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反転する歴史認識

Tender Is the Night(1934, 1985)における 狂気のアダプテーション─

“Versatility of Madness”: A Study of the Adapatation of Madness in Tender Is the Night(1934, 1985)

和 氣 一 成

要   旨

小説Tender Is the Night (1934)のBBCによるテレビドラマ版のアダプテーシ ョン(1985)において,最も強烈な印象を残したのは,「神経性の湿疹」(neuro-

syphilis)を患う女性患者Hannahと,色情狂の女性患者Helenという二人の存

在である。原作では重要な役割を担っていなかったにもかかわらず,なぜテレ ビドラマ版では前景化されるに至ったのであろうか。本稿は,Pearl Jamesの提 唱した概念“New Death”に基づき,二つの版を比較することによって,後者に おいて,映像化を通してより前景化され,反復的に回帰し日常生活に闖入する 第一次世界大戦の亡霊的記憶の問題を検証する。日常に闖入する発砲事件,隠 蔽される黒人男性の死体,不当な女性患者誘惑への叱責と近親姦のトラウマ的 記憶の回帰,傷ついた「兵士」を代理表象するHannahの病と,Hannahの啓示 的言葉(「戦争・破滅・滅亡」)などが,様々に変奏しながらテクスト上を浮遊 し続ける。それはまさに女性の身体的変調という形態をとって顕在した,原作 が有している非言語的,無意識的記憶の代理表象である。

キーワード

Tender Is the Night,トラウマ,アダプテーション,アメリカ,New Death

Hannah: 私は現代の女性達と運命を共にして……男達と戦っている

のです。

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Dick:意外でしょうが……それは本物の戦争と同じなのですよ。

Hannah: 同じ? 本物の戦争と同じだわ。負けた者にとって……破

滅し滅亡する。そしてただ……廃きょにひびくこだまとな ってしまう。

Dick:そうですね。

Hannah:破滅し……滅亡する。(Tender [1985] Episode 4, 13:00─13:35)

序   論

小説Tender Is the Night (1934)のBBCによるテレビドラマ版のアダプテ ーション(1985)において,最も強烈な印象を残したのは,先に主人公 Dick Diverとのやり取りを引用した「神経性の湿疹」(neuro-syphilis)を患 う女性患者Hannahの存在と,色情狂として描かれる女性患者Helenとい う二人の女性の存在である1)。前者は「原作」では,「鉄の処女」の拷問 のごとく腫れ物に閉じ込められた「腫れ物の塊」と呼ばれている。それほ ど重要な役割を与えられていたわけではない(ように見える)この女性は,

およそ六時間というテレビドラマ化において,その存在を削除されること なく,彼女の最期にはむしろ主人公Dickをして「あの女を愛していたん だ」とまで言わしめる,極めて重要な位置を占めている。テレビドラマ版 では,後半部において,彼女のエピソードは断続的に5回も挿入されて おり,極めて異彩を放つ存在として印象的な場面を構成している。一方,

後者の女性患者の紹介/説明には,小説版においてはほんの1頁にも満 たない分量しか割かれておらず,自らの「声」を発するセリフさえ与えら れていないが,テレビドラマ版では,妻Nicoleの面前で彼女の夫/医師 のDickを,彼女自身(Helen)を「誘惑した咎」で非難し,Nicoleの近親 姦のトラウマを誘発するという,プロット上大事な役割を担っている。

本稿では,テレビドラマ版において新たに脚光を浴び,原作以上に重要

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な役割を担うことになるこれら二人の女性に注目する。「腫れ物の塊」の

女性Hannahの存在と,彼女の口から発せられる「戦争・破滅・滅亡」の

意義について解釈し,そしてHannah同様に新たに「声」を獲得した Helenの役割について,作品中でDickが吐露する“versatility of madness”

や“echoes of violence” (Tender [1934] 99, Tender [1985] Episode 3, 30:00)という 言葉を補助線にして,原作とテレビドラマ版の比較を通じて考察してみた い。Hannahのエピソードは小説版にも存在するが,テレビドラマ版での それとの最も大きな違いは,小説では単独に数頁が費やされているのみで あるのに対して,テレビドラマでは,NicoleやRosemary,HelenとDick とのエピソードの合間合間にたびたびに陰画的に断続的に挿入されている という点である。彼女のかさぶたまみれの病に苦しむ表情が,クローズア ップされ,我々視聴者の目の前に何度となく映し出される。またHelen 関して言えば,小説版では名前さえ言及されず,Dickが患者である彼女 に対して性的誘惑をしたことを(不当に)告発する母親からの手紙の中で のみその存在が認められる。Dickがその女性との関係を否定し,やはり ドラマ同様に「これは病人の手紙」であり,しかも「精神病の患者からの 手紙である」とNicoleに釈明する場面がある。彼女(ドラマ版Helenに相当 する女性)は断片的に些末なエピソードにおいて,それとなく言及される 程度であった(もちろん,Dickによる患者Helenの「誘惑」は,DickとNicoleの 関係性を反復している点では重要ではあるが)。テレビドラマ版では,Hannah の描写と同様に,徐々にNicoleがDickへの懐疑を深め精神的に崩壊して いくEpisode 4の重要な場面に登場し,自らを美人だとDickに認めさせ ようとし,何度もキスをせがみ,Dickが自分のことを欲していることを 認めるように訴える。Dickに拒まれるや,自らの母親に自分が彼に誘惑 されたと虚偽の申告をする。彼女の母親は娘とNicoleの面前で,娘を誑 かしたとしてDickを責め立てるが,このことがきっかけとなり,Nicole

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は病状を悪化されることになる。

小説版でも,テレビドラマ版でも作品中には暴力性や狂気が様々に潜 在し,時に顕在化する。“versatility of madness”とはテレビドラマ版では,

Nicoleの発作的な狂乱が原因で生じた,Franz夫妻をも巻き込む大きな自

動車事故の後に,Dickが「狂気の発作というものは様々に姿を変えてま るで堤防を決壊した洪水のようにドッと押し寄せて来る」と妻Nicole 狂気への対処方法について思いを巡らす場面で吐露される言葉である

