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戦後体育科指導要領の変遷史

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戦後体育科指導要領の変遷史

大 西 國 男

(1980年11月15日受理)

1.戦後体育科学習指導の変革

「アメリカ教育使節団報告書の教育理念は,いわゆるアメリカンデモクラシーのそれであり,別 の言葉でいえば自由主義,個人主義の教育理念といえるだろう。そしてそれは,それまで日本の教 育を支配していた教育勅語的教育理念に対比すれば,まがう方なく進歩的な抑圧から解放するとこ ろの教育理念であった。」 (教育学論集,勝田守一編,宗像誠也,日本の教育政策,P.109,河出 書房新社,昭35)終戦後,新しい教育理念にもとついて発足した学校体育は,現実的には過去に例 をみない一大変革が行われ,抜本的な改革がもたらされたのである。すなわち,教育制度,教育内 容,教育方法について完全な変革が行われることによって,いわゆる新しい体育への転換をせまっ たのである。

「終戦に伴う体錬科教授要項取扱に関する件」(昭和20)の通牒では,指導については「画一 的形式的訓練をさけ,児童生徒の個性,発育,栄養の状態,運動能力などを考慮し,自発的活動を 中心として,明朗かっ達な気風を盛んにする。」ことを強調している。そして「第一次教育使節団報 告書」 (昭和21)は,体育が民主的教育に対して寄与しうる可能性の大きいことを説き,いよい よわが国の新しい教育方針を確立することになったのである。体育科の学習内容は「遊戯及びスポ 一ツ」を中心とするスポーツ時代を展開することになり「学校体育指導要綱」(昭和22)は,先 づ小学校から大学にわたる体育の目的「体育は運動と衛生の実践を通して人間性の開発を企画する 教育である。それは健康で有能な身体を育成し,人世における身体活動の価値を認識し,社会生活 における各自の責任を自覚することである。」を掲げたのである。それは,従来の教師中心主義的 な模倣と反復練習の指導から,民主化(スポーツ教材)と科学化(指数・統計)の学習理論を提唱

した学習者の立場に重点を置いたものであった。

すなわち,児童生徒の自主性,自発性の尊重,子どもの興味の重視,測定資料の活用,正課と課 外の関連を強調している。そのために自主性と社会性の育成に効果のある教材としてスポーッを重 視し,自発性を喚起するために子どもの興味,欲求に着目したのである。そして,スポーッマンシ ップとフェアプレイをうたい,レクリエーションのスポーッ教材と,子どもの興味調査と生活実態 調査へと志向したのである。また,身体的な面では計測,診断,統計などの科学的観察が重視され たのである。

要するに転換の主軸は,児童中心主義運動の目覚ましい展開の中で児童中心的な学習指導へ,一

斉指導から班別指導の採用へと進んでいったのである。従来の団体指導,一斉指導から,場面に応

じた指導(一斉,班別,個別)形態の必要が求められ,個性を重視した能力水準に応じた指導法が

採り入れられるようになったのである。すなわち,指導の展開や学習形態やグループ編成が,民主

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的人間形成の教育原理で一貫されていて,民主的人間形成のために個人の尊重と民主的社会態度の 育成に主眼が置かれたものと言うほかないのである。指導の展開においては,従来の基礎的技術や 基本的運動能力の鍛練から,ゲーム中心の全習法の方向を示唆したのである。特に全員を対象とし た課外体育,校内競技会を重視した点は,主目すべき点であったと言うべきである。

学校体育指導要綱では,実際指導の面で理念の転換を指導上の方法に移行することは容易なもの ではなかったのである。まさに地動説(コペルニカンセオリ)とも言うべき理念転回の混乱は,

結局,放任というかたちで糊塗することも多かったのである。このような状況の中では,無計画に 遊ばせておくことが自主性や興味を尊重することであったり「話し合い」が社会性育成の指導であ ると短絡的に考えるむきもあった。また,この混乱と不安の逃げ道を運動技能の習得に求める昔な がらの指導を願うものや,放任的といわれる体育の授業に陥るものがあったことも事実である。そ

