、入間行動の動機的側面の分析が 欠けていた Parsonsは社会学者として、社会的対象の側面を重視すると共に、社会心理学的側 面を方法的にはパラレルに重視し、彼がパ‑ソナリデイの構成単位と考える所謂欲求傾向につい て分析している。そして先に述べた如く欲求傾向(need‑disposition)を分析的にperformance
(18)
aspectとsanction aspectとに分ける。先ず本位相のperformanceの側面について述べよう。彼 は、内面化された母と父とに応じて、欲求傾向を、 nurturance need (撫育欲求)とconformity need (同調欲求)に分化せしめ、又面内化されたmasculine selfと feminine selfとに応じて、
adequacy need (適当性欲求)とsecurity need (安定性欲求)とを分化せしめている。ところ で撫育は、前位相のgiving careなるneedのうち、「個々の喜悦を確保しようとする欲求」(the need for assuring segmental gratification)の側面で、同調は他の側面、即ち規範的基準に一 致しようとする面である。安定性は、前位相の自律性(autonomy)に由来し、子供が母を欲求 する場合の連帯的(relational)側面であり、適当性は同じくその場合の達成(performance)的 側面を意味するという。
次に、以上のdispositionの側面に対応するneed の側面についてのべよう。 Parsonsは入
(19)
間のneedを「他者から期待(欲求)されたreaction (反応)の型」と考え、行為は自己の性 向(disposition)であり自己の表現であると共に、他者からの期待、ないしは欲求に向けられて の反応であると考えている。即ち行為は内なる自己の表現である面と、外に対して他からの期待 に応える側面とをもつというのである。そして他からの期待に向けられていることは、即ち他か らのプラス・マイナスの制裁(sanction)に志向していることを意味している。以上の意味で行 為は、 performanceとsanctionの両側面をもつと考えられる。さて彼は以上の performance 型に応じて次の如く四つのsanction型をとりあげている。即ち撫育に対して応答(response)、
同調に対して尊敬(esteem)、安定性に対して相互的受容或は連帯性の表現(reciprocal accept ance或はshowing solidarity)、適当性に対して承認(approval)を配している。
さて以上のようなposトoedipal期における欲求傾向の分析において最も重要な問題は、パーソ ナリティに内面化された四つの家族的役割対象単位が、 Parsonsの「社会的体系」の中で示され
(20)
た人間一般の基本的役割‑志向と全く対応したものとしてとり出されていることである。即ちこ
の期の子供のパーソナリティにおける四つずつのperformance型とsanction型は、人間行為‑
般における社会的価値志向による役割分化と、パ‑ソデルな態度の価値志向に対応する基本的役 割分化とに全く規を一にしているものと考えられている。このような意味で子供にとって四つの 家族対象は、人間一般の基本的な意味の復合(the complex of meanings)であり、この期にお けるそれらの対象の一々が雇酎麦の子供の発展における象徴群(symbol cluster)の中心となり、
子供の象徴組織形成の拠点となり、基礎となるというのである。
第五、 Parsonsは以上のべたpost‑oedipal期のパーソナリティを、 Freudのパーソナリティ 構造の三要素に密接に結びつけている。図Cに示されたように、 FreudのIdを、撫育性に、超
戟(superego)を同調性に、自我(ego)を適応性と統合性の二欲求傾向に結合させた。但し、
IdはFreudでは最も本能的原始的で直接の欲求満足を求め、単に快感原則に従うものとされて いるが、 ParsonsはIdを表わす撫育性を、最も古拙的(archaic)な、そして発達後も尚残基的 なものをもつ本能に近いものであると考えるが、それにも拘らず学習過程によって新たに組織さ れうると見ている点Freudと異なる。超我はFreudと同様内面化された父対象と考える。 Par‑
sonsは前位相の自律的(autonomous)欲求傾向が本位相において、二分化的に展開したものを、
egoの欲求傾向の機能と考え、先きにのべたようにegoに適応性と統合性を配属せしめた Fr‑