(Tender [1934] 218, Tender [1985] Episode 4, 43:00)。一義的にはこの表現は

Nicoleを初めとする「統合失調症」患者についての一連の診断記録の一部

分であるが,注目すべきはDickの使う用語が「これに対処するには多く の人々の統一戦線が必要である(“It requires a united front of many people to work against it.” (Tender [1985] Episode 4, 43:19))」と戦争用語を選択している 点である。本作品(小説,テレビドラマとも)には狂気性が強調される要素 が多々見られる点(Nicoleの統合失調症,Nicoleの父による近親姦という狂気性,

第一次世界大戦という狂気,その戦後の狂気の残響,Dickの患者たちが示す狂気性,

Dickの友人Abe Northが示すシェル・ショック的な狂気,何よりDick自身が崩壊し

ていく狂気性)を考慮するならば,“versatility of madness”という用語は,

本作品に充満する「社会的」狂気とも必然的に共振する重要な意義を持っ ている。

これらを踏まえて,本稿は以下の問いに答えようとするものである。テ レビドラマ版でより具体的に描かれることになる,病に冒され,病床に伏 すHannahの姿とその病は,戦時中に負傷し,野戦病院の床に伏す兵士の それの隠喩として機能するが,彼女の存在が何かを代理に表象していると すれば,それは何を代理表象しているのだろうか。本小説/テレビドラマ における病/狂気とはどのような機能を帯びているのだろうか。冒頭の引 用においてHannahはなぜ自らの闘病生活を描写して「女性達と運命を共

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にして」戦っていると述べたのであろうか(Tender [1934] 271, Tender [1985]

Episode 4, 13:01─13:06)。その相手が病そのものではなく,なぜ「男達との

戦い」とジェンダー化されなければならなかったのか。なぜ彼女は個人の 体験/記憶/歴史を「女性達」という集合的記憶に接続するのだろう。本 テレビドラマに響く暴力のこだまと共に,原作では言葉を発する機会を与 えられることのなかった女性達Hannahと,もう一人の神経症を患う女性

Helenのこだまし作品中になり響く「声」は私たち視聴者にどのような解

釈を訴え続けるのであろうか。

本稿は,小説版とテレビドラマ版を比較することによって,テレビドラ マ版において,映像化を通してより前景化されて描かれ,反復的に回帰し 日常生活に闖入する第一次世界大戦の亡霊的記憶の問題を検証する。映像 化を通して特に効果的に表象されている要素には,形式的にモンタージ ュ,ヴォイス・オーヴァー,スーパー・インポジションなどの技法による 登場人物のトラウマの回帰や,トラウマに苦しむ内面描写の重層的な表象 が可能になった点がある。また,映画ではなく,テレビドラマにすること により,各エピソードに映画のように時間内に情報が詰め込まれすぎるこ と,(これほどの長さを持ち,入り組んだ構成をなしているTender [1934]の)各エ ピソードをぞんざいに扱ってしまうことなどを回避することが可能とな る。さらに,テレビドラマ版では各シーンにより多くの時間をかけて撮影 することが可能になるため,小説版では些末に見えたような登場人物が声 を発する機会を得ており,小説が持っていた複雑な構成を表象し,小説自 体が持っていた潜在的な可能性をより有機的に生み出すことが可能になっ ている。ドラマ版では各エピソードをより丁寧に描くことで,例えば 1962年の映画版が様々な情報を入れ込みすぎて,ただ筋を追うような極 めて平面的な素描に終始した作品となっているのに対して,ドラマ版では 視聴者の想像力に訴える印象的な描写に多くの時間が費やされている。ド

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ラマ版での各エピソードは小説版でも描かれていたものであるが,各エピ ソードが持っていた連関性をうまく再配置し,新たなる連続性を創造的に 描くことで,第一次世界大戦後の狂乱ぶりがよりスピード感を持って鮮明 に表象される。またそれらを紡ぐように挿入されるHannahの半ば啓示的 な言葉が,Nicoleの狂気と社会的狂気,Dickの精神的崩壊,アメリカ国 家の種々のトラウマ的過去の記憶を逆照射する陰画として機能することに なる。

本稿は,Pearl Jamesの提唱した概念“New Death”に基づき,このよう な映像化の効果を分析する。サン・ラザール駅での発砲事件,突如として 告げられるAbeの死,夢の中でのDick殺害,隠蔽されるPetersonの死体,

Helenの母からの不当な女性患者誘惑への叱責と近親姦のトラウマ的記憶

の回帰,繰り返し描写される傷ついた「兵士」を代理表象するHannah 病と,Hannahの啓示的言葉(「戦争・破滅・滅亡」),反復され再演される Nicoleへの「“private”なるものへの暴力」などが,様々に変奏しながらテ クスト上を浮遊し続けるさまを分析対象とする。それはまさにHelen,

Hannah,Nicoleという女性の呈する身体的変調という形態をとって代理

表象的に顕在化し,テクストが有している非言語的,無意識的記憶を浮き 彫りにする。

1.Hannahの表象を巡って─小説とテレビドラマの違いから

映像化されたテレビドラマにおけるHannahの表象の問題を検証するた めに,原作の中でHannahがどのように描かれているかをまずは確認して おきたい。小説の翻訳版ではHannahにはほんの数頁しか割り当てられず,

それほど重要な役割を与えられていたわけではない(ように見える)。しか しおよそ六時間というテレビドラマ版において,彼女のエピソードは DickとNicole,DickとRosemaryとのやり取りに断続的に,かつ親和的に

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挿入されており,彼女の最期を看取ったDickをして,「あの女を愛してい たんだ」とまで言わしめる2)。つまり,テレビドラマにおいては,Dick/