こでは「子どもを遊ばせている」という批判も敢えて受けなければならない状況であった。

戦前の権威主義的教育,画一化教育に対する反動的風潮のあおりから,個人の自由や地方分権化 など明るく期待のもてる民主的性格を内包する内容として受け止められた新しい教育指導は,混乱 と帰趨に迷った当時の教育界には抵抗なく受け入れられていったと見られる。体育教育では・敗戦 という混乱の中で一大転換に取り組んだとき,それは個人を重んじ個性を尊重する立場から全員を 対象とした課外体育活動の重視と校内競技が奨励され,生活体育構想へと発展させることになった。

そこには,学校行事と生活単元を軸とするプロジェクト(問題解決法)が強調される萌芽があった とみることができるのである。新体育理念が占領軍の示唆を受けて理論化,実践化されて新しい 体育(旧体育,戦時体育の否定)の基本方針となったことは否定できない。そしてそれが,どのよ うに具体化され発展していったか,それは学習指導要領小学校体育編が出された昭和24年〜32年に わたる学校体育の動向の中で,新体育理念「生活体育論」となって確立していったのである。

2. 新体育時代の樹立

昭和24年(学習指導要領小学校体育編)特に昭和28年(小学校学習指導要領体育科編)前後を中 心として「生活体育」が確立されたのである。このときこそ戦後学校体育の出発点として,従来の 軍国主義的,超国家主義的戦時体制体育理念を完全に否定し,民主体育,新体育へと方向づけをし た時期として学校体育の新しい出発のために大きな役割を果したものと評価されるのである。体育 指導要領の変遷は学校体育の新しい出発のために大きな役割を果したものと評価されるのである。

昭和22年(1947) 学校体育指導要綱,「トルーマン ドクトリン」「マーシャルプラン」

24 (1949) 学習指導要領小学校体育編(試案),「NATO(北大西洋条約機構)の結成」

26 (1951) 中学校高等学校保健体育科体育編(試案),(朝鮮戦争,昭25)

28 (1953) 小学校学習指導要領体育科編(試案),(社会科解体問題・道徳・地理・歴史,

昭27)

31 (1956)高等学校学習指導要領一般編および保健体育編,(メルボルンオリンピック)

所謂,デュイのいう経験主義教育(経験の再構成,経験の連続的発展)の概念を導入することに よって,学校生活と子どもの生活経験とを統一し,生活の体系に即した教育への転換が意図された。

つまり子どもの生活経験を尊重する立場から,学校と社会が一体となった生活実践の中で生活カリ

キュラム,経験カリキュラムの方向へと志向する新教育の全体的構造の編成を図ろうとしたのである。

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1)生活単元の構成

生活単元の構成は,生活教育の実践構想の中で解決させていく課程を軸とし,この中心課程の学 習を豊かなものとするための情操,技術,健康の学習を周辺課程と考えたのである。それ故,学習 は中心課程で構成される「生活単元」を軸として展開し,問題解決学習が強調されたのである。従 ってコア・カリキュラムでは,体育科教育においても教科の枠を解いて学校教育全体構造の中で,

体育の位置づけや在り方の問題を考えることが必要となり,重要な課題となったのである。(戦後 学校体育の研究,前川峯雄編,P.86参照,不昧堂,昭48)もちろん教育内容の理解の仕方によっ て教科の性格にも変化がでてくるけれども,子どもの活動や経験を中心にして考える場合には,当 然,児童の全体性を重視することになるから,各教科の相互関係や融合を押し進めて行くことにな る。小学校学習指導要領体育編(昭24)では,「教育の目標を達成するために必要な児童の活動,

経験はきわめて多様である。現在の各教科はこれらの活動をその性質に従って分類したものであり,

教科の区別はいわば便宜的である。」そして「教育の一般目標を達成するに必要な諸活動のうち,

運動とこれに関連した諸活動および健康生活に関係深い活動を内容とする教科である。」としたの

である。

昭和24年学習指導要領では「正課と課外の指導の価値的差別はない。しかし,一般にいって正課 は基礎的に広い経験の機会であり,課外では自主的活動が強調されるが,関連を保って指導するこ とが必要である。」と述べている。 (小学校学習指導要領体育編,P.9)

昭和26年学習指導要領では,教育課程を「児童生徒たちが望ましい成長発達を遂げるために必要 な諸経験をかれらに提供する全体計画である。」 (中学校高等学校学習指導要領一般編,P.6)そ して,従来の教科外活動を特別活動とし「特別活動というのは,正課外にあって,・正課の次に来る もの,あるいは正課に対する景品のようなものと考えてはならない。」(前掲要領,P.38)と示 唆している。