eudは、 Idの快感原則の主観性に対立させて、 egoに客観的な"現実検証" ("reality‑testing") の機能を帰するに止まったが、 Parsonsは、 Freudのego機能の叙述の中には自我統合(ego‑in‑
tegration)の機能が認められるとして、パーソナリティ統合の機能をもegoの機能に帰せし埼た。
外的不安定は、パーソナリティ統合の脅威であり、 "ego‑anxiety"の根源となるし、又内的な自 我不安は、外的に愛着と忠誠、ないし所属への欲求となるというのであるoこのようにParsons は、 Freudの"現実検証"に相応する"適当性''と共に、新たに"統合性l'の機能をegoの機能に 属せしめたのである。
第六に、 Parsonsは、パーソナリティ組織は所謂"鏡の広間''の構造(the"hall of mirrors"
structure)をもっている故に、パ‑ソナリデイはその構成単位毎に、外的にカセク下された対象 と、内面化された対象‑の二つの志向をもっているという。自我(self)は、自分に対する他者 の態度を鏡として自我の姿を映し出す過程を通して、相互的役割取得の中で、より一般化した他 者のイメ‑i7と態度を内面化すると共に、自我のイメ‑汐と態度を発展させるものと考える。
(21)
Meadはこの過程に、自我(self)の中の「MeとI」なる二側面を見出したのである。自他が相 互に態度をとることの中で互に相手を映し出す鏡となること、相互作用面における自他の役割に おける対立と交渉が、パーソナリティ体系内においては「MeとI」の対立と交渉にひき換えられ ることを明らかにした Parsonsは、パーソナリティの各構成単位について「MeとI」の相互的 交渉を、相互的役割型の内面化(the internalization of reciprocal role patterns)ないし、パ
‑ソナリティの"鏡の広間"構造化と考え、その結果として形成される志向の二重性をパ‑ソナ リデイの重要な構成要素と考えた。かくて例えば、子供のパーソナリティの中の撫育の欲求傾向 は、一方、母が撫育してきた子供のselfに向けられ、他方、そのようにselfに同一視される他
(22)
者に向けらる。前者は自己喜悦(self‑gratification)、後者は、喜びを与える(giving pleasure)
欲求傾向である。母の撫育のいとなみが子供に、他へ喜びを与える欲求と共に、昏悦を受身的に
与えられるだけでなく、自らがsanctioner となって喜悦を自らに創り出す欲求をよぴさますの
である。 ParsonsはこれをFreudに倣ってnarcissism とよんでいる。これと同様のメカニズ
ムで、娘を中心とする愛は他愛と共に自愛の欲求傾向を、息子を中心とする承認(approval)
は他の承認と共に自己承認の欲求傾向を、父を中心とする尊敬(esteem)は他者の尊敬と共に自
己尊敬の欲求傾向をうみ出すというのである。又このようなnarcissismの見地から、彼は又罪 (guilt)と恥(shame)を考察する.罪は内的な"disesteem"であり、恥は内的な"depreciation"
であると考える。ところで前者は男性的自己に焦点をもち、規範的基準への同調が適切に遂行さ れないか、それともおびやかされるときに生起する感情であると考えられる.これに対して恥は Idに関する志向で、内面化された女性的自己に焦点をもち、呼応(response)の態度が撫育の 機能を果し得ないという感情に支配されている場合をいうと考えるのである。さてParsonsは東
に恥のもつ他の重要な一面、所謂「他者の態度への特別な敏感さ」について次の如く説明してい る。撫育はパ‑ソナリティ発達史からみて最も始源的である依存性に由来する欲求である。とこ ろがそのような撫育が自己撫育の志向をとるとき、後の一層発展した立場からみて最も承認され 難いものとなることは当然の理であって、従って自己撫育がsanctioner (正負の制裁者)として
内的な志向となり得ないという感情に支配されることから、一転してsanctionerを他に求め、
他に依拠しようとする他者志向を強める Parsonsはこのような心的メカニズムによって、恥は
(23;
他者の態度への敏感性に支配される志向となると考えるのであるO 五
以上Parsonsのpost‑oedipal位相におけるパーソナリティ構造論の特質をのべた。次に以上 をふりかえりつつ、この期のパーソナリティ構造論を手掛りとして、 Parsonsのパーソナリティ 構造論そのものの一般的問題点とその特色を考えてみたい。