Nicole/Rosemaryを軸に展開する物語の陰画としてHannahが機能し,そ の役割は重要な意義を有している。このDickとHannahのやり取りの場面 はテレビドラマ版でも採用されているが,まずは小説版におけるHannah とDickとのやり取りを辿ることで,どのような話題が俎上に載せられて いるかを確認しておきたい。

Hannahは,原作では第2巻第14章,Dickがスイスのツーク湖の精神 病の診療所に滞在中に戦争の長い夢を見た後で,我々読者に対して,様々 な症状を呈する患者達が彼の視線を通して紹介された後に,彼が「最も興 味を持っている患者」として登場する。彼女は以下に見るように,「鉄の処 女」の拷問のごとく腫れ物に閉じ込められた「腫れ物の塊」と形容される。

女性患者で年齢は三十前後,この診療所に入って六ヶ月になる。アメ リカ人の画家だが,長らくパリに住んでいた。この女の過去につい て,ここの医師達は満足な情報を得ることができなかった。[中略]

入院した当初は並外れて美しい女性だった─が,いまでは苦痛をもた らす腫れ物の塊(“a living agonizing sore”)と化している。血液検査はど れも陽性反応を示さず,病は仕方なしに神経症の湿疹 (“nervous

eczema”)と分類された。ここ二ヶ月はずっと寝たきりで,〈鉄の処女〉

の拷問のごとく腫れ物に閉じ込められたままだ。自身の特殊な幻覚の 世界の中では,女の言うことは筋が通っていたし,聡明ですらあっ た。(269,下線は引用者)

「神経症の湿疹」という表現はテレビドラマ版でも用いられているが,

「腫れ物」という表現は言葉ではなく,映像化を通して視聴者に伝えられ

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ている。その後,病室においてDickHannahは腫れ物,その原因につい ての議論を以下のように展開している。この場面はテレビドラマ版でもほ とんどそのまま採用されており,本稿にとって重要な箇所である。

「こんな目にあわされるなんて,わたしはどんなひどいことをしたと いうの? それさえわかれば穏やかに受け入れることもできるのに」

「神秘主義に陥るのは賢明ではありませんよ─われわれは神経性の現 象と認識しています。赤面するのと同じようなもので─若い頃,す ぐに顔が赤くなるほうでしたか?」女は顔を天井に向けてじっと横た わっている。「親知らずが生えて以来,顔を赤らめないといけないよ うなことは何もなかったわ」「誰にでもよくある,ちょっとした罪や 過ちも犯さなかったと?」「自分を責めるべき理由は何一つありませ ん」(270,下線は引用者)

当時の優生学および優生思想隆盛という歴史的文脈を考慮し,下線部に注 目して読むならば,ここで婉曲的に仄かされている病気は梅毒である(テ レビドラマ版では実際に「梅毒」の言葉が採用されている)3)。梅毒の感染がこ こで仄めかされることで,当時の読者はHannahの性的奔放性や,ジェン ダー規範からの逸脱性を読み取っただろうし(梅毒蔓延の原因は女性にある とされた),第一次世界大戦の大きな社会問題の一つに梅毒の蔓延があった ことを考慮すると,Hannahもまた広い意味で第一次世界大戦の犠牲者の 一人であると言える4)。先のDickの質問「誰にでもよくある,ちょっと し た 罪 や 過 ち も 犯 さ な か っ た と?」 に つ い て し ば ら く 考 え た の ち,

Hannahは「わたしは男たちに戦いを挑んだ同時代の女性達と運命を共に4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 している4 4 4 4のです」と述べる(Tender [1934] 271, Tender [1985] Episode 4, 13:01─

13:06)。彼女は,「それはあらゆる戦闘4 4と変わりなかった」とし,「前もっ

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て仕組まれた勝負に甘んじるか,さもなくばピュロスのごとき傷だらけの 勝利を手にするか,それとも打ちのめされて破滅して─崩れた壁から響く かすかなこだまになる」と言い切る。(271,強調は引用者)

特筆すべきは,二人の会話が単なる病気の原因の話に留まっていないと いう点である。「梅毒」を巡る議論において,Hannahの認識では,彼女 の闘病の記憶は他の同時代の女性達と運命を共にして戦ったという記憶と 重ね合わされ,重要視されている。それに対してDickはHannahに対し て,彼女の症状はただの病気であるのだから,非現実的なもの/神秘的,

象徴的なものに目を向けず(つまり「神秘主義に陥らず」),あくまで実際に 在るものに,現実的なものに目を向けるように反論する。さもなければ,

その外に目を向けると「混乱する」だけで,「混沌としたもの」に飲み込 まれると言い諭す。

ここでいくつかの問いが浮上する。あえてHannahの言葉を字義的に捉 えて,彼女の存在と病気が何かの象徴として機能しているのであれば,そ れが意味することは何だろうか(二人の会話の後で,DickがとりわけHannah に拘る様子をTender [1985]が執拗に提示することを考えるなら,的外れな疑問とは 言い切れないだろう。また,本テクストが統合失調症をそのモチーフの一つとして 持つことを考え合わせるならば,むしろこのようにテクストの字義に抗う読み方こ そ要請されていると考える)。そもそも一体Hannahが言う戦いとは誰(何)

に対しての戦いなのであろうか。Hannahはなぜ自らの闘病生活を描写し て「女性達と運命を共にして」と述べたのであろうか。その相手が病その ものではなく,なぜ「男達との戦い」とジェンダー化されなければならな かったのか。なぜ彼女は個人の闘病の体験/記憶/歴史を「女性達」とい う集合的記憶に接続するのだろう。これらの疑問に対して,小説版は我々 に答えを与えてくれない。その意義を解釈するために我々は後ほど,テレ ビドラマ版との比較を行いたいと思う。

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Dickはこの段階では,「あなたは打ちのめされてもいないし,破滅して もいませんよ。あなたが経験したのは本当に本物の戦闘だったのですか」

