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伊良子清白の「漂白」と石川啄木の「のぞみ」の関 連について

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Academic year: 2021

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(1)

伊良子清白の「漂白」と石川啄木の「のぞみ」の関 連について

著者 藤田 福夫

雑誌名 金沢大学語学・文学研究

巻 1

ページ 66‑69

発行年 1970‑03‑25

URL http://hdl.handle.net/2297/23685

(2)

つきかげは やや傾きぬ。

かばやぎ

川柳に風や永い。 おしへらく、ああ我が望ふ かたぶきい、哀へい、

いつく

夢のあと、あはれ何虚。 やなぎ洩る 月はかすかに

ぬか

額を射てほの白し。 かすかなる「のぞゑ」の歌は 砂原にうちまるぶ 若人の琴にそひぬ。 先ず両詩を発表年次順によって記すと次のごとくである。 のぞ承 石川啄木 伊良子清白の「漂泊」と 石川啄木の「のぞみ」の関連について

あるは又、 なげきの丘に

ゆめをぐさ

ふと萠えし夢小草。 根をひたすなげきの水に

つちかなしみ

培かはれ、悲愁の

にへをぱな

犠と咲く黄の小花か。

わがのぞゑ、

おきふし

(夢の起伏、) 一一 月かげの沈むにつれて、

ぬか

白髪」額また垂れぬ。

いのちさうぴ

ああ生命、そはかの薔薇、 つぼ承なる束のまの まだ咲かぬ夢の色か。 藤田福夫

(3)

わかうど

若人は

いと・

美これたる絃を

つな、

星かげに繋塞こつつ、 起ちあがり、また勇ましく、

ぬか

垂れし額 ややにあがりぬ。

のぞみ

彼は一君ふ、我が希望、

と』』よ

夢ならば、永世の茜蚕ょ、 移り行く『時』の影

おきふし

起伏は、鎚已夢ぞと。 夢なれば、砂の膣の

なきがら

身は既に夢の残骸。 かたぶぎぬ、哀へい、

いづく

夢のあと、あばれ何魔。

一一一 月落ちて こころ沈ぶて、

なか

一戸もな費)暗の中、

ひといと

琴は猶、のこる一絃、 くもぢ・ 雲路にも星ひとつ、

つち

『のぞみ』をぱ、地に絶たず。 漂泊

むしろど

鳶一戸に

あきかぜふ

秋風吹いて かはぞひはたごや 河添I旅篭屋さびし

あはたびをとと

一操れなる旅の男は ゆふぐれそらなが 夕暮の空を眺めて

ひくうた

いと低く歌ひはじめぬ

なきは畠

亡母は

一ととめ

魔女となりて しろぬかつきあら 白雪ご額月に現はれ

なきち出

亡父は

わらは

一塁子となりて まろかたぎんがわた 圓雪ご肩銀河を渡る

やなぎも 柳洩る

よかわしろ

夜の河白く かはとけぶり+との 河越購えて煙の小野に

ふえね

かすかな)○笛の音ありて たびぴとむねふ 旅人の胸に鯛れたh/ ほほゑぷて、砂の原

いのち

趣ひ行きい、生命の跡を。 (「明星」明治三十七、十一一、辰歳十一一号)

伊良子清白

(4)