彼のパーソナリティ論の基本的特質の第一は、彼の次のことばに綜括されるであろうo「人間の パーソナリティの基本的構造は、個人が彼の生活史の中で統合してきた社会体系の役割諸単位と
(24)
して起源してきた社会諸対象の諸体系の内面化をとりまいて組織されるのである。 」と。即ち彼 においてパ‑ソナリティ構造は、現前の経験されつつある社会構造の映像であるだけでなく、そ れが過去の生活史の中で認知された(perceived)社会構造をとりまいて組織されたものであると いうのである。即ちパーソナリティは、生活史の中で経験された社会構造の映像であるが、パ‑
ナリティ自身が又一つの体系として存在する故に、単に社会構造を受身的に映しとるだけのもの ではなく、自らに生きた機能的な欲求傾向を対象との関係において生起し、欲求傾向を中心に社 会構造を映すものと考えられている。このことはParsonsがパーソナリティイの構成単位として、
社会対象の単位に欲求傾向を対応して配置したことから明らかである0
第二に、パ‑ソナリティ構造の発展は、 Parsonsにおいてー単純未分化な対象体系の分化過程 であるということである。 Parsonsにとって、それは通説の如く"一次的動因(drive)"或は"本 能"の修正過程でも、又"一次的動因"が二次的動因群になる過程でもなく、始め極めて単純無 差別であったものが一層複雑な分化した体系になる過程である。しかも分化が二肢分裂(binary fission)の原理による分化であることは、 Parsons理論の特色である。このことは既に図A、
B、 Cのパ‑ソナリティ構造発展における対象単位と欲求傾向の二分肢化として示されて来た。
Parsonsは、心理学的・社会学的領域における彼の理論は、独自の基礎に立つものであって、決 して他の領域の科学による類比(analogie)ではないといいつつ、而も生物学理論が、彼の社会的 心理的理論の発展の上に大きな示唆を与えていると述べ、二分岐化による分化と統合の原理もそ
(25)
の‑であるといっている。このような立場から、彼は社会発展にも論及して、社会発展は単に相
異なる社会相互の"征服日や"文化接触"による、商社会のもつ諸要素の接合癒着によってでは
なく、そのような外的影響を機縁としつつ、より基本的に当の社会自体の内的分化発展であると
(26)
考えるO まさに「大事な事は内的一体系分化である。」と。
第三に、 Parsonsの「社会的対象の内面化」の概念を考えてみる必要がある。彼においてそれは、
Freudの同一視、 Meadの「他者の役割取得」以上の意味がある。即ち彼は、これら諸家の考察に 依拠しながら、第一にそれを発展させて、パーソナリティにおける「社会的諸対象の‑体系」の 内面化としたこと、第二に、パーソナリティへの内面化を、社会構造面における一層厳密な相互 作用の体系に対応させたこと、第三に、更に内面化される諸社会体系を、一連の連続的発展系列 の中に把握しうることを示したこと、以上三点において新しい意味をもっている Parsonsにお いては一つの新しい社会対象の内面化も、 「一つの外的社会体系への変吏された立場から、 ‑体 系としての彼のパーソナリティ体系が再組織化される一層一般的な過程の一部分である。」 (one
part of a more general process of reorganization of his personality system as a system
(27)
in terms of an altered relation to an external social system.)のであって、新対象の内面 化が、新対象が置かれている新しい次元での体系分化と再組織の全体過程の中に把えられねばな らないことが明らかにされたのである。叉単なる一般的な他者の役割取得の原理を発展させ、他 者との相互作用の行われる社会構造面と、役割取得によるパーソナリティ構造の発展する面とを、
一層厳密に、いわば体系的に関連させたのである。更に彼は、これだけに止まらず、パーソナリ ティ発展に体系的に関連する社会諸体系を、一連の連続的分化の全系別の中に組織したのである。
第四に、 Parsonsは、彼のいう社会対象の内面化過程の中に、 Freud等によって洞察された深 層心理、豊かな人間諸動機のメカニズムを組み入れることに成功している。かくて、外なる社会 対象が意味ある相互作用の中に入りこむ過程は、内なる人間動機触発の過程であること、しかも 如何なる社会対象がそれに対応するものとして如何なる欲求傾向を生近‑させるか,束に社会体系 のもつ構造がFreudのパーソナリティの三構造といかに関連するかを示したことは、極めて重要 なる意義をもつものと思う。既にのべたParsonsの人間初期の三段階のパーソナリティ構造にお ける、その構成要素として対象単位と欲求傾向の分析はこのことを明らかにしている。人間にお ける外なる環境が、いかにして、内なる行動環境になり得るかほ、 Parsonsの対象の性質と欲求 傾向の体系的相関化によって、一層明らかにされたといえよう。