とHannahのレトリックの基調をなす「戦闘」という言葉に対して疑問を 投げかけ,ドラマ中の言葉を用いると「神秘的に」捉えるのではなく,現 実的に病気の原因について考える方向にHannahを導こうとする。「神秘 主義に陥るな」というDickの一連の警告は,その病気(とその原因)に何 か神秘的なもの,深遠なるもの,遠因的要素や象徴性を考察することへの 反意の表明であり,(Dickはそのような思想の)危険性を憂慮している。

一方のHannahは,「わたしは何かの象徴としてここにいるのよ。それ が何か,あなたならわかるんじゃないかと思ってたわ」と言い返す。引き 続き単なる病気であると機械的に結論付けるDickに対して,Hannah

「それなら,わたしがもう少しで見つけそうになったものはなんだった の?」と切り返し,病気を超えた象徴的な何か「神秘」的なものを見出す べきであるとDickを説得する。Dickは彼女にはそのような「探索」(「厳 しすぎるゲーム」とも呼称する)が絶対に無理であると言いかけるが躊躇し,

思 い と ど ま る。「 絶 対 に 無 理 だ 」 と 心 の 中 で 反 芻 す るDickの 声 は,

Hannahに対しての反駁の言葉というよりも,Dickが自らの意思に反して

自分自身にそう言い聞かせているかのようである。

しかし,DickのHannahとその病気の原因についての認識は徐々に変化 していく。ここに見るDickの躊躇こそが,Dick自身も本心では,錯乱と 混乱を伴う肉体的苦痛を超えたところに「芸術家が探索する」ような「意 識の辺境」を探索しようとするHannahに深く共感し,その姿に既に魅了 されている証でもある(270─72)

きみには無理だ,彼は思わず声に出して言いそうになった。きみには 厳しすぎるゲームなんだ,と。それでいて,苦痛に耐える女の畏怖す

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ら感じさせる威厳を前にして,彼はなんの留保もなく,ほとんど性的 に,その女を愛さずにはいられなかった。これまで何度となくニコル にそうしたように,両腕に抱き上げ,その過ちさえ抱きしめてやりた かった。その過ちは深く,抜きがたく彼女の一部なのだから。閉ざさ れた鎧戸の隙間から差し込むオレンジ色の光。ベッドに横たわる石棺 のような姿。見えない顔。病の虚空を探しながら,遠くおぼろな抽象 のかけらしか見出せずにいる声。彼は立ち上がった。涙がまるで溶岩 のように,女の包帯の中へと消えていく。「あれは何かのためなのよ」

女が囁く。「何かがそこから生まれてくるはずなの」彼は身をかがめ,

女の額に唇をつけた。「ぼくらはみんな,善い人間であろうと努力し なきゃいけないんです」(272─73,下線は引用者)

Dickはこのような苦痛に耐えるHannahの威厳に畏怖を覚え,そのような 彼女を性的に愛するようになる。

そもそもDickは妻であり患者でもあるNicoleよりもはるかに錯乱状態 にある。Susann Cokalも指摘しているように,Dickは一貫して記憶やフ ラッシュバック,あらゆる種類の言動の反復により苦しんでおり,実際に は「自分の経験ではないものによってでさえ苦しんでいる」ように見える

(92)。例えば,DickRosemaryと元のボーイフレンドが二人で過ごして いる様子を想像し,その様子を反復的に再現,再演することで嫉妬し,苦 しむ(130)。またDickは,五歳の子供が強姦され殺される事件があり,そ の犯人の男が法廷に連行されてくると耳にすると「ここにいる連中に,五 歳の女の子をレイプしたいきさつを説明してやりたい。犯人はぼくかもし れないぜ─」とまたもや反復的に言い放ったりする(344─45)。Michael

NorthはこのようなDickの状態を,まるで「巻き戻し」状態に絡みとら

れているかのようなある種の映像化された自己イメージに囚われていると

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形容している(“a kind of filmed image of himself, stuck in rewind” 133)。Dick

「自分の経験ではないものによってでさえ苦しんでいる」と措定すること ができる5)。Hannahの過去の経験を,自分自身のものと同一視して混同 してしまうDickのこのような姿は,第2巻序盤で既にNicoleとメランコ リックに一体化してしまう(逆転移),Dickの医師としての瑕疵にも見て 取れる。

ディックとニコルは,似合いのものが相互に補完し合うという関係で はなく,同等なものとして一つになってしまった。彼女はディックで もある。骨の髄の乾きのように,彼の一部になっている。彼女がばら ばらになるのを目にするたびに,彼はそれを自分のものとして経験せ ずにはいられなかった。洞察力も,やさしさと同情となって漏れ出して しまう─(280)6)

このように小説版ではHannahの病状は,我々読者に対しては神経症の湿 疹,腫れ物の塊,そして婉曲的に言及される梅毒と徐々に特定されていく ものの,DickにとってのHannahの病気およびその原因,それが象徴して いるものは,Hannahの言う同時代の女性達と共に戦ったという証になり,

病気を超えた象徴的な何か「神秘」的なもの,「何かがそこから生まれて くるはず」のものに転じ,結果として我々読者の解釈も拒み続けるシニフ ィアンと化す。

病の床に伏すHannahの存在は,一体何を代理表象しているのだろうか。

この浮遊し続けるHannahの病というシニフィアンの意味を措定するため に必要な手がかりは,Hannahのエピソードが言及される第一次世界大戦 後という歴史的文脈にある。Tender (1934)では直接戦争の描写はないが,

大戦の余波が随所に散見され,その暴力性が胚胎している。特に第 2

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には終始戦争のイメージが充満している。そもそも冒頭で精神科医として

働くDickは第一次世界大戦のトラウマ的影響について同僚の医師Franz

と語り合っている。彼はDickには参戦経験がないものの,Dickにも他の 人間同様に大戦後に変化が見られたと言及している(第2章)。ここでの Dickは,彼自身が自分の夢の詳細なメモに半ば自嘲的に記述した言葉