昭和28年指導要領では「体育科はクラブ活動や児童会などの教科以外の活動と関連することなく 行うことは出来ない。そこにおける余暇活動についての目標,集団行動についての目標その他身体 的,情緒的目標のたあ,欠くことの出来ない教科以外の活動に対してそれを方向づけ,学習効果を はかるなどきわめて関連をもっている。」(小学校学習指導要領体育編P.4)そして従来の立場 を一歩進めて,学校体育の活動領域を生活体育との関連で拡大し,指導要領における目標との関連 から,民主的人間関係の目標では団体種目,レクリエーション種目を,身体的目標では個人的種目 を取り上げることによって,総合的な体育カリキュラムの編成を図ろうとしたのである。

昭和31年高等学校学習指導要領保健体育科編では,28年の小学校学習指導要領の立場と同様,身 体的,社会的,レクリエーション的の三目標をあげている。この三目標に対応させるものとして,

個人的種目,団体的種目,レクリエーション的種目の三つの運動領域に分類した。これは,戦後高 等学校に関して単独で出された最初のものであって,高等学校の教育課程の改訂に伴って「中学校 高等学校学習指導要領保健体育編(昭26)」のうち高等学校の部分の改訂である。この要領は,

従来の生活体育の流れを継承した面と,文化主義体育の両面をもった過渡的なものと考えられ,実

質的には教材中心,運動文化中心のものであったと言うことができるのであろう。

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2)学習内容の概念

昭和24年指導要領体育編では「教材」とは「教師の指導のもとに児童生徒が学習する教材,ある いは活動である。要するに教材は社会や児童生徒の要求を満すために必要な学習の機会を提供する 材料すなわち活動である。」(文部省,小学校学習指導要領体育編,P.6)と述べ,運動を9教材 群に分けて示している。

昭和26年指導要領体育編では,教材の意味について「体育の目標を達成するためにはそのために 必要な理解を深め,態度や技能の発達に役立つ学習活動が必要である。これらの活動には,バレー ボールや水泳や巧技などの練習や試合などにおける身体活動もあり,また,それを計画する学習活 動もある。この組みたてられた経験のまとまりを,体育の立場から教材と呼んでいる。」(中学校 高等学校学習指導要領体育編,P.11)と述べ,小・中学校いずれの場合も学習内容とのかかわりが 明らかでない。

従来では,教材は文字通り解釈すれば教育の材料であり,教育の手段である教材を教えることが 体育の目標と結びつくことに疑問が残る。これは「運動教材即学習内容」いうことになり,運動技 能のみを教えることだけが浮かびあがり,その他の目標に対しては指導の対象とならない感がある ところに問題がある。教材である運動は,教師の立場では指導教材であり,児童生徒の立場からは 学習内容となるという二重性をもっている。従って,学習内容に運動をどのように位置づけるかは 重要なことであ 。

昭和28年指導要領では「学校や学校外で行なえる望ましい活動を経験して興味を深め,必要な技 術能力を発達させる」ものとして,運動を学習内容に位置づけたのである。 「学習内容」という概 念が打ち出されたのは,28年の指導要領である。「学習内容は児童がこの時期にふさわしい正常な 発達をなすために,またやがておとなになってからの生活が望ましい形で営まれるために,体育科 の立場からぜひ学習させたいし,また学習が可能でもあろうと考えられることがらの範囲を具体的 に示そうとした。」「このような学習内容は体育科の立場からぜひ学習させたいことがらを,児童 の立場にたってみたものである。」また「教師の立場からは指導内容の範囲を示すもの」としてい る。 (小学校学習指導要領体育編,P.11)

3)指導法の転換

昭和22年指導要綱では,戦前と全く異なった目標への転換,教材の遊戯化,スポーッ化が学習活 動の基本的方針となることによって,教材の変化と変化に対する指導法が十分な成果を期待する迄 に至らなかったのである。さきに述べたカリキュラムの構成問題,その展開と指導法に及ぶ学習理 論の進歩を期待できるまでに至らなかったのである。新体育の理念による要綱の具体化に当って,