弟子工、 Parsonsは、パーソナリティは、その子供の発達段階に即応する社会構造の単に"鏡に うつつた映像(the mirror‑image)であるに止らず、 "深さをもった粗放" (the organization in depth)、ないし"一連の継続的な、社会体系の諸統合の積み重ねられた産経" (the cumulat‑
(28)
ive impact of a succession of social system integrations.)であることを強調する。即ち例 えばpost‑oedipal期の子供のパーソナリティ構造は、核家族構造の"映像''であり、従って四役 割対象から構成されているが、この場合子供が自らに映ずべきパ‑ソナリティとしての両親が、
単に家庭内にのみ止まり、家庭を超える諸社会構造を映すことのない両親であるならば、子供の パ‑ソナリティは不完全であるだけでなく、病的にすらなると考える。はげしい成長の途上にあ
るこの期の子供は、極めて不安定で、家族内役割に安住することなく、一方、未来に向って既に 家族を超える仲間集団や学校の中での役割対象を映し始めて居り、それらの諸役割の中で自らを 位置づける労苦に満ちた努力をなしつつある。しかも他方、そのような努力の中で過去において 内面化された母子間の役割統合を再組織しつつあるのである。パ‑ソナヅデイはこのような意味 で「深さをもった組織」である。
所でParsonsの「深さをもった組織」の概念を明示するものとして、吾々ほ彼の"欲求傾向の
(23)
系譜学''(the genealogy of need‑dispositions)の図式を見出し得るのではなかろうか。この図
式は人間の姶源的に単純未分化な動機エネルギーの流れが、 「文化的に組織された行為」にまで 動機づけられるには、外なる如何なる社会的対象乃至社会構造によって、流出の機会を与えられ、
エネルギー流出に出口を与えるかについて、動機諸要素の「枝を分けてゆく樹木」(thebranching tree)状の関係を表わしたものである。そしてこの図式のもつ最も重要な意味は、このような動 機体系がパ‑ソナリデイの時間の中での分化と再統合の諸過程の組織化を表わすものであること、
換言すれば、それは社会構造の空間的な映出(mirroring)に止まらず、時間的な社会諸構造(一 定の序列をもって継起する文化変数で把えられた)の映出(mirroring)であることであるO
さて、このように考えることによって、欲求傾向は相互にどのように関係するかが明らかにな
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った Parsonsは「欲求傾向は"系譜学的な樹木"を通して発生学的に関係する」と云い、又樹 木の特定の枝に所属することは.その枝の発生的に前の対象諸体系に"参与"していること、同 時に叉樹木のその枝を通して、後の対象諸体系に志向しつつあることを意味していると考える。
Parsonsはこの点について一層明確にパーソナリティにおける動機体系の分化を、生物有機体に おける原形質の分化になぞらえて、 「かくて有機体の中で、 ‑たび外‑‑原形質(ecto‑plasm)と 内一原形質(end‑plasm)の分化がおこったならば、ある諸構造は、一方から、ある諸構造は、
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他方からひき出されるのであって、どの構造も、決して両者の混合物からひき出されほしない」
として動機単位の諸関係を体系化していることは注目を要するであろう。
第六、最後にParsonsのパーソナリティ構造論の最も根本的な特色と思われる点は、既に前に 指摘した所から予示されている訳であるが、パーソナリティの相違は、構成要素たるunitその ものの相違ではなくて、各発達段階に応ずる同じ構成諸要素がどのような諸関係をもつか、それ ら諸関係の"組合せの型Mの相違によると考える点にある。発きにpost・oedipal期の子供は、
Parsonsによれば体質的両性であるのみでなく、心理的両性の性格をもつことをのべたが、これ は単にこの期の子供についてのみ妥当するのではなく、人間一般のパーソナリティ構造のもつ普 遍的性格であるとするのがParsonsの考え方である。さてunitsの第一次的分化はParsonsによ れば、手段的I一一表現的な桟の機能的分化と、力の優劣による縦の分化との交叉による四局面、乃