─「戦闘未経験者の戦争神経症」(“Non-combatantʼs shell-shock,” 206)を患 う人物─を用いて紹介される。別の場面では,Dickは友人であるAbe やRosemaryと共にソムの町を訪れ,「ぼくの美しい,愛しい,安全な世 界は,おそろしく破壊力のある愛の爆風と共に,ここで粉々に吹き飛んで しまったんだよ」とDickは執拗に嘆いている(86)。そして妻Nicoleの統 合失調症の症状が悪化し,家庭においても心安まることのない状況は「戦 い」と描写される。

“Dick tried to rest─the struggle would come presently at home and he might have to sit a long time, restating the universe for her. A ʻschizophrêneʼ is well named as a split personalityNicole was alternately a person to whom nothing need be explained and one to whom nothing could be explained”. (218,強調は原文)

Tender(1934)にはこのように戦争に関わる表現に満ちており,それによ

り20世紀がますますシェル・ショック的な状態になっていることと

(Nicoleが神経症的な精神状態から解放されていくのとは反比例して) ,Dickがま すます神経症な精神状態に陥っていくこととをアレゴリー的に描いてい る。それでは,これほど戦争を含意して語られるHannahの病気の象徴性 とは,本小説においてどのように解釈されるべきなのだろうか。そしてこ の部分を単なる枝葉末節的な陰画とせずに,むしろ積極的にDick/Nicole/

(14)

Rosemaryの各エピソードの合間合間に挿入するテレビドラマ版は,我々 読者にどのような小説版の再読を要求し,新たなる物語を創生しているの であろうか。ドラマ版との比較に入る前に,Tenderの時代設定とされて いる1920年代の死生観に着目して,当時のジェンダーの問題と,とりわ け若い男性の戦争による負傷や死の表象がどのように関連するのかを検証 したい。

2.New Death7)

「新しい」という用語と,「死」とは一見両立しえない用語のように思わ れ が ち だ が,Pearl JamesはThe New Death: American Modernism and

World War I(2013)において,第一次世界大戦という前代未聞のおぞまし

い規模の大量死が与えた衝撃の問題と,戦後の日常生活にトラウマ的に回 帰し介入する死と暴力が,代理表象される新たなる死についての認識につ いて論じている。Jamesは第一次世界大戦後の1920年代のモダニズム小 説が,(若い)男性の死をどのように捉え(そこない),時に美化し(そこな っ)ているかに着目した。この戦後のモダニズム文学においてJamesが注 目したのは,様々なパラドクスである─死の否認と聖化,ヒロイズムの 希求とそれに対しての不信,死の不快さや切迫性について一般市民が抱く 強い好奇心とそれを避けたいという衝動など。これらは彼女によれば,第 一次世界大戦がもたらした過去とのトラウマ的断絶を意味する(これはま さにモダニズム文学の核心をなす)

Jamesによれば,死の文化的な意味がこの時期に変容する。F. Scott FitzgeraldのThe Great Gatsby (1925),Ernest HemingwayのA Farewell to Arms (1929),William FaulknerのSartoris (1929)などの小説は,第一次世 界大戦の文化的経験から生じた断絶と喪失の問題を作品中で描いている。

これらの作家は,大量の若い男性の死という恐怖をどのようにしたら語り

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の中で表象できるかという問題について思案し,メランコリーと喪失とい う観点から戦争を捉え,それによりテクスト中に損失や喪失,傷ついた男 性性を内容的,形式的に描いた。モダニストの作家は近代性と暴力の様々 な側面を女性の犠牲者に転化して描くか,肉体の消滅という恐怖を表象す るのに,死を目撃することの不可能性/不在として代理表象することでこ の問題に対応しようとした。モダニズムの小説は死の床に立ち会ったり,

葬式や埋葬という形で死に対して心構えし,証人となり,儀式化すること が戦争の衝撃のせいでできなくなってしまう人々の諸相を捉えている。死 を悲嘆するためには,死の証拠,痕跡に向き合い,死者を弔う必要があ る。故郷に帰国した男性の元兵士は,一般市民,とりわけ女性が自分たち の痛みを認識してくれないという事実に直面し,“New Death”によってよ り傷つくことになる。“New Death”は専ら女性が原因となって生じる。

Jamesは死の意義を記憶と暴力の研究,さらにはトラウマと歴史研究とい

った文脈において再定位し,ある特定の時代の男性性に関する文化的規範 の変化ゆえに,死/戦争がより複雑に描写されるようになったと指摘する。

本稿はJamesの研究を準拠枠として,第一次世界大戦の記憶/歴史認識 という観点からTenderにおける前掲の諸問題を議論する。モダニズム期 の文学作品では,戦争そのものの描写ではなく,アメリカ国内における戦 争後の付随的経験をいかに表象するかに焦点が置かれる。第一次大戦後の 小説では,傷ついた男性登場人物は自身の物語を十全に語ることはでき ず,文化的な規範のために男性の肉体の崩壊や喪失を描くことは禁忌とさ れ,彼らの苦痛/損傷は女性や他者の肉体へと置換される。原作でも直接 に描かれることのなかった「死」や「傷」などは,本テレビドラマでは,

冒頭の負傷する兵士の姿(ただし,グロテスクな負傷を描くことはなく,精神 錯乱になった兵士をなだめるDickの姿を捉えることに焦点が置かれている[Episode 1]),Tommy Barbanたちが戯れに銃で殺し合う振りをするというエピソ

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ード(Episode 2, 48:59─52:52),サン・ラザール駅の銃殺された男,Dick 害の夢,Abeや黒人Jules Petersonの死,Nicoleによる運転妨害と事故,