現場では混迷状態すら起こり,要綱実施2年後には指導要領の改訂が発表されるに至ったのである。

昭和24年指導要領では①指導方針(一般的指導工夫)②学習意欲の喚起(興味,必要感,成功の

喜び)③練習の必要(練習時間,全習と分習)④個別指導(いっせい指導と班別指導)を示唆して

いる。練習の方法では「概して簡単なもの及び低学年にっいては全習法が望ましく,複雑なものは

適宜分習法を加味する。」 (小学校学習指導要領,P.11)として,児童の学習能力の特性から指導

法に触れている点もあるが,自発性や学習意欲の喚起など「自主的学習」の面などについては,具

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体的な方法を示唆するまでに至っていない。それは指導者の努力や手腕にまかされたものとなって

いる。

昭和26年指導要領では「練習する場合には理論的に考えて正しい目標をたて,創意工夫をこらし,

合理的,系統的に練習する場合と,単に他を模倣し,あるいは単なる試行錯誤による場合がある。

中学校以上では,特に目標を明らかにし,理論的,系統的に練習に導くのがよい。」としている。

(中学校高等学校学習指導要領体育編P.17)しかしながら,戦後の指導要領では(試案)の名の 示す通り,指導法にっいては教師の研究工夫にまつものとして詳細な指示を避けていたので,新体 育の目標や内容に見合った指導法の展開を期待することは困難な実情にあったと言うべきであろう。

昭和28年指導要領では「体育指導の中心点を児童におく」ことを基準方針の一つとし,教材を

「囚個人的発達に効果があると考えられるもの(B)教材以外の組織的グループ活動に発展しやすい もの(C床組織ではあるが日常活動としてよく用いられるもの」.(小学校学習指導要領体育編PR 63〜64)の3分類に応じた方法を示している。そしてこれに見合った学習活動(単元)を設定し「学 習内容」の概念を導入し,それに応ずる指導の観点を「A身体活動の指導,B協力,人間関係につ いての指導,C集団行動についての指導, D施設や用具についての指導, E健康習慣と安全につい ての指導,F進歩の評価についての指導」(前掲要領,RP64〜70)にわけて学習内容に応じた指 導法を示唆している。これは,A型学習(身体的目標〜個人種目〜教科時〜一斉指導法)B型学習

(民主的人間関係の目標〜団体種目〜行事単元〜問題解決学習)C型学習(レクリエーション目標

〜レクリエーション種目〜自由時〜グループ学習)の呼び名で現場に受け止められ,特にB型学習 は全国的に活発な学習指導の実践研究が促進されたのである。なお,昭和31年高等学校学習指導要 領保健体育科編では,運動文化財を考える観点から文化主義,系統主義の体育の考え方を反映して いるものと考えることができる。

新体育理念は生活体育として,昭和28年の小学校指導要領に集約されたと言う評価がある。それ は従来の身体中心,技術中心の指導反省と,新体育理念の具体的な実践活動の体系を確立すること によって「生活体育」の立場により接近しようとしたものであると言うことができる。なお「集団 行動」「武道の復活」「体力づくり」「道徳」の問題が,新体育の新な要求として生まれてきたの

である。

3. 指 導 要 領 の 変 遷

従来の戦後指導要領が「試案」というかたちで指導書,手引書的性格を持つものから,昭和33年 改訂小・中学校学習指導要領が告示という国の基準を示すものへと転換したことを注目すべきであ る。そこには教育界,スポーッ界(1956メルボルン,1960ローマ,1964第18回オリンピアード東京 大会)の動行並びに経済の高度成長,社会国際的変遷の及ぼした背景も見逃がすことはできないと 共に,占領下において制定された諸制度の改革や,教育の中央集権的な方向への志向に対する憂慮 と,それに抵抗する動きによって,いわゆる新教育の再検討の必要が顕著に現われてきたというべ きである。体育指導要領の変遷をみると

昭和33年(1958) 小学校学習指導要領,中学校学習指導要領(文部省告示),道徳を特設 35 (1960) 高等学校学習指導要領(文部省告示)柔道,剣道,すもうの中一種目選択必修

(ローマオリンピック,スポーツ振興法,昭36)(第18回オリンピアード東京大会,昭39)

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昭和43年(1968) 小学校学習指導要領(昭和46年4月施行) (オリンピック・メキシコ大会)

44 (1969) 中学校学習指導要領(昭和47年4月施行) (青少年運動競技中央連絡協議会)

45 (1970) 高等学校学習指導要領(昭和48年4月施行)

52 (1977) 小学校学習指導要領(昭和55年4月施行)

53 (1978) 中学校学習指導要領(昭和56年4月施行)