両詩の末尾に記したように「のぞゑ」は明治三十七年十二月の 「明星」発表である。詩集「あこがれ」に収らめれ、それには甲辰

ふるさと

故郷の

たにまうた

谷間の歌は

っづたかな

績姿ごつ上断えつつ哀し

おほぞらこだまおと

大空の返響の宰曰と

ちそここえ

地の底のうめ雪この聲と まじはしらべふか, 交りて調は深し

たびびと

旅人に

は出

母はやどりぬ

わかうと

若人に

ち出くだ

父は降れり をのふえけぶりなか 小野の笛煙の中に

ふしのこ

かすかなる節は残れり

たびぴと

旅人は

うたつ

歌ひ續けい

みどりごむかし

嬰子の彗曰仁かへり ほ料ゑみうた 微笑ゑて歌ひつ上あり (「文庫」明治三十八、|、二十七ノ六) 総ルビ表記は詩集による

十一月十九日と記されている。十一一月号の「明星」の印刷日は十一 月一一十九日となっているから啄木作詞直後投稿印刷されたことが知 られる。 「漂泊」は明治三十八年一月の「文庫」に発表されたものである。 同誌の巻末近くに「冬の夜」という総題のもとに他の一一篇「月光日 光」「無題」(「世に落魂の貴人」ではじまる十二行の作)とともに 掲げられている。後「孔雀船」(明三九、五)巻頭に収められたこ と衆知のごとくである。 「漂泊」は啄木の「のぞみ」より発表の遅れること|か月である。 発表年月が余りに接近しているので相互関係が無いようにも思われ るが、以下記すような状景の近似と完全に語句の一致するものがあ ることからして、やはり清白が「のぞふ」を読永、自己の実際経験 にそれを織りこんで直ちに「漂泊」を作詞したものと考えざるを 得ない。あるいは一歩譲って他の作者の詩に啄木、清白両者が影響 されて、一か月の期間を隔てて発表したものかという想像は成り立 つが、現在までのところこれ左証する他の作品を見出していない。 よって此処では清白が啄木の「のぞふ」に触発され、自己の経験の 中に啄木の詩句を転用し、詩趣を深化させたものと認めたい。 両詩の共通点は主人公が「のぞふ」では若人であり、「漂泊」で は青年と思われる旅の男であること、詩に詠まれている時が夜であ ること、点景として川辺の柳が用いられていること、「のぞゑ」の 主人公が琴を弾いている一」と、「漂泊」の主人公が笛を聞きつつ歌 っていること、詩の調子が「のぞ承」は五五、五六、五七の混合 調、「漂泊」は五七調であるが、ともに沈んだしらべが詩の舞台に なる月夜の川辺にふさわしい標秒たる感じを伴っていることなどで ある。そして語句の上でば

(5)

やなぎ洩る(肌鵬棚」では)白き額、 かすかなる(「卿厭別私版剛化却ぱ州卜加歌にかよる) の一一一語句が完全に一致することが特に注目される。 これらの点よりして両詩は無縁に創作されたとは認めがたいの であるが、作品としての結晶度は勿論「漂泊」の方が遙かに高い。 「のぞふ」が全八連で第二部淑特に漠然とした表面的空虚感の羅列 に終っているのに対し、「漂泊」は全六連に緊縮され、景と情とが 具体的に生動している。’第一連がや坐牧歌調で幻想的象徴性に 欠ける.ここに最も畷木から継承されたものが残っている.l主 題も「のぞゑ」が希望を失い夢の残骸を抱く青年が健かに残る一絃 の琴の糸と雲路の一つ星によって希甑をかき立てられ、生命のかげ を追ってゆくという一般的概念的なものであるに対し、「漂泊」は 故郷に帰って旅宿に宿った青年が月光の降りそよぐ山野を眺めて追 懐にふけり父母を幻想の中にしのぶという具体的なものである。実 経験(幼く母を失ない、早く郷里の鳥取県八上郡曳田村を離れたこ と)に根ざして幻想的ながらに孤独の情が鮮明に出ている。 古典的で整然とした彫りの美しさを思わせる表現、写象の鮮やか さと幻想の深さは文庫派詩人一般が平淡に流れる傾向の多かった中 で、清白は断然群を抜いているのである。しかしこの「漂泊」が 「孔雀船」の巻頭を飾るほどの重み、鮮明な結晶美を持ち得て、象 徴性を発揮したのはそうした清白の天賦の才によるとともに啄木作 「のぞゑ」を或る程度下絵とし、その詩情を日家籠中のものとし て昇華したからでもあった。啄木によって与えられた柳洩る月の光 の世界に古雅な楽器の音色がひびくという状況設定の上に清白の現 実の故郷と母への郷愁が重なり合って「漂泊」は生まれ出た。この 詩の全創作が清白の内面から出たものとはできないのである。 「文庫」に発表され、「孔雀船」の巻頭に載った「漂泊」をもし 妖木が見ていたらどんなに感じたであろうか。啄木の詩にも泣菫や 有明の影響は濃厚であり、近似の語句による表現の相互影響はロマ ン主義時代一般の現象であった。しかし「のぞ象」と「漂泊」との 間には単なる語句の類似や着想の近似以上の前後関係、デッサンと 完成作との関係のようなものが認められるのである。 「漂泊」に対する高い評価は詩作家としては北原白秋(改造社版、 現代日本文学全集「明治大正詩史概観」)あたりに始まり日夏取之 介(明治大正詩史)河井酔落(明治代表詩人.および文庫詩抄)が これにつづく。これらに則りつつ諸学者の研究書も「漂泊」を調い これを評釈しているものが多い。しかしこの詩について 「|」の幽玄と幻覚とはほとんど解釈を越えての魅力である。筋のひ びきのような、煙の流れのような、捉えんとして捉えることの出来

、、、、、、、、、、、、、、、、

ない感興だ。清白の詩人的天分が偶発したもので永く生命を保つ詩 であろう。」(明治代表詩人・傍点藤田という意見には先行作の影 響が考慮に入れられて居らず、全面的創作と見てやや過褒の趣なし としない。立派な作品である一」とは勿論であるが、先行作を持ちつ つ純化されて行った事実を認める必要があると思うのである。

本稿の内容については筆者は二十年近く前金沢大学で催された北 陸国文学会の席上発表したことがあるが、衆知されている些細な問 題のことのようにも考え、研究雑誌類には記さないままで今日に 至った。しかし「漂泊」の価値が定まるとともに各種の評釈書類が この詩を解説することが多くなったが、啄木詩との関係を指摘した ものは見当らないようであり、最近は影響を与えた方の啄木の「の ぞふ」の注も『日本近代文学大系」(角川書店」に載るようにな ったので改めて此処に紹介の筆を執った次第である。

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