まるで負傷した兵士のようなかさぶただらけのHannahの表情,そして

(間接的に浮き彫りになる)Nicoleの近親姦,作品中で不気味に鳴り響く不協 和音的な音楽の連続性(死の予兆),などに次々に転化され,置換され続け る。このようにTender [1985]には死のイメージが充満しているが,これ らの転化され続ける死はまさにテクストにトラウマ的に滞留する第一次世 界大戦の死の記憶(“New Death”)であり,アメリカ国家の戦争と喪失,損 失という歴史のトラウマ的な記憶である。

Jamesによれば,大戦後は死についての認識が大きく変わり,これまで 以上に日常生活において死が過剰なほどに身近なものになった。人々は日 常生活において,死の遍在性をより身近に感じるようになる。戦争という 未曾有の惨事によりもたらされた大量死に加えて,人間の機械化,医学の 進歩に伴う人間の肉体への新たなる関心とそれに伴う臓器摘出や解体,写 真技術の革新に伴って新たに伝えられることになった塹壕での分断された 身体,病気の蔓延,劣悪な衛生環境,そして戦後のシェル・ショックに苦 しむ帰還兵の姿など,人間の身体を取り巻く急速な変化が第一次世界大戦 のトラウマ的記憶として1920年代につきまとうことから芽生えた新たな 死の認識である。“New Death”とは,ヨーロッパ戦線における死だけでは なく,戦後のアメリカ国内において,DickAbe,Nicoleのような非戦争 参加者の体験における「死」の近親性についての経験をも含意し,死につ いての新しい認識が文化に無意識的に充満している状況を示す。

“New Death”はまた,死についての表現を抑圧し,衛生化し,置換し,

馴致しようとする。トラウマ的経験はどんなに捉えようとしても,追体験 によって完全に捉えられることはできず,十分に表象,言語化することも できない。つまり死に直面し,それを解釈し,直面することの不可能性が

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浮き彫りになる。十全に表現されることを「拒む」戦争は,戦争体験につ いての言葉を持たない,感情を表さない描写,兵士の不在,戦争のレトリ ックを交えた(場合によっては補足的な)死体の描写,暴力や苦痛,感情的 な苦悶,などの形象をとってテクストに湧出し,亡霊的に浮遊し続ける。

第一次世界大戦後のジェンダー規範により,男性の肉体を脅かす肉体的脆 弱さは直接的に描写されることを回避し,それは女性の肉体やそれに付随 する要素(出産,死産児,死,レイプなど)に転化され,置換されて代理表 象される。そして悲劇的な異性愛ロマンスが,これらのグロテスクな描写 を覆い隠す。Helenの暗喩する狂気,Hannahのまるで負傷兵のような姿 からのぞかせるかさぶただらけの顔,Nicoleの父親による近親姦は,まさ にアメリカ国家の患う集合的トラウマの記憶の代理表象であるのだ。

3.日常に闖入する暴力─サン・ラザール駅での発砲事件(Episode 3)

本テレビドラマのセッティングは「原作」同様にフランスのリヴィエラ である。一見平和な観光地としての陽気さに満ちた空間であるが,本作品 では繰り返し戦争の「残響が」闖入してくる。Dick達の優雅で豪奢な世 界に,突然不条理な暴力の場面がいくつか挿入されている場面をまずは取 り上げる。これらの暴力シーンは,直接的には第一次大戦には関係しな い。しかし戦後は,本テレビドラマの舞台であるフランスを含む欧州諸国 が疲弊し,世界が断片化していく。Dickを取り巻く世界もまさに瓦解し,

それまでの人物関係が破綻,崩壊していくが,Dickはその断片化されて いく世界を目の当たりにして,どうにか繫ぎ止めようともがき続けること になる。つまり断片的に挿入され続けるエピソードの数々は,まさに Dickがテレビドラマ内で行う,断片化されていく自らの世界とidentity どうにか繫ぎ止めていこうとする行為と相同性を有している。その断片化 されたエピソードの中でも,サン・ラザール駅での発砲事件と,Peterson

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殺害事件を例に考察してみたい。

突然不条理な暴力がこだまのように突如として平穏な現実に闖入してく る例として,ラザール駅での発砲事件があげられる(Episode 3)。この場 面では,リヴィエラで意気揚々としていたことが嘘のように,飲酒に浸り 落ちぶれていくAbeをDickとNicole夫妻が見送りに行く際に突然生じた 事件である。Tender (1934)のこの場面を対置してみることで,テレビド ラマの同場面の持つ重要性がより確認されるだろう。

However, everything had happened─Abeʼs departure and Maryʼs impending departure for Salzburg this afternoon had ended the time in Paris. Or perhaps the shots, the concussions that had finished God knew what dark matter, had terminated it. The shots had entered into all their lives: echoes of violence followed them out onto the pavement where two porters held a post-mortem beside them as they waited for a taxi. (98─99)

原作と同様に,テレビドラマ中でもAbeが発ち,まもなく午後にはMary もザルツブルグに発つこの日,何気ない日常の駅のシーンでは人々が別れ を告げ合ったりしている。まさに「こうした出発はパリでの楽しいひとと きの終わりを告げ」,この「銃声が,神のみぞ知る暗い物語を終わらせた あの衝撃こそが,終わりを告げた」と言える。戦後になってもなお,「暴 力のこだま」が残響として残り,「弾丸は彼ら全員の生に食いこん」でい る。「男のシャツ,見たか? 血まみれだったよ,まったく戦場かと思う ぜ。」という男のセリフに見られるように,そこには戦争の残滓がはっき りと刻印された日常があるのだ(126)8)

その夜,(原作とは異なり)Nicoleはサン・ラザール駅で目撃したMaria

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Wallis(原作では「ヘルメット」のような髪型の女性として紹介される)による 銃撃シーンを再現するような夢を見るが,その夢では,銃で撃たれたのは 他ならぬDickである。注目すべきはDickがRosemaryと初めて体を重ね るタイミングと同時にこの夢をNicoleが見ている,という点である。こ の夢の中でのDick殺害は,不貞をはたらくDickをNicoleが夢の中で処罰 しているかのようである(Nicoleのトラウマとの戦いの一例をなす)。または

Nicoleに夢の中でのDick「殺害」には,頼れる存在者の裏切りに対して

の処罰という意味で,父Warren(父として本来は頼れる存在)殺しを読み取 るのは難しいことではないだろう。

その後,Nicoleの部屋のドアをたたく音がして,そこに現われた警官か らJules Peterson殺害というニュースが飛び込んでくる。まさに物語は暴 力のこだま(連鎖)のスピードを速めていく。こうして一連の日常生活へ の暴力の介在は,Dickによる不貞,DickWarrenらの男/父「殺し」,

Jules Peterson殺害,血が結びつける記憶,トラウマの発動と加速的に一

連の断片的なエピソードを束ねていく。Nicoleは「私もきれいだと思う?

(Helenにより再演される)(中略)誰とも結婚するもんですか!」と父からの 近親姦のトラウマ的悪夢にうなされ,ドラマ中の大半においてそのトラウ マに苦しんでおり,鏡の中の自分に向かって自分は大丈夫であると言い聞 かせながら病気/男性達(一義的には父親,そしてDickなど)と「戦ってい る」点は,のちのHannahの啓示的言葉,「女性達の男性との戦い」と共 鳴し合い,極めて重要な連関性を有する。

4.日常に闖入する暴力─死体の発見(Episode 3)

アメリカに帰るために見送ったはずのAbeがこっそりと途中下車をして パリに戻り,そこで飲酒が絡んだ盗難事件のいざこざに巻き込まれて黒人 とトラブルを起こす。その結果,救いを求めたAbeがさらにDickたちを

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巻き込むことになる。解決の糸口が見つからないまま,突然無実であるに もかかわらず警察に追われていた黒人Petersonが,遺体でRosemaryの部 屋 の ベ ッ ド で 発 見 さ れ, 事 態 は 急 展 開 す る。 原 作 同 様 に,Dick

Rosemaryのスキャンダルを阻止するために,血で汚れたシーツやベッド

カバーを巧妙に隠し,ホテル側に遺体の処理を委ねた矢先に,今度は

Nicoleが血で汚れたベッドカバーが引き金となってヒステリーの発作を起

こし前半が終わる。

気が動転するNicoleはバスにこもり,血で汚れたシーツがバスタブに 浮かぶのを見つめている取り乱したNicoleは次のように叫ぶ。

「そうよ……貴方なのね! 世界でたった一つの私の隠れ場所に押し 入るのは……ベッドカバーを貴方の血で真っ赤にして……これを貴方 のために着るわ。私は平気よ。貴方に愛してなんかもらわなくてい い。もう手遅れよ。」(Nicoleと呼びかけるDickに対して)「ここに入って こないで……血だらけのベッドカバーを私に押しつけないで……」

(Tender [1985] Episode 3, 50:24─50:56)

「Nicoleどうかドアをあけてくれ」と叫ぶDickの呼びかけに,やっとド アを開け,Dickを放心状態気味に見つめるNicoleの表情でこの場面は終 わる。日常の一見平穏な生活に侵入してくる暴力をPart 1では繰り返し目 撃することになる。

突如とした黒人の闖入とその死体,白いシーツに浮かび上がる血,

Nicoleの近親姦のトラウマ。「黒」を起点として黒人(異人種との混交とい

うもう一つのナラティヴの可能性)というモチーフ,近親姦という家父長制 のモチーフが稼働する場面である。Dickの言う“echoes of violence in the air”が字義的な戦争の残響としての暴力の闖入,という以上の意味を帯び

(21)

てくる瞬間がここにある。つまり原作に断片的に漂っていた暴力のこだ ま,アメリカ国家のトラウマ─家父長制の暴力,黒人への弾圧,奴隷制 度─がテレビドラマではより縫合的に連結され,その響きと共に架橋さ れ回帰してくるのだ。

5.反復される近親姦のモチーフ

忘却された/したい記憶の反復は,本テレビドラマではまさに種々の行 為の反復という形で顕在化する。本テレビドラマと「原作」との違いの一 つにNicoleの父,その父の後悔と自責の念の告白がある。本テレビドラ マは父を断罪し,許しを与えることはしない。近親姦のトラウマというモ チーフは,原作では「声」を発することの出来なかったもう一人の女性 Helenの“Kiss me”という求愛の言葉/行為,父的存在のDickに対して Rosemaryが発する“Take me”(「私を受け取って」)の求愛の言葉/行為に置 換され反復され続ける(もちろんNicoleによるそれは言うまでもない)。本テレ ビドラマにおいて色情症的な症候を呈するHelenは執拗にDickにキスを 迫る(Nicole, Rosemaryによってもキスをせがむ行為が反復され,テクストは読者 にこのメタファーの重要性を繰り返し強調している)。Helenは原作においては

2巻の第15章において,精神機能に疑いを残したまま退院した女性患

者として紹介される。彼女の母が病気の間,Dickが彼女に付き添ってい た。娘を車でチューリッヒに乗せていった際に「おざなりな,ほとんど甘 やかすような感じで」娘にキスをするが,それ以上の関係はなかったとす るDick。自分の娘が誘惑されたという理由で,母親がDickを非難する手 紙を送りつけてくる。原作ではDickが「こんなの馬鹿げてるぞ。精神病 の患者からの手紙なんだ」と言い訳するが,Nicoleは「わたしも患者だっ たわ」(“I was a mental patient.”)と言い返す(Tender [1934], 275)

この場面はテレビドラマでも採用され(Tender [1985], 37:06),一連のやり

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取りがあった後,「患者を……! 堕落させたんです 性的に!」という ヴォイス・オーヴァーがNicoleの唖然とした表情に重ねられる(ここでの 発話を言い換えると,「患者を性的に堕落」となる)。これは一義的には,医師 Dickが患者Helenを性的に「堕落」させたことを指すが,父Warrenが娘