54 (1979) 高等学校学習指導要領(昭和57年4月施行)

昭和33年8月には,学校教育法施行規則の一部を改正する省令を出し「教育課程は各教科並びに 道徳,特別教育活動および学校行事等によって編成する」(省令24条)さらに「教育課程の基準とし て文部大臣が別に公示する小(中)学校学習指導要領によるものとする」 (省令25条) 「中学校の 教育課程は,必修教科,選択教科,道徳,特別教育活動及び学校行事等によって編成するものとす る」 (省令35条)ことになったのである。43年では教育課程を各教科,道徳並びに特別活動によっ て編成したのである。

1)指導要領の改訂

昭和33年の小・中学校学習指導要領,昭和35年の高等学校学習指導要領は,国家基準へと性格を 転換すると共に,文化主義,系統主義体育の考え方へ移行していったと言うことができる。

昭和43年小学校学習指導要領では「特別活動」を新設し,33年の要領の「特別教育活動および学 校行事等」の内容を精選し,人間形成のうえから重要な教育活動を総合して,その内容は「児童活 動」「学校行事」「その他の教育活動」からなるものとしている。特に総則「第3体育」を掲げ「体 育に関する指導については,学校の教育活動全体を通じて適切に行うものとする。特に体力の向上 については,体育科の時間はもちろん,特別活動においても,じゆうぶん指導するように配慮する こと」として,体育の充実と体力の向上に特に配慮したことが窺えるのである。

昭和44年中学校指導要領,45年高等学校指導要領は,科学技術の進歩,高度成長の経済,社会を 考える教育として,いわゆる教育の科学性,現代化を目ざして行われたといわれる。保健体育科の 目標は総括目標と体育分野の目標ならびに保健分野の目標を掲げている。体育分野の目標では「体 力の向上」「運動技能の習得と生活化」「協力・責任の態度」 「体育に関する知識の習得」に要約 できるのである。

2)学習内容の改訂

昭和33年小学校学習指導要領の内容は,運動の領域と体育や保健に関する領域に分けられ,前者 は徒手体操,器械運動,陸上運動,ボール運動,リズム運動,その他の運動(水泳,すもう,鬼遊i び,なわとびを含む)の6っがあげられた。また,内容との関連で各学年目標の発展段階が考えら れ「第1・2学年では遊戯的な簡単な運動を行なうことによって,基礎的運動能力を養い,第3・

4学年ではやや形の整った運動を行なうことによって,初歩的技能や基礎的運動能力を養い,第5・

6学年ではやや組織だった運動を行なうことによって運動技能や基礎的運動能力を高める」という ように段階を示している。

昭和33年中学校学習指導要領は,基本的には小学校指導要領と同様である。運動領域の内容では

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徒手体操,器械運動,陸上競技,球技,水泳,ダンスをあげている。そして「簡単な運動」から「や や組織立った運動」さらに「一般の系統立てられた運動やスポーツ」へと発展させ,それに伴って 態度の面も発展させている。また,保健の知識の面では「体育や保健に関する知識」という内容の 領域から「保健」という分野に発展させている。 (文部省,中学校保健体育指導書,PP2〜4,

関隆堂出版,昭34)昭和35年高等学校学習指導要領は,さきの小・中学校と同様の形式であり,そ の内容は小・中学校一貫性を考慮して中学校と同じく7領域が示されたのである。

昭和43年小学校学習指導要領では,目標「適切な運動の経験や心身の健康についての理解を通し て,健康の増進と体力の向上を図るとともに,健康で安全な生活を営む態度を育てる」ために,1 適切な運動〜強健な身体の育成〜体力の向上を図る。2技能の習得〜運動に親しむ習慣〜生活を健 全に明るくする。3運動やゲーム〜社会的性格の育成〜社会生活に必要な能力と態度を養う。4健 康安全に留意〜知識,能力の習得〜健康安全生活を営むことを要約してあげることができる。

この要領で特筆すべきことは,教材のもつ特性によった領域のおさえ方(体育科の内容をどう考 えたか)である。体操(徒手で行う体操,なわとび,ボール,すもう,固定施設の遊び)では,か らだづくり,体力(調整力〜神経の働き,柔軟性〜関節の可能性,筋力〜筋肉の強さ,持久力〜心 肺機能)づくりの観点から自然的な運動(低学年)を重視し,特に調整力の育成に着目した。そし て,体力づくりの自覚にもとつく目的追及活動とするのである。スポーッ(陸上運動,器械運動,