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至位相としてなされるものと考える。このような四局面としてのunitsの分化は、 post‑oedipal 期に一応完成するのである。従ってこの期の子供は男女共に同じ構成単位をもつ訳である。それ にも拘らず性役割をとることによって男女としてパーソナリティを異にするに至る所以は、既に のべた如く units相互間の可能な諸関係のうち、その諸関係の組合せの型を、異にするからに外 ならないとするのである。 Parsonsは、アメリカの少年少女のパーソナリティ構造について、彼 等ほ同じ四対象単位から構成されながら、一般に、少年は、 1.適当性 2.同調性 3.安定性 4.撫育性、少女においては、 1.安定性 2.撫育 3.適当性 4.同調性の序列をもつ夫々の「組
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合せ型」のパ‑ソナリティと考えられるとしている。このことからParsonsにおいては一般に、
パーソナリティは四局面をもつ空間的枠組の中で考えられ、各局面中夫々独自の座標をとりつつ 四局面にわたって軌道(orbit)をえがきつつ進む行為体系のunitsが、どのような局面内に集中 して「ある限界内での位置づけにおける反復的な変化の型」 (a pattern of repetitive change
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in location within certain limits)を示すかによって、パーソナリティ構造の基本を決するも
のと考えている。それ故に少年役割についていえば、男性的自我(masculine self)は、同調性
の局面に軌道を描く時は、他の局面にある時よりも、一層内面化された父に近く、又安定性の属
面内に軌道を描く時は、他の局面にある時よりも、一層女性的自我(feminine self)に近づくも
のと考えられる。このようにパ‑ソナリティを構成する多様な動機は、ただ単純に常に"同一万
向"に動くものではなくて、四局面にわたる豊富な軌道をもち、 「その軌道の局面に従って異種
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の動機」 (a different kind of motive according to the phase of its orbit)を構成する。従 って全体としてのパーソナリティ体系は、このような多様な下位の諸動機の「異種の運動の組合
せの型」を変化する組織として極めて複雑な構造をもつものと考えられる。
以上吾々は、 Parsonsのパーソナリティ構造論そのものを論ずる予備として、彼の社会化過程 論の中でのパ‑ソナリティ構造発展の初期の三段階、特にpost‑oedipal期におけるパーソナリテ ィ構造論を手掛りとして、彼のパーソナリティ構造論そのものの基本的特質を出来るだけ明らか にしようと試みた。 (1958.10.23記)
〔註〕
( I) William James, Principles of psycholoy, New York : Holt, 1890蝣
C2) Charles H. Cooley, Human Nature And the Social Order, Charles Scribrer's Son, 1902‑
(3〕 G. H. Mead, Mind, Self and Society f.rom the Standpoint of a Social Behaviorism, University of Chicago Press, 1934.
C4) Theodore M. Newcomb, Social PsychoLogy, New York : Dryden Press. 1950‑
C53 Thedore R. Sarbin, Role Theorv, in handbook of Social Psychology (Ed, By Gardner Lindzey), Addison Wesley, 1954. pp. 223‑58‑
( 6) Talcott Parsons And Shils, E. A‥ Toward a Gereral Theory of Action; Harard