Nicoleを性的に「堕落」させた近親姦を暗示するのことは言うまでもな

い。現在の病(精神病)の元凶を過去の一点(近親姦)にのみ還元する「読 み」の姿勢がここにある。しかし,我々が次に確認するHannahとDick やり取りにおいて見られるように,ある病の兆候を一つの医学的原因にの み帰する解釈を,本テレビドラマは絶対としない。むしろそこには哲学的 な解釈があるべきであり,我々読者/視聴者に委ねられた診断とは,その 現在の(社会的)病の原因として過去の一つの原因に還元するようなこと をせず,その病の原因解明には多角的要因を探るような診断である。この 件をきっかけに,NicoleはDickへの疑心を深め,後に大きな自動車事故 を引き起こすことになる(暴力の誘発)

“New Death”の観点から見ると,小説版でもテレビドラマ版でもまさに

“versatility of madness”の言葉の通り,「繰り返し回帰し日常生活に闖入す る第一次世界大戦の亡霊的記憶」が活写されている。この点で両者の差は さほど大きくはない。しかし,両者の最も大きな差異は,病を患う二人の 女性を前景化させたことにあり,特にHannahについてドラマ版がより拡 張深化している点にある。

本テレビドラマでは,原作がテーマの一つとして持っているトラウマの 問題を,フラッシュバック(Dickの脳裏には突如として叫び始めるNicoleの狂気 性が何度もフラッシュバックの形式で描き出される)や,ヴォイス・オーヴァ (怒り狂うNicoleの表情に医師として診断を下していくDickの声が重ねられて いく),モンダージュなどの映画技法を用いてうまく顕在化している(Helen の母親がNicoleに対して,Dickが彼女の娘Helenを拐かしたと糾弾する場面など。

(23)

得意げなHelenの表情と唖然とするNicoleの表情は対照的であり,平穏に闖入する 暴力性を表象している)。この文脈において先の神経性の湿疹を患う女性

Hannahの存在は,本作品において極めて不気味な役割を担っているだけ

ではなく,医者/患者,父/子,男/女,現前/不在などそれまでの既存 の秩序の安定性を常に攪乱し,新たな可能性を示唆する存在として読み取 ることができる。

6. 神経症の湿疹の女性─Hannah(テレビドラマ版を中心として)

小説版とは異なり,テレビドラマ版におけるHannahの登場シーンは 5 回あり,その文脈を素描すると以下のようになる。以下に登場エピソード 番号と,登場時間,その前後の文脈を簡略的に示す。

 Episode 4(11:07─16:10)1925年のクリスマスの二年後として場面が 切り替わる。1927年スイス。病床のHannahをDickが往診。「腫れ物」

の原因について議論。この場面の後にはDickとNicoleのやり取り。

 Episode 4(24:34─24:46)演奏会を抜け出したDickにHelenがキスを 求め,自分を愛するように執拗にせがむ場面の直後。Hannahの頭部に キスをするDick。直後にNicoleの表情が窓枠に縁取られる形でクロー ズアップされ,Nicoleは診療所の方向を見ているが,その眼差しにはま

るでDickとHannahのやり取りが見えているかのようである。

 Episode 4(25:40─26:06)上の描写の続きで,Nicoleが物憂げな表情 を浮かべ,カメラは彼女の表情を捉えていく。そして再びHannahの病 室に切り替わり,DickがHannahの傍らの椅子に腰掛けて,カルテに目 を通している。Dickの言葉「じゃ明日……いいですね?」のみが発せ られ,Hannahからの応答はない。直後に再びNicoleに切り替わる。不 穏な音楽が流れる中,Nicoleの表情が鏡に映し出され,彼女は「みんな うまくいっている。何の問題もないわ」と自分に語りかける。

(24)

 Episode 5(30:50─31:48)診療所に向かうDickの後ろ姿を見つめる Nicole。再びNicoleは窓枠に縁取られており,Nicoleの閉鎖性を暗示し ている。Dickが白衣を着ないでHannahに接すのはこれが初めて。二人 に会話はない。Abeの死,タクシーでの乱闘,投獄という一連の出来事 を経て,打ちひしがれた姿のDickHannahはただ見つめている。

Hannahを見つめるDickの右頬には殴り合いにより傷があるが,その様

子はHannahの病気のかさぶたと同じもののように見える。白衣を着な

いDickは, ま る でHannahに 何 か 答 え を 求 め る か の よ う な 表 情 で Hannahを見つめている(ここでのDickは懺悔をする罪人のようでもある)

一方Hannahの表情から,二人の以前の会話の「本物の戦争と同じだわ。

負けた者にとって……破滅し滅亡する」という半ば啓示的な言葉を想起 せ ざ る を 得 な い。 何 か に 抗 い, 崩 壊 し て い くDickの 姿 は こ こ で,

Hannahが幻視していたような敗者の運命に近親性を示していく。(敗れ

去るのは女性のみではない。)

 Episode 5(46:49─47:53)Nicoleの表情を写した後に,病室の描写に 移るというパターンを再び踏襲。Hannahの死。その後DickはFranz 病院を辞めることを告げる。

DickはHannahが自らの運命も語っているとは思っていない。しかし,

皮肉にもHannahの語っていた「戦争・破滅・滅亡」は,女性の運命のみ

ならず,Dickのそれをも予言したものであったと視聴者には分かる。白 衣は医師Dickの絶対的優位性,権力を示していたが,医師/患者の関係 性は,Hannahについてのエピソード④の段階で崩壊しかかっており,こ こにDickの精神不安が顕在化する。このような医師/患者の関係性の崩 壊は,Dick/Nicoleの関係と相同性をなしている。Helenとのやり取りに しても医師が患者を誘惑するという物語は(もちろんHelenの言っていること は虚言であるとしても),患者Nicoleとの関係を持ってしまった医師Dick

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