ボール運動,水泳)では,運動文化財的価値,スポーツ教材としての技術構造に応じた教育的価値 を教材の特性に応じた取り扱いを強調する。それは,運動教材の発展的,系統的な指導による技能 の系統化を志向するものである。ダンス(創作,表現,観賞)では,リズム運動の概念の不安定(リ ズミカルな動き,リズム体操)をダンス(ダンス教育)として取り上げている。集団行動では,各 運動内容に関連して行うものとして体操の領域に入れている。保健の内容では(体育に関する知識 は除外)日常生活において基本的に必要なものを精選し,全体として系統化を図り,健康生活のた めの態度や習慣を身につけさせようとしている。

昭和44年中学校指導要領では,体育と保健の両分野別に目標,内容を示している。 体育分野の 内容は,A体操, B器械運動, C陸上競技, D水泳, E格技, F球技, Gダンス, H体育に関する 知識をあげ,続いて内容の取り扱いを示している。内容の精選では,それぞれの領域の特性に基づ いて基礎的なものに精選している。昭和45年高等学校学習指導では,小・中学校との一貫性を考慮 した7領域に運動を分類し,各種の運動は,その特性に応じて体操,スポーツ,ダンスに分けて考 え,体操は体力の向上を直接のねらいとし,スポーッやダンスはそれぞれの運動に必要な技能を習 得する過程において体力の向上を図ることをめざしているものとしたのである。

以上昭和33年(小・中学校指導要領,35年高等学校指導要領)では,従来の運動の生活化,レク リエーション的目的が後退し,運動文化財の技能の学習が重視され,身体的発達に関する目標,特 に基礎的な運動能力や運動技能の養成に重点がおかれている。運動技能の系統性を重視する点では,

技能の系統的発展を考える立場から,格技では「基本動作」「応用技能」「試合」,球技では「基 本技能」 「応用技能」 「ゲーム」の三段階で考えている。33年中学校要領において格技の名のもと に,すもう,柔道,剣道が正課の内容として位置づけられたことが注目される。

昭和43年以降の各指導要領では,運動領域の分け方は小・中・高等学校から一貫した考え方で体

操,スポーツ,ダンスの三つに大別し,さらにスポーツのなかを5領域に分けている。これまでの

運動の特性を考える立場は,各運動の特性を学習者の身体的な発達に及ぼす影響や,生活との関連

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における特徴をとらえようとするものであったから,むしろそれ以前の本質的な特性に基づく扱い 方が基本的に重要であることを考えている。体操は,健康や体力の保持増進をめざしてつくられた 運動であるが,スポーツにおける「からだの動き」は,直接的には筋力や持久力を高めるのがねら いでなく,そのスポーッの目的に適切であるかどうかで選ばれる。スポーツの具体的な種目は,個 人的種目,対人種目,集団的種目に分類するように,スポーツに特有の活動として学習させるとこ うに意味があると示唆している。

3)新体育の転換

昭和33年小・中学校指導要領では,学年別に「指導上の留意事項」をあげたほか,指導計画作成 および学習指導の方針が述べられている。「中学校保健体育指導書」(文部省,中学校保健体育指 導書,P.296関隆堂出版,昭34)によれば,学習指導とは「内容を,生徒が正しくしかも効果的 に学習するために環境や学習の条件を整え,必要な指導助言を加えることであり,生徒の学習活動 を教科の目標に有効に結びつけるようにすることである。」といっている。同様に35年高等学校学習 指導要領も,指導法については,それに明示された基準に到達するための技能の指導が重視されて いるのである。

内容編成においては,所謂,生活カリキュラムから教材カリキュラムへと変容したため,教師の 自主創造性を生かした内容や計画が立案され,運動技能以外のすべての生活経験を日々の教育活動 から学びとるために,カリキュラムの改善や充実を図ることに取り組むという点で,解放が生まれ たことへの変換があり,その評価があるであろう。

昭和43年小学校学習指導要領の改訂にあたっては,総則に「体育」の項を新たに設け,体育に関 する指導の充実について明示するとともに,児童の健康の増進と体力の向上に重点をおいた改善が 行われた。学年目標においても体力に関する項目を設け,各学年を通じて「調整力」を養うことに 重点をおき,さらに,第4学年から「筋力」を,第5学年から「持久力」を養うこととし,学年の 段階に応じたねらいを明らかにしている。昭和44年中学校学習指導要領の改訂においても,小学校 の場合と同様,体育に関する指導は学校教育活動全体を通じて適切に行なうものとしている。各学 年の目標と内容については,教科内容の性格上,保健と体育の両分野別の目標と内容に改められた のである。

生活体育(戦後体育教育の目標と教科指導)に対する批判,反省の中から文化主義の体育論と身 体づくりの体育論が拾頭してきた。そこからグループ学習と系統学習の論争もおこったのである。

グループ学習は指導要領の「B型」学習指導であり,班別学習のような学習区分ではなくて小集団 による社会的協力関係に重点をおいた集団学習態形であった。これに対する批判や不満は,系統学 習論の主張となったのである。それは教材のもつ客観的な系統性と子どもの発達段階を統合しよう とするものであったと言うことができるであろう。これは,問題解決学習(学習方法論)やグルー プ学習(学習形態論)の中で,戦後の経験主義や児童中心主義の体育における学習効果と基礎学力 低下や,教師の計画指導と放任の混同などが批判される中で,系統的な知識の習得や技能の獲得が,

子どもの主体的条件にそくして学習されていく学習指導過程として,何が望ましいかというところ

に論点があると考えられる。すなわち,教材の系統と子どもの発達,指導の系統性について,教材

の構造(指導内容論)と系統性(指導方法論)の関連を学習過程の中で検討して行かなければなら

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ないことは確かである。むしろそのことはグループ学習と系統学習の融合統一を提起することでも あったのである。

新体育の転換では,昭和33年以降の指導要領の改訂を集約して次のような観点をあげて考察でき

る。

①学習指導要領が,参考書,指導書の性格から国家基準を示すものとして告示されるようになった。

②学校教育の四領域(昭和33年,教科,道徳,特別教育活動及び学校行事等)が明確にされ,昭和 43年の教育課程では,各教科,道徳並びに特別活動の三領域によって編成されている。教育全体の 体育は消えて行った蹴体育の指導は学校における教育活動全体を通して適切に行うことによって,

体育の充実を図っている。総則,「3体育」を設けて体力の向上を企図したことを特徴としている のである。

③体育の目標に導かれた学習内容に応じて教材を選択する立場から,教材(運動文化財的立場から 分類)も運動内容の系統を考える立場をとるようになった。教科の独自性が問われ,特性が明確に されてきた。すなわち,身体のはたらきの維持増進を直接のねらいとする合理的な運動としての「体 操」,運動そのものを楽しみ,運動技能を競うことをねらいとする自然発生的な運動としての「ス ポーツ」,人間の感情を律動的な運動によって表現することをねらいとする運動としての「ダンス」

に大別した。

④基礎学力の問題と関連して「系統学習」が主張され,教材の独自性と運動文化財の学習を重視す ることによって,教材の特性に応じて内容領域を系統的におさえる指導の方法に導いていったので

ある。

4. 現行指導要領の要点

昭和48年11月文部大臣から教育課程審議会に「小学校・中学校及び高等学校の教育課程の基準の 改善について」諮問がなされた。その後3ケ年にわたる検討の結果,次の3点を基本方針として答 申した。(1)燗膿かな懸生徒を育てること,(2}ゆとりのあるしか統実した学校生活が送れる ようにすること,(3)国民として必要とされる基礎的,基本的な内容を重視するとともに,児童生徒 の個性や能力に応じた教育が行われるようにすることを改善の要点としたのである。

体育科の改善の基本方針については,第1は「健康の増進や体力の向上を図り,強健な心身を養 い一」第2は「生涯を通じて運動を実践する態度や能力を養うとともに健康な生活を営むことがで きるようにし一」第3は「児童生徒の心身の発達の特性を考慮して内容を基礎的,基本的な事項に 精選する」ということである。 (小学校新学習指導要領の解説と展開,PP.12〜14前川峯雄,教 育出版,昭52)小学校の指導要領を要約しておさえてみると(1肢術中心から楽しさを追求する体育

(2)子どもの側から運動の特性を論じ(3)領域を整理統合した(4)運動種目を精選し(5旧常生活における

体育活動の実践を考え(6個人差の大きい領域では自分の力に合った課題を追及している(7遅れがち

な児童には適切な指導(個別)へと学習を導いている。

参